本日は中学時代の同級生有志男女9名による忘年会でありました。
参加者は、男性が喜〇君、谷〇君、木〇君と小生の4名。女性が嶌〇さん、塩〇さん、堀〇さん、大〇さんとひろみちゃん8021さんの5名。
発端は、大〇さんから小生にメールが入り、女性陣が忘年会をしたいという話になっているが、男性陣も一緒にどうか、というのが、それでした。特に今年5月の墓参兼ミニクラス会に都合がつかずで欠席となった喜〇君にも会いたいという話であったので、小生の方でメンバー各位に連絡し、喜〇君の予定を優先して日程調整したところ、本日の開催ということになったのでありました。
店も大〇さんのお嬢さんがやって居られるお店「かま田」で、ということになりました。このお店は、恭仁京跡の近くの国道163号沿いにあり、小生としては、「恭仁京跡」近くということだけで、もう全く異論なしで、即同意、大〇さんにお店の方の手配をお願いしました。
<参考> 中学恩師の墓参・ミニクラス会
2015.5.30.
(和食処「かま田」)<参考> 京都府木津川市・
和食処
男性陣はひろみちゃんの車で、女性陣は塩〇さんの車で、かま田へ。
予定より10分遅れの12時10分に全員集合。開宴、乾杯となりました。
料理は、てっさ、てっちりの、ふぐのコース。
料理もよし、昔話に花が咲きました。
どうぞ、皆さまもお近くにお越しになられましたら、お食事はこの「かま田」でなさるのがよろしいかと。
店の前から北方向を望むと、目の前が恭仁京である。と言うか、この店のある場所も含めて恭仁京の跡なのである。奥に見える森の辺りが大極殿跡とされる場所である。
恭仁京については、これまでにも取り上げているので、それらをご参照戴くこととしますが、聖武天皇の時代に平城京から一時(740年12月~744年2月)この地に都が移されたのである。
大伴家持が22歳~26歳という若い時代の頃である。彼は、この都に期待を寄せて、
今造る 久邇の都は 山川の さやけき見れば うべ知らすらし
(万葉集巻6-1037)
と詠んでいる。
歌意は「今造営されている恭仁の都は、その山や川がすがすがしいのを見ると、なるほど都になさるのももっともなことだ。」である。
この歌など、この地付近に関連した当ブログ記事に掲載の万葉歌を抜粋した簡単な資料を作成して、出席者に配布して置きました。折角に恭仁京跡にお越し戴いたので、参考になればとのヤカモチ流「おもてなし」であります(笑)。
で、偐家持が上の家持歌を真似て、即興で作った歌は、
今つどひ 恭仁のみやこの 山川の さやけき見つつ どちとすぐさな
<今集まって、恭仁京跡の山や川のすがすがしい景色を見ながら、友と過ごそうと思う。>
でありました。
<参考> 恭仁京銀輪散歩
2014.10.23.
続・恭仁京銀輪散歩
2014.10.24.
同期会・青雲塾万葉ウオーク・第8回ナナ万葉の会
2014.11.29.
会終了後、塩〇さんの車組は帰途につきましたが、ひろみちゃんの車組はまだ日も高いので、恭仁京跡(大極殿跡・山城国分寺跡)、海住山寺などを散策してから帰途につきました。
恭仁京跡では、7~8名のご年配のご婦人の一行が手にメモ帖とペンを持って廻って居られました。「吟行ですか?」と声をお掛けすると、「吟行のつもりなんですが、なかなか句にならなくて・・」と笑って居られました。伊賀から来られたようです。
我々は同窓生の忘年会で昼食の後散策しているのだ、などとお話していると、ひろみちゃんが先生が小生だと冗談を言ったものだから、色々と質問して来られるのでありました。布当山とか鹿背山とか狛山とかと熱心にメモされるので、先に皆に配布した資料の小生控え分、手許に残っていた1枚を差し上げることとしました。
こういう出会いも面白いものです。
(海住山寺) <参考> 海住山寺の紅葉・井手和束銀輪万葉完結
2014.11.28.
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