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しかし、半年以上が過ぎ、連絡も来ないから、その掲載はもはやないのかと思っていたのである。 予算の執行期限の年度末(三月)を過ぎた四月の終わりに出版元に出かけてみた。 果たして冊子は完成し、出版されていた。 あっと心の中で叫んだ。 思わず頬(ほお)が緩んだ。 思いの外、丁寧に作られていた。 これまでに公共機関の発行する冊子で三年間記事をつくり、掲載した経験があるが、ほとんどがペンネームであり、署名記事は三本しかない。 それゆえ記事タイトルの下欄と目次欄にフルネームで署名されたのは私にとって慶事の一つと言える。 何よりも講演会での講師としてのプロフィールに共著ながらその旨を謳(うた)えるのである。 その冊子はアート紙を用い、豊富な量の貴重な写真を活用し、必要に応じイラストを配している。 販売価格はその装丁、内容から見て廉価で手が届きやすいものになっている。 これには理由がある。 補助金が交付されていると奥書付近に記されている。 また、編著者は同じだが同じ内容の冊子が別の団体からタイトルを格調高く、学術的名称に変え、いわゆる報告書としての体裁を整えて出版されている。 と、その事務所の張り紙に記載されていた。 ここにも補助金交付事業と明記されている。 余談ながら私のプロフィールの一部として著書名を記載する場合はこちらにする予定である。 さて、関係者には配布済みだから、私がそれを手に入れたとき、既に残部僅少状態だと言われた。 私にも印税代わりに配布された。 予算の関係で現在のところ再版の予定はないとか。 記念にその残部のうちから有償でさらに何部か分けてもらい、これまでお世話になった人たちお渡ししたいと思っている。 私の中でまた一つステージが上がったのを感じた。 仮に望みを一つ言えと言われれば、権威ある公共機関か図書館の広報誌の書評欄で近い将来に良い評価を受けられればと思っている。 もし、それが実現すれば望外の喜びとなる。 ”意思があれば、道は開ける”、いまそう思っている。 かのリンカーン大統領もそう言っていた。 その昔、月に降り立った最初の人は言った。 「一人の人間にとっては小さな一歩だが、人類にとっては偉大な躍進だ」。 その伝で言えば「人々にとっては小さな一歩だが、私にとっては限りなく大きな躍進だ。 最初の偉大な一里塚だ。」と書いておきたい。 私が冊子をもらった次の日に図書館からそれを取りに来たという。 それはこの記事を執筆している時点ではまだ登録されていなくて市民の人はみることができない。 やがて順次登録され、OPAC(Online Public Access Catalog 電子蔵書検索システム)で検索できるようになる予定である。 そうそう、地元の新聞社が取材に来て、出版の記事を載せてくれたと聞き、ネットで確認したら確かにあった。 電子版は有料のためリードの部分だけが読めた。 別の人が同内容の記事を作成していてそれも確認した。 地元紙の記事を図書館で確認したいと思っている。
2015年10月31日
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ページをめくる、この瞬間のときめき(期待や喜びで胸躍る状態のこと)、これは紙の本しか味わえないでしょう。 次のページに広がる世界へそれですね。 その期待があるのです。 本のサイズや段組の有無などで字数は増減するが数百字からその倍数までで構成される広がりがある。 難(むつか)しい言葉で言うと余韻(よいん- 事が終わったあとも残る風情や味わい)がページをめくる瞬間とその後次のページの最初の文字が目に触れる直前にそれがあります。 電子出版された本をタブレット等の電子機器の画面でページをめくる機能があります
2015年10月30日
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チャンスを活かすことでそれが実績(事績)となる。 勝利の瞬間からその努力の経過を見守り、その成長を確認することが関係者(支援者含む)の喜びと同一になり、さらに支援しようと力が入るものなのだそうだ。 勝利者がその幸運(強運)を自覚し、それをもその後を戦う武装の一部として纏う、それを自身の魅力とする。 その夢が実現し、定着したときにこそ、本当の喜びがジワッと湧いてきて力一杯応援したことで発生する疲れは安眠を誘うものとなり、全身を充実感が埋め尽くし、明日も頑張って生きていこうと思う活力の素となる。
2015年10月30日
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結婚とは思い入れと誤解と幻想の入り交じったもので始まると考える筆者にとってはその時点で悪口の対象となっている配偶者を選んだのは”アナタ”であるのだと言いたい。 そんなに見る眼のない自分を反省しないで相手にばかりか自分の思い入れをカタチにしろと要求するのはおかしいと想わねばならないのにそうしない、えて勝手(わがまま)な存在なのだ。 蛇足ながら、”えて”は本来は”得手”と漢字で書かれるがここでは”猿”を意味する”エテ公”を想記してもらいたくてこう表現した次第である。 さらに言うと殊更(ことさら)女性が嫌いなのではない、似非(えせ)なる人間が好ましくないのである。
2015年10月29日
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資料の中身はこれまで精査しているから資料を講演する順番に並べ、ひとつひとつをていねいに解題すること自然に講演で話す内容がその場で構成され、通して見ると全体として一本の講演として成り立たせたのである。 こうした経験は以前にもあるから、そうすることにした。 だから結果として巧くいったのではない。 ただ、今回の講演はオーディエンスにとっても私の今後の予定についても入門編にあたるものだからそうしたのであって、良い加減(ええかげん= わがまま)でなしたのではない。 今後の連続する予定の講演の最初の部分にあたるから私の意気込みが原稿に反映し、それがオーディエンスに伝わるのを恐れたのである。
2015年10月29日
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世の中には同好の士がいて、たちまち初版の本が5分冊で一分冊が数千円するにもかかわらず完売したとか。 その興味を持つ人に取ってはこの上ない貴重本なのだそうだ。 さて、その価格でも赤字なので再版するのを拒んでいたところ、再版の要望があまりにも大きいので仕方なく5版まで重ねてしまったとぼやかれていた。 それでいて苦笑の中にそこはかとない満足感が見えるように思えた。 その時私もかくあれたら密(ひそ)かに思った。 テレビ放送で施設内におかれていたその本を紹介したところ、一週間のうちに二回も放送された影響...
2015年10月28日
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到達点の高さがステータスの高さを保障する社会にいればそれが正当なものであるといえる。 しかし、現実にはそんな単純な世界でない場合が多いことを認識しておく必要がある。 複雑な利益や人間関係やそのチカラ関係が絡み合うから、そのなかで居るべき場所を確保し、自己をアピールし、ステータスの維持と向上をすることは難しいのである。 それを維持していくことが成功とよばれるものであり、成功者として高いステータスを得る。 そこで高い評価を維持し、名誉を得ることに成功すれば”場”の維持ととともにその道の権威となり、尊敬の的となり、影響力を持つに至る。限界と極限の差 試論2その2
2015年10月28日
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私が冊子をもらった次の日に図書館からそれを取りに来たという。 それはこの記事を執筆している時点ではまだ登録されていなくて市民の人はみることができない。 やがて順次登録され、OPAC(Online Public Access Catalog 電子蔵書検索システム)で検索できるようになる予定である。 そうそう、地元の新聞社が取材に来て、出版の記事を載せてくれたと聞き、ネットで確認したら確かにあった。 電子版は有料のためリードの部分だけが読めた。 別の人が同内容の記事を作成していてそれも確認した。 地元紙の記事を図書館で確認したいと思っている。
2015年10月27日
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最初の絶対的エースが意識するとしないにかかわらず、二次的な採用者はそれがたとえ身近な日数であったとしても、前者により圧倒的な技倆を見せつけられ、大抵の者は萎縮(いしゅく)せざるを得ない存在になる。 そこには一次の構成員が一定の評価を獲得したという事実(実績とも)がある。 ましてそれが特殊な世界の場合年齢に関係なく一日の長があれば前者を先輩と奉(たてまつ)らねばならない。 それによりその世界が成立している不文律というべきものがあるからで、従わざるを得ない。絶対的エースの存在の意味するもの試論 その3
2015年10月26日
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光があれば影(陰)もある。 上に立つことを好まず大きな責任を伴わないで組織内で無事最後まで務め上げたいといる人達が存在するのである。 ”御神酒徳利”と言ってコンビでしか行動できない人達もいる。 この場合は以上述べた存在とは無縁である。 上に述べたように組織に初めて加入した際の評価により序列が決定され、その後の組織での役割が決まるところがある。 伝統的な大きな組織で往々にしてみられるものである。 それは得てしてそれを否定される事も多いが、その構成員となり、将来がある程度保障されるのであれば、それに超した待遇と満足感はない。生き様 その8
2015年10月25日
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偶々(たまたま)テレビの情報番組で街角インタビューに応える人を視るともなしに観ていると”どの面下げて”ものを言っているのだと言う思いにとらわれることがある。 例えば、だらしなく伸びきった寛衣のようなTシャツの首ぐりからたれ落ちそうな豊満な胸の谷間の上部の合わせ部分が見えることを気にすることなく、長年連れ添った少しの行き違いの中で一瞬にして愛が冷めたという理由で別居中の配偶者の悪口を長々と”くっちゃべって(〔俗語〕 無駄なおしゃべりを続ける)”いるのをみるとその念(おも)いになる。
2015年10月24日
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しかし、オトナになればもっと熾烈な競争原理に基づく区別や陰惨な分け隔てが待っているのである。 自らの意思によりそれを回避することできるが、その社会から脱することを意味し、別の世界で位置から経験を積み確固たる位置を占めることができるまで努力しなければならない。 そうでない場合“頭を下げていれば、そのうち自分に不利益な要素が立ち去ることもある”と自らに言い聞かせていれば、やがてその意思で組織を動かせる時期がやってくるのである。 もちろんそのためには堪えることの他に不断の努力と向上心の維持が必要である。 因みにある組織の変化に要する時間は2~3年であり、絶えず新陳代謝を行っているという。”朝の来ない夜はない”のか その7
2015年10月23日
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その時代の”空気 気分とも”により礼儀が規範となり、生活をも縛る行動様式の基礎として機能するようになる。 最初、一部の限られた空間で尊重された儀式がやがて洗練され、その運びが機能美的な雰囲気を醸しだし、その重みを解せないものにはシンプルに映るがかもしれないがそれは従来煩瑣を極めることで神秘性を漂わせていたものがすべてを削ぎ落とすことでかえってその奥行きなり深みを懐かせるようになる。 それはそれを解し、それを執行する機関の強制力と強固な権威の確立があって初めて成立することなのである。礼儀とは? その6
2015年10月22日
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今回の講演の準備は講演実施日の3日前に思いの外気分が良くてその日の夕方にレジュメ作成を2時間で終えることができた。 焦ることなく体の回復と心の安定に努めた結果この日にレジュメ作成のためのピークに達することができたと言える。 その前提のためには原稿の作成が必要なのだが今回は講演時間が一時間のため調査した資料を並べるだけでそれをなすことにした。 その理由は後述する。 正味50分くらいの講演ならそれでできるのである。 学者ではないから厳密さを厳しく求められることはない。 かと言って間違ったことをしゃべるのではない。
2015年10月21日
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墓面には四代目秀の海幸右衛門と刻まれているものや千田川幸右衛門や秀之海幸左衛門とあり、磯嶋久吉とあるのが一番上になる。 四代目秀の海幸右衛門は大阪相撲ばかりではなく東京相撲でも戦ったことがある力士で正しくは五代目になるとか。 近年の長田区出身(?)の元大関貴闘力関に匹敵する人がいたのは確かみたいだ。 須磨区の車地区に勧進相撲の額が神社に保存されており、その奉納額が経年劣化等で読みにくくなっている。 それを全面的に翻刻したいのだが光学的な方法でなければ今までに私が翻刻した以上は困難である。
2015年10月21日
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先日”知ってる人がテレビに”という文章を電子空間で上梓(当ブログのこと)した。 さるローカルの朝の情報番組のMC的立場のタレントが散歩の出会いのコーナーに登場した施設と人について特化した情報が本放送とその週の終わりにそれらの中から特選したものを再放送するというのがあった。 その中で取材対象地域を巡り偶々(たまたま)出会った?人に興味を示した人物に食いつきその話を興味深げに聞くというスタイルの番組である。 ある時その人物が徹底的に取材し、その人なりの編集方針で個人的に自費出版した。”知ってる人がテレビに”
2015年10月20日
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これまでの勝利者の中にもよく観察してみるとそんな努力をしてその地位を保持しているものもいるのである。 今回の勝利者、今後の活動の次第ではまたぞろ疑惑の対象となることもある。 しかし影響力が大きいとはいえ、たかがイベントなのである、されど当事者やそれを応援する関係者にとってはその後を左右するものなのである。 当事者は興奮から覚めたときからそれこそ必死の努力をすることを関係者は期待している。 そのステップアップのチャンスを提示され、その称号も記録され、イベントの度に”歴代”として確認されることになる。
2015年10月20日
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最初の偉大な「一里塚だ。」と書いておきたい。 私が冊子をもらった次の日に図書館からそれを取りに来たという。 それはこの記事を執筆している時点ではまだ登録されていなくて市民の人はみることができない。 やがて順次登録され、OPAC(Online Public Access Catalog 電子蔵書検索システム)で検索できるようになる予定である。 そうそう、地元の新聞社が取材に来て、出版の記事を載せてくれたと聞き、ネットで確認したら確かにあった。 電子版は有料のためリードの部分だけが読めた。
2015年10月19日
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その絶対的エースの存在によりその後の不特定多数の支持が高まって行くとしよう。 組織というのは永続することが期待されるものだから、それを支える構成員を継続して補充してゆかねばならない。 絶対的エースの存在で不特定多数の一定以上の評価を獲得し、その継続性が期待できる時二次的募集をかけ、構成員を獲得する。 その中に最初の絶対的エースに匹敵する能力の者がいたとしよう。 それが早期に絶対的エースとして育てばその時の代表として先の者と拮抗するかそれを補完する者と期待されるようになる。絶対的エースの存在の意味するもの試論 その2
2015年10月18日
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だから役職に”副”等がついている時代はその微妙な立場と相反するように部下を育て、上役を目立たせる行動をしなければならないし、自己保存も併せて行う必要があるのである。 ある面では保守的であり、ある面では嫌われ役が期待されるそんな存在でもある。 それは堪忍を意味し、自己抑制が求められる存在でもある。 そこで人間性が高まるか停滞あるいは減退するかはその本人の責任とされる。 だから出来るだけその時代を早期に脱するよう努力する必要がある。 尤(もっと)もその立場が好きな人もいるから総じてそう言い切ることは出来ない。生き様 その8
2015年10月17日
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社会の一員にならないと生きてゆけないのが人間であり、それを学ぶために学校や地域社会がある。 その開始の時期にそれを教えるのはまず家庭の役割である。 社会の中で一員と認められる訓練を受けるのは地域社会であり、学校である。 その第一段階が仲間作りであり、それはとりもなおさず訓練を受ける同志を創るというものである。 その形成を怠った、あるいは失敗したものが差別なりいじめを受ける側になることが多いのである。 もちろんそれ以外の原因も有るのは否めない事実である。”朝の来ない夜はない”のか その6
2015年10月16日
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その権威の下(もと)で様式として認識され、関係を持つ。 それが積み重なり、煩瑣になっていくにつれ、その専門が生まれ特殊技能として認識されさらに解りにくくして行くことで神秘性を伴う権威を高めることになる。 これが文化として認められる(広く認識され、やがて確立する)とそこで品格が生まれ、制度として確立し、それが新たな権威、権力の一端を形成するに至るのである。 冒頭にあげた行儀が良いというのはその権威、権力を支持し、その枠組みのなかでその考え方、行動様式から逸脱しないということなのである。礼儀とは? その5
2015年10月15日
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その世界を極める努力を行うか否かをある時点で決める。 それが限界と意識する瞬間(とき)であり、その世界でのレベルを評価され、その後の活動の地位なり、位置を確定することになる。 その世界から別の世界に移行する機会も選択可能になり、受け入れられる努力と環境作りを自身なり、それを有用と認める周囲の人のサポートによりその世界で一定の場を得ることもある。 しかし、その場の幅と高さはそれまでの実績と交流の幅の広さと深さにより評価される。 ”場”を維持し、活動を続けるためには自己の意識の高さの保持と不断の自己研鑽と吸収力の早さを獲得し、高めてゆく努力が必要となる。 限界と極限の差 試論2 その1
2015年10月14日
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「”嘘だと思って”試してみると良い」 と2015年10月6日午前8時54分頃NHKの朝の番組「あさイチ」で女性MCが発言していた。 この表現はおかしいと思う。 私が考えるに「”嘘だと思っても”試してみると良い」が正しく思う。 嘘と断定しているのに試す必要はない。 その時はそれが嘘だと疑ってもその事実が実際は正しいかもという幅というかそうでないかもという許容される反対のものを含んでいるシロものであることがあろうとする受け止める側の余裕があるのである。 実際にそれを試してみたらその時それが”嘘”であると決めつけたことが案外そうでなかったり、”嘘” そのものと確認でき、それも経験として残り、失敗しないための警鐘のひとつとなる。 冒頭のように”嘘”と断定してしまうとその許容なり検証という行為が行われなくなり、大袈裟にいうと人類史に貢献できなくなるのである。 科学する精神というのは多くの失敗が失敗と認めることによりその経験のから真理なり、確信なり、原理を見いだすということをであると認識することから始まるのである。
2015年10月14日
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ようやく、夏の暑さの疲れがとれたみたいだ。とは言えそれは完全にではない。 熱中症にはならなかったが、 加齢によるのか、今年の夏の短期集中の高温の暑さが身に堪(こた)えた。 誰もこれについては発言していないが熱中症の一つの前駆形態なのではと密かに思っている。 それをどういう喩(たと)えをしたら解ってもらえるのか分らないがあえてそれを試みたい。 脳内の上部にやや重い筒を三本置かれた感じなのであった。 それが八月の地蔵盆を過ぎて九月のお彼岸を中心とするシルバーウィークの頃にかけてほぼ十日毎にそれが消えてゆく感じだった。 この期間は体に変調があったのか夜中に眠れないことがあり、二時間ほどの集中した睡眠がとれればよい方であった。 その場合今回の多くは休祝日になったからよかったと言える。 しかし、その疲れが癒やされて行く方向に向かっていって今日までに”快方”という表現が大袈裟(おおげさ)でないほどあった。 約二週間後に予定のある講演会にむけての準備がそれによりほとんど来ていないことが目下の懸案である。 これまでに記してきたように講演会当日にはその準備ができていてそれを行えるのである。 その追い込みの四日間ほどで従来より準備してきた結果がある。 前回は本当に講演当日の午前中までかかり、レジュメの印刷が終了したのが会場に向かうぎりぎりの時間だった。 その意味では苦しかったといえるし、結果的よくやったと言えるものである。 一ヶ月前に少し早い夏風邪をもらい、それがなかなか治らなかったことが原因であった。 すでに原稿は一部作成に取りかかっているし、その概要は二ヶ月前に仲間内で講演しているから後は講演会に来てくださる一般の方向けにいかに平易だが、まとまりのある講演内容とレジュメを準備するだけである。 向後、日々復調を行ってゆき、より良い講演を行いたいと思っている。
2015年10月13日
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その組織ではそれを”チャンスの順番”といい、”努力は必ず報われる”とするのである。 後者を言い続けた本人が程なくしてその組織から去り、新たなステージに進むのだという。 それを絵に描いたような”運び”が反って、あざとく思うのは私がヒネくれて、ものを斜めから見る思考の成せるワザ(技)なのかもしれない。 今回の勝利者がこの後精進に努め、与えられたチャンスをものにして、つかの間に提供される援助を一つ一つ活用し、それまでに抱いた夢の実現を成し、磨いてきたはずの実力を認知、さらに認定してもらい、トップクラスに定着していく必要がある。
2015年10月13日
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前回は本当に講演当日の午前中までかかり、レジュメの印刷が終了したのが会場に向かうぎりぎりの時間だった。 その意味では苦しかったといえるし、結果的よくやったと言えるものである。 一ヶ月前に少し早い夏風邪をもらい、それがなかなか治らなかったことが原因であった。 すでに原稿は一部作成に取りかかっているし、その概要は二ヶ月前に仲間内で講演しているから後は講演会に来てくださる一般の方向けにいかに平易だが、まとまりのある講演内容とレジュメを準備するだけである。 向後、日々復調を行ってゆき、より良い講演を行いたいと思っている。
2015年10月12日
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私の中でまた一つステージが上がったのを感じた。 仮に望みを一つ言えと言われれば、権威ある公共機関か図書館の広報誌の書評欄で近い将来に良い評価を受けられればと思っている。 もし、それが実現すれば望外の喜びとなる。 ”意思があれば、道は開ける”、いまそう思っている。 かのリンカーン大統領もそう言っていた。 その昔、月に降り立った最初の人は言った。 「一人の人間にとっては小さな一歩だが、人類にとっては偉大な躍進だ」。 その伝で言えば「人々にとっては小さな一歩だが、私にとっては限りなく大きな躍進だ。
2015年10月12日
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他の構成員を指導できるだけの技倆があり、それ故に尊敬措く能わざる(そんけいおくあたわざるー尊敬せずにはいられない)立場と目されることが必要である。 その者は組織内外からそれを自覚し、真摯(しんし まじめで熱心なこと)にその役割を勉めることを要求される。 それを維持できない場合は別のその能力がある者に代わられるからその立場を維持し、なおその向上に努めることを余儀なくされる。 それによって得られるものはそれ以外の者に比べて格段上の待遇が用意されている。 それ故それに期待してそれを勉めるとも言える。絶対的エースの存在の意味するもの試論 その1
2015年10月11日
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家の中の行動は見えないが外の行動は見えることが多いからそこでそれ以外の人がこうあって欲しいという行動をとることを行います。 これは”身分”と言う一般の人が法律なり長い歴史により認めてきた(慣習と言う)立場の考え(思想という)が確立している社会(一定の人の集まり)が現在なのです。 一般の人が広く認めている存在と言えばかって権力の場にあったあるいは今なお権力を駆使できる存在のほかに影響を及ぼす存在の人たちには”ノブレスオブリッジ”による行動の規制が求められます。少年(少女)時代に必要なことの一つ その4
2015年10月10日
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その場合今回の多くは休祝日になったからよかったと言える。 しかし、その疲れが癒やされて行く方向に向かっていって今日までに”快方”という表現が大袈裟(おおげさ)でないほどあった。 現在は一枚の薄皮がかぶさっている程度の頭痛が残った程度である。 約二週間後に予定のある講演会にむけての準備がそれによりほとんど来ていないことが目下の懸案である。 これまでに記してきたように講演会当日にはその準備ができていてそれを行えるのである。 その追い込みの四日間ほどで従来より準備してきた結果がある。
2015年10月10日
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時代の空気がが変われば権威が権力に変わることもある。 その権力の微妙なバランスを維持するための装置としての儀式が存在する。 システムはそれを創成した者が利益を生むように設計されるものである。 その仕様の通りに従うことでシステムは機能する。 それを構成するパーツの一つ一つがその時代の空気を反映した洗練した万民がある程度”美しい”と納得するものである必要がある。 それは摩擦を避けると言う大前提を支持することにより保障されることになり、文章に記録されるか秘伝としてある家に伝承されてその一端を教授してもらうということで礼儀とは? その4
2015年10月09日
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始めてから年に1回で数年継続開催されているそれは最初の回を除き、その後の何回かは組織の名のある人が偶然の産物か故意のなすものか不分明ながらその勝利者となりその後に影響を与えてきた。 最初の勝利者のその後がそれに当然与えられるべきと期待される地位を獲得できないまま、次のステージを求め去った後に”苦労人”と評されるだろういう人が今回、最終的な勝利者となり、一時的な象徴としての立場を与えられ、世の脚光を浴びるチャンスを得たのを画面を通して見ることができた。
2015年10月08日
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ようやく、夏の暑さの疲れがとれたみたいだ。 加齢によるのか、今年の夏の短期集中の高温の暑さが身に堪(こた)えた。 これはどういう喩(たと)えをしたら解ってもらえるのか分らないがあえてそれを試みたい。 脳内の上部にやや重い筒を三本置かれた感じなのであった。 それが八月の地蔵盆を過ぎて九月のお彼岸を中心とするシルバーウィークの頃にかけてほぼ十日毎にそれが消えてゆく感じだった。 この期間は体に変調があったのか夜中に眠れないことがあり、二時間ほどの集中した睡眠がとれればよい方であった。
2015年10月07日
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一定の練習を積み、それがその世界で認められる伎倆(ぎりょう)の水準に達したときその成員として迎えられる。 その時伸び代と言ってさらに鍛錬を積むことを意識することを念頭に置いているかどうかの有無をその認定員に感じさせたものがそれまでの努力の量と情熱の深さの水準の高さを推し測る幅を決め、その後の方向づけを意識するようになり、ある到達点の時期と目標の高さを自身の中で設定し、活動を行う。 その設定した目標に達したか、その周囲の環境の変化がその人の見極めの基準となり、さらなる鍛錬を続け、より高みを目指す。限界と極限の差 試論 その9
2015年10月07日
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学術的にいうと”ホモ・ルーデンス”と言って”遊ぶ人”と形容される。 一人遊びも有るがたいていの場合2人以上で遊ぶ方がおもしろい。 ある説に由(よ)ると猿のような形態で樹上生活をしていたのが気まぐれで危険いっぱいの地上に降り立ち、二足歩行からはじめ直立歩行をできるようになった人類は出産の時母親一人では産道形状の変化が原因となって出産が不可能になったことが助け合って生きてゆく起因となり、それが発展して集団生活を行うようになり、規律性を持った社会を形成するに至ったと説く。”朝の来ない夜はない”のか その5
2015年10月06日
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しかし一部の者はその意識の底にそれを抱き続け、伝説という形で子孫に伝える者もいるのである。 それが一種の苦しみから逃れるはけ口となると理解する支配層があるから、その許容範囲ならそれが存続でき、今にそれが伝わることになる。 一方、大海に面した沿岸の民は物語ではない現実に希(まれ)にであうこともある。日々革新と更新 その3
2015年10月05日
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何よりも講演会での講師としてのプロフィールに共著ながらその旨を謳(うた)えるのである。 その冊子はアート紙を用い、豊富な量の貴重な写真を活用し、必要に応じイラストを配している。 販売価格はその装丁、内容から見て廉価で手が届きやすいものになっている。 関係者には配布済みだから、私がそれを手に入れたとき、既に残部僅少状態だと言われた。 私にも印税代わりに配布された。 予算の関係で現在のところ再版の予定はないとか。 記念にその残部のうちから有償でさらに何部か分けてもらい、これまでお世話になった人たちお渡ししたいと思っている。
2015年10月05日
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不特定多数の支持を獲得して、それにより二人以上で構成される組織が保持されるとき、 それを象徴する絶対的エースと呼ばれる存在をその初期の構成員の中から見いだすか見当たらない時は暗示をかけてでもその存在たらしめる過重な訓練を施しそれを創りあげる。 後者の場合その過大な期待と極限とも思える訓練に耐え抜き絶対的エースとしての風格を短期間のうちに備える能力があると見極められるものに限定される。 絶対的エースは言葉を換えていえばスターと言われるものに他ならない。
2015年10月04日
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そこで初めて正当性のある権力と責任が生まれ期待される実行力が行使でき、その結果に対する評価を組織から認定され、実績として残される。 しかし”副”等がつく場合は”正”を傷つけないための存在として不祥事があった場合に組織を代表し、責任をとらされる場合が多い。 むしろその為の役割と言える。 常時緊張感を維持しておく必要がある。 これがけっこう精神とともに躰(からだ)を消耗させる。 その救済策としてより小さな傘下の組織に移行するか、トカゲの尻尾切りとばかり組織とは無縁とされる。 少し幸運であればほとぼりが冷めた時関連の組織に縁が出来ることもある。生き様 その6
2015年10月04日
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。 時代の空気がが変われば権威が権力に変わることもある。 その権力の微妙なバランスを維持するための装置としての儀式が存在する。 システムはそれを創成した者が利益を生むように設計されるものである。 その仕様の通りに従うことでシステムは機能する。 それを構成するパーツの一つ一つがその時代の空気を反映した洗練した万民がある程度”美しい”と納得するものである必要がある。 それは摩擦を避けると言う大前提を支持することにより保障されることになり、文章に記録されるか秘伝としてある家に伝承されてその一端を教授してもらうということで、礼儀とは? その3
2015年10月03日
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”ノブレス オブリッジ- Noblesse Oblige=「高貴なる義務」という意味。 それなりの地位にある人にはそれなりの義務があるということ。”という思想を表明し、実践することにより国民の尊敬を受ける存在であること自ら律する(自分の行動を制限)ことを得られます。 わかりやすく言うとそれなりに注目される立場にいる人はそれ以外の人から尊敬を受ける、あるいはその立場を守るためにはその支持を広く受けなければならないとする考え方があるのです。少年(少女)時代に必要なことの一つ その3
2015年10月03日
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そう思うことそれだけでもその後の人生の明るさが増そうというものである。 ところがえてして人生というものはそんなに甘いものではないということもよく自覚し、それ以上悲惨な目に遭わないよう努力することで最後の果実に期待するとのもので生きていくのがよい。 そうすれば思いのほかのサプライズが起きることもある。 その例をこの数日間にみることができた。 運の良さをテーマに多くの人が参加し、それを見守るギャラリーもその何倍も居て費用を支払い、そのイベントを支え、一人または少数の勝利者を生み出すスリルに富んだものをみた。
2015年10月02日
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上に述べたようにお寺の北東側斜面に移築されていた。 小高い丘のせいか長田の市街地が良く見渡せる。 ここが安住の地になるのだろう。 そこに行くまでにお寺の墓地がある。 そこの生け垣がとぎれた所から墓石が見えた。 秀の海幸左衛門と刻まれている。 ハテ? どこかで聞いたことがある名前と感じた。 つい10年前まで大相撲で活躍していた人の四股名であることに気づいた。 墓地の門扉が開いていたので思い切って入ってみると、入り口から少しあがった所にはたして力士群の墓域があった。 数基あるようだ。
2015年10月01日
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唱歌は地理や実業に関する知識を普及させる目的もあったため"茶摘"と"村の鍛冶屋" なども作られたという。 それらの歌詞も時代が進むにつれ時代に合わせて変えられるものもあったとか。 "村の鍛冶屋”の”いっこく親爺”が”いっこく者よ”になり戦後すぐには”はたらき者よ”となったり4番まであった歌詞が2番までになったそうです。 そんな話もありますが童謡・唱歌を聴いていますと童心に帰ったり、ある時期のことが脳裏に甦ったりします。 ここ10年前*から”昭和”を懐かしがる人が増えたとか。 私もそんな人の一人だったりします。 いっこく-頑固でわがままなこと。童謡・唱歌について その2
2015年10月01日
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