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今日から2階の整理に入る。客間で大きいのは、本箱・サイドボード・天袋というところだ。本のほうは、全集などが多いので廃棄できるものはほとんどない。サイドボードもほとんど廃棄するものはなく、引きだしの雑物を捨てた程度。ただ本箱の上においていた、壺などはすべて下におろす。万一地震があっても大丈夫なように。天袋には、賞状とか、免状、掛け軸などが結構入っている。あと、どこのどなたかわからない(父の会社の人たちか)がたくさん入っていたが、これらは処分させてもらうことにした。次に現在は使用していない部屋の押し入れの下半分(上半分は前にしたので)中に入っている、布団や衣類をすべて外にだし、整理して、洗濯が必要なものは洗濯をした。古い布団は処分する。やはり布団などは重いので体力が必要だ。そして、和ダンスの整理をする。ここで処分するものは少なかったが、古い肌襦袢や流行遅れの和装バッグなどは処分する。作業量は結構多くて厳しかったが、あとは寝室だけとなった。しかし、ここは伏魔殿というよりはお化け屋敷かもしれない。
2015年04月30日
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昨日は結構ハードだったので、早い目に眠ったが目覚めも早かった、6時半ぐらいに起きて結局9時ごろからいままで荷物をだしたところのこまごまとした部分を整理しお手洗いを隅々まできれいにした。細かい作業だが結構時間がかかった。同じようなものはまとめて置いておくと、次探すときに便利だ。あと、まだ使えるけどもという品物で、バザーに出すと言う人がいたのでお譲りした。重いものは下にと、地震がきたときの対策も多少は考えている。とにかく、これで半分以上の道のりを進んだ。自分にばんざい。
2015年04月29日
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今日はお天気もよかったので、恒例のお墓参りに行ってきた。母がこの時期に誰かの命日があるからというので、ずっといっていたのだ。私もはっきりわけはわからないが、ゴールデンウイーク前には行くようにしている。帰ってきて、いろんなところを片付けたけど、使っていない部屋の押し入れが、気になったのでそこも整理することにした。ところが、天袋も含めて大量の品物が出てきた。父母のが昔に使っていた外出用の衣類や昭和50年台と思われるいただきもの、瀬戸物の類等。昨日の納戸に勝るとも劣らないぐらいの量だった。結局古い衣類はすべて処分し、その他のものも整理して、まだ、使おうと思える品物だけを残した。番外だったが相当に重労働だった。しかし大きなものは全て片付けることができた。4月中にはなんとか1階はすっきりできるだろうという目途がついてきた。
2015年04月28日
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ジャージー牧場でジェラートを食べた後は、一路旅館に向かう。4時半過ぎぐらいに到着したので、まずは大浴場でのんびりとする。少しぬるめの濁り湯である、部屋数が少ないので、他の客と顔を会わせることは滅多にないのでお風呂はゆっくりできる。もちろん露天風呂もある。そして、いよいよ夕食である。 桃の食前酒前菜 縁側の柚子和え、烏賊このわた 橘玉子 甘エビ酒盗 甘鯛雲丹焼き 手綱寿司 雲丹とろろ ユバ豆腐先付け ふぐのネギ巻き 造り ほうぼう 細魚 かわはぎ サザエ スズキ椀もの 蛤豆腐 (向こうの人が出汁に自信ありといっておられたが絶品の出汁でした)台物 丹波牛の石焼 酢の物 茹で紅がに ご飯 丹後ばらずし デザート キウイとイチゴ 朝食 食事もお風呂も満足、お部屋ではドリップコーヒー飲み放題 宿をでて、丹後松島という、海に小さな島が沢山浮かんでいるところに向かった、確かにきれいなのだが、もやがかかって写真ではいいものがとれなかった。海が澄んでいて、白砂の海岸が多くてとても素敵だった。浦島神社に向かう風土記に載った、浦島太郎の伝説のもとになった亀を助けて竜宮にいったという浦島子を祭った神社で、浦島子は月読命の末裔だとか 。前回いった天橋立とは別の方からみた形。こちらは遊園地という感じで、モノレールにのって昇る形になっている。 モノレールから降りて文殊堂にお参りする。これで、1時半になったので一路自宅へと向かう。いろんなところを見て、おいしいものを食べて満足だった。 (今日のお掃除)ボイストレーニングの体験にいって、腹筋が意外と弱っていることを発見これを頑張らないといけないかなと思っている。今日のお掃除は廊下の大型納戸をきれいにしないといけなかった。なんとか帰ってきて、全てを外に出して、内容をチェック中には昭和50年代の物等があった。古いもの期限切れのもの、変色しているものなどを廃棄して、再度元に戻した。あとは廃棄の処理が残っている。
2015年04月27日
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今回の旅行は、京都久美浜にある、ちょっと素敵なお宿「いっぺん庵」の旅行である。ここは主にはカニの季節に何度かいっているが、温泉がにごり湯であること、部屋が8室でコテージ風に独立していることなどが魅力だ。朝8時に出発、意外と混んでいると思いながら、10時半には道の駅「かや」に到着する。ここにはかつて1985年まで運行していた加悦 鉄道というのがあったが、その後廃線になった。その跡地に、各地の機関車や客車などが展示されている。思いきりここでは写真をとった。 道の駅ではちりめんをはじめとして、絹製品などが沢山販売して入る。次に、丹後ちりめん歴史館にいく。写真は丹後ちりめんのうち掛け。ここでもかつて織られていた自動織機が稼働している。こちらは泉州の人間なので、絹物のことはわからないが、タオル、綿製品を自宅で織っていたいた女性が多いのでこの雰囲気は十分わかる。今回は白生地でそこそこの柄があったので、そのまま買って、コーラスの時のブラウスに仕立ててもらうつもりだ。 僧行基が開刹したと伝えられる、如意寺。なかなか立派な門構えで、季節ごとに美しい花がさくというので花の寺とも言われている。今回はあまり花はなかったが、山芍薬が咲きかけで、他にくりんそうや米つつじなどが咲いていた。 そして稲葉本家へと向かう。ここは地元の豪商で、近隣の藩の金融をいってに仕切っていたらしい。ここは、2階にある新婚の間というところで、3部屋ぐらいあった。おそらく若夫婦の部屋だとおもう。広い庭が2か所あり、全部は回れなかったが、1階には何部屋もあったようだ、その当時の食器なども飾られたあった。 稲葉家の所蔵品の屏風と鎧飾り。蔵が3か所あり、それぞれにギャラリーになっていた。これは木で作られた作品。 次にジャージー牧場というところに向かう。乳牛たちは牛舎にいたが、子牛たちは外で遊んでいたので、パチリ。ほかにも羊はウサギ、あと猫たちが勝手に遊びにきていた。 (今日のお掃除)なんとか、リビングキッチン終了して、第2セット終了明日はいよいよ我が家の伏魔殿 廊下の納戸に挑戦するのだ。
2015年04月26日
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伊達娘恋緋鹿の子(だてむすめこいのひがのこ)火の見櫓の段「豆知識」井原西鶴が「好色五人女」でとりあげ有名になった女性。火事で寺に避難した時に出会った寺小姓吉三郎が忘れられず、また火事になったら彼に会えるかと自宅に放火してひあぶりになったとされる八百屋お七の話がもとになっている。ここでは、恋に我を忘れる浅はかな娘として書かれている。この話は、歌舞伎、文楽、読み本、落語、小説などにいろいろ脚色、解釈されている。この話では、お七は恋する男の危難を救うため、重罪(死刑)を顧みず火事でもないのに半鐘をたたき町の木戸を開けさせるという設定になっている。 この設定で、人形が火の見やぐらに上っていくという普通(人形の後ろから人形遣いがあやつる)ではなくお七はは観客に背中をみせ、裏側から人形をあやつる形を見せる。「前提」お七は以前の大火で避難した寺で知り合った寺小姓の吉三郎と恋仲になった。吉三郎は、さる藩の若殿の家臣で、若殿が内裏へ献上するはずの宝刀を紛失したため、宝刀のありかを探している。猶予をもらったのは100日である。その間必死になって探しているが行方はわからない。もしみつからなければ責任をとって切腹しなければならない。とうとうその期限が今日に迫ってきた。その時、お七に言い寄っていた武兵衛という男がその宝刀を盗み出し自宅に隠していることを知る。お七の家の下女お杉が武兵衛の家にしのびこみその宝刀を取り返してくることになっている 。 家を出て今か今かとお杉を待っているお七。遠くで九つの鐘が鳴りだした。さあたいへん、この鐘が鳴って以降は各町内は町の木戸を閉じる。どのような用事があってもこの木戸は開かれることはない。ただ、火事の時は人を逃がすために木戸は開けられることになっているが、万一 偽の半鐘等を鳴らして木戸を開けさせたものは死刑になるほどの重罪だ。そこでお七は思う「もし木戸が閉まって吉三郎様が刀を届けられなければ、吉三郎様は切腹する。そうなれば私も生きてはいられない。しかし、この木戸が開いて刀を届けられれば吉三郎様は生きていられる。ここで半鐘を鳴らせば木戸をが開くだろう。いずれにしても私は死ぬ身なれば、せめて吉三郎様のお役に立って死のう。」決意したお七は、髪降りみだし片肌脱ぎになって凍てついた火の見櫓の梯子をすべりながらも一歩一歩と昇っていくのだった。そして一心に半鐘を鳴らす。そこへお杉と丁稚弥作が刀を武兵衛宅から奪い返して、走ってくる。武兵衛の方もそうはさせじと、仲間とともに追いかけ乱戦になる。お七は火の見櫓から降り、お杉から刀を受け取って夜道を吉三郎のもとへとひた走るのだった。
2015年04月22日
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天網島時雨炬燵(てんのあみしましぐれのこたつ)「豆知識」もともと近松門左衛門が実際にあった心中事件にヒントを得て描いた「心中天網島」(しんじゅうてんのあみしま)が人形浄瑠璃や歌舞伎で演じられたが、それをさらに近松半二改作 したもの。原作では主人公の心の葛藤から心中に至るが、改作では主人公は人殺しまでしてしまい、心中するしかない状況に追い詰められていく。また敵役がより意地悪な性格になっている。「前提」主人公紙屋治兵衛は妻子がありながら、遊女小春と深い仲になり身請けをする金もないので、別れるくらいなら心中しようという約束までしている。妻おさんは「心中されたら、私は良いが残された子どもが後ろ指をさされみじめな思いをする、男の命を大切に思うのであれば、なんとか心中を思いとどまり夫と別れてほしい。」とこっそり小春に手紙を出した。それを読んだ小春は治兵衛に愛想尽かしのセリフをいったので、治兵衛は小春と別れる決意をした。 江戸屋太兵衛と言う男が紙屋治兵衛の家を訪れ、昨日お前が私に返した金は贋金だった。どういうことか、と言いがかりをつける。その片棒を担ぐ坊主もやってきて、遊女にいれあげて贋金を使うほど落ちぶれたかといやがらせを言う。あまり悪口をいわれるので思わず脇差に手をかける治兵衛。(太兵衛というのがあんまり悪過ぎて、言い方も大げさなので悪と言うよりは滑稽に見えて、観客はくすくす笑っている。)そこに治兵衛の兄孫衛門がやってきて、仲裁に入る。小春の遊女屋の親方がきて、小春が太兵衛と駆け落ちするといって姿をくらましたと言ってくる。(ここで、小春の書き置きというのをみて、太兵衛は小春が自分を本当は好きだったと言うのを信じ込み、大喜びの有頂天の様子がまた、笑わせる)贋金の件はインチキだったということを孫衛門が見破り、二人は帰っていく。おさんの母親きて、小春と治兵衛は別れたと言う事だからそれをはっきり紙に書いてくれと言う。そして兄ともども帰っていくのだった。治兵衛は炬燵に入って涙を流し出す。おさんはそれほど小春に未練があるのかと口説くが、治兵衛は「そうではない金が続かないから小春から手を引いたと世間に思われるのがくやしいのだ。」と・・・(しかし、家族を泣かせて男の見栄とか言ってる治兵衛とうのはなんて自己中なのだろうとあきれる。)治兵衛のことは小春は愛想尽かしをしているのだと説明を聞いたおさんは慌てる。おさんの願いをきいて治兵衛に偽の愛想尽かしをして太兵衛と一緒になるといったとしたら、小春は一人で死ぬ覚悟なのだということがわかったからだ。そこまでしてくれる小春をみすみす死なすわけにはいかない。なんとか身請けの金を用意してとへそくりから、着物かんざしのたぐいまで集めてくる。なんとか手付だけでもうって、身請けしてやってほしいと懇願するおさん。(とにかくよくできた女房である。男はまったく勘が働いていない。好きな女の心の中も読みとれない。)「そして小春さんと一緒になってください、私は子どもの乳母なりと飯炊きなりともいたしましょう。」とけなげにいうのであった。治兵衛はおさんに両手を合わせ、出してもらった、着物やかんざしを質に入れて身請けの金をこしらえにいこうとするのであった。そこへ今度はおさんの父親五左衛門がやってきて、風呂敷につつんだおさんの着物などをみて、女房のものまで質に入れて、遊女屋にいくとは何事だ、おさんと離縁せよと厳しく迫まる。おさんは、もとはといえば五左衛門の商売の金を治兵衛が用立てたが、それが返済されないが舅のせいだとは治兵衛も世間にはいえず、形ばかりのくるわ通いをしてその為に金を使ったと言うことで、舅をかばっているのではないかととりなす。小春が治兵衛を訪ねてきてそっと立ち聞きしている。五左衛門は聞く耳もたず「いまからおさんとお末(治兵衛とおさんの娘)は連れて帰る男の子は男親が育てればよかろう」と、強引に二人を連れていく そのあとで小春が姿を見せる。「先ほどの様子を聞かせてもらったが、奥さまに申し訳なくて・・・離縁といわれるのも私のせいですね。」ふたりはおさんに申し訳ないと涙を流すのであった。そこへお末が白装束になって帰ってくる「この衣装をお父様と小母さんがいるだろうから見てもらえとおじい様が言っていた。」そこには墨の走り書きでおさんから「さきほど小春さんの姿が目にとまった、あいさつもできずに申し訳ない。どうぞ二人で一緒になってください。」孫左衛門から「いままで借りていたお金をそちらの家のタンスに入れておいた、これで小春さんとやらを身請けして一緒にくらしなさい。後顧の憂いがないようにおさんとは離縁させた、二人は尼にするから。」そこで二人はびっくり小春が「奥さんが尼になるなんて、そんなことをさせるのなら私が身を引きます。」と涙を流し 取り乱す。そこへ太兵衛が戻ってきて、「わしと一緒になるはずの小春とお前がいるとはどういうことだ。」と逆上して切ってかかる。思わず治兵衛は太兵衛を切り殺してしまう。このような犯罪を犯したからには、死ぬしかないと覚悟したふたりは、家を出ていくのであった。
2015年04月21日
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文楽の話を書いている間に 食器棚の残りの部分を整理した。下の方にあるお皿や鉢など。そしていつも良く使っているもの、食器棚の上の雑物など。ばらばらになっているものを改めて並べ直す。長い間使っていないものと、普段よく使っているものの差が歴然とある。ほとんど使っていないもののうち、ほぼ使う見込みのないものが袋2つ分ひょっとして使うかもしれないものは、衣装ケースに詰め込んでこれで一つになった。食器棚の中に空間ができてだいぶ使いやすくなった。やはり食器と好みがでてくるというのが実感である。ただ、引きだしの中には、おそらく冠婚葬祭のお返しと思われる商品券が数件でてきたので、ありがたく頂いておく。 その後2日がかりでシステムキッチンの収納の整理をした。粗品でいただくラップや保存袋、布巾の数がが半端じゃないここでは、調理器具の整理も大変だった。 一度全てを外に出して必要なものだけを元に戻し残りは捨てると言うやり方だった。ストッカーなども全て片付けキッチン部分は全て完了した。(リビングの部分が若干手つかず)今日から1泊で久美浜方面に旅行にいってきます。また旅行記をお楽しみに。
2015年04月20日
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今日は文楽の4月公演の後半を見に行った。最初の出し物は「絵本大功記」から夕顔棚の段と尼崎の段「豆知識」これは「絵本太閤記」ではない。つまり太閤秀吉の物語ではなく、秀吉に敗れた明智光秀の物語である。明智光秀が謀反を起こし、敗死するまでの13日間を一日を一幕として一三幕で作られた物語である。ちょっと新しい視点でかかれた物語で人形浄瑠璃として舞台にかけられ、その後歌舞伎でも上演された。 「前提」明智光秀は、信長に罵倒され辱めをうけたことと、信長が神社仏閣の焼き打ちをすることなどが納得できずついに謀反を決意する。そして本能寺で信長を討つ。秀吉は信長死すの報を受け、ただちに戦場から引き返し、光秀を討とうとしている。一方 光秀の母さつきは、主人殺しという大罪を犯した息子を許すことができず、城をでて尼崎に住んでいる。 さつきが尼崎の屋敷に住んでいるところへ、光秀の妻操と光秀の子十次郎の婚約者初菊が訪ねてくる。さつきは「訪ねてくれるのは嬉しいが、妻としては夫の傍にいるべきだ。」といいながらも、上にあげる。孫の十次郎はどうしているかとさつきが尋ねると、操は「父上はこれから戦にでるので、私も初陣で手柄 を立てたいが、お祖母様に一言声をかけて出ていきたいと申しておりそのこともお伝えしに来たのです。」この戦いに道理はないがそこへ孫をだすのはせっかくいい子なのに悲しいとさつきは嘆いた。そこへ、一人の僧が一晩の宿をさせていただきたいと門口にたった。(実はこの僧は秀吉で、光秀の様子を探りにきたのだった。その上この僧が秀吉と見抜いた光秀があとをつけていたのだ。この時さつきは、光秀の存在に気がついている)そこでさつきは、僧を家にあげ奥の一間に案内する。十次郎がそこに出陣のあいさつにと訪ねてくる。さつきは初菊と祝言をあげたらと提案する(この時、初菊は十次郎の視線をとらえようとしているが、十次郎は顔をそむけて視線をあわさないようにしている。ここが、お互いの気持ちを上手く出していると思う。)女たちが支度している間、十次郎は一人もの思いにふけっている。この戦には勝ち目がなく自分は討ち死に覚悟をしているので、初菊と祝言をあげたら彼女がかわいそうだから、やめたほうがよいのではないか 。そのひとりごとを聞いた初菊は、飛んできて討ち死になどせず必ず帰ってきてほしいとすがりつくのだった。しかし、十次郎の決意を翻すことはできず、形ばかりの祝言を挙げた十次郎は戦場へとでかけていくのだった。さつきはそこで思い出したように旅の僧に風呂を勧める。その様子を外でみていた光秀は、風呂場の外からとっさに作った竹やりを突き入れる。しかし、そこで悲鳴を上げたのは僧でなくてさつきだった。「お前のやった主人殺しの大罪のため、後世までも名を汚すことになる。自分の身に替えてせめていまこそ善心に立ち返ってほしい。」と苦しう息の下から息子を諭す母親。しかし、光秀は気丈にも「信長は紂王 に勝るとも劣らぬ暴君であり、天命により自分は正しいことをしたのだ。」と志を曲げない。しかし、そこへ手負いの十次郎があらわれ、加藤正清(加藤清正)の軍勢にやられて味方は全滅と報告にくる。そしてそのまま息絶えるのだった。息子のために命を落とす母さつき 最愛の息子を失う操 祝言を挙げたばかりの夫をなくす初菊、三人の嘆きをきいてさすがの光秀も涙をながすのだった。光秀の生き方にも言い分はあり、家族は事情をしらず時代の渦にまきこまれていく。当時の幕府としても謀反は大罪で、そのようなことをしたら一族が悲惨になるという抑止のメッセージを浸透させるひとつの宣伝になったと思われる。 秀吉は軍装で登場して、これから正々堂々戦いで決着をつけようと光秀と別れていくのであった。
2015年04月20日
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いよいよ第2セット最大の難関。リビングの大型食器棚を整理することにした。180センチ×210センチ×45センチ(下は50センチ)おそらくというか、一日ではとても終わらない3日以上かかるというつもりで作業を開始する。当然食事の時は、食器を使うのでその間は作業が止まる。まず、普段使わないグラス類を2階のサイドボードに移動する。普段使いのものと、いろんなことに応用のききそうなシンプルなものを残す。また、母の買っていたサプリの類も賞味期限を過ぎているので廃棄する。コーヒー、紅茶のカップはいろんな種類のものを置いてたが、結局自分が好きで良く使うものを残し、あまり使わないもののうち処分するものと、少し様子を見るものに分類し、様子を見るものは割れないようにして、今までの整理であまってきたケースに入れて、これまた空いたスペースに収納しておくことにした。1年以上様子をみて、使う気配がなければその時判断しよう。たぶん2年以内に父の法事をすることになるので、その時に支障がなければいいかなと思う その他、粗品でもらう雑煮箸や、保存袋、おみやげで頂いた箸など雑多なもののうちちょっと古いなと思われるものはすべて廃棄し、整理した。自分でお客様にだして喜ばれるだろうなと思うもの、自分が使いやすいものを残すようにした。しかし、食器棚の丈が高いので上の部分を片付けるのには踏み台を登ったり降りたり、また食器自体が結構重いので まだ全体の6割ぐらいしか手をつけられなかった。
2015年04月19日
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昨日の夜遅く、住吉銘菓「さつま焼き」をいただいた、サツマイモを練り込んだ生地に包まれたこしあんがまったりとおいしかった。 今日はお寺さんがくる日だが、いつも予定より早く、だいたい8時半にこられるのでそのつもりで準備していたらなかなか来られず、どうなっているのかと心配し始めた。9時半になって、奥さんがやってきた。(これは全く想定外だった)法事があるのでお寺さんはそちらにいったということだった。いつもはもごもごと聞こえるお経も、奥さんはきっちりしっかり唱えておられ、なるほどそうかと思った(笑)奥さんが帰られてから、時間を有効活用しようと電話台の引き出しから出した電気製品の取扱説明書と保証書を点検してすでに本体を廃棄したもの期限が切れたものは処分して、ノートに50音別で何の説明書があるかを書き留めておく。もし電気製品など故障した時にはすぐチェックできるように。電話台の中には古い名刺とか、鍵、あとハンカチがたくさん入っていた。私はハンカチを集めるのが趣味なので普段使いも結構もっていたが、仕事をしなくなれば早々ハンカチもいらなくなるので古いものは処分することにした。名刺も関係ないものは焼却することにした。昼からあまりに良いお天気なので、用事も兼ねて2キロほど向こうまでウォーキングをして帰ってきた。仕事を辞めると歩くことがすくなくなるというのが実感だ。
2015年04月17日
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昨日から多少のお疲れを感じているので、小さい部分だけをすることにした。まず昨日の収納部分については完了させる。次にサイドテーブルにある引き出しを整理する。母はずっとリビングにいて、サイドテーブルの引き出しを自分の日常使う小物入れに使ったりしていたので、ここも結構雑物がある。ここでは一気に中身を段ボール箱にあけて整理する。冠婚葬祭用の熨斗袋が多数、筆記用具、ハガキなどのし袋は、以前にまとめて奥の引き出しに入れる。絶対この場所が便利と思えるものだけを中に入れ、あとは別の段ボールに入れ待機させる。他の引き出しからでてきたものとまとめて収納するほうが効率的だ。テレビ下の台からはそう多くのものがでてこなかったが、母の使っていたノートパソコンのリカバリ用のCDの類と誰かに頼んで録画してもらったらしいDVDが10枚ぐらいだが、中身を書いてないので不明、おそらく廃棄することになる。明日お寺さんがくる日なので、部屋が不用品をだした関係で、ごみなどが出ているので、改めて掃除をし直す。その他、もろもろの準備を済ませ、明日に備えることにする。何時にくるかそれが問題だ。
2015年04月17日
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今日はリビングの収納の中を全て片付け終わった、本も大分整理できた。あと私が廃棄しようかどうしようかと思案して、ためておいたパンフレットや、個人情報の入ったものが紙袋3個と少しあったので それも片付けることにした。量はそれほどではないのだが、廃棄するかどうか考えながらのことなので意外と時間はかかった。中には電気製品の取り扱い説明書などもでてきたが、すでに本体を買い替えているものもありそれは迷わず資源ごみに出していく。説明書は、ノートにどこに仕舞ったかを記録しておく。さすがに長丁場だったので、多少の疲れを感じてきたので今日ははやじまいにし、13時半で作業を終了する。夕方からはプチ飲み会トルティーヤ焼きビーフンビーンズサラダ餃子
2015年04月16日
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今日はリビングの本箱兼用の収納を片付けることにした。父母の趣味の品物や、救急用品や、健康器具(私のものではない)マスク、文房具の類そのほか旅行関係の本や実用書、趣味関係の本、プログラムの類がたくさん入っている。とりあえずすべてのものをとりだす。90センチ×180センチ×45センチぐらいの空間 であるが、私の見積もりでは2日間要すると思っていたが、ものすごい量なので絶望的な気分になる。まず棚をきれいにしてから、 ここで、まったく不必要なもの、写真などあとでまとめて片付けるもの、絶対いるものという分類をする。(段ボールを3つ持ち込んで、それぞれに入れていく) 旅行関係、料理関係の本はあまり発行が古いものは廃棄する。やはり道路事情なども変わってきているし、料理も道具が変わってきているので(昭和50年代のものあり)。必要なものがたまれば、棚に並べていき、不必要なものがたまれば分別も兼ねながらごみ袋に入れていく。13時半過ぎに大体の形ができた。今日はピアノレッスンがあるので、それから少し練習をする。そして、レッスンに。とりあえず「踊り明かそう」を弾いてみる。なんとか最後までつまりながらもたどりつく。前回よりは格段に良くなっていると先生は言われる(前回がひどかったかな(笑)私はどんなに速く弾いても180ぐらいでしか、今のところは弾けませんと言い訳し、先生ももう少しだけテンポアップでいいからと許してもらえた。ペダルの入れ方の修正と何箇所かで伴奏が楽譜通り弾くとすごい低音なので、軽快というよりは凄みに聞えるので、すこし音符の修正も入れて いこうということになった。そしてメロディラインをはっきりとということだった。(とにかく速く弾かないといけないので、しっかり、キータッチができていないのが実情だ)ということで、次回修正を入れて頑張ってみよう。
2015年04月15日
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本日のアミューズ(タケノコと鮮魚のカルパッチョ風) 今日は夕方から恒例の女子会がある。当然体調良く参加したいので、片付けはあまりよくばらず洗面所の整理を完成させるだけにする。それでも、終了までに3日を予定していたので2日だったら早い方だと思う。洗剤、お掃除用品、シャンプーなどの整理をする。捨てるにしても、危険がないように注意して廃棄する。昼からはのんびりして。いざ女子会へ。 大阪市内で有形文化財登録(築80年の木造町屋を改築)されたお店で営業しているイタリアンのお店。 実際はもう少し明るいです。アミューズは上の写真きびなご、鴨、桜エビ、ヒラメを使ったオードブルキャベツのポタージュと春野菜のサラダ真鯛を生ハムでまいてグリルしたもの。あさりの蒸しものもあってレモン風味のソースがおいしかった。フィレ肉のロースト赤ワインのソースとお見受けした、これもコクがあって美味しかった。 ブルーベリーのムース、バナナケーキ 桜風味のアイスクリーム
2015年04月13日
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階段下の収納部分については、掃除道具の小物類は別の部屋のあいた引き出しにまとめて収納した。掃除といえばそこにいけば全てそろっているという感じにした。昼前から洗面所のユニットの掃除を開始した、ここは 、水回りの掃除用品、洗濯用の品物、入浴用の品物、化粧品などが多く入っている。しかも、天井近くに収納場所があるので踏み台の昇降が結構大変だった。まず多いのが頂き物のタオル。会葬御礼に渡されるものがこちらではタオルが多い。またお店の粗品などちょっとした贈答品としてのタオルが非常にたくさんたまっている。20年ぐらい前のタオルもあった(笑)現在使っているタオルを処分して入れ替える。雑物も処分して空いた場所に家で使えそうなタオルを入れ、バザーに出せそうなものは高い所にしまって置く。また、入浴用品の中でいまの浴槽で使用できないものは処分する。いつもらったのか分からない(5年以上は前)のサンプル品などを処分する。 と言う状態、8割ぐらい片付いた。そして、町内会の廃品回収に出す新聞、古着などと、別の民間の廃品回収業者が回収してくれる可能性のある電気製品の壊れたもの、古いプリンターや金属製品などを分類して出しておく。片付けなどより、廃棄・処理は相手まかせなので、こちらのほうが大変な感じがする。 あとは掃除用品と洗濯用品の整理を残した。
2015年04月13日
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土曜日にクリーニングが仕上がってきたので、いつも収納している押し入れのその他の部分(上半分)を整理することにした。そのほかにも収納ケースの中身を点検して、必要なものと処分するものを分けた。また、大型の段ボール箱があったが、いままで中身を見たことがなかったが今回は全てチェックした。ほとんど空箱状態だったり、40年以上前の服だったりしたので全て廃棄し、段ボールも処分したので、割とひろいスペースができた。そこへ冬物を衣装ケースに入れて収納した。仕事をやめたのであまり着ないと思われるものを処分したので、衣装ケースは2つあまった。日曜日は 自分のプライベートの都合と収納に要する予定時間を秤にかけて、少し時間のかかりそうな階段下の収納を整理することにした。階段下なので比較的暗いが結構なスペースがあるので雑多なものが入っていて、私も何があるのか把握していない状態だった。最悪6日ぐらいはかかるかと思っていた。まず私の背丈以上のところの部分を整理して母の靴などを処分するその他の棚にはいろんな掃除用品とかカイロ、薬などまで置いてある。床下にも雑物があってそれらを全て廊下に出した。中途半端な整理はしたくないので、足の踏み場のない状態から始め、必要なものと不必要なもの。必要な物のグループわけと不必要なものの分別をしていく。必要なものはそのまま収納の中に整理したり、他に置き場所があるものはそちらにもっていくなど結構時間はかかったが中は非常にすっきりした。あと少し外にだしたものを片付ければ明日で完了予定。
2015年04月12日
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昨日の続き三十三間堂棟由来(さんじゅうさんげんどうむなぎのゆらい)今までの前提平太郎は5年ほど前に、土地の武士がタカ狩りの際に柳の大木に鷹の綱がひかかって、柳を切り倒そうとしているところを自慢の弓の腕で綱を断ち切り、柳の木が切り倒されるところを助ける。その後、お柳という女性と知り合って結婚してみどり丸という子どももでき、母親ともども猟師などをして暮らしている。ある日お忍びで外出している白河法皇が賊に襲われているのを夫婦で助ける。ここからが本編法皇の家臣が、助けてもらったお礼と言う事で金子などを持って家を訪ねてくる。しかし、気持ちだけ頂いておきますとお柳と母親は丁重に断るが、家来はこのような田舎には珍しいゆかしい人たちだと感心するので、母親が実は私の夫は昔は御所の警護をしていたのだが、賊に襲われなくなった。それで御所を出て子どもを育て、いまではやっとこのような暮らしをしているという事情を説明する。それを聞いて、家来はその人なら私も知っている、法皇に事情を説明して息子が士官できるよう取り計らってやろうと言って帰っていく 。そこへ仕事に出ていた平太郎が帰ってきて、法皇が病気になり占ってもらったところが法皇は前世で僧侶でありその頭蓋骨がある柳の枝につきささっていることが病気の原因ということになって、頭蓋骨を持ってきて供養すれば病気が治るので、柳の木を切り倒し、頭蓋骨を供養する供養塔の棟木にすることに決まったらしいと話をする。もう人足たちが木を切り倒す準備をしていると。それを聞いてお柳はびっくり。彼女は実は柳の木の精であったのだ。木を切り倒すのが法皇であればこれはとめることができない。疲れて寝込んだ平太郎に向かって、お柳はこの子を残していくのは辛いが私はもう死んでしまうしかない。いままでありがとう。子供も大きくなったので、なんとかあなたがたで育てていくこともできるでしょう 。せめてもの鼻向けに、柳の木にささったこの頭蓋骨を置いていく、これを手柄に仕官がかなうように願っていると。夢うつつで聞いた平太郎はびっくりして、いかないでくれととめるがここでは、髪の毛も振りみだし、衣装も早変りして人形は姿をくらます。おかあさんがいないと目覚めて騒ぎ出すみどり丸、母親と3人で必死によぶがお柳は最後の姿を現してまた消えていく。平太郎とみどり丸はそれではせめて切り出された柳を一目見に行こうと、柳の運び出されるところまでやってくる。そこで柳は押しても引いても動かなくなっている。みどり丸が柳をみて「これがお母様かとと様」と・・・みどり丸が木遣り歌を歌って、綱を引くと不思議や柳はするすると動きだすのであった。前半の部終了
2015年04月11日
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昨日の続き 一谷嫩軍記(いちのたにふたばぐんき)平家物語で源氏の武士熊谷直実が平敦盛を戦場で呼びとめ、戦っていざ殺そうとして顔をみたら、我が子と同じ年頃の若者。かわいそうに思って見逃してやろうとしたら、「敵の情けは受けたくない。」といわれ泣くなく首を打ち取ったが、このことで、世の中がいやになり原因で直実は出家するという逸話がある。それをもとに膨らませたのが、この文楽である 。熊谷は平家攻略ということで一の谷に陣屋を構えている。そこへ、全く音信のない夫と息子を心配して妻の相模が遠路はるばる東国から訪ねてくる。家に入ってほっとしていたら、外では藤の方という敦盛の母親が源氏の追手をさけて、逃れ歩いている。相模と藤の方は後白河院の御所で勤めていたことがあり、相模は御所に勤める武士と不義(主人の許しを得ず深い仲になった)をして、罰を受けるところを藤の方がこっそり逃がしてやったという過去がある。お互い顔見知りなので、まあまあと相模は藤の方を家にあげお互いに近況を語り合う。そこで相模が今は熊谷直実の妻であるというと、藤の方は直実は我が息子敦盛の仇である。今までの事を恩に思ってくれるなら、仇討の助太刀をせよと迫る。相模も断ることもできずかといって夫を殺すわけにもいかず「まずは夫の話も聞いてから。」となだめて奥に連れていく。直実が帰ってきて妻をみて、戦場に女だてらにやってくるとはと渋い顔をしながらも、敦盛を討ったときの話と息子はいま手傷を負って療養中であることを話す。藤の方はそこへ「息子の仇!」と乱入するが、そこを直実がなだめて、戦場での命のやり取りはやむをえないことと最後の様子を説明する。 そして直実は首桶を もってきて主人源義経の首実検に差し出すと言う。女二人は首を一目みようとすがりつくが、それは公式の首実検が済んでからと相手にしない。そこへ源義経が登場する。「敦盛の首をとったか。」熊谷「仰せの通りのやりかたでこの首をとりました。」(以前に義経は陣屋の前の桜の若木を大切にせよと「一枝を折らば、一指を切るべし」という制札を直実に与えていたのだが、この真意は敦盛は実は後白河法皇の落胤で、敦盛は切ってはならない。万一の時は一子を身代りにしても守れということ)そこで首を取り出してみると、直実の子ども小次郎の首であった。おもわず首をよく見ようと近づいた相模はびっくり。「子どもにひとめ会いたさに百里の道をものともせず、たどりついてみれば子は首に・・・・」 直実に向かい「この子の親はあなた一人ではないでしょうに、このようなことをするとは、あまりにひどい・・・」と嘆きます。(このシーンでは観客の女性たちが泣いてました。) 藤の方も事情は呑み込めず茫然としている。直実はこれで主人の命令については指示に従ったが、もう侍の勤めはいやになったのでと、兜をとると、髷を切り僧の姿をしている、これでお暇させてもらいますと妻相模をを伴ってさっていくのであった。
2015年04月11日
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今日は文楽4月公演を見に行ってきた。人形遣い吉田玉女さんが吉田玉男の名跡を継ぐ襲名披露公演でもある。それでは最初はおめでたく靭猿(うつぼざる)さる大名が野原を散策している。家来は太郎冠者。そこへ猿引き(さるまわし)が猿を連れて現れる。これを見た大名が、自分の矢をいれる靭(うつぼ)という道具をつくるのに猿の皮を使おうと思い立ち、太郎冠者に猿をよこせと言わせる。当然猿引きは断る。「おれは大名じゃ」と居丈高。皮が古くなったら返すからとかわけのわからん要求をする。「大名だと言うのが信じられないのか。」大名といえばなんでもできると思っている我がままさ。猿回しは子ザルのころから育てて、一緒に生活してきたのに、そんな理由で人に渡せないと断るが、それならお前を射殺すと大名にいわれ仕方なく、残酷な殺し方をしたら猿が暴れて、皮が傷つくのでここは私が急所を討って一撃で殺すので私に殺させてくれと、悲痛な申し出をする。猿引きが撃ち殺そうともった杖を、猿はそうとも知らずに杖を奪って一生懸命芸を始める。猿引きは殺されるとも知らず、一生懸命芸をするこの猿のあわれさよと泣いているのをみて、(根が単純な)大名はつい情にほだされて皮にするのはあきらめる。そこで猿と猿引きが、大名にお礼と言う事で舞をまってめでたしめでたし。能や歌舞伎では猿は子役がするけれど、ここは人形でじっとしている間もいろんなところを掻いたり、キョロキョロしたりと猿らしい感じを出している。猿引きの踊りを真似ながらも、何となく違って滑稽という感じが良く出ている。
2015年04月10日
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今日は、母の部屋の片づけの終盤ということで、気合を入れて掃除を開始する。古い寝具類を処分する。父が趣味で書いていた画材も固まってしまっているので処分する。大掃除用の掃除用具を整理して収納する。料理好きだった母が結構高いお金を出して買った「松花堂弁当」用の入れ物他10セット。昔は手料理でおもてなしとか、法事なども家で作ろうと張り切って購入したものだが、やはり最近はそういう機会がすごくすくなってきている。私も個人的な料理は作るが、そのような格式ある料理はとても作れないので宝の持ちぐされ状態である。親戚関係にあたっても、なかなか貰い手がない。しかし、捨てるにはおしいものだ。昼からは掃除をして、きれいに片付けて予定より早くこの部屋の片づけを完了することができた。ばんざい。明日は文楽を見に行く予定。
2015年04月09日
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昨日ある女声合唱のコーラスに初参加してきた。しかし、そのうち3分の1ぐらいは仕事関係で昔話をしたことのある人たちだったので、リラックスムードだった。私が以前に参加したプロ・セミプロも各パートにいて、指揮者の要求水準も高いというところとは違い、努力はするけれど楽しみも忘れないと言う感じだった。曲自体もそれほど難しいものではなかったけれど、発表に際しては暗譜で歌うのがここの決まりだと言われた。日本語はなんとかできるが、第九ではないが外国語は結構覚えるのが難しい。今回は日本の歌とイタリア語の歌らしい。さて、恒例の掃除は、色んな都合もあって、なんとか明日までに母の部屋をクリアにしたいので、今日は、残った収納部分を全て手をつけて、中のものを外に出して、空気を入れ替えた。父がきていた皮製品のコートなども入っていた。母のバッグと袋もの写真、寝具も大量に出た。こちらでは、粗大ごみを出すときは、役所に連絡して、収集の日が指定され、それまでに収集代金分のシールを販売所で買ってごみに張り付けておくというのがルールなのだが、母がそういう人との交渉が苦手だったのと、私が仕事で役所の営業中に連絡したりすることが難しく、ごみ出しの日程などがどうしても合わないなどがあって、色んなものが溜めこまれたのではないかと考えた。
2015年04月08日
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今日は寒の戻りと言うべきか、結構な寒さに成っている。朝起きて最大2時間は日常の掃除の時間帯ということにして、その後14時までで大掃除をするという時間配分にしている。神棚の下の物入れを掃除するのが今日の予定だったが、相当の量があるのではないかという予感があったので、少し早めにとりかかる。開けてびっくり、予想外の大量のものに茫然自失。電子蚊取り器とか、わけのわからないコードがいっぱい詰まっている。あと神具の不燃物なども結構沢山。これらをネットで調べながら、分別していく。12時前に完了。まだ時間があるので、母の使っていた押し入れの上段の品物をすべて、畳に広げる。この中で絶対必要なものだけを、一つの箱にいれる。その他のものは、一般ごみ、資源ごみ 粗大ごみにわけた袋に入れていく。布団類は下の段にもあるの今日は保留する。毎回の収集が5袋までとなっているので上手く調整が必要だ。今日は夕方から女声コーラスに参加する予定。
2015年04月07日
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今日も朝から小雨の状態。とりあえず玄関先を掃除する。昔勤めていたところのユニフォームを細かく切って処分する。最近は詐欺が多いので、そのまま出すと悪用されてはいけない。いよいよ母の部屋の母のタンスの整理にかかる。この時点で自分の考えた、片付けの工夫についてまず、装備としては薄手のゴム手袋とマスクをしている。ダニに噛まれたり、汚いものをうっかりさわったりするのはいやなので。あとダニと埃を吸いこまないために用心をする。タンスの引き出しは、拭いたあとでアルコールを噴霧しておく。ダニとか細かい虫を排除しないといけない。○手元にもっている袋には、拭き掃除用の化学ぞうきんとウエットな紙雑巾。アルコールスプレーが入っている。○部屋にもちこんだごみ処理用の袋。○大きめの箱2つ(私の場合)写真が色んなところにばらばら出てくるが、その都度片付けては面倒なので箱にためてまとめて処理。もうひとつはDVDを入れる。これもいろんなところにある。○有価証券や現金を入れる袋 ちょっとした小銭や切手、商品券やカードの類も出てくるのでそれはこの袋に入れておく○新しそうあるいはまだ使えそうだが、何に使うのか今判断ができないものを入れる袋(結局使用する可能性がなければ廃棄)○資源ごみに分別するべきものをいれる袋この状態で母のタンスを整理した。古い薬などは全て廃棄。写真もでてきた。そのた父母の生活の節目の記念あったもの。アクセサリーなど。アクセサリーで今使えそうなものはご褒美として、私のほうに移動させる。そして、古い財布からちょっとしたお小遣いが・・・ありがとう。
2015年04月06日
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今日も暖かいけれどお天気はいまいちな状態。昨日やり残した傘の処分を始める。まず、捨てる基準は傘の色が退色しているもの。しみが目立つもの。錆がでているもの。傘の骨がが微妙に変形しているもの。あとはいただきものなどで、どうしても使う気にならない柄ゆきのもの。母の年代の人は、物理的に傘がさせなくなるまでは使うべきだみたいな感覚があったので、何かの機会に使うかもしれないからと相当な量の傘を残していた。思い切ってすてたので、20本ぐらい廃棄した。それでも5本以上は手元にある。昼からは母たちの部屋の整理に入る。この部屋は滅多に人が入らない、そこの品物を使う事もないし、そこに品物を置くこともほとんどないので、片付けの手始めとしてはやりやすいかと思われる。物の動きがあるところでは、片付けたと思ったら品物が増えてきて、処理が大変になる。まずマガジンラックにあった、母の写真などを箱にひとまとめにする。(他にも写真が出てくる可能性があるのであとでまとめて整理する)鏡台の中にあるもの、ちょっとしたコサージュやプチアクセサリーは退色の激しいものはすべて廃棄する。入院中にもっていった化粧品入れが残っていた。私はすっかり忘れていたが、もう5年前の品物なので中身も含めて全て廃棄する。
2015年04月05日
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今日は土曜日なので、普段のサイクルで行けばキッチンと洗面所関係の掃除になる。やはりいつものくせでこれは今まで通りやってみた。そのあとは、冬物のクリーニングを車にのせて運ぶ。毛布も含めて結構な量があるので。この暖かさで、毛布なしでもやっていけるという感じだったので、思い切って出した。3割の値引きは大きい(笑)昼からは、下駄箱の整理をする。家族が多かったので、天井から下の方までの作りつけの下駄箱で非常に大きい。脚立を出して、上の方から下まで一旦すべてを外に出す。丁寧に仕切り板を拭く。着もの用の草履などは当然とっておく。今まで使った靴のうち、これからも履く予定のものを残す。古いものと、ヒールの高いものはもうパスする。あと、古くなったトレッキングシューズなども処分する。靴磨き関係の道具で古くなったものも廃棄した。本当は傘まで整理したかったが、ちょっとそこまでは手が回らなかった。ひろい範囲をざっとするよりは、狭い範囲でも自分が納得できる整理を進めたい。
2015年04月04日
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今日は食洗機の中を掃除して洗浄した。仕事をしていると食器を洗うだけで掃除までする時間がなかった。もちろん普通の掃除はしているが、とことん掃除というところまではなかなか。春夏用の服は昨日出したけど、不要なものについてはすべて処分することにした。やはり数年着ないということはいらないと思われる。これで、一年を通じて不要な衣類は8分通り処分できた。あとは納戸の奥などに忘れられたものがあるかもしれない。そして、家で手洗いできるものをすべてまとめておく、今日夜に洗ってみよう。いままで夜に洗濯する習慣が長く続いたので、つい夜に洗濯してします。あと、なんとか当面の生活をしていくだけの計画を作ってみた。もう少し落ち着いたら、きちんとしなくてはいけないけど、年金がもらえるまでしのげればいい。
2015年04月03日
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朝は少しゆっくり目に起きて、今日することを確認する。まず、資源ごみの分別。とくに散らかしてはないのだけれど、なぜか色んなものが溜まる。今年度からは、玉子のパックも分別に入れるという事で整理し終わる。防災・防犯情報の変更。今までは勤務地の情報を入れていたが、これからは地元の情報につけ替えることにした。クリーニングの準備。3月下旬におおまかな用意をしたころより格段に暖かくなってきたので、さらに色々出していくことにした。何十年とあまり体型が変わっていないので、相当長期間着た服も、もう機会がないかもしれないので、古いものは思い切って処分することにした。ここで、合いもの夏物の衣装ケースも出してきたので、空いたクローゼットのスペースに全部収納した。しkしこれは予定外だったので、完全には終了していない。最後に、自分の今後の生活設計について少しノートに書き出してみた。
2015年04月02日
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今日は普段よりは少しゆっくり寝ていた。起きてから、早速年金と保険の手続きをしにいった。事前に電話で必要なものを確認していたので、すんなりと手続きをすることができた。お昼は年金事務所の近くで「たこ昌」のたこやきランチを食べた。ネギタコ焼きに、たこめし、蛸のテンブラ入りの蕎麦サラダとアイスクリームとコーヒー。少しピアノの練習をして、ピアノレッスンに出かける。音が飛ぶところでテンポが遅くなることを直すように言われた。リズムの流れを活かすようにということで当分はメトロノームと格闘することになるかも。
2015年04月01日
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