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再びUFO雲の写真です。
雪だるまのような雲でもありますね。
ところで、私のUFO人生に関係して訃報があります。
私が共同通信社富山支局の記者をしていたときに、大変お世話になった山口博先生(当時富山大学国文学教授)が、去る8月8日に逝去されました。92歳でいらっしゃいました。
謹んでお悔やみ申し上げます。
先生のお嬢様が知らせてくださいました。
山口先生に最初にお会いしたのは、確か1984年早春。
先生が52歳、私がその半分の26歳くらいのころでした。
このような言い方をすると大変おこがましいということはわかっていますが、出会った瞬間に「水魚の交わり」という言葉が浮かびました。
当時はどうしてその言葉が浮かんだのかよくわかっていませんでしたが、その時に先生に紹介していただいた古史古伝「竹内文書」が私の生涯の研究テーマになったことを思うと、会うべくして会った方なのだなと今では理解しています。
山口先生との一番の思い出は、なんといっても立山町横江の尖山の山頂でUFO観測会を開いたことでしょうか。1984年の夏の終わりか秋のころだったと思います。
日が暮れてから、総勢7~8人くらいでひっそりと、懐中電灯で足元を照らしながら尖山を登りました(怪しい一行ですね)。
しかし、途中から横殴りの雨が降ってきてしまい、山頂に着いた頃には全員ずぶぬれに。
それでもかまわずに思い思いにUFOを呼ぼうと試みました。
結局、UFOは出現しませんでしたが、皆が驚いたのは、山頂にいる間、尖山の上だけが厚い雲にぽっかりと巨大な穴が開いて、無数の星がきらめいていたことです。
雨の中、あの美しい星空を見たことは、私の富山時代(1982~85年)のハイライトとも呼べる不思議で面白い体験でした。
その後も長らく、私はUFOを見ることはありませんでしたが、拙著『正統竹内文書の日本史「超」アンダーグラウンド3』(ヒカルランド刊)に詳しく記したように、2012年になって初めて富士山のそばで多数のUFOに遭遇、写真撮影にも成功しました。
今の地球の科学では到底理解できないような、精神と物質が融合したような彼らの科学にはいつも驚かされます。
いつか地球人も、そのような進化を遂げる日が来るのではないでょうか。
もっとも、万葉集から陰陽道、竹内文書、果てはUFOの世界まで、すでに時空を超えて活躍された山口先生のことですから、いまごろは本物のUFOに乗られ、広大な宇宙でさえ「所狭し」と飛び回っていらっしゃるかもしれませんね。
山口先生、本当にありがとうございました。
心よりご冥福をお祈りいたします。
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