おしゃれ手紙

2021.07.10
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カテゴリ: 昭和恋々
ちゅん太 ある大阪府・堺市民の戦中・戦後<1>学童疎開の息子が欲しがったもの

■1945(昭和20)年5月25日。
主人が大阪府堺市の市役所へ連絡のため深井から帰って来た夜、私は三男を出産しました。
「やれやれ良かった」と思いました。
靴空襲のおりは、子供を無事に避難させたいと思い、乳母車に少しある、食料を用意しておりました。
枕元には、リュックサック、防空頭巾と、*さら*(新品)の靴を用意し、いつでも逃げられるようにしておりました。
絣のもんぺ 家の中には、階段の下に箪笥で空間を作り、
一時避難できる用意をしておりました。

 火気から少しでも防ぐために、豪の中の火鉢に水をいっぱい入れました。
戦後掘りだしたときには、火鉢の水は、全部蒸発していました。

子どもたちだけなので、豪の蓋をし、火が中に入るのを防ぐために蓋と、石炭箱二杯の砂を用意しておきました。

瀬戸物は床下に穴を掘って、埋めておきました。
戦後に掘り出してみると、熱で形が、歪んでいるものが沢山ありました。
過去帳、両親の写真、預金通帳を一つのカバンに入れ、いつも身近においていました。
たまご 雑炊のある日は、大きい子ども二人は、ご近所の人に20分も歩くところまで、食べに連れて行ってもらったこともありました。
近所でうどんの配給時には、妊婦である私は、お鍋を持って買いに並びました。
妊婦用の卵のチケットがあっても買えない日がほとんどでした。
 子ども用のパンの配給は大体買えました。
マッチの配給もありましたが、配給だけでは足りませんでした。

インク壷
親戚の家から戦争中と戦後の暮らしを書いた文章が出てきた。
書いたのは、この家の主婦、晶子(仮名)。

以下の文章は、名前や、読んでいる人に分かりやすくするために、少し手を加えている。
 堺の空襲 1945年(昭和20年)7月9日
被災場所:堺市戎町・全焼

★夫:中田 春彦 38歳:国民学校教員
☆妻:   晶子 34歳:(記録)
☆長女:  信子 15歳:女学校4年
★長男・  良一 12歳中学1年
★二男:  清二 9歳国民学校4年
☆二女:  洋子 5歳
★三男:  謙三 生後50日(以上、仮名)

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Last updated  2021.07.10 02:19:56
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