おしゃれ手紙

2019.12.03
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カテゴリ: 映画
わたしは光をにぎっている

しゃんとする。どう終るかって、たぶん大事だから。

宮川澪は早くに両親を亡くし、祖母・久仁子が親代わりとなり彼女の元で育った。
久仁子と二人で長野県の湖畔にある民宿を切り盛りしていたが、久仁子が入院。
民宿を閉めざるをえなくなり、それを機に澪は父の親友・京介を頼り上京し、京介が経営する銭湯に身を寄せる。
都会の空気に馴染めずにいたが、目の前のできることからひとつずつ、という久仁子の言葉に押され、居候先の銭湯を手伝うように。
やがて昔ながらの商店街の人たちとの交流も生まれ、澪は都会暮らしの中に喜びを見出していく。
しかし区画整理によりじきに銭湯を畳まなければならず、それを知った澪は戸惑いながらもある決意をする。

 映画を見ていて、なんとも腑に落ちないところが多かった。

その1.
父親の親友だという男性に若い女性を預けるだろうか?

その2
父親の親友も、頼まれたら、はいはいと預かるのだろうか。

その3
もし、知り合いに世話になるなら、気持ちだけでも、家賃なり食費を入れてしかるべしなのに、そのような様子は見えなかった。


それに、主人公、澪は、無口を通り越している。
銭湯の店番をしているなら、愛想よくしないと・・・。
「このこは、不器用だから・・・」と言われるが、不器用では、やっていけない。
最低限の口数は必要だ。

とまぁ、怒りにもにた気持ちで見ていたが、最後は、「ちゃんと終ろう」と言い出したのは、居場所を見つけたとことによる進歩なのだろう。
江戸時代、江戸の町で繁盛した湯屋。
当時湯に入るために必要な料金が一銭だったことから「銭湯」と呼ばれるようになったという。
日本伝統の文化で、江戸時代に大繁盛した銭湯も、内風呂の普及や重労働による後継者不足などで徐々に減少。
東京都では昭和29年に約2200軒あった銭湯が、現在では560軒ほどとなっている。

 タイトルの「私は光をにぎっている」は、明治から大正にかけて活躍した詩人山村暮鳥の詩『自分は光をにぎつてゐる』。
しかし、映画とのつながりは、分からない。( ;∀;)

『自分は光をにぎつてゐる』



自分は光をにぎつてゐる
いまもいまとてにぎつてゐる
而もをりをりは考へる
此の掌(てのひら)をあけてみたら
からつぽではあるまいか
からつぽであつたらどうしよう
けれど自分はにぎつてゐる
いよいよしつかり握るのだ
あんな烈しい暴風(あらし)の中で
摑んだひかりだ
はなすものか

おゝ石になれ、拳
此の生きのくるしみ
くるしければくるしいほど
自分は光をにぎりしめる
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Last updated  2019.12.03 00:28:33
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