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ふる ふる ふる ふる 雪がふる・・・こんな詩を、みんなで群読した日のことを思い出すほど、雪は、降り続いています。庭は、もうすっぽり雪に覆われ一面の銀世界。昨日の松の木とは一変! 餌台も雪を高く積もらせて 桜の木の枝とつながってしまいました。札幌全域に雪が降った様で、路面電車の雪を払うために、今年初めて”ササラ電車”が出動したと、ラジオのニュースで知りました。ササラ電車へジャンプですから、今朝は大忙し!私の車は車庫に入れているのですが、イサムチャンの車は、ロードヒーティングだけで屋根のないところに置いています。今まで○十年雪かきなど縁のなかった私ですが、働きに行くイサムチャンのために、車の雪降ろしをしてあげました。高い屋根の部分の真中になかなか届かなくて、モヒカン刈りみたいになってしまいました。ガラスも凍っていて、こするのにも力が要るのです。結構時間もかかり、朝からすごく疲れてしまいました。車庫のありがたみが分かりました。でも、これから毎朝雪が降るたびにイサムチャンの車の雪降ろしをしてあげなければならないの?と思うと、どどどーんと更に疲れが襲ってきました。数日前のこんな光景が懐かしいです。
2004.11.30
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松に降る雪ついにやってきました!朝、カーテンを開けると,そこは雪の世界でした。前回は、ちょっとお試しに・・・という降り方でしたが,今日は一日中マイナス温度の真冬日とか。本格的な冬の到来のようです。ここまで書いていたら、なんとお日様がブラインド越しにまぶしい!このお日様じゃあ、雪を溶かすかもしれません。運転をすること,雪かきをすることを考えると,雪は歓迎しかねるものなのですが、眺めている分には美しいもの。風もなくお日様もまぶしいのに、しんしんと降ってくる雪。庭の餌台にも,雪は降っています。まだスズメも、他の小鳥も、来ていません。どこかで、雪がやむのを待っているのでしょうか?私も,雪がやんだらお散歩に行きましょう。と、思っていましたがいつまでもぱらぱら、しんしんと降り続いています。
2004.11.29
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街は、もう、クリスマスモード!ホテルで友人と待ち合わせ、ランチバイキングを楽しむことにしました。”10分前到着”を原則としている私は、もちろん1番乗り。ロビーで待つことにしましたが、あまりにもクリスマスモードで楽しい雰囲気。ついデジカメで写してしまいました。ロビーの真中に大きなツリー サンタさんも、二人仲良く並んで座っていました。あちらこちらと写していると友人が現れました。「あらら、こんなところで撮影なさっているの??」「素敵じゃない?」「あっというまに今年もクリスマスと思うと時の流れが速すぎて・・・」現役バリバリで働いている彼女はちょっとお疲れモード!時間にやや遅れて、もう一人が慌しく飛び込んできました。「ごめんなさい!遅れちゃって!」彼女は、私よりも早く退職して家庭に入ったのですが、そのとたん、お父さんお母さんが病に倒れ、ご主人も手術をなさり、介護のために辞めたのかと、思われるほどの大変さだったのです。今は、一段落していつもの明るい笑顔を見せていました。「いいわよ。まだ、ランチにはちょっと早いのですもの。」ロビーで、ひとしきりおしゃべりをし、もういい頃とレストランへ。お料理の多いこと、お味もとても爽やか!でも、食べるよりもついついおしゃべりに夢中で、ウェートレスさんに促されてお料理を取りに行く始末。教育から社会、趣味の世界から元同僚の近況など話は途切れません。あっという間に3時間がたち、一人が用事で帰らなければならず、重い腰をあげました。楽しい3時間でした。その間、イサムチャンは、地下のスパに入ってお食事をして待っていてくれたので、「おそくなっちゃった!」大慌てで、降りていきましたが姿はありません。呼び出してくれました。「あれ?もういいの?」ガウンを着て、ビールを飲んで、すっかりいいご機嫌になっているのです。「じゃあ15分後ね。」15分後ロビーに現れたイサムチャンは、サンタさんみたいな顔をして、しあわせそうでした。
2004.11.28
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JRに久し振りに乗りました。ホームで待っていると、旅支度をした色々な人が目に付きます。いつもの地下鉄とは一味違う風景です。JRで、のんびり旅をするのも楽しいんでしょうね。「ローカル線おいしい旅」「ローカル線温泉旅」著者 嵐山 光三郎 イサムチャンから勧められて読んだ本を、思い浮かべながらそんな時間的余裕が早く欲しいもの,息子が自立してくれないことには・・・などと考えておりますと、貨物列車が通過しました。ドドドン・ドドドン・ドドドン・ドドドン・・・長いこと長いこと・・・様々な色のコンテナを積んでいて、一つ一つ確かめ様としていると目が眩むほどでした。幼い頃、家のそばにも鉄道があって貨物列車は通っていましたが、こんなに長くはなかったと思います。そして、コンテナではなくて、みんな同じ箱型だったと思うのです。客車との違いは、窓がないこと出入り口が違うことではなかったかしら・・・そして、JRに乗ってまたまたスーツケースを持った人の多さに目を見張りました。新千歳空港からのお客様なのでしょう。観光客らしき人、ビジネスマンらしき人、通勤客らしき人、学生らしき人、気がついたのですが子どもが目に付きません。この3人組は、この人が上役でその次がこの人で、こちらの方はその下なのね。序列がはっきり態度に出ているグループもありました。この方たちは姉妹。同じようなベレー帽をかぶって同じような皮のコートを着ていらっしゃるけれど、顔の様子を見るとこちらがおねえ様なのでしょう。この方は、眉間に皺を寄せて暗い顔をしていらっしゃるから、何か辛いご用なのかしら?一人旅らしき人が多く、中年男性でも漫画の本を読んでいる姿もありました。そういえば、漫画が大人の生活に入り込んでいると言うのは本当だったのですね。私も、ブラックジャックとか、あしたのジョーとか、大好きな漫画も多いのだから、人のこといえません。でも、これはお可哀想。イサムチャンくらいの年齢に思われる、素敵なコートに身を包んだ男性が、缶コーヒーと、菓子パンを食べているのです。時間的にそれは昼食の様です。おやおや、身体に悪いですよ。奥様が見たら心配なさるでしょう。地下鉄では、本を読んで終わりなのですが、JRでは、人間ウォッチングを楽しんで終点になってしまいました。さて今日は、11月28日,Adventの第1週目です。さっそく1本目のローソクに火を灯しました。
2004.11.27
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『・・・かくある自分と、そうありたい自分像を重ねあわせ、お伽の形を借りて変形することでアンデルセンは自己を模索し、寓話的自画像を創作していた。・・・・』長島 要一 文 より抜粋生誕200年を迎える「童話の王様」アンデルセンのお話は、『一見子どもにも分かりそうな筋の話なのだが、実はほとんど全てが隠された自分史の一側面の記述だった。』『「人魚姫」のお話にも自信の抑圧された感情を儀式化して織りこんでいるのだ』とも、書かれていました。さて、私の人魚の世界への道は、水泳教室2回目を迎えました。今回は、ゴーグルも用意し、心にも余裕を持って臨むことができました。てきぱきと着替え、待ち合わせ場所に行っても人がいません。アレレ、場所間違えたのかしら?見回してもそれらしきグループはどこにもいません。一番早く着いたのです。それにしてもなかなか人が集まりません。先生が来て、挨拶をしているうちに少しずつ増えてきました。結果的には、17人いた1回目の参加者から4人も欠席が出ていたのです。それぞれ事情はあるのでしょうが。せっかく親しくなった人も来ていませんでした。でも、人類皆兄弟・・・と思っているので心細くはありません。練習が始まりました。間に10分の休みをとって、たっぷり2時間の練習。呼吸や手の動きはいいのですが〈と、自分では思っています。)キックがうまくできません。「ももキック・・・腿を動かしてね。」先生に言われ、頑張ってみるのですが、ちょっとずつしか進みません。どうも、膝下だけしか動いていない様なのです。レベル1、レベル2と進んできた人、更にレベル3やレベル4をしていた人たちは、腿キックがしっかりできています。まるで初めての私と、唯一の男性の二人は、腿キックがなかなか上手にできません。最後は、得意の背泳ぎだったので、少し気分的には救われました。更に、人魚の世界への厳しさを知らされることとなった2回目。アンデルセンでさえ、かくある自分と、そうありたい自己像を重ね合わせているのですもの、私だって『そうありたい自分=人魚』を、夢見て練習に励まなくちゃ。「散歩だけじゃ駄目だよ。エアロバイク漕ぎをしなさい。腿を鍛えられるよ。1日30分でいいから。」またまた息子のアドバイス。騙されたと思ってやってみましょうか。
2004.11.26
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著者 嵐山 光三郎 「題名が恥ずかしいから、借りてくるのいやだよ。」「そんなことないよ。面白い本なんだから。」イサムチャンの希望で図書館から借りてきてあげました。注文書を出すときも、受け取るときも、ちょっと恥ずかしい本でした。しかもこれだけではないのです。「不良中年・・・」は、シリーズ化していて何冊かあるのです。これからも、図書館から「届きましたよ」と、電話が入るたびに受け取りに行かなければなりません。ああ、恥ずかしい!「はっはっは。」「ねえ、ここ読んでみてごらん。なかなかいいよ。」「いやだよ。」「まずは、読んでみて意外といいことかいてあるんだよ。」強引な勧めで仕方無しに読んでみると、なるほど題名からは考えられないほど,しっかりと書かれている部分もある本でした。仕事から帰って、夕食後、ワインでも飲みながらくつろいで読むのには楽しい本の部類に入るのでしょう。「不良中年は、色っぽい」なんて題名なのにちっとも色っぽいとは思いません。結構硬派な本だと思うのですが。「不良中年」は、楽しい・・・の中で、不良と非行の違いについて書いてあったりして、なかなか愛嬌のある不良おじさんの本です。色っぽいという点でいえば、今私が次々読んでいる藤沢周平の本に出てくる女性達は、ことごとく色っぽくしかも凛として美しいのです。山本周五郎の本に登場する女性達も、健気で優しくかつ色っぽいと思います。ほとんど色っぽいなどと言う言葉は使われていませんが、二人の小説家を見ても、自立していて色っぽい女性は男性の憧れなのでしょう。それで、不良中年は色っぽい・・・などと題名をつけたのでしょうか。ロマン・ロランの、「魅せられたる魂」に出てくる女性は、私の憧れの人、人生のお手本でもあります。雌牛の様に逞しくそれでいて女性らしさを失っていないのですもの。イサムチャンも、嵐山 光三郎も、色っぽさに憧れている中年で、不良にはなれない部類じゃないかしら???昨日の午後、妖しい雲を見ました。イサムチャンも人生も半ばを過ぎ、こんな雲のように妖しいものに惹かれるときなのかも知れません。
2004.11.25
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Advent・・・クリスマスの4週前の日曜日〈今年は11月28日〉から、クリスマスの前日〈イブ)までが、クリスマスを迎える準備の期間。Adventアドベントとは、「到来」という意味で、日曜日ごとにキャンドルを1本ずつ灯していきます。4本全てのキャンドルに灯がつくと、クリスマスです。「罪の償い」や「純粋、新しい門出」を意味する紫や白の花を用い、バスケットにアレンジしました。リースやツリーなど家のあちこちに飾るのは、12月の第1日曜日と決めていた我家ですが、新しい風習が1つ加わることになりました。1週間に1本ずつ火を灯していく、なんてロマンティックなんでしょう。それまでお花が持つように工夫が必要のようですが。息子が大好きだった絵本1ねんで いちばんうれしい夜 作・絵 岡本 颯子ポプラ社きつね君が、輪切りにした丸太にクリスマスまでのよていひょうを書いたように、私も、年末までの予定表を作って、ゆったりとクリスマスとお正月の準備をしましょう。こうして、四季折々、家の中を和やかにしてくれる行事を、積極的にとり入れて楽しむ余裕は、平和だからこそ・・・と、感謝しながら。
2004.11.24
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「ボジョレー・ヌーボー買ってきてあげましたよ。」「ちょっと高かったんだけどね、飲み比べたら、これが一番美味しかったんだよ。」「日頃お世話になっているので。」昨日は、いい夫婦の日でした。それを知ってか知らずか、とにかくワインを、買って来てくれたイサムチャン。酢豚に、バジルとトマトとガーリックたっぷりのパスタに、サラダを用意していた夕食。そこにワインが加わり、柿とロールケーキも並べて、ちょっと大人っぽく変身。いい夫婦にふさわしいテーブルセッティングができました。もちろん息子は、牛乳にご愛用のキャロットジュース。なかなかよろしい組み合わせです。さっそくワインのコルクを抜き、まずは私に注いでくれました。「どう?」匂いを嗅いでみました、ふくよかな芳醇な香りともいうのでしょうか、「いい香り!」そして口に含んでみると・・・確かに、じっとりとした味わいがあるのですが、残念、私には辛すぎるのです。ごくたまに、お付き合いで飲んでも酔ったりはしませんし、具合が悪くなることもありません。でも、アルコール類を美味しいと思って飲んだことがないのです。飲まなくても、酔った人と楽しくお話できるのですから困ったことはありません。せっかく買ってきてくれたイサムチャンには、申し訳なかったのですが(嬉しかったかもしれません。)結局ほとんどイサムチャンが飲みました。食後、イサムチャンは、気分よさそうにソファにごろりと横になり、大好きな本を読んでいました。「お父さん、飲みすぎだよ。お母さんも止めてやらないと病気になっちゃうよ。」息子に叱られてしまいましたが、今晩くらいいいでしょう。「いい夫婦の日」なのですから。いい夫婦とは、どんな夫婦なのでしょう。我家のように言いたいことをしっかり主張し合う夫婦。お互いに一番の友達のように思っている夫婦。新聞の記事一つをめぐっても議論し合うこともある夫婦。小津安二郎の描く映画のような静かな家庭では決してありません。それでも、まあまあ今日まで楽しく過ごせたのですから、「いい夫婦」と、イサムチャンに感謝しなくちゃ。
2004.11.23
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柿食えば 鐘が鳴るなり 法隆寺柿は、秋の季語です。いちごもみかんもりんごも、すいかでさえも年間を通して食すことのできる時代ですが、柿はどういうわけか、この季節しか食べません。北海道にも季節はずれでも柿を売っているところがあるのかもしれませんが、我家では柿は秋の食べ物なのです。昨日、従兄から富有柿が送られてきました。とても大きな富有柿です。比較のために卵を置いて写してみました。こんなに大きいのに味も、もちろんとっても美味しい。変に甘くなく、しっかりと中身が詰まっていて、一個で3人のデザートになるくらいです。大きな種も入っています。「柿ってこういうものなんです。」と、主張している様な、がっしりと骨のある〈骨はありませんが)柿なのです。この従兄とは、幼い頃に一度しか会ったことがありません。すらすらと似顔絵を描いてもらい、すごく驚いた記憶があります。9人兄弟の末っ子だった母のお兄さんの子ども。そしてその叔父は戦死してしまい、彼は写真の父しかしらないのです。一年に一度の交流が始まったのは、私の母が亡くなり父が亡くなってから。きっとそれまでは、父や母と交流をしていたのでしょう。私とは、年賀状だけでした。一年に一度、産地の名物を交換し合う、そしてお礼を言い合う、それは、決してお義理にということではなく、空白だったお互いの距離を埋め合う儀式の様に思っています。北海道を離れて暮らしていても、ふと懐かしくなることがあるでしょう。そんなときに、少しでも身近に思える人がいたら少しは嬉しいのではないでしょうか。私達は、従兄妹に女の人が多く女だけの従姉妹会を、時々開いてきました。今度、なにか機会があったら全員の従兄妹会も楽しいのでは・・・柿を見ながら、思っています。
2004.11.22
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一人の少年を知っています。生まれつき耳の聞こえが悪く、先天性両側感音性難聴と診断され、1才2か月から補聴器をつけていたそうです。幼稚部3才までは、聾学校に通い発声の練習をし、その後、普通の幼稚園、地元の公立小学校と進んできた子どもです。もちろん、4才からもずっときこえの教室などに通い、地元の小学校に入るためにご両親が並々ならぬ努力をしてきた結果のことなのです。小学校に入るにあたって書かれたご両親の要望書は、子どもへの愛に満ちた分厚いものでした。「姉と同じ、地元の小学校で学びたい。」そんな少年の思いを熱い言葉と、詳しい資料で綴られていました。彼が、普通の小学校に入学することは本人はもちろん、ご家族にとっても引き受ける学校にとっても未知のことであり不安な部分も多々あったのです。その少年の小学校最後の学習発表会がありました。舞台の上で、伸び伸びと台詞を言う彼がいました。全員合唱のときには、一点に集中して大きな口で歌っている姿がありました。その周りには、楽しさに笑い、喧嘩して泣き、6年間共に過ごしてきた多くの仲間達がいました。6年間の歩みの中で、本人のそしてご両親の願いが少しずつ実現し、大学生のボランティアによるノートテイクも、間もなく始まるそうです。牛歩の歩みと思われるかもしれませんが、社会のバリアフリーを願う私には、とても大きな歩みです。・・・「きこえないから」と、言い訳をしてしまいがちですが、、“きこえない“ことへの甘えは絶対もってはいけないと思います。きこえないのならきこえないなりにどうしたら良いのかを一緒に考え身につけていくことが必要で、きこえるきこえないにかかわらず的確な行動ができるようになれば、発音が悪くて一度で話が聞き取れなくても、コミュニケーション障害は克服していけると思います。・・・・6年前のお母さんの文章の一節です。聞こえないことから来るコミュニケーション障害は、本人と周囲のちょっとした努力で解決していくことができるものです。先日のドラフトで、生まれつき耳がほとんど聞こえない石井裕也投手が、中日に指名されました。とても勇気付けられる話題でした。忍足亜希子さんという素敵な女優さんも難聴です。忍足亜希子主演映画これからの中学生活にむけて、お母さんの心配はつきません。でも、彼は耳が聞こえないけれど、他の子よりもできることはたくさんあるのです。彼が周りの人々に与えていることも計り知れないものです。中学校では、もっと大きな困難が待っているかもしれません。でも、自分から積極的に仲間に働きかけていく元気さを失わないでいて欲しいと願ってやみません。6年間の彼の成長に、それを支えてきた先生たちと仲間達に、大きな拍手を送りながら、目が曇るのを押さえられませんでした。
2004.11.21
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息子の高校の三者懇談がありました。少々緊張して、早目に出かけたので早く着いてしまいました。では、本でも読んで待っていようと思いましたが、とってもいいお天気です。外でちょっと頭を冷やそうと出てみますと、雲ひとつない青空が広がっていました。青空を眺めていると、なんとなく気持ち良く懇談に向かうことができました。教室の前の椅子に座って待っていると、息子登場。「お母さんの声は、大きすぎるから小さめにしてね。」「何度も、はい、と言わなくていいからね。頷くだけで十分だから。」お舅さんのように、注意をするのです。そして、いざ懇談。一方的に話される先生のお話を聞き、軽く頷く程度にとどめていました。「おうちでも勉強しているでしょう?」と、聞かれたので、「いいえさっぱり・・・」と言おうとしたのですが、息子の足が伸びてきてつつきます。仕方がないので、「い・・そうですね。疲れるのか、寝ることがすごく多いのですよ。」「そうですか。それは疲れますよ。眠れて幸せですよ。僕なんか眠れなくなりますからね。・・・・・」先生も大変な思いで教えていらっしゃることをお聞きして、懇談は終わりました。高校生なのですもの、具体的なことは最終的には自分自信で決定していかなければならないのでしょう。夕食時には、家族3人での三者懇談。これは、学校でのようにスムーズにはいきませんでした。大筋の部分では親子一致しているのですが、親の思い・子どもの思い、ちょっとした小さな違いが大きな論点になるのです。イサムチャンも頑固ですが、息子も輪をかけたくらい頑固。私は、呑気。子どもにはもう少し頑張って欲しい気持ちはありますが、先生にもちょっと誉められ、息子なりに考えた道を進もうとしている今は、聞く耳を持たない状態なのではないか、と思うのです。18才の頭で考えていることは、決して最高とは言えないのです。経験を積んだ親の意見も謙虚に聞いて欲しいと願っていますが、それは、もう少し後で、落ちついたときにゆったりと話してみたいと思っています。これからの人生、光もあれば陰もあるのです。松ぼっくりも光と陰のなかにありました。こんな光と陰もありました。これは陰が多すぎですが。安易な道を選ぶのではなく、少々の苦しみを乗り越える経験をして、次のステップに進んで欲しい。陰の部分を知ってこそ、光のありがたさが分かると思うのですが。子育ては親育てでもあります。
2004.11.20
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「カヌーやりたいね。」 「そうね。楽しそうね。」と、答えながらも,心の中では本当にすることになったらどうしよう、とドキドキしていました。 背泳ぎ25mしかできない私なのです。ドボンと川に落ちたら,背泳ぎなんか何の役にも立たないことは,海で泳いで溺れかけて十分に分かっています。 仕事を辞めると決めたとき、急に暇になってボケたら困るからと言って息子が1週間のスケジュール表を作ってくれました。(自分の学習スケジュールを作った方がいいんじゃない。)心の中でそう思いながらもありがたく頂戴したものです。 その中に,水泳を習うことが入っていましたので,近くの温水プールに通うことにし,申し込みに行きました。でも,新築になるのでと待たされて,ようやく実現しました。 昨年買った水着も試着し、持ち物やお化粧を落とすなどの注意事項をしっかり確認し、準備万端整えて行きました。 息子から「おばさん達は,結構グループで来ているから,一人ぼっちかもしれないけれど,最初は控えめにするんだよ。」などと余計な注意を受けていましたので,いつも控えめなのにもっと控えめに,集合場所に行きました。「えっ?ゴーグル持ってきてもいいんだったの?」 何気なく集まった人達を見ていた私は,思わずつぶやいてしまいました。「あら,ゴーグルなくて泳げるの?」逆に言われ、「売店に売っているわよ。今なら,まだ間に合うわよ。」と、親切に言ってくれる人もいました。 でも,私は飲み物代のコインしか残っていなかったのです。 しかも,ゴーグルは家にあるのです。それよりも何よりも,静かに待っている人たちの中で、つぶやいたつもりの自分の言葉が予想以上に大きく聞こえたことが、とてもはずかしかったのです。 きっかり時間通りに先生はやってきました。お花とは大違いです。挨拶もきびきびと気持ちがよく、大きなプールの中でもしっかりと声が聞こえてきます。さすが体育会系!「初めに聞きますが、いままでに水泳を習われていた方はいらっしゃいますか?」先生の質問に,なんとほとんどの手が上がりました。 17人中、私と定年退職者らしきおじさん2人以外,みんな経験者なのです。ここはレベル3のコースなのですが,今までもレベル3だった人,レベル4まで進んでいたのに時間が合わなくてもう一度このコースをという人までいるのです。レベル2からきた人はほんの数人。 板キック,面かぶりクロール,背面キックと練習は進みました。2時間は,あっという間。ゴーグル無しでも,ぜんぜん問題なし。名前も聞いていませんがお友達もでき、人魚の世界に一歩踏み出すことができました。 最後の挨拶が済み,帰ろうとすると「練習していかないの?」と、声をかけられました。「みなさん練習していらっしゃるのですか?」「復習しておかないと,来週辛いからね。」 でも,私には用事があり残念ながら練習に参加することができませんでした。 家に帰ると,身体がぽっぽと火照ってきてだるくて眠くて風邪を引いたのかしらと熱を測ってみましたが、熱はありません。2時間の水泳が,なまっていた身体にはこたえたのでしょう。 こんなことでは,人魚への道は遠いかも・・・
2004.11.19
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自らの思いを色々な形で表現する人たちがいます。以前職場でご一緒になった大先輩で,大変お世話になった方は,絵がとても好きな人でした。彼の描く絵に刺激を受け、学ばせていただいたこともとても多かったものです。「個展を開きますのでいらしてください。」との案内状をいただき,水彩画を続けている友人と出かけました。 今より少し前の紅葉の頃の豊平川の奥の方の清流でしょう。ガラスにフラッシュの光が入り、うまく写せなくて何度も撮りなおしましたが、水音が聞こえてきそうな絵でした。北海道の人気スポット、”小樽”の中心からちょっとはなれた運河の冬景色。淋しく春を待つ気持ちが伝わるようです。他にもたくさんありましたが,画像の倉庫がいっぱいで整理しないと入れられなくて,後からまた入れたいと思います。 入れました。これは,赤レンガの北海道庁前の風景です。雪景色ですがなんとなく明るい感じがしますので,春の雪融けの前頃でしょうか。今までも,色彩の明暗,季節感などを追及してきた先生ですが、他にも鎌倉彫りの作品などの小物が置かれ,多才さが伺われました。70才を記念しての個展とのこと。奥様と仲睦まじく、ギャラリーにいらした人をお二人で交代で案内している姿は,とても若若しく感じさせられました。自分を表現できる場をもたれたことの充実感があふれ,若さを維持していらっしゃるのでしょう。個展とはいわないまでも,これだけは・・・というものを追求できる人生はいいもの・・・とつくづく考えさせられました。山本 正義 油彩画 個展 にて
2004.11.18
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札幌は、半年近く雪に覆われてしまいます。まだ冬将軍はやってきませんが,もうすぐ白一面の世界になってしまうことでしょう。ですから,室内に緑やお花は欠かせません。どんなに忙しい仕事人間だったときにも,それだけは心がけてきました。水遣りも週に一回くらいしかできなくても,主人の希望に応えすくすく伸び緑を楽しませてくれた色々な観葉植物達。伸びすぎて天井まで届いてしまったものもありました。花や緑には,心を癒す力があると思います。Fan 「おうぎ」という意味です。今、玄関のフロアを飾ってくれています。何度か挑戦してきて、初めてイサムチャンに誉められたお花です。「これはいいね。」だけでしたけれど。赤いお花が好きなとき,白いお花が好きなとき,ブルーのお花が好きなとき・・・その時の気持ちで好きな色が微妙に変わってくるのは何故なのでしょう。きっと心理学的に解明されていることなのでしょう。長い冬ですが,家庭の中には好きなお花で明るく和める雰囲気を作っていきたいものです。
2004.11.17
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露天風呂 サウナも風呂も 独り占め季語が入れられなかったもので俳句にはなりません。 昨日、支笏湖に行ってきました。先週超多忙だったイサムチャン(毎日、超多忙だと思いますが)、昨日はお休みだったので2週間も前からホテルに予約を入れていたのです。本当は泊まりたいのですが,息子がいるので我慢我慢。ご入浴とお食事のセットプラン,予約が要るところなのです。「何時に出発できる?」「10:00には,全てすませられるよ。でも何時でもいいよ。」「じゃあ、ちょっとゆっくりしたいから,10:30出発ね。」と、言うことで私は朝早くから,ちょこまかと働き大慌てで家事を済ませ、散歩もし、ブログまで書き終わりました。でもイサムチャン、さっぱり動き出しません。新聞の次は,本、そして,仕事まで思い出してFAXを送ったりしているのです。イサムチャンの休養で行くのですから、ま、いいでしょう。今までだったら許せないと思ってしまうところでしょうが、母のように優しくなった自分に驚いてしまいます。着いたときには,もう昼食の時間。いつもながら落ちついた雰囲気のロビーで食事が用意されるのを待ちました。ゆったりとさりげなく置かれた調度品が好みのもの。 こんな置物がおける空間を、我家にもどこかに作らなくちゃ。まずは,不用品の整理から・・・などと考えているうちにお食事が用意され,食堂へ。お昼から,こんなに贅沢していいの?ちらりと息子に作ったお弁当を思い浮かべながらも,美味しく全部いただきました。残念!写すことなどすっかり忘れていました。そして,お風呂!誰もいないのです。広い温泉ですのに。古代檜の湯船では,危うく滑って転びそうになりましたが,大丈夫。誰もいないのですから。そして露天風呂。寒いのですが温かい。周りを取り囲んでいる木々は葉を落とし,後は雪を待つばかりという風景でした。でも,こんなに寒いのに,小さな薄茶色のチョウチョが1羽ヒラヒラ飛んで来てしばらくあちこち止まって飛んでいきました。次には大きな鳥が飛んできました。何かしらと期待していると「カアー!」夢が壊れる~イサムチャンも一人で入っているのでしょう,と思って,男湯の露天風呂に,小石を一つ投げ入れてみました。残念,反応なし。サウナももちろん一人。贅沢な温泉でした。満足満足。「ねえ,こんなにお客さん少なくて,潰れちゃったりしないよね。」「大丈夫だよ,隠れ家風別館まで建てているんだから儲かっているんじゃないの。」帰り道、支笏湖は厚い雲に覆われて薄暗く波打っていました。恵庭岳は,上空が雲に隠れ全体もうっすらとしか見えなくてとても美しい。はっきり見えない方が美しいこともあるものです。
2004.11.16
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1瞬たりとも同じじゃない空。今日の空は,昨日と違う空。今の空は,さっきと違う空。こんなにゆっくりと空を見上げる喜びを知ることができて幸せ!筋のような雲 散歩の途中に見上げると、雲が筋になっていてその真中を1本の雲が太く貫き,魚の背骨の様にも見えました。しばらく歩くと枯れ木と空が一つになって、両方が引き立てあって美しい。 赤い実はナナカマドの実でも,石塀沿いに歩いていると、隙間からしゃにむに出てきている元気な緑も素敵。 きっといつか取り去られてしまうのでしょうが,枯れてきているものの多い中で,緑の小さな草はほっと和ませてくれる小さなオアシスのようでもあります。こんなにゆったりと雑草を眺める余裕、みんなが持てるといいですね。里山を手入れする人がいなくなり,キノコが少なくなったとか、炭の輸入をストップさせられて,日本国内でも自給できる様に対策を進めているというニュースを聞くたび思います。効率一辺倒だった社会を見なおさなくちゃいけないのですね。炭を焼いている人が生活していけるような条件を満たしていくことがなかったから,日本国内の生産が減ってきたのではないでしょうか。などなど考えて歩いていてふと見上げましたら、青空とマンションいつも見ているマンションが青空と光の中で、パキンと輝いてみえました。大好きなプラタナスの葉は,みんな切られてしまったけれど、この道も好きな道。プラタナスの葉が茂っているときが一番いいのですが。 忙しくても,辛いことがあっても、昼でも夜でも,空を見上げるって,すごく人間的なことで元気をあたえてくれるものなのだと思います。昔の人は,空から色々な情報を得て生活していたのですもの。見上げてごらん 身近な空を!
2004.11.15
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夜に開くお花!昼は閉じていて、夜になると開花するなんて少し神秘的なお花です。夜は,早く寝てしまうから見られない!と思っていましたが、夕方になるとどんどん匂いがきつくなってきましたので,6時半頃一応お花をのぞいてみました。わお!お花がちゃんと開いていたのです。幸福の木のお花 幸福の木の「花は夜開く♪」裏側になっているところでしたので、初めて見ることができました。今までお花だと思っていたのは閉じている状態だったのです。あまり美しくないわけです。「幸福の木のお花だよ。真っ白のお花が開いているの。ちゃんとお花らしくふわっとしていてとってもきれい、すごく綺麗だよ。花嫁さんのブーケに入れたくなるくらいなんだよ。」これだけ言ってもイサムチャンも息子も、「匂いが強すぎるよ。」「日本人ならもう少し爽やかな匂いがいいね。」などと見に来てもくれません。しつこいけれど、比べてみました。昨日の明け方のお花「ハワイの代表樹」ハワイの夜は長いので、皆さんこの匂いとお花を堪能なさっているのですね。今春は,強烈な匂いを放ち、わさわさ茂った葉の下でその存在に気がつかないうちにものすごくたくさんの数のお花を咲かせ、べとべとの液体を残し枯れていました。床に,その蜜を見つけて気がついたのですから。きっとさぞ美しかったのだろうと思うのですが、仕事が忙しくて忙しくてそばに近寄る暇もなかったのです。もったいないことをしてしまいました。今も,日暮れと共に咲いています。それにしても今秋は狂い咲きのお花が多く目に付きます。我家のクンシランは,また花をつけ始めましたし、ツツジは咲いているし。何か地球上の自然変化の兆候でしょうか?
2004.11.14
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「明日の朝は、雪が降ります。」昨日の予報。朝起きて、カーテンを開けてみても雪はなし。眺めているうちにホンのぱらぱら降りましたので,ちょっぴりだけ当たりということでしょうか。 空は,お日様も出てきたようでうっすらと明るくなりはじめました。 気持ちの良い1日の始まりです。お弁当を作って,朝ご飯も作って,準備万端なのですが誰も起きてきません。新聞を読んでいると,まぶしい光がはいってきました。お日様が照ってきたのでしょう。写すことできるかしら???と思いながら,試にとシャッターを押してみました。あまり美しくありませんし,右上の光はなんでしょう?お月様?でも,お日様はとにかく写っていました。何事もチャレンジが肝心の様ですね。朝日と夕日はまるで違う光だとか,日中の光も違うということを先日ラジオで言っていました。何がどう違うのかも言っていましたが詳細を覚えていないので書けないのが残念です。お料理をしながら聞いていたのですから。〈言い訳)でも,詳細に書けることもあります。先日書いた「幸福の木のお花」どんどん匂いがきつくなるのです。しかも夜にかけて。これは,調べて分かりました。幸福の木の花は夜開くこれは夜明けの花Dracaene Fragrans cv "Massangeara"「ドラセナ・フレグランス・マッサンゲアナ」と言うのが正式名。ハワイの代表樹で,ハワイアンティーとも呼ばれ,「家の前においておくと良いことがある」というハワイの言い伝えからこの名前がついたそうなのです。Massangeana・・・と言うのが幸福の木という意味。Fregrans・・・というのは、お花の香りが良いという意味なのだそうです。花は昼はしぼんでいて夜開いているのだそうで,夜に匂いがきつくなるのは,そのためなのでしょう。残念なことに,夜は多忙で早寝な私,開いている瞬間を撮ることができるでしょうか。自信ありません。良く見ると水たまりみたいなものが見えると思うのですが、とろりとしていてなめるととても甘いのです。密なのでしょう。お天気だし,幸福の木のお花は咲いているし,よいことがありそうな1日の朝の始まりです。
2004.11.13
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「ぼくは、もう何でもお母さんの言うなりになる年頃ではないんだよ。わかってね。」諭す様に,息子に宣言されてしまいました。 まだ,書棚の上にはゴジラ達を飾り、他のものに代えようとすると「そこは,そのままにしておいて。」なんて言っているゴジラが大好きな子どもなのに。初代ゴジラの特別上映会などゴジラ映画も一緒に見てきたのに。「受験生というものは,ナイーブでちょっとしたことでも身体に変調をきたすものなんだから,栄養管理は頼むね。」「最近,頭痛がしたりもするからノーシン持っていくよ。」自分が受験生で,大変な状況にあることを強調し,同情を引いたりもします。でも,お笑い番組を見て大笑いしたり,勉強よりも筋トレに力を入れている様子を見ると、小言の一つや二つ出て当たり前だと思うのです。何を言われようが,母として言うべきことは言わせてもらいますが,少年から青年へと成長してきていることは確かな様です。 サンタさんにもらったこのゴジラは、希望のゴジラではなかったとしくしく泣いていたのが、つい先日のことのように思い出されますのに、子どもの成長は,早いものです。
2004.11.12
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「ピーナッツは双子なので今日は,ピーナッツの日ですね。」 朝,家事をしている耳にラジオから聞こえてきました。そうだったの?始めて知りました。 しばらくすると、「今日は,折り紙記念日なので,世界最大の折り紙記念館では・・・」というニュースも聞こえてくるではありませんか。アララ,11月11日は,1が4つも並ぶから色々な記念日なのね。 そう言えば,平成11年11月11日にも、盛り上がったことを思い出しました。その午前11時11分には、みんなで時計を見つめていて「やったー!」なんて叫んで,その11秒後もまた、「1が12個並んだ!」と、大騒ぎしたものです。何の意味もなかったのですが単純に喜んでいました。 一体,今日はどんな日になっているのでしょう。他にもありそう。調べてみました。あることあること,私の調べただけでも19もありました。 1、ピーナッツの日 2、おりがみの日(1を4つくっつけると正方形だから) 3,電池の日(+とーだから) 4、鮭の日(圭を分解すると+-+-だから) 5,靴下の日(ペアの靴下を並べると1111に見えるから) 6、ポッキー&プリッツの日(わかりますね。) 7、サッカーの日(これも明解) 8、配線器具の日(差込口が11に見えるから) 9、煙突の日(以下15までなんとなく分かりますね。)10、きりたんぽの日11、かりんとうの日12、モヤシの日13、ライターの日14、下駄の日15、磁気の日16、チーズの日(詳しく書いてありましたが省略)17、ジュエリーデー(同上)18、西陣の日(これは,帯に関係?) 19、世界平和記念日 唯一,これこそ記念日と言えるものでした。1918年第1次世界大戦が終結した日で,ヨーロッパ各地ではこの日を祝日にしている国も多いのだそうです。 でも、今もイラクでは,戦争が続いています。ファルージャでは,総攻撃が行われ、民間人も巻き込まれたり,家を失ったりしています。 イラクの人たちにも「ポッキーの日だって!八ッハッハ」と笑える平和な日が1日も早く訪れます様に! 新潟県中越地震被害者の皆様にも、雪が降る前に穏やかな平和な日々が訪れますように! ※追記・・・1111でわんわんわんわん,ワンコの日でもあると、教えていただきました。これで20です! こんなにいっぱいある日、他にもあるのかしら??
2004.11.11
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水と砂と・・・子どもを遊ばせるときに,まず必要なものは「水と砂」と教わった記憶があります。へレン・ケラーも,水遊びをしていてサリバン先生に「Water・水」を,掌に書いてもらうことから言葉を文字を覚えたのでしたね。水を触り水を眺めることは、幼い子どもだけではなく私にもほっとさせてくれること,好きなこと。上の池は、近所の小学校の中にあり散歩で時々立ち寄るところの一つ,昨日の散歩でも行ってきました。隣の公園でもなくて、小学校の校地内に池がある、校舎とグランドの中間にある池なんて今ではもう信じられないくらい優雅な学校だと思っています。水道代がかかりすぎる・・・なんて言わないでください。水は,こんこんと涌き出ているのですから。 橋の真中あたりから湧き水が出ていて,波紋が広がっています。ここで,涌き出てくる水をじっと眺めていると無心になり安らぎを覚えるのです。木に囲まれている池なので落ち葉がたくさん浮かんでいました。水の中でも美しく!まだきにしがみつき残っている紅葉もとても綺麗!写真を撮ることを許可してくれた用務員さんが二人で,落ち葉をはいて集めていましたが「切りがないよ、もうやめよう。」その気持ちものすごくわかります。公園に作業に来る人が持っている落ち葉を集める装置のついた車が必要なくらい,でも,それでも間に合わないでしょう、と思うくらいたくさんの量なのです。でも,落ち葉って自然に戻るものじゃないのかしら?下は土なのですから集めなくても良いのでは・・・そんなことをのんきに言っていられない時代なのかもしれません。さて、我家の落ち葉もせっせと掃かなくちゃ。
2004.11.10
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「ツピツピツー」「ツツピーツツピー」(正直に言うと,はっきりとそうは聞こえませんでした。『ツピー』が重なって入り混じっていました。)洗面所で鏡に向かって真剣に眉毛を整えている最中に,庭の方からとても賑やかな声がしてきました。私の知っているすずめでもヒヨドリでもツグミでもない鳴き声。もちろん,アカゲラやカラスやニワトリでないことくらいも分かります。そういえば昨日も聞こえていたけれど,読書に夢中で声だけ耳にしながら姿を確認していなかったっけ。微妙な眉毛のお手入れ中だというのに気もそぞろ。速く見に行かなくちゃ!気ばかり焦ります。ちょっとここを薄めに、と思っていたところに「えい」と気合を込めて眉バサミを入れました。そして眉用の櫛をはずして仰天!眉毛が切れちゃった! その部分だけ眉毛がほとんど見えないのです。「えーーー!どうしよう?」「描けば分からないかも。」「大丈夫,前髪降ろしているからぜんぜん見えないもの。」そんなことよりも・・・庭です。庭!いました。いました。可愛い小さなシジュウカラがたくさんきてオンコの実をついばんだり、桜の枝に止まったり,餌台でついばんだり,地面をつついたり,忙しそうに飛び回っていました。目の下あたりの真っ白いところ,翼に細い白線があるところ。胸から腹に走る黒い線もあります。いつも置いてある「野鳥」という本を見てみると、やはり,シジュウカラです。「そうだ,写さなくちゃ。」デジカメを手に取ったものの,庭に面したガラス戸を開けたら逃げていってしまいそう。「このまま写そう!」シジュウカラは素早い動きで,ちっともじっとしていないので,なかなか定めがつきません。それでも,桜の木の根元で,愛らしいしぐさで何かをつついているシジュウカラを写してみました。確認してみると,ガラスに写っている私の白い服。「えー,そうだ、ガラスにカメラをくっつけて写すといいかも???」実行しましたが,シジュウカラの動きの方が速かったのです。落ち葉しか写っていません。では、他のをと,捜してみてもなかなか写るような場所には来てくれません。何分くらいたったでしょうか。悪戦苦闘しているうちに、サアーと一斉にみんな飛び去っていってしまったのです。ま、いいわ。可愛い姿をたっぷり見る事ができたのだもの。さて,洗面所に戻って鏡に向かい、前髪を上げたとたん,自分でも笑ってしまうような眉毛が写っていました。そして,大変なことに気がつきました。来週から水泳教室に通うのですが,そこには注意書きで「お化粧を落として・・・」と、書いてあったことを思い出したのです。前髪だって水泳帽の中に入れなくてはいけません。眉毛というのはどのくらいの速さで伸びるものなのでしょうか。素敵な先生だったらどうしよう。眉毛とシジュウカラと,どちらを優先すべきか、ちょっとした判断ミスが大きな事故につながるものと学習しました。私の場合は,単なるおっちょこちょいです。
2004.11.09
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いつでも,どこでも,自分らしく!この,大きな木のように自分らしく,自分らしさとは,何かしら?そんな疑問を持ちつつも、自分に素直に自分らしくを心がけて暮らしてきたように思います。土・日・祝日などは,家族に合わせた行動が多く、楽しく充実し,大切で貴重な時間、そんなときこそ自分らしさ(妻らしさ,母らしさも)をしっかりと発揮して、とは思っています。でも、月曜日の朝、息子とイサムチャンとを送り出し、あらかた家事を済ませたときは,たった一人の自分の時間!「淋しくない?」イサムチャンは気遣ってくれますが、とんでもございません。しなければならないこと・したいこと・・・たくさんあるのですもの。今朝は,曇っていましたが,今はとってもいいお天気!昨日のお散歩も小春日和というのでしょうか。温かくて爽やかでとても気持ちの良いものでした。落ち葉の絨毯を踏みしめて 青い空,白い雲,葉を落とした白樺の木など眺めながら,イサムチャンと二人、ゆったりのんびりお散歩。午後もそんなに遅い時間じゃなかったのですが、公園の中で行き交う人もめっきり少なくなり,周りはしんと静まりかえり優しい日差しの中での贅沢なひとときでした。枯れ木を眺めながら歩いていますと、枯れ枝の高いところに緑の塊が。「ヤドリギだね。」「冬になっても枯れないの?」「どうかなあ?調べてごらん。」二人で歩くと、違った目線でものを見る事ができ感動が増え,喜びを共有することができます。宿題が一つできてしまいましたが。今日は,一人でお散歩。それはそれで,楽しいものなのです。その前に,ちょっとコーヒータイム。 追記 ヤドリギ・・・「落葉樹に寄生する常緑の小低木。冬でも青々として生命力を感じさせます。」と書いてありました。
2004.11.08
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久し振りの朝寝坊!眠られなくて2時にお薬を飲んだのが,しっかりと効いたようです。お弁当を作らなくてよい日・・という甘えた気持ちもあったからでしょう。起きてみると、新聞を読んでいるイサムチャンを真中に暖かな日差しがお部屋いっぱいに広がっていました。芳しいコーヒーの匂いと共に。(イサムチャンは,コーヒーにはこだわりがあり,自分で落とせるのです。)今日の空 昨夜は知り合いのお父さんのお通夜に行ってきました。最後のお話の中でお生まれになった年が紹介され、亡き母と1歳しか違わなかったことを知りました。「これからまだまだというときに・・・」という言葉を聞き,もう20年も前に亡くなった母を想いました。若くて元気で行動的ではつらつとしていた母。仕事も家庭もどちらも完璧にこなしていた母。厳しいけれど優しくて、誰からも頼りにされていた母。そして,いつも美しかった自慢の母。そんな母に誉められたくて,真面目に勉強していたものです。母が亡くなっても,写真に向かって話しかけ、答えを求めている私。もしも生きていたら,まだまだ一緒に旅行を楽しむこともできる年齢だったと思うと不思議な気持ちです。母の前ではいつも子どもで,親孝行など何一つできませんでした。そんな私にできること,それは、家族を大切に周りの人を大切に何よりも自分を大切にしながら、今を精一杯楽しく生きることでしょうか。「20年」という歳月を考えさせられるお通夜でした。先週の桜 今日・7日の桜・・・たった数日で葉がどんどん落ちていきます。
2004.11.07
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「キュッキュッ・・・」ほおずきの実の種をそおっと取り出し、口に含み,上手に音を鳴らしていた母。まねをしようと頑張ってみるのですが、なかなか種が取り出せずに入り口が切れてしまったり,せっかく空っぽにして口に含んでも,母のようには上手に音が出せなかったこと、ほおずきの実を頭にして、草の葉っぱで着物を着せて遊んだこと、子どもの頃の懐かしい思い出。十五夜のお月見に飾ったほおずきは,今までずっと枯れずに(いつまでも枯れないものですね)あちこちに飾り楽しんできましたが、もうそろそろ終わりにしようとほおずきだけ取ってみました。大きなほおずきが10個もあったのです。楽しみ楽しみ!ところが、開けてみると小さな小さな実がたった2個がっかりするより、びっくりしました。実は,必ず入っているものと信じて疑うことなどなかったからです。今は,飾るためだけのほおずきになってしまっているのでしょうか?品種改良されてきたのでしょうか。それも消費者のニーズに応えての結果なのでしょうが。忙しい日々の生活の中でも、毎年、十五夜にはほおずきを飾っていましたが,飾り終わればすぐに捨てていたものです。実を取り出して遊んだことなんて、子どもがほんとに小さかった頃です。ようやくほおずきで楽しんでみる余裕ができたのに,もう遊ぶことができません。種を取り出すこともできないほど小さいかった2個のほおずきの実。忙しさに紛れて気がつかない間に、少しずつ少しずつ世の中は変わっているのですね。亡き母と遊んだ懐かしい思い出のほおずきの実。大切なものが消えていく寂しさをほろ苦く味わいました。
2004.11.06
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「よがあけて あさがくるっていうのはあたりまえのようでいてじつは すごく すてきなこと」谷川俊太郎/文吉村和敏/写真「あさ」 谷川俊太郎の詩が好きなので図書館の新刊コーナーで目につき何気なく手にした1冊の本。俊太郎さんの詩ももちろんぴったりといいのですが、吉村和敏さんの「あさ」の写真に目を奪われ,俊太郎さんの優しい言葉で奥の深い詩に1ページ1ページめくるのが嬉しいようなもったいないような気がする本です。「あさ」のほうから見ると、色々な朝が吉村和敏さんの圧倒的な写真で語られています。それにそえた俊太郎さんの一言がまた素晴らしいのですが。反対側も裏ではなくて表紙こちらは「朝」「朝にはただ美しいだけではない不思議な力が隠されている」こちらから読むと今まで読んだことがある(読んだことのなかったものもあります)谷川俊太郎さんの詩と吉村和敏さんの写真が違和感なく溶け合い,胸に迫ってきます。真中に後書きなどがある不思議な本です。撮影場所は、プリンスエドワード島ケベックノバ・スコシアニュー・ブランズウィックと、書いてありました。私は,イサムチャンの弟一家に誘われてケベックまでは行ったことがあるのです。でも、すぐそばのプリンスエドワード島には,「赤毛のアン」が大好きだった(もちろん今でも好きです。)ので,夢がありすぎて行くのが怖いと思っていました。憧れている作家に会うチャンスがあっても、夢が壊れそうで怖くて行けない弱虫なのですから。この本を読んで写真に写されたプリンスエドワード島の美しい朝をを眺め、やっぱりプリンスエドワード島には行って来たい、という気持ちになりました。人生の忘れ物にならないように!それにしても,「あさ・朝」の素晴らしさ。カナダでなくても,身の回りの朝だって、いつも素敵です。私のつたない写真ですが,思わず撮りたくなる朝もあります。「でもくもっていても、あめがふっていても、もんくはいわないようにしている。だって、よがあけて、あさがくるっていうのは、あたりまえなようでいて、じつは、すごくすてきなことだから。」追記 アリス館から出版されています。また、今、調べてみると「ゆう・夕」という本もあるとのことです。
2004.11.05
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田舎育ちの故でしょうか、DNAがしっかり組みこまれているのでしょう。私は田園風景が大好きです。海も大好きだし,森林も大好きだし,図書館も,映画館も,美術館も,観劇も、デパートの中を歩くことさえも,家の中でのんびりしていても好きなことはたくさんあるのですが・・・「どこに行きたい?」と聞かれると,春・夏・秋・冬必ず1度は訪れるところがあります。春は,耕されてしっとりとした黒土や若若しい草木の芽吹きを眺めての食事夏は,茂った牧草の匂いを嗅ぎ、生育のいい作物や石狩平野に落ちていく夕日をウッドデッキから眺め、ろうそくの明かりで食事秋は,収穫の終わった畑が,整然と整えられている様子や紅葉を眺めながらの食事冬は,白一面に覆われた雪の世界を眺め静かな音楽と読書をしながらゆっくりとした時間の中での食事。石狩平野の広がりが実感できるところなのです。予約の時間より早めについたのでちょっとした小高い丘の上に上り、いつも眺めているところとは反対側を見てみました。畑の中にぽつんぽつんと農家が見えます。白く写っているのはビニールハウス,寒冷な北海道には必需品なのです。そして,お気に入りのレストランでのお食事は、お腹が空いていたので写すのを忘れて食べ始めてしまい,イサムチャンに「カメラマンさん、それも写すんじゃないの?」などと冷やかされ、食べかけをあわてて写しました。イサムチャンのはもうほとんど残っていなかったので写せませんでした。ハイジのしろパンランチ(?)この窓にうっすらと映っている風景が大好きな眺めなのです。ちなみにイサムチャンは,ここのお料理があまり好みではないようなのですが、風景がいいので私へのプレゼントだと思って連れていってくれます。もう寒くてウッドデッキでの食事はできません。でも窓側の席なのでこの風景をうっとり眺めながらお食事を楽しむことができました。幸せ~!
2004.11.04
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文化の日=漫画の日初めて知りました。Spray Shape さて,漫画のようと思われるかもしれませんが,フラワーアレンジメント,懲りなく続けております。生のフラワーを自分の手でアレンジメントするのですから,ほんの少しは文化的な生活をしていると言えるでしょうか。これは,「華」!昨夕,甘い匂いがしてきました。今春もその匂いがしたのですが始めは,その匂いのもとがわからず私の鼻がおかしくなったのかと思うほどでした。日増しに強くなる匂いに近づいてみると、ワッサワッサと茂るに任せていた「幸福の木」でした。たくさんの花が咲いて蜜をたらたらと流していたのです。長い間育てていますがはじめて見る花でした。今咲いている幸福の木の花春にたくさん咲いていたのに,また咲いています。(狂い咲き?)4月に茂っていた葉を、さっぱりと淋しくなるくらい切り落としたので,匂いのもとはすぐわかりました。これは,幸福の「花」!もう一つの「ハナ」、それは今は亡きイサムチャンのお母さん。何も知らずに,学生のまま結婚してしまった私に,家事というもの・子育てというものを全身をもって教えてくださった賢くて優しかった大切な人です。何物にも代えることのできない「ハナ」おかあさん。文化なのは,「華」か「花」か「ハナ」か。私には総てが文化です。
2004.11.03
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観ました!予告を見て,批評を読み、気になっていて,早く見たかった映画『隠し剣 鬼の爪』ついに観てきました。山田洋次監督の映画には,人を温かく包み込み、かつ勇気を与えるものが多いと思っています。『たそがれ清兵衛』で,始めて山田洋次の時代劇の世界を知らされ,その静謐な美しさに感動したものですが,「今回はそのパート2とも言えるのではないか」などと言う映画の論評にとても期待していました。永瀬正敏はやはり山田洋次監督の『息子』で始めてその存在を知った清々しくきりりとした青年でしたが,あの映画からもう何年たっているのでしょうか。どんな成長の仕方をしているのかも楽しみでした。そして,観た後,イサムチャンは涙涙!最後の最後,スクリーンが消えて場内が明るくなっても立ち上がらないのです。永瀬正敏の下級武士の生き様に、自分を照らし合わせたのでしょうか。イサムチャンの大好きな松たか子の健気さに胸を打たれたのでしょうか。藤沢周平の『隠し剣鬼ノ爪』と『雪明り』の短編を脚本化したとのことですが、現代に生きる私達にも重なり大きな感動を与える映画に仕上がっています。「きえ(松たか子の役名)の様に、とは言わないけれどもね,少しは尽くしてね。」「きえは無理かもしれないけどもね、これやっておいてね。」イサムチャンは、きえ=松たか子がやはり,深く心に残った様です。「きえ」「きえ」を連発しています。私は,「きえ」じゃない!でも,十分尽くしているつもりです。「分かっているよ,司令官殿。ありがとう。」と、言いながらも心の底では、きえのようにひたすら耐え黙々と働く美しい女性に憧れているのでしょう。さて,永瀬正敏(片桐宗蔵の役)は・・・素敵でした。下級武士でありながら己の信念を曲げることなく,おもねることなく,凛と背筋を伸ばして生きているのです。そして大好きな女性をちゃんと・・・丁寧に丁寧に描かれていることが伝わってくる,どんな時代であっても人間の素晴らしさがあることを教えてくれる映画でした。山田洋次監督ありがとう!
2004.11.02
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ささやかなことにも自分の喜びを見出すこと。毎日10個は,小さな幸せを感じる様にと心がけています。その中の一つに歩くことがあります。今までは登山やジョギング,ウォーキング・スキー・テニス・・・イサムチャンの多彩な趣味に引きづられてきたのですが、貧血がひどく途中で一人だけ戻ったりすることもありました。健康にいいと思っていても,自分の体がついて行けないことがあったのです。働いているときには、休日は、平日のつかれもたまり家事に追われ楽しいことに誘われても出かけることが苦痛でした。でも,今はすっかりとはいえませんがとても健康です。明日のことを思い煩うこともない主婦の生活なので,イサムチャンの誘いには、ほいほいとついて歩くことができます。昨日は,いつもの森林公園の奥のほうまで車で行ってお散歩しました。もちろん息子を図書館に優しく送り出してから。森に誘われている様に歩いていきますと、ここにも大きな根を上に向けている痛々しい倒木の姿がたくさん目に付きます。毎年来て紅葉を楽しんでいるところなのですが,こんなことは始めてです。今年の台風の被害の大きさをまたまた思い知らされました。それでも、いつもの散歩コースとは一味違う真っ赤な紅葉が目を楽しませてくれました。周りの木々はもう葉を落としたのでしょうか?それとも立ち枯れてしまったのでしょうか?イサムチャンは,私がデジカメで写している間、行ったり来たり。「終わったらもういいよと言ってね。」と言われていたので「もういいよ!」大きな声で言うと、曲がり角からぜんぜん違うおじさんが不思議そうな顔をして現れ、ぎょっ!恥ずかしい!「ごめんなさい。」消え入るような声でご挨拶したりということもありました。枯れていく木のそばに、緑の草の間にうずもれる様な小さな紅葉が,真っ赤に葉を染め,生命力の逞しさを教えてくれました。歩いていても平気,イサムチャンにも負けないくらい元気で歩くことの喜び,いつも気を使わせてばかりだったけれど、もう大丈夫です。途中で手を引かれることもなく,休憩することもなく、歩きとおすことができました。今日から11月。紅葉した木々の美しさも今年はもう終わりに近づいているのでしょう。隠れ家のようなおそばやさんも、11月の半ばには閉鎖とのこと。木も林も森もおそばやさんも冬篭りにはいるのですね。でも,私は雪道も踏みしめて歩き続けたいものと思います。
2004.11.01
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