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久しぶりの観劇でした。帯広のアマチュア劇団の、2年ぶりになる札幌公演。平田オリザさんと親交があり、演目はオリザさん書き下ろしの戯曲。幾度か再演してきたお芝居です。私のむかしお世話になっていた劇団なので懐かしく、札幌公演があると知って出かけてきました。 今は売れなくなってしまった歌手 そして そのマネージャーと付き人三人を乗せた夜行列車は北へ向かう車内で交わされる何気ない会話その中に微妙な人間関係が見え隠れする・・・・ 初演当時には気付かなかったことに、気づけるようになった今。それだけわたしも歳を重ねたんだなぁ。立ち上がって無理やり林檎を齧らせる場面が、あんなに官能的だとは思わなかったし、何気ない会話の妙味に、今さらあらためて気づきます。オリザさんの戯曲は、普通の会話劇が繰り広げられ、とても静かです。そこに描かれる微妙な三人の関係。大人な芝居。ラストの闇に浮かびあがる、星々やエンヤの歌が、とにかく懐かしい。ところどころ台詞も、しっかり覚えていた。それくらい思い入れ深い芝居だった。皆さん、10年前とまったく変わっていませんでした。舞台に上がると、普段よりさらにグンと素敵になる役者さんたち。立ち話程度でしたが、代表やお世話になった団の方々と久しぶりにお話ができて嬉しかったです。終演後には、大泉洋らを輩出した劇団イナダ組の代表イナダさんを迎えて(豪華)アフターステージトークがありました。始まって暫く聴いてから、場違い覚悟で連れて行った小さい家人たちがいよいよ眠そうにしてるので8時半過ぎにお暇。後ろ髪を引かれる思いで、会場を後にしました。同じころ団員で、同じころ止めてしまったおねえさんが、最前列に居るのが見えました。お互いお芝居は止めてしまったけれど、色んな事を語り合った懐かしいおねえさんと、いつかまた必ず再会して話をする機会もあるだろうと思ったら、またうれしかった。あいにくの雨ふりだったけれど、素敵な晩でした。
2009.05.30
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カナダのピアニストであり作曲家であったグレン・グールド Glenn Herbert Gould(1932~1982)、27歳の時のドキュメ。その変わった人物像と芸術性、特徴的な演奏スタイルは伝説となって、いまも新しいファンが増えているという。映像の中の27歳のグールドは人の気を逸らさない好青年だった。聴くと古風な印象を受けるのは、大半がバロック音楽だからなのかも。これといって苦労をしたとは思えないのに、晩年の写真はとても老けこんでしまい、50歳の若さで逝去。ここには27歳のグールドしかいなかったけれど、後年の姿にはほんとうに驚いてしまう。演奏者と聴衆の平等、完璧主義な性格――演奏会を嫌い舞台から早々に身を引いたというグールド。個人的にはとても好きでした。製作・監督 ロマン・クロイター ウルフ・ケニッグ 撮影 ウルフ・ケニッグ 出演・音楽 グレン・グールド (モノクロ/58分)
2009.05.28
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いままで読んだ伊坂作品ははわずか三冊ですが、すべて外れがなく面白かった。7タイトル映画化されていて、今年は一気に三作が上映になるようです。この、伊坂幸太郎の原作は大好きです。物語は映画向きでも、時間軸を複雑に入れ替えた作品が多いので、その点映画化は難しいように思われる伊坂作品。でも、この『重力ピエロ』に限っては、一見単純そうに見える物語が孕んでいる、切なくて深いテーマを、登場人物たちの複雑な思いにのせて描ききれるのかが疑問でした。だから期待はしなかったけれど、意外にもかなりこの映画化はいいです。原作の切なさが損なわれてない。読みながらも泣けてきたけれど、映画を観ながらも泣けてきた。そんじょそこらにあるようなチープな切なさではなく、自分の存在が否定される苦しさや、肯定される喜びや、重力を忘れるくらいに幸せな家族のお話を、優しく力強く繊細に描いた素晴らしい物語でした。内容はかなり原作に忠実なので、以前書いたこちらから。弟の春という人物像が、大好きです。これほど好きになる人物像は、敬愛する佐々木丸美作品のなかにしか今までいなかった。ガンジーを愛し、バタイユ(この件は本編には出ない)を憎む春。彼の生き様は、胸が張り裂けそうになるほど立派で潔くてせつない。そんな彼を見守る、両親や兄・泉水(いずみ)の愛は底知れぬほど大きくて温かい。ストーリーの軸は、近所で立て続けに起こる連続放火事件。春と泉水は放火現場にリンクして出現するグラフィティアートとの繋がりを突き止めていく。サスペンスやユーモアととも、にさりげなく描かれる家族のエピソード。やり場のない怒りを抱えて苦悩する家族の思いも、いつかじんわりと胸を打つ爽やかな感動に包まれる―――。春役に岡田将生、泉水役に加瀬亮、父親役に小日向文世。ベストキャストです。それぞれの演技が素晴らしい。春の本当の父親である強 姦魔役には渡部篤郎。完全に悪役が板に付いちゃっていますが、久しぶりに本編で見れて嬉しかったです。かなり人でなしの役どころでしたが(笑)誰にとってもそうとは言い切れないけれど、伊坂幸太郎は偉才なるストーリーテーラーです。このお話が孕む様々に大切な諸々を、私はずっと忘れないでいたいと、心から思う。監督 森淳一 原作 伊坂幸太郎 『重力ピエロ』 脚本 相沢友子 音楽 渡辺善太郎 出演 加瀬亮 岡田将生 小日向文世 吉高由里子 岡田義徳 渡部篤郎 鈴木京香 (カラー/119分)
2009.05.26
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ドキュメンタリー映画『非現実の王国で ヘンリー・ダーガーの謎』を鑑賞したあと、購入した本。ダーガーの描いた絵や作品世界について、もう少し詳しく知りたくなったのでした。ジェシカ・ユー監督の映画が公開されて、ヘンリー・ダーガー(1892~1973)が話題になるまで、わたしはこの方をまったく知らなかった。本は2007年の特集のもの。物語は、子供奴隷ヴィヴィアン・ガールズたちの反乱に起因する戦争のお話。完読した人はまだ誰もいない、1万5千ページに及ぶ世界一長いと言われる長編小説。様々なアーティストにとってのダーガーという存在/『非現実の王国で』を知ることは、ダーガー自身を知ること。なるほどー。たしかに小説と同じくらい、ダーガーの人生やこころを知りたいと思う。アウトサイダー・アートとは、芸術の訓練を受けていなくて、人に見せることも名声も目指さず、流派や傾向やモードに一切とらわれずに自然に表現した作品のことをいうそう。(wikiより)自分の精神が生きるために求めて、なにかを創造せずにいれない人。そういう形でのアートがある。美術学校に通って学んだ人だけが、芸術を生みだせるわけじゃない。訓練とか名声とか、そういうものからかけ離れたことろに存在している、孤高の精神を持する作品たち。それがすごく素晴らしくて、生みだされた状況はより身近で、ダーガーがいかにして偉業をなし遂げたのか知りたくてたまりません。同じ人間として。ゆっくりと絵を眺めてみると、色遣いがすごく魅力的。少女たちはトレースなどで描かれていたとしても、色を決めたのはダーガー自身。一種の塗り絵であった――そう言った専門家の言葉があったけれど、塗り絵には心と体を癒す効果があるのかもしれません。近頃、ユング派の心理療法士が考案した"曼荼羅塗り絵"なんてあるくらいだから、まんざらでもない。『非現実の王国で』の謎に迫りきるには、きっとまだ時間がかかるのでしょうが、いつかもっと詳しい解説を聞きたいものです。 加筆。 こんな特集本よりも、ジョン・M. マグレガーの『非現実の王国で』をそのまま読んだ方が、ずっとダーガーについて詳しい。もっと早く読むべきだったなー。(2011年10月)
2009.05.24
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この映画が日本公開される前後、その是非が騒がれていたのが昨日のことのようです。靖国問題は、報道の情報以外なにも知らなくて、一冊くらいなにか読んでから観ようと思いながら月日は流れて、結局知識のないまま鑑賞。ほかの国々と比べて、日本がいかに戦争を含めた近代史を、学校で教えていないか実感する。自分も含めて、靖国神社が身近ではないとはいえ、なにも知らなかったことが恥ずかしい。まず一番に湧いたのは、現代のものとは思えない――という感想だった。今でも靖国神社では、終戦の日にこんなことが行われているとは、、。神社と政治家と右翼。この三者が朧げに繋がって思えたのは、あらぬ先入観なのだろうか。英霊、英霊・・・この言葉、耳に残る。望んでそうなり、祀られたわけではない、遺族の思いが強く伝わってくる。靖国から名を省いて欲しいと願う一般の人々、台湾の女性、浄土真宗のお坊さん。対応するのはへらへらした逃げ腰の宮司さん。あまりに対照的にカメラに捉えられていて印象的だ。現代の神社とはいったいなんなのか、疑問符とともに懐疑心もちょっと湧く。それを言ったらお寺もそうなのかもしれないけど。遊就館、叙勲、英霊といった言葉や、クローズアップされていた中国や台湾の人々の怒りが・・・止められない不快感を催させる。嫌悪感から胸が悪くなる。それはたぶん素直な反応で、母国が犯してきた罪を真っ向から見据えれば、不快になるほどの嫌な歴史が日本にはあるのだ。台湾の映画、とくにツァイ・ミンリャンが個人的には好きで、台湾と日本には共通したものを感じて親しみが湧いてたのだけれど、だからといって台湾人が親日だなんて、勝手な思い込みだったのかと思うと、なんだか寂しくもある。それでも、時代は流れて、前進してかなくてはならないから、教育というものが大事になってくるんだと思う。なぜ日本がアジアの国々に恨まれているのか、知らない若者は増える一方なのだから。本作を見たからといって、靖国神社問題を理解するには足りなかった。あらましを知れるに留まります。もともと知識ある方には、周知の事実ばかりで真新しいものはないのかもしれない。それでも、少なくても私には、なにか一冊本を手にとってみようという気を起こさせてくれたので観てよかった作品でした。すべての縦糸となっていたのは、1933年から終戦まで靖国神社で作られていた軍刀・靖国刀を鍛える、最後の鍛冶職人のエピソード。ラストはその軍刀が使われていた当時の写真で締めくくられます。血塗られた時代を喚起させられて、胸が痛い。● ● ● ●監督 李纓 撮影 堀田泰寛 李纓 編集 大重裕二 李纓 (カラー/123分/日本=中国合作)
2009.05.21
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タルコフスキー監督の長篇第1作。ドイツの侵攻を受けた村で肉親を亡くし、斥候となった少年の運命を描く―――。少年は村で凄惨な光景を目の当たりにしたに違いありません。両親は殺され、心に深い傷を負っていることは、明らか。そんな彼が、あえて学校へ行くことを拒否して、大人に交じって戦いに出る思いが、痛いほど伝わってきました。戦争映画ですが、戦闘シーンや残酷な場面は、あえて描かれません。あるのは、親代わりの大人たちに囲まれた少年の、斥候としての立派な姿だけ。しかし大人たちは、子どもは学校へ行くべきだと言いきかせ、彼のことを思うがゆえに任務から外し、戦場を追わせるのです―――。戦争によって負った心の傷を、命がけで戦うことでしか癒せなかった、少年の思い。精神力も自立心も勇敢さも、感動的だったけれど、あまりに悲しい性と思えて仕方ありませんでした。骨と皮だけの細い体で、必死になって戦っている姿は、大人以上に凛々しくて立派なのが、なお更に悲しい。抵抗空しく、戦場を後にした彼の運命は、しかし明るいものではないという皮肉。戦争の虚しさを、無駄のない人間模様で描いた素晴らしい作品でした。血なまぐさい描写は避け、タルコフスキー監督らしい幻想的なイメージが、巧みに挿入されているのがいい。指揮官たちの人間模様・恋愛模様もさりげなく盛り込まれ、やはり水のイメージが強く、画面は生命力に溢れていました。勝手な主観ですが、大好きなA・ワイダ監督を思い出しました。無論、こちらはソ連映画らしく、ワイダ作品はポーランドで、お互いの国のカラーは強く出ているのですが、同じ戦争の描き方という面では、あえて血みどろにしない幻想的なに描かれ方が似ているようで。後のワイダの名作『コルチャック先生』で感じた、救いのなさを、ラストのファンタジックな幕切れに、再び感じました。見事な演出。● ● ● ● 監督 アンドレイ・タルコフスキー 脚本 ウラジミール・ボゴモーロフ ミハイル・パパワ 音楽 ヴァチェスラフ・オフチンニコフ 出演 コーリャ・ブルリャーエフ ワレンティン・ズブコフ E・ジャリコフ (モノクロ/94分/ソ連)
2009.05.18
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ステキな映画でした。それぞれに思いを抱えた女性たちの物語が、キラキラした優しい光に包まれた、テルアビブの美しい海辺の街で描かれます。結婚式場で働くウェイトレスのバティア。結婚披露宴の最中に足を骨折した新婦のケレン。フィリピンからの出稼ぎ労働者ジョイ。さりげなくすれ違いながら、登場人物たちはそれぞれの問題に向かい合う。悲しみも、幸せも、悩みも、過去の傷も、、、。やまない雨はないように、希望の灯は、日常に灯る。 恋人と別れたばかりのバティアは、海辺で浮き輪をつけた迷子の少女を拾う。両親が離婚してからは、父親とは疎遠で、ボランティアの仕事が忙しい母とは、電話で話すだけの仲。長い孤独を抱えていた彼女は、両親の見つからない浮き輪の少女に、過去の自分の面影を見る。この、バティアが感じているそこはかとない孤独は、心にすごく伝わってくる。足の骨折で新婚旅行がダメになり、市内のホテルに泊まることになった新婚夫婦の物語も忘れ難い。夫マイケルは、スイートルームに一人で泊まっている謎めいた女性に出会う。新婦ケレンはヤキモチを焼くけれど、詩人であるという女性の密かな孤独が、後にふたりを驚かせるのだった――― 出稼ぎ労働者ジョイのお話もそうだけれど、みんな、一番身近な人への思いやりを怠ってばかりいるようだ。一番見ていなくちゃいけないものを、見ていない。一番守らなくちゃいけないものを、守らない。それで上手くいかなくなって、つまづいて、孤独に沈むけれど、掛け違えたボタンをひとつずつずらしていくだけで、きっと幸せは近いような気持ちになれるのがいい。新婦ケレンの綴った、何気ない劇中詩が、とてもステキだった。たった80分で、この充実。 脚本がいいのもあると思う。役者さんの演技も自然で素晴らしい。イスラエルという国は、争いの歴史が今もなお続いているけれど、ここ数年で観たイスラエル映画は、ユーモラスなものが多い。ユーモアのわかる中東の国、っていいね。しかも今度のは、幻想と映像美を駆使していて魅力的。監督は恋人同士だという、エトガー・ケレットとシーラ・ゲフェン。現実と幻想の交差する、不思議な全体の雰囲気が大好きでした。● ● ● ●監督 エトガー・ケレット 、シーラ・ゲフェン 脚本 シーラ・ゲフェン 撮影 アントワーヌ・エベルレ 音楽 クリストファー・ボウエン 出演 サラ・アドラー ニコール・レイドマン ゲラ・サンドラー ノア・クノラー (カラー/82分/イスラエル=フランス合作)
2009.05.13
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2007年のアカデミー作品賞など4部門を受賞しています。コーエン兄弟作品は、『赤ちゃん泥棒』『バーバー』『ファーゴ』など、いくつか観ていますがどれも好きでした。なわりには、あとを引かずに、久しぶりの鑑賞。すごく巧い。でも大好きにはならないタイプ。 巧さも、至極アメリカ的なところも、イーストウッド監督と似た印象の兄弟です。 (あらすじ) 80年代、テキサスの荒野でハンティング中に、複数の死体が横たわる、麻薬取引現場に出くわしたベトナム帰還兵モス(ブローリン)。そこで200万ドルの大金を見つけた彼は、危険と知りつつ持ち帰り、冷血非情な殺人者シガー(バルデム)に追われる身となる。警察(ジョーンズ)も動き出すが―――。 ハビエル・バルデムの髪型がすごかった!トミー・リー・ジョーンズとテキサスの雰囲気が似合いすぎてた!なんて、関係のないところで感動しつつ、血なまぐさい、暴力に次ぐ暴力が繰り広げられていった。人の気を逸らさない演出は流石で、小気味よくまとめられた見事な小品なのはたしかです。ただ、それが好きかといわれたら、好みはまた人それぞれに分かれるのでしょう。登場人物も製作費も少ないだろうに、この引きの強さ! その一点だけでも特筆すべきなのでしょうが。言わんとしていることは、なんとなくわかります。表面は単純だけれど、背後に横たわるテーマはちゃんとある。まるで死神にでも追われているようなモス、ルールなき殺し屋シガー(衝撃の武器が!)、終始傍観している警察―――。ありえない構図なのに、疑問を抱かせない説得力は、作品全体を包み込んでいるシニカルなユーモアと、寓話チックであるおかげなのでしょう。しかしながら、深く考えたい気持ちにはなれないのはなぜ。あまりに理不尽な暴力と、積み重なるあらゆるフェークに疲労感。監督・脚本 ジョエル・コーエン イーサン・コーエン 原作 コーマック・マッカーシー 『血と暴力の国』 撮影 ロジャー・ディーキンス 音楽 カーター・バーウェル 出演 トミー・リー・ジョーンズ ハビエル・バルデム ジョシュ・ブローリン (カラー/122分/R-15)
2009.05.11
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ヘンリー・ダーガーを知ったのは、遅まきながらこの映画がきっかけでした。1973年にひっそりとこの世を去り、その後に多数の作品が発見されて、急速に評価を得た孤高のアウトサイダー・アーティスト、ヘンリー・ダーガー。その謎に包まれた特異な生涯と作品世界に迫るアート・ドキュメンタリー。生涯にわたって孤独の世界に身を置いたダーガーは、15,000ページを越える小説『非現実の王国で』を遺しました。彼の生きる拠り所だった奔放な妄想世界に迫ります。 物語は欠かせなくて、心の欲求にまかせ、小説や映画から吸収して暮らしている私。それを自らの手で、膨大な量を、孤独のうちに創造したというダーガー氏は、すごい人です。孤児院や知的障害児施設で過ごした、幼少期から青年期にかけてのつらい経験が、後にひきこもりや人嫌いとなって表れたのでしょうね。苦しんだからこそ生まれた『非現実の王国』。そこで生きることが、彼にとっての安らぎだった―――。だとしたら、全身でもってそのファンタジーのなかに飛び込んで、見てすべてが知りたいと、すごく思います。本作ではテンポが速すぎて、じっくりと絵を眺めることができないので、興味を持たれた方はきっと実物が見たくなるし、それができなければ本が欲しくなる。さっそく買ってみると、色使いやラフな線が大好きでした。その独自の手法も興味深いものだし、内容については本編でわかりにくいので、やはり本が必要です。物語の主人公は少女たちでした。畏怖するような、崇めるような態度は、まさにナボコフの『ロリータ』の世界。けれどなぜその少女たちに、ペニスをつけて描いたのだろう。両性具有化して完全なる存在にしたかったのか、それとも穢れのない存在にさらに神をも重ねて、男性であることが必要だったのか―――。ダーガーにとっての神は、すごく興味深いものでした。強制的に教会へと通わされた幼き日の思い出や、恐ろしいシスターの記憶・・・。いつしか神を憎むようになったのに、それでも信心深さを失わず、晩年までずっと教会に通っていたという。神を冒涜する言葉を吐きながら、なおも聖者でありたいと願う矛盾は、キリスト教徒ではない私にとって、理解しがたいものだけれど、火事の記録や、その日一日の天気について克明に綴ったという行動は、少しだけ理解できるかもしれない。ちなみに、テーマ曲は大好きなトム・ウェイツ。この作品にすごく似あっているのがウレシイです。● ● ● ●監督・製作・脚本 ジェシカ・ユー 音楽 ジェフ・ビール ナレーション ダコタ・ファニング (カラー/82分)
2009.05.09
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子供の死のショックから立ち直れずにいる、旅行ガイドブックのライターをする主人公ラリー(ハート)。妻サラ(ターナー)との別居などを経て、やがてペットショップの訓練師と、新しい恋に落ちていく様子を丁寧に描く―――。 脚本が素晴らしい。随所にクスクスと笑えるシーンを織り交ぜながら、主演三人の味わいある演技が心地よい。新しい恋の始まり、新しい人生の回り出す音が聞こえてくるような、絶妙なテンポのある良作でした。強盗事件に巻き込まれ、息子を失った夫婦の、別居から物語は始まります。人生を守りに徹してきた不器用な夫は、妻と悲しみを分かち合うこともせず、孤独を抱えた妻サラは、ついに別居を言い渡すのでした。大きな喪失から始まるけれども、物語は確実に再生へと向かっている。旅行がちなラリーが出会った、ペットショップ店員のミュリエル(デイヴィス)は、快活で風変わりな美人さん。彼女から積極的にアプローチして、いつしか付き合うようになる二人でしたが、型物のラリーはいつまでも優柔不断なまま、新しい人生を踏み出すことができずに、妻とミュリエルの間で揺れ動くのでした、、、。なにより面白かったのは、ラリーの実家の人々。妹や兄たちが繰り広げる日常には、とびきり変わったヘンテコなルールが横行しているのです。それでも一家にとっては、それが常、それが平常。まさかおかしいだなんて、思ってもいない。ちょっとはみ出しちゃってる人生にある、豊かさとユーモアの妙味。ちょっとはみ出しちゃってる人たちの、不器用だけど素直な気持ちが愛おしい。ミュリエルがラリーに恋した瞬間や、妻と恋人のどちらと生きるかをラリーが決めた瞬間、それがわかりにくいのだけが残念だった。この微妙なニュアンスまで伝わったら、それこそ非のうちどころない秀作になっていたかもしれません。監督 ローレンス・カスダン 原作 アン・タイラー 脚本 ローレンス・カスダン フランク・ガラチ 音楽 ジョン・ウィリアムズ 出演 ウィリアム・ハート ジーナ・デイヴィス キャスリーン・ターナー (カラー/121分)
2009.05.07
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『散歩する惑星』『愛おしき隣人』のロイ・アンダーソン監督デビュー作。お世話になっているracquoさんおすすめです。青春ラブストーリーとはいえ、さすがアンダーソン監督、デビュー作から一筋縄ではいきません。スウェーデン版『小さな恋のメロディ』と言われているだけあって、たしかに似ている。それでも恋人同士はさておき、周りの大人たちの描き方が大きく違っているのが印象的です。終盤からはまったく別の顔を見せ始める。くすぐったいだけの青春物語では終わらない。15歳の少年と14歳の少女。出会って、惹かれて、告白して。瑞々しいタッチで初恋が描かれます。キスしたり抱き合ったり、つっぱったり、粋がってタバコを吸ったり。それを早熟に感じるのは日本の中学生と比べてしまうからでしょう、身近なものでは、たしかにない。けれど、すれ違った後で、彼がバイクで引き返してきて不器用に抱きしめあう(写真のシーン)なんかは、たまらなく胸キュンになったりして、初々しい恋人たちが見事に作品に封じ込められています。ここまではともかく、ラストの騒動はどう見るべきなのでしょうね。初めてふたりの家族が顔を合わせたパーティーの夜、噛み合わない会話のあとの、父親の行方不明―――。ここで完全に、甘い初恋物語はかき消されてしまって、『小さな恋のメロディ』とはまったく趣の異なる作品として終わっていくのでした。● ● ● ●監督・脚本 ロイ・アンダーソン 撮影 ヨルゲン・ペルソン 音楽 ビョルン・イシュファルト 出演 ロルフ・ソールマン アン=ソフィ・シーリン ビョルン・アンドレセン (カラー/98分)
2009.05.06
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