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北海道稚内で「母親殺害事件 16歳の少年が中学時代の同級生に30万円で母親殺害を依頼し殺した」という事件が起きました。このブログで何度も言っているように、日本での殺人事件でもっとも多いのは、“家庭内殺人”です。よって、家族の誰かが自宅内で殺された場合、最初に疑われるのはその家族という事になります。犯人である殺された母親の長男と元同級生は、共に母子家庭でした。長男は「リーダーシップがあり、何でも一生懸命に取り組むまじめな子だった」といいます。手をくだした元同級生は「まじめで目立たない子」であったといいます。この事件の特異性は、“同じ境遇に共感し、金銭で殺人を依頼し、請け負った”というところですが、わたしは、金銭を通しての依頼・請け負いということに関しては、さほどの奇異さは感じません。元同級生が、金銭目的で殺したとは考えていないからです。むしろ、同じ境遇で共感したから殺したのでしょう。犯罪心理学者の福島章氏は「母親と自由に話せる親子関係ではなく、母親の過度な期待に反抗もせず、受け入れる『いい子』だったのではないか。長い時間をかけて強い抑圧感が蓄積され、母親が自分を苦しめる存在にまでなってしまったのだろう」と分析しています。母子家庭というのは、現代ではめずらしくなく、“母子家庭だから……”ということはないと思います。母子家庭に限らず、父親不在とも言える家庭は少なくありません。あるいは父親不在でなかろうと、あまりにも“母親密着” あるいは“両親の一方的な思い入れ”が激しい場合、子どもは息苦しくなり、“生きながら殺されている状態”になってしまいます。先日、埼玉県吉川市で起こった「中一長男放火事件」も、親子間の軋轢が原因です。前回のブログでも書いたように、犯罪少年に対する親の養育態度のほとんどは、放任、厳格(過干渉)、過保護です。こういった養育態度の結果、マスコミに出るほどの犯罪にならないまでも、家庭内暴力、ひきこもり、自傷、自殺になることは、何十万倍も多いと考えられます。こうならないためにも、バランスのとれた親子関係を望みたいものです。それができなければ、一日も早く、親離れ、子離れを、した方がいいのかも知れませんね。
2006年08月30日
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映画「大丈夫」は、6月くらいに完成していたのですが、何かと忙しく上映できないまま、いまに至っておりました。で、やっと上映決定。9月23日午後、阿佐ヶ谷の産業商工会館講堂でやります。映画の内容が、ひきこもりやニートに関するドキュメンタリーなので、最初に上映をやって、その後、出演者やゲストを呼んでパネルディスカッションをやろうと考えています。そのパネルディスカッションの申し入れのため、映画の舞台になった、ひきこもりやニートの人が集うフリースペースに昨夜顔を出してきました。このフリースペースと映画に関して、少し前に東京新聞に取り上げていただいたのですが、今回、ちょっと面白い事がありました。まず、NHKのディレクターさんが取材にきた。さらに、赤旗の記者さんもきた。赤旗の記者さんは、ぼくと知り合いでしてね。4年程前に何度か飲んだことがある人なんですが、その後、東北に転勤になって、それっきりになっていた。で、最近東京に戻ってきて、東京新聞を見ていたら、巨椋修の名前があるので、「あ、巨椋さんの名前がある。だったら“たぶんマトモな”ところだ」と(笑)、やって来てくれたというワケです。新聞の力はすごい。わたしは、つねづね「『不登校・ひきこもり・ニート』を対象にしたフリースペースや、支援団体は、思想・信教・政治と関わるべきではない」と、主張をしているのですが、なぜか一部の人には理解されない。(笑)いま一度説明しましょう。例えば『赤旗』は、日本共産党という政党の機関紙ですが、共産党員の子どもでも不登校やひきこもり、ニートになる。そこで、フリースペースなどに救いを求めたりすることもあるでしょう。ところが、そのフリースペースに右寄りの思想があると、共産党員の人や子どもは、そこに通いづらくなります。創価学会という宗教団体があります。創価学会員の多くは公明党という政党を支持しており、公明党は与党でもある。そういった人や子どもも『不登校・ひきこもり・ニート』になる。そこで、フリースペース等に助けを求めたとする。しかし、そのフリースペースが、他宗教や「教育基本法改正反対!」と、与党案に反対を打ち出している場合、学会員の人や子どもは通いづらくなるのです。『不登校・ひきこもり・ニート』を対象にした、フリースペースや団体、場所はそれでなくても、数が大変に少ない。つまりそういった人たちの行き場がなくなるのです。そういう場を開放している人や団体が、思想・信教・政治を前面に打ち出しているというのは、新たな排斥を生むことになりかねない。例えて言うならば、地域にひとつしかない病院が、「うちの病院に来たければ、愛国心を持つように」「うちの病院に来たければ、教育基本法改正に反対するように」と言う雰囲気をかもし出しているとすれば、それはあまり良い病院とは感じないでしょう。それと同じ事なのですよ。だから、『不登校・ひきこもり・ニート』を対象にしている団体等は、思想・信教・政治と関わるべきではないと思うのです。個人的には、それは結構だし、そういった場所で思想・信教・政治の話しをするのは、いいと思います。思想・信教・政治は、個人の自由。だからこそ、お互いを尊重する姿勢が必要と考えます。そして『不登校・ひきこもり・ニート』の支援団体は、その個人の思想・信教・政治に口出ししないというのが基本だと思います。おっと、話しが違う方向になりました。とにかく上映の日時が決まりました。詳細は、また後ほどお知らせいたします。
2006年08月27日
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宮崎で、高校生が20歳の男に刺殺されるという事件が起こりました。犯人は、「普段から“ひきこもり気味”であった」「警察に身柄確保されたとき、大量の睡眠薬を飲んでいた」という報道がされています。服用の目的は、自殺の可能性が高い。さて、この事件で「ひきこもり関係者」が「このような事件が起こり、ひきこもり者全員が、凶悪だと誤解を受けるかと思い心配」という声が聞こえてきそうです。答えからいうと、「ひきこもり者」の犯罪率は、まったく不明。なぜなら、ひきこもり者の実数が、まったくもって不明であるからです。十万人程度という説もあれば、百万人を超えるという説もある。ひきこもり者は、圧倒的少数で、さらにひきこもっているがゆえ、犯罪を行う確率は、一般人より低いということは言えそうです。今回の事件の犯人は、「男は普段から家に引きこもり気味で、処方を受けた薬を飲んでいた」というから、何らかの精神障害であった可能性もある。精神障害者の犯罪に関しては、ちゃんとした統計数字が出ています。「平成14年版 犯罪白書のあらまし」によると、刑法犯検挙人員に占める比率は0.6%と、大変に低いというのが実態です。しかしそれが、凶悪犯罪となれば、その数字は跳ね上がるというもの事実。凶悪犯罪というのは、殺人、放火といった犯罪を指しますが、精神障害者もしくはその疑いがある者の放火11.9%、殺人9.1%となっています。この事実は、全人口中わずか1.2%~1.3%しかいない精神障害者が、日本全体の凶悪犯罪の約10%占めているということでもあります。さらに、そのほとんどは、裁判にかけられず措置入院という形で病院に送られ、場合によっては数ヶ月、半年くらいで退院するということもあります。数日前にも、新宿のデパートで女が販売員に対して、傘の先でいきなり目を突き刺すという事件が起こっています。この場合も、犯人の話しに整合性がないということで、その日のうちに措置入院が決定。病院に送られています。この場合、被害者には一切の保障がなく、治療費すらも出ないという事態になっています。精神障害者が犯罪を犯した場合、裁判が行われることが少ないということは、精神障害者に基本的人権がないということでもあります。また、精神障害者以外が犯罪を行った場合も、心神喪失であると判断された場合、“無罪”になるのですが、そのため弁護士などが、「そのとき精神に異常をきたしており、責任能力はない」と主張したり、犯人が前もって精神科に通院して、精神障害を装う場合もある。こういったことも、精神障害者への誤解を助長しているように思えます。こういう事態を変えるには、責任能力・刑法について再考することなのでしょうね。また、精神障害者についてタブー視するのではなく、ちゃんと向き合って理解を深めることが必要だと思います。これは、『不登校・ひきこもり・ニート』についても同じで、光の部分も影の部分も、偽りなく見据えていくということが、解決への早道だと考えています。
2006年08月25日
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わたしは、日本の学校制度を 「全体主義」であると思っています。「全体主義(ぜんたいしゅぎ、totalitarianism)とは、個人の自由、個人の利益に対して、全体の利益が優先される政治原理、およびその原理からなされる主張のことである」―出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』より―ではなぜ、日本の学校制度が、「全体主義」であるのか?カンタンに言うと、義務教育において児童生徒の個性をほとんど無視して、全体のために授業が進んで行くからです。こういったシステムの場合、一度授業から取り残された児童生徒は、どんどんと置いてきぼりを食ってしまう。つまり「全体」を優先するために、多くの“落ちこぼれ”を生産しているということになる。学力優秀な児童生徒も、可哀相です。自分はもっと先へ進みたいのに、「全体」を優先するためにそれができない。もし学校が子ども達に将来生きていく力を培う、あるいは伝授する場であるとすれば……もし学校が子ども達の能力を引き出し育む場であるとすれば……残念ながら、現在の学校制度は、その任を果たしていないとも言えるかもしれない。現在、そういった学校制度の元、「学力低下」が叫ばれているけれど、それは当たり前のことです。「全体」、「平等」を重視するあまり、その結果、“誰にも焦点が当たらない教育”をするしかないからです。「全体」を「平等」に教えようとすれば、学力では平均的な児童生徒学生でさえ、そこに焦点があたりにくくなってくるのは、誰でも理解できることだと思います。そのため、学問に才能のある人は、優秀な進学塾に学校による教育に遅れる人は、補習塾に平均的な人も、より学習を深めるために、学習塾に通わないといけない状況にある。それなら、最初から塾やフリースクールを、学校として待遇した方がいいんじゃないかと思うくらいです。いま、日本の学校制度に疑問を持っている親達は、日本の公教育ではなく、アメリカンスクールや、チャイニーズスクールといったインターナショナルスクールに、子どもを通わせようとする人が多くいます。これらの学校は、場合によっては、日本の公的教育機関と認められない場合があり、児童生徒は不登校扱いにされ、大学に進学するにはその前に「大検」を受けなければなりませんが、それでも、それでもインターナショナルスクールに入れたいと考える親が多い。こういった現象は、いかに現在の学校制度に欠陥があるかということでもあります。欠陥とは、学校の『全体主義』であると考えています。日本人の生活様式、考え方が多様化しているのに対して、現在の学校制度は、多様化の正反対の「全体主義」ですから、どうしても無理がでる。では、そうすればいいか?わたしは「学校よ、がんばるな」と言いたい。(笑)子どもの問題を抱え込み過ぎているように思えます。だから、むしろ学校が、児童生徒の登校を拒否するくらいでもいいではないかとも思っているくらいです。つまり、素行が良くない児童生徒や、給食費を支払わない場合、学校側が、「うちでは面倒みれないので、他の教育機関をご利用ください」くらい言ってもいいのではないかと思ったりしますね。児童生徒も、その学校が気に入らなければ、他の教育機関を自由に利用できればいいと思います。ただ現行のシステムでは、難しいでしょう。学校は無理をしすぎですよ。それは、不登校の児童生徒の存在だけではなく先生方の体にもあらわれているように思えます。東京では、休職中の教員の過半数が、精神疾患です。大阪では、教員の過半数が心に過度のストレスや精神疾患があるという報告があるくらいです。いかに現行のシステムに無理があるかを、先生方の体が表しているという悲劇でもあります。「全体主義」は、一種のファシズムでありましょう。第二次大戦下のイタリアやドイツは「全体主義国家」と言われております。旧ソビエト連邦も「全体主義国家」現在の中国や、北朝鮮も「全体主義国家」と呼ばれています。これらの国々が、「どうなったか」、「どうなっているか」を考えれば、教育においても、「全体主義」はやめた方がいいと思っているのです。
2006年08月20日
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数日前の新聞記事に、以下のような報道がされておりました。不登校:全国の小中学校で12万2255人 4年連続減少 全国の小中学校で05年度に30日以上欠席した「不登校」の児童生徒は12万2255人で、4年連続減少したことが10日、文部科学省の学校基本調査速報で分かった。 中学生は、不登校の割合が「36人に1人」程度の2.75%と4年ぶりに上昇に転じたが、小中学生全体では、「89人に1人」程度の1.13%と4年連続で低下した。同省は「スクールカウンセラーによる指導や家庭への働きかけなど、学校や教育委員会の取り組みの成果の表れと考えられるが、中学生の割合はむしろ増えており、減少傾向とまでは言えない」と分析している。 今年5月1日現在で全国の国公私立小中学校を対象に調査。不登校の児童生徒は前年度から1103人(0.9%)減り、不登校の割合も0.01ポイント低下した。そのうち小学生は2万2709人で前年度から609人(2.6%)減少したが、割合は前年度と同じ0.32%。中学生は9万9546人で前年度から494人(0.5%)減り、97年度以来8年ぶりに10万人を割った。しかし、割合は前年度から0.02ポイント上がった。 不登校のきっかけは、病気による欠席など「本人の問題に起因」が36.9%、友人関係など「学校生活に起因」が35.7%、親子関係など「家庭生活に起因」が18.3%など。不登校が続く理由は、登校の意思はあるのに身体の不調を訴えて登校できないなどの「情緒的混乱」が31.2%でトップ、次いで「無気力」の22.4%だった。毎日新聞 2006年8月10日 18時54分と、いう「不登校減少」を伝える記事でした。以前にも書いたことがあるのですが、このように「不登校減少」の記事が発表されたり、報道されたりすると、必ず “激怒”する人たちがいるんですよ。(笑)「そんなことはない!」「授業を受けていない保健室登校や、適応指導教室の子どもがカウントされてないのはおかしい! 実態はもっとたくさんいるはずだ!」「スクールカウンセラーなんて役に立たない!」「この数字は、文部科学省のゴマカシだ!」「学校のすること言うことは、まったく信用できない!」などという人たちが必ずいる。どのような人たちか?それは不登校児を対象とした私立高校フリースクールフリースペース不登校支援に生きがいを感じている“活動家”の一部の人たちです。さらに、国や行政のやることに、なんでも反対って人もいるなあ。本来ならこういった人たちは、よほど学校や文科省が、非道なことをしていない限り、「不登校減少」を喜ぶはずなんですけどね。(笑)さて、こういうとき、誰が得をして、誰が損をするかと考えるのが推理の基本。まず、わたしは不登校減少について、誰が利益を得て、誰が不利益をこうむったかについて考えたてみました。1、当事者と親は不利益をこうむったか?まず一番に考えないといけないのは、「不登校」で苦しんでいる人悩んでいる人だと思います。文科省の「不登校減少」発表によって、苦しんでいる・悩んでいる人つまり、不登校をしている当人、ついでその親は、不利益をこうむったかと考えますと、そうでもない。「風邪が流行ってます、しかし、13万いた患者が12万に減りました」って言われて患者自身はそれほど喜んだり怒ったりしないのと一緒。苦しい人・悩んでいる人は、他人事じゃないんですから。2、「保健室登校・適応指導教室・スクールカウンセラー」に、苦しんでいる当事者・親は不利益をこうむったか?現在、保健室登校・適応指導教室に出席する児童生徒は、「不登校」としてカウントされておらず、登校者としてカウントされます。これは、不登校に苦しむの児童生徒と、その親にとって、不利益ではなく逆に利益になっているのが現実と言えるでしょう。なぜならば、そのおかげで不登校児童生徒は、出席日数が足りずに留年や卒業できないという人生のリスクから、大きくまぬがれるからです。卒業ができれば、不登校者を対象とした高校に入学が可能になり、多くのチャンスに恵まれます。また、保健室・適応指導教室には、国家試験をパスした教員がいることが多いのですが、本人にその気さえあれば、その教員から学ぶということもできます。これは、中学生レベルになると、フリースペースにボランティアにきているおばさんでは、ちょっと教えるのは難しいかもしれない。スクールカウンセラーに関しても、児童生徒、親にとって精神科や児童相談所よりも、学校の方が壁が低く、相談しやすい場であると思います。(学校の先生同様、カウンセラーと称する人に「?」の人が多いのは事実らしいけどね(笑))実際、不登校者のほとんどが、内心では「学校に行きたい」と思っており、親も「行って欲しい」と願っているのが実情であると言えるでしょう。本当は、他の子どもと一緒に授業に出て欲しいと思っていますが、それが出来ない場合、「せめて保健室や適応指導教室でもいいから……」と、思っておられる人が多いようで、わたしのところにも「やっと、我が子が保健室登校ができるようになりました」「この前、担任とスクールカウンセラーの先生と3人でいろいろと話しをすることができました」とメールしてくる親御さんが何人かいたのも事実です。3、「不登校減少」報道は文部省にとって利益になるか?発表した文部科学省に利益があるかというと、これはあくまで統計発表であり、自分たちの行為を、誇張したり正当化するためのものとは思えません。今回の発表でも、「中学生の割合はむしろ増えており、減少傾向とまでは言えない」と、文科省自身が言っており、特に利益にも不利益にもなっていないと考えるのが普通でしょうね。4、では、不登校減少で“不利益”をこうむる人たちがいるのか?実はいます。それは、不登校や少年問題を対象にビジネスをやっている人たち。不登校児を対象とした私立高校フリースクールフリースペースさらにマスコミなどなどの、一部の人たち。こういった人たちは、不登校が問題化されればされるほど、無料の宣伝費となり、お金を出す親に無用の危機感をあおり、ビジネスは安泰となります。フリースクール・フリースペースにとって、保健室登校や、スクールカウンセラーは、無償でやっているため、最大級の商売敵になります。それらの多くは、NPO法人で非営利とはいえ、職員に給料を支払わねばならず、問題が減少していくことは、スポンサーや助成金の減少につながります。倒産や解散するNPO団体も多い。つまり、不登校問題で食べている人たちは、「不登校減少」という報道がなされると、職を失う恐れさえあります。そういった団体にとって、不登校が問題になればなるほど安泰とも言えるのです。これは、不登校児を対象とした私立高校も同様です。マスコミにとって、少年問題は常にドル箱であり、少年が問題を起してくれればテレビ視聴率、新聞や出版の売上が伸びるのは事実。よって、こういった人たちが、声を大にして「文科省の発表は許せない!」「学校のやることは、全部ダメ!」と、言っていたとすれば、眉に唾をつけて聞いたほうがいいのは当然でしょう。ちなみに、不登校に悩む親には、一定数の低所得者層がいて、そのような人たちは、我が子を料金の高い私立高校やフリースクールに通わせるというのは不可能に近く、民間のカウンセラ―に相談をするというのも、難しいのが現状です。わたし個人としては、文科省や学校の制度は一度、大きく様変わりした方がいいと思っているひとりです。しかし、わたしたちがいま一番考えないといけないのは、いま悩んでいる人・苦しんでいる人を、どうすればいいのか?だとおもうのです。もちろん、文科省や学校にも、変化や改正がおおいに必要だと思います。わたしが、「学校がやることは全部ダメ!」という文句を聞いたのは、ある有名なフリースクール代表の講演でした。わたしには、「学校や文科省のやることは全部ダメだから、わたしのスクールに入りなさい」という宣伝文句にしか聞こえなかった。(笑)ただね、本当に苦しんでいる人が最後の手段として「オレが学校に行けないのは、全部学校が悪いんだ! 学校のせいだ!」「オレがダメなのは、全部社会が悪いからだ!」って、開き直るというのはアリだと思うんです。ただ、これは危険な考えでもあって、「オレが連続殺人を犯したのは、全部被害者や社会の責任だ!」という極端な考えにもなりかねないんです。だから、うまくバランスをとってですね。学校でも社会でも行政でも、うまく利用して、しゃあしゃあと生き抜いて欲しいですね。
2006年08月17日
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