全31件 (31件中 1-31件目)
1

清和源氏新田氏の裔房州館山里見十代の当主里見安房守忠義(12万4千石)が終焉の地はここ伯耆国堀村です。 慶長19年(1614)幕府の閣僚大久保忠隣と本多正信の権力争いで負けた大久保忠隣の孫娘の婿の忠義も連座されこの地に3万石で転封、配流の身同様の生活で29歳で悲運の生涯を閉じました。 家臣たちは3ヶ月後に殉職しました。 居住地の丘に主従を祭祀した小さな祠です。 望郷の念耐えがたきものがありましたでしょう。 有志の士がこの地に実生させた桜の苗木を房総に植樹したとの平成の暖話を付記しておきます。里見八犬伝宝塚DVD
2007年11月30日
コメント(0)

たたらの本場にたどりつき、変形した花崗岩の岩山を眺め、資料館に入り遺跡資料を見学させていただきました。砂鉄と木炭を真ん中の本床にいれて両脇の小舟でも木炭で温度をあげ湿気をとり、製鉄を行っていた構造の複雑さにおどろきました。 燃え盛る火との饗宴、連続3昼夜から4昼夜、ふいごの風を送りながらの重労働は大変でした。 「たたら吹きを山には左のみ利なしといへ共、最近郷の庶民、鉄山に頼りて益有事また少なからず。深山、幽谷の五穀不毛後を山も崩し砂鉄を流し取り、けわしき谷を埋めては終に田となし、雑木、雑草を切り開きては畑となし、山家貧窮の地を富力しむる所勝て計算かたし。」 鉄山必要記事 当地方の産業の原点は砂鉄に発してるといえそうです。 ますますひきこまれそうです。
2007年11月29日
コメント(0)

三徳路の峡谷を抜けて天空の俵原草原にたどりつきます。 かたわらの山肌に大山からの火山の贈り物、噴出物が堆積しています。上のほうに鹿児島から来た姶良火山灰もみられます。 大山と三徳山とどちらが高いか背比べをしたそうな。 頭の上に樋をのせて水がどちらに流れるか、流れたほうが低い。 そこで馬糞をのせたり相手の土を取ったりして、高くすることを考えたそうな。 こんな勇壮な語り話を作った伯耆の昔衆はすごいものです。 大山の火山灰は鳥取砂丘の下にもとおくは関東のほうまで飛んでいるようです。 100万年前はすごい状態でしたでしょう。 俵原の高原ももうすぐ雪の世界になるでしょう。 藤太のおじさんさようなら。
2007年11月28日
コメント(0)
長者が金にあかして贅沢をしたり、自然の掟を曲げたりして懲悪で没落するお話は沢山あります。 湖山長者は、田植えが済むまで沈む太陽を扇で招き日が暮れるのを遅くしました。翌日田植えが済んだ田んぼは一夜の内に湖となってしまいました。 これが鳥取の湖山池のお話です。 砂鉄を製錬する長者が、鉄の盛況で千両箱が宝蔵に入らぬほどだった。 ある年20俵の餅米で鏡餅を搗き神社まで並べ飛び石にして初詣をしました。村人は豪勢な羽振りに驚きこの高慢さに目を見合わせました。 まもなく鉄の売れ行きが悪くなり家運衰退しましたという鉄山長者話。 湖山長者は昔話ですまされるが、鉄山長者のお話の方は、物語のあるところに該当らしき子孫が存在していてることで気の毒におもいました。 鉄山長者は信心深く、神社や仏閣にも多額の寄進をし、神社詣では欠かさず、鉄山の合間に山から水利工事をして水田の拡張も行って村人に貢献しています。どうしてこんな話となったんでしょう。 餅を並べたのは飛び石の為でなく、苦心して水を山から引っ張ってきて水田を開いた田んぼにこれだけの収穫がありましたと鏡餅にしてお供えしたものでしょう。丁度20俵増収したんでしょう。 タタラ製鉄が衰退したのは、近代製鉄に取って代わった明治から大正の頃、大概のタタラも終焉をみています。 昔むかしでなく、時代的に時がたってなく、昔程度で無茶な物語をつくるものだなと思います。 山間部の小さなところで該当らしき家があり子孫があるのですから。 その後この部落では正月に餅をつかぬようになった時代があったと物語は結んであります。 しかしもともと正月には餅をつかぬ風習が鉄山師にあり、餅をつくと火事になるとか餅に血が混じる理由とかだそうです。 ここ以外にこのような餅に関わる長者話がタタラの地にあるようです。 いろんな要素が混じって凋落に追い討ちかけて物語になったのでしょう。 面白おかしく人の不幸を物語る輩が昔もいたんでしょう。 該当する子孫こそ迷惑です。 他の地のお話を持って行き子孫の方に安心してもらいましょう。
2007年11月27日
コメント(1)
天気良好なり。 日本海を展望しにいきました。 1級河川天神川口はゆったりと流れは止ったかの穏やかさです。 それもそのはず沖から吹き寄せてきた砂が河口をせき止めています。 鴨や鵜が浮かんでいます。 上流の花崗岩が風化して砂になり流下して海に注ぎ、これが又日本海から吹き付ける風に岸辺に戻されるわけです。 砂丘が山陰海岸に多いわけです。 砂丘を歩くと、黒くなった砂鉄の場所があります。 磁石をナイロン袋にいれてこの塊につけますと真っ黒に砂鉄がついてきます。これを別の袋にいれて磁石だけをぬきますと、砂鉄が袋にはいります。 20分ぐらいで買い物袋一杯になりました。 砂鉄の製鉄文化は古墳時代まで実証できてるようですから、多分海を伝って朝鮮半島からきた先人が製鉄技術を持ってきてこの砂鉄で鉄器を作ったことでしょう。 この川伝いに内陸にむけて入っていったんでしょう。 古墳がおおく点在しています。 湿潤な気候で森林、特に松が多いところですので、タタラ製鉄が発達していったのでしょう。 上流の花崗岩地帯では、風化した真砂とよばれる状態になってるところが多く、この砂から砂鉄を水に流して採るようになったようです。 中国山地は花崗岩地帯ですので、鉄山がいたる所で行われました。 お侍の領土争いも鉄採りのようです。 尼子は自領が鉄の産地、そして伯耆鳥取の鉄山を占領にきて、毛利がその後を追っかけて来て、今度は秀吉が呑み込みにきました。 いろんな空想をふけらせるほど穏やかな一日でした。 冬将軍の休息日、きっと将軍の勤労感謝の日だったんでしょう。
2007年11月26日
コメント(0)

天気よし。白亜紀と言われる街の中にそびえる山に登りました。 全山公園で、裏山からの通路の小道も手入れしてありました。 こんな山の中の植木に大事に下草が出ないように屋根の下に敷く防水紙を敷き詰めてありました。木の根まわりだけ穴があけてあります。 雑草が生えなくって管理費は省略できましょうが、地中の木の根に水が行かないでしょうに。雑草も生えて、虫もすんで、微生物も住む共生の場を作ってやらぬとかわいそうです。 アイデアは良かったがやはり生育が良くないと見えて一部めくりかけてありました。 それとも新しい植木法であるのでしょうか。
2007年11月24日
コメント(0)

公民館の若手の悠々クラブ主催の史跡めぐりウォークがありました。 景気つけに餅搗きからはじまりました。 子ども会と一緒に田植えからそだてたもち米の餅だそうで、あったか餅ほうばり出発しました。 郊外にある天平13年(741)聖武天皇国分寺建立詔で建てられた伯耆国分寺、国分尼寺遺跡は並んでありました。復元した国分尼寺の門です。 国分寺は182×160メートル、国分尼寺は150×150メートルの広大な寺域でした。 広大な寺跡から市街地と城址山、はるかかなたに三徳山がかすんでいました。 足下でいにしえの活動があった事を考えると感無量、連綿の命を感じました。
2007年11月23日
コメント(0)
あすは勤労感謝の日。このように元気になったことを感謝。 久しぶりに夜の散歩を4年前のリハビリコースをあるきました。 よくぞこんなコースを毎日歩いたものだと感心しました。 今は半分ですましていたんです。 治らないといわれた糖尿病を絶対なおすんだと毎日あるきました。 歩いて治るものではありませんが続けたかったんです。藁にすがる思いだったんです。 寒風すさぶ川の土手道、時折点滅して通り過ぎる飛行機が唯一のロマンを奏ででくれました。 星そらの空天に人が飛んでる不思議さ。 ご無事で早く帰って団欒をむかえてくださいと祈れるありがたさ。 きょうも点滅して飛んでいきました。 北海道、東北、信越は大雪のようです。 11月なのに早すぎるようですが気をつけてください。 灯油は高くなり寒さはつのる冬ですががんばりましょう。 健康であればどんなことでも乗り切れます。
2007年11月22日
コメント(2)
天寿は128歳。 還暦(かんれき)60歳干支にかえりこれから出発 古希(こき) 70歳心も体もまだ古希 喜寿(きじゅ) 77歳すこしは人生わかって喜た 傘寿(さんじゅ) 80歳今でも役にたってる八十寿 半寿(はんじゅ) 81歳ここでようやく半寿 米寿(べいじゅ) 88歳まだまだ米寿は食い足りぬ 卒寿(そつじゅ) 90歳人生に卒業はない 白寿(はくじゅ) 99歳せめて百寿を祝ってから 百寿(ももじゅ) 100歳百寿だ節目だまだまだ未熟 茶寿(ちゃじゅ) 108歳もうちょい茶寿を呑まなけりゃ 皇寿(こうじゅ) 111歳歳の暗いも幸寿でめでたい 昔寿(せきじゅ) 120歳昔寿を迎え心の準備はできたけど 天寿(てんじゅ) 128歳これで天寿を全うす。 長命でなく長寿であることが条件のようです。 いろんなハードルがあるものです。
2007年11月22日
コメント(0)
玄米食には籾が残っていて困ることがあります。 食べていてガシャツと口の中にパニックを起こします。 食うものが選れとコタツの上に持ってこられ、盆に広げて籾選りです。 そんなにあるものでありません。 多くて5,6粒くらいですが、食う時には一粒でも気になるものです。 窓から差し込む冬の陽は今日はおだやかです。 籾を良く見ると殻から出そうになってるものもありますが、がっちりと衣を着て、大きさも優良児がおおいのです。 切磋琢磨の精米をうけても自分の殻をまもった優秀な君、籾殿。 なのか、 ひとりだけ殻に閉じこもり、みんなが文明開化を唱えるのに取り残された依怙地者め。 なのか。 解釈する人の心によって天と地の判断になるものです。 昼にまにあいませんよと妻から盆を持っていかれました。 さて為になったといわれる仕事に勢出しましょう。
2007年11月21日
コメント(0)
三大死亡原因はがん、心疾患、脳血管疾患の生活習慣病であり、その予防対策には、危険因子を明らかにすることが必要で、長期、継続観察で研究がおこなわれています。コホート研究という手法だそうです。 その研究で次のような事が判明したようです。 1、禁煙で肺がん死亡危険度が減少するが、非喫煙者並みになるには15-20年が必要。 2、コーヒーを飲む人は肝臓がん死亡が少ない。 3、魚に多い長鎖n-3脂肪酸を多くとる女性で乳がんの危険度が低下。 4、不規則交代制勤務では虚血性心疾患の危険度が増加する。 5、睡眠時間が7時間の人の死亡率が一番低い。 生活習慣病予防、研究方法と最新の知見の新聞記事より。 タバコはやはりいけないようです。がんや心疾患の危険因子NO、1です。20年の長生きして並みの人に追いつきます。
2007年11月20日
コメント(0)
偽物が横行する時代です。 検察官のダンボール担ぐ姿が恒例のニュースとなって嘆かわしいものです。特に食品の偽者の表示が多くなったのは遺憾です。 政治とか賄賂は中々真相がむつかしいですが、食品はクチの裁判所があるのですぐ評判になって判るはずですがこれも内部告発でしか表面化しません。食ってみても違いがわからないのです。 いわば、自分の会社が儲けるための最大の努力、つまり自社愛が何かを忘れた為に生んだ産物です。 何かとは企業の公的使命です。 信用は時時刻々の真心の積み重ねです。 偽物は不善、不善は巨大な積み上げた信用でも一時に崩してしまいます。 利益を上げて再投資を、従業者、設備にかけ、より良き製品提供を計ることが会社の使命です。 自社の利益を上げることのみ考えると代替でも、捨てるものをも金にしようとして真心のほうをすててしまいます。 もったいないと効率化の風潮を楯に「ばれないなら、害がでないなら」と信用を傘に嘘をついて儲けたようとします。 そして問題になったら責任転嫁を計る経営者もいるのは言語道断です。 こんな無責任な役職者が政治にも社会にも家庭にも多くなったような気がします。 たとえ関与してなくても、組織の中の不祥事は第一の責任をとらねばいけません。
2007年11月19日
コメント(0)
![]()
山陰は冬に突入。 夕べ大きな風が吹いていました。 洗浄して干していた実験用の炭のざるが濡れ縁にひっくりかえり大あらわ。 朝からみぞれが断続的にふっています。 紅葉見物も今年は終わりです。 コタツがほしい時期に急転直入。 膝が痛くて病院通いしてるつれあいは椅子がいいといいます。 椅子のコタツ検討してみます。
2007年11月18日
コメント(2)

笹りんどうのめずらしい家紋をみつけました。 お家に寄ってお話を聞き写真をとらしていただきました。 砂鉄を製錬した鉄山の子孫の方でした。 笹りんどうは源義経の家紋です。 ジンギスカンの鞍にこの笹りんどうがついていたので、義経が大陸に渡りジンギスカンになったという証とした推理作家の一文を思い出しました。 そこまでの関係はありませんでしたが、出雲のほうの鉄山経験者で、尼子の伯耆進攻について土着した末裔のようでした。 砂鉄のたたら探しはときにおもしろい発見があります。
2007年11月17日
コメント(0)
昔、温泉の近くに関所がありました。 伯耆から美作に越える、いわゆる作州越えをする諸人を取り締まっていました。 あるとき倉吉在のお百姓があわただしく駆け込んで、 「お役人さま、作州におりますおやじが永の患いで床のふせています。看病に行きたいと存じましてあわてて家をでましたため道中手形を忘れてきました。特別なお慈悲をもって通してやって下さい」 手をついて嘆願しました。 関所の役人は言葉を強めて、 「ここをいずこと心得ているか。藩の関所である。道中手形なくては通行相ならん。さっさと元の街道を帰れ!」 と怒鳴りました。 お百姓はすごすごと元来た道の方に帰ろうとしました。 すると関所の役人はまたとがり声をあげて、 「このうろたえ者めが、貴様はさっきこちらの方からやって来たのではないか。さっさと元の道の方に行け」 指さした方向はお百姓が願っていた作州の方角でした。 せちからのお話が飛び交う昨今、湯の関の昔話を関金町誌で読ませていただき湯上りの気持ちになりました。
2007年11月17日
コメント(0)
隠れ糖尿病があることを丸山先生がおしえてくださいました。 健康診断などで、糖尿病を見つけるために行われるのは普通は尿糖検査と空腹時の血糖値の測定だ。それでは食後高血糖は見逃される。 糖尿病の多くは、空腹時の血糖値は正常かやや高い程度で、食後だけ血糖値が急上昇する食後高血糖から始まる。 いわば「かくれ糖尿病」だ。 それが進むと、空腹時の血糖値も高いままの本物の糖尿病になる。 かくれ糖尿病には大きな危険が潜んでいる。 「グルコース(糖質スパイク}とよばれるしょくごの急激な血糖値の上昇が、欠陥の内皮細胞を傷付けて動脈硬化を進めることだ。 「食後高血糖は、それだけでも心筋梗塞や脳梗塞になり得るのです」と加来教授(川崎医大)の言を紹介し隠れ糖尿病を早く見つけて適切に対処すれば本物の糖尿病にならないとのべられています。 隠れ糖尿病は食後にでる、とあれば食い物の食材、料理の仕方にあります。もう一度身の回りを検討してみます。 同じ食材でも栽培方法から見直し、真の食材を生産地として育成するよう検討します。 糖尿病が治ったといってもいつ隠れ糖尿に引き込まれるかわかりません。 桑原!桑原!
2007年11月16日
コメント(0)
「世界糖尿病デー」が昨日11月14日でした。 国連で、「糖尿病の全世界的脅威を認知する決議」を昨年可決したそうです。 今や世界的有名な共通病になってしまいました。 ブルーのテーマカラーまであり、昨日は松江城もブルーのライトアップで記念イベントがあったようです。 東京タワー、大阪通天閣、パリのエッフェル塔もライトアップがあった模様です。 「青い松江城患者を激励」と新聞の見出しがでていましたが、はてどういうことなんでしょう。 「みんなで渡れば怖くない」心理のようにみえます。 もっとシビアに糖尿病になったら自分で治す決意を促すものがほしい気がします。 ここで丸山先生の健康歳時記を紹介します。 一昔前までは「いったん発症した糖尿病は治らない」といわれた。 今は違う。 生活習慣によって起こる2型糖尿病は、早期にきちんと対処すれば、確実に発症前の状態に戻せると、専門医が保障している。 対処法は適切な治療を受け糖尿病を発症させた生活習慣を改めると、発症前の状態に戻せるという。つまり、「糖尿病が治る」わけだ。 小生も「あなたは糖尿病です」とお医者さんに言われて、びっくりしましたが、「先生、治します。治った時乾杯に付き合って下さい」と緊張をほぐす意味もあって言いました。 しかし、若い先生冷ややかにこわばった顔でなんとも答えてくれませんでした。 やっぱり「糖尿病は一回かかったら一生なおらない」が本当かと思いました。 それから意地でも治ってみせると、パソコンで藁をもつかむ心で調べ、超ミネラル水に行き着き、野島先生に直接電話して指示あおぎました。 勿論、病院の先生の指示を守り、すりきりの玄米一膳めし、食べ終わった時に次の食事時間が恋しくなる想いの飢え、夜は1万歩の散歩を雨には傘、雪には長靴、晴れた日は星を数え毎日つづけました。 糖尿病が原因で次の段階の脳梗塞まで発症していたので、散歩の1万歩は容易でありませんでした。途中虚血状態がきて頭がふらつきしゃがみこみが何度かありました。 県立病院から、地元の医院に紹介転院診療を受けるようになり、糖尿病ではなくなったと告げられました。 治ったとは言わないです。習慣を元にもどせば、すぐ又発症しやすいからです。 「時々酒ぐらいのんだらどうです」とお医者さんから言われますが、迎え酒になってはと口にしません。 なにが効いたかじゃなく、総合要素のお陰と、治るという信念が今を迎えたとおもいます。 梗塞と糖尿診断受けてから丁度4年目です。
2007年11月15日
コメント(2)
花崗岩のなかに磁鉄鉱がはいっています。 この岩が風化して真砂になります。その中に砂鉄となって鉄原料として採集します。 中国山地は花崗岩帯で、往古より鉄採取がなされていました。 勿論当地も例外ではありません。 山奥に行くとタタラという鉄精錬のあとがあちこちにあり、金くそという製錬滓があり、真砂を削り取った跡が昔のなごりを忍ばせます。 この中で、花崗岩でない火山灰層が大山から流れてきていて、花崗岩がないところに金くそがありおおきなタタラの製錬跡があり、不思議に思っていました。 砂鉄を製錬するには、木炭が大量に要ります。 砂鉄と木炭の同じ重量を較べると量が倍半分になり運搬するには、砂鉄を炭のあるところに運んだほうが効率がよいと考えたようです。 砂鉄を採取する所と製錬するところを別にして、砂鉄を炭生産の場所に運びこみタタラ場の製錬をしたようです。 山奥の木が繁ってる所に炭を焼き砂鉄を運び込み、砂丘から採った砂鉄も逆に山に運びこみ製鉄したようでした。 牛で運んできて、帰りには製鉄を載せ街に運びました。 「砂鉄七里に炭三里」の謎解きで了解しました。
2007年11月14日
コメント(2)
大きな雷が昨日から断続的に鳴っていたと思ったら、あられがついにふってきました。大山も初雪があったと報じています。 季節がめぐるとやはり来るべきものはくるんですね。 血圧134、90 検診うけてきました。 お医者さんは上等だとほめてくれましたが、我が家の管理人は下が高いと不足ぎみです。 4年間食事栄養管理してくれたので脅威的回復があったと感謝しています。 腰まわりの寸法がたりなくなったズボンが、だぶだぶになるくらいやせました。 80キロ近くあったのが60キロまで落ち込んだんです。 最近また体重上昇気味ですので要注意です。 夜の就寝時間も段々遅くなりつつあります。 原点にかえり精進しましょう。 おやすみ。
2007年11月12日
コメント(0)
遠大な理想、日日の幸せも健康な体があっての事です。 空気、水は当たり前に存在するから特別に有難いと感じません。 もしなくなったらと感じたときにその偉大さを知らされるものです。 平成15年の4年前の11月11日の11時頃、救急車に乗せられ、幽冥界をさまよいました。 脳梗塞と糖尿病の診断受け、奈落の底におちる感じ、ちょうどエレベーターが急速に降下するような感じが何度も襲い、入院中もその襲来を恐れました。 孤独というものはこんなものかと思いました。 お医者さん、看護士さんが枕元にいるのに急に奈落の底がやってきます。 手を握ってもらっても、力強くベッドの端を掴んでもお構いなしで落ちていきます。 虚血状態が脳神経を圧迫するのでしょう。 糖尿病のビデオをナース室で10巻ほどを暇をみて学習が課せられました。その観覧中も奈落がやってきました。 今も考えると体が硬直します。 山の散策も出来るようになり、糖尿の薬もなくなり、食事も普通(玄米食)になりました。 あれは何だったんだろうと過去を思うこともあります。 一生を得た今、生かされた事へのお返しをこれから果さねばならないと思っています。 11時になって思いを新たにしたところです。
2007年11月11日
コメント(2)

天気晴朗気分爽快、リュック背負って裏山散歩。 麓の知人宅にたちよりましたら、こは如何に。 スズメバチの大きな巣が二階の窓の上にあり、働き蜂が出たりはいったり、おお怖! ふと見つけた神社あり、階段の手前にロープがはって通行禁止、またいで階段のぼり、神社の名前を確認しようと、仰ぎ見ましたら、鳥居の下の方の梁がはずれていてロープでつってありました。 見事な通し一本ものの石の材料です。柱も石材です。 右の方がはずれているでしょう。 物騒になって、名前もよくよめないで退散しました。 皇紀2600年記念だけはよめました。 どちらも一歩間違ったら、新聞の三面に小さく載るところでした。 桑原!桑原!
2007年11月10日
コメント(0)
翁が二人焚き火してた。 ちょろ、ちょろ消えかかったり、燃えかかったり。 中の芋のことで2人は議論した。 焼きあがったフーフーと熱い焼き芋のことを。 まだ焼けていないのに。 最初は阿吽(あうん)の仲良い分け前の議論。 次第に議論昂じて口角泡を飛ばして口論になる。 消防車が駆けつけてきて2人は驚いた。 焚き火の火の粉が裏山に燃え移っていた。 ひょっとすると街までやく大火になるかも知れぬぞ。 こりゃ大変。 こんな演劇を見るような今日の新聞ニュースです。 ゴルフ200回の仲間のお話が1億の横領話に進展して、しかもこれが軍事関連の事、官僚巻き込みに進展しそう。 年金、製薬、給水給油山積みの問題、ちまたでは誤殺、親殺、子殺絶えず。 泥船で天下とりを争ってるようにみえます。 脚下照顧、政治家も官僚も巷現象に目をむけてください。
2007年11月09日
コメント(0)
今日は立冬です。 心なしか夜の散歩の頬打つ風が冷たく感じます。 竹林拡大食い止めろ 先日森林組合が呼びかけて、ボランティア70人が集まり、伐採しクヌギを造林したと新聞報道をしていました。 全国的に竹林が急速に拡大して森林の荒廃に拍車をかけています。 遠望しても毎年竹が山すそから頂上にむけて拡大してるのがわかります。 筍もあまり食しなくなったのと中国からの輸入品に値段がかなわぬ理由で放置するのも拡大の原因です。 ボランティアも快く山を育てることが海を育てることと知り多く集まって汗を流してくれます。 地下茎を伝っての竹の繁殖力はすざまじく、春にはえた筍が年の暮れには成竹と同じ大きさに育ち、3年たてば1人前になります。すでに筍の段階で竹の節は全部できあがっています。 伐りとって野積にしておいては又それが厄介です。 炭にすると浄化効果、土壌改良等の秘力があります。 煙の中からは竹酢がとれこれも竹の生長ミネラルが含まれ、活力剤、入湯剤に有効です。 迷惑産物を活用できれば、短期間で再生できる天恵産物にはや代わりです。 資源不足に泣かされるわが国、特にいうがままのガソリン高には辟易しています。 風を電力にかえた英知を今度は竹に注ぎましょう。 竹が経済効果を上げると苦労が楽浪にかわります。 ボランティアにも労賃が払えます。 それには竹炭と竹酢の成分分析と使用法とその効用の確立こそ第一にしなければなりません。 官学に早急にやっていただきたいものです。
2007年11月08日
コメント(0)
なかなか覆水盆にかえらず、辞表撤回も大変のようです民主党の党首。 やはり、大将に第一線で戦いをさせたらいけないようです。 引くに引けないがんじがらめに身を苦しめることになります。 憶測が飛び、推理が重ねられ、同じような画面が何度も写され、本当に気の毒な感じがします。 民主主義は多数決できまります。 しかし、真理の結論とはかぎりません。 数を頼んで強行採決などの決議もありました。 衆寓が真理とならぬように気をつけるべきです。 その意味では、拮抗した与党野党の審議議論がなされ正解でしょう。 格好が少し悪いけど小沢党首座についたことは正解でしょう。 つらいけど男として頼まれたら今の人不足の民主党見限れないでしょう。 世界で通用する日本の政治をやってほしいものです。 反対ありきの論戦は与野ともに慎んでもらいたいものです。 よきはよき、悪しきはあしきで正々堂々ガンバってください。
2007年11月07日
コメント(0)
将に五危有り。 必死は殺され、 必生は虜にされ、 忿速は侮られ、 廉潔は辱められ、 愛民は煩わさる。 将軍には五つの危険な資質がある。 決死の勇気を持つ者は殺されやすく、 慎重で犬死を避けようとする者は虜にされやすく、 敵愾心の旺盛な者は侮辱に弱く、 清廉で潔白な者は恥辱に弱く、 人情に厚い者は心労がたえない。 将軍の資質で、物事の見方のみならず、気質の上でも柔軟性をかかさず、資質を正確に把握し、偏らずバランスの取れた対応が必要である。 孫子の兵法、(水野実解説)より。 与党の党首、野党第一の党首相続いて辞表を提出した将軍の資質を対照してみました。 民の求心力離反を憂い、世界に通用する政治から遠ざかるを憂います。
2007年11月06日
コメント(0)
![]()
お米の芯まで加熱、真空圧力炊きIH炊飯器 丸山先生は次のように結んでいらっしゃいます。 「それにしても硬くてまずい玄米には栄養素が豊富で、それを白く軟らかく、うまくすると栄養素が多くうしなわれてしまう。なにか意味深い話ではないか。」 圧力釜による炊き方によってとても旨い玄米のご飯ができます。 私は丸4年間玄米食を続けています。 玄米食の味に深みを感じています。 白米はたしかに舌触りはよいですが、平面的な感じがします。 だから短時間で沢山お腹にはいってしまうようです。 11月11日、脳梗塞入院、糖尿病まで病名うけました。 あれから4年目です。 血圧、コレステロール、血糖値、正常になりました。 只今糖尿病の手帳は不要で机の隅にしまっています。 習慣病ですので、元にかえらぬよう気をつけています。 再び転ばぬ先の杖は玄米とミネラル水という所です。
2007年11月05日
コメント(5)
健康歳時記の丸山先生の玄米礼賛を紹介させていただきます。 マクロビオチックとはとは「生命を大きな観点からとらえた健康法」という意味ですが、その主軸となるのが玄米です。 玄米の果皮層は栄養素の宝庫です。最初から完全なマイクロビオチックを行うのは難しいかもしれませんが、主食を玄米に替えるくらいは、簡単に出来るでしょう。 玄米の果皮質は栄養の宝庫です。 ストレスを和らげたり発ガン物質の生成を抑えたりするなどの働きがあるビタミンC。 赤血球や筋肉などの組織を作り、しぼうさんが酸化されるのを防ぐビタミンE。 体の組織を造り酵素系の働き、筋肉の収縮、神経の反応、血液の凝固などにも関係しているミネラル。 長の中をきれいにして、胎内から不純物を排出し、必要な栄養素を吸収する食物繊維など。 これを食べないという法はないでしょう。 がんのホリスティック治療で知られる病院の院長先生の言葉だそうです。 ちなみにホリスティック医学は全人医療ー「人間まるごとを診る医学」だそうです。 仮に胃がんであったなら、手術で胃を切除することをやる一方で、東洋医学、徳に中国医学のはり灸、漢方薬、気功、食事療法などを結集、総合的ながん治療をおこなっていられるそうです。
2007年11月05日
コメント(0)

博物館の自然ウォッチングサケの観察に参加しました。 去年にくらべ遡上が遅いらしくあまり観察できませんでしたが、漁業組合のおじさんが投網で取って見せてくださいました。 網をかぶせたら、押さえて石で頭をなぐりました。「かあいそう」と子供の声がしました。 ここから放たれた稚魚が大海に出てオーツク海、北太平洋と回遊して4年から5年で産卵にかえってくるといいます。 人工採卵、受精をして他の魚の餌となりにくい大きさまで育ててから放流するそうです。シッポが白いのはメスで卵を産み付けるために砂を掘るので色がはげるそうです。 又オスは鼻曲がりで、歯は川に入るときに生えメスをとりあうための闘争用だそうで厳しいものです。もう食物は食べないそうで、産卵がすんだら一生を終えるそうです。
2007年11月04日
コメント(0)
淀屋サミットが自治公民館主催で3回目を行ってるには驚きでした。 取り潰しにあってから、60年後にフェニックスの如く大阪の同じ地に再興を果したまさに再チャレンジの見本。 これがここ倉吉で暖簾を温めていた事実が判明しました。その地元の公民館の行事です。 淀屋研究会の佐藤正人氏、作家の新山通江の大物ゲスト、久々にスケールの大きいお話でした。 副題が世界に広がる淀屋 アントワープー大阪ーシカゴ。 いずれも淀屋の業績が世界におよぼした実績を知らされました。 幕末に忽然と大阪淀屋も倉吉の牧田家も表舞台から消えています。 謎が謎を呼び、新たな発見と発見が線になり事象となって新事実がわかっていきます。 維新への協力、考格天皇の母君大江磐代君の関連も加わり全容が明るくなっていきます。 稲扱千刃が再チャレンジのエネルギイになったのは、原料の砂鉄が得られたことと鉄穴流しの井手つくり技術が運河をつくり、水利の便をよくしたことにあります。 大學の地域学科の学生も献身的に設営、進行、紙芝居など協力していました。
2007年11月03日
コメント(0)
大写しでテレビ放映してる、亀田がメキシコに旅立ったニュースに続き法務大臣発言に驚きです。 死刑執行論、アルカイダ発言、今度はペンタゴン発言です。 「田中角栄先生の私設秘書になったとき、その時に私のような何も知らないペーペーにもですね、毎月ペンタゴンがやってきて、その、食事をご馳走してくれて、大変美味しい食事を毎月ご馳走になっとった。私なんか何もわからなくても、一生懸命色んな事を聞いとりまして、やっぱりアメリカは凄いなと。ペンタゴンなんか、そういう情報収集もの凄いな、という思いでございます」 「あの、何でもいいというので、当時私はお金がありませんから『鰻がいい』『てんぷらがいい』と、いつも言っておりました。私は一円も払ったことがありません」 真意はあるでしょうが立場、タイミングが悪い。 どうにでも解釈、批判されるような発言ばかりです。 むしろ沈黙が金です。 今日の速報では総理が民主党党首に連立政権の相談をもちかけ断られたようです。 安倍政権を引きずった混迷と評されても仕方ないでしょう。 だからといって民主党が政権とったらよくなるなど今の民主党発言、行動をみてると思いません。50歩100歩。 日本が世界に見放されるのではと危惧します。
2007年11月02日
コメント(0)
「感無量です」 日本シリーズの勝者中日の落合監督の言葉です。 53年ぶりの日本一をホームグラウンドで勝ち得たことはなによりでした。 好投続ける山井投手のパーフェクト記録を達成するかと思われた9回、チームのスタイルを優先して守護神岩瀬投手に替えました。 解説も迷いの選択だろうと言ってましたが、野球はチームプレイに徹すべしで、2人のパーフェクトになったようです。 日ハムも昨年の主力選手が脱落してもリーグ優勝を果たしたチームワークはすごいものがあります。 高校野球で頭角表したダルビッシュ投手がプロでも大活躍でしたが、1点に泣きました。 最高殊勲選手にえらばれた中日の中村選手の涙は千金の値、ダイリーグの陽の当る場所から歩をおろし、所属場所なく、テスト生からポストをつかみ今日の栄冠を掴んだ努力の人です。 勝つものあれば負けるものあり、試合は厳しいものです。 ヒーローを造り、悲劇の人をも造ります。 されど両方、明日があり、それに向かうから救われます。
2007年11月01日
コメント(0)
全31件 (31件中 1-31件目)
1