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正直に言おう。 ここ数年吹奏楽のCDを買っても失望することばかり。①作品そのもの②演奏 の両面で「心惹かれるものとはほぼ出会わない」状況だ。 拙Blogをご覧いただいている方にはご理解いただけると思うが、私の音楽に対する受容範囲はかなり広い。例えば現代的手法の曲が嫌い、なんてことはない。「理論/技術的な観点から優れている」なんてのは、聴くサイドからすれば、作品・演奏とも何の意味もない。 良い音楽とは一言で云えば「もう一度聴きたい」もの。刹那刹那に消え行き二度と同じ瞬間はない音楽…自分の中にのみ留められたそれを、何とかもう一度聴きたいと思う-そう感じさせるものだ。こういうツイートを久々に見ましたが、珍しい割にたくさんの「いいね」が付きます。演奏や曲について、教育現場ですらなかなか講評しづらくなってきている中、口に出しては言えないけど皆が同じことを思っていることがあります。演奏以前に存続させることが第一の目的になっている時に本末転倒となることが多いです。演奏団体やグループをつくる場合に悩みの種はメンバーが揃うか、予定が合うかです。これはプロや報酬の高い本人にとってやり甲斐のある仕事であれば問題にはなりません。アマチュアや教育現場でもメンバーが揃わなければ活動の幅が極端に狭くなります。体格や口の形などで楽器をコンバートされていたひと昔前とは隔世の感があります。どうしてもこの曲をやってみたいから部員皆で人を集めようみたいな熱意や、コンサートに向けて全員1日も休まず一致団結するようなことも難しくなりました。皺寄せは運営スタッフ、吹奏楽部であれば指導者の悩みの種になったことと思います。楽器が歯抜けになると活動のうえでさまざまなことに影響が出ます。吹奏楽はエレクトーンの世界と似ていてコンクールやオーディションがメインです。オリジナルを演奏の都合で小節やパートをカットする慣習がありますが、うまくできるかどうかは指導者の腕前にかかってきます。そこで近年、小編成や楽器編成を変えられるような楽曲が求められています。作曲の出来映えから言えば、楽器編成は曲のコンセプトを表す最も重要なファクターです。楽器の特性や機能を存分に活かすうえで、元来は他の楽器に置き換える想定はありません。しかし、今は誰と一緒に演奏するか、どんな風に演奏するかということがまず念頭におかれ、曲本来の意味やコンセプトが損なわれていくことも厭われません。管楽器奏者は概して響きの美しさ、協和性をいちばんの美学として感じている人が多く、粋で巧妙な和声の変化や短時間に和声進行するよりも響きの持続を好むように思います。よって調性的な音楽が好まれ、調性であっても不協和音程にとっつきが悪いです。演奏は吹奏楽的な響きのレトリックを重んじていて極めて保守的な世界に感じられます。オーケストレーションは昔とは随分変わり室内協奏曲的と言えるようなものが多いです。従来の範疇ではなかった楽器や奏法を採り入れたり特殊な編成や音響も増えてきました。反面、効果的な転調、和声による繊細な表情や抒情性、形式感による構築性は減り、表現がポップス的要素にシフトし、曲に対して”カッコいい”という形容が増えました。この流れは吹奏楽だけではなく、さまざまなクラシック曲がポップス化しています。それだけであれば良いのですが、本来の良さが失われてしまうこともよくあります。和音構造が近現代に類する音楽は特にそうで、理解の違いをまざまざと知らされます。表現が自由であっても、作曲者の意図する音楽が変えられることは残念です。指導者と演奏者が共有できる喜びを分かち合うことに異論はありませんが、ウケや流行ねらいではなく自らの表現の幅を広げられる曲にトライしてもらいたいものです。また、作曲作品が中高生の人気を得ることはよいと思いますが、それを狙うのではなく、類い稀な霊感が卓越した技術で構成された時に名曲が生まれるのだと信じています。
2021.06.29
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6月18日の海外の国の新型コロナ感染者数を比較してみました。()内はワクチン接種回数順位です。ここに入っていないトルコが9位、カナダが14位です。米国 7,308人(2)英国 10,270人(5)インド 60,753人(3)フランス 3,170人(7)ブラジル 98,832人(4)ロシア 17,051人(13)イタリア 1,147人(8)スペイン 4,214人(11)ポルトガル 1,298人ドイツ 933人(6)メキシコ 4,098人(10)コロンビア 28,790人南アフリカ 10,510人インドネシア 12,990人(12)フィリピン 6,819人韓国 482人中国 データなし((1)日本 1,709人(15)人口比や密度も考慮しなければなりません。それらを考えたうえで、一般に言われていることに疑問がいくつも出てきます。①ワクチン接種が進めば感染者数が減るのか? 中国を除いて、ワクチン接種が進んでいると見られる国であっても多いです。 英国はインド型ウイルスの流行で感染者数が増えたそうです。 日本と同時期だった6月21日のロックダウン解除がこれにより延期されました。 ワクチン接種者が増えたために重症者は少ないと言いますが、 もしそうだとすれば、日本はますます重症者は減るに違いありません。②インド型ウイルスの感染力は日本でも強いのか? 日本ではちょうど1ヶ月前にインド型ウイルスがあちこちで見つかっています。 しかし、日本の感染者数が減り始めたのはちょうどその頃です。 都ではやや下げ止まり感があるものの1ヶ月間で感染者数は減りました。③人流が感染の増減と本当に関わりがあるのか? 都では5月の連休明けから人流が徐々に上げ続け今では1.5〜2倍ほどになりました。 路上飲みなどさまざまなことが言われていますが、感染者数は下がっています。 過去の傾向は緊急事態宣言が発出された際に一時的に人流は下がりますが、 それ以降は徐々に上がることが繰り返され、その間に第1〜3波がきました。 しかし、それぞれのグラフの山型は明らかに異なり人流が確かな証拠ではありません。ワクチン接種がまだ少ない中、日本の感染状況は海外に比べて明らかに悪くありません。さらに感染増大をさせたくないとして、海外からの入国規制も厳正に行っています。今日、ウガンダ選手団は2回のワクチンと2回のPCR検査を受けたのちに日本で検査、それも抗原検査を行ったのちにPCR検査を行って1名の陽性結果が出ました。これ以上の検査はできないくらいやっていると思います。この結果を見て、メディアに出てくる医師は海外から人が入ってくると感染が広がり、PCR検査というのは刻々と結果が変わるので頻繁にやらなければ食い止められないと。しかし、それはオリンピック以外の催しも、日本人も同様のことです。陽性者がいたことを見過ごしたわけではなく、きちんと隔離できたのですから、水際対策はうまくできていることは賞賛すべきことだと思います。オリンピック関連に限らず、海外から人が来ればしばしば陽性者は出ると思いますが、それを批判するのであれば、ずっと鎖国でもするしかありません。菅総理の答弁が「壊れたレコード」「やぎさん答弁」と言われています。「選手や大会関係者の感染対策をしっかり講じ、安心して参加できるようにするとともに、国民の命と健康を守っていく」という答弁は、対策が予定どおり行われば五輪で感染が広がることはないとの決意だと言えます。
2021.06.21
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「僕ってこんなに凄かったんだよ?」みたいな自己申告ほどダサいものってないよね…。過去ほんとに凄かったのかもしれないけどそれはそれで、今を生きないと意味ないでしょ あと未だに年齢でマウント取ってくる人いるんだなと思いました。そんなのには負けないしそもそも君は誰?っていう…これは若者の書いたツイートです。こういう先生はどこにでもいると思います。どうしても1日1回は自分のことを言わないと気が済まない人もいます。しょっちゅうだとうんざりする気持ちはよくわかります。ただ、この書き込みの見方は、若者はあるある話として受け止めても、年代が上になると、書いた人の赤裸々な内面を知りショックを受ける気がします。若者は中高年と関わる際にこういう面倒臭い人は困ると見ていると思いますが、自分などは若者と関わる際どの程度コミュニケーションできるかどうか心配です。お互いにとっかかりが微妙で、相手に心を閉ざしている人が多いと考えています。身近なことで言えば、ごく近所の人とたまたま家の前で会った時に挨拶するか、スーパーマーケットのレジで簡単な質問した時にどんな返答の仕方をするか、コミュニケーションをする気がどの程度か一瞬でわかってしまいます。実際は話してみて初めてわかる印象を、話す前に先入観で判断するようです。人によって異なりますが、概して中高年男性は邪険に扱われやすい気がします。「年功序列」でSNSの検索をすると上司への批判ツイートに事欠きませんが、意思の疎通はしないで自分なりのやり方で仕事をしたいのが今流です。前にも書きましたが、レジの作業で優秀なのは若者です。さまざまな機能マニュアルを把握する能力やスピードは若いほうがいいようです。そこにお客への配慮やサービス精神を持ち合わせていれば最高です。AIロボットにとって変わられないことは、誠意のあるコミュニケーションです。結局、若者に求められるものは世代や年齢に関係ないコミュニケーション能力です。年功序列など関係ないと思うのであれば臆せずコミュニケーションするべきです。例えばパート譜を渡され、行って指揮者の合図で演奏するだけ、何も話さなくてもいい、それで自己完結はしますが、周りの人への感謝が伝わるかどうかが鍵だと思います。また反面、感謝と媚びは紙一重でSNS上での感謝には媚びをよく感じます。「またよろしくね」という意味での謝意は、本来個人的に伝えるのが筋で、「この場を借りて感謝します」と言うのは、昔ながらの媚びた社交辞令だと思います。よくプログラムの曲目解説上で作曲者が演奏者に書く謝意は日本独特のものでした。さて、最初のツイートに関する返信を有名な演奏家の先生がしています。皆が認知している先生であれば、学生からのリスペクトが感じられるでしょう。ただ、あまり認知されていない先生に対してのコミュニケーションは全く異なり、むしろ先生の側が学生にたいへん気を遣う時代になってしまいました。名教師だった人がいつのまにかうざがられる老害みたいに言われてるのは悲しい。それも本人の耳にだけは届かない。怖い。時代は動いてるし教師こそ常に新しい勉強が必要だねホント…でも膨大な情報量あるなかで何が本当に有益かは結局やってみるまでわからないってとこが難しい時には自分より若い世代に教わるのも大事でしょうね…あと学生たちと一緒にあーだこーだ話して「いや先生それ違うんじゃね?B1はこうザンスよ」「マジか」みたいにやれるのもホントにありがたい話で
2021.06.17
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1年半前からの新型コロナウイルス報道は歴史上の複雑な心情を知らなくても、現状を詳しく知ればどう対処するべきかは自ずとわかる出来事です。世の中の反応を知れば今の日本を知ることができると考え追ってきました。音楽を営み作曲するうえでも世の中のトレンドを知ることが重要と考えてきました。再度になりますが、感染が広がるのはそもそも政府の責任ではないと思います。命との引き換えにさまざまな活動を制限されても別の犠牲者が出ます。弱者が廃業、倒産、破産、自殺することのほうが人災です。しかし、政府以外は新型コロナ感染のことしか言わないので話が噛み合いません。昨日(6/9)の党首討論でもこれらのことは明白だったと思います。オリンピックに類するイヴェントは規模の大小こそあれ世界でたくさんあります。なぜオリンピックだけ言われるかは政府が関わるからですが、実際は都です。すでにたくさん行われているイヴェントのリスクについては何も言われません。党首討論は討論になっていないというSNSの声が多いようですが、菅総理の実際的な考えを捉えて質問しているのは維新の会の片山虎之助氏だけでした。現状の批判が中心の立憲民主党の枝野氏、共産党の志位氏の意見は、もし彼らが政権を取ったらコロナ感染以外の困窮者や自殺者が激増する予感がします。感染者が何人になれば普通の状態に戻れるのでしょうか?明確な基準はないのです。日本の中での比較で増えた減ったと一喜一憂しても、増える時は0人になっても台湾のように増えるのですから何とでも考えられます。そんな中で都は27日間も前の同じ曜日の感染者数を下回っているのに誰も讃えません。夜間に外で飲酒していたり、自粛に協力しない人もいるかもしれませんが、基本的に人を信用する姿勢を見せず批判や疑うことばかりすることは、感染がどんなに収まっても更なる不安が起こりいつまで経っても何もできないのです。この社会不和こそがもっとも嘆きかわしい日本の現状だと思います。
2021.06.10
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「しなきゃなんてないさ」「しなきゃなんてうそさ」「あらゆる人が」「らしく生きていいのさ」「だけどちょっと 」「ぼくだってこわいな」先日見たLifullのCM。また出たな…と言う感じです。多様な人の多様な生き方をサポートするための企業メッセージだそうです。時代の一部を捉えて企業のキャッチコピーやスローガンにするCMは稀に出ます。しかし、この言葉が浸透してもいい世の中になるわけではなく、これは宣伝です。誰に向けて発信しているのかが重要です。このCMの120秒ヴァージョンを見るとそれがもう少しわかりますが、この企業の実際のサービスと直接的な関連がある内容ではありません。テレビでよく流れているのは前出の30秒ヴァージョンですが、真意が伝わるでしょうか。自由に生きることは各々が考えることで、やや余計なお世話と思ってしまいます。学校でも会社でも「しなきゃいけない」ことはたくさんあるでしょうし、校則や規則、制服なども含めて「なぜ、それをしなければいけないか」などの説明で、議論したり合意をするところから始まる社会は滅多にありません。Lifullの社内はそんなに自由なのかと聞きたくなります。このCMに着目した理由は、単純なメロディの割りに歌詞が聞き取れなかったことです。一般的な中高生が普通に歌う設定で複数人で歌うため聞き取りにくく字幕が必要なのです。テレビではこの動画のように字幕がなくクリアには聞こえません。音楽的に言えば詞の作りや演奏上、とてもいいとは思いません。テレビで流れる音楽のクオリティが下がっているのは常々気になっていることです。このCMで言えば「わかりやすい詞で聞き取りやすくなるメロディを作らなきゃ」「CMから何の企業かわからないけど、本当に真意が伝わるのかこわい」と言いたいです。さて、話を変えて「オリンピックしなきゃなんてないさ」と言えるでしょうか。今だ「中止」を訴える人がいますが、日本人の主観ではなく世界を見るべきだと思います。ワクチン接種が進んでいる欧米諸国でも現在の1日の感染者数は何倍も多い状況です。イタリアとドイツは日本と同程度の数ですが、人口から考えると日本より甚大です。竹中平蔵氏は「オリンピックってのは、世界のイベントなんですよ。世界のイベントをたまたま日本でやることになっているわけで、日本の国内事情で、世界の『イベント(五輪)やめます』というのは、あってはいけないと思いますよ。世界に対して、『やる』と言った限りはやる責任があって」と言っています。そのとおりだと思います。世界から日本が危ないと言われての中止はあっても、日本は感染者数が減ってきている今の状況でやらないなんて言えないのは当然です。竹中氏は「世論は間違ってますよ。世論はしょっちゅう間違いますよ。世論はしょっちゅう間違いますから」 と3回も言っています(笑)「10万人とも言われる外国人がやってきてその人たちから感染が広がる」日本人の多くはそう思っているのではないでしょうか。確実に検査を受けワクチン接種率が高いのは日本人ではなく来日する外国人のほうです。外国人はむしろ安全なのであって、日本人が感染させないようにしなければなりません。「今回の五輪は危険でアンフェアなものになる」と言う記事がありますが、危険でないように努力して開催することは日本人として信用するべきですし、時差を含めて多かれ少なかれ開催国が有利な状況になるのは仕方ありません。五輪をやって運動会ができないのは、集団感染を起こすと報道されるからです。あまり報じられない真実として、飲食店の時短営業で大手チェーン企業が抗議するのは、中小の飲食店は時短営業が長引けば長引くほどボロ儲けしているからです。また、コロナ指定病院で身体を張って治療に当たっている医師はほとんどいない日本医師会は、利益を守るためにコロナ治療は行わない方針で、感染者が増えないように不安を煽りました。最後にどうしても眉唾物に感じてしまう脳科学者の中野信子氏についてです。この人は脳科学を研究しているのにも関わらず、話にしろ文章にしろピントがボケています。「相手が得するのを許せない日本人脳」という記事はタイトルとしては興味深かったのですが、記事を読めば読むほどコメンテーターの中野さんの姿が浮かびがっかりしました。世論でもない世論にビビり、それに合わせて「良い子」になる人がたくさんいます。そんな人たちの言葉に自分を掻き乱されるのは避けるべきだと考えます。だから、日本は良い意味で自由を奪うロックダウンが許されず、ワクチン接種も自由です。これは敗戦を経験した日本の貴重な物の考え方で欧米が忘れてしまった宝だと思っています。
2021.06.08
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時代の流れに乗ることが賢い生き方かもしれませんが、自分の場合は不器用で乗れることと乗れないことがあります。その意味で言いたいことは言えても褒められたものではないと感じています。しかし、今回は自分を奮い立たせる意味でも自画自賛を書くことにしました。今回もとてもよく当たっていると思われる複数の自分への占いでの言葉を引用します。まず、これまでの自分の曲や音楽について、”夢なんてどうでもいい、人類愛も知ったことではない、とにかく利益を出すことだ”と言う境遇で生きてきたと言うことです。これまでも”理想を語ろうとすると「理屈はどうでもいいから働け」と言われ、最近は恋愛でさえも優しさは報われず、「優しさよりもお金を使って欲しい」と言われる始末”だったと。ただ反論あるかもしれませんが、”その優しさと志の高さこそ、周りのみんなのオアシスになっている”とも(笑)また、”自身はとても素朴でまっすぐな人なのですが、環境に恵まれず、嵐のような変転の人生に巻き込まれてきた。幼い頃から「心からリラックスする幸せ」とは無縁、楽で華やかな仕事は他に回され、あなたには苦労が多く、その割には旨味のない仕事ばかりが回されてきた”のです。踏んだり蹴ったりですが、普通の人にはない能力を持っているとも言われます。”相手の表情やしぐさ、声の調子といった様子をじっと観察していると心の中を見通せる、本人が気づいていないことまで読み取れる能力を備えている”ようです。自分でわかっていたことですが、相手のことが実際にわかっても言わないことが多いです。”審美眼に優れており、美しいものを身の回りにおいて、人をきれいにすることが宿命です。具体的に美や芸術などにまつわる仕事をし、より多くの人にとって生きやすく美しい世間にしていく使命を持っています。”これらの内容はこれまでの人生から考えると大当たりで納得のいくものでした。人を分析的に見ることがあり、その際は何を考えているか細かく見通せることがあります。受験生を教える時はこれが役に立ち、最短時間で合格へ導くことができます。しかし、それ以外ではアドヴァイスに従わなかったりヘソを曲げる人もいます。特にここ10年くらいの話ですが、弱点を示唆されることに拒否する人が増えました。また、相手のことを理解したとしても、相手がこちらに対して理解しないことがあります。例えば、好きでもないのに課せられているからやっている(音楽理論、楽曲分析など)、学びたいけど思いの外むずかしく簡単に捗らない(作曲、和声学、対位法など)、本気で学ぶことは楽しいばかりではなく誰でも簡単にできることではありません。前に書きましたが「話せばわかる」理論は存在せず、要は相手に聞く耳があるかどうかです。相手の考えていることが見えてその意に沿ったとしても良い結果に繋がるとは限りません。むしろ、相手にやる気がないことや好意的ではないことがさらに分かりがっかりします。どこまで「腹を割って話す」ことができるかが信頼関係の基本であることに変わりません。これまで知らなければ幸せだったようなことを知ったために意志を貫けなかったり、状況を見て遠慮していたことがあったのは確かで、これを人は弱さと言うかもしれません。しかし、人の知り得ない裏側などを察知することができたり、人の着いて来れない境地に辿り着ける思考を持っているのが自分だと自負しています。最後も占いの言葉の引用で恐縮ですが、これまでの自分を「弱い」と言われる結果はなく、”本当に苦労をした人だけが、自分の磨き抜かれた強く輝く美しさを見て、「この人は大変な業火をくぐり抜けてきた本物だ」と感じています”とのことです。こんな世の中ですが、今後は何事にも囚われず自分なりに生きたいと感じています。
2021.06.07
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物心のついた時から今日まで常に逆境という壁がありました。反面、一部の方々からは期待をしていただき引き立ててもいただきました。そしてとても多くの方々が周りにいた時期が長くありました。結果として、自分中心に物事を考えないことで逆境に慣れてきました。逆境であったからと言って、だから今がダメだというつもりはありません。この3年間、自分と向き合い今までの人生の答え合わせをしました。それには占いの力なども初めて借りましたがとてもよくわかりました。占いは過去のことにおいてはとてもよく当たりますね。”仕事では直感や才能に恵まれていたため、目上の人からもかわいがられたりと幸運もあった反面、嫉妬や実力以上のハードな要求にも必死で応えねばならなかったかもしれません。”ある占いの言葉ですが、全くこのとおりだったと思います。”いつも笑顔で、明るい自分を演じ、涼しい顔をしてハードな役目をこなしてこられました。燃える心を持つあなたは、果敢に役目を全力で果たし、大切な人にとことん尽くし、あなたと関わった人々に明るく幸せなエネルギーを惜しみなく与えてきたのです。”周りの人は「うまいことやるね」くらいにしか思っていないのが残念です。”人はあなたを「まったく苦労を感じさせない、美しく活力あふれる人」だと思うでしょうが、本当に苦労をした人だけが、あなたの磨き抜かれた強く輝く美しさを見て、「この人は大変な業火をくぐり抜けてきた本物だ」と感じておりますよ。”自分でここに載せるのはおこがましいのですが、今はこのように感じています。日本では一時的な人気で物事を量り、中身を精査することが本当に少ないと思います。「いいね」や再生数、アクセス数で判定する以外は「個人的な期待度」が判断基準で、圧倒的な数的優勢を持つか、学歴、ブランド、環境などが期待度に大きく関わります。また、同胞や仲間に応援されるのか疎まれるのかでその後は変わってきます。例えば、現在の政府は何を言っても何をしても批判され責任を負う状況です。これはすでに期待されていないことが前提にありますが、誰がなっても同様です。期待されている人気者は負けても賞賛され、1位を取ったのに評価されないとか、結構働いているのに報酬が少ないのは期待されていない証拠です。期待されていないと実感すると「逆境」だと感じ、自ずと周りへの気遣いを意識します。結果的に人が何を考えているのか、誰が本当の味方かを考えるようになると思います。それでも、人気はあったとしても本当の味方は殆どいないと考えていいと思います。そして尚且つ味方を頼らずに生きることこそが真の自分を見出すことに繋がるのです。
2021.06.01
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