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「今あるものに抵抗・対抗して現実を変えようとしても、うまく行かない。何かを変えようと思うなら、古いモデルが時代遅れになるような新しく魅力的なモデルをつくり、実際にそれを生き始めてしまうことだ」バックミンスター・フラー大好きな編集者さん(スピリチュアル・ソムリエともいわれるライターさん)のトップからいただいてきました私の毎日も 新しいパターンの中で幸せな変化や成長を繰り返せる喜びを私に与えてくれます夕方 スタッフルームで申し送りをしながら私なりに一日の振り返りをしていきます反省することが見つかると 帰りの車中で 『また新しい目標を手に入れることができた 小さな変化ではあるけれど まだまだ新しい自分に出会えるんだなぁ これを自分の身につけたら 次のステージに展開するための ご縁やお役目を戴くのだろうな ありがたいな 嬉しいな』と思いながら 応援してくれている家族のもとに向います@@@@@@@@@@@@@@@昨日、おとといと私が時間不足のため ケアできないクライエントさんを応援するためにかけつけてくれた整体師兼カウンセラーが私の肩の痛みに気づいて、半ば強制的に治療してくれました私自身は、痛みの原因を自分で探してケアするスキルを持っていますがクリニックでの研修が多忙で自分のことを後回しにしていたのです『自分の事を後回しにして、だれかのためにオーバーワークする』これは、精神病院の患者さんの”発症の最初のきっかけ”のメタファーに似ている気がしますそこで、私は まだ余裕があるうちに友人の力を借りる事にしましたゆだねる部分と、自分で責任を持つ部分をしっかり見据えて治療を受けながら、様々なキーワードや場面を照らし合わせあれこれ思案したり げらげらと笑いながらようやく 痛みが消える『カギの言葉』を見つけました試した言葉の中には「かめちゃん 好き」「がんばってるね」というなかば適当な言葉を使いましたがまったく効きませんでした(笑)私がそういう言葉を、自我を満たすために求めているのではないということはわかっていたけれど「試しに言ってみて」という自分にウケ、まったく関係ないとわかりながら言ってくれる友人が笑いをこらえながら言う様子にウケひょっとしたら、笑いが肩の痛みを消したかもしれないなどと思ってしまいました
2007.10.25
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本日シメキリ当日・・・未明まであたふたしながらなんとか間に合い、今朝郵便局へ出しにいくことができましたとってもうれしい!実習間際で休日返上で仕事を入れたため今月はいつもよりもっと慎重にセルフケアとコントロール、ペース配分に気をつけなくてはなりませんといいつつも、午前中は子どもたちのリクエストに応じて午後は仕事にでかけ自分の時間をやりくりしているとその様子を見た子どもたちが「わたしたちの行きたいところへ連れて行ってくれたのだから・・。」と、一生懸命家事の手伝いをしてくれて、私に宿題の作文(レポート)を書いてと応援してくれましたおかげさまで残りあと2教科です♪♪♪♪♪実習の初日が無事終りました楽しかった!のひとことですスタッフが人間的に素晴らしいすっと相手を受け入れて共有感覚を感じあうというか・・・朝の申し送りから夕方の報告まで、まるで何年か一緒に仕事をしてきたかのような錯覚に陥ってしまうほど、情報のやりとりがスムーズです朝の申し送りに登場した利用者さんが現れ、実習生2人が対応することでその方の事件回避の解決にもなりました「2週間といわずもっといてくれたら・・。」とほんとうにありがたいお言葉もいただいて感無量でした一方で、精神保健福祉の現場に関わるには人間が好きなだけでなく内面的な自我の確立と、一貫性のある態度や言動など人間が練れていなくてはならないのだと痛感しました(わたしなど まだまだです)と思いつつ、女性の施設長のお供でお役所まわりをする間にお互いにスーパーバイズしあうことができました私の中で東のユーリさん、西の施設長と思うほど大好きな、そして心から尊敬する女性です彼女が正直に、そして素直に聞かせてくださるお話に感銘し実習中に、彼女のセラピーとセッションを徹底的に行うというお約束をしましたこれは、ユニバースが請求先のしあわせな仕事でもありますなぜなら 彼女は言行一致そのものでだれも傷つけることなく多くの命を支えているからです
2007.10.15
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精神科医の町沢静夫医師による『「こころの居心地が」よくなる心理学』の前書きに現代の子どもをとりまく社会の象徴的な一文がある。『・・・このような「もの」の発展とともに、実は若者達を中心として人類の将来に希望が持てない、生きるのは重いといった嘆きがきわめて強くなりつつある。日本の子どもたちには、社会はなんら魅力がなく、責任と規則で窒息しそうなのである。』続いて『社会の発展は人の心を必ずしも明るくしてはいない。青年や大人、そして老人を含め、かつてより精神障害がますます増え、幸福とはほんの見かけでしかないのである。』発刊から11年経過した現在、町沢氏の懸念する事態は悪化・加速化している。不登校児童、引きこもり、家庭内殺傷事件の発生など自己統制力の未発達によって社会的不適応行動をとってしまう子どもが著しく増加しているのである。 文部科学省では、「不登校児童生徒」とは「何らかの心理的、情緒的、身体的あるいは社会的要因・背景により、登校しないあるいはしたくともできない状況にあるために年間30日以上欠席した者のうち、病気や経済的な理由による者を除いたもの」と定義している。1988年度の文部省(現文部科学省)の学校基本調査のまとめでは登校拒否(現不登校)児童は小学生が約6万人、中学生が36万人、合計42万人と過去最高であった。当時の様態内容には「学校生活に起因する型」として原因説が記載され臨床的見解と一致していないとの現場の批判があげられていたように記憶している。同省によれば2006年度に30日以上学校を欠席した不登校児童生徒数は小学生中学生合計19万7千人である。2001年度の合計13万8千人から大幅に増加しているのがわかる。不登校には友人関係をめぐる問題、教師との関係をめぐる問題、学業不振などの学校生活に起因するケースと病気によるもの、家庭の生活環境の急激な変化、親子関係をめぐる問題、家庭内の不和などの家庭に起因するケースなどがある。 またこれらのケースが重複することもある。登校拒否と呼ばれた時代には母子関係の密着や心理的な父親不在など家族関係の病理が不登校の土壌を作り出すといったステレオタイプ型の原因説と、親子間のコミュニケーション欠如による、親への反抗、攻撃的傾向から不登校に陥るとされていた。また子どもの性格的な面での未成熟、自己中心性、欲求不満耐性の欠如、非協調性など非社会的性格特性が要因となっている場合も多かった。こうした性格特性の主な原因は自己概念の歪みに起因するともいわれる。さらに学校教育の中で、個性を考慮しない学習内容や生活管理、偏差値至上あるいは競争主義なども、後述するいじめなどとも相互に影響しあっている。 小中学校期に学校生活を楽しむためには、まず友達との健全なコミュニケーションが必要不可欠である。そのため友達と円滑に交流することが困難であれば、同時に学校生活の中で自分のポジションを確立することが困難であるということを意味する。義務教育では個々の学習過程と並行して集団活動を学ぶ場でもあるため孤立状態になることはその集団活動への参加意欲を失いやすい。自分を過小評価し他人を過大評価するために自己概念の歪みを益々強化することになる。 支援方法としては面接相談を中心としたカウンセリングが有効である。面接を通して客観的に自己を把握し、感情・情緒の暖かい交流によって真の自己を洞察してくためのプロセスでもある。ただ子どもといえども、かけがえのない個人として受容・理解・共感の姿勢を持って応対しなくてはならない。子どもが自己尊厳を守るために不登校という手段を選択した可能性も汲み取るべきである。また根本原因を追うあまりに、環境の操作に走ると子どもはやがて大人を意のままに扱うすべを覚え何度でも不登校を繰り返す。毅然とした態度とともに周囲の大人が子ども自身の健全な社会性や自発性と自己統制力を育成することも重要なプロセスといえる。そのために必要不可欠なのが家庭教育の現状把握と、心理療法である。登校拒否サポートのさきがけとなった吉岡康雄氏によれば、『家庭教育の誤りと子どもの性格因子、親の性格因子が融合することではじめて不登校児となる』のである。私個人の活動においても不登校児童の相談では、まず母親の心理的ストレスの解放とストレスのセルフケアマネジメントを指導させていただいている。実習と称して家族を対象に簡単なマッサージを専門講師が指導し宿題として出すこともある。被害者意識から家族の一致団結の好機会へと転換させる第一歩である。その後母親自身のコミュニケーションの特性とそれによって引き出された子どもの反応(言動)についての理解を深めていくのであるが、殆どといってよいほど、コミュニケーションに関する課題を母親自身が持っている。子どもの頃にいじめられた体験がある、友達を作りにくい、親の影響で自己評価が低く対人不安や場面緊張があるなど負の体験を子どもが鏡として再現していることも多々ある。不登校の以前にいじめがあり、母親が自己の痛みを我が子に投影し過剰に反応しすぎたために子どもの友達との関係性を壊し不登校にならざるを得ないと思えるようなケースもあった。親も子も変化する勇気を持つためにはいくつものステップを経なければならないのである。もちろん子どもが学校や友達に過剰適応しようとすることが善ではない。友達の言いなりになり、ひいては自殺に至るという痛ましい事件も起きている。家庭内での関係性について見直すタイミングを不登校によって子どもが提供しているという考え方もある。 1998年の現代教育研究会による「不登校に関する実態調査」では、平成5年度の不登校生徒で中学校を卒業した者を対象として、不登校当時の状況、当時の心境、不登校時の援助体制、その後の進路状況等について追跡調査を行った。その内容として、不登校のきっかけ・継続の理由は「友人関係をめぐる問題」(45%)、「学業の不振」(28%)、「教師との関係をめぐる問題」(21%)など学校生活に関わるものが多い。不登校の態様(不登校継続の理由)についても、「学校生活の問題」が最も多く挙げられている。 本人の性格的理由やいじめなどの要因以外の不登校分類には、神経症的登校拒否といった従来学校恐怖症とよばれたものを含む優等生の息切れ型や過保護など親からの過干渉や無関心によって自立心の育つチャンスを奪われたタイプがある。また協調性の欠如から社会的情緒的に未成熟で、困難や失敗を避けて安全な家庭内に逃避する。無気力になり引きこもるケースもある。このほか統合失調症、精神分裂症、うつ病、神経症などの病理によるものがある。先日厚生労働省の研究班が中学生の4人に1人がうつ状態という調査結果を発表したが不登校児童の中にうつ症状を発症している子どもがいる可能性がある。学習意欲に乏しく、時折休む無気力な子どもや学校や家庭に適応できす、非行グループに入り、学校にこない子どもは怠学タイプに分類される。登校することに価値を見出せず、積極的に不登校を選択するタイプ。転校・病気その他客観的に明らかな原因があり、それが解消すると登校するようになる一過性の不登校などがある。 現代は不登校児に対して、適応指導教室や各種相談所、フリースクールから通信制の単位制高校、定時制昼間部高校、大検等進路選択の幅は増え、父兄の間には学校に行く事がすべてではないという風潮が不登校を長引かせるという側面もある。
2007.10.14
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人間としての個人差について考察するに当たり様々な視点を考慮しなくてはならないだろう。人間の身体の内側へ向かい、肉体、心、精神、霊性(WHO世界保健機構の認めるところのスピリチュアリティ)の総合体として捉えようとすれば、肉体は臓器、組織、細胞、DNA、RNAさらにそれを構成する化合物とその元素、分子、原子、量子化学的に加えれば素粒子からクォークの集合体である。人間を身体の外側へ向かっていく見方をすれば、身体に接する自然環境、あるいは生活環境を含めた社会環境、地域社会から国家という組織、そして地球に生息する人類という無限大に広がる構成の中における存在としての人間という視点もある。個人差はそのマクロとミクロの間に、何がしかの尺度をもって2つ以上の事象を比較したときに観察されると私は考える。人間としての構成要素を分割してある角度からまとめて見るといった比較によって深く理解することが可能になる面もある。西洋医学や教育の領域ではそのような専門的な分類によって発達発展してきた経緯がある。しかし、分割したために全体が見えなくなりその個人の存在意義よりも従属する素因に意識が注がれるようにもなってきている。各パーツの集合体として人間を見ようとすれば個人としての個体差は観察・数値化可能だろうが、自我(あるいはその成長とともに確立過程にある自我)をもった個人性としての存在意義が軽視される。個人の差を考察する場合には、比較が個人の存在意義を揺らがす可能性があるといった危うさを踏まえた上で進める必要がある。
2007.10.14
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舞台準備中の光景です 様々なプロがかかわって、ひとつの芸術が完成します 光のあたらない、拍手の届かない裏方の静かな緊張感と充実感 言葉にならない連帯感 そして 黒子としての歓びを感じています 写真は現在進行形の大ホール設営場面です 楽天ブログの日記更新メールです> ><このメールに返信するとブログ記事が書けます> ><画像や動画(ベータ版)を添付することも出来ます> ><このメールはPCから下記URLにて配信停止できます> >
2007.10.12
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15日消印のレポートシメキリ・・・自分が定めたシメキリは本日です今日、一本は仕上げてしまいたいところ~~~でもでも・・・明日のボランティア反省会のためにシフォンケーキ2台と、超特大アップルクラフティを作ってご満悦のところに注文したタロットカードが届いた日には・・・(好奇心がぁあああ、優先順位がぁぁぁぁ)こうなったら、有料でレポートと試験対策コーチをつけようかしら・・・で、閑話休題「素敵」どうして「敵」がつくのかなとふと思ったら、なんのことはありません、当て字でした以下引用文化庁編集の「言葉に関する問答集」によりますと…。1.「すてき」の登場…江戸後期になってから使われはじめたとされています。式亭三馬の滑稽本「浮世風呂」で1例あり、その後、同じ作者の「浮世床」に14の用例と、「すてき亀」というあだ名が登場します。これらのことから、この本の発刊当時(文化10~11年)に流行し始めたとされています。ただし、この本の中では、すべて仮名表記で、漢字では使われていません。2.「すてき」の語源…大きく2説あり、一つは「日本語大辞典」など多くの辞書に採用されている「すばらしいの『す』に『てき(的)』のついたもの」というもの。有力な説といわれていますが、定説となるほどの確証は得られていないそうです。もう一つが、「江戸語大辞典」「大言海」で採用されている「出来過ぎの倒語」という説ですが、この説には少々、無理があると考えられています。そのため、この語源は明らかでないとされています。3.素敵、素的の漢字…a)「日本語大辞典」によると、歌舞伎脚本における「素敵」の用例が明示されている。b)明治時代以降の文学作品には「すてき」「素的」「素敵」が混在しているが、「素敵」が最も多い。4.実際の用例…NHKの新用字用語辞典、日本新聞協会の「新聞用語辞典」では、「すてき」は仮名表記で統一され、漢字表記はしないように定められている。なお、「素晴らしい」は漢字表記となっている(新聞用語辞典)。これらのことを総合的に判断すると、「素敵」「素的」ともに“当て字”であると考えられています。前田勇編「江戸語の辞典」の当該箇所によれば、【素敵】(形動)(出来過(できすぎ)の倒語という)数量・程度などの、甚だしいこと。めっぽう。沢山。善悪褒貶いずれにもいう。例文は享和2年(1802年)の「コウあとの女はすてきにふとっているぜ」(祇園祭28881;灯蔵)。「すてきに」同様、「すてきと」という副詞用法の例文は、文化8年(1811年)。【素晴らしい】(形)(1)驚くべき事である…この例文は文化10年(1813年)。(2)甚だしい…嘉永6年(1853年)。(3)聞いてあきれる…安永9年(1789年)。 これらを見る限り、1800年頃の廓言葉での素晴らしいが「しゃらくさえ」の意味だった頃に、草紙作家が「すてき」というかな言葉で善悪を問わず「甚だしい」の意味で使っているところを見ると、「素晴らしい+的」説には疑問を感じます。「素晴らしい」に褒める意味が現れているのは「すてき」が現れて10年以上経ってのことでもありますし、歌舞伎言葉なので、それぞれ出処となる環境が異なっている気がします。この辞典のように「出来過(できすぎ)の倒語という」説がもっと信憑性が高いと思いたいのですが、すぎでき→すでき→すてきと考えると、やけに出来過ぎな感じもします。
2007.10.10
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来週から述べ6週間に渡り精神病院での研修に入ります病棟だけではなく、さまざまな関連施設での実習もあるのですがすでに来春から職員として来てもらえないだろうかという打診を頂きました履歴書だけで判断していただいたとはいえとてもありがたいことです・・・でも・・・でも一番大切にしているのは子どもたちとの時間です子どもたちが、のびのびとその子ども時代を育つ事ができるように夕方以降はできるだけそばにいてやりたいと思うのですそれでなくても、自分の思うところがあれば勉強にでかけるために外泊することもあったのですからこのことが大人になってどのような影響となるかは日頃の係わり合いの質と私の姿勢次第だと思います先方の担当の方には「子どもがまだ小さいのでボランティアとして関わらせて頂きたいと思います。」とお返事をさせていただきましたすると、それをきっかけに担当の方のお悩みのカウンセリングに・・・許可を得ていないのでここにその内容は書けませんが「誰もが否定的な意見だったけれど、かめさんに決心を肯定されたことでご夫婦とも明るい転機となり、事態が好転している。」と喜んでいただけました病院施設内でも職員や退院患者さんのストレスマネジメントのワークショップをご依頼いただくことに・・・(・・・わっわたし実習生なんですけど・・)さて、数日後その方からお電話をいただきました「今プログラムを組んでいるのですが・・・。」私の勉強になるかと、様々な施設の担当者とミーティングをして特別なカリキュラムを作っているため、当初の休日を変更してその部署で患者さんと接してみないかというものでした「はい喜んで。」と居酒屋の店員さんのようなお返事をしながら・・・夏からずっと悩んでいた10月毎水曜日のブレインジムコースの開催のことを思い出しました(何か入りそうな予感がする・・・)と NPOのブレインジムコース開催日掲載の締め切りを過ぎても 迷い続けてまぁ、とりあえず 自分のところのHPにだけアップしようと更新したばかりでしたもし、迷っていなかったら 「水曜日は講座があるので無理です」とお答えしたと思います毎度のことながらこの意味はあとから やってきますそして、代わりに戴いた休日に入る予定もパズルのピースのようにぴったりと収まるような気がしていますユニバースを信じきるには・・・自分の思いぐせや、日頃の生活身の回りにあるエネルギーなどを振り返りつつ直感を研ぎ澄ませるために洗心を怠らないことですね10月開催で迷っていたのはしばらく仕事を休むので、経済的なことが念頭にあったためでしょうキネシオロジスト慶太郎さんの今日のブログに触発されてたわいもない心象を書きました
2007.10.10
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脳内メーカー・・・昨夜は子どもたちと爆笑しました連休退屈モード我が家にタイムリーな笑いと涙と鼻水をありがとうカリスマ右脳(中略)家さん・・・脳内メーカーの姉妹ソフトに、戦隊レンジャーものがあります↓ここを開いて名前を入れるだけです戦隊レンジャーメーカーちなみにかめちゃんというHN(ハンドルネーム)を入れますと以下のように勝手につくってくれます(汗)お勝手戦隊かめちゃんジャーが出てきます戦隊紹介お勝手戦隊かめちゃんジャーは敵の命乞いを聞くため淡々と戦っているのだ! 隊員人気者ですかめちゃんレッド!ちょっとモテモテかめちゃんブルー!ニュース大好きかめちゃんグリーン!カラアゲ大好きかめちゃんイエロー!男の前では赤ん坊かめちゃんバイオレット!敵宿敵未来医師団ギペビアーンは儚げだぜ! 合体ロボ名称 パワフルかめちゃんファイター データ 身長:63メートル 馬力:722万馬力 各隊員マシン かめちゃんレッドスノー号(戦車)かめちゃんブルームーン号(ヘリコプター)かめちゃんグリーンラバー号(装甲車)かめちゃんイエローゴーレム号(モトクロスバイク)かめちゃんバイオレットアルマイト号(パトカー) 合体決めゼリフ リソースリラックスイブニング! テーマソングたまに楽しくフライフライフライ1人減らすとしたら誰減らす?時に卑しく自分に甘く一朝一夕の再婚景色さライト&バトル無言電話の主はだれ”オオキイタテモノガコワイ”勝利の為の合い言葉上を向いて かめちゃんジャーひとりでできるの かめちゃんジャー
2007.10.08
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心理学心理学における発達(en:development)とは、一般に受精から死に至るまでの人の心身、及びその社会的な諸関係の量的及び質的変化・変容をいう。外国語の development、あるいはドイツ語の die Entwicklung は、巻いた絨毯のようなものを開いていくような行為、様子をいうもので、開ききってしまったところが人間の終焉になる。発達の三要素発達には三つの構成要素があるとエリク・エリクソンはいう。彼が挙げているのは、次の三つである。 成長(Growth) - この反対が老化。生涯発達のピークを分水嶺としては、前半が成長、後半が老化となる。 成熟(Maturation) - 性交渉によって生殖可能になる事。その可能時期の終わりを告げるのが、女性では閉経。男女共に更年期というものがあり、様々な更年期障害を呈する。 学習(Learning) - 経験により獲得した知識、理解により、自分の行動、態度を微調整していく事が出来る事。この特殊なものは、学校教育の中で得られる。学習は人生の前半にのみあるものではなく、健忘症、物忘れなど人生の後半では負の学習というものも存在する。 医学医学、特に小児科学に於ける発達とは、機能的な成熟の事。物的な成熟である「成長」と対比している。身長や体重が大きくなる事は成長と言い、言葉や運動を覚える事を発達と言う。発達段階(はったつだんかい、developmental stage)とは、他の年齢時期とは異なる特徴を持っている年齢時期のまとまりをさす。個体の発達過程がなだらかな連続的変化だけでなく、飛躍的に進行する非連続的変化をも表すと考える時、相互に異質で独自の構造を持つとされる一定の区分された時期。発達課題(はったつかだい、developmental Task)とは、「人間が健全で幸福な発達をとげるために各発達段階で達成しておかなければならない課題」であり、「次の発達段階にスムーズに移行するために、それぞれの発達段階で習得しておくべき課題がある」とされる。又、各段階には健全と相反する危機(crisis)が存在し、健全な傾向をのばし、危機的な傾向を小さくしなければならない。教育心理学者のロバート・J・ハヴィガーストが最初に提唱し、その後エリク・H・エリクソンなど様々な心理学者がそれぞれの発達課題を提言しており、その内容は一様ではない。一般に、発達課題は次のような意義と特徴を持っているとされる。自己と社会に対する健全な適応にとって必須の学習である。 本質的には一定の期間内で学習されなくてはならない。その後も存在し続ける課題もあるが、その意義は弱化していく。 発達課題は、子どもから高齢者に至るまでの各年齢段階にある。 エリク・H・エリクソンの発達課題エリク・H・エリクソンが提唱した発達課題の各段階とその心理的側面は、以下のとおりである。ちなみに左記が成功、右記が不成功した場合である。Stage One:乳児期 信頼vs不信 Stage Two:幼児前期 自律性vs恥・疑惑 Stage Three:幼児後期 積極性vs罪悪感 Stage Four:児童期 勤勉性vs劣等感 Stage Five:青年期 同一性vs同一性拡散 Stage Six:初期成年期 親密感vs孤独感 Stage Seven:成年期 生殖性vs自己吸収 Stage Eight:成熟期 自我統合感vs嫌悪・絶望 発達障害(はったつしょうがい/Developmental Disorders, Developmental Disabilities)は、一般的に、乳児期から幼児期にかけて様々な原因が影響し、発達の「遅れ」や質的な「歪み」、機能獲得の困難さが生じる心身の障害を指す概念。学術的には知的障害(精神発達遅滞)を含むが、一般的には、知的障害を伴わない軽度発達障害だけを指す場合も多い。発達障害児の示す発達の「遅滞」や「ゆがみ」は、決して不変のものではなく、適切な療育により発達を促し、改善していけるものであるとされる。発達障害児が有する特徴を遅滞や歪みとは捉えない考え方・立場もある。心理的発達に関する障害というと、愛情や育ち方が悪かったために正常に発達しなかった、というような印象を与えるが、発達障害に含まれるのは全て生物学的要因による障害であり、養育態度の問題など心理的な環境要因や教育が原因となったものは含めない。大多数は先天的であり、そうでないものも比較的低年齢に生じた他の疾患の後遺症による。分類精神発達遅滞 軽度精神障害 中等度精神障害 重度精神障害 最重度精神障害 精神遅滞、重症度特定不能 広汎性発達障害 自閉性障害 レット障害 小児期崩壊性障害 アスペルガー障害 特定不能の広汎性発達障害 学習障害(LD) 読字障害 算数障害 書字表出障害 特定不能の学習障害 運動能力障害 発達性協調運動障害 注意欠陥及び破壊的行動障害 注意欠陥・多動性障害 特定不能の注意欠陥・多動性障害 行為障害 反抗挑戦性障害 特定不能の破壊的行動障害 コミュニケーション障害 表出性言語障害 受容―表出混合性言語障害 音韻障害 吃音症 特定不能のコミュニケーション障害
2007.10.08
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統合教育では障害児、健康児を一緒に教育するが、現場の子どもたちは障害児の表現がそういうものだと学び、納得すればそれはそういうものとしてとくに反応するでもなく、協力する場面が出てくる事でクラスの一体感が生まれたりしている。実のところ授業の進度や他の児童への対応などについて苦慮するのは親と教師の関係性であるとも聞く。障害児の現存能力の維持向上のための専門教育の必要性についてはここでは問わないとして、個々の児童の個人差がそのままその地域で伸ばし活かされる事も地域福祉の一環であり、ノーマライゼーションの理念のベースを育成することにつながるかもしれない。 子どもたちに接して気づくのは差に対して良くも悪くも敏感なことである。変わっている、と相手にしない排除しようという空気も感じられる。その一連の暗黙の負の共感が差別的な言動に発展することもあろう。親密さが排斥によってもたらされるという捉え違いが、個人差を認めない事に端を発しているように思う。すなわち他に認められなければ自己の不安定さを解消できず誰かとつながりながら、その不安定さを排斥した相手に投影して安心するのである。つまり子どもが子供自身の個を認められる経験の積み重ねが欠如していることの表れではないかと考える。教育の質的向上が望まれる以上に平均値志向や能力分析ではなく個人差を考慮した支援解析が必須といえよう。
2007.10.08
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性格(せいかく)は、その者の性質を表す。(人だけとは限らない)性格という用語はcharacterの訳語として心理学で用いられるようになった。ゴードン・オールポートが述べているように、characterという単語には価値的な意味合いが含まれている。一方で性格という用語には価値的な意味合いが薄いということもあり,日本語の「性格」と「人格」という用語は混乱しやすいので注意が必要である。感情面の個性は気質(temperament)という先天的傾向に基づくといい、気質から作られる行動や意欲の傾向が性格とよばれる。性格とよく似た言葉に人格があるが、人格には社会的もしくは論理的な内容が含まれており、性格より範囲が広い。なおこの気質はヒッポクラテスの医学における四体液説に由来する。個性日本では往々にして肯定的な意味で用いられるが、本来は存在する上での差異を指して居るだけに、必ずしも有益であったりするものばかりではない。近年では、身体障害者の身体的特徴や精神障害者の症状をも、その人の個性であるという考え方も生まれている。いずれにせよ、たとえ客観的には不自由を強いる特徴であっても、それがその人らしさを形成する上で、必要不可欠な要素と成って居るのであれば、立派に個性の一端と呼ぶ事が出来る。広義では工業製品などの大量生産品であっても、他社製品とは違う機能やデザインをしている事を指して個性的であると表現する事もある。画一的な工業製品から逸脱したデザイナーズ・ブランドに顕著な傾向ではあるが、中には奇を衒い過ぎて、本来の機能が損なわれている場合もある。シンプルで余計な付加価値を持たない製品が、近年の多機能化傾向の強い風潮の中で、逆に個性的とされる皮肉な逆転現象も起こっている。個性を大切にして、個人個人の性質を最大限に生かそうという考え方が一般的になってきたが、単に「人とは違う」という面のみを持って尊重されるとは限らない。例えば「他の人ならまずやらない」ような不快な癖を平気で披露する者や、あるいは年甲斐も無く異なる年齢層向け・性別向けの商品・サービスを好む傾向や、あるいは外見とマッチしない趣味・嗜好を持っている、かつそれを隠そうとすらしない者への風当たりは厳しい事も少なくない。単に珍奇・珍妙であるのか、個性的だと評価されうるのかについては、当事者の価値観にもよるが、少なくとも評価の可否にはマナーや道徳・あるいは極大なものでは人道といった社会的価値観にもからみ、一定の傾向も見られる。その点で「他人がそれをしていない」と言う行為・行動・傾向が、「能力的に出来ないのでしていない」のか「価値観に沿わないから出来るけどしていない」のかは大きな違いを含むといえよう。特に個性の発露となりやすい趣味やファッションという分野は、他人が個性を評価する上で注目されやすい要素でもある。全体主義的な社会では、個性とは不要か、むしろ害に成ると云ってもいい概念である。しかし個性を認め得ない社会は、アリなどの昆虫の群れに等しく、変化や発展に限界が存在する。というよりは、完全に個性をなくし、全体化した状態の社会はそこで固定化され、変化など生まれるはずがない。社会学的に見れば、常に変化は個人から集団に伝播し、やがては大きな革新へと発展する。つまり、個性がありすぎれば社会の維持にとって害になるが、個性がなければ社会の進展もありえない。個人が個人である必要が無いのであれば、往々にして個人の価値は、消耗品以上には成り得ない。欠損した故人の椅子に、誰か代わりを持って来れば、集団のうちに何割かが稼動できれば良い、という状態を維持できるわけで、人命は極めて軽んじられる。
2007.10.08
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知能は幅広い概念であり、論理的思考、構成力、問題解決能力、抽象的思考、言語機能、学習機能などさまざまな知的活動を包括する。因子分析による分類によれば、知能には一般能力と特殊能力の2因子があるとスピアマンは提唱し、エドワード・ソーンダイクは、CAVDという4検査によって知能4因子説を唱えた。サーストンは、57種類のテストを大学生に実施し、知能には9因子があるという説を提唱した。ギルフォードは、180の因子があるとしている。ガードナーは、言語的知能・論理数学的知能・空間的知能・音楽的知能・運動的知能・社会的知能・博物的知能・実存的知能といった多重知能を提唱している。知能の比較のためには多種多様な知能検査が考案されているが、知的能力のすべてを数値化し判断することは不可能である。また昨今では能力開発ブームであるが、大脳新皮質である左脳の活動が優位なタイプと右脳の活動が優位なタイプといった分類をすれば、左脳の言語的能力と数学的能力の特性と右脳の芸術的能力の優位性を比較することも可能であれば、大脳生理学の利き脳のプロファイルで子どもの個人差を特定することもある。また前頭前野の領域における言語的知能、数学的知能、空間把握の活性化により知的活動が活発になるのであれば知能の個人差は、脳の活動領域の差とも言えないだろうか。実際に学習障害児と情緒障害児あるいはアスペルガー症候群の疑いがある児童の相談を受け脳のプロファイルを作成するにあたり利き脳と諸活動を行うための機能の連携がとれていないことが多々ある。脳器質的な問題を医療機関で検査する前段階で発達過程における感覚運動機能と脳の情報処理システムを再構築することで著しく改善するケースが多々ある。子どもの個人差において知能あるいは性格を尺度とする場合は、その表出している事象にとらわれず発達課題の成熟と環境の相互作用によって機能的な訓練の不足が生じたという背景も考察しなくてはならないと考える。訓練によって構築された能力が環境、とくに親の負の働きかけが繰り返される事によって再び失われるケースがあることからも知能の獲得には子どもの成長発達に好ましい環境を提供する保護者という要因は切っても切れない。経験的知恵と知識をバランス良く使いこなすことが知能が高いといえるかもしれない。ちなみに先天的な障害を持つ子どもに関してはこの限りではない。知能による子どもの比較は発達的特徴をふまえなくてはならない。前論理的に振舞う幼児期であっても諸条件を整えれば論理的な思考が可能だということがわかっている。論理的な能力を潜在的に持っていてもそれを発揮しにくいという説もある。好奇心をくすぐられる場面では非論理的な行動を示す。かといってそれがと知能が劣るというものではない。事象の言語化、具体化、概念化、抽象化といった思考は成長とともに発達する。この場合、個人の持つ生得的能力の優勢あるいは劣勢によって個人差が生じればそれは遺伝による個人差となる。また発達過程によって様々に影響を与える環境要因によって個人差が特化していくとすれば環境説と言い換えることもできる。遺伝説は生物ごとに組み込まれた遺伝的要因を重視する。乳児は様々な反射行動をもって生まれ、月齢とともにほぼ一定の順序で近く。運動的な活動ができるようになっていく。発達とはこのように成熟によって生得的で潜在的な能力が開花していくことであると考えられる。この見方では人間の個人的能力の差も遺伝的にある程度決定されると考える傾向がある。一方環境説では生まれたばかりの状態では人間の知識は新規作成の状態であり学習によって認知や行動のパターンを獲得していく過程が発達であると考える。生まれてまもなく人間社会から離れ、野生の狼に育てられた少女の事例によれば発見後かなりの訓練を行っても通常の人間のように言語を使うことができず、知的能力も低いままであったという。これは明らかに後天的な学習の重要性を示している。しかし現在では遺伝説と環境説は、単一に影響するものではない。遺伝的メカニズムと環境条件の相互作用としては、鳥のヒナが生まれて初めて見たものを母鳥と思い込む『すりこみ』という学習である。自分を保護し養育してくれる親鳥を認知する能力を潜在的に持ちつつ、その学習能力が発揮される臨界期と生まれた直後の環境が一致すれば後からの変更が殆ど難しい学習がなされる。人間の幼児においても、言語獲得の要因として可聴領域の発達時期にその言語(母国語)を聞くという条件がある。イギリス英語はアメリカ英語と比較して子音による高次倍音が多いがその子音を聞くための聴覚刺激の時期が3,4歳以下であることが望ましいという。このようなことからすべての生物は遺伝的に規定された成熟の過程で、環境と相互に作用しながら発達していくという説に落ち着いている。遺伝と環境の要因をどちらも考慮しながら現代の発達や学習の代表的な理論を三つあげてみたい。行動主義的学習論は生後の経験を重視する考え方である。刺激と反応との連合が次第に形成されることが学習であるとするものである。学習の基本的なタイプとしてはパブロフの犬を使った生得的反応による条件反射の実験に代表される古典的条件づけと、スキナーによるネズミを使った生体反応による報酬的による学習といった道具的(オペラント)条件づけがある。行動主義では学習成立の条件として報酬や罰を重要視していた。しかし、動物ですら報酬や罰は不可欠ではないことを示す事実があげられるようになった。トールマンは報酬を与えられていないネズミも潜在学習を行い認知能力を用いた自学習を行っているとした。とすれば、こどもの個人の能力が報酬や罰だけで活性化するのではなく、外部情報を取り込むことを辞めない限り、内的に構成を続けているということがいえる。ハーロウはパズルを解くと報酬を与えていたチンパンジーに報酬を与えないような条件にするとパズルに対する興味を失うという実験により内発的動機づけという知的好奇心が物質的報酬によって減少することを証明している。教育において人間の子どもについても報酬を与えれば一時的に遂行を高める事は出来ても学習内容への興味は減退してしまい学習への意欲がそがれるのであれば個人差が人為的になされたといわざるを得ない。
2007.10.08
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個人差について発達・教育1.知能 知能とは一つの能力ではなく、いろいろな能力の集合である。その一つひとつの能力を知能因子と呼んでいる。「知研式」知能テストでは、以下の1~5の知能因子を分析し、それぞれの能力測定を行われる。(1)知能領域1概念:言葉の意味で考えたり、憶えたりする能力2図形:物の形で考えたり、憶えたりする能力3記号:数や音、色などで考えたり、憶えたりする能力(2)知能活動4記憶:憶える能力5思考:考える能力2.性格 3.遺伝と環境 (1)反応性の相互作用 同じ環境にある異なる個人は、それを別々に経験し、それを別々に解釈し、それに別々に反応する。(2)誘発性の相互作用 個人の人格は、他人から特有の反応を引き起こす。(3 )順向の相互作用 個人は彼ら自身の環境を選択し、創造する。子供が成長するにつれて、順向の相互作用の影響は、ますます重要になっていく。 双生児研究は、多くの不可解なパターンを産出した:ばらばらに育てられた一卵性双生児から見積もられた遺伝率は、一卵性双生児と二卵性双生児の間の比較を基礎として見積もられたものよりも、高い;ばらばらに育てられた一卵性双生児は、一緒に育てられた一卵性双生児と同じぐらいお互いに似ているが、二卵性双生児や双生児ではない兄弟は、時間がたつにつれてより似てこなくなり、それはいっしょに育てられたときも同様である。これらのパターンは、おそらくある部分は遺伝子の相互作用によるものであろう。それゆえ、すべての遺伝子が共通している人は、半分の遺伝子が共通している人の二倍以上に影響があるであろう。そのようなパターンはまた、ある部分は人格と環境の相互作用の三つのプロセス(反応的、誘発的、順向的)によるものであろう。 それらの遺伝的類似性が減じられた後、同じ家族からの子供たちは、母集団からランダムに選択された子供たちよりも、ほとんど同じであったと思われる。このことは、心理学者に典型的な研究(子供の養育経験や家族の社会経済的地位のような)が、実質的に人格における個人的差異にまったく寄与していない変数の種類を含んでいる。4.教育 「個性を伸ばす」という表現を拡大解釈されている論調がある。「自由」、「民主主義」、「人権」、「個性」など、どれをとっても束縛や条件あってのもので、「個性を伸ばす=個人の欲求を満たす」という無制限なものではない。最近議論されている「個性を伸ばす」ということは確かに今後の教育の流れにはなると思うが、今後考慮されるべき事は、そういった個性をいかに活用して教育の幅を広げるかということではないでしょうか。 「絵を描くのが好き」という子供に、好きなだけ絵を描かせるというのは「個性を伸ばす」ということになるだろうか。ただ、そういったイメージによる物事の捕らえ方が得意な子供の特性を活用した柔軟な教育方法も当然あるわけで、そういった子供の特技や興味に便乗した形で幅広い教育を施すことは可能である。勿論この場合、現行のように一学級多人数のクラスでは容易な話ではない。そういった分野は現在まで殆ど未開拓で、今後重要になってくると考える。5.発達 子供の発達については不安が伴う。同年代の子供がしゃべっているのに自分の子はしゃべらないなど落ち込み、心配する。ただ、ことばが順調にしゃべれている場合はその子の知能の発育は順調ということは言えるが、逆に、ことばが遅い子供の場合は知能が遅れているということではない。ことばの発達には個人差が大きく、知能などにまったく問題がなくてもことばの出現の遅い子が多い。しかし、我が子が他の子供より遅れてないか、劣っていないか、親として心配は絶えない。大人の社会の尺度によって、優劣を付け、子供の混乱を招くことは、避けなければならない。今後、子供の発達・成長について、親の理解を深めていくことが急務であると考える。
2007.10.08
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(前場面があって・・・)たくさんの鳥が飛んできたので空に両手を広げました鳥たちは降りてきて私の長い髪を枝の変わりにして留まっていきます振り返ると私の髪は 枝葉になっていてそれを よっこらしょと持ち上げると なんと大木周りの仲間は 楽しそうに手を叩き笑いあってますその大木の留まっている鳥の様々な種類と色彩の豊かさにびっくりしていると何かのパレードが始まるようですその大木を抱えながらついていくと、私のオーストラリアのメンターに出会ったので大木を手渡すと、メンターはその先頭に立ちました私は後方の 木で出来た車輪のついた船のようなものを押す手伝いをしようと近づいて、多国籍のメンバーだということに気がつきました「ハイ、エブリワン」とかいっっちゃって(笑)押し始めるとメンターが私を呼び 前方左のボックスに行くように伝えました私が持つことになったものは 未来を占うボックスでした最初に引いた 細い拍子木のような占木のメッセージを読み上げました次に引いたメッセージは男の子の気持ちのよいことを教えるというものでしたこれはセクシュアリティに関することではなく攻撃・戦闘心、征服欲、支配欲、奪略欲などの男性性に関する”快”(気持ちのよさ)ではなく建設的かつ健全な人としての至福感や個々の人格の成長に相応した達成感そのほかの気持ちのよさを、母としての女性性が導き成長の中で体験することを見守るというものと私なりに解釈しましたもちろん、今後私自身の成長とともに意味づけは変わることもあるでしょうしかし、子どもを育てるということに関する母親、父親の生き方そのものがあるいは、社会の通念が生育に大きな影響を与える事は言うまでもなく戦争にしても環境問題にしてもまず親の価値観からスタートするわけですものね先日の講師会の話につながるのですが親の代から引きついだ『負の遺産を人のせいにせず、自分の代でせきとめ解決する』そして その方の魂がこの人生をより充実し満足して生きるお手伝いができるようにまず、私たちがその行動をすることによってモデルとなるよう常に自分に起こることや人の姿を観ながら、自らの努力の余地を探らなければならないと話し合いました**************普段、レポートのような概論以外にこのような仕事上の具体的なことは書きません書くということは その言葉を不特定多数に発信することであり不特定多数の皆様にはそれぞれの人生、経歴、情報の取捨選択とお持ちの情報とのすり合わせによる解釈があります書き手の意図がそのまま伝わるとは思っていませんし一概に情報の受け手の自己責任とだけ言い放つ時代ではなくなっています私は、情報発信という側面には潜在意識へのアファーメーションがあるように思います単純に言えば「それが ほしい。」といいながら現実には「そんなの いらない。」と、手を後ろに引っ込めるのでは潜在意識は『受け取れないための願望を叶えるため』に動き出しますあるいは言行不一致の別な展開として、自分の潜在意識を守るだけのリラックスした中での緊張感や集中力が試されるような場面もあるでしょうつまり老師や気功のマスターや、優れたサイキックが「気をゆるませてはいけない」という状態ですでは、ことばで表現するものと行動の不一致が人の周りとその未来に何を起こすのでしょうかそして、あなた以外の他人は本当にそれを理解することができるでしょうか家族の経歴を何千例も観てきた中で理解という言葉だけでは 相手の魂の無限の時間と経験の中においてあまりに漠然としていて、3次元では意味をなさないと思います聞き違い 言い間違い 伝え間違い 感違い 固定観念 発言者への思い込みそして取り繕いによる嘘それらを 関わる人たちが いっせいに照らし合わせた時に初めて その人が表現している『混沌や負の矛盾』が見えてくるはずです周囲がその人の混沌を観ながら 美しい言葉とのギャップを感じていく・・・せめているのではありません私はいつも誰かのクレームを伺うたびに「その方も・・・きっとおつらいでしょうね。」とお返事しています
2007.10.08
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類型論類型論とは、人をある基準によって分類することによって性格を捉える考え方のことである。分類された人々の中の典型的な性格を類型的性格という。性質を分類するための分類としてて代表的なものにはクレッチマーとユングの気質論がある。以下の分類以外にも「シェルドンの分類(クレッチマーと同じ分類)」、「ツルゲネフの分類(ユングと似た分類)」などがある。類型論は人を分類するという点で理解しやすい性格の捉え方であるが、中間のタイプが無視されやすい、一度ある類型に分類されると別の類型への移行が生じにくい、典型的な人物像に完全に合致する人が存在する可能性が低いなどの問題点もある。これらの問題点を解消するためには、特性論的な見方も併用することが望ましい。気質類型論*クレッチマーの気質分類循環型気質:社交的なときと静かなときが交互に出る 分裂型気質:非社交的、気づかないところと気づくところ両方が出る 粘着型気質:几帳面、やることは凝る *ユングの分類カール・ユングの考案した分類。 人の心的エネルギーが向かう方向として2つ、心理機能として4つの機能を挙げこれらの組み合わせで合計8つの性格類型を考える。 外向 外界の事物に関心が向く。環境適応が早い。 内向 内界の主観的要因に関心が向く。思慮深い。 思考 知性によって物事を一貫的に捉える機能 感情 好き嫌いで物事を捉える機能 直観 物事の背後の可能性を知覚する機能 感覚 生理的刺激による知覚機能 *ルドルフ・シュタイナーの分類シュタイナーは古代ギリシアにおける粘液の分類を取り入れ、子供を分類して指導法を変えている。胆汁質:自我が優勢 多血質:アストラル体が優勢 粘液質:エーテル体が優勢 憂鬱質:肉体が優勢 *ディルタイの分類英雄型 官能型 瞑想型 *シュプランガーの分類理論人 経済人 審美人 権力人 宗教人 社会人 *エーリヒ・フロムの分類世界に対する関係のありかたとして5つを挙げる。受容的 搾取的 貯蔵的 市場的 生産的 *カレン・ホーナイの分類対人関係における不安に対する防衛様式として3つを挙げ、この様式が性格を規定するという。依存的 攻撃的 隔離的 *エニアグラムの分類批評家:剛直。完全主義者。鑑識力が高い。曲がった事が大嫌い。 援助者:人当たりが良い。八方美人。天気屋。 遂行者:柔軟。行動的。価値や目標に拘る。 芸術家:我道を行く。孤高の志士。センスや芸術性が高い。 観察者:默考・分析・調査が得意。内向的。皮肉屋。有益性を重んじる。 忠実家:安定性を望む。寄らば大樹主義者。趨勢に流されやすい。 情熱家:冒険的で楽天的。好奇心が強い。ピーターパン。 挑戦者:独裁者根性。武闘派。破壊主義者。他人に操られるのを嫌う。 調停者:葛藤を嫌う。平和主義者。 *野口晴哉の体癖分類整体指導者野口は、感受性傾向および、身体運動習性にもとづいて、1種から12種までの体癖に分類する。体癖は2-3つが混ざっていることが珍しくないとする。 上下型(1種、2種)、毀誉褒貶に敏感な頭脳型。 左右型(3種、4種)、好き嫌いの感情に敏感な消化器型。 前後型(5種、6種)、利害得失に敏感な呼吸器型。 捻れ型(7種、8種)、勝ち負けに敏感な泌尿器型。 開閉型(9種、10種)、愛憎の情に敏感な生殖器型(骨盤型)。 遅速型(11種、12種)、体が過敏または鈍感なタイプ。 *岡田斗司夫の分類王様タイプ:人に注目され認められることを喜びとし、無視されることを嫌う。目立ちたがり。 軍人タイプ:勝ち負けに拘る。勝つことを喜びとする負けず嫌い。 学者タイプ:ものごとのしくみや法則を理解・発見することに喜びを感じる。 職人タイプ:自分の思い通りに物事をやりとげることを重視する。人から見てどうかより、自分の理想に近づくことを喜びとする。 * 特性論いくつかの特性を単位として性格が構成されているという考え方であり、心理学者ゴードン・オールポートが代表的な論者である。1つ1つの性格の構成単位を特性という。 特性は次元的に表現されるため、類型論と比べ、ステレオタイプになりにくいという利点があるが、類型論に比べて一般にはなじみが薄い。 しかし現代の心理学においては、統計的に詳細な検討が可能であるという点で、性格を特性として量的に測定する研究手法を採用することが圧倒的に多い。量的に測定しておけば、ある得点で調査対象者を分類すれば類型的に捉えることも可能になるという点で利点も多い。5因子モデルゴードン・オールポートが辞書中の性格用語を抽出したことに端を発し,その後多くの研究者が人の性格特性がいくつの要素で成り立っているのかを検討してきた。現在のところ,5つの特性によって人間の性格をおおまかに記述することが可能であるという説が最も有力であるとされる。この5つはあくまでもおおまかな記述であり、5因子モデルの性格検査の1つであるNEO-PI-Rでは、5つの特性の中にさらに細かい特性が設定されている。 5つの特性は以下の通りであるが,日本語訳が定まっていないものもある。Neuroticism(神経症傾向,情緒不安定性) Extraversion(外向性) Openness to Experience(開放性,知性) Agreeableness(調和性) Conscentiousness(勤勉性) ロン・マギー博士、デイビッド・エイラー博士、ジョー・バッカホルト博士により、5因子モデルを基本とした新しい心理テストがアメリカで出版された。テストの対象年齢は9歳から19歳で、テスト名はFive Factor Personality Inventory - Children (FFPI-C)。Pro Ed社から2007年に出版されている。現在出版されているテストは英語のみ。
2007.10.07
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ワイナリーのテラスはこんな感じです今の季節は、日中でしたらテラスでワインをいただくのも気持ちいいですよ夕方はかなり冷え込みますテラスの横から地下にはワイン樽がありますセラーにおしゃれなテーブルとフラワーアレンジメントがありましたオレンジ電球程度の明かりでワインを保護していますしっとりとした空気の中ワインが眠ってます今日から(6日)売り出した2005年のワインがありましたここで眠っていたのですね 眼下に見えるぶどう畑に下りていきますと・・・ミニバラが道路に沿って植えてありました天使のはしご(雲間の光)がみえました景色にうっとり・・・というよりは「ワイン飲みたいよおぉぉぉぉぉおおおお!!!!!」という気持ちを整理中・・・・これから、試飲バーを通り抜けて帰らなくてはならないのです良心の声 「飲酒運転はいけません!!!!!!」*ワイナリーは伊豆の山中にありますので、最寄の駅より送迎バスが出ています
2007.10.06
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こちらのシャトーのワインは、昨年国内コンテストで金賞をとったそうです ぶどう畑に…ぶどうの房はありませんでした スタッフの方に尋ねると、今年は一月早く収穫したと伺いました 畑を一望するテラスに夕日のシャワーが気持ちよかったので シャッターを押すと太陽光でホワイトアウトしてしまいました 超常写真ではありませんので冷静にご覧下さいませ…(*^ハ^*) ><楽天ブログの日記更新メールです> ><このメールに返信するとブログ記事が書けます> ><画像や動画(ベータ版)を添付することも出来ます> ><このメールはPCから下記URLにて配信停止できます> >
2007.10.06
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『価値があるのは 行動だ』・・・ばっとまんコヴィーさんの 7つの習慣を読んだわねわたしも つい 3時間前に 前半読んだわよ (締め切りの前向きな逃避かも・・・)
2007.10.05
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何をするか「どうやってなおすかわからないものを こわすのはやめてください」伝説のスピーチを初めて映像で見ました14,5年前の津村喬先生の月林気功の合宿のときに確かフェリシ○の営業さんが朗読してくださったセヴァン・スズキの胸を打つスピーチ・・・実際にはかなりお怒りモードですこれもまた大人の私は反省すること大で涙もホロリ・・・http://www.youtube.com/watch?v=C2g473JWAEg「どうやってなおすかわからないものを 傷つけるのはやめてください」心に関しても同じですね
2007.10.05
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支持法は、やる気や自発性を高めるために 表現法は、これまでの自分の殻を破るために 洞察法は、自分を理解するために 訓練法は、自分の行動力を高める学習のために 山中康裕、S・レーヴェン=ザイフェルト、K・ブラッドウェイ編集『世界の箱庭療法――現在と未来 』新曜社 2000年 徳田良仁・村井靖児編集、内山喜久雄・高野清純 監修『アートセラピー』日本文化科学社1988年
2007.10.04
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共感とは相手の置かれている状況、考え方、意図、関心などに、対等の仲間として関心を持つことである。相手の地位や能力を評価し、自分より優れていると判断したときだけ尊敬し、劣っていると見るとぞんざいに扱うのでは尊敬しているとはいえないし、相手よりも上位にあると感じながら相手の感情に対して感情的に反応して連帯したつもりの同情心に囚われてしまう。また共感するからといって言葉で話し合うよりも暗黙に合意しあう事を重視し、相手にも自分の考えを察するように求めれば冷静に理性的に話し合って合意に達するように努めることからかけ離れ感情的になって要求を通すか、あるいは相手を傷つけないために要求をしないということにもなりかねない。クライエントの個性を認め、クライエント自身がその行動責任をとるかぎり最大限の自由を認めるといった自由平等の感覚と、クライエントの言動の背後にある善意を引き出し自己解決能力が活性化することを信頼するということを信じる事が人間理解に通じると考える。
2007.10.04
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カウンセラー側の価値観や固定観念を振りかざす余地のない援助はバイスティックの原則に明らかではあるが、最近では海外の福祉論上ではあまりに基本的なこととされ国際的な福祉大会などで、折に触れ掲示される事などなくなっていると聞く。それだけ援助者側の行動倫理の確認や自己覚知が必須となる。自己覚知のためには、まず自分自身を知ることから始めなくてはならない。クライエントを人間理解するために、まず援助者である自分が、何に反応しどのような価値観を持っているのか人生全般を把握し統合しておかなければならない。またそうすることによってクライエントを受容・共感し、クライエントの価値観に反応することなく、唯一無二の人間として理解することが可能になるのである。それまでの人生で選択してきた価値観・経験・知識がその人固有のフィルターとなって人間関係や社会的活動、自己実現に関わる際に悪癖や繰り返される好ましくないパターンとなっていることは誰しも起こりうるし、本人はそのことに気づかないまま相手を変え品を替え問題が重複することも多い。自らの価値観の枠組みを外すことで受容の許容量は増大し、選択することへの柔軟性は共感に興味や親近感を加味していく。偏った価値観があると知る事でクライエントへの共感も生むが注意しないと単なる痛みの共鳴(投影)や共依存になりかねない。また防衛機制や心理逆転、人を援助しようとすることで得ようとする「自分が必要とされている」といったクライエントの存在による援助者側の自己肯定感や補償についても自らの好ましくない価値観として機能していないか自問自答しなくてはならないと考える。
2007.10.04
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臨床医学におけるカウンセリングとはクライエントが抱えている問題を解決する”援助”をするための技法である。クライエントは家庭内あるいは社会的なかかわりにおける人間関係や生活全般のこと、性格や精神状態といった内面的なことから身体的な不調について訴えることになる。カウンセラーに開示される問題が、直接カウンセラーとの面談によって解決されるべき問題になるとは限らない。他の専門的な分野や医療機関を紹介したり、またそういう支援があるという情報を提供しなくてはならないと判断される場合もあるだろうし、あるいは何がしかの療法が功を奏すること考えられる事もある。またクライエントが問題と感じている事象や事態が、実は本当の問題ではなくその表出していることの暗面下の方が先に取り組むべき課題であることも往々にして起こっている。こういった対個人のカウンセリングでありながら、家族間、社会組織としての職場、地域とのつながりといったダイナミズムを無視しては成立し得ない。クライエントが求める真の欲求に焦点をあてることにより、一生活者としてのQOLを高めていく事が可能となるのであれば、フロイト心理療法における『カウンセラーは匿名の治療者』のように占い師的な分析告知ではなく、生活者としてのクライエントの真の欲求を「援助してくれる友人」として真摯に関わっていく必要がある。このようにカウンセラー側の基本姿勢とクライエントとの相互関係を研究したC.ロジャーズによる、来談者中心療法が面接場面で多く取り入れられたことに合点がいく。1980年代後半、学校内暴力が収まりつつあったかわりに、登校拒否の問題が浮上し、学校現場でのカウンセリング能力が問われ、地方でも学生指導の立場にある方や養護教諭の勉強会が行われていた。私は門外漢ではあったが、まず来談者中心療法の理解に重きを置いた講義に大変感動した記憶がある。来談者中心療法では、カウンセラー側の知識の量や権威を振りかざす事はタブーであり、カウンセラーの人間性と態度といった無条件の肯定的関心、共感的理解、自己一致をクライエント自らが感じ取ることで治療が進行していくのであるとしてる。そのためカウンセラー自身が人生全般を見渡し不全感があれば、自己実現が求められる事となる。後期のロジャーズや現在のロジャーズ派では、プレゼンス(人がそこにいる事)という概念が重視されているがこれは、クライエントの言語化されない反応を感じとるという感性が必要なのである。逆に言えば、姿勢や表情といった態度そのものが治療効果の要因となるともいえよう。ちなみに、後年のロジャーズはエンカウンターグループやエンカウンターを来談者中心療法から人間中心療法へと名称を変更している。こういった視点で面接場面でのカウンセラーのあるべき姿を模索していくと、アドラーの『治療者が患者の問題に確実に感心をもつときにのみ、治療は成功する。我々は、患者の目で見、患者の耳で聴かなければならない』といった受容、共感、傾聴の姿勢は最も留意すべきことであろう。野田俊作監修の実践カウンセリングによれば、『アドレリアン・カウンセリングは積極的なカウンセリングであり、カウンセラーは消極的な聞き役にはとどまらない』とされている。主訴とみられる問題は結果として発生しているものであることに自ら気づくことを傾聴することで促し、原因である言動や思考のパターンを自己分析していくプロセスをともに見つめていく根気の要る作業でもある。ミルトン・H・エリクソンは、1930年代から催眠療法家として知られているが、その療法のみならず稀有なカウンセラーとして知られている。私の友人がエリクソン存命中にキャンパスで学んでいたが、その佇まいがすでに受容と共感と親しみの人であったという。彼の提供した催眠療法がそれまでの権威的な働きかけ (威光暗示など)ではなく、人と人との相互反応として、相談者の欲求や認知の枠組みに応じる方法での無意識への語りかけ技法を様々に考案し、抵抗にソフィスティケートな対処をすることでクライエントの潜在的な課題への取り組みを促したということも理解できる。エリクソンらの臨床実践を観察、モデリングしたものからNLP(神経言語プログラミング)、解決志向ブリーフセラピー全般、S.F.A. M.R.I..P.O.P.など多くの療法の基礎となっていることはいうまでもない。いずれもクライエント自身の中にカウンセラーやセラピストを育てていくプロセスに寄り添い暖かな観察、つまり見守ることを重視するためカウンセラー側の価値観や固定観念を振りかざす余地のない援助過程となっている。
2007.10.04
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予約2年待ち(!)という占星術家のお話を聞きました私のところが(ようやくですが)ほぼ1ヶ月待ちになったのを比べるとどれほどお忙しいのかがわかりますそれでも、今の時期は仕事をしない!と決めてあったのに会計士さんが一覧表を作ってくださったら結構仕事をしていたと笑っていらっしゃいましたさて、とても溜飲が下がるお話しがポンポンと飛び出しましたカウンセラー、コーチ、セラピストがクライエントとして来るけれど・・・何か独立、あるいは起業したいセミナー講師、カウンセラーやコーチ、セラピストを希望するけれど・・・「ある意味危険だよね!人に影響を与えたいなんてそれって支配ってことに気づいてないよね!」と 力説されていたのです表現は違えど、私が開業前から常に念頭においていたセラピストの自己覚知言行一致 エネルギーの循環や対価交換についてもわが意を得たりと胸がすく思いでしたこの他、これからの世界動向から出版界、ビジネス、お金の循環、自分を知ること、磨くことセクシュアリティー(肉体的なテーマではなく陰陽のエネルギーバランスについて)今どういった人材が必要とされ成功しているか恋愛 について私の大好きな♪カンダ先生♪と対談されているものですからいやがおうでも パワーアップしますキネシオロジー的に例えるならばリラックスしたハイギアですねどこかの偉い方が言っているから肯定されているという権威づけではなくて暖めてきた企画が、まさに↑上の会話にマッチングしていることの嬉しい共鳴感ですねいつか○○さんにお会いして 直接お礼をお伝えしたいと天に願っておくことにしますではではおやすみなさい 皆さんにとって よい夢を・・・
2007.10.01
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議題は山ほどありますが・・・まず私がブレインジムコースを開催するにあたっていくつかのサポートを提案してくださることに感動で胸がふるふるしています人間的にほれぼれするメンバーは どこを切ってもすがすがしく にごりのない湧き水のようです粋で、セルフバランスのとれた面々です面白いことに来年の2月に、私の運気が変わることをそれぞれのテクニックや、勉強されていることや、直感によって講師陣がキャッチしてくださっていたことで私自身の”2月から次の流れ”の確信的予感が私だけの自己満足でないことがわかりますビジョントレーニング、リモートビューイング、そしてリーディングの類にしてもきちんと”見渡せる”トレーナーの下、同等レベルの演習者が1、果たして同じものを”観ている”かどうかのビジョンやリーディング、予知のすり合わせ(つまり人によって内容がまったく違うということはありえないということ)2、エゴのフィルターがかかっていないか3、どんな体調でもコンスタントに責任あるリーディングができるか4、リーディングにかかわる一切の責任とカルマを背負う事ができるか5,6,7,8,9、・・・そういう点をお互いに見えないところを補い合えるというのは本当に心強いし、この人生の深みを運命や宿命にも感謝できるようになりますお互いの能力を尊重しあい『私が 私が』という自己顕示は、とうにすてているからでしょうそれから・・・どんな人の中にも その人生での答えが隠されている事とそれを自分の力で見つけることができると信じているからですですからケース会議で 相談者さんの出来ていない事をあげつらったり、馬鹿にしたり笑ったりすることなどいっさいありませんそんなことをすれば自分の人生に恐怖を引き込むことになります自分が不出来なことを影で非難されていないかでたらめをやっていると馬鹿にされていないかぜんぜんうまくいってないじゃないと笑われていないか人にそういわれなくても、そのような不安を引き入れることになりますみんな あきらめない限り 大丈夫明日の二つ目の議題は人をサポートする責任以上にそこからさらに リーダーシップの素質をもつ あるいは希望されている方々に必要なお手伝いをさせていただけるかというものですどんなジャンルでも関心のある方がいらっしゃれば窓口を広げていこうということも提案しようと思ってますよき仲間にスーパーバイズしていただけることのありがたさをかみしめながら人にばかり期待せず素直に自分の長所を伸ばし、短所をいさめようとする自分自身の客観性にも謙虚になることを言い聞かせながら・・・
2007.10.01
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