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2018年11月17日
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テーマ: 日本画(22)
カテゴリ: 読書
​​
『日本のゴーギャン 田中一村伝』  
 南日本新聞社(偏)
 小学館文庫 1999年6月1日
        ​
 田中一村は日本画の絵描きであり、才能に恵まれた。
 その才能のレベルの高さと同じぐらい努力し、絵を
描くことに精進した。
 芸術性の追求し、売るための絵を書くことを潔しと
しなかった。
        ​​
P69  
「絵かきは、わがまま勝手に描くところに、絵かきの
値打ちがあるので、もしお客様の鼻息をうかがって描
くようになったときは、それは生活の為の奴隷に転落
したものと信じます。
 勝手気ままに描いたものが、偶然にも見る人の気持
ちと一致することも稀にはある。
 それでよろしいかと思います。
 その為に絵かきが生活に窮したとしても致し方ない
ことでしょう」
        ​
 本書は、伝説の日本画家田中一村ただ一冊の伝記。
 画壇に背を向け生涯、妻を娶らず自らの才能だけを
信じ貧窮をものともせずひたらす絵をかいた69年の
軌跡。
 東京・千葉・奄美と移り住んだ一生を追う。
        ​

 田中一村絵画館
 はじめに
 田中一村写真館

 東京時代
 (米邨童;模範中学生;東京美術学校 ほか)
 千葉時代
 (農業;座禅会;蓮上観音 ほか)
 奄美時代
 (旅立ち;和光園;与論行 ほか)

 あとがき
 再刊にあたって
 田中一村バイオグラフィー

​        ​
 田中一村は1908年、栃木県栃木市で生まれ。
 父は彫刻家の田中彌吉(号は稲村)。
 4歳のとき東京・麹町に移住。
 南画(水墨画)に才能を発揮し「神童」と呼ばれ、
7歳の時には児童画展で受賞。
 10代にして既に蕪村や木米などを擬した南画を自在
に描き得た。
 以後25年間を東京で暮らす。
 1926年(大正15年)、東京美術学校(現・東京藝術大
学)入学。
 結核を再発し3ヶ月で中退。  
 同期生には東山魁夷らがいた。
        ​
 1958年、第43回院展に自信作「岩戸村」「竹」を出
品し落選。
 中央画壇への絶望を深め、奄美行きを決意。
 12月13日朝、奄美大島の名瀬港に到着。
 1977年9月1日、区画整理の対象の借家から引越。
 同月11日、夕食の準備中に心不全で倒れ、死去。
 69歳没。
 田中一村描いた絵が社会的評価のは没後。
​​        ​





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最終更新日  2018年11月17日 20時30分06秒
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