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新しい自民党総裁が選出され、新総理が決まりました。総裁選挙が迫るにつれ議員が忖度で投票しないようにと報じられました。総裁候補たちが政策について議論するなど選挙戦は白熱したようにも見えました。そして政策の中身や忖度しないで投票したのかもしれません。しかし、政策を聴いてもその公約が実現できるかどうかは別であって、テレビで観ていても賛成か反対かくらいしか思えません。立派な政策があっても所謂「絵に描いた餅」でしかないこともあります。政策よりも実現可能な実行力があるのか、誠実なのかどうかが問題です。政治家に必要な「政治的」とは何かと調べれば、「理論だけできめずに、実際にかなったかけひきをするさま。」と出ます。誰とかけひきをするのか?それは主に反対勢力です。必要とされるのは、交渉能力、調整能力、人を動かせる徳、必ず起こる批判に対しての忍耐力です。例えば、安倍元総理のコロナ対策で一律10万円の給付を決めるのに二転三転し、政府内部でさまざまな意見を持つ人がいると実施の進行が遅くなるものです。またアベのマスクは、シンプルでローコストなものでしたが使用率は3.5%でした。庶民と総理・厚労省との意識の違い、また指摘をする人がいないことがわかります。政府関係者も着けなかったアベのマスクのセンスは海外の人も疑ったでしょう。菅総理の功績は2050年カーボンニュートラル戦略を発信したことが大きいです。菅総理の素晴らしさは企業間などの調整能力の高さのように感じられます。また、コロナ禍で困窮している人が増える中、携帯電話料金引き下げを行いました。必需品の携帯電話において、格安スマホプランが出ることは給付金並みの効果です。それに比べて、岸田新総理の政策は所得倍増政策などかなり大きな話です。コロナ対策だけでもたいへんな中、夢に終わらないことを祈りたいものです。原発については再稼働させ「グリーン・エネルギー戦略」を展開するようです。カーボンニュートラルのことを考えても原発を廃止していくのは難しいでしょう。原発を廃止して代替エネルギーがすぐに充実すれば新たな道も切り開けます。しかし、石炭を使う火力発電と原子力発電の両方を廃止することは難しく、中国の停電のようなことが起きればたくさんの二次被害も頻発します。例えばキャッシュレス化が進んだ今、現金を持たない人は困り果てるでしょう。環境活動家のグレタ・トゥンベリの温暖化への批判は誰でも感じることです。次世代を担うとは言え18歳の彼女の発信は批判だけですからいいとは思いません。この問題は実際にどのように推進していくか、誰がどう調整していくのかが争点です。例えば日本、また各国の事情を識ってどうすれば推進できるかまで発言すべきです。落としどころがないままに、ただ傷口に塩を塗るだけの批判は日常茶飯事です。眞子さまと結婚する小室圭さんは相当な心労であろうし気の毒でしかありません。小室さんが皇室に入るわけではありませんから全く個人的な話のように感じます。眞子さまがどんな人を好きになろうが自由ですし、反対できるのは親くらいです。細かい事情を知ったからと言って結局やめさせたり妨害する権利はありません。とりわけ酷い記事は小室さんの髪型を揶揄しているものです。これだけ多様化を認める世の中で、別に特に新しい奇抜な髪型をしたわけではなく、このような指摘をする記者のほうが問題だと思います。小室さんは長さが肩くらいまであると思われる髪の毛を、後ろでひとつに束ねていたのだ。日本中から注目を浴びているというのに、浪人のようなポニーテール姿――。いったい、どういうつもりなのか。こういう批判をすると、この人の今までのモノの見方が疑われます。海外から見ればそんなことを罵る日本人のセンスのほうが問われるでしょう。反論を唱えた記事もあります。”「人の見た目問題」。日本は真の多様性に向け何が必要か”さて、東京都のコロナ感染者数は1ヶ月以上減少傾向にあり緊急事態宣言が解除されます。このタイミングで ”「空気感染」から身を守る方法”という記事を見つけました。空気感染するとしても、読んでみるとできることは今までとそう変わりません。なぜ感染者数が減るのかという謎がますます深まるばかりです。東京で1日200人程度の感染者では、どんなに対策をしてもまず感染者と出会いません。真面目に対策して感染しなかった人は、やっと宣言解除で喜びもひとしおの中、いかにも心配しているかのような体で水をさす記事を出すのはいかがなものでしょう。出すのであれば、もっと革新的な根拠と対策を提示しなければ不安煽動の逆効果です。
2021.09.30
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暗い音楽をつくるとNGということは1990年頃から言われていましたが、2010年頃から暗い曲がつくられなくなったと言えるのではないでしょうか。東日本大震災の後に復興支援曲も多くつくられましたが、明るい曲調で未来への希望や絆をテーマとすることが定番になりました。いろいろ考えてきた中で、ここには大きく2つの理由が考えられます。ひとつは楽器を習う人が増え、教える側が教わる側に暗い曲を課しにくいことです。また、自分が演奏する際にも暗い曲を日々さらうことに抵抗を感じる人がいます。明るくあっけらかんと捉えやすい曲のほうが教えるにも演奏するにも楽なのでしょう。もうひとつは音楽が単に元気を出すためのアイテムとして蔓延したことです。「ただでさえ暗いことが多い世の中。明るい音楽を聴いて元気を出したい。」こう言う人がよくいますが、これは気分的なことでBGM的な捉え方です。シリアスな音楽としてのクラシックはBGMではなく鑑賞するためのものです。30年前に作った暗い曲を今の若い学生に見せたら、「何があったんですか?」と真剣に暗い曲調に違和感のある答が返ってきました。今の若者は感性として暗くシリアスな外的要素を受け流しやすい習性を持っています。これは教育の影響でもあり、逆に暗さを表現することも経験が少ないため苦手です。気分が沈んでしまった時は暗い曲がいいのは昔から周知のことです。このブログのタイトルは暗い曲を聴く人が減ったかのような印象を与えたかもしれません。癒しを求める時に暗い曲を聴く人は、実はたくさんいると思われます。暗い自分を認めることが何か敗者のような心持ちにさせるのが現代なのかもしれません。本当に気分が沈んでいる時に音楽を聴いても解決にはならないかもしれません。しかし、明るい曲調の「レクイエム」や、未来を根拠なくただ楽観する音楽よりも、自分の心境を反映した暗い曲を聴くほうが心の浄化作用はあると確信します。芸術とは、一時的な気晴らしではなく人生観を変えるくらいの威力があります。クラシックで「エレジー(悲歌)」と名のつく曲はたくさんあります。これはクラシックの作曲家が渾身の力でつくった暗い曲です。中でもお勧めしたいのはロマン派のロシアの作曲家、アントン・アレンスキーのピアノ三重奏曲第1番の第3楽章「エレジー」です。作曲された1894年はドビュッシーが頭角を現していた頃ですが、この「エレジー」を聴いて120年以上も前の音楽とはとても信じられません。クラシックは同じ曲を異なる演奏で表現の違いを聴き比べる楽しみがありますが、他の演奏も識ってぜひ聴き比べの楽しみも持っていただきたいのです。世の中では「子供のため」「夢は叶う」「ありのままでいい」とか言いますが、コロナ禍では多くの若者が梯子を外されたと感じたのではないでしょうか。体(てい)のいい明るい音楽で場凌ぎ的な元気を取り繕うのは置いておいて、せめて「うっせぇわ」のような怒りや暗さを表現してみてはどうかと思うのです。
2021.09.28
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1年半続く新型コロナウイルスに対する世の中の動向は、なぜこうなるのかとということがとてもわかりやすかったと思います。日々報道されているのは事実でもありますが、その事実に対する批判、感想、予想でありそれが今をつくるもっとも大きな要因です。NHKをはじめ民放もほぼ同じ批判、感想、またマイナス予想を出します。日々同様の話題で専門家やそうでないコメンテーターが同じ内容を言うのは、世界でも珍しくどこかで擦り合わせている、もしくは統制されているのか、出演者は求められている発言を忖度して次の出演を担保していると感じられます。局アナの司会、またキャスターによる報道番組、ワイドショーともに、放送作家による台本や原稿に忠実なフリを出演者に行い答を誘導します。政府批判、不安予測、責任追求がスタンスの根底にあるように見えますが、いち早く発することであたかもそれを民意に見せ社会に影響力を持ちます。メディアは政府よりも早く発する反面、政府が発したものを報道する義務がないため、絶えず政府の対応が後手である印象を与えることができます。ウイルス関連については厚労省のホームページに書いてあることが正式ですが、その事実やデータを検証よりもマイナス指向に限定して報道されていると感じます。2020年初めにコロナ報道が始まった時にメディアvs政府の戦いが始まったと書きました。その時にクルーズ船対応をも責めたメディアはその後に考えを覆しました。医療への感謝をいうごく当たり前のことを盾に医療崩壊という名の武器を有したのです。たくさんいるはずの医療従事者がなぜコロナに従事しないかこそより解明されるべきです。報道による同調圧力や印象操作は、応じないと批判対象となり結局民意になります。アンケートや世論調査への影響から本意でなくとも政府は追随するしかなくなります。今までの日常的な事柄についてあまりにも急激な変化や影響力を受けているのです。ただ、メディアへの露出を目的にしていない政治家は本音も言います。昨年当初は池上彰氏は自分の感じたことを言ったこともありましたが今はメディア側、林修氏はコロナ感染の話題をあまりしなくなりました。しかし、テレビでは明らかに自分の考えを言おうとしているタレントもいると思います。知る限り古市憲寿氏(コメンテーター)、小杉竜一氏、松陰寺太勇(以上お笑いタレント)、そしてテレビ朝日局アナの小松靖氏などで微妙な立ち位置をキープしていると思います。日本では9割以上の人が自分なりの感染対策はしています。殆どの人は「なぜ責められるのだろう」「無防備な輩がいて感染が広がる」と考えます。これは学校でクラスをまとめるのとよく似ていて、よりやる気を出させるために、ごく一部の人を批判することがプラス効果にならないことはかなり以前から明白です。感染を予防する手立てはマスク、消毒、ディスタンスが基本で、マスクを外す機会である飲食に注意することで緊急事態宣言が発出されました。しかし、感染要因は家庭内、職場が多くそれほど絶大な効果はないとわかってきました。感染を防ぐには個人の自粛や意識に任せるしかありません。海外と同様にロックダウンできる法整備を推進させようとする人がいます。飲食業をはじめとして職を追われている人の自由はすでに奪われている中で、逆にハイテクなどの業種の株は上昇し、コロナ禍とは関係ない社会もあります。メディアもそのひとつで、たとえロックダウンしても関係ないのです。ワクチン接種が生命線で確保が遅れたと責められていた時期がありましたが、当時諸外国に対して日本は感染者数が10分の1くらいでした。ワクチン接種が進み感染者数が減ってきた今になって、1回も接種できていない途上国の話題が多く取り沙汰されるようになりました。ロックダウンをしてもワクチン接種が進んでも、感染者数が減らなかった海外諸国がたくさんあります。また、米大統領がトランプからバイデンに変わっても感染拡大する時はし、株価も昇降状態を続けており何かが画期的によくなったとは感じられません。行動制限緩和のための実証実験は海外では盛んに行われるようになりました。日本でも行うことが報道されていますが、これについても批判があります。海外では政府の対応がどうあれ感染することは個人の責任と考えられていて、日本のように感染拡大が政府の対応の責任だと考えることは決定的な違いです。日本では感染拡大が進んだ時には政府の対応が咎められますが、今のように感染が収束した場合に政府の功績を誰も口にしません。菅総理は口では言わなくとも、これまででもっとも実行力のある総理のひとりであり、次期総理を辞退しコロナ対応に専念するという表明のとおりの成果が見られています。1-2ヶ月前はデルタ株の感染力の強さが盛んに報じられていましたが、そうであればこんなにも早く感染者数が減ってくることは理解に苦しみます。また、ワクチン接種をしてもブレイクスルー感染と言われる二次感染が起こるようですが、ワクチン接種が進んだ後でもなお感染拡大する海外のような事例とも日本は異なります。若い頃、よく「テレビばかり見ているとバカになる」と言われていました。その時はあまり真に受けていませんでしたが、今ではその根拠が書かれた記事もあります。コメンテーターについても批判的に見ている人が多いことを裏付ける記事もあります。ネットの世界にはテレビにはない記事があり、これまで書いてきたことが裏付けられます。最後に、9月中旬に出た行動制限緩和に対しての知事会の発言は、論理的でありながら極めて非論理的な文言「国民を楽観させるなら不適切」でした。楽観すること=気の緩み→感染拡大という決めつけを知事が言うことに憤りを感じます。感染は個人の意識の問題が大きく関係しますが、好き好んで感染してはいません。経済的に困窮している人たちや若者をはじめとした夢を持つ人々が犠牲となっていること、やむをえず人と密着する職種や家庭内での接触に配慮した発信が求められます。自分の都道府県の感染者数が増えるのは嫌だということを顕にしているだけで、上から目線で配慮に欠けたメディアへの露出目的の物言いに見えて仕方ありません。
2021.09.27
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夕飯で呑み食いしていた時のこと、結構やばい感じで久々に持病が突然襲ってきました。いつ発症するかはお医者さんもわからないとのことですが、どうやらハズレの牛肉を他のものと一緒に食べすぎた時のようです!?笑特にやばいやつは夕飯時にやってくることが多く、すかさず薬を飲みますが、今日は強力な脱水症状に見舞われました。つまり薬を飲んでももどしてしまい、横になっても気持ち悪い状態です。ただ心臓がバクバク言っているだけの時もありますが今日は違いました。それでも様子を見てはいろいろやってみて2時間我慢してしまいました。そして薬の2錠目を投入、それで少し脱水症状は治ってきたので119へ。コロナの時代が始まってからは119のお世話になっていなかったのですが、時期のタイミングがよかったのかすぐに向かいますとの返答。これまでの診断結果や薬、保険証、お金、着る服など、具合が悪いのにひとりだと準備するのもたいへんですが仕方ありません。そうこうしているうちに救急隊員の方から電話が来ます。今回は女性隊員の方からで、ちょっと遠くから向かうとのこと。準備の時間に少し余裕ができたと思ったのも束の間、必ず聞かれるのは誰か同乗したり身寄りの人が近くにいるかと言うことで、いつもいないと答えるのが何か気まずい気がしてさらに虚しいのですよ。でも、この準備ややりとりをしている時は気持ちが張ってやや楽になります。本当ははぁはぁ言いながら気持ち悪いのですが、救急車に乗ってもいろいろ質問されます。これは意識レベルのチェックのようです。ストレッチャーの背もたれを自分が楽なようにしてもらうのも忘れずに。どこの病院に行くかはこういった会話から想定されますがタイミングもあります。循環器系の救急対応をしてもらえる病院がすぐに見つかるとは限りません。「診ていただけるのでしたらどこでも大丈夫ですよ」と一応お伝えしましたが、今までの受信歴から「ではかかりつけの東京医療センターに行きますね!」と。外来の予約は数ヶ月前でないと取れないので行くのはほぼ救急だけです。でも近いのですぐに到着、救急隊員の方々にはとても親切にしていただきました。ほんの短い時間ですが、全てのことを自分のためにやっていただく至福の時間。やばい読みは的中し「♩=190です。これは速いですね。治らないですね。」と。病院についても見事脈拍は落ちず、機器の音がけたたましく具合もさらに悪く。今日も数人の方々に見守られながら心電図の準備と採血から始まります。「投薬で下げるか、電気ショックで下げるか考えています」とお医者さん。今日は恥ずかしながら「あ〜」とか「う〜」とか声が出るほど調子が悪く、「そんなの投薬で早くやってくれ」と心で叫ぶのみでした。担ぎ込まれたのは21時過ぎでしたが、救急外来はコロナでなくてもたくさんいますね。自分が診察室のストレッチャーに寝かされてからも先生は他の電話対応で大忙し。身体中に電極を貼られ、血液検査用の採血などされている間が長く感じられ、頻脈は血圧も体温も下がるので寒いのなんの、具合も悪いのでたいへんでした。注射痕は小さくて目立ちませんが、得意としていない箇所から採血が始まりました。ものの10秒くらいで終わればいいのですが、ここに刺された針は2時間キープされます。すでに両手両足は電極が貼られていて、さらに注射針でまったく身動き取れません笑採血の後は点滴が始まり、さらにしばらくして待ちに待った投薬です!早く楽にしてくれ〜とはこの時の言葉。いつものお約束60mgから始まります。「ぜんぜん届かない、もっと増やそう。」注射投薬ゲームのような感じでいつもの言葉がお医者さん同士で交わされます。90mg「びくともせんなぁ」「前回200で届いてるから200で行くか!」最初から200はルール違反のようです。「知っていると思いますが気持ち悪くなります。」今日はすでにかなり気持ち悪いので、薬が届いても気持ち悪くはならないかもと思いきや、血流を♩=190からいきなり♩=100以下に落とす薬の作用はやはりすごいものでした。薬が血管を流れていくのを感じ取れ、幽体離脱するような虚脱感を味わえます笑いつもならここで嘘だったかのように突然元気になるのですが、今日は違いました。終わってもまだ余韻が残り気持ち悪かったのですが、先生と話しているうちに回復。23時。やはりアブレーションと呼ばれる手術を勧められ、権威の先生の診察予約が取れました。いつもであれば治してくれる魔法の薬も10錠処方していただき安心しました。新型コロナワクチンを日本でいち早く打ったニュースが東京医療センターでしたが、時間外の救急では確実に諭吉さんと一葉さんが必要になるので発作は嫌です。家から東京医療センターは散歩コースの途中くらいに位置しとても恵まれています。いつも行きは救急車という贅沢ですが、さすがに帰りはタクシーではなく歩きます。
2021.09.14
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五輪パラリンピックが終わりました。競技については感動が詰まっていてとても素晴らしかったです。反面、開閉会式の演出についてはどれもがっかりしました。ボランティアをクローズアップする部分は日本的で今風でよかったと思います。しかし、フランスからの映像はわかりやすさとメッセージ力が違いました。日本はカラフルですが、ナレーションが入ってもわかりにくい部分があり、無観客やフラットな空間での群舞は一部のみが抜かれたカメラワークで、全体として見えないことが多く、映らなかったパフォーマーも多かったでしょう。フランスからの映像は、皮肉にも日本では取りやめたパブリックビューイングのある広場に、日本であれば確実に非難される密集状態でとても多くの人が集まり、よく考えられたコンテを基にした映像は、言葉がなくてもよくわかりました。それに比べて日本のパフォーマンスは芸術性に乏しいダンスのお芝居に見えました。音楽についても個人芸に頼っていて演出の一部には感じられませんでした。何よりも日本人としてのアイデンティティが全く感じられない、つまり、どこの国の五輪パラリンピックだったのか分からない演出でした。伝えたいことはあるにしても表現が拙い演出、それは今の日本の象徴です。日本のメディアは感染拡大を人の責任にして、日常を取り戻させようとしません。フランスはワクチン接種が進んではいるものの、感染者や死者数は日本より多く、マスクやソーシャルディスタンスも義務化されてはいますが日本ほどではありません。しかし、国民の未来を築くパワーや絆は日本を遥かに上回っていないでしょうか。日本の首相や知事が日本人によって批判されるの仕方ないにしても、少なくとも選挙で支持した人を応援すべきだし、それでも嫌だと思うのであれば、誰か別の人を立てるか自分が立候補して国政を司どればいいのです。海外に比べて首相がよく変わるのは単に国内の問題です。
2021.09.06
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今まで報道されなかったような事柄がセンセーショナルに出てくることで、皆がそこに注目し「これはたいへんだ」という認識を示します。しかし、だからと言って慣習や組織のあり方をいきなり変えていくことは難しく、誰がリーダーになってもなかなか言うことを聴いてもらえません。いくらでも批判できる新型コロナウイルス対策について、経済的弱者や夢を持つ人を尊重することで両立させながら歩んできた、本当に素晴らしかった菅総理が辞任することはとても残念です。もし言葉足らずであったとすれば、それは何を言っても批判されるからです。ワクチン接種はどの国よりも早く普及し、現在も都は2週間続けて感染者が減少傾向にあっても次の不安を煽られ、どの国をとってみても対策に拘らず感染者数の増減を繰り返しています。菅総理は感染に対してできるだけのことを行い成果を出したのは事実です。感染するといかなる人も精神的なダメージを受けます。普通は仕事や濃厚接触者に影響を与えるため、立場のある職に就いている人が感染したくないのは当然だと思います。だからと言って他の人への規制や自由を奪っていいわけではありません。コロナ自粛が仕事や収入に影響しない人は他人の自粛に対して厳しいです。医療の逼迫が”救える命が救えなくなる”と言われますが、それは自殺者も同じで、コロナによる全死者数は約1万6千人に対して2020年の自殺者は2万1千人で、特に15-19歳は世の中のコロナ報道や自粛における問題が理由に挙げられています。全体的な自殺に関して2020年の小中学生の自殺は増加して約500人若者と女性に高いリスクは健康、家庭、経済生活、コロナ報道、日本はテクノロジーは進んでいますが、道徳がますます乱れてきていないでしょうか。日本人の気質かもしれませんが、性別問わずフレネミーみたいな人が多いと感じます。菅総理の献身的に社会に尽くした結果が理想ではなかったかもしれませんが、自ら身をひく総理を労わずレームダックと揶揄する野党の党首はあまりにも失礼です。さて、社会の未来についてどうしても不安です。ひとつは気候変動による自然災害、ふたつめはサイバー犯罪です。この2点は物価や株価に直接的に影響しますからその意味でも要注意です。また、IT化は便利ですが移行期間である今は新たな犯罪も増えると考えられます。特にIT株の中でもサイバーセキュリティ関係は順調に上がっていますが、みずほ銀行のシステムダウンのようなことは今後増えると想像されます。次世代の戦争は物理的なことでなくサイバーテロでも直ちに起こります。金融関係が麻痺すればリーマンショック以上の世界恐慌が起こります。大人が子供や若者を可愛がるのはいいが、きちんと育てることです。本心は各々の心にはあってもそれを出すことをしないのが今の時代です。しかし、無防備に欲を丸出しにしているSNSはダメな大人の象徴だと思います。「いいね」は「いいね」ではないことを知るべきです。
2021.09.04
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つい最近、昔お世話になった先生がLPレコードを買ったという記事をSNSで見て、「家にたくさんあるのでリクエストがあればお譲りしますよ」と書いたら、「全部」欲しいとおっしゃったので400枚弱だったと思いますがお譲りしました。これまでヤフオクで売っていましたが、最近は売れなくなってきていました。レコードが今ブームで古いレコードを洗浄をする人が増えてきているようです。クラシックではいろいろな演奏が新しく出るものの名演と言われるのは、どうしても昔の演奏が挙げられ最近の録音演奏が長く取り沙汰されません。これは作曲作品も同じで、たくさん出て来はしますが再演率は依然低いようです。不思議な話ですが、良いものがないはずはなく注目されないのです。数十年前に売れ筋は確定してしまいそれを上回るものが出なくなった、と言うか出さなくなったと言うのが正確だと思います。売れるものが良いもの、需要のあるものが良いものという世界が今は全盛なのです。この社会のあり方は1900年初頭のベルエポックのパリとは全く異なる点です。皆がさまざまな芸術分野に日常的に接し忌憚のない意見を出し合っていた時代です。音楽でその礎になったのがガブリエル・フォーレで、時代の節目として新しい音楽が発表される中でもクラシックの伝統を橋渡ししました。フォーレの室内楽の中でも2つのピアノ五重奏曲は1900年以降の傑作です。その魅力は、曲中よく見られるピアノの分散和音を伴った弦楽器のユニゾンという、極めて古風な手法を何にも変え難い魅力として後世に伝えたことです。弦楽器のユニゾンは、水を得た魚のように奏者を奮い立たせるのです。そんなピアノの分散和音の中で現れる弦楽器のユニゾンから、高次倍音が女神の声、あるいは心霊現象のように聴こえる箇所があります。フォーレが狙って作ったどうかはわかりませんが、主題が再現する際の劇的に高揚した時、それは現れます。ピアノ五重奏曲第1番ニ短調作品89の第1楽章の再現部の一部分で、フォーレが聴覚に異常をきたしていた頃の作品として興味深いです。5分49秒ちょうどの4拍目から4分音符でファ-ミ-レと高い倍音の声が確かに聴こえます。4拍目でチェロ以外の弦楽器は皆一瞬ファの音を奏しています。克明に聴き取るためにできるだけ大きなスピーカーで耳を澄まして聴いてください。少し前から聴かないとよくわからないと思います。オーリン弦楽四重奏団、ピーター・オース(ピアノ)ひとつめの動画この現象は同じ演奏の録音を他の人がアップした動画でも聴かれますので、後から加工したりデータ変換で偶然起きたことを証明しています。同じ演奏ですが音はこちらの動画のほうがいいです。ふたつめの動画自分はこの演奏を聴いた時にとにかく気持ちが晴れます。救われるという心持ちになれるのです。このように心が洗われる、特別な作用を及ぼす曲が作れたらと思うのです。1997年の録音ですが、これをもしレコードで聴けたらより凄いのではないかと。
2021.09.01
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