2026
2025
2024
2023
2022
2021
2020
全8件 (8件中 1-8件目)
1
26日の日記の続き。 著者は、貴方のアメリカでの未来は次の3つの質問の答えの如何にかかっているという。1.貴方の仕事は、海外の誰かによってより安くできるか?2.貴方の仕事は、コンピュータでより速くできるか?3.貴方は「ものあまり」の時代の非物質的で超越的な要求を満足する何かを提供しているか? もちろん、1と2がイエスなら貴方は21世紀のアメリカでは落伍する。3はノーなら落伍するというわけである。今まで、花形であったITソフト技術は、グローバル経済によりインドではるかに安い賃金で作成される。だから、そのような分析的・論理的な頭脳活動(左脳優先思考)の職業はアメリカでは高い報酬を期待できない。これから先進国で伸びる職業は、感情的な総合性をもった「右脳優先思考」によるものであるとしている。この思考に成功する者と乗り遅れる者と、別な所得格差が発生するようだ。 「右脳思考」を育成する感性として、「デザイン」「ストーリー」「シンホニー」「共感」「遊び」「意味づけ」の6つをあげている。 「デザイン」とはまさに創造的な感性である。商品では品質でなく、感性の優れたデザインで売れ行きが決まる。「ストーリー」も全体的な把握が必要である。「シンホニー」は全体の調和である。「共感」は「おもいやり」であり、相手の立場に立てる感情である。「遊び」では笑いやユーモアの重要性を述べ、これも右脳の活動を活発にするという(著者はその意味で、子供のテレビゲームには肯定的である)。以前、日本でも浪越徳治郎という指圧師が大笑いでも有名であった。「意味づけ」とは、人生とは何かの疑問に答えようとするもので、宗教的なものを感ずる。 しかし、考えてみると、右脳思考で人間的なビジネス経営をするということは、伝統的な日本式経営ではなかったのか。患者と右脳的、全人間的に接するのは、指圧やヨガや漢方薬などの東洋医学の伝統ではなかったのか。人生とは何かに答えるための右脳活動は、インド哲学、老荘・孔子などの中国哲学のほうが先進国ではなかったのか。分析、論理思考の欧米の行き詰まりではないのか。養老孟司氏のいう「脳化社会」の行き詰まりではないのか。 日本も製造業は、争って低賃金の中国に進出している。この著者の質問の第1問に関係する。40年位前に、シンガポールに企業が移動し始めたころ、産業の空洞化が言われた。今、その話がないのは不思議である。経営者や大企業は利益を得る。代わりに所得格差の拡大や中小企業への影響は大きい。原因は小泉改革だとしているが、中国の賃金との戦いではないのか。空洞化した人は不安定な低賃金労働に移らざるを得ない。一方で安い中国や東南アジアの製品の輸入による「物あまり」の恩恵もこうむっているが、それはあまり話題には登らないようだ。 この本は、経済のグローバル化によりインド、中国などの低賃金国との競争で、アメリカはもっと先を行かないと負けるとして、それには右脳思考の重視を主張しているが、それは一方でそれに追いつかない人々の格差拡大に拍車をかけるものになろう。どこまでいくのだろうか。 それは日本も同じである。人生の意味は所得の大きさだけだろうか。見方を変えると、21世紀は、日本はその良き伝統的な右脳文化を自ら捨て、左脳化していく世紀となるのだろうか。 グローバル化に対して、日本自身、自国の「国家の品格」を問われる世紀となるのだろうか。 一歩、ひいて考えるとアメリカのさらなる格差拡大を予告するような怖い本である。
2006.04.30
コメント(0)
この日記は、昨日に起きた孫のことを書く。 朝、車で数分のマンションにいる娘から電話が妻に入る。孫が幼稚園バスに乗るとき,「行きたくない」と泣いたとのこと。幸い、バスの添乗員がうまく泣いたまま乗せていったというのである。もう入園して3週間、無事に過ごしていたので、安心していた矢先のことである。 3歳の孫(男)は、幼稚園に4月10日から通い出した。人見知りするほうなので、バスに乗って母親と別れることに抵抗し、大泣きするのではないかと心配したが、案外、すっと幼稚園バスに乗って行ったという。娘から妻に「安心した」と電話がかかってきたくらいである。 翌々週の24日から給食が出るようになった。24日の夕方、孫から妻に電話が来て「ばば(妻のこと)、お弁当は全部残さないで食べたよ」「明日は好きなエビフライだよ」と言った。 これで、給食も含め、無事、幼稚園生活もスタートと安心していた矢先である。 そこで、昨日は心配で、車で10分くらいの幼稚園に娘と妻とともに行った。毎月、最後の週は、親は自由に子供を観察できるのだという。孫に見つかると「帰る」と騒ぐかもしれないと思い、垣根越しにそっと幼稚園の広場を見たら、多くの園児が遊んでいた。晴天で暖かい。 そのうちに孫が目に付いた。広場中、精力的に走り回って遊んでいる。問題ないようであった。面白いのは、同じマンションから通っているA君が、孫とピッタリくっついて遊んでいることであった。安心して帰った。 娘の話によると、昼食をとるようになり、幼稚園での生活が長くなったので、週末にストレスが出てきたのではないかという。来週はゴールデンウィークなので休めそうだ。幼稚園の計画はうまくできている。 孫のクラスは22人で、若い保母さん2人が面倒をみている。毎月、月報を手書きで保母さんが書いている。昨日、娘から、最初の号を見せてもらったが、10日の日は、「家に帰る」と泣き出す子が多く、一人が泣き出すと、伝染して大合唱だったとある。わが孫は、泣かないが、10時頃、さっさと自分で片づけをして、保母さんに「家に帰ります」と言ったそうである。 ところが、入園してすぐに、孫が幼稚園から、虫かごを持って帰ってきた。幼稚園で近くの公園に遊びに行ったら、蟻がいて、孫がこれをつかまえて、虫は友達だから家に持って帰ると言ってきかないのだという。保母さんはやむを得ず、虫かごを持たせて家に帰らせたらしい。娘はあまり気持ちよくないようだ。 翌日は、今度は、虫かごにダンゴ虫が2、3匹いたという。「ダンゴ虫はかわいい」というのだそうだ。その幼稚園の保母さんの月報には、孫とA君は幼稚園に来ると、すぐ虫かごを持って腐葉土のあるところに行き、虫をさがしていると書いてあった。最初、傍観者であったA君も最近、虫かごを持って家に帰るようになったという。 「バカの壁」の養老氏は子供の頃、虫とばかり遊んでいたというが、孫とA君は、どうやら虫を通じて友人となっているようだ。
2006.04.29
コメント(2)
4月24日に読書感想を書いた「第1感」の著者のマルコム・グラッドウエル氏に興味を持ち、彼の前著(処女作)の「ティッピング・ポイント」(2000年に飛鳥新社で和訳本発刊)を図書館で借りた。当時、話題になったらしいが、私は、不勉強で知らなかった。今週末の返却納期が来た。今日、通読だが読み終わった。 ティップ(tip)とは、傾く、転覆するという意味で、「ティッピング・ポイント」は、そのポイントを超えると大きく世の中が変わるという「点」のことである。しかも、そのポイントを超えるもとは、実は大げさなことではないということを多くの事例をあげて説明している。 日本の政治問題でも、小泉劇場による圧倒的な自民党の勝利、たった1つのメールから始まった民主党の崩壊、そしてその後、小沢新党首を迎えての千葉の補選での民主党のすれすれの勝利など、ティッピング・ポイントがあちこち、連続している。 会社でも、業務の革新をするとき、あるティッピング・ポイントがある。革新は1人で始まる。そして、20%の賛成派と60%の日和見派、20%の反対派がいる。それがある時点で、日和見派が賛成に回るときがティッピング・ポイントになり、改善は一挙に進む。 工場でもティッピング・ポイントがある。ある工場で不良品が多く、20人くらいの不良品修理作業者がいた。改善スタッフ2人が、乗り込んだが、工場長はじめ、幹部は非協力であった。現場だけが協力した。2人は粘り強く、細かい改善を続けた。2年ほどたったある日、不良が激減し修正者は2名で十分となった。 別の工場で、古い自動機が1日10回くらい停止した。あるとき、課長が思い立って、停止の原因を追求し、細かい改善を粘り強く半年くらい続けた。ある日、機械停止がゼロの日が発生。そして、あっという間に1週間停止ゼロの新記録が出た。ティッピング・ポイントを超えたのである。 この本は「第1感」同様、実例が豊富であるが、同時に、その実例をまとめて、共通的な次の3原則を説明している。 第1原則:「80対20の法則」から「少数者への法則」へ:感染をスタートする特別な人々:社会をつなぐコネクターと説得のプロのセールスマンの存在 第2原則:粘りの要素:情報を記憶に残すための、単純かつ決定的な工夫 第3原則:背景の力:人の性格に感染する背景 事例の中で、1990年代、5年間でニューヨークの犯罪ガ3分の1に激減したティッピング・ポイントの解説は印象的であった。私はアメリカには2回しか行っていないが、最初に行ったのは、オイルショックの1973年秋であった。ニューヨークの下町に住んでいる知人のアパートで夜会うことになったが、彼は私をホテルまで迎えに来た。彼のアパートには地下鉄で行かなければならないから、地下鉄は危険だというのである。知人は芸術家の卵であったから、ヒッピーみたいな姿である。一緒に地下鉄に乗ったが、駅は廃屋のように汚く、電車はペンキの落書きだらけであった。怖かった。 この本ではニューヨークの犯罪防止は、1980年代後半からの地下鉄電車の落書きの徹底的な清掃作戦と警察による無賃乗車の取締りの徹底が効果を挙げた大きな原因としている。大げさなことをしたわけではなかったが、落書きがなくなり、無賃乗車がなくなるにつれ、市の犯罪も激減したという。残念ながら、私はその後、このきれいな地下鉄には乗っていない。 トヨタは、改善は1つやると続いて2つ、3つと出てくると教えている。真の改革は、簡単なことをすぐやることから始まるようだ。小泉改革に欲しい点である。
2006.04.28
コメント(0)
孫が近くにいるので、週1、2回遊ぶ。そこでいろいろ考えさせられることが多い。 コンピュータ教育のパイオニアの戸塚滝登氏の「コンピュータが連れてきた子供たち」(2005年12月小学館刊)の最後で、「10才の誕生日を過ぎるまでは、1.インターネットは与えない、2.パソコンよりは五感と身体感覚を優先、3.人工より自然優先」という3か条の警告をしている。この本を書くきっかけとなったのは、長崎の小6女児の同級生殺害事件で、その「子供の脳の可塑性」という「科学的な説明」を、統計的な方法でなく学説の論理的な積み上げで試みている。岡田尊司教授の「脳内汚染」(2005年12月文芸春秋社刊)より説得性があった。 「人間の本性を考える」(英語の題名はThe Blank slate:2004年:NHKブックス刊)という翻訳書の20章中、「生まれか育ちか」(原書はChildren)について論じた1項目がある。著者であるハーバート大学心理学研究室教授スティーブン・ピンカー氏は、子供の性格や行動特性について、次の3法則を提示している。 第1法則:子供の行動特性はすべて遺伝である。 第2法則:同じ家庭環境で育った影響は、遺伝子の影響より少ない。 第3法則:複雑な人間の行動特性に見られるばらつきのかなりの部分は、遺伝子や家庭の影響では説明されない。 著者は、こどものときの行動特性の50パーセントは第1法則の遺伝できまり、第2法則の育ちの中心である家庭環境はほとんど関係ないという(せいぜい、ゆずって10パーセント)。後の40から50パーセントのばらつきは、人が意図的に押し付けられない、個人的な「運命(親や人が制御できない運という意味での運命)」に影響されるという。子供が非行に走るのは親の責任ではなく、親のせいにする児童教育論者には、批判的である。この書評では迷っている親はほっとするだろうと言っていた。 1950年代に、インドの僻地の村に住んでいたある女性に、子どもにどんな人間になってもらいたいと思っているかと聞いた。彼女は、肩をすくめて「それはこの子の運命で、私が望むことではありません」と答えたという。これが正解か。 「コンピュータが連れてきた子供たち」によると、最近、医学の測定技術の向上で分かったことは、胎児で5ヶ月くらいになると、脳細胞が急激に増加することであるという。その理由が分からないが、先に聴覚が発達するのではないかという。そうすると胎教でクラシック音楽を聞かせると良いというのは、科学的根拠があるようだ。そうなると、妊娠している母親がパチンコばかりやっていると、その音が影響するかもしれないし、テレビばかり見ているとテレビの映像でなく、コマーシャル音が影響するかもしれない。 宗教学者の山折哲雄氏の話によると、今から20年位前、ある大新聞に若い母親から投書があり、子どもに哀調のある古い子守唄を歌うと嫌悪感を示すという。ところが、その投書を読んだ若い母親から同じ体験の投書が殺到し、驚いた新聞社は調査したが、原因がわからない。これを気にしたある作家が、いろいろ調べたようで1年後にそれはテレビコマーシャルの音調が子守唄と合わないのではないかという記事を書いた。現代の子供は、いつの間にか、テレビコマーシャルの音調に慣れているからではないかという。それは、胎児の頃からか? 山折哲雄氏は、もう一つの原因は母親にあるのではと言っている。母親に「歌心」がないのではというのである。日本の子守唄は、西洋の子守唄と違い、哀切のある「演歌」調である。「歌心」が問われるのであろう。山折氏は、渥美清がCDに吹き込んだ子守唄を「歌心」があるとほめていたが、氏の恐れは最近の犯罪にこの影響があるとしているようだ。 「寅さん」の日本的な人間味が次第になくなっているのであろうか。
2006.04.27
コメント(0)
3月26日(日)のフジテレビの報道2001の番組で、脳内汚染が取り上げられ、「脳内汚染」の著者の岡田氏が出演していたが、このとき、竹村健一氏が、これと関連して、今、アメリカでベストセラーになっている本として「A WHOLE NEW MIND」と「blink」の2冊を紹介した。ところが、「blink」のほうは、すでに「第1感」として光文社で翻訳本が発行済みであった。「A WHOLE NEW MIND」のほうは和訳がまだらしい。今、原書で読んでいる。英語は得意ではないが、こういうジャーナリストの本は、中学英語程度で十分で、小説と違い、分からない単語があってもとばして読んでも意味が大体分かる。著者は、先進国は今世紀、知識時代から、概念時代(conceptual age)に移りつつあり、これからの時代を担う人は、知識時代の法律家、会計士、ソフト技術者など、左脳思考者ではなく、デザイナー、創造者、教師、小説家、芸術家など、創造的な右脳思考者の時代だということを述べている。但し、一時はやった右脳論と違い、左脳との連携も重視している。だから、左脳と右脳のWHOLE (全体)MINDとなっているのであろう。なぜ、右脳時代になりつつあるのか。その世界的な社会経済の背景を「ありあまる量」「アジア」「オートメーション」の3つにまとめて述べている。そしてそれに対応する具体的な対応策を「デザイン」「ストーリー」「シンホニー」「共感」「遊び」「意味づけ」という6つの感性に分けて、その重要性とその感性の強化方法を述べている。すでに多くの企業や団体がその方向で動いていることをアメリカの具体例を多くあげている。今の子供を左脳的な職業につけるために、教育している親は見当違いであるということである。今、読んでいう途中であるが、面白い話題があったので、今日の日記に記録する。これは、24日の「人は見た目が9割」と「第1感」とに関係する話題である。ここでも「第1感」で登場する心理研究者のエクマン氏の表情の研究が話題になっている。人は、他人の表情を読むのに右脳を使う。そして、左脳の欠陥がある人(失読症などの人)は、言語の理解力が低いが、逆によくウソを見破るという。それは右脳で微妙な表情の動きを見破るからである。エクマン氏は、FBIやCIAなどのエイジェントや警官などに、表情を読む方法を教えているという。ここで、著者は、自分の言ったウイットに対して相手が示す微笑が、ウイットに本当に感心して笑っているのか、そうでないのか、見破る方法をエクマン氏の方法から考え出した。本当の微笑は次の2つの顔の筋肉を動かす。1.頬骨からのび、口の端をあげる筋肉2.眼を丸くし、まつ毛を下げ、眼の下の皮膚を引っ張り、頬を上げる眼球外部の筋肉ここで著者は、自分で2つの笑いの表情を作り、写真にとり、本に並べて掲載している。そして読者にどちらがウソの笑いかを当てさせる。一見してほとんど差が分からないが、上の2つのポイントを参考にすると、私はどちらが、ウソの微笑か、正しい判定ができた。こういう具体例が体系的に示されていて、面白い本である。邦訳が期待される。
2006.04.26
コメント(0)
4時間くらいで一気に読む。読みやすい。 世の中に科学的な説明だというと、正しいように思っているが、それが仮説に過ぎないということをいろいろな事例で述べている。題名は、出版社がつけたのかもしれないが、著者は、99.9%どころか100%仮説だと言っているようだ。要するに著者が言いたいことは、客観的な説明として使われる「科学的」という言葉も「仮説」にすぎないのだから、ましてや、思い込みで考えるのは危険であると言っているようである。それは、「思い込みは危険である」という古くからの処世訓の徹底的な繰返しと言える。 最初、「飛行機がなぜ飛ぶのか?実はよくわかっていない」という例から始まる。翼により浮力が発生する説明論理に矛盾があるというのである。ところが、4月22日に教育テレビの子供向け番組で「飛行機はどうして空を飛べるの?」という番組があり、東大の航空工学の教授が説明していた方法はこの本の説明と違う。この本の説明と同じ説明部分は、流線型の翼の上面の空気の速度が速くなるということと、上面の速度が速いと圧が下がり浮くということであるが、テレビ番組では、これを論理(「仮説」?)でなく、簡単な実験で説明していた。 翼の上面の空気の流れが速いことを実際の実験で示し、かつ、速いほうの圧が少ないことを示すために、2つのドライヤーを使い、吊るした平面の上面を風速の速いドライヤーで吹き、下面を遅いドライヤーで同時に吹くと、吊るした平面は上昇する。 教授は、このような理屈は、人類が長い間の失敗、成功の試行錯誤の結果、得たものであると小学生に説明していた。これをこの本の著者の言うような「仮説」とすると、何時、覆るかも知れない「仮設」に基づいて飛行機は設計、製造され、空を飛んでいることになる。安心して乗っていられないことになる。訴訟社会のアメリカでは、乗客が「安全」を主張する航空会社やメーカーを詐欺で訴えるかもしれない。 神が創った自然現象の説明と、飛行機のような人工物の説明とは異なるのではないか。 要するに、自然現象を説明する理屈が「仮説」なのである。飛行機は、自然現象でなく人工物である。それには「工学」がある。ノーベル経済学賞のサイモンに「人工の科学」という本があるが、彼は「自然科学」に対し、「人工物の科学」の違いをこの本で述べている。「自然科学は、自然現象を理解できるように説明することである」としている。その説明に「仮説」があるというのが、この「99.9%は仮説」で言っていることであろう。この本は、その点、「自然現象」と「人工物」のそれぞれの科学をゴッチャにしている。 「人は必ず死ぬ」という自然現象は「仮説」ではない。しかし、その不思議をDNAなどで納得できるように説明するのは科学である。「仮説」が生まれる。もっとも、宗教の説明は「絶対」であるが。 小泉首相はアメリカ牛肉の輸入再開で「科学的根拠」ということを言っていたが、BSE(狂牛病)は自然現象である。人が計画的に発生させたものではない。その現象の説明はいくら「科学的」だとしてもこの本の言うように「仮説」である。全頭検査でも安心は出来ない。その検査方法もある「仮説」に基づいているからだ。だから、「科学的」を徹底追求されると食品安全委員会の委員は半数が責任をとれないので辞職することになる。 一方、アメリカ側は、日本のBSEの輸入停止に対して、アメリカで輸入した日本車のブレーキ故障が発生したからといって日本車の輸入を全面禁止するのかと反論したが、自動車は人工物である。だから、原因と対策は「仮説」でなく、明確である。ここにも、「自然物」と「人工物」の混同がみられる。
2006.04.25
コメント(0)
熱湯に手を入れたとき、手を慌てて引っ込める。瞬間的に熱いと「意識」する。このとき、脳の「熱い」という意識以前に、手に脳から「引っ込めろ」という指令が出ている。これは、超ベストセラー「バカの壁」の著者の養老孟司氏が、どこかで書いていた。 これを「適応性無自覚」と言うらしい。これを扱ったのが「第1感」(光文社刊)という訳本が3月に発刊。アメリカでは52週連続ベストセラー。著者はジャーナリスト。副題に「『最初の2秒』の『なんとなく』が正しい」とあるが、原書の副題は「思考なき思考の力: The power of thinking without thinking」である。もとの題名の 「blink」は、「まばたき」の意味であるが、訳者が第1感と訳した。第六感や五感以前の無自覚な感覚であるという意味とのこと。 本の冒頭はアメリカの美術館が購入した古代ギリシャ彫刻が、さまざまな科学的検査では本物と鑑定されたが、何人かの美術専門家は見た瞬間、「最初の2秒」で「違う」と感じ、後に贋作と判明するというエピソードから始まり、「適応性無自覚」のほうが、科学的、論理的、分析的な判断より、迅速に正しい判断ができ、優れている実例をあげている。 エピソードが多く読みやすい。上記の古代ギリシャ彫刻の贋作判断、カップルの将来の離婚可能性の判断、最初に会う人の性格の判断、医療事故で訴えられやすい医者の判断、バードウオッチングでの鳥の種類の判断、テニスコーチのダブルフォールトを見抜く判断、ジョージ・ソロスの投資判断、プライミング実験、スピードデートによる好ましいパートナーの判断、仮想演習でベテラン軍人が指揮する軍とコンピュータとデータを駆使する近代的な軍との戦いでの戦闘判断(第1感のベテラン軍が勝つ)、即興芝居、消防手の消火現場での対応判断、救急患者の心臓発作の医者の判断、味の判断、市場調査による判断、警官の発砲判断、人の表情の判断、演奏力の判断など話題に事欠かない。 「適応性無自覚」の欠点は、適切な訓練がないと、逆に間違った判断をしやすい。ニセメール事件の永田議員は、西澤孝氏を直感的に信じてしまった。人物評価の「適応性無自覚」が間違った判断をした。その原因は人の評価訓練が少なかったためのもろさであろうか。 興味あるのは、自閉症の人の脳の動きである。正常な人は人の顔を見るとき、脳の紡錘回状という部分を使い、椅子を見るときこれとは別の下側頭回という能力の高くない部分を使う。自閉症の人は人の顔も椅子も下側頭回を使うので、高度の表現を持つ人の表情を読解する力が低い。論理的な知能は高いことが多いがーーー。 また、視覚情報を「言語」にすると瞬時の洞察力に使えない。マリリン・モンローの写真をみれば、瞬間で分かるが、それを「言語」にして、直感的に判断できるだろうか。 人の感情を判断するときに、人の表情を読むことは重要であるが、この「第1感」では、その研究家であるアメリカのエクマン氏の研究成果を詳しく述べている。顔の表情と筋肉の動き(これは43ある)の関連を分析して、約三千通りの意味ある表情の組合せをカタログ化した。 この本ではないが、エクマン氏が顔は笑っているが、ウソの笑いとの顔の筋肉の微妙な違いを述べているのがある。興味深いことである。 23日にふれた「人は見た目が9割」も似た問題を扱っているが、こういう深い説明がないのが物足りない。
2006.04.24
コメント(0)
インターネットでいろいろな読者のレビューをみることができる。この本のレビューを2つのサイトで見たが、それぞれ百数十人くらいのレビューが載っていた。 驚いたことに、5ランクで行くと、最低の1点から、最高の5点までばらついている。「すばらしい本である。」というのから、「中味は参考にならなかった。買って損した。」というのまである。 私は、この種の本は、自分の考えを補強するために買うので、本の内容が全部、気に入らないということは滅多にない。しかし、この本の帯にある「非言語コミュニケーション入門」という文句に惹かれ、何か体系的なものを期待した人は裏切られるであろう。買う読者に過大な期待を寄せさせるのは、出版社の売らんかなの手であるが、それは逆に買い手の不満となる。 「第1感」という本も、その帯に「データ、論理、会議はもういらない、『ひらめき』で判断する驚異の思考方法」とあるが、中味にそんな思考方法は書いてない。原書にもそんな宣伝文句はない。ある読者がレビューで「書いてある中味はマアマアであるが、この帯文に呆れて、最低の1点にした。」と書いていた。 私は、この「人は見た目が9割」は、「言語によるコミュニケーション」万能の考えを持つ人たちに対する反論のネタとして意味があるとしているが、「非言語コミュニケーション入門」という意味では、本の内容がばらばらで、かつ、理論的な深みがないと感じた。私は、最初からそれは期待していなかった。 この「人は見た目が9割」の本では最初、人が他人から受け取る情報の割合は、顔の表情が55%、声の質(高低、大きさ、テンポ)が38%、話す言葉の内容が7%であり、コミュニケーションの「主役」は言葉でなく、「見た目が九割」であるとしている。したがって、これを受けて、人の身体表現である表情、声について詳細な展開をするのが本来なのだが、バラバラな話が展開する。 特に、問題なのは、著者がマンガ原作者であるというためか、マンガの描き方の工夫が長々と詳細に書いてある。私はマンガを読まないので、この記事は漫画家の工夫を知り、新鮮であったが、マンガを「非言語コミュニケーション」の手段に入れるとは驚いた。それでは写真も入るのではないか。ところが写真は入れていない。バラバラである。 養老孟司氏によると文字には表音文字と象形文字がある。日本語は、カタカナは表音文字、漢字は象形文字で、この2つを使いこなす民族は珍しいという。そして、この文字はそれぞれ使う脳の部分が異なるので、日本人の脳の使い方はすばらしいということになる。マンガは象形文字言語の延長にあることになる。 したがって、同氏の漫画家牧野圭一氏との対談集は「マンガをもっと読みなさい―日本人の脳はすばらしい」である。このように養老孟司氏によると、マンガは「言語コミュニケーション」の1つである。 このような理論的な深みが「人は見た目が9割」にはない。「非言語コミュニケーション」は、深くて面白い話題だが、もっと、深く突っ込んだ体系的な書きようを次のときに期待したい。
2006.04.23
コメント(0)
全8件 (8件中 1-8件目)
1


