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先日サガンが死んだ。破天荒な生活は元々報道されていたが、意外と若かったことに驚いた。と思っていたら、森村桂が自殺!? とりあえず乱読少年の中学生時代としては、サガン『悲しみよこんにちは』も森村桂『天国に一番近い島』も1年生必読図書だ。サガンは新潮文庫シリーズが薄くて安いこともあり、よく理解できないものも含めて読んでいた。森村桂も図書館で借りてあれこれ(随筆を中心に)読んでいたので、「ああ、もう20年以上前に読んでいた人たちなんだねぇ」と感慨深い。 おフランス文学は中学時代わりと読んでいた。スタンダールとかモーパッサンとか。さかのぼれば小学時代にドーデ(『最後の授業』の作者)やサンテグジュペリと出会い、この2人とカミュは当時文庫にならないものも含めて随分とはまった。いつしかフランス文学は減り、トゥーサンで復活するまでわりと離れていたなぁ、とサガンの死で思い返した。 森村桂の死も、読んでいた本と同時に当時の環境までもが思い出されてくる。ちょっとしみじみ。 で、今日は村上春樹『アフターダーク』を読了。昼と夜、善意と悪意というような2項対立の中で、明け方の場面に鳴る携帯電話の意味をあれこれ考えた。それはともかく、正直面白くなかった。読んでは休み、読んでは休み、というペースは『ノルウェイ』『ダンス』『ねじ巻鳥』と同様。だがそれらの印象とも違うのが本作。すごく売れているらしいが、そんなに売れる本なのか??? 先日は森博嗣の『Φ(ファイ)は壊れたね』を読み終えたが、これもちょっとわからない。犯人とかは論理的に予測可能なのだが、「なぜ殺したのか(Why done it?)」を問わないのに、それと同様の新本格派とも違う毛色だ。中心作品の外伝的というか、前にも書いたかもしれないが、悪い意味での同人誌(良い同人誌もたくさんある、言うまでもないことだが)的な小説だった。
2004/09/28
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今日は大学で本の整理。と言っても自分の研究室のことではなく、図書館(図書室)の書庫に入りきらない「9」分類の図書―いわゆる文学―が一時保管されていた部屋を整備する。集められた精鋭教員(←どこがだ?)によって、一旦番号別で廊下に出し、「900」から入れなおす。今日は900番台及び910番台いわゆる文学総記と詩歌関連、それに980番台の全集で外に出された本が並べ替えられた。澤瀉萬葉注釈とか北村季吟古注釈とか、岩波古典大系・思想大系あと近代の基本的文献とか……こんなものが書庫に入らないって、書庫はどんなすごい本があるのか???って感じだが、なんてことはない本が書庫にあったりする。どうしてこんな状況になったかは、ここでは書くことを控えるが、最終的には、佐藤が学部でお世話になった大学の学科研究室のような本の並びになりそう。ちょっと嬉しい……前向きに考えるようにしよう……。 日本文学の周辺領域ということで分類された000~799、また日本語学を含む800番台(これもかなりある)や、学術図書購入の数々、日文協の『日本文学』やら東大『国語と国文学』、全巻揃いの『言語と文芸』、時代別・分野別の総勢20タイトルを超える学会誌たちも一緒に憂き目を見たので、これらの整理がこの後続く。 体力勝負の後は脳みそも使おうということで、夕方、竹橋の東京国立近代美術館へ。その後は軽~くムギに餃子。そういえば今日は昼にも餃子を食したなぁ(餃子ずきです<自分)。
2004/09/24
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今日は大鼓方大倉流大倉三忠さんの会。 原則的に全席自由で、入場時に「予約席」の留め具を渡され、座りたい座席の背もたれにそれをはさむ。会場に入ると、なんと留め具ではなく、鞄などを置いての席取があった。「うわ~、わがまま」と思っていたら、案の定、遅れてきた仲間のための席の確保だった。「1人1つ渡します」という主催者側の姿勢は無残にも打ち砕かれている。取っといたわよ~と鼻を膨らませて言っているご婦人の見苦しいこと、この上ない。気持ちはわからないでもないが、それだったら頑張って早く来れば良いだけだ。 鼓を習っているグループかな、それともシテの関根さんのお稽古を受けているグループかな、と思っていたら……「道成寺」になり、ワキの名乗りの最中にオペラグラスで凝視していた先は揚幕前の狂言方だった(涙)。鐘を吊った時も、鐘入りでも「すごい、すごい」を連発して拍手をしていた。 んー、こういう無礼者なご婦人がたが居るから、狂言方の評価まで貶められてしまうのに、そういう目で見られているということにまで気が回らないのがご婦人がたの強いところである。
2004/09/23
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葬儀翌日だというのにテニス。4時間終えたところに電話が入り、2時間先に上がった人々から飲みに来いとの指令。で、空いた腹を軽く埋めつつ、ムギムギムギ……。2時間の差を埋めるべく、頑張りました(汗)。
2004/09/17
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96歳で祖母が死去した。身内に「亡くなった」と使うのは敬語の使用法が変?とか思ってしまう自分が一番変だ。明治生まれの祖母はつい2ヶ月前まで元気に歩いていて(それも驚異的な距離を毎日)、内臓疾患などほとんどなったことがなかったのだが、発病したらあっという間だった。 最期はちょっと苦しかったみたいだが、苦しむ時期の短かったことが、せめてもの救いだった。 それにしても、うちの本家の寺―麻布にある―何かにつけ高い高いと言われていたが、葬儀が非常に高くて親族呆然。祖母の遺志で、祖父の時よりささやかにという葬儀だったが、それでも高い!しかも、というか当然か、祖父よりも戒名が非常にシンプル。うーむ、値段を抑えると戒名も抑え目なわけだね。
2004/09/14
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「芸術委員会」の方でリンクしている一亭二三さんから、我が家の近くの神社での奉納神楽があるとのお知らせ。「そう言えば○○神社では、お神楽あったねぇ」なんて我が家で盛り上がった。だが、近いとはいっても、境界線があってそちらは別口。うちの地域の氏神ではないので、中学・高校生の頃はともかく、しばらく行っていない。 で、仕事を終えて地元に戻ってくると、20時の奉納神楽(最後の部)にぎりぎり間に合う。揚幕に当たる舞台向かって左にはご年配の女性が座り、物語の展開を語っている……まったく聞こえない。だが、説明を聞くまでもなく、このお神楽は紅葉狩だっ!!!本当は上代の物語を観たかったが、その反面中世の芸能作品と関わりのあるものを観られると、やはり嬉しい。能「紅葉狩」では前シテとなる上臈女房の舞が綺麗だった、指も長い(←何を見てるんだ!?)。あと、<おかめ>系の面をつけた女性の舞のある点が、能の前場とは異なる。これもまたひょうきんで面白い。 約45分で「紅葉狩」が終わり、締めは「山の神」。素朴でいて華やかな赤の装束の山の神がめでたく奉納し終える。 ところでまったく違う話だが、あれやこれや研究関係の仕事をしていて、後学の者が育つ環境というものを考えさせられる。当然そこからは後を追う者が出ていいはず、と思われる環境であるのに、まったくそういう人がいないという状況、それはやはり育てる人が悪いということだろうか?
2004/09/11
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テニスのお仲間と軽~く(←「かなり」の間違いか?)汗を流した後、中華。もちろん「食い」のみならず「呑み」もあるわけで、今日もムギが美味い。場所は大井町。なんでも、以前は食材の卸専門だった店舗が、そこで食べさせてくれる店を開いたとのことで、どうしてこんな所に???というような民家の間にひっそりと存在している。非常~に柔らかい砂肝のスライスに胡瓜を合わせたものとか、セロリとイカを炒めたものとか……生きてるって素晴らしい、VIVA!なアフターテニスだった。 一昨日から入れなかった画像登録の管理ページにようやく入れた。フフフ、某さんからのリクエストに応えて、うちの<なつめ>をトップに掲載。ただのノラ(そう言えば、「ノラ」だから<イプセン>って名付けようなんて話も出た)なんだけど、なかなか可愛いお嬢ではないか!?
2004/09/10
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仕事で朝から上野に行く。そのまま市川へ。クラブ関係の仕事を済ませ、昼飯を食べようとふらりと店に入ると、そこには同僚が。すごい偶然(学校の周りではない)に驚く……って本八幡でランチでスパゲッティを食べるっていったら、あそこしかない???<誰に言ってるんじゃ あれやこれや駆けずり回り、夕方はテニス。あれよあれよという間に雲が立ち込める。頼むよ、照明付けてくれよ、と思うが、きっと時間決めなのだろう、なかなか照明は点らない。 で、テニスが終わったのを見計らったかのように、ぽつぽつと雨が降ってきた。今朝の天気予報は嘘じゃん、と高を括っていたが、今日は大当たりである。たまにはやるんだね、天気予報も。 帰りに大井町を通り、頼んでおいた写真を引き取る。これってごく一部の人には垂涎ものだろうけど、佐藤にとってはどうでもいい写真である。……ってそういう秘蔵写真が佐藤の家にはわりとあったりする。ムフフとかデヘヘな写真ではない、言うまでもないことだが。 で、雨に濡れながら、ソッコーで帰宅。今日もムギは美味い! ところで、今日は重陽(あっ、今ふっと思い出したことがあった←それは秘密)。長寿を祝い、胸を張って酒が飲める日だ(←後ろめたく飲んでいる日があったら聞いてみたいもんだ)。
2004/09/09
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立春から数えて210日目が二百十日、激しい風が吹くといわれ、特にこの風を「野分」などともいう。そんなことばどおり、今日は凄まじい風、そして雨、さらには稲妻。 そう言えば、うちの母方の花札ローカルルールは「猪鹿蝶(いのしかちょう)」がなく、かわりに「嵐」という役があった。7月(萩)、8月(薄)、10月(紅葉)の10点札―猪・雁・鹿―を集める役だ。なんとなく、「らしい」感じである。余談だが、花札はいいよ、綺麗だし、日本の季節感満載である。 先日九州から日本海を抜け再上陸した台風の日も、東京は雨よりも風の害が強かったが、今日も外ではドンチャン騒ぎ。こんな日は心静かに勉強勉強……
2004/09/04
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ヤゴとマサオの餌を確保するため、いつもの池に行く。予想通り、カダヤシの少し育ったのやヒキガエルのオタマジャクシがうようよ居る。初夏に羽化したトンボ達もすいすいと飛び回り、産卵している。もう少しすると、赤とんぼが山から戻ってくる、もう秋は目の前である。 じっと水面を見ていると、そこにはオレンジ色の物体が……ヒメダカであった。数匹がかたまって泳いでいる。この池は閉鎖空間なので、どう考えても、人間が放流したのに間違いない。駄目だよ、こんなことしちゃ、と思っていたら、今度は雄のグッピー!グッピー、たしかにグッピーである。尾びれが少し長くて青緑に輝いている。胴体の色付きがよくないから、おそらく家で増えたタイプなのだろう。海を渡って泳ぎ着いたものでないことは確かだ。「はきだめに鶴」のようにしばし、青緑に輝く尾びれを見つめるが、ハッと我に返った。誰だここに放したのは!?まあ、都内で自然繁殖しているという話は聞かない(伊豆の温泉地や沖縄ではかなり前からグッピーが自然繁殖している)から、多分越冬は無理だろう。 カダヤシにしてもグッピーにしてもぼうふらを食べるし、ヤゴやエビの餌になっているので、その池の中での食物連鎖を壊すことはない。でも、ヒメダカ・グッピー……なんか違う気がする。
2004/09/03
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