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【小休止!】「馬鹿」の語源を追求してみると?(3)実は、小生70才を過ぎた頃から嫌味な発言や発想が多くなってきて、近頃では我ながら自身閉口している。そういえば、若いころは物分りが良く、柔和であった親父やお袋さえ、齢を増すごとに政治面など社会的な事項に、特に批判的な言動が多くなったと記憶している。健康を保持するために、生理的には蓄積した毒素をタイムリ-に排出することであるが、精神的にも同じことが云えるのかもしれない。積もり積もった精神的不満が、70才を過ぎると一気に溢れ出るのかも知れないのだ。そうなると小生の場合は、両親の遺伝子を足すことになり、ダムの決壊に近い危ないタイプなのかも!やれやれ、つくづく、齢はとりたくないものである。さて、そろそろ気を取り直して本題である「馬鹿」の語源の由来に迫って行こう。語源由来辞典によると、サンスクリット語で「無知」や「迷妄」を意味する「baka「moha」の音写「獏迦(ばくか)」「募何(ぼか)」が転じたとされる。日本では、鎌倉時代末期頃から「ばか」の用例があり、室町中期の「文明本説用集」には、馬鹿の異表記として「母娘」「破家」をあげ、「とんでもない」の意味で「狼藉之義也」と説明している。以上のことから「ばか」を「馬鹿」と書くのは、当て字と考えられる。馬鹿の語源の俗説には、「史記(秦始皇本記)」の故事「鹿をさして馬となす」からというものがある。これは、秦の趙高が二世皇帝に、鹿を「馬である」と言って献じたという。この間違いに対して、群臣は趙高の権勢を恐れて「馬です」と答えたという。しかし「鹿」と答えた者は、ことごとく暗殺されたという。このことにより、自分の権威をよいことに矛盾したことを押し通す意味として、「馬鹿」という表現になったというのである。しかし、「鹿」を「か」と読むのは、大和言葉で、漢文では「ばろく」と読むため、この故事が「ばか」の語源とは考え難く「ばか」に「馬鹿」の字が当てられた由来としては考慮するにとどまるとある。その他「おこがましい」の語源となる「をに」を語源とする説もあるが、「をに」から「ばか」という音変化は考え難い。また別な辞書では、「ばか」とは日本語では、相手をからかったり、侮辱(=その立場を低く見なすことで、相手の感情を損なう。人格の否定)するため最も普通に使われている卑語・俗語であるとある。漢字では、莫迦、馬家、破家等を表記するが、馬鹿を含めて、いずれも借字であるという。平仮名や片仮名で、「ばか」「バカ」と表記する場合もあるらしい。段々と、何が何だか訳が分からなくなってきた。一体我は何を言おうとしているのか、実に「バカバカ」しくなってくる。ほら、こんな時にサラッと出てくるのが「馬鹿」という言葉である。ところで、動物の「馬」と「鹿」は全然違うところがあることを知っているかい?それは食物の消化系である。動物はタンパク質がなくては筋肉やDNAを造れない。タンパク質は、さまざまなアミノ酸からが造られるが、それは食べ物から摂るしかない。肉食動物は狩りをして、狩った動物から直接タンパク質を摂ることができるが、草食動物は一体どうしているのだろう。そのタンパク質の摂り方に、馬と鹿とでは大きく違うのである。まず「馬」は、植物(主に草)に僅かに含まれるタンパク質から摂らねばならない。だから沢山の草を食む必要があり、暇があれば首を下げて草を食んでいる。鹿やヤギ、牛はどこか違う。確かにいつも草を食べてはいるが、馬ほどでない。実は、馬の胃は一つしかなく、大量の草からタンパク質を集めなくてはならない。では鹿はといえば、胃が4つもある、反芻動物なのである。草を唾液と合わせ、反芻することにより炭水化物をタンパク質に変えているのである。ではどんな方法で変えているかというと、バクテリアを利用しているという。唾液を出して、反芻を繰り返し、空気を送り込んでバクテリアの増殖環境を整え、さらにバクテリアを増殖させているのである。いわば、体の中にバクテリアの牧場を持っているのである。そして、第四の胃でそのバクテリアを殺し、その死骸からタンパク質を腸で吸収するという、なんと合理的なシステムなのである。少ない餌から、実に有効に体の基礎をつくっているアミノ酸を得ているのである。だから反芻動物の代表である牛は、あまり遠くまで草を求める必要もないので、馬より足が遅くて良いし、座ってのんびりと寝て、寝ながら口を動かして、いればいい訳だ。「モウ- モウ- たまらない! 旨さ百倍さ!」人間様さえいなければ、彼らこそ幸せものということである。しかし、馬は違う。かわいそうに馬の睡眠時間は、せいぜい4時間程度という。どうやら、これにもエネルギ-の法則が効いているらしい。まず、沢山の草を食べると、どうしても余分な炭水化物も吸収されてしまう。それを防ぐためには、動物はこの膨大なエネルギ-を筋肉でとにかく燃やす以外ない訳だ。そのために馬は、速く、遠くまで走らなくては、すぐに豚のように太ってしまい、それをしないとやがて動けなくなってしまうからだという。その運命的な循環が、強健な筋肉を生み、細い足で速く、さらに長い距離を走れるのである。その特性を人間様は利用して、競馬とかいうゲ-ムを考え出して、狂喜している。馬曰く、「我々から見たら、人間様は永遠にロ-マ帝国の暴君ネロ皇帝とそれに狂喜するロ-マ市民達だ!!”!」。「ヒヒン! アア-寅さんよ・実はおいらだって辛いんだぜ!」・・ということで、この方面から見ても、「馬をさして鹿」はまるで当てはまらず、誤りである。それにしても趙高は相当な悪者である。なぜなら、彼ほどの人生経験を持つものが、本心から「馬をさして鹿」と言う筈がない。おそらく、秦の二世皇帝に間違った常識を教え、誰からも二世皇帝を無知者(馬鹿者)と思わせ、自分の権威をさらに上げるための、腹黒い戦略であったろう。それはそうと、小生も1942年生まれの、「馬」である。一生走り回らないと、(=あくせく働かないと)生きていけず、死んでしまう馬の様な宿命を持っているのかもしれない。「オイオイ そんな?***** 馬鹿な!?」(おしまい)
2015年04月08日
【小休止!】「馬鹿」の語源を追求してみると?(2)ところで映画「フーテンの寅さん」が、アカデミ-候補になったという話や、海外で放映されるという話は今までとんと聞いたことがない。ビ-ト武のやくざ映画が、カンヌ映画祭で高く評価されているが、どうして「フーテンの寅さん」の評価は低いのだろうか?それは、日本語の本当の味、日本人の深いところの人情味や、心の細やかさ、そして優しさ、さらには日本独特のユーモアが、外人には到底分からないからに他ならない。近頃再放映を繰り返している大人気のテレビドラマに、「相棒」がある。刑事ものゝこの番組は、「寅さん」とは分野が少し違うが、この番組の切れや、人情、独特のユ-モアなど、個性的な多くの魅力についても、外人には到底理解できないだろう。そういう意味を進化論から見た場合、明らかに日本人は脳の進化が進んでおり、特に心のあやの人間としての部分の進化が著しく、ここだけは他の民族の追従を許さないと言ってもよいだろう。日本映画の中でも、切った張ったの勇ましいやくざ者の映画は、海外には好評価であるがこれは一見派手に見えるけれど、優劣を力で決着をつける旧石器時代の脳の思考である。西部劇はほとんどこのパタ-ンで、いまでもある国は追い込まれると、大概この手を使うから多いに注意である。どんな屁理屈を並べようと、暴力の本質は、脳と心の進化が遅れた世界の物語に過ぎないのだ。そういう意味から解釈を広げると、過去の戦争で勝利国となった連合軍諸国だけが核兵器保持を許され、他の国は核飛散が心配だから禁止と高圧的に仕切っているのも、誠おかしな話である。そんなに神が認めた正義の味方の国ならば、まず、一日も早く自分たちの核軍縮から進めて欲しいものである。確かそんなことを言って「ノーベル平和賞」まで、先にもらった人もいたはずだが・・?ま、日本でも巨額負債を解消するため、国会議員の数を減らす減らすと言いながら、もうずいぶん経ってしまっているなあ-?こんな時「ああ 馬鹿らしい!」という「馬鹿」の使い方が出てくる。(つづく)
2015年04月08日
【小休止!】「馬鹿」の語源を追求してみると?(1)近頃土曜日が少し楽しみになった。「土曜は寅さん」というテレビ番組が放映され出したからだ。先日のシリ-ズで、寅さんが惚れるマドンナは女優の岸恵子で、それも女坂を少し下りだした50才台の彼女(当時はフランス映画監督の妻)で、役は女貧乏画家役で出演していた。柿も堅い甘柿を口いっぱい開いて、思い切りほうばる食べ方も旨いが、渋柿が樹で熟れて、赤く透き通るまで待って、それを啜るように食べるのも旨いものである。より美味しいところをと、欲張って取るのを翌日にしたため、翌朝採りに行くと、狙った奴が、土の上に無残に牛糞のような姿で落ちていて、大変悔しい思いをしたこともある。寅さんに出演していた岸恵子は、後者の柿の方で、大女優を柿に例えて誠に申し訳ないが丁度啜って食べごろの、魅力に満ち溢れていた。もちろん寅さんはじめ共演者も、みな相応に若く実に生きがいい。それにしても、「フーテンの寅さん」に出演する女優は皆美人で、今まで寅さんに恋人役で出れなかった女優は、例え自身は希れなる美人だと思っていても、世間的にはたいした美人ではなかったということか?しかし、呼ばれなかったといえ、所詮はこれは山田洋次監督の美人の物差しであり、決して失望することではない。それは兎も角、映画「寅さん」を見ていると、「馬鹿だねえ!」というセリフが実に多い。特に寅さんの叔父さんが、寅さんの美人にはめっぽう弱い「すぐ惚れ病?」が発生する場面では、しきりに「馬鹿だねエ-!」を連発する。おばちゃんや、印刷屋のタコ社長、それに寅さんだって良く使うセリフである。それに気の優しい妹のさくらさえ、「馬鹿ね・お兄ちゃんたら~!」という場面すらある。もし映画「寅さん」から「馬鹿」というセリフを除いたら、寅さんの映画はつまらなくなるばかりか、おそらくさすがの山田洋次名監督でも、映画にはできなかったであろう。日本語の「馬鹿」は、ただ相手を軽蔑して使うだけでなく、真逆の誉めたり励ましたりする場合にもよく使われている。ま!世界中でこんな国は、まずないであろう。(つづく)
2015年04月07日
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