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家族の構造と機能について述べよ。家族は社会学的にはどう捉えられるのか。その定義を理解した上で、社会で生きる我々にとっての家族の役割や、現代において家族がどう変容し何を必要としているかなどを考察すること。T・パーソンズG.P.マードック
2007.03.31
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高齢化、少子化、そして女性の社会進出によって、家族に揺らぎが生じている。失われた家族の機能を代行しうるものとしては、地域社会やNPOとともに、やはり国家が不可欠である社会構造の多元性を確認しつつ、福祉、環境、社会資本を統合的にとらえる「総合的福祉国家政策」。社会変動の要因として情報が機能し,情報を統制する社会組織が社会全体を統制したこともあり,また情報技術が文明を変化させたこともあり,その間に人類は文献などによって情報を蓄積して伝承してきた。さらに,「歴史」そのものが重要な「情報源」でもある... といった具合に,多くのレベルに渉る因果関係を読み取ることが可能である。この著作は,こうした情報と歴史の関わりの多重性を眺め,そこから種々の着想を読み取ることができる。日本社会は大きく変化してきた。この変化は、経済的側面はもとより、我々の生活様式、思考方法等にまで、きわめて幅広い範囲に、しかも相互に関連しながら深く及んでいる。このような社会構造の変動、および社会の産物としての文化の変動のことを「社会変動」と言う。この社会変動の中で、従来、我々の社会に存在しなかったことが日常に存在するようになり、これまで意識されなかったりした事柄が新たに社会問題として取り上げられるようになった。それは、社会変動が社会の構造を変えるものだけではなく、社会のあり方さえも変えてしまうからなのである。高度経済成長により、国民の生活水準は上がり、医学の進歩等もあいまって、平均寿命は大幅に伸び、現在では人生80年といわれるまでになっている。しかし、そのような中で人生についての価値観が男女ともに大きく変化し、女性も社会に出て職を持ち、そのため社会は高学歴化し、一人の子供を育てるための教育費は増大し、高度経済成長期頃とは比べ物にならないほど、子供一人を育てるためにかかる費用は家計の中で大きいものとなり、子どもを生み育てることが負担であったり、自分の時間を優先させるために子どもを産もうとしない夫婦が増えているのである。さらに、晩婚化・未婚化及び高齢化により、核家族化・小家族化が進み、単独世帯が増えている。わが国では著しくこの傾向が進んでいる。特に近年のわが国は、高齢化が急激に進み、子供の数の減少とともにわが国の社会変動の大きな要因の一つとしてあげざるを得ない。このように、わが国の現状では人口構成が変化し、今後さらに高齢者が高い比率を占めることは確実に生起している事実であり、少子化及び子育て問題は、わが国における社会変動がもたらした、大きな社会問題のひとつである。社会変動の要因について述べられる中で、社会的要因の代表例としては、近代化と産業化によって人々の職業構造が変わり、その結果国民の共同性が大きく変化し、人口密度・規模が増大した。高度経済成長により、急激に都市化が進み、都市の規模が激増すると同時に人口が都市化に集中した。そこで人々は労働力として産業革命の担い手となると同時に、わが国の伝統的な生活様式から都市的生活様式への変動の担い手ともなり、核家族化が激しく進んでいったのである。そして、それに付随して住宅事情も大きく変化し、都市にはマンションが相次いで建設されていったのである。このように家族の果たす機能が縮小すると平行に、地域共同体のあり方も変化し、伝統的な地縁・血縁、職業などを中心とした共同性が薄れていったのである。またこれに対し、産業化に伴ってこれまでとは異なった職場での社会集団、労働者階級など新しい社会集団が出現し、社会意識も変化していったのである。 しかしながら、社会変動の要因として注目されることが多いのは技術的要因である。技術の進歩は工業生産力を激増させて産業革命の一因となったと同時に多くの失業者を労働者に変換し、さらに近年では、次々と新たな分野が構築されている。特に情報技術の進歩は社会の形態を情報産業中心へと変化させ、それに伴う問題も多く浮上している。特に、つい10年前では考えもしなかったほど携帯電話は子供から大人まで、誰もが必需品としている。その一方で、出会い系犯罪など、低年層を巻き込む事件が多発し、インターネットの普及により子供でも様々な情報を簡単に入手することが出来、そのことにより子供たちが巻き込まれる事件と同様に子供たちが引き起こす事件も多発している。以上のように、ひとつの要因は関連し合い、次の要因を招き、結果として社会変動、そして社会問題に至っている。それゆえ社会変動の要因は、複合的に捉えなければならないのである。しかしながら、要因となりうる産業であっても、人間の生存に不可欠なものであることは事実であり、世の中の利便性は増し、それが当然のこととして広く受け入れられていくのである。このように激しい変動の中で、今後社会がどのような方向に進むかを見極めることとても重要であり、そしてそれは容易ではなく、増大していく社会問題に対し、適切に取り組みがなされていかなければならないのである。特に、女性のジェンダー問題に対しては、早急な取り組みが必要とされる。ジェンダー問題とは、例えば女性であるため、または男性であるために、ある職業に就くことが難しいなどという類のことを指し、特に近年、多くの国で女性への性差別の関連性が指摘されるようになり、女性を対象とした事業が多く実施されているのである。従来わが国の女性は、結婚・出産すれば退職し家事や子育てに専念するものであったが、現在では女性の社会進出が社会的に評価される時代になり、出産後も育児をしながら職場復帰するM字型就労の傾向が増えている。加えて、もうひとつの子育ての担い手となるべき祖母の立場にも女性ジェンダー問題として介護問題がある。子育てから開放された女性は、その後孫の世話をして子育ての援護をするという従来の女性ジェンダーが変容し、介護という新たな課題が上乗せされ、子育て問題へ間接的に少なからず影響を与えている。こうした背景により、少子化及び子育て問題は今や社会問題となっているが、将来の労働人口減少による経済の衰退も問題ではあるが、なによりも少子化によって子ども同士のふれあいが減り、本来育成されるはずの社会性や協調性、思いやりなどが育まれなくなることである。兄弟は少なくなっており、近所の友だちの数も少なくなっていく結果、TVゲームやアニメがブームとなって独りで遊ぶ子どもが増える。こうして友だち同士で遊び、刺激し合いながら成長する機会が少なくなってしまい、本当の意味で大人になれないまま社会に出なければならなくなる子どもが増えてしまう。つまり、これらの問題は子どもを取り巻く社会の変化が悪影響を及ぼした結果であり、そう遠くない未来には本当の意味での「豊かな」社会が崩壊の危機にさらされることを意味するといっても過言ではない。子どもが健やかに生まれ育つための環境を整備するための取組みや、意欲を持って働ける社会環境を整備するため、子育て支援対策の充実、ジェンダーの観点から仕事と育児・介護の両立支援対策の推進や就業における女性の能力発揮の促進は重要である。また、めまぐるしい社会変動が及ぼす社会病理として、スプロール現象やドーナツ現象などの問題が世界的にとりあげられている。しかしながら、この社会変動のスピードと大きさに適応していくことが出来ず、うつ病や自律神経失調症などの心身症を患う人々が増え、自殺やひきこもりなどの増加も重要な社会問題であり、前述したような社会病理同様に、このような状況を改善すべく新たな取り組みがなされなければならないのである。富永 健一『社会変動の中の福祉国家―家族の失敗と国家の新しい機能 』中央公論新社 2001年8月 有末賢 著『現代大都市の重層的構造 都市化社会における伝統と変容』ミネルヴァ書房1999年3月
2007.03.31
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3)社会変動の要因では、社会変動はどのような要因によって引き起こされるのだろうか。ストラッサーとランダル(1981,pp.26-33 )は、三つの視点から整理している。ここでその説に従って見ると第一の視点は要因の位置についてで、変動の要因を構造内に見いだす=内因(内生)論か、構造の環境に見いだす=外因(外生)論に分けられる。内因論は、マルクス(1845/46,1859)およびその他のマルクス主義、R.ダーレンドルフ(1959)、L.A.コーザー(1956)、 R. アロン (1950、1962 ) 等の非マルクス主義的闘争論、コント(1822,1830-42,1844 )、スペンサー(1876-96,1911)、E.デュルケム(1893)などの古典的進化論、M.リーヴィ(1952、1966)、W.E.ムーア(1963)、S.N.アイゼンシュタット(1963、1966 )などの近代化論、W.F.オグバーン(1966)の文化遅滞論などに共通し、外因論は、M.ミード(1953)、E.M.ロジャーズ(1962)らの文化伝播論・文化接触論、R.A.ニズベット(1969)の危機的事件のインパクト論、V.パレート(1916)、パーソンズらの機能主義的均衡論に見られる5)。ストラッサーとランダルは、外因は内因のないところでは実際には作用しようがないとしつつも、両者を分析的に分ける必要があるとしている。だが今日では、さらに内因・外因の相互作用に着目する第三の立場からの分析が課題となる6)。内因であれ外因であれ、具体的に何を要因とするか。それが第二の整理の視点である。これには、例えばマルクスの生産関係と生産手段の間の矛盾、階級対立といった経済的要因、W.G.サムナー(1906,1911,1919)、L.F.ウォード(1883、1892、1906)などのアメリカの進化論者の技術・科学的要因、ダーレンドルフの法制定のための権力闘争やアロンの所得と政治・経済的権威の分配の不平等などの政治的要因、コントの実証主義の発達や P.A.ソローキン(1937)の文化の循環のような精神的要因、デュルケム(1893)の人口的要因などがあげられる7)。これらの要因論は、相互に理論的批判の形で提出された経緯はあるものの相互に排除しあうのではなく、その間に規定関係があるものとして、その関係が問われるのが実際である。そして、その規定関係は次の整理の視点に関わっている。整理の第三の視点は要因の数についてである。これには、たった一つの要因をあげるもの、要因は多くあるが大切なのは一つとするもの、原則的には多くの要因が平等に作用するとするものの、三つの見解が論理的に分けられる。実際には、たった一つの要因を設定するのは無理で、多くの要因の中で基本的に重要なものを想定するか、諸要因をまずは平等に設定したうえで、具体的に相互の規定関係を探るべきとする二つの視点が、一般的に認められる。前者は理論的指向が強く、後者は経験的指向が強いと言える。程度の問題であるが、闘争や対立による不安定を社会の基本状態とみなす闘争理論でも、マルクス主義は前者、ダーレンドルフ、コーザー、アロンらの非マルクス主義的闘争理論は後者に、調和や均衡を論理的に基本状態とみなす統合理論でも、パレート、パーソンズらは前者、R.K.マートン(1949、1976 )は、後者に分類できよう。変動要因の確定については、内因・外因の分析のうえでの相互作用への注目、諸要因間の規定関係の経験的分析が、基本的な研究の方向と見なすことができる。しかし、社会変動分析にあって、理論と経験的データをそう直接に結び付けうるかは疑問である8)。4)社会変動のモデル社会変動分析では、理論と経験的データとの関係は極めて大きな円環関係を想定してかからねばならない。中でも、この事情を最もよく示すのは、社会変動が何か方向を持って規則的なパターンを示すのか否かというテーマであろう。とりあえず、社会変動のモデルはどのようにとらえられているか見ると、二つの点について整理できると思われる。まずはパターンの基本的な特徴付けで、大きくは進化、段階的発展、盛衰・循環、そして、これに加えて退行、崩壊などの副次的形態が指摘できる。進化論は、スペンサーに顕著なように、変化を漸次的で一定の方向にむかうととらえる発想である。これには、コントのように、方向に何らかの良い方向を設定する進歩論と、実際はともかく、スペンサーが自称するように、そうした価値観を排除する中立的進化という見方がある。段階的発展論はマルクスを典型として、ある革命的変化が生じ、その変化の前と後では構造に質的相違が認められるとする。発展の方向は一定とみなすが、ここでも進歩観を採るか否かの多様性がありうる。盛衰・循環論は、O.シュペングラー(1926)、ソローキン、パレートのように変化があるように見えてもそれは繰り返しにすぎず、良くなったり悪くなったりしているのであって、変化に特定の方向はないとする。退行は、変化に或る方向を設定して成り立つ理解であるが、崩壊は文字どおりある社会体系の消滅を指し、基本のどのパターンについても成り立つ。W.E.ムーアは、さらに細かく多くのパターンを上げているが、基本的には以上のもののバリエーションと考えられる。もう一つの論点は、このそれぞれのパターンにおける現象的多様性についてで、これには単系と多系が区別できる。正統マルクス主義、古典的進化論、初期近代化論等は単系の変動を想定したが、その後、新しいマルクス解釈(ハーバーマス1976、アミン1979)、新進化論(J.スチュワード1955、M.D.サーリンズ & E.R. サーヴィス1960)、新しい近代化論(B.ムーア1966、S.N.アイゼンシュタット1966、1970 、A.ガーシエンクロン1962)などは、一般に多系を想定する。W.E.ムーアは、パターンは対象に応じて異なりうるから変動の一般モデルはありえないとしている。つまり、一つの国家社会の様々なレベルで変動パターンは異なって現われるということで、これも、全体社会レベルでの多系論とは異なる視点から、現象的多様性を主張するものである。現象的な多様性への着目には、それぞれの社会が他のある社会の発展を手本にできるのか、それともそれと独立して独自の発展の道を歩むことができるのかという関心が現われているといえる。さらにこの経験的な変動分析への要求は、社会の変化が人々の生活にもつ影響の自覚と、その制御への欲求の現われと考えることができる。だが、この要求は、変動のモデル、パターンの基本的な特徴付けを語ることを無意味にするほど、現象の多様性に沈潜することを意味するものであろうか。そうではないであろう。歴史的変動に何らかのパターンが見いだせるか否かは、変動論にとって最も仮説的性格の強い論点の一つと考えられる。いかなるパターンが起こるかは、当然ながら対象に応じて異なりうるし、現実が答えるもので、経験的にのみ明らかになる。現象的に多様性を認める傾向にあるのは、そのためである。しかし、他方、現実から何を読み取るかは、基本的には分析者がいかなる社会・歴史観を持つかと切り放せない。社会変動のモデルを考えるならば、この最も抽象度の高い仮説の段階で視点を明らかにすることが不可欠となる。しかもそれは、あくまでも暫定的な性格を保ったものでなくてはならない。5)社会変動の速度社会変動のモデルと共に、現在、実際的に重要度を増したテーマに、社会変動の速度がある。一般的に、人類史において、初期に緩慢だった変化が歴史を経るにつれて速度を増し、近代、そしてことに現代では加速度を増していると認識されている。これにさらに、失速しつつあるという警告が加わることもある。このような言明に見られるように、社会変動の速度は現在大きな問題である。だが、ある社会内でも諸社会間でも、変動の速度は同じではない。パーソンズの構造内の過程変動と構造変動の区別に見られるように、行為、役割などのミクロなレベルでは、制度、その体系としての構造といったマクロなレベルでよりも、変化が生じやすい。つまり、社会変動の分析レベル・単位によって変化の速度は異なるのである。この他、主な指摘を挙げると、マルクス主義にあっては、生産力と生産関係の発達上のずれ、さらに広くは経済的要素から成る下部構造の発達とイデオロギーに顕著な上部構造の変化のずれが、また、革命による急激な社会の転換が論じられてきた。それに対し進化論は、近代科学、技術の発達につれて社会変動の加速性が生じること、他方、社会的知識の発達による秩序を失わない漸次的変化を説いてきた。さらに、オグバーンの文化遅滞論は、文化の中でも科学・イデオロギー・価値・観念などの非物質的文化の発達が、機械や道具などの物質的文化の発達よりも起こりにくく伝播しにくいことを指摘したし、多くの近代化論・開発論は、技術や制度の移植によって産業化、近代化を促進しうることを前提として展開してきた。これらでは、変化の速度を決定する要素として経済的要素、中でも科学技術とそれに依存した諸制度の比重が大きい一方、イデオロギー・価値・観念は変わりにくい要素と考えられている。この他社会変動の速度は、三つの関連テーマとの関係を密にしてきた。その一つは、社会問題との関係である。そもそも社会の変化は様々な社会的危機・問題の解決に応じる側面があるが、ここには、変化そのものがさらに様々な問題を引き起こしうること、変化が急激である時、問題は深刻なものとなりがちで、その解決に困難がともなうことなどが指摘できる。デュルケム(1987)のアノミー論はその好例で、この視点はマートン(1938,1949,1963,1966,1976)や、W.F.ホワイト(1943)などシカゴ学派の都市研究、社会問題研究に受け継がれ、その後多岐にわたって展開されている。それはまた、この狭義の社会問題論ではなく、開発論、近代化論のような社会の変動を目的とする議論、資本主義の危機論のような社会体制の維持の危機を視野におさめる議論でも大きく論じられるところである。この議論は、第二に、変化の質とともに速度を計画的にコントロールし進めることの是非を問うことに及び、社会計画論を導いた。社会計画論の発想そのものは、進歩と秩序を唱えたコントにまでさかのぼることができる程、変動論との関係は深いが、特に、資本主義と社会主義の対抗関係が始まった時期に顕著になり(K.マンハイム1935,1943 )、現在一層の重要性を帯びるに至っている。さらに第三に、社会問題、社会計画のテーマ化は、その一方で、問題の原因とその解決、計画そのもの、新たな諸制度の内容、そして、ことにそれらの背景として重要性を増した科学技術、知識などを巡る人々の運動を高揚させ、社会運動の社会変動に対する意義を益々高めた。社会計画と社会運動は、今日、社会変動の速度を決定する意識的要素として、社会変動論に重要な位置を占めている。
2007.03.31
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社会変動論は何を蓄積してきたのかそれではまず、比較社会変動論の中心の柱である社会変動論について、これまで何が蓄積されてきたのかその到達点を整理しよう。ところで、一口に社会変動論といっても様々である。その一つ一つを検討し優劣を問うのがここでの目的ではない。比較社会変動論の展開の基礎として、社会変動論を総体としてとらえ、論点を分析的に取り出し整理するとともに問題点を指摘することを目的とする。それをここでは H. ストラッサーと S.C. ランダル(1981) 、富永(1981.1986 )の整理を踏まえながら、しかしその論旨にとらわれず、比較変動論の展開の基礎として社会変動論の要点を概観していくことにする1)。1)変動の定義社会変動論の第一の問いは、社会変動とは何かである。何において、いかなるものが、どの程度変化すると社会変動というのか、これが最も難しい問いである。そしてその答えは、結局のところ、分析者の理論的立場に大きく依存し多様なものとなっている。しかしその中にも、共通すると思われる認識がある。社会構造の変化を社会変動と言うというものである。この際、社会構造とは何かという問いが生じるが、社会の構成のあり方に或る恒常性を分析的に認め、その変化を問題にするという視点は、今日一般的である。換言すれば、歴史的な日々の変化は社会変動の具体的内容を構成するものであっても、それらがそのまま社会学的な社会変動を意味するのではない。また、社会のある傾向を持つ変化は、経験的には歴史的な趨勢として認識されるが、この趨勢も分析的にとらえて初めて理論化できるということである2)。構造内のダイナミズムを現わす活動と構造自体の変化=構造変動は、現実には一つではあるが、分析的には分けて考えるべきなのである。だが構造をどのようにとらえるかによって、以上の規定は内容的に大きく変わる。社会構造の理解についても多くの議論がなされたが(S.F.ネーデル1957、P.M. ブラウ1975)、いわゆる深層構造と表層構造の区別が、中でも最も重要であろう3)。一般には、深層構造は、社会の諸制度とその連関の性格を規定する原理的構造であり、論理的に構成されてはじめて取り出しうるものであるのに対し、表層構造は社会諸制度の具体的連関で、観察しうるものであると理解される。例えば資本主義社会は、いずれも賃金労働と資本との関係という基本的な原理によって成り立つとともに、それぞれの国家社会によって様々な具体的様相や形態を採りうる。この深層構造における変化をもって社会変動とみなす理解からすれば、社会変動は、基本的には歴史的に長期にわたる視野の中にとらえられることとなる。マルクス主義の、下部構造としての経済構造、上部構造としての政治的・法的諸制度・文化・イデオロギーという把握も、経済構造にこのような組織原理を見出すかぎりで、深層構造と表層構造の両構造を総合してとらえるものといえる。他方、パーソンズを初めとする構造-機能主義のように、経済、政治、法、文化のそれぞれの領域について、その連関を含めて具体的な制度上の連関を構造とするなら、これは表層構造を対象とするのであって、その変化を社会変動とみなすことになる。ところで、後に述べるように変動の形態によって異なるが、日常的な社会の変化は漸次的な趨勢として認められる。西欧近代の歴史とともに顕著に生じた、都市化や大衆社会化といった趨勢現象も、緩急の違いはあるもののこうした趨勢である。ではこのような変化は、構造変動としてどうとらえられるのだろうか。産業社会の発達に伴う、表層構造における顕著な変動とすればすむのか。それだけでは余りに粗雑な分析にとどまろう。これを越えるには、両構造の大まかな理解に基づいて、さらに細かい構造理解が必要となる。例えば富永(1981)は、役割分化、組織化といった変動の質的側面と人口や、GNPのような社会指標で示される量的側面を分けて、前者を構造変動、後者を水準変動と呼ぶ。そして、両者は切り放し難いと指摘しつつ、同じ構造内で水準変動が起こる場合を社会成長、構造変動を伴って水準変動が生じるものを社会発展、この社会発展を人類史の視野でとらえるものを社会進化とカテゴリー化している。こうした社会変動の分類は、変動論の曖昧な概念群を整理するうえで貴重である。しかし、これで細かい構造理解に十分なわけではない。これは変動分析の単位を何に設定するのかと合わせて考えられねばならない4)。2)社会変動の分析単位何を持って社会変動と見なすかは、社会変動をどのような対象について分析するかという問いと不可分である。構造変動に着目するとしても、何について構造を見出すかによって分析は大きく異なる。変動の分析単位が次に問われる。分析の単位は、社会学のミクロからマクロにわたる諸分析レベルに応じて、多様に設定できる。ストラッサーとランダル(1981,pp.31-33 )は、社会変動の分析レベルとして個人、相互行為、集団・組織、全体としての社会(国家)を挙げる。また富永は、分析さるべき構造的要素を社会的行為、役割、制度、集団、階層、価値、規範としている(富永1981、p.4)。これらを整理するだけでも個人、社会的行為、相互行為、役割、集団・組織、階層、全体としての社会(国家)、制度、価値、規範が単位として取り出せる。社会学における集団の概念は広い内容を持ち、家族、サークル、学校、職場、政党等々含んでいることを考えれば、多くの対象が設定されうることが分かる。また、ミクロ、マクロのレベルではなく社会体系の領域という点から見れば、経済、政治、法、文化といった下位体系を分析的に設定し、これらを単位として経済変動、政治変動、法の変動、文化変動などを対象とすることもできる。分析の単位は極めて多様である。だが、これら単位の分析は、それのみで充足するのではない。諸単位間の規定関係が考慮されねばならない。例えば、職場集団では企業さらに産業構造、国民経済との関係のような直接的な包含規定関係、また、家庭と会社、家庭と地域社会、家庭と学校、家庭と国家などの単位間の、関連性の強いと思われる規定関係も考慮されねばならない。また経済、政治、法、文化といった諸領域は、諸単位・レベルによって構成されているのであって、その分析は、実際には、それを構成する諸単位とその体系の分析となる。例えば文化の領域では、宗教、教育、マス・コミ等々が、それを具体的に構成する活動、集団、制度、価値、規範などについて分析されることになる。このような規定関係に鑑みて、諸単位の変動は、最終的には全体としての社会=国家社会の構造とその変動と結び付けられる。社会変動論が、一般に、社会学の中でマクロな領域に位置付けられる所以である。1)で示した構造とその変動の理解が、マクロなレベルでのものであるのもそのためである。とはいっても、マクロなレベルでのみ社会変動が問題になるわけではない。むしろ社会学は、ミクロからマクロへの様々なレベルを対象としうるところに特長がある。さらに、マクロレベルでの変動は、ミクロレベルの変動の直接ではないが、そこで構成される変動の関係の体系として起こる。必要なのは、ミクロな単位に焦点を当てて変動を分析する場合でも、その関連枠の把握(上位レベルによる下位レベルの規定と下位レベルによる上位レベルの規定、諸単位間の相互規定)、それによる分析範囲の確定が不可欠だということである。構造論的な対象の設定は、この諸単位の規定関係を明示しようとするものなのである。では、これら分析単位と先の深層・表層の両構造の分析視点は、どのように結び付けられるのだろうか。論理的に考えれば全体社会での両構造についての指摘が、その構成要素としての下位レベルについても指摘できる。また、特定のレベルでの独自の両構造の指摘も可能であろう。少なくとも表層構造については、特定の対象に応じて構成される必要がある。一方、深層構造については、それが論理的に構成される分析上の方法論的なカテゴリーとすれば、これも、対象のある現象に深層構造を問題としうるかぎり構成不可欠な性質のものである。つまり、諸単位についてその両構造が問われうることになる。しかし、それがどのようなものかは、個々の分析についてのみ押えられるほかない。ところで、以上のような構造要素に着目する分析単位に対し、パーソンズ(1951a,b )は、機能分析を理論的に高め、これら単位の活動、作用をも合わせて分析対象とした。そして、社会システムを維持する機能要件として適応、目標達成、統合、潜在性を析出し、これらの諸機能における分化と統合、その変化を問う。この機能のパフォーマンスの水準の上昇が、富永(1986)の言う社会成長であり、機能は変動分析にとって重要な位置を与えられることになる。このような機能分析は、さらに、特定の集団や制度が果たす機能を他の集団や制度が代行しうるという機能的等価性についても視野を広げ、N.ルーマンの説くような徹底した機能主義では、ことに選択的等価、すなわち幾つかの機能的等価の選択肢の分析が、変動分析の中心に置かれることになる(ルーマン1974、訳書1984、4-49 )。それによってルーマンは、機能をある特定の構造に対する機能要件ととらえるパーソンズと異なり、特定の構造を、機能の現実化の多くの可能性の「選択的働き」(ルーマン1974)と規定することになり、変動の分析対象としての機能の意義を高めたとされている。ルーマンの機能主義が実際どこまで有効か、まだ判断は難しいところであるが、いずれにせよ機能は、社会構造の変動を考えるうえで不可欠な要素となっている。
2007.03.31
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社会変動の要因について述べよ。社会が変化するということは非常に複雑な現象であるが、どのようにしてそのような社会変動がなされるのか、そしてその意義は何なのか、今後の展望はどうなのか等についても考察すること。1、社会の構造そのものが変わる 社会の一部分だけが変化する自然災害人口の増減文明社会の影響*根本的要因は人間の存在する社会や文化自体にある1、人々の意識や新しい考え方(観念)その社会独特の風習や慣習 理念、イデオロギー、倫理感 *参考 A.コント 神学的段階→形而上学的段階→実証的段階という3段階の発展2、物質文化の発達 産業技術の発明や発見 *参考 W.F.オグバーン 社会変動論 科学技術の変化→経済組織の変化→社会制度の変化→思想の変化→科学技術の変化3、マルクス主義は革命(?) ↑【ピックアップするかどうか検討】@社会変動が起こるしくみ
2007.03.31
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「精神的健全さとは、愛する能力、働く能力、遊ぶ能力、そして、心を充分 に使う能力のことだ」 -- アシュレー・モンターギュ(米国の女性史家)--もうすこし加えるとしたら・・・潜在意識と盟友であることや宇宙における一つの存在として生かされてるとたまにでも感謝できること・・・(心を十分に使う能力で包括しているかもしれませんが・・・)昨日、20歳そこそこの男の子のセッションをしました男子禁制ですが、親子セットは歓迎しています家族で一緒にどうにか解決していこう、変わろう、成長しよう・・・そう決心された時点で拍手喝さいです最初にセッションをするのはできるだけ《これは問題だ!と言い出した人》から・・・どの親子さんもダイヤの原石です親の代からの持ち越しや、痛みや、夢のかけらがくっついていてにごった水晶のようにみえなくもないですが本物のダイヤの原石のように磨く方法を手渡していくとちょっとしたメールの文章やあいさつや表情・・・そして姿勢、行動が変わっていきます自分で磨いていこうそういう勇気や希望、小さな決心があれば甘えたい気持ちを満足させるためにメンター中毒にならなくてすみます朝からどんどんと届くメール・・・自分で磨いてどんどんいいことが起きているようですうれしいなぁ先の男の子のために、大学のレポートをカンタンにこなしていけるようになるプログラムを組むことになりました私もこの2年の間に月2本のレポートが月8本になり週8本書けるようになり・・・・一日に3本・・・きょっ、今日は5本目指しています
2007.03.15
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「休み時間に四つ葉のクローバーを探していたら五つ葉があったの!」そう二号から聞いたのは金曜日のことでした「すごいね~よく見つけたね!いいことあるよ。」と話しかけると「ふふふ。」と嬉しそうでしたそのときは、夕食の支度の合間ということもありとくに気に留めることもありませんでした今週の月曜日にも「今日も四葉のクローバーを見つけたよ。」と伝えてきましたなんとなしに「誰かと一緒に探しているの?」と尋ねると「ううん・・・一人で。あのねだれも遊んでくれないの。」なるほど・・・先々週あたりから三号と口げんかが絶えず、何かイライラしている様子三号はなんでも楽にこなし、私が二号に宿題の解けない部分を説明していると横で聞いていて、スイスイと解いてしまう三号に危機感にも似たライバル意識を感じてもいるようですまた、学校でのストレスもみえかくれしていますタイミングをみてカウンセリングを・・・と思った矢先でした「それじゃあ、寝る前にゆっくりお話し聞かせてね。」休み時間に一緒に活動していた音楽好きな仲間の一人が急に「四人で遊んでいるからこれ以上入れない。」と言い出したとのことそれならと、ドッジボールの仲間に入れてもらおうとしたら「男子だけ。」「あっちもこっちも”条件づけ”で入れてもらえない。」仕方なく一人で本を読んでいると、同じように一人で本を読んでいるお友達がいてその子を誘ってはみるものの、あまり活動的でないらしく「やっぱり本を読むしかない。」布団に入って、その場面での感情を誘導してひと泣きしてもらいました「たくさんたくさん、さみしかったね・・・。」「どお~~いぃ・・どお~~いぃ(泣)」「急に仲間にいれてもらえなくってつらかったね。」「一人ぼっちで、二号はとってもさみしかった・・・(泣)。」「二号チャン、あのね、”さみしい”って空気を着ているとねだ~れも近づけなくなってしまうからねこの涙はね、その空気を洗い流してくれるからね・・・。」EFTのタッピングをしながら、アファーメーションも入れていきました「二号チャンは、自分のどんないいところをお友達に知ってもらいたいの?」「あのね・・・面白いって言ってもらえるところ。」「どんなお友達がいたらいいなって思う?」「うん・・・☆☆ちゃんみたいな友達。」グループにいた友達が取り合うような素敵な女の子の名前です「二号チャンのいいところ、ママはたくさん知ってるよ・・・。」私の話すアファーメーションを二号が復唱していきます・・・「私は家族に愛されています、家族は私の事が大好きです。私も私の事が大好きです。私は私の楽しいところ、面白いところを友達に伝えつつあります私の面白いところを使って友達と楽しくすごすことが好きです私は条件をつけずに、一緒に遊びたいと思う人とは一緒に遊びます友達の輪が広がると、寂しい思いをする人がいなくなってうれしいです・・・。」小学生バージョンですから、しっくりする言葉に何度も言い換えながらですが大体こんな感じですすめていきました途中で、「4人で遊びたいからって条件づけするのってどうだろう?」と聞くと「とってもつまらない。自分が仲間はずれになるのがいやなんじゃないかな。」小学生だって、人の姿から『恐れに基づいた行動、言動』を見分ける力があるんだと感心してしまいました(我が子だからという感覚ではないですよ)そこでこんなメッセージも追加しました「私は、ひとりぼっちのさみしさを知っている。とてもつらかった。悲しかった。だれかを仲間はずれにする人は、自分が一人ぼっちになるのがこわいだけ。」思い当たる事があるのか「はっ(!)」という表情をしました仲良しの女の子とは一緒に歌の伴奏をするので弾き方を教えてもらったりするなど一緒にいる時間が多かったのです気づかないうちに独り占めしていたことに気づいたのでしょうかそれとも、条件付けした女の子のそれまでの様子にヒントがあったのでしょうか?何を見ているのかはわかりませんが二号の中で、少し視点の変化があった瞬間でしたそこで、こんなアファーメーションも・・・「私はひとりぼっちのさみしさを知っている。だから強い。仲間はずれのつらさを知っているから友達にやさしくできる。」表情に安堵感がでてきました私の手の下から両手を出して「鼻つまっちゃった、ティッシュ。」と腫れたまぶたで笑って見せましたそうして火曜日も学校では同じように本を読んで過ごしたそうです三号(妹)とのやりとりはおだやかなものでした夜、布団の中で、うとうととしている二号にアファーメーションの言葉を語り掛けました今日の報告は・・・「最初に遊ぼうと声をかけた◎◎ちゃんは欠席したときの分のテストをしなくてはならないから・・・ダメで次に遊ぼうと声をかけた○○ちゃんは、私が持っていたボールが硬いタイプでドッジボールならやわらかい方がいいからということでダメで・・・どうしようかなと思ったけどあきらめずにもう一度他のグループに声をかけてみたら一緒に遊ぼうとのってきてくれた♪」とのことで、とてもいい笑顔でした今夜も数分間、アファーメーションを・・・すると途中で「もういいから。」ニタッとして、「コナン読みたい。」とマンガに手を伸ばしたのでした(ガクッ)いいな~子供は立ち直りも切り替えも早くって!(笑)
2007.03.08
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マーフィーの法則で一番面白いなと思うのがコイン投げですもう何年も前になりますが、マーフィという方の書いた潜在意識の本が面白いと聞いて、書店に第一巻『ゴールデンルール』を注文しましたそれが、どういうわけか『マーフィーの易占い』が書店に届いたのです私の控えを見た店員さんが「あれ?申し訳ありません・・・間違えたようです・・・。」と仰ったのを、これも何かのシンクロニシティかもしれないと買い求めました64卦の易経です20代前半に中国(気功)にとても関心があり度々訪中していましたそんなこともあり、たまたま持っていた、中国の古銭(遺跡から出てきたというもの)を投げて占いをしましたなぜかメッセージが聖書の引用になっているところがキリスト教文化の影響?非常に明示的な答えがでるのであまり人にすすめたことがありません私自身も4~5年に一度、転機のときに意識と無意識の確認のために参考にしているという感じです当たる・・・というか、私がそのようにコインを投げているのではと考えます無意識にあるものよりさらに深いところのものを言語化するといったほうがわかりやすいでしょうか(さらにわかりにくくなってたりして)父の語学の恩師が、上海の考古学関係の学科がある大学の教授で古銭は腐るほど出てきて中国ではあまり価値はないと言っていましたが銀色の100円玉を投げるよりもロマンはありますこれに、何かエピソードをつけて売れば新しい占いの構造ができそうですが・・・中国は占い業は禁止ですもし占いに、宗教または思想が加味されたなら創始者は死刑ですまぁ、いいんです、コインだろうが、フーチだろうが、筋肉の反射だろうがしあわせなら・・・ねというわけで、何を書きたかったかというと久しぶりにコインを振る時に、収入のことを考えたんですがふと思いついて、目標にさらに20万円プラスした金額をノートに書いたのですそれで、答えが潜在意識のお掃除うんぬん宇宙の秩序と法則の中にいなさい うんぬんだったのです(マーフィーっぽいでしょう?笑)そのほか色々の目標についてコインを振ったのでそのことは忘れていましたで、先週ひょんなことからその目標金額を手にしたのですあれ~??どこかでこの数字・・・とノートやメモ用紙を探すと、コインの卦をメモした紙の左端に月◎◎万、年収◎◎◎万以上と殴り書きしてあったのですそして、日付は2月26日手にしたのは、3月2日ですばんざ~~い!!というよりは(ああ、このシンクロニシティのスピード感覚がもどってきたよかった)です (もちろんおごりヌキで)思わずリンクしているカリスマさんに感謝しましたよ~~~!!去年の秋から、あらゆるクレンジングを続けてきていてその仕上げに、カリスマさんのレポートを実践したようなものです本当にすがすがしい感覚です収入以外にも、仕事先で初対面にもかかわらず意気投合し「そういう活動をしたくて勉強したことがあります。お役にたてることがあればぜひ呼んでください。」というボランティアスタッフの申し出をしてくださる方に次から次へと出会うのも有難いです遠方からのセッションの依頼や問い合わせの数も増えていますエイトスターのツールによる『自分に入ってしまったことに気づかない:誤ったメッセージの削除』 も何かメリットがあったように感じますがこれはまたの機会のお話に・・・
2007.03.06
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しあわせな死別が存在しないようにこの人生で 出会って 先に旅立った人達の残したエピソードは頭や心の中で 何度も再生するたびやるせない思いとともに さまざまな感情が出口を捜し求めるかのような一時をすごさなくてはなりませんね・・・大切な方が、その人生で見せてくださったことやその人の 本当に表現したかった思いやりや 悲しみや ほしかったしあわせがご本人よりも はたからのほうが わかってしまったりすることもまた せつなさのタネになりますね・・・・どこまでが 生きる自由選択で 自分の負う責任でと考えてしまうと 身もふたもないのですがこの数年 恩師や 長年のご縁があった方々が次々に亡くなる度にその 死の間近の メッセージに 共通のテーマをみるのですそれは 『いかに生きたか』についての 反省と再生の意志 も含まれます再生しよう やりなおそう 素直に別の方法をためそうという話を 私にしてくださった 後に亡くなられています先人、先輩が引退し「これからは俺の時代やでかめちゃん。」と豪語した恩師が2週間後に、地下鉄の座席に座ったまま亡くなられたこともありました心臓発作でした「今まで女房をほったらかしにしとったから子供も巣立ったことだし、大事にせんとな。」と学生達が押しかけても気さくに応対してくださっていた奥様のことを気遣われる言葉が、もっと早かったら・・・とひとごとながら悔やまれます
2007.03.02
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