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長女がある本を見つけてきました。それは、走りながら足を細くする本。「毎日続けているマラソンがもっと楽しくなればいいな」と思って、買って上げました。すると、思わぬ所から。。。長女がマラソンを始めた心の出発点に戻り、進む方向性を考えるチャンスとなったのです。 長女曰く。「足を細くしたくて始めたマラソン。けど、走れば走るほど、足は太くなっていくねん。。」と、疑問に思っていたらしい。 そら。。。しんどいよな!!けど。毎日頑張っているね。 その頑張り、自分が望む成果を出す為に方向修正せな♪ ということで。。本を読みながら、一つずつステップをこなしているようです。 自分が望む事は何だったの?!ときどき、振り返ってみるといいかもね。 ということで、私自身を振り返るチャンスとして受け止めます。
2010年05月30日
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命のバトン ニコニコ笑顔で長女が帰ってきました。 明け方の3時30分まで、頑張って勉強していた長女。 手ごたえあり。。。 数ヶ月前の姿の面影は全くなし そして、さっき。。 次女がまたまた笑顔で帰ってきました。 次女は答案が帰ってきたよ。 えいご。 えいご。。。 大の苦手から這い上がってきた。 お父さんと長女に教えてもらいながら。 マイペースで、根気よく頑張ってきたね 英語の先生から、「学年で一番頑張ったね」と言って貰ったらしい 基礎を固めてきたからね うれしいなぁ~。 一つのハードルを乗り越え。 その自信が次への意欲につながり。 選択肢が増えるね。
2010年05月27日
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命のバトン 中間テストで、お昼には帰って来る高3と中3の娘たち。次女が長女に英語のテストの答えを聞いてる。あらやっと、やっと。。。努力が実ってきたみたい。 もう。。。滅茶苦茶苦手だった英語「そろそろ、英語が楽しくなってくるよ」と長女が次女に言っている。 よかったねということで。賑やかな午後。私の中で流行の<ちぎりおかずパン>を作りました中には焼きそばとチーズ・ハムの具材が入っています。 それから。。。ご飯を食べながら、いろんな話をして。。。「おかあさんとお父さんの子どもでよかった」と。次女がさりげなく言いました。 うれしいね。子育てバンザイ
2010年05月25日
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命のバトン 我が家の子ども達は中学3年と高校3年。ひょんな事から、子育てを振り返るチャンスがやってきました。 子どもをやる気にさせる方法。それは、子どもの好奇心の芽を摘まないことです。やろうとする事を否定されたり、非難されたり、批判されると、やる気をくじきます。 生まれたばかりの子どもは好奇心で一杯です。ときには、危ない事や、大人から見て無駄な事をしているなぁ~。なんて、思うときもあります。身の危険があるときは、わかるように説明してあげるといいですが。。。冒険をしているときには、そっと。見守ってあげるといいですね。それが、たとえ。大人から無駄だと思っても。チャレンジする事からいろんなことを学びます。もし、「危ないから」「だめ!」「怖いよ」とか。過剰な心配。幼稚園に行き始める頃に「トイレは、ちゃんと先生に言ってね。行きたくなったら早めにね」という言葉かけを、心配顔で言うと子どもが不安になります。→祖母が異常なくらい長女に不安の種を受け付けていました。トイレに行きたくなったら、どうすればいいの?なんて、自分で考え行動できるように、周りは安心・信頼できる場所だということを伝えると、不安は軽減され、思考は固まらず、考える力が行動へと導きます。ユーモアが必要ですね。 な~んて、子育てを振り返り。失敗から学んだ事です。 こどもの習い事からも多くのことを学びました。公文の帰りが遅くなる子ども達を迎えに行き。心配や子どもを思いやる、良い親を意識する自分。そんな自分と葛藤しながら迎えに行くと。帰り道の時間的な状況が把握でき、子ども達の様子も把握できます。すると。。心配すること、子どもを手放す所、逆に迎えに行ったりなどと、接してあげる所の判断が自分でできます。バランスを自分で取っていくんですよね。つまりいろんな心の葛藤が自分と子どもを育ててくれたのです。不安は目にみえないから不安。不安だった事を安心に変えて、安心の貯金をすると、親として心が軽くなる。思考が現実を創造する。でも。不安や危険も存在する。 自分の中の不安を安心に変えていくと、安心が増えていく。そのような思考パターンに子育てを通して、変えていくことができるな。と思った。 危ないから。と、子どもに言い続けると。本当に危険だと思って。挑戦できなくなる。そのような、子どもさんを垣間見て、泪が溢れてきました。そして、子育てを振り返るチャンスを頂きました。
2010年05月25日
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ものすごい雨でした。 <あめ>という字。 あめ。雨。アメ。 いろんな書き方があります。アメは飴とも、捉えることもできます。 だから。。。と。。。思いが食い違ってしまう時もあります。 言葉遊び。言葉の連想。飴はあまい、くるくるキャンディ、夜店、駄菓子屋さん。。。。 雨。カタツムリ、冷たい、あじさい、レインブーツ、かさ、、、、実家の庭に咲いていたアジサイ、そしてカタツムリは幼児期を思い出します。そして、温室。雪柳の花。温室の臭いは今も記憶に残っています。 雨がやんだら、新緑が鮮やかに見えるのが楽しみですこころもうきうき楽しい感情が湧き出てきます。 じめじめあめも。洗濯の事が気になる今日も。。。 楽しい感情は生まれるみたい 言葉と心の連想ゲーム
2010年05月24日
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次女が「ふくれて喋らなくなる事がなくなったね」と、姉と話していた。 ひどいときには何時間も話さないこともあった。 この事は姉と話すまで、気がつかなかったけど。。。 嬉しいね 姉が「次女とひだまりが小さい頃にふくれるのとよく似てたわ」と。。。 いろんな思いを溜め込むタイプ。 と、いうか。。。 自分の思いが伝わらないから、喋るのを辞める。 よかった。 よかった。 さいきん。。 長女と次女の仲が良い。 やっぱりいいね。 今日は衣替えだ~♪
2010年05月22日
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命のバトン 「橿原神宮」。 近くなのに、姉とはまだ一緒に行った事がない。 ということで、行ってきました。 写真は蓮の池です。 そら。 新緑。 鳥の鳴き声。 姉との会話。 「こういうのって、大雑把やねん。私。。。」 「凸凹みたいやね」 「お互いにきちんとする所と、大雑把な所が全く正反対!!」 それを。。。 姉の大雑把な所を攻めていた そして、姉の得意なところに、コンプレックスを感じ。 母が姉の得意とする所を褒め、私はどうでもいい子なんだ~。 と、すねたり。 母や姉を攻めたりしていた数年前。 心の膿を出し切ると。 こだわっていた自分が笑えてきた 結婚20周年のお祝いを持って。 姉が我が家にやってきた。 嬉しかった 家族って。 どんなことがあっても、ふか~い縁で繋がっているんだね。 子ども達の話に耳を傾け、成長を共に喜んでくれる姉。 背伸びしなくてもいい。 お互いを補い合う為に出会ってるのだから。 まっすぐに進めばいいね。
2010年05月21日
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命のバトン 学校って、勉強をして偉くなる所? 友達を作る所? 私は将来の為だと、数年前までは思っていた。 タイトスカートをはいて、出勤して働いて。。。 他には何も考えてはなかった 人生って、こんなもんなんやな~。 と思っていた。 職場の居心地が悪くなって、結婚して。 子どもができても、対人関係の悩みは消えず。 それでも、子どもを育て、 節約をして。 マイホームを買って。 年老いていくと思っていた。 堅実とも言えるかもしれない。 自分で人生を切り開いていく選択肢は考えてなかった。 さて 子育てはいろんなチャンスや気付きを与えてくれる。 中学三年になる次女。 英語と数学が苦手。 英語と数学は入学試験の必須みたいな科目。 親だったら言いたくなるよね こだわらずに、数式を覚えなさい。 とか。 丸暗記しなさい。 とかね 我が家には、子どもの立場で次女と向き合う夫がいる。 気長に何度も繰り返し、責めるでもなく、教え込もうという上から目線でもなく。 ただ、ひたすら。 次女に付き合い、教えていた。 中学2年で社会が好きになり。 中学3年で、英語がわかりだした。 が。。。 口頭で覚えるため、筆記ができなく。 テストで悔しい思いをした次女。 そのころから、書いて覚える事を始め。 同時期に漢字の小テストも毎日のように、書いて覚えるようになった。 そして。 気になっていた数学も真剣に自主勉を始めた。 わからない所をお父さんに聞いて。。。 昨日、次女が満面の笑みで、こう言った。 「なんや、すっきりした。」 こだわっていたから、なかなか進まなくて嫌になっていた。 けど、こだわりを捨てたら、すいすいすすむ。その、コツも見つけたらしい。 こだわるのは、理解が深まるけど。 受験が待っている。 だから、無意識のうちに目的を変えたんだろうね 周りの流れに添って。 自分が進む方向へ。 その為にする事。 を、試行錯誤しながら。 自分でコントロールしていく。 それが、学校の役割だと思った。 もちろん、友達もクラブも大切。 でもね。 自分で選び、行動しながら、周りと調和していく。 これって、社会に出ても必要な事。 子どもを育てながら、私は沢山の事に気付かせて貰っている。 親が子どもにできること。 舵取りのできる子どもとして、接する事かな
2010年05月21日
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命のバトン 「心配は要らないよ」という次女。 「えっ?」何のことか判らない私は呟いた。 「参考書を買いに本屋さんに行くけど、時間掛かるから心配せえへんでいいよ」と。。。 なるほど次女は選ぶのに時間が掛かるもんね。 それから。。。土曜の部活で帰宅時間が、いつもより30分遅いだけで、昼間やのに心配する夫。 「おとうさんやったら、心配するな。。。」そうそう、お父さんは心配性やからね。 私は過去に。心配で居ても経っても居られず、公文教室へ何度迎えに行った事か。。。 今は、落ち着いていられる。 なんでかな~。と考えながら、料理をしていた。 ほっほ~。 ここ数年。 「大丈夫やった!!」と。帰りが遅くて心配した時には、必ず自分自身に「大丈夫だった!」と、心にインプットしてきた。安心。を、自分の心の中に潜在しておく。「思考(潜在意識)が現実を創造する」のだから、自分の心の安心を育てると、安心のエネルギーが外側へ発信され、安心が戻ってくる。 心配して、いろんな事を考えると、良くない事を考えたり。大丈夫だと自分に言い聞かせたりと、大忙し。 気になれば、迎えに行けばいいし。そして、安心の種を心に植えると、迎えに行った帰り道は子どもとの楽しい散歩の時間になる。 夫は楽しみながら、見に行く事もあるし。家で待っていることもある。そんなお父さんの姿を見ているから。 「心配は要らないよ」と、親の不安の種を安心の種に植え変える事ができるようになった。 安心の種を言葉や態度で植えいくと、子育ても楽しいね。
2010年05月20日
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命のバトンさっき、日記を書きながら「なるほど~」 と思った。 それは。。。 先日、娘が「資本主義って何?」「資本家って?」 経済には全くムチの私。 でもね。。 でもね。。。 ネットワークビジネスに取り組んでいた頃に、あるDVDで資本主義のことを学んだんよね。 ちゃんと、お答えしました。 国語辞典では。 商品経済の広範な発達を前提に、労働者を雇い入れた資本家による利潤の追求を原動力として動く経済体制。資本家が生産手段を私有し、労働力以外に売る物をもたぬ労働者の労働力を商品として買い、労賃部分を上回る価値をもつ商品を生産して利潤を得る経済。封建制に次ぎ現れた経済体制で、産業革命によって確立された。 連想が大好きな私は。 ネットワークのビジネス活動を思い出しました。 「壷を開けて、人を見極める・ビジネスに勧誘する」ようなイメージのビジネスセミナーにて、学んだのです。 労働力となる人を探すビジネス活動。 なんだか、似ているな~。 と思った。 そこに生産性があればいいんよね。 こんな製品があればいいな。 とか。 こんな娯楽施設があればいいな。 とか。 夢を形にしたり。 便利なキッチン製品が生まれたりとか。 詩人のまどみちをさんは、自分の好奇心を表現したのが「詩」。 自分の好奇心を満たしながら、生産・生み出す詩。 心が形になり。 人々を感動の渦へと巻き込む。 疲れた心や傷ついた心などを癒す。 形あるもの・形のない心。 どちらも必要だね。 どちらも、人を騙したり、相手を判断して批判・非難・否定してはいけない。 そのままの相手を受け入れる寛大さが、調和を創造していくね。 相手の意見を寛大に受け入れても、相手に従わなくてはいけないということではない。 資本を持っている人がより、資産を増やしていく? そうでもあるし、そうでもない。 リスクを伴なうし、責任もある。 健全な形で動いていると、バランスを取りながら上手くいくかも。
2010年05月20日
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命のバトン これはなぜ? どうしてこうなるの? たくさんの???を、学びと体感から自分の腑に落としていく。 生まれたときから、結婚するまでの??? 結婚して、「長女の問題」を口実に心理を学び、バブルのOL期に貯めておいたのを、費用に充てた。 そして、???とともに、問題が浮上し東京へ学びに行ったり、セラピーの事務所を構えて、上手くいかないから閉じて。 ネットワークビジネスを通して学んだ。 で。。。 一番初めの???が判った。 そして。 本を出版した。 ある人が「離婚を言い渡されてもおかしくないで!!」と言うくらい、???を追い求めてきた。 しかし、家族は崩壊どころか、あたたかいひだまりが今日も生まれている。 ありがたいね♪ 今日、結婚20周年を向かえ、新婚当時よりも心地良い居場所がある。 子ども達も仲良く。自分の思いを抑えていた長女も遠慮なく発言できるようになった。 家族一人1人の個性を大事にし、お得意な分野で一人ひとりが役割を持っている。 時の変化、役割、立場などを変えて、自由に動いている。 人に縛られない自由。 ネットワークビジネスに取り組んでいた頃。 目標設定があった。 必ずかなえるもの。 そのために試行錯誤しながら行動に移していく。 でも。。 目標達成できずに、先送り状態だった。 立ち居地。 目標が違うから。 という事もあるだろう。 大きな目標設定や明確な目標があるわけではないが。。。 今ある状況をどのように活かしていけばいいやろう。 今の状況をどのように意味づけ、次へのステップにするか。 そして、小さな目標ができて、そのためにできることや、そのために必要な事を模索していく生き方。 今ある状況を。 じゃがいも畑に見立てると。 意識しながら、掘ったほうがじゃがいもはほれる。 欲しい野菜が明確だと、どれを掘ればいいのか、どの苗を植えればいいのかがわかり、それらを意識することで、チャンスを掴む。 それが、自分の潜在意識を活かす・可能性や能力を活かす事に繋がると思う。 ネットワークビジネスに取り組んでいた頃は、目標達成できない自分を責めていた。 自信もなくし、そんな自分を創造したことに嫌気が差したりもした。 しかし。。。 煮物を作るときのように。 じっくり煮る。 素早く煮る。 煮て味をしみ込ませる。。。 など、いろんな方法がある。 できた煮物は、いろいろ。 だから。。。 パッと見ただけで、人を判断したり、否定したり、非難してはいけないね。 人生最後に良く頑張ったなじぶん。 といえるくらい、人生を楽しみ、心を育んでいきたいな。 そして、これからは役に立つ自分になりたいな。
2010年05月20日
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命のバトン 中学2年になる次女。小学生の頃から撒いてきた種の芽が出てきた。 次女に教えてきた事。与えられた状況から、長女自身が道を切り開いていくこと。 例えば。。。クラス替えで、仲の良い友達とクラスが離れたとき。チャンスだよ。新しいお友達を作るチャンスだよ。仲の良い友達と一緒だと、心地いいから、自分からお友達を作ろうという意欲が少ないね。という言葉を、小学生の頃から新学期が始まる度に、何度行ってきた事か。。。 4月、新学期が始まり、次女はそのままの状況を観察した。学校での流れを肌で感じながら、チャンスを見つけては活かしてきた。今、そのままの状況を活かすも殺すのも自分自身に委ねられている。 新学期が始まり、1ヶ月半。過去に学んだ事が活かされ、担任の先生の頑張っている所、優しさなどを見つけては「このクラスでよかった」と言っている。友達にも恵まれ、今を一生懸命に生きている。 長女と2人。並んで中間テストの勉強をしている姿を見て、幸せを感じている今日この頃です。
2010年05月19日
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命のバトン 無断で朝廷に取り入った?罪で切腹の罪に問われた平井収次郎。平井収次郎は、何にもしてない。日本を守る為に攘夷を決行した。無念。 そのシーンの少し前に戻れば。攘夷を反対する藤堂を意識のレベルで排除した。もしくは、そのような組織の中にいた。思っていることと、していることは同じなんよね。自分と同じ思い・考えと違う人を排除する。すると、自分に返って来る。 年月を経て、自分・物を変えて。。。。苛めるというエネルギーが増幅すると、殺人に変化する。と習った。意識は拡大縮小しながら。過去・現在・未来へと自由空間を収束しては、消えていく。 相手は自分の潜在指揮を投影した姿。その相手に、恨みの感情や憎しみの感情を人は抱く。それは、自分の考え・思いこそが正しいと思うから始まる。そのこと自体は正しい。そして、相手の考えも思いも正しい。相手のことを否定するから。自分のやろうとする事の邪魔になる、という思いから争いごとが始まる。 でも。。。無念。悔しさ。憎しみ。許されない気持ち。は、ある。。。。それを、言い続けても何も変わらない・更に苦しさは増幅する事を体験から学んだ。そのことを「命のバトン-自らが輝き出すとき-」に書いた。 人として、境界線・一線を越えてはいけない。命を粗末に扱ってはいけない。その仁義・真理を昔の人は学んでいたんだろうな。けんかをしたら痛いことも。相手のステージに土足で踏み込んではいけないことも。 この世は心の虫眼鏡をかけて自分が見たいように見ている。 社会に自分自身が左右される事なく。自らが輝き、社会貢献している人は沢山いるだろうと思う。自分がそのステージに立ったときに、その人たちと出会うだろう。その日を楽しみに、日々歩み続ける。心にひだまり。あたたくて、穏やかな気持ちになる場所。あたたかいエネルギーを発信して、あたたかいエネルギーを浴びた自分と巡り会う。 こっちの生き方、楽しいよ。って、胸を張って堂々と生きている自分の姿を夢見て。歩み続ける。
2010年05月19日
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命のバトン 幸せのかたちって、目には見えないけど。触ることもできないけど。味もしないし、臭いもない。 自分の心の中にあるイメージしながら、五感で感じてみる。その五感で感じた感情が自分の外側へ発信し、鏡に反射した感情が戻ってくる。 傷つきやすい自分。いつも空回りな自分。 なぜ?周りの人たちはそつなく楽しそうにしているのに。。。 その謎を洞察・探求した。 すると。。。 恐怖や不安という渦の中で育った自分。自分を下げて、仲良くなってから、意のままに丸め込まれそうな対人関係の中で、息苦しさを感じていた。そのような心の根源に辿り着き、傷つき空回りしてきた自分の気持ちを判ってあげた。そして、自ら発するエネルギーを心地良いものへと変えていった。 一年前の自分。 自分が嫌とする対人関係の人たちとの距離を、壁を作っていた。そして、嫌とする枠組みの中を洞察しまくり、また。自分の気持ちを理解した。 ちょっと、待ってよそのような心の声。 嫌とする枠組みの中。見る方向を変えると、愛や貢献、人を愛することを私以上に持っている。 そんな気付きがあった後。私の心の中で調和が訪れた。壁は消えた。 すべては自分次第。自分が見る方向によって、心地良くも悪くもなる。心地良いほうを見ることで、穏やかな感情が育つ。 恐怖や不安で、行動を動機付けなくても。人は自分の意志で行動できる。それは、安全で傷ついても癒す自分の居場所があるから。 やる気を出す為に結果や成果などを掲げるのもOK。無形の心を大切に育て、あたたかい陽だまりを発信するのもOK。 大切なのは、心に陽だまりを 人を判断せず、ありのままの相手を受け入れる寛大な心と、自らの力で歩んでいく力強さ。すると、しがみついてたものや人ではなく。相手は自分の映し鏡。だから、自分の存在を大切にしてくれる相手と巡り会う事が多くなるね
2010年05月18日
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昨日の竜馬伝から、どんなことがあっても、相手を批判・非難・否定してはいけないし、相手を信頼し、尊重の思いで関わっていくことの大切さを感じました。 ひとつの出来事にもいろんな見方があって、どの考え方・思いも正しい。 安心・安全な環境で生み出す喜びや達成感を味わう。 なぜ?どうして?原因は?を追求しても答えはない。 答えは、いく通りもあるから。 自分の気持ちを判ってあげる為には、必要だけどね
2010年05月17日
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命のバトン 今日は次女の誕生日なので、家族4人揃ってお出かけ。 まずはランチを食べて、誕生日プレゼントを買いに大型専門店に行って。。。。 プレゼントを買ってから、本屋さんでお買い物。。。 その後、新緑の山をドライブ。 帰りにケーキを買いに行こうとしたら、もう。 7時。。。 あらら、ケーキやさん、開いているかしら? ぎりぎりセーフでした。 しかも、いつもなら4時ごろに売り切れているシュークリームも残っていたので、かって帰ったよ。 でね。 去年の今頃の長女は、家族の中の孤独を選んでいた。 今日、一緒に行動していると「こんなに楽しいことに参加せずにいたのか。。」と、ポツリ。。。 一年前の長女は、一生懸命に自分がよし、という道を選んでいた。 しかし、空回りして。その原因がなんだかわからなくて。。。 窒息しそうになっていたんだろうね。 そんな長女を否定せず、長女が訴える事に耳を傾けた。 長女の立場に立ち、新しいやり方を教えた。 そして、これまでのやり方と新しいやり方を選んだ時の体験による感情を大切に扱ってきた。 母親、リーダー、セラピストとしての受け皿。 心と社会の仕組みを理解する事で生まれる。 空回りする理由。 傷つけられる自分。 など。。 それはなぜ? その理由がわかれば、次へのステップへと進んでいけるね。 その理由を突き詰め、原稿を書きある出版社に応募したけれど、選ばれなかった。 その意味は。 次なるチャレンジは? と、思い巡らしていた。 競争社会に異議申し立てるのではなく、ひだまり。。 を、広げていく事が自分の夢だったんじゃないかな。 と思った。 競争社会で勝ち抜いていいる人を良く思っていない自分が居たけれど。 その人たちの立場から見ると、社会的な貢献もしている。 なにより、一生懸命に生きている。 競争社会について、理解し活字にしてきたことで、いろんな人の思いを受け入れられるようになる。 だから、次なるステップへ。。。。 昨日の日記にそのヒントがあるかも。 好奇心が人生を創造していく。 気がつくと、自分の夢が叶っている。 形や物にこだわらなく、自分自身が輝く事で回りも輝き出すような。 そんな居場所、心のひだまり。。。
2010年05月16日
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小学生の頃から、学校での問題行動(遁走・登校拒否、かんもくなど)を引き起こし、小学6年のときに一旦おさまったものの、高校生になってまた、嫌な事から逃げる癖、早退や保健室に逃げる、家を出ているのに寄り道をして遅刻をする。無断外泊など。。を引き起こした。これではいけないと思い、高校2年の3学期に長女と真剣に向き合い、長女の意識変革を行った。その結果、まじめに学校へ行くようになったが。すこし、気になることを耳にした。2~3日前のこと。 「月曜日と金曜日の授業はいじめやわ」「おまけに短距離のタイムを測るし」「○曜日にタイムを計るンやったらいいけど。。。」なんてね、長女がぶつぶつ言っていた。 私は「苛めと捉えるよりも、自分が選んだステージなんだから、工夫してチャレンジすればいいヤン」と言いたくなるのを我慢した。 そして、今日、長女が満面の笑みを浮かべて学校から帰ってきた。 その理由は。 今日は嫌な行事やすべき事が4つくらいあったらしく、それらを全て逃げずに受け入れた。 すると。。。 すがすがしさと、達成感を味わい美味しくお弁当を食べたそうな♪ そのうちの一つである、短距離のタイムを計るときに力を出し切らなかったのは、残念だと思っているが、逃げずにいた自分を褒めていた。 そのことにも、意味がある。 「目的意識を明確にすれば、その過程は楽しくなる」とか「捉え方をかえなさい」などと、アドバイスをしたくなる。 しかし、それらは、長女にとっては駄々をこねているようなもの。 ただをこねている小さな子どもに、諭しても聞く耳は持たないね。 心が満たされたとき、準備ができた時、目の前のハードルを乗り越える。 だから、家庭って大切だね。 家庭というひだまり中で、心を癒し、穏やかな気持ちになる。 上手くいかなくても、あたたかい心を充電する家庭があり、また、チャレンジする勇気が湧き出る。 逃げずに頑張ったことで、自分への自信が生まれるね。 こうして、チャレンジしながら目標や夢が見つかっていくよ。
2010年05月14日
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命のバトン 第5章 ネットワークビジネス ビジネス活動 人付き合いが上手なGさんに比べ、私は人脈も少なく、勧誘してもビジネスにはほとんど繋がっていませんでした。ビジネス関連のお茶会がありましたが、私にはお茶会にお誘いする相手もなく、別の行事に参加しようかと思っていました。するとGさんが、「誰のためにEさんがお茶会を開いてくれるの?」と言ったので私は急遽、心を切り替え、二人の方をお誘いしてお茶会に参加しました。 Gさんを先頭にした成功へのエネルギーの流れに外れたからでしょうか、その頃から、私は負のスパイラルへ、逆にGさんは仲間を増やし、成功への道を辿っていきました。 負のスパイラルに入った私は、自分の日記のコメント欄などに非難の言葉を書き込まれ、窮地に追いやられたりもしました。 そうしているうちに、とある理由で会社が業務停止となりました。数ヶ月間、私たちは新規勧誘ができませんでした。結果が出ない状況へと、私はさらに追い込まれていきました。 一方で、夢や感動を伝えることをビジネスにして成功されている方や、私が目指していたような家族関係で育ったビジネスオーナーとお会いすることができました。その頃からでしょうか、私に新しい価値観が芽生え、狭まっていた社会への扉が開かれたのは。 年が明けた頃からFさんに、報告・連絡・相談のメールを毎日送るようになりました。Fさんから、あたたかく応援してくれるような返信メールが時々届き、救われた思いがしたものです。 そして、そのアドバイスもあり、私はそれまでのようなお茶会にお誘いするための勧誘ではなく、まずは信頼関係を結ぶことを一番の目的として接するようになっていきました。はじめのうちは会うこともできずにいましたが、少しずつ流れが変わり、夏には勧誘を除いての関係性が築けるようになりました。 ところが、お茶会にお誘いすると、不調和が起きます。お茶会にお誘いするためにネットの掲示板を利用してメッセージを送ったことで、反感を買い、掲示板の管理者に通報されたこともありました。私は八方塞がりな気分でした。 ネットワークビジネスでは、いろいろな勧誘のためのテクニックなどを教えられることがあります。でも、私はそのようなやり方が嫌いでした。本当の気持ち、真実を伝えれば、何も問題は起きないと信じていました。ですので、まずは相手との関係性を大切にしていくようにしました。 あの頃を振り返ると、やはりネットワークビジネスの場でもいろいろな反発を抱えていた私は、相手に波風を立てるような態度、そして言動を取っていたような気がします。 幼児期、私はお札を破って庭に植え、両親に怒られたことがありました。ですが怒られても「お金が増えるから、良いことしたもん」と言い張り、自分の正しさを証明するため母や周りの意見に耳を貸しませんでした。自分の正しさを証明するため、母や周りの人たちを悪者にする必要があり、私は両親への“自分を陥れるひどい人”という認識を引き寄せ、周りの意見を突っぱねるパターンを繰り返していきました。 そして、自分が創り出した“恐れ”や“恐怖”におののき、私は被害者に成りすましました。“自分が動けば母が叱られる”と言い訳し、チャレンジすることを回避し続け、堂々巡りから抜け出せないでいました。そして、その通りのことを、ネットワークビジネスの対人関係で体験しました。 このように幼児期の私のパターン、私が動けば母(Fさん)たちに迷惑をかけるような出来事を引き寄せたのかもしれません。 Gさんに勧誘の“コツ”を聞いたことがあります。あるサイトで、全く面識のない人に個人宛のメッセージを送るのですが、Gさんが教えてくれた方法は。。。自分を下げて、相手を持ち上げ、慣れてからFさんやDさんの存在をアピールするというやり方です。当時の私には、気がつきませんでしたが、そのやり方こそが、私が忌み嫌っていた母のコミュニケーションの根底なるものだったのです。偉大なる存在(親に相当する存在)が現れることで、救われる。という信じ込みを持っている人はありがたい出会いとなります。しかし、偉大なる存在に対して、反発する思いがあれば、騙された!!という感情が引き出される可能性もあります。ちなみに、Gさんやグループで成果を上げている人は、偉大なる存在に救われてきた人たちが目立ちました。 あるサイトで通報された時、Dさんに連絡すると「私だったらブーイングは起こらない」と断言されました。しかし、その送った文面はDさんにチェックをしてもらい、万全の対策をしたはずだったのです。その謎ときは、私がメッセージを送った相手は、「自分を下げて、相手を持ち上げて、どっか~んと偉大なる?存在が。。。」に、良いイメージを持っていなかったのでしょう。このようなことを裏つける出来事が、お茶会で初めてお会いする方々とも感じていた温度差でした。私のコミュニケーションは未熟だとか思い、仲間から<学ぶ>という姿勢にもなりましたが。枠にはめた人の解釈でコミュニケーションをとり、勧誘や自分の子どもにも、その見方・偏った見方をする事に反発しながらも、学んだ事を上手く使いこなせない自分を責めたりもしました。すでに心理を学び、セラピストの資格を持っている私にとって、自分の全てを否定された感もありました。そんなとき、ある人と出会い、学んだ私の人物像の見方を、違う方向から見た自分を発見でき、救われた事もありました。 母の口癖。 「○○したら、おじいちゃんが怒ってきは~るで!」祖父は私にとって、訳のわからないことで怒鳴り込んでくる存在。やるべき事から逃げる口実として、「私が動けば母が祖父に叱られる」という、自作自演の恐怖に怯える。動けば、どっか~んと、仁王立ちした存在が邪魔をする。 → 自分が創り出した信じ込みでがんじがらめになっていたんですよね 仁王立ちした存在は、自分が想像し現実化した存在だから。私の心の中で存在するし、存在しないかもしれない。さてどっちを選ぶかな~
2010年05月14日
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命のバトン 第5章 ネットワークビジネス ビジネス活動 さて、私はビジネス活動を通じて、“全ての出来事は自分が源である”との意識を徹底していきました。周りからの言葉や無視を、全て自分自身が発信したものだと受け止めるのです。そして、納得がいかなくても、自分の心の中に収めました。 自分が発信したエネルギーは自分に返ってくるからです。自分の心の中で収めないとエンドレスになることがわかっていたので、“逃げ”などと言われても、この言葉は徹底しました。そして、恨みや怒りの感情が相手への感謝の気持ちに変わるとき、それを可能にした自分の心の成長を喜んでいました。 相手への感謝の気持ちが溢れてきたときも嬉しいのですが、その後、おまけがもれなく付いてきます。それは、感謝の気持ちを自分が発することで、また自分に戻ってくることです。 その結果としてEさんからは、「どんなピンチであっても、どんな障害であっても、今自分がその出来事をどう捉えるかで、その後の人生が変わる」という実体験の中で導いて頂きました。そうして、恐れや不安に立ち向かう勇気や根性を体得してきたことが私の心の宝物となり、自信へと繋がっていきました。 対人関係は鍵ホックみたいなもの。お互いに引き寄せ合って巡り会う。巡り会った相手は、自分の過去かも知れないし、未来、それとも、前世かもしれない。<相手は自分の合わせ鏡>自分の潜在意識を投影した存在。傷つける相手・無意識のうちに相手を傷つける自分、否定される自分と否定する相手などなど。そのような現実を創造した自分の気持ちを理解してあげると、心が軽くなる。どうして、このような現実を引き寄せたのか、その目的。。それまでして、自分が立ち向かおうとした理由。それが、明確になったとき、自分の心が救われる思いがします。私は、「命のバトン-自らが輝き出すとき-」の原稿を書きながら、何度も読み直し、その作業を繰り返してきました。親や育った環境、社会、嫌な思いをさせられた相手に反感を持っても、何にも変わらないどころか、さらに、問題は増幅する。 自分の気持ちを理解してあげると、心地良いひだまりができる。心地良いひだまりが広がっていくと、穏やかで心地良い社会に変化していくね。
2010年05月14日
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命のバトン第5章 ネットワークビジネス ビジネス活動 私は地道な努力は好んでしていました。会社主催のセミナーやFさんが開くセミナーに参加し、寝る間も惜しんで活動しましたが、いつも空回りしていました。 このような状態を創造した私の意識は、頭ごなしに叱る権威者(主導権をもっているFさん)の思い通りに何事も決められているというものでした。“メールでの連絡がEさんのミスで来なかっただけなのに、私は周りから責められ、得るものも得られない”。そう思った私はFさんに反感を抱くようになり、そうさせたEさんのことも心の中で責めていました。 幼い頃の記憶です。父と上のきょうだいた3人が川へ遊びに行き、“ひだまりは小さいから”という理由で、私はおいてきぼりでした。そのとき、私は悲しくて寂しい思いをしましたが、その反面、ちっぽけなお土産に不満を抱いたのを鮮明に覚えています。そして、父を責め、何かを得たのかもしれません。 “ひだまりは末っ子なので、親と過ごす年月が短いから可哀想だ”という父の思いを逆手にとり、“可哀想な私”を演じ、父やEさんから怒りや恨みの感情が誘発されるように、私は無意識のうちに仕向けたのです。特別扱いされた私は、中学に入学するまでは“私だけ”に何かを買ってもらい、得意げになっていました。 そして、Dさんから特別扱いされるために私は、“おいてきぼり”“四面楚歌”という代償を払い、ネットワークの対人関係において悩み、苦しむことになりましたが、そのお陰で自立し、自らが輝く必要性に気付くことができました。 心理を学び始めた頃に思い出した出来事でした。私は母と留守番。おまけに、その日の夕方、歯が痛くなり歯医者へ。そして、束の間の喜びを見出すのです。それは、蛍を見つけたことです。心理学教室では、「一緒に行きたかったんやね」と慰められ。セラピスト養成講座では「ひだまりがあまりにもやんちゃで、父が手におえないので留守番をさせた」と。。。どちらも正解かも。。。。 やはりここでも。私は四面楚歌・家族の中の孤独を選び、「可哀想な私」へのご褒美を受け取っていたのでした。けなげな自分(歯医者・蛍)をアピールし、相手(父)に罪悪感を抱かせ、何かを得るのです。それが、、、、「愛」だと勘違いしていたのかな 可哀想な私にこそ、何かを得ることができると信じ込みができていたのです。
2010年05月13日
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命のバトン ネットワークビジネスを始めた頃のこと。。。できることなら、そっと。。。お空に飛ばしておいたまま自然消滅させたい体験を書かずには、伝わらないと思ったので番外編です。私をネットワークビジネスに勧誘したDさんはセラピストでした。私が関わった組織では、毎日紹介者と報告・連絡・相談のメールもしくは電話をする事になっていました。そのとき、始めのうち、Dさんは「ひだまりさん、楽しいでしょ」と口癖のように言っていました。そして、ビジネスのハウ・ツーよりも、セラピストとして関わってくださったように記憶しています。当時の私は、もう一歩を踏み出すことへの不安や恐怖の感情を引き出し、足踏みをしていました。そんな私にDさんが自分で、できる対処法を伝授してくださったのです。 あるサイトで、バッシングされたときも、今、ここ!から。出来事を創造できることも体験を通して教えていただきました。このとき学んだテクニックや体験はきっと、役に立つ時が来るんでしょうね。そのための出会い。 ビジネスにおいては、ののしられ。。。などと書きましたが。セラピストとして、有能な師匠でした。怒りの感情に振り回されると、その時に得たことや幸せが見えなくなるのです。 ビジネスを始めた頃の私は、Dさんに依存し、私が望む所へ導くように、恐怖や不安の感情で訴えていたのかもしれません。
2010年05月13日
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命のバトン第5章 ネットワークビジネス ビジネス活動 ビジネスセミナー2日目、前日の朝のことです。 セミナーに参加するための準備をしていると、メールを受信しました。Fさん発信のメーリングでセミナー参加者である私の所にもメールが届いたのですが、そこには“セミナーの参加費用の不足分を今日中に振り込まないと、明日のセミナーに参加できない”というメッセージが書かれていました。 そして、振込みをすべき人の名前が列記され、私の名前も書いてありました。一瞬私は何のことだか理解できず、同じグループのGさんに聞いてみました。私はすでに振り込んだはずだったからです。 すると、その後参加費用が引き上げられとのことで、その連絡が私に届いていなかったことがわかりました。私はEさんからセミナーのことを聞いたとき、すぐに参加費用の振込みをしたのですが、その後に金額の変更があり、Eさんからの連絡が来るはずが来なかったのです。そのためメーリングで名前を列記されたのでした。 私は、そのときのFさんのメールを威圧的なものとして受け止め、“できる人を引き上げ、できない人は知らない”というような冷たさを感じ取って、怒りを覚えました。が、もう後戻りは許されないと考え、私は歯を食いしばって頑張りました。“結果を出すためには我慢しなければ”と思っていたのです。 Gさんは、必要なことは自分で引き寄せ、そつなくこなしていました。私はGさんを見て、自分がしてこなかったことや、足りないものに気がつきました。 それは、目的意識と責任者意識でした。目的意識が強ければ強いほど、目的を達成するためのものや、人、出来事を引き寄せることができます。私はEさんからよく、“腹をくくっていない”と言われましたが、その言葉通り、“何が何でも勝ち取る”という意欲がなかったように感じています。 ビジネスにかかわる事で、自分の探究心が満たされる。そんなふうに、マインドコントロールする自分もいました。お金があること=心が豊かになる=依存関係を脱する事ができる、という構図が生まれ。。。勧誘するが、ビジネスという結びつきを拒否する人たちと出会っていった。。(相手は自分の映し鏡) そして。。。いつのまにか。。。ビジネスで成功する事が幸せになれる・夢を叶えられるという構図になり。ビジネスを構築するという手段がいつの間にか、目的に変わり。初めに描いていた、アトピーの子ども達などを救う、という目的は偽善者ぶった勧誘する為の手段と変化していった。 このような心の流れに気がついたのは、ネットワークビジネスを辞めてからです。渦中にいるときには判らないものですそして、そのような心の変化にまわりには、何の伝達もないので騙された、とかあの人は言っている事としている事が違うなどと、不振感をもつ要因になると思ったのでした。
2010年05月13日
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命のバトン 第5章 ネットワークビジネス ビジネス活動 Eさんからは、ネットワークビジネスを成功させる早道として、成功者の思考をコピーすることを教えられました。 私はビジネス活動に必要な事柄を学ぶために一泊二日の研修を受け、その三週間後にも宿泊を伴なわない2日間の講習、そのまた3週間後にも一日の講習という形で、講習を受けました。Eさんの紹介者であるFさん主催のセミナーも何度か受講しました。 このビジネス活動で、私は第一歩からつまずくことになりました。セミナーに参加するには、その条件として宿題があり、会社のプランを説明することや、事業計画その他、ビジネスに必要なリストの作成などをこなす必要ながありました。 私は前日からEさんが住む地域へ向かいました。そして、その宿題に取り組みました。通常は紹介者であるEさんから教えてもらうことになっているのですが、Eさんからの説明は不十分で、よく理解できませんでした。 そして、セミナー当日。私は“プランを説明することができなければ、セミナーの途中で追い返されるかもしれない”という恐怖を持ったままで参加しました。思った通り、プランの試験に私は不合格となり、当日徹夜でプランを覚えなおし、事業計画を作成して、何とか全日のセミナーを受けることができました。 そのとき私は、成功者の傘下で“リーダー”という位置づけにあったEさんは私への対応が十分でなくても黙認され、蚊帳の外にいる私だけがいつもひどい目に遭うと感じ、悔しい思いをしていました。 このパターンは、私の幼児期からの信じ込みによるもので、何度も書いてきたように“家族関係”が社会での対人関係に反映して繰り返されていたのでした。“あの人(たち)は許されて、自分は許されない”“自分だけがなぜ叱られるの?”という思いを抱きつづけていたのです。 私はネットワークビジネスの組織の中でも親子関係の“ズレ”の影響を垣間見ることになりました。 グループリーダーのFさんは自身がネットワークビジネスを始めたときに、“プラン”を知らないことで得るはずのものを取り損ねたので、ビジネスの第一歩は“プラン”だと言いました。そして、善意から、グループメンバーにプランを覚えさせようとしますが、子どもの立場から見ると、“お父さん(Fさん)のしなかったことを、なんで自分がしなくてはいけないの?”と思うことになります。 伝えるときのタイミングや、こどもと親の価値観が違えば、“こどものため”の行為が“押し付け”になる可能性も出てくるのです。 Fさんのことを絶大な神。のように見ていた自分。救いの手はこれしかない。と視野が狭くなった時には、瞬発力があり何者をも恐れない自分が生まれる(この価値観だけが正しいと思い込むことで・・・)。このようなことを体験しました。 <意識のコピー>をするために、相手の懐に入りましたが私には何のことか、今でもよく判りません。相手の懐に入る→Fさん宅の掃除にも参加しましたが、何のことかわからず。。。Fさん宅の掃除に参加するのも、周りの仲間から煙たがれ四面楚歌。私に情報が入らないように秘密ごとのような感覚を覚えたのでした。真実は。。。。そのような特別ごと・秘密めいた事にすると、組織と組織のトップの結束を固めているような気がします。流れに反発する者を排除する事で、組織は結束し、排除される恐れを与える事で、更に組織が結束していくように感じたのでした。
2010年05月13日
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命のバトン第5章 ネットワークビジネス 責任転嫁 私はネットワークビジネス(連鎖販売取引)を始めました。 セラピーの仕事よりも収入が安定する仕事のほうがいいということで、Eさんに勧められたのです。私にはもう、救いの手はそれしかないような錯覚がありました。 その当時は気付いていませんでしたが、私はEさんと出会ったときから(Dさんのセラピスト養成講座が終了したらEさんの講座を受けに行こう)とおぼろげに思っていたのでした。 そしてその思いの通りに、偶然にもビジネスという形でEさんから、私に足りないものを学ぶことになりました。私はEさんの個人セッションを受けたその日に、Eさんからのアドバイスで、セラピールームを閉じました。すでに自分が選んでいた選択に後押しをしてもらった感覚がありました。 私はネットワークの世界は全く初めてでした。そこは私が想像し創り出した、濃くて深い密接な対人関係を体験できる所でした。 Eさんは私がかかわることになったビジネスの必要性について、「石油化合物でできた日用雑貨が原因で癌やアトピーを発症し、多動児などの子どもが増えている」などという話をしてくれました。それを聞いた私は、安全性の高い日用雑貨を扱うビジネス活動をすることで、これまでに解決できなかった問題が解決できると思いました。 それらの因果関係は専門家の人に任せるとして、私はこの一連の出来事に対して、"機能不全家族"という表現を知ったときのように、原因を特定することで安心し、"石油化合物"を単純に"悪"と考え、そこにフォーカスし始めました。 すると、だんだん周りが見えなくなり、その考えだけが"正しい"というような価値観が生まれ、同じ価値観を持たない人は"意識が低い"とさえ、思うようになりました。そして意識の低い自分を補い、自分自身も意識を高く保つために沢山の人と出会い、コミュニケーションする方法を学びました。 あの頃の私は、特定の問題を定義することで意識をそこに移し、自分たちが想像し創り出した現実の対処をすることに夢をかけているようなものでした。 つまり原因を見つけ、それにフォーカスすることでどんどん問題が増幅してしまうように、不安や恐怖で動機付けられてきた種を刈る作業を、ただひたすら美化していただけでした。 かつて、"ひどい母"という虚像を創り上げ、被害者である自分を定義することで、優越感に浸っていたあの頃と同じことを繰り返していたのです。 ものや人を、"悪""間違っている"などと決め付け、他とは区別して排除しようとする動きは、子どものいじめ問題などとも関連性があるような気がします。 それらの謎を解くきっかけになったのが、このネットワークビジネスでもありました。 <陰・陽><善・悪><正・誤><表・裏>など、全体を見ることでひとつ。。一元になります。人は周りと比べたがります。比べるからストレスが生まれ、頑張りすぎたり、追い抜かれることへの恐怖を感じたり、空回りして意気消沈したりします。オンリーわん相手は自分の合わせ鏡。周りから学び、ともに成長する事で何かが生まれます。そして、穏やかな感情“ひだまり”が、心を癒し明日への勇気をもたらします。 片側からの偏った見方により、相手を批判したり非難・否定する事にも繋がります。そのままの自分・ありのままの自分。というのは、得意な所もあれば、不得手な所もある。自分が嫌だと思う所も、好きな部分もある。自分が嫌とするところ・苦手な所を相手に投影した時、(相手は自分の映し鏡)、そんな自分を認めたくないから、淘汰しようとするかもしれません。そこで、傷付け、傷つけられたと感じたりもします。 私はネットワークビジネスにおいて、そのようなエネルギーを嫌というほど感じました。あるときには、無視され、あるときには、罵られ。。。あるときには。。。。存在すらも認められないような出来事もありました。それでも、頑張ってきたのは。。。「素晴らしき情報」を得た偉い私を捨て切れなかったからです。一生懸命に働いている、美容師さんにも、化学薬品の危険に冒されている大変な人などと、人を見下げ。経済的な自由人への道を歩み始めた優越感が手放せなかったのです。そして、ネットワークビジネスを手放すと、今度は自分が見下げられる事に恐怖を感じていたのです。
2010年05月13日
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命のバトン - 社会の流れに取り残されて- 心理学を学び、セラピーの事務所を構えたものの、2年を待たぬうちにあえなく閉じることになった。「対人関係で悩む人を助けたい」という思いで始めたセラピーの仕事だったが、ある人のセミナーを受けた後、急遽、その人のセラピーの個人セッションを受けていくうちに、「安定した豊かな人生」とその場に居た「仲間」に魅力を感じ、あるビジネスに取り組むことにした。 そのときの私は、セラピールームの経営が思わしくなく、どん底にいた。藁をもすがる思いで足を運んだセミナーだったが、「できが悪い」「まぁ、これも縁やから面倒を見てあげよう」という表現の言葉を告げられ、曖昧な形でビジネスの勧誘を受けた。私自身にも、この出会いには意味があり、お互いに引き寄せた縁だった。‘セラピスト'という肩書きを持ち、優越感に浸っていた私はこのとき、自分を支えていた何かを失い、劣等感が蘇ることで、意気消沈してしまい、救世主に期待を寄せたのだ。 テレビドラマのストーリーのように、意気消沈した可哀想な私の所へ救世主が現れ、どん底に居た私は幸せになる。という依存心から生じる私の思いを、流暢に操られていたのだ。また「ひだまりさんの内臓機能はストレスでボロボロだ。会員登録し、サプリメントを購入してデトックスをしなさい。そんな身体では、クライアントと対面するのが恥ずかしいやろ」という言葉の表現をされた。そのとき、私は一日も早く勧められたデトックスをしなければ、と思い焦った。「あなたのため」という見方もあるが、相手を脅して自分の思い通りにする、という見方もある。このようなことは、子育てに於いて、知らず知らずのうちに、大なり小なり子どもにしたことがあった。 セラピーの仕事からビジネスへと人生のステージが変わるとき、私の意識は曖昧なところがあったが、その後、私自身の思いの帳尻を合わせるかのように、「キレル子ども」「他動児」「アトピー」などの子どもにさせた原因の情報が得られた。紹介されたビジネスに取り組むことで、子ども達を救うことができると錯覚したのだ。 私は自分自身のスケールの狭さを恥ずかしく思った。そして、情報を早く手に入れたことへの優越感を手に入れたのだった。私は推理小説が大好きだった。推理小説では、犯人を捕まえることで問題は解決する。取り組んだビジネスも、犯人・原因を取り除くことで問題が解決すると、錯覚していたのだ。しかし、原因を取り除こうとすればするほど、問題が増幅するのだと、私は気が付かなかった。 問題の原因に変わる製品が、紹介されたビジネスの収入源だった。そこでは、結果・成功を重視していた。 私は取り組んだビジネスにおいて、地雷から人々を救い出すイメージのセミナーを受け、行動エネルギーへと変化していくのを体験した。ある見方をすれば、恐怖や不安の感情で相手を操作しようとしていることになる。相手にも、選ぶ権利があるし、そのための説明もなく、自分が発するエネルギーで人を動かそうとしているように私は思い、<自分の考えだけが正しい>を相手に押し付け、自分の思いに賛同する仲間を増やしているようにも感じた。 問題の原因は傲慢・怠慢・無知だとセラピスト養成講座で学びました。ビジネスにおいて、無知になった訳・対人関係や社会の事。。。。を知り。怠慢な自分に至った経緯を辿っていきました。「どうせ、やっても無理やろう」「やっても、認めてもらえない」「情報が入ってこない」騙される、などなど。。。自分の潜在意識で想像したことが現実を創造する。だから、自分自身の社会への世界観が鍵を握っている。とはいっても、世界観が出来上がったのは、幼児期のこと。だから、子育ての重要性を感じました。そして、競争社会や結果社会にぶち当たったのでした。それらを理解したうえで、自分自身の居場所を見つけ、道を開いていくと。社会への反発や競争に使うエネルギーが建設的に方向付けられるようになります。 恐怖や不安で動機付ければ、恐怖や不安が増幅し、対処できなくなるくらいになるかもしれません。 結果や成果を重視しすぎると、結果がでるまでに時間が掛かるものが、埋もれてしまう可能性もあります。 大勢の考え方が正しいという見方をすれば、少数の意見は否定してしまうかもしれません。そのようなことを、ビジネスを通して学んだのでした。
2010年05月13日
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命のバトン第4章現実社会 再会運動会の翌日、私はあるセミナーを受けに行きました。 講座の後のお茶会でEさんは「あるものを手放しなさい」と私に言いましたが、私にはなんのことかわからず、その場で藁をもすがる思いで個人セッションをお願いしました。セッションを受け、反転したエネルギーが正常に戻るにつれ、自分の中に潜んでいた感情が溢れ出し、涙が出てきました。 (人生をそつなく生きられる人と、空回りばかりする自分。子育ても頑張っているのに、あの人は自由に何でも引き寄せてている。その違いは何?) そんな風に言いたい自分がいました。 私がして欲しいセラピーが自分の力不足のためにできなかったので、私は自分自身を責めていました。自分の価値を認めず、そのくせ理想は高くて、人と分離するような"私は特別なんだ"という思いを持っていました。 私は自分の中からAさんに向けたような"恐怖や""不安"を引き出し、"この状態を乗り越えれば光が見える"と、そんな風に思って、縮こまった自分をひとりで演じていました。 Eさんから、「このままだと滅茶苦茶人生が良くなるか、どん底の人生を歩むかのどちらかだ」と言われてしまうくらい、私の中ではエネルギーが反転していたのです。今思えば、私はDさんが与えてくださったチャンスを受け取らず、自分の心の殻を破るための道標を探していました。 ですが、Dさんの講座を受けても、それを見つけることができませんでした。 また、"恐怖"や"不安"に遭遇してこそ願いが叶うのだと思い、硬派なクライアントを催眠誘導し、戦国武将だった過去生に辿り着き、クライアントの迫力におっかなびっくりしたこともありました。 そして、目に見えない糸のような力、潜在意識で、私の思う所へ導いてくれないDさんへの恨みと怒りの感情に振り回され、"自分の考えだけが正しい"という虚構の世界を創りだし、周りと分離していきました。 ですがEさんと出会って数日後、買い物の帰り道、私は自転車に乗りながら行きかう人たちを見て、“調和”というあたたかい感情が心の底から湧き出てくるのを感じていました。 借りていたマンションに出掛け、誘導空想の練習や心の仕組みの勉強をしていました。一息をついた所で、“恐怖”や“不安”の感情を引き寄せ、酔いしれていました。 その時は真剣に、「これを乗り越えれば。。」「Aさんのもとから卒業し、セラピーの勉強をした時のように次なるチャンスが巡ってくる。。。」と思っていたのです
2010年05月12日
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命のバトン 第4章 現実社会 再会 私はDさんの講座を受けに行き、気付きを得て意識を変えようとしましたが、何も変わりませんでした。 その頃、あるサイトの悩み相談コーナーに私が書き込んだ“すべては自分が創り出した世界だ”というコメントが、どうやらある人の反感を買ったようでした。私は半ばブーイングのような質問責めに遭い。どん底の状況にいました。そして、“死”を考えました。 ですが、そんな私を勇気付けてくれたのが、全く知らない方からの応援メッセージでした。 そして言い争っていた場所から立ち去ることで問題は小さくなり、気にならなくことを体験しました。 とても大変な出来事にも、メッセージが隠れています。あの頃の私には理解できませんでしたが、“すべて自分の思考が現実を創る”としても、“育った環境の影響”や“親からの影響”は避けられないのだと言う、潜在的に持っていた私の怒りや恨みの感情が、反感を持っていた人と共鳴したのだと思います。 私が育った争いごとの耐えない環境、無意識ではありますが、親が思う子どもの不適切な行動に注目し続けたり、子どもが体験から学ぶチャンスを潰しがちな家庭環境。それが、例え自分が引き寄せた人生の舞台であったとしても、家族は切り離すことが困難だからです。 すると、建設的な考え方をすることが難しくなってしまい、毎日のように勇気をくじかれることが起こるかもしれません。負の状況が負のスパイラルを呼び、自分で対処できなくらいの事態になり、そうなってからやっと、光の存在に気付くかもしれないのです。 それが、運の良い人(人生をそつなく生きられる人)と、運の悪い人(何をしても空回りの人)の、人生の分岐点であるような気がします。だからこそ、“家族”という基盤を見直す必要性も感じています。そして、私たち“親”の責任は重大で、それらを育む社会の流れが必要だと考えています。 そして、親や育った環境へのしがらみを捨てることが、被害者となる状況を引き寄せていた自分を救い出します。 “陰極まれば陽になる”と言いますが、景気低迷・変革の時期だからこそ、今こそが人生に悩んでいた人や苦しんでる人たちが持っている可能性や才能、そして、仕舞い込んでいたエネルギーが発揮される“チャンス”だと私は考えています。 Dさんの講座を受けに行った翌週、娘の運動会がありました。子どもたちは音楽が流れる中、広島の原爆投下のシーンの演技をしながら平和を訴えていました。私は演技を見ながら“どん底からでも這い上がることができるんだ”と、戦後の日本と自分自身の経験をスライドさせてしまい、見ていて泪が溢れそうになりました。 2年前の私は、同じ演技を見ても惨事を記憶から引っ張り出すのは悲惨な状況で味わった感情を引き出すことなので、また惨事を繰り返すことになると思い、反感を持っていました。 しかし、自分自身がどん底を体験し、偏った見方の理論だけで解決するのではなく、相手と自分が面と向き合い、可能性やそれを叶えるための手段を考えられるように出来事を受け止めれば、チャンスともなることに気がつきました。崩壊と創造が、現実を創り生み出していくのです。 どんな状況からでも、そこから学ぶ姿勢になれば。自分の人生の目的が見えてくるのを体験しました。被害者的な受け止めやその状況に呑み込まれると、自分自身を失ってしまいます。自分が怒りの矢を放つと、怒りの矢を持った人を引き寄せ、共感もしくは反発しあいます。(相手は自分の合わせ鏡)自分が癒しを求めれば、癒しを求める人、もしくは癒しに反発する人が現れます。反発する人が現れるときは、自分自身が癒しを求めていることに対して、抵抗する働きがあるときです。←これは、面白いですこのときだけではなく、次の章で体験したことからも、この、心の流れを確信することができました。
2010年05月12日
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命のバトン 第4章 現実社会 再会 健康のため、そして頭の中を整理しビジョン化するために、私は毎日ウオーキングに出掛けるようになりました。“歩く”という行為により、私の人生が少しでも前に進むようにと願う気持ちもありました。 いつもどおりに朝5時に起きて遊歩道へと散歩に出かけた帰り道、ついさっき通った幹線道路辺りで大きな衝突音がありました。暫くすると救急車の音が近づき、事故があったのだとわかりました。 私はこのような状況に遭遇すると、それを“何かのメッセージ”だと思って受け入れ、周りの状況を洞察します。 そして、その事故と日にちを前後して、車で広島へ出張していた夫が雨の高速道路でスリップし、車が一回点したあと壁にぶつかる事故を起こしました。夫は無事に帰宅しましたが、一つ間違えば大惨事でした。 また、ベランダに干していた洗濯物を取り込むときに蛇が侵入し、日にちを変えて、今度はヤモリが階段の壁にいたので大騒ぎをしたこともありあました。私の周りは調和から破壊へと動いていると感じ、このまま突き進むのは危険だと思いはじめていました。 夫が事故を起こしたその日、私は夫に“たまご”を買ってきてくれるようにお願いしていました。自分で行けばすむことを、仕事帰りの夫に頼んだわけです。 感情で人は行動します。そして、いろんな出来事を引き寄せます。 仕事も終わり、帰宅の途中に「たまご、買ってきてね」のメールを受け取ることで、感情が苛立つかもしれません。「やっと、帰れると思ったのに。。」「なんで、自分だけがこんなに頑張らなくてはいけないのだろう」などと、おもったとします。すると、そうさせた相手に反感を覚えるかもしれません。そして、大変な自分を相手に伝える為に(誇示する)為に、事故を引き寄せる可能性も生まれます。 だから。。。このような状況を避ける為に、帰りに何かを買ってきて。。。。というのは言わないことにしたのです。(それまでも、殆ど言っていなかったのですが。。。忙しい自分だから、応援してくれて当然なんて思いで、頼むと、「相手は自分を映し出す鏡」だから、自分も忙しいのに、自分だけが何でこき使われるの。。。。)なんて、バトルが生まれる可能性も生まれるからね穏やかな感情って、重要な鍵ですね
2010年05月12日
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命のバトン 私は仕事の量が減り、Dさんの勧めで長女の問題行動や自分自身の育った環境、そして親のことなどを体験記として綴り始めました。思考が種から花になり、実(現実)になるまでの記録です。 すると、どういうことなのでしょうか。私のもとには原稿にするために必要な情報が得られる仕事しかこなくなったのです。さらに仕事の量は減り、借りていたマンションの家賃さえも貯金から取り崩す状態になるまで落ち込みました。 この文章を読みながら、不器用で頑固な自分に笑えてきます。「命のバトン-自らが輝き出すとき-」を出版する2年位前に書き始めたのが、「子育てバンザイ!」でした。編集を手伝って頂き、書き上げた原稿。自分が学んできた心理や考えが正しいと思い、思考の種から花、そして、実になった現実を書き上げました。 ↓自分を助けてくれた心理ではあるが、“その考えだけが正しい”の域に達した時、それ以外の考えを無意識のうちに否定している。すると、その考えが正しいという組織は結束するが、それ以外の人とは分離する。正しいという考えが大勢で、自分だけが違う考えだとすると。排除されたとか、否定されたとか人は思いがちだ。。。。その痛みを知っていた。。。 初めてエッセイを書き始めた頃、学び舎をともにしていたセラピスト仲間が、無料で雑誌か何かの広告を出す事ができた。私とその人の違いは何だろう。その人はお客様も多く、どんどん自分の思いを叶えていく。 私は子育ても頑張って、真剣に子どもと向き合ってきたのに。。。。なんてね思ってた。 命のバトン その18を書きながら。。。 本が出来上がったとき、「私(当時の師匠)が体験記を書くことを勧めたせいで、仕事が減った」という感想をちらりと目にした。 「被害者意識を開放しましょう」と教えている人が自らを被害者になって、私を責めている。と、、思った。 当時、「思考が現実を創造する」と学んだのに、望む仕事が来ないことに、自分への至らなさに自信喪失しそうになった。しかし、今、こうして客観的にみると、「目的」を達成する為に、手放した出来事だったと理解できる。 人は目的に向かって行動している。だから、目的を見出すことで被害者でない自分が見つかる。前を向いた自分。この世は一元・ワンネスだから。相手は自分の潜在意識を投影した姿だから、相手も自分も争い、傷つけ合う事はない。障害も何かに気づく為に、メッセージを送っていると考えられる。 すると。。。自分を加害者や被害者だと定義する必要もなく、相手を責めることも自分を責めることもない。穏やかな関係が保つことができるね
2010年05月12日
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心理学を学び始めた頃の事です。かれこれ、8年ちょっと昔のこと。 玄関の鍵を開けておく事への恐怖がありました。今、思えば変なのですが。。。。鍵を開けておくと、誰かが入ってくるような恐怖。朝、子ども達が出かけ、そのあと。。数十分後にでかけるのに、鍵をわざわざ閉めに行かないと、落ち着かない怖いんですよね。 そのことを心理学教室の仲間と話していると。。。あるある。。 押入れに、誰かが隠れているとか。。。 目に見えない恐怖。 それって。。今、現在には起こっていないことを想像し、未来への恐怖や不安を抱いている。「思考(潜在意識)が現実を創造する」のだから、恐怖や不安は過去のもの・未来の楽しいことなどをイメージして。という生き方もある。 しかし、、、過去の感情が蘇ってくるのも確か。。。 その、感情が誕生した根源を見つけると。 なんだか、、、ほっとする鍵を開けたままだと(出掛ける前の隙間の時間に鍵を開けたままのとき)誰かか。。。その根源・源泉は。。。 私の幼児期にあった。 祖父が怒鳴り込んできたんよね。隣に住む祖父が怒鳴り込んでくる恐怖や不安を、心の片隅に閉じ込めていたんでしょうね。 今、現在に感じている恐怖や不安・怒りなどの感情の根源を知る事で。現在→過去の感情を浮上させて→未来へと連鎖が起きるのではなく。今、ここから。幸せな感情を生み出す勇気が沸いてくるね。 心理分析エッセイ命のバトン 命のバトン-自らが輝き出すとき-では。。 そのような感情を癒し、幸せの種を撒く土壌を作ったりもしました。
2010年05月12日
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命のバトン 第4章 現実社会 開業 催眠療法でインナーチャイルドを癒すセッションをしていたときのことです。 問題とされる信じ込みができたシーンへ誘導し、相手の立場や周りの状況を見ながら勘違いを見つけ、選べない状態から選べる状態にし、親からの愛を感じさせ、愛されている感覚を味わうことで周りとの調和が図れるようにするセッションを進めていました。 ですが私が関わるクライアントの中には、催眠療法をしてもあまり変化のない方がいました。“親からの愛を突っぱねる”という感じです。そして、私自身も“インナーチャイルドを癒す”ことに、何かすっきりしない思いを感じた覚えがありました 私はクライアントたちの抱えている問題が、他人事に思えないことがときどきありました。クライアントやクライアントの子どもが抱えている登校拒否や神経症などの問題は、私にも身に覚えがありました。私の実家の事情ともスライドさせ、“自らの力で生きること”を学んでこなかったことから生じる将来への不安を、私は勝手に想像していました。この先問題が解決しなければ破滅が待ち受けていると思い込み、“私が何とかしなけば!”と諦めきれなかったのです。 そして心の仕組みと催眠療法を学んだことで“解決できない問題はないのだ”と意気込んでいました。当時の私では力不足だと感じることもありましたが・・・。 今から思えば、私自身が親に呑み込まれるような愛を突っぱね、親の支配を避け、かといって自立する勇気もなく、その狭間で苦しんでいたのでした。 姉は母にとっては、都合のよい娘。体の調子が悪い時には、世話をして貰える。。。。しかし、姉は外で働くことも、嫁にも行ってない。この先、両親が他界すれば。。。生きることを学んでこなかった“つけ”は大きい。しかし。。姉は人が嫌がる介護もできるし、料理も子どもの面倒を見るのも上手。母のためだけではなく、社会で通用できるように方向付ければ。。。。と、、、思った。私には姉のような器用さがないから「きょうだい、仲良く」「私たち(両親)が他界したあとの姉をよろしく」と、頼まれても。。私には今の家族がある。倒れそうな木を支えるのではなく。一生懸命に生きている木と木が共鳴できるような関係を私は求めている。ときには、倒れそうになったときには、助けるが。。。未来永劫だと、難しい。相手を尊重する。という立場から見ると。。。相手を保護することは、相手の生きる力を信頼していないとも捉えることもできる。 さて。。。。娘をもつ親として。。。子ども達が自立できるように、育てるのが親の役目。その為には、親である自分自身も変化を怖がらず、成長し続けることが、子どもへのプレゼント、命のバトンを繋げることだと思っています。
2010年05月11日
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小学校の夏休み。自由研究の宿題があった。私は水草の研究をした。田んぼへ水草を採りに行き、毎日毎日、日誌をつけた。夏休みが終わる頃。近所の友達がやってきて、大切に育てた水草を持っていかれた奪われた 小学校の卒業式が終わり、友達から電話があり。電話で頼まれたアイスを買って、その子の家に行った。すると、もうひとりの友達がいて。アイスとアイスの代金を交換して、「この本、貸してあげるから帰って」と言われた。騙された・こき使われた とほほ。。。数年前「ひだまりさん、帰って!」と、顔を見ないで冷たくあしらわれた事があった。それは、あるビジネスにかかわっていた時。勉強会のようなものがあり、参加していたが、今後のスケジュールを私に聞かれたくないので、「帰って」と言われた。 そんな、惨めな自分の姿。 そして、しがみついていた自分。 しがみついていたもの・人を手放す事で、自由が生まれる。しかし、しがみついていた事で、得たもの・こともあったのは確か。 自分の立ち居地と目的を明確にするって大切です。 傷ついた心に執着していると、気付かなかった幸せが今、ここにあります
2010年05月10日
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命のバトン 第4章 現実社会 開業 私は「セラピールーム 心のひだまり」を開業しました。 開業してすぐには仕事がありませんでした。 その、3週間後。使えなくなった家電を運ぼうとして、私は尻餅をついてしまいました。その瞬間に激痛が走り、リビングに戻ってしばらくは横になっていましたが、痛みはだんだんひどくなっていきました。動くことも難儀で、不安になった私は実家へ電話をしました。 すると、すぐに姉と母が来てくれました。そして、病院へ行くと、尾てい骨を骨折していることがわかりました。 怪我をすると仕事ができない正当な言い訳・理由ができます。私は、“お客様が来ないのを言い訳できるように怪我を引き寄せた”と、お得意の心理分析を行いました。 そのときの怪我で得たものは、ギクシャクしていた実家との関係の好転でした。 この怪我は、一ヶ月の安静を要するとのことでした。私はこのとき無様な自分の姿を省み、“できないことへの言い訳は辞めて自分自身に正直になり、見栄を張り仕事をしているフリをするのはやめて、休みたいときには素直に休み、正々堂々と生きる”と決めたのでした。 当時の師匠が本を出版する話がありました。その本にセラピストの紹介ページを作ってくれるとのことで、急遽、私はホームページを開設し、マンションを借りました。 不思議な事に。。。引き寄せ自宅の近くで、家賃が安くて、綺麗で、駅近で。。。すぐに見つかったのです しかし。。開業しても、お客様は来ない。当時の師匠は、月○○円くらい稼げるね。と言っていたけど、それどころではない そんなある日。。。屋根裏の掃除をしていたんよね。またまた、不思議な感覚。屋根裏って、油断をして足を踏み外したら落ちちゃう私は「落ちちゃおう」「いや、ダメだ」という心の叫びを聞いた。そのあと、家電をガレージに運ぶ途中、尻餅をついて骨折。いつもなら、掃除が終わってから髪をとく私が(朝起きた時には、さっさ。。。ですましている)尻餅をつく前に身づくろいをしていた。骨折するのを予測していたのか。。。。 そうそうあの頃はまだ。。。。夫のことを責めていた。なんで、片付けないの~。なんてね。。。。 しかし。。。ギクシャクしていた実家の家族と、夫との関係は良くなった。怪我をしなくても。。。そのままの自分を表現すると、相手の心と心が繋がるんよね自分の心が閉じているから、相手の心と繋がらない。相手は自分の潜在意識を投影した姿だもんね ぴんぽーんおとなりさ~ん。よりも、ぴんぽ~ん、自分さんと、自分自身の心の声に耳を傾けてあげるといいね。そして、そのままの自分でいいよ。と、囁いてあげよう 可哀想な自分の心が開いていると、可哀想なあなたを包み込む相手がやってくる。可哀想なあの人が、あなたに包み込んで貰うのを期待してやってくる。可哀想な集団が生まれる可能性もあるね。 心と心は鍵ホックみたいなもの。 さて、どんな、心のつながりを求めていますか
2010年05月10日
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命のバトン 第3章 心の旅 次なる前進 目に見えない糸のような力 娘と同じ年齢の子どもが同級生を殺傷する事件が起こりました。新聞のコラムでは虐待の連鎖のことがクローズアップされていました。 私は自分自身の体験から、“きっとあの、目に見えない糸のような力が働いて、世間を騒がせているような事件を引き起こしているんだ”と、そんな風に思いました。 その数年後、私が住む県でも同級生を殺傷する事件がありました。表面的な“謝罪”や“後悔”だけで解決と見なすような社会の流れを感じました。 しかし、私には、彼・彼女たちが心の奥底で何かを訴え、叫んでいるような気がしてなりませんでした。その根本的な原因を見ていかないと、穏やかな心と穏やかな生活は表面的なものにしかならないような気がしました。 例えば、感情を自由に表現できれば、怒りや恨みの感情は蓄積されません。それを表現することにより、自分の内面に気付けるのではないでしょうか。 “ポジティブ・シンキング”という考え方がありますが、怒りや恨みの感情を喜びや楽しみに改善する方法を見つけることができます。相手に求めず、自分自身が行動を起こすことによって何かが生産されます。そして、ありのままの自分を知ることで、無理なく自己成長へと繋げて行くことができるのではないでしょうか。 私は過去の記憶を辿り、文章にしながらAさんにFAXにて送り続けました。すると、自分の依存心が見え出しました。しかし、母も母の姿をスライドしたAさんも縦の関係なのです。そのことを、表現するとエネルギーや諭されることで、うやむやになります。 そして、「思考が現実を創造する」という心の仕組みを学び、すべては自分なんだと知り、心の種から花になり実になる過程を洞察し続けた。 すると、天狗になった自分が出来上がり、周りと分離した。その反面。至らぬ自分を心のどこかで責めてもいました。また、自分から可哀想な人、だという荷物を背負う母が理解できませんでした。「自分の考えだけが正しい」を、すると。。。周りと分離するんですよね違う考えの人を排除しちゃうから で。。。。この頃から、ブログを始めた。自分の心の思いを書き出しタンよね。心の思いを文章にし、自分自身の矛盾を吐き出した周りの人に対して、矛盾を感じることは、自分自身の潜在意識にも矛盾があるから。。。相手に対して、憤ることを吐き出し。それを、自分の基へと戻し。。。すべては自分だったと、認識する。すると。。。 自由が生まれた 依存という関係で、鎖につながれていた自分の絡まった鎖が解き放たれた感じ依存とは、相手に自分の存在を見出す。相手に左右される・相手の反応をいつも気にしている。でもそれは、自分の潜在意識が投影した相手なんよね相手に反発心があるときは、相手に映し出した自分の姿の成長を促す為のもの。相手に映し出した自分の姿を認めたくナインよね。随分、私も。ある人から、嫌な思いをさせられた 嫌な感情が浮上したときこそ、自分自身の心の叫びに耳を傾けてあげるといいねがんばれ~って、自分自身にエールを送ってあげる。相手を責めることからは、何も始まらないね “愛”というボタンの掛け違い。 私は長い間、相手の愛から始まる行為を受け取ることは、相手に服従することだと勘違いし、突っぱね、対人関係においては、“依存”か“支配”しか知りませんでした。いつも、服従するか、先頭に立って支配するかを、心の底で考えていました。 しかし、相手をコントロールしたいという欲求を手放し、自分を律することで自由が芽生え、争いが消えていくのだと、今は感じています。
2010年05月10日
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命のバトン 第3章 心の旅、次なる前進 目に見えない糸のような力 心理学教室へ行ったとき、“相手の話を主張として聴く”と教えているAさんに耳を貸してもらえず、私はAさんが教えていることと、していることに矛盾を感じ、憤りを募らせていました。そして、Aさんに自分の非を認めさせるために、手足の痺れや震え、硬直などの症状までをも引き起こしていました。 Aさんはこのような状態の私に毅然とした態度で接してくださいましたが、そのことさえも、“自分の思いを伝えること”を拒絶されたと思い込み、また、一人ぼっちになったような寂しい思いがありましたが、自分が進むべき道へ歩むように後押しをしてもらっていたのでしょう。これも、心を鬼にした愛かもしれません。あのときのわたしは自分の正しさを証明するために、潜在的に持っていた恐怖や不安の感情によって身体症状を引き起こし、被害者に成りすますことでAさんを責めていました。 そして、縦の関係からはみ出そうとしている私をAさんが排除しようとしていると感じ(真実は自分から排除されようとしていた)、反感を覚えていたのです。 例えば、Aさんの心の枠以外のことを話すと話を逸らされるか無視されると感じ、Aさんは自分に従う人だけを大事にし、立場が悪くなるとAさんよりも知名度が高い人を盾に取って自分を守ろうとしていると決め付けて、それなのにしがらみを手放せない状態にいたのでした。 これらの出来事は過去の感情を蘇らせ、その結果身体症状を引き起こしました。不思議なメカニズムのように感じるかもしれませんが、“心口意一体”と言い、心と体、そして意識は密接な関係があって、“ワンネス”つまりはひとつなんです。ヨガではこれを“心身一如”と表現します。“病は気から”という諺もあります。 あの頃を振り返ると、自分にとって丸く見える理論が、相手によっては形や大きさ、距離までもが違って見えることを知らずに、“私がみているようにAさんにも見て欲しい”という想いだけで、認識を強要していたのだと気がつきます。これも、幼児期からの名残なのでしょうか?自分では何も変わらずに、相手に自分を受け入れさせようと躍起になっていたのです。 過去の記憶を辿りながら、学んだ心理と照らし合わせ矛盾に感じたことを、Aさんに質問するんですよね。すると、上手く話をはぐらかされたり。。。 う~ん。。。長女と真剣に向き合ったときの感情。長女が選んで進んでいる道は、少し前の自分が歩んだ道。だから、こっちの道へおいで。と、長女に言うでしょもちろん、遁走よりも地道に歩んだほうが良いと思うはず。ところが、長女にはいろんなものや事を回避、言い訳し、どうしていいのかがわからない状態。沢山の迷い・疑惑を持ったまま進めナインよね。ちゃんと、非建設的な行動にも意味があるから。。。そのとき。私は“成功・結果”を出すことに頑張っていた。しかし、それだけではないよ。。と、長女が非建設的な行動からのメッセージを送ってくれていた。 そのときの、親としての自分の立場とAさんの立場。。。が似ている。。。その時に感じる感情。自分の至らぬことを認めたくない。だから、長女に対して、怒りの矢を放つ(無意識的なね)。そのことを、長女は見抜いているから、、いたちごっこ。。。 親子でどちらが正しくて、どちらが間違っているのかを、競い合っている競争から降りる勇気も必要なんよね。 エネルギーで子どもを押さえつけると、今度は自分に返ってきます。力が逆転したときにねという場面を、ある人から確認したのが、2週間前のこと。。。後から気付いて、受け入れるのもOKだよね。。。 家族関係は対人関係の基盤。大切に育てたいね。自分と子どもの心を
2010年05月10日
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命のバトン 第3章 心の旅、次なる前進 目に見えない糸のような力 “目に見えない糸のような力”のことをさらに確信させる出来事が、起きました。 徒歩で出掛ける途中、私がいつも通る幹線道路で信号待ちをしていたときのことです。その交差点は一ヶ月ほど前に交通死亡事故があった場所で、その日も花が供えられているのを私は何気なしに見ていました。 そして、“霊が霊を呼ぶ”というのも、無意識のうちに“事故”をイメージしているからなんやわ、と心の中で呟いていると信号が青になり、“青や!渡れるー”という喜びの感情を鮮明に感じた私は、一歩前に進みました。するとー。 クラクションが大きく鳴り響き、私は「はっ!」と我に返りました。音のするほうを見ると、青い車がブレーキをかけ、前方の信号は驚いたことに“赤”でした。 私は恐怖や驚きよりも、ビジョン化した出来事が現実化するスピードが速くなっていることをとても嬉しく感じました。しかし、一歩間違えば大惨事に繋がったかもしれない出来事でした。 宙に浮いた感じ・感覚がありました。「はっ!」と我に返ったときには、“幽体離脱”した魂が、自分の肉体へと戻ったイメージでした。 恐怖よりも、何かにとりつかれた感じ長女が遁走し、外で一晩を過ごした事がありました。そのとき、気が勝って“恐怖”を感じなかったそうです。当時、「自分から危険な場所へ行っている」ことを諭し、遁走をやめさせようとしましたが、寝耳に水でした。「怖さ」が盲点となるくらい、違う事に意識が向かっていたのです。それは。。。あること。。。。。 だから、問題に焦点を当てすぎると、本人の思いが見えなくなり、エネルギーの高い人に呑み込まれそうになる。それを、拒否したから。遁走やかんもく。その意識が増幅すると、自閉症の可能性も出てくる。相手と対等の立場で、立ち居地で、エネルギーをその場で通い合わせると、心の宝物が見つかるね
2010年05月10日
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命のバトン ある、流れ。。。成功への。。。夢をかなえるための。。。 こつこつと、やってきた事が。ふと、、、、道が開けたり。実ったりと。。。そんな時は、自分次第で、確実に現実化、一歩前へ進むんだけど。。。 ふって湧いてくるようなチャンスは、エネルギーの高い人に有利なように。方向付けられる 例えば。。。金銭的な事が絡むときも。確かに、何かを得る為に投資する・リスクを負う。それは、自分自身が背負うもの。しかし、、、目の前でリスクを背負わないで、私が投資した金銭的なことで、相手はリスクを背負わないで効果・成果を挙げる。これは、エネルギー・引き寄せの力の違いだと理解はできるが。。。ずるいなと、思ってしまう。相手はこのことに気付いていないけどね だから。。。その、相手と距離を置き、自分自身を育てる。 運とかでチャンスを掴むのではなく、ゆるぎない自分の宝物をもってね このエネルギーの流れをどんな風に、表現できるか、難しかった。過去に体験した事から書いてみました。 もうすこし、わかりやすいように。。。 ある、ビジネスにかかわっていた時。同じ時期に始めた人は、運が良いのを豪語する人で、その組織では力のあるリーダーにべったり。。そして、どんどん成果を出していくんよね。。。 すると、その人は。セミナーなどのお世話的なことをして、セミナー料金を払わないでいい。しかし、私は払い続け、おまけにセミナーの準備・片付けをしないといけない。そして、タイトル獲得祝いとかを払い続け、お誕生日もお祝いして。成果が出ていない自分には、何も返ってこない。 その人たちは、扱っている日用雑貨を経費として計上し、税金を払わないように工夫している。「無税入門」とかを掲げてね。それを、掲げて勧誘したりもする。そのくせ、「日本を救おう」なんて、言っている。 けど。。。地道に頑張っているサラリーマンや自営業者は、毎月、やりくりをして税金を払っている。介護をしている人もいるよね。 「日本は沈没する」だから、外側から救わなければ。なんて、言っている人もいた。しかし、そのような思考が現実を創造する。私が関わっていたビジネスを辞めるとき、「きっと、わかる日が来る」と、ある人は言っていたけど。。。未来を創るのは、自分自身。自分の想像したことが現実を創造する。恐怖や不安で、人を動機付けると、恐怖や不安がどんどん浮上してくる。 今、なんで。坂本龍馬が流行っているのか。戦う事ではなく、自らが力を付け、相手のよきところを取り入れることじゃないかな。1人ひとり、考え方や思いは違う。 そのためには、自らを不幸にする・自分を苛める思考パターンを捨て、自らが幸せになる為に歩み始める事だと思う。自らが輝き出すと、回りも輝くね。 心のからくり。と、社会の流れ。。。奪い合いがありませんように。
2010年05月10日
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命のバトン 第3章 心の旅 次なる前進 目に見えない糸のような力 私はDさんのセラピスト養成講座を受講することに決め、私の“心の旅”は学びの場を変え、私は更に突き進んでいきました。そこでは“思考が現実を創る”という考えをもとにした“催眠療法”と心の仕組みを学びました。 物事を白か黒かでしか見ることができていなかった私は、世の中の矛盾をすべて解決できそうな気がして、心の奥底では好奇心と冒険心、負けん気が活発に働いていました。そして、それが私を“行動”へと導いていきました。 それまでにも私は、“機能不全家族”“アダルトチルドレン”“インナーチャイルド(傷ついた子ども心)”について、“世の中の矛盾”、そしてカウンセリングを受けているクライアントの怒りや恨みの感情をカウンセラーが受け止めることなどについて書かれたた本を好んで読んでいました。 私自身の状態としては、依然として何かのきっかけがあると心の扉が開かれてしまい、過去の記憶を辿っては、“○○して欲しかった”“どうして認めてくれないのだろう”などという思いや、親への依存心が蘇ってしまていました。ひとつの出来事から同じような感情を味わった出来事が芋づる式に引っ張り出されてしまうのです。そしてそれはだんだんと、自分の欲求を満たしてくれなかった相手(親など)への恨みの感情へと移行していきました。 それに対してカウンセリングでは、相手(親)の立場となり、“親も大変だった”というように親よりもものわかりの良い人になることで怒りや恨みの感情を沈静化します。私自身もそのような経過を辿ってきました。 しかし、表面的には理解できていても、目に見えない糸のような力が働いて、大惨事に至る場合もあることを、その後、私は自分自身で体験することになりました。 それは、次のような出来事です。 私は講座の前後、Aさんに相談に乗ってもらうことになっていました。 講座が終わり、Aさんが他の参加者と話をしていたので少し待っていましたが、私の心の中では、“私よりもあの人たちのほうが大切なんやわ。やっぱり裏切られた”あの人たちはAさんの気をひくために同じことをしつこく聞いているんやわ”“Aさん自身が回避していることを私に言われるのを避けているんやわ”・・・という反発的な囁きがありました。 そして、待ちきれなくなった私は諦めて帰ることにし、マンションのエレベーターの前で待っていました。ところが突如、私の中に“教室へ戻りたい”という衝動が沸き起こり、私は教室の玄関を入りました。そして、部屋の中から出てきたAさんの姿を見た私は、Aさんに向かって突進したのです。 気がつくと、Aさんが目の前でうずくまっていました。 私の親代わりとなり、私の思いを受け止め、心の成長を手伝ってくれたAさん。なんと、私はそのAさんに体当たりでぶつかり、打撲傷を負わせてしまったのです。 そのときは、打撲傷を負わせたことにも気がつきませんでした。体当たりでぶつかったときのことが、全く記憶になかったのです。 これが、“目に見えない糸のような力”を私が感じた瞬間でした。頭で理解できても、目に見えない糸のような力は絶大だったのです。 そしてそんな私にAさんは、「溢れるエネルギーは、建設的に使いなさい」と言って、何事もなかったかのようにハグしてくださったのです。 つづく。。。
2010年05月09日
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命のバトン 第3章 心の旅、次なる前進 新たな旅へ~ワークショップでの出会い~ とある湖畔にて2泊3日で開催された心理学のワークショップに参加しました。 2日目のセミナーが始まる前に、湖畔を散歩しました。可憐な花が名残惜しそうに咲き、湖畔で遊ぶ親子の姿と、そして聳え立つ山の姿。そんな風景のなかに包まれていると、“私はここに存在している”という実感が湧き、穏やかな環境,そしてその喜びを分かち合える仲間がいるという幸せが、今、ここにありました。 私はいろいろなセミナーや自助グループの合宿に参加しましたが、その中で、グループによる違いを感じるようになりました。 ある自助グループでは、自己の幼児期のトラウマなどにフォーカスし、“可哀想な私”を誇張します。つまり、自分からの思いを発信するだけで、相手からは共感・慰めなどのメッセージしか受け入れないのです。そして、“わかって欲しい”と言い続けることで苦難が苦難を呼び、不幸を引き寄せるパターンがあるようにも感じました。 グループで集まると、孤立する自分が。やっと、調和し、周りに貢献できるようにもなりました。しかし、そこでも。矛盾を感じ始めるのです。すると、自分が相手に対する反発するエネルギーを発するからなのでしょうか、全てよし。。。には、なりませんでした。 このとき、セミナー参加者の、ある人との出会いで、私は次なる学びの場へと進んでいくのでした。
2010年05月08日
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命のバトン第2章 心の旅 偽りの卒業 “親も大変だったのよね”というお決まりのような言葉によって、“親を乗り越えた”感覚を味わい、親よりも偉い自分に成りすました私は、とらうまを解決したような気分で、でもどこかにすっきりしない、してやられたような感覚を残したまま、心理療法のカウンセリングを終了したのでした。 しかしその頃の私はまだ、心と心の繋がりというものを知りませんでした。与えて貰うことばかりを考えていました。 “人の役に立ちたい”という思いよりも、自分の正しさを“心理学”という鎧を着ることで証明したい感情が強かったのだと思います。そんな私には“相手の立場”を考える余裕や心得などは、全くありませんでした。 そのような周りとの接点がないままの状態では地に足が着かず、意識だけが舞い上がり、自分の思いを伝えようとしても伝わらないことが、その後の体験を通して理解できました。 「はい。依存に気付いたあなたは心の成長が早いですね。」「このような親ですね。でも、あなたは、その殻から抜け出しましたね」その、背景には沢山の矛盾とAさんに対する不信感があった。最後の個人セッションの日。オートロックの心理学教室では、なんど、呼び出しをしてもAさんからの返答はなく。私は避けられていると思った。Aさんの矛盾を指摘しそうな勢いが私にはあったから。。。 マンションの管理人さんの配慮で、中には入れた私。。。でもね。。。Aさんのエネルギーに呑み込まれた感じだった。呑み込まれ、良い子でいるのか。それとも、自分自身が一歩ずつ歩み続けるのか。しかし、歩み方を知らない。自分を幸せにする生き方を学んでこなかったんよね。自分を幸せに導く、物事の捉え方、考え方。。。そして、行動。。。などなど。。。 このような状態に至るまで。私は依存関係の本を読みあさりました。そして、可哀想な私を強化し、親や環境に責任転嫁し続けていくと、恨みや怒りの感情があふれ出し、破壊的なエネルギーは、自分自身をコントロールできなくなった。インナーチャイルド(傷ついた子ども心)を癒したりもしたが、意識が内側へ入り込むような感覚のエネルギーは、行動することを阻み、どんどん周りと分離する感覚があったのでした。 心理を盾にとり、母の至らぬ所や、守ってくれない事への不安などを見つけては、憤っていたのでした。いま、思えば。。。先へ進みたいのに、その生き方を教えず、自分(親)の枠にはめ込まれるのを拒んでいたのだと思います。 絵を書いたりもしました。鎖に繋がれた自分が鎖を外し、花畑で自由になる姿や、幸せの連鎖を広げる絵など。。。 書いていくうちに、心が癒され、すっきりしてくるのでした。。。
2010年05月08日
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命のバトン 第2章 心の旅 長女の苦しみ 長女は「自分自身のことを考えたい」と言い、10日間ほど学校を休みました。いわゆる"登校拒否"です。原因はクラスメイトとのトラブルでした。当時の担任の先生は、客観的な立場で子ども達を見ておられる方でした。何かあるごとに学校での出来事や状況を教えていただき、長女から聞く話にあわせて先生の話も聴くことで、私には相手の立場がわかりはじめました。まるでパズルのピースを埋めていくように状況を読み解き、長女にも非があり、お互い様であることを見つけ、学校へ謝りに行ったこともありました。 その頃からでしょうか?長女だけではなく、私は周りのことにも興味を持ち始め、心理分析をするのが日課となりました。 学校内の遁走に留まらず、長女は学校の外へ飛び出すようになりました。その理由は、長女の幼児期にできたトラウマです。 おもちゃを片付けない長女を私が強く叱り、ときには物置に閉じ込めたことへの恐怖と不安を、私と口調が似ている担任の先生と接することで思い出し、居ても立っても居られずに遁走していたようです。 当時は校長先生や担任の先生と話し合い、"相手も自分も尊重する"という立場で対処を考えていただき、"飛び出したくなったら空き教室へ非難する"という取り計らいをしていただきました。 しかし、それは蓋を開けてみると、嫌なことから逃げ、好きな本を読み、黒板に字を書いて遊んでいる時間を長女に与えただけでした。そのようなことが数ヶ月も続いたように記憶しています。 数年後、この出来事を客観的に見ると、矛盾があることに気がつきました。小学校では担任の先生が殆どの授業をされますが、とらうまのせいならそのほとんどの授業が受けられない筈です。でも、長女の場合はそうではなかったのです。 そのことに私は気付かず、心理学教室で習った"主張的に話すこと""相手も自分も尊重すること"などを、コミュニケーションに取り入れ、自己満足していました。 長女はあの頃を振り返り、「苦手な算数の授業から逃げ出したかった」と漏らしています。 やがて、嫌な算数の分野が終わった頃、一部のクラスメイトから長女だけ特別扱いだとのブーイングが起こり、長女は遁走生活から終止符を打ちました。 一生懸命でした「可哀想」だと思う意長女の姿を自分の姿とスライドさせ。守りたくなる・保護したくなる心理。恐怖や不安で固く閉じ込めた心。そっと、しておきたい。そんな親の思い。。。 そして、そんな思いをさせた相手への反発心。しかし、恐怖や不安な気持ちにさせたのは過去の出来事。今、ここには、存在しないかもれない・存在させないように意識を持っていくこともできる。 とらうまにより、得たもの。特別扱い・心と心を繋ぐもの。。それらは、トラウマがなくても、努力すれば手に入れることができる。言い訳や回避することで、自分自身を苦しめる出来事を引き寄せる→ このできごとは、のちほど。。。。 依存。相手に自分の存在を見出さなくても、自分の存在こそ、尊いのだと信じ、大切にできる日を。。。。
2010年05月08日
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命のバトン 私が小学2年の頃。懇親的に付き合っていた親戚が、関西から関東へ引っ越しタンよね。その親戚には、私よりも年下の女の子2人がいて。たこ焼きを買いに行ったり、公園で遊んだりと、楽しんでいた でね。。寂しかったんよね。夜、布団の中で声を殺して泣いた。かわいそうな私に酔いしれていた。そして、自分を責めるの。私が登校拒否だから、だわ。。なんてね。。 その、時間が。。。心地良かった。 自分を責める事で、なんだか。。。そのままで、、、立ち止まる事が出きる。夢心地。という表現が近いかな。 自分で自分を罰する。そこから、何も生まれないことを、私は知らなかった。今、ここから。どうすればいいのか、どのように工夫、チャレンジすればいいのか。視野を広げることも、判らなかった。だって、周りは怖い、って、思っていたから。縮こまる事で、夢心地になる事で。そのような状況を作り出した、相手(恐怖や不安にさせた)と環境に反発・あてつけられるのだから。 これが、理解できるようになったのは。命のバトンを書きながら、自分自身の人生を振り返ってから。。。あっな~んだ、そうだったのかと、肩の力が抜け、自由を見つけたのでした。
2010年05月08日
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命のバトン すれ違う心。について、昔々のこぼれ話私が心理学を学び始めたのは、長女が小学3年・次女が幼稚園年長の時。休日に心理学教室へ行くときには、夫が子ども達の面倒を見てくれていて。大助かりだったんだけど。 私の心の中には???とほんの少しの。夫との心のすれ違いが生まれた。それは、、、その日の昼食や夕飯を作って出掛けたのに。夫は、スーパーでお惣菜をかってくる。おまけに、子ども達にがちゃぽんを買ってくるけど。買ってきたガチャポンは、家でごろごろしていた。 「折角、ご飯の用意していったのに。。。」とね、思った。しかし、心理を学んでいた私は。。。 可哀想な自分(夫)と子ども達をスライドさせ、子ども達を甘えかせているんだと。。。思った。可哀想な自分(夫)と子ども達を、可哀想な自分たちに与えられるご褒美を誇示している。つまり、私への当て付けだと、心の奥底では見抜いていた。けれど、、、見て見ぬふりをすれば、自分の好きな事ができるでしょ。だから、自分にとって都合の悪い事は、心の奥底に仕舞い込んだ。 心理を学ぶ事で、ちょっぴり。夫よりも偉い自分ができたんよね。そのままを、受け入れることで あれから、8年。かな?いつの間にか、そのような関係も、感情も浮上してこない。 お互いに被害者意識を捨てたからかな。それまで、たくさんの心の、ぶつかり合いがあった。離婚寸前にまでなったこともあるし、ご近所にまる聞こえの大声で、罵り合った。 このような体験を通して。 心理では解決できないもの。心理では、表面的な解決はできるけれども。。。。人と人との関係なんだから。心理と言う型に当てはめようとすればするほど、反発する人も生まれる。→ これは、私がセラピーの事務所を構えている時に感じた事。。。。安心できる人と話せばいい。心の奥底までお互いに関わりあうと、本当の愛・心のつながりができるね。そしたら、ずっと。くっ付いていなくても、安心できる。冒険して、くたくたになっても、安心できる場所と人がいれば、大丈夫。 そのような関係を自分から発信すると、これまでと違った人との出会いがある。裏切りや競い合う人ではなく、愛を大切にする人と。あらら。。。それは、自分の心が変わったから。。と、気付く日でもある。自分の潜在意識(心)が現実を創造する。
2010年05月08日
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命のバトン 第2章 心の旅 長女の苦しみ Aさんが主催する合宿に参加したあと、長女にチック症状が現れたことがありました。その後2学期が始まっても、長女は熱を出して早退する日が多くなり、私は毎日のように学校へ長女を迎えに行かなければならず、忙しくなりました。 小学校の2学期といえば、運動会の練習が始まる時期です。残暑厳しい中での練習が待っていて、なかなか忍耐力が必要ですが、長女はこのような状態から逃れるために神経症を引き寄せていたのかもしれません。家に帰ると熱も下がり元気になるので、私は苛立ちが隠せませんでした。 そこで、私は心理学教室へ行ったときにAさんに状況を説明し、「神経症ですね?」と確認を取りました。悩んでいる一方で心の奥底では、このような体験ができたことを喜んでいる自分がいるのを感じていました。にもかかわらず、長女の怠惰ぶりや傲慢さ、消極的な部分などを心の中で責め、世間で言う“良い母親”を演じていたのは言うまでもありません。 熱を出し早退する日は、運動会が終わる9月いっぱいまで続きました。 次女が父の日の絵画コンクールで賞を頂き、表彰式に出かけたときのことです。 その日は夫の都合が悪く、私は長女と次女と一緒に電車で出かけました。駅から会場へ向かう途中、激しく車が行き来する道路を歩いていたときです。長女がパニック症状を起こしました。 そのときの私は心の底で、“面倒くさいな。この馬鹿野郎!”と思う半面、“私が彼女を助けてあげなければ”という思いがあり、良い母親を演じる私との間で揺れていたのです。そして、お得意の心理分析を始めるのです。 私の分析では、このような出来事を引き寄せた原因は、“次女のためになんでこんなに歩かなあかんの?”と長女が思い、私の気を引こうとしていることである。と、考えられました。 そして、私は子どもの心の問題について書かれた本を読んでいて、そこに書かれた“母と子の絡まった心の世界”に浸っているところがあり、長女を実験台にするがごとくに、大好きな心の洞察をさせてもらっているような部分がありました。矛盾。世の中の矛盾。それを、子どもが問題を引き起こすことで、大人が学ばせていただく。大きなチャンスだと、書かれていたように記憶しています。 一時的なパニック障害になった長女は、その後の日常生活でも友達と外で信号待ちをしているときなどに症状が出ていたようです。そのことを知ったのは本当にたまたまで、私の両親がパニック症状を起こした長女に遭遇したためにわかったのでした。 長女の意向もあってAさんのカウンセリングを受けさせることにしたのです。ところが、その構図から見ると、“母である私を責めている長女”をAさんが受け入れることで長女の見方となり、またいつもの疎外感を感じさせられます。そのように、自分自身のトラウマが拭いきれていない状態でしたので、Aさんへの反発心を心の奥底に感じていて、Aさんがお守りとなるシールを長女に渡しただけのような気持ちで見ていました。そんな私の期待通りにAさんのカウンセリングの効果は現れず、問題は増幅していきました。“違う”“他に根本的原因があるのでは?”“もっと深い、心の思いを聞いて!”という感情が私の心の中に湧き出していました。 カウンセリングを終えて帰宅すると、長女は指の皮を血が出るまで剥いていました。自傷行為です。私は長女を抱きしめ、「こんなになるまで気付いてあげられなくてごめんね」と言い、良い親を演じることに酔いしれていました。 数年後、その行為について長女から“ストレス解消のためにしていた”“血が出るとスッとした”と聞きました。非建設的な長女の行動を受容することで問題が更に増幅し、長女は自傷行為に至ったのです。それは、私も同じだったのかもしれません。Aさんが“親に言いたいことも言えずにいたのに、子どもからは突き上げられる。そんなあなたたちを守る隠れ家だ”と、自分の主催する心理学教室のことを表現したことがありました。「可哀想な人」を引き寄せることで、自分が優位な立場になる(無意識の優越感)→人は優越性を追求する(アドラー心理学より)優越性を追及することにより、自分を越える相手が存在すると、恐れを感じる。そこで、その相手を排除しようとする。もしくは、自分よりも成功している人を盾に取る←守られる自分が存在する。
2010年05月07日
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命のバトン第2章 心の旅 蓄積される怒り 心理療法を受けていた頃の私は、保護されたい自分を感じる反面、行き過ぎた保護を支配のように感じ、その相反する心理の狭間で苦しんでいました。不安と恐怖の感情が引き出され、そのストレスが身体症状にまで及び、老夫婦の姿を見るだけでも過去に自分を威圧した存在(祖父母)を投影してしまうこともあり、身体が震え出したりもしました。 この頃の私は、自分が被害者であることを過去の記憶から浮上させては、自分で自分の心理分析をし、親や育った環境にその責任を転嫁してばかりいました。そうすることで、沢山の怒りや恨みの感情が蓄積していき、被害者である自分を正当化し、それを見つけ出した自分を誇示することの繰り返しでした。 怒りや恨みの感情に支配され、私は爆発寸前の状態でした。持って行き場のない感情を、家にある食器を新聞紙に包んでナイロン袋に入れてから麺棒で叩き割ってしのいだこともあります。 そこで得たかったものは優越性のみで、私は自分の正しさを証明したかっただけだったのでした。 ここだけの話 ある合宿に参加し、トラウマを見つけ出した私は、恐怖の感情で自分自身をコントロールできなくなった。そして、Aさんに個人セッションをお願いした。当時、Aさんの予定はぎっしり詰っていて、個人セッションを受けるまでに一ヶ月くらい待ったでしょうか。そのとき、娘のベストを編みながら「こんなに大変な私を誰も助けてくれない」と思いながら、編み棒で自分の掌を刺した。なんども、なんども。。。深い心の中で、Aさんへの当て付けだと判っていながらの行為だった。そのことに気付かぬ振りをする自分がいました。 やっと。。個人セッションを受けたとき。やっと、私の思いを聞いて貰える。と、思ったのにAさんは「○○さんの心理療法をした」とか、「あの人も、、そして、今は自分の為に~をしてくれている」などと。私はAさんが自慢話をしているように思った そして、やっと。。話を聞いてもらえた。で。。ここでは、みんな泣き崩れるんよね。でも、私はそんなに泪はでなかった。そんな私の姿を見て、Aさんは不思議そうな顔をした。個人セッションを始めるときには、いくつかの問題を何回か分けて解決。。。という流れが。「次回は。。。」という話が出てこなかったエネルギーとエネルギーのぶつかり合い。おお私のことを恐れているんだ。と思った。しかし。。恨みや怒りの感情は増幅し。Aさんに保護を求める私。 受容。そして。それが、行き過ぎると。依存(他のものにたよって成立・存在すること)なので、相手に期待すると裏切られたと感じる出来事が生じる。相手の為にと頑張りすぎるのも、その行為を受け取らない相手に反感を覚えたりする。 依存には依存される人と依存させる人がいる。その両方を、ときと場所によって持ち合わせてもいる。鍵ホックみたいなもの。鍵ホックが合わなければ、エネルギーの低いほうが淘汰されたように感じる。それは、錯覚で。相手が依存させる人ならば、依存という関係を拒んだだけ。夫婦や子どもなど。。。1人が依存を断ち切ると、その相手は心地良いほうを選ぶ。依存OR自立?自立の自は自由の自。自立の立は、自分の目的にあった立ち居地に立つ。そうすることで、反発するエネルギーが避けられ、自分が本当に望む人生に必要な人や物・出来事と遭遇する。 つづく。。。
2010年05月07日
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命のバトン第2章 心の旅 依存と責任転嫁 私は父に対しても反感を抱くようになりました。 父の決め付けるような言い方、押さえつけるような話し方、支配的な部分が気になり、“父のせいで、私は言いたいことも言えない人間になった”と考えました。消極的な自分にさせた原因を父の存在に見つけ出した私は、そのことを誇らしげにAさんに訴え、カウンセリングを受けました。 Aさんは依存関係に気付いた私の心の成長の速さに驚いていました。依存関係とは“縦”の関係で、“守る”“守られる”“支配する”“支配される”という相互影響が生じ、お互いが競争し合う状況に置かれます。広辞苑では、“ある物の存在ないし性質が他のものによって想定され、条件付けられる関係”と説明しています。 その頃、私は母に対しても苛立ちを感じていました。父の物事を決めつけるように感じる言い方について、私が「こういう考え方もある」と自分の考えを言うと、母は「お父ちゃんに何口答えしてるねん」と私を叱ります。ですが、私は、“母に私を叱る資格はない”“母のほうこそ、父をないがしろにしている”と思い、反発を感じていたのです。 “心の仕組み”を学び、両親の姿は私と夫との姿でもあることを学びました。夫をないがしろにし、被害者ぶって両親に甘えてきた自分自身に憤り、そんな自分の姿を母に投影し、“ひどい母親”という虚像を創りあげることで、自分自身を守ろうとしていました。その為には母を責める必要があり、火のない所に煙を立たせ、問題を定義していたのです。そして、“ひどい母親”に仕向けることで、私は優越感に浸り、できないことの言い訳ができるので、Aさんのカウンセリングを受けると、その場では納得したつもりになります。しかし、家に帰ると、“上手く丸め込まれたんだ”と思い、“結局、私はどうすればいいの?”という思いがこみ上げてくるのでした。 あの頃を振り返ると、私には“自分で何かをする”という意欲がなく、できない理由を威圧的なものに、“依存する”という関係から抜け出せずにいたのです。 私は知人の紹介で、ある自助グループの合宿に参加し、幼児期の記憶を引っ張り出すことに成功しました。 それは、“隣に住んでいた祖父が、母を水道のホースで殴った”という事実に触れたことで、私が知らずのうちに心に負っていたトラウマでした。 “母を水道のホースで殴るような恐ろしい祖父”、その存在が私の人生を変えたとでも言いたかったのかもしれません。 その頃から私は不安と恐怖に襲われ、自分自身をコントロールできなくなり、Aさんの心理療法を受けることにしました。 “母が水道のホースで祖父に殴られた”という出来事は、実は私が生まれる前のことで、私は母や兄達から聞いただけでした。しかし、私はその後、自分が体験した怖かった祖父の記憶と、聞いた話とをイメージの中でドッキングしてしまったようでした。そして、“私がなにかしたら母が祖父に叱られる”“母を助けなければ“という感情を増幅させていったのでしょう。すると、自分が被害者だったと思える出来事が、芋づる式に過去の記憶野中から蘇ってきました。 トラウマを、記憶から引き出すことで、「可哀想な自分」に焦点が合う。すると、感情と共に、その時に味わった感覚が蘇ってくる。そんな、自分に酔いしれていました。 今から思うと。ドラマのように、可哀想な私に救世主が現れる。と、夢を描いていたのかもしれません。私たちは普段みているドラマや、ニュースの報道からも、マインドコントロールされ。信じ込みができているのです。 恐怖に怯える自分。心の奥底では、怒りで人を動かそうとしている相手や、被害者ぶった相手をバカにしている自分がいたのです。私は4人きょうだいの末っ子だから、上のきょうだいを見ながら。事の成り行きを見ていた。すると、反発する自分と依存する自分が存在し。周りと分離していったのです。
2010年05月07日
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命のバトン 第2章 心の旅 Aさんへの反感 私の対人関係のパターンは心理学教室でもシナリオどおりに現れていて、Aさんを母親に見て、自分のライバルである姉の役には講座参加者の1人が選出されていました。 母への執着を捨てられない私がAさんの気を引くためにしたことは、“可哀想な私”をアピールすることでした。 私が勝手に決めたライバルはかつて問題を抱えていて、Aさんのカウンセリングを受けて解決した経験をAさんと共有していました。他の受講生達もいる中で、私は自分の相談がなかなかできずに、当時抱えていた自分の長女の問題の原因は、私の育った環境や私の親のせいだと自分で決めつけ、被害者意識ばかりを拡大していました。 今なら、笑い飛ばせそうですが、私は当時、夜も眠れないくらい悩んでいました。例えば、知らないうちに怪我をしたとき、怪我をしていることがわかると、急に痛みが増すことがあります。心の問題も同じで、原因を知ることで余計に痛みを感じてしまうのです。私は自分の問題を意識することで、その問題が与える痛みに耐え切れなくなっていたのでした。 初めてのカウンセリングでは、幼児期に圧力をかけられたことで、“言いたいことが言えない自分になった”という問題を提示しました。 同じ時期、長女がAさん主催の子ども合宿に参加しました。私は長女の問題(かんもく、だんまり)が解決することを期待し、彼女自身の意志もあって長女の参加を決めました。しかし、合宿後、長女にはチック症状が出てしまい、かんもくも治りませんでした。 そのことをAさんに訴えましたが、そのときこそが、潜在的に私が持っていた“私が伝えようとしていることを理解してもらえない”という感情が、尊敬していたAさんとの関係においても出てきた瞬間でした。 期待を裏切られたと思った私の心には、Aさんに対する競争心が芽生えてきました。 このときも、母に対して反感する思いを引き出す出来事をAさんに見出し、幼少期から母に感じていたのと同じ思いを、Aさんに重ねていたのです。 その反面、私は自分の夢・理想を叶えるための努力をせずに、Aさんが自分を変えてくれることを期待してもいました。 それが、すべてが泥沼化する始まりであるとは、夢にも思っていませんでした。 私は推理小説が好きでした。推理小説では、問題の原因を見つけると、めでたし。めでたし問題は解決します。そのような思考パターンが、引き出されたのでしょうか。原因を記憶から引き出し。「可哀想な私」を演じることで、殻に閉じこもり、縮こまっていくような私が現れました。そして、Aさんのカウンセリングを受けることで、Aさんを独占したのでした。独占欲ともう一つの目的。競争心。自分の思いの正しさを証明しようと意気込んでもいました。 幼児期に見た、母と姉と私の関係。そのときの感情が、目的を。。。引きずっていたのでした。「あなたたちは可笑しいよ、傷のなめあいをしているんじゃないの」というように。。。私には「可哀想な母」を、誇張しているように見えたんですよねしかし。。母や姉に言いたいことを自分自身がAさんに対していていたのです。相手は自分を映し出す鏡自分が嫌だと思う姿を相手(母・姉・Aさんに見ていたのです) 相手の振り見て、我が振りなおせ。ですね つづく。。。
2010年05月06日
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命のバトン 第2章 心の旅問題の根本的原因に立ち戻る セミナーを受講して半年後、子どもが大きくなって鍵を持たせることができるようになったことにより、私には時間的な余裕ができました。 すると、その時間的な余裕により、参加者と上手く関われない自分の存在が浮上してきたのです。講座が終わっても、参加者の島に入れず、1人寂しく帰る自分がいました。これまでは次女の送り迎えのために講座の途中で帰っていたので、このようなことになるのを免れていた訳ですが、私の根本的な悩みの一つが浮き彫りになってきたのでした。 それだけではなく、Aさんが他の参加者と話しているのをみて、嫉妬する自分がいました。Aさんの恩恵を受けている講座参加者が、講座の途中に自分の目の前でAさんと共通の話題について話しているのを聞くと、自分の母親を横取りされたような気分になり、疎外感を覚えたのです。 このような感情は、私の幼児期に形成された対人関係のパターンの踏襲でした。 私は4人きょうだいの末っ子で、2歳違いの姉がいます。幼児期、母が毎晩のように姉に縫い針を肩に差し悪血を抜いてもらっている姿を見ていました。そのとき、私は、2人が厚いベールに包まれているように感じていたものです。自分はそのベールの外で2人をじっと見ているだけでした。 そのときの疎外感をずっと引きずっていたのです。仲間を姉のように見なし、Aさんに母を見て、2人の関係に入り込めずに孤独感を感じるというのが、私のパターンでした。 そういえば、夫や娘達とも同じような関係性がありました。夫と子ども達が仲良くしていると、自分1人が取り残されているような感覚がいつもありました。逆に共に行動するときには、“自分の秘め事がばれないように夫と子ども達の群れから離れたい”という思いが沸き起こって、違和感を覚える事がありました。 この対人関係のパターンが私の人生に大きく影響し続けていたのです。 心を開放し、相手の立場や周りの状況に自分自身が興味を持つようになると、仲間ができるようになり、周りと調和するようになりました。 自分の人生と真剣に向き合い、責任を持つ事への覚悟が必要でした。 幼い頃の母への執着と姉に対する競争心。私は自分のパターンの根底にあった、それらのしがらみを捨て、“ありのままの自分の姿”と“自分が幸せになること”を受け入れ始めようとしました。 のこぎり。のような感情。 群集では息苦しく、1人では寂しい・取り残されたような感覚。行き場のない心。なぜ、息苦しく感じるのか。なぜ、取り残されたような感覚になるのか。その、根本的な感情を、理解する事で。選べる自分になる。周りに振り回されず、自分が創造主になれる。 幼き頃。母と姉に見た姿。祖父から暴力を受け、肩の悪血を抜いている姿。そんな、姿が嫌いだった。寂しいと言うよりも、馬鹿にした感じ。バカにする事で、自分が仲間に入れない事を、寂しさをカモフラージュしていた。なんとも、ややこしい心の流れ。 アドラー心理学では。人は優越性を追及する。とある。相手をバカにする事で、自分が優位に立つことができる。馬鹿にし続けることで、自分の優越性が保たれ、仲間に入れない言い訳ができる。ほんとうは、どうしたかったの。自分に問いかけてみる。しがらみを捨て、産んで頂いたことに感謝。親から子へ命のバトンを。日々進化する魂・心を。。。
2010年05月06日
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命のバトン 第2章 心の旅 アドラー心理学 Aさんとの出会い私は相変わらず人の島に入れず、やり場のない思いを溜め込んでいました。そのストレスを休日に家族と出かけることで解消し、バランスを取りながら子育てをしていると、そのような状態から脱するためのチャンスが巡ってきました。講師Aさんとの出会いです。"Aさんなら、自分の気持ちをわかってくれる"と感じて、私はAさんが主催する心理学教室へ通うことになりました。教室では対人関係の心理学である"アドラー心理学"を主に教えていました。私は、その理論を基にした、親子関係を良くするための講座を受講しました。その講座の影響力はすさまじいものでした。さすが、対人関係の心理学です。講座を受けていくうちに、私と家族の関係はどんどん良くなっていきました。さらにはAさんのさりげない優しさのお陰で、私には安心できる場所ができ、カチカチに固まった心の扉を開く事ができたのでした。その日から、長い間、深く閉ざされていた心の思いを、自由に表現していく作業が始まりました。 相手の話を批判・非難・否定しない → うんうん。それで。。。 どう思ったの。何度も繰り返すうちに、心が開いてくる。安心できる場所・心理学教室。じゃ、次は。家庭で。トライ、トライ 実は、本には書いていないが。。。。私には、OLの頃からの、ある悩みを持っていました。とても恥ずかしくて、ここでも書けません。Aさんは、その悩みを優しく、無言で包み込んでくれたのです。そのことが、あったから、心を開いていったのでしょうねあっそれから。あの頃は、まだAさんとセミナー以外では殆ど話すこともなく。サブリーダーのお姉さまが、相談に乗ってくれていました。奈良から大阪まで、片道2時間。次女を幼稚園に送っていき、大阪へ。セミナーの途中で帰り、直接、次女を迎えに。。。よく頑張ったな~
2010年05月06日
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命のバトン 連休中の出来事。夫が臨時収入で、ランチをおごってくれる事になった。夫「食事ツアーに行こう」子どもと私。「ドライブやったら、神戸に行きたいね。明日も休みやし。。。」 夫の深いこころのなかでは。良い天気やから、近場(奈良市内)にドライブしてランチ。コースを考えていたらしい。 そのことを知らない私たちは。話を発展させた。 近場は平城遷都で渋滞かもしれないし。神戸も渋滞。 で。。。 一部開通している京奈和道で、和歌山へ。 道路も空いていて。ボルトヨーロッパの入園料も、スーパーの会員カードを提示し、ただ。おまけに、花火も、みる事ができた。良いことだらけ。 家族4人の思いがエネルギーとなり、楽しいドライブが現実化した。誰の意見が正しいとか。間違っているとか。思っているだけで、話さなかったあなたがいけないわよ。とか。勝手に話を発展させてとか。関係ない。 自分たちは、どんな風に一日を過ごしたいのかを。考え、意見を出し合い。最高の一日にする。それが、一つのエネルギー。 少し前までは。長女が依存心たっぷりで。被害者意識が強くて。誘ってくれるのを待っていた。「行く」と行って、連れて行ってくれなかったら、プライドが許さないでしょ。だから。誘ってくれるのを待つ。そして、「行っても面白くない」と、自分に言い聞かせる。それは、断られた時の言い訳。「本当はいきたくないもん」。 自分を傷つけなくてすむでしょ。 そんなふうに、思ってしてきた事が。自分自身を傷つけている。 依存。という関係は、相手が自分の思い通りにしてくれなければ。裏切られたとか、思いがち。 だから。。。 真正面から、行きたい。連れて行って。どんな風に思っていたの。 などと。心と心の会話をすれば。相手の思いと自分の思いが繋がり。エネルギーが一つになるね。 自分ひとりのときよりも、協力者が現れることで。2倍のエネルギー。智恵を出し合うことで。3倍のエネルギーになるね。
2010年05月05日
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