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最近、読みたかった本に出会った。しかも、3冊も・・・。1冊は読み終わった。2冊目がカバンに入れ読んでいるが、3冊目も気になる。早く読みたいのだけれど、まとまった時間がない。10月は、あちこち行ったからな・・・。■2014.10月に見た映画■*柘榴坂の仇討*ジャージー・ボーイズ*リスボンに誘われて*レッド・ファミリー*ジャージー・ボーイズ■書きのこしたネタ■*バーナード・リーチ 日本絵日記*ルネ・ラリックの作品を置いた美術館*ヴォーリーズ作の近江八幡・池田町洋風住宅街*朝鮮人街道*熊の棲む森*四国ネタ*電気自動車*「ビッグイシュー」*ごんご*「定年男のための老前整理」*ニコニコ動画*ダウントン・アビー*「大阪人の格言」*警察のポスター*小浜島・・・漂着ごみ*は行とぱ行の歴史*渡し舟*西行寺*娘の引っ越しの荷物が多いことと簡素な引っ越し*街で見つけたデザイン。*白虎隊の歌*「君をだいて」*「とっさの方言」*からほり御屋敷再生複合ショップ「練」*近つ飛鳥*近つ、遠つ*キラキラネーム*和泉市の美術館*もっと緑が欲しいのだ!(駐車場)*みどり学*あさぶら*小説「アーレンガート」*「北極星」*アルミ缶エコ*江戸時代、和歌山の防災意識*子供と春の花と桜・・・・・・・・・・・・ ・・・・・・・・・・・
2014.10.31
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■10月19日(日)、和歌山へ日帰り。■■10月26日(日)奈良・今井町へ日帰り。■そして、10月28日(火)~29日(水)、滋賀県へ一泊旅行した。よく行くな・・・って?秋ですから(^-^)■10月28日(火)長浜で、陸を走っていたバスが、琵琶湖にドブンするダックツアー。平日で、寒い日だったので、乗客は4人。でもガイド嬢は、面白おかしく案内してくれた。その後、アール・ヌーボーのガラス作家として有名な、ルネ・ラリックの作品を集めた成田美術館に偶然、見つけて、入った。ルネ・ラリックといえば、アール・ヌーボーのガラス作家とばかり思っていたが、アール・デコ時代にも活躍したのをしってびっくり!■10月29日(水)「ヴォーリーズ・メモリアル in 近江八幡」というイベントが開催されていたのでひとりで廻った。今年は、ヴォーリーズ没後50年だそうだ。写真の「50」の「0」は、ヴォーリーズのサインのようなもの。丸は地球をあらわし、真ん中の点は、近江八幡をあらわすという。ボランティアさんたちが、「おらの町のヴォーリーズ」という感じで、誇らしく話していた。・・・・・・・・・・・・ ・・・・・・・
2014.10.30
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■有名人と関係のある今井町。■明治天皇も明治10年に今井町に来た。この道端は、カーブをしているが、こんなカーブのある道は、ここのみ。明治天皇の一行が明治10年に馬車で今井町を訪れた時、特別に道にカーブをつけ、通りの家の軒先を切って、馬車に当たらないようにしたのだそうだ。 明治10年といえば、西郷隆盛の西南の役(えき)。明治天皇は、この今井町にある称念寺に泊まっていた時、その事を知った。みんな大慌てで、今井町を発った。当時は、鉄道などなかったので、馬車で堺まで。堺から船で大阪へ。大阪から川船に乗って京都へ行き、御所に陣を張ったのだそうだ。しかし、慌てていたので、明治天皇一行は、多くの忘れものをした。その中のひとつが、風呂!!!持ってきた明治天皇の専用の風呂を置いて帰ったのだそうだ。今も、その風呂は、今も称念寺にあるが見ることが出来るのは写真のみ。 ■アクセス:JR桜井線:畝傍駅 近鉄橿原線:八木西口駅■ボランティアについては■ここ■・・・・・・・・・・・・ ・・・・・・・
2014.10.29
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堺と並び称された環濠都市・今井町には、多くの有名人と関係がある。織田信長と秀吉も今井町に関係がある。 ●織田信長織田信長に反抗し、堀を深くし土塁や見通しを妨げる筋違いの道路等を築き環濠城塞都市となった今井町。戦争を仕掛けるためでなく自衛のためにつくった要塞都市の一つである。織田の軍勢と半年あまり戦った。結局、和睦という形になり、自治権が認められた。この戦争で、織田信長は来なかったのかもしれない。けれども、織田信長という戦国時代最強の人と闘った今井町はスゴイ!!●秀吉信長とくれば、秀吉。羽柴なのか豊臣なのかは、分からない(聞き忘れた)。秀吉の好きなものと言えば、金ぴかと女と花見。有名な桜の名所、吉野に行く途中、休んだそうだ。「この家です」と教えてもらったけど、写真をとらなかった。_| ̄|○ ■今井町■ ■アクセス:JR桜井線:畝傍駅 近鉄橿原線:八木西口駅■ボランティアについては■ここ■・・・・・・・・・・・・ ・・・・・・・
2014.10.28
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*「海の堺 陸の今井」*「大和の金は今井に七分」*「金の虫干し玄関まで」*「今井千軒」*「今井札」などと堺と並び称された環濠都市・今井町に、■再び■行ってきた。前回は、イベントがあって、町中賑やか。今回は普段着の今井をガイド付で夫と。ガイドさん付だったので前回、見逃していたもしっかりと見ることが出来た。●まず、訂正から上の写真を前回は、環濠の一部と紹介したが、間違っていた。環濠は、埋められて右に見える道になってしまったたのだそうだ。車社会の犠牲になった環濠・・・。うちも車で行ったのだが・・・。_| ̄|○●この輪はなんだ?見逃していたものも多かった。通りの壁につけられた、輪があったが、これは馬をつなぐためのものだったという。その輪も、家の豊かさに応じて変わっている。また、写真には無いが、馬をとめるための輪の上には、牛の輪もあった。●背割(せわり)とは?今では、役所に行けば、自分の家のきちんとした、土地の面積が記録されている。そんな制度のなかった、時代(戦国時代以前)には、他家との土地をどうやるか。それは、家と家の間に小さな溝を掘る。それが、土地の区切りとなり生活排水を流すために利用された。この「背割(せわり)」は、あちこちに見られた。 こんな昔が残っている町、今井町では、よく撮影が行われるそうだ。■NHKの朝の連続ドラマ「ごちそうさん」■も、今井町で行われたのだそうだ。 今井町へは。■アクセス:JR桜井線:畝傍駅 近鉄橿原線:八木西口駅■ボランティアについては■ここ■・・・・・・・・・・・・ ・・・・・・・
2014.10.27
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私の子どもの頃は、どこの家も米を作っていた。水がぬるむ頃、田植えがすみ、秋が来ると稲刈りをした。田んぼの畦(あぜ)には、アゼマメ=大豆を作った。アゼマメというと、塩ゆでにして食べるというイメージだが、昔は違った。 石臼(いすうす)でひいて、砂糖を混ぜてきな粉を作ったり、味噌を作ったりした。 時々、焙烙(ほうろく)で炒(い)って、おやつとして食べた。こんなありがたい大豆だが、子どもの私が一番好きなのは、大豆そのものではなく、豆のなっていた木で、豆がらという。豆をとったあと、木は乾燥させ、風呂の追い焚きとして使うのだ。風呂に入っていると母が、追い焚きをしてくれる時に使う。その音はパチパチと賑やかだった。わざわざ、山に行かなくても追い焚きに使える豆がらは、なんだか得をしたようで嬉しかったのだ。半世紀以上も前の、どんなものも、無駄にしないあの頃の暮らしを思い出すと、懐かしくなる。・・・・・・・・・・・・ ・・・・・・・
2014.10.26
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ダムは必要か?本当にこんなに大きなダムが必要だったのだろうか?各地の川がやせ細っているのを見るにつけそう思う。かつては、高瀬舟で賑わっていた■吉井川■も今は水量は少ない。ダムのせいだ。9月28日、四国の早明浦(さめうら)ダムに行った。この早明浦(さめうら)ダムは、西日本に住んでいると毎年、必ずといっていいほど渇水のニュースをテレビで聞く。このダムの計画があがったのは、1949年、今から65年前。出来あがったのが1975年というから20年以上、かかっている。住民は四国四県の新たな水資源開発のために住み慣れた故郷を永久に失うという犠牲を払った。またダム建設に伴う漁業権喪失に対する吉野川流域の漁業協同組合との補償交渉も難航し、ダム本体建設工事に伴う濁水補償に2,330万円、ダム放水による河川塩分濃度への影響に対する補償として2億9,500万円が補償費として支払われた。現代だと自然を守れという運動が起きて、ここまで巨大なダムは造らなかっただろう。政治家の利権がからんだのだろう。「ダムネーション」という映画がくる。最近は、ダム建設が本当に必要かと日本でも言われ始めたが、これはアメリカのダム撤去の選択。■映画:ダムネーション■アメリカ全土につくられた7万5千基のダム。それらの多くは、川を変貌させ、魚を絶滅させ、それにもかかわらず期待される発電・灌漑・洪水防止のいずれにおいても低い価値しか提供していない。むしろダムの維持には高い経済的コストもかかっている。そんな負の面ばかりのダムを「撤去」する選択が、アメリカでは現実になってきた。だが「ダム撤去」が当たり前に語られるようになるまでには、「クレイジー」と言われながも川の自由を求め続けてきた人びとの挑戦があった。彼らのエネルギーにより「爆破」が起こるドキュメンタリー。2014年11月22日(土)より自然の上に、構造物を造る時代から、自然に戻す時代になったのだ。嬉しい!!■写真はドイツのマイン川。■自然が残っていて、ボート、ヨット、川遊びをしている人が多かった。これが、本来の川の姿だ。■四国バス旅行:リョーマの休日■2014.9.27■四国バス旅行:バス故障で立ち往生■2014.9.27■四国バス旅行:県境にある雲上のカルスト高原■2014.9.28■四国バス旅行:中津渓谷■2014.9.28■四国バス旅行:沈下橋■2014.9.28■四国バス旅行:ダムは必要か?■2014.9.28・・・・・・・・・・・・ ・・・・・・・
2014.10.22
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■ジャージー・ボーイズ:あらすじ■♪音が出ます!!成功から一番遠い場所で、伝説は生まれた・・・。ニュージャージー州の貧しい地区に生まれたフランキー・ヴァリ(ジョン・ロイド・ヤング)、ボブ・ゴーディオ(エリック・バーゲン)、ニック・マッシ(マイケル・ロメンダ)、トミー・デヴィート(ビンセント・ピアッツァ)。 希望のない町に生まれた4人は、自分たちの音楽だけで夢のような成功をつかみ取る。 彼らはザ・フォー・シーズンズとして、『シェリー』、『恋はヤセがまん』、『恋のハリキリ・ボーイ』、『悲しき朝焼け』、『悲しきラグ・ドール』、『バイ・バイ・ベイビー』、『愛はまぼろし』、『君の瞳に恋してる』といった数々の名曲をヒットさせ、音楽界に不滅の伝説を打ち立てていく。しかし、そのまばゆいばかりの栄光ゆえに、裏切りと挫折、別離、家族との軋轢といった不幸が彼らを襲う……。60年代に数々のヒットを生んだ4人組グループ、ザ・フォー・シーズンズの栄光と挫折を描きトニー賞に輝く大ヒットミュージカルを、クリント・イーストウッド監督が映画化した人間ドラマ。ニュージャージー州の貧しい地区で育った青年たちが体験する出来事の数々を、大ヒットナンバーに乗せて描き出す。 この映画■10月1日にも見ているが■2回目の今回も大満足だ。映画の魅力は沢山あるけれど、そのひとつに音楽がある。 「マイガール」、 「スタンド・バイ・ミー」も大好き!!2つとも、曲のタイトルがそのまま、映画のタイトルになっているくらいに切り離せないほど。「ジャージー・ボーイズ」は、フォー・シーズンズのヒットナンバーがこれでもかというくらいに出てくるので、1960年代、歌っていた私は、嬉しい。それもそのはず、ブロードウェイのミュージカルの映画化なのだ。You tubeで検索したら、「君の瞳に恋してる」を歌うシーンがあったが、やはり、映画の方が豪華。しかし、ミュージカルバージョンも見てみたい。英語が堪能でない私は、是非、日本語で、「劇団四季」にやって欲しい。「劇団四季」、「四季」、「フォー・シーズンズ」!!■バンザーイ、バンザーイ、バンザーイ!!!■・・・・・・・・・・・・ ・・・・・・・
2014.10.21
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■10月19日(日)■和歌山県立紀伊風土記の丘■に日帰りで行ってきた。和歌山県立紀伊風土記の丘は、ボランティアガイドの案内で面白かったのだけれど、写真を撮らなかったので、また次の機会に。和歌山県立紀伊風土記の丘へは、うちから高速に乗れば1時間半くらいだけれども下の道を行った。山越えは風情があるので高速は、もったいない。途中で農産物を売っている所が沢山あるのも楽しい。和歌山は、もし鎖国をしてもやっていける数少ない県と冗談で言われている。柿、ミカンなどの果物、米、それに漁業、材木・・・。なんでも豊かな和歌山県。柿をしこたま買いこんだ。富有柿や渋を抜いた柿、あんぽ柿を呼ばれる柿。それに、渋柿をつるし柿用に買った。写真は、渋柿、アケビ、白イチジク、あわび茸。どれも、近くのスーパーでは、手に入れないものばかり!写真にはないけれど、和歌山産のレモンも!!さっそく、渋柿をつるし柿にして、2階のベランダにつるした。里山の秋の風物詩、真っ赤な実のなる柿の木を目でも、たんのうした。・・・・・・・・・・・・ ・・・・・・・
2014.10.19
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■レッド・ファミリー:あらすじ■♪音が出ます!!隣の芝生は、青(×)赤い。仲睦まじい家族を装って、韓国国内で任務を遂行する4人の北朝鮮スパイたち。表面上は誰もが羨むような理想の家族を演じながらも、一歩家の中に入れば階級に従い、母を演じるリーダーの命令を順守してスパイ活動を行なっていた。一緒に暮らしながらも、互いを監視し合い、馴れ合う事の許されないニセ家族。彼らはケンカの絶えない隣の家族を“資本主義の限界”と馬鹿にしていたが、偽りのない感情をぶつけ合うその姿に、次第に心を動かされてゆく。やがて任務と人生そのものに疑問を感じ始めるスパイたち。そんな折、リーダーである妻役のベクは、夫役のキムの妻が脱北に失敗したことを知る。独断で手柄を立て、キムたちを助けようとするベクだったが、逆に大失態を犯してしまう。祖国に残された各々の家族の命と引き換えに、4人に与えられたミッション。それは、“隣の家族の暗殺”だった。全てを救うため、彼らが命を賭して打った切ない“家族芝居”とは……?★北★素敵一家★誠実な夫と美しい妻、優しい祖父、愛らしい娘。実は、妻役を班長とする北朝鮮のスパイ「ツツジ班」。共に暮らしながらも監視し合い、慣れ合うことを許されないニセ家族。★南★ダメ一家★自分勝手な夫と火事の出来ないワガママな妻、人生に疲れた祖母、いじめられっ子の息子。日々、くだらない事で言いあう典型的中流ダメ家族。 この二つの家族が繰り広げるドラマは、泣きながら笑い、笑いながら泣く。北の素敵一家=スパイ一家は、写真を撮ってはいけない所で、楽しそうにとったりしている。きっと本当にこんなことがあるのだろう。 北朝鮮の現実を描いた■かぞくのくに■がある。リエの兄、ソンホはなぜ、日本に帰れないのか?ソンホが帰国事業で北朝鮮に渡り、以後、日本に自由に帰れないし、帰っても、また北朝鮮に帰らないといけない。家族でありながら一緒に暮らせないという悲劇だった。■クロッシング■は、飢えと貧しさに脱北を計る親子の悲しい物語だ。上の2本と違って、「レッド・ファミリー」は、残酷すぎる任務に、身震いしながらも笑ってしまうシーンが沢山あり救われる。第26回東京国際映画祭:観客賞を受賞した作品。・・・・・・・・・・・・ ・・・・・・・
2014.10.18
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■9月28日日本でも有数の多雨地帯である仁淀川流域には、大洪水による橋の流失を防ぐため、洪水時に水没することを前提として架けられた「沈下橋」が数多く残されています。 久喜橋は、県内最初のアーチ型沈下橋で、昭和10年に架橋。国の登録有形文化財となっています。久喜の橋は川幅こそ広くありませんが、深いグリーンの流れ、周囲の岩と一体化したシンプルなアーチが印象的。増水時には、水中にすっかり沈むことも。釣りびとのスポットでもあり、車も通る現役の生活道です。■中津渓谷■の次は、沈下橋。沈下橋は、1990年の高知県の調査によると全国で410か所あるという。水に沈下している所をみてみたいと思った。■沈下橋■地方により潜水橋、潜没橋、潜流橋、沈み橋、潜り橋、冠水橋、地獄橋などともいう。・・・・・・・・・・・・ ・・・・・・・
2014.10.17
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■9月28日宿を出て「中津渓谷」という所に行った。大きな岩と中津川の清流からなる中津渓谷は高知県自然公園。歩いていると、所々に七福神がある。渓谷の中に、こういうのがあるのは、はじめて見た。また、石垣を積んだ場所に茶屋の跡がある。七福神のひとり(誰か知らない)は、高い所にいたが、そこまで行くための石の階段があった。この渓谷全体が地元の人の神頼みの場所だったのだろうか?中津川は、仁淀川(によどがわ)にそそぐのだ。だから、中津川の色を「仁淀ブルー」というのだという。仁淀川の語源をバスの中で聞いた。川の流れが、大阪を流れる淀川に似ているので、「似淀川」としたが、あとで「似」を「仁」に変えたそうだ。大阪の淀川は、大きな川だというので憧れて、名前をつけたのだろうか。 ■中津渓谷■仁淀川(によどがわ)町役場電話番号:0889-35-1083Fax番号:0889-35-0571〒781-1592 高知県吾川郡仁淀川町大崎124番地 ・・・・・・・・・・・・ ・・・・・・・
2014.10.16
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フェイスブック:いいね!は、ええやん!…関西弁を追加毎日新聞 2014年10月08日 20時29分 米交流サイト大手のフェイスブックは8日、利用できる「言語」として新たに関西弁を追加した。他人の投稿内容を気に入ったことを示す●「いいね!」が「ええやん!」になるなど機能の表示が関西弁になる。●ほかの表示は「コメントする」が「つっこむ」、●「今どんな気持ち?」が「なにしてるん?」、●「友達、スポット等を検索」が「友達、スポットを検索せえへん?」。「シェア」を「わけわけ」としている点には「ピンとこない」との声も。利用するには、言語設定の「日本語(関西)」への変更が必要。(共同)先日、NHK教行きテレビを見ていたら、ユネスコが沖縄の言葉が消滅の危機にあるということを言ったといっていた。日本には、以下のように死滅寸前の言葉がある。【極めて深刻】アイヌ語【重大な危機】八重山語(八重山方言),与那国語(与那国方言)【危険】八丈語(八丈方言),奄美語(奄美方言),国頭語(国頭方言),沖縄語(沖縄方言),宮古語(宮古方言) 関西弁は、オワライなどの世界で活躍する人が多いからなんとか頑張っているが、オワライ芸人たちが東京に進出しているということは、彼らもいつかは、関西弁を使わなくなるかもしれない。先日、世界中から注目された■スコットランドの独立■がある。スコットランドは、もとはゲール語を使っていたが、イギリスとの合併によって、ゲール語を話す人が少なくなった。そこで、テレビでゲール語のCMを流すなどしているという。言葉はそこの生活に根差したものだ。たとえば、私たちは「寒い」という言葉を使うが、北海道では「しばれる」という表現がある。寒いという言葉では表現できないほどの寒さ。寒さの違いが言葉であらわれている。沖縄の言葉は、たんに日本の方言ではなく独立した言語だとユネスコや言語学者は考えている。アイルランドのように、沖縄もCMは、「島言葉(くとぅば)」にするなど、政府にも考えて欲しい。そんなことを考えている私は、今回のフェイスブックの「関西弁」を使うことを認めたのが嬉しい。 言葉は多い方が「ええやん!」!!愛読書が「全国アホバカ分布図」という言葉オタクな私は思う。■八重山方言:ぱ行とは行■・・・・・・・・・・・・ ・・・・・・・
2014.10.14
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◎菊花開く(きくのはなひらく)◎10月13日~17日ひとくちに菊といいましても、早いものは8月の立秋から、10月後半くらいに渡り、さまざまな種類がそれぞれの花を咲かせます。菊花展というのは、丹精込めた代林の菊の出来を競うように開く展覧会で、こちらは11月くらいから始まります。 菊はどこへ行ってしまったのだろう・・・。秋の花の主役だった菊は、今や絶滅危惧種のように見ることはない。華やかな、西洋花が家々の庭や植木鉢を飾っている。菊花展も見ることが少なくなった。葬式の時に使われるから忌み嫌われているのだろうか?生け花なら使えるかもしれないけれど、床の間がない今の住宅事情では仕方がないのかもしれない。 うちには、もうすぐ小菊が咲く。咲いたら今年も、蓋が壊れた砂糖壺に飾ろう。 日本の四季には七十二もの季節、すなわち「七十二侯」があります。それは一日一日を、愛おしく、大切に、慈しみながら過ごしてきた日本人の豊かな季節感。七十二侯のうつろいに寄り添いながら楽しむ、 古くて新しいくらし、はじめてみませんか。■くらしを楽しむ七十二侯■◎9月17日~21日◎玄鳥(つばめ)去る◎8月12日~16日◎寒蝉(ひぐらし)鳴く◎7月1日~6日◎半夏(はんげ)生(しょう)ず◎6月16日~20日◎梅子(うめのみ)黄(き)ばむ◎5月10日~14日◎蚯蚓(みみず)出(い)ずる◎4月4日~8日◎七十二侯:玄鳥至る(つばめきたる)◎3月5日~9日◎蟄虫(すごもりむし)戸を敬(ひら)く◎2月24日~28日◎霞(かすみ)始めてたなびく◎1月11日~15日◎水泉(しみず)温(あたた)かを含む・・・・・・・・・・・・ ・・・・・・・
2014.10.13
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■9月28日前日■バスで立ち往生してしまった■ので、8時過ぎに宿入り。まわりの景色など見る間もなかった。夜が明けて、早朝、見ると、雲海に囲まれた山々・・・。朝早いのに、沢山の人が雲海を満喫していた。この宿は、高知県と愛媛県の県境の間上にある。宿に中にも、県境が・・・。8時に修理済の昨日のバスで出発。窓から見える、カルスト高原の風景。昨日の分もと見た。いい天気だ。・・・・・・・・・・・・ ・・・・・・・
2014.10.10
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♪■真っ黒龍馬■を後にして~バスが向かったのは、高知県と愛媛県の県境にある四国カルストの中に位置する天狗高原の1485メートルの宿まで2時間以上の行程。宿には6時過ぎに着く予定。しかし、ここでとんでもないことが・・・。バスがトンネルの中で止まってしまって動かない。オレンジ色の光は、トンネルの灯り。白く見える光は、外の光。20分以上たって、やっと、トンネルから脱出。やれやれと思ったら、またストップ!!必死に直そうとしている運転手氏。しかし、私だったらと夫に言った。「私だったら、宿に頼んでミニバスを2台頼むわ。」添乗員氏もそう思ったのか、宿に電話したらしい。しかし、宿は、ミニバスは持っていなかった。宿の配慮で、この近くを廻っている路線バスを手配してくれることになった。しかし、業務が終わってからとのこと。待つこと2時間。やっと来たバスに荷物を乗せ、乗り込み、出発する時、大阪から来た運転手氏が深々と頭と下げた。彼は、ひとり残ってバスの修理が来るのを待つのだ。「可愛そうになぁ・・・。」とみんな口々に言う。「どないなってんねん、ゆうて怒る人がおらんでよかったな・・・」と見知らぬ人が言っていた。「あの兄ちゃん、イケメンやから、許すわ。」とまた違う人。はたまた、「運転手が若いから、安心していたんやで。年寄やったら、途中で倒れたら大ごとやしな。でも、車がポンコツやった・・・。」みんな優しいな・・・。・・・・・・・・・・・・ ・・・・・・・
2014.10.09
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■リスボンに誘われて:あらすじ■ ページをめるくるたび、人生が色鮮やかに輝いていく。スイスのベルンにある高校で、古典文献学を受け持つ57歳の教師ライムント・グレゴリウス(ジェレミー・アイアンズ)は、ラテン語とギリシア語に精通する知性と教養に溢れた人物。チェスの名士で、同僚や生徒からも畏敬される存在だった。5年前に離婚してからは独り暮らしで、平凡な毎日の繰り返しだったが、大きな不満もなく過ごしていた。ところがある嵐の朝、その人生は大きく変わることとなる。学校へ向かう途中、吊り橋から飛び降りようとした赤いコートのポルトガル人女性を助けた彼は、彼女が残した一冊の本に目を通す。そこに綴られた一言一句に、ライムントの魂は大きく揺さぶられる。本に挟まれていた切符を届けるために駅に走ると、何かに取りつかれたように衝動的にリスボン行きの夜行列車に飛び乗る。リスボンに到着して真っ先に訪ねたのは、本の著者アマデウ・デ・プラド(ジャック・ヒューストン)の家。さらにその妹や親友を訪ね歩くにつれて、若くして亡くなったアマデウの人生が徐々に明らかになる。独裁体制下の激動の日々を生きた彼の誇りや苦悩、レジスタンスの同志との友情と裏切り、生涯を賭けた情熱的な恋……。アマデウの人生を辿るその旅は、ライムント自身の人生を見つめ直す旅でもあった。そして遂に、アマデウが本を著した本当の理由に辿り着くが……。 私は、端っこに魅かれる。昔、アイルランドに行ったのも、イギリスの端っこに行ってみたかったから。ポルトガルの首都、リスボンは、ヨーロッパの端っこの首都。アフリカが見えそうな国。そんな端っこに国に、ヨーロッパの真ん中のスイスから電車で行けるなんて、ヨーロッパは、すばらしい!!能天気に考えていたら、ポルトガルは、1970年代まで、レジスタンス(民主化運動)の嵐が吹き荒れていた。現代に生きる50代の男性教師ライムント・グレゴリウスはふとしたことからリスボンへ。この人のスイスの家がいい。いかにも、インテリらしく壁一面に本棚がある。キッチンは、コンパクトだけれど、多くの色が使われていないから、すっきりしている。どうして、外国のキッチンは、こうもカッコいいのかな・・・?ライムントは、ふとしたことから知った名もなき男、アマデウの本の真実を知りたいと思う。本の時代は、1970年代。まさに民主化運動で揺れる時代だった。1970年代と現代が交互に進む。1970年代、レジスタンスの同志で美しい女性を助けたアマデウは、ポルトガルを脱出する。その時、アマデウは、「一緒に、何処か遠く、アマゾンあたりへ行こう」と誘う。彼の誘いを彼女は断る。なぜなら、それは、彼の望みであり、彼女の望みではなかったからだ。これって、よくあると思う。例えば定年になった夫が、「どこか田舎に住もう」と言いだした時、妻は断る。妻には、まだ仕事があるかもしれないし、近所には知り合いもいる。孫や娘たちも時々会う。それを「遠くへ行こう」というのは、夫は、これまでそれらをないがしろにして来たからだと思う。まあ、アマデウは、命がけで女性を守ろうとしたのだから、一緒にはできないけど・・・。彼女の望みは、アマデウと一緒に、平凡に暮らしたかったのかもしれない。見終わって、チラシを物色していたら、偶然出会ったらしき、男女が「やっぱり押さえてますね・・・」と談笑していた。この映画、評判がいいのかな・・・。古い石畳と坂と路面電車と海・・・。私もリスボンに誘われた。監督は■マンデラの名もなき看守■など多くの作品を撮っている。すべてを投げ出して、どこか遠くへ行き、別の人生を始めてみたいと思ったことはありませんか?これは誰もが一度ならず願っては諦める、そんな「大人の夢」を実行した、ある男の物・・・・・・・・・・・・ ・・・・・・・
2014.10.07
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♪チャンチャカ、チャカチャカ、チャンチャンチャン・・・(某国営放送の料理番組の音楽)みなさん、こんばんわ。 天地 はるなの「ごちそうさん歌」の時間がやって来ました。夏の間に沢山食べた■タコとトマトのカルパッチョ■。そのカルパッチョも使ったアンチョビペーストが残っていませんか?その残ったアンチョビペーストを使ってサンドイッチを作ってみましょう。<材料>*ゆで卵 1個*アンチョビペースト 小さじ1/2*レモン汁 小さじ1*コショウ 少々*マヨネーズ 大さじ1*サンドイッチ用パン <作り方>1.茹で卵を潰す。2.アンチョビペースト、マヨネーズコショウ、レモン汁で味をととのえる。3.サンドイッチ用パンにぬる。簡単ですね♪アンチョビペーストでもなんでもちょっとだけ残るって、嫌ですよね。これですっきり!!冷蔵庫も「老前整理」!?それでは、また、お会いしましょう・・・。♪チャンチャカ、チャカチャカ、チャンチャンチャン・・・。砂浜のランチついに手つかずの卵サンドが気になっている俵万智・・・・・・・・・・・・ ・・・・・・・
2014.10.05
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■ジャージー・ボーイズ:あらすじ■♪音が出ます!夢、栄光と挫折・・・。それでも僕らは歌い続ける。ニュージャージー州の貧しい地区に生まれたフランキー・ヴァリ(ジョン・ロイド・ヤング)、ボブ・ゴーディオ(エリック・バーゲン)、ニック・マッシ(マイケル・ロメンダ)、トミー・デヴィート(ビンセント・ピアッツァ)。希望のない町に生まれた4人は、自分たちの音楽だけで夢のような成功をつかみ取る。彼らはザ・フォー・シーズンズとして、『シェリー』、『恋はヤセがまん』、『恋のハリキリ・ボーイ』、『悲しき朝焼け』、『悲しきラグ・ドール』、『バイ・バイ・ベイビー』、『愛はまぼろし』、『君の瞳に恋してる』といった数々の名曲をヒットさせ、音楽界に不滅の伝説を打ち立てていく。しかし、そのまばゆいばかりの栄光ゆえに、裏切りと挫折、別離、家族との軋轢といった不幸が彼らを襲う……。 60年代に数々のヒットを生んだ4人組グループ、ザ・フォー・シーズンズの栄光と挫折を描きトニー賞に輝く大ヒットミュージカルを、クリント・イーストウッド監督が映画化した人間ドラマ。ニュージャージー州の貧しい地区で育った青年たちが体験する出来事の数々を、大ヒットナンバーに乗せて描き出す。 ♪シェーリー、シェリベイヴィ、シェーリー・・・この曲が流行ったのは半世紀くらい前。懐かしい「シェリー」を歌っていた、グループ、フォー・シーズンズの夢と栄光と挫折を描いた映画。私は日本語のカバー曲(その頃は洋楽のカバーが大流行り)で聞いて、歌っていた。この映画を見て、フォー・シーズンズのことがいろいろ分かった。♪名前、フォー・シーズンズの由来。それまで、いろいろな名前で出ていたが、ある時、ボーリング場のネオンサインが「フォー・シーズンズ」なのを見て、これだ!!とひらめいた。「フォー・シーズンズ」と名乗ると、プロデューサーは、『フォー・シーズンズ』、ビバルディね」と言う。ビバルディの有名な曲「四季」と同じ名前というわけだが、クラッシック音楽とは無縁の彼らは、「???」。♪不良少年時代彼らは不良少年だった。イタリア移民だったフランキー・ヴァリは高校にも行っていない貧しい家庭。不良仲間とコソ泥ばかりしていた。ギャングにならないのが不思議という環境にいたのだ。それを分けたのが、音楽。フランキー・ヴァリの裏声と「シェリー」他多くのヒット曲を書いたボブ・ゴーディオがいたから。「シェリー」が出来あがる時の、裏話なども興味深い。このほか、裏切りや家族との不和なども描かれていた。名声を得てから、不仲になり、脱退するものが出たなどなど・・・。 見ながら思ったのは、1960年代後半にデビューした京都出身の5人組■ザ・タイガース■のこと。ザ・タイガースも、京都でチョイ悪少年だった。彼らが悪に行かなかったのも、音楽があったから。ジュリーをスカウトして、上京、瞬く間にスターに・・・。しかし、ジュリーとトッポの不仲でもめる。トッポは、脱退。続いて、ピーも辞めると言ってザ・タイガースは解散に・・・。昨年、5人揃って演奏したのは、なんと44年ぶり!!フォー・シーズンズも、何十年ぶりかに、ロックの殿堂入りで全員揃って歌う。フォー・シーズンズのメンバーが物語を展開していくような手法も楽しかった。「ジャージー・ボーイズ」はブロードウェイの傑作ミュージカルの映画化だ。舞台でフランキー・ヴァリ役の人はもちろん、ボブ役など多くの人がこの映画に出ている。フランキー・ヴァリやボブもスタッフとして参加している。ミュージカルの楽しさが映画にも反映されていて楽しめた。私は、60年代は10代。いい曲がいっぱいあった時代に感謝する。・・・・・・・・・・・・ ・・・・・・・
2014.10.03
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■柘榴坂(ざくろざか)の仇討(あだうち)■ひたむきに生きる。安政七年三月三日、江戸城桜田門外で大老の井伊直弼(中村吉右衛門)が襲撃され殺害される。主君を守り切れなかったことを悔やんでも悔やみきれない彦根藩士・志村金吾(中井貴一)のもとに、仇を討てとの藩命が下る。明治の世になり時代が大きく変わっても武士としての矜持を持ち敵を探し続ける金吾。一方水戸浪士・佐橋十兵衛(阿部寛)は井伊直弼殺害後、俥引きに身をやつし孤独の中に生きていた。そして明治六年二月七日、仇討禁止令が布告される……。 歴史小説から現代劇まで幅広いジャンルを手掛ける浅田次郎の短編小説を、『沈まぬ太陽』の若松節朗監督が、中井貴一&阿部寛主演で映画化した人間ドラマ。主君を失い、切腹することを許されずにただ仇討を続ける男と、その最後のひとりの男との運命的な出会いが、江戸から明治へと移り変わる激動の時代を背景に描かれる。中井貴一のファンで、テレビドラマ「最後から二番目の恋」、かかさず見ていた。なんか、三枚目だけどいい人っていうイメージ。彼のお父さんも素敵だったな・・・。名前?佐田啓二。「君の名は」の主人公!!スゴイハンサムだ。もうひとりの主人公、阿部寛は、■テルマエロマエ■で、その濃い顔を生かして、古代ローマ人役( ̄m ̄*)「ノンノボーイフレンド大賞」でデビューした時、なんと美しいと思った。今や、三枚目もこなす。そんな2人に原作者は浅田次郎。江戸から明治に移る時代の流れって、本当に画期的だったのだと思う。これまで結っていた髷を切りざんぎり頭に。着物から洋服に着替え、刀を捨て、武士という職業を捨て・・・。その流れに乗れたのは、薩摩、長州、土佐などの一部の元武士だけ。その証拠に役人たちの言葉は、薩摩の言葉だった。彦根藩士・志村金吾(中井貴一)は、波に乗れない人だった。明治から数年たっても、髷に袴姿、腰には、大小の太刀。そして、かたき討ち。その姿を皆、奇異の目で見ている。ある時、武士姿の男に金を返せという数人の町人(元)の姿を見た志村金吾。目に余る町人(元)態度に、「もう少し待ってやってくれないか」と言う金吾。しかし、元町人は、今度は、金吾をバカにする。すると、あちらこちらから、元○○藩士、**、元○○藩士・・・と金吾に加勢する人たちが・・・。彼らは、皆、姿かたちはもはや侍ではないが、心は侍だとういうこと。姿形を変えても大事なものまでは、変えていないという心意気だった。その元藩士の中に、ケミストリーの堂珍がいた・・・(^-^)奥さんに頭の上がらない役人に藤 竜也が好演。仇討をした後、切腹というのがコースだったらしい。そして、妻も後を追うというのも・・・。仇討が終われば、どっちみち死ぬことになる。中井貴一にも、阿部寛にも死んでほしくないと思いながら見ていた。桜田門外の変の朝は雪が降っていた。この映画の大事なシーンには雪が降っていた。・・・・・・・・・・・・ ・・・・・・・
2014.10.01
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