全4件 (4件中 1-4件目)
1
![]()
自家用車の整備を待っている間、久しぶりに本屋で立ち読みをしていたところ、面白そうな音楽関係の新書を何冊か見つけました。「イヌも歩けばボウに当たる」とはこのこと。今日はその中の一冊、「調律師、至高の音をつくる」(高木裕著、朝日新聞出版)についてです。【送料無料】調律師、至高の音をつくるタカギ・クラヴィアの高木裕さんと言えば、五年ほど前に「スタインウェイ戦争」という少々刺激的なタイトルの本(大山真人氏と共著)で、日本におけるスタインウェイ社製ピアノの流通やそれを取り巻く音楽界の裏事情をバクロしてしまった方です。今回の著作も、調律師というステージの裏方から見た現在のピアノ音楽界事情を語っている点では前著と似たテーストですが、ピアノ「持ち込み」コンサート累計三千五百回という膨大な経験によって、今や同氏は単なる裏事情通(~告発者)というよりは、楽器から音楽界を見通す評論家といった風情。前著では、彼が語るカーネギーホールでのヴィンテージ・スタインウェイの音に大いに興味を持ち、CDまで買って聞いた一方で、「ピアノを常にベストの状態でコンサート会場に持ち込むべし」という、彼の最も重要なマニフェストについてはあまり注意を払っていませんでした。(大体亭主が人前で弾くわけでもなし...多分どこのコンサートホールのフルコンでも自宅のヤマハよりはマシだろう、と想像することしきり...)しかし、高木氏の著作を読んでいると、現代のピアノが楽器として如何に特殊なものかがヒシヒシと伝わってきます。何しろ、同じ鍵盤楽器といっても、ハープシコードはせいぜい60~70キログラム、ちょっと太めの大人一人ぐらいの重さしかなく、ミニバンに積んで何処にでも運べてしまいます。スカルラッティの時代には、宮廷の移動の際にハープシコードをラバに積んで山道を運んでいた、という記録もあるそうですから、まさに当時からポータブルだったわけです。現代ピアノのもう一つの特殊性はもちろん調律(も含めた楽器のメンテ)で、演奏者自身が調律できないなどという楽器はピアノ以外にありません。未音亭のハープシコードも、調律その他、よほど特殊な作業でなければ亭主が自ら行います。フルコンの重さは五百キログラムもあるとか。思うに、軽量を競っているハイテク飛行機の技術があるのだから、ピアノももっとハイテクを駆使して軽量化出来ないものでしょうか?例えば鋳鉄のフレームを炭素繊維製にすれば、それだけでずいぶん軽くなると思われます。どのみちピアノはメカなのですから、21世紀にふさわしいメカの形を追求してほしいものです。
2011.12.25
コメント(0)
前回、チャールス・バーニーの著作”The Present State of Music in Germany, the Netherlands, and United Provinces”中にあった、J.S. バッハについての「大賛辞(マープルクの著作からの引用)」をご紹介し、バーニー先生もバッハのことを高く評価していたと考えるのが自然だ、と書きました。ところが、その後彼の大著「A General History of Music(一般音楽史)」をひもといて大バッハについての記述を拾ってみると、おやっと思わせるような注釈が目に飛び込んできましたので、今日はこれについてご紹介しましょう。バーニー先生の著作は、どれも巻末に必ず索引が付いていて、後で「○○についてどう書いてあったっけ?」と探す場合にとても便利です。また、「一般音楽史」のような膨大な著作では(今のところとても頭から読み通す気になれないのですが)、索引を頼りに辞書代わりの使い方も出来ます。というわけで、全四巻のうち著者の同時代についての内容を含む第4巻の索引で「Bach」を引いてみると、590頁から594頁にかけて大バッハや彼の同時代の音楽家についての記事がありました。ここで、前回紹介したマープルクの賛辞「彼は多数の偉大な人物の才能をその身一つの中に統合した:深淵な科学、豊穣で生き々々とした天才、分かり易くまた自然な趣味、そして想像しうる限り最も強力な手である」が再録されているのですが、その引用中の「分かり易くまた自然な趣味」の部分に注釈を付けて曰く、「大賛辞のこの部分については、多くの人が賛同しかねるところであろう。というのも、この真に偉大な人物は、そのオルガン作品(私もその主要なものを所持しているが)を通して、自然さや容易さにはほとんど顧慮することなしに、常に何か新奇で難しいものを探し求めていたように見えるからである。彼は和声の充足(full harmony)を非常に好んでいたが故に、常時ペダルを積極的に使用したばかりでなく、手や足が届かないようなキーを口にくわえた棒で押していた、とも言われている。」このくだりを読んでいた亭主は、「おぉ?、似たような話をどこかで読んだような...」と思う間もなく、平均律クラヴィーア曲集第1巻を録音したCDのライナーノート中で曽根麻矢子さんが語っていたエピソードを思い出しました。早速CDを取り出して調べてみると、彼女の手になる「録音後記」(pp.12)に以下のような記述があります。「... そして、ある時、『おーい、マエストロー、ちょっと手伝いに来てー!』と、助けを呼ぶことがありました。どうしても一人では押さえきれない音が1つだけある曲でした。その音が来たときに片手をお借りしたのです。何と楽しかったことでしょう。」ここで、マエストロとは録音に付き添っていたハープシコード奏者、スキップ・センペ氏のことで、この直後の文章では、録音を聞いた曽根さんが「この音の音色だけがまわりのそれと明らかに違う」と驚き、また笑った話が続いています。それにしても、CD録音であればこっそり「人の手を借りる」こともアリ、かも知れませんが、生の演奏会ではどうするンでしょうね?バーニー先生の聞いたうわさ話のように、口に棒切れをくわえてキーを押すのでしょうか?ちなみに、残念ながら亭主の節穴のような耳では、いくら曽根さんのCDを聞いてもどの曲にこのヒミツの音があるのかいまだに分からない状態。どなたかこっそり教えて頂けませんか?
2011.12.18
コメント(0)

前回、チャールス・バーニーの東ヨーロッパ音楽紀行について、その前半で出会ったスカルラッティ関連の記事を紹介しました。その後、帰りの機中で後半の第II巻を読み進むうちに、今度はJ. S. バッハについての記事に行き当たりました。この巻でバーニー博士は、プラハからドレスデンを経てライプチッヒ(pp.71~86)を訪れます。ライプチッヒが大バッハ終焉の地であることは彼もよく知っており、バッハについて2ページほどの記述があります。ほぼ同時代人であるバーニー博士が彼のことをどう評価しているか、面白いので少し触れてみましょう。まず記事の冒頭、バーニー博士はライプチッヒという都市を形容するにあたり、「同じ名を持つ現在の傑出した音楽家達の父親である、かの偉大なセバスチャン・バッハが1723年から1754年の死まで住まいであったこの街は、harmonyの愛好家にとって他の何処にも劣らず興味深い」と述べています。バーニー博士、いきなりバッハの没年を間違えているのはご愛嬌ですが(本当は1750年、彼は同様の間違いをD. スカルラッティについてもやらかしいます)、これだけ読むと、彼がバッハのことをその息子達に勝るとも劣らず評価していたという風に読めます。実際、すぐ後の文章ではやはり同時代の著名な音楽家であったクヴァンツとマープルグの著作を引用し、「彼はオルガン演奏をその最高の完成へと導いた(クヴァンツ、「フルート演奏の技芸」)」、「彼は多数の偉大な人物の才能をその身一つの中に統合した:深い科学、豊穣で生き々々とした天才、分かり易くまた自然な趣味、そして想像しうる限り最も強力な手である(マープルク、「フーガ論考」)」と記します。ところで、最初の引用中のharmonyという単語を原語で残したわけは、これをどう訳すかやや悩ましいものがあるからです。ここだけ読めば、「調和」を旨とする音楽一般を指すとも取れますが、この「音楽紀行」全体の文脈からは、どうやら対位法的な音の堆積を重視するポリフォニックな音楽を指していると思った方がよさそう。さらに、バーニー博士が特にマープルクのフーガに関する著作からバッハを讃える文章を引用していることも考えると、彼がバッハのことを単に「オルガン演奏の名手」としてでなく、対位法を中心にした音楽の作曲家としても高く評価している、と想像するのが自然です。亭主が常々聞かされた話では、「バッハは同時代からはもっぱらオルガンの名手として評価されており、作曲家としては大した評価を受けていない(対位法音楽=古くさい?)」、「バッハの再評価はメンデルスゾーンやシューマンといったロマン派音楽家達による『再発見』による」とされてきましたが、このバーニー博士の評を眺める限り、少なくとも音楽家達の間ではそうでもない感じがします。そもそも18世紀以前には、現代のクラッシック音楽界のような作曲家と演奏家の完全な分業体制は影も形もなく、両者を兼ねているのが普通だったと言われています。今日でも、ジャズの世界では「自作」を演奏することや、即興を重視することが当たり前ですが、18世紀の音楽はこれに近いものがあるとされています。バッハと同時代における「オルガニストとしての名声」を、今日的な意味での「演奏の専門家としての名声」と受け取ることは、どうやらとんでもない勘違いのようです。上記のようなことも含め、18世紀の文献を読むことは、「大バッハ」に類する19世紀以降に創られた音楽史上の虚像に対する解毒剤を与えてくれる、というメリットもあるのだということを思い知らされました。
2011.12.11
コメント(0)
「師走」に入り、一応教員の端くれである亭主も多忙に拍車がかかってきました。この週末(12月5日)からは、二日間行われる委員会に呼ばれてスイスにきています。会場はちょうど一年ほど前に来たチューリッヒ近郊の研究所で、「○○城」と名前の付いたヴィラ風のホテルに泊めてもらっているのですが、インターネットの環境がイマイチ。とはいえ、ブログを書くにはパソコンさえあればよく、これを書きながら夜明け前の静かな時間を楽しんでいます。21世紀になって既に十年も経つというのに、ヨーロッパへの長距離フライト(しかもエコノミー席)は相変わらず片道12時間もの苦行です。とはいえ、常日頃仕事に追われる亭主にとっては、読みたいと思っている本に集中できる、という意味で、今や数少ない読書三昧の機会でもあります。今回は、読みさしだったC. バーニー博士の”The Present State of Music in Germany, the Netherlands, and United Provinces”を堪能中。この著作、実はI、IIと二巻に分かれているのですが、亭主が読んでいるファクシミリ版(Travis & Emery社)はこれらが合本されており、厚さが4cmほどもあります。第I巻はフランスのリールから大陸に入ってフランドル、ケルン、ダルムシュタット、マンハイム、ミュンヘン、リンツを経由してウィーンへと至る紀行文になっており、飛行機を降りる頃にはちょうどこの第I巻が終わるところまでたどり着きました。バーニー博士、旅の始めに出会った(当時の)フランス音楽への悪口は相変わらずですが、ミュンヘンやウィーンでの音楽については大変高く評価しています。特に、後者の事情については当地に長逗留しながら詳しく記しており、第I巻総ページ数約367ページのうち後半三分の一以上にあたる165ページを費やしています。とはいえ、当時ウィーンで活躍中のハイドンやヴァーンハルらの名前も出てくるものの、やはりバーニー博士の第一のお目当てはイタリア系のヴォーカルミュージックで、まだウィーンに住んでいたハッセとファウスチーナ夫妻(翌年ヴェネチアへ転居)、グルック夫妻、イタリアオペラの台本作家・詩人としてスーパースターだったメタスタージオいった人達とは何度も会い、その都度彼らの様子を詳細に伝えています。ちなみに、D. スカルラッティについての元スペイン宮廷侍医ロージェ博士からの伝聞記事が出てくるのもこの一節(pp.247-249)ですが、実際に原典に接してみると、R. カークパトリックによる引用では省略されていたバーニー博士の注記があることに気がつきました。大変興味深いので、その部分を訳文で紹介しておきましょう。「*スカルラッティは、この芸術がまだ揺籃期に退屈な作品を生み出していた頃に作られ、また音楽を単にそういう状態に保つためだけにあるような作曲上の偏狭な禁則を破り、自身の作品の中で空想・気まぐれへの道を初めて切り拓いたのだった。彼以前には『目』こそが音楽に対する至高の審判とされたが、スカルラッティは『耳』のみへの忠誠を誓っていたのである。」(pp.248-249,「作曲のルールとしてあるのは耳を不愉快にしない、ということだけた」というスカルラッティの言葉への注記)このバーニー博士の言葉、特に20世紀以降になって生まれた十二音音楽に代表されるような「クラッシック音楽」の傾向に対する痛烈なアンチテーゼにもなっていて、亭主も大いに膝を打ちました。
2011.12.06
コメント(0)
全4件 (4件中 1-4件目)
1


![]()