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昨日、愛知県・小牧市にあるメナード美術館に行った話をしましたが、その帰り、とある神社に立ち寄りまして。 その立ち寄った神社というのが、かの有名な「田県神社」でございまして。 え? 田県神社をご存じない? 下に示すサイトをご覧いただければ分かるのですが、ここは、子孫繁栄というか、夫婦和合というか、とっても大きな一物を本尊(?)としている神社なのよ。説明によると、男子は当神社の壮大な一物を見てますます発奮し、仕事運を掴めるとのこと。そしてここの「豊年祭」は天下の奇祭として有名。これこれ! ↓田県神社 もちろん、お参りした記念に、そのものをかたどったお守りなんかも買ったりなんかして。 で、ここから先が重要なんですけど、早速一物の御利益があったのよ! 何と今日、某制作会社から連絡があり、某テレビ局の番組に出演しないかとのご依頼が! ひゃー、ついにこの日が来たか!! いやはや。頑張って来た甲斐があったのお。 っつーことで、実際に実現するかどうかはまだよく分かりませんが、一応、話だけは伺ってみようかなと。 夏の終わりに良い知らせがあり、さすがにちょっと気合が入ってしまったワタクシなのであります。
August 31, 2023
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昨日、美術展に行きたいという話をしましたが、結局、その欲望から逃れられず、今日は愛知県小牧市にあるメナード美術館に行って、現在開催中の「今井龍満展」を見てきました。これこれ! ↓今井龍満展 今井龍満さんのお父さんは今井俊満さんという人で、とても有名な画家さんなんですと。で、龍満さんは、お父さんの手伝いをするというので、一緒にフランスに行って、仕事を手伝ったりしながら、どうせならってんで現地の美術学校に通ったりもしたらしいのですが、そんなことをしているうちにちょこちょこっと猫の絵を描いてみたら、それがお客さんの目に留まって売れたと。 で、へえ、自分の絵って売れるんだ、とビックリしたりしている内に、自分も画家になってしまったと。 ちなみに、フランスで絵を勉強していた時、龍満さんが一生懸命、写実的な絵を描いてたら、先生に「お前は一体いつになったら自分のデッサンをするつもりなんだ」と怒られたと。 つまり、見たものを見た通りに書く写実だけやっていたのでは、いつまで経っても画家にはなれない。自分流にデフォルメするなり、なんなりしなければダメ、というのが、フランスの絵の学校の当たり前の方針だったんですな。面白いね。 で、現在の龍満さんですが、アクリル絵の具をタラ~っとたらしながら描線を描いていく「ポアリング」という手法で絵を描いておられる。絵具を上からたらしながら描くので、絵筆を使うのと異なり、タッチを完全に自分でコントロールすることができない。そこに偶然の要素が入り込むわけ。そこがまた面白いと。 で、そんな手法を使いながら、主として動物を描かれるのですが、これがね、なかなか見事なものでね。非常にカラフルなものなので、美しい色に飢えていた私には、ピッタリの展覧会でした。 それから、メナード美術館では、今回の今井龍満展に加えて常設展、すなわちメナード美術館が収蔵している絵画作品を展示する部屋もあるのですが、今回は、メナード美術館の収蔵品の中からどれを展示するか、ゲストである今井龍満さんに選んでもらったというのです。だから、常設展の方も今井さんの息がかかっていると。コレ、非常にいいアイディアですよね! で、今井さんが選んで、今井さんが選んだ作品にコメントを寄せている場合があるんですけど、このコメントが実に面白い。 たとえば、今井さんが選んだ展示品の中に、ピカソの絵があって、そこにはこんな要旨のコメントが書いてあった。昔、今井さんのお父さんがパリで修行をしていた時、たまたまピカソを見かけたと。で、今井さんのお父さんはピカソに「どうしたらあなたのような巨匠になれるんですか?」と聞いてみたと。 そしたら、ピカソが何と答えたか。「君も一万点くらい作品を描けば、巨匠になれるよ」と答えたのだそうです。 いやあ、面白いね。昔のパリだと、ピカソに普通に会えるんだ。で、ピカソはそういう答え方をするんだ。 その他、ルノワールは、昔は嫌いだったけど、最近はそうでもなくなった、とか、この画家は、昔住んでいた町の古本屋でたまたま画集を買って、以後、すごく影響を受けた、とか、この画家のことは全然知らなかったけど、今回、収蔵品の中から自由に選ぶとなった時に、パッと目に入って気に入ってしまったとか、そういうちょっとしたコメントが面白いわけ。 ということで、今回は今井龍満さんの展覧会も面白かったし、常設展も面白かったし、トータル、実に気持ちのいい時間を過すことができたのでした。やっぱり、根性で展覧会をサーチして良かった! いい気分転換になりました。
August 30, 2023
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ここ数日、本を読んだり映画を観たり、とにかくインプットばっかりで、ほとんど書き物をしていない。まあ、アウトプット中はほとんど本が読めない性質なので、今はインプットの時期とあきらめて、ひたすらそれをやるしかないかなと。 しかし、そればかりだと当然飽きるので、何かしたい。だけど、暑いし、ドライブに行くという感じでもない。 海が見たいとか、山に行きたいとか、そういう感じでもないんだなあ。 といって、買い物がしたいというわけでもないし、美味しいものを食べに外食に行きたいという感じでもない。 一体、ワシは何がしたいのだろうと思って考えたのですが、分かりました。私は今、絵が見たいのだと。 ところが、ここが地方の哀しいところ。いい美術展がないのよ。東京だったら、あちこちで美術展があるのにね。デイヴィッド・ホックニー展しかり、マティス展しかり、テート美術館展しかり。 というわけで、やっぱり明日も読む読むの一日かな・・・。トホホ。
August 29, 2023
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伝説のヤッピー映画『アメリカン・サイコ』を観ました。以下、ネタバレ注意ということで。 ヤッピーってのは、1980年代のアメリカに登場した若い都会派エリートのことなんですが、その生態をクリスチャン・ベール演じるパトリック・ベイトマンを通じて描くという映画。 パトリック・ベイトマンは、フィリップ・エクセター・アカデミーからハーバード大学、そしてハーバード・ビジネス・スクール(大学院)を出た俊秀で、自分の父親が所有する金融会社ピアース&ピアースの若き副社長を務めているという設定。超高級アパートに住み、最高級の服装に身を包み、ボディ・ケアも完璧。実際に働いているシーンはなく、常に自分と同じような身分の同僚たちと一流のクラブやレストランにたむろしている。 その遊び仲間は、仲間とはいえ、互いに人間的な付き合いはなく、身を包んでいる服のブランドで相手を認識している始末。よって、相手の名前すら取り違えていることも多く、その間違いすら訂正しないので、結局、誰が誰なんだか分からずに付き合っているような状態。 そんなある日、ベイトマンに衝撃を与える出来事が。仲間の一人、ポール・アレンが、自分の持っている名刺よりもっとセンスのいい、上等な名刺を持っていることに気が付いたのだ。そしてそのことが許せなかったベイトマンは、アレンを自宅に呼び、殺してしまう。そしてアレンの自宅(これも自分の自宅よりも高級だったので、ベイトマンはさらに嫉妬する)に忍び込み、旅行鞄に旅装を詰め、彼がロンドンに旅立ったように偽装する。 で、人を殺すことに味をしめたベイトマンは、以後、娼婦やら何やら、次々と猟奇的に殺し始めると。 しかし、ベイトマンの言動に疑惑を抱いた探偵に追われることになり、ついにベイトマンは自分の顧問弁護士に電話をし、自分が何十人も殺したことを自白。 ところが、翌日、その弁護士に会うと、その弁護士は、ベイトマンを別人と勘違いしていたこともあり、彼の自白をジョークとして受け流してしまう。その上、弁護士自身、ロンドンでポール・アレンに会ったとも。また彼が殺した被害者を隠していたポール・アレンの高級アパートは、いつのまにか売りに出されていた。 かくして、パトリック・ベイトマンは、自分の犯罪を自白したにもかかわらず、なんのお咎めも得られず、なんのカタストロフも得られないことが判明。途方に暮れたところで、ジ・エンド。 という話。 さて。 どゆこと? パトリック・ベイトマンが行なった犯罪のすべては、結局、彼の妄想に過ぎなかったとか? あるいは、パトリックが殺した人は、本当はポール・アレンではなかったとか? パトリックも友人から別人に勘違いされていたように、パトリックがポール・アレンだと思っていた人は全くの別人だったとか? ま、とにかく、人を殺すというようなことをやっても、もはや、パトリック・ベイトマンの日常には何の変化も得られない、そういう地獄に入ってしまったということなのでありましょう。つまり、彼が何者であるかを特定するものは何もないという状況になってしまったと。 思うに、そこなんだろうね、この映画のポイントは。 1960年代のヒッピーとかイッピーってのは、社会を変えようと思ったわけよ。ところがそれは叶わないということが判明し、反動がきた。 で、1970年代のアメリカ人は、ミー・イズムにとらわれ、今度は社会とは関係なく、自分自身を変えようとした。自分自身の意識改革ですな。社会は信じられないけど、自分という存在は認識できるので、それを変えようと。 ところが、1980年代のヤッピーの時代になると、もはや自分自身が誰なのかもわからなくなってしまったと。自分も分からないし、他人も分からない。友人の名前すら正確に覚えていないんですからね。 そうなると、自分を確定するものは、名刺しかない。名刺に書いてある名前、それが自分であることは確かだから。だから、その名刺が自分の存在証明ということになると。 で、自分の存在を確認し、自分が他人より優れていることを確認してくれる唯一のものである名刺に関して、人が自分より優れたものを持っていたとしたら? それは許せないということになるでしょう。で、パトリックはポール・アレンを殺すのだけれども、そうしたところで、既にパトリックを確定するものは何もなくなってしまったと。存在しているのに、存在していないのと同じになってしまった。 そういう1980年代のヤッピーの在り方の諷刺として、『アメリカン・サイコ』という作品が登場したと。まあ、そういうことなんでしょうな。 映画として、決して出来のいいものではないですけど、時代考証としては、そこそこ面白かったかな。これこれ! ↓アメリカン・サイコ [DVD]
August 28, 2023
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亀井俊介先生ご逝去の報に接し、かつて先生のご著書『亀井俊介 オーラルヒストリー』に寄せた駄文を再掲させていただきます。戦後から現在に至るまで、日本を代表するアメリカ文学・文化研究者であり続けられている亀井俊介先生の、その研究者としての足跡をご自身の語りとインタビューで辿る本、『亀井俊介オーラルヒストリー』(研究社)という本を読了しましたので、心覚えを付けておきましょう。 まず特筆すべきは、この本が「執筆」ではなく、「語り」で構成されていること。亀井先生が東大をご退官された後、第二の(本当は第三の、ですが、本来第二の職場であった東京女子大にあまり良い思い出がないようなので(そのことは本書にも記してある)、あえて第二の、と言いますが)勤務先となった岐阜女子大学の「デジタル・アーカイヴス」プロジェクトの一環として企画された本書は、戦後日本のアメリカ学をリードされてきた亀井先生の軌跡を、亀井先生ご本人の語りを通して、文字通り「肉声」で、記録することが主眼であったためにそういうことになっているわけですが、それだけに文語体で「執筆」された本とはまた別次元の読み易さがある。と同時に、研究者同志が難しい用語を使ってするような肩肘張った研究なんてものはつまらん!と主張され続けてきた亀井先生ご自身の研究者としてのスタンスからして、このような気楽な語りこそ、亀井先生の本質を掴まえるには最上の手段でもある。ま、亀井先生ご自身の言葉を使えば「浴衣がけ」のスタイル、ですな。実際、亀井先生のことをよく存じ上げている同業の読者はもとより、そうでない読者にとっても、亀井先生の柔和で、しかししなやかな強さを持ったお人柄が、語りを記した行間から漂ってくるようでございます。 で、「時代を追って」と題された本書第一部は、「見敵必殺」の軍国少年だった幼少期のこと、また戦後「親米」の方向に大きく舵を切った節操なき日本の中で、さほど違和感なく、否、むしろその解放感を謳歌するようにアメリカへの憧れを抱きつつ「英語少年」となり、やがて岐阜の田舎から東京大学に進学していった頃のことなどから語り始められ、その後、東大英文科のあまりに字義に拘泥しすぎる「文学研究」の在り方に疑問を抱き、文学の本質に迫れるような研究のスタイルを求めて大学院では比較文学研究科に進学、そこで島田謹二先生の薫陶を受けながら、また英文科に進学した連中には負けないという意地も持ちながら、猛勉強に励むことになる青年時代の思い出が続く。そしてその後、まだ日本人が容易に海外なんて行けなかった1950年代に初めてアメリカ留学を体験、これが決定的にその後の亀井先生の研究者の方向を定めることになっていく・・・。『福翁自伝』をはじめ自伝というのは大抵そうですけど、やっぱり若き日の一途な猛勉強の思い出というのは、勢いがあっていいもんです。 で、そうした猛勉強の末、亀井先生の最初の学問的達成として、『近代文学におけるホイットマンの運命』という本が出版される。弱冠三十代にして、亀井先生に学士院賞が授与されることになる、伝説の名著の誕生でございます。 で、その『近代文学におけるホイットマンの運命』ですが、「処女作にその著者の全てが籠る」というのは本当でありまして、この本はその後の亀井先生が展開される様々な方向のご研究の萌芽がすべて詰まっているようなものだったと。 それには幾つかのレベルの意味があって、一つはウォルト・ホイットマンという詩人の奔放さが、ある意味、亀井先生ご自身の奔放さの象徴であったということ。旧弊で束縛的な伝統に縛られることなく、自分の内面の欲望だけを信じ、それに突き動かされるようにして「僕自身の歌」を歌ったホイットマンに励まされるように、亀井先生も先生独自のアメリカ学を追究されることになるのですが、そういうホイットマンと亀井先生の共通性が、『ホイットマン』という本のそもそもの執筆動機であったということ。これはもう疑い得ない。 もう一つは、この本が「ホイットマン」という詩人についての文学的研究書というよりも、「ホイットマン」という稀有で破天荒な人物を一つの視点として、彼の思想的影響がどのようなさざ波を描きながら日本に伝わってきたか、ということを研究した「比較文学研究書」であったこと。やっぱり亀井先生は、お若い頃から「日本」と「アメリカ」という異なる文化の国の狭間で、両者を比較しながら研究することの意義を、自覚的に捉えられていたんですな。本書の中でも亀井先生が繰り返しおっしゃられているように、先生はアメリカという国、そしてその文化に対して「wonder」を常に感じていらした。色々なことが日本とまったく異なるアメリカに対して、何年経ってもビックリされていたと。その新鮮な「ビックリ」を解明したいという基本的な欲望、それが亀井先生のすべてのご研究の原点だということが『ホイットマン』という本で明らかにされたし、その後のご研究にもすべて当て嵌まっていると言えるではないか。 そしてもう一つ、『ホイットマン』という処女作が、それを書かれた亀井先生ご自身に、様々な宿題を投げかけてきた、ということもあります。例えばつい先年、傘寿を越えられた亀井先生は、『有島武郎』という日本の作家についてのご著書を出されたのですが、これはアメリカ(文学)研究に倦まれた先生が、手慰みに日本の作家について本を書いてみた、ということでは全然ない。『ホイットマン』の中で、ホイットマンに影響を受けた日本作家の一人として有島武郎のことを挙げていたものの、そのことを十全に展開できなかったという負い目が亀井先生の中にあって、その宿題を今、ようやく果たしたというのが『有島武郎』の執筆動機であったわけ。つまり、先生がお若い時に書いた本と、現在先生が書かれている本の間には明確な一筋の道があるのであって、全然ぶれていない。 そして、そのように考えてみれば、これまでに亀井先生が書かれてきた膨大な数のご著書、例えば有名な『マリリン・モンロー』なんかでも、突き詰めれば『ホイットマン』という最初の本から発した一筋の道の、その延長線上にあるものと言えなくもない。なんとなれば、ホイットマンもモンローも、彼らが生きた時代の主流ではなく、むしろその主流に逆らうような立場の中で、懸命に自分自身を表現しようとした人達であり、そういう意味で「もっとも美しい人」達だったのだから。 そして「主流に逆らうような立場の中で、懸命に自分自身を表現しようとした人」という位置づけは、亀井先生ご自身にも当てはまるかも知れない。そう考えると、本当に『ホイットマン』は、「亀井先生の本」だったんだなという気がします。 ちなみに、『近代文学におけるホイットマンの運命』が亀井先生にとって大きな意味があったのには、更にもう一つの側面がありました。この本が学士院賞を受賞したことによって、付随する様々な利点が亀井先生にもたらされたんですな。例えば、この本で有名になったおかげで、先生は再びアメリカに渡航する機会に恵まれ、それによってアメリカ文化研究に関して大きな収穫を得られたというのが一つ。しかしそのこと以上に大きかったのは、この本が亀井先生をアカデミズムの束縛から「自由」にしたということ。つまり、学士院賞を受賞したという点で、「やろうと思えば東大英文科の連中に負けないような『学術的達成』がいつでも出来るんだ」ということを証明しちゃったわけ。だから、もうこれ以上、アカデミックなことに拘泥しなくても済むようになっちゃった。 で、以後、亀井先生は、ますますご自身のやりたいような研究と執筆活動に邁進されるようになる。そしてその結果、例えば研究者のみならず一般の読書人に大いに受け入れられ、日本エッセイストクラブ賞も受賞した『サーカスが来た!』のような著作であるとか、あるいは口語体でアメリカ文学の魅力を語るという点で画期的な文学史であった全三巻の『アメリカ文学史講義』に繋がっていくと。その辺りの快進撃については、本書第二部「著作をめぐって」の中で縦横に語られております。 そして、この「口語体」の問題は、本書第三部「学びの道を顧みて」で語られている事々にも通じるのですが、亀井先生の研究上の信念とも重なってくるわけ。 亀井先生を多少とも知る人間にとって、亀井先生を笑顔以外の顔で思い出せない、というところがあります。それほど先生は柔和な、物腰の柔らかい方なんです。ところが、本書の中で何度か先生が結構厳しいことを仰っている部分がある。それは、現今のアメリカ文学研究の在り方を批判されているところ。今のアメリカ文学研究は、アメリカ本国の研究者の言をありがたく頂戴してそれに同調したようなことを云々していたり、難しい批評用語を弄び、研究者仲間うちでしか通用しないようなことを書きあって得意になっていたり、そんなのばっかりじゃないかと。その辺りのことに言及される時の亀井先生は、ちょっと意外なほど手厳しい。そしてそういう厳しい一面を知ると、ああ、亀井先生ってのは柔和なばかりじゃないんだなと。実はものすごく厳しい人なんだなということが分って、ぞわっと総毛立つような気がします。 いいねえ、そういうところ。 で、そういう厳しい批判を踏まえた上で、亀井先生は自ら「浴衣がけの精神」ということを仰り、浴衣がけで、時には酒杯を重ねながら、本当に自分が面白いと思うことを原点にしてアメリカ文学を語ろうじゃないかと、そう主張されている。日本とアメリカは違うんだから、日本人がアメリカの文学や文化に違和感を感じるのは当たり前じゃないかと。その「なんでそうなんだ!?」というワンダーを梃子にして、外国人としてアメリカのことを分析しようじゃないかと。そうして初めて、アメリカ人の研究者にも頷かれるような文学論・文化論ができるんだよと。 口語体で、しゃべり言葉で学問しよう。それができなかったら、本物じゃないよ――亀井先生は本書全体を通じて、我々後輩に対して、そういう挑戦を投げかけられている。それが「オーラルヒストリー」として書かれた本書の全てだと。私は、そう受け取りましたね。 あともう一つ、本書には東大時代の亀井先生の後輩同僚の先生方が書かれた文章が付け加えられているのですが、その中で川本皓嗣先生のは猛烈に面白いです。その中で川本先生は、亀井先生といっしょにアメリカを旅された時のことを語られていて、亀井先生が空港に到着すると、現地の女性がクルマで迎えに来られることにビックリされた、ってなことが書いてある。もちろんその女性達は(多分、アカデミックな意味で)亀井先生のファンで、現地で先生の足となることで先生のご研究をサポートしてくれるのですが、亀井先生がいかに女性にモテるか、ということの証言でもある。また、亀井先生が現地で大量の古本を買われ、それを日本に送るために段ボール何箱も郵便局に持ち込まれるのですが、そういう時、現地の郵便局員が、亀井先生に対して自然に「プロフェッサー」とか「サー」とか、そういう言葉で接せられるのに驚かされたとも書いてある。つまり、ラフな格好をされていても、自然と亀井先生の人となりから発せられるオーラによって、見ず知らずの、市井のアメリカ人ですら、敬意をもって亀井先生に接するようになるということ。これは、亀井先生の人物像を表した、素晴らしいエッセイであると言えましょう。 ということで、この本、私自身はすごく楽しみ、かつ啓発されながら読了いたしました。アメリカ文学・文化研究に携わる後進の人たち、亀井先生の本のファンはもとより、日本を代表する研究者の芯の通った生き方を知りたいと思う人であれば、誰にでもこの本を推薦することを私は躊躇いません。教授のおすすめ!です。亀井俊介オーラル・ヒストリー [ 亀井 俊介 ]
August 27, 2023
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一仕事済ませてお八つを食べ、さて、もうひと踏ん張りするか・・・だが、その前に、とネットを開いた途端、悲しいニュースが飛び込んできました。 東京大学名誉教授、アメリカ文学者・亀井俊介先生が亡くなられたとの報。享年91。今月18日に亡くなられ、既に近親者の方で葬儀も済まされたとのこと。 アメリカ文学研究関係の先達で、私が言葉の真の意味で「先生」とお呼びする最後の先生が亡くなられたことになります。 と言って、私に亀井先生を先生とお呼びする資格があるのやら・・・。私は亀井先生の授業をとったことはないし、直接指導を受けたこともない。 先生は郷里が岐阜であることから、晩年、名古屋地区のアメリカ文学研究者の若手を募って勉強会を開かれておりましたが、私はその勉強会にすら参加したことがない。 強いて亀井先生と私のつながりを探すとするならば、私の師匠である大橋吉之輔先生と亀井先生が近しかったということ。なので、亀井先生は大橋先生の弟子として、私のことを認識されていたかもしれません。 そしてもう一つ、今から四半世紀近くも前のことになりますが、私が先生を勤務先大学に招聘し、講演を行っていただいたことがあり、その際、私(と家内)で先生をおもてなししたこと。 そして、これもたまたまですが、私の名前(ペンネーム?)が先生のお名前と同じであったこと。これも案外、大きかったかもしれません。先生は私のことを人に紹介する時、いつもニコニコしながら「この人はね、私と名前が同じなんですよ」とおっしゃられましたから。 そういう、諸々のことがあったせいかどうか、私は、直接の教え子でもないのに、亀井先生には随分可愛がっていただきました。先生が企画した共著本の執筆メンバーに入れていただいたり、先生が勲章を授与された際の記念パーティーに呼んでいただいたり。 私が本を出版し、それを亀井先生に寄贈すると、必ず全部読んで感想と励ましの言葉を書き送っていただきましたし、時に私が調査中の事柄について亀井先生にお尋ねすると、懇切丁寧なご回答をいただきました。亀井先生からお手紙をいただく度に、私がどれほど励まされたことか。 亀井先生は、東大の先生には珍しく、アメリカの大衆文化についての造詣が深かったのですが、私の研究対象もまたアメリカ大衆文学出版史で、そういうところも、先生に贔屓にしていただいた要因だったかもしれません。 一昨年の暮れには、亀井先生から限定50部の歌集を一部、送っていただいたこともありました。何しろ限定50部ですから、本当に親しい人にしか送らなかったであろうその歌集を胸に抱いて、先生の温顔を思い浮かべつつ、狂喜乱舞したこともまるで昨日のことのよう。 先生からいただいたお手紙という意味では、今年の正月にいただいた年賀状が最後のものとなりました。そこには、私が今、自己啓発本の研究に打ち込んでいることを踏まえて、こう書いてありました。「自己啓発本とは、言われてみれば面白そう。大いに世の中を啓発して下さい。尾崎俊介(注:私のペンネーム)によって亀井俊介の株も上がっていくような気がします。この頃よく三河安城駅が新聞種になる。そのたびにあなたを思い出すので、尾崎株はますます上がっています。お元気で」と。 しかしその後、書き上げた著書を先生に送ったものの、いつもと違って一向にお返事がない。あれ? どうしたのかな? まさかお身体の調子がお悪いとか・・・などと案じていたところ。そこへ持ってきて今日の訃報で、ああ、やっぱり・・・と。 なんだか、とてつもなくガッカリしてしまった。恩師・大橋吉之輔先生、そして恩師・須山静夫先生亡き後、私の書くものを一番喜んでくださった亀井先生も亡くなられてしまって。 亀井先生は、よく、「浴衣がけ」という言葉を使われました。文学のことを勉強したり、研究したり、議論したりするのに、堅苦しい、しゃちこばったやり方ではダメだ。もっと浴衣がけのような気持ちで、リラックスして、楽しみながらやらなければと。亀井先生の直接の弟子でない私にとって、先生から教わった唯一の教えがこれ。「浴衣がけの精神」で文学を語るということ。 だから、私は、これまでもそうだったけれども、これから先も、亀井先生から教わった「浴衣がけ」の気持ちで、アメリカ文学に携わっていきたいと思います。それが、私が亀井先生のご霊前に申し上げることのできる唯一の誓いですから。 教え子でもない私を、いつもニコニコと受け入れて下さったあの温顔のアメリカ文学者、亀井俊介先生のご冥福をお祈りいたします。合掌。
August 26, 2023
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今日は、大先輩同僚で今は老人ホームに入居されている方のお見舞いに、アニキことK名誉教授と一緒に向かいました。 が! ホームに伺うと、肝心の先生が先週末、熱を出されて検査入院されてしまったとのこと。 あらま! せっかく来たのに残念! で、ならば病院の方にお見舞いに行こうと思って、どちらの病院に入院されたのですか? とホームの方に問うと、答えられないと。 ん? どして? 個人情報の観点から、ですと。 うーむ! そうですか! なら仕方がない。 で、帰ろうと思ったのですが、ふと見ると老人ホームのすぐ近くに大きな病院が! なるほど、これはあそこにいるな・・・。 っつーことで、ダメ元でその病院に向かい、事情を話して、これこれ、こういうお名前の先生が、こちらの病院に入院されていませんか?と尋ねたのですが・・・ やっぱり個人情報保護の観点から、お答えできないと。そういうお名前の人が入院しているかしていないかすら、お答えできないと。 はーい。終了~! とまあ、今日はあれこれ不首尾に終わってしまったんですけど、個人情報保護っていうのは、なかなか高い壁ですなあ・・・。 個人情報保護の趣旨は分かります。その重要性も。が、今回の場合、大先輩の先生は、やっぱりかつての同僚二人がお見舞いに来てくれた方が嬉しかっただろうと思います。保護されない方が、先生はハッピーだったと思う。 当該の人の家族の承認がなければ、ふらっと病院に立ち寄ってお見舞いすることひとつできないという世の中になったことを、喜ばしいと思っていいのか、悪いのか。 難しいところですな。
August 25, 2023
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先日、ジェリー・ルービンの『Do It!』を読んだのに引き続き、その続編たる『マイ・レボリューション』(原題:Growing (up) at 37)を再読しましたので、チラッと感想を。 この本、前にも読んでいるのですが、今回、『Do It!』を読み、かつ映画『シカゴ7裁判』を観た後で再読すると、これがまた余計面白い。 『Do It!』は革命家としてイケイケの時に書いた本なので、勢いはあるけれど、重みはない。まったくない。それに比べて、この『マイ・レボリューション』は、革命家として賞味切れになった後で書いたものであって、その悲哀も含め、人間的な成長の著しさが窺えて、前著よりもはるかに重みのある本となっております。 ルービンは1967年、29歳の時に革命的政治団体イッピーをアビー・ホフマンらと設立するのですが、この後1970年のシカゴ7裁判終結あたりまではイケイケだったわけ。ところが、この年、同志として一緒に戦ってきた恋人ルーシーが別な男と出奔してルービンを絶望の淵に追いやるわけ。 で、その後も革命家として活動を続けるのだけど、1972年のある時、ニューヨークで自分のクルマに乗ろうと駐車場に向かったはいいものの、自分のクルマが完膚なきまでに粉砕されているのを発見。これはイッピーの中でも若手の連中、いわゆる「ジッピー」の仕業で、ホフマンやルービンなどが30歳を超えても引退せず、イッピーを牛耳っていることへの意趣返しだった。かつてのバークレーでのフリー・スピーチ運動の時に言われたジャック・ワインバーグの「30を越した大人を信用するな」(Don’t trust anyone over thirty.)というキャッチ・コピーが、ルービンの身に降り掛かって来たんですな。 で、これを一つの天啓として、1972年以降(実際には少し前の71年から75年まで)、ルービンは生き方を変えるんです。今までは「社会を変える」ことばかりを考え、そのための行動を起こして来たわけだけれども、これから先は「自分自身を変える」ことに専念しはじめる。これは「政治の時代」だった60年代から、「パーソナルな時代」である70年代への時代の移り変わりとちょうどシンクロした、ルービンの自己革命だったと。で、彼はニューヨークからサンフランシスコへと居を移し、生まれ変わりの旅に出る。 で、好奇心旺盛なルービンのこと、この時代にアメリカ社会に溢れていたありとあらゆる自己革命、精神革命の実験に着手する。具体的に言えば、ヨガ、エスト、ゲシュタルト療法、サイキック療法、バイオエナジェティックス、ロルフィング、マッサージ、ジョギング、健康食品、太極拳、エサレン、催眠療法、モダン・ダンス、瞑想、シルバ・マインド・コントロール、アリカ・トレーニング、鍼療法、セックス療法、ライヒアン療法、モア・ハウス、フィッシャー・ホフマン心理療法など、いわゆる「新意識運動」の諸コースを片っ端から試すわけ。特にエストとアリカ、ロルフィング、ヨガ、サイキック療法などには大きな影響を受けたらしい。 で、それらの体験談と並行して、革命家時代、新しい価値観の体現と思っていた自分自身がいかに旧世代の両親や祖父母などからの強い影響を受け、その価値観を引きずっていたか、金や権力や男性主義を是とするアメリカ的体制の打破を目指しながら、自分自身がいかにそれらに捉われていたか、といったことに目覚めていく過程を赤裸々に告白する。 確かに、70年の精神革命は、ルービンの目覚めに寄与したんですわ。そしてそれによってルービン自身、これからの革命は、社会の革命に先行して、個人の革命がなされなければならないと確信していく。革命は、革命を起こす人間の価値観を超えるものにはならない、ということを自覚するわけ。だったら、まずは個人の革命が必要であろうと。 で、37歳になって、そういう自覚を持ち、来るべき新たな革命を幻視するところで本書は終わります。 いやあ、若き日の至らなかった自分を赤裸々に告白し、反省し、ここまで成長したという軌跡を自他に示すこの本は、自伝としても素晴らしいです。そしてこの時代を生きたアメリカ人の一典型がここに示されているという意味で、歴史的にも価値のある文献になっている。 ところが、この先、80年代のルービンは、精神療法の組織者、株式アナライザー、パーティ運営者など、ビジネスマンとして成功し、いわゆる「ヤッピー」のハシリになっていくんです。つまりルービンは、ヒッピー的感性をもった革命家として「イッピー」を作り、意識変革の実験を経て、最終的に「ヤッピー」になるという。ヒッピー→イッピー→ヤッピーという三段活用。 では、意識変革からヤッピーへの道のりってのはどうなっていたのか?という疑問は、ルービンが1994年11月にロスアンゼルス、UCLAの近くで交通事故に遭い、亡くなってしまったため、永久に謎のままに残ってしまった。 だから、資本主義に対する批判者の立場から、体現者の立場への転身に、ルービン自身がどう思っていたのかは分かりませんが、ルービンは決して安易な思索者ではないので、そこにはしかるべき理由があったのでありましょう。(本書の中にも、革命には金が要るという自己矛盾についての考察はある) しかし、80年代はヤッピーの時代ですから、ルービンが60年代、70年代、80年代のそれぞれに、時代に合わせた転身をやってのけたのは確か。そこは非常に面白い。 ということで、ジェリー・ルービンという稀代の革命家の自伝として、『マイ・レボリューション』、非常に面白い読み物となっております。教授のおすすめ!です。これこれ! ↓【中古】マイ・レボリュ-ション /めるくま-る/ジェリ・ル-ビン(単行本)
August 24, 2023
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いやあ、ビックリよ。慶應義塾高校の甲子園優勝! まさか、こんな日が来るとは。卒業以来、久しぶりに塾歌を歌ってしまった。 ちなみに、塾校野球部のこのところの躍進を支えた七條義夫元部長って、英文科におけるワタクシの後輩だからね。彼が掲げた「Enjoy Beseball」の掛け声の裏に、英文科の知性があるわけよ。 神奈川県って、横浜、Y校、東海大相模など、高校野球の強い学校が多くて、県大会を勝ち抜いた段階で燃え尽き、甲子園では割と早い段階でサヨナラすることが多いのだけど、まさか慶應が最後まで行くとは。素晴らしい! ちなみにワタクシの卒業校も、春の大会で優勝したことがある。関係するところが甲子園の春夏を制したなんて、なかなかなくない? っつーことで、今日はそれこそ何十年ぶりに甲子園の決勝をテレビ観戦してしまったワタクシだったのでした。
August 23, 2023
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昨夜、レイトショーで『バービー』を観てきました。以下、ネタバレ注意ということで。 バービーというのは、アメリカのマテル社が1959年に生んだ着せ替え人形なんですが、日本のリカちゃん人形と違って成人女性の体型をしているというところが画期的だった。で、1960年代以降のアメリカの女の子は、この着せ替え人形で遊んだわけよ。 ところが60年代のアメリカは第二次フェミニズム時代ですから、当時のフェミニストはこれに対して大反発。「女性はきれいなお着物を着ていればいい」というのを女児に教え込むとは、何たる遊び道具か!ってんで、猛烈にバービー人形を攻撃したと。 ところが70年代に入ると、これが逆転。バービーは着せ替え人形だから、医者の服を着せればバービーは医者ということになる。宇宙飛行士の服を着せればバービーは宇宙飛行士ということになる。つまり女性だって自分がなりたい職業に就けるのだ、ということの象徴に祭り上げられ、バービー人形はフェミニストたちから絶賛される人形になると。 かくして、70年代以降のバービーは、アメリカの女の子たちのロールモデルとなるわけ。またそれにともなってバービーも変質し、「金髪碧眼」のバービーだけでなく、黒人バービー、アジア人バービー、車椅子バービーなど、様々な亜種が追加発売されていくんですな。女性美には色々な形があるということを、人形が教えてくれるようになった。 というわけで、バービー人形というのは、アメリカにおいて、非常に重要な意味を持つ人形になっていくわけよ。まずはそれを知っていないと、この映画の意味は分かりません。 で、本作ですが、マーゴット・ロビー演じる金髪碧眼の普通型バービーが、彼女の住むバービーランドで毎日毎日、楽しい日々を送っているのですが、そんなある日、彼女はバービーランドではありえない思想、すなわち「死」とか「老い」など、否定的な思想をチラッと抱いてしまうわけ。で、その結果、彼女の身体は劣化し、その日常に異常が生じてしまう。 で、どうやらバービーランドと人間の住むリアル・ワールドの間にヒビが生じたらしいということが判明し、そのヒビを修復するため、バービーはバービーランドを出て、リアルワールドに行くことにする。そしてかつて自分を可愛がってくれた人に出会い、なぜ自分が劣化したのか、その理由を問い質すことにするんですな。 で、バービーはリアルワールドである現在のカリフォルニアを訪れるのですが、バービーランドの世界とリアルワールドにはもちろん違いがありますから、そのカルチャー・ギャップに遭遇したバービーは様々なことに面食らうことに。一方、バービーランドからバービーが一体、人間社会に紛れ込んだという報せを受けたマテル社でもひと騒動が持ち上がり・・・ さて、この騒動、どういう風に解決されるのか!? っていうお話。面白そうでしょ? 実際、面白いのよ。 冒頭、バービー人形の創生を描いたシークエンスが抜群にいいし、そこからバービーランドの日常を描くシークエンスもすごくいい。マーゴット・ロビーも、バービーを演じるのにピッタリ。ハーレイ・クイーン役よりいいんじゃない? で、バービーのボーイフレンドたるケン役のライアン・ゴズリングもいいよ。 ただ・・・ 私はてっきり、バービー人形の今日的な意味が揺らいでいる、という話になるのかと思ったのよ。特に、バービー人形が暗示する「若さゆえの美」という基準が、現代に合わなくなってきた、とか、そういう話が展開するのかと。ところが、実際にはそうではなくて、バービーワールドにおける女性上位の世界観と、リアルワールドにおける男性上位の世界観がぶつかって、後者が前者に侵入するという話になって行ったのは、ちょっと意外というか。 結果、この話はバービーの覚醒というより、マチズモに陥ったケンの覚醒に力点が置かれてしまうことになり、出発点と着地点に齟齬が生じてしまったような・・・。 というわけで、思っていたよりも喜劇的な展開になってしまって、そこが、ちょっとワタクシ的には不満だったかな。ま、喜劇的な側面が強調されているので、ドタバタ喜劇的に面白いものにはなっているのだけれども。 ところで、この映画、アメリカでは興行的に成功を納めているらしいですが、日本ではさっぱりだね! 昨夜も、観客数は大きなスクリーンには申し訳ない、たったの6人だったからね。 例の「原爆ヘアー・バービー」の悪評がもたらした結果かもしれないけど、バービーの何たるかがそもそも理解されていない日本では、ヒットは無理なのかもね。これこれ! ↓映画『バービー』
August 23, 2023
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ジェリー・ルービンへの興味から、『シカゴ7裁判』という映画をネットフリックスで視聴しました。 そしたらね、これがまた、意外なほどに素晴らしい映画だったのよ。どうせよくある実話モノでしょと思って、さほど期待していなかったんだけど、その低い期待を大きく上回るものでした。 1968年の8月に、アメリカ民主党の大統領候補を定める民主党大会がシカゴでありましてね。これは結構重要な政治ショーなんですが、この当時、アメリカはベトナム戦争遂行中。っつーことで、革命家ジェリー・ルービンとしては、この政治ショーを利用して、反戦運動を盛り上げようという腹づもりがあり、大衆を煽動して他州からシカゴへ向かったわけ。「イッピー」の同志アビー・ホフマンも一緒にね。 で、これとは別に、学生運動の指導者トム・ヘイデンとレニー・デイヴィス、良識的な政治活動家デイヴ・デリンジャーなど総勢7名が、それぞれ立場の違いはあれど、シカゴ民主党大会での煽動活動に携わることになり、警察とのいざこざから逮捕され、時の大統領から告訴されるという羽目に陥ると。これが後に言う「シカゴ7」という奴で、本作はこのシカゴ7の面々の裁判を描いた映画ということになるわけ。実際には、ブラック・パンサー党のボビー・シールも途中までは同じ裁判で裁かれたので、被告は8人なんですが。 で、この裁判がもう、滅茶苦茶なのよ。何せ原告は大統領だからね。大統領が負けるわけにはいかない。検察側もエリート中のエリートを持ってくる。判事も徹底的に原告寄り。原告に有利な証言をするのは、FBIとかCIAとか警察の犬ばっかり。これに対し、被告側弁護を担当する良識的弁護士のウィリアム・クンスラーとレナード・ワイングラスが、何度も法廷侮辱罪を適用されながらも、シカゴ7の弁護に努めるという図式。 とはいえ、シカゴ7の方も、政治的な立場がそれぞれ違うし、政治的アプローチも違うので、決して一枚岩ではない。ケンカや仲間割れもしょっちゅう。でも、根本的なところで、現行のアメリカの政治体制への不満というところは一致しているので、そこで辛うじてつながっているというところがある。 とまあ、こういう四面楚歌の中で、どうやって裁判を戦うのか、っていうのが本作の見どころ。 で、これがね、すごく良かったの。アメリカの闇と光のせめぎ合い。アメリカって、本当に馬鹿で愚かしいこともするけれど、それでもこの国には信頼するに足る良識があるなと思わせてくれる、そういう映画。 ほんと、一見の価値ありです。興味のある方は是非!これこれ! ↓シカゴ7裁判
August 22, 2023
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アメリカの・・・革命家っていうの? ジェリー・ルービンの書いた『Do It!』という本を読んだのですが、面白かったです。 面白かったというのは、共感できた、というのとはちょっと違いまして、1960年代のアメリカの様子の一側面が窺えて興味深かった、という意味。 ジェリー・ルービンは下層ミドルクラスの出身なんですが、バークレー大学時代に学生煽動家になりまして、以後、1968年の民主党大会で暴動を起こしたり(いわゆる「シカゴ7」の一人)、ペンタゴンにデモをかけたり、好き勝手に煽動をした人。「イッピー」なる政治団体を作ったことでも知られております。 イッピーは、やっていることはヒッピーに近いけど、ヒッピーほど受動的ではなく、より政治的。だけど、何かヴィジョンがあるわけではなく、現体制の在り方をぶっ壊すということだけを目指したというか、現体制がクソだから、そんなものに反対するありとあらゆることをやって困らせちまえ、息詰まらせちまえ、という感じ。自分のすみかは路上にあり、という感じですから、アナーキーなんですな。 反体制の劇場型アジテーターっていうか。 そういうアジテーターが好き勝手なことを言っている本。それが『Do It!』です。 だから、面白いけど、困っちゃうなっていう。こういう人に比べると、いかに自分がスクエアな小市民かって、よくわかります。 しかし、この本を読んでいるワタクシの興味っていうのは、世代的なものなのね。つまり、自分がほんの子供の頃、アメリカではこういうことが起こっていたんだ、ということに対する興味。自分が生まれる前の遠い昔の話ではなく、私が幼稚園とかに通っていた頃、太平洋の向こうではこういうことが起こっていたんだ、ということが興味深いわけ。 それは、結局、自分のことを確認したいんだろうね。他人のことではなく。自分が育ったのは、どういう世界環境だったのか、っていうことが知りたいと。 ま、そういう意味で、面白い読書でした。
August 21, 2023
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今日は朝からずっと仕事上必要な読書。だからあまり提供できる話題がないの。 っつーことで、昨日に引き続きクルマの話を一席。 私のクルマか、家内の操るセカンド・カーか。いずれにせよ、そろそろ買い替えの時期が近付いていることは確か。で、次の愛車候補は何か、という話なんですが、私には一つ夢がありましてね。それは何かと言いますと・・・ 屋根の開いたクルマに乗りたい。 これです。 屋根の開く、というのは、一つはオープン・カーのことね。日本車で言えばマツダ・ロードスターとか。 いやあ、クルマ好きとして、一生の内一回くらいは、オープン・カーに乗りたいじゃないの。 ロードスターじゃなかったら、ミニのカブリオレとかね。 あるいは、それが無理なら、せめてグラスルーフのクルマに乗りたい。 だけど、日本車って、グラスルーフのクルマ、少ないよね! あれ、なんでだろう。標準装備にすればいいのにと思うのだけど。日本車でグラスルーフが標準装備のクルマって、軽のダイハツ・タフトくらいなもんじゃない? あれもいいけど、軽だからなあ・・・。 フランス車は、割とグラスルーフ車が多いけど、その中ではルノーは少ないんだよなあ。プジョーとシトロエンは多いけど。 となると、私の愛車をマツダ・ロードスターにするか、あるいは、プジョーとかシトロエンにするか、かなあ・・・。プジョーなら208、シトロエンならC4か。あるいは、家内の愛車をロードスターにする手もあるか・・・。 まあ、どうなるか分かりませんが、とにかく次の愛車はできれば屋根が開いて欲しいと思っているワタクシなのであります。
August 20, 2023
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このところほぼ月一で実家に戻っており、その都度名古屋・東京間をクルマで往復しているもので、我が愛車ルノー・キャプチャーの走行距離がどんどん伸びてしまって・・・。 っつーことで、実家への往復に関し、家内が同行する時は、極力家内の愛車、すなわちフォルクスワーゲン・ポロ(5代目)を使うことにしているのですが、そうやってポロに長距離乗ると、改めて分かってくることがあるわけ。 まずね、エンジンに関して言うと、キャプチャーもポロも、1.2リッター・ターボなんだけど、力感から言うとポロの方が上。あと、ミッションは両車ともDCTなんだけど、ポロが7速なのに対してキャプチャーは6速。そしてその制御については、これまたポロの圧勝。その意味は、まずキャプチャーは一般道を走っている時に6速のトップギアに入ることはほとんどなく、それは高速道路用という感じなのに対し、ポロは一般道でも7速まで入る。当然、その分、燃費もいい。またDCT特有のギクシャク感について、キャプチャーは特に低速域で顕著なんだけど、ポロの場合、ほとんど感じられず、まるでトルコン式と見まごうばかり。 で、優秀なエンジンと優秀なDCTのお陰で、ポロの動力は素晴らしい。ほんとに滑らかに、力強く加速していく感じ。 というわけで、両車を比べると、動力的にはポロの圧勝よ。 だけど、それでもキャプチャーの方に軍配をあげたくなるのは、ハンドリング。 ポロのハンドルは重い! 一般道では、この重さは苦役レベル。カーブの度によっこらしょ、っていう感じで、疲れる疲れる。一方、キャプチャーのハンドルは重くなく、軽すぎもせず、ちょうどいいところ。しかもSUVであるキャプチャーはアイポイントがポロよりよほど高いので、見晴らしがいい。この見晴らしの良さと、ハンドリングの良さがあるものだから、キャプチャーの方が圧倒的に軽快感があるわけ。 しかも後部座席や荷室の大きさはキャプチャーの方がずっと上。ということで、全体としてみると、相棒としてはキャプチャーの方がいいなということになると。 ということで、私としては、やっぱりキャプチャーの方が好きだな、ということになるのですが、それにしてもポロの動力性能の良さは、印象的ではありますね。このサイズの日本車で、ポロのように高級感のあるパワーユニットって、ないんじゃない。そこは、やはり、値段だけのことはあるなと。ドイツ車だけのことはあるなと。 とまあ、そんなことを思った次第。 でも、キャプチャーも走行距離が10万キロに近づきつつあり、一方のポロも10年選手になりつつある。となると、どちらもそろそろ、っていうところはある。 さて、次はどういう組み合わせで行くか。ぼちぼちそんなことも考えつつ、クルマ系のYouTube などをチラ見しているワタクシなのであります。
August 19, 2023
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今日もひがな一日、文芸誌を読んで過ごす。文芸時評の締め切りは22日だから、明日あたりは、そろそろ書き始めなくてはならないだろう。 あなたは文章を書く人だから、文章を書くのが好きなのでしょうと言われることがあるが、とんでもないことである。文章を書くのは辛い。特に書き始めは辛い。 その辛さを何となく軽減するために、文芸誌を読みながら、もうどの順番で書くか、おおよそ考えてしまう。冒頭はこの話をふって、次にこの話をして、この話を次いでから、最後にこの話でまとめよう、というように。 きっとそれでうまく行くだろう、とぼんやり考える。以前にも、そうやって、ちゃんと締め切りに間に合ったではないか、今回だってどうせうまく行くさ。 とまあ、そんなことを思いながら、時評の漠然とした形を考えているところである。
August 18, 2023
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今回の台風、実家ではほとんど何の影響もなかったので、多寡をくくっていたのですが、そのしっぺ返しをくらいました。 昨日、午後四時半ごろに実家を出て名古屋の自宅に向かったのですが、その時点で新東名の新富士-新清水間が通行止めになっているのは知っていたのよ。 だけど、実家のあたりはまったく雨なんか降ってないし、すぐに解除されるだろうとそのまま高速に乗りまして。 ただ、足柄の近くになっても解除されないようだったので、ここは一計を案じ、足柄SAのスマートICで降りて、御殿場アウトレットに向かい、そこで軽く買い物をしたり、夕食をとることに。そこで二時間ほど潰せばさすがに解除になるだろうと。 で、御殿場アウトレットにある「さわやか」で、静岡名物のハンバーグを食べたり、家内の誕生日プレゼントにモルトン・ブラウンの香水を買ったりしてショッピングを少々楽しんだ後、再度、高速に戻ったのですが、まだ通行止めは続いている。 で、仕方なく、そのまま新富士ICで降りて、次の新清水までの十数キロを、一般道で走ろうと思ったわけ。 ところがこれが大誤算。たかだか十数キロの道のりと思いきや、新東名は山の中だから、まあ、通れる道が細くて少ない。で、そこに高速を追い出されたクルマが集まるわけだから大渋滞よ。途中、スマホのナビに従っていたら、クルマ一台がギリギリ通れるような細い路地に迷いこみ、両側とも側溝がない道で往生したり、大変な思いをさせられて。また、山の中なのでコンビニもほとんどなく、1軒だけあったコンビニとその隣にあった交番には、トイレ待ちの長い列ができておりました。我々は大丈夫だったけど、あの一般道の渋滞の中でもしトイレに行きたくなったらと思うと恐ろしい! で、高速道のひと区間を一般道で走るのに何と4時間を要したという・・・。再び新清水から新東名に乗ったのは、日付も変わりそうな11時台でありました。結果、自宅に到着したのは夜中の2時半。4時半に実家を出て10時間かかったことになる。普段なら4時間なので、その2.5倍。 たかだか10キロほどの通行止め区間があったために、この体たらくだよ!! しかも、新富士―新清水のあたりなんて、雨なんか降ってないんだからね。なんで通行止めなんかにするんだよ! むしろ新清水で乗ってからの方がよほど雨の強い区間があったぞ。 ということで、教訓!①わずかひと区間とはいえ、東名・新東名に通行止め区間がある場合、実家から自宅に戻るのに中央道を使うこと。②もし東名・新東名を走行中に通行止め区間が生じた場合は、迷いなく東名の方を選択し、国道1号線を利用すること。新東名の近くを走る一般道は、慣れない旅人が通るにはマニアック過ぎる。 ま、とにかく、お盆休みの最後は、とんだ結末となってしまったのでした、とさ。ヤレヤレ。
August 17, 2023
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さてさて、実家で過ごす夏休みも今日まで。今日はこの後、名古屋の自宅に戻ります。 持ってきた仕事の進捗度合いは7割ってところかな。まあ、10割行くことはもともとないので、そこそこの出来というところ。でも、その中で父の墓参りもできたし、家の整理も少し進んだし。 ただね、ますますわけが分からなくなってきた母とは、なかなか思うように話が出来ず。こちらが話しかけても、頓珍漢な答えしか返ってこなかったり。もう、ちゃんとした思い出話もできないかな・・・。 それでいて、やっぱり私が帰省しているのは嬉しいらしく、だから今日、名古屋に戻るとなると、母は母なりに悲しいのだろうなと。もはや、なぜ名古屋に戻るのか、理屈で説明できないだけに、ただ寂しい思いをさせてしまうので、こちらとしてもやるせない。 ま、しかし、人生そういうもんですな。私だって年をとったら、理不尽に悲しい思いをするのでしょう。 とにかく、明日からまた名古屋からのお気楽日記。お楽しみに!
August 16, 2023
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今日は父のお墓参りをして参りました。 台風が近づいていたので、行けるかどうか分かりませんでしたが、蓋を開けてみたら関東地方は台風もどこ吹く風で、普通に晴れていて。 で、今回、一つ愉しみだったのは、6月の命日の時に植えたアジサイがどうなったかを見ること。 が! やっぱり、跡形もなく枯れ果てておりました・・・。 アジサイは父が好きだった花なので、お墓に植えたらいいだろうと、ここ3年ほどずっと植えてきたのですが、毎年、夏を越せずに枯れてしまう。アジサイ計画はどうも無理らしいです。 となると、どうしますかね。来年は。 百日紅(サルスベリ)とかムクゲも父が好きだった花なので、それらはどうかなと思うのですが、どちらも結構大木になりますよね・・・。となると、隣近所のお墓に迷惑がかかるかなと。 矮性の植物で、なかなか枯れない、そして花の咲く樹木って、何があるんだろう? ちょっと考えないと、ですねえ。 ま、それはともかく、お盆に父のお墓参りが出来て良かった。父も喜んでくれたことでしょう。
August 15, 2023
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自己啓発研究のスピンオフで現在鋭意執筆中なのは、古今東西の自己啓発本の中でも選りすぐりのものを48冊、私なりに紹介する、というものなんですけど、これの執筆がほぼ終わりました。 で、現在、思案中なのは、その48冊を、どういう風に、どういう順番で並べるかという一事。 そんなの適当でいいじゃんとか、年代順でいいじゃんとか、思う方もおられるかもしれませんが、私としては、紹介する順番こそ、この本の命なのではないかと思っているのよね~。 だって、どういう風に並べるかで、筆者がこれらの本をどういう風にとらえているか、おおよそ分かるじゃん? だから、個々の本の紹介そのものよりも、私としては、どの順番でこれら48冊を並べていくかの方が重要なわけ。 かつてアビ・ヴァールブルクの書棚を見て、本がどういう順番で並べられているかを見た某哲学者が、ヴァールブルクの頭の中の学問体系を察知し、その完璧さに絶望したって話があるじゃない? それよ、それ。私がこの48冊をどういう順番で並べるかによって、私の自己啓発本研究の体系が分かる。そういうように並べたいのよ、私は。 っつーことで、今日は朝から、この48冊分の紹介文の順番の並べ替えを四苦八苦してやっているところ。 だけど、これが簡単なようで、超難しい。なかなか揃わないルービック・キューブをやっているような感じで、この面が揃えば、こっちが破綻する、みたいなことの繰り返しよ。 でも、それが研究というもの。研究というのはシンドイものですからね。 まあ、100%上手く行くとは思えないけれど、8割がた、自分の思い通りの並べ順になる方法を探して、もう少し四苦八苦しますかね。
August 14, 2023
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仕事の都合上、文芸誌を読み漁っているのですが、その中で「文学フリマ」を扱った小特集みたいなところがありまして。 それによると、世には文学フリマというのがあって、それは結局、文学版コミケみたいなものらしい。 コミケはね、知ってますよ。先日もどこかで何万人という人出を集めたとか。だけど、それは日本のマンガ文化・アニメ文化の隆盛の中でのことであって、当然そういうものがあるんだろうなと、素人にも想像できる。 だけど、それの文学版があったとは。そして、それがまた結構盛況とか。 ふうむ、そうなのか・・・。小説を書いたり詩を書いたりする人が多いだけでなく、その成果物がコミケ的に市場に出されていて、それを享受するファンも多いのか・・・。 じゃあ、文学ってのは廃れているわけではないのね・・・。 じゃあ、文学研究だけ廃れているってこと? 文学研究の界隈では、学会を開いても発表してくれる人が集まらない状態なのに? まあ、その辺の乖離がどういうことになっているのか、考えた方がいいのかもね。
August 13, 2023
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噂に聞くフランスの高級バター、「エシレバター」を食べてしまいましたよ、ついに! 前々からその名こそ聞け、いまだ食したことがなかっただけに、興味津々! で、食べてみた感想は?! 旨い! 芳醇で上品な風味もよく、やや強めの塩味もトーストに合う! が! わしは普通の四つ葉バターでいいかな・・・(獏!) いや、エシレもいいけど、値段差を考えるとね、四つ葉バターも健闘しているので、日常的にはそっちでもいいかと。いちどエシレの味を知ったら、もう元には戻れない、というところまでは行かなかったかなと まあ、わしの舌がエシレに追いついていないだけですが。 でも、経験としてエシレの味を知ったことはいい勉強になりました。人生、なんでも経験だからね。これこれ! ↓エシレバター 板 【有塩】 250g | ECHIRE
August 12, 2023
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今日は朝から家族中で探偵ごっこをする羽目になりまして。 なんかね、キッチンの方で「ピッ」という音が定期的に鳴るのよ。 で、何が鳴っているのか全然分からず、しばらく放っておいたのだけど、定期的に鳴るものだから、気になりだして、一体何が鳴っているのかを調べ始めたのですが、これが一向に分からない。 最初は洗濯機が鳴っているのかと思いきや、そうでもない。次に冷蔵庫が疑われたけれど、そうでもないらしい。給湯器なのか? それともガスレンジか? と家族皆で聞き耳を立てるのだけど、全然分からない。ピッの音が鳴り続けているなら、発信源も辿りやすいのだけど、たまにしか鳴らないので、なかなか犯人を捜すのが難しいのよ。 で、どれだ、どれだ? どれが鳴っているんだ? と探し回った挙句・・・ ついに分かりました。火災警報器が鳴っていたのでした。 で、脚立に上って確認したところ、電池が足りなくなってくると50秒間隔で警告音が鳴ると書いてある。なるほど、やっぱりこれだわ。 っつーことで、ようやく一件落着した次第。 でもね、この火災警報器の電池ってのが、普通の電池じゃないのね。コードとソケットのついた特殊なやーつー。何で普通の単三電池とかにしないのかね? ま、とにかく、新しい電池はアマゾンで注文することにして、今回のピッ音騒動は解決と。 それにしても、朝っぱらから人騒がせな出来事でありました。ヤレヤレ。
August 11, 2023
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今日は夏休みで実家に帰省しました~。 ところで、帰省に関して気づいたことを一つ。 ひところまで、高速道路を使って帰省すると、虫がフロントガラスにぶち当たってきて、家に着くまでの300キロの間に、結構、フロントガラスが虫の衝突跡でいっぱいになったものだったんですわ。 で、こちらも100キロで走ってますから、虫が衝突するのなんて一瞬の出来事でね。バッタか何かが飛んでいるのが見えて「あ~、ぶつかる!」と思っても、さすがに避けることもできず、「テッ!」という軽い衝突音と体液の跡だけを残して、一つの命がこの世から消えるわけ。で、その度に申し訳ないなと。 で、虫の跡が残るのは、ゴールデンウィークから9月くらいまでがいいところで、そのほかの月に帰省してもそういうことにはならない。そういう意味で、虫さんたちには申し訳ないけど、フロントガラスの虫の跡は、夏の印でもあったわけ。 ところが。 最近はね、全然そういうことがない。夏の間に名古屋・東京間を往復しても、フロントガラスに虫の跡なんか一つもつかない。 これって・・・どゆこと? 虫が少なくなったってこと? まあね、無為な殺生をしなくて済むのなら、こちらとしては別にいいけれど、そもそも何らかの理由で虫が少なくなっているのだとしたら、それはそれで問題ありだよね? とまあ、今日も虫の死骸ひとつついてない綺麗なフロントガラスを眺めながら、不思議だなと思うのであります。
August 10, 2023
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明日8月10日は父の誕生日。生きていれば95歳ですか。88歳で亡くなっちゃったけどね。 大体お盆に近いので、昔からこの日をめがけて夏休み帰省することが多かった。で、帰った途端に誕生日パーティーをするので、こちらも誕生日プレゼントを用意して持って行くわけよ。 父が探していて、なかなか見つからない古本を、ネットでこっそりゲットして、それを誕生日に渡して喜ばれたこともありましたっけ。 あと、写真を撮るのが趣味だった父のために、父が撮った写真を切手にして(そういうサービスがあるのよ、郵便局に)、自分の撮った写真の切手シートをあげた時も喜んでくれました。 でも、あれかな。父の句集を作って、誕生日に渡した時が一番喜んだかな。まさに最後の誕生日、88歳の時の誕生日のこと。あれは喜んでくれた。色々な人に渡しては、息子が作ってくれたんですって、自慢していたっけ。 それから10か月後に亡くなるなんてね、思いもしなかったけれど。 割と親孝行な方だったと思うけど、もっともっと喜ばしてやりたかったな。もっと親孝行すれば良かったって思いますね。もっと頻繁に帰省すればよかった。時々、「お前、東京の大学に移籍する、なんてことはないのか?」なんて、さらっと聞いてきたりしたけど、あれは戻ってきてほしいということだったんでしょうからね。 明日は実家に戻って、折を見て墓参りをしなくちゃ。
August 9, 2023
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仕事の都合上、日本の最新小説を読み漁るんですけど、なんか違和感がある。で、何だろうこの違和感はと思って考えるのですが、なんかね、日本の今時の小説って、説明し過ぎなんじゃないかと。 し過ぎもなにも、全部説明してある。 例えば「○○と言ってみた。相手に対する苛立ちが言葉尻に現れてしまい、少し強く言い過ぎたかとも思ったが、相手は特に何も返答しなかったので、まあ、気にすることはないかと思った」みたいな感じで、自分がどういうつもりで言ったか、その時どう思ったか、相手がどう思ったと思ったか、そう思ったけれども、そんなことどうでもいいやという気になった、とか、全部説明しちゃっているわけよ。 小説って、そういうもんだっけ? 全部説明するんだっけ? とにかく全部説明してあるから、読者としては何も考えなくていいんだよね。この登場人物はどうしてこういうことを言ったのか、どうしてこういう態度をとったのか、とか、そういうことを推測する余地がどこにもない。全部作者が解説してるから。 そう、何にも推測しなくていいのね。でも、そんな、何もする必要のないものを読んで楽しいのか?っていう。 わたしゃ、むしろ、何にも説明しない小説ほど高級なもんだと思ってこれまでやってきたので、最近の日本の小説読んで驚くことばかりよ。
August 8, 2023
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さあ、8月7日、文芸誌の発売日。今日からしばらく、文芸誌を読み漁り、時評を書く仕事に追われることになります。 っつーことで、そのキツイ仕事の前にちょいと息抜きをしようというので、今日のお昼は家内と外食をすることに。 向かったのは、近所のショッピング・モールにあるフレッシュネス・バーガー。最近、某テレビ番組で取り上げられたのを見て、急に食べたくなったものですから。 そうしたら、やっぱりテレビの影響ってのはスゴイね。2時過ぎていたのに長蛇の列。で、その列に30分ほども並んでようやくゲット。フレッシュネス・バーガーを食べたのは何十年ぶりか、って感じでしたけど、とても美味しかった。味わいはプレミアム・バーガーに近く、そう考えるとそこそこ安い。レモネードなども相当なレベル。ビールが190円で飲めるというのも魅力でしたが、クルマを運転するので、それは断念。 その後、ちらっとモールをぶらついたものの、特に買うものもなく、ちょいと夜ご飯の総菜などを買って帰宅。しばしの外出で、気分が変わりました。 さあて、これからはしばらく他人の文章を読んで読んで読みまくる一週間。がんばるぞー!
August 7, 2023
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先々月の末、某雑誌から依頼され、インタビューを受けた話はこのブログにも書きました。 が! そのインタビューが載る雑誌の発売日が今日だったのですが、当該のインタビューは載っていなかったと。 っていうか、私をインタビューしてくれた記者の方から、それ以後、何の連絡もないと。 インタビューが終わって、別れる時に、「それでは、雑誌に載せる記事が書き上がりましたら、一度お目通しをお願いします」と言われていたんですけれども、それも含め、まったく音沙汰がないと。 うーーーーん! これは一体どういうことなんでしょうか・・・。 まあ、ちょっと、一般論としては、その記者の方の行動は解せないよね? 仮に何らかの事情があって、その記事が没になったとかいうのだとしても、それはそれで私に一報するべきだし。 とはいえ、私にインタビューしてくれた記者の方は、35歳でまだ若い人だったんですよね。で、自己啓発本を相当、色々な種類読まれているようだった。 で、ここからは私の邪推なんですけど、ひょっとしてその人はメンタルがすごく弱い人なのではないかと。だから、自己啓発本をたくさん読んで、自分を奮い立たせていたと。 ところが、何らかの理由でその心が折れて、欝になってしまい、記事も何も書けなくなって、会社も休むようになってしまった・・・ ・・・そんな可能性があるのではないかと。 だとしたら、私の方から「あのインタビューはどうなったんですか?」などと尋ねるメールを出したら、それこそ彼の心を完全に折ってしまうことにはならないか? 私への負い目から、さらに病状が悪化したりしないか? ま、そんなことをちょっと思うもので、こわくて問い合わせのメールが出せないという・・・。でも、そんな理由でもなければ、普通の健康なジャーナリストが、何の音沙汰もないような状況を創り出したりはしないですよね? あるいは・・・ 彼は某雑誌の記者でも何でもなかったとか。身分を偽って、ただ私に会いたかっただけ、とか。 まあ、私のアドレスなんて、ネットで探せばいくらでもわかるし、一方、私はといえば、彼が「某雑誌の記者です」というのを疑ったり、雑誌社に問い合わせたりしませんからね。 もしそうだったら、こわいわ~。怪談だよ、怪談。 ということで、いずれにしても、私のインタビューは幻となってしまったのでした、とさ。ヤレヤレ。
August 6, 2023
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今日も一日、原稿書き。私にとっては毎日が同じことの繰り返しでございます。 ところが。 実は今日は、私の住む町の夏祭りの日でありまして。そのお知らせが、少し前に来ていた。 で、そのお知らせによると、そのお祭りに参加すると、ジュースがもらえたり、くじ引きが出来たりするらしい。ということで、一日家に籠っていても仕方がないということもあり、夕方、散歩がてら、家内とお祭りの様子を見に行ってみた。すると・・・ まあ、大賑わいよ。この界隈にこんなに人がいたのかと思うほど、お祭り会場は人出でごった返しておりました。 いやあ、日本人ってのは、お祭りが好きなんですなあ。私は嫌いだけど。 それでも見ていると、小さな子供たちは可愛らしい浴衣やら甚平やらを着てはしゃいでいるし、中学生くらいの女子らが、少しお姉さんらしい浴衣を着ているのも趣がある。会場に行った時間帯がまだ早かったので盆踊りは始まっていなかったけれども、それが始まればまた一層、祭りらしい感じになったのでありましょう。 伝統とは無縁の新興住宅街であっても、夏祭りは盛り上がるんですな。 ま、それだけの話ですけれども、代わり映えのしない原稿書きの生活から一瞬抜け出して、お祭りの華やぎを見たことは、ちょっとだけ季節感を味わうこととなり、その分、気晴らしにもなったのでありました、とさ。
August 5, 2023
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順調かと思えた仕事の方が、意外にも手間取ることとなり。やはり、何事もそう自分の都合のいいようには進まないのね・・・。 で、そんなストレスフルなところに、ちょうどいい気分晴らしになっているのが、『VIVANT』というドラマ。日曜劇場の番組ですが、録画しておいて、息抜きタイムに見ております。 で、荒唐無稽な筋書きではあるのですが、やっぱり、見せるんだよね! 『半沢直樹』のスタッフが総動員されているようですが、さすがにあのチームだけあって、実に話の進め方がうまい。ハラハラするような作りになっているもので、どうせ助かるのだろうと思いつつ、主人公たちがピンチに陥る度に固唾を飲んでおります。 ストーリーの作り方としては、『ミッション・インポッシブル』の最新作より上手いんじゃね? やっぱり、社内の裏切り者は誰だ?という方が、「敵はAIでした」というのよりよっぽど見ごたえがある。 というわけで、次回は社内の誰が乃木(堺雅人)を陥れようとしたのかが判明するらしい。うーん、楽しみ。 それに、ドラマにおける乃木の幼少時の映像を見る限り、彼の出自も何だか謎めいていて、いずれそれも分かるのでしょうけど、まあ、楽しみが一杯。 今の私には、『VIVANT』は恰好の息抜きですな。
August 4, 2023
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教養英語の期末テストで、英作文の課題を出しましてね。サマージャンボに当たって7億円ゲットしたら、それ、何に使うか、英語で言ってみ、っていう。 で、受講生それぞれ、なんだかんだと7億円の使い道を英語で書いてきて、それは結構面白かったんだけど、一つ、気づくことがありまして。 それはですね、7億あったら、クルマを買うという学生が結構沢山いたこと。 ン? 最近の若者は、すっかり草食化しちゃって、クルマなんかに興味がないんじゃなかったの?? って思ったんだけど、実際にはクルマが欲しいという学生が相当数いたんだよね。 しかもね、単に移動手段が欲しいという意味ではなくて、買う車種まで決めている子が多かったんですわ。それも高級車。アウディのR8とか、ランボルギーニだとか、ポルシェだとか、日産のGT-Rとかね。まあ、トヨタの86、なんて現実的な子もいたけど、それにしてもスポーツタイプのクルマばかりで、ワンボックスカーが欲しいなんていう子は一人もいなかった。 ふうん。そうなんだ。 でも、「そのクルマでデートしたい」とか書いている学生はいなかったか・・・。純粋なクルマ・オタクであって、女の子にもてたいから、といったような、昭和の男子学生とは違うのかもね。 まあ、でも、クルマ好きの若者が一定数いるということが分かっただけでも、ほっとするところはありましたね。 その他、海外旅行に行きたいとか、ディズニー・ランドに死ぬほど行きたいとか、そういうのが多いのは予想していましたが、親や祖父母に家を買ってやりたい、なんていう学生も相当数いて、案外、親孝行が多いことに驚かされました。まあ、7億もあれば、多少は親孝行気分も出て来るか。 とまあ、色々でしたけど、採点していて、ちょっと面白かった。なかなかいい課題だったのではないでしょうか。
August 3, 2023
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いやあ、沖縄の台風、えらいことになっていますね。 実は今、私の友人夫婦が沖縄の、さらにその先の島の方に観光で行っているのですが、この台風で帰ってこられなくなってしまい、大変なことになっております。 現在のところ、帰って来られるのは最速で9日だそうで、まだ1週間は滞在しなければならないらしい。1週間くらいの予定で観光に行ったのに、その倍くらいの日数、向こうに釘付けなんだから辛いところでしょう。台風で海も荒れていて、遊んでいるわけにもいかないですし。 しかも、仕事があるわけですからね! 有給とって沖縄に行くのは当然の権利ですが、その後、全然戻ってこないとなったら、いくら自然災害と言っても、その分負担をかけてしまった同僚に会わせる顔がないのでは・・・。ちんすこうとか、死ぬほどお土産を買ってこないと! いやあ、気の毒! 友人夫婦には、とんだ針の筵ヴァカンスになってしまいました。 でも、あれだよね。こんな状況になってくると、この先、台風到来の可能性のある月に、遠くに旅行に行くなんて、こわくてできないよね! これも地球温暖化のなせる業なのだとしたら、罪なことでございます。
August 2, 2023
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ひゃー、今日、期末試験が終わって、これで前期終了~! ようやく夏休みだわ。疲れた。 現役の大学生だった頃と比べたら、夏休みの入りが1カ月遅れとるわ。でも、半期16回の授業をしなくてはならない昨今、どうしてもこの時期までやらんと、終わらないのよね。 まあ、でもとにかくおわた。めでたい! ・・・といっても、だからと言って毎日の生活が変わるわけでもないか。 小学生とかだと、「よーし、明日は○○君とクワガタ捕りに行って、明後日は××君とプールに行って・・・」みたいな計画が目白押しで、それはそれは夏休みの入りというのは楽しかったもんですが、大人になるとそうでもないもんな・・・。結局、自分の仕事するだけだから。 でも、ま、大学に行かなくてもいいのは、気楽だな。 8月は文芸時評の月なので、文芸誌が発売される7日以降、ちょっとその仕事にかかり切ることにはなるけれど、それ以外は自分の仕事に専念できる。ここでちょっと気合を入れて、本の執筆に本腰を入れて、今年後半から来年にかけての怒濤の出版ラッシュに備えることにいたしますかね。
August 1, 2023
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