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私:面白かったよ。 ホリエモンが言っている「金がすべてだ」という意味が本当に分かったよ。 彼は世界の大きな流れを読み取り、理屈でなく、実践し、一人孤独な貧乏生活から個人ジェットまで持つ富豪になったんだね。 A氏:どこでこの本を知ったのだっけ?私:俺の日記で書いたように日経ビジネスの書評からだ。 「グローバリゼーションは、国を征服するよりも、市場を征服しようとするものである。この近代的権力の狙いは、大々的な侵略が行われた植民地時代のような領土の征服ではなく、冨の所有権の奪取である。この新たな征服には圧倒的な破壊がともなう」 「この地球上の全人口のうち、最も豊かな5分の1が80% の資源を所有し、もっとも貧しい5分の1は、0.5% 以下の資源しか所有していない」A氏:格差問題も日本だけでなく、国際的な問題であることを知っていないと底が浅いね。 ところで、ホリエモンとの関係は?私:グローバリゼーションとは、市場原理の拡大だがこれと違った見方をこの本が紹介している。 それが「オルター・グローバリゼーション」とか「反グローバリゼーション」とか呼ばれる運動でこの本はその立場に立った編集だね。 今のグローバリゼーションに対するもので、これに代わる方法を提言しているね。 現在のグローバリゼーションは次の点で問題があるとしている。 1.社会的不平等をますます深刻化させる 2.地球のエコロジー的均衡を危機に陥れる 3.商品と貨幣だけを価値あるものとする 4.人間生活のあらゆる様相を商品化して、人間の共有財を損傷する ホリエモンはグローバリゼーションの底にあるこの「3. 商品と貨幣だけを価値あるものとする」世界の流れを敏感に察知して、うまく時流に乗ったといえるね。A氏:彼の言う「金がすべてだ」「外国のずる賢い人にだまされないように」というのはグローバリゼーションの流れの的をついていたわけか。私:この本で知ったのは、トービン税だね。 ノーベル経済学賞のトービンが提案した税で、外国通貨の投機的取引に課税するという案だ。 ホリエモンのように短期の投機抑制にはなるね。 ガソリンの値上げなども怪しいね。 この税金により冨を再配分し、途上国の教育、保健、水へのアクセス、住居の確保などに当てることができるだろうということだ。 この税はすぐに拒否されたが、このように新自由主義的なグローバリゼーションにより生み出され、深刻化している不平等と戦う組織をアタック(ATTAC)という。 本部がフランスにある。 日本でも「国家の品格」は新自由主義的なグローバリゼーションの問題点を突いているとも考えられるね。A氏:アタックはさっきの4つの問題を解決しながらグローバル展開をする方法を模索しようとする団体ということになるね。私:有名なエンロン事件も、電力の売買の規制緩和で生まれた。 電力が商品となった。A氏:そして、会社の株がウソの宣伝で急騰するね。 儲けたのは経営者だけだね。 従業員は大損だね。私:この本はテロについてもふれているが、興味があったのは、海上輸送とスポーツの科学化と水の問題だ。 海上輸送問題は、石油輸送にみられるように、船舶輸送は石油会社でなく、別な会社でやっていることになっている。海上輸送による責任を逃れるためだ。 船の所有はペーパーカンパニーの登録となる。 このとき、タックス・ヘイブンが使われる。A氏:税金が安い国か。私:規制も甘い。 俺は最初、タックス・へブン、すなわち、税金天国と誤解していたが、ヘブン(heaven天国)でなくヘイブン(haven逃避地)なんだね。 こうした国での船舶登記で登録料や乗員費も削減できる。 低賃金で限界まで働かせ、多国籍の船員を好き勝手に採用できる。 これは航海の安全にも影響を与える。 日本はパナマ船籍の43%を保有していて、名目上は保有船舶の世界一位だという。A氏:船員の国際的な格差になっているんだね。 スポーツとの関係は?私:これはドーピングだね。 スポーツでいい成績をとると大金になる。 そこで薬品市場が生まれる。A氏:でも検査があるだろう。私:検査にばれない薬がまた開発されるね。A氏:水は?私:水問題は国際的に近い将来大問題になることは明らかだね。 すでに日本では公共水道以外で、水は市場商品だね。 ドイツ人が一人あたり平均的に消費する水の量はインドの90倍だそうだ。 国際格差にもなっている。A氏:ホリエモンがフジテレビとの提携のときに、テレビ出演した人の小物をインターネット・オークションにかければ、市場ができると言ったが、彼の発想はまさに「すべてが金を生む商品」なんだね。 プロ野球にのりだしたのもそうだね。 楽天は最下位だが、経営は黒字だという。私:国の文化もそうだね。 グローバル化には、言語の問題もあるね。 日本の英語問題は、それがからむ。 しかし、一方で個別の文化を見直そうという動きもあるね。A氏:マクドナルドに対するスローフッドの動きもそうだね。 地方の料理文化の見直しだね。私:ホリエモンを逮捕したのは、そういうグローバル化の動きへの警告だろうか。 しかし、郵政民営化にはホリエモンは賛成だったんだから、変な動きだね。 検察は新自由主義的なグローバリゼーションの日本への拡大に危機感を持ったのかね。 今週の週刊朝日で内橋克人氏と加藤紘一議員の「規制緩和と小選挙区制が日本人を貧乏にした」という対談は、まさに新自由主義的なグローバリゼーションへの反論だね。 内橋氏は最近「悪夢のサイクル」(文藝春秋社)を出しているね。 「オルター・グローバリゼーション」の本とも言えるね。 A氏:内橋氏が10年ほど前に警告していた規制緩和に伴う格差、中間層の崩壊、人心の荒廃は見事に的中しているね。 痛烈な竹中批判だね。 この対談の記事にあるデータだと、この10年で正社員は460万人減、非正社員は600万人増。生活保護世帯は、60万から100万を超えた。 そしてそれは賃金格差を生む。私:10月24日の日経でも社説でも偽装請負をとりあげていたが、ここ10年で非正社員の比率は21.9%から32.6%に拡大しているというね。 世界的な新自由主義的なグローバリゼーションの波に対抗して「美しい日本」は前途多難だね。
2006.10.31
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私:昨日の朝日の朝刊の一面で「郵政公社トヨタ式に混乱」という記事がのっているね。A氏:俺も読んだが、年賀状遅配が懸念されるということだが、よく理解できなかったよ。 君は、製造業にいたからトヨタ方式はよく知っているだろう?私:トヨタ生産方式は型に決まった手法があるので、実行しやすいように見えるのだね。 それでいきなり型を強制して失敗したり、反感を持たれたりする例は製造業でも多いね。 指導が難しいね。 例えば、「立ち作業」という「型」があるね。A氏:いすで作業をやると立ったり座ったりで余計な動作があるからだね。 その動きのムダ取りだね。私:新聞記事ではいすが撤去されると腰痛やひざの痛みを訴える人が続出し、遅配の原因になっているというが、これは誤解を招きやすいね。 製造業では、ここ20年位の間に立ち作業が常識になっているからね。 記者はそれらの比較した情報がほしいところだね。 ある研究では、肉体的に苦痛を訴えるのは、1週間から2週間くらいでその後は、別に苦痛は感じないというがね。A氏:健康のためには立つことを進めている人もいるくらいだからね。私:まだ、立ち作業が一般的でなかった頃、地方の工業団地の中小企業があるラインに立ち作業を導入した。 そのラインの作業者は一斉に退職したね。 地方だからそのウワサが広まり、求人しても応募して来ないんだね。A氏:それでどうした?私:結局、立ち作業を諦め、もとにもどした。 今では立ち作業になっているがね。 周りの工場も立ち作業だからね。A氏:心理的要因もあるようだね。 考えてみれば、店員などは立ち作業だね。私:こないだ、自動車関連のある中小企業に行き、ちょっとパソコンを借りに、事務所に行ったら、驚いたね。 パソコンも立ち作業になっていたよ。 立ちながらやったよ。A氏:どうだった?私:いや、別に違和感はなかったね。 短い時間だったせいもあるかもね。 ただ、入力する内容を考えるにはいすがいるだろうね。A氏:郵政公社の高橋副総裁は元トヨタ常務というから、その縁でのトヨタ式の導入かね。私:俺の遠い知人に郵政公社につとめている人がいるんだが、数年前、トヨタ方式が入ったとき、その考え方が今までの官庁の考え方と全く違うので驚いたと言っていたよ。 最近、風の便りだが、残業がかなり増えているという。 販売のほうの部門らしいが、年賀はがきの販売もノルマがあり、ウソか本当か知らないが、ノルマを達成できないとその分の切手を購入しなくてはならないという。A氏:この新聞記事によると、トヨタ方式を導入したにもかかわらず、人件費も残業代も増加しているという。私:製造業でよくある失敗例かもしれないね。 昔、トヨタ方式が製造業でブームになり始めた頃、あるコンサルト団体が「6ヶ月かんばん」というコンサルティング・パッケージを売り出した。 どんな会社でもトヨタのように6ヶ月でカンバン方式になれるというわけだ。 それに引っ掛かって、ある中小企業でコンサルを受けた。A氏:どうだった?私:6ヶ月たってもうまくいかない。 そうしたら、コンサルタントは「あなたの会社はレベルが低いので6ヶ月ではムリだ」と言って終わりだった。 経営者は「最初からそれを言うべきでないか」と怒っていたね。A氏:詐欺ではないの?私:そういえるね。 医者と同じで患者はいろいろあるから、処方箋は患者の個性にあわせなくてはならない。 きわめて当り前の理屈なんだがね。 俺はその経営者に、「引っ掛かったあなたも問題だ」と言ったよ。 特に、サービス業の応用では気をつけないとね。 JR西日本も利益優先をトップにもってきた経営をしていたが、あれもトヨタの形だけの真似で、形の底にある考え方は全くトヨタ方式でないね。 第一、トヨタは悪いにユースは早く流すだが、JRは国鉄時代から、悪いニュースはかくすだからね。 その伝統に形ばかりのトヨタ式を入れたからあんな事故になったと思うよ。 大体、日勤教育などは、トヨタ式では考えられないよ。 とにかく、郵政公社の導入が失敗とするとこれは大きな失敗例となるね。
2006.10.30
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私:北海道に籍を移した日本ハムが北海道で日本シリーズをきめるという劇的な快挙をしたね。A氏:プロ野球をマネジメントの視点で見ている君の感想はどうかね。私:マスコミは新庄のことばかりで、マネジメント面での情報は少ないね。 一応、昨日の朝日新聞の社説と、それと土曜版のbeの生島淳氏の「読み・解く・スポーツ」にある「米国人2監督の違い」くらいの情報だね。A氏:それは俺も読んだよ。 とにかく、君のプロ野球についての知的興味は監督術、すなわち、マネジメントにあるからね。 当然、ヒルマン監督に焦点が行くね。 マスコミはほとんど、新庄に焦点がいっているがね。私:朝日新聞の社説も3分の2が新庄とそれから小笠原とのコンビの妙を指摘しているね。 3分の1がヒルマン監督の存在が大きいとしているがね。A氏:朝日新聞の一面の胴上げ写真は、新庄の胴上げだね。 あれは、普通は監督の胴上げ写真ではないの。私:それをヒルマンがあえて認めた点がマネジメントのうまさかね。 マスコミは地味なマネジメント話は嫌いだからね。 日本式では現役時代有名だったことで監督になるが、ヒルマン監督はこれと違い、アメリカ式のマネジメント専門の育成コースから育った監督だね。 そして、社説は札幌に来るとき、親会社の出向組が幅を利かせがちな球界で、現場のユニフォーム組と背広組の責任を明確にして分担を進めた成果だと言っている。A氏:君のいう、日本的なしがらみのある共同体的な集団でなく、機能集団に改革をしたわけだね。私:残念ながら、経営陣の誰がそういうマネジメントを決心したのかが書いていなかった。 新庄の日本的な心情の華々しさの裏にこのような合理的な、機能集団的な配慮があったのだね。 社説は、昨年の千葉ロッテとともに巨人中心の一極集中から、多様で地域に根ざしたプロ野球へ、と言ってプロ野球の近代化への一歩としているね。 ここでも、残念ながら、何故、外人監督が好成績をあげているのかふれていなかった。A氏:それは、be版の生島氏のほうでふれているね。 この記事は、逆に、新庄の話はまったくなく、昨年優勝のロッテのバレンタイン監督と、今季のヒルマン監督のマネジメントの仕方の比較だね。私:ロッテのバレンタイン監督はアメリカ流を日本に持ち込んだというが、自由にプレイさせたようだね。 性格も明るい。 選手とのコミュニケーションは日本の監督にない新庄型だね。A氏:ヒルマン監督は逆に下位に低迷するんだね。 ヒルマン監督は普通は解任の成績なのに、続投させたことに勝因の一つがあるとしているね。 これは外人監督がすぐに首にできるという「江夏のぼやき」とも違うね。 生島氏は日ハムが北海道にいってからの、朝日新聞の社説のような人事体制の改善についてふれていないね。私:生島氏が指摘しているように、今年のヒルマン監督のマネジメントはかなり日本型をとりいれたようだね。 キャンプの練習時間も従来の半日から、日本流の6時間。 中日はもっと長いらしいが。A氏:犠打も今までのリーグ最小から今年は最多へと極端な転向だという。 マネジメントの大きな転向だね。 日本選手の心理を理解するため「武士道」の本も読んだという。私:監督批判した宮本投手は罰金を取られたので、日本シリーズでは使わないのではないかと言われていたが、使ったね。 俺は、ヒルマン監督は機能集団にうまく日本型の共同体心理を持ってきたと思う。 江夏氏がいうように、日本人の気質、義理、人情、意地を考えたマネジメントに変えたのかな。 それに新庄がのって、野球も面白くなったのではないかね。 組織は、高度成長の時の日本製造業のように機能集団でありながら、共同体型にもなったときが一番強いようだね。 ロッテはやはり4番の李が巨人にとられたのが機能低下として響いたかね。
2006.10.29
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私:昨日、福島市に用事があって、一泊してきたよ。A氏:あそこは、今、県知事関連の問題で全国紙に毎日のように登場だね。私:会った人はかっての中小企業の経営者だけれど、早速のその話だよ。 知らなかったとはいえ県民の恥だといっていたね。A氏:公共事業は税金がからむからね。私:県のお偉方が「塀が少し崩れているかな」ともらすと、建設業者がさっといつの間にか直してくれるという。 「庭が荒れてきたな」とつぶやくと、土建業者がいつの間にか来て、きれいにしてくれるという。A氏:これらは、直接、金は関係しないが、将来の金を得るためのサービス提供だね。 お歳暮やお中元がどっさりくるのではないの。私:建設・土木は商売のために必死だからね。A氏:かっては、選挙で下働きに人を出すそうだが、これは今もやっているのかね。私:今度問題になった福島県知事は、5期連続だというから、もう、20年近くやってきているわけだ。A氏:一時、長野県知事がそうだったね。 皆、知事なると長かった。 それを田中知事がぶっ壊した。私:それが反対勢力にやられ、また、旧に復したようだね。A氏:君の中田横浜市長は40才で、若い革新派ではないの?私:けっこう、うまくやっているようだね。 今年、再選された。 そういえば、今年初め、自治会の回覧で、ゴミについて説明したビデオが回覧でまわってきたよ。 A氏:ビデオの回覧とは珍しいね。私:20分くらいのものだ。 早速、見た。 最初に中田市長が、ネクタイなしの開襟のワイシャッツ姿のラフなスタイルで出てきた。 語りかけるように前かがみの姿勢で、5分くらい語り始めたよ。A氏:何のビデオ?私;まず、三年ほど前からはじめた分別処理によるリサイクルの効果と分別への市民の協力に対する感謝だ。 そして、分別処理の後、どのようにしてリサイクルされているかのいろいろなリサイクル工程の撮影だ。A氏:なるほど。 分別した手間がどういう効果になっているかは、家庭の主婦は見えないものね。 ビデオとは考えたね。私:確かに、分別処理の後のリサイクルまでの工程は、ビデオであるとよく分かる。A氏:横浜市はどういうリサイクル効果があったの?私:今まで、焼却炉で焼却していた家庭ゴミは、約三割減ったという。 その結果、そろそろ建て替えをしなくてはならなかった二つの焼却炉が不要になり、一千百億円の建て替え費用が浮いたという。 そして、焼却炉は閉鎖されるので、その運用費用約三十億円は減った。、 その上、焼却による炭酸ガスの発生がなくなり、それは横浜市の現在の森林量と同じ効果で、横浜市全体に杉を数千本植えたに等しいという。A氏:でも新しくリサイクル費用が増えるだろう?私:リサイクルにかかる費用は二十億円程度であるというから、十分、お釣りはくるね。A氏:効果は大きいね。私:なくなる二つの焼却炉は、俺の住んでいる区と隣の区にある。 1つの焼却炉は俺がこの地区に住みだしてからだから、三十年くらいたつね。 たしかに、最初、ゴミのうるさい分別はなく、どんどん捨てていた。 皆、この焼却炉に放り込まれていたのであろう。 すごい能力の焼却炉であると思ったくらいだ。A氏:それが中田市長のリードでリサイクルの向上になったわけか私:この大焼却場がなくなるのであるから、たいしたもんだ。 この分別処理は、俺の住んでいる区など、いくつかの区でテスト的にはじめ、逐次拡大してきたものだよ。 最初は面倒な気がしたがね。 なれると関心が高まりたいしたことはない。A氏:やはり、市民の主体的な意識が重要だね。
2006.10.28
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私:NHKの「硫黄島戦」のスペシャルを見てから、思いかけず、クリント・イーストウッド監督の「父親たちの星条旗」街道に踏み込んだな。 今週からいよいよロードショウが始まるね。A氏:君が硫黄島の戦いは映画にならないだろうと言っていたがね。私:本当の悪夢は思い出したくないからね。 それでどのようにこれを映画にするのか興味をもったんだが、インターネットではいろいろな情報が出ているね。 映画批評も出ているね。 それをみるとこの映画は変わった編集をしているのがわかったよ。A氏:やはり、一筋縄ではいかないテーマなんだろうね。私:題名の「父親」とあるように、硫黄島で戦ったヒーローの息子が書いた「硫黄島の星条旗」を原作にしているんだね。A氏:例の「プライベイト・ライアン」のスティーブン・スピルバーグ制作だね。 あの硫黄島の摺鉢山にアメリカ国旗を揚げる掲げる写真は、かなり前にみた記憶があるね。 有名な写真でピリッツァー賞かなんかもらっているのではないの? 私:この映画は戦闘のシーンとこの国旗を掲げた6人の英雄をアメリカ国家が利用するシーンとこの英雄の個人的な姿を描いているようだ。 戦闘シーンには日本兵は登場しないという。A氏:君がNHKのドキュメント「硫黄島玉砕」をみて、生き残った日本兵はそのひどさを語りたがらなかったと言っていたね。私:そして、ようやく3人が語るドキュメントだね。 一人は語るにつれ自然に嗚咽した。 この「父親たちの星条旗」も実はアメリカ兵でも同じことがあったことが、いろいろな情報で分かったよ。「摺鉢山にアメリカ国旗を揚げる5人の海兵隊員と1人の海軍兵士の写真」がもとだが、生き残ったのは3人で、これがこのエピソードのもとになっている。A氏:彼らは、戦費調達の国債を売るために、アメリカ全土を巡るツアーに駆り出される。 どこへ行っても熱烈な喝采を浴び、国民的英雄として祭り上げられる。私:しかし、英雄扱いされればされるほど、彼らの苦悩は深くなる。 そして、あの凄惨な戦いでの胸を引き裂かれるような恐ろしい記憶に悩まされる。 酒におぼれる人もいる。 そのひとり・著者の父は終生、硫黄島の過去を息子に語らなかった。 悪夢だからだ。 やはり、沈黙だね。 子供がその父親の沈黙を語ろうとしたわけだ。A氏:負けて生き残った日本兵にも口にしたくない悪夢。 勝って生き残ったアメリカ兵にも口にしたくない悪夢。 クリント・イーストウッド監督は「父親たちの星条旗」でアメリカ側の悪夢を描こうとしたわけだ。私:その腕前を見たいね。 それにしてもインターネットを見ていたら、若い女性がこの映画の試写を見て戦争のすごさを感じたとあった。 ところが、ビックリしたのは「硫黄島はどこ?硫黄が出るの?」とあったことだ。 もう、世代が違うんだね。 早速、疑問に答えるコメントがついていたがね。A氏:修学旅行で硫黄島に行くべきかもね。 口に出せない悪夢でもやはりときどきは思い出すべきではないの?私:うーん。 クリント・イーストウッドも俺とほぼ同じとしだがね。
2006.10.27
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私:10月22日にNHKスペシャルで「赤ちゃん」をやっていた。 俺は用事があったので録画だけしておいた。 今日、見たよ。 脳細胞は、生後、増加して、数ヶ月で減少するという。 周囲が使っていない発音を識別する細胞は9ヶ月くらいで急速に減少するという。A氏:要するに脳は赤ちゃんから次第に発達するのでなく、最初はいかなる状況にも対応できるように肥大になっていて、その後、周囲の環境に対応して必要なものだけを残し、他は削除していくんだね。私:一種の環境適応の効率化だね。 このスペシャルで俺が特に興味をもったのは、「密接な社会関係」が成長と深く関係していることだ。A氏:あぁ、昨日の動物園の話に出てくるやつだね。私:これはアメリカの大学での実験だが、赤ちゃんに中国語のビデオを何回も見せる。 そして中国語を学習していない赤ちゃんと比較する。 差がない。A氏:アメリカだから、赤ちゃんの日常は英語環境だね。 中国語は外国語になるが、ビデオでは外国語学習は効果なしか。私:ところが、実際にそのビデオに出演している中国人が全く同じことを目の前で、別の赤ちゃんグループにやるんだ。A氏:フェイス・ツー・フェイスのコミュニケーションだね。私:そうすると格段の中国語の習得になるという。 その大学の教授は、これは言語だけでなく、あらゆる社会的な学習で重要な要因は赤ちゃんの社会的な関係だという。A氏:昨日の動物園の話のように核家族化は大変な失敗だったんだね。私:さらにテレビで興味があったのは、赤ちゃん同士の「密接な社会的関係」だ。 ときどき一緒に遊ばせると、大体、同じ年頃でまだ這えない子、這っている子、つかまり立ちしている子とばらつくね。 ところが、その赤ちゃん同士の出会いの後、這えない子が這うことをトライしだす。A氏:なるほど、赤ちゃん同士の「密接な社会的な関係」による成長だね。私:このスペシャルの説明では、脳的には英語を小学生でやってももう遅いということか。 9ヶ月までにネイティヴの英語発音の環境でないと英語音の識別能力はなくなるからね。 英語だとLとRの違い、TH音、F音、V音などだね。A氏:例の朝青龍のモンゴルでは、赤ちゃんはどういう言語環境にあるのかね。私:モンゴル語のことは専門でないが、おそらく、発音が多様な環境が継続するのだろうね。 その点、日本語は単純な音だけでできているのではないの?A氏:日本人は外国語が不得意なのは、もう、9ヶ月できまっているんか。 小学生から英語をやるなら、自然なL音とR音の違い、TH音、F音、V音などは諦めるべきかね。 それとも、赤ちゃんに聞こえるようにCNNのテレビでもつけ放しにするかね。私:いや、さっき言ったように、テレビ音ではだめみたいだ。 原始的なフェイス・ツー・フェイスの「密接な社会的な関係」でのコミュニケーションでないとね。 そういえば、昨日、「密接な社会的な関係」のない人工哺育のオスのチンパンジーは交尾ができないといったが、チンパンジーの交尾のビデオを見せると勃起はするというが、やはり交尾はできないという。 同じだね。 電子機器の制約かね。 英語ロボットでもだめだろうね。 やはりイーメールでなく、なんでもフェイス・ツー・フェイスのコミュニケーションやトレーニングが基本であるし、効率的なんだね。 また、その考えが犯罪防止にもなるかもね。A氏:人間はやはり動物だね。 それも社会的なーーー。 「人工哺育」や「都市化」に弱い。
2006.10.26
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私:この本は北海道の旭山動物園と北九州の到津(いとうず)の森公園にある動物園の起死回生の物語だね。 旭山動物園には、今は日本だけでなく、台湾、中国からも見に来るという。A氏:ビジネス・リバイバル物語りかね。私:全く違うね。 二人の個性的な園長の哲学実践の歴史だね。 それによるサクセスストーリーだね。 アミーバ経営の京セラの稲盛さんが経営には哲学がなければならないという見本ともいえる。 今、自殺、子殺し、親殺し、いじめが問題になっているが、その観点からすると人は野生動物から学ばなくなったという。 俺はその動物園運営の哲学に知的興味が湧いたね。 シートン動物記街道の一つとして、図書館で借りた。A氏:言い換えれば「バカの壁」の養老孟司氏のいう「都市化」に対する動物園の挑戦かね。私:うまいことを言うね。 「新明解国語辞典」(第4版)によると動物園の定義は次のようになるという。 「生態を公衆に見せ、かたわら保護を加えるためと称し、捕らえてきた多くの鳥獣・魚虫などに対し、狭い空間での生活を余儀なくし、飼い殺しにする、人間中心の施設」とあるという。A氏:なるほど、言えているね。私:これに対する自然から学ぶ動物園の再生の物語りと言えるね。 ハードとソフトの両面からの大改革だね。A氏:君のシートン動物記でシートンが示した考えと共通しているね。私:人間の自殺や親子の殺し合いやいじめと関連して興味があったのは、「動物の密な社会関係」という見方だ。 オスのチンパンジーを赤ん坊のときから育てたが、成人しても交尾ができない。 人工哺育されるとチンパンジーがチンパンジーでなくなる。 それから、赤ん坊が生まれても親が面倒を見ない。 そこで、飼育担当が空気のような存在になって、母親が子供を放したら、そっと胸にもどす。 それを十回くり返す。 そのうち、やっとオッパイを与えだす。A氏:チンパンジーは社会的な存在なんだ。私:群れの中で育ってこなかったコザルを急に群れに放すと、引きこもるか、攻撃的になるか、どっちしかないという。A氏:今の日本に似ているね。私:園長はいう。 戦後の家族政策がおかしいとね。 核家族は、父親は仕事でいっぱいで、母と子が一対一の人工哺育だから、サル同様、子は母親の王様になり尊敬しない。 団塊の世代の親子関係と、その子供が今、親となったときの第二の団塊の世代の親子関係で問題となるのだろうか。A氏:人間の「密接な社会関係」が崩壊しているんだね。 町ぐるみの活動がなくなっているしね。私:イジメもマスコミはその目で見ていないようだね。 ところで到津の公園では子供の林間学園をやっている。 ところが母親が「うちの子はだれだれさんといっしょにしてくれ」と言ってくる。 学園ではわざとバラバラにする。 子供はそうやって育つ。 今度は学年を超えてバラバラにすることを考えているそうだ。A氏:たくましくないとイジメにあいやすいのかもね。 イジメなども上級生が混じっていると防げるのではないのかね。私:森林公園は、虫が多いから刺される。 お母さんが「つける薬はないか」とくる。 「つばをつけておけ」と思うけれども薬を出す。 お母さんは子供の足に熱心に薬を塗る。 その子はお母さんに「ありがとう」も言わない。A氏:人工哺育だね。私:林間学園には5つの誓いがあるという。1.よい空気を体いっぱい吸います。2.知らない友達と仲よくします。3.先生としっかり勉強します。4.ケガをしないようにします。5.学園のきまりを守ります。 シートン動物記での野生動物のルールだね。A氏:24日の朝日の朝刊で、鶴見俊輔さんと語るという記事があったが、そこで、氏は幕末から明治にかけて時代を作った坂本竜馬、後藤象二郎、西郷隆盛、大久保利通らは、江戸時代の寺子屋で多様な層が学んだおかげだと言っているね。私:「密接な社会関係」だね。 インターネットは、その代わりになるだろうか。 フェイス・ツー・フェイスの動物的な自然のかかわりのほうがより「密接な社会関係」を作るのではないかね。 その意味で、この本は動物園だけの本ではないね。 もっと、根源的に今の日本人の人間生活の社会的関係を問いただしているね。 物語が、時間的に前後してちょっと読みにくかったがね。
2006.10.25
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私:文藝春秋の今月号(11月号)に横綱朝青龍と作家津本陽氏の「我らが英雄 チンギス・ハーン」というタイトルの対談があるね。 今年はチンギス・ハーンがモンゴル帝国を建国した800周年だから、津本陽氏も本を出すそうだね。A氏:俺も君に言われて文藝春秋を読んだよ。私:津本陽氏は、ノモンハン戦争で辻政信参謀を描くために、蒙古に近いノモンハンを訪れているんだね。A氏:これを読むとモンゴルでは生活そのものが相撲の基礎体力を作れるようになっているし、子どもの遊びにもあるんだね。私:俺たちの子供時代にも、相撲を取るのは遊びの中心だったよ。 学校の体育でもあったしね。 それが今ないのではないの?A氏:モンゴルは一時、社会主義国家だったので、ソ連に遠慮してチンギス・ハーンはタブーだったけれど、今は自由になったんだね。私:ところで、俺はこの対談で知的興味を持ったのは、チンギス・ハーンでなく、朝青龍の日本語なんだ。A氏:日本語がうまいね。 これは朝青龍以外のモンゴルの相撲取りもうまいね。私:彼は言うね。 モンゴル人はどんな国に行っても体がすぐに慣れてしまう、食事も、言葉もね。 モンゴル人にはそういう才能があると彼は言う。 中国へ行っても、ロシアに行っても現地の言葉をすぐにペラペラしゃべれるようになる。 アメリカやヨーロッパへ行ってもその国の言葉をすぐ覚える。 A氏:遊牧民だから、どんな環境でも生きられる力があるのかね。 柔軟性があるんだろうか。「郷に入っては、郷に従え」か。私:日本語の主語と動詞の関係など、文法的な構造はモンゴル語と似ているんだね。 ウラルアルタイ語系といってね。 韓国語もそうだね。 しかし、他の外国語もすぐになれるとなるとなると、文法的に似ているのは関係ないね。A氏:発音が日本語より多いらしいが、これが原因かね。私:しかし、チンギス・ハーンがあれだけ、世界最大の帝国を築くことができたのも、自分たちの価値観を押し付けるのでなく、それぞれの宗教を尊重したりした柔軟性にあったんだね。 日本人の英語がうまくないというコンプレックスは、英語教育のテクニックや、幼児期からの英語教育が不足しているからというのが原因ではないのではないかということなんだね。 朝青龍の話を聞くと、なんか、遊牧民族センスのような別の要因があるような気がするね。A氏:俺の子供なんか、小学生のとき、英語を近所のグループで習わせたけれど、成人した今となると、中学から習った俺のほうが英語力は上だよ。私:そうでない場合もあるね。 何事も同じで、できる奴はできるし、できない奴はできないだろうね。 それに、日本人が英語で一般的に下手なのは、日常生活で使わなくても近代的な生活ができるのが一番大きな原因かもね。A氏:しかし、外交に関係する政治家はできるだけ、英語はうまくやるようにしてほしいね。私:それも、一筋縄でいかないね。 本の名前を度忘れしたが、ある本で中曽根さんのとちりの話が書いてあったのを覚えている。 それは、レーガン大統領との会談で原稿なしの英語の挨拶で「フルートフル・トークfruitful talk:実りある話し合い」を「フルート・トークfruit talk:果物の話し合い」ととちったという。 fulをとばしてしまったんだね。A氏:日本の歴代首相で英語が得意なのは中曽根さんと宮沢さんだと言われているね。 中曽根さんの当時の首脳会談の問題は「牛肉とオレンジ」だから、なお、皮肉だね。私:中曽根さんはさらに「レーガン大統領」を英語で「ユナイテッド・プレジデント・ミスター・レーガンUnited president Mr. Reagan」とやってしまったという。 states of America ととばしてしまったのだね。 これでは「日米共通の大統領、レーガン氏」となってしまう。A氏:そうか。 私的なトークはともかく、重要な会談は新聞に載るから、通訳が必要かもね。私:まあ、単純ではないね。 日本人の英語問題はいろいろ研究も進むようだから、将来、いい方法が考えられるかもね。 浅い考えは禁物だね。 ゆとり教育のようにすぐやってみてすぐまたやり直すようでは損失だしね。 教育はこわいね。
2006.10.24
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私:いや、失敗、失敗。 10月6日の日記で君の質問に答えた中で、パウロとペトロを感違えしていたよ。 A氏:なんで分かったの?私:文芸春秋には最初に10人くらいの人がエッセイを寄せている。 作家阿川氏と塩野氏は連載しているね。 今月の塩野氏は、小泉・阿部のバトンタッチに話題を合わせたのか、歴史上、最高の後継人事として2つあげているね。 1つは、イエス・キリストからペトロへのバトンタッチ もう一つはカイサルからアウグストスへのバトンタッチだという。 それを読んで俺はなんだかおかしいと思ったんだ。A氏:なるほど、ここでペトロが登場するね。私:それで俺はペトロとパウロの名前を混同していたことに気がついたんだ。 パウロは優秀なイエスの弟子というイメージがあったのだが、イエスが後継者として選んだのは、猟師あがりのペトロだった。 塩野氏のこのエッセイだと、イエスが捕らわれて後、おまえも仲間だろうと言われ、三度もあんな人は知らないと答えた男だとのことだ。 その後、気の毒くらい反省する。 頭は切れないかもしれないが、純朴で気が弱い。 このほうが後継者としてよかったというわけだ。A氏:そうすると、君の10月6日の日記で俺の質問に対して「クオ・バディス」の説明があったが、あれはパウロでなくて、ペトロだったのか。私:申し訳ない。 早速訂正したよ。 君のおかげで知的アンテナをはっていたので、塩野氏のエッセイを受信できたんだね。A氏:まあ、「クオ・バディス」の言葉の説明だから、ペトロでもパウロでも俺にとってはどちらでもいいがね。私:しかし、塩野氏のこのエッセイでは、ポイントはイエスがパウロ・タイプを選ばず、ペトロを選んだことだね。 二人は性格が違うようだね。 イエスの後継者選びのうまさが出ているわけだ。A氏:カサエルのほうはどうだね。私:これも後継者のアウグストゥスはカサエルと正反対で、体も弱く、戦闘はダメというタイプだ。 ところが、それが逆に成功して長期政権を維持する。A氏:ところで、「ダ・ヴィンチ・コード」の文庫本の中巻にレオナルド・ダ・ヴィンチの「最後の晩餐」の画があるね。 その使徒のリーダー的な存在というペトロはどこにいるのかね。私:イエスの向って左隣に座る女性のような顔をしたヨハネがいるね。 そのヨハネに何か耳打ちしている人物がペトロだね。 右手に短剣を持っているね。 パウロは、イエスの死後に信者となった人だそうで、だから、この画には登場していない。A氏:この女性のような顔をしたヨハネが「ダ・ヴィンチ・コード」によって、いろいろ話題を呼んだわけだ。私:この絵の人物は皆、謎が多いようだね。 知的興味は湧くがキリスト教のことは深いから、ちょっと手が出ないね。
2006.10.23
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私:昨日の土曜日の午前は、幼稚園の孫のさつま芋ほりの手伝いだよ。A氏:天気もよかったから何よりだね。私:孫の幼稚園は園長が農家をやっているので、幼稚園のすぐ近くにこじんまりした畑があるんだよ。A氏:園児は全部で何名くらい?私:百名をちょっと超えるのかな。A氏:それが一度に芋掘りでは大変だろうね。私:いや、一度にやらないでまず、年少組の20人くらいが先に掘る。 それが終わる頃、年中組、そして次に年長組と順次やるんだよ。 場所がそれぞれ別にきまっているんだ。 もう、芋の葉を取り払ってあって、茎だけ土中から出ているだけだ。 そして、一人の園児に4株を均等に割り付け、白線を引いてあった。 そこを各自集中的に掘るわけだ。A氏:俺は都会育ちだから、さつま芋ほりの記憶はないね。 掘るのは簡単かね?私:芋ほりなんて子供時代にした記憶があるくらいだから、久しぶりだったよ。 しかし、芋をきずつけないように、周りから深く掘るので大人でも大変だよ。 ましてや、子供が一人ではムリだね。 幼稚園が家族の参加を要請したのも分かるね。A氏:4株で何個くらい、さつま芋が掘れた?私:案外、土が固くて、30分くらいかかったかね。 13個とれた。 一個だけ幼稚園に残す。 来週、それで幼稚園で焼き芋でもやるらしい。 後は、家にもって帰って、昼食に、早速、ふかして食べた。 掘りたては何故かおいしかったね。 面白かったのは、土を掘るとみみずだのダンゴ虫が出てくるのだが、子供たちがこわがらずに取って、幼稚園の先生が用意した虫かごに入れていたことだったね。A氏:都会の子は自然にいる虫を嫌うのではないのかね。私:他の幼稚園の対応は知らないが、この幼稚園は自然重視だから園児は虫をこわがらないようだね。
2006.10.22
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私:先日の朝日新聞のクリント・イーストウッド監督の発言について小さな囲み記事があったね。 太平戦争末期の硫黄島の戦いをテーマにした映画「父親たちの星条旗」の公開前に、フランスの新聞に彼の戦争観を語った記事が載っていたね。A氏:俺も読んだし、みのもんたの朝のテレビでもやっていたね。 君はNHKのドキュメントを見て、これは映画にならないのではないかと言っていたね。私:そうだよ。 映画にするなら、相当、厳しい中味になるはずだよ。 観客が見るに耐えない映画か、映画館から出てくるときは暗い顔で出てくる映画しか作れないはずだと思ったからね。 NHKのドキュメントを見たら、そう思ったよ。 クリント・イーストウッドの気が知れないと思ったよ。 好きな俳優だったのにね。A氏:しかし、この新聞の囲み記事では、イーストウッド監督は意外にも「政治家、人々を殺し続ける」とすごい発言をしているね。 イラクの戦争も批判的だね。私:イーストウッド監督がそのような厳しい考えを持っていたのには驚いたね。 もっとも、そのくらいの考えでないと、硫黄島の戦いの映画は作れないね。A氏:この映画はアメリカ側と日本側の両方から描いた2部作で「父親たちの星条旗」はアメリカ側から描いたものだという。 日本側の視点で描いたほうは「硫黄島からの手紙」という題名で、これには、渡辺謙が主演する。私:渡辺謙が日本兵の覚悟の死を「武士道」と関係あるようなことをどこかで発言していたようだが、それが事実なら、まったくナンセンスだね。 NHKのドキュメントを見ると日本が誇るべき武士道ではまったくないね。 カルト宗教の自殺行為だよ。A氏:それをどのようにイーストウッドが描くのか、興味があるね。
2006.10.21
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A氏:20章でラングドンが教室で黄金比を教えるところで、まだ、ちょっと、気になる点があるんで確認したいんだよ。私:なんだい?A氏:PIとPHIの問題なんだよ。 訳書ではPIは私立探偵としてあるが、どういう推理で君が、これは私立探偵でなく円周率のパイだ、という意味に到達したのか、その思考プロセスをもっと知りたいと思ってね。私:最初、PIが訳書にあるように私立探偵ならprivateのPと探偵のinvestigatorのIをとったのではないかと思ったね。A氏:でも、私立探偵というとprivate detectiveではないの? そうなるとPIでなくPDだろう。私:そうだね。 チャンドラーの有名なマーロウ私立探偵は、「大いなる眠り」で初登場だが、自分のことをprivate detectiveと言っているね。 だから、PIは別の意味があるかもしれないという疑問を感じたんだね。A氏:そうすると何の略だったんだね。私:到達した結論は、これはギリシャ語πパイの英語表現で大文字だけれど何かの略でないのだね。 だから、ピー・アイと言わないわけだ。 同様に、PHIも何かの略でなくギリシャ文字φの英語表現だね。A氏:どうして君はそれが分かったの?私:俺がダヴィンチコードを読んだときは、日本語訳を速読で筋だけ読んだのだが、君はきちんと一行一行、論理的に納得するまで読んで、疑問点を聞いてくれたので気がついたんだよ。 特に、「後方の席にいる脚の長い数学専門の学生が手をあげた。『PHI。黄金比です。』」というところで、原書を見たら、He pronounced it fee.があり、日本語訳ではこれを訳していないことに気がついたんだね。 特に、このイタリックスになっているfeeというのはナンだろうと推理したわけだA氏:その数学専攻の学生はPHIをフィーと言っているわけだね。私:そこでPIはどうも、直感的にprivate investigatorの略と違うという強い疑問をもったんだね。 ウィキペディアでPIをひいたらパイが出てきた。 PHIもウィキペディアに出てきた。 PHIは、英語読みでファイだが、ギリシャ読みはフィーだとある。 He pronounced it fee.の「fee;フィー」の謎が解けた。 日本語では訳していないHe pronounced it fee.の文は「数学専門の学生は英語読みでなく、ギリシャ語読みでPHIを発音した」という意味なんだね。 ファイが黄金比なら、パイは円周率としてペアになることは明らかだ。 つながった。 どんどん、疑問が解ける。 だから、ここの訳は意訳すると「黄金比:PHIはHがあるおかげで一般学生が知っている円周率PIよりいかす数字」となるわけだ。A氏:日本訳は「黄金比はHがあるおかげで、PIよりずっと切れ者だってね!」だね。 まだ、PI=私立探偵につながっている訳だね。私:俺はギリシャ語など知らないがこの程度なら推理できるよ。A氏:なるほど。 「尋ねよ、さらば見出さん。門を叩け、さらば開かれん」。 新訳聖書「マタイによる福音書」より。私:そうじゃないよ。 疑問を感じたらあいまいにするなだよ。 教科書に墨を塗った世代の本能だよ。 だまされないためにもね。 そして、知的な追求心をもって、あくまで追求することが頭の老化防止にもなるかもね。 できたら広く、深くね。 天下国家と関係ない、ダヴィンチコードのミステリーとも関係のない、つまらんミステリーの解明かもしれんがね。
2006.10.20
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私:朝日新聞のスーポーツ欄で3回に分けて「オレ流の進化」という落合監督のチーム運営を特集していたね。A氏:俺も読んだ。 落合選手のプレーヤー時代は典型的な「渡り職人」だね。 その選手としての成績は確かにすごいね。 しかし、共同体的な選手ではなかったね。私:だから、中日ドラゴンスの監督依頼がきたときは驚いたようだ。 一匹狼の自分に、まさか、チームを率いるという仕事の依頼は来るとは思っていなかっただろうからね。A氏:しかし、監督としても機能集団のリーダーとしては適切だったんだね。 練習もみっちりやる。 鍛えた選手に敗戦の責任を押し付けない。私:共同体型では選手に責任を押し付けやすい。 しかし、このドライなマネジメントは、共同体的なウエットな日本人体質に合うのかね。A氏:「理想の上司」に優勝監督がなる場合が多い。 仰木、野村、星野らの監督は優勝後は「理想の上司」のランク上位になっているね。私:ところが、2年前のリーグ優勝のときの落合監督は37位だったというね。A氏:たしかに、人付き合いは悪いね。私:名古屋には後援会組織もないという。 徹底的に野球に集中する。 まさに共同体と機能集団との分離だね。 他の監督のように報道陣らと茶を飲んで仲良くする必要はない。 そんな暇はないという。A氏:君の日記の江夏のぼやきのように試合にも多少、人情的なものが必要なのかね。私:その点、落合監督の意見は違うね。 いい野球をするからファンが来る。 勝利を求めて球場に来る。 勝てば気分良く家に帰れる。 実に明快だね。A氏:コーチ、スコアラーの陣容は12球団で一番多いというね。私:それに彼には共同体的しがらみがないから、自分が評価した人を自由に選べる。 全員、落合監督が一本釣りしたという。 そして信頼して任せる。 自分が選んだのだから、責任は自分にあるという考えだね。A氏:不思議なことに落合監督はアメリカ野球の経験がないのに、アメリカの機能集団的な方法に徹しているね。私:これは製造業の経験だが、俺が知っているある工場長は長い間、アメリカの子会社の社長をしていたんだ。 部下のマネージャーはアメリカ人だ。 責任を与えると同時に権限を任すんだね。 責任権限を与えても口うるさく口出しをする上司が多い日本型ではないね。 しかし、報告は求める。 それが日本にもどってきて工場長室で報告だけ受けていたら、現場をよく回らないと逆に批判されていたよ。A氏:落合監督はチームの選手やスタッフに対して批判めいた発言はしたことがないという。 人選の責任は自分にあるということが明確なんだね。私:その点、江夏氏が監督には選手を信頼する度胸も必要だというのと共通しているね。 しかし、落合監督なら「江夏の21球」の最後のピンチのとき、最後、ブルペンに交代投手に投球練習をはじめさせたかね。A氏:興味ある問題だね。私:交代投手の投球練習はしなかったかもしれないね。 江夏と運命をともにする気でいたかもしれないね。 度胸でなく、自分の責任として。
2006.10.19
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私:こないだ、同窓会で日光に行ったとき、家康の墓を見てきた。 そこまで行くのに有名な左甚五郎の「眠り猫」の奥の二百五十段くらいある石段をのぼるんだ。 中には、石段数を聞いただけで「俺はムリしない」と言って棄権したのが数名いたね。俺は挑戦したが、気になったことがあった。A氏:何が?私:石段の高さと奥行きなんだ。 われわれが日常使っている階段より、高さが高く、奥行きが深いんだね。 昔の人は、足幅が大きかったのかね。 それとも足の動かし方が今と違っていたのかね。 ナンバ歩きみたいにーーー。 だから、石段の数だけでなく一つひとつの石段の高さ、奥行きの情報がないと登る負荷が正確に分からないことに気がついたんだ。A氏:なるほど、高さが高く、奥行きが深いほど、同じ石段数でも疲労度が高いわけだ。私:俺は20年くらい前に中国観光ツアーで五山に行ったことがあるが、そこにかなりの数の石段をまっすぐ登り、山上の小さな堂にお参りしたことがある。 そのときの個々の石段の高さが高い気がしたね。 今、思い出したよ。 当時は多少今より体力があったので気にしなかったんだね。A氏:現在のビルなどの階段は規格で決まっているんかね。 何か、同じ高さのような気がするね。私:面白いのは、熊本城では、城に登る石段の高さと奥行きが少しずつ変えてあるんだそうだ。 これは敵兵の歩くペースを乱れさせるために工夫してあるのだという。 現在は観光用に一部現代風に直してあるということだが。A氏:なるほど。 芭蕉の「岩にしみいる蝉の声」で有名な立石寺は千段だというが一つひとつの石段の高さはどうなのかね。私:日本で今、一番石段の多いところは、熊本県の美里町にあるという。 この石段は、1200年の歴史がある釈迦院(八代郡泉村)の表参道である坂に、観光で町の活性化を図るため、数年かかって昭和63年に完成したという。 3333段だというね。 その前の日本一は、山形県羽黒山の2446段だそうだ。A氏:3333段の石段登りが観光名物なっているわけか。 問題は、君のいう石段の高さと奥行きだね。私:不思議に皆、石段数が正確に数字で出ていて、個々の高さと奥行きの情報がないね。 この美里町の石段には、全国各地の名石のほか、中国、韓国、インド、旧ソ連、ブラジル、アメリカ、南アフリカなど世界各国の御影石を使用しているそうだ。A氏:3333段に挑戦するかね。私:ちょっと考えさせてくれ。
2006.10.18
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私:この本は放送大学の教材だ。 2000年に発行されている。 日本文化の伝統の多くは明治維新で放棄されたんだと思って、もう一度、ざっとおおざっぱに 明治維新を振り返ってみたいと思って読んでみた。 いろいろな角度から新鮮な知識を得られたよ。 依然として「国家の品格」街道だね。 この本は明治維新をめぐる政治体制、外交が主で、俺の期待した廃仏毀釈運動などの説明はなかったね。 これは別の本で読んでみたい。A氏:薩長を中心とする明治政府が内政、外交面で数年間のうちに行った改革はものすごいね。 四民平等、武士の解体、廃藩置県など、次から次への改革だね。私:実は、改革は江戸幕府の頃に種があるのだね。 それが理解できたね。 例えば、廃藩置県までは、地方は藩と呼ばず、「国家」だったんだ。 幕府、藩、朝廷という言葉は、この時代の人は使っていないんだね。 江戸時代は薩摩藩でなく薩摩の国なんだね。 幕府が中央で藩が地方という関係や意識は明治政府ができてからとなるね。 大名は「国家」として政治的には独立していたんだね。 だから、江戸時代、日本国内には二百数十の小国家があった。 そして、その中心に「公儀」と「禁裏」があった。A氏:公儀が徳川幕府、禁裏が皇室だね。私:日本は不思議なことに、このダブル体制を長い間維持してきたんだね。 これは、外国に征服されるという歴史がないためで世界でも稀な国だね。A氏:二百数十の小国家、すなわち大名は、「公儀」から自分の領地統治を全面的に委任されていた。私:大名は国家の統治をするのだが、その「国家」は私物でなく、永続すべき実体なので、君主(大名)個人のものではないという考えだね。 これが明治政府のとき、「国家」という概念に比較的スムースにつながる要因だったようだ。A氏:武士の解体は一旦士族になるね。私:二百数十の小国家だから、一口に武士と言っても日本全体を見ると、バラバラとなっていた。 したがって、一旦、士族という日本全体の階層にまとめ、次に武士を解体したんだね。A氏:外交も大変だったが、国内の改革も大変だったんだね。私:明治になり、「公儀」は「禁裏」の下に来るが、明治憲法は、その関係を立憲君主制として消化したんだね。 「公儀」は議会となり、「禁裏」は象徴となる。 その意味では、明治憲法も現行憲法もその基本の考えはあまり変わらないね。 話は変わるが、中国は伝統的に中華思想があり、他の国と対等を認めない。 「徳」は「天命」を受けた中国皇帝が独占しているからだ。 ところが、徳川幕府時代に野蛮な下の関係(夷荻)にあった満州族が明を倒し、清を建国する。 これは清国の正統性の問題を起こした。 今まで従っていた周辺諸国に大きな疑念を引き起こすことになるね。 夷荻の政府を何故、中華として仕えなければならないのかということになるね。A氏:朝鮮は国号を明から授けられたくらいだから屈折した状態となったろうね。私:朝鮮では、一時、清国征伐論まで出る。 しかし、結局、面従腹背となるね。 同時に、中国の周辺諸国は「小中華主義」をとるね。 自分が清の代わりになるわけだ。 しかし、興味があったのは、朝鮮と日本の違いだね。 日本が入貢する使節を内部的に「夷荻」と呼んで下に見るのは徳川の「武威」であった。 だから、幕末に西欧諸国が来たとき「武威」は、それが強い西欧には通じないので「華夷」差別の根拠がなくなった。 ところが、朝鮮は朱子学の正統を受け継いでおり、夷荻である清の皇帝より優れていると自負していたくらいだ。 すなわち、朝鮮は「華夷」の差別を「人倫」、つまり儒教道徳の自覚の有無に求めた。 もちろん、西欧諸国にはそんな「人倫」はないから「夷荻」だ。 隷属すべき者だ。 これが、朝鮮が西欧との対応で日本より遅れた大きな原因になったという。 最近の北朝鮮の反発姿勢も伝統的に尊敬していた中国に裏切られたというプライド喪失の要素が底にあるのではないかね。A氏:明治の頃、中国と朝鮮は西欧に対して精神的なプライドが高かったのだね。 だから、対応が遅れた。 日本人のほうが現実的な思考をしていたのだね。私:朝鮮は朱子学の影響が深かったのだね。 これはキリスト教も同じで、日本人は信者が極めて少ないが、韓国は多いというのもその違いからかね。A氏:韓国や中国の反日デモを報ずるテレビなどをみると、日本国旗や首相の写真を焼いたりするけれど、あのような熱狂は日本人にはないね。 かなり違う点があるね。私:俺はずいぶん前に韓国に仕事で行ったことがあるが、俺と同じ年令の通訳の人が、通行人を指しながら「日本の天皇は誰でもなれないが、韓国では今、目の前に歩いている人は誰も明日は大統領になれると思っている。それが日本と韓国の大きな違いだ」と言っていたのを思い出したよ。 いずれにせよ、明治維新というのは、徳川時代の政治体制の多くの遺産を受け継いでいることが理解できたね。 大名はかなり下の者に権限を委譲していたのもね。 町人も政治に提言するなど、かなり民主的な考えがあったんだね。 次は、例の明治の廃仏問題に興味が湧いたね。
2006.10.17
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私:10月13日の朝日新聞は大手メーカーの偽装請負を「三者三論」欄で特集していたね。A氏:こないだ問題になった製造請負業の大手の「コラボレート」の事業停止命令事件でクローズアップしたね。私:実体は正規従業員と仕事は同じなのに、偽装請負になると、労働者はボーナス、昇給、社会保険の加入などを受けられず、企業側の人件費削減の犠牲になりやすい。 全国コミュニティ・ユニオン連合会会長の鴨さんは労働相談で、広い意味の偽装請負が増加しているという。A氏:パートや正社員として働いている人が、仕事は同じなのに、個人事業種扱いとなる。 そうなると会社側は雇用保険や健康保険の費用の一部を会社負担しなくてよくなる。私:偽装請負増加の原因は、グローバル経済で海外の低賃金との競争の中で利益を上げるため、人件費の面でコストダウンと需要にあわせた雇用調整が容易することが必要となっている背景があると鴨さんは言っている。A氏:その通りだね。 それはアメリカのほうが先輩だろうね。私:佐野俊樹東大教授は、バブル崩壊後、人件費を抑えるための成果主義を大きな原因としてあげている。 それが現在30代前半から半ばの特定世代に不利益が集中しているとしているのが問題だとしている。A氏:アメリカではレイ・オフ制度というのがあるが、解雇の順位が勤続年数の短い者からするという先任権制度(セニオリティ)があるね。 同じではないの?私:しかし、佐野教授は日本では、中高年などの先輩社員が若い人を育てるよりも自分が 成果をあげるために精いっぱいで、従来の運命共同体という考えも薄れた。 共同体の機能集団への移行だね。 「自分が退職するまでに逃げ切れればよい」という無責任な態度がはびこるようになったという。 アメリカ流の成果主義を上手にまねできなかった。 アメリカ流はもっとドライで平等だという。A氏:アメリカでもシニオリティ制度はなくなったのかね?私:どうかね。 いずれにせよ、正社員の給与を減らすことになるね。 しかし、それは消費の停滞を招くリスクはあるね。 小嶌大阪大学教授は派遣と請負の厳密な硬直した条件の規制を緩和すべきだとしている。 これにより、請負の独立性だけでなく、もっと、企業側の指導も可能なようにして技術、技能を向上させ、それによって賃金や処遇を良くすることができるとしている。A氏:しかし、若年労働者が低賃金で正社員になれないのは問題だが、偽装請負をなくすだけでは解決しないのではないの?私:だから、小嶌教授も正社員の既得権の見直しが必要だという。A氏:ワークシアリング的な発想かね。私:この問題は、グローバル経済に対応して、構造的な問題になっているから、簡単な処方箋が出せないということだろうか。 しかし、「唯金論」にあったように、日本では今まで日本経営のよかったことを安易に放り出し、あまりにも「唯金論」に走 ったことが問題だったと思うね。 そのしっぺ返しを受けているような感じだね。 3人とも「唯金論」でふれていた経営者の経営の考え方について無関心なのは意外だね。 それに残った正社員も仕事が増えて、残業や休日出勤が増えるなど、労働条件の悪化というしわ寄せがきていることもふれるべきだね。A氏:それについては、10月15日の朝日新聞の社説が「受け入れ側の責任も問え」と強烈な論説を展開しているね。 厚労省は、偽装請負で指導した企業名については口を閉ざしたままだという。 社説では、冒頭に正社員と違い、給料は半分以下、昇給もボーナスもほとんどなく、社会保険のへの加入も徹底されず、簡単にクビを切れるという格差が明記されているね。 こういう偽装請負は要求する企業があるから発生するのだから、当然、要求側の責任が大きいがこれについては、名前も責任も追及されるべきとしているね。私:残念ながら、論説では責任追及は厳しいがトップの企業姿勢までの追求がないね。 また、背景になっている中国などの低賃金と競争するグローバルな視点による具体的な対応策の提言もない。 同じ紙面でパートのサービス残業が3割という調査が発表されているね。 本当に、経済は力強く回復したのかね。 現場の感覚と遊離している感じだね。 とにかく、目指すべき「美しい日本」の姿ではないようだね。
2006.10.16
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私:三国陽夫氏が10月2日の朝日新聞の朝刊の「私の視点」欄で米国の住宅バブルが崩壊に向い始めたようだとして、日本経済に大きな影響を与えるので日本の対応が必要としている。A氏:三国氏と言えば、「黒字亡国:対米黒字が日本経済を殺す」の著者だろう? この本の話題でフジテレビの報道2001に出演したこともあるね。私:そうだね。 日本(円)はアメリカ(ドル)に冨を収奪される通貨植民地だという見方だね。 米国住宅バブルの崩壊で米国消費が低下すると、ドルが余って価値が下がり円高になる。A氏:そうすると、リストラなど「円高不況」が想像されるわけだね。私:外資はいくら稼いでも、ドルを買うとその円資金は国内で集められたものだ。 米国人は日本人の財布で買い物をしている。 日本は物があるが金がない。A氏:そうすると、また、デフレ圧力になりかねない。私:今、輸出を担う製造業の大企業の労働者が日本の労働者に占める割合は5%にすぎない。A氏:格差とも関係しているわけだね:私:アジアの安い労働力と競争させられている。 例えば、偽装請負がある。 輸出依存の経済で日本人の多くが豊かさを感じられる時代ではない。 ドルを買う代わりに、その資金を国内に回して経済を活性化するしかない。A氏:日本の住まいは欧米より悪い。 これらの需要も多いはずだね。私:氏は日本は内需中心の経済へ構造改革を急ぐべきであるという。A氏:「黒字亡国」では、インドがイギリスに植民地化されていたとき、ポンドに支配されて黒字に見合った冨を宗主国イギリスに吸い上げられていたという説明があるね。 同様に、今の日本は植民地で、ドルに支配された黒字にあった冨を宗主国アメリカに吸い上げられている構造だというね。私:この本は昨年末、読んだんだが、よく読みこなしていなかった。 最近、格差問題がからんでいることに気がついた。 また、再読の必要を感じたね。 それと今週の日経ビジネスで「グローバリゼーション新自由主義批判事典」という翻訳書の解説があって、そこに次のような引用があった。 「グローバリゼーションは、国を征服するよりも、市場を征服しようとするものである。 この近代的権力の狙いは、大々的な侵略が行われた植民地時代のような領土の征服ではなく、冨の所有権の奪取である。 この新たな征服には圧倒的な破壊がともなう」 「この地球上の全人口のうち、最も豊かな5分の1が80% の資源を所有し、もっとも貧しい5分の1は、0.5% 以下の資源しか所有していない」A氏:格差問題の背景にもなっているのだね。私:「黒字亡国」は手元にあるから、「グローバリゼーション新自由主義批判事典」は図書館に予約したよ。 リンクして読んでみたいね。 郵政民営化だって、竹中大臣はアメリカの手先だとか、僻地の郵便が不便になるとか、本質を離れた議論ばかりだったね。 新しい植民地戦争が始まっているのにね。 また、太平洋戦争の二の舞をするのかね。 知的興味が湧いてきたよ。A氏:格差問題の知的街道のスケールが大きくなってきたね。
2006.10.15
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私:社長ひとりさんのブログで、訪問した会社の女性事務員が気のきいた対応をする話が載っているね。A氏:俺も読んだが、この会社の経営体質なのか、個人の特質なのか、興味が湧いたね。私:その会社の社長がその対応の話を聞いて全社員に伝えたというから、経営者も理解したんだろうね。 俺はたまたま、日経ビジネスの10月2日号で「人材沈没」を特集していたので、その関連で特に興味を持ったね。 こういう話は昔はよくあったが最近は減ったように思うね。 それに、特に、フェイス・ツー・フェイスのコミュニケーンが気になっていたからね。A氏:そういえば、このブログのコメントで君はJR東海の徳渕真利子さんの記事を紹介していたね。私:そうなんだ。日経ビジネスではチョッコットだが、アルバイトの彼女の話を書いているね。 彼女は「のぞみ」のワゴン販売で平均の3倍近く売上げ、400人いる販売員のトップに立ったという。 何故、彼女がそのような成果を出したか。 それは、彼女は乗客一人ひとりの顔をきちんと見て、こちらから逆に声をかけるのだという。 乗客に話しかけることが苦にならないのだというわけだ。A氏:アルバイトでは明日がないから、辞めようとしたら慰留が入り、正社員となるのだね。私:フェイス・ツー・フェイスで相手の心を読んでサービスするというのは、本来、日本人の「思いやり」の心があったからではなかったのかね。 「国家の品格」が消えつつあるので、こういう話が美談になるのかね。A氏:もう、20数年以上前になるかね。 日本の職場でQCサークルが盛んで、アメリカ企業がよく学びに来た時期があったね。 アメリカのある経営者は熱心に日本に何回も来てQCサークルの講義を聞いたが、どうもピンと来ない。 また、日本に来た。 銀行で日本円に交換するときに、日本の女性が何も言わないのに、小銭も混ぜてくれた。 そこで、その経営者ははじめてQCサークルの原点がここにあるとして納得したという。 日本的な相手の気持ちに対する思いやりだね。 アメリカのマニュアル化した組織では期待できなかったんだね。 当時は「国家の品格」が生きていたわけだ。 当時、アメリカの有名な経営書に書いてあったね。私:俺はタイで逆の経験をしたよ。 やはり20数年前だね。 タイに仕事で行ったら、事務所で女性の事務員がコーヒーとケーキを出すんだが、マグカップが大きい上に、ものすごく濃いコーヒーなんだ。 それにケーが大きくてものすごく甘い。 それが女性事務員のマニュアルになっているようなんだ。 女性事務員はマニュアル通りやっていたわけだ。 俺はウンザリしたがね。 一緒に同行した女性の通訳が後で気がついて、あわてて持参のお茶に変えたりしていたね。A氏:それと仕事とどういう関係にあったの?私:いや、その会社で仕事の合間に当時有名だった日本のQCサークルの話をしてくれというんだね。 俺はQCサークルは好きではないが、まあ、要請があったので話を始めた。 話題として、女性の事務員のコーヒーの出し方をとりあげた。 私の好みを確認しないで、コーヒーとケーキを出しているが、QCでは私はサービス先、すなわち、顧客にあたるね。 顧客の希望をよく確認して、自分の仕事を工夫するのがQCサークルの原点で、そんなにむずかいしことではないと説明したね。 さっきの事務員からでも今すぐスタートできると言ったんだ。A氏:まぁ、タイだから、タイ語ではダメだから、通訳にあらかじめ聞くか、メニューをつくるかだね。 発想の問題だね。私:問題は、どうやって、頭を使ってもらうかだね。 これが難しいね。 あれから20数年たったが、日本でもマニュアル的な気風が広がっているのかもね。 訪問客に「コーヒーですか、紅茶ですか」とマニュアル的に聞くようになっているのかもしれないね。 心がこもっていないのかもしれない。 ファーストフッドの店員の挨拶のように。 そうなると応用がきかない。 だから、俺は最近の職場小説が気になるんだね。 「フルタイムライフ」「泣かない女はいない」にはそういう「国家の品格」がいうような思いやりシーンはもうないようだね。 だから、このようなブログの話を聞くとほっとするね。 こういう話に満ちた職場小説でも書いてくれると職場が明るくなるんだがね。A氏:それにしても、徳渕真利子のような人や、よく気がつく女性事務員がどうして育ったのかね。 その解明が必要だね。私:俺は、それは、QCサークルの崩壊と関係しているような気がするね。 QCサークルは盛んになるに従い、形式化してきたようだ。 パターン化してきた。 それとバブル崩壊から、職場が共同体化しにくくなった。A氏:何故?私:正社員が少なくなったので、一緒の仲間だという職場の共同体意識が、パート、アルバイト、派遣社員、社内下請け、外国人など、多様な集団となってきたことが背景にあると思うんだね。 それにこれらの人に対する教育もやりにくくなっているね。 職場教育の格差だね。 ところで、、2年前の「文芸春秋」6月号の「子供を回転扉で殺さないために・失敗学と古武術」の対談で、失敗学の畑村洋太郎教授は次のように言っているね。 「今の日本は故障や事故はメーカーに問い合わせればいいやというテレフォン・エンジニアと、説明書さえあれば事足れりとしている、マニュアルエンジニアだらけですから。 ここから『TQCの落とし穴』が起きます。日本企業はTQCで製品の品質を飛躍的に向上させてきました。 しかし、今やTQC先進企業の不祥事は枚挙にいとまがない。 これは品質管理マニュアルが細かく高度になりすぎて、現場はそれを守るのに精一杯で、不測の出来事に対応できないためです。 いつのまにか、『自分の頭で考える』ことができなくなり、発想が制限されていく。 日本がTQCで世界に冠たる経済大国になったことと、この十五年の大不況とは、同根だと思います。」と言っている。 その後、事故は増加している。 しかし、俺はアメリカ型になりつつある職場の格差がその根底にあるような気がするね。
2006.10.14
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私:昨夜は同期会だよ。 一泊し、今日は観光して夕食には帰ってきたよ。A氏:どこに行ったの?私:日光だよ。 夕方、現地のホテルに集合。 6時半から8時半まで夕食。 8時半から10時半までカラオケ。 翌日は、日光の華厳の滝、龍頭の滝などをみて、日光東照宮をガイド付きで観光した。A氏:大学を卒業してから、だいぶたつだろうから、集まりはどうだね。私:俺の学科は26名卒業。 そのうち、1名は30才台で急死。 今回、参加は17名だから、非参加は9名。 このうち、個人的な都合でこられなかった者は4名。 体の調子が悪く、リハビリとか療養とかで参加できなかった者が残りの5名だった。 そういえば、奥さんを失くしていた者も2名いた。 今回、2名とも参加していなかったけれど、再婚もしていなかったね。A氏:参加率はよかったのではないの?私:いいほうではないの? もう皆、定年になっているので、時間的余裕があるのかもしれないね。 しかし、一方で地域の活動をはじめて、その都合で来られない者もいたね。 夕食で各人の個人報告を逐次行われたが、皆、いろいろな新しい趣味に精を出していて、かなりの腕をあげているのが共通していたね。 篆刻とか水墨画などという変わったもので腕を上げていた者もいた。 定年以後に習得したんだね。 体をこわしている人もいるが、多くはまだまだ元気だね。A氏:皆、技術者だけにもったいないね。 来年から団塊の世代の定年退職が増加するが、多くの人はまだま だ、現役として活躍する必要があるのではないのかね。私:しかし、話は自然に、病気のこと、医者の良否、薬の話し、健康法などが多くなり、やはり、年令を感じたねA氏:それにしても、今日は天気がよかったから、日光の観光にはよかったのでは?私:ちょっと、上のほうは、厚い霧がかかっていたが、中禅寺湖などの展望は良かったし、いろは坂も下りは紅葉が見頃だったね。 日光の東照宮は、まだ、新入社員の頃、会社の慰安旅行で行った記憶があるくらいで、久しぶりだったよ。A氏:今は、鳴り龍は手をたたいてはいけないというけど、本当かい?私:そうなんだ。 今は、説明役の人がいて、拍子木を数回たたくのだよ。 昔の手のほうがよかったが、多くの人が乱雑に手をたたくと、反響が聞こえにくくなったのではないのかね。A氏:東照宮は神仏混合だね。私:そうだね。 輪王寺という寺が別にあるが、東照宮に入るには大きな石の鳥居をくぐる。 神社だね。 しかし、神社の境内に入ってから、立派な仏教の経堂があるね。A氏:神道とはそういうあいまいさがあるね。私:建物の彫り物にも中国風の儒教のものが多いね。 徳川幕府は、政治の手法に儒教を用いたからね。 それにしても拝殿は神道だから、像などない。 素通しだよ。A氏:神道の特徴だね。私:奥の拝殿は、昔は徳川家の者や、大名が拝する場所だね。 石高の多い順に並んだという。 今も徳川家の子孫が祭祀を行っているという。 宮中の天皇家の祭祀が宮中三殿で今も行われているのと同じだね。 左甚五郎の眠り猫の後の丘の石段を二百段くらい登ると、家康の墓がある。 そこも行ってきた。A氏:日光のみやげ物というと、ゆばかね?私:ゆばを使ったものは多いね。 皆、昼飯にそばを食べたとき、キュウリの漬物が出たのがおいしくて、それを土産に買う人がいたね。 しかし、俺もそうだが、おいしいからといって、こういうものを買っても、一度に全部食べるわけでないから、冷蔵庫の堆積物となりやすい。 そこで、買わない人もいたね。 久しぶりの観光だったが、やや疲れたね。 しかし、卒業以来、会っていなかった者にも会って有意義だったね。
2006.10.13
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私:今週の週間朝日で江夏氏が日本のプロ野球12球団中、4球団の監督が外国人監督になることを反対している記事がのっているね。A氏:しかし、日本ハムのヒルマン監督は今季パリーグ一位、昨年は日本一のロッテのバレンタイン監督など、成績も最高だね。私:江夏氏の見方では、外国人監督はチームの成績が悪いと簡単に変えられるので、フロントにとっても監督にとっても楽だからという。A氏:サッカーの日本代表監督みたいだね。 ジーコはあっさり退場だね。私:この問題に昨日の共同体と機能集団という山本氏の理論を適用すると分かりやすいね。A氏:本来、プロ野球は機能集団だね。 だから、別に外国人でなくても落合監督のように勝利を得れば問題ないはずだね。私:ところが、日本的な組織というのは共同体的なしがらみがついてまわるようだね。 落合監督は「おれ流」でやっているがね。 しかし、今年は、さすがの落合監督も阪神の追い上げには、肝を冷やしたようで、涙を流していたね。 本来、勝つために合理性を一貫すれば、外国人でなくても強くなるはずなのにね。A氏:どういう共同体的なしがらみがあるんだろうね。私:阪神が一時万年Bクラスを低迷したのは、阪神OBなどのしがらみがあったといわれるね。 それが外部からの導入とも言える星野監督の支配でスッキリしてから、成績が良くなったようだね。 しかし、江夏氏によると岡田監督は阪神育ちだから、まだ、しがらみがあるらしいね。A氏:最近、日本ハムの金村投手がヒルマン監督の投手交替を批判して、球団側から処分されたね。私:外国人の監督は、勝負の責任がかかっているから、その権限は独裁者のように使うようだね。 江夏氏はこの週刊誌の記事で、日本人の気質、義理、人情、意地を考えず、ただ、勝つための野球は面白くないのではといっているね。A氏:一種の共同体的なものの導入かね。 しかし、勝負はやはり勝たないとだめだし、勝つためのいろいろな手練手管が面白いのじゃないかね。私:外国人監督だって、あまり、個人の感情に走った采配は、選手の気分を害してチームワークに影響するので、うまく、その点は配慮しているのではないかと思うね。 監督と選手の感情の対立として有名な「江夏の21球」というのがある。 たしか、NHKでドキュメントでやっていたことがあり、録画してあるよ。A氏:俺も録画してあるよ。 79年の日本シリーズで近鉄、広島の3勝3敗の最終戦。 このとき、江夏が投げていた広島は近鉄に9回裏1点リードだが無死満塁とされる。 江夏は瀬戸際に立つ。 当然、監督は投手交代の手を打つ。 プルペンで投手が練習を始める。私:江夏氏は「なんでおれに任せてくれないのか」とカーッとなる。 一塁の衣笠が慰める。 これで落ち着き、ピンチをしのぎ胴上げ投手になるね。A氏:この場合、古葉監督の勝ち負けの判断の立場もあるね。私:江夏氏は、煮え切らない指揮・采配が日本球界に目立ち始めたから、外国人監督がもてはやされてという。A氏:それは学校の先生が、教育の現場で生徒をもてあましているのと似ているね。 星野型の先生はいないのかね。私:まぁ、これは日本プロ野球のことだが、経営だって日産のリバイバルのように、ゴー ンという外国人監督だからこそできたのかもしれないね。 やはり、日本人社長では過去の日産共同体仲間のしがらみを断ち切れなかったのかね。 談合のように、なかなか共同体の癖は消えないのかね。
2006.10.12
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私:中日が優勝したね。 落合監督は、「おれ流」の監督で、自身はプレーヤーのときは、一匹狼の「渡り職人」だった。A氏:それとこの山本七平氏の「日本資本主義の精神」とどういう関係にあるの?私:山本七平氏は、日本のビジネスの基本をなす会社は伝統的に共同体と機能集団との一致だと言っている。 しかし、プロ野球はその意味で欧米型の機能集団主義だということなんだ。 プロ野球のマネジメントを知るには、その視点が興味があると思ったんだよ。 この本は山本学の延長で日本人はなぜ、一生懸命働くのかという探求だね。A氏:日本人は定年以後も働くことを考えるが、欧米人は定年になるとようやく労働から解放されると言って喜ぶという。 俺が学校を出て会社に入ったとき、同期で「40才で定年になって後は遊ぶのが夢だ」と言った奴がいて、俺はその発想についていけなかったが、彼は欧米的な発想だったと後で山本氏の本を読んで知ったよ。 ホリエモンも似たようなことを言っていたね。私:1979年刊行だが、PHP文庫で1995年で発行、今年4月、ビジネス社でも再版されているね。 解説を堺屋太一氏が書いているが、日本資本主義の特徴の主題は日本人にとって永久の課題であり、山本氏の分析は今日も意味のある実用性を持っていると言えるね。A氏:最近出る軽い読み物とは違って、内容的に重いね。私:蓄積が違うのかもね。 それも自分の体験の上で築いた蓄積だからかね。 この本は、前に言ったように日本の会社組織が欧米型と違い機能集団と共同体とが基本的に一体化していることをメインに指摘しているね。 談合などはこの本ではふれていないが、これも機能集団でなく、共同体型の資本主義の名残りだね。 華僑などの血縁集団とも違う。A氏:日本社会での「契約」も欧米の後に神がある契約と異なるということをよく山本氏は言っているね。私:新入社員なんかは、特に契約で入社しないね。 言わば暗黙の了解だね。 あるいは「話し合い」がルールだね。 高校球児がプロ野球にはいるのはアメリカ型の契約方式だがね。 ちょっと異例だね。A氏:通常、日本では入社は会社共同体への参加だね。 なるほど、基本は「話し合い」型だ。 だから、欧米式なルールを作って文書にしても、読まない。 飾りだね。私:山本氏は、日本型経営は明治以降でなく、すでに江戸時代がそうだというね。 年功序列も丁稚、手代、番頭、大番頭、宿這入り、暖簾分けという序列が徳川の享保時代からできていたという。 製造業も同じで、小僧、職人、職長という序列があった。 それ以外に「渡り職人」という一匹狼の職人があった。A氏:日本式経営では、共同体が基本になっているから渡り職人は少ないね。 例の青色発光ダイオードを発明した中村修二氏のような人は日本式経営では異色だね。 ノーベル賞をもらった田中氏は共同体からは出ていないね。私:そうだね。共同体と機能集団が一致している集団は、一つの方向を向くときは強力になるが、一人ひとりの個性が消える欠点があるね。 それに共同体を守るために、利益追求などの合理性の追求を二の次にする欠陥があるね。A氏:それを中村修二氏の生き方はついているね。 アメリカなどは渡り職人中心の世界だね。 戦後、日本も学校で個性教育を重視してきたが、「自由と放縦」の違いがわからず失敗しているね。私:渡り職人相手のビジネス集団ではマネージャーの役割が重要になる。 場合によっては、自分よりはるかに年上の渡り職人をマネージャーは扱わないといけない。 マネージャーが鍛えられるはずだね。 日産のゴーン社長がいい例だね。 彼は日本人にないのはマネジメントだけだと言っているね。A氏:プロ野球もパリーグでは、外人監督の活躍が印象的だね。 しかし、落合監督は渡り職人から「おれ流」のマネジメントをして、2回もリーグ優勝をしているね。私:マネジメントと言えば、興味があったのは、江戸時代の各藩の経営だね。 徳川幕府は、経営は各藩に任せた。 だから、名君、いわゆる名経営者のいる藩は栄えるが、そうでないところは破滅する。 今みたいに地方交付金などない。 地方で知恵を出さねばならない。 今の地方の名産品はその当時に開発されたものが多いのではないかね。 だから、藩の財政がよかった薩摩と長州が明治政府を作るのは当然だったんだね。A氏:それは、君のこのブログの「浅田次郎の新撰組と現代史」で浅田氏の幕末の見方は独特で、日常経済という観点から見ていて、薩長が明治維新で活躍できたのは、経済的に行き詰まっていた幕末で、両藩とも不良債権を棚上げして経済改革に成功しその経済力で明治維新をリードできたからだということで説明しているね。私:堺屋太一氏も解説で、この本を読めば、バブルで浮かれることもなかったし、その後の平成不況で暗くなることもなかったと言っているね。A氏:実際はバブル崩壊でリストラでバタバタして、日本的経営の良い点まで失ってしまったようだね。 それが日本の特徴だった格差の少ない社会を崩壊させつつあるのかもね。私:日本の足元の歴史を少し長い目で見れば、答えはそこにあるのかもね。 それが「国家の品格」をとりもどせということにつながるのかもしれないね。 戦後、われわれは歴史をおろそかにしてきたからね。 不勉強で自分の首を絞めているね。 緊急避難もあったのだろうが、そろそろ冷静に考えないとね。 この本を読んでそれを感じた。
2006.10.11
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私:君はこないだビデオのHDDを整理したと言ったけれど、俺も整理したよ。 中には録画して見ないでそのままのものもあった。 その中で8月はじめのNHKスペシャルの硫黄島の戦いを見た。 最初、見ないで消そうかと思ったが、ちょっと見出したら、目が離せなくなったね。 ずっと大東亜戦争の知的街道を歩いてきたせいか、アンテナを張っていたんだね。A氏:俺は8月に放送したとき見たよ。 すごい戦いだね。 日本兵は二万ほどだったが、捕虜で残ったのは千人くらいだという。 それも餓死近い状態で捕虜となるんだね。 島は日本軍が網の目のように穴を掘っており、その中の戦いだから、今でも遺骨が一万以上も穴の中に埋もれているという。私:9月20,21日と民主党の小沢代表と管氏が島を訪れているね。 そして、管氏は早く遺骨を集めたいと言っているね。 しかし、NHKスペシャルを見ると、そんなコメントは空虚だね。 島ごと、墓にしたいくらいだね。 小沢代表はその後、健康を損ねたようだが。A氏:この硫黄島の戦いは君のいうORで米軍は学者も参加して計画して、計算し、莫大な砲弾で1週間で落ちる予定だったのが、1ヶ月以上もかかったんだね。 アメリカ軍はかなりの損害を出す。私:生き残ったその千名くらいの人はすでに今80才代だから、戦後、多くの人がなくなっている。 体験を語る人が減ってきているね。 生き残っている人のうち、3人の人のインタビューがある。 貴重なインタビューだね。 思い出して話すのが苦しそうで、涙が自然に泣き出した人もいた。 人間は極限を体験すると話すのも嫌になるのだね。 いやな記憶だったんだろうね。 当時、硫黄島で戦った米兵のインタビューもあったね。A氏:彼らアメリカ兵には、何故、日本兵がこれだけ苦しんでいるのに投降しないのか理解できないと言っているね。 ある日本兵が投降しようとしたら、それを知った上司の下士官が後から撃って殺したのを目撃した米兵の証言もある。私:そんな話は遺族にできないね。 最後は味方同志で食糧を奪い合う。 遺族に実状を話せないという。 山本七平氏が戦後、遺族に本当のことを言えなかったのと同じだね。 投降なんか考えられない。 ただ、死を待つのみだね。 事実は、武士道精神の死ではないね。 美化できない。 オウム真理教だよ。A氏:生き残って今も働いている人が、言っていたね。 こんなに苦しんで死んでいった人の死がムダだったと絶対言ってほしくないとね。 ムダと言ったら、彼らは浮かばれないとね。私:今度、硫黄島の戦いの映画をクリント・イーストウッドが手がけるというが、捕虜になるくらいなら自殺せよという日本軍のマインドコントロールは理解できないだろうね。 クリント・イーストウッドは南京虐殺も映画化するという。 しかし、それは映画化できるものなのかね。 彼がどういう理解力でその歴史を扱うのかね。 おそらく理解しないで作ると思うね。 真実の硫黄島の戦いは映画にはできないね。 その謙虚さが、大人の心だよ。 このドキュメンタリーは貴重な映像だね。 永久保存だね。
2006.10.10
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私:先週、製造請負業の大手の「コラボレート」が偽装請負で事業停止命令を厚生労働省大阪労働局から受けたね。A氏:偽装請負は一種の非正社員化の問題として、格差の原因として君が問題にしていたね。私:朝日新聞は8月末ごろ、連日トップで派遣労働者や社内下請の非正社員の関連記事をかかげていたが、ここで具体的な政府の動きが出たね。A氏:新聞ではあまり格差と関連づけていないようだったね。私:だから、「コラボレート」でも最近ではメーカーのコストダウンや同業者の競争で利益が大きく減少しているという。 これは従業員の賃金低下に影響するね。A氏:格差拡大になるかもね。私:「コラボレート」の業務停止を報じた翌日、朝日新聞で「コラボレート」の偽装請負を内部告発した矢部さんのインタビュー記事が載っていたね。 声をあげ始めてから2年以上たっての行政の行動で遅いね。 矢部さんは「人を使う企業には最低限守るべきルールがある。労働者は『人材』でなく、『人財』、企業の財産として大切にすべきだ」と強調したとある。 矢部さんは現在、トヨタ系部品メーカーに勤めているので、トヨタ用語の『人財』を遣っているが皮肉に聞こえるね。A氏:俺もその記事は読んだが、松下の工場の偽装請負を内部告発した吉岡さんのインタビュー記事もあるね。 処分された会社だけが悪者のようだが、問題は偽装請負を利用して利益を出しているメーカー側の責任が問われないと現場の労働者は救われないとしているね。私:法規をかいくぐっても利益を出そうとする「唯金論」企業の問題が問われないのだね。 従来、日本の会社の95%は中小企業、労働者の85%は中小企業と言われていたが、それが、95%が中小タイプ、大企業の正社員タイプが5% とも言われているね。 そうだとすると、それが格差の大きな背景ではないかね。 たまたま、10月2日の日経ビジネスが「人材沈没:育てず伸びずのデフレスパイラル」という特集を組んでいるね。 残念だが、こういう偽装下請けのような問題と「人財」の問題はは扱っていないね。A氏:俺も読んだよ。 人への継続的な投資が好業績を生むという特集だね。私:まさに「人材」でなく「人財」だね。 バブル崩壊で、非正社員の増大、成果主義の導入、自己責任によるキャリア開発などが結局、長い目で見ると企業の継続的な成長を阻害することが分かってきたようだね。 「唯金論」は続かないね。 同じ日経ビジネスで、稲盛和夫氏が哲学なき起業は去るのみというのも同じ考えだね。 明治の渋沢栄一氏は、『論語と算盤』を著し、「道徳経済合一説」という理念を打ち出した。 『論語』を拠り所に倫理と利益の両立を掲げ、経済を発展させ、利益を独占するのではなく、国全体を豊かにするために、富は全体で共有するものとして社会に還元することを説くと同時に自身にも心がけたというね。
2006.10.09
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私:昨日(土曜)、孫の幼稚園の運動会があったんだ。 子供の運動会を見るのは久しぶりだね。A氏:金曜はすごい雨だったね。 風もすごかったから、運動会は大丈夫だったの?私:それが朝は晴天となって、なんとか実施できたよ。 グランドの多少の水溜りは砂を埋めたのかな。 日中は、だんだん、日差しが強くなり、空も青く、運動会日和となったね。 暑いくらいだったね。 今日だともっとよかったかもしれないが、準備の都合もあったようだ。A氏:よく子供のかけっこでは、順位をつけず、最後のゴールは手をつないでするという話を聞くが、君の幼稚園はどうだった。私:それはないね。 堂々と順位がついていたね。 うちの孫は、3人ぐらいで走るゲームですれすれで一位になったが、最後にクラスに帰って先生から、一人ひとり「運動会でよかったことは?」と聞かれて「かけっこ」と言っていた。 後で聞いたら、そのゲームのかけっこだった。 まだ、年少組みだから、あまり、はげしい個人競争はまだないが、競争心はあるようだね。A氏:通常、幼稚園は、年少、年中、年長とあるが、成長期だから大分違うだろうね。私:驚いたのは、最後にやった、年長組の組み対抗リレーだよ。 1組、5人くらいのリレーだから、選抜されたのだろうが、ものすごいスピード走っているね。 3年くらいの幼稚園生活であれだけ成長するのだね。 将来、頼もしいね。A氏:君のところの幼稚園は自然とのふれあいを重要視しているようだね。私:それと関係あるのかしらないが、対人関係もそうだね。 先生の毎月の手紙も手書きだね。 父母への連絡も手書きだね。 パソコンゼロだよ。 だから、運動会のプログラムのパンフレットも手書きだよ。 たしかに、肉筆は人間的な貴重価値があるね。 パソコン文書もきれいで効率的だが、なにか貴重なものを犠牲にしているのかもしれないね。A氏:そう言えば、ちょうど、俺のビデオデッキのHDDが一杯になってきたので、昨日、過去にとっていたのをチェックして不要なものは削除していたが、その中で日本人のモラル低下を特集していたNHKのクローズアップ現代があった。 評論家の江川女史が、モラル低下の原因の一つにフェース・ツー・フェースの会話が減ったことをあげていたね。私:こないだ、ある会社での打ち合わせに出たのだが、その1週間前にある課長と決めたことが進んでいないのでそれが話題になった。 進んでいないのは別の課長の遅れの責任だったんで、2人の課長が俺の目の前で議論になった。 遅れた責任の課長は「俺はそんなことは聞いていない」という。 別な課長は「連絡したはずだ」という。A氏:水掛け論かね。私:そこで俺は聞いたんだ。 どういう連絡方法で、かつ、二人の机はどのくらい離れているのかとね。A氏:なるほど、適切な質問だ。私:なんと、イー・メールでの連絡で、しかも、机は隣り同志なんだよ。 1週間も対話がなかったのだろうね。 フェース・ツー・フェースの対話に一種の恐怖感か軽視でもあるのかね。A氏:企業の体質もあるのかもね。私:いずれにせよ、孫にはそういう大人になってもらいたくないね。 そういう点で、泥だらけで遊ぶこの幼稚園のやり方は賛成だね。 今月末には、幼稚園の百坪くらいの畑でサツマイモ堀があるよ。 それも都会に住む孫として自然とのふれあいという面で重要なイベントだね。
2006.10.08
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私:俺がこの本を読んだのは4月23日だが、それから駅やビルなどの男子トイレで気になっていることがあるんだ。A氏:何が?私:この本に男子トイレの原則というのがあって、5つの便器が並んでいる図まで描いて説明がある。 そして、一番使われるのは一番奥の便器、使われないのは一番手前の便器だという法則だ。 心理学では実験で確認されているという。 それから、駅やスーパーなどのビルのいろいろな男子用トイレに入るたびに便器の配置が気になりだしたんだよ。A氏:どんな点?私:まず、この本の絵のような配置の男子用トイレはあまりないのではないかという点だね。 入口には洗面所があるが、次にトイレとの間に大抵、薄い壁があるね。 これが男子トイレの便器を見る視線を遮断している。 そして薄い壁を隔ててトップにあるのは、多くは枠がはまっている身障者用の便器だね。 これが一番、見えにくい位置にあるね。A氏:なるほど、逆に、一番奥は一番多くの視線を集めやすい、というわけか。私:身障者用の便器の位置は、移動距離を少なくするためだろうか、一番入口に近いところにある。 この枠のためか、奥に便器が引っ込んでいるから、見えにくい。 他の便器も同じ面でずらっと並んでいることが多いのではないの?A氏:そういえば、そうだね。 そういう男子トイレが多いね。私:だから、逆に、空いている場合、身障者用トイレか、その隣が一番、後から人が来ても見られにくい便器になる。 そして、奥の便器は後から来るすべての人に見られやすくなるね。 だから、奥の便器はこの場合、一番使われていないのではないの? これは心理学の実験よりも掃除の人に汚れ度合いを聞いてみたほうが、正確に分かるのではないの?A氏:そういえば、俺のスポーツクラブの男子トイレは便器が2つだが、入口に洗面所があり、トイレとの間に薄い壁がある。 これがトイレをかくしている。 だから、入口側の便器のほうが後からきた人から見られにくいね。 そのせいか、入口側の便器がいつも汚れがひどいように思っていたね。私:一番入口の便器は他の人が出入りしたときに気になるというが、背中を出入りしているのは気にならないのではないの。 問題は視線だよ。 他人の視線が気になるのではないの?A氏:そうだね。 空いているときは、一番奥の便器にいると、後からきた人の視線が身体の横に来るね。 入口の便器は洗面所との境の壁があるから、後から来た人の視線は壁でさえぎられて、背中にしか来ない。私:横からの視線を受けやすいという点から見ると、そんな気がするね。 これが俺の男子トイレの法則だね。A氏:君がこないだまとめた「目線」の関係かね。私:この著者は演劇も関係しているようだけれど、もう一度、「目線」という著者の業界用語という観点から、本を取り出して、ざっとさがしてみたけど「目線」という単語は見当たらなかったね。 ついでに視線という単語をさがしたが、これも見当たらなかった。 身体表現のことや舞台のことも書いている本でありながら、視線という単語が見当たらなかったのが気になったね。A氏:君と「目線」が違うのではないの?私:シャレかね。
2006.10.07
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A氏:この2日ほどで一挙に読み終えたよ。 順次、疑問点を聞いていきたい。 41章の最後に「これからどこへ向うつもりですか」という質問があり、「場所でなく魂について問われているのだろう」とあるが、これがピンとこないね。私:質問のほうは英語ではWhere will go from here? で、後のほうの英語はAringarosa sensed the query was more spiritual than geographical, だね。「心がどこに向う」のかということが「魂spirit」についての意味となっている。 実は103章で同じ質問をアリンガローサが受けるが、そのときも精神的な意味だね。 「これからどうするのか」というような意味だね キリスト教文学の名著にシェンケヴィッチの「クオ・バディス」がある。 古い本で俺は高校生ぐらいの頃に読んだことがあるね。 使徒ペトロが弟子を捨てローマのキリスト教弾圧を逃れていくと、丘の上で天上をキリストが走っていく幻を見る。 ペトロは「主よ、いずこにいかれるのですか(クオ・バディス)」という。 キリストは「お前が弟子を置いて逃げるので、私がまた十字架にかけられるに行くのだ」という。 そこでペトロははっと目が覚め、もと来た道を引き返すという話だね。 大きな人生の分岐点を意味する言葉だね。 映画にもなった名作だが、この「クオ・バディスQuo Vadis」(ラテン語)という言葉には「お前はこれからどこへいこうとするのか」と いうキリスト教では深い精神的な意味があるんだね。A氏:42章。 銀行のところで第二のカギを差して第二の門を開けていく。 そこで「矛盾したメッセージだな、とラングドンは思った。歓迎と拒絶が同居している。」とあるがこの流れがよく分からない。私:英語はTalk about mixed messages, Langdon thought. Welcome and keep out. イタリックスになっているね。 君の質問は英語のイタリックスの部分が多いね。 これは背景に赤い絨毯と硬い金属製の扉があるね。 Talkはこれらの赤い絨毯と硬い金属製の扉メッセージが語りかけるものではないのかね。 赤い絨毯は歓迎を、硬い金属製の扉は拒絶をミックスしたメッセージを語っているということだろうね。A氏:車を降りて金庫に向けて歩いていくと、守衛がいる。 この描写で「隆々たる体躯や目立つ上腕に似合わず」とあるが、なんで「上腕が目立つ」のだろうね。 腕まくりでもしているのかね。私:英語はhis enormous muscle and visible sidearmだね。 sidearmが問題なんだね。 これには上腕という意味はないのではないの? armだけでは腕全体を指すからね。 sidearmは形容詞的には野球のサイドスローの意味があるが、名詞では携帯用ピストルという意味があるね。 貴重品倉庫の守衛だからvisible sidearmは守衛用の携帯ピストルが見えるという意味だろうね。A氏:さて79章。 最初の「戦地ロンドン」がひっかかった。ロンドンが戦時下なの?私:英語はLondon where the action wasだね。 the action がどういう意味かだね。 前後の関係から捜査の中心は今ロンドンに移っていることを意味しているね。A氏:その後、「でたらめの証拠の山」とあるが、「でたらめ」が気になるね。私:これも英語はイタリックスだね。 Good luck making sense of this unlikely mélange. thisがあるから事件現場にあったベルトとその前のニュース番組のニュースとの関係を問題にしているのだろうね。 unlikely は「ありそうもない」という意味だし、 mélangeは、「ごたまぜ」という意味だ。「ありそうもない」は「でたらめ」というより、「つながりがなさそうな」という意味だろう。A氏:この章の最後のほう。「ファーシュに連絡すべきだと本能が告げている。だが感情は―――」とあるが、本能だって感情の一つと言えるのではないの?私:英語は、instinctivelyとemotionallyだから、そのままの訳だね。 意訳すれば、「職業的本能」と「個人的な感情」と考えたらどうだね。A氏: 92章だが、キングスカレッジの宗教図書館にいくと初対面のはずの司書がラングドンの名前を言うね。 そこで、「もし、地球上にひとりだけラングドンの顔を識別できる人間がいるとしたら、それは宗教学の参考資料館の司書に違いない。」とあるが、そこまで言い切れるかね。私:その前に「思いがけない相手に顔を知られている」の部分に訳していないが英語ではcelebrityとあるから、「一般の人に有名なこと」がからんでいるね。 すでに、容疑者として顔をテレビ放送されているね。 だから「テレビ放送以外で顔を知られているほど有名だとすると」ということになる。 それから、英語ではit would be a librarianとwouldだから、「違いない」というより、「だろう」ではないかね。A氏:103章でリーのことをアリンガローサが思い出している。 そこに「盲人はおのれの見たいものを見る」とあるが、どうも意味がピンと来ないんだ。私:これも英語はイタリックスだね。 The blind see what they want to see. 意訳すると「先が読めない人ほど、無理をしてほしいものを手に入れようとする」かね。A氏:104章の礼拝堂を最後の見学者が案内されている。「館内にある六つの重要な点をつなぐ、目に見えない通路――に沿って案内し」とあるが「目に見えない通路」というのがあるのかね?私:英語はan invisible pathway だね。 まぁ、意訳すれば、「六つの重要な点を順次」ということになるかね。A氏:いよいよ、最後の2,3行のところの重要な文だ。 “聖杯の探求の目的は、マグダラのマリアの遺骨の前でひざまずくことだ。貶められ、失われた聖なる女性に心からの祈りを捧げるために、旅を続けたのだよ” この「旅を続けたのだよ」がどうもしっくりこないんだね。 誰が旅をしたの?私:英語はこれもイタリックスで長い。 The quest for the Holy Grail is the quest to kneel before the bones of Mary Magdalene. A journey to pray at the feet of the outcast one. to kneel は「――のため」の不定詞ではないかね。 journeyはaがついているから一般的な意味だね。 だから意訳すると 「聖杯の探求は、マグダラのマリアの遺骨の前でひざまずくための探求である。それは、あの追放された人(マグダラのマリア)の足元で祈りをするための旅である」 となるね。A氏:最後にすっきりした。 それで、最後の場所でラングドンはひざまづいたのか。 聖杯探求の彼の旅の終わりとして―――。私:君の聖杯探求の旅も終わったから、祈るべきかもね。 おかげで俺も、もう一度、一緒の旅をさせてもらったよ。A氏:最後の結末はミスティリーとしてはちょっと物足りない感じだったが、キリスト教の壮大な裏面史がよく理解できたね。 それにしても、この小説でキリスト教でもキリストの血統を問題にする話は、日本の天皇の権威が万世一系の男系の血筋を尊重するのと似ているなと思ったね。
2006.10.06
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A氏:最近、目線と視線の違いで、調べたようだが、せっかくの知的漫遊だから、ブログに記録していたらどう?私:われわれは、なんとなく日本語を使っているが、その使い方を改まって考えると説明に困ることがあるね。 この「目線」と「視線」の違いもそうだ。 知的な興味が湧いて、ついでがあったので図書館である程度調べたんだが、そうだね、まとめておきたいね。A氏:両方とも同じ意味ではないの?私:そう簡単ではないみたいだね。調べるとね。 どうも、新しい言葉らしいね。 1984年に出版された矢野誠一氏の「芸能辞典」によると「『目線』は国語辞典にはない言葉である。 カメラでとるときに、目線はここにきめてくださいなどという。」とある。 例えば、ミュージカルの「マイフェアレディ」では多くの踊り手が踊るとき、目線が違う人がいると目立つという。 それで客席の後の方に目線を合わせるスポットライトをつけるという。A氏:この場合は視線と同じだろうね。私:矢野氏が辞書にないというが、確かに1980年の三省堂の「新明解国語辞典」にはない。 1988年の「大言海」にもない。 ところが、「広辞苑」第5版・1998年発行にはあるね。 「視線。もと、映画、演劇、テレビ界の語」とあるね。 「大辞林」1988年にもあるね。 「広辞苑」と同じ説明だ。A氏:どうも、テレビ全盛となる1990年代になって市民権を得てきたようだが、意味は視線と同じだね。私:業界用語だと思い、米川明彦氏の「集団語辞典」(2000年発行)を見たら次の2つの使い方が載っている。1.テレビ カメラの目線。出演者がカメラの方向に視線を向ける。「目線をください」2.テレビ・出版 目の部分を黒い帯でかくすこと。 関連した使用例「目線を読む」--登場人物が画面の外にいると想定される人や物の動きに合わせて視線を動かす。A氏:目の部分をかくすという新しい使い方が登場したね。私:小学館の「日本国語大辞典」は、20巻くらいある大辞典だが、2001年の発行だから、次のように「目線」の説明は詳しいね。1.映画・演劇などで演技者が目を向ける方向・「笑解現代楽屋ことば」中田昌秀著1978年発刊による。 「楽屋のことば」(戸板康二著1984年発刊)では演技者が演技中に月を見上げたり、山を眺めたりするときの目のつけどころをいい、視線とは言わないとある。2.転じて、一般に視線のことをいうとある。A氏:ここでは「目をかくす線」の説明が抜けているね。私:2003年の「日本俗語大辞典」(米川明彦監修)も比較的詳しいね。1.演技者の視線の向いている方向。 演技の重要な表現手段として、目線をしっかりときめなければならないという例をあげている。2.1996年12月19日の朝日新聞夕刊(大阪支社)の記事として「『行革は住民の目線で』など、紙面によく登場する『目線』という言葉が気になる、との便りをいただいた。視線や視点という言葉があるのに、目線を使うのは即物的な表現だし、耳障りだというのが趣旨。3.2003年「やっぱ男は顔でしょう」(内藤みか著・エッセイ)で「目線だけで、いや目線なんか投げなくても、その場にいるだけで、美男子は女心をとろかす何かを持っている」という表現を紹介しているね。A氏:何か「行革は住民の目線で」は視線の意味で使っていないようだね。私:そこで、三省堂・国語辞典・第5版・2001年登場するね。 この辞典がきわめつきだね。 次の3つをあげている。1.演劇・テレビなどの業界で視線のこと。「--が合う」「---をはずす」2. 公開写真の目に太い線をいれ誰かわからないようにする。「---を入れる」3.(その人の)ものの見方、とらえ方。「幼児のーー-で見る」A氏:3.が追加になったね。 「行革は住民の目線で」は3.の意味だね。 「住民の立場で考える」という意味だね。 2001年当時でよくこれだけまとめられたね。私:1.の使い方は視線でも代用できるが、映画、演劇、テレビ業界は目線になれているからこだわるだろうね。 カメラ撮影をする人も目線を使う例が多いね。 3.では何かわれわれは無意識に使い分けているようだ。 例えば「首相の目線で」という使い方はしないのではないの。 どうも、同じレベルか下のレベルに使うようだね。 だから、テレビキャスターが「視聴者の目線で」というときは、視聴者が下という意識が無意識にあり、腰を落として、目の高さを視聴者と揃えるという意味じゃないかと思うね。 それをいうと、キャスターは「いや、視聴者はお客さまです」というかもしれないがね。 背伸びして、目の高さを地位的に高い人の位置に維持する場合に「目線」は使わないのではないの。A氏:どうも日本語はむずかしいね。私:即物的な表現としては、英語に、「見る、目に留める」に「lay eyes on 」というのがあるよ。 目を見ようとするものに乗せるイメージだね。A氏:ブログで「目線」を索引すると、すごいね。 ランニングしている人のブログがあったが、走っている間、いろいろな建物などを見るのも目線、足元を見るのも目線、全部、目線だったね。私:そういうのは、視線のほうがニュアンスとして合うのではないかね。 まぁ、人生いろいろだね。
2006.10.05
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私:1962年の初版だから、もう、44年たつか。 なつかしい本だね。 山本七平氏の「一下級将校から見た帝国陸軍」を読んだ連想で、その体験の比較でこの本をまた読んだよ。 会田氏は、英軍や英国というものに対する燃えるような激しい反感と憎悪を抱いて帰ってきたという。 今さらながら感ずるが強烈なイギリス批判だね。 ある意味でアジアに対するヨーロッパの植民地支配の心理的な残酷さの本質を画がいるとも言える。 戦後民主主義で俺もボケていたのか、また、目を覚まされた感じだ。A氏:会田氏は戦後、京都大学教授となるが、戦争中はビルマで一兵卒として戦い、敗戦後、捕虜となり、ビルマのアーロン捕虜収容所で2年の生活を送る。 2年も現地にいたというのはもう、ポツダム宣言違反だね。 30才くらいのときだね。 山本七平氏は5つ年下だね。 もう、この戦争を生で体験した二人の知性が亡くなって数年立つね。私:イギリス兵は、捕虜の日本兵を人間と思っていない。 家畜扱いだという。 捕虜の日本兵はイギリスの女兵士の部屋の掃除にはノックなしで入れる。 裸でいるときもあるが、平気だという。 日本兵は動物だからだ。 同じ白人兵士がノックなしで入室したら、大騒ぎであろうという。 人間同士だからだ。 A氏:それは有名な話だね。私:これは、白人は牧畜民族のせいではないかという。 日本の家畜と違い、多くの家畜を管理しなくてはいけないからね。A氏:イギリスは、アジアの植民地の人を人間と思っていなかったんだね。 そこに西欧ヒューマニズムの限界を著者はみているね。私:英軍は捕虜をなぐったりけったりしない。 いわゆる残虐行為はほとんどないが、うまく言い抜けができる陰険な復讐欲でなされた行為がなされたという。 ある英軍管理下にある日本兵たちが、飢餓状態であった。 川にカニがいる。 英軍はカニはアミーバ赤痢の巣なので生食い禁止の命令を出す。 しかし、飢餓で食わずにいられない。 みんな赤痢にやられ血便を出し、水の中にうつぶして死んでいく。 看視の英兵は岸から死に絶えるまで毎日観測する。 全部死んだのを見届けて「衛生観念不足の日本兵は英軍のたび重なる警告を無視して、生ガニを捕食し、疫病にかかって全滅した。まことに遺憾である」と上に報告したという。A氏:日本人は残虐だというが、何か性質の違う、すごい残虐性があるんだね。私:それから、イギリス軍の階級がイギリス社会の反映であるという。 イギリス軍の士官とそれより下の一般兵士との違いだね。 まず、士官の体格が大きく、強健である。 士官はスポーツで鍛えられている。 士官とは市民社会の代表であるのだ。 「青白きインテリ」は英軍には存在しない。 英軍はその面で英国社会の階級が持ち込まれているという。A氏:ヨーロッパでは市民は「戦闘市民」なんだね。 武侠都市だからね。 すでに会田氏はその点を指摘しているね。 日本軍は日本社会と別社会であったという。 これは軍は民間のサンプルだという武装都市論と違うね。 日本は歴史上、本質的には平和な国だったんで、世界的に特殊だね。 だから、国民性として戦争も下手なんだな。 血を見て逆上する。 だから、戦時中の残虐性も原始的だね。私:捕虜収容所の管理も、イギリス型、アメリカ型、ソ連型とちがうね。A氏:イギリス型とは?私:会田氏のアーロン収容所はイギリス型で、日本軍の階級システムをそのまま使って管理する。 あまり内部に介入しない。 その面で、イギリス型は植民地を長年管理してきた手法をうまく使ったね。 会田氏がいうように他の国の捕虜収容所と比較すると一番、効率よく酷使されたというね。 ほとんどのアジア人を数百年にわたって支配してきた「怪人」だと会田氏はいう。A氏:その他の型は?私:アメリカ型は山本七平氏のフィリピンの収容所のように基本的に民主的に放任する。 アメリカ型は山本七平氏がいうように、民主的な習慣のない日本人にとっては収容所内は無法地帯となる原因となった。 今のバブル崩壊後の日本社会が「唯金論」でそうなりつつあるね。 会田雄次氏も「日本人の精神構造」で、日本人は貧乏人の道徳は発達しているが、金持ちの道徳はないと言っているね。 この本は1972年の刊行だから、バブル崩壊の前の30年前に現在の日本の「唯金論」社会を予告しているね。A氏:ソ連型はシベリヤ収容所だね。私:ソ連型は徹底的な共産主義の洗脳をする。 ソ連型は、多くの死者を出すもっとも原始的な管理だったようだ。 しかし、洗脳された人は帰国後、多くはマインドコントロールから脱しているようだね。A氏:ビルまでは反日感情はどうだったんだね?私:この本では、ビルマ人はイギリス人より日本人に好意的だね。 インド人もそうだね。 日本軍の占領が短かったせいかもしれないね。 同じ東洋人が、白人のイギリス人と戦うということは驚きであったようだね。A氏:それが戦後、東南アジアの独立に火をつけた一因となるのは確かだね。私:しかし、会田氏が敗戦で逃走中、深夜、ビルマ人が日本兵の死体にむらがり、金歯を抜き取るシーンを目撃し、ショックを受けるね。 これは日本兵が憎いというより、彼らも家畜をよく屠殺するので抵抗がないのだろうという。 日本兵の死体の金歯をとるのはアメリカ兵もやっていたね。A氏:日本人の動物に対する感覚が文化的に違うからね。私:話はちょっと違うが、英語を小学校で習うというのは阿部内閣では関心がないようだね。 「アーロン収容所」を再度読んだが、英語を習うときには、イギリスをはじめとするヨーロッパというもののと、その文化の「怪人」の植民地支配の本質と、そして今捨てつつあるヨーロッパ文化にない日本の文化とよさいうものも並行してよく学ぶべきだね。 この本を読んでつくづく感じたね。 安易な舶来主義は、外国に軽蔑されるのが落ちだろうね。
2006.10.04
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私:「ダヴィンチコード」の進行はどうだい?A氏:いや、面白いね。 確かによくできたミステリィだ。 つい、没頭してペースがあがり、文庫本の上巻を読み終えた。 37章まで完了だね。私:何か疑問点はあったかね。A氏:あまりなかったが、よく分からない点が数箇所あるね。 まず、6章の真ん中へんだ。 異教paganの語源が「田舎に住む者」という説明があるね。 ところが、すぐvillageとvillainという英語が出てくるのでつながりがわからない。私:これは、villainという単語が悪党を意味するという事前知識がない日本人にはすっきりしないかもね。 原書では村人を意味するvillagerがvillainとなったとあるね。 訳のほうでこのvillagerがカットされているのでわかりにくいかもしれない。 要するに、田舎の人は習俗的な信仰をもっているのでキリスト教徒には異教徒とみなされているということを言いたいだろうね。 その強調として、pagan以外に「villain」(悪人)という語源も「田舎者」だったと言いたいんだろう。 気がついたんだが、原書ではvillainはvilainとエルが一つ抜けているんだ。 こういう英語は見当たらないね。 ミスプリかね。それともフランス語なのかね。A氏:少し進んで、五芒星の意味をラングドンが警部に説明するところがある。 ここでラングドンが「象徴というものは耐性が強いものですが」と言っているが、これがピンとこない。 耐性というのは物理的な用語だよ。私:英語はSymbols are very resilientだね。 この場合、symbolは五芒星をイメージしているんだね。 日本語的には、和製語になっているシンボルのほうが分かりやすいかもしれないね。 resilientは、英和辞典では「(圧縮に対して)弾力のある、はねかえる」「(不運・病気などから)立ち直り(回復)の早い;快活な」とあるね。要するに、ここでの意味は、抵抗に強く、持続的な性質があるという意味だね。 日本語的には「変化に強い」ということかね。 いろいろな荒波にも耐えて維持できる性質があるということかね。A氏:8章だ。 ドラコンが出てくる。 「ドラコンとファーシュならばそりが合ったのではないかとラングドンはふと思った」 ドラコンは紀元前七世紀の冷酷な政治家だよ。 なんで警部と気が合うの?私:これは、冷酷な警部に対する皮肉だよ。 念のため、この部分の英語を引用する。 Draco and Fache would have gotten along well. アレッ、訳文はドラコンだね。 英語はドラコだよ。 英語には「ン」がないね。A氏:次は20章だ。私:オッ、とんだね。訳は好調だね。A氏:ラングドンが教室で生徒に黄金比を教えているところだ。 ステットナーという学生が「黄金比はHがあるおかげで、PIよりずっと切れ者だってね」とあるが、これは私立探偵より切れ者ということかね。 なんで私立探偵が出てくるんだね。私:ここの英文は PHI is one H of a lot cooler than PI! だ。 数学専攻の学生だから、PIは私立探偵でなく、ギリシャ文字でおなじみの円周率のパイを意味すると思うね。 だから、これはこの教室ではPIはピー・アイでなくてパイ、PHIはファイと発音しているんではないかね。A氏:あぁ、パイΠは円周率の3.14、じゃ、PHIは?私:これもギリシャ文字にあるファイΦだね。 製造業では、日本では円の直径を示すのに使うが、黄金比を示すときにも使う。 君に言われて、英文を確認したんだが、訳していない部分があったね。 それは、「後方の席にいる脚の長い数学専門の学生が手をあげた。『PHI。黄金比です。』」というところだ。英語は次のようだね。 A long-legged math major in back raised his hand. “That’s the number PHI.” He pronounced it fee. この最後のイタリックスになっている「フィーと発音した」の訳がないね。 ピー・エッチ・アイという発音ではないんだね。A氏:ではこの訳は「私立探偵より切れ者」という意味でなく、「黄金比は一般学生が知っている円周率よりいかす数字」だという意味になるね。私:そうなるね。 君が疑問に思った通り、話の流れで私立探偵はどうかと思うね。A氏:34章だ。 アリンガローサ司教が城に着いたとき、若い司祭が挨拶する。 それに対して「そいつはけっこうだ」とあるね。 どうもこれがピンとこない。 その後、「本末転倒したのはいつのことかね」とある。私:「そいつはけっこうだ」の英語はgood for youで慣用句だね。 「でかした;うまいぞ、やるねえ」という意味で、「意外な気持ちを抱きながらも相手の健闘をたたえるもの」と辞書にある。 この場合、若い司祭が天文学者でもあることを誇らしげに言っているので、そう返事したのではないかね。 「本末転倒」のほうの英語は面白いね。 when did the tail start wagging the dog? 正常なら「犬が喜んでシッポをふりだした」でthe dog started wagging the tail.だが、逆に「シッポが犬をふりだした」になっているんだね。 本業の信仰を忘れ、枝葉の観光に力を入れている状態を皮肉っているのだろう。A氏:明日から文庫本の中巻に入る。 またよろしく頼む。
2006.10.03
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私:昨日、「フルタイムライフ」を読んだが、会社は食品の包装機械を作っている会社で、本社は大阪市内にある。 その本社のオフィスの事務職場をOLの視点で書いたものだ。 それに対して、この「泣かない女はいない」は、関東の大宮郊外の物流会社の事務職場のOLの視点で書いたものだね。 同じ作家が書いたではないかと思うくらい、読んだ感じが似ているね。A氏:長島氏は1972年生まれだから、今年、34才かね。30才のときに芥川賞を受賞しているね。 「フルタイムライフ」の柴崎女史は、1973年生まれだから、同じ世代なんだね。私:両著ともOLの事務の職場描写が中心だね。 しかし、男のほうの職場描写という観点が弱いので、ちょっと残念だったね。 「泣かない女はいない」のほうが男の世界をすこし描いているが、やはり、主人公がOLという制約があるのかね。 主人公のOLがひそかに好きになる男性が最後に会社を去るところで終わる。A氏:仕事をする男が主人公になると、ドロドロするか、あまりにもビジネス的な話になってしまうのかね。私:いや、事務職だって、「フルタイムライフ」のシュレッダー作業の細かい作業の描写のように、仕事の細かい問題もあるだろうよ。 「フルタイムライフ」では、コピーの仕事、パソコン操作など、実に細かい描写があるね。 その点、「泣かない女はいない」のほうはちょっと描写があらいような気がする。 主人公の主な事務作業は出荷伝票の整理だ。 どちらの小説にも、リストラやパート、派遣などの問題が少し出てくるが、中心ではないね。 両著の主人公であるOLは正社員だね。A氏:「泣かない女はいない」は2004年発表、「フルタイムライフ」は2005年発表だから、多少、後者は前者をふまえた作品ではないのかね。私:とにかく、前に読んだ「八月の路上に捨てる」もそうだが、俺たち世代となんかしら、職場に感覚が違うものが流れている気がするんだね。 「八月の路上に捨てる」と同じように、作家の主義主張は感じられないね。 テレビドラマでもそうだね。 一種の閉塞感かね。 それがなんだか分からないが、知的興味が湧いてきたよ。A氏:俺たちの時代は、OLの目標はいい配偶者を見つけて結婚することだったんだが、今は、それも崩れ、そうかといって、男並みに仕事に生きがいを得るのは容易でない背景があるね。 一生、シュレッダーやコピーやパソコンで事務をすることはどういう未来があるのかね。私:それを探し求めているんだろうね。 その追求の心の旅の小説でもあるんだろね。 すこし、この系統の小説を読んでみるかね。
2006.10.02
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私:9月27日水曜日に朝日新聞の別刷り特集で、「私を育てた一冊」というタイトルで今年直木賞を受賞した森絵都女史と芥川賞作家の長島有氏の対談が載っていた。 驚いたのは森女史は10代で読んでおけばよかった本としてハードボイルドのチャンドラーの「長いお別れ」をあげていることだよ。A氏:俺も新聞を読んだが、森女史は10代の頃はうじうじしているから、すかっとしたハードボイルドを読んでいたらもっとクールになれかもと言っているね。私:興味を持ったのは、職場小説という言葉だ。 こういうジャンルの小説が日本には少ないように思うね。 それに対して長島氏の「泣かない女はいない」は職場描写がすごいと森女子が言っているね。A氏:逆に、長島氏は、同じ職場小説として柴崎友香の「フルタイムライフ」を推奨している。私:俺は両方図書館で予約したんだが、「フルタイムライフ」を先に入手できたので、早速読んだよ。 大阪にある食品の包装機械を作っている会社の本社でのOLのオフィスの仕事が細かく書かれているね。 大学を出て新人として活動するところから始まる。A氏:シュレッダー作業のシーンがあるそうだね。私:最初から膨大な書類をシュレッダーにかける3時間ほどのシーンが詳細に描写される。A氏:当然、業務用のシュレッダーだね。私:紙をホチキスなどでとじてある書類は、取り除かないと刃がやられるからホチキスを取る。 これをとるには、ホチキスリムーバーを使う。 3時間かかるシュレッダー作業の詳細が描写される。 このシュレッダーは、細長く切るタイプでなく、正方形に切断するタイプで、コピー紙なら一度に10枚は楽に処理できることが書かれているね。 3時間ほどたって切断された紙片のたまったビニール袋を二人かかりで廃却置場まで持っていく描写で終わりだ。 それくらい重いんだね。 200頁ほどの小説に、3時間のシュレッダーとの格闘に20頁ほど費やしている。A氏:この小説の筋と関係あるの?私:特にないが、事務作業をやる主人公の職場の雰囲気がこれでかもしだされるんだね。 例のシュレッダー事故の問題も、この小説くらいのレベルの業務用シュレッダーの現場イメージを理解してから論ずるべきだろうね。 そうすれば、議論が空転しないね。A氏:小説にはどういう筋があるの?私:主人公の女性が大学を出て就職する5月から翌年2月までの四季にわたった展開する大阪の中心部のオフィスの小説だね。 大きな流れは、仕事上でリストラ問題が出ることだね。 それに信頼しているベテランの女性の先輩の退社がある。 しかし、そのほかに個人的な恋愛的なことも多少からむが、基本は男職場でのOLたちの職場での淡々とした生活描写が中心だね。A氏:そういえば、今年の芥川賞受賞作の「八月の路上に捨てる」も背景に自動販売機の補充という職場が背景にあるね。私:これは主人公の離婚という男女関係が中心で、職場そのものの描写はすくなかったね。 もっと、シュレッダー作業同様、補充作業の詳細を描写すると深さを増すように思ったね。 ベテランの作業者になると、一回の片腕の動作で10缶くらい補充できるね。 場所によって売れる缶が違ったりするしね。 その点、この「フルタイムライフ」は職場中心だね。 しかし、この2つの作品には、俺たち世代と違った何か共通した明日への不安感が底辺にあるね。 明確に理解できないが。A氏:しかし、缶の補充、コピー、パソコン、シュレッダーという仕事は仕事として何か単純ではないの。私:女主人公はそういうことをときには覚めた目で見ているね。 そして、その枠内でなんらかの向上をしようとするね。 しかし、これは正社員の姿だね。 あるとき、女性の派遣社員が職場にちょっと来るが、正社員の仕事ぶりはスローだと批判しているシーンがあるね。 こういう点を拡大すると格差の社会問題につながるかもしれなかったね。 次は長島氏の「泣かない女はいない」に挑戦だ。
2006.10.01
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