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2025.10.07
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カテゴリ: 鈴木藤三郎
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補註 「鈴木藤三郎伝」鈴木五郎著 その72

鈴木藤三郎より岡田良一郎宛の書簡 (「地方史静岡」第7巻62~66頁に山本義彦教授が発見された鈴木藤三郎の書簡が掲載されている。藤三郎の心事また岡田良一郎との志の違いを知る上で貴重なものである。)

拝啓

 ますますご清適と大賀奉ります。先日来ご多忙中を顧みず、あえて再三東京に出られることを請求しましたのは止むを得ない事情がありましたが、あなた様が東京に出ることができないと再び申されました。最後に本月(明治32年10月)5日発のお手紙で、かねてから申し上げていた件について氷が解けるように解決するようにとご説示をいただきましたが、さる7日重役会の際に出席した諸氏に先日来あなた様へ往復した手紙及び最後の手紙まで一同に見せたところ、森氏を始め外の重役諸氏も例の件は氷解したことはもとより、お手紙のとおり相違がない旨明言しました。この上は私においてもあえて詮索する必要もないので、お手紙の余白に各重役捺印を得て、ひとまずこの事件は無事終局となりましたのでご安心ください。

(略)  もし私が最初に提出した案で決議していれば、8月7日総会後、ただちに進行し、地価は高値でも実際にはその実現は金に換算するときはかえって安く、さらに年賦で償却するに便利であって会社の計算上利益であった。加えて工事もすぐにできることから来期にはこの営業から得た利益等を計算する時は地価ぐらいは一期をまたずに消却することは計算上明白である。如何にせん、これを悟る者なく、かえって間違っていると認める。なんという嘆かわしいことではありませんか。また第二の地であっても前に述べたように神谷氏が決議を重んじて先方の値段が25,000円より高価であるときは、すぐに去って私に任せればその時すぐに買収することが容易であったから今日まで空しく日時を空費することもなかった。これを実行できなかったのは、これもまた第二の失策と言わなくて何と言おうか。

以上のように地所問題で道理と利益を度外視するような状況となったのは、ひとえに情実にこだわり、是非を明らかに分かつことができなかったのは、会社のために痛嘆せざるを得ない。それだけでなくかえって野卑な管の穴から見るような憶測で、私が選んだ土地がいいと主張するのは私利を謀るものであるとし、また工事を急ぐのも当を得ないと非難して、公然とこのことを私に詰め寄るにあたっては言語同断、沙汰の限りと言わないわけにいかない。ここにおいてやむを得ず職責上、是非を論ずる必要に迫られて各重役にあてて私が土地を選んだ理由書並びに比較利害得失表を送って、あわせて数回書面で尊意をうかがった理由である。

およそ人は自分の心で他人をなぞえる。燕雀(えんじゃく)何ぞ鴻鵠(こうこく)の心を知ろうか。それようやく利害得失を悟るときは光陰は人を待たず。いわゆる(六日の菖蒲十日の菊)

そもそも私が 糖業の前途は将来に多くの希望があり、国家の一大事業としよう、自他の公益を計ろう と望んだ主な次第はかって日本糖業論に愚意をあらかた記したところである。いかんせん事業は活物ではない、活物はただ人にあるだけである。この人というのは会社にあっては重役である、それはそのとおりであるが、この人が道理にかなっているかどうか明らかではない。玉石が交わり、条理が立たず。いたずらに情実にこだわり、凡情に流れ、ややもすれば事業の進行を滞らせるものであれば、どうして前述の抱負を実現することを望めようか。トウトウとした天下、この種の会社皆同じである。浮ついた薄っぺらな者たちの集合体で甲は乙を疑い、乙は丙を疑いいたずらに目の前の小利を争って識見全体に及ばないものは枚挙にいとまがない。孫子曰く、三軍の弊狐疑に生ずと。そのとおりである。己を知らず人を知らない近視眼的な俗輩と大事を共にすること私が快くしない所であって、更に理由を株主に述べて潔く退くことを決心しようとしたが、最後の尊諭によってこれまで述べてきたように全く氷解し終局を結びました。私もまたあえて憤りを遷さず事柄の理がひとたび判明するときには、既往の繰り言も詮のないものであるから、更に工事に着手して一日も早く落成を期することを任とし、ますます勇奮尽力しようと思います。幸いに尊台の心配なさらないように願います。

まずは長々しく雑言はなはだ恐縮の至りです。もとより私が学問がなく、誠意を尽くすことができませんが、私のまごころのあるところを洞察くだされたくお願い申し上げます。

 明治32年10月17日

         鈴木藤三郎再拝

 追伸

昔、私が氷砂糖事業を東京に移そうと計画して先生に可否を問うたことがありました。

一 先生は言われました。「お前の営業は現在1年の利益はどのくらいあるのか。」

  「純益1,000円です。」と答えました。

先生は言われました。「それならお前が一生に何万円の財産を望むのか明らかに答えよ」

このとき私は笑って答えませんでした。

一 その後、東京に転地して3年後、先生が来訪されました。お酒を呈しました席上で先生は言われました。 「先年お前が転地する際には前途を憂慮したが、今日ますます盛んであるのは幸いだ。そこでお前は何十万円の資産が欲しいのか。」 (私は笑って答えませんでした。)先生はまた言われました。 「しからば何百万円かのう?」

一 明治28年営業を挙げて株式会社としました。先生は来臨されました。食事の際に先生はひとり言をされました。 「お前のこれまでの経歴から前途を想像すれば10年後は砂糖王、その10年後には華族だのう、ワッハッハ」 と。

 以上は先生が以前戯れに私の希望を想像されたものですが、その推測はお考えの一端を伺うに足ります。しかし 私はこれまで一度も前途の希望を答えた事がないのは他でもありません。ただ先生の私を見ることが、私の志と異なっているからです。 しかし私もすでに不惑(40歳)を越えました。ですから今回ついでながら、いささか前途に期する抱負と希望をここに申し述べます。

 そもそも 私は明治9年2月(23歳)始めて二宮尊徳翁の報徳の大道を拝聴しました。これより熱心に先輩について道を切実に求めました。そして翌明治10年1月1日をもって紀元として家事万端、報徳の道に準じて規則を立て、自ら行いを改め、そして先師の開国法則、すなわち荒地は荒地の力をもって開くとこの教えを法則とし、私の家業に応用し、実行する事5か年。ここにおいて大いに得るところがありました。まさしくこの法は一切の事業に応用できる大道であることを信じました。 これから精糖業に志を立て、研究する事、数年。ようやく透明な氷砂糖を創造して営業しました。そして明治21年東京に転じ、更に精製糖を研究してまた一個の営業となすことができました。そして去る明治28年営業を挙げて株式会社としました。最初30万円から60万円とし、また本年更に200万円となりました。将来ますます順調に進捗して数百万千万円となるべき理由があります。これはすなわち 糖業は糖業の力をもって開くという大道であると信じます。ですから天を仰ぎ地を伏しても恥じない自信を持っています。 私は以前数金の資本で、今日ますます増加しても、全部この事業に投資するのは当然の道であって、将来ますますこの大道に基づいて誠心誠意国家の一大事業とし、

上は皇恩に報いたてまつり、あわせて先師二宮神霊の徳に報いようとするほか他にありません。

願わくは私の心事をご了解されんことを。

しかし生者は必ず死に、壮者は必ず老いるのが自然の定数ですから、ここに年令において範囲がなければなりません。すなわち私は以後20年間、享年65歳まで以上の方針をもって進行し、○○事業の大成を期しこの時になって一節を結ぶ予定です。この年に成否を問わず私は実業界の終わりとします。

一 この時にどれほどの資産があったとしても多少を論じないでこれを3分し、その2分を子孫に譲りその1分を以て自分は出家し一半で一寺院を建立しなお一半は永代寺院の基本財産に備え政府に管理を頼んで、この利子で寺院の経費とし、自らここに住んで以後命のある限りは自費自弁、報徳のため放言することを世を終わるまでの希望とします。

もし幸いにして資産が豊富なときは、寺院の建築は一切鉄骨とし、屋根は鋼板張りとし、門塀は石造で万世不朽のものとします。

 寺号は放言寺 自ら称す放言居士謹んで白(もう)す

明治32年10月17日

 岡田 渋山翁        机下

私の拙い絵を3枚添えて貴覧に申し上げます。御一笑くだされますように。






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最終更新日  2025.10.07 06:20:04


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