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今日ウオーキングの途中で友達に会った。実家のお母さんを介護中。妹さんと二人で交代で泊まり込んだり、デイサービスに出掛ける用意を手伝ったりしている。火を使わせないようにすぐ食べられるものを買って届けたり。実家に通うようになってずいぶん長い。彼女が倒れないか心配している。担当のケアマネさんもそろそろ施設を検討したら?というけどお母さんは頑として聞き入れないし、彼女もまだ迷っている。親の介護は何とか出来ても次は配偶者。どっちが先に介護されるようになるかわからないけど。彼女は夫に家で介護なんてできないから施設にお願いすると宣言したらしい。お風呂一つとっても男性を女性一人で入れるのはなかなか大変。デイサービスを嫌がる人もいるけどお風呂くらいは入れてもらってきてほしい。ショートステイにもたまには行ってのんびりさせてほしい。逆に自分が介護される身になったらうちもそうだけど夫には下の世話何てできないだろうし、またしてもらいたくない。私はその時はホームに行こうと思っている。私も彼女の先のことを考えてどうなるのかと思案しているけど彼女の旦那さんもうちの夫もその時考えたらいい。と人任せ。一通り愚痴を言い合って別れた。子育て終わってようやく自分の時間が持てると思ったら親の介護、夫の介護では溜息もでる。頑張りすぎないように、介護保険やプロの手も借りることも考えて行かないと持たない。また話聞くよ。いつでも。自分の時間も必要だと思う。無理をし過ぎないでね。
2023.05.28
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昨日久しぶりに母に会って終の棲家ということを考えた。誰しも子供や孫に囲まれて老後を送ったり、みんなに看取られて逝きたいと思っていると思うけど現実はなかなかそうはいかない。子供との同居も必ずしも幸せかどうかという疑問もある。自分のペースでのんびり暮らせたら理想的だけど、若い人と一緒の生活ではなかなかそうもいかない。知人は息子さん夫婦と同居している。息子さん夫婦は共働きで朝は孫ちゃんの通学もあってリビングでバタバタしている。知人は遠慮してそこには出て行かないという。みんなが出かけてから一人でゆっくり朝食をとるという。また夜も早めに部屋に行ってラジオを聞いたりして寝るまでを過ごす。リビングではテレビを見たりしているけど、見たいものも違ってたりするからあまり一緒に過ごさないという。同居も結構気を使うらしい。別の知人はお嫁さんに気を使いたくないからと80歳を過ぎた今でも一人暮らしを続けている。昼間は元気にあちらこちら歩き回っている。でも一人暮らしだともしも倒れていたりしたら、誰も気づいてくれなければ、そこで寿命が尽きる可能性もある。多分知人は一人暮らしの自由を選んだからその覚悟はできているのだろう。いよいよとなってから息子さん夫婦を頼るつもりかもしれない。母と面会しながら母は本当にここで幸せなのだろうかとふと思った。母はホームにはいきたがらないのを私が決めてここに入所させた。前の県住の家は4階で母の生まれた淡路島が天気が良ければ見える高台にあった。部屋からその景色を見るのが楽しみと言っていた母。ここではみんなよくしてくれるけど淡路島は見られない。ここに入れて母の楽しみを奪った罪悪感も少しまだある。でも誰かと一緒だと寂しさも少しは慰められるし、食事時にのどに詰まってあわやという事件もあった。スタッフさんたちのおかげで事なきを得た。一人暮らしならどうしようもなかっただろう。私も毎日は訪ねていけないし、母の家に行ったとき母が無事でいるかドキドキしながらカギを開けた。ベッドで寝ていたら息をしているか不安になった。ホームにいてくれたらすべての病気や事故を呼ぼうとか処置できなくても、子供は少しは安心できる。ホーム長さんも絶対安心というわけではないけどできるだけの気配りはしてくれている。もしもそれでもお亡くなりになるようなことになったらそれが母の寿命だと思ってくださいとも言われた。その通りだろう。でも私一人が担うよりははるかに安心だ。母にはのんびりとしたいことをして、もっと長生きをしてほしい。90歳になったから次は100歳を目指してほしい。母の笑顔をこれからもたくさん見たい。そう思いながら帰ってきた。
2023.05.16
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今日の高齢者大学。テーマは「出会い、ふれあい、語り合い」まず人とのご縁を大切にという。日本の人口は約1億2千万人。ということは今日の出会いは一億2千万分の一の出会い。まずは挨拶をして自己紹介をする。その時に相手に覚えてもらいやすいように自分の好きなものを言って、あるいは名まえの漢字が珍しい人は漢字を言ったりしたら覚えやすい。お酒の好きな〇〇です。とかコーヒーの好きな▽▽ですとか。次に会ったときに相手の顔を見て話しかける。名前を憶えていたらいいけど覚えていないときはどこそこで会った○○ですと再度自己紹介をしてもう一度お名前を聞く。いい言葉も教わった。一つの言葉でけんかして、 一つの言葉で仲直り。一つの言葉はそれぞれに 一つの心を持っている。笑顔は幸せホルモンの分泌を促して表情が豊かになる。また「機嫌よく暮らすのは年寄りの義務」なかなか笑って過ごすとか相手の喜ぶような言葉を選んで話すのは難しいけど頭の隅に置いて心がけていきたい。
2023.05.11
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姑とは一度も同居しないまま亡くなってもう3回忌も終わった。大正生まれの姑とは価値観や性格が合わないと思っていてあまり交流もなかった。今日買い物に行っていかなごのくぎ煮を買ってきた。この時期うちは二人なので買い物に行ったら小さなパックを買ってくる。姑が元気だったころいかなごのくぎ煮とかラッキョウとか梅干とかよく自家製のをもらっていた。買ってきたくぎ煮を見てもう姑のくぎ煮を食べられないのだなと改めて思った。私はくぎ煮は食べるけどラッキョウとか梅干は嫌いだったけど、夫は姑のつけたラッキョウや梅干は大好きだった。亡くなってから私が姑が元気なうちに習いに行って味を引き継いでいたらよかったと夫が言った。私は黙っていた。自分が好きなものでもないのに苦手な姑のところに教えてもらいに行くような気は全くなかった。そして姑は私が気に入らず、あれでは到底一緒には住めないと言われていた。直接言われたわけでなく夫がそう聞いてきて、僕は同居したいのにお前のせいでとうきょできないと責められて、姑に気に入られるように性格?を直して一緒に住んでほしいと言われた。でもそこまで私を全否定する人と一緒に住むなんて考えられなかった。人間関係で完璧に何もかも一致して仲良くできる相手なんてそんなにはいない。自分と合うところ、相手の長所を少しでも見つけて歩み寄らないと仲良くなんてできない。姑に私に歩み寄る気がなくて、一方的にそういわれたから私は義実家と距離を取った。でも客観的に見て姑は家庭や家族を大事にしてなんでも手作りするいい姑だったなと素直にいいところを今になって認められるようになった。本当は年下の私の方かㇻ歩み寄っていかないといけなかったのかも。姑が亡くなったとき棺に家族親せきの寄せ書きを棺に入れた。夫はそれのコピーを斎場からもらってきて今もリビングに貼っている。そこには私の知らない姑の姿があった。明るくて冗談をよく言って、歌が上手で孫や子供に人気者だった姑。私にはそんな面は見えていなかった。気難しい人としか見えてなかった。私には寄せ書きに書き込むような思い出はなかった。仕方ないから「いろいろお世話になってありがとうございました」とだけ書いた。夫は「もっとないんか?」と不満げだったけど頑張って思い出そうとしても姑に嫌がらせされた思い出しか思い浮かばなかった。私も若かったから今ならもう少しうまくやれるかもしれない。夫は義実家でお正月などに人が集まったときの和気あいあいとした雰囲気が好きだった。今は義父母もなく月命日に夫と嫁いでいるもう一人の義姉くらいしか家には来ない。和気あいあいというか私的には結構きつい言葉の応酬があって私はその輪の中にはなかなか入れなかったんだけどね。私は言いたいことを言える立場ではないし、言われっぱなしで義実家へ行ってもちっとも楽しめなかったんだけどね。まあ何にしても夫が愛した義実家は義父母がいて成り立っていたから、もう今の義実家は義姉一人が住む家で夫も積極的には行きたがらない。明日は姑の月命日だからいろいろ思い出して感慨深い。いつも夫と私は義姉は一体いつまで月命日をやるんだろうね?と言い合っている。夫も義父母がいなくなった義実家はあまり居心地がよくないらしい。あんなに毎週末出掛けて行って、一緒に住みたいとまで言っていた義実家なのにね。いかなごのくぎ煮で久しぶりに姑のことを思い出した。家族を愛し、家を愛し、家族のためにおいしいものを作ってきた姑。大正、昭和、平成、令和と4つの時代を懸命に生きて家族を守ってきた。戦争もあった、戦後の食糧難の時代に結婚して子供たちを懸命に育ててきた。それはそれですごい人生だったなと思う。
2023.05.06
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結婚記念日と言っても特に何もなし。今年は夫に数日前からプレッシャーをかけてランチをごちそうしてもらうくらい。いつもは本当に何もなし。忘れているのか、無視しているのか?今日で満39年、来年は40周年。何度も離婚を考えたのによくやってきたなと自分をほめたい。今も文句を言い出したらきりがないけど、この年では住む部屋も借りれず、子供のお荷物になるわけにもいかず。もはやあきらめの心境です。でもこのままいくなら少しでも楽しく毎日を過ごそうということで方針転換することにした。今日のランチも私が提案した。私が何も言わないとそのままスルーしていたに違いない。来年は40年ということで旅行に行きたいなと思っているけど、夫は動くか?その気がないならお留守番してもらおう。一人でもまた友達とでも40年記念旅行に行こう。さて今日も朝からいつも通り買い物、→ホームセンター→母のホーム。ホーム長さんはお休みで会えず。どうせ郵便局はまだ休みだけど、来週も忙しいから委任状だけでも完成しておきたかった。それから夫とランチ。店の中にいけすがあるちょっと高級な和食の店。私は本当はお肉がいいんだけど、夫の好きなものでないと夫のおごりにはならないと思って。結婚記念日だからと言って夫には具体的な何の計画もないのはわかっているので店も私が選びました。せめて今日一日はもめないようにしたいと思う。朝から結婚当時のことを思い出した。亡くなった姑、その頃はまだまだ元気で口だしてくることが多かった。夫がデート中に突然結婚式場を予約して来ようというのでついていった。家族に相談しなくていいのかという気持ちもあったけど、とりあえず5月3日を抑えた。披露宴の人数とか引き出物とか大体決めてきた。ところがこれが姑は気に入らなかったらしく翌日一人で式場に出掛けて引き出物や料理をすべて注文しなおす。そして私の衣装選びや指輪を選ぶのにもついてくる。なんで?指輪の時は横にピッタリくっついて「私はこれがいいと思う」と決められた。私はそれより気に行っているのがあったけど逆らえず姑推薦の指輪にした。後から気がついたら夫は自分の給料の管理をすべて姑に任せていてどれくらい自分の貯金があるのかも知らなかった。というか義実家では貯金という貯金はすべて舅名義になっていた。マル優とかで税金が安くなるということで姑名義にまとめられていた。だから姑はどれくらい結婚費用が掛かるのか気にしてついてきたのだろう。新婚旅行から帰ってきて夫から給料が振り込まれる通帳を渡された。新しく作った通帳。500円しか入金されてなかった"(-""-)"今までの通帳は今まで通り姑が持っていて渡してもらえず、またどれくらい残っているかも知らされず。おかしいと思ったけど嫁の立場では当時も今も何も言えない。ちなみに生命保険の受取人も姑になっていた。結婚しても受取人を変えてくれない夫。僕にもしものことがあったら半分は姑が絶対にくれるからという。というような当時のおかしいと思ったことを次々思い出す。でも友達も旦那さんの給料は姑さんが管理していて、姑さんはすべて普通預金のままにしていたとあきれていた。定期の方が利息がいいのにね。それでも普通は結婚したら通帳は渡してくれると思うけど?姑は結婚後も夫のお給料を管理しようとして一緒に貯金してあげると言われたけどそれだけはお断りした。貯金が少ないとか下ろすとき何に使うのか?とかいちいち報告するのは耐えられない。と昔話はこの辺で。思えばいろんなことがあったなとしみじみ。あっという間の39年だったな。まるで玉手箱を開けたみたいにあっという間に今の年、おばあさんになってしまった(笑)
2023.05.03
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