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お定まりのだらしない突き出した腹(使用前)と使用後の精悍な容姿の対比映像。 減量のスペシャリストがそのジムを使う必要があるのか? タレント活動が長くなったので体型がくずれたのか? 過去の栄光を振り捨ててまでこのCMにでる必要があるのか? 等々疑問が渦巻くのである。 そしてそれを見てこのジムを利用したいと幾人が思うのだろうか? 実際にそのジム?の訓練状況が示されないから評価を下すことは不能であるが減量の専門家であるタレントの起用には”???”とそのCMの製作者の意図とその放映を許したジム運営会社のセンスに疑問を呈せざるを得ない。
2015年02月28日
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2ヶ月で輝くばかりの姿態になると言う短期間の手軽さとその成果。その早さ。 どんな訓練なの。 ありきたりの比較広告だから無視しようと思っていたがある時期のべつ幕なしにその映像が流れた。 不快なBGMとともに。 それを避けようとしてチャンネルを変えてもそれが流れた。 ダイエットどころか不快感がふとってしまうのである。 最近のそのCMを見て、「これは?」と思うようになった。 関西だけかも知れないが浪速のロッキーと言われた人気タレントがそれに登場したのである。
2015年02月27日
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ダイエットジムを標榜するCMに不快感を持つのは私だけだろうか? 数人の男女が猫背で腹部をだらしなくさらけ出し不健康な顔をして順番に登場、そしてひとりごとにその体型を表現したいのか低音で不協和音のような背景音(BGM)が使用前そして間をおいて 画面が一転する。 使用後の姿が映る。 筋骨隆々たる裸に近い姿、晴れやかなギラギラした顔立ちである。 CM放映当初は素人ばかりと思う人たちが登場していた。 それでそれなりにインパクトが有るように思った。 そして同時に使用前のCMのBGMに軽い不快感を持った。
2015年02月26日
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郷愁と言うことばがある。私は3代前から都会暮らしをしているから田舎というものを持たない。 祖父の生まれたところも地方とは言えその中心都市で商家を営んでいた。 だから土地に根差したという歴史もない。 あるとすればその2代前という事になり、時間にすれば約200年前になり”根差す”という事が”田舎を持つ”と言う事と等しいと仮定すればそれは全く意味を持たないという事になる。 その昔”遠くにありて思うもの”と言われた”故郷(ふるさと)”そのものがないという事になる。 その意味で言えば江戸っ子は三代すめばそう名乗って良いという論理からすれば私は立派な六大都市(初期の政令指定都市)の一員で”都会人”と名乗って良いことになる。 それはフランス語で言えば”デラシネ”と言うことになる。”デラシネ”とは dracinと書き、 〔根なし草〕の意味がある。 それから”故郷を喪失した人。”ということになる。 しかしそれには少し抵抗を感じる。 ”喪失”とはかってあって近しい時間に持っていたものでることを意味する。 私などの恐ろしく長い時間があるものにはその”カケラ(欠片)”すらない。 さすれば私には郷愁と言う言葉は似合わないということになる。 それを電子辞書で引いて見ると” 1 他郷にあって故郷を懐かしく思う気持ち。ノスタルジア。「故国への―を覚える」「―にかられる」、2 過去のものや遠い昔などにひかれる気持ち。「古き良き時代への―」”とある。 1.の他郷~は私には該当しない。 2.過去~ と言うのが無理矢理、牽強付会すれば該当するかも知れない。 私には他都市の”都会人”にはない強い体験がある。 それを加味すれば2.過去~のは一層合いそうな感じがする。 なぜなら、20年前に戦後の都市災害でおそらく日本最大の被害をもたらした阪神・淡路大震災に遭遇しているのだ。 私の人生の中でもこれまで最強と言える体験である。 人生が一変したと言っても過言でない。 職業の喪失、ボランティア活動の開始など”好難”様々なことが変わった。 「一寸先は闇」と言う諺を実感もした。 この体験は実際に遭ってみなければ万巻を書を著し尽くしても語りきれないものであろう。 その虚しい抵抗をこれまでつくすようにことある機会を捉えて語ることもしてきた。 ありきたりの単純災害ではなく複合という概念でとらえれば広範囲の地域と膨大な人々が被災したという事実があり、その後も長く多くの影響を及ぼし続けている。 被災者の頭の中にはその体験よりトラウマと桎梏が存在するであろうことは想像に難くない。 それは幾人かの被災体験者が語っていることでもある。 私しか語ってないであろうことを再録したい。 限られた範囲でしか眼に触れていないであろうと思うからである。 心の故郷の喪失 かって住んでいた町が災害なり再開発で壊れ、全くそれまでと全く変わる街並みになると言うことは良くあることですね。 例えば神戸居留地の変遷を辿ってみるとよくわかります。 西国街道の南の田畑が都市計画により煉瓦造りの排水管を持つ欧風の街並みや公園が建設され、一気に欧化しました。 その返還後は神戸を代表するビジネスセンターとなってゆきました。 今どれほどの住民がいるでしょうか。 ココまで劇的で特異な変貌を遂げたところではなくても、時代の変遷によりかって栄えた歓楽街や商店街が衰亡して、タダの住宅街になってしまっているところがあります。 戦前の場合は今より行政の介入が少なくて(?)旧来の街並みが災害後の復興でも取り戻せたようですね。 ところが今次の震災の場合、そうはいかないみたいですね。 10%の減歩を実施され、その結果道路ばかりが広くなり旧来のそれとは全く違うものになって行きます。 完膚無きまでに燃え尽くされた町では権利関係の複雑さもあり、そこに住むことを許された人がもうそこに帰れないと言ったこともあり、小さな社会が崩壊し、再構築を余儀なくされています。 これが都市のもつ宿命だと言われればそう頷くしかないです。 写真でも残っていればこうだと説明できるのですが私が子どものころ未だカメラを個人で所有している人は少なくて風景をとる余裕などなかったのが実情です。 まして日常の光景を撮影する人は少なかったでしょうね。 その頃を振り返ろうとすれば一つだけ手があります。 これは大きな都市でなければ恐らく出来ないだろうと思いますがね。 住宅地図とい うのがそれです。 かっては数社から発行されていることがありましたがその更新の手間からだいぶ整理されています。 私の場合はそれでその頃の様子を記述しています。でも、一角でもその当時の建物が残っていればと思いますがね。 以上は2006年3月の記述である。 阪神・淡路大震災から11年後の回顧記録でもある。 阪神・淡路大震災の発生の約20年前に19年間住んだ街があった。 最新の住宅地図でそこを確認してみるとなんとだいぶ部分が真っ白である。 震災後復興のかけ声が上がってから20年たってこの有様である。 JRの駅から西北方向に直線距離で300mの場所なのにこのざま。 因みに同じ200mなら見事に復旧ならぬ復興している。 但し元の懐かしい街並みではない。 実際にそこを歩いてみると違和感があることしきりである。 路地だった空間がしっかり道路と化している。 震災特例による減歩がそれに寄与している。 防災に役に立つと謳われている。 全く知らない街に来たみたいなのである。 何軒か見知った店の名は見かけるが大きなビルの一階だったり、下駄履き住居がまばらにある。 商店街や市場は壊滅したままもう元に戻ることはない。 私を育てた街の面影はその欠片くらいしかない。 石垣に使う石で造られていた溝は存在しない。 昭和の時代に大きな下水管が地下に埋設されていなかったからこれが生活雑排水はここを流れていたらしい。 伊勢湾台風や第二室戸台風の際には深さ30cm程のその溝が溢れ、床上浸水となった記憶がある。 と、ここまでの記述にしておく。 これ以上書くとこれまでにこの街に着いて記してきた著作物と重なるためである。 いずれ、ちゃんとした本にしたいと願っている。
2015年02月25日
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その時列の2番目の客が「使えないですよ」と口を挟んだ。 先頭の客はそれに向かい、こう言った。 「あなたは私と何の関係があるのか? よけいな口出しをしないで欲しい」 それに余計なことを言ったのを恥じたのか反省したのか判らないが2番目の客は「すみませんでした、お詫びします」と言った。 私はこの一連の流れを見ていて一瞬の間、様々な感慨に耽(ふけ)った。
2015年02月24日
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まず最初に状況を説明したい。 とある日の午後2時ごろ地下鉄駅前のモールの書店の精算所での出来事である。 私は本を買うためにその列の3人目として並んだ。 聞くともなしに聞いていると先頭の客がそのモールのカードポイントを確認したいと言った。 店員はカードポイントについて説明し始めたところそれを遮り、客は再び残存ポイントを教えてほしいと言った。 店員は「~ポイント有ります」と告げた。 客は残存ポイントがその場で使えるかと訊いた。 その時列の2番目の客が「使えないですよ」と言った。
2015年02月23日
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何軒か見知った店の名は見かけるが大きなビルの一階だったり、下駄履き住居がまばらにある。 商店街や市場は壊滅したままもう元に戻ることはない。 私を育てた街の面影はその欠片くらいしかない。 石垣に使う石で造られていた溝は存在しない。 昭和の時代に大きな下水管が地下に埋設されていなかったからこれが生活雑排水はここを流れていたらしい。 伊勢湾台風や第二室戸台風の際には深さ30cm程のその溝が溢れ、床上浸水となった記憶がある。 と、ここまでの記述にしておく。 これ以上書くとこれまでにこの街に着いて記してきた著作物と重なるためである。 いずれ、ちゃんとした本にしたいと願っている。
2015年02月22日
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阪神・淡路大震災の発生の約20年前に19年間住んだ街があった。 最新の住宅地図でそこを確認してみるとなんとだいぶ部分が真っ白である。 震災後復興のかけ声が上がってから20年たってこの有様である。 JRの駅から西北方向に直線距離で300mの場所なのにこのざま。 因みに同じ200mなら見事に復旧ならぬ復興している。 但し元の懐かしい街並みではない。 実際にそこを歩いてみると違和感があることしきりである。 路地だった空間がしっかり道路と化している。 震災特例による減歩がそれに寄与している。 防災に役に立つと謳われている。 全く知らない街に来たみたいなのである。
2015年02月21日
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まして日常の光景を撮影する人は少なかったでしょうね。 その頃を振り返ろうとすれば一つだけ手があります。 これは大きな都市でなければ恐らく出来ないだろうと思いますがね。 住宅地図というのがそれです。 かっては数社から発行されていることがありましたがその更新の手間からだいぶ整理されています。 私の場合はそれでその頃の様子を記述しています。でも、一角でもその当時の建物が残っていればと思いますがね。 以上は2006年3月の記述である。 阪神・淡路大震災から11年後の回顧記録でもある。
2015年02月20日
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ところが今次の震災の場合、そうはいかないみたいですね。 10%の減歩を実施され、その結果道路ばかりが広くなり旧来のそれとは全く違うものになって行きます。 完膚無きまでに燃え尽くされた町では権利関係の複雑さもあり、そこに住むことを許された人がもうそこに帰れないと言ったこともあり、小さな社会が崩壊し、再構築を余儀なくされています。 これが都市のもつ宿命だと言われればそう頷くしかないです。 写真でも残っていればこうだと説明できるのですが私が子どものころ未だカメラを個人で所有している人は少なくて風景をとる余裕などなかったのが実情です。
2015年02月19日
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例えば神戸居留地の変遷を辿ってみるとよくわかります。 西国街道の南の田畑が都市計画により煉瓦造りの排水管を持つ欧風の街並みや公園が建設され、一気に欧化しました。 その返還後は神戸を代表するビジネスセンターとなってゆきました。 今どれほどの住民がいるでしょうか。 ココまで劇的で特異な変貌を遂げたところではなくても、時代の変遷によりかって栄えた歓楽街や商店街が衰亡して、タダの住宅街になってしまっているところがあります。 戦前の場合は今より行政の介入が少なくて(?)旧来の街並みが災害後の復興でも取り戻せたようですね。
2015年02月18日
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ありきたりの単純災害ではなく複合という概念でとらえれば広範囲の地域と膨大な人々が被災したという事実があり、その後も長く多くの影響を及ぼし続けている。 被災者の頭の中にはその体験よりトラウマと桎梏が存在するであろうことは想像に難くない。 それは幾人かの被災体験者が語っていることでもある。 私しか語ってないであろうことを再録したい。 限られた範囲でしか眼に触れていないであろうと思うからである。 心の故郷の喪失 かって住んでいた町が災害なり再開発で壊れ、全くそれまでと全く変わる街並みになると言うことは良くあることですね。
2015年02月17日
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なぜなら、20年前に戦後の都市災害でおそらく日本最大の被害をもたらした阪神・淡路大震災に遭遇しているのだ。 私の人生の中でもこれまで最強と言える体験である。 人生が一変したと言っても過言でない。 職業の喪失、ボランティア活動の開始など”好難”様々なことが変わった。 「一寸先は闇」と言う諺を実感もした。 この体験は実際に遭ってみなければ万巻を書を著し尽くしても語りきれないものであろう。 その虚しい抵抗をこれまでつくすようにことある機会を捉えて語ることもしてきた。
2015年02月16日
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さすれば私には郷愁と言う言葉は似合わないということになる。 それを電子辞書で引いて見ると” 1 他郷にあって故郷を懐かしく思う気持ち。ノスタルジア。「故国への―を覚える」「―にかられる」、2 過去のものや遠い昔などにひかれる気持ち。「古き良き時代への―」”とある。 1.の他郷~は私には該当しない。 2.過去~ と言うのが無理矢理、牽強付会すれば該当するかも知れない。 私には他都市の”都会人”にはない強い体験がある。 それを加味すれば2.過去~のは一層合いそうな感じがする。
2015年02月15日
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その意味で言えば江戸っ子は三代すめばそう名乗って良いという論理からすれば私は立派な六大都市(初期の政令指定都市)の一員で”都会人”と名乗って良いことになる。 それはフランス語で言えば”デラシネ”と言うことになる。”デラシネ”とは dracinと書き、 〔根なし草〕の意味がある。 それから”故郷を喪失した人。”ということになる。 しかしそれには少し抵抗を感じる。 ”喪失”とはかってあって近しい時間に持っていたものでることを意味する。 私などの恐ろしく長い時間があるものにはその”カケラ(欠片)”すらない。
2015年02月14日
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郷愁と言うことばがある。私は3代前から都会暮らしをしているから田舎というものを持たない。 祖父の生まれたところも地方とは言えその中心都市で商家を営んでいた。 だから土地に根差したという歴史もない。 あるとすればその2代前という事になり、時間にすれば約200年前になり”根差す”という事が”田舎を持つ”と言う事と等しいと仮定すればそれは全く意味を持たないという事になる。 その昔”遠くにありて思うもの”と言われた”故郷(ふるさと)”そのものがないという事になる。
2015年02月13日
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「 いつもはなんだか頼りない~。でもその日、わたしたち家族の将来をまっすぐ語る、わたしの知らない~がいた。」「XXXの窓口」に相談に来て、真剣な~を見て惚れ直しちゃう~の配偶者。」 と言うCFがある。 これがTV画面から流れる時、いつも不快な思いをする。 「割れ鍋に綴(閉 か?)じ蓋」といって「その程度の~にはその程度の~の配偶者がいる」と言う意味の諺がある。 思いの外頼り甲斐があったと言うことを発見して惚れ直したと言う意味がある。もしくは私が連れ添ったことで頼れる~になったという自己満足がある。 何れにしてもその配偶者優位の目線で製作されていることがそう思わせるのだとおもう。 結果が家族が手をつないで帰るからよいではないかと思われるかも知れない。 しかし問題の本質はそこではない。 配偶者を見直すという視点は一方的な決めつけと言うものがあり、従来、「~性はかくあるべきものだ」というステレオタイプの概念に支配されたものがCF内の配偶者の頭にあることを意味する。そんな視点で現代の家族をCFの製作者が捉えているのだと思うと薄ら寒い思いがする。 時代を先取り世間をリードする役割があるとマスコミ側に自負心があるのならそれにそぐわないこと請け合いである。 最近の女性アイドルグループの新曲で「らしくない」 と言うのがあるそうだ。 本題とは直接関係ないが話題の一つとして記述しておきたい。 この国において男女雇用機会均等法で就業の機会が法律上で特定の職業をのぞき女性の深夜作業禁止等の区別はあるものの一般的な差別はなくなって久しい。 現実には私が若い頃に比べ表面上は男尊女卑の風潮はなくなっているように見える。 しかし、表題の「~らしくない」 とか「~くせに」と言う言葉は死語にはなっていない。 前者はやや陰を潜めつつあるが後者の「~くせに」と言う言葉は根強く残っているように感じる。 むしろこれからも生き残っていきそうに思う。 前者の「~らしくない」と言う言葉は「そうあるべきだ」という決めつけが前提となっている。その決めつけに従うかその決めつけが有効であることがその人やその属する人たちにとって好ましい場合それが強調されその締め付けが行われることになる。それを誰が決めるのかと言うのが本来問題になるべきだが従来はその考え方に立脚することはなく盲従あるのみだった。 日本では戦前には前史の遺物である儒教の影響が残っておりその内容に則した考え方が規範として通用していた。 家父長制というのがその現れであり旧憲法下でもそれが色濃く規定されていた。 その具体的反映が「イエ(家)」制度だった。 そこでの命題は「上意下達」「寄らしむべし、知らしむるべからず」と言って一部の権力者が恣意的に決めたことにただ従えと言ったおよそ民主主義と相反する考え方があったのである。 その表徴化したものがこのCFといえるのではないか? CFは時代を映すと言われているのだ。
2015年02月12日
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上方に泊まったさる地方の旅人が旅籠の使用人に言葉で”ちょうず”を使って手を洗ってくださいと言うのを”ちょうずを回してください”言われたのにその意味がわからず連れだってそこに行った二人連れの知ったかぶりの一人が長い頭(ちょうず)を回すのだと言い頭をトイレの前で何度も回したと言う。 それを見た旅籠の使用人が手水鉢の使い方を教えたと言うのである。 上方落語であるから関東の放送局の関係者はご存じないかも知れない。 しかし、戦後も今年で70年になろうとしているのである。 いつの頃から「手水舎」を”てみずや”と読むようになったのかは知らない。 しかし、言葉を操ることで糧を得ている職業についている者はこれくらいの素養は持ってしかるべきだと感じた次第である。
2015年02月10日
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けれども古典落語の「マクラ(落語を聞きやすくするための本編に入る前におこなう”耳慣らし”の重要な手法)」 の部分で”処変われば品変わる”の類(たぐい)の言葉遊びで取り上げられるのがこの「ちょうず」なのである。 ”てみず”と本来は発音していたものが音便(おんびん)と言って発音しやすくするために、語中・語尾の音が他の音に変化したものである。 この場合は特に”ウ音便”と言う。 その昔の上方(京・大坂地方)の旅籠にはご不浄(現代のトイレ)の前に石臼によく似たものが置いてあった。
2015年02月10日
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随分、朝早く目覚めてしまった。 午前4時ごろである。 枕席のラジオのスイッチをひねると東京の番組が流れてきた。 「ラジオパープル」とかいう番組名で伊勢神宮の東京分祀である東京大神宮の話になっていた。 その時女性アナウンサーだかタレントかわからないパーソナリティーが”てみずや”と言った。 ”てみずや”って? 一瞬たじろいだ。 やがて、「手水」と「舎」の文字が脳裏に浮かんだ。 私の中ではこの「手水舎」は”ちょうずや”と読むのである。 少し調べてみると”てみずや”でも現代では強(あなが)ち間違いではないらしい。
2015年02月09日
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それを誰が決めるのかと言うのが本来問題になるべきだが従来はその考え方に立脚することはなく盲従あるのみだった。 日本では戦前には前史の遺物である儒教の影響が残っておりその内容に則した考え方が規範として通用していた。 家父長制というのがその現れであり旧憲法下でもそれが色濃く規定されていた。 その具体的反映が「イエ(家)」制度だった。 そこでの命題は「上意下達」「寄らしむべし、知らしむるべからず」と言って一部の権力者が恣意的に決めたことにただ従えと言ったおよそ民主主義と相反する考え方があったのである。 その表徴化したものがこのCFといえるのではないか? CFは時代を映すと言われているのだ。
2015年02月08日
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しかし、表題の「~らしくない」 とか「~くせに」と言う言葉は死語にはなっていない。 前者はやや陰を潜めつつあるが後者の「~くせに」と言う言葉は根強く残っているように感じる。 むしろこれからも生き残っていきそうに思う。 前者の「~らしくない」と言う言葉は「そうあるべきだ」という決めつけが前提となっている。 その決めつけに従うかその決めつけが有効であることがその人やその属する人たちにとって好ましい場合それが強調されその締め付けが行われることになる。
2015年02月07日
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時代を先取り世間をリードする役割があるとマスコミ側に自負心があるのならそれにそぐわないこと請け合いである。 最近の女性アイドルグループの新曲で「らしくない」 と言うのがあるそうだ。 本題とは直接関係ないが話題の一つとして記述しておきたい。 この国において男女雇用機会均等法で就業の機会が法律上で特定の職業をのぞき女性の深夜作業禁止等の区別はあるものの一般的な差別はなくなって久しい。 現実には私が若い頃に比べ表面上は男尊女卑の風潮はなくなっているように見える。
2015年02月06日
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何れにしてもその配偶者優位の目線で製作されていることがそう思わせるのだとおもう。 結果が家族が手をつないで帰るからよいではないかと思われるかも知れない。 しかし問題の本質はそこではない。 配偶者を見直すという視点は一方的な決めつけと言うものがあり、従来、「~性はかくあるべきものだ」というステレオタイプの概念に支配されたものがCF内の配偶者の頭にあることを意味する。そんな視点で現代の家族をCFの製作者が捉えているのだと思うと薄ら寒い思いがする。
2015年02月05日
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「 いつもはなんだか頼りない~。でもその日、わたしたち家族の将来をまっすぐ語る、わたしの知らない~がいた。」「XXXの窓口」に相談に来て、真剣な~を見て惚れ直しちゃう~の配偶者。」 と言うCFがある。 これがTV画面から流れる時、いつも不快な思いをする。 「割れ鍋に綴(閉 か?)じ蓋」といって「その程度の~にはその程度の~の配偶者がいる」と言う意味の諺がある。 思いの外頼り甲斐があったと言うことを発見して惚れ直したと言う意味がある。もしくは私が連れ添ったことで頼れる~になったという自己満足がある。
2015年02月04日
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コーラスラインってご存じだろうか? 元来はミュージカル用語の一つだ。 ラインは線。 コーラスは合唱、さらに進んでバックグランド・ヴォーカルと云われる。 直訳的には合唱というイメージから敷延してバックつまり後方で団体で唱(うた)うということになる。 しかしミュージカルのそれはそんな意味ではない。 それを物語る映画をその昔に観たことがある。 ズバリ、「コーラスライン」というタイトルの映画である。 元はマイケル・ベネットの原案・振り付け・演出によるアメリカはニューヨークのブロードウェイの劇場で上演された公演である。初演は1975年7月25日である。 そのヒットを受けて10年後の1985年に監督のリチャード・アッテンボローにより映画化、公開されたものである。 「コーラスライン」とは、稽古で舞台上に引かれるラインのことで、コーラス、つまり役名のないキャストたちが、ダンス等でこれより前に出ないようにと引かれる。メインキャストとコーラスを隔てる象徴ともなっている。という事実が映像を通じてわかる。 ミュージカルというのは基本的に一回限りの雇用契約を結ぶためのオーディションというセリでその行為が行われる。 配役を用意し、その役にふさわしい人を選別するのがプロデュースする側の人物、一般的にはプロデューサー、デレクターなどとその名称がある。 それに応募し選ばれる行為がオーディションと呼ばれる。 十分に訓練を積んだ技倆を持って役を勝ち取るのだ。 そのためには一回だけ行われる模範演技を見て、オーディション会場でそれを忠実になぞるのが最低限の合格の目安となる。 競合相手が多い場合はそれにプラスアルファの要素が加わっていることが必須条件になる。 コーラスラインの前で練習できるのは台詞(セリフ)のあるスターと言われる人たちでメインとなる人たちと公演で目立つ存在である。 このクラスでもメインとそうでない人たちの間で台詞の多少、衣装の格差など様々な区別がある。 コーラスラインの後で練習する人たちは歌の合唱する人々と同じく後方に位置し、そのラインを決して超えないことを条件にして目立たないことも要求されながらもそこにいることを許されるだけなのである。 後者の人たちも当然オーディションで選ばれるのである。 つまり始めからから目立ってはいけない存在といえる。 しかし、そのオーディションに選ばれなかった人たちには何もないのである。 努力しても、実力があると自負していても前者のスター級の人たち以外あるいはコーラスラインと言われる後者にしかなれない人たちがいる。 この公演でスター級となっても次の別の公演でそうなるとは保証されない。 これがアメリカのショービジネスの実態であると今から30年前に知った。 さらに勉強してこのシステムが何もショービジネスの世界だけに留まらないで多くの異なる世界にあることも知った。 自分の技術を一定水準以上になるよう努力したことが生きる条件になっているのだ。 その技術水準が高ければ高いほど、それにそれを相手にアピールし、受け入れてもらえる自己演出力が高いほどより魅力的、つまり自分が実現したいことに近い仕事を得られ、それに伴い高い報酬も得られる可能性が高いという世界がそこにはあるのだ。 格差という現実を受け入れざるを得ない社会があり、その社会で生きていこうとする人はその前にできるだけ若い時期にできるだけ高いスキルを獲得しておく必要があるにである。 私は「コーラスライン」と言う名の映画でそれを観たが今の若い人ならAKB48グループの構成員を巡る物語を映像を中心とするメディアで見ることができる。 「見る」を「観る」に変えることができればその中から何かを掴(つか)む第一段階を突破したことになると思う。 私は「コーラスライン」と言う名の映画でそれを観たが今の若い人なら社会現象の一つとして注目されている女性エンターテイメント(?)のAKB48グループの構成員のデビューまでの苦闘やその後の試練・経験を映像を中心とするメディアで見ることができる。 それをみた人が「見る」を「観る」に変えることができればその中から何かを掴(つか)む第一段階を突破したことになると思う。 それが出来る人が現代社会で生き抜く術(すべ)を学ぶ力を獲得する方法の一つを得たことを意味する。 そしてそれほかの学ぶ力を得るヒントを同時に授かったことにもなる。 その気づきがあってその時点で何をすべきか何をしておかなければならないかを自覚する。
2015年02月03日
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その金額の倍以上を納めている健康保険料からその調剤薬局に支払われるのである。 公費の無駄と言って差支えないと思う。 ちりも積もればなんとやらと言う。 無駄を省いて家計への圧迫を避けたいのだがこんな理不尽がまかり通っている。気づかないところで様々な負担をさせられている。 電気料金の中に太陽光発電等費用を負担させられている。 その設備を備えられる家庭はおそらく貧困家庭ではない。 そこからの売電収入を負担するのはそれを備えることが困難な家庭が負担を強いられている。こんな理不尽なことはない。理不尽というか不合理と言うか その1
2015年02月02日
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私は「コーラスライン」と言う名の映画でそれを観たが今の若い人なら社会現象の一つとして注目されている女性エンターテイメント(?)のAKB48グループの構成員のデビューまでの苦闘やその後の試練・経験を映像を中心とするメディアで見ることができる。 それをみた人が「見る」を「観る」に変えることができればその中から何かを掴(つか)む第一段階を突破したことになると思う。 それが出来る人が現代社会で生き抜く術(すべ)を学ぶ力を獲得する方法の一つを得たことを意味する。 そしてそれほかの学ぶ力を得るヒントを同時に授かったことにもなる。その気づきがあってその時点で何をすべきか何をしておかなければならないかを自覚する。
2015年02月01日
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