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世界SF全集25 バルジャベル、フリック、フランケ<フランスもの>ルネ・バルジャベル「荒廃」★★1/2破滅もの。高度に発達した機械文明によって、パリなどの大都市に人口が集中している。しかし南北アメリカが政治的に対立、南アメリカ帝国の皇帝が世界中にミサイルを発射。電源を失ったパリは都市機能が麻痺し大パニックで人口の半分が死滅。完全に文明が崩壊し都市は腐敗する死体で居住不能な空間と化する。難民は暴徒化し原始的な生活に戻り、殺しあう。主人公は小さなグループを作って故郷へ戻り、反機械文明的で原始共産制的な社会を作り、族長となる。未来社会のディテールに凝っている割に描写が古臭いのと、政治体制があまりに荒唐無稽であるため、前半を読み進むのがかなりつらい。キャラクターやストーリー展開も雑で、プロの仕事とは思えない。重要と思われるキャラが次々とあっさり死んでいく。わずかな読みどころは後半の原始化した殺伐とした社会と、作者の理想と思われる原始共産社会の描写だが、前半のひどさを埋め合わせるには至らない。この作者の作品は、未だにフランスSFで最も人気があるそうだ。フランスSFのレベルの低さがわかってしまう残念な作品。幻想小説やシュルレアリスムはあんなに水準が高いのに、この落差は何なんだ。というより、優秀な作家の想像力がアンチリアリズムの方向に向かいすぎるために、その反動で、一定のリアリズムを要求するSFを書こうと思う作家が少なくなっているのかもしれない。<ドイツもの>マルティン・フリック「パーティナ」★★★最愛の夫を失った中世の娘がエイリアンに連れ出され、様々な星を遍歴し、数百年後の現代の地球に戻ってくる。そこでパーティナと呼ばれるエイリアンの女と暮らす男と知り合い、3人で地球をあとにし、フォボスで滅び去った火星文明の記録を見たあと、タイタンの共産社会的ユートピアにたどり着き、かつての夫の魂を持つ男と再会する。分類するならユートピア/進化/エイリアンテーマの文明批評SFということになるが、そう分類するのに躊躇を覚えるのは、独特のシニカルでロマン主義的な文体と、執拗な愛やエロスの描写にある。ところどころにエスプリを感じさせる鋭い叙述が散見されるものの、小説としてはあまりに未熟であり、高評価まではできない。ヘルベルト・フランケ「思考の網」★★★★フランスSFと対照的に、ドイツSFのレベルの高さがわかる作品。一見、何の関係もないような宇宙SFのストーリー3つが次々と語られるが、実はそれは社会に適応できない性格傾向をもった人間を見つけ出すためのシミュレーション世界の物語だった。この検査の結果、被験者をロボトミーに処するか否かで議論が戦わされる。ある女がこの被験者の男を助けようと画策するが、みずからも検査にかけられロボトミーに・・・しかし、ロボトミーに処せられたはずの男が冒頭の「エイリアンの思考を植え付けられたコンピュータが宇宙船を乗っ取り乗員を追い出す」ストーリーの「コンピュータ側」となって解放されるという、なぞめいたエンディングを迎える。このオチに関しては様々な解釈が可能だろうが、いずれにせよ、表面的には普通の宇宙SF,未来SFに見えるし、それだけでも十分に面白いのに、そこに叙述トリックやメタフィクション性を導入することで、より緊迫した読み込みがいのある作品に仕上がっている。これが作者の処女長編だというから侮れない。
2009.09.23
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トリストラム・シャンディ(上)ロレンス・スターン「トリストラム・シャンディ(上中下)」岩波文庫 1760-1767イギリス作家の、メタフィクション/「意識の流れ」ものの走りとされる長編で、トリストラム・シャンディという名の出産時の事故で鼻のつぶれた語り手がユーモラスな薀蓄を語る脱線を繰り返しながら、自分の父親や叔父の身の上話を延々と語って行く話。作中で再三、型にはまった物語進行を揶揄するような論評が行われるため、「物語性を否定した」と評されているが、私が読んだところではメタレベル(=語り手のレベル)において物語性が成立しているため、完全に物語性が否定されているとは思えない。そういう意味で不徹底ではあるのだが、該博な知識と奇想天外で風刺的な発想力のおかげで、まさにその薀蓄や奇抜な表現スタイルの一つ一つが抜群に面白い傑作となっている。これだけの長さなのにまったく退屈しないのはたいしたものである。9/10点
2009.09.20
レオポルド・ルゴーネス「塩の像」バベルの図書館18 国書刊行会「イスール」★★★★★ 既読「火の雨」★★★★★ 突然火の粉が降ってきて町を焼き尽くす終末小説の絶品「塩の像」★★★★ ロトの妻の呪いを解き、彼女の目撃したものを訊いたとたんに死が訪れる「アブデラの馬」★★★★1/2 ちやほやされた馬が人間化し、つけあがって反乱を起こすドタバタSF、最後にライオンの姿のヘラクレスが登場「説明し難い現象」★★★★1/2 主観が現象に影響を与え、自我分裂した男が見た猿の自己像が現実になる・・・。量子力学ネタの先取りとも解釈できる作品。「フランチェスカ」★★★★ 地獄編(神曲?)に登場するフランチェスカのエピの独自解釈。「ジュリエット祖母さん」★★★★ 老境の伯母と甥の淡い愛が残酷な現実によって、冷めた結末を迎える。超傑作短編集、アルゼンチン文学の始祖、必読!
2009.09.15
イスマイル・カダレ「夢宮殿」東京創元社アルバニア作家のディストピアSF。良家の子息が国民の夢を管理する夢宮殿という役所に就職し出世する話。皇帝と正解の有力氏族が激しく対立し、暗闘のあげく、有力氏族が勝利し、主人公が長に上り詰めるが、民衆的な幸福とは切り離された感覚に陥り、泣く。アイデアは独創的で面白いのだが、筋運びがだらだらしていて今ひとつ。もったいない。
2009.09.15
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伝奇集俺が本を読み、なかんずく(哲学、理論書の類を別とすると)SFや幻想文学を好むのは、人類の知の統合欲求がむちゃくちゃ強いからである。人間は、対物的権力欲が強い(他人や環境を支配したがる)ものと対概念的権力欲が強い(知識や真理を支配したがる)ものに分類できるが、俺は後者に属する人間である。このため、小学生が牛乳瓶の蓋を集め、政治家が金や名声を集めたがるのと同じように、俺は有史以来の人類が一度でも思いついたか、あるいは将来思いつく可能性のあるすべての発想を知り、かつ、それらのすべてを、自己の脳内の部分として組み込みたいという強烈な渇望がある。それは対物的権力願望人種のごとく対物支配の手段ではなく、俺のような対概念的権力願望人種の場合には、全く逆に対物支配は対概念支配の手段に過ぎず、あくまでも概念支配こそが欲望の直接の目的なのだ。例えば、官僚が地位と名声を支配して快感を覚え、好色男が寝た女の人数をノートにメモして快感を覚え、ヒトラーがドイツ民族を統合しユダヤ人を虐殺して快感を覚えるのと全く同じように、俺の属する人種は、さまざまな知的着想、概念の類を自己の体系下に隷属させ支配することで快感を覚えるのである。そのような観点からすると、俺が単に国内や英米の限られた通俗小説を読むだけで満足できるはずはなく、非英語圏の言語や文学のすべてを自己の体系の中に隷属せしめたいという権力欲求を抱くのは、人間、いな、動物として当然の本能なのだ(∵生物とは、広義における「権力への意志」である)。その一環として、俺はラテンアメリカ文学にちょっかいを出している。ラテンアメリカ(アルゼンチン)文学の隆盛の端緒に位置づけられるボルヘスの作品を読み、自己の体系内に位置付けることの重要性は自明だ。このような観点から、本書「伝奇集」はどうか。知的総合化の達成の観点からして、この本を読むことが高いコストパフォーマンスを達成するためには、この本が中南米文学の特徴を代表する側面を有していることが必要だろう。本書はボルベスの「汚辱の世界史」に次ぐ書籍であり、実質的には最初の短編集である、とされる。しかし実際に読んでみると、普通に短編小説と呼べるものは、終盤に入っている「結末」「南部」の2編ぐらいしかなく、あとはアイデアや夢のメモやあらすじ、ギャグめいた架空書評、架空の書物や建物に関するメタフィクション的論評のようなものばかりだ。確かに数々の奇想には、「マジック」リアリズムの先駆としての意味を認めることができるが、その手法は徹底的な反リアリズムであり、わずかに緻密を装った執拗な擬似論理文体に親リアリズム性を認めうるにすぎない。結局マジック「リアリズム」とは呼べず、むしろこのスタイルは、レムの後期の架空書評やメタフィクション群、あるいはバラードの濃縮小説群との類似性の印象を強く持たせる。実際、レムやバラードなど、20世紀後半の頭脳派シュルレアリストの大半はボルヘスからの影響が相当強いのだろうし、俺としても、本書を一読して、本書は中南米文学という地理的区分の仕方よりも、むしろメタフィクションやシュルレアリスムといった横断的分類における、無国籍的な重要作、代表作として位置づけるのが妥当だろうと感じる。本書は「八岐の園」(1941)「工匠集」(1944)の2部からなり、前者は8編、後者は9編の小編にそれぞれプロローグがついている。そして、前者に含まれるのは大半が架空書評のようなメタフィクションであり、後者のほうがより小説らしいものを多く含んでいる(とはいえ、物語的抑揚には乏しく、あるとしても完全に「あらすじ」である)。ボルヘスがなぜ当時(特に1941年時点)、このような作品しか書かなかったのか、その理由は「八岐の園」プロローグに明記されている。「膨大な書物を物すること、数分間で語りつくせるひとつの着想を5百ページにわたって展開するのは、労のみ多くて功少ない狂気の沙汰である。もっとましな方法は、それらの書物がすでに存在すると見せかけて、要約か解説を差しだすことだ」「より論理的で、より無能で、より怠惰な筆者は、架空の書物にかんするノートを書く道をえらんだ」ブラボー、といいたい。そう、要約や論評という形をとることで、プロット構成やキャラクター、舞台設定などの肉付けや、読者を楽しませる文章力といった実力のなさを露呈することなく、自己の着想を、より高密度に発射することができるのだ。真に概念支配者たるもの、やはりこれぐらい腹黒くなくては。今後はことあるたびにこの文章を自己弁護に引用させていただくつもりだ。作品ごとの簡単な論評。「八岐の園」より「トレーン、ウクバール、オルビス・テルティウス」★★★★★は最も有名にして、集中でもベストの作品、かつ最もSFらしい作品だ。ウクバールという架空の国のことが記述された百科事典が発見され、次第にこの架空が現実を侵食していくという話である。改変歴史、量子力学、多元宇宙SFの先駆であり、たとえばメアリ・ジェントルの「アッシュ」のような作品がこの作品を下敷きにしていることは一目瞭然。「アル・ムターシムを求めて」★★★、「ドン・キホーテの著者、ピエール・メナール」★★★★の2作は架空の書物の書評ものである。いずれも、小説の基本ルールをあえて笑うような奇抜な内容の小説を紹介し論評するスタイルをとっていて、恐らく作者は実際にこういった作品を書いてみたいのだけど「より無能で、より怠惰」であるがゆえにかなわない、そこでアイデアだけを記し論評する形で、表現欲求を満たそうという欲求実現効率の最も高いスタイルをとったのだろう。この2編では、「ドン・キホーテ」を丸々書き写しただけなのに、作者・時代背景が変わることでその意味合いが全く変わるのだと大真面目に力説する後者のふざけた面白さが抜群に際立っている。「円環の廃墟」★★★は有名だが、今読むと特別たいした作品とは思われない、普通の「夢の中の夢」ものの幻想小説である。「バビロンのくじ」★★★1/2は、くじを重要視するバビロンのある国家がくじに対する民意の変遷によってどんどん異常な社会システムへと逸脱してゆく様を素描する、シミュレーション的なSF作品である。着想は面白いがやはり素描だけなので、今ひとつ物足りない。これなどは実際に長めの小説として肉付けして書いたほうが面白いだろう。「ハーバート・クエインの作品の検討」★★★★1/2は架空書物の書評ものだが、第1章から第2、第3章へとストーリーが「過去へ」遡りながら「分岐して」行く小説という着想が抜群に面白い。面白すぎて、実際に書いてみたくなるほどだが、誰も実際に書いた人がいないようだし、やはり難しいのだろうなと思う。「バベルの図書館」★★★1/2はこれまた有名作品だが、やはり今読むとそれほどインパクトはない。あらゆる文字の組み合わせの書物をすべて所蔵する巨大な図書館という着想はたしかに書物狂の理想郷だが、ここまでディテールを追究するとただの偏執狂にしか見えずついていけない。ただ、言語表現一般に対する比喩的な論評だと考えて読むとなかなか面白い。「八岐の園」★★★★は唯一、物語らしい体裁をなしているものの、「ヨーロッパ大戦史」の一部の引用という形態においてであり、やはりメタフィクション構成である。表面的な筋は、ある追い詰められたスパイが殺人によって情報を味方に伝える話だが、本作の読みどころはむしろ、中国学者との「分岐して行く未来」に関する文学論議の部分にある。この議論とストーリーがかみ合ったきれいな作品。ただ、簡潔すぎるがゆえにやや難解で読みづらいのが難点といえば難点。「工匠集」より「記憶の人フネス」★★★★★は「不眠の長々しい暗喩」だそうだが、そんな執筆動機とは無関係に、「超絶的な絶対記憶能力を有するがゆえに、抽象的思考能力を有しない」という逆説が最高に面白い名作。「刀の形」★★★★は珍しくちゃんと物語になっている。頬に傷のある男がその傷の由来を物語る。とはいえちゃんとどんでん返しがあり、結果的に「信頼できない語り手」物になっているのが一筋縄で行かない。「裏切り者と英雄のテーマ」★★★1/2はある着想のあらすじを記したもの。歴史上の出来事や文学作品をなぞるような「事実」が次々と起こる中で自らの暗殺を「演出」した劇作家の話。フィクションが現実を改変するというテーマの一ヴァリエーションといえるが、いささか簡潔に過ぎるかも。「死とコンパス」★★★1/2は幾何学的シンメトリーを有する「見立て殺人」に巻き込まれいつしか刑事側もそれを演じ始める話で、やはりフィクションが現実を支配するパターン。作者はこのテーマが相当お好きなようだ。「隠れた奇跡」★★★★は、死刑判決を受けた男が執行の直前、時間を停止させ、1年掛けて自作の戯曲を脳内で完成させる話。プリーストの某短編と似た着想で、作者にしては珍しく読みやすい。「ユダについての3つの解釈」★★★は題名どおりの内容で、キリスト教に興味のない俺にはイマイチつまらない。「結末」★★★は普通小説。寝たきり老人が復讐のための決闘を目撃する話で、ただの場面スケッチに終わっていて今ひとつ。「フェニックス宗」★★★は架空の宗教の論評だが、新味には乏しい。「南部」★★★も普通小説。不注意で敗血症になった男が療養先へ行く途中で言いがかりをつけられ命の危険にさらされる話で、作者の自伝的要素(眼のケガ)があるそうだが、やはり物語として中途半端で今ひとつ。
2009.09.13
「アルゼンチン短編集」バベルの図書館20 国書刊行会その図書館は隣町にある。俺はかぶと虫を拾ってその図書館へ行った。空には月が出ている。図書館はレンガ造りの古い建物で、館長はホルヘ・ルイス・ボルヘスという中国人だ。俺が正面玄関を潜ると、多数の機械蝿が押し寄せ、俺の体を消毒する。消毒が終わり、俺は廊下へ進む。左右に沢山の扉が並んでいる。俺は「アルゼンチン短編集」と題された20号室の扉(左側にあった)を開く。入ると中央にロッキングチェアがあり、正面に紫色の霧のかかった空間がある。俺はいつものようにチェアに腰を下ろし、その空間を見つめる。9人の顔とともに題名が表示される。「イスール」「烏賊はおのれの墨を選ぶ」「運命の神様はどじなお方」「占拠された家」「駅馬車」「物」「チェスの師匠」「わが身にほんとうに起こったこと」「選ばれし人」。俺はキーワード「SF」を念ずる。すると、「イスール」「烏賊はおのれの墨を選ぶ」「わが身にほんとうに起こったこと」「選ばれし人」の4つのサムネイルが点灯する。しかし、うまいものは常に最後まで取っておく性癖を持つ俺は、例によってそれらを後回しにし、消灯している5つのサムネイルを先にクリックしていく。9作すべての再生順位を登録すると、俺は没入ボタンをクリックする。「占拠された家」(コルタサル)に俺は没入する。この監督の作品は、25年前に「石蹴り遊び」という長編を見た。また最近、短編集を見たが、やたら精緻な世界像を構築し、幻想的なモチーフを入れるにもかかわらず、物語的抑揚がほとんどない退屈なものが多かった。本作はどうだろう。俺はある古い家に住む兄妹のうちの兄に転移している。俺も妹も独身のまま中年に差し掛かり、地代や利息などで生活しながらこの古い家に住んでいる。しかし、ある日突然家の半分が正体不明の何者かに占拠され、やがて残り半分も占拠されてしまう。結局俺と妹は、家の外に追い出されてしまった。俺はアホらしくなり没入を中断した。占拠者が何者かという暗示すら全くない。古い家に住む兄妹という得意なキャラクター設定も全く必然性がない。公平に見て凡作だろう。★★1/2次、マヌエル・ムヒカ・ライネス「駅馬車」。俺は白人中年女になっており、駅馬車に揺られている。俺は独身のまま死んだ妹の財産を相続し、裕福な生活を送っている。しかし、同じ馬車の乗客の中に妹がいるではないか! 駅馬車は転倒事故を起こし、俺はパンパの中央に置き去りにされる。体が金縛りにあって動かない。妹を乗せて馬車は去る。俺の死体を狙う猛禽類の声が聞こえる。あまりのつまらなさに俺は没入を中止した。これまた陳腐な怪談に過ぎない。★★1/2シルビーナ・オカンボ「物」。俺はカミラ・エルスキーという20歳の娘になっている。俺はローズカットのルビーのついた金のブレスレッドを誰かにもらうがなくしてしまう。それから長い人生のうちに、次々ともらい物などをなくす。ところがある日、なくしたはずのブレスレッドを拾う。それ以来、次々となくしたものを発見し、いつの間にかなくしたものに囲まれている。そして遂に俺は、黄泉の国の人になっている。アホらしい。★★1/2。俺は没入を中止する。フェデリコ・ペルツァー「チェスの師匠」。俺は町の社交クラブである白髪紳士からチェスを習う。ある日紳士は俺を、「あなたのチェスの腕前はもうほとんど私と同じぐらいだ」とほめた。俺は紳士が町を去る直前に真剣勝負を申込み、ほとんど互角の状況に持ち込んだ。しかし次の一手で、あっさり俺は詰んでいた。俺が紳士に名前を尋ねると、彼は言った、「神」。これはひどい、ひどすぎる。★。金返せと思いつつ、俺は没入を止める。アルトゥーロ・カンセーラ+ピラール・デ・ルサレータ「運命の神さまはどじなお方」。俺は冴えない鉄道馬車の御者だったが、牛車との衝突事故を起こし、重症を負う。そして手術の失敗で片脚が短くなりビッコ引きになってしまう。その後も俺は(交通手段の発達により、馬車の御者には歴史的、観光的な役割しかなくなり次第に閑職に追いやられつつも)御者を続ける。しかしその後、社内の客の話に耳を奪われて発車に遅れ、慌てて暴走し、再び大事故を起こしてしまう。俺はことの真相に気づく。運命の神ははじめ俺の左脚を折る予定だったが30年前に失敗、その後の衝突事故でも間違えて右脚を折ってしまい、30年後ようやく左足を折るのに成功したのだ、と。表面的なストーリーはくだらないようにも感じたが、体験の間中、俺の脳には歴史の奇妙さ、運命のいたずらに関する歴史哲学的な思弁が絶えず流れ込んでくる。なかなかためになるフィルムだと感じた。★★★1/2.いよいよSFに入った。まずは境界作品っぽいマリア・エステル・バスケス「選ばれし人」。この女監督はボルヘス館長の助手兼愛人らしい(とはいえ館長が性的不能なのは有名な話だから、プラトニックな意味でだろうが)。俺は有史以来の歴史上の様々な出来事の記憶を有する骨董屋の息子になっている。普段は忘れているが、新聞上の詩を読むなどすると、俺が受けている数百年にも及ぶ刑罰のことを思い出す。そしてある少女を見たことがきっかけで「あの方」との遠い記憶がよみがえる。光の王、イエス・キリストが俺、ラザロを墓から解放し、敵意に満ちたこの地上に俺を置き去りにしたことを・・・。これはすごいと思った。キリスト教の知識があまりない俺ですら、かなりインパクトのあるオチであることが分かる。★★★★。さすが館長の愛人だ。マヌエル・ペイロワ「わが身にほんとうに起こったこと」。俺は友人の事務所を出た後、街角で同じ男の現在の姿、前日の姿、翌日の姿を立て続けに見る、という驚くべき体験をする。俺は自分の絶対記憶能力をフルに用い、毎日同じ場所でその男を観察し、確信を抱く。そして、この男を通じて、自分の亡母などの姿をよみがえらせることを思い立ち、男の協力を仰ぐため尾行して依頼するが、にべもなく断られる。それ以来、俺は二度とあの男に会うことはなかったのである。着想はよいのだがオチがつまらないと思った。★★★。カサレス「烏賊はおのれの墨を選ぶ」。題名はエミリ・ディキンスンの有名な詩のもじりか。俺はある村で教師をしていたが、教え子のドン・フアンから、義父に言われたから教科書をかしてほしいといわれ貸してやる。やがて、それを要求していたのが地球を救いにやってきたエイリアンなのだといわれる。しかし俺たちは中を覗くことを拒否し、ドン・タデイートという男に様子を見るように依頼、結局、「そいつは死んでしまった」と言われる。ビジャロエルという男が俺に言う。「ドン・フアンはね、人間とは限られた存在であるという法則に従って生きるほうを選んだんだ。私はその勇気を讃えたいね。われわれは二人とも、ここに思いきって入ってみようとさえしなかったんだから」。俺は言った。「もう遅いですね」。さすが「モレルの発明」「脱獄計画」という名作SFを書いているカサレスだけあって、正真正銘のエイリアンSFであり、かつ、アンチSF、文明批評SFにもなっている。★★★★。レオポルド・ルゴーネス「イスール」。俺は、「サルとは何らかの理由で話すことをやめてしまったヒトである」という信念のもと、サーカスの競売でイスールというサルを買い、言語を教え始める。しかしサルはなかなか言葉を覚えず、とうとうぶちきれた俺はサルを虐待してしまう。サルは衰弱し、いまわの際にとうとう言葉を話す、「ご主人様、水を、ご主人様、私のご主人・・・」。そう、サルたちはヒトの暴虐に倦み、拒否の意思表示として自ら言葉を棄て、下等な動物のように振舞うようになったのだった・・・。衝撃的な傑作だと思った。1906年という最も古い年代のこの作品がいちばんすごい! 『奇妙な力』という短編作品集に入っているそうだ。反進化もの、言語もの、動物学ものとしても出色の奇想傑作SFだと思う。★★★★★。俺はこの作品のコピーをとり、自作コレクションに加えることにした。この監督はこの図書館に『塩の像』という専用の部屋がある。今度行ってみようと思った。
2009.09.12
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脱獄計画「モレルの発明」の延長線上にあり、かつ、更に精緻度を高めた大傑作。表面的なストーリーは、「モレル」と同様、ウェルズの「モロー博士の島」に対する一種のオマージュであり、孤島物のマッドサイエンティストSFである。ある非常に魅力的なSFアイデアが謎の核心として存在している。それは「モレル」と同様、人間の認識、知覚の本質、現実とはいったい何なのかといった、認識論や存在論の哲学的領域にまで踏み込むアイデアであり、例えばSFで、プリーストやディックが追究しているのとも共通する。しかも、ウィリアム・ジェームズの認識論や、共感覚現象に関連したそのアイデアは、「モレル」のそれよりも、奇想度においてかなり上回っている。この作品が更に凄いのは、メタミステリ、メタフィクション的な構成の徹底にある。「モレルの発明」も「信頼できない語り手」物の一面を持っていたが、本作ではその要素が更に前面に押し出され、作品全体を支配している。すなわち、本作品は、表面的な主人公であるアンリ・ヌヴェールが語り手ではなく、彼が伯父に書き送った手記をもとに、その伯父がアンリの行動を日記形式で描写する、という凝った構成をとっているが、この一族の内部対立を反映し、叙述内容が故意に歪められている。その結果、ここに叙述されている内容が事実かどうか自体がすでに疑わしい。冒頭に付されている日付も不自然で年号も明らかでなく、叙述される出来事や人物像などもことごとく、どことなく辻褄が合わない。解釈のしようでは全く違った世界像が見えてきそうな錯覚に陥る。そしてこの不確かな感覚が、まさに終盤で明かされるメインアイデア(ちなみに、それは作中で起こる密室殺人?のトリック解明をも兼ねている)の内容、メインテーマと密接に結びつき、作中のマッドサイエンティストの核たる主張が、そのまま作品全体の構成としても表現されているという凝った構成になっている。叙述トリック系のメタミステリが好きな人、ジーン・ウルフの「ケルベロス第五の首」やプリーストの一連の作品が好きなSFマニア、哲学的な小説が好きな文学マニア、いずれにも勧められるマルチな内容を持った大傑作。10/10点。
2009.09.10
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通訳16ヶ国語を操る通訳が原初の普遍言語にとりつかれ、通訳業務に支障を期待して解雇され、失踪。この男に原初言語を感染された主人公も業務に支障をきたし、退職。通訳を診察した精神分析医を訪ね、言語療法を受ける。患者たちは様々な外国語を勉強させられることで精神の安定を取り戻そうとしているが、一向によくなる気配は見えない。主人公は退院し、失踪した通訳が持っていた都市のリストをもとに、この通訳の謎を追ってルーマニアに赴くが、やがて恐るべき謀略に巻き込まれるとともに、普遍言語による精神の崩壊も進行していく。遂には倫理観念が破壊され、連続強盗犯人として指名手配の身となる。やがてある好事家の富豪に保護され、彼とともに謎を追求するが、富豪はイッカクの角を腹に刺した死体となって発見される。そして何者かのメモに誘われ、主人公はリストの最後の都市、リガへと向かう船に乗る。そして遂にあの通訳と再会し、普遍言語と謀略の正体を知る・・・・・・というストーリー。印欧語族の共通祖語からさらにより原始的な言語、動物たちが話している普遍言語へと遡るSF的着想、その発作に見舞われた者が生物の進化を再現するような様相を呈するという描写など、核となる部分は非常に面白く、また波乱万丈なストーリー展開もエンターテインメントとして楽しめる。ただ、人物や組織の行動がどうにも不合理で、回収されずに終わる伏線などもあり、小説としてのまとまりはあまりよろしくないのが、もったいない気がする。あまりきちんとプロットを組み立てて書かず、出たとこまかせでストーリーをひねり出しているような印象で、メインアイデアに関する突っ込みも今ひとつ浅い。3作目の長編だそうだから、もう少し経験を積み、プロット構築技術を高めればもっとよい作品が書けるのではないかと思う。7/10点。
2009.09.07
パオロ・ヴォルポーニ「怒りの惑星」松籟社 イタリア叢書核戦争後の荒廃した地球。サーカス団を抜け出したマントヒヒ(ボス)、鵞鳥、象、奇形の小人(もと糞拾いで一番の下っ端)の「4人」が、荒廃し殺伐とした世界をさまよいながら、「理想の王国」建設を目指し、圧制的な文明社会の残党のボスである総督モネータ(4人組が馬鹿にして勝手につけた名称で、「お金」という意味)の一派と戦う話。設定だけ見れば普通のポストホロコーストSFに見えるのに、糞尿まみれのグロテスクで強烈な文体や情景描写のゆえに、ぶっ壊れたダークファンタジー風の寓話になっている。序盤、顔に手を突っ込めるほどの穴があったり、心臓の下がたるのように膨らんでいたりする小人の風体、四六時中糞をする鵞鳥、暇さえあれば自慰しているマントヒヒ、トイレでの糞便を通じた小人とマレー人尼の性描写など、強烈な変態的描写のオンパレードに若干辟易し、解説の著者や作品の解説などを参照して予備知識補填。この作者はオリヴェッティという企業の第一線でバリバリ働き、社長にまで抜擢されたのにそれを断って作家になったという変わった経歴の持ち主で、企業人時代の体験がよほど嫌だったのか、徹底的な反文明主義者、反科学技術主義者、自由主義者、実存主義者となり、発表するほとんどの長編で一貫して商業主義・企業主義の文明に対する違和感を描き、その挙句、本作でリアリズムの手法を完全に捨てて、反リアリズム的手法で痛烈な文明主義批判、自然賛歌を謳いあげた、ということらしい。この予備知識によって初めて本作の製作意図が腑に落ちた。動物や奇形の人(小人)を見世物にするサーカス団はまさに差別主義的、反自然的な企業文明の象徴であり、そこから脱走する小人と動物が本作の主人公として、文明と戦うという構図はまさに<自然対文明>という対立図式そのままである。この4人組の中で小人がいちばん下っ端としてその地位に甘んじるのも、人間と動物の地位を転倒させることで反文明主義の立場をよりいっそう明確にする意図があるかもしれない(少なくとも作者の潜在意識で)。糞尿・性・殺戮などの執拗な描写は、汚穢や性などの文明によって禁忌化される領域を故意に解放することで、自由主義の立場をより明瞭化するものであろう。そして、小人の思考と、鵞鳥の糞尿とが類似する存在として捉えられ、糞尿を躊躇せずその場で垂れ流す行為は、文明の抑圧によって鬱積した思考(憤懣)もまた躊躇せず垂れ流す行為を象徴するものであるかのように描かれていると思われる。小人が敬愛する人物が<様々な鳥の歌を歌える男>であることは、鳥の歌=自然に耳を傾け理解する能力を持った人間こそ、文明化による地球と人心の破壊に抵抗し、自然と調和する道を切り開く力を持った人間なのだという作者の主張を暗示している。この作者の徹底した文明憎悪の思想は、終盤のラスボスとの死闘において小人がラスボス(総督)に対して投げる言葉の中で、明確に表示されている。「お前は、偽も本当も、人間なんかじゃあない。お前なんか人間の終りの人間でしかないんだ。お前は人間の本性をゆがめ、ほうり棄てた人間だ。だからお前は糞なんだ、糞にすぎんのだ!・・・・・・お前はばかでかい糞なんだ、なぜならあの憲兵かサツかの野郎が三百人のその大隊全員でたったひとりの哀れな反乱奴隷を攻撃しに出かける前に本部でチョコレートを盗み、空豆や、プラム・ケーキや・・・・・・をたらふく腹に詰め込んだからさ。それとも、判事の陰気で忠実なペ**から憲兵のケ*の穴に入れられた秩序と進歩の息子たる糞だ!・・・・・・お前はもちろん自然のサイクルとしての糞じゃあない。お前は無理な流通によってためこまれた糞の山だ。・・・・・・研究や学問としてではなく、権力の人為的な理由としての人工だ。・・・・・・権力として自然から遠ざかり続けなければならないんだ」そして、ボスのマントヒヒは総督を倒したあと、超小型核ミサイルで命を落とす。残された3人は文明の足枷をようやくかなぐり捨て、3つのデタラメに動く月を目指し、完全な自然、自由の王国へと踏み出してゆく。このことを象徴するように彼らは結末部において、体内のすべての糞便を排出しつくす。ラファティのユーモラスでマッドな寓意性に、ウィリアム・バロウズの過激なパンク精神と破壊衝動を結合した、まさに怪作にして、文明憎悪・自然回帰賛歌の快作である。この作者、他に「メモリアル」「アンテオの世界」が訳されているが、邦訳に限らず未訳作品まで含めて読んでみたい気がしている。
2009.09.05
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ディーノ・ブッツァーティ「石の幻影」イタリア作家の中短編集。「石の幻影」★★★★短めの長編といってもいいぐらいの長さ。マッドサイエンティストもの、人工知能もののかなり本格的にハードなSFで、軽めのファンタジー短編が多い作者だけに驚いた。ある学者夫妻が、巨大コンピュータ(人工知能)の言語解析の仕事の依頼を受けて赴くと、その巨大コンピュータは、設計者が自らの死んだ妻を模して作り上げたもので、その妻の記憶や感情を持つようになっている。しかし、生身の肉体を持たない状況を苦痛に感じるや、暴走を始め、主人公の妻に危険が迫る・・・。カサーレスの「モレルの発明」と同様、女への愛を達成するためにすごい機械を作り出す話であるが、哲学的メタフィクションへと突貫するカサーレスと対照的に、ブッツァーティの本作は良くも悪くもパターンどおりの展開をし、エンタメ的収束をむかえる。最後に繰り返される「誰が私に誰が私に・・・」の連呼と、「盲目の無数のコンピュータが果てしなく数字を並べ続ける」光景の呼応の不気味さが秀逸。人間的な精神のアイデンティティなど、コンピュータの機械的単純作業と紙一重であるといわんばかり。以下、ショートショート5編。星新一並にうまく、やはり作者の本来の才能はここにありそうだ。「海獣コロンブレ」★★★★コロンブレという幻の海獣を見た少年が再びその姿を見ようと頑張るうちに社会的に大成功する話。オチに至るまで、実に巧い。「1980年の教訓」★★★★★筒井やブラウンが書きそうな、見事な風刺小説。戦争に明け暮れる人類を見かねた神が、権力者を周期的に突然死させ始めると、人々はこぞって権力を押し付け合い、逃げ回るようになる・・・。最高に面白い。「誤報が招いた死」★★★★新聞で訃報を誤報された男が新聞社の勧めで死んだふりをして、自分の絵の価値を吊り上げてもうけようとする。しかし、彼の幸福も長続きはしなかった・・・。「謙虚な司祭」★★★★1/2他人にほめられてうれしくなることに罪悪感を感じ懺悔に通ってくる司祭がどんどん出世し、遂には・・・という話。かなり筒井ぽくって大笑いした。「拝啓 新聞社主観殿」★★★★1/2ブッツァーティから新聞社への手紙をここに公開! なんと彼の作品は実はゴーストライターから買ったものだった・・・というメタフィクション的ギャグ。最後にこの作品を置くなんて、まるでこの本自体が実はゴーストライターの著作みたいで笑える。これは編者のセンスを褒めたい。
2009.09.01
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