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私は実年齢より若く見られますが、部分部分はやっぱり経年劣化してます。顔にはシミがあるし、白髪も生えてるし。特に手を見ると、ああ、年取ったなぁと実感します。血管の浮き出た甲、ふしくれだった指。屋外の仕事なので、長袖より先の手の部分は日に焼けています。加えて、長年の肉体労働のせいか、薬指が完全に握りこめなくなっています。手を眺めて働いたなぁと、自分をほめたい。途中、心療内科に通うような休息時間を要したものの、総体的にまじめに働いてきたと思います。私はこつこつ型。集中して背を丸めて寡黙に仕事します。他の人が避ける仕事も引き受けます。仕事を効率よくする手順を考えるのが好き。いつか報われたらいいのに、と思うのはよくないですね。それは見返りを求めているということですから。上司が評価してくれなかったり、仕事仲間が感謝してくれなければ不満だということになります。自分の満足で働くのがいい。周りの目を気にすると、私のことを陰でなんて言ってるんだろうと疑心暗鬼になります。聞こえないことは言われていないことと同じ、と割り切りたい。なかなか職場というものは人と人とのぶつかり合いや、協調などの状況が目まぐるしくて仕事より疲弊することがあります。歳をとればいつしか鷹揚に構えて動じなくなるかな、と思っていましたが、やはりいまだに人それぞれの思惑に流されたりはじかれたり。そういう人間集団のエネルギーの中で心の中で右往左往している(表面上は落ち着いてます)自分を認めて、ひるんでもいいし逃げてもいいと思うと少しは楽になったように思います。手に老いを実感する今日この頃ですが、人の前では構えてしまうという気質は変わらないものですね。
2021年09月30日
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仕事で疲れて帰ってきて、それでももうひと頑張り。晩ごはんを作って、はぁ やれやれと腰を落ち着けます。今日は鶏むね肉に片栗粉を振って多めの油で揚げ焼きに。最後は砂糖でちょっと甘辛くしたポン酢を絡めてできあがり。クックパッドで見つけたレシピ。メモした紙は水が付いてヨレヨレですが、気に入ってたびたび使ってます。食後は生クルミとドライフルーツのブルーベリーを食べながらコーヒーを一杯。スーパーで買ったUCCの挽いた豆をフレンチプレスで淹れます。豆の状態のものをミルで挽いて飲むこともあります。やはり挽きたては香りがいいです。甘味とか、フルーティな感じとか味わいながら飲むのも楽しいですね。でもあまりゆっくりしていられません。朝4時に起きるので、夜の時間は短いです。ドイツ語の勉強を朝にして正解。夜は疲れて眠くて集中できませんね。あとはいつものルーティンの運動をしてお風呂に入って寝ます。ちかごろ翌朝が楽しみな気持ちで眠ることが多くなってきました。朝が楽しみって?自分でもなんで?って思うのですが、潜在意識に楽しい未来、幸福な未来を刷り込むということを心掛けているからでしょうか。もしそうなら自己啓発本を読んでいるのも無駄ではないようですね。ということでそろそろ一日の終わりのルーティンを始めます。
2021年09月29日
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ここ数か月スイーツを食べていません。おやつは職場でいただいたときに口にする程度、家では食後にカカオ72%のチョコレートを食べるだけ。健康的な生活を意識するようになってから、なぜか、ぴたっと欲しくなくなりました。我慢しているわけではなく、本当にその欲求がなくなったのです。以前は普通に食べてました。というか、甘いものは大好きでした。数か月前まではこれではだめだ、と思いながらも半額の菓子パンをいくつか一気に食べる、なんてこともやっていたのに、どうしたことでしょうか。スーパーでの買い物も、お菓子やパンのコーナーを通っても、欲しいのを無理して振り切るように通過するわけでもなく、興味がわかないのです。一度、欲しくならないか、頭の中で生クリームのたっぷり乗ったプリンアラモードを強くイメージしてみましたが、胸焼けしただけでした(>_<)歳のせいかな?消化器官がもう受け付けられませんと、信号を発しているのでしょうか。それとも、今まで何らかのストレスがあって、それを紛らわせるための無意識の行動だったのでしょうか。あるいは大事な目標を見つけたため、それに集中することによって、それとは無関係のものは潜在意識から排除されたのでしょうか。いろんな本で、目標を達成するために努力して成果が上がったら自分にご褒美をあげましょう、と書かれています。具体例としてよくスイーツが挙げられるのですが、どうも私はそれじゃないみたい。でも近頃は健康面でも学習面でもかなりうまく一日が回っているのでこれから先に弾みをつけるようなご褒美を考えているんですが……。私には何が喜びだろう。どうなったらうれしいだろう。一時的なご褒美だから「ちょっとした」がポイントなんでしょうね。もちろん掲げた目標が達成されれば嬉しく幸せですけどそんな大目標ではなくそれに到達するまでの小目標に対する小さなご褒美。……本……かな?新しく本を買う。一日読書にふける日。自己啓発やドイツ語のお勉強の本じゃなくて……小説?うーん、集中力を要することでは変わらないなぁ思いつかない、ということは今我慢してることが少ないってことでしょうか。無性に甘いものが食べたくなるようなストレスがないということかな?仕事をやめて、週4日のパートにして時間に余裕ができて、やりたいことに取り組めているからでしょうか。このストレスの少ない状態が続けばいいな。今私は本当に健康です!
2021年09月28日
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今日は空が雲に覆われて、朝は少し肌寒いぐらいでした。少し前まで熱中症対策に余念がありませんでしたが、もう最近は仕事にもっていく水の減りが少なくなってきました。職場の周りの田は稲穂が垂れ、収穫を待つばかりです。畔には彼岸花が群れて赤く田んぼを縁取っていて、いつの間にか蝉の声も聞こえなくなっています。秋を感じながら屋外作業をしています。朝、小雨が降るほど雲は厚かったのですが、昼頃雲の切れ間からお日様が照ると、背中がかぁっと暑くなりました。晴れていればまだ残暑が厳しいのでしょうか。でも再び太陽が隠れ、今日は一日ほとんど涼しく仕事ができました。今年もあと残り3か月ですね。もうお正月のことを考えなくてはいけなくなってきました。月並みですが、時間のたつのは早いですね。しかも私、今年の3月に手術をしたので、ああ、あれから半年かぁと感慨深いです。手術をしてから生活習慣を改めようと食事や睡眠の改善に取り組み、うまく習慣づけることができました。やはり手術をすると健康面を切実に考えるようになりますね。今までやろうやろうと思ってやらなかったり、長続きしなかったりを繰り返していましたが、かなり本気で体のことを気にするようになりました。家でできるフィットネスやグルテンフリーを実践、おやつをやめたり、規則正しく早寝早起きしたり。なんだか本でよく読む成功者の習慣を実践している感じなんですけど……じゃあ私は今後何らかのことで成功するってことかな?!(^^)!そのためには何かターゲットを絞ってそれに集中しないとね。実際、自分は何に興味があるのか、何が好きなのか、一生のうちに何を成し遂げたいのか、けっこう真剣に考えています。やはり手術が転機になったみたい。来年の自分、5年後の自分、10年後の自分がどうなっているのか楽しみです。
2021年09月27日
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今日の晩御飯は里芋の煮っころがし、きんぴらごぼう、キノコと豆腐の味噌汁に、豚肉とジャガイモの塩コショウ炒め、サラダ、ご飯は一日一合と決めているので朝と昼食べたから夜はなし。健康のために手料理を心掛けています。子供のころから母親に仕込まれました。母はお嫁に行ったときに苦労しないようにと思っていたようですが、結果、現在48歳、結婚歴なし、子供なし(>_<)小学校一年でカレーを作って以来40年料理をしています。けれど苦手意識が消えません。子供の頃はやらされている感があって本当に嫌でした。そして自分の料理はおいしくないと思っていました。いやいや作っているのですから実際そうだったと思います。30代のころようやくそうか、料理本の通りにやればいいんだ、と遅まきながら気が付き、それ以来目分量でおかずを作るのをやめました。作り方の通りやると、ほんとにおいしいですね。なんでそれまで気がつかなかったんだろう。つまりは私は料理のセンスがないということが分かりました。いまはクックパッドが頼りです。最近グルテンフリーを心掛けているので料理ができるのは助かります。長年やっているので手際はいいと思います。それについては母に感謝。ソーセージ、ベーコン、ハムなどの加工品を避け、季節のものを意識しながら献立を考えます。あれ? 私料理嫌いなのでは……もう一日のルーティンとして献立を考えるのが癖になっているんですね。夕方になるとそわそわします。皮肉なものです。でも体格は標準的で痩せてもなく太ってもなく、充実した生活を送れる健康な体が作れていると思います。料理は一生好きにはなれないでしょうけど、きっと一生続けるんでしょうね。あしたは何作ろうかな。
2021年09月26日
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自分の体と精神の調子を観察するって大事ですね。なんだか体が重い、集中できないとか、家事をさっさとこなせたり、何時間も読書したり。今まで休みの日に横になったり、ぼうっとしたりしていると、ああ、なんて自分はダメなんだ、せっかくの休みなのに。と自己嫌悪に陥ったものです。休日は有意義に過ごすもの、と勝手に思い込んでいて、本当に休養するということが分かっていませんでした。時間がもったいないと思ってしまうのです。しかし、最近は集中できないまま勉強してもかえって時間の無駄、疲れた体に鞭打って家事をこなしても、翌日の仕事に差し障る、ということが分かってきました。自分は今どういう状態なのかを俯瞰して観察するということを覚えてからは、ああ、今日は動きたくないんだな、ならば疲れているんだからやりたくないことはやらなくていい日にしよう。本に集中できない。ならなにも考えない日でいいや。と思えるようになりました。今日はいつも通り4時に起きてドイツ語の勉強を昼までしましたが、お昼ご飯のあと、急に眠気に襲われました。午前中の集中で疲れたのかもしれません。横になって昼寝。昼寝は30分程度にするとパフォーマンスが上がり、それ以上だと夜眠れなくなるのでよくないらしいですが、それもかたくなに守らなくていいことにしました。結局2時間眠り、起きるとまたドイツ語の勉強をしたい意欲が湧きました。でも体が重だるいのでほどほどにし、夜ご飯を食べてあとは動画視聴。少しずつ、自分の体と心との付き合い方がうまくなってきたように思います。やりたくないことを生真面目にやらなくていいと、自分に許しを与えて、リラックスすることに集中する。それが休日を有意義に過ごすことなのかな、と思い始めています。平日からの仕事に備えて心身を整えます。
2021年09月25日
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今年の4月からラジオのドイツ語講座を聞き始めたのですが、今日で年度の前半の分が終わりました。初級、応用全部欠かさず聴くことことができました(^^)/2004年、2005年にも聴いていたんですが、結局最後まで聴くことはありませんでした。でも今回は私、本気のようです。講座を聴くと同時に、過去のテキストとカセットテープが残っていたのでそれもやりました。かなり密度の濃い勉強内容になったと思います。それで、今年の冬の検定試験を受けようという気になりました。4級にしようかな、3級いけるかも、と考えています。二つ同時に受験できるようですが、3級を受ける場合、それだけにしようと思っています。逃げ道を作らないことでそれに集中するためです。さらに、成長するためには、少しハードルが高くかつ、頑張れば達成しそうな目標を設定することが効果的だと何かで読んだ記憶があります。今の本気度なら一点集中して高めの目標を実現できそうな気がするのです。そしてさらに、私はこれをやる!と、公言することも効果があるそうです。なのでここで宣言します。3級受ける!以前ならここで、「受かるかどうかは別ですけど……」と自信のなさをうかがわせることで不合格だった時の恥ずかしさを緩和させようと、保険のような言葉を付け加えるところでしたが、受からないかもと思えば受からないらしいです。受からない結果を無意識のうちに求めていることになるんですって。だから試験まで「大丈夫、合格する、どうせうまくいく」と潜在意識に刷り込んでいきます。受からなければ笑ってやってください。私も笑います(^^♪3級受ける。フフフ、宣言しちゃった。
2021年09月24日
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スーザン・ケイン著『内向型人間のすごい力 静かな人が世界を変える』を読みました。内向型人間のすごい力 静かな人が世界を変える (講談社+α文庫) [ スーザン・ケイン ]本のタイトルって重要ですよね。全然売れなかった本がタイトルを変えたところベストセラーになったという話を何かで読みましたが、タイトルはいわばキャッチコピーの役割があるんですね。この本はタイトルだけ見て思わず買っちゃいました。以前紹介した『繊細さんの本』はHSPについて平易に親しみやすい文章で書かれたものですが、この本は少し専門的で、内向型、外向型、二つの気質を検証し、内向型とされる人がいかに今の世の中で疲弊しているか、そして、いかにしてその気質のまま生きていけばよいのかを提案しています。HSPは「敏感すぎる人」とエレイン・アーロン氏が提唱しているもので、この本の中でも紹介されていますが、著者のスーザン・ケイン氏は一般に「内気」と称されるような人全般をこの本での対象にしています。それによると内向型の人は全体の3分の1あるいは半数に上ると言います。しかし、世間的な認識では内向的な人は少数派と思われていると言います。その理由は、外向的なことが評価される今の社会において、内向的な人は外向的であろうとふるまう傾向にあり、それが巧みなために表面上は判らないからだそうです。そのうえ、自分が内向型だと気づいていない人も多い。静かにしていて無口で部屋の隅で本を読んでいるような人や子供を「内気」と評されます。「内気」という言葉はネガティブなニュアンスがあります。黙っていると意見がないように見なされる。しかし、自分が内向型だと認識している人は判ると思うのですが、決して意見がないわけではない。それどころか頭の中では膨大な意識が目まぐるしく働いている。実際SNS上ではそんな内向型の人たちが生き生きと自己表現をしているのです。でも、現実の人間関係の上では会社や世間の望むまま外向的であろうとし、結果、疲れてしまう。それでは組織にとってもいい結果を得られないと著者は述べています。内向型の人は一人でいてこそ創造性が発揮され、それが革新につながったりすると言います。著者はこの本で「内向性にもかかわらず、ではなく、内向性ゆえにいかに偉業を成し遂げたか」を検証しようとしています。外向型、内向型ともに何ら報酬とは関係ない個人的な追及に没頭して成果を上げることがあります。そして内向型の人は表面的な評価や報酬に執着はあまりなく、その成果に至るまでに自分の能力を最大限利用することが、目的である傾向があり、そうあってこそ測り知れないパワーを生み出すのだそうです。そして自分のしていることが他人に利益をもたらす意義あるものだと認識すると、外向型かと思うほどの行動を起こすことができるのです。スピーチをしたり、人脈を築いたり、その仕事に愛着を持つと、苦手なことに携わる意欲が起こるのです。ですが、もちろん内向型に似つかわしくない行動をしていると、精神的に疲れてしまいます。なので、著者は回復できる時間と場所を確保するとよいと勧めています。そしてできるだけありのままの自分でいる。内向型の人が外向型社会の中で埋没せずに有益な人材として貢献するには、世の中にどのように貢献するのか考え、実践する。苦手なこともとにかくやってみる。難しければ持ち前の慎重さと繊細さで事前にじっくり準備をする。自分に自然に備わっている力を発揮するには愛着のある仕事を求めよう。そのように著者は提案しています。あくまで、内向型のまま。この本は「内気な子」と思われる子供の親御さんにも読んでほしいです。外向型同士の両親が友達とも遊ばず一人で本を読んでいるわが子を病気ではないのかと心配して「治療」しようとする事例が紹介されています。内向型を自認する私には恐ろしい話です。しかし外向型の人たちには何の悪気もなく、本当に理解できないのです。内向型の人が外向型の人たちの心がわからないように。積極性、行動力、社交性がいい評価を受ける傾向にある社会で、内向型の人が少しでもリラックスして生きていけるヒントを教えてくれる本です。内向型人間のすごい力 静かな人が世界を変える (講談社+α文庫) [ スーザン・ケイン ]
2021年09月23日
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昨日はジグソーパズルのことを書きましたが、小学生の時はまったことがもう一つ。天文学当時大阪に住んでいましたが、夏休みなど長期の休みには田舎の祖父母の家に遊びに行きました。周囲は田んぼに囲まれ、高い建物もなく明かりも少なく、天の川がくっきり見えることに驚いたのを覚えています。お話に出てくる人の手で書かれたディフォルメされたイラストではなく、本物の天の川。それは確かに星の集まりで、ぼんやりとした道筋を作っていました。白鳥座、琴座、わし座、理科の教科書に出てくる星座が、一等星だけでなく他の暗い星まで見えて教科書の通りに見えるのです。それから星に関する本を読んだり、星座を覚えたりしました。天体写真家、藤井旭氏の写真集もお誕生日に買ってもらいました。今も持っています。今思えば、もっともっと熱中すればよかった。けれど、昨日も書きましたが熱中することはお勉強の妨げ、将来の役に立たないこと、と決めつけてどこか手加減し、なんとなくブレーキをかけてしまう自分がいました。そして数学が理解できないという理由で理系の大学を受けるのを諦めました。天文学に興味がありながら、苦手を克服するということをしなかったのです。好きなことをとことんやるという熱意がなかった、というより自分自身に禁じたような気がします。社会人になったら会社に就職して結婚して、子供を産んで、家事をして、それが常識で、現実を見るということだと思い込んでいました。しかし常識なんて言うものは人の価値観によって違うだろうし、そもそも現実って何?実際のところ、私は50歳を間近にして結婚したことも子供を産んだこともありません。たびたび転職してこれといった技能も身につかないまま。そしてわかりました。熱中しなかったからだ。家庭を作るということにあこがれることなく、やりたい仕事に就くわけでもなく、社会人になってから何かに夢中になって取り組むことをしなくなりました。大学を出てから約25年、なるようになるだろうとなんとなく生きていましたが、なりませんでした。少なくとも、何かを成し遂げた感はありません。現実を見るという行為そのものが幻想で、それらのものはなんとなく得られるものではないんだと気づいたのです。考えるにつけ、自分の浅はかさと視野の偏狭さに腹立たしささえ覚えます。今から何かに夢中になれるだろうか。いい大人が何かに熱中しているなんて周囲の人は「現実を見ろよ」と馬鹿にするでしょうか。しかし熱中し、夢中になり、集中してこそ何かが形になり、その何かがようやく自分のものになるのではないでしょうか。私はこれをやった!と言いたい。満足感を得たい。達成感を得たい。そして幸福感を味わいたいのです。
2021年09月22日
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子供の頃、熱中したもの。ジグソーパズル小学校1年生の時、お誕生日だから何かほしいもの一つ買ってあげるということで、おもちゃ屋さんに行きました。もともとパズルは好きでしたが、子供向けのピースの大きなものしか持っていませんでした。というかパズルとはそういうものだと思っていました。しかしおもちゃ屋さんでドナルドダックの絵のパズルが気に入ってどうしてもこれ、と私にしては珍しく強く主張しました。それは500ピースのジグソーパズルで、ドナルドの背景はほぼ白。母のみならず、お店のおじさんまでもが「お嬢ちゃんにはちょっと……」という感じ。「これはどう?」と、代用に示されたのは確か5歳児向け、だったか幼児向け、だったか対象年齢の書かれた箱を示されました。どうやら私はその時幼いながらもプライドが刺激されたのではないかと思うのです。「やる、最後までやる。」と静かに言って一点を見つめて黙ったように記憶しています。(遠い記憶なので改ざんされているかもしれませんが)そして母はしぶしぶ買ってくれました。家に帰ってふたを開けてみると今までやっていたパズルとは全く違うまるで同じような形のピースばかり。始めて見るその形状と量にワクワクしました。どのぐらい日数がかかったか忘れてしまいましたが、自分で宣言した通り、完成することができました。以来、ジグソーパズルが趣味といえるほど小学生の間はずっとはまってました。おそらくはそれによって私はかなりの集中力が鍛えられたと思います。今でいうフロー状態になることを楽しんでいたのではないでしょうか。でも成長するにつれて、勉強することが増え、社会人になる準備をする頃には、熱中することはそれらの妨げになることだと思うようになりました。好きなことに時間を費やすことに罪悪感のようなものを感じ始めたのです。そしていつしかジグソーパズルもやらなくなりました。しかしそれは私に達成感を与えてくれました。私は大人のやるパズルを完成させた!という自己肯定感をその時感じたはずなのです。でもそれらをその後の人生の糧とし、拡大することができませんでした。お遊びと、現実社会を生きることは別物だと賢しらに思い込んでいたのです。50歳を目前にし、あの時の欲求に対するためらいのなさを懐かしく思うと同時に、今からでも、やりたいことはやる!と行動に移せないものかと思い始めています。子供の頃の思い出の中に、残りの人生を悔いなく生きるためのヒントがあるように思います。
2021年09月21日
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今日はとてもいい天気でした。青空がきれいでお日様も明るく気持ちのいい秋晴れの日でした。でも、明日は平日でお仕事なので、今日中にできることをやっておこうと、ちょっと頑張りすぎたかな。お昼過ぎには疲れてしまって一時間も寝てしまいました。本を読み終わったので感想を書こうと思いましたが、今日は疲れました。木曜日に、また祝日が来るのでその時にまとめようと思います。今朝、4時に外に出ると山の端にお月さんが沈んだばかりで山の稜線がぼうっと浮き上がっていてきれいでした。明日は満月なんですね。以前働いていたところで秋の十五夜にはお月見のイベントをやっていました。お茶の先生による呈茶と和楽器の演奏。とても風情がありました。(もっとも私はスタッフなのでせわしなく立ち働いていてじっくりは味わえませんでしたが)明日は満月見られるかな?演奏はありませんが虫の音と一緒に楽しめたらいいな。
2021年09月20日
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先週はずっと雨と曇りで暗い空でしたが、今日は久しぶりにお日様が顔を出してくれました。洗濯物は外に干せたし、家中の窓を開けて風を通しました。やはり天気がいいと気持ちいいですね。朝の4時はまだ暗く、外に出ると冬の星座が見えます。そろそろ秋分でそれが過ぎればすぐ冬です。つきなみですが、一年はあっという間に過ぎます。そして年末には今年はなにかなし遂げたかな、何もしなかったんじゃないか、時間を無駄にしたのではないか、と後悔するのです。しかし、今年はたぶんそんなことにはならないような予感がしています。今年は3月に手術をして以来、一日一日の行動を顧みて、反省して改善して、有意義な毎日を送れるよう意識していました。重大な病気ではないのを幸い、これからは今までの変わろう変わろうと思いながらなにもしない生き方を改め、やりたいと思ったことことを実際の行動に移すということを心掛けるようになりました。手術によって憂いを取り除いたわけですから、これからの人生、意味のあるものにしないともったいない。人生100年時代と言います。だとしたら私にはまだあと半分残っています。悔いのない生き方をするために、目の前の一日を大事にします。
2021年09月19日
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ドイツ語の勉強時間を確保するため、先月末から4時起きを敢行してますが、今のところ続いてます。今朝は台風のため、外に出られるかと思ったら、風も雨も穏やか、いつものようにお宮にお参りして、玄関で瞑想しました。もう早朝は肌寒くなってきましたね。台風も通過して、一層秋めいてきました。勉強や読書がはかどる季節です。今日は土曜日でパートはお休み。かなり長時間ドイツ語に集中できました。ドイツ語検定を受けようと思っているんですが、果たして、4級にしようか3級にしようか、問題集を買って今の実力を測ってます。先日まとめて古本を買ったので、本も読みたい!ドイツ語に疲れたら読書、そしてまたドイツ語。勉強と読書、どちらも集中力を要しますが、けっこう続くものです。やはり楽しいこと、興味あることは苦も無くできますね。こういうのをフロー状態というのでしょうか。集中していると時間のたつのがとても速く感じます。おそらく早く寝て、4時に起きていることも効果があるのだと思います。これからも4時起き、続けます。たぶん続きます。近頃は寝るとき、次の日が楽しみになっていますから。
2021年09月18日
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7月から行っていた歯医者さんは今日でひとまず治療が終わりました。一回の通院で一本ずつ。合計9本の治療でした。どれも少し削って詰めるという程度で、痛くはなかったのですが、ああ、どんどん削られていく。いったいいつまで自前の歯が保てるのか幾分心配になりました。けれど、先生はブラッシングが丁寧できれいですよ、と言ってくださいました。子供の時から歯には気を使っていて、歯磨きには結構時間をかけています。けれどやっぱり虫歯って避けられないんですね。だから、初期の虫歯で済むように、たまに大きく口を開けて自己点検してます。今回も、自分で見つけて早めに歯医者さんに行くことができました。おいしいものを自前の歯で咀嚼してたくさん食べる。きっと長生きの秘訣でもあるんでしょうね。若いころは定期的に検診に行っていたのに、ここ10年以上さぼっていて、虫歯を見つけるまでいかなくなっていました。半年に一回は見てもらったほうがいいようです。次は3月ぐらいに、歯のお掃除と点検をしてもらおうと思います。
2021年09月17日
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子供のころか身近に父親のLPレコードがあり、それは主にクラシックでした。最初はレコードに針を落とすのが面白くて聴いていたのですが、だんだんそれが自分にとってなじみの音楽になっていきました。そこからバッハとかヘンデルとか、ベートーヴェンとか覚えたわけですが、厳密にどの作曲家がいつの時代で誰が先で誰が後なのか知りませんでした。その音楽が作られた時代背景とか全く考えたことがありませんでした。ただ心地よいと思った音楽がクラシックと呼ばれる音楽でした。ですから中学、高校の頃は困りました。同級生と話が合わないのです。クラシックが好きというとなぜか「まーじめー」と茶化され、「ふーん、お嬢様やな」とか不思議そうな顔をされました。そして当時はやりの曲の入ったカセットテープ(なつかしい!)を貸そうとするのです。なぜかクラシックが好きだと変人扱いでした。だからいつしか音楽の好みの話になるとそっとその場を離れました。大人になってからもクラシック音楽の話はしませんでした。特に「お嬢様やな」という先入観が不可解で嫌でした。クラシック音楽の話題を避けていると不思議と自分自身もそれから徐々に離れていき、子供の頃の作曲家の名前を覚えたり、レコードだけでなく、ラジオでも知らない曲を聴きたい、という欲求がなくなっていきました。興味があり、好きなのに、見ないふりをするようになっていったように思います。先日、図書館で、ふと、そういえば私、クラシック音楽に関する本って読んだことない。と気が付いてその関係の本を始めて手にして読んでみました。バッハが生きた時代、ベートーベンの生きた時代、オペラとオペレッタの違い、それぞれの国の作曲家によって曲の風合いが違う、とか、面白くてどんどん読み進めてしまうのです。私やっぱりクラシック音楽とそれにまつわることに興味があるんだ!と、認識しました。どうして自分の好みを押し殺していたのか、やはり周りの目を気にしていたのです。そして好みを同じくする同志を探す努力をしなかった。もっとも熱中した小学生時代からかなり遅ればせですが、クラシック音楽が好きなことをブログで発信していこうと思います。そしてクラシック音楽に関する本も読んでいこうと思います。きっとそのほうが自由で楽しい。
2021年09月16日
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コロナの影響で臨時休館していた図書館がようやく開館しました。本の虫の私にとっては長期の休館は痛手でした。今日久しぶりに行ってしばらく本を読んで過ごしました。コロナの影響か、雨のせいか、それとも平日だったためか人はほとんどいなくて、静かに読書に集中できました。図書館に行っていない約1か月の間、4時に起きたり、やるべきことを淘汰したりして、集中力が鍛えられたのか、気が付いたら4時間が過ぎてました。子供のころに住んでいた家はすぐ裏に図書館があったので、よく通いました。シートン動物記や椋鳩十(むく はとじゅう)の作品など、動物ものをよく読んでいたのを思い出します。高校のころは司馬遼太郎にはまりました。特に『項羽と劉邦』『韃靼疾風録』といった中国の歴史もの、あと忍者の『梟の城』『風神の門』が好きでした。大人になってからは京極夏彦や小野不由美。こう思い返してみると小さなころからかなりの数の小説を読んだんですね。今最も好きなのは梨木香歩。『家守奇譚』『冬虫夏草』の主人公のとぼけた感じが好きです。身の回りに起こる不思議な現象を自然に受け入れていく様子がコミカルに描かれていて、くすりと笑えるユーモアがあります。最近は自己啓発や心理学の本ばかり読むようになっていました。ちょっと一休みして久しぶりに小説を読もうかな。家守綺譚 (新潮文庫) [ 梨木 香歩 ]冬虫夏草 (新潮文庫) [ 梨木 香歩 ]
2021年09月15日
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今までいろいろな本を読んで、何事かの成果を上げるためにはあれこれ手を出さずに一つのことを選んでそれに労力や集中力を注ぎ込むということを学びました。長いスパンでそれを実践して最良の人生をつかむという大目標に対してはもちろんのこと、目の前の短期目標にも使えるテクニックだと思います。今私はドイツ語を勉強しています。覚えることがたくさんありすぎてとりとめもなく、思いついたことを手当たりしだいに学習していました。うーんこれではあれもこれもといろんな趣味に手を出しているのと同じような気がする、と気が付き、今日からちょっと工夫をしてみようと思います。文法と単語、一日のうちに両方やるのではなく、どちらか片方に集中する。単語を覚えるのも、ドイツ語には男性名詞、女性名詞、中性名詞、複数形に分かれているので、今週は女性名詞の週、と決めて、他の単語は無視。一点集中して徹底的に女性名詞を覚えようと思います。さて、成果は上がるのでしょうか。工夫して失敗して別の方法を考え直す。トライ・アンド・エラーこれもよく本に書かれてますね。自分に合った勉強法を探していきます。
2021年09月14日
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先日歯医者さんに行ったとき、待合室でテレビがついていることに気づきました。そういえばもう5か月近くテレビをつけていません。自己啓発本でよく書かれている時間を大切にすることの重要性を実践しているからではなく、自分がやるべきこと、やりたいことを意識して一日を過ごしていると、テレビに意識が向かなくなりました。実際、以前から「絶対今日はこの番組を見たい!何日も前から楽しみにしてたんだから!」ということはめったにありませんでした(たまにあったような気もしますが……)家に帰ったらまずテレビをつける。ご飯を食べるときにテレビをつける。お風呂から上がったらテレビをつける。朝起きたらテレビをつける。もう無意識で疑いない行動になっていました。これがいわゆる習慣なんですね。意識せずともなめらかによどみなくリモコンのスイッチを押す、という習慣。習慣を変えるには最初は苦労するらしいですが、私のテレビを見なくなった現象は、いつの間にか自然に確立されていました。つまり、私にとってテレビは本当に重要度の低いものだったのですね。ですから主電源はオフにしています。(ただし、台風、地震のときはNHKを見ると思いますが)自己啓発本をたくさん読んで自分にとって重要なことを洗い出したり、本当の人生の目的などを考えていたら除外すべき余計なものが、自然と離れて言った感じです。テレビ見たいのに我慢、我慢とストレスを感じるわけでもなく、非常にいい感じで習慣の変更ができました。なんだか最近身の回りがいい感じで更新されているように思います。やはり自己啓発本は実践すると、何らかの形で変化を感じられるものなんですね。
2021年09月13日
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今日は、デボラ・ザック著『SINGLE TASK 一点集中術』を読みました。SINGLE TASK 一点集中術 「シングルタスクの原則」ですべての成果が最大になる [ デボラ・ザック ]シングルタスクとは一度に一つの作業に集中すること、ひいては、「いまここ」にいること、と述べられています。テクノロジーの発達で集中力をそがれてしまう誘惑が多い中で、いかに仕事の成果を上げるか、を説く本です。シングルタスクの反対の言葉としてマルチタスクというものがあります。マルチタスクは一度に同時に複数のことをこなすという意味でとらえられるようですが、著者はそれは本来不可能なこと、と断じます。しかも強い口調で。人間の脳は、一度に複数のことを行うことはできず、そうしているかのように思われるのは、ものすごい速さで今取り掛かっている複数のことに、意識が切り替わっているにすぎないのだと言います。そしてその状態は、集中力散漫ともいうと。人の話を聞きながらスマフォをいじっていて、相手が何を話しているかわからないまま相槌を打っていることはないでしょうか。これが二つのことを同時に処理できていない状態なのです。つまり、集中力散漫です。シングルタスクの敵はスマフォだけではありません。他人の期待、義務感、高い評価を受けたいという欲望。本来の目標とは違う外部の刺激。過去にとらわれ、未来を案じる自らの内なる声。それらは時間の無駄であり、脳の無駄遣いでもあります。集中できていない原因を減らせば、本来の目標を成し遂げることができるといいます。それらにいかに対処するかは自分の責任。最も大切なことを決めてやり遂げる責任。シングルタスクは自制心を発達させるのだそうです。しかし、誰かの要求を達成すべき目標とは関係ないからと退けていては人間関係に関わるのでは、という心配の声もあるそうです。だからみんな「ノー」を言うのをためらってしまう。でも万人にいい顔をできないことも事実です。そもそも注意力散漫では自らの信用を貶めることです。自分の話を上の空で聞いている人を信頼できるのか。たった5分でも自分に集中してくれるほうが尊重されていると感じられるそうです。そのことから著者はシングルタスクは信頼を生むといいます。しかし私もはっきりと他人の頼みを受けるべきこと、そうでないことと線引きできるか自信はありません。要求を断れば、その人は表面的な部分だけを見て自分がないがしろにされたと思うのでは?この人はしっかり仕事に集中しているから私の頼みを聞いてもらえないのね、と奥深くまで思考を巡らせて理解してくれるだろうか。「ノー」はやはり勇気がいりますね。SINGLE TASK 一点集中術 「シングルタスクの原則」ですべての成果が最大になる [ デボラ・ザック ]
2021年09月12日
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昨日は『「繊細さん」の本』を読んだことを書きましたが、この本を読んでいて気が付きました。すぐ前に読んだ『エッセンシャル思考』と共通点が多いということ。「選ぶ」「目の前のことに集中する」「断る」気が付くばかりに仕事を抱え込みすぎる繊細さんが自分のままで生きていく秘訣と、自分の決めた目標の本質を突き詰めていくことと非常に似ているように感じました。断る練習をする、慣れる、ということも、自分でなくてもいいことはやらなくていいというところも同じで、なるほど、繊細さんがありのままでいるというのは、自分の本質を見極めるということなのかな、と思いました。休息する時間をとって元気に回復すると、繊細さんの特徴が力を発揮するというのは、仕事のない日をつくって創造力を目覚めさせるエッセンシャル思考とぴったりです。ということは、HSPの人がエッセンシャル思考を実現したら、何か大きなことを成し遂げることができるのではないかと思えるのです。「繊細さん」の本 「気がつきすぎて疲れる」が驚くほどなくなる [ 武田友紀 ]
2021年09月11日
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以前読んだ武田友紀著『「繊細さん」の本』を読み返しました。「繊細さん」の本 「気がつきすぎて疲れる」が驚くほどなくなる [ 武田友紀 ]自分はHSPかも、と思う人はきっとみんな手に取ってみたことがあると思います。HSPは一時期テレビで取り上げられたり、芸能人の方が自分もそうだと動画で配信したりしたこともありました。そもそもHSPって何でしょう。エレイン・アーロンさんという心理学者が提唱したHighly Sensitive Personの略で「敏感すぎる人」という意味らしいです。そのHSPの性質を持つ人をこの本では「繊細さん」と呼んでいます。周囲の人が気づかない些細な変化を感じ取る生まれつきの気質を持つ、この繊細さん。5人に1人いると言われる繊細さんは、この世の中ではとても生きづらいのです。繊細さんはHSPの示す通りとても敏感です。目の前の人の言外の感情を読み取ったり、場の雰囲気の変化を感じ取ったり、あるいは実際の光や音に過敏だったり。そういう人はあらゆる刺激に疲れてしまうのです。この本はその生きづらさに適切に対処する方法を紹介してくれます。繊細さんは周りの人が気づかないことを気づいてしまう。他人の感情、場の雰囲気、音や光。そしてそんな性質を、他人には「気にしすぎ」「まじめすぎ」と言われるのです。そうすると自分は変なのかな、おかしいのかな、と周りの尺度で考えてしまって自信を失ってしまう。ここで周りのアドバイスを受けて「気にしない」ようにしても、自然と気が付いてしまうのだから根本的解決になりません。そこで筆者は「気にしない」と、無いものにするのではなく、気づいたことに対処することを勧めます。ネガティブなことに目が行きがちで、いいことには気づきにくくなります。それではもったいない話で、自分がいいと感じること、あるいはポジティブに解釈するとよいと言います。あるいは自分に合う環境を選ぶ。「身も心もふっくらする」という著者の表現が好きです。そうなれるよう、自分を変えるのではなく、そうなる環境に身を置くことを勧めています。他人優先よりまず、自分を大切にする。自分の「好き」「したい」に目を向ける。周りの「こうすべき」を真に受け、自分を変えようとするのではなく、本当は「どうしたいのか」を自分自身に問う。そして変わろうと本来の自分を隠すのではなく本当の顔を見せていれば、それに合った人たちが寄ってくるようになるそうです。筆者はSNSを活用して、自分の「いい」を発信して共感できる人に自分という存在を見つけてもらう方法もあると言っています。自分のなかに居場所を作り、自分の味方でいること。仕事より周りより、まず自分の健康が大切。著者の言う「人は、自分のままで生きると元気だ」が実現すれば繊細な人たちはどんなに生きる意義と喜びを得られえるでしょう。ネット上で自己診断のできるサイトがあって、私もやってみました。内向型中程度ということです。うん、まあ、そうだろうな~私の場合は光もカフェインも平気。でも本当に空気を感じ取るというのでしょうか、特によくない状況や人の感情を感じて、そしてやっぱり当たっているということが多い。私からすると、人の表情のこわばりや「おはようございます」の声のトーンがいつもと違うといった、わかりやすいサインがあるから当たるのだと思っているのですが、そのサインが分からない人がほとんどなんだということがこの本で理解できたと思います。そして、5人に1人は私と同じように感じている人がいるということも。それがとても心強いのです。私がHSPかどうかはさておき、HSPの定義を見て、そうそう、私はこれなんだ、と首肯する人が世界にたくさんいる、ということがうれしいのです。「繊細さん」の本 「気がつきすぎて疲れる」が驚くほどなくなる [ 武田友紀 ]
2021年09月10日
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昨日は朝4時起きしてよくなったことを書きましたが、今日、仕事から早く帰れてうっかり横になってしまい、いつの間にか寝てしまいました。なまじ時間に余裕があったのと、即晩ごはんに取り掛からなかったからですね。実はご飯を作らずひとごこちついたのは、今日が週に一度の晩ごはんを食べないプチ断食の曜日にしているからです。健康に関する本を読んでいると、よく今の日本人は食べすぎ、断食が細胞を活性化させて健康と若さを保つ秘訣だとよく書かれています。細胞を飢餓状態にしてから食事をすると、古い細胞が新しく更新される体のシステムが発動するのだそうです。ふだんからの粗食は大変そうなので、私は週に一回木曜日にそれを行っています。今日のお昼ご飯を食べた後は、明日の朝までお水しか口にしません。果たして効果があるのか実感はできませんが、少なくとも朝起きたらもう空腹で、朝ご飯を食べるという単純なことが楽しみになります。朝ご飯が楽しみって、今までになかった!しかし断食はいいけど、変な時間に寝ちゃったので、今夜眠れるかな?明日の4時起き危うし。
2021年09月09日
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4時起きを始めて早く寝るようになったため、晩ごはんの時間も早まりました。今までは仕事から帰ると座ってコーヒーを飲んでひとごごちついていましたが、先週あたりから家について着替えたら即台所に直行です。朝、お弁当作りに時間をかけたくないので、夜ご飯のおかずは翌日のお弁当の中身を考慮して献立を考えます。ご飯を前にいただきますをするときにちらっと時計を見て、お、今日は早くできたな、とか、ちょっとおかずが多かったから時間がかかったな、とか気になるようになってきました。時間の使い方の本で、自分が一つ一つのタスクにどれぐらい時間がかかるのか把握すると、よりよく無駄を省くことができると読んだことがあります。いまやってるのってまさにそれでは?と気づきました。ブログを書いたあとお茶碗を洗って、お風呂を沸かして、お風呂を出るころには20時半になっていれば理想的かな?21時までに寝床に入れるか?というゲームをしているみたい。おかげでタイムマネジメントとまではいかなくとも時間の無駄が少なくなってきたように思います。4時起き、そろそろ一週間がたちます。なんだか続く気がします(^^♪
2021年09月08日
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今、19時前ですがとても眠いです。先週から始めた朝4時起き。昨日までは一日の終わりまで眠気はあまりなかったのですが、今日になってやっぱり眠くなってきました。始めた当初は気持ちが張っていたのか勉強や読書に集中できましたが、やはり今週に入って二日目の平日。仕事での疲れもあってかもう眠い(>_<)でも朝のドイツ語の勉強は身が入ります。出勤時間ぎりぎりまで勉強し、職場についても車の中で始業時間まで勉強。やはり勉強時間の確保には早起きが一番ですね。朝活を勧める本には仕事が終わってから家に帰ったときにはエネルギーが消耗している。やりたいことがあるなら早朝がいいと、よく書かれていますが実際にやってみてその通りだと思います。本当に今(19時前)は眠くて疲れてたぶん集中できません。朝4時に起きると、やったー!今日も起きれたー。と満足感からスタートできます。そして朝活していることを楽しく感じてます。今は眠いですが、今日も21時までに寝ることができれば明日もきっと4時起きができるはずです。お風呂入って寝ます(^^)
2021年09月07日
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私はかなりの数の自己啓発本をよんできました。そしてそれらの共通して主張していることは、「行動せよ」ということ。思い立ったら、早々に行動することが成功の秘訣だと言います。そして準備を完璧にしないようにすることも。考えすぎは時間の無駄だそうです。行動しながらフィードバックをうけ、修正しながら前に進むものが成功をかちとると。私はなかなか行動できないタイプです。慎重で、どんなリスクがあるか調べて考えて、行おうとしていることの知識を得てからやろう、とか。そして時間がかかり、モチベーションがさがって結局やらないことも。最近このブログで読んだ本の要約や感想を書いていますが、自分かよかったと思う部分を遺漏なく書こうとしすぎて時間がかかり、納得いかずに、先送りしたりしてます。実は土日に読んだ本のことを書こうと思っていましたが、どうもうまくまとめられない、と思って、昨日の夜はブログにかくのを諦めてしまいました。こんな感じで何につけても時間がかかってしまします。二度手間になることもたびたび。要領が悪いつもりはないんです。ということは私は完璧主義か?作業効率を上げたいのになんだか矛盾してる。そんなわけで、下書きに保存した昨日の記事、今日もいくらかは手を加えましたが、やっぱり諦めました。そうこうしてるうちに本の内容忘れちゃう(>_<)完璧主義なのかどうかわかりませんが、この時間の非効率、どうにかしたい。
2021年09月06日
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4時起きを始めてまだ数日ですが、続いています。今朝はちょっと起き上がるのにぐずぐずしましたが、今起きなければきっと後悔する!と思い直し、5分遅れで起きました。ベッドの上でYoutubeの動画を見ながらストレッチして着替え、家から1分のお宮にお参りに行きます。それからそこの石段に腰かけて瞑想っぽいことをします。今の朝4時はまだ夜です。怖いです。なので瞑想に集中することができません。5分間にセットしたタイマーが鳴ると早々に家に帰ります。目の前にお宮がなければお参りしないと思います。そして玄関の上がりかまちに座ってメモを広げ、将来実現したい夢を記入し、明るい自分の未来像を想像します。部屋に戻ったら5時まで前日読んだ本をまとめたり、ドイツ語の復習をしたり。5時からは朝ご飯と平日はお弁当作り。それが終わるとドイツ語の勉強。7時半には4分間のHIITという脂肪燃焼の運動をして、平日なら出勤、休日ならお昼までドイツ語の勉強をします。行動を66日間続けていると習慣として定着すると言います。これらのことは4時起き以外4か月ほど続いていて、もう習慣になったと言えるのではないでしょうか。ですから4時起きもこれから約2か月ほど続ければ、私にとって当たり前のことになると思います。自己啓発本で読んだことは実践しなければ意味がないという気持ちで続けていきます。今は朝活が楽しいです。
2021年09月05日
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昨日の続きです。エッセンシャル思考 最少の時間で成果を最大にする [ グレッグ・マキューン ]余計な選択肢に煩わされないために、目的の本質を自分自身で理解し、明確にしておかなければなりません。そうしてこそ、目の前の仕事や要求が、本質に関わりないことと即座にわかると言います。そしてそれを断固として切り捨ててこそ、優れた成果を手に入れることができると。しかし何度も言いますが、本当に勇気のいることです。チャンスを逃すのではないか、自分の立場が危うくなるのではないか、せっかく声をかけてくれたのに失望させてしまう、と。ですが「ノー」を言わなければもっと大事なことを失ってしまうと、文中繰り返し語られます。人間関係は判断を鈍らせるのです。「エッセンシャル思考は「ノー」を言い続ける生活。上手な断り方を見つけよう、と筆者は言います。有能な人は便利に使われてしまうのです。「自分を見込んでくれたと思いきや、本当は誰でもいい」この文言を見たとき、私にも思い当たることがありました。あなただからぜひ来てほしい、経験がなくてもしっかり教えるから。という言葉を信じて仕事に就いたことがあります。しかし、実際は放ったらし、教えてくださいと言っても忙しいからと、その本人に断られます。なるほど、確かに忙しい。忙しいから人手が足りない。なので頭数が欲しかっただけなのだ、とようやくわかりました。私にも思い上がりがありました、よく考えれば、私でなければできない仕事なんて、そうそうあるわけがないのです。おだてられて、いい気になっていたのです。「イエス」を言わせる手練れもいるので、本当に「ノー」を言うために本質を吟味することの大切さがわかる気がします。「最終的にどこに行きたいのか」を明確にできたら次は「今、何が重要か」「今、この瞬間」を意識する。過去にとらわれず、未来を心配しすぎないようにしなければ目の前の重要なことがおろそかになってしまうのです。膨大な選択肢の前に足をすくませていては、時間も労力も無駄になってしまう。人生の残り時間は限られているのです。エッセンシャル思考は後悔なく生きることだと言います。「エッセンシャル思考を生きる人は周囲の人と同化しない。人がイエスというとき、あなたはノーと言う。人が行動するときあなたは考える」しかし実際私は、人間関係を重視するあまり、吟味したはずのことをどれも実行できていないのが本当のところです。ああ、エッセンシャル思考たびたび言いますが、これを実践するのは本当に勇気がいります。けれど、実践出来たら人生の残り時間はどんなに意義あるものになるでしょう。選択を迫られたとき、一呼吸おいて「エッセンシャル思考」を思い出せるようになりたいです。エッセンシャル思考 最少の時間で成果を最大にする [ グレッグ・マキューン ]
2021年09月04日
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今日も著書『エッセンシャル思考』についてです。エッセンシャル思考 最少の時間で成果を最大にする [ グレッグ・マキューン ]昨日の要旨は大事なことの本質を把握すること、でした。自分の求める本質を理解したら次はそれの実現に向けて具体的にどう行動すればいいのでしょうか。考えるための自分だけの場所を作る邪魔が入ることなく、本質的目標、ひいては生き方を見つめなおすために、間違った方向に進んでいないか確認するために自分だけの空間を確保し、考える時間を作るのです。そして自分自身を大切にする。精神的にも、健康面でも。向上心のある人は働きすぎる傾向があると言います。有能なのでなんでも手早く処理してそして一息もつかずに次の仕事。自らに制御をかけることが難しいのだそうです。だからいつの間にか睡眠時間も削られていく。世界の成功者たちほど十分な睡眠時間を確保していると言います。そして仕事をしない日というのを設け、読書やリラックスに集中する。自分の時間と空間の中で本質を再確認したら日常に戻り、それにそぐわないものは切り捨てていくのです。本質に有用な事柄を選び、決断するために、厳しいルールを設けるといいと言います。そうすれば大多数のことは捨てられることだと分かるのだそうです。みんなそうだから私もそうするという言い訳はもはや選ぶことそのものを諦めているのです。私はお酒が飲めません。飲み会の席は私にとって苦痛でしかないのです。けれども後々の職場の人たちとの関係性を考慮して、その苦痛の時間を仕事の延長と位置づけ半ば義務として参加していました。みんな行っているのだから、と。けれども、飲み会の日が近づくにつれ憂鬱になり、そして参加すると答えてからの数週間、後悔の念を抱き続けるのです。しかし、参加してもしなくても次の日からの日常は流れ、その飲み会の話題など朝の挨拶の会話で少し触れるだけ。今思えば、そこでめったに会えない人に会える、会いたいと思っていた人が来る、というのならともかく、自分の仕事とその飲み会の関係性をもっと考えれば憂鬱な時間を過ごさなくてもよかったのです。自分自身が吟味した厳しい基準に合わないのなら、それがどんな魅力的な申し出でも受けるわけにはいかないのです。そして勇気のいることですが、やはり、「ノー」を言うのですエッセンシャル思考 最少の時間で成果を最大にする [ グレッグ・マキューン ]
2021年09月03日
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グレッグ・マキューン著『エッセンシャル思考』を読みました。エッセンシャル思考 最少の時間で成果を最大にする [ グレッグ・マキューン ]まずそもそもから、「エッセンシャル」って何? というところから入りました"(-""-)"調べてみると「本質的な」という意味らしいです。本書ではなんのことかというと、自分のやりたいこと、やろうとしていること、設定された目標の本質、ということです。目標を、仕事を、そして人生を(自分にとって)正しくやり遂げる方法を教えてくれています。文中、頻繁に出てくる言葉は、「選ぶ」「選択する」そして「捨てる」自分のできることすべてをやろうとするのはエネルギーの浪費であり、非効率であり、時間の無駄だと言います。時間やエネルギーはたくさんの選択肢の中から重要なものを選ぶときに使うべきだと。何かを選ぶということは同時に何かを捨てるということ。そうですよね、体も頭も一つ、時間は有限という条件で、なんでもかんでも同時にっていうのは本来無理なことですよね。目の前のそれができそうだと思うからひきうけてしまうことがあります。仕事でも、つい「私がやりましょうか」といってしまいます。(やめた前職だけでなく今も)積極性をアピールする思惑もないではありません。けれど、抱え込みすぎて結局疲弊するのです。やらなければならないことではないはずなのに。何かを選ぶことは何かを捨てることで、何かにイエスを言うことは何かにノーを言うことだと書かれていました。健康を維持してパフォーマンスを上げたければ、疲弊する余計なことは断るべきだということですね。断ったり、諦めたりするのは気が引けるものです。ですから、ノーを言うこと、あるいは諦めるというネガティブなことより、全力を注ぐべきことはなんだったかに意識を向けるほうが良いと言います。本質が分かっていれば注力するところも理解できるのです。つまり本質とは周りの余分なことをこそげ落として核を出す、ということでしょうか。しかし、これは実践するにはかなり勇気がいる、というのが感想です。私はいろんなことに興味がありすぎて、多様なことができる反面それら一つ一つを深めることができません。多趣味すぎて手が回らないのです。一つをやっている間は結局他をやっていない。これでは仕事を抱え込んでいるのと同じ。すべてが中途半端な技術と知識でしかないのです。実践できれば本来やりたいと思っていることは飛躍的に前進するでしょう。あれも捨てて、これも諦めて、とネガティブなことにばかり目が行ってしまいます。しかし、諦めても私の人生になんら影響を及ぼさない趣味はあります。そしてさらにこれは趣味だけどなければ人生が空疎なものになってしまう、捨ててはいけない部分だと思えるものがあることも分かりました。まず身の回りの余分なことから検討していこうと思います。エッセンシャル思考 最少の時間で成果を最大にする [ グレッグ・マキューン ]
2021年09月02日
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近頃、早朝に仕事や勉強を集中して行う朝活が注目されています。私も今年の4月からNHKラジオのドイツ語講座を聞き始めたのを機に、朝5時に起きて出勤時間まで勉強することが習慣になっていました。しかし朝、必ず時間を取られるのが、朝ご飯とお弁当づくりです。もう少し勉強時間を確保したいなあと欲が出て、とうとう今日、4時に起きました。4時に目ざめ、まだ暗い外に出るとオリオン座がよく見えました。庭で深呼吸したり将来の目標を反芻したり。すっきりした頭でドイツ語の勉強と読書をすると、あっという間に時間が経過するほどの集中力でした。明日も4時に起きようと思っていますが、睡眠時間は7時間確保したいので、21時には寝なければなりません。1日の終わりに仕事を頑張ったご褒美に動画視聴をしていましたが、これは本当に見るべき動画を限定して制限しないと、さすがに4時起きは続かないでしょうね。(つい、おすすめをクリックしちゃう)今19時です。そろそろ食器を洗ってお風呂を沸かさないと質の良い睡眠がとれませんね。あしたも頑張る必要のないくらい自然に勉強できるよう、よく休んでよく眠ります。
2021年09月01日
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