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とうとう大晦日になりました。 我が家は3人の未来の若者が来ててんやわんやです。 1年生の女の子、3歳児、昨日100日の箸はじめをさせた男児です。 4時間かけて電車でやってきた末娘一家で、父さんは勤めで留守番らしい。 朝から抱き方が悪いとぐずりだす赤ん坊をあやして、かすかな昔の感覚を腕に思い出しているところですが、中々思い出せません。 家内いわく、全然子供のめんどうはみず、仕事だ付合いだだとでていたと今になって文句を聞かされる羽目になりました。 でも赤ん坊の寝顔はすばらしいものです。 憤怒の顔した仏像やら盗んだ梵鐘などを調べていたので、此処にすばらしい赤子の仏顔にほれぼれとしているところです。 時々思い出し笑いの笑顔には1年の苦労も消え新年の意気込みがわいてきます。
2006年12月31日
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後醍醐天皇が隠岐の島から脱出し名和長年一族に守られて、篭城された船上山にいってみました。 例年なれば雪に覆われての頃、幸運にも車でたどりつけました。 その厳とした自然の要塞、断崖絶壁が山腹一帯を屏風を引き回したように聳え立つ様は見事の一言でした。特に柱状節理になった安山岩の溶岩壁の造形美が冬空にダイナミックでした。 1333年(正慶2年)2月のころ山頂の智積寺本堂に陣をおき、100余人で3000の幕府軍勢を迎え撃ち大勝をおさめました。 天然の要塞の地形をいかし鎧や甲をきせた偽兵を置いたり、500反の白布に近国の諸豪族の家紋をかいたのぼりをたてたりして応援が多いことを偽装しました。 往時の光景が目に浮かびときの声が聞こえてくるようでした。 智積寺本堂に行在所が設けられ京都に向けて出発されるまでの80日間をすごされた建武中興発祥の地となった誇りが伝わるようでした。 頂上に行く道は冬準備で通行留めがしてありましたので、来春にお預けです。
2006年12月27日
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体温20度で生還した人がいました。 冬眠状態だったとか、奇跡の一言です。 生かされたというべきでしょう。 常に生と死は背中合わせでその分水嶺を人は歩いているようです。 羽越線での列車事故、因美線での事故の慰霊祭が昨年の悲しみを新たにしています。 事故で死んだ人、助かった人悲喜を2分します。 往時、冬休みに山岳部が朝日岳登山を試み、無線を初めて採用した時で、アタック隊3人が頂上をめざしました。無線機をもった先頭の隊長が、積雪状況が悪いのでひきかえそうとバックした時、隊長の足元から雪崩が起き谷間にきえました。 無線がなくなったのでベースキャンプに連絡はとれず、2人がかえるまで状況は不明でした。 捜索はおこなわれましたが、とうとうみつけられずに打ち切られました。 翌年の夏に沢の中からでてきました。 翌年の12月クリスマスにかこつけたお祝いに酔い帰りの列車のタラップからもんどり落ちました。 気が付いた時は 線路脇にね転がっていました。なんで此処にいるのか分かりませんでした。 真っ暗な石原、冷たい線路に触れた時ぞっとしたのをおぼえています。 宮城道夫さんが列車から落ちて他界されたのはそれからまもなくのことでした。 100%生あるものはなくなります。 その生き様否生かされ様が大事なことではないでしょうか。
2006年12月25日
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河川愛護団体の1年の反省会がありました。 街の中を流れる川が汚いので掃除しようやと始めた事業も8年になります。 継続は力です。 県の管理なので県にきれいにしてくれと陳情する決議するのが従来の住民運動でした。 予算がない。もっとしなければならない所がある。これがおちでした。 きたないから掃除するの行動はなんと気分のいいことか、期日を発表すると都合つけて集まってくる者たちの今日は反省会です。 河川の作業は来年の春まで休みですが、冬場に除雪車がはねた雪が歩道を埋めるので、これを片付けようと発案があり都合付く者の待機の決議もにっこり了承でした。 川掃除だけじゃつまらないから、蛍を呼ぶ作戦をしようじゃないか、昔はいっぱいいたんだぞうと古株の発言、蛍の飼い方を調べる若者が決まりました。 ヴォルガ舟歌作戦で、両岸からロープで船を曳いてのぼり、それに川の中の者がごみ、缶をいれよう。 今は川の中でコンテナをもちながらごみをいれています。 いっぱいになったら岸辺の上の者からコンテナを引き上げています。岸から川もまで3メートルぐらいあるんでやっかいです。 これが川下から川上にいかないと、水が濁って川底がみえなくなるんでやっかいです。 呑むほどに、酔うほどに春の陽気の川掃除を思い浮かべ転んだおもいで、魚つかんだ思い出、子供を連れて行く話などつきぬようです。 共通の場をつかっていろんな行事をみんなで楽しむ方にむいてるようです。
2006年12月24日
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走馬灯にスッチがはいったように昨夜から往時の回帰線をさまよっています。 期限がせまり、やっとお神輿をあげて年賀状書きにとりかかり年一回の名簿をめくりました。 1年で名簿から消えた友達も5指をかぞえます。 若い元気な顔が笑っており脳裏にはいつまでもきえません。 音信不通だったものが途中から名簿復帰して倍旧になかよくしてる友がいます。 大學の教授を終え、バイオリンの演奏をしたり、バトミントンの選手で県代表で遠征までしています。 音楽専攻の女子大生にバイオリンを習いに行くと言って皆に冷やかされても続けた友です。 鉢巻しめて数学を始めたら食事もせず机に噛り付いていました。運動は全然しない男でした。 バイオリンが好きで女子大生のところに通ったのが事実のようだったようです。 それからずっと学んでるようです。 バトミントンは学生のクラブ顧問になって、生徒から逆に鍛えられたようで、今でも市民大会でも優勝する腕とはおそれいったものです。学生時代には運動オンチかとおもっていましたのに。 3年前に交旧を温めました時、彼のなかに学生時代のままの純情が残っているのをみました。 制度上の苦労はあったようですが、学究の世界ゆえ雑菌がはいらなかったのでしょう。 でも、だけどが多い世界に浸りすぎた自分を強く感じました。 野口英世の生家見学では、母の子を思う情と子の親を離れる定めの厳しさを2人して、涙を流しました。磐梯山は陽炎の向こうで猪苗代湖が涼しい時でした。 感傷はストップ。 先を急がねば賀状は間にあいません。
2006年12月23日
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コレステロール正常値になりました。 総コレステロール183 LDL93 HDL72 中性脂肪 91 血糖101 でも薬呑んでですけど。 経過を申せば、8月18日からコレステロールの薬やめてみようとお医者さんに言われ実践中でした。 直った気分で晴れ晴れでした。 そしたら9月5日から関西にいってる娘のお産手伝いに、おかあちゃんが行ってしまい男所帯を満喫?しました。予定が遅れて10月のはじめまでかかってしまいました。 10月18日に検査でした。 総コレステロール247 LDL164みごとに標準値をとびだしました。 「やっぱり薬がいりますね」ということでまた薬呑むことになりました。 原因は朝晩野菜をと心掛けたマヨネーズの取りすぎと治った気分のアンバランス食事でした。 おかあちゃんに文句たらたら聞かされわずか1ヶ月の開放気分は吹っ飛ばされました。 そして12月13日の検査で標準内に。薬のんでです。 食生活が如実に反映するとは驚きです。 来年にまた薬離れにチャレンジします。
2006年12月21日
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メダカをもらってきました。 物置の隅にあった金魚鉢を探しだして入れました。 2センチ位のが1匹、1センチが1匹、あとは5ミリぐらいのが6匹です。 無造作に掬ってくれたバッテリー屋のおっちゃん、あちとあらゆるものにメダカを飼っています。 大きな水槽、バケツのお古、火鉢、アルミのボートのお古にメダカの学校です。 網をいれるとどこに行ったか皆逃げていなくなります。 やっと網にはいったものを小さなビニール袋に入れてもらってきました。 孵化してまもなくらしくそのしぐさがなんとかわいらしいものです。 小さくってどこにいったのか毎回数を数えるのに手間がかかります。 あらためて生命を感じさせられ鉢の中に見入ります。 天気がよかったので陽の光が当るところにだしましたら、鉢のヒダの浅瀬に日向ぼっこするように集まっていました。 メダカを飼ってやったつもりがメダカに癒やされてる自分に苦笑しました。 冬将軍がそこに来てる前のひだまりの縁側をたのしみました。
2006年12月19日
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ホームの老婆が一通の新聞の切り抜きをみせてくれました。 かつて若かりしときの様子を記したものです。 「栗はめば子供思ほす」の古歌に因んで吾が子たちの書簡集に名ずけた「くりはめば集」のお粗末な頁をめくってみましょう。 長女の夏痩せの母を憶う、純に成長した文字で、女にしてはあまりにも簡略で恬淡たる便り。これが巻頭です。 次が長男の、これはまた打って代わって慢文的に面白おかしく微にいり細にわたって書きなぐった大学生の頼りです。 次が次男の便りです。生まじめでむっつり屋の高校生のまこと字は性を表すのか、几帳面な文字のハガキです。 続く二女のハガキは、郷里の祖母の元からで、中学生のたどたどしい文字に、母ちゃんの顔が車窓を遠のく帰省の日のバス内での感傷が綴られるています。 文通に五日のいとま雁来紅 北の国に学籍をおく長男からの頼りを受け取ると、消印の日付にあわせ指を折る癖がいつのまにかつきました。 コスモスや 待ちたる文の二通ほど 長女と次男のハガキが同じ日に届いて並べて貼られている日の私の句集からです。 二女のハガキが隣あわせに幾枚も貼ってあります。 あの頃は帰省の度合いがとても繁かったようです。 長女のハガキが遠のいているのは、もう都の空気に馴染んでの安堵感でありましょうか。 月末には型にはめた様に北から送金返信の長男ハガキです。 校長会の翌日は二男が父に逢えた喜び、逢えなかった日の心残りがかかれたハガキです。 めくる程にめくる程に綿綿として感慨はつきません。 うれしい時、わびしい時、われを忘れて眺めいりました。 ふと手に触れた箒に、敗れた夢から戻り仕掛けていた現実の掃除へと戻りました。 くりはめば第2集、第3集と続くころはいま膝元にいる小さい3人の子の文も加わり、又母の喜びを味わわせてくれしょう。 ひそかに秘めた私の文庫の中で、限りなく夢は夢を生んでいきます。
2006年12月17日
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武蔵坊弁慶が大山から持ち帰った釣鐘は勇壮な話ですがどうも年代があわなくなりました。 昨日の弁慶の大釣鐘の続きです。 鐘に寿永2年と銘うってあります。 (西暦1188年と書いてあるのは間違いで寿永2年は1183年です。) 寿永2年(1183)は木曽義仲が京に攻め込み平氏は安徳天皇と3種の神器を奉じて都落ちした時、翌寿永3年(1184)には一の谷の戦い寿永4年(1185)は屋島の戦いで義経はすでに一軍の総大将になっています。 1183年寿永2年にはもう武蔵坊弁慶は京に上って、義経に従っています。 牛若丸時代がこれではなくなりつじつまがあわなくなります。 お話だからええか、でも説明板の1188年だけは治した方がよいでしょう。 1189年(文治5年)に平泉で義経は死に弁慶は語り草の立ち往生で他界しています。
2006年12月11日
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牛若丸と五条の橋の上で「あと一本で1000本だ」と喧嘩売った弁慶。 999本の刀コレクターからしか弁慶は知りませんでしたが、面白いその前暦がありました。 武蔵坊弁慶が大山のお寺から大釣鐘を担いで島根の平田まで一夜で持ち帰ったそうです。 鰐淵寺に次のような説明があります。 銅鐘(重要文化財)総高113,1cm 口径63,2cm 寿永2年(1188)在銘の銅鐘 もと鳥取県倉吉市桜大日寺上院の鐘、当山で修業した武蔵坊弁慶が一夜のうちに伯耆大山寺から持ち帰ったとの伝説は名高い。これにちなんだ弁慶まつりは毎年5月5日(こどもの日)に挙行される。 弁慶が上京を志して、御礼に大山から鐘をもってきたようです。 大山にあった鐘に鳥取倉吉大日寺の銘がなぜあるのでしょう。 大日寺は841年(承知8年)円仁、開基といわれ、849年の同じ円仁開基の三徳山三仏寺と前後して創建されています。大山寺、三徳山三仏寺、とならんで天台宗の栄えをになっていたようです。 釣鐘はこの地の豪農が寄進したものです。 時代降り話は変わって、大山寺僧兵と三徳山の僧兵が勢力争いをしました。 大山から大日寺の前の桜街道を武装の僧兵が三徳にでかけます。 妙なる鐘の音が大日寺でなります。いいものがあったと担いで大山にもって行ったようです。 僧兵に庶民は恐れをなしていたようです。 大山でもあたりによき音色をこの鐘は響かせ評判になったといいます。 これをきいて弁慶は記念にもって行ったといいます。 今は重文で宝物殿に収納されて、レプリカがかざられています。 豪農の子孫がまだこの鐘が釣ってあった時訪れて鐘の音をきいたら、「ゴーン ゴーン」と鳴らず「イナーイ イナーイ」と鳴ったそうです。 イナーイとは、帰ろうという方言です。 「もう遅いでイナイや」「うんイナか」は 「おそくなったから帰えろうか。」「そうだな帰ろう」です。 郷土誌によれば先代の大日寺の和尚さんが鐘を返せと申し込んだら断られたとありました。
2006年12月10日
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私たちの自治公民館には総務、社会部、衛生部、体育部、建設部、生活文化部とあり、いろいろの部活動をしています。 わたしは建設部員です。 1年の活動が終わって、忘年会をかねての反省会がありました。 道路舗装、環境整備がすすみ建設事象は問題があまりなく、一般事象に話題がなり過熱しました。 1、宗教問題 2、人権問題3、個人情報 4、通学児童挨拶運動5 いじめ問題6、世界問題 盃がすすむと、話は多義にわたります。 「神さんと仏さんはどっちが偉いとおもうか」 「神輿を公民館の経費でだしてるのはけしからん。特定宗教の問題だ」 「神社の境内中に仏さんがおられたこともあった、明治維新に廃仏毀釈でわけられたんだ。家の中には神棚と仏壇がある。為政者が都合よくするために分けたものだ」 『祭りだって、イベントていどだ。子供に神輿担いだ思い出作ってやるくらいのものだよ。形だけでもいいじゃないか」 「集まらぬ人数で毎年同和問題学集会するが意味があるのか」 「人権問題は、意識としてとらえあらゆる差別をなくしようとするために必要だ」 「秀吉の時代に身分格差をつくり下にまだえらい人がいるから我慢しようとあきらめるようにつくられたもの。だから今の時代にまだそんな感覚があるのがおかしい」 「集会の議事進行が下手だからいけないのだ。議題の取り方も考えてほしい」 「出席しない者がいつも反対ばかりいっている。」 「おれも前に1回でただけだ、来年はでてみる」 「災害があった時のために近所が確認しあい救助網を作るそうだが、独居老人の名簿も公表できないという。靴の上から痒い所かくみたいだ」 「知らない人には口聞くなと学校で教えているらしい」 「都会も田舎も差別なく子供殺しが起きてるからな、ここだってわからんぞ」 「リストラだって、一部が生き延びるためのイジメだよ。景気が悪い時はみんなが辛抱しようと言うことがなくなった。」 「ほしがりません勝つまではなんて、みんな破れ着て腹へってもがんばったもんだ」 「今はわざと服を破ってるぜ。」 大きな話題、小さな話題、予算の都合でアルコールがなくなったのでお開き。 炊事場でコップ洗うもの、テーブルを拭くもの、座布団かたずけるもの、手際よく終了。 じゃ来年までさようなら。
2006年12月07日
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田植えの苗つくりに種籾を水につけます。 中身が空の籾は水面に浮きます。 実のあるものは水に沈みやがて芽を出し苗になります。 水に浮いた籾をみて此れが稲だと思ったら大変です。 大部分の籾は下に沈んでいます。 1000万もらった知事さん。診察ごまかし保険金もらった警部さん。交通事故の子供たちを茶化したホームページ作っていた小学校の先生。恋人遍歴を実名暴露する女優さん。まだまだーー。 今、日本はどうなってるんだろうなんてテレビ見てたらめいります。 稲籾の空が浮く現象と思って、我慢せざるをえません。 一部の空籾のためにまじめに頑張ってる方がたが迷惑します。気の毒です。 実のある籾のニュースが次々と放送されるようになるのを期待します。 衣食住が困苦の時代も皆でたすけあって日本を作ってきたんです。 自分だけわ、自分の為にの追求はやめましょう。
2006年12月06日
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まん丸お月さん雲の塊に覆われました。 あたりはくらくなりました。 雲のしっぽから顔を出し、やがてまん丸、明るい光。 出ては隠れ、隠れては出て、雲が矢継ぎ早にとんでいきます。 川の土手道は、もう厳しい寒さです。 せっかくのお月さんもチラリズムで不満足。 折り返しで月を背にしたら煌々と明かりがでてきました。 雲がなくなったんです。 時々ふりかえってお月さんをみていましたが、バック歩きをすることにしました。 なんと後ろに目がないと不自由ですね。 大体ひざがうしろむき用になっていません。 小さなくぼみでもバランスを崩します。 進行方向を後ろ景色より推察して歩くなんて面白いとチャレンジし、大分上手になりました。 お月さもきれいです。 ふいに人の気配がして、体制をくるりととまわしたら大変。 「こんばんわ」 「あっつ、こんばんわ」 散歩の人が目の前に。 だれもいないと思ってたら散歩の人がいました。 背中に目がないと不自由です。 味方ですよって知らせるために背中に「背守り」として家紋をつけたのかななんておもいました。 中天にあがったお月さんを邪魔する雲はもうないみたいです。 今夜は底冷えしそう。そして明日は良い天気になりそうです。
2006年12月05日
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日本地図拡げて定規をあてました。 出雲大社と大山と富士山に線をひいてみました。 同じ緯度に直線がのびます。昨日の講師の先生が教えてくださいました。 大山から出雲大社の中間の松江に出雲国庁が建てられ、朝日を大山に夕日を出雲大社に見る位置だったそうです。出雲大社の大国主神は西方浄土に向いて居られ、われわれは横顔を拝んでいるそうです。 この直線は富士山まで同じ緯度で延びているということにはびっくりしました。 建国にあったっての意図が秘められてるのか興味がわきます。この視点を変えた観光案内には、新鮮さがあります。 1300年祭を迎え世界遺産登録にアクションを起した三徳山もこの線の上にあるようです。 琵琶湖、天下分け目の関が原も線上にあって富士山にむかってるようです。 新しい発見です。富士山と同じ緯度なんて。山陰というイメージが朝日に輝くイメージに代わります。 情報は人を元気にするもの、感動をあたえるものであるべきだそうです。
2006年12月04日
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若いってすばらしい。 今日は日曜日。皆やすんでいるのに、必死に考え、空想をめぐらしている楽しさ。 俺も若いぞう。 現役の大学生と社会の傾向と対策を話せる新鮮さ。 かつての自分が目に浮かぶ。 こちとらこんな真剣な学生じゃなかった。 今の若いものはなんて言葉はここにはない。 テレビの画像がはいらぬだけでも平和な空間が存在する。 やめさせたり、わびがはいったり、良いだ悪るいだの事件もない。 講師の手際よい講演の進め方に魅了され、いつしか若い気分で熱中している自分を発見。 事例発表が又すてきだ。 広い見識での成功話はスマートである。 淡々と語られる事象は現代の情報、機器を最大に駆使された結果の成果。 隣の昔青年が、1年に1つ年取るんで不満だと笑って言う。 若いものと一緒にやりたいが同じように年が先にいってしまうというわけだ。 だからってあの世へのキップは、先の人からって決まってないから相子ですよってわけわからぬ休憩タイムの談笑。 2日間、環境をかえての思考は思わぬ成果を得、帰路のアクセルの軽いこと。感謝、感謝。
2006年12月03日
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若いっていいことです。 だれがって、勿論わたしもです。 今日朝からNPOマネジメント研修会があり参加しました。 勝手の青年3人、河川愛護会のメンバーです。 思いを事業計画に実践! 県内の未来を見据えた者たちのギラギラした若い瞳が会場にみなぎり、軽快な講師の話術にひきこまれまたたくのまに1日がおわりました。 講師をかこんでの懇親会にいってきました。 会場は横文字のレストランと言う。 時間があったので一旦家に帰って、3人でかける。 よこもじだけで名前をおぼえたものはなし。なあに分かるさとでかける。 なんだか変だ、HAIR SpASEとある。CUT、COLORおかしい。美容陰だった。 雨のなか横文字なるものを探す。 肝心の名前を覚えたものがいない。聞くにも聞けない。 しかたなくそれらしきもの探す。 あった、テーブルにいっぱいコップとナフキンが並べられたフランス語らしい名の店。 気分は若いが、こんなところは。 学生人材バンクの学生さんの新しい感覚にふれみな興奮ぎみでした。 わが河川愛護の奉仕も事業を通し、社会のゴミも掃除する意気込みになりました。 また明日、研修会は続きます。 3人はりきってわかれました。
2006年12月02日
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少年が自分で命を絶つことが後を絶たぬようです。 いじめの実態も見え隠れして原因対策も苦渋してるようです。 子供の終わり、大人のはじめと言われる年代で、身体的発達と精神的対応がアンバランスになることが多いのではないでしょうか。 川上で生まれた魚が育ちながら川をくだり、大海に泳ぎ出していたのが、川の途中から大海に放り出されると戸惑います。塩分濃度も徐々に淡水から河口の交じり合った半淡半鹹を経てでないとなじみません。 現代の情報の発達をはじめ諸々の進歩が過渡期の子供たちにこのような戸惑いを与えているのではないでしょうか。 対して大人は、自分たちの経てきたスロウペースの成長経験からもって判断しようとします。 ここで対策がくいちがってしまいます。 インターネットにはいる情報だけでも様々で、過酷なものがあります。 身勝手なわれよしが多くいます。 百選練磨の人生経験がある大人は、免疫がありますが、無垢な子供には強烈すぎるものが多くあります。 泳ぐのにへとへとで、隣の仲間を気使うゆとりがないのかもしれません。 充たされぬジレンマをピンポイントしてイジメの形にしてしまいます。 絶対的な餓鬼大将がいるわけでもなく、照準がまわってくるのを恐々としてるのもあるようです。 昔と代わらないのは、いじめられた人が苦しみ、取り残された寂しさに耐えねばならぬことです。 みっともないから自分の怪我は自分で処置しなくてはならない、人の救いをもとめるのは卑怯未練なことだと対処して末に、自分に断をくだして死んだ人もいましょう。 大海にでる目的を教ええることが大切で、急に淡水から塩水にかわってもそのショックに耐えるれるものが必要です。そのための教育基本法の改正でしょうけど。
2006年12月01日
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