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2025.10.10
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カテゴリ: 鈴木藤三郎
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補註 「鈴木藤三郎伝」鈴木五郎著 173~178ページ

藤三郎の妻のことは、典型的に内気な性格であった。決して自分を外へ現わすことを欲しない人であった。藤三郎は極端に進取的で強かったが、ことは極度に内省的で優しかった。藤三郎の性格は、まるで獅子のようであったが、ことのそれは、全く羊のようであった。藤三郎は強さに徹底していたが、ことも、また弱さに徹底していたから、両極端は一致するように、家庭的には、まことに工合よく行っていた。

ことの弱さに徹底した態度-性格的な無我の忍従は、『柳に雪折れなし』というように、一種の強さにまでなっていた。東京へ出て来た当時のこと、癇の強い児であったみつは、よく夜になると泣いて眠らなかった。ようやく負ぶって寝かしつけても、床に入れると、すぐ眼を覚まして泣き叫んだ。そのころ、新工場の指図や、機械のくふうや、砂糖精製法の研究やで、ほとんど連日、眠る暇もないほど忙しい藤三郎の思考や休息を妨げることを恐れて、ことはいく月もの間、毎晩のように、みつを背に負ぶったままで夜を明かした。

ある時、藤三郎が、

「おれは、このごろ、月のうちで、夜は15日と眠ったことはない。」

というと、ことが、

「私も夜なんか、このごろでは、半月はおろか、ひと月まるで眠りはしません。」

といって笑った。

「あの時分は、若かったとはいいながら、朝、お父さんが仕事に出かけられたあとで、一、二時間横になるだけだったが、よく続いたものだった。」

と、ことは老年になってから、子供達に時々そんな思い出話をして聞かせた。ことはごく小柄ではあるが、病気を全く知らなかった。ある保険会社から、「あなたなら、何万円の保険でも引受けます」と、いわれたこともあったくらいに丈夫だった。しかし、これは、当時、藤三郎をはじめ家族から社員に至るまで、いかに緊張していたかを物語るものである。

ことが後妻として嫁入りして来たのは、藤三郎が33歳の時で、東京へ工場を移転する際であった。当時、郷里では、藤三郎は、もう偉ら者といわれていた。東京へ出て来たからの彼の名声は、飛躍的に発展した。10年ほどの間に、『森町の鈴木』からから『日本の鈴木』になってしまった。それだけに、事業、事業、事業と、明けても暮れても事業に追われ通したと藤三郎は、家庭を顧みる暇がなかった。彼には、自分と同じような社会人として、妻を教育している暇もなければ、ことはまた、自分から社会に飛び出して行って、そうした訓練を、摂取して、自主的に社会人として成長してゆくというような性格ではなかった。藤三郎が『日本の鈴木』となっても、ことはヤッパリ『森町の質屋の娘こと』であった。そのことを自覚し、その運命に忍従していた彼女は、藤三郎が社会的に進出すればするほど、自分の不つつかのために、夫の名声を少しでも傷つけては申し訳ないという心遣いから、いよいよ家庭の奥深くひっこんでしまった。

結婚当初からそうした環境におかれたので、ことが藤三郎を愛する気持は、非常に深いものであったけれども。家庭生活では愛するというよりは、畏敬するという形になって現われていた。たとえば食事などでも、藤三郎は広い座敷で、ことの給仕で晩酌をやりながらひとりで食べた。晩酌は一本ときまっていた。彼の膳には、川向こうの『釜長(かまちょう)』という料理屋から取り寄せた物がのった。今の夫の口に合うようなものは、自分には造れない。ことはアッサリと、そう思い込んでしまっていた。

外から帰った藤三郎は、古風ではあったが、立派な車寄せに式台の付いている表玄関から上がって、長い畳廊下を通って裏の座敷へ行く。子供達は、内玄関から入って、反対側の板廊下を通って、それぞれの部屋へ行く。こんな訳だから、同じ家に住んでいても、子供達が父と顔を会わせる機会は、ほとんどなかった。また、子供達が父といっしょに食事をするということは、正月の元日の朝、紋付羽織に袴で座敷に四角くすわらされて、藤三郎が洋行から帰ったときに感謝慰労の記念品として、日本精製糖会社から贈られた三つ組の金杯で、お屠蘇(とそ)を祝うときだけだった。

こんなに父との接触が薄かったから、子供達は父の前に出ると、何か改まった気持になった。それに、相当な年配の社員達が呼びつけられて、激しい語調で頭から叱責されているところなどを、時々かいま見るものだから、自分達も、何か失策をして叱られはしまいかと、父の前にいる間はビクビクしていた。こんな調子だから子供達はみんな、父はこわいものだと思っていた。よその子供が、その父に甘えているのを見ると、不思議に思えた。そして「父」という神聖な存在を冒涜しているように思って、そうした家庭を軽蔑するような気にさえなった。

藤三郎は絶対者であり、タブーである。これは、家庭内で妻や子供達が思いこんでいたばかりでなく、彼の事業に、部下として従事していた人々全部の信仰であった。人々は、これを疑いもしなければ、これに不満もなかった。自分達の考えや力は、とうてい、藤三郎のそれに及ぶものではない。自分達は、ただ彼の命のままに無条件に従うことが、最上の道であるのだ。船が、どこへ行くのかというようなことは、考える必要はない。自分達は、命じられた部署を正直に守っていたら、船は藤三郎という名船長が、もっとも安全に、もっともすみやかに、そして、もっともいい港に舵を取って連れて行ってくれるのだ。この十数年間の実績は、みんなに、それを思わせるに十分であった。それであるから、ことに郷里からついて来た人々にとっては、そうした考えは信仰そのものになっていた。

人心を統制して、まっしぐらに事業を進行してゆく上には、全体の上に、そうした信念がゆきわたっているということは、有効であった。それがあったから、藤三郎の事業は驚異的に伸びた。驚異的に伸びたから、益々その信仰は強まった。そして、その信仰を無条件で受け入れて、絶対的帰依者となっていたのが、ことと子供達-藤三郎の家族であった。

藤三郎の事業も、ようやく第一の峰は、頂にまで登りついた。今までは、頂上へという気持が一杯で、周囲を顧みる余裕もなかったが、頂上へ登りついて見ると、自然に周囲を眺める気にもなる。藤三郎が、自分の周囲を振り返って見たときに、そこには、自分を神のように信じ、敬い畏れてくれる妻や子供はあったけれども、自分を人間として甘え抱いてくれる家族はなかった。それは、もうびんに白髪の見え初めた藤三郎としては、寂しくも物足りなくも思ったに違いない。しかし、いまさら、そうした雰囲気を家庭内に作るには、あまりに家族の間にスパルタ的教育が浸透し過ぎている。藤三郎からそう仕向けるには、あまりに奉られ過ぎている立場上、ややテレ臭いし、ことからそうさせるには、あまりに母性型でありすぎる。藤三郎は自分の心に余裕ができてみると、もう少しくつろげる場所が欲しくなった。これは女性から見れば、男性の横暴かもしれない。しかし、人間性としては、無理のない欲求だともいえるのではあるまいか?そこへ、32歳、女盛りのおしげの爪の先まで磨き上げた白い手が、しなやかに伸びて来たのである。

それに、もう一つ具体的な理由があった。それは藤三郎も、今では製糖王といわれるくらいな実業家になった。したがって社会的な交渉も多くなり、人との応接もしげくなった。元老の井上伯とも膝を交えて語りもすれば、三井物産の専務理事の益田孝の訪問を受けることもある。日本精製糖の仕事だけのうちは、砂村に住んでいても、用は足りたが、台湾製糖まで引き受けるとなると、そうはいかない。当時は、東京でも交通機関といえば、自動車はもとより電車もまだなく、ようやく中心部だけ鉄道馬車があったという時代だから、砂村などへは人力車よりほかに乗物はなかった。藤三郎は車の上で安心して考えごとのできるようにといって、いつも綱ひきをつけた二人びきの人力車を用いていたが、それでも砂村から日本橋まで行けば、往復するだけに3時間はかかった。これでは、仕事が出来るはずがない。自分のためにも、人の訪問を受けるためにも、どうしても東京市内に住む必要が起ってきた。

  当時は、婦人の人格というようなものは、まだまるで無視されていたといってもよい時代であった。ことに実業家の私的生活は、全くルーズなものであった。藤三郎くらいの地位になれば、妻以外の婦人を、一人や二人世話することは当然のこととして、だれも不思議とも思わなかった。実業界の神様のようにいわれた人で、自分も口を開けば孔孟の道を得意としていたような老人でさえ、その私生活では、そうした婦人を3,4人も持っていた。それで一代の人格者とたたえられて、自他ともに怪しまなかった時代である。だから、今まで藤三郎が、あの地位で、あの若さで、浮いた噂一つなかったということは、感心されるよりは、むしろ変り者扱いされていた位のものであった。






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最終更新日  2025.10.10 06:10:04


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