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今回の震災で、「被災された方々を何かのかたちで応援したい」「ボランティアのために現地に赴きたい」と思われる方、思いつつどのように行動したらよいのかその一歩をなかなか踏み出せない方等たくさんの方がたくさんの想いを胸にためていらっしゃることでしょう楽天ブログ内でも多くのメッセンジャーが手をどこかに差し伸べるように心配(こころくば)りと願いと希望と想いやりの言葉をつづっていらっしゃいます同じく、悲しみと苦しみと不安と焦燥感、先行きを見定める為の資材・生きるためのさまざまな糧がバランスを欠いた状態で現地の状況を少しでも寸断された道や情報の向こうへと発信されていらっしゃるブログが数々ありますそんな中、災害時にどのような支援手順があるのか子供たちの心に希望の灯りが消えないように・・・といった活動を経験則から語っていらっしゃる未来予想図プロジェクトさんをご紹介させてください楽天仲間で、阪神震ボランティアを経験し、自らも被災されながら中越地震のボランティアと震災後の新潟の復興のためにアジア全域をとらえて支援活動を続けていらっしゃる未来予想図プロジェクトさんからは学ばせて頂くことが日々あります中越地震発生5日後に私を現地のおかあさんとお子さんたちのケアワークショップのために招聘してくださった方で仕事に対する心がまえについての私のお手本的存在でもあります**以下転載**2011.03.22 被災地に笑顔を届ける。 このたびの東北地方太平洋沖地震では、今なお 多くの方が避難生活を送っています。被災地では遊ぶ道具もなく、地震の怖さから泣き出す子どもたちも多くいるそうです。こうした中、FM PORTさんと、私たち「未来予想図実行委員会」と協力し、被災地の子供達にクレヨンと画用紙を届ける活動を行います。リスナーの皆さんから寄せられた義援金でクレヨンと画用紙を購入し、被災地の子供達に届ける活動です。想像してみてください。子どもが画用紙とクレヨンで無心に絵を描いている様子、どんな絵を描くのかな?笑顔かもしれないし、声にならいない自分の感情を出してくれて少しでもPTSDにならずにいてくれたり・・・。今回のプロジェクトは、画用紙、クレヨンを届けるところから子どもたちの心、未来に向けて寄り添う為の活動です。・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・中越地震、中越沖地震の経験から子供たちにとって 絵を描くことが、感情を伝える大切な手段となることがわかっています。『FM PORT 子供たちに笑顔を!~被災地にクレヨンと画用紙を送ろう! ~』義捐金窓口は郵便局・ゆうちょ銀行となります。◇ 口座加入者名『FM PORT イベント事務局』◇ 郵便振替口座番号 00500-2-082131◇ 取扱開始 3月22日~ 当分の間◇取扱い期間 3月22日~*なお、郵便局での振り込みの際には手数料がかかります。また、他銀行からの振込みの際にも手数料がかかります*郵便局窓口でお受け取りいただきました半券(受領書)は、大切に保管してください。*通信欄にお名前、住所、お電話番号を記載してください皆様からのあたたかいご支援をお願いいたします。・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・また、この活動にご理解を頂きました。FMポートさま、ならびに、この度ことで、同じ想いのもとて粘り強く、自分の出来ることにベストを尽くしてくれた、仲間に心から感謝をしたいと思います。
2011.03.24
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宮城県塩釜市の造園業を営むHN(ハンドルネーム)yamituki64さんのブログと同じく塩竃市でカウンセリング等を行うカフェ森遊を主宰するはっちさんのブログから転載許可を頂いたのでご紹介いたします*******転載ここから***********はっちさんブログ転載***トイレとお風呂をなんとかしたい ほとんどの家が水洗トイレだから、水が出ないと大変です。こんどの地震と津波で、浄化槽が壊れたり、下水処理施設が壊れたり津波に流されたりしていて、とても大変なことになっています。家庭からたくさんの排水を流すと逆流してしまう・・・という事態を引き起こしかねないのです。田舎にはまだ、下水道がきちんと整備されていない場所も多いですが人間、生きていれば、排泄するのは当たり前のことなのでここのところを最初になんとかしなくちゃと思うのです。塩釜市も水洗でないところが一部あります。私の松島の家は、一部簡易水洗で、外には汲み取り式のトイレがあります。でも、23年前の大雨で吉田川が氾濫したときは汲み取り式のトイレですから、汚物も一緒に流されてすごい異臭でした。自然の災害に対して、人間は様々な対処をしてきたわけだけど女性が子どもを産む、男性は生まない・・・という変えられない事実が存在することを、忘れずに、女性に対するサポートもどうしたらよいのか考える必要があると思うのです。避難所生活が長期になりそうなとき・・・訪問介護で使う、ポータブルの入浴桶は使えないだろうか?夏場に海辺で使う、簡易シャワーは使えないだろうか?水の確保は大変だけれど、と、そんなことを考えていました。地震のとき、利府のイオンの天井が落ちてきて、泥水をかぶりました。それでも助け出されて避難所に入れていただきましたが濡れた服は着替えたけれど、髪も顔も洗わないまま10日間もいました。私だけじゃないから・・・と、たくさんの方が我慢していた、まだ我慢していると思う。300回も余震が続く中、お風呂に入れてあげたい・・・髪をとかしてあげたい・・・そんな感情をもって、見守っているのは私だけじゃないはず・・・****yamitukiさんブログ転載****2011年03月24日 南相馬市 今日の河北新報に載った記事です。 原発事故、30キロ圏内、南相馬市の現状です。 残る2万人“孤立” 南相馬・不明者捜索ままならず 東日本大震災の津波で壊滅的な被害を受けた福島県南相馬市は、東京電力福島第1原発(福島県大熊町、双葉町)の爆発事故も加わり、日常生活が深刻な打撃を受けている。避難指示と屋内退避の区域に入り、物資の輸送は滞りがちだ。行方不明者の捜索も進んでおらず、二重、三重の苦難に直面している。 市の中心部に当たる原町区。市役所前の通りは閑散としている。15日、区のほぼ全域が屋内退避区域(原発から20~30キロ圏)に入り、市内を歩く人はめっきり減った。 県が同市で毎日実施する放射線量調査によると、1時間当たり2マイクロシーベルト程度。福島市などと比べてもかなり低い。 それでも浜通り地方への輸送を拒む業者が出始め、物資が届きにくくなった。市はやむなく、約4700人を県外に退避させた。自主避難も急増し、人口約7万のうち残るのは約2万だ。 県外のNPOなどの協力で物資不足は徐々に解消されつつある。新潟県小千谷市の「おぢや元気プロジェクト」は22日、食糧や医薬品をワゴン車で運び込んだ。若林和枝理事長(51)は「この程度の放射線量なら服や帽子で防護すれば大丈夫」と呼び掛ける。 市内の大手スーパーは閉じたままだが、JR原ノ町駅前の産直販売「まちなかひろば」は都内などから買い付けた野菜を販売している。 ボランティアで産直を手伝う飲食店経営の宮本力さん(62)は「放射能? 屋内退避? 食べ物もないまま家にこもっていたら、それこそ危ないよ」と笑う。 市によると、22日現在、犠牲者は223人、行方不明者は1260人に上る。津波に襲われた地域ではがれきの撤去が進むが、かつての水田は依然として沼のような状態。泥の中からコンクリートの基礎が露出し、辛うじて住宅跡と分かる。 屋内退避指示と同時に自衛隊は撤収し、行方不明者の捜索は警察と消防が懸命に続けている。 「(不明者を)早く見つけてあげてほしい」。捜索活動を見守っている住民が祈るようにつぶやいていた。 これを現状見ての政府の決定でしょうか。枝野氏、20~30キロ圏内を避難指示にする可能性指摘「物資が届きにくい」産経新聞 3月24日(木)17時39分配信 枝野幸男官房長官は24日夕の記者会見で、東京電力福島第1原子力発電所から20~30キロ圏内に設定している屋内退避を避難指示に切り替える可能性に言及した。枝野氏は「(20~30キロ圏内に)物資が届きにくくなっているとの指摘を受けた。放射線の影響とは別に、社会的な要請だ。どう対応するか検討しないといけない」と強調した。 屋内退避であるのに物資が届かない。 私としては理解に苦しみます。 しっかり対応してほしいですね。
2011.03.24
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宮城県塩釜市の造園業を営むHN(ハンドルネーム)yamituki64さんのブログと同じく塩竃市でカウンセリング等を行うカフェ森遊を主宰するはっちさんのブログから転載許可を頂いたのでご紹介いたします*******転載ここから***********はっちさんブログ転載***自宅難民 なんという言葉でしょうか・・・自宅難民とは・・・避難所では、食事と毛布をだしていただいてダンボールの上で寝起きしました。もちろんストーブもないし、電気もないです。だけど、家族と一緒にいれて、ものすごくありがたかった。いまは自宅にもどり、壊れたものを片付けながら水をもらいに行ったり、洗濯機をかりに行ったり・・・しています。ガソリンが無いので、移動は徒歩です。でも、みんなの気持ちがありがたくて、ことさら感謝を覚えます。しかし・・・自宅にいても出られない人や正しい情報や食料が届かない人たちがたくさんいます。私たちも食事はしているけど、バランスはめちゃくちゃ。避難所の方もそうです。体調を崩される方も多いけどこれといった手立てがちゃんと確立されていないからたくさんの方が、なにかしてあげたいけど、どうしたらいいの?何をしてほしいの?っておもってくださっているはず。障害があるために避難所にはいれない人。子どもが夜泣きをするからと、車の中で寝ている人・・・みんながほっしているのは「安心感」だと思う。どうしたら、何があったら、みんなにすこしでも安心していただけるか・・・みんなで考えていかなくちゃ・・・と私は思っています。私の職場も被災したので、今は自宅待機です。何ができるかしら・・・明日は避難所に行って、誰か一人でも、お話しを聞かせていただいてちょっぴりの涙と、ちょっぴりの笑顔を引き出したいと思っています。***yamitukiさんブログ転載***2011年03月24日 いわき市・食料配布の休止 今日のいわき市のホームページからです。【重要】市民の皆様に対する食糧等の配布の休止について更新日 平成23年3月24日生活物資に関し、被災地における安定的な市内物流が確保されていないため、避難所以外においても、市として市民の皆様に対する食糧等の配布を実施してきたところでありますが、本日、3月24日(木)の水、食糧等の配布については、皆様に配布できる物資が少量であるため、休止します。 なお、再開する場合には、あらためてお知らせします。※粉ミルクや紙おむつなど、生活必需品等については、配布場所(公民館等)にお問い合わせください。 なぜ、これだけ問題になっているのに、 何の対策もうてないのでしょう。 国はいわき市に物資を届ける方法も 考えないのでしょうか。
2011.03.24
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宮城県塩釜市の造園業を営むHN(ハンドルネーム)yamituki64さんと同じく塩竃市でカウンセリング等を行うカフェ森遊を主宰するはっちさんのブログから転載許可を頂いたのでご紹介いたします*******転載ここから***2011年03月21日 いわき市長のメッセージ 原発の風評被害によるいわき市の問題は まったくと言っていいほど、テレビでは取り上げ られません。 いわき市のホームページで市長のメッセージを 見つけました。 このメッセージを見る限り、事態は改善しているとは 思えません。 転載しますので、是非読んで下さい。市長メッセージ【3月21日13時30分発表】(市民の皆様に対する食糧等の配布について)市民の皆様、市長の渡辺敬夫です。 この困難な状況の中、市民の皆様には、種々のご協力をいただいておりますこと、誠にありがたく思っております。 本日は、私から、市民の皆様に、お知らせとお願いがございます。 災害発生から10日目を迎え、市民の皆様には、食糧や生活用品の確保にご苦労をお掛けしており、私も、急ぎ対応しなければならないと思っております。 そこで、本日より、皆様の生活により近い場所として、公民館等を拠点に、まず、食事の提供を実施することといたします。 本日、配布いたしますのは、パックごはんと飲料水となりますが、今後、支援物資の状況や、皆様からのご要望などにより、配布する物資を充実していく考えです。 今回の取り組みは、地域の公民館等を拠点として、地域の方々やボランティアの皆様方のご協力をいただきながら、総力を挙げて取り組んでまいりたいと考えております。 このような趣旨を御理解の上、市民の皆様におかれましては、ご自身の生活も大変な状況とは思いますが、どうか可能な範囲で、公民館等まで物資を取りに来ることが困難な方々に対し、物資をお届けする手助けをお願いできれば幸いです。 私も、引き続き、国や県へ懸命に働き掛け、皆様が困っておられる物資の確保に全力を挙げてまいりますので、市民の皆様のご協力をいただきながら、「オールいわき」で、この難局を乗り切ってまいりたいと思います。市民の皆さん、一緒に頑張りましょう! いわき市の物資を送って頂きたいです。 よろしくお願いします。
2011.03.21
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宮城県塩釜市の造園業を営むHN(ハンドルネーム)yamituki64さんのブログと同じく塩竃市でカウンセリング等を行うカフェ森遊を主宰するはっちさんのブログから転載許可を頂いたのでご紹介いたします*******転載ここから********物資が届かない 今朝のNHKのあさイチで避難所に 物資が届かないと言う内容の番組を 放送していました。 地震の規模が大きく、範囲が広い事。 津波で全て失ったので、必要な物資が多いこと。 道路、鉄道、港などの輸送経路寸断が寸断されている事。 ガソリンや運送車両が足りない事。 1度集まった物資を仕分けし、それを何処に 運んだらいいのか情報が足りない事など。 物資がなかなか届かない理由をやっていました。 それに付け加え、 避難所の物資を避難所に来ていない方には渡さない。 電気が通ると避難所が閉鎖されると物資を受け取る 場所がなくなるという問題も。 私が以前聞いた話しだと、避難所に来ていなくても、 物資を避難所で受け取る事が出来るというのを聞いた事が あります。 さまざまな問題で物資が届かない。 民間の運送会社を頼っているのが現状。 行政がもっとできないのか、と言う不満が募ります。ホームページを見ていて 細かな情報が知りたくて、ネットもみていても なかなか得られるものではありません。 そんな中、塩竈市や多賀城市のホームページを 見ると、避難所の避難者数やライフライン情報 などを見る事ができます。 離党の桂島や寒風島の避難所に何名いるかも わかり、それらの島と連絡が取れていることが 確認できます。 しかしながら、石巻市や東松島氏のホームページを 見てもそれらの情報を見ることができません。 津波の被害を大きすぎたこと。 被災者の数が多いこと。 市役所等も被害を受けている事などが考えられます。 インターネットの力も限界を感じます。 マスコミが今支援を必要としているところ、 一つ一つ上げていくのが支援の近道と思います。 市町村が被害を把握しきれない街の離島や 交通の遮断され避難所などに物資を送って下さい。 お願いします。****はっちさんのブログ転載ここから*****2011.03.21 物資をどこに届けるか 東日本関東大震災で避難所にいたとき窓の外は雪でした。その雪の中で給水車からお水をもらうためにまっている人たちがいました。四時間、五時間、並んで、もらえるお水は二リットルです。もらえない場合もあります。その時、私は、避難所の中で、お水をもらえていたしおにぎりが無くても、お菓子をもらってたべていました。とても申し訳ない気持ちでした。確かに、給水車の所にならんでいる人たちは帰る家がある人たちです。私の家は・・・と考えたとき、とても複雑な気持ちでした。だからお水一滴も無駄に出来ないし避難所の中で出来る水汲みや、トイレ掃除はさせていただいていました。今は他の避難所には物資が届きつつあるようですが一人住まいの高齢者や、障害のある方家はあるけれども、外に出れない方々や買い物に行っても、ミルクも買えなかった人たちが大勢います。市の広報車が回りますが言葉が不明瞭で聞き取りにくいです。何かに気をとられていたら、気づけないこともあります。認識されていない避難場所や小さい子どもがいて離れられない人たちがいる場所にも物資が届くことを願っています。必要なものはひとりひとり異なるはずです。そして、誰しもが必要としているのはどうしてる?大丈夫だよ。そんな心ある優しい言葉ではないでしょうか。今日、知り合いのお父さんがなくなったことを聞きました。心配をかけまいとするその方の、笑顔が切なかった・・・みんないっしょにいきていこうね。
2011.03.21
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宮城県にてブレインジムを開催したときにお目にかかった塩釜市にて造園業を営んでいらっしゃるHN(ハンドルネーム)yamituki64さんのブログをご紹介させていただきますねyamituki64さんのブログはこちらをクリック* * * * *以下転載* * * * *2011年03月20日 塩竈・多賀城を歩いて 今日は知り合いやお客様のところ、 塩竈・多賀城、津波の被害があった 海側を歩きました。 正直想像を絶するとはこのことでしょうか。 道路や家の中を埋め尽くす泥。 家の中にまで入り込む瓦礫の山。 ひしめき、重なり合い、家の中にまで 飛び込んだ車。 道路に打ち上げられた船。 そして、ヘドロの臭い。 復旧作業が続くなか。 悲しい知らせも。 励ましあう人々の声。 自分の人生のなかで考えられない事も。 何でこんな事が。 ただただ悔しい。 悔しいの言葉しかなかったです。 震災のブログを書きながらも、自分の住んで いるところにいれば、普通の生活が戻り つつあるようなそんな錯覚を感じていた 自分が恥ずかしいです。 まだまだ書くべき事がありますね。 これからもブログ書いていきます。Re:塩竈・多賀城を歩いて(03/20) かめちゃん☆さん ご無事で何よりですそして貴重なメッセージをたくさんブログで発信してくださりありがとうございますたくさん怖い思い、悲しい思い、そして親御さんや従姉さんへのおつらい思い一日も早く庭師さんが安堵感で満たされますように奥さまは?お子さんは?大丈夫ですか?何もできない歯がゆさでいっぱいですが庭師さんのメッセージをバトンリレーしていきます今日は楽天ブログ、FCブログ、ミクシィでご紹介させていただきました取り急ぎ(2011年03月21日 00時03分16秒)返事を書くRe:塩竈・多賀城を歩いて(03/20) かめちゃん☆さん http://ameblo.jp/tentsuku-man/entry-10836700163.htmlてんつくまんという方のサイトで物資が必要なところがないかメッセージが書かれていましたコメントの多くにいわき市が不足しているとありましたよ(2011年03月21日 13時37分15秒)返事を書くありがとうございます yamituki64さん ご心配おかけしましたが、家族ともども無事でいます。自分が震災にあって感じたのは、たとえば物資が送られて来ても、被災地に届かない。ボランティアがいても生かす場所がない。そんなことです。遠くにいる方がそこに注目していただき、ネットなどに書き込んでいただく。そうすれば、マスコミが気付き、やがて行政を動かすのではということ。何も出来ないという事はないはずです。自分も被災者ではなくなりつつあり、無力ではありますが、ブログを書いています。(2011年03月21日 21時14分55秒)
2011.03.21
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前回の日記に書かせて頂いた楽天を通して知り合ったはっちさんのブログの転載許可を頂きましたので こちらにご紹介させていただきますね 「庭師さん」からも宜しくお願いしますとの声をいただきました 物資は運搬方法や燃料の問題あるいは渋滞による救出および支援物資の運搬の遅延を引き起こすということで 個人の搬送は控え、義援金でお願いします と各地でいわれています 通常はライフラインが寸断されても、3日間非常備品で自分でのりきれば 行政からの救援物資やライフラインの回復が始まる と言われていました せまい日本ですから、道さえあれば、他市・他県から救援の手が差し伸べられるということが前提で自治防災をしているところはたくさんあります ところが今回は、津波で家財・生活の生命線いっさいがっさいを持っていかれてしまった状態です 道路は流され崩れ落ち、他市・他県との交通網・連絡網が寸断されてしまい72時間以内に救出されれば助かるであろう命も その後は残念なことに救命生存率は急激に下がっていきます そして寒さと雪 原発の事故 通常自然災害後1週間経過するころには、立ち直る為のこころがまえを確認する時期だったり 初期のPTSDが顕著になる時期だったりします けれども未だ救援物資が満足に届かない 助かった と喜びあえていない 生き残った意味を生活の再建・地域の復興・仕事の再開に問いかけていく時期に まだ・・・まだ空腹と寒さと恐怖と不安と孤独と・・・様々な試練をつきつけられている方々に 私は何ができるでしょうか 楽天日記でも少なからずリンクしてくださっている方々に、セラピスト、カウンセラーに類するお仕事をされている方がいらっしゃるので 今夜は、被災地の方のブログをお読みいただいて 一緒に職務を遂行することに関して、 あるいはセラピーや福祉、カウンセリングの大前提である 『個人のニーズを確認すること』 等々、ご一緒に自問自答していただけましたら幸いです ~ ~ ~ 転載ここから ~ ~ ~ ~ ~ ~ ~ ~ ~ ~ 『地震・津波・体験してわかること』 先ほど、楽天ブログ仲間の「庭師さん」から電話があり 自分の日記に、救援物資の呼びかけを書いたので、知らせてほしいとお願いされました。 なので、全文、転載させていただきます。 ですがその前に、私の体験を少し書かせていただきます。 私は昨日まで塩釜の避難所にいました。 家族でいました。 避難所の風景は、テレビや新聞で報道されています。 私のいたところは公民館でしたので、会議室を利用させていただいていたのですが 恐怖の体験をし、怪我はしていて、お化けのような顔の自分でも 自分は命が助かったのですから、何かしなくちゃと思いました。 津波がひいた後?自宅にもどり、全部のストックしてあった食料を持ち出して 避難所に寄付しました。米があったし。 そして、私はカウンセラーです。同じ怖い体験をした人同士 その方の気持ちを察して、少しでも恐怖の記憶をやわらげるべく お話しをきいていました。 地震・津波から一週間。徐々に顔の腫れやからだのあちこちのあざが薄くなっています。 車を運転中に津波にのまれ、車から投げ出され、家族とも会えずに でも、助けられ、家族とも会えずにいた人。 職場まるごと津波にさらわれ、自分はおやすみだったから、難を逃れた人・・・ 家族全員を失い、家も職場も失い、たった一人になった人。 様々な方のお話しを聞きながら、ともに泣き、ともに冥福を祈り ともに頑張ろうね・・・と、寄り添う。 そんな時間を過ごしながらきました。 福島原発にも女川原発にも知り合いがいます。 私の親戚も亡くなりました。行方がわからない友人も親戚もいます。 母も父も高齢で、まして、母は全身打撲で動けません。 私は身体が痛いといったら、きっと自分もうごけなくなると思うから 痛いとは思わないようにしています。 でも命があります。今の自分に出来ることをしていきます。 しかし、先に書いたように、食料はほとんどありません。 ガスは来月まで来ない。水道も来てない。電気は来てます。 家の中はぐちゃぐちゃ。床下は水がはいりました。 でも少しずつ片付けて、カフェ森遊を開いて 相談、カウンセリングは再開しようと思います。 ヘルパーの仕事はなくなりました。 娘も夫も職を失いました。息子も自宅待機。聞こえはいいけど 仕事復帰は難しいでしょう。 食料品を買いたくても、店が開いていても、買い物をするお金が無かったら・・・ 避難所では、何かしらの食べ物を食べることはできていました。 でも自宅で耐えている人たちは、何時間も給水車の列に並び わずかの食料でしのいでいます。 被災にあわなかった友人が、家においでとよんでくれましたが そこまでいくガソリンもありません。 わたしはこれまで、避難所でたくさんの方のお話しをきき 自分の無力さをかみしめていました。 そして、さまざまな理由で、ネットにつながる事がこわかった。 でも自分の生存を知らせるために、携帯から書き込みをしました。 いまは自宅でパソコンを開いています。 あの子もこの子、あのひとも、自宅に帰りたかっただろうな・・・と いう思いをかみ締めながら、涙がとまらず、キーボードがよく見えません。 右目を怪我しているせいもあります。右目はほとんど見えませんから。 ながなが、かきましたが、庭師さんの日記、以下、転載です。 皆様よろしくお願いします。 庭師の風流日記「玉川造園・塩釜」 先ほど、ニュースで見たのですが、 福島県のいわき市にはまったく物資が届いて いないとのこと。 原発の風評被害で、物資の運送が敬遠されて いるとのことでした。 このままでは食料も届かず悲惨な状態に なるというメッセージが多くよせられていました。 いわき市には従姉がいます。 夢をもって仕事をしている従姉に突然、地震が 襲いました。 母親が本人の無事を確認しましたが、 今度は物資が届いていないと。 なぜ従姉がこんなことにならないといけないのでしょか。 塩竈からいわき市はこのガソリン不足の中 親であっても行くのはあまりにも困難です。 彼女だけではありません。 多くのいわき市の方々のためにも物資をいわき市に 届けてください。 このブログを呼んだ方はいわき市に物資を届けて 下さいと呼びかけてください。 よろしくお願いします。 以上 ここからまた「はち」 運送会社が動きたくても、ガソリンがなかったり 運転手が津波にのみこまれていたり 道路が寸断されていたり さまざまな事情があるとは思います。 私の甥っ子も運転手です。津波にトラックごと飲み込まれました。 でも命からがら逃げることができました。 塩釜市でも、クロネコのひとが、トラックごと十キロほど流されて 助かったそうです。その方たちも仕事がなくなっています。 でも身体は動くから・・・とボランティアをしています。 このブログを読んでくださっている方々へお願い 人は、頑張っているときに、頑張れ・・・といわれるのは辛いものです。 ともに「がんばろう」と、言って頂けたら 孤軍奮闘ではない・・・遠いところで心配してくれる人たちがいる・・・ そんな風に思えると私は思っています。よろしくお願いします。
2011.03.20
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各地での震災により被災されたみなさま 被災地で懸命な救援活動に携われていらっしゃる方々 原発で昼夜を問わず危険な復旧作業に従事されている方々 全てみなさまのご無事をお祈りしております また震災でお亡くなりになられたみなさま 救助活動により命をおとされたみなさまのご冥福を心よりお祈り致します 地震の間に身辺に起きていること、想うこと多々あるのですが 今、発信するとしたら 必要な情報に絞っていかなければとも考えます あくまで個人的な考えですが 今、東京在住の妹が小さな甥っ子と共に帰省しています 静岡もまだ一週間以内に大きな余震がくると発表されていますが 都内の物資不足や計画停電で勤務先から保育所に迎えに行ったり マンションで籠城し続けているのも子供のストレス(勿論母親も)が限界とのことで 帰省してきました 地震発生時、都内の妹の安否も心配しましたが 彼女がまず連絡をとりたいのは、保育所にいる子供の無事や パートナーのはず 私も5~6年前に都内で地震にあい、帰宅難民になったことがあります 子供のころから地震に慣れっこの静岡県民ですが 地の利がないところでの情報通信網の混乱や寸断は打つ手をひとつ奪われるようなものです また、中越地震の支援で学ばせて頂いた教訓でもあります 揺れがおさまってすぐに、「私は池袋、無事」だけ家族にメールをしました その30分後には携帯で連絡をとることが困難になりました 今回の地震でも 地震発生地から離れたところにいる私が 私自信の安心のために、身内や友人知人にメールをすることはひとまずがまんしようと思いました 妹にそう伝えると 「保育所に行く為に急遽退社の支度をしていたので、パートナー以外のメール確認に割く時間(メールを開く時間)をとられなくてよかった」 と話していました ただ、この私見は人様に押しつけているわけではありません 20数年もずっと東海地震がくると言われ続け 学校を卒業してからも年に2回、自治会と市主催の地震防災訓練がある静岡 家の近くの避難所の備蓄や避難の方法の確認が頻繁にあり 役割分担が自治会ごとに決めてあります なおかつ、町内では毎年役員交代することで町内の成人が 常に町内の防災に関する避難時の情報を共有し、 毎年町内の組単位で実際に避難ルートを確認する等 教育研修を受けている・・・ という特殊なところに住んでいるから このような考えに至っているのかもしれません だれもが親しい方の安否を確認したいし、無事の知らせを聞いて 安心したいと思います ただ、相手がどうやって自分や家族の命、周囲の方の命を守ろうかとしている状況が見えないときは 今いる状況によって(安全なところにいる場合) いったん深呼吸して『待っていただく』ことも大切なのではないかと たくさんのメールを拝読しながら感じました 先の妹からの「我が家は全員無事」というメールは 保育園に徒歩でたどりつけた妹から11日17:32に送信され 翌朝の明け方5時前に私の携帯が鳴りました 約12時間も経過している状況でした それなのに! 12日の昼ごろに、ゆほびかという雑誌のメルマガが届いて この非常時に! さらにタイトルが 『ダイエット講習会御招待』 とあり、 「状況を読めないのかしら!」 と数年ぶりに腹が立ちました 静岡の地震の際は、チェーンを含むメールが多数届くことで、学校の緊急連絡網のメールが遅れて 小学校への迎えの要不要が判断できず とりあえず迎えに行ったり(結局集団下校するというメールが帰宅中に届きました) ブレインジム仲間の皆さんの無事は・・・ 「そうだ!ミクシィのツイッターに?」 と探しにきました ブレインジム仲間ではない方の緊急ではないつぶやき(批判ではなくその方のメッセージで励まされたり癒されることもあると思います でも他の方のつぶやきが見えなくなるほど一面にその方のプロフ写真が><。) に埋もれて探すのが大変でしたが 見つけた時の安堵感はミクシィに感謝したほどでした (インターネットオプションの履歴を消したらミクシイのパスワードがわからなくなってそのままだったんですが・・・) 津波に飲み込まれた港近くに住む友人=ブレインジムの受講者をたくさん集めてくれたNPOの理事長 彼女の無事は17日にやっと楽天ブログで見つけました 8日以降書かれていなかったブログ・・・ 私はネットで彼女の軌跡を探す間、 彼女が自分のNPOでしたかった支援を、もう一度応援できないか ずっと思いめぐらせていました 彼女のメッセージを見つけて涙があふれて 「よかった!よかった!」 とだけ書いて、しばらくその続きが打てませんでした ブログコメントに対して彼女からの返事には 「避難所でお世話になっているけれど明日自宅の様子を見に行ってきます これからはお世話になったすべての皆様に恩返ししていきたい」 と気丈に書かれていました
2011.03.20
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