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放浪の、というより世を捨てた俳人の話など面白いのだろうかと疑心暗鬼だったが、「日本映画の伝記物として今年一番の成果」という映画館発行のリーフレットの言葉を信じて観てみたら印象に残る映画だった。井上井月の名前すら知らなかったが、まずこれほどすばらしい俳句をのこした人がいたという発見が収穫。ドキュメンタリーとドラマ仕立ての部分をまぜ合わせたドキュ・ドラマの手法をとったことで、退屈せずに観られる映画になっている。伊那地方の四季を撮した映像も美しく、民俗的な世界を感じさせるドラマの部分との対比もいい。井上井月は幕末から明治中期にかけて、伊那地方の家々を泊まり歩いては寝食のお礼に俳句をのこしていた俳人。野垂れ死に同然に死んでいったこの俳人の謎の生涯にスポットをあてている。明治維新によって村々が経済的に疲弊し米騒動が起こっていく時代をからめて描いているが、井月のような放浪の俳人そのものの存在を許容しなくなっていった明治という時代を告発しているようにも見え、目を啓かれる思いがした。句会のシーンなどもあるが、井月の句はその内面的な深さにおいて飛び抜けていることがわかる。松尾芭蕉と並び称されていいだけの俳人ではないかという気がする。井月の句集はまもなく文庫本で出るらしいので、ぜひ読んでみようと思う。
August 8, 2012
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シリーズ第2作のできはあまりよくなかったように記憶している。しかしシリーズ第3作は成功作であり、何度か観る価値のある映画になっている。成功した理由は二つ。実の親子ではないが家族のように暮らしてきた二家族の二人(淳之介と六子)の同時並行的な自立を描くことで、実の親子関係を超える家族のあり方を提示することに成功している点。このころの日本人にまだあったストレートな純情さや人情もけれんなく描かれている。もう一つは、父と息子との葛藤というテーマが世代を超えて描かれている点。息子を愛するがゆえに辛くあたる父親が、茶川の父と茶川本人の両方で描かれる。淳之介と六子の自立を横軸とすると、このテーマが縦軸となることで作品に立体感が生まれている。どちらも時代を超えたテーマだが、こうしたエピソードが縦横の軸となることで、昭和30年代ノスタルジーだけが魅力ではない優れた映画になったと思う。「戦後」が残っていた第一作は東京タワーが建設されていた1958年が舞台だった。あのころ小学生だった一平や淳之介は高校生になっているし、六子は成人している。この3人の、実際の年齢に近い雰囲気とその変化が、まるで親戚の子どもの成長を見ているかのような錯覚をおぼえる。これはシリーズ第一作から見てきた人間だけの特権だが、第1作を作ったときにこの第3作をすでに構想していたのだとすると、監督の先見力には舌を巻いてしまう。「男は辛いよ」の場合、登場人物はあまり歳をとらないし境遇に変化はない。しかし、この映画では登場人物の実年齢と映画の役柄の実年齢がリンクしているので、親戚の子どもに久しぶりに会ってその成長に驚くような親近感を感じるのである。この映画は1964年に観る人が何歳だったかで印象が大きく変わると思う。特に東京オリンピックのインパクトは今からは想像できないほど大きかったが、そのインパクトはこの映画ではさほどよく描かれているとは言えない。さらに昭和30年代の暗黒面はまったく描かれないが、それを責めるのは酷というものだろう。VFX技術によるものだろうが、画面のすみずみにまで気を配り、小物ひとつまで当時のものが再現されているので、この映画は細部をじっくり観たい。わたしのレコーダーはSDカードに記録できるのでもし放送されることがあれば録画しIPADに入れて持ち歩きたいと思う。
August 7, 2012
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予告編を観て、SEX依存症の男のユーモラスなエピソードが綴られる映画を想像していた。そうしたら、そうではなく、シリアスではあるもののテーマ不在の散漫な作品でしかなかった。主人公はニューヨークに住む独身男。成功者でしかもハンサム。しかし性的欲望の強すぎる男、という設定になっている。しかし、この程度の「好きもの」なら珍しくないし、性的欲求の最も強い時期の男ならこんなものではないとその設定自体に白けてしまう。むしろ、恋愛感情がからむとEDになってしまうこの男の過去に、妹との愛情関係があることがほのめかされ、そこにポイントがあるように思えるが、そのことには全く触れないし描かれない。妹は突然現れて彼の生活に波乱を起こすが、リストカットの過去があり、彼のマンションでもやらかす。その原因や背景も描かれない。どうも、二人の間には過去にふつうではない関係があり、その罪悪感や葛藤が二人のふつうではない行動の原因であると言いたいように思えるが、そういった過去にまったく触れないのは観客の想像力をあてにしすぎていると感じる。グレン・グールドのバッハを配した音楽とおやと思わせるファーストシーンなど映像のセンスはいいが、久しぶりに観る価値のない映画を蠍座で観た。
August 5, 2012
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ハリウッド映画の多く、それもアメリカ以外を舞台にした映画は、公開後何年かたつと急速に古びてしまう。というか軽薄に感じられるようになる。その原因のひとつはみな英語をしゃべるからだ。第一次大戦(ヨーロッパ大戦)を舞台にしたこの映画は、イギリス軍とドイツ軍がフランスで戦う話だが、やはりみな英語をしゃべる。映画自体が新鮮なうちはさほど気にならないのだが、だんだん不自然に感じられてくるものだ。表現の商業主義への屈服と非難することは簡単だが、それはともかく、この映画はどうだろうか。悪口から始めたが、さすがスピルバーグと感嘆させられる部分も多い映画だった。戦場を舞台に、一頭の馬と青年を主人公にした映画を作れと命じられてこれだけの映画を作ることのできる人物は世界を見渡してもいないにちがいない。第一次大戦の時代、戦車はまだ少なく、戦争は主に馬を使って行われていた。主人公の青年が育てた名馬も戦地に連れていかれて数奇な運命をたどる。青年も愛馬との再会を夢見て軍隊に入る。馬は荷物をひき、大砲をひき、鉄条網が巻きついて倒れる。戦火の中を駆け抜けていくこの馬のシーンが何と言っても見事で、馬をこれだけダイナミックに描いた映画はほかにないだろうと思う。戦争の非情さもよく描かれている。一方、このころの戦争にはまだあった敵同士の「交歓」も描かれる。この馬を媒介としての交歓なのだが、苛烈な戦争の中にも残る人間性にスポットをあてた点は高く評価されていいし、そう来るかとわかっていても感動させられる。ひとつ、面白い発見をした。あこぎな地主など、憎まれ役に限ってタバコを吸う人間なのだ。昔の映画とは逆だが、タバコに対して厳しい現在のアメリカ社会の価値観を意識的にか無意識にか、たぶん意識的だと思うが反映している。こうして、タバコを吸う人間にろくな人間はいないのだという刷り込みを行っていくのだろう。この「奇跡の馬」は主人公の青年と奇跡の再会を果たし、物語はハッピーエンドで終わる。そうだろうと予測できる流れだが、それでもやはり感動させるあたり、さすがの手腕だ。涙腺がゆるいらしい隣席の年配女性など、3分の2あたりからはずっと泣きながら観ていた。戦争は、人間だけでなく動物にとっても災厄だ。映画館発行のリーフレットによれば、第一次大戦中にイギリスでは100万頭が軍に徴用され6万頭しか生き残ることができなかったという。映画の最後に、「この映画を、ジョーイ(主人公の馬の名前)のように生き残ることができず戦場で斃れたすべての人と馬に捧げる」といった一文でも掲げたら引き締まっただろうと思うが、スピルバーグに進言する人がいなかったのが不思議だ。こういう映画を観て、「いい映画だった」で終わるやつはバカでしかない。3・11以後の双葉町や浪江町の現実、原爆の一種でしかない原発によって生存環境を奪われた人や動物を連想できない人間など、馬に蹴られて死んでしまえ。
August 4, 2012
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