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2023.03.01
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カテゴリ: イマジン
BSプレミアム 孫のナマエ~鴎外パッパの命名騒動7日間~


鷗外パッパが愛娘茉莉(マリ)の子に付けた名は𣝣(ジャク)、雀に由来し盃にも由来。西欧の “ジャック”(Jacques)にも通ずると。
難しいと異体字に難色を示す婿のフランス文学者 の 山田珠樹に「分解すると 木+四+艮+寸 で子供にも難しくない」などと、長大な手紙を書いて名前の大切さを示す。
森鴎外の子供たち その2 | 直球感想文 本館 | 古い写真, 古写真, 写真
山田珠樹と森茉莉

ドラマで見る 鴎外の該博な知識と人間力に圧倒される。

ちなみに
山田 𣝣(やまだ じゃく、1920年11月3日[2] - 1993年6月21日)は、日本のフランス文学者。東京大学名誉教授。
フランス文学者の山田珠樹と、後に作家となる森茉莉の長男として東京に生まれる。

旧制成蹊高等学校卒業後、東京帝国大学仏文科を1944年9月に繰り上げ卒業。1946年同志社大学勤務の後、1948年から第一高等学校、東京大学教養学部勤務、1964年東京大学文学部仏文科に配置換え、教授を務める。1981年定年退官、名誉教授、成城大学教授。1991年退職。1993年死去。満72歳歿。

・ギュスターヴ・フローベールが専門で、蓮實重彦の師としても知られ「お前ら、感情教育を知ってるか。感情教育ってのは終わらねえんだ」と言ったとされる。

名前の「𣝣」は母方の祖父・森鷗外の命名によりフランス語の男性名 “ジャック”(Jacques)を写したものである。

山田家所蔵資料 山田珠樹、同茉莉宛 森鷗外書簡集

鴎外の書簡400点見つかる 差出人は夏目漱石や与謝野晶子など著名人ぞろい

鴎外パッパの命名騒動7日間 の頃、森鴎外は奈良で正倉院の調査に携わっていた

林太郎は1917年(大正6年)12月、宮内省が所管する帝室博物館と図書寮(ずしょりょう)のトップへの就任を受け容れます。帝室博物館のトップは総長、図書寮のトップは図書頭(ずしょのかみ)と言いました。

 図書寮は律令制の時代から日本にありましたけれど、林太郎がトップに就いたころの図書寮は1884年(明治17年)に宮内省に設置されたもので、おもに皇室にかかわる記録を編集・作成し、関連する書物などとともに保存する部署でした。

 帝室博物館は東京、京都、奈良の3つの国立博物館からなり、総長はふつう東京の博物館に出勤します。林太郎のばあい、月・水・金の3日は午前8時から午後4時まで博物館で勤務し、火・木・土の3日は午前8時から午後1時まで図書寮で勤務しました。博物館総長と図書頭との兼務は、1918年1月から死去するまでの4年半でした。

 ここでは森林太郎の図書頭としての業績。

①『天皇皇族実録』の編修

 『天皇皇族実録』の編修は1915年(大正4年)に始まり、その後の4年間でわずか4名の皇族分を仕上げただけでした。森図書頭は、就任するや、計画を立て直し、担当職員を増やし、服務規程を定めて膨大な事業の推進を図りました。

②『帝諡考』(ていしこう)の執筆・刊行

 帝諡とは、天皇崩御後に送る称号のうち、人格をほめたたえる意味をもつもののことです。



 つづいて林太郎は『元号考』の執筆にとりかかり、大化から大正までの元号について、改元の時期と理由、典拠とされた文献などを調べ始め、この努力は死の数日前までつづけられましたけれど、完成には至りませんでした。

 腎臓と肺をわずらって体力が衰えつつあった林太郎は、妻の志げや子どもたちが頼んでも、親友の賀古鶴所が勧めても、医師の診察を受けようとしません。

 そして1922年(大正11年)7月6日、亡くなる3日前に、最後の遺言を口述して枕元の賀古鶴所に代筆してもらいます。要旨は、

 一切の秘密なく交際した友人に{遺言を}代筆してもらう。誰も口出しをしてはならない。

 どのような官憲威力であっても、死という重大事件には反抗できないと信ずる。



 だから、縁故のある宮内省や陸軍の栄典は絶対にやめてもらいたい。

 また、墓には「森林太郎墓」以外に1字たりとも彫ってはならない。


💛山田 𣝣さん、立派な一生を終えられ、森鴎外の期待にそむかなかった。
「......なのであります」という名調子の講義を聞きたかったものだ(^^)

ドラマの中で、森鴎外の潔癖ぶりと偏食ぶりも活写されて面白かった。

鴎外はドイツ留学をして衛生学、細菌学を学んでいた。彼は作家でありながら陸軍軍医で、このことが彼の偏食に拍車を掛けてしまった。生ものへの極度の警戒心から潔癖症となり、水は沸かさなければ決して口にせず、食事にも神経質になっていた

ドラマでは、トイレに入る時も決して手でドアを触らず、懐紙でノブをつかんでいた。
また、鴎外は「甘いものとご飯を一緒に食べるのが好き」という味覚の持ち主だった。
このため、甘いあんこの入った饅頭を4つ割にしてそのひとかけを白米の上に乗せ、煎茶をかけた饅頭茶漬けが大好物だった という場面が描かれていた。
果物に砂糖をかけるのも好きで、決して白砂糖を用いず、角砂糖をわざわざ砕いて載せた。





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最終更新日  2023.03.01 17:34:04


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