2025
2024
2023
2022
2021
2020
2019
全34件 (34件中 1-34件目)
1
日本経済新聞主催のセミナーに抽選で当りまして渋井真帆さんのお話を伺ってきました渋井さんのサイトはこちらです → http://www.womanf.co.jp/index.php退団した宝塚の男役のように凛々しく(慎重170センチ)月9の女優さんのように美しい渋井さんの語る内容はジェットコースターに乗ったかのような展開と目の前の渋井さんのご活躍とのギャップが、派遣の品格より面白かったです夕方の混雑で会場に入ったのは、紹介のアナウンスが始まったときでしたが最前列が空いていてラッキーでした♪渋井さんの表情や話題と動きのつながり乗り越えてきたトラウマ・・・そして、彼女を叱咤激励し一から育て上げたご主人の存在・・・渋井さんの会社のサイトにはみじんにもない過去のご苦労やみじめさ、理不尽さを時折眼をうるませてとても正直にお話しされていましたそんなお話をすることにしたのも、派遣の品格というドラマがきっかけだそうです渋井さんは『愛、キレイ、富、仕事』をカンバンにされている会社そのものですけれども、コツコツと、くやしさをバネにしつつパートナーさんの人間性と仕事に対する価値観と具体的なノウハウによって導かれ、ご自身でも磨かれてきたということを伺って私は、 本当に 男性の素晴らしさや視点にも学ばなければ私の人生、もったいない!(笑)と思いました*******そういえば・・・・先日、東京に向かう新幹線の中で”これまで生きてきた中で、目標を達成した出来事や体験”を書き出しそれがどのような形で達成されたのか、そのプロセスをチェックしたんですすると・・・大きな夢&目標ほど、男性によってチャンスを与えられていました学校の先生、音楽の師、取引先企業のトップなど・・・そして、どれもコツコツと毎日地味な作業の延長にあったものでしたおまけにどの方も、「男だったら・・・。」というオトコ社会のほめ言葉をくださったのでそのたびに内心★カンカン★でした(苦笑)今、こうして年を経て(図々しくなって)初めて男性は男性社会で泳ぐために特殊な泳ぎ方を身につけなくてはならないしビジネス社会では本音のリーディングのために特別な言語が使われると気づいたかな~というところです男性の皆さんも男性としての課題があってそれにどう取り組むか取り組まないかという枠から出るのが大変そう・・・(私の主観です)目標と手段が混在している感じがします働き盛りの男性が3万人も自殺してしまうのってその枠のひずみかなとも想像しています・・・(これも私の主観です この先変更ありです)ああああああ・・・・そうか、だから私の目標をかげになりひなたになり応援してくださった男性の皆様は人の話を聞きたがりで おまけに夢を追う少年のようなことばかり言っている若き日のわたしを応援してくださったのかもしれないですね・・・と、何気なく勢いでふりかえりましたら、その頃の私は、いっさい 恋愛をしていないということにたった今気がついてしまいました(大笑)(だから、渋井さんのセミナーで、何箇所かピンとこなかったのねん・・・)これは恋愛依存症の方への参考になるかも?(笑)******
2007.01.30
コメント(0)
昨日は、所属するNPO主催のニューイヤーコンサートのお手伝いへ今回は親子に向けた内容も加わりました『ぞうのババール』初版本にあわせてプーランクが作曲したストーリィミュージックです絵本のスライドにあわせて、役者さんの朗読がありオーケストラがその情景を奏で・・・客席の子ども達が身を乗り出して聞いている姿がほほえましかったです私と二号三号と共に、手伝いに行こうかどうしようか迷っていた一号は今週受験を控え、やはり塾に行く事に昨年夏ベトナムツアーでご一緒させていただいたNPOのスタッフ面々のお手伝いをしたいという気持ちを、言葉にして笑いながら迷うということだけでも 母はとてもしあわせな気持ちになります^^コンサートも終わり、駅まで一号を迎えに行くと車に乗り込むなり一号が言いました「ねぇねぇ、今日塾で模擬テストが配られたんだけど・・・一問目が”ぞうのババール”だったよ(大笑)こういうのもシンクロ?」******さきほど TV番組「世界まるみえ・・」でアジアゾウの人間への逆襲を放送していました具体的なニュースはこちらです・・・http://www.cbsnews.com/stories/2006/12/17/ap/world/mainD8M2DF1G0.shtmlインド北部で畑の開墾により象の生息地が減少し、象は食物を求めて村に近づき、畑に出る若者が禁止されている銃で象を追い払ったために、象が人間を意図的に襲うようになったそうです深夜、家まできて家ごと破壊し、人間を殺害・・・車の行く手をふさぎ、車ごと川やがけへ突き落とす・・・オスの象の発情期(マスト)には良くなれた飼い主を殺すこともある象ですが今回の村人との対立はメスも子供のゾウも含む群れで闘いを挑んでいます殺された村人の奥様が涙ながらに話される姿は心が痛みますが・・・ゾウも同じように死を悼む動物として知られていますのでゾウの怒りや悲しみが、具体的に人間に向けられたことがとても残念でなりません昨日のぞうのババールは第二次世界大戦前に描かれた絵本ですシリーズ全般に、動物と人間との交流の模索がテーマとなっています物語の冒頭では・・・ババールを連れて散歩していた母親が、密猟者によって撃たれて亡くなってしまいます必死で逃げたババールは、街で一人暮らしのおばあさんの元でしあわせに暮らしやがていとこ達と出逢い、ジャングルに戻るという話です アッサム州では、過去5年で250人以上が象に殺され、村人の反撃により268頭の 象が殺されているそうです・・・・ ビンラディンと名づけられた象http://www.cbsnews.com/stories/2006/12/17/ap/world/mainD8M2DF1G0.shtml
2007.01.29
コメント(0)
今朝早く・・・まだ布団の中にいる頃に・・ピンポ~~ン♪(ガラガラッ)「かめさ~~ん、かめさんいる~~?」(だれだろう?)父が玄関に出向きました「これよかったら食べて、”ういろう”♪」近所の方でした(ういろう・・・・・あぁ!)昨日の夕方、仕事先の幼稚園へ持参するお茶菓子を物色しながら「ういろう食べたい!」と思ったことを思い出しましたそのとき見たのはは抹茶ういろうですが・・・布団の中でそのときの様子を振り返って・・・(ああそうだ、レジでキットカットの”さくらんぼ”も食べたいなと思ったんだっけそうしたら・・・ういろうは・・・しろかさくら・・・)おもむろに起きて時計を見ると8時半!!ちびまるこちゃんなら、おでこにたて線がたくさん入り口の端がヒクヒクするような状況に気がついてしまいました(とりあえず、朝食を食べてお化粧するだけの時間はあり仕事にも間に合いました)さきほど帰宅して、戴いたういろうの袋を開けると・・・”さくら”でした ビンゴ!^^v***夕方、出先から帰宅した母が開口一番に・・・「ういろう呼んだのだぁれ~~??」と家族に声をかけました(笑)かめ家は、あらゆるみなさんのおかげで苦あれど(見方によっては)楽ありという日々を送るようになりましたこれもある意味 DNAの進化かしらん?と夢想する今日この頃です(笑)
2007.01.27
コメント(0)
どなたにも人生の物語があるように潜在意識の活用については、さまざまなその方なりの背景があります潜在意識活用・・・というと、なにか特別な修行や訓練が必要なのではないかとか、心理学的な印象や、神秘的、超常的といったとらえかたをしていらっしゃるかたなど無限の視点があると思います私のライフストーリィの中で潜在意識を感じたおおまかなイベントといえば子供の頃の臨死体験であるとかダウジングやサイコロを用いた遊びやフラッシュカードで記憶の練習をしたり本屋さんの棚でソフトフォーカスの練習をしました中学生ぐらいの頃には、イメージトレーニングそれも具体的には、体に命綱をつけておいて意識を体から離し宇宙から地球を見て、課題となっていることを客観視するというようなことでしたマインドマップは中1の時から用いていましたし寝入りばなは、うつぶせでペンを持った手をノートに置き、うつらうつらしながら何か書いているうちに眠り翌朝には悩みごとに対して詩や、他の角度から見たらこうではないかという文章が書いてある・・・というようなことを頻繁に行っていました夏休みにピラミッドパワーの実験をしたところ全校生徒の前で発表することになったときはとても焦りましたおおらかな時代だったんだなと今でも思います高校生の頃は、気功の真似事をしていました気を感じ始めたのもこの頃ですこれはなんだろう?と面白がる半面、同級生(十代の女の子)には共感してもらえないだろうな・・・という寂しさを感じましたこの体験や経緯にそって、潜在意識にはひとくくりにできない何かがあるなと感じていましたその頃はまだ潜在意識に『階層』があると気づくほど自分のこともわかっていませんでしたし勉強もしていませんでした******今は 音楽で社会貢献するお仕事と潜在意識のおそうじ方法をご紹介するお仕事をしていますカウンセリングやコンサルティングやコーチングやセラピーが最重要課題ではなくって・・・生まれるときにちゃんと持ってきたおみやげや手荷物を活かそうよって、思い出すお手伝いに近いです受講生さんにも、「迷子になっているんだよね、本当は行き先も帰り道もわかるんだよね。」「あなたはあなたの素敵なところを思い出せないんだよね?忘れちゃっているんだよね。」とお話しすることがありますおととい念願かなってお会いした”Aさん”のお話の中にもありました「みんなそういった能力に関心がありあわよくば恩恵に預かりたいと思っているけれども本来は誰しももっているんです、どこか記憶喪失になったかのようになっています。」忘れるなら忘れたい理由もありますでしょう?(笑)いえいえ、思い出すタイミングを見計らっているのかもしれませんここぞ!という時にご隠居の印籠が出てきたら爽快感?があるからでしょう?(ちょっと違うか)それでやはり、乗り越えたいテーマがあるときに必要な鍵を取り出すために封印を解くのではないかと思いますその鍵を使って、潜在意識の扉を開くのですが鍵にはいくつもの種類が存在します注:潜在意識についてのレポートの下書きの一部です^^;反論異論大歓迎です ただし 読んでくださるみなさんのお役にたちそうなことでお願いしますね♪
2007.01.26
コメント(0)
日記を書いたのに・・・投稿前に消えてしまいました・・・で、もっと簡略にすっきり書いた方がいいということだと前向き解釈しました・・・おととい、家族とセロマジックを見ていましたケーキ屋さんでのマジックを見ながら「イチゴのショートケーキが食べたいな。」と何の気なしに言いました今朝も仕事にでかける直前に「なんだかケーキが食べたいな。」と思いました昼ごろに仕事先でイチゴのショートケーキをご馳走になりました毎年、和菓子を出してくださるのになんてラッキー♪ と嬉しくなりましたただそれだけなんですが・・・今年は日々何かを生み出そう、発信していこうと思ったのでたわいもないネタで今日一日をしめてみましたあっそうそう、スカイプ 無料電話なんて・・・ずいぶん便利になったものです電話カウンセリングも、メールカウンセリングもしていない実際に会うことがとても大切だと思っている私としてはなんとなく昔の無線の感覚に近いですまだ登録したてで、使ったことはありませんが
2007.01.25
コメント(2)
今日、以前からお会いしたいと願っていたお二人の方とお目にかかることができましたここまで打って・・・またしあわせ感に浸っていますとても心の中というか 胸のあたりがクリアなのですまるで 露天風呂でほぉ~っと いい気分でいるような大掃除のあとのような・・・14日に与えられた(気づかされた)メンターからの課題が本当にごまつぶどころか、けしつぶのように感じられてどうでもよくなりました(←注:アンパンについている小さなつぶつぶがけしの実です)14日の日記に書いた方のところへ個人カウンセリングに伺おうおそらく高いだろうから(笑)仕事を増やそう・・・と決心したところへ、オフ会のような(?)集まりにお誘いいただきそこでのお話の中で、様々な問いがクリアになったのですその問いも、毎日わくわくしながら、あれも聞きたいこれも伺いたいと次から次へと浮かんでは(これではただの奪う人になってしまう)と反省したりしながらどうにかいくつかに絞り込んでいきました他の人にとっては「それを聞いてどうするの?」という質問をするのも私のエゴかなぁ・・・と分析したり、その立場にたったときにどんな質問なら嬉しいか・・・そんなところまで視点を動かしたりもしました「信頼している人から ”あなたの言う事を信じていますよ”とメッセージをもらったら嬉しい。」と想像しましたもちろん実際のその方は国際的に評価され、独自のネットワークと支持者から多くの信頼を得ている方ですまた評論家、批評家にも屈しない確たる信念はTV番組などでの大激論でも伺い知ることができますごきげんですっかり舞い上がっていた私でしたがそういうハッピー気分というのもそうそうないので「この気分を楽しもう!」と決めていました午前中、年明け初のワークショップの仕事を終えるとすっかりクールダウンできていました「もう何も求めないでからっぽでいこう。必要な問いならその場でちゃんと出てくるはず。」と思いつき著書をカバンから取り出しました(つづく)
2007.01.24
コメント(0)
今夜のセロのマジックご覧になりましたか?あれは、マジックもありですがどうみても サイキック・・・でも、そのこと云々よりもタイにある、HIVによって親を亡くし二次感染した子ども達のグループホームが日本人女性によって設立、運営されていることにとても驚きましたそして、その方の笑顔が とてもとても素敵でした・・・セロ自身、子供の頃にとてもつらいことがあったけれどもセロの生きる希望を支え続けてくれたのがマジックだったと語りながらそのホームで暮らしている子ども達に向けて自分にできることは、自分ができることはいったい何だろうか?と自問自答している姿に とても共鳴しました番組放映中は、家族で大興奮しながら観ていたので一号に「マザーは興奮しすぎ!」と注意されましたが今こうして思い出してみると 胸のあたりがなんとなく苦しいですん?心筋梗塞?ちがうちがう・・・ショーの後に、涙を流すマジシャンを初めてみたからかもしれません
2007.01.23
コメント(0)
びっくりしましたか?(笑)今日の夢メールの格言から引用させていただきましたヘレンケラー女史の言葉です『楽天は人を成功に導く信仰です 希望がなくては 何事も成就しません 』 恵まれているんだなって 気持ちを忘れると お気楽 極楽 でいていいんだなっていう感覚を 忘れがちになってしまいます たくさん努力された ヘレンケラーさんが 「楽天家でいましょうね♪」 というメッセージを 残してくださったことに 鼻の奥がツンとします 私も わさびメッセージが残せるくらい 楽しく挑戦していこうと 思いました #^^#
2007.01.23
コメント(0)
今日の仕事の帰り、足湯につかりながら夢や目標について 思索していましたちょうど夢メールの配信があり、今日の格言を見ると・・・「もし自分のできることをすべて実行すれば その結果に文字通りびっくり仰天するだろう」というトーマス・エジソンの言葉がありました(そうだよね・・・じぶんのやりたいことだけではなくて”できること”にも手を伸ばすという意識と行動力が、何かしらの結果を生むんだものね・・)午前中は、斉藤一人さんの講演CDを聞きながら子ども達が着れなくなった大量の洋服にアイロンをかけもらい手ごとにふりわけました出掛けに、子ども達のおやつ用にと巨大蒸しケーキを用意し夕食の下ごしらえをして後は父に頼み・・・今日一日、自分ができること、できたことを振り返る貴重な時間となりました昨年の夢メールに設定した文章は『魂の求むる声を聴き 光の指す処を観て 在りて在るを感じる幸せ :感謝: 』 です今年は 『毎日何かを生み出す』 ことと 『明るく 面白く すずやかに過ごす』ことに決めました旧正月から設定を変更しようと思います(読んでくださってありがとうございましたちなみに、夢メールはご存知ですか?携帯に無料配信してくれます)
2007.01.22
コメント(2)
闇を見た人は 闇の話をするでしょう光を見ている人は 光の話をするでしょう一寸先は光明けない夜は ありませんどんなに言葉で いいことを書き連ねていてもこころに★もやっとボール★があってとげとげした気持ちのやつあたりをしちゃったなら小さめの懐中電灯を持ってきてしっかり目をつぶって光を感じてみましょう今日はウチの子ども達と近所の子供とでサッカーをして 大声だして、大笑いして、全身で遊んできました遊びなのにたくさん 教えていただきました子供はすごい・・・無邪気にはかなわない!邪気がないのだから当然かもしれませんね喜怒哀楽も素直 でも引きずらない瞬時に遊びの工夫をして 笑顔でつながります大人のわたしにできる 御返しは勝敗に関わらず チームに関係なくいいプレイは 「いい!ナイスカット!ナイスシュート!」かっこいいプレイは 「カッコイイ!」痛そうなときには 「大丈夫?みんなタイム!」と声をかけること・・・たくさん たくさん 前より上手くなっている自分自身を感じながら思い出も作れたかな?そんな風に子ども達に心で問いかけている私に気づいて自分自身にも問いかけてみました
2007.01.21
コメント(0)
昨日のお仕事のお話です暮れもおしせまったころそのお宅にお電話をかけましたとてもせわしい気配で、迷惑なのを感じ取りました「今葬儀が終わったところなので、またにしてください年が明けたらこちらから連絡します。」無礼をわびると、はっとされた気配が電話ごしに伝わってきました20年以上のご縁です 慌しさと疲れをひとことふたこと話されお互い早々に電話を切りましたそして、昨日・・・仕事が終わり正直にお伝えしました「いつもは、おはがきでご依頼を戴いている◎◎さんのところに私からお電話を差し上げたのは・・・。」(あっ) という表情をされました「ふとおばあちゃまのお顔を思い出して電話をかけてみようと思ったのです。」奥様の目からぽろぽろと涙がこぼれました「お電話を戴いたあの夜は、御通夜だったのです・・・。」年に一度お伺いするにしても二十数年のこと・・・その間にお留守番のおばあちゃまとたくさんお話し教えられたり、お慰めしたりと思い出話をするには十分なほどエピソードがありましたお嫁さんとひとしきり ぽろぽろと泣きながらお話をさせていただきましたその前の日には児童福祉施設の事務局長が亡くなったと連絡が入りました前日に 母とその方の病状について話を交わしたばかりでしたちょうど話をしていた時間帯に亡くなられたということもあとでわかりましたたまたまかもしれません旅立ちの前に 立ち寄ってくださったという考えもあります95歳、ご家族に大事にされたおばあちゃまと 親のない子ども達に囲まれた年配独り身の男性に今回の人生を振り返っていかがでしたか?と敬意を込めてお尋ねしてみたいですこころよりご冥福をお祈りします
2007.01.21
コメント(0)
昨年の夏ごろ、マーフィの法則にはまりましたアファーメーションのバリエーションを広げるという目的と自分の可能性の枠を広げたかったからです^^潜在意識の活用という点では 様々なセルフワークを用いますが積極的に何かを”刷り込む”というのは初めてでした十代の頃に 『思いは実現する』という本を読みなぜ 願ったものが手に入ったり また手に入らなかったり方向転換させられるようなことが起きたり・・・という裏づけを得たような気がした記憶がありますその後の体験からはしつこくしつこく 欲しがっていた目標は手に入り難いという My法則に気づきましたその逆を試してみると、これが案外うまくいきました願ったら 「まぁ別にそうなったらいいなということで、今できることや気持ちが向く事をしておこう」と思うと 予定よりもずっと早く手に入るようです(注:これが どなたにもあてはまるかどうかは未確認なのでわかりません)宝地図でしょっちゅう目に焼きつけ何度もイメージするというのは実は私の感覚では逆でしたですから 私が宝地図を作ると すでに手に入ったものが中心ですそれで どうなるかというとその内容が さらに 深まっていく という感じです手に入っていないものを宝地図に加えるときは大抵は 子ども達の夢です親にしか叶えてあげられない条件もありますからねこれは一例ですが・・・昨年のお正月に ふと思いついて 子ども達が欲しがっているミニチュアダックスの写真を貼ったところ一週間しないうちに仕事先から「息子が引越しをするのでもらってくれないか?」と、ミニチュアダックスのお話がありました成犬だったのでお断りしてしまったのですが貼った写真は、大人のミニチュアダックスでした・・・私の場合はなんの気なしに願うのがよさそうですただ、世界的にベストセラーのマーフィの法則にも触れておくべし!と、マーフィのアファーメーションを実行してみました自分に都合のいいアファーメーションを作って(笑)MDに録音して繰り返し聞いてみたりもしました結果を先に言いますと・・・すっかり飽きてしまいました(汗)顕在意識が起きている時というか優勢の状態って自己暗示をかけにくいと言われていますまだ行動を目標にしたものとか感情をクリアにする目標のほうが自己覚知をするとか自己認識したい方には役にたつでしょうこれが、潜在意識優勢の状態ならまた違っているかもしれません潜在意識を活用せよ!って断言されちゃう書籍などもありますが潜在意識とか、無意識には階層(ステージ)があるといわれていますし成育過程で無意識の痛み(トラウマなど)を受けた場合通常は思い出せなくても、実際の行動の中には潜在意識の中身の反映が入り混じって行動パターン、反応パターンとなっていることが多いものですですから、新しい自分を描きたいのなら今 無意識に描かれている下絵を確認する作業をしてからの方がより美しく また 目標どおり描けるように思いますでは なぜマーフィ本で結果が出せない人がいるのか?マーフィ博士の本をかなり収集し、図書館などでも借りて読み漁った結果「実際のカウンセリングないしコーチングの場で何かが起きている。」という考えに至りました(仮定ですよ)神父さまという立場から バックボーンにあるのはキリスト教だとわかりますキリスト教という宗教観や、祈る習慣、信じる習慣同じ宗教を持つという所属の意識というのが根底にあるとすればマーフィ博士にカウンセリングをしていただいた後に(表層意識の整理整頓をした後に)新たな考えで書き直していく作業は、懺悔と改心、信仰の確認と奇跡といった自然な流れなのかもしれませんもちろん、聖書の言葉を口にするという子供の頃から続けていたアファーメーションの基本的習慣も功を奏しているのかもしれませんねそして マーフィ博士の人徳や人となりが 相談に来た方々の潜在意識を開いた上で アファーメーションを刷り込んでいったのかもしれません本には その過程が描かれていませんだれも、相談室の中で行われたセッションの空気や流れ、変化を書き記していないのですそしてあたかもそれが現実のように五感で感じて、想像してありありとその状況を体験するという訓練そのものが私たち日本人(←すみません そうでない方もひとくくりにした言い方は検討の余地が在ります)には 必要なプロセスのような気がします先にも書きましたが、アファーメーションのバリエーションとしてはとても参考になる本ですこういうタイプのかたには、こういう文脈でこういうお悩みの方には、こんなキーワードがシンクロニシティを引き寄せた・・・とても楽しい経験談集だと思って読みました話は違いますが・・・かつて私の出遭ってきたヒプノセラピーのスクールの指導者、瞑想やゲイトウェイの指導者合気道、野口整体・・・ほか潜在意識を活用するお仕事をされている方々は「潜在意識下で願い事をするときには慎重に。」「潜在意識の中から個人的な欲を取り出してきてはいけない。」「潜在意識は善悪を判断しない。その願い事を叶えるために何が起きるのか自分で責任がとれるように覚悟も必要。」と皆さん同じ指導をしてくださいました(私の師でない方に そのような指導をされない方もいらっしゃいますが・・・)だから、潜在意識のお掃除は大切なのだと思いますそういえば、宝地図の本にも自分だけではなく、他の方も喜ぶとかしあわせを感じる目標というニュアンスがどこかに書いてあったような・・・(ここはあとで調べて書きなおしておきます)私自身の経験的なもののほかにすでに、いくつかに分類・理論化されているもの、それからある種の指導者が、あるタイプの弟子にほぼ確実に伝えられるものなど・・・これらの符号性によって 潜在意識をどのように扱い、活用するかということが語り継がれているのだはないかと考えます
2007.01.21
コメント(2)
ずっと昔に習った気功の資料の中に北斗七星の記述があったような気がしているのですが暮れに資料をまとめて押入れに押し込んだので・・・・密教系の気功でしょう・・・それならたぶん 関西気功協会・・・禅密功だったか・・・ 踏七星功 走七星、歩走七星、流星七歩 歩法、身法(龍身、転換や入り身)歩功なら郭林気功かも・・・龍の動きは教わったけど星をイメージはなかった・・・戦術なら遁甲術・・・北斗七星の精気を体に取り入れる・・・日本の神道で北極星うんぬんがあったようななかったようなネットには下記の資料がありましたこちらのサイトさまからhttp://tatuo-nakamura.cocolog-nifty.com/blog/以下引用地球の北の地軸の延長線上にある北極星は一晩中動かない。見かけ上、すべての星が北極星を中心に運行しているように見えることから、北極星、北斗七星は神格化され、信仰が生まれた。北辰妙見信仰である。この信仰は古代中国の道教に始まる。北極星は北辰と呼ばれ道教の中心的な神である。 辰は龍神のことで北斗七星はその姿を容易に想像させる。日本の風土に馴染んだ例として、神田明神に祀られている平将門公は鋼鉄身で超人ぶりを発揮し常に影武者6人を従えていたという伝説的な話である。これは北辰妙見信仰の影響が大きいのだ
2007.01.20
コメント(0)
今から郵便局へひとっぱしり!よくがんばったわたし!!(アファーメーションです気にしないでくださいまし)
2007.01.19
コメント(0)
運動の重要性を中心に述べよ。発達課題 発達段階における達成すべき課題の中でも「運動」に視点を定め発達課題として論理的に理解することが重要である。発達は、順序性や連続性に従って起こる停止することのない一定の型・規則に基づく連続的な変化だが、その発達の過程は画一的ではなく、幾つかのまとまりのある段階に分ける事が出来る。 発達が進行する中で確認できる顕著な特徴を基準にして、発達の過程を幾つかの段階に分けて分類したものを『発達段階』と呼ぶ。 発達段階は、各段階において他の段階と質的に明確に区分することができ、発達は特別な病的状態を除いて、不可逆的である。 また、各段階に発達する時期やスピードには大きな個人差があり、何歳だから、どの発達段階にあると一定の公式に当てはめて発達を考える事は出来ない。発達の各段階の間には、一定以上の移行期間があり、その移行期間の間には前段階の特徴を色濃く残していたり、後段階の特徴も同時に現している場合などがあるため、どの発達段階にあるのかを見分ける時は慎重な観察と面接が必要である。 心理学者のハヴィガースト( 1900-1991)は、基本的な発達課題として様々なものを列挙しているが、その根底にあるのは他人との情緒的なつながりを持つコミュニケーションスキルと両親からの精神的・経済的自立であり、その他には、自己に対する正直で健全な態度、倫理的な良心や謙虚さ、男性・女性の性役割の受容などがある。 発達課題の持つ役割は、まず、自己と社会に対する健全な問題を抱えない適応にとって必要な学習であるという事だ。その発達課題は、原則として平均的な一定期間内で学習される事が望ましく、それぞれの発達課題はその年代の人たちから興味や関心を引かれ易いものになっている。 もちろん、発達課題は、社会の大多数の人が正しいと信じる社会通念や時代の風潮や流行、文化的な習慣などに大きく影響されますから、絶対的なものではなく、あくまでも相対的なものであるという事を忘れてはいけない。 ハヴィガーストの考える発達段階と発達課題は以下のように分類される。乳幼児期 歩行の学習、固形食を食べる学習、話すことの学習、排泄の学習、生理的安定の達成、性差と性的慎み深さの学習、社会的・物理的現実についての単純な概念の形成、両親兄弟の人間関係の学習、善悪の区別、良心の学習 児童期 日常の遊びに必要な身体的技能の学習、生活体としての自己に対する健康な態度の形成、遊び友達を作って、うまく付き合う学習、男子・女子の区別の学習とその社会的役割の適切な認識、読み・書き・計算の基礎的学力の習得と発達、日常生活に必要な概念の発達良心・道徳性・価値観の適応的な発達、個人的独立の段階的な達成・母子分離、社会集団や社会制度に対する態度の発達 青年期 両性の友人との交流と新しい成熟した人間関係を持つ対人関係スキルの習得、男性・女性としての社会的役割の達成、自分の身体的変化を受け入れ、身体を適切に有効に使うこと、両親や他の大人からの情緒的独立の達成、経済的独立の目安を立てる、職業選択とそれへの準備、結婚と家庭生活への準備、市民として必要な知的技能と概念の発達、社会人としての自覚と責任、それに基づいた適切な行動、行動を導く価値観や倫理体系の形成 壮年期配偶者の選択、配偶者との生活の学習、第一子を家庭に加えること、育児の遂行、家庭の心理的・経済的・社会的な管理、職業に就くこと市民的責任を負うこと、適した社会集団の選択 、中年期 市民的・社会的責任の達成、経済力の確保と維持、十代の子どもの精神的な成長の援助、余暇を充実させること、配偶者と人間として信頼関係で結びつくこと中年の生理的変化の受け入れと対応、年老いた両親の世話と適応 老年期 肉体的な力、健康の衰退への適応、引退と収入の減少への適応同年代の人と明るい親密な関係を結ぶ事、社会的・市民的義務の引き受け、肉体的に満足な生活を送る為の準備、死の到来への準備と受容 ★発達心理学者のA・ゲゼルは、発達は遺伝子に組み込まれたプログラムにより展開されると考えた。一方、行動主義の提唱者であるワトソンはは環境の中の刺激(あらゆる物、音、光、味、触感、匂い)を操作する(何を与え、何を与えないかをコントロールすること)ことによって、発達を制御できると考えた。つまり、個人の経験によってその経験に相応しい発達が起きるとした。遺伝的要因と環境的要因は、相互に影響を与え合って発達を支えるので、どちらかが一方的に優位に立つという事はなく、その程度の大小があるだけだと考えられる。 ★ 過去には、遺伝的要因を重視する学説と環境的要因を重視する学説が鋭く対立していたが、現在では環境と能動的に相互作用する存在であり、内外(生物学的条件や社会的規制)から影響されながらも、自らが意図・動機・計画などを持ち、環境に向かって働きかけていく存在であるという観点に立つ説に落ち着いている。スキャモンの発育発達曲線子どもが成長していく時点では、それぞれの器官、機能は個人差がある。よって、ある課題に対して、吸収しやすい時期と、そうでない時期が出てくる。最終的に大きな成長を期待するなら、最も吸収しやすい時期に、その課題を与えていくというのが、最適な方法と考えられた。スキャモンの発育発達曲線を参照すると。神経系統は生まれてから5歳ころまでに80%の成長を遂げ12歳でほぼ100%になります。プレゴールデンエイジ 5歳~8歳頃脳をはじめとして体内にさまざまな神経回路が複雑に発達しながら張りめぐらされていく大切な時期である。この時期の子どもたちは、集中力の持続は難しく、常に新しいものに興味が移っていくといった特徴をもっているが神経回路にさまざまな刺激を与え、その回路をさらに張りめぐらせること、神経系の配線をより多様に形成していこうとする、自然な欲求の現われでもある。ゆえにこの時期は多種多様な動きを含むさまざまな動きを経験させることが大切となる。子どもたちのこのような集中力を理解し、飽きさせないで楽しませるためには、多彩な遊びの展開が効果的である。鬼ごっこや、木登り、ボールを使ったさまざまな遊び、それらの動き一つ一つが、後になって貴重なものとなって身体の中に刻まれていく。 ゴールデンエイジ 9歳~12歳頃9歳~12歳頃になると、神経系の発達がほぼ完成に近づき、形態的にもやや安定した時期に入る。この時期は、動作の習得に対する準備態勢(レディネス)も整い、さらに「可塑性」と呼ばれる脳・神経系の柔らかい性質も残しているという非常に得意な時期として位置づけられている。 一生に一度だけ訪れる「即座の習得」を備えた動作習得にとって、もっとも有利なこの時期は、「ゴールデンエイジ」と呼ばれ、世界中どこでも非常に重要視され、運動に関してあらゆる機能獲得の最適な時期として位置づけられている。この「即座の習得」は、それ以前の段階でさまざまな運動を経験し、神経回路を形成している場合にしか現れない。 ポスト・ゴールデンエイジ 13歳頃以降ゴールデンエイジを過ぎると、発育のスパート期(思春期スパート)を迎える。骨格の急激な成長は、支店・力点・作用点に狂いを生じさせるため、新たな技術を習得するには不利な「クラムジー」と呼ばれる時期となり、今までにできていた技術が、一時的にできなくなったりすることもある。しかしこの時期はスキャモンの発育発達曲線を見ると、生殖器型、すなわちホルモンの分泌の著しくなる時期でもあり、とくに、男性ホルモンの分泌は速筋線維の発達を促し、それまでに身につけた技術を、より速く、より強く発揮することを可能とさせる。
2007.01.19
コメント(0)
カウンセリングを受けると言う事は自己修復プログラムを発動することかもしれない。新しいものの視方だけでなく、それまでとは違う認知のあり方を取り入れることといった自分なりの公式を人生に取り入れる過程を経験するということでもある。よく『答えは自分の中にある』おいった言い回しがあるように、カウンセラーは問題解決至高ではなく、クライエント自身が気づき実行できることを信じて、辛抱強く見守らなくてはならないこともあるだろう。おだてたり、答えを与え「私のところにくれば解決できる」と、依存させるようではもはやカウンセラーとはいえない。ただのエネルギーイーターである。(覚書)
2007.01.19
コメント(3)
現代人の生活とカウンセリングについて考え、カウンセリングがどうあるべきか述べよ。1、現代の社会状況とカウンセリングの必要性わが国では、第二次世界大戦後、物理的充足を優先した結果、高度成長期、オイルショック、バブル経済崩壊などの経済中心の社会を経てきた。近年の激しい社会環境の変化、技術革新や成果主義や能力主義の導入など、労働者及びその家族を取り巻く不安やストレスが高まっているが、学校や企業でのいじめ問題や、犯罪などを機にようやく社会全体が精神的な側面のケアに注目するようになった感がある。心と身体の健康、心と身体の教育、心と身体ケアなど職場における身体的、心理的、社会的対策が重要な課題である。私たちは、誰しも円滑な人間関係や快適な職場環境を望んでおり、物理的、科学的環境整備の他に、心身ともに健やかに過ごすための人間的環境作りが必要であるといえる。また自殺者急増の背景には、家庭等の人間関係や職場の身体的、心理的、社会的対策状況があるが、これらは、転じれば仕事の能率や成果が大きく変わるため人事管理におけるストレスマネジメントは必須といえる。2、現代人の生活とカウンセリング家族高度成長後、核家族化・地方の過疎化が進んだが、それに伴い親族で形成されるネットワーク、地域に根付いた支えあいは徐々に失われていった。バブル経済破綻後は、家族そのものの絆の希薄を訴える心理学者も多い。これは青少年の問題行動にみてとれる。昭和50年代にみられたような暴走族といった多勢集団は減少の一途をたどったが、近年では小集団での結束による暴走行為が増加している。また不順異性交遊、援助交際など他者と関わろう、所属したいとする要求が不健全な表出となっているともいえる。青少年サポートセンターの所長の話によれば、補導した少年にしろ犯罪を起こした少年にしろまず最初にすることが、相手を否定することなく話を聞くこと、つまりカウンセリングだという。少年達は一様に話す事と、判断や審判されることなく聞いてもらう事に飢えているというのだ。家庭の富裕の差よりも親の養育態度による幼少期からの感情鬱屈が少年非行の起因となるとすれば、親のカウンセリングも並行して行うというのが私の見解である。その他家族間の問題としては夫婦間・兄弟間の葛藤、虐待を含む家庭内暴力(DV)、アルコール・ギャンブル・薬物の依存症などがある。どのケースも支援の際にはカウンセリングが導入されることとなる。家族療法(家族の座、家族布置、ファミリーコンステレーション)といった家族ぐるみのカウンセリング及び療法もあるが家族間の確執が根強い場合、ファシリテートは困難を要するため、まず個々人のカウンセリングから取り組むことが前提となる。家族個々の問題としても、子供のいじめ、登校拒否、自殺などの青少年の問題、うつなどの精神諸症状、男女更年期などの中年の危機、そして疎外感や死の不安にさらされる高齢者などいずれも心理的な援助を必要とする。学校生活スクールカウンセリングには、次のような特徴がある。教育モデルによるカウンセリング スクールカウンセリングは、原因を追及し病気を治療する治療モデルではなく、問題を抱えている児童生徒と関わり、児童生徒の問題を解決する力を引き出すことを援助する教育モデルによる活動である。精神的な障害がある場合には専門的な治療が必要になることもあるが、その様な場合においても、医師や臨床心理士などと連携し、児童生徒の持つリソースを見出し、対処スキルを高め、心理的混乱を解決することなどのストレス耐性を向上させる教育モデルによる援助が重要になる。開発的・予防的・問題解決的援助 スクールカウンセリングは、開発的カウンセリング・予防的カウンセリング・問題解決的カウンセリングの援助段階に分けて考えることができる。 開発的カウンセリングは、将来、児童生徒が自立して豊かな社会生活が送られるように、児童生徒の心身の発達を促進し、社会生活で必要なライフスキルを育てるなどの人間教育活動を行う。全ての児童生徒を対象とし、教科学習や特別活動、総合的な学習など、学級、学校全体の教育活動を通して、児童生徒の成長を促進する。予防的カウンセリング児童生徒一人ひとりについて、性格、現在の状況、ストレス、悩み、問題などを把握し、問題が発生しそうな児童生徒に予防的に働きかけ、本人が主体的に自らの力で解決できるよう支援する活動を行う。 問題解決的カウンセリング 問題の発生は、開発的、予防的カウンセリングを行うことで低減されることになるが、人生を生きていく上では、様々な問題に直面する。このような問題については、カウンセリング的アプローチにより問題の解決や不適応状態からの回復を援助する。 メリットとしては、学校生活の場・日常生活の場で行われるため、随時、実施する機会がある。休憩時間、放課後、行事や授業など様々な場面を利用し、児童生徒の自己管理や他者理解を深めさせ、自己コントロール力や対処スキルを向上させることができる。通常、対面でのカウンセリングによる個人へのアプローチは基本であるが、スクールカウンセリングでは、授業、学級経営、学校全体の取り組み、家族や友人への働きかけなど様々なアプローチを総合的に実施することで、相乗的な効果を引き出すことができる。また、 学校カウンセリングの特徴は、チームによる支援である。いじめ、不登校、校内暴力など様々な問題が発生するが、担任教員一人で抱えていても解決しないことが多い。学校全体で、あるいはいろいろな人達とチームを組み、集団の知を活用し、学校全体が一貫性のある関わりをすることで、多くの問題を解決することができる。職場
2007.01.19
コメント(0)
以前掲示板に書き込みして下さった女性がお正月も明けたばかりの6日に亡くなられたとのこと・・・東洋先生のブログにおじゃまして、書き込みをしていたのを見て下さったのでヒプノつながりということになりますが・・・直前まで書かれていたブログのご家族の写真に胸が痛みます慎んでご冥福をお祈りいたします****今困惑していることは・・・その方のブログを訪問してみて、個人のお仕事のサイトにとんだところもしや?私と一緒に仕事をしている仲間(整体師&クラニオセイクラル&エネルギー調整)がクラニオセイクラルを教わった方かもしれないという予感がしてきました催眠療法を長く習っていた・・・クラニオセイクラルを教えていらっしゃったHNの一部が本名に似ているもしその方なら、知らせてあげたいのですがどうやって確認したらいいのか途方にくれてますまさか、その方の掲示板に行って◎◎さんですか?とも書けないし・・・
2007.01.17
コメント(0)
社会環境と発達病理について述べよ。発達障害(はったつしょうがい/Developmental Disorders, Developmental Disabilities)は、発達障害の原因は社会的、環境的、身体的が起因といわれている。、しかし、いまだ決定的な原因は断定されていない。生活全般に関する自立の能力と精神遅滞、脳性麻痺、自閉症スペクトル障害、いろいろな遺伝的で染色体障害(例えばダウン症候群とX症候群)と胎児期アルコール症候群の表現力豊かな言語獲得や生活力に障害がある。発達障害を引き起こしている一般的な要因について現在提言されているものには以下にあげられる。脳損傷または早期出産、染色体と遺伝病、栄養問題、妊娠中または出産後の感染、妊婦が過度のアルコールの摂取量と喫煙、薬害、ダイエットと健康管理を含む妊娠中のリスクにも関係する。一般的に、乳児期から幼児期にかけて様々な原因が影響し、発達の「遅れ」や質的な「歪み」、機能獲得の困難さが生じる心身の障害を指す概念。学術的には知的障害(精神発達遅滞)を含むが、一般的には、知的障害を伴わない軽度発達障害だけを指す場合も多い。発達障害児の示す発達の「遅滞」や「ゆがみ」は、決して不変のものではなく、適切な療育により発達を促し、改善していけるものであるとされる。発達障害児が有する特徴を遅滞や歪みとは捉えない考え方・立場もある。世界的にみて発達障害の人々の割合は、およそ1.4%であるといわれている。男性で女性での二倍という数値が一般的で、一部の研究者は軽い発達障害の罹患率が貧困と発展途上国において高く、また特定の民族の人々の間にありそうだということが判明した。発達障害を伴う多くの身体的な健康要因により若干の特異性症候群と診断されることもある。例えばダウン症候群の人々は心臓機能が脆弱であるとか)しかし、公共医療機関・者と福祉援助者とによる理解不足や連携不足により十分な支援を受ける事ができないケースもある。またそういった援助を求めない養育者の養育方針が適切な働きかけを阻害することもありうる。発達障害者の健康ニーズを明瞭に表現することが難しいとわかっていながら、十分な支持と教育なしで水面下で病理が悪化していく可能性も否めない。自制心や日常生活におけるセルフヘルプが困難な場合、肥満や歯科衛生管理ができずに虫歯を罹患しやすい。発達障害の人々全体を通してみた場合、寿命は平均以下に20年と推定されているが、これは医学技術の向上で延命傾向にある。
2007.01.17
コメント(0)
エリクソンの発達段階説を中心とすること発達(development)とは、精子と卵子の受精から死に至るまでの一生涯の『質的・量的な変化の過程』と定義する事が出来ます。 人間は、一生の間、絶える事なく変化をし続けるという前提に立ち、その継続的な変化の仕組みと実際の状態について調査・研究するのが発達心理学と呼ばれる分野になります。 以前は、心理学における“発達”という言葉は、日常用語の発達と同じように、誕生~成人期までの機能的形態的発展の“上昇の過程”という意味が込められていました。 しかし、現代の発達心理学における発達の概念には、成人期以降の中年期・老年期も発達の段階として含まれていて、誕生~死までの生涯全ての過程を発達と定義しています。 古い時代には、発達は遺伝的要因にその大部分を依存する過程と考えられていて、遺伝的に潜在している可能性が時間の経過に従って次々に開花してくる事を発達と呼んでいたのですが、現代においては遺伝的要因と同等に環境的要因が重視されていて、機能的発展以外にも人格の成熟や知性の発達といった観点を合わせて生涯のスパンで発達が考えられています。 また、一般的な成人期までの変化の中でも、一時的な発達の停滞や表層的な逆行が見られることがあり、成人期以降の変化でも生物学的な加齢と並行して発達の下降や衰退が必ず起こるとは断言できない部分があります。 その為、発達には従来の『上昇・下降』といった価値判断を含まない事になり、一生の間の変化として発達を考えるようになりました。即ち、発達は『生涯発達』という観点から研究されるべきものとなってきました。 発達は一定の規則・型に従って、一生を通して連続的に進行する変化の過程で、その進む速さは一定ではなく個人差があります。発達のスピードの差が生まれる原因としては、遺伝的な個人差があり、性差があり、発達過程の環境などがあります。 『発達の順序性』という発達の規則があり、発達は一定の決まった順序で進行していきます。
2007.01.17
コメント(0)
2.4. 乳幼児期・幼児期・児童期における心理・社会的発達 ピアジェが子どもの認知的発達段階を想定したのと同じく、精神分析学者のエリクソンは、子どもの心理・社会的発達段階を考え出した。エリクソンによると、人間の生涯にわたる心理・社会的発達は、8つの段階に分割できる。それぞれの段階には、解決すべき課題が設けられており、人それぞれによって発達の仕方は異なるが、その8段階を連続的に経験する。ここでは、1~12才くらいまでの発達を見てみたい。まず、1才児の主な社会的課題は、信頼と不信との葛藤である。幼児の信頼感を促進するもっとも重要な要素は、幼児と育児者との間に形成される、社会的愛着である。次に、2才の子どもは自律性と疑惑との葛藤の段階にあり、この時期の子どもたちは、自分自身を気遣ったり、言葉を話すようになるといった経験をとおして、親から独立した意識を持つようになる。3才になると、積極性と罪悪感との葛藤の段階を経験する。この時期の子どもたちは、随所で自分勝手な素振りを見せはするが、その一方で罪悪感を感じるようになる。この時期に正しいことと、間違っていることを学習する。6才から12才くらいの時期は、勤勉性と劣等感との葛藤の段階である。この時期に勤勉性を身につけ、成功する子どもは、自分自身の有能さを感じるようになるが、そうならず、劣等感を強めてしまった子どもたちは、いろいろなことに興味を失い、他人との接触をさけるようになる。 2.4.1. 早期の愛着に関する理論 幼児は驚くほど感情的、社会的な素養を示すことがある。たとえば、彼らは恐怖、驚き、幸福感という3つの基本的な感情を表現することができる。ある実験では、10才から12才までの幼児を恐怖、驚き、幸福感を引き出すそれぞれ2つの状況におき、その状況を知らない判定者に、彼らの表情や行動からその幼児の感情を予測するように求めた。すると、判定者は幼児の感情を言い当てることができた。これは、幼児がそれらの感情を表現できているということを証明している。 上記のように、エリクソンによると、1才児の主な社会的課題は信頼と不信との葛藤であり、幼児の信頼感を促進するもっとも重要な要素は、幼児と育児者との間に形成される社会的愛着である。1930年代の始めに、イギリスの精神科医、ボゥルビィ(Bowlby,1907-1990,[Sdorow, L.M., 1998,より二次引用])は、第二次世界大戦で両親を失った孤児の研究をもとに、早期の母親の喪失、または剥奪がその後の人格形成へもたらす影響を明らかにしようとした。そして、この研究を行った結果、幼児の生存は大人の育児者にゆだねられているという理由より、進化論的に、幼児は愛情への生得的な欲求をもっているということを主張した。それゆえ、幼児は泣いたり、クークー言ったり、笑ったり、しがみついたりして大人からの反応を引き出そうと努めるのだという。それと同じように、フロイトは、幼児は機能的な理由のために自分の母親に愛着を形成すると考えた。つまり、幼児は自分にとって有益なものを得ることができるから、その対象に愛着を持つようになるということを言っている。 しかし、フロイトの考えは、ハーロー(Harlow)らがアカゲザルを用いて行った社会的愛着の研究とは矛盾していた。ハーローは、生後間もない子ザルを両親や仲間から引き離し、2種類の代理母親と一緒に育てた。それらの代理母親は、一方が針金製で、他方は布製であり、両方とも胸に乳首が取り付けられていた。しかし、針金製の代理母親だけ、授乳ができるようにしていた。すると、子ザルは、授乳ができる針金製の代理母親よりも、布製の代理母親と一緒に極端に長い時間を過ごすようになった。これより、ハーローは、幼児が愛着を持つためには、食物よりも身体的接触がより重要であると結論づけている。現在、このような実験を再現しようと思えば、倫理的に認められない部分が多いが、ハーローの発見は愛着の研究において、大きな功績を残したと言える。 続いて、エインズワース(Ainsworth,1993,[Sdorow, L.M., 1998,より二次引用])の母親と幼児との関係に注目した研究をみてみよう。エインズワースは、ボウルビィの研究に長期間、参加する事によって、彼から多くの影響を受け、その後の研究で、愛情を注がれた幼児とそうでない幼児との間にはっきりとした違いを見いだしている。これは、幼児が人見知りをして、分離不安を示す月齢8ヶ月に特に顕著なことである。これを証明する方法として、エインズワースはストレンジ・シチュエーション法(Strange Situation Procedure)を開発した。そこでは次のような手続きがとられた[山内,1999:129]。 (1)母親が子どもと実験室に入り、子どもを椅子に腰掛けさせる。そのまわりには沢山のおもちゃがある。母親は子どもとは反対の部屋の隅に座る。 (2)子どもと面識のない人が入室し、しばらくの間、静かに座っている。その後おもちゃを使って子どもと遊ぼうと試みる。 (3)その間に母親が部屋を出る。 (4)母親が戻り、子どもと遊ぶ。その間に知らない人が部屋を出る。 (5)母親が再び部屋を出る。子どもは3分間1人になる。 (6)知らない人が戻る。 (7)母親が戻る。 そして、エインズワースらは、この状況で子どもが示す反応をワンウェイ・スクリーンから観察した。この結果、母親との再会事態で子どもが示す反応にはかなりの個人差が認められた。愛情を注がれていた幼児は、母親に対して身体的接触を求めるけれども、母親を安全基地に見立て、離れて自由に遊んだり、まわりを探索したりする。しかし、それとは対照的に、愛情を注がれていなかった幼児は、母親にまとわりつき、母親がちょっとでも離れようとしたら不安になったりかんしゃくを起こしたりした。これは、母親が子どもに愛情を注ぐことによって、子どもの発達は促進されうることを示唆している。つまり、母親が愛情にあふれ、感情的で、受容的であれば、子どもは愛情にあふれる子どもにもなるし、それとは逆に、この時期にあまりかまってもらった経験が無ければ、児童期や思春期にそのような関係を周囲と作りやすくなるのである。事実、この時期の母親と幼児の関わりのパターンを見ることによって、その後の人生の生き方を予測することができる。 2.4.2. 親と子供の関係 子どもの心理的発達において、重要な要素は、母親の養育態度である。心理学者であるバウムリンド(Baumrind)は、親のタイプを「許容的な親」、「権威のある親」、「権威主義的な親」の3つに分類した。「許容的な親」は、ほとんど規則を作ることがなく、叱りつけることもないことが特徴的である。ところが、このように何でも受け入れてしまうと、子どもが正しい行動を身につけようとしないので、これは好ましい親像とは言えない。次に、それとは全く逆の「権威主義的な親」はどうかというと、厳しいルールを設定し、子どもに罰を与えることが特徴的である。また、ときには子どもを虐待することがある。そうなってしまうと、子どもたちは、身体的なけがとは別に、生涯にわたって心の傷を残してしまう場合がある。また、虐待を受けた子どもが将来、虐待を自分の子どもに与える大人になるという、好ましくない悪循環がそれに続くということもある。しかしながら、虐待をするたいていの親は、子どもの時に虐待をうけているが、虐待を受けた子どもたちが、自分の子どもに虐待を与えるようになるのは、たったの30%である。つまり、児童虐待に苦しんでいた人は、必ずしも自分の子どもを虐待してしまうということではないため、その悪循環を断ち切ることは可能である。 バウムリンドによると、最適の親像は、「権威のある親」である。「権威的のある親」は温厚で、愛情に満ち溢れているが、自分の子どもが適切に振る舞うことをちゃんと主張する。彼らは、適度に子どもが自律することをうながし、自分たちの規則の理由をていねいに説明し、子どもが自分たちに異論を唱えることを受け入れる。そうして、自由と統制の微妙なバランスを維持し、子どもが規範を内在化することを促進する。 一般に、「権威のある親」を持つ子どもたちは、社会的に有能感を持ち、自律的で、責任感を持つようになる。しかし、「権威のある親」が原因で、子どもがそのように変化するのではなくて、逆に、子どもが適切に振る舞うから、その親が「権威のある親」になるということも考えられる。これに関しては、これまでのところ、2者間に正の相関関係を見いだしてはいるが、なぜそうなるのかということはまでは分かっていない
2007.01.16
コメント(0)
乳幼児期・幼児期・児童期における身体的発達 新生児期には、刺激への反応としての自動的な運動である反射運動が、生きていくために必要な運動である。しかし、この時期には身につけていない反応もあるために、子どもが身を守るためには大人達の助けが必要である。 運動機能の発達はひとり一人でそのスピードや程度は異なるが、歩行の発達段階(Frankenberg,Dodds,1968,[Gray,P. ,1991,より二次引用])でも見られるように、発達が連続的であり、同じ段階を踏んでいくということは、どの子どもでも共通であるといえる。 また、脳は細胞分裂によっても発達するが、生活の中での経験も、脳の発達に影響を与えると言うことが明らかになっている(Diamond,1988,[Sdorow, L.M., 1998,より二次引用])。それは、ラットの子どもを用いた実験で、貧しい環境よりも、豊かな環境におかれたラットのシナプスのほうが、よりその結合が強くなっていた(Camel,Withers & Greenough,[Sdorow, L.M., 1998,より二次引用])ことからも分かる。 このように、身体的発達においては、遺伝的なものに加えて、環境というものが、多大な影響を与えている。 2.2. 乳幼児期・幼児期・児童期における知覚的発達 乳幼児には言葉が通じないため、彼らの知覚の能力がどれぐらいあるのか直接本人に聞くことができない。よって、乳幼児の目や身体や頭の動き、吸引反射、心拍数や脳波などを観察することから、研究はすすめられてきた。 視覚の研究は、知覚の研究の中でも多くなされている。 生後2日以内の新生児が驚き、悲しみ、喜びの表情の真似ができる(Tiffany Field et al.,1982,[Sdorow, L.M., 1998,より二次引用])ことや、新生児が舌を出した表情を真似できる(Ainsfeld,1991,[Sdorow, L.M., 1998,より二次引用])ことから、乳幼児の知覚はものすごい速さで発達することが分かる。 視力だけでなく、三次元の世界を認識しきれているのだろうかという問いを明らかにしたのが、visual cliff(視覚的断崖)の実験である(Gibson and Walk,1960,[Gray,P. ,1991,より二次引用])。visual cliffは、乳幼児の奥行き視覚を調べるための装置である。台の片側半分が板張りで、もう片方はガラス張りで台の 下が透けて見えるようになっているものである。ガラス張りの上は歩けるのだが、もし、奥行きを知覚できるのならば、そちらには行かないはずである。実験では、乳幼児の母親に子どもを呼んでもらって、それに対する子どもの反応を観察した。対象は、6ヶ月以上の乳幼児であるが、それは6ヶ月以下の子どもははいはいができないためである。実験の結果、子どもは、母親に呼ばれても、ガラス張りの部分へは進むことができずに手前で止まったり、そこで泣き出したりした。これは、6ヶ月児が奥行きを知覚していることを指すと同時に、深いところに恐怖を感じていることも示している。6ヶ月より前の乳幼児も、visual cliffのガラス板の上にのせられたときの心拍数の変化を調べることで、奥行きを知覚しているかどうか推測することができる。その実験では、2ヶ月児は心拍数に変化が見られ、1ヶ月児は変化が見られなかった(Campos,Langer,and Krowitz,1970,[Gray,P. ,1991,より二次引用])。これが深さに対する恐怖であるかどうかは分からないが、生後2ヶ月頃から、奥行き視覚の発達が始まっているといえるのは確かである。 このほか、聴覚に関する研究もなされている。 2.3. 乳幼児期・幼児期・児童期における認知的発達 子どもの成長と共に、神経系も発達し、複雑なことができるようになる。 子どもがある顔や声を認識し、また会話できたりある問題を解決できるようになること、それが認知的発達である。 人間の発達は現在遺伝と環境の相補的なものであるといわれている。そのうち幼児発達には環境というものが深く関わっているのである。 ワトソンら(Watoson & Ramey,1972[Gray,P. ,1991,より二次引用]) の研究を見てみよう。彼らは赤ん坊を3つのグループに分けた。Aグループは、赤ん坊が頭を動かすと必ずモビールが動くようにした。Bグループは、ずっとモビールは止まったままの状態に、Cグループは、頭の運動とは関係なしに、モビールが時々動くようにした。それを14日間行なった後、次にどのグループも一様にAグループと同じ、頭を動かすとモビールが動くという条件で行なった。その結果、頭を動かしたのはなんとAグループのみであった。このことから、赤ん坊を育てる上での環境の重要性がわかる。いくら身体的に成長しても、周りに刺激がなければ認知的発達は起らないのである。 次に、子どもの発達の研究に大きな影響を与えたピアジェ(Piajet)について見てみよう。彼は同じような年齢の子供たちが似たようなことをするということに気づいた。そこで彼は、一般的な子どもはいくつかの発達段階をふんで成長すると考えたのである。 ピアジェの理論の特徴として、スキーマ(Shema)、同化(Assimilation)、調節(Accommodation)というものがある。スキーマとは行動と思考の様式であり、同化とは外界の新しい出来事を内部のスキーマに取り入れる働きである。また、調節は新しい情報を上手く取り込めるようにスキーマを変更させる働きのことである。例えばこいぬ、こねこ、こぐまというスキーマを持つ子どもが初めてシカの写真を見たとき、こねこだと呼べば既にあるスキーマに新しい情報を取り入れたことになる(同化)。しかし、そのシカを今まで見たことのない新しい動物だと認識すれば新しいカテゴリーを含むためにスキーマを変更するのである(調節)。 またピアジェの認知発達論は4段階で構成され、それぞれ感覚-運動期、前操作期、具体的操作期、形式的操作期といわれる。 (1)感覚-運動期(誕生-2才) 赤ん坊はこの時期に身近な環境に関わっていくことで身体的発達も促されるのである。 この時期の重要な事項は物体というものの概念である。最初は物体が視界から消えるとその物体はもはや存在しないというスキーマを持っている。ゆえに、物体が視界から隠されると途端に興味は失せていくのである。しかし、経験を通して、物体が隠されても、その物体はあり続けるというスキーマを発達させていくのである。6~8ヵ月頃には物が隠されてもさがしはじめるのである。 (2)前操作期(2-7才) この時期の特徴としては、言語能力と象徴的活動の発達である。たとえば、ブロックを並べて列車と見立てたりするのだが、言葉をつかうことで、自分の体を使わずに(例えば四つんばいになって馬の真似をする)象徴的にたとえるのである。しかし、この頃の思考形式はまだ成人のものとは異なり、質量、長さ、数の保存というものが理解しがたい。例えば、同僚の水が同じよう容器に2つあり、一方を細長い容器に移し替えた時、どちらが多いか聞けば、細長い方を選ぶのである。 この時期のもう一つの特徴としては、自己中心性があげられる。他者も自分と同じように考えていると思っていて、会話の時でも相手がすでに分かっていると思うから重要な説明を抜かしてしまうことがあるのである。 (3)具体的操作期(7-12才) 他者への共感、原因ー結果の関係を理解することによって、論理的な分析能力を持つのだが、それは具体的な対象や活動にのみ有効で、抽象的、仮言的なものはまだできないのである。例えば、物を比べて大きさ中に並べることはできるのだが、「AはBより大きく、BはCより大きいではAとCとの関係は?」といわれても分からないのである。 (4)形式的操作期(12才~) ここに関しては、青年期の発達を参照して下さい。 以上のような発達段階の移行は、自分のスキーマと合わない出来事との葛藤から生じるものである。そしてここで重要なのはこのような活動はあくまで子どもの自発性・興味にもとづいて行なわれているということである。 また、ピアジェの理論は少数の観察事例からのものであり、科学的でないという指摘もあるが、ピアジェの理論はこの分野において大きな刺激を与えたことは否めないだろう。
2007.01.16
コメント(0)
エリクソンの発達理論発達は一定の規則・型に従って、一生を通して連続的に進行する変化の過程で、その進む速さは一定ではなく個人差があります。発達のスピードの差が生まれる原因としては、遺伝的な個人差があり、性差があり、発達過程の環境などがあります。 『発達の順序性』という発達の規則があり、発達は一定の決まった順序で進行していきます。 シャーレイ(1961)の研究をもとにして、人間の乳児期の発達で順序性を考えると、『胎児姿勢→あごを上げる→肩を上げる→支えて座れる→膝に座ってモノを掴める→椅子に座る→一人で座る→支えてもらって立つ→家具に掴まって立つ→ハイハイする→手を引かれて歩く→家具に掴まって立つ→階段をハイハイで上がる→一人で立つ→一人で歩く』といった発達段階を順番通りに経過していくことになります。 この発達の順序性の順序が乱れたり、飛躍したりする場合には、発達上の何らかの問題や異常がある場合が考えられます。しかし、その発達段階がどのくらいの時期に起こるのかという発現の速度には個人差がありますので、あまり神経質になり過ぎるのもよくありません。 発達には、ヴィンセントらによる『発達の方向性』という概念もあります。発達には、一定の方向性があり、身体の発達だと“頭部―尾部勾配”と“中心部―周辺部勾配”と呼ばれる方向性があります。頭部―尾部勾配とは、身体発達が頭部から尾部(脚部)に向かって進行していくことを示していて、中心部―周辺部勾配は、体幹から末梢の方向へと進行することを表しています。 『発達の連続性』は、今まで話してきたような絶える事のない連続的な発達のことです。発達には、休止や飛躍がなく、表面的には発達が止まっているように見えたとしても、身体や精神はいつでも変化し続けています。但し、発達には、個人差や性差というものがつきものです。 『発達の異速性』とは、発達が起きる部位によって速さが異なる性質の事です。身体発達において、主に筋肉や脂肪などの組織細胞が充実して発達する時期を『充実期』といい、骨が伸びる時期を『伸長期』といいますが、それらは青年期に至るまで交互に起こります。 筋肉と脂肪の増加充実によって体重が増加し、骨の伸長によって身長が伸びるという発達が観察されます。このような発達の知識が欠如していると、発達段階に相応しい体型・体位を間違って認知してしまい、無理な減量による体重の制御を図ったりして、正常な発達を妨げたり、性成熟に障害を来たしたりします。 スキャモンの『身体各部の発達』の研究では、20歳の時の身体各部・器官の重量を100として、20歳に至るまでの各発達時期の身体各部・器官の重量の割合を発達曲線で表しました。 大脳や脊髄の神経系では、6歳の段階で既に成人の90%の重量を持っています。それに対して、睾丸・卵巣などの性器は12歳頃の思春期に入るまで殆ど重量が変化しません。 『発達の分化・統合』とは、初めは一つの受精卵であった細胞が時間の経過と共に各器官に分化していき、機能的にも分業体制を取っていくことと、最終的には一つの完成したものになり、相互的に整合性がとれた統合を成し遂げるということです。 発達がどのような要因から影響を受けて起こるのかを考えてみると、遺伝的要因による成熟と環境的要因による学習との相互作用によって起こります。 ジェンセン(Jensen,A.R. 1923-)は、相互作用説の一つである『環境閾値説』を提唱しました。遺伝的可能性が各特性で顕在化するにあたって、それに必要な環境条件の質や量は異なり、各特性はそれぞれに固有の“閾値(一定水準)”をもっているという説です。 この説では、身長・言語などの特性は、よほど劣悪な環境でない限りはその可能性を実現していくが、知能テストの成績ではやや環境から受ける影響が大きくなります。更に、学校での学業成績になると、遺伝と環境の影響が拮抗するようになってきて環境の重要度が増してきます。また、絶対音感や外国語の音韻など特殊な才能は、それを習得するのに最適な環境条件を必要とする上に、一定の専門的な訓練を受けなければ、その才能を開花させることが出来ないとされています。 それぞれの才能や特性は、環境条件が非常に悪くて不適切な条件である場合には、その発達は阻害されますが、その特性が顕在化するのに必要な一定の閾値を超えれば、発達は正常な範囲内で進行する事になります。 遺伝的要因と環境的要因は、相互に影響を与え合って発達を支えるので、どちらかが一方的に優位に立つという事はなく、その程度の大小があるだけだと考えられます。 過去には、遺伝的要因を重視する学説と環境的要因を重視する学説が鋭く対立していましたが、現在では発達の要因は相互的なものであるという結果に落ち着いています。 ゲゼル(Gesell,A.L. 1880-1961)は、階段上りの実験を通して、身体的精神的な成熟を待たずに行う学習行動は無意味であるとして、学習を成立させる準備段階(readiness:レディネス)まで成熟することを重視しました。ゲゼルの学説は、成熟優位説とも言われます。 ゲゼルとは反対に、行動は全て環境的要因による学習活動によって成り立つと考えたのが行動主義心理学の始祖ワトソンです。 ワトソンは、自分に生まれたばかりの赤ん坊を預けてもらえさえすれば、その全てを条件付けなどの行動主義の技法を用いて、望み通りの能力や技術を持つ人間に育て上げ、赤ちゃんの時に決めた職業に必ず就くようにすることが出来ると豪語するほどに環境要因による発達への影響を重視しました。ワトソンは、環境決定論者とも言う事が出来るでしょう。 その対立を調停するような立場の学説を唱えたのが、シュテルン(Stern,W. 1871-1938)でした。シュテルンは、輻輳説を提唱して、発達は遺伝的要因と環境的要因の加算的な影響によるものだと言いました。 シュテルンの輻輳説は、現在の相互作用説に近いものとは言えますが、発達は両要因の単純な加算ではないという点と、両要因がいろいろな特性・才能・素質の開花にどのような影響を与えるのかという詳細な議論がないことが欠点として指摘されます。 発達は、順序性や連続性に従って起こる停止することのない一定の型・規則に基づく連続的な変化ですが、その発達の過程は画一的ではなく、幾つかのまとまりのある“段階”に分ける事が出来ます。 発達が進行する中で確認できる顕著な特徴を基準にして、発達の過程を幾つかの段階に分けて分類したものを『発達段階(developmental stage)』と言います。 発達段階は、各段階において他の段階と質的に明確に区分する事が出来て、各段階はいったんその段階に発達すると逆戻りすることはありません。つまり、発達は特別な病的状態を除いて、不可逆的であると言えます。 また、各段階に発達する時期やスピードには大きな個人差があり、何歳だから、どの発達段階にあると一定の公式に当てはめて発達を考える事は出来ません。発達の各段階の間には、一定以上の移行期間があり、その移行期間の間には前段階の特徴を色濃く残していたり、後段階の特徴も同時に現している場合などがよくありますので、どの発達段階にあるのかを見分ける時は慎重な観察と面接が必要です。 一般的には、総合的な観点にたった発達段階が用いられ、青年期までは学校教育制度を基準にして発達段階が分けられます。 生まれてすぐから生後一ヶ月くらいを新生児期と呼ぶこともあるが、誕生~幼児期までを乳児期と呼ぶこともあります。乳児期から幼児期への移行の年齢には幅があり、それはこの時期の子どもの移行が明確に区分することが難しく、移行期が長いためです。 児童期後期(10~12歳程度)から青年期にかけての時期を思春期(adolescence)と言います。また、いったん成人期に入ってしまうと、その後の発達や人生は個人個人で大きく異なってくるので画一的な段階区分を設けることには殆ど意味がなくなってきます。 成人期には、社会参加をして職業活動をする事で経済的・心理的安定を獲得し、自分が選んだ配偶者と家庭を設けたり、あるいは仕事や趣味、学問、ボランティアなど自分が好きな事柄、価値があると思う事柄に専心したりして社会生活を送っていくことになります。 中年期は、一般的に後進の若者たちを指導したり、子どもの躾や教育を担っていく世代で、過去の文化や知恵を次世代に継承する役割も果たすことが期待されます。中年期は、社会的に重要な役職に就いたり、家庭の経済的・教育的な問題に頭を悩ませたり、子どもの自立を支援したりと、社会的に大きな責任を負わされる時期であり、心理的ストレスが増加する時期でもあります。老年期は、今まで果たしていた大きな社会的責任からある程度解放され、激しい仕事や交渉をする仕事の最前線から退く時期で、自由な余暇が増える時期でもあります。自分の一生涯を振り返って、どのように自分の人生を終えていくのかをゆっくりと考える時期で、自由に使える時間をどのように有意義に使っていくかを模索していかなければなりません。 それぞれの発達段階において、獲得・達成することが期待され相応しいとされる課題を『発達課題(developmental task)』といいます。 ハヴィガースト(Havighurst,R.J. 1900-1991)という心理学者は、発達課題について次のように言っています。 『人間が健全で幸福な発達を遂げる為に各発達段階で達成しておくことが望ましい課題を発達課題という。次の発達課題に問題なくスムーズに移行する為に、各発達段階で習得しておくべき課題がある』 ハヴィガーストは、基本的な発達課題として様々なものを列挙しているが、その根底にあるのは他人との情緒的なつながりを持つコミュニケーションスキルと両親からの精神的・経済的自立であり、その他には、自己に対する正直で健全な態度、倫理的な良心や謙虚さ、男性・女性の性役割の受容などがあります。 発達課題の持つ役割は、まず、自己と社会に対する健全な問題を抱えない適応にとって必要な学習であるという事です。その発達課題は、原則として平均的な一定期間内で学習される事が望ましく、それぞれの発達課題はその年代の人たちから興味や関心を引かれ易いものになっています。 もちろん、発達課題は、社会の大多数の人が正しいと信じる社会通念や時代の風潮や流行、文化的な習慣などに大きく影響されますから、絶対的なものではなく、あくまでも相対的なものであるという事を忘れてはいけません。 それぞれの発達段階において、獲得・達成することが期待され相応しいとされる課題を『発達課題(developmental task)』といいます。
2007.01.16
コメント(0)
意識の地図発達のホロン階層様々な文献の初めの合意は意識は発達するということです。「成長と進化が、進化のいちばん低い段階にあって最も統合されていないものから、最も発展し、かつ統合されているものへと、一連の段階ないしレベルを通して進んでいきます。」私たちの意識には潜在的な構造が埋め込まれており、発達しながら変容していくように見えるということです。そして単純な構造から複雑な構造へと変容するため、順序が決まっており階層をなしています。分子は原子を含んで進化し、また分子は細胞の部分となるように、意識も低い段階を含みつつ超えて発達します。発達した意識もまた次の意識構造が浮上してくると部分になります。こうした下位にたいしては全体で、上位にたいしては部分である、全体と部分を同時にもつ存在をホロンと呼びます。そして、すべてはこのホロンでできているといいます。つまり、意識は生まれてから大人まで、さらにその先までホロン階層的に発達していくということです。重要な点は、含んで超えていくということで、下位の段階を抑圧したり阻害したりすると、上位の意識の安定も悪くなってきます。物質を含みながら生命が創発し、生命を含んで心が発達してきました。心は、物や身体の基盤の上に成り立っていると同時に、物や身体にはない能力を身につけています。また、ホロン階層という見方からすると当然、心は物や身体の全体性であると同時に、心を含んで超えた何かの部分であるという推測ができます。意識の構造を、潜在的あるいは深層構造と、表層の構造に分けて考えるのがわかりやすいでしょう。深層構造は誰の意識にも埋め込まれており同じです。身体の組織構造(骨の数や、臓器)、イメージや感情、言葉を話す能力などは深層構造です。それらはみんな一緒ですが、それ(身体、言葉)を使って、何をするかはそれぞれみんな違います。このそれぞれの行動や表現の仕方を表層構造と呼びます。これから見ていくのは、深層の構造です。ウィルバーは、9つの構造を取り上げています。表層に比べて、深層構造は通常自覚していません。自覚しなくても生活できるからです。しかし、深層・潜在的な構造についてある程度理解しておくと、人生に対するより深く豊かな見方を獲得でき、生きていく確かな方向性が見えてくるでしょう。
2007.01.16
コメント(0)
生涯発達は、人として母親の胎内に受胎したときから死に至るまでの長い一生の間の発達のことを指しています。アメリカの心理学者バルテスは、発達は全生涯を通じて常に獲得(成長)と喪失(衰退)とが結びつき起きる現象であると述べています。これは人の発達は成長し発達するばかりでなく、衰退していくものも含めて考えるべきであるという視点です。 認知の立場から発達を考えると、今までの数多くの心理学的理論が崩れます。たとえば、ピアジェの発達理論などはその代表例でしょう。ピアジェは発達心理学にとっては「巨人」といわれるほど重要な役割を果たしましたが、死後すぐ、同じフィールドから批判が噴出し、今ではその理論を見ることすら難しくなっています(発達心理学の教科書にはいまだに載っていますし、児童心理学などでもよく引かれる理論ですが、実際にはすでに終わったといえます)。これはピアジェの考え方そのものが根本的に間違っていた、というわけではなく、ピアジェの見方はよかったのだけれども、少し見方が甘かったというか、やり方が下手だったと考えたほうがよいでしょう。たとえば、ピアジェによれば、赤ちゃんは極めて限られた認知的能力を持ち、それはたとえば動くものを追いかけて見たり、注視する程度とされています。そして成熟に伴って、いろいろな能力を獲得していく、と考えていました。しかし、最近の研究では必ずしもそうではない、と考えられており、これらは「コンピテンス研究 competence reserach」で明らかにされています。たとえば、ピアジェのいう「感覚運動期」つまり、新生児の頃は先ほども書いたようにほとんど反射的な反応しかできないと考えられていました。しかし、実験してみると生後10ヶ月の段階ですでに外界の対象を1つの独立した存在として捉えることができることがわかっています。また数に対する初歩的な概念があることもわかっています。たとえばこんな実験があります。赤ちゃんの目の前にスクリーンを置き、その右と左におもちゃを置きます。その2つのおもちゃを一度、スクリーンの後ろに入れて隠し、続いて、右のおもちゃをスクリーンから出しては入れ、左のおもちゃを出しては入れます。大人な皆さんならこの時点でスクリーンの後ろには2つのおもちゃがあることがわかりますね?ここで、スクリーンをどけるんですが、そのとき、実験者がどちらか片方のおもちゃを除いてしまい、1つだけにして提示します。つまり、本来なら2つなければいけないところを1つにしてしまうわけです。すると、おもちゃを除かないときに比べて、赤ちゃんの注視する時間が有意に長くなったのです!これはつまり、1 + 1 = 2というある意味計算ができると考えられ、数の概念を持っていると判断できます。つまり、1 + 1 = 1?なんだそりゃ?ってことで、注意して見るようになった、と考えられるわけです。また、こんな実験もあります。生後2ヶ月の赤ちゃんに「ある特定の大きさの立方体があると母親が出てくる」という条件付けを施しました。このあと、大きさの異なる立方体を見せたんですが、このとき、そのものとの間の距離をいくら変えても赤ちゃんは条件付けられた立方体に反応したのです。これは知覚心理学でいうところの、大きさの恒常性が成立していることを意味しています。ピアジェの説で重要な「保存の法則」もすでに4ヶ月の赤ちゃんで見られることがわかっています。物理的な法則についてもある程度は理解できていると指摘されています。ピアジェが6歳くらいにならないと成立しないと言ったのに比べると、えらい違いです。メタ認知である他人の考えや感情をどのくらいから認知できるか?といったこともすでに研究されています。これによると、たとえば、誰かがお菓子を引き出しにしまう→外に遊びに行く→お母さんがお菓子を見つける→お菓子を台所の棚に移す→遊びに行った人が帰ってくるなんていうスクリプトを見せたあと、「遊びから帰ってきた人は今、どこにお菓子があると思っているでしょう?」と質問を投げかけます。すると3歳児では「台所の棚」と答えるのですが、4歳児では「引き出し」と答えたといいます。つまり、4歳頃からこのような他人の視点に立った認知ができる、と考えられるわけです。このように、古い発達心理学が考えてきた理論はここ20年くらいでかなり消え去ってきています。しかしこれらはいまだに教科書には残っていますから、注意するようにしましょう。さて、この能力が生得的なものなのか、経験によるものなのかはまだなんともいえない部分があります。確実に生得的といえるものがあれば(たとえば、生まれる前、お母さんがお腹の上から落語を聞かせていた赤ちゃんは、生まれたあと、落語を聞くと泣きやむことが研究によって明らかにされている。落語、というところが日本でやった実験らしいですね)、どうにも微妙なものもあるのです。ただ、赤ちゃんは予想以上に高い能力がある、という視点に立つことが、重要だと思います。認知科学イメージは時間や場所に関係なく、心の中に思い浮かべることができます。どうとでも扱えます。でも、何でそんなことができるのか?これに突っ込む時のキーワード、それが「心的表象系」です。定義してしまえば「イメージ(観念や概念ではない、視覚的なもの)や映像を主体とした記号」といえるでしょう。実は心理学の創始者ともいえるヴントの時代は「内観」という手法でこのあたりにアプローチしていました。つまり当時は意識化されたイメージを報告することが問題ではなかったのです。しかし、ビュルツブルグ学派という一派から「思考過程は必ずしも意識化されるわけではない」という反論が起き、内観の妥当性に疑問を呈しました。さらに時代は突き進むと行動主義の時代になり、内観はおろか、イメージそのものがもうすでに科学的でない、という理由で(あってもフィクションだとされた)、学問として拒否されてしまい、イメージ研究は内観によらない研究法ができる1970年代まで、ほとんど扱われなくなってしまいました。つまり、ある意味人間として当たり前な「イメージ」というものに心理学は100年以上の時間をかけているのです。そして、また、他の心理学分野と同様、まだちゃんとしたことをいえないのが、現状です。なのでここでも、すらすらっと、今言えることを述べましょう。問題の内観によらないイメージ研究を開発したのはペイビオという学者です。ペイビオは「ある対象が知覚され、記憶されるとき、心象化され、言語化される」として、研究ではまず伝統的な対連合学習を下に「具象性の高い(抽象性が低い)語同士は、具象性の低い(抽象性が高い)語同士よりは再生率が高い」という結果を見出しました。しかしここでよくわからないものが1つありました。それは再生率の順が「具象性が高い同士→具象性の高い語と低い語のペア→具象性の低い語と高い語のペア」の順だったのです。ここでペイビオが考えたのが、イメージでした。「ある単語が長期記憶の中にイメージとして保持される場合、それはより、よく記憶されるだろう」ペイビオはそれを確かめようとして「自由再生法 method of free recall」という方法を使って研究を行いました。方法の説明は略すとして(重要ですけどね)結果を述べてしまうと、「刺激としての絵は単語に比べてよく記憶される。また、具象性が高い語は低い語よりよく記憶される」こういうことになりました。そこから「2重符号化仮説」という理論が生まれます。簡単に言ってしまえば、絵は覚える前にイメージ化されてしまい、具体的な言葉はイメージとともに言語的に記憶される、抽象的な言葉は言語的にのみ記憶される、という説です。イメージと言語の2重に符号化されるというところがポイントです。知覚心理学の世界では、イメージがどのくらい知覚に干渉するか?ということをテーマの研究が行われています。「ブルックスの図形課題」とか「メンタルローテーション」とかがそういった例です。ここで「マッカロー効果 McCollough effect」というものを例に挙げましょう。下のリンクをクリックして、実際に体験してみるがよし。ちょっと時間がかかりますが、不思議すぎて笑っちゃうかもしれませんよ!1枚目の画像、これをまず1分、じっと見てください。そしたら、2枚目が出ます。これも1分見ましょう。最後に3枚目が出ます。そのとき、びっくりするような何かが起こるはず![マッカロー効果を体験する!]……さて、ここから先はマッカロー効果を体験したものとして話を進めますね。実はこれが、イメージだけでも起こる、ということがわかって、イメージ研究の世界で大騒ぎになりました。これを発表したのはコスリンという学者なのですが、彼によれば「イメージは一時的に視覚情報を貯蔵するところ」で、それが長期記憶からの情報を呼び出し、現実の知覚との間を調整するその機能も持っている、としています。つまり、「イメージは一種のワーキングメモリーだ」というアイディアです。コスリンはそれを「PET posititron emission tomography. 陽電子放射断層画像法」というものすごいでっかい、脳の活動状態を見る機械を使って確かめています(たまにテレビで見ますね)。もちろん、これに反対意見を持つ学者もいますが、かなりいい線いっているのではないか、と捉えている人が多いようです。また、よく右半球はイメージをつかさどっている、なんていう話がありますが、それはあながちウソではないことがわかっています。1993年、菱谷氏が行った研究をちょっと引いてみましょう。この研究ではまず被験者にある形を提示しました。そしてそのあと、被験者にそれを思い起こさせ、それと同時に右、あるいは左手でタッピング(指で叩く動作のこと)をさせました。つまり、タッピングが形を思い起こすのにどれだけ干渉するか、ということを見ようとしたわけです。測定はさっきのPET。結果はこうなりました。「高イメージ群では、左手をタッピングしたとき、イメージ生成に著しい干渉があった」「低イメージ群では、右でも左でもあまりたいした効果はない(右のほうが干渉したときすらあった)」知っている人も多いと思いますが、、動作系は右と左を反転して大脳半球に伝わります。「もしイメージ生成が右半球の働きだとしたら、体の左側の動作が大きな干渉効果を持つと考えられる」この実験はそれをある意味指示する結果を示しているといえるでしょう。ということで、なんだか研究をずらずら並べただけになっておりますが、イメージ研究は最近のトピックであり、またいろんな機械(PETもそうだし、function MRIとかもそう)が登場している段階です。これからに要注目、といったところで、ここでは止めておきましょう。アタッチメント愛着の理論を提唱したのはボウルビィである。戦後すぐ1940年代後半頃。施設の子どもたちの持つ精神不安定の原因を、養育者と子どもの間の情緒的な絆の欠如にあるとした。その情緒的な絆を、「愛着(アタッチメント)」という用語を使って説明した。乳幼児は、自分は無力でなにも出来ない代わりに笑ったり泣いたりする発信行動を示す。その発信(シグナル)に対して、適切かつコンスタントに応えてくれる養育者がいれば、その相手との間に愛着が形成されると考えた。この愛着とは、自立に深くかかわる。というのは、子どもと養育者との間に、この愛着が形成され、子どもが安心感を持つときに限り、その子どもは本当に自立をすることができるのである。自立と孤立とは、似たようで、実は大きく違う。自立とは、先に説明したように、安心感の中でこそ、愛着を機軸とした上に築かれるものである。それに対して孤立とは、養育者に依存してしまっていた状態から脱却しただけであり、結局精神的な自立は出来ていない。表面的には一人立ちしたように見えるが、実際には単に子どもが周りから孤立してしまい、一人ぼっちである。余計に危険である。
2007.01.15
コメント(0)
1)乳幼児期の心理・社会的発達と危機 発達課題 発達危機 乳児期 0-1歳 信頼 不信 早期幼児期 1-3歳 自律 恥・疑惑 後期幼児期 4-7歳 自発性 罪悪感 ○養育者との相互関係: 乳児は大人からさまざまな養育行動を引き出すように積極的に働きかけている。 養育者と乳児の間に出生直後から相互の情緒的交流が成立している。 子供の要求に養育者が適切に一貫して反応することがよりよい相互関係を作る。○基本的信頼関係:(乳児期の発達課題;エリクソン) 養育者とのよい相互関係が達成されることで、子供は他者への安心感や信頼感など基本的信頼を獲得するとされている。 ○自律:(幼児期の発達課題) 運動・言語・認知など広範な領域での発達とともに身辺処理の技術を身につける 。これらの技術は主として周囲の行動を模倣することによって獲得され、それによって自律が促される。基本的生活習慣の確立。○第一反抗期:分離・個別化過程 自分が母親とは異なった存在であることを自覚し、自己主張を始める。○性格の原型の形成:子供の気質と親の養育態度との相互作用親の養育態度(サイモンズ): 拒否 保護 支配 残忍型 かまいすぎ型 服従 無視型 甘やかし型 例えば、過保護・支配(過干渉)や過保護・服従などの養育態度は、家庭内暴力問題を引き起こしやすい。 逆に、拒否・支配や拒否・服従などの養育態度は虐待問題などを起こしやすい。○エディプス葛藤:母子の2項関係から父母子の3項関係へ(エディプス状況) 内的葛藤の高まり(自己主張と自己抑制)○幼少期のストレスが成長後に悪影響を与える(New) 近年、出生全や幼少期の体験が、中枢神経系の発達とそれにより調節される生理機能や心理状態に深刻な長期的影響を及ぼしうるというデータが蓄積されている。 米国神経科学会年次集会で、乳児期に養育放棄や虐待などのストレスを受けると、のちに記憶喪失や認知能力の低下が現れる恐れがあると報告された。2)マタニティブルー maternity blues 出産後の数日間に産婦にみられる涙もろさと抑うつ症状をいう。 一過性の正常反応と考えられている。 主要症状;涙もろさ、不安、抑うつ、情動不安定、困惑 産後、3-5日目に好発し、2-3日続く。 出現頻度;6.5 - 11.5%(日本)、50-60%(欧米) 3)母子関係の成立とその臨界期 critical period愛着行動(ボウルビイ);行動に反応する対象を選択し、その対象に結びつこうとする行動をいう。○周囲の人を自分に引き寄せる行動:泣く、微笑む ○自分から周囲の人に近づく行動:吸う、しがみつく、見る、つかむ ○生後1ヶ月の乳児;感情の表出とは無関係な生理的な微笑の出現 ○生後5週ー14週の乳児;社会的微笑の出現 この時期に微笑に対してあやしたり、くすぐったり、揺すったりするなど強化しないと微笑が消退してしまう。 社会的愛着;生後6ヶ月から満2歳になるまでの間が、母子分離に最も感受性が強く、 修復に困難がある。 4)人見知り fear of strangers 人見知り現象の出現;親しみのある対象とない対象を乳児が区別するようになったこ と、そして親しみのある対象に好意を持つようになったことを意味する。 愛着(アタッチメント)の形成に必要な役割を持つ。 ●人見知りは生後5ヶ月から10ヶ月の間にみられ、8ヶ月頃に最も強いので、 「8ヶ月不安」(スピッツ)とも呼ばれている。 5)分離不安 separation anxiety 乳幼児が母親または母親代理から引き離されるときに示す不安を分離不安という。 生後9ヶ月頃から始まり、幼児期全般にわたり続くことが多い。 ●母子分離の3つの段階 乳児が急に母親から分離されるときに示す反応 (1)「抗議」の時期:激しい感情表出 (2)「絶望」の時期:無感動の状態 (3)「脱愛着」の時期:母親への関心の喪失 6)習癖 habits 乳幼児期の習癖:指しゃぶり、爪かみ、鼻ほじり、髪抜き、頭を叩きつける、性器いじり、など。これらの行動は、子供にとって一種の快楽になっている。そのため、画一的に、悪しき習癖として取り除こうと対応しない。これらの行動をやめさせる方法を取るよりも、子供の興味を他に向けるような働きかけをすることが望ましい。 時に、これらの習癖は、情緒的な未熟さの表現であったり、退行現象の現れであることもある。 爪かみ;不安恐怖、焦燥緊張の表現 指しゃぶり;穏やかな暇つぶし行動の表現 7)児童虐待 child abuse 児童虐待の分類:(1988年、児童虐待事例調査、全国児童相談所長会実施) (1)身体的虐待:26% (2)性的虐待:5% (3)心理的虐待:7% (4)非養育的虐待:62%(保護の怠慢(約40%)、棄児置き去り(22%)) 幼児では、保護の怠慢・棄児置き去りが多い。 学童では、心理的虐待と身体的暴行が多くなる。 性的暴行は12歳以上になって急増している。 虐待された子供にみられる症状を被虐待児症候群battered child syndromeという。 児童虐待の3つの要因: 児童虐待の発現には、親・子・状況の三つの要因が関与している。 ●親:半数以上の親に精神的問題あり。 アルコール中毒、人格障害、知能障害、神経症等 ●子供:約1/3に心身の障害を認める。 望まれずに生まれた子供、連れ子 ●状況要因:夫婦の不和、失業、借金、病気等 被虐待児童に対して、緊急の援助が必要である。 児童相談所の協力で、子供の保護を心がける。
2007.01.15
コメント(0)
乳幼児の心理の視点から認知特性及び言語等の発達を考えると、今までの発達理論で説明しきれない面があるのは否めない。例を挙げれば発達心理学にとっては「巨人」といわれるピアジェは、乳幼児は極めて限られた認知的能力を持ち、それはたとえば動くものを追いかけて見たり、注視する程度とされている。さらに成熟に伴って、様々な能力を獲得していく、と考えていた。しかし、最近の研究では必ずしもそうではない、と考えられており、これらは「コンピテンス研究 competence reserach」で明らかにされている。ピアジェのいう「感覚運動期」つまり、新生児の頃は反射的な反応しかできないと考えられていたが、実験では生後10ヶ月の段階ですでに外界の対象を1つの独立した存在として捉えることができることが判明している。また数に対する初歩的な概念があることも実験結果として出ている。乳幼児期・幼児期・児童期における身体的発達 新生児期には、刺激への反応としての自動的な運動である反射運動が、生きていくために必要な運動である。しかし、この時期には身につけていない反応もあるために、子どもが身を守るためには大人達の助けが必要である。 運動機能の発達はひとり一人でそのスピードや程度は異なるが、歩行の発達段階でも見られるように、発達が連続的であり、同じ段階を踏んでいくということは、どの子どもでも共通であるといえる。 また、脳は細胞分裂によっても発達するが、生活の中での経験も、脳の発達に影響を与えると言うことが明らかになっている。このように、身体的発達においては、遺伝的なものに加えて、環境というものが、多大な影響を与えている。 乳幼児期・幼児期・児童期における知覚的発達 乳幼児には言葉が通じないため、彼らの知覚の能力がどれぐらいあるのか直接本人に聞くことができない。よって、乳幼児の目や身体や頭の動き、吸引反射、心拍数や脳波などを観察することから、研究はすすめられてきた。 視覚の研究は、知覚の研究の中でも多くなされている。 生後2日以内の新生児が驚き、悲しみ、喜びの表情の真似ができることや、新生児が舌を出した表情を真似できることから、乳幼児の知覚はものすごい速さで発達することが分かる。 視力だけでなく、三次元の世界を認識しきれているのだろうかという問いを明らかにしたのが、奥行き視覚を調査するための装置を用いたvisual cliff(視覚的断崖)の実験である。このほか、聴覚に関する研究もなされている。 乳幼児期・幼児期・児童期における認知的発達 子どもの成長と共に、神経系も発達し、複雑なことができるようになる。子どもがある顔や声を認識し、また会話できたりある問題を解決できるようになること、それが認知的発達である。 人間の発達は現在遺伝と環境の相補的なものであるといわれている。そのうち幼児発達には環境というものが深く関わっているのである。ワトソンらの研究では、赤ん坊を育てる上での環境の重要性が判明した。いくら身体的に成長しても、周りに刺激がなければ認知的発達は起らないのである。ピアジェの説で重要な「保存の法則」もすでに4ヶ月の乳児が獲得している。ピアジェが6歳前後に獲得するとした物理的な法則についてもある程度は理解できていると指摘されている。メタ認知である他人の考えや感情をどのくらいから認知できるかといったこともすでに研究がなされている。このように、古い発達心理学が考えてきた理論はここ20年ほどの間に書き換えられようとしているようである。但し、これらの能力が先天的な素質・器質的なものなのか、生活の中での経験によるものなのかはまだ断定できない部分も多々在る。いずれにしても乳幼児に対する英才教育を推奨する専門家や一部の脳科学研究者の説のように、乳幼児は予想以上に高い能力がある、という視点に立つことが、重要だと思われる。乳児期・幼児期前期(0歳から3歳)における親の子どもへのかかわり方が、家庭教育の中では一番重要であると考えられる。乳幼児の時期に親(特に母親)から受ける影響は計り知れない。そしてここで受けた影響は、良し悪しは別として、大なり小なり人間形成や性格に反映される。この時期の育て方の重要性について、とてもわかり易く書かれている本として、ソニー創業者の井深大氏の『幼稚園では遅すぎる』があるが井深氏は、この本の中で、『幼児の可能性は3歳までに決まる』、その理由として、〈脳細胞の配線は3歳までに決まる〉ことを述べている。「もっとも基本的で重要な情報処理の仕組みが3歳までに形づくられ、思考、意志、創造、情操といった高度なもの、つまり3歳までに形成されたものを「いかに使うか」という働きが、3歳以後に育てられるのです。」(参考文献『幼稚園では遅すぎる』)また、井深氏は『ほんとうの幼児教育は母親にしかできない』とも述べている。心理・精神分析学者エリクソンの心理的・社会的危機論(生涯発達心理学)においては、人間成長を8段階に分けている。その第1段階として乳児期があり、ここで人間は基本的信頼を獲得していく。母親が、暖かく迎え入れて抱っこをしたり、よく触れ合ったりすることで安心感やこの世での存在価値を感じえる。逆にこの時期に抱っこをあまりされなかったり、スキンシップが少ないと、赤ちゃんは基本的な信頼が獲得できずに不信(安心感や存在価値が感じられない)になる。そしてその後の思考、意志、情操などにも影響がでてくるとしている。 さらにこのスキンシップの重要性は有名な『米国の心理学者ハリーハーロー博士の実験』でも証明されている。生まれたばかりの猿の赤ちゃんの檻に、、中に電球が入っていて暖かい‘スポンジ製の親ザル’と、哺乳瓶がついていてミルクがでる‘金属製の親ザル’の人形を入れた結果、子ザルは‘スポンジ製の親ザル’を好んだ。この他にも様々な実験を行った結果、スキンシップがないと病気にかかりやすいこと、ストレスに対してスキンシップが保護の役割をすることがわかった。また、子ザルは、ぬくもり、やわらかい感触、お乳、ゆすってもらうことが大好きであることがわかった。このように日常の養育によって生理的な満足感により、親と子の愛着が形成されていく。これはアタッチメントとも呼ばれる。愛着の理論を提唱したのはボウルビィである。1940年代後半のこと、施設の子どもたちの持つ精神不安定の原因を、養育者と子どもの間の情緒的な絆の欠如にあるとした。その情緒的な絆を、「愛着(アタッチメント)」という用語を使って説明したのである。乳幼児は、自分は無力でなにも出来ない代わりに笑ったり泣いたりする発信行動を示す。その発信(シグナル)に対して、適切かつコンスタントに応えてくれる養育者がいれば、その相手との間に愛着が形成されると考えた。この愛着とは、自立に深くかかわり、子どもと養育者との間に、この愛着が形成され、子どもが安心感を持つときに限り、その子どもは本当に自立をすることができるのである。自立と孤立とは、似たようで、実は大きく違う。自立とは、先に説明したように、安心感の中でこそ、愛着を機軸とした上に築かれるものである。それに対して孤立とは、養育者に依存してしまっていた状態から脱却しただけであり、結局精神的な自立は出来ていない。表面的には一人立ちしたように見えるが、実際には単に子どもが周りから孤立してしまい、一人ぼっちである。余計に危険である。母と子供の関係 子どもの心理的発達において、重要な要素は、母親の養育態度である。心理学者であるバウムリンド(Baumrind)は、親のタイプを「許容的な親」、「権威のある親」、「権威主義的な親」の3つに分類した。「許容的な親」は、ほとんど規則を作ることがなく、叱りつけることもないことが特徴的である。ところが、このように何でも受け入れてしまうと、子どもが正しい行動を身につけようとしないので、これは好ましい親像とは言えない。次に、それとは全く逆の「権威主義的な親」はどうかというと、厳しいルールを設定し、子どもに罰を与えることが特徴的である。また、ときには子どもを虐待することがある。そうなってしまうと、子どもたちは、身体的なけがとは別に、生涯にわたって心の傷を残してしまう場合がある。また、虐待を受けた子どもが将来、虐待を自分の子どもに与える大人になるという、好ましくない悪循環がそれに続くということもある。しかしながら、虐待をするたいていの親は、子どもの時に虐待をうけているが、虐待を受けた子どもたちが、自分の子どもに虐待を与えるようになるのは、たったの30%である。つまり、児童虐待に苦しんでいた人は、必ずしも自分の子どもを虐待してしまうということではないため、その悪循環を断ち切ることは可能である。
2007.01.15
コメント(0)
家庭と地域社会における保育のあり方について述べよ。わが国において、少子・高齢化が進行し、これまで経験したことがない人口構造の変化がいっそう進んでいる。少子化の進行や出生率の低下は、子どもが健やかに育つ環境を形成するうえで多くの課題を抱えている。基本理念地域で子育てを支えあい、子どもがのびのびと健やかに育つ環境が望ましい。具体的には、家庭と仕事を両立でき、防犯・防災対策がなされ安心して子育てができ、子どもの健全な成長を支える環境づくりは行政・福祉・保健・医療・教育・保育機関・家庭・地域など社会全体が関わっている。だが、現実的には保護者の多様なニーズに合わせた弾力的な保育対策や、家庭と仕事の両立可能な就労環境の整備と健康保持・増進への支援、固定的な性別役割分担意識の解消と、子育てや家事などへの男女共同参画の推進も含め大人社会の変容が中心ともいえる。子どもの人権の尊重と、健全な成長を促す地域生活および教育環境の整備も大人のエゴによってゆがんだものであってはならない。よって、計画の基本的視点として1、子どもの権利・利益を最大限尊重する。2、地域の人々が協働し、ともに支えあう子育てを考える。3、地域の輪の中で子どもの健やかな育ちを見守る。4、子育てに夢や希望、喜びを感じさせる施策を推進する。ことが重要である。家庭と仕事を両立させる環境づくり 保育ニーズを十分見極めながら、現行の保育サービスの見直し・充実はもとより、時代の流れに即したサービスの提供など、さまざまな保育ニーズに柔軟に対応し、良好な保育環境の確保に努める。施策の方向としては、多様化する保育ニーズへの対応や保育所整備への対応、保育士などの人材確保、幼稚園教育の充実などがあげられる。 放課後児童対策の充実 昼間、家庭に保護者がいない小学校児童が安心して生活できる環境を確保し、健全な育成が図れるよう、放課後児童クラブの整備や活動内容の充実、指導者の資質の向上などの環境整備に努める。 就労環境の整備 各種法制度の普及・定着をはじめ、子育てに対する理解や協力の促進を図るとともに、家庭と仕事が両立できるような多様な就労形態の導入など、企業に対して継続可能な就労環境整備や多様な就労形態に向けた働きかけに努める。 男女共同参画の視点に立つ家庭生活の実現 男性の家庭生活への参加を阻害している固定的な性別役割分担意識を解消し、男女共同参画意識の啓発・普及を進めるとともに、男性の家庭生活への関わりを促進する機会を充実するなど、男女共同参画の推進に努める。 放課後児童館は核家族の利用がほとんどで、「安心して働き続けたい」という思いでの利用となっている。最近では、祖父母同居の子どもたちもおり近隣に子供が少なく子供同士の係わり合いの必要性を求めて入所するケースもあるという。 安心して子育てができる環境づくりと母子の心身の健康保持・増進と子育ての心理的負担の軽減 子どもを安心して産み育てられるよう、母子の健康保持・増進、病気の予防や早期発見に対する取り組み体制の充実を図るとともに、父親の育児参画への啓発、子育てや子どもの心身の健康に関する相談や情報提供に柔軟に対応できるよう努める。また、一人ひとりの健康や成長にあわせたきめ細かな保健サービスの提供とともに、必要なときに適切な医療が受けられる医療体制を整備し、保健・医療の連携の強化を図る。 地域での子育てネットワークの推進 地域ぐるみでの子育て活動を充実させるため、子ども会活動やボランティア活動などを中心に住民の知識や技能などを積極的に活用し、住民一人ひとりの連帯感や子育て意識の回復に努めるとともに、自主的な子育て活動(子育てサークルの育成・支援、子育てボランティア活動の推進)を広げ、ネットワーク化を図る。 ひとり親家庭・障害のある人の生活支援 ひとり親家庭や障害のある人たち(子どもたち)が、よりいっそう豊かで充実した生活が営めるよう、生活の安定を図るための支援を充実させる。ひとり親家庭の生活に対する支援に加えて障害をもつ人(子ども)の生活に対する支援も必要である。子育てに伴う経済的負担の軽減 子育てにかかる費用が過重な負担となり、少子化に拍車がかからないよう必要な支援措置を講じるとともに、各種社会保障制度・医療費助成等の充実を国・県に働きかけるなど、子育て家庭の経済的負担の軽減に努める。 子育てに対して身体的、心理的負担が増大している中、子育て中の両親を対象にした育親セミナーや支援に取り組む必要性がある。保健福祉センターにおける育児相談、乳幼児健診などでの遊びの提供、子育てグループへ参加する親は、まず親子間に危機的な状況にはなりにくいといわれている。むしろ、そういった行政や対外的な活動に参加しないひきこもり状態になっている親子へ、どのようにアプローチしていくかを課題にしている福祉・行政の現場の実情である。 もちろん、母親が自主的に参加、計画し運営をしているところもある。しかし、行政側がセッティングしたサークルについては自主性、自己責任、行事への積極的な関わりといった運営には消極的で、お客様あるいは社交場で、子供そっちのけで話に興じているという行政担当者の嘆きは頻繁に聞いている。母親同士の言葉のかけあいに励まされる場、保育に関わるプロに相談する場と割り切って意識を変えてみる必要もあるだろう。話す事の大切さは心身の状態にも影響するほどであるし、テーマ活動を優先視して、子育て中の母親(あるいは父親)が何をそこに求めているか感じ取っていく力も行政・企画・運営側になくてはならない。 その点では保健師は新生児のいる家庭を訪問し、乳幼児健診では分からない自宅での様子を観察し、直接母親の育児相談にのることができる。最近の子育て事情を考えると、多くの母親が自分の子どもを産んで初めて子どもに関わるため、未知の体験に不安が多いと思われる。産後うつの予測をたてなければならないケースもある。新生児あるいは乳児の標準的成長や保育指導も大切だがまず母親を心身両面でサポートするというスタンスで接しなければならないことはいうまでもない。子どもの健全な成長を支える環境と子どもの人権が尊重される風土づくり 家庭・地域・学校などさまざまな場面において、子どもの権利に対する理解を深め、人権意識を高めていくとともに、子どもの人権を脅かす問題の予防や適切な対応を図る相談支援体制の整備や健全育成活動の推進に努める。 子どもの自立促進と豊かな人間関係をきずく環境づくり 地域の大人や子どもそれぞれが豊かな情操を育み、人間性豊かな人格の形成が図られるよう、地域でのさまざまな体験や交流活動に取り組むとともに、社会性や協調性を育む場として遊び場の充実を目指す。また、子どもの意見を表明する場や意見が反映される機会(同世代・異世代間の交流機会の提供、スポーツ・レクリエーション活動の機会の提供、遊びや生活環境の整備・充実、子どもの意見表明・意見反映の機会の提供)を充実し、子どもたちが社会の一員として自立できるよう支援を図る。 ゆとりある学校教育・社会教育の実現 家庭では、適切な子育てができるよう家庭教育に関する情報提供や相談、学習機会の充実とともに、親子のきずなを深める体験・交流活動機会の提供の充実を図る。専門的な教育機能が整備された機関として地域に協力するとともに、子どもの個性を重視し、子どもが主体的・自律的に行動する力を養えるよう創意工夫のある保育内容の充実も大切である。私の住む地域では、地域の特性や特色を生かした体験的学習や交流活動などの機会の充実を図り、豊かな心やねばり強く生きる力を培う教育の実現が可能となるよう、シルバー人材センターや地域交流の場を各小学校の空き教室等で開催している。その他、親子のきずなを深める家庭教育、児童・生徒の個性や能力を伸ばす学校教育および社会教育、一人ひとりの自己確立を目指す支援事業、子どもの健全育成活動等を推進すべきと思われる。 子育てを社会全体で支援するためには、家庭・地域・学校・企業・行政それぞれが子育てや子どもの健全育成に対する責任や果たすべき役割を認識し、互いに力を合わせながら諸施策の推進に努めなくては実現できない。計画の推進については、ボランティア活動の活性化、住民参画型の支援事業の検討など、住民による子育て環境づくりの取り組みを町が支援し、住民と行政が一体になって進める必要がある。明日を担う子どもたちの健やかな成長を願い、社会全体で子育てを支援していくという意識を大人自身が育んでいかなければならないと考える。
2007.01.15
コメント(0)
昨年の春に願ったことがこの数日間で叶いました春に開講された講座を初めとして、いくつかの段階を経た後インストラクターコースを修了したのです2007年の1月から”目標達成”は本当にうれしいです春から同じコースを受講し、私以上に「インストラクターになること」を望み宣言されていた方々が、都合や体調のためおみえにならなかったことでとてもさびしい気持ちになりました一緒に受講をした仲間の応援や協力ももちろん今回の企画の運びとなった、様々な方々の運命的な出会いや体験談、不思議な展開などだれかれとなく自然なかたちでの必然の流れを口にしてました私自身も、自分の選択ながら偶然の重なりの結果に驚いています何かの流れに乗っているような感じがしていますその方々やずっと手弁当で海外から来てくださった講師私のところで一緒に学びを深めてくださった受講生さん支えてくれた家族・・・主催者兼受講生さんが修了書を授与されるときただただ有難くて涙が出ました自分のときにはうれしいだけだったんですよ・・・^^。さてさて、最後の個人面談で、とても重大な課題を宿題として持って帰りました一人ではとけないかもしれません一人でとかなくてはいけないかもしれません一人でとかなくちゃと思っている私を、とかなくてはならないかもしれません(なんのこっちゃ)帰りの車の中で、よくよく考えてやはりお手本にしたい方に経験談を伺いにいこうかと思った次第ですカウンセリングとかではなくて、本当に実体験として乗り越えてきた痛みを共感できる人にお会いしてみたいと願ってみましたその共感が、またこれからの人生やご縁のある方とつながっていくときに力強いガイドになってくれそうな予感がしています*********15日の午後、近くの温泉に行こうと思っていましたが家事やレポートに追われ、結局子ども達が帰宅する時間と重なりそうなので自宅のお風呂で黙想しようかと準備していたところ早々に帰宅した三号も「一緒に入る~♪」と参加黙想はあきらめ、入浴しているとひざの上の三号が突然こんな話を始めました「古代人は、声が出せないの。声が出せないから言葉も言いにくくて”うぉっうぉっ”っていう合図だったんだって。」一瞬、古代人の脳の発達度を想像しました言語脳が発達していないということ?それとも音声の認識だから聴力?直観力やイメージ伝達(テレパシー)能力があるから言語が発達する必要はそれほどなかった?と話を聞きながら考えていると「あのね、口がこう・・・あるでしょ?そうしたら息をするところが細くなっていて声が出しにくいんだって。」マイクなしでのプレゼンテーションのためにボイストレーナーはついているものの今回のトレーニングでボイストレーニング以外にも取り組むべき必要性が出てきたことは娘には話していませんでしたこうして言葉にしていない私の問いや、乗り越えたいテーマについてふっと予期しないメッセージを与えてくれるのが三号です「有難うございます。今ちょうどそのことについて考えていてとてもいいヒントになりました。」三号にこころからそう伝えましたそして、その夜・・・ヒプノセラピー先輩のユーリさんのブログに遊びにいきましたそこには、私の課題に対して優しく諭しているような日記がありましたふわっと、こころのひもがまた一本ほどけたような気持ちがしました♪^^♪そして16日の午前中に、自分自身の”7次元(In Depthというコンサルティングです)の検索をしていき原因と改善の方向性がわかり自己調整をしましたリーダーシップというものにも関わってくるテーマだからメンターがあんなに厳しく掘り下げてくださったのだなとあらためて感謝の涙がぽろり・・・露天風呂での星空を見ながらの個人セッションや最終日に、プログラムを少し加えて私にウィンクしてくださったりとかうわ・・・なんだかまた泣けてきましたでは 読んでくださってありがとうございました皆さんおやすみなさい よい夢を・・・
2007.01.14
コメント(0)
辰年のことだけが書かれた本を読み終えました辰年生まれがんばってください!!という内容がメインの珍しい本ですが龍に関するガイドブックみたいで面白いですしかも、「さて読もう!」と思った矢先に神棚にあった水の入ったコップが倒れ真下にいた私は室内で滝業をしてしまいました読む前から身の引き締まった思いと、家族の和やかな笑いをもたらすとはすごいぞ、龍パワー!というわけで、宿題が終わり新年やっと解禁のにごり酒を片手に龍のあれこれを読みました筆者は聖徳太子の時代から、代々伝わる古い神道の流派らしいのですがまだそのサイトのチェックはしていません色んな方がいらっしゃるものですさて、ヒプノセラピーをしているとわりと龍が出てくる事がありますその関連で調べてみたいというのもありました潜在意識の領域までは踏み込んでいませんでしたが面白い角度から見ているなという印象を受けます何か、一般に向けて公開するのはこの辺りが限界という雰囲気もあります(何がどうというわけでもありませんが、本にも初公開云々とありますので・・・)十二支の中で辰だけが想像上の生き物です古代中国には本当にいたんじゃないかという説も、個人的にはネッシーとかクッシーとか4000年も前なら恐竜時代の名残の生物っぽいのもいたかもしれないなと思います恐 竜というぐらいですものね
2007.01.08
コメント(0)
いつもいつもいつも人目につかないところでもコツコツと努力されていますよね?好奇心と直観力そして、探究心を失わずあらゆる経験を人生の価値あるエネルギーとして蓄えながらこの世界に創造していく勇気を忘れていないあなたのお仕事はとてもユニークな魂の輝きのようだと感じてますあなたにしかできないことに触れて本当に尊敬しています☆ ☆ ☆ ☆ ★その素晴らしい成果と時間とをつむいだものを待っている人たちが必ずいるはず「お~~い、ここにありますよ~~!」とちゃんと、居場所を伝えてますか?さっき、↓このメルマガをみて、ちょっぴりもっと必要なところに広がらないかしらもったいないなぁ~~と思ってしまいましたとっても余計なお世話を久しぶりにしてみましたっ!(笑)毎日、感性を分かち合ってくださっているあなたにすべてのよきことが、サンシャワーのように輝きそそがれますように!で、現実はっていうとほれっ↓ ^^v┃--「仕事のヒント」神田昌典365日語録-- No.94╋━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━…┃ 使わない筋肉は、衰える。使わない知識も衰える。┃ 毎日30秒で、あなたのビジネスを刺激する言葉。╋━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━…キーワード:記憶喪失になっても思い出したいマーケティング7つの原則とは?解説: 1.緊急性 2.限定 3.反応方法の多様化(ファクス、メール、電話・・等々) 4.直感的な分かりやすさ 5.思い切った保証 6.明確な指示 7.お客様の声本当に必要としている人も直観力が落ちてきている動機づけが必要になってきている気がしてなりませんその理由はまた後日・・・
2007.01.07
コメント(0)
数日前のことです応募したのは旅行券だったのに・・・あなたのアカウントが、ポルシェ当選しましたというメールがきました♪こんなに計算が速かったの?と思うほどあれこれ考え登録手続き料など色々調べるついでに、そのサイトの裏情報をチェックするとやはり、あるある・・・^^;というわけで、表向ききれいなサイトであってもその実、出逢い系のメール受信をお勧めすることもあるようですね注意情報を発信されているサイトさんに感謝ですでも・・・一瞬だけですが純粋に嬉しかったので本当に何か当選したらこんな気持ちなのだろうなとイメージトレーニングに使える疑似体験ができました(笑)その翌朝・・・目が覚めてすぐに隣の布団で本を読んでいた二号にこういわれました「ママ、どんな楽しい夢を見てたの?”わーい♪わーい♪”って5分くらい喜んでたよ。」爆笑他の夢はほとんど覚えていたのに喜んでいた夢はめずらしく記憶にありませんでした(秋のお楽しみ・・・)
2007.01.07
コメント(0)
*******(追記)私書箱へのお問い合わせの中に「何かの宗教施設ですか?」というご質問があり、私の言葉足らずを深く反省いたしました初詣に行かれる方すべてが神道信仰者ではないように私が行ってみたいと思う神社は、神道の会に入っていなくても参拝可能なところですですが、エネルギースポットであるというところがあまりおおっぴらに書きたくないという理由ですそれから、その神社は誰も簡単に行けないようにトリックがありますあまり詳しく書くとすぐさま行って見たいとされる方もいらっしゃると思います私もそうでしたしかし、山の天候は何があるかわかりません富士山は12月中旬から入山禁止ですが、そういった山間部の情報を入手せずにドライブ気分ででかけて、あやうく遭難しかかった方もいらっしゃいますそういった意味で不特定多数の方に提案するよりも・・・ということで私書箱にお問い合わせくださいと日記に書いた次第です遅ればせながら、お問い合わせありがとうございました連れて行ってくださいというメッセージには驚きましたが(笑)春になり雪解けしたら、そういう開運イベントがあっても楽しいですね*******12月に行ってみたいと思った場所をメモ書きしておきますお金のエネルギーというものを最近考えていますいくら我が家のベランダにスーパーの野菜と比べ物にならない水分の野菜が大量にあるからといっても、それは飛行機チケットにはならないわけです(^^;)二十歳そこそこの駆け出しの頃には、自分のお仕事が好きで好きでたまらなかったのでお金の損得など考えずにお仕事をしていました似たような同窓生と「南の島かどこかで、この仕事を一日一件して御代にお魚かなにかを戴いてあとは自分で野菜か何か作ったり出来たらいいなぁ。」と笑いあったこともあります悲しいかな、物々交換がまかり通る世の中ではありませんのでお金という約束手形があるのですよね『通貨』 という言葉は ”通る 貨幣” 『貨幣』は ”化ける貝”ですね山間の民と海辺の民が貝を品物の肩代わりにして山菜がたくさんとれたとき、大漁だったとき・・・「今度そちらがたくさん収穫したらよろしくね♪」と約束したかどうかは不明ですが・・・ですから、お金はモノが存在した証でもありお互いに生活の豊かさを共有しあう約束 = 信頼の上に成り立つそういうエネルギーの変換だったのだと思いますさて、そういうお金のエネルギーを受け取る力をあげていくにはどうしたらいいでしょうか?というのも、私のところにはあまり生活に余裕があるとはいえない方がカウンセリングやセラピーに見える事が多々ありますけして「タダでみてください!」「まけてください!」と言われるわけでは在りませんが、お話しを伺ったり様子を察するにあたって、運気がドン底になっている方に数回のセッションを継続するのはかなりご負担ですからだの調子とこころの調子、生活環境の改善やツイテルことの連続・・・というところまできて、次のテーマになるのがお金との付き合い方なのですこの部分育ってきた環境や、両親の価値観や言葉がけが年金をもらうような年代になっても影響している事がありますお金のことを人生のガソリンの一部と考えることは健全だと思いますお金が人生のすべてだと思うと どこかでバランスをとらなければならない事態が訪れますそして 立ち上がった時にふたたび お金に関するレッスンに向かわなければなりませんこのところ会社経営者さんのセッションも増えてきているため何か応援するよい方法が無いかなと思っていたところ12月にある情報を手にしました霊能者、超能力者口コミの神社ですもう少し早く知っていればすぐに行きたいところでしたが12月半ばには入山禁止になるので春の雪解け後を待たなくてはなりませんお知りになりたい方は私書箱にて・・・^^@m
2007.01.02
コメント(0)
あるべきものがそこにないと・・・ 気づかないうちに必要だったものがとけてしまうと・・・とても 困りますそして、そのために避難生活を余儀なくしているイヌイットさんが600人います*****ブログを作り始めて通算6年目になりますが毎年アップする言葉があります(昨年はアップしてすぐに削除しました)それは一休禅師の有名なセリフです『正月や 冥土の道の一里塚 めでたくもあり めでたくもなし』いくらとんちの達人でも、正月から骸骨を杖の先に置いてウキウキ気分の町人で賑わう街中を ブルーにさせる一言で歩くのはひねくれているように思えます子供のときに一休さんのとんち話がアニメ化され毎週楽しみにしていましたその中でも、とても印象に残ったのはやはりガイコツを示して歩く姿でした(アニメでは子供の姿で歩いていましたが)時代背景もあり、母と離れて身を隠さなくてはいけなかった立場や禅修業を通して培った物事を多角的に見据える力を備え室町時代を憂いる立場の一休さんにすれば同じ正月とて現実を生きる事となんら変わりないものだと諭したくなるのかもしれませんイベントを楽しんだり、年頭に心機一転を測るということを否定しているわけではなくて現実をみてごらん、夢に酔いしれていないでという意味で次のように続けています およそ人生を考えてみるときはたして夢でない確かなひとときというものがあるだろうか人生はすべて夢まぼろしの連続でありどんな人間も五色の皮で包まれている。この身もひと皮むけば骸骨でしかないではないかどんな美人でも死ねば白骨、早く目を覚ませ 年をとるほど あの世は近い 骨になる前に 目を覚ませこの人生で 何を成し遂げたいのか新年の抱負を語るとき、本当にそのことを現実化したいのか考えさせられます******暮れの25日 クリスマスに 山里の小学校へ仕事にでかけました体育館のステージは足の裏から冷たいエアコンの風があがってくるようで体育館に響く声さえ凍ってぱらぱらと落ちるのではないかというイメージでした(はじめ人間ギャートルズみたいに)その小学校の階段の踊り場の壁に、ニュース記事が掲示されていました南極の氷河が溶けて、海面の水位が年々上昇していて600人が住む島(名前を忘れてしまいました)の住民が本土に強制移住となったという内容でした冬の間、島の周りを氷河が多って荒波から島を守っていましたところが、冬になっても氷河が島の周りにないために激しい波が海岸線を浸食するようになってしまいましたそれほど遠くない未来この島はあとかたもなく消えてしまうそうですまだ狩猟で生計をたてているイヌイットは、氷が厚く氷結しないため転落事故が増えているということもあるそうです環境破壊、地球温暖化・・・ヒトが地球上で生きている事そのものが環境破壊という見方もあります今、電気をつけ、エアコンを使いながらパソコンを使っていることも大きな矛盾が存在します・・・現在進行形で、文明から少し距離をとっている人たちの生活をおびやかしています
2007.01.01
コメント(5)
全34件 (34件中 1-34件目)
1