全9件 (9件中 1-9件目)
1

30年ぶりに三里塚現地闘争に参加してきた。きっかけは5月のマレーシア旅行以降、探していた。寒さを避け物価の安いところでロングステイとか、守りの旅はやめようと思ったからだ。野宿にこだわって旅をするとか、「自分ルールの旅」をしている人もいる。それなら反原発、反基地などの闘争現場に行く「自分ルールの旅」があってもいい。折しも横堀団結小屋が仮執行付きの不当判決によって強制撤去されるという。この小屋は反対同盟の83年3・8分裂のときの熱田派のものであり、敷地内農民を中心とした「話し合い拒否」の北原派からは脱落派と呼ばれる側のもの。しかし立場はどうあれ、「円卓会議」での約束を反故にした団結小屋破壊は違法であり正義はこちら側にある。悪や不正義と闘わない人間は卑怯者であり弱虫だ。卑怯者や弱虫になりたくなかったので参加した。当日の行動は以下の通り(大地共有委員会のサイトから引用・一部略)・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・11・28横堀団結小屋破壊を許さない緊急行動に参加する仲間たちは、27日、闘争前夜に横堀研修センターに結集した。 28日、午前六時、横堀団結小屋前に集まった仲間たち30人は、「横堀団結小屋破壊許さない!」の横断幕を掲げ、「団結小屋破壊工事をやめろ!強制執行をはねかえすぞ!われわれは最後の最後まで闘うぞ」のシュプレヒコールを横堀地区一帯に響かせた。すでに千葉県警の公安政治警察と機動隊、ガードマンが大量に配備されているが、毅然として闘争態勢を組んでいった。 柳川さん、加瀬さん、山崎さんは、団結小屋内で待機する。外の仲間たちは、ガッチリとスクラムを組んでいった。 小山広明さん(大阪府泉南市会議員/反空港全国連絡会)は、「政府は『いかなる状況においても強制収用はしない』と言ってきた。国交省と反空連との交渉(一一・九)でも態度は変わっていないと言っていた。だが空港会社は、裏から地権者を動かし千葉地裁が強制執行を行おうとしている。こんなペテンを許してはならない。三里塚の原点と人権を守り抜くために大阪から駆けつけた。最後までガンバロー」とアピール。 午前七時過ぎ執行官と執行補助員がガードマンに守られながら小屋前に到着し、栗原執行官が柳川さん、山崎さんに立ち退きを通告する。ガードマンが仲間たちに対して暴力排除で襲いかかってきた。だが仲間たちの反撃によってけちらしていった。形勢不利と判断した敵は「打ち合わせ」どおりに機動隊に「援助要請」し、一人一人の腕を持ち、引き抜いていった。さらに執行官、ガードマン、機動隊は、団結小屋敷地内に進入し、柳川さん、山崎さん、加瀬さんを排除した。 その後、重機によって立木伐採、団結小屋破壊を強行した。作業員の中には、ヘルメットを被らず、安全靴も履いていない者もいる。急遽集められたアルバイト作業員たちだ。地裁が労働災害防止のための労働安全衛生法違反を黙認するほどだ。重機が動いている中、危険な作業を強いる悪徳業者を使わなければならないずさんな強制執行作業なのだ。 不当排除後、ただちに抗議集会を開始する。 柳川さんは、「執行官に対して山崎さんの同意なしに個人の財産である植えた樹木や水道ポンプを伐採、破壊するなと抗議したが、すべて拒否してきた。道祖神でさえも神主にお払いさせてどこかに持っていこうとしている。結果的には見てのとおりだが、こういう問題は今後も続く。皆さんとともに頑張っていきたい」と決意表明した。 山崎さんは、「空港会社が団結小屋破壊を強行したのは、やはり一坪共有地運動の拠点として機能してきたからだ。共有地強奪裁判提訴と同時に団結小屋破壊裁判も提訴したことに現れている。今日の闘いは、断固とした空港反対闘争が健在であることを示した。全国の三里塚に心を寄せる仲間、反原発を闘う仲間たちとともに国策である成田空港建設に反対していこう」とアピールした。 最後に抗議のシュプレヒコールを行い、工事監視行動に移っていった。解体業者は正午過ぎ、2台の重機を使って建物の破壊にとりかかり、日没過ぎまで解体、伐採作業を行った。翌29日は敷地内の樹木を全て切り払い、午後8時までには完全に更地にしてしまった。・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・面白かった。こんなに面白くも楽しい「旅」ははじめてだ。カンパニア集会やデモではなく、現場での攻防は、もちろんケガや逮捕の危険はあるにしても、この世にこれ以上楽しいことがあるだろうかとさえ思う。「とうそうがいちばんたのしかっただ」という、大木よねの言葉を思い出す。この小屋は新潟大と宇都宮大の全共闘が作り、その後労活評という政治グループが管理。山崎さんという人が23年にわたって居住してきた。居住者がいる建物の強制収容は20年ぶりという。面白いのは道祖神があり、わざわざ神主を調達しておはらいをやっていたこと。生きた人間よりもこうしたものを重視するのが国家の本質だ。入り口にピケを張り阻止するが、ひとりまたひとりとゴボウぬきされていく。非暴力の抵抗=レジスタンスに対して、恐怖にかられた国家権力は必ず暴力をふるってくる。それに対し素手で、次には敵から奪った武器でと攻防はエスカレートしていく。管制塔占拠も、前年の東山薫君虐殺と鉄塔破壊、横堀要塞破壊を経て行われた。三里塚闘争では警察による銃発射もあり、撃たれた人もいる。一方の要塞戦では火焔で機動隊を殺そうとした活動家を別の活動家が抑止した例もある。たとえ機動隊といえども目の前にいる人間をそう簡単に殺せるものではない。しかしノーヘルの野戦病院ボランティアをガス銃の水平打ちで殺した蛮行は「機動隊せん滅やむなし」といった気分を醸成していった。しかし30年ぶりに来てみると、「話し合いで決めたルール」を破る側に加担していることを知ってか機動隊にしてもガードマンにしても迫力がない。執行官にしても毅然としたところがなくへっぴり腰だ。現場から少し離れたところにいるのが公安。警察の中のエリートであるこいつらは危ない場面には出てこない。ふだんは指図し情報を集めるだけ、闘争の現場では若い機動隊を楯に逃げるだけのことしかしない連中だ。ひとりだけちがう色のジャンパーを着ている男がトップのようだ。若い警察官とちがって、陰険な目つきに邪悪な人間性を感じる。30名ほどの参加者は朝6時から午後1時まで意気軒昂に闘いぬいた。それに対し逆ピケを張る機動隊は30分おきに交代するが意気は低い。明らかにこの仕事がいやでいやでしかたがない、というオーラを出している機動隊員もいた。それはそうだろう。正義を守るために警察官になったのに、違法行為・脱法行為の手伝いをさせられるのだから。混乱の中、やはりポールを折るなどの警察の暴力があった。面白かったのは「逮捕だ」と叫ぶ警察官に対し、IPADをかざして「全世界に放送しているからな」と言ったところ手を引っ込めたこと。こうした監視行動だけでも力になるということだ。団結小屋破壊は見ることができなかった。白い幕で敷地全体を覆ってしまったからで、マスコミからもブーイングが飛んでいた。こうした映像が流れることで反対運動が活性化してはたまらないのだ。世界中で「ノーモア・ナリタ」を合い言葉に空港建設が行われるようになったが、国家権力も後ろ向きとはいえ「学んだ」とはいえようか。いろいろな出会いも楽しかった。とりわけ加瀬勉さんの話を聞くことができたのは幸運だった。半生を闘争に費やしてきた加瀬さんは3時間以上にわたって菅沢老人や北原さんの娘さんのエピソードなどを語った。第二次強制代執行のとき、北原さんの高校生の娘は、灯油をかぶって抗議の焼身自殺をする寸前だったのだそうだ。それを止めたのが婦人行動隊。「機動隊のようなゴミのために命を粗末にするな」という一喝ではっと気がついたのだという。82歳になる加瀬さんのパワーはすごい。翌朝も機動隊を一喝して蹴散らすなど闘う農民魂の見せつけた。加瀬さんは塩むすびのおにぎりと漬け物二種類を差し入れてくれた。その漬け物とおむすびのおいしかったこと。誇るべき体験がまた一つ増えた。泉南市議の小山さんのパワーもすごかった。70歳というのに、深夜バスを使いネットカフェで寝泊まりしながら全国に行っているらしい。議員経験の長さから弁舌もたくみで、そのユーモラスな抗議に土建業者の中には苦笑いする者もいた。埼玉から来たTさんというやはり70歳の男性のパワーもすごかった。細身の体に、100リットル以上の大きなリュックを背負ってきた。満員の場合を考慮してテントや寝具を持参したというからアタマが下がる。この人も小山さんと同じように全国の闘争現場にかけつけているらしい。小山さんやTさんのような人が1000人、2000人と現れたらと思うと愉快になる。必ず現れるにちがいない。勝てないことは負けることではない。こんな簡単なことが闘争の現場を知らない人にはわからないのだ。だから観念的になる。暴力と非暴力の問題はその典型だ。平和的なデモなど非暴力の運動は、革労協のゲリラや中核派の実力闘争、この日の団結小屋破壊糾弾闘争などによってできた自由の時空間があるからこそ可能なのだ。誤解をおそれずに言えば、新左翼やアナキストの暴力は平和的運動を守る前衛の役目を果たしている。農民も代替わりし土地を手放した人も多い。そのこと自体は責められない。誰しもがそれぞれの人生を送っているからだ。しかし現地反対同盟が仮に消滅したとしても、空港廃港の闘いは空港がある限り永久に続く。大木よねを「日本一の貧乏ばばあ」とののしり機動隊暴力で排除した空港会社の罪は永久に消えないからだ。旅費は欠航便のバウチャーを使ったので札幌~千歳間のバス代1800円のみ。闘争終了後に泊まったホテルは3000円。2泊3日で4800円の旅は短期旅行としては最高のパフォーマンス。毎日新聞のチャーミングな女性記者と知り合うという余禄までついた。
November 28, 2012
コメント(0)
著者は1967年生まれのジャーナリスト。日本に留学経験があるということだが完璧な日本語で書かれた本。日本人の書く日本語には軽薄さと傲慢さを感じることが多いが、この著者の文章にはそういうところがない。抑圧民族と非抑圧民族のちがいはこういうところに鮮烈に現れる。日本の植民地だった韓国には日本家屋や建築物が多く残っている。韓国の大きな都市のそれらを、解放後に打ち壊された神社など跡地も含めて「助手」の日本人カメラマンと旅をしながら訪ね歩いた異色の「旅行記」。著者は前書きで、日本人は、植民地支配について「あまりにも無自覚な人」と「やたらと反省する人」の二極化が激しいのではないか、という。いずれのタイプと話をしてもギクシャクしたものを感じてしまう、韓国人と日本人はもっと肩の力をぬいて話し合えるはずという。歴史を知っているほど旅行は興味深いものになる、ということを地で行っているような本だ。著者は若い女性だというのに、歴史や地理について該博で、観察が細かいだけでなくどんどん「発見」していく。若い女性という属性を利用して、飲み屋に突撃し植民地時代の話を聞き出し、日本家屋を改良して使っている韓国人の家にやはり「突撃」していく。こういう本を書くという目的があったにしろ、思いきりのよい行動力とその行動の結果得られた成果の分析は鮮やかで小気味いい。日本と韓国の文化・習慣の両方に精通し、たぶん両国の言葉をそれぞれネイティブよりもはるかに使いこなすことのできる人の観察と分析力には舌を巻いたし、前書きにあるようなしなやかで柔軟な感性が育っているのには希望がもてる。この著者には「日本が知らない北朝鮮の素顔」「あっと驚く、北朝鮮!」といった著書もあるらしい。1967年生まれというと「光州以後」の世代だ。その世代にこういう人が育ってきているところをみると、どうやら韓国の文化は日本のそれより優っていると考えてまちがいないだろう。日本の1967年生まれの女性の誰が、これほど中身のある本を書いているだろうか?
November 26, 2012
コメント(0)
2010年1月に知人が温泉入浴中に突然死した。実際には入浴中ではなかったらしい。事件性がないということで病理解剖はされなかったが、心臓突然死の可能性が高いと思った。突然死した人は周囲に決して少なくない。祖母は二人とも心臓麻痺で亡くなった。近所の元炭鉱マンも通院したその日の夜に死んだ。高校生のころ、上級生がサッカー中に突然死したこともある。この人のばあいは遺伝性で生まれつき心臓に欠陥があり、親は覚悟していたということだったが、いつでも誰にでも起こりうることと感じた。そんな経験から心臓突然死のベースになる知識を得たいと思って読んだのが「あなたの心臓に潜む危機」というサブタイトルのこの本。新書なので平易な本を期待したが、語り口は易しいものんp内容は高度。入門書としてはあまりすすめられない。すすめられないが、インフルエンザや風邪を軽視しないこと、AEDが作動する前の心臓マッサージが大事だとか、頚動脈への刺激で失神したりすることがあるとか、入浴は40度以下で半身浴がいいとか、心房細動を防ぐためのいくつかの方法、さらには心臓突然死の治療と研究の最前線を俯瞰できる本ではある。ただ全体としてはいかに心臓突然死の予測や予防や治療が難しいか、原因究明があまり進んでいない現実が多く語られているので、「これなら気にしてもしようがない」と思ってしまう人は多いだろう。ただ繰り返し説かれるできるだけ早期の対処とか、複数のAEDの準備の大切さなどは医療関係者にとどまらず知っておく意味がある。著者が心臓専門医になったのも友人が突然死したからだという。別れの時間もなくやってくる終焉。こういう悲惨な死を避けるために知っておくべきことの概略はわかる。
November 25, 2012
コメント(0)
急性期3週間、リハビリに励めば3ヶ月で軽快という医者の言葉通り、頚椎椎間板ヘルニアはほぼ収まった。指先のしびれはのこるが、iPADだとタイピングは最小限ですむ。リハビリをかねてブログを再開することにした。10月22日午前。初キスの相手との36年ぶりのデートは横浜港を見おろすレストランだった。彼女は多忙なので4時間しかない。お互いの36年を話せば4時間などあっという間だ。だから自分のことはメールで送っておき、聞く側に徹することにした。それでもなにせ36年ぶり。思い出話だけで終わってしまう可能性が高い。つぎに会うのは何年後になるかわからないのだから失敗できない。衆議院議長になった人物からレコード大賞の演歌歌手までいろいろインタビューしてきたが、これほど緊張したことはない。実のある会話は難しいかもと心配で眠れなかったほどだ。しかしその心配は杞憂に終わった。エリートサラリーマンの夫と5年前に離婚し27年間の結婚生活に終止符。別れた夫は結婚前はストーカー、結婚後はモラハラ男で彼女のあらゆる対外活動を抑圧した。それでも、単身赴任で海外駐在に出た15年前から音楽活動を再開。夫の帰国後、独力で離婚調停を申し立てた。自分の人生で最も嬉しかったのは離婚できたこと。娘二人は今年独立。去年12歳歳上の郷里のカメラマンと再婚したが一緒に暮らしたことはない・・・ふつう女性がこれだけのことを話そうとしたら1時間や2時間ではすまないだろう。しかし彼女は1分30秒で話した。細部を問い返したのでモラハラ夫とのバトルだけで30分を要したが、食事が終わるころには核心点をあらかた聞き終わることができた。隣のカフェに場所を移しての会話は、ひさしぶりに「会話のダイナミズム」を満喫できるものだった。自分の知っていることを話すのは説明であって会話の入口にすぎない。自分のことを即自的あるいは逐次的に話すのはグチか自慢にすぎないケースがほとんどだ。世間の「会話」の99%はこうしたグチか自慢、放言の交差でなければ情報交換にすぎないことをわたしはよく知っている。ここで「オヤジギャグ」を少しだけ擁護しておくなら、こうした会話ならぬ会話の不毛さを解毒する清涼剤としての作用を指摘しておく。相手の言葉がヒントになって考えてもいなかったことを考える。その結果述べた言葉が相手の知性に核融合的な反応を起こしてさらに新しい考えを産んでいく。おたがいの知性を使って新しい考えや発見にいたる、これが会話のダイナミズムであり、そこにユーモアが加味されればこれほど楽しいことはほかにないといえるほどだ。しかし、そうした会話が成立するのはごくまれだ。いくつかのきびしい条件が整わなくてはならない。最も大事なのは相手の知性に対する信頼と尊敬、言いかえれば相手の言葉を虚心に受けとめひとまず耳を傾ける謙虚さである。カルト信者や特定のイデオロギーを崇拝する人間だけでなく、狭い価値観にとらわれ社会通念を疑ったことのない人間にはこうした謙虚さがないので一方通行の話しかできない。もとより会話は成り立ちようがない。論点の提出も必須だ。というか、的確に抉出された論点の提出ができればその会話というか対話は成功を約束されたも同然だろう。今回、その論点は彼女が提出してくれた。その論点とは、最も純粋だったころ出会ったぼくたちが、長い年月の中でその純粋さをどう失い、ひきかえになにを得たかというものだった。おたがいに小さくない挫折を経験したが、それでも最後まで残った自分を自分たらしめているもの。つまり自分にとって必然なもの、それにいつどのようにして気がついたか。それは今後の人生にどういう意味と作用をもたらすか。そんなことを話しているうちに、共感や一致といった表面的なことではなく、大げさにいえば魂が融合したような感覚を味わった。親しくなった、その理由も思い出すことができた。それは音楽を感覚でなくできるだけ理論的にとらえようという性向で、それが他の同級生とは決定的に異なっていて惹かれあったのだった。そして、自分にとって必然であるようななにかのない人生を生きている人たちと付き合っていくのに必要なスタンスはなにかという話に発展していった。ひさしぶりに、ほんとうにひさしぶりに会話の醍醐味を堪能できた。長くなったが、ここまではこれからの話の前置きだ。充実した4時間のあと、ひとりで珈琲のおかわりをしながら思い出したのは、なぜか過去の不毛な「会話」の数々だった。まず思い出したのはレナード・バーンスタインが1990年の夏に滞在した札幌郊外のログハウス・キャビンの経営者。リハーサルや本番はつぶさに見たが、日常のバーンスタインがどんなふうだったか知りたいと思って会ったことがあった。あのような大芸術は才能だけで生まれるわけがない。日常の行動のどこかにそのヒントがあるかもしれないとかんがえたのだ。しかしこの時のインタビューは、デビューまもない国生さゆりのとき以上に不毛だった。二代目のこの経営者は、「すごい人だった」を繰り返すだけで、バーンスタインのどこがどうすごかったのか、語る言葉を全く持っていなかったのである。1時間の間に聞き出せたのは、バーンスタインは朝起きると必ずテラスの椅子に座って瞑想していたという「情報」だけ。1時間に20回ほど力を込めて「すごい人」と語ったこの男の高そうなシャツとネクタイだけはおぼえている。ここで「情報」という言葉を吟味してみよう。人間は一日に億以上の情報に接している。そのほとんどを忘れてしまうが、大事なことは無意識のうちに取捨選択して記憶に残す。取捨選択するのは知性である。つまり情報とは知性によって選ばれるのであり、何を残したかは知性そのものを表す。情報とは知性であり、どうでもいいことを記憶に残すほど非知性的に、つまりバカになっていく。米CIAの要員は全世界に数万人いて、本国に毎日レポートを送っている。その中から重要なものがA4一枚にまとめられて毎朝大統領の机の上に置かれる。それを読んだアメリカ大統領は、ときにわれわれの生死をさえ左右する決断をする。CIAは中央情報局と訳されるが、CIAのIはinfomationではなくintelligenceであることはよく知られている。直訳すると中央知性局なのであり、世界を動かしているのは情報ではなく知性、情報を数万分の一に圧縮したり選り分ける知性なのである。このことは情報が知性であることを端的に表している。もっとも、米CIAのばあいはcentral atrocious(極悪非道な) intelligence agencyが適切な団体名であり、CAIAと略されるべきだが。世紀の大音楽家と一ヶ月も接して「すごい人」という感想しか口にできない人間はバカ以外のなにものでもない。この経営者の会社がその後あっけなく倒産したのはあまりにも当然であり、こんな経営者に経営を付託していた株主も同レヴェルのバカにほかならないが、会話力のないバカと付き合うと大損するという教訓はよくかみしめておく必要がある。もう一つ思い出したのは、前日に見た芝居の感想を知人にたずねた時のことである。感想をたずねているのに、その知人は延々とストーリーを話し始めたのだった。映画や演劇の感想を話すとき、ある程度のストーリーを話すことはあっていいし、必要でもある。しかし大事なのは作者がその作品を通じて言いたかったことであり、原作との距離感はどうだったとか、それら総体を自分がどう評価するかである。感想をたずねた側は、その作品が相手にどのような影響を与えたかを推測し、体験する価値があるかどうかを判断する材料にするわけだから、ストーリーは最小限でいい。相手が高く評価するからこそ行く必要はないと判断することもある。「スター・ウォーズ」や「ロード・オブ・ザ・リング」を激賞する人が「つまらない」という映画はいい映画である確率が非常に高い。こうしたことは、端的にいえば、時間を費やし金を払うだけの価値があるかどうかを判断する材料さえ手に入ればいいのだ。36年の人生を1分30秒で話した元カノの例に照らすなら、2時間の映画や芝居のストーリーを語るのは30秒でも長すぎる。ストーリーと感想を合計して1分、どんなに長くても1分30秒が限度だろう。こうしたことは失敗から自然に学んでいくことである。わたし自身、20歳そこそこのころは見てきたばかりの映画についてストーリーを含めて延々と語ってしまったことがある。話し始めて1分をすぎたころ、相手の目に退屈と失望の色が浮かんできたのを見てこうしたことを悟ったが、この手の失敗は誰でも何度かはやらかしてしまうものだ。大事なのはそうした失敗から学ぶことだ。中高年になってもこうした失敗を自覚せず繰り返す人間を最近の日本ではKYともいうらしいが、そんな上品な言葉は必要ない。ただのバカと呼び身辺から遠ざけるべきだろう。投資倶楽部の主婦グループと会ったときのことも思い出した。景気サイクルの現状とイラク戦争からどういう銘柄への投資が適切かという話をしたのだが、どうも話がかみあわない、というかこちらの話が相手に入っていかない。しばらく話していてわかったのは、この人たちは自分が名前を知っていたり身近だったりする会社が「いい会社」だと思っていて、知らない会社は「悪い会社」か「あまりよくない会社」だと思い込んでいるということだった。要するに、この人たちは新しいことを学ぶ気持ちがなく、自分たちの意見に「共感」しそれを補強する意見を聞きたいだけなのだ。だったら最初から講師など呼ばず、 仲良しグループで共感ごっこをしていればよい。「共感」で儲けられるほど株式投資も、世の中も甘くない。「同情するなら金をくれ」という「家なき子」のフレーズがあれだけ人口に膾炙したのは欺まんを暴露しているからだけではない。論理なき感情、論理の獲得とそれにもとづいた行動をともなわない「感情」の告発と断罪を含みもっているからだ。 言葉を共感ごっこの道具に貶めて恥じない人間がバカであること、共感や同情を行動に結びつけることのない消極性がバカの淵源であることは、稿をあらためて論じるべきテーマかもしれない。それにしても初キスの相手の会話力には驚いた。合唱団を四つ指導し100人以上の女性と恒常的に関わりを持つ中で養われたのかもしれないが、そもそもとても聡明だったのだ。そんな彼女とつまらない意地の張り合いで別れてしまったぼくは日本一のバカかもしれない。そんなぼくにバカ呼ばわりされる人間に、生きている価値があるだろうか?
November 24, 2012
コメント(0)
宮崎陽江(ようえ)はジュネーブを拠点に主にヨーロッパで活躍している人らしい。長身で色白、そして黒くて長い髪が印象的で、舞台映えがするだけでなく存在感がある。なぜこのコンサートに行くことにしたかというと、ダリウス・ミヨーのヴァイオリン・ソナタが2曲演奏されるから。コンサートは、知らない曲、知らない演奏家、知っているが実演を聴いたことのない曲、知っているが実演を聴いたことのない演奏家の順に選んで行くことにしたので、そうすると札幌ではめったに行くべきコンサートがない。その点、このコンサートはピアノの菅野潤という人も未知。知らない演奏家二人と知らない曲という理想的な組み合わせだったので選んだ。その結果はというと、みのもんたふうに言うと「正解!」400以上あるミヨーの作品のうち、聴いたことがあるのは1割にも満たないが、初期の作品と思われる2曲のヴァイオリン・ソナタはその存在すら知らなかった。1番は特に力作であり、フランク作品の影響などが感じられるものの、完全にミヨー自身の語法に消化されている。パリ的な洗練よりも南フランス的な素朴さが魅力で、交流のあったアンドレ・ジイドに献呈されたというさらにミヨーの個性が開花しつつあることを感じさせる2番と同様、傑作と言っていいのではないかと思う。こんなところで日本の音楽界のドイツ・オーストリア音楽びいき、「枢軸国」びいきを思い起こすことになるとは思わなかった。ピアノの菅野潤も「発見」だった。ロビーでメシアンの「幼子イエスに注ぐ20のまなざし」のライヴCDが売られているのを見て、すごいピアニストかもと思っていたらその通りだった。1956年生まれでフランスで学び、メシアン夫人のイヴォンヌ・ロリオに師事した人らしいが、紳士の音楽とでもいうのか、実に端正で温かい音楽を作る。思い起こしてみれば、札幌でも東京でも大阪でもこういう音楽をやるピアニストを聴いたことはない。パリには何の興味もなかったが、彼のピアノを聴いて、しばらくパリに住んでみたいと思ったほどだが、彼のCDは全部集めることにした。肝心の宮崎陽江は、ミヨー作品のほかは生彩がなかった。超一流と呼ぶにはあと一歩、テクニックの完成度が足りない。後半のパガニーニの無伴奏曲やヴィエニャフスキの「華麗なるポロネーズ」のようなコンサート・ショウ・ピースは、悪くはないにしても超絶技巧「だけが」とりえの数多くのヴァイオリニストが演奏しているだけに分が悪い。ミヨーの2曲のヴァイオリン・ソナタの実演を次に日本で聴けるのは30年後か、50年後か(11月22日、札幌キタラ小ホール。19日には同内容で東京・浜離宮朝日ホールでも)
November 22, 2012
コメント(1)
指揮者の及川光悦という人が代表をつとめる日本音楽文化協会というのがあり、年に一度全国でコンサートを開いている。北海道では4カ所で開かれた、そのうちの札幌公演(札幌市教育文化会館大ホール)。実はこのコンサートの直前に、ピアニストをはじめとする地元の若手演奏家の演奏を集中して聴く機会があった。以前は首をかしげるような人もいたが、みなさすがに技術的には立派で甲乙つけがたい出来で進歩を感じた。しかしその一方で、何かが足りない、あるいは何かが過剰だという思いももった。それが、このポーランドの24歳のピアニストの演奏をきいてわかった。日本の若手演奏家の演奏は、おしなべて幼稚なのだ。大きな音、速いテンポ、ダイナミックな曲はダイナミックに、繊細な曲は繊細に、メロディー部分は浮き出させるようにする・・・曲に真摯に取り組んでいるように見える反面、聴き手に何をつたえたいのか判然としない。ベートーヴェンの「ピアノ・ソナタ32番」とブラームスの「3つの間奏曲」を並べた前半から、力みやてらいのない音楽にほっとさせられる。日本にいるとアメリカ的な消費文化にさらされて感性が干からびるが、そういう毒に侵されていない健全さがこのピアニストからは感じられる。テクニックの安定もさることながら、親しい人に語りかけるような演奏に日本の若手演奏家との落差というよりは断絶を痛感させられた。後半はスクリァビンとシマノフスキの作品を2曲ずつ。これらも通常のコンサートではほとんど演奏されないし、音楽ファンのほとんどのいないこうした「交流事業コンサート」では珍しい。ショパンやラフマニノフではなく、こうした曲を選ぶところにも、ショービジネス化したこんにちの音楽界とは無縁の立場をとるこのピアニストの美点が出ている。東欧や南欧からはときどきこうした演奏家が出てくるが、それは音楽的伝統というより、抑圧された少数民族であったり、侵略された側であったりといった民族の歴史的記憶がDNAとなっているからだろう。わたしの両隣の客は演奏中に携帯をいじっているなど、最悪の聴衆だった。ステージの上のおとなの音楽と幼稚な聴衆。幼稚な聴衆しかいない国からは幼稚な演奏家しか生まれないだろう。日本の音楽大学に行かず外国に出る人が多いのは道理だが、かえって団塊世代くらいまでの日本の演奏家には優れている人が多いのは才能だけでなく、世代的に歴史意識を持っているからだろう。日本が朝鮮の王妃を殺したことも知らないような音楽家は美しい、しかし幼稚な演奏しかできないのだ。
November 19, 2012
コメント(0)
8月には、5月のラ・フォル・ジョルネで「発見」した指揮者の山田和樹を3度聴くつもりだった。東京混声合唱団「八月のまつり」での林光「原爆小景」、サイトウキネンフェスティバルでのオネゲル「火刑台上のジャンヌ・ダルク」、そしてサントリー芸術財団サマーフェスティバルでのクセナキス「オレステイア」である。しかし鼓膜を破るケガをしたので諦めるほかなかった。ベルリン在住の彼は、大野和士のように「来日」演奏家になってしまうかもしれない。ブレイクはしたが、知る人ぞ知る存在であり、ソールドアウトを連発するまでにはなってないいまがチャンス。そうかんがえたので、武満徹の全合唱=重唱作品が演奏されるこの記念碑的演奏会を聞き逃すわけにはいかなかった。もちろん最大のめあては、混声合唱のための「うた」全12曲。何種類かのCDもあり実演でも聴いたことがあるが、いつも不満があった。音程に不満があったり、こぢんまりしすぎていたり、歌詞がよく聞き取れなかったり。しかしこの日の演奏はもうこれ以上の名演は必要がないというくらいすばらしいものだった。同じ曲でも指揮者によってこんなにちがうのかという経験をすることは多いが、山田和樹が指揮をするとどんな短い曲でも音楽が充ち満ちてくる。こんな指揮者は世界的に見ても少ない。ヨーロッパ中を飛び回っている「スター指揮者」のだれが「ヤマカズ」と比べられるだろうか。クシシュトフ・ウルバンスキほか数人しか思い浮かばないし、大野和士をしのぐ才能と巨匠性を感じる。混声合唱のための「うた」は、最前列で聴いてみた。感じたのは「ヤマカズ」が、一曲ずつバラバラに覚えているのではなく、全曲を覚えてその一部として各曲を指揮しているということ。だから様式感が統一されているし、しみじみとした感傷が芸術的な美の水準に高められている。11番目に「死んだ男ののこしたものは」を置き、最後に「さくら」を演奏したのも、こうした統一感を保つ上で最善の配列だったと思う。「さくら」だけが異質だからであり、他の指揮者はヤマカズのこのやり方を学ぶべきだろう。最前列で、つまり言葉がもっともよくききとれる場所できいたがゆえに感じたことは、この作品の「昭和のテイスト」、あえていえば「戦後の昭和」的テイストだった。戦争が終わり、貧しくても希望のあったあの時代の「明るさ」が、この歌集からは感じられる。それはまた作曲者の青春そのものでもあったのだろう。音楽には国境がないといわれるが、それはウソだ。たとえばこの曲を外国の指揮者と合唱団が演奏するのは不可能だ。たとえ演奏したとしてもどこかウソっぽさがつきまとうだろう。さらにいえば、50年後の日本人にはもう「戦後の昭和」テイストなど無縁になっているだろうから、音楽は世代をすら超えることができない。「小さな空」の風物は街灯がほとんどなかった時代のものだし、「小さな部屋で」は家電以前の世界を描く。「死んだ男ののこしたものは」は直接にはベトナム反戦運動のために作られたが、非戦闘員をさえみな殺しにした日本帝国主義のアジア侵略から第二次世界大戦、朝鮮戦争をへてベトナム戦争にいたる「昭和の戦争」の残虐さが明滅している。こうした世界は無人戦闘機がターゲットを捕捉する近未来の戦争になれてしまえば想像すらできなくなり、音楽からリアリティを感じることはなくなるだろう。それでいいのであり、それが音楽というものだ。時代と民族を超えたニュートラルな芸術的価値などもともと存在しないのである。アンコールはこの「死んだ男ののこしたものは」を林光が編曲したピアノ伴奏版を山田和樹がピアノを担当。このサプライズなプレゼントに会場は熱狂、人生に二度あるとは思えない至福の一時間の最後に「小さな空」がもう一度演奏された。前半は演奏順に「風の馬」、男声合唱のための「芝生」、男声六重唱のための「手作り諺」と沼尻竜典編曲の「MI・YO・TA」。これらはハーモニーを味わうために2階後列できいたが、武満徹の無調で書かれた合唱作品は、オーケストラ作品のような完成度には届かなかったという印象。(11月17日、第一生命ホール。18日には名古屋のしらかわホールでも同内容で)。
November 17, 2012
コメント(0)
10月には読響と日本フィルをきいた。東響と新日本フィルと東京シティフィルは2009年、東京都響は2010年にきいた。首都圏には12のプロオーケストラがあり毎日のように公演を持っているが今回は東フィルをきくことにした。札響の首席オーボエ奏者が国際コンクールで2位入賞したことをみてもわかるように、最近の若手の台頭は著しいものがある。オーケストラの黎明期に入団したような世代はどんどんリタイアし世代交代がすすんでいる。20年前にきいて「ひどい」と思ったオーケストラでも、生まれ変わったようになっているケースもあるだろう。そう思って日本のオーケストラを一通りきいてみようという個人プロジェクトも首都圏のオーケストラに限っていえば7つ目と、峠を越えた。東京フィルはオペラやバレエの仕事が多いせいか、昔から馬力はないが器用できれいな音のするオーケストラだった。その伝統はよくも悪くも保たれているように感じたが、以前とは比較にならないほど自発的な演奏を繰り広げているのには好感を持った。正直に言って東フィル自体にさほど興味はない。それでも行ったのは、指揮者の三ツ橋敬子を一度きいておきたかったからだ。ストラヴィンスキー「火の鳥」組曲、ブロッホのヘブライ狂詩曲「シェロモ」(ソロはガブリエル・リプキン)、ムソルグスキー(ラヴェル編曲)の「展覧会の絵」というプログラム。「火の鳥」はファサードできいたが、一見して優れた指揮者であることがわかった。小柄で華奢ながら、オーケストラから豪快な音を引き出していくさまは見ていて気持ちがいい。「魔王カスチェイの凶悪な踊り」や終結部分など胸のすく快演。細部もきちんと手の内に入っていてどういう音楽を求めているかがわかる。オーケストラも演奏しやすいのではないかと思う。ガブリエル・リプキンのチェロは雄弁そのもの。しかし三ツ橋も負けてはいない。「シェロモ」の後半でのではその雄弁なチェロに負けない熱いクレッシェンドをきかせた。「展覧会」は20年前にきいた東フィルと同じオーケストラとは思えないほど豪壮な響き。あのときは大野和士の指揮で同じ「展覧会」をきいた。オーケストラは非力ではあったが、音楽はあのときの大野の方が造型の厳しさとラストの高揚で優っていた。この日の演奏は細部によく血が通っているし、オーケストラの制御も見事だし、終結に向けての盛り上がりなども万全なのだが、彼女の音楽には何かが足りない。それは、いまここでなにかとてつもないこと、ただならないことが起きている、というような時間の創出には至っていない点だ。これは指揮者のせいなのか、東京のオーケストラに共通した特徴である上品なクールさのせいなのかはわからない。わからないが、皿数は多いが満腹にならない懐石料理を食べたときのような印象は今回も残った。
November 16, 2012
コメント(0)
これは良書だった。若い世代を念頭において書かれたのだろうか、がんは老人病ではなく早死にの原因のトップであると説きはじめ、予防や早期発見が結局は安くつくといったあたりまえのことがきちんとした数字や資料をつかって説得的に述べられている。目新しいことが書かれているわけではないが、あの「医療後進国」アメリカでさえがん患者が減少している理由、がんリスクを減少させるポイントなどを要領よく解説してあるのでブラッシュアップに最適の本だった。毎日400グラム以上の野菜摂取が大腸がんと肺がんリスク、大豆食と魚食が乳ガンリスクを低下させる、日本の伝統食は胃がんリスクを高める(日本の胃がん発生率はアメリカの4倍)、タバコは最大の危険因子であり、幹線道路周辺の汚染物質、X線検査を含めた放射線、抗生物質のがんリスクについてのほか、婦人科の専門医でもあることから婦人科系のがんに関する叙述が多い。福島第2原発からいったいどれほどの放射能が放出されているのか。原発一基の中にある放射性物質は広島型原爆4000発分だから、その半分が放出されたとしても相当な量だということがわかる。あるいは太平洋での核実験によって日本にも降り注いだ核物質はどのくらいになるのか。60年もたっていないのだから、日本全体が放射能に汚染されていると考えておいた方がいいだろう。養殖魚などには大量の抗生物質がつかわれている。ただでさえこういうリスクにさらされているのだから、こういう本を読んで、少しでもがんリスクを減らす知恵と知識をつけるにこしたことはない。この本を読んで変わったのは野菜を大量に食べるようになったこと。一食でピーマン5個とかキャベツ4分の1とか平気になった。この手の本にはトンデモ本も多い。NHK出版の本なら間違いないだろうと思って手にとってみたが正解だった。
November 14, 2012
コメント(0)
全9件 (9件中 1-9件目)
1