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KEN MACLEOD "LIGHTING OUT"ドゾアの年刊sf25巻より。英国sf協会賞受賞作。作者の一連の未来史シリーズと同じ設定の話と思われる。人々は自分のコピー人格を大量に作り、様々な技術に活用している。ところが、このコピー人格が形成するVR社会が高速度で発展し、あっという間に滅亡してしまう「FAST BURN」という現象が頻発。この事態を防止するため、コピー人格はなるべく削除するべきだという倫理ルールが普及しているが、やはり漏れがある。その漏れが一大災厄を招いてしまう話。この未来史は、最初期の3部作を既読。詳細は忘れているが、コピー人格が形成する社会と、アナログ人類との闘争を描いていた作品だったと記憶している。3部作の最後の作品では、「コピー人格は人間ではないから滅ぼしてもかまわない」という過激なイデオロギー主張が強烈で、ついていけないものを感じた。またパラレルワールドのような空域に存在するもうひとつの火星?へと人類が退避するエピソードもあったように記憶している(ウィルスンのSPINにも同じようなエピソードがあったような?)。コピー人格の蔓延という基本設定が共通するので、かすかに昔読んだ記憶を探りつつ読んだ。本作品は、母親の多数のコピー人格と携帯無線通信カードを使って話しながらビジネスを行う女性が主人公。地球は氷の星になっており、人類のほとんどは太陽系外に出て行っている。残った人類は、月や、太陽光エネルギーを集めて動く宇宙空間の巨大な<インナー・ステーション>などで生活している。月からステーションに来た主人公は、ここで「太古の地球のような、宇宙に星だけが見え、人類が宇宙に住んでいない情景」に憧れている少年と出会い、彼とともにビジネスをはじめる。ところが、母親のコピー人格が<fast burn>への野望を抱き、暴走を始め、少年が使っている物質合成機を利用して大量のナノ機械を製造し、ステーション内に放ってしまう。オリジナル・生身の母親がここでやってくるが、一歩遅く、コピー人格の暴走を止められなかった。ステーションは次第にコピー人格たちやその製造するナノ機械たちに汚染され、人間の住めない環境へと変わって行く。自らもコピー人格となって生き延びないかという母の勧めを断り、二人は太陽系をあとに、地球に似た遠くの惑星へと旅立って行くというあらすじ。オチにひねりがないまっすぐなストーリー展開で、正直なぜこれがイギリスの年間ナンバーワン短編として受賞したのかいまひとつ理解できないが、おそらくコピー人格が暴走し、多数のナノ機械生物を放つ(例えば、物質合成機に「食べられる」金属ベッド、無数のロボットゴキブリ、多数の機械虫が寄り集まって形成される中年女型集合生物など)場面の不気味な視覚的描写のインパクトが評価されたものだろう。ストーリー的面白さには乏しい作品だと思うが、いちおう英国sf協会賞受賞作だから、暇を見て訳するかもしれない。★★★
2009.08.29
カルペンティエール/マルケス 集英社世界の文学28カルペンティエール「失われた足跡」★★1/2ある男が幻の楽器を探しに南米の山奥へ旅するうちに時代をも遡っていく話。やたらねちっこいフェティッシュな情景描写が特徴。音楽の薀蓄がだらだらと長くてウザイ。主人公も館長の前で見栄を張って知識を見せびらかそうとして失敗したり、旅しながら妻を捨て浮気をしたりなど人間としていけ好かない最悪のやつで共感不可。力作なのは認めるが読み続けるのはつらかった。やはりおれはマジックリアリズム糞食らえな人間なんだと自覚した。マルケス「大佐に手紙は来ない」★★★★これは面白かった。マジックリアリズムに毒される前の普通小説で、超現実的事象は起こらず分かりやすい分、テーマ性がストレートに伝わる。退役軍人が裁判まで起こし、延々年金支給決定通知を待ち続けるが、待てど暮らせど連絡はなく、ついには息子の形見の闘鶏まで売らねばならないほどの貧乏になる話。南米の後進国の不条理な暮らしぶりがよく伝わってきて、読後に残るペーソスがたまらない。マルケス「土曜日の次の日」★★1/2マジックリアリズムに毒されかけた作品。その分読みにくくなり、つまらなくなっている。部屋に飛び込んで死ぬ鳥の話と、狂信的な神父の話が最後まで結びつかず、構成に失敗している感じ。
2009.08.27
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モレルの発明第2版いやはや驚いた。これが1940年の作品とは! ラテンアメリカの幻想小説(マジックリアリズムって呼ばれる作品群)って、マルケスを筆頭に、幻想文体でねちねち日常生活を描写するだけの退屈で冗長なものというイメージがあったのだが、こんなに面白い小説もあったのね。しかも書かれた年代が戦前で、作者がボルヘスの盟友カサーレスっていうんだから(超短編しかないボルヘスと違って、ちゃんと中篇以上の長さがあるから量的に物足りないということもない)、おみそれしました。ていうか、中南米文学って逆に最初のボルヘル・カサーレスで頂点を極めてたあと、戦後どんどん文学かぶれして劣化してるんじゃないかとすら思った(あんまり読んでないから無責任な感想だが)。で、本作だが、話は中南米のある島を舞台に、脱走した被告人の男の一人称で話が進む。この男が島の図書館を見つけ、ここに住む奇妙な人々を眼にする。男は住人に見つからないように気をつけながら監視を続けるが、この住人たちは大雨の日に外で踊っていたり、かと思うとしばらく全くもぬけの殻になったりと、どうも行動がおかしい。男は住人のうちのある超然とした女に一目ぼれし、この女に胸中を打ち明けようと悩むが、モレルという男がこの女に近づくのを見て激しい嫉妬に駆られる。語り手が二人の動きを注視していると、ある夜モレルが行った演説の内容から、モレルの発明した恐るべき機械の存在が明らかになる。そしてこの人々の恐るべき正体も・・・。SFメタミステリ、メタフィクションの実質を持つ作品なので(こう指摘するだけでも十分なネタバレ)これ以上のネタは割れないが、最近の同種テーマ(VRもの)のSFのように、深く突っ込まずさらっと流してしまうのではなく、徹底的に存在論、実像と虚像・鏡像、自己と他者、虚構と現実の関係について哲学的に突っ込み、なおかつそれが作品全体の叙述トリック的な「信頼できない語り手」のスタイル(ただし昨今のミステリのごとく、いかなるトリックであったのかが終盤で明確に説明されることはない)と密接に結合して、読みこめば読みこむほど強烈な妄想をかきたてる幻視力の高い作品に仕上がっている。最近でいうならクリストファー・プリーストのテーマ性(とくにドリームマシン、魔法、extremesなど)と共通するが、作品構造がシンプルなSFガジェット一本の上に成り立っている分、理解しやすく、よりテーマ性が伝わりやすくなっていると思う。イーガンの脳SFや「順列都市」あたりとも、テーマ性でつながりがある。ラテンアメリカ文学、あきらめずに読み続けてきてよかった! ついに本当に好みの作家を見つけた。さっそくスペイン語原書の未訳短編集を注文いたしやした。
2009.08.24
コルタサル「秘密の武器」世界幻想文学大系305編収録「母の手紙」★★★★兄の恋人を奪い、兄の死とともに母を捨てて駆け落ちしパリに移住した男が、母からの手紙で過去に引き戻され、兄の影に付き纏われる話。故郷と親から都会へと逃げ出した人間の葛藤が微妙に超現実的なタッチで表現されていて、似た境遇にある私には特に身につまされる。「女中勤め」★★★ある家に雇われた女中が親族のふりをして葬式に出るというとんでもない仕事を言いつけられる話。「悪魔の涎」★★★1/2写真の中の人物が動き始めるという「ドリアングレイ」タイプの話で、よくまとまっている。「追い求める男」★★★1/2音楽の力で時間を変化させる力を持ったチャーリー・パーカーを扱った伝記スタイルの話。「秘密の武器」★★★1/2恋人の過去が悪夢となって毎晩押し寄せ、ついには現実との境界を見失って破滅へ向かう話。いずれも幻想的素材を扱っているが文体が地味で真面目な純文学スタイルなので、今ひとつ熱狂はできない。ただ技巧は確かなように思う。
2009.08.20
蟻塚の中のかぶと虫 (1982年) (海外SFノヴェルズ)ストルガツキー兄弟2連発。こちらは『神様はつらい』『収容所惑星』と同じく
2009.08.09
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A&Bストルガツキイ「世界終末十億年前」群像社77年発表のノヴェラ。初期を除くとストルガツキイ兄弟作品の大半は、あるSF的あるいは幻想的不条理設定のもとに、「行動せず堂々巡りする人間のようす」を確信犯的に垂れ流すものが多い。兄アルカージイは日本文学の研究・翻訳家で安部公房を訳したりしているぐらいだから、結構そっち系(カフカ・安部的不条理物)が好きなのかもしれない。ちなみに弟ボリスは天文学者なので、彼らの作品のSF性は弟由来なのだろう。で、本作も後期作品の大半と同様の、SF性の薄い不条理小説だった。「僕」が別荘を借りて数年来の研究を進めていると、いきなり妻の友人の女が妻の紹介状を持って訪ねてくる。更には隣人の男が翌朝、銃殺体で発見され、「僕」は殺人容疑をかけられる。しかも、妻の友人は夜のうちにいなくなっており、アリバイ証人はいなかった。しかも、「僕」の友人の科学者2人にも各人各様の奇妙な事件が巻き起こっていた。3人は集まり、この状況が意味するものについて議論を始める。そして仲間の一人がこんな説をぶち上げる。「僕」ら3人が発見しようとしているノーベル賞ものの理論が自然の本質に迫りすぎているため、自然のもっている自衛的な作用によって、「僕」ら3人が理論を発見することを妨害するような事件が引き起こされているのではないかと。やがてやってきた妻から、友人を送ったことはないことが判明する。あの女はいったい何者だったのか・・・。筋書きそのものはミステリっぽく見えるのに、作者特有のやたらユーモラスな冗長脱線文体と、延々と綴られる登場人物たちの議論のためか、サスペンス感はほとんどない。そして、多くの作者の作品と同様、それ以上の真相がほとんど明かされることのないまま、「僕」はあっさり研究から手を引いてしまう。英米エンタメSFでは絶対にありえない、キャラたちの後ろ向きな非行動主義者ぶりがいかにも作者らしいし、旧共産圏SFらしい。不可知論的な宇宙観に支えられた不条理劇と、その中で翻弄される無能な人間観は、レムなどとも通ずる世界観でありテーマ性であるが、比較してみるとストルガツキイの作品のほうが戯画的に描かれている(たとえば「ストーカー」などもそうだった)。正直な感想を言うと、事件の真相に対する突込みが浅いのが物足りない。もちろん、作者は自分のテーマ性を表現するために意図的に「行動しない情けない主人公」を配して、このような「壁にぶち当たったままそれを乗り越えようという努力一つせず、立ち止まってただうだうだ話しているだけ」の話を書いているわけで、そうとなると何を言ってもお門違いと却下されるだろうわけだが。ただ、この半分の長さでも十分表現できる話だと思うわけで、むしろ半分の長さのほうがテーマの深刻さもかえってインパクトを増すのではないかと思う次第である。この話に今ひとつのれないのは平板な訳文のせいもあるかもしれないと思い、設定や人物などを変えて同じ話を日本を舞台の短編にリライトしてみようかと読みながら思いもしたが・・・めんどくさいのでやっぱりやめておく。
2009.08.02
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