E 【エネルギー・資源・環境】 原発・太陽光発電・原油・水 101
K【韓国】【北朝鮮】反日 慰安婦 徴用工 ベトナム虐殺 237
G GOOD BUY 買って良かったもの 0
Z 在日問題 0
V リオの Brave New World 0
全111件 (111件中 51-100件目)
―――― 未来の脳(記事) ――――2050年に人間の脳はどうなるか。脳科学者たちの7つの予測2014年8月31日 09:00信じられないような実話をひとつ紹介します。ロボットの腕を動かして生活しているひとりの女性がいます。彼女の体はほぼ完全に麻痺していますが、体から離れたところにあるロボットの腕を動かしてコップをつかみ、口元まで運ぶことができます。脳に埋め込まれたチップが、神経細胞の電気信号をとらえ、ロボットに指令を出すのです。とはいえ、研究者たちが人間の脳について知っていることは、外国人が飛行機の窓から見下ろして、その国の政治についてわかることと同程度です。つまり、脳科学には信じられないほどの可能性があるのです。ただし、人間の脳を完全に解明するには途方もない時間がかかるでしょう。アメリカのニューヨーク市で開かれた「World Science Festival」のホスト役であるRobert Krulwich氏は、パネラーとして参加した研究者や脳科学者に次のように問いかけました。今後、脳に関して科学の研究からどんなイノベーションが期待できるのでしょうか? 脳科学の研究や今後の進歩を論理的に考えた時に、人間の脳にどんなイノベーションがあると思いますか? 学者たちの予測はエキサイティングなものでした。1. 脳へのインプラントが普及する記事冒頭で紹介した女性の脳に埋め込まれた小さなインプラントは、100個もの神経細胞の電気信号を読み取ってくれます。しかし、日常生活に重大な支障ももたらしました。頭蓋骨に穴を空け、そこからワイヤーとアンテナを常時出しておかなければなりません。脳の中のインプラントと、外部にあるコンピューターが通信するためです。「これが今の限界です」とブラウン大学の脳科学者John Donoghue氏。しかし、今後チップは小さくなり、WiFiや他の方法でシグナルを効率的に伝送できるようになり、熱の放出量も抑えられるでしょう。インプラントを埋め込んだあとに頭蓋骨を閉じることができれば、生活はかなり改善されます。2. 脳にWiFiと通信できるチップを持つ現在、脳に埋め込めるだけでなく、寿命が長く、外部との接続コードも不要な極小のマイクロチップの開発が進められています。こうしたチップは「ブレイン・ドロップ」とか「ニューラル・ダスト」と呼ばれます。この研究は、カリフォルニア大学バークレー校の教授Michel M. Maharbiz氏によって進められています。「神経細胞と同じサイズの極小のチップと通信し、そこから情報を記録する方法を探っています」とのこと。おそらく通信には超音波か、ワイヤレスインターネットのようなものが使われるでしょう。3. 盲目の人が見えるようになるこの研究は、米コーネル大の教授で「神経補綴装具士」のシェイラ・ニレンバーグ博士によるものです。博士によれば、盲目の多くのケースでは、光受容体細胞が死滅しても、出力細胞は生きているそうです。「ですので、出力細胞に正しいコードを送れば、視覚が戻ります」とニレンバーグ博士。彼女は、網膜の機能を模倣する数学的システムを考案しました。これを使って出力信号を脳に送るのです。今のところ、研究はうまくいっているようです。4. 「ジェニアファー・アニストン細胞」のような細胞がもっと見つかるパネラー全員が同意したのは、脳科学が脳の特定の部分の特定の機能を解明できたとしても、脳全体としては膨大な謎が残るということです。例えば、神経学者たちの間で「ジェニファー・アニストン細胞」と呼ぶジョークがあります。あるとき、あるてんかん患者の神経細胞の一部が、ジェニファー・アニストンの写真だけに反応し、他の写真には反応しなかったことがありました。これは、ひとりの人間(おそらくジェニファー・アニストンについて考えたことのあるすべての人)が、自分の脳の神経細胞の一部を、ドラマ『フレンズ』のスター、ジェニファー・アニストンに捧げたことを意味します。恐ろしいですね。私たちが『戦争と平和』細胞も持っていることを願うばかりです。「いくつかの神経細胞については、その働きが詳しく解明されています」とニューヨーク大学の心理学教授、Gary Marcus氏。今後、脳のエリアごとの解明がますます進むでしょう。5. 記憶を消せるかもしれないディスカッションの中で、Marabitz氏が、米国防高等研究計画局(DARPA)のプロジェクトについて短く言及しました。この計画は、「記憶をつかさどる脳の回路をチップで置き換える」というもの。すばらしい? 憂慮すべき?6. 意識を機械にダウンロードして永遠に生きるこの話題に入ると、脳科学者たちは科学の限界について語り始めました。少なくとも、近い将来では不可能ではないかと。とはいえ、思考実験としては面白いテーマです。7. 個人の脳を正確に再生することはできないMarabitz氏は、脳はあまりに繊細で、少しも損なわずにコピーするのは物理的に不可能なのだと話しました。それでも、パネラーたちは、脳の再生に関する倫理的問題について楽しそうに意見を交わしていました。「ロウであなたのダミーを作ったとしても、それはあなたではありません。神経細胞をひとつひとつコピーして、あなたの脳のダミーを作ったとしても、それはあくまでコピーです。クローンや双子と同じく、それはあなた自身ではありません」とMarcus氏。この永遠に埋まらない意識という溝...。科学者たちは、意識の再生を考えるには、意識に関する基本的な理解が到底足りていないことに同意しました。Marcus氏は続けます。「私たちは意識の問題をどう定義したらいいかわかっていません。そもそも、自分たちが何をシミュレートしようとしているのかすらわかっていないのです」7 Predictions for Your Brain in 2050|Inc.Christine Lagorio Chafkin(訳:伊藤貴之/ライフハッカー[日本語版]) ―――― 感想 ――――人間の,に限らないかも知れないが特に人間の脳は、・ 恐ろしいほどの容量を持っている・ どこまで行っても、多くのブラックボックスがある盲目の人が視力を回復する私の目も、よくなる?プライオリティーと支払い能力から私の生存中には,無理だろうあきらめよう物事は,心眼で見よう特に,女性などは(笑)----記憶を消し去ることが出来るのなら記憶を何度も再生することも可能なはず昔の恋人との楽しい日々ベッドでの気持ちよかった事(笑)等、指定した過去を再生出来れば人生、楽しいと思うのだがよく,山で遭難した人間が断崖ぜっぺっきから落下するほんの数秒の間にその人の全生涯の前記憶がフラッシュバックすると聞くいやな部分は、削除とかホールドしておいていい部分のみ,フラッシュバック・・・は、虫がいいか?(笑)しかし人間は,無意識のうちに快い記憶を保存し不快な記憶を減衰させる出現を邪魔すると言う事をやっていると思おうその辺も含めて,脳はすごい私が軽蔑する下劣な2ちゃんのクズ共だってそれなりの脳を持っているのだ(笑)品性は変えられないとしても(笑)例えば膨大な費用がかかる宇宙の旅などリアルにはロケットに乗らないで同じ体験をさせてもらう(笑)そういう他人の記憶にただ乗りできることは可能なのだろうか?憧れの美女の恋人の男の記憶にただ乗りして(笑)幸せなひとときを過ごす事は、無理なのか?(笑)どうも都合のよいアイディアばかりなのでこの辺で ―――― カメラ ――――私は,カメラが好きで海外旅行には必ず携行してかなりの枚数を撮影するのだがふしぎなことにというか私がずぼらなだけなのかも知れないが撮影した映像を再生して楽しむと言う事は、割合に少ないましてや、アルバムを買ってそれに写真を貼り付けるなどということはしなくなって、久しい撮影した映像の再生についてはかなり一期一会、なのであるその点は女性などは,実にまめで帰国後、すぐにプリントして他人に見せたり部屋に飾ったりして楽しんでいる私から言わせればどうでもいい(失礼)自分撮りとか友達とのピースポーズの平凡な写真(失礼)等の量産なのだがそれでも、全く、懲りない(笑)というかあきないそもそも脳の構造が違う様であるそれにしても私と言う人間も、謎である(笑)一生懸命撮影しながら再生にはそれほど興味が無いたぶん私の推測だが(笑)私は,撮影した時点ではまるでライフルでその情景を仕留めたそんな気持ちになってそんな風景・情景を脳内の記憶に焼き付けてしまっていてそれが写真撮影の大事な意味であって旅行を一粒で二度美味しく(古っ!)味わっているのだと思うさもないとただ、ぼんやりと異国の情景を眺めているだけでは視覚記憶の・ 切り取り・ 保存が、鮮明にはならないのだと思うもしそうだとしたら私のカメラに高価なサンディスクなどの大容量メモリーは挿入する必要が無いのか?(笑)いやもっと極端に言えばカメラは,極安ものでもいいシャッターさえ切れればこれは、安くついて,助かる(笑) ―――― バレーボール ――――昨夜の「S☆1」と言うスポーツ番組で短いながら,リオの特集があって全日本合宿に復帰したリオがバックアタックを披露真鍋監督が「迫田は全日本の秘密兵器」などとリップサービスしたそうであるそれとは別だがあまり一般的に認知されていないがリオ・ファンだけが知っている事だが(笑)リオの人気は、すごい先頃、投票でバレー選手の美人投票「ミスVリーグ」に選ばれたし人気は、試合会場に出向けば一目瞭然なのだが特に,バックアタックの瞬間は会場がどよめくのだが一般的な認識では、まだまだ「やっぱり、木村沙織です!」の世界だからただ、本当の人気が数字的に反映されるのはテレビの視聴率であるリオが出たグラチャンとリオが出なかったWGPでは約10%程度も,差が出ているなにしろ「迫田が出ない試合なら,見ない」という,ワガママな(笑)ファンがネット上でも多いしリオ・ファンクラブでもある当ブログの読者などWGPを本気で見た人は少ないだろうその点でTBSは「ラッキー」と思って居るだろうし(笑)WGPを放送したフジテレビはリオを恨んでいるだろう(笑)本当は,リオのみならず高田ありさまで酷使によってこわしてしまった東レという【バレー・ブラック企業】(笑)を恨むべきなのだがゴールデンアワーの視聴率がそんなに違うのでは損害も数億円でとどまらないかも知れない----しかし正直なところ二度も肩を壊してまた、あの強烈なスパイクが完全にもどるのか?私は、不安である来シーズンのVリーグは「やっぱり木村沙織」さんにミチさんから専用トスを(笑)バンバン、上げてもらえばいいと思うもう、連続得点王のタイトルなど、我々は、望まないからチーム成績もチャレンジ落ちさえしなければなんにも、望まないから何より、肩が大切
2014.09.01
コメント(14)
スポーツ誌のナンバーの記事である浅田真央ちゃん、どこででも絶賛だけれどあの時は、私も、感激したけれど身も蓋もないことを言えばやはり、ソチで優勝しなければダメ真生ちゃんは、もう優勝の目が無くなってある意味開き直ったために実力を120%、発揮できたが優勝を競って銀メダルのキム・ヨナの方がやはり上でしょう判官びいきの日本人心理だと思うなお、この「判官」は「ほうがん」と読むように上から目線だが(笑)、「はんがん」と読む人が多いので「判官びいき」の語源になったのは、もちろん、源義経だが彼は、九郎判官義経「ほうがん」とよばれていたが「はんがん」とは、決して呼ばれていなかった・・・と書いて来て、ウィキを引いてみる----判官(はんがん)中世はじめ頃より使われ始めた判官の職を帯びる者の通称。九郎判官(くろう ほうがん)- 源義経のこと。左衛門尉だったことから。九郎は輩行名で源義朝の九男だったことによる。古来この義経に限って「ほうがん」と読んでいたが、近年では「はんがん」も通用している。判官贔屓 - 上記が語源。塩治判官(えんや はんがん)- 塩冶高貞のこと。左衛門尉だったことから。 塩谷判官(えんや はんがん)- 上記の名を借りた『仮名手本忠臣蔵』の登場人物。史実の浅野内匠頭にあたる。----途中まで、そうだろう、そうだろう、と読んでいたが>古来この義経に限って「ほうがん」と読んでいたが、>近年では「はんがん」も通用している。な、なに?近年では「はんがん」も通用している?それは、間違いですよ、ウィキさん!「通用している」のでは無く「誤用」が、まかり通っているだけでしょ?正確に指摘しなさいよ!義経は「ほうがん」だったので判官びいきは「ほうがんびいき」と読むべき歌舞伎の仮名手本忠臣蔵で「塩谷判官」という実質、浅野内匠頭の「はんがん」が出て来るのですっかり、無知蒙昧な庶民が(オイオイ)「はんがんびいき」などと誤用を広めてしまっただけ ―――― ナンバー誌の記事 ――――2014年4月10日 16:50 (Number Web)どん底から復活した浅田真央に学べ!レジリエンス力が魅力的な組織を作る。(前略) 特にオリンピック、ワールドカップなどの魅力は、勝負の結果だけではなく、そこに至るプロセス、活躍の裏にある、挑戦、苦悩、そして耐えながらも前進する強靭な精神と肉体に魅了される経験も多いのではなかろうか。一流選手のこのような姿に触れ、感動することも、スポーツの大きな力の1つといえるであろう。 企業に置き換えると、「魅せる」ものには、その企業が提供している製品やサービスそのものも(スポーツでいうところの勝負の結果)あるが、企業の理念や、理念から生まれるこだわりや組織文化、また製品やサービスの裏に隠されたプロセスなどもその1つに該当するであろう。特に最近注目されているのが、その組織の持つ組織力の源泉。そしてそこから生み出される組織文化。「働きがいのある企業」や「従業員満足度の高い企業」のランキングが注目されることも多くなった。○ 従業員がどれくらい幸福度を持って仕事に就いているか。 それは従業員満足度の向上にもつながり、満足度の向上により従業員の生産性アップにつながるなど企業としても無視できないものになっている。○ 従業員満足度の高い組織は逆境に強い。 ではどのような人や組織が幸福度・満足感が高いのだろうか。 満足し幸福感の高い従業員やその組織は、レジリエンス力があるという。レジリエンス力は回復する力であり、「困難な状況にもかかわらず、しなやかに適応して生き延びる力」(『日本の人事部 人事辞典』)を指す。環境の変化により下降状態に陥っても、そこから柔軟に立ちあがってくるその復活力とでもいうのであろうか。○ 環境の変化を避けることはまず難しい。○ 良いときもあれば、悪い時もある。それがこの世の中。○ ならば、悪い出来事を避けるのではなく、この悪い時にどれだけしなやかに立ち戻ってくることができるのか、○ そういう力のディベロップに力を注いだほうがよい。○ 事実への“意味づけ”が幸福感を高める。○ 幸福感を高めるには、根っからのポジティブシンカーを目指すということではない。○ それよりも重要なのは、起きている事象を「どのように」とらえるか、○ というその「視点」の持ち方だ。 ある事象が起きた時に「駄目だ」「不幸だ」「なんでこうなったんだろう」というとらえ方をするか、その出来事を自分の人生に何らかの「意味づけ」をすることができるか、○ 意味がでてくるような見方をしているかどうかが分かれ道であるといわれている。○ つまり、リフレーミングの力だ。リフレーミングとは、○ 「事実に対して与えている意味づけを変え、異なる見方でとらえ直すこと」(同上)である。 起きた事実は変えられない。○ だがその事実に対してどのような意味を見出し、とらえなおすかという点に関しては努力の余地があるのである。逆境からの復活劇こそがスポーツの魅力だ。 このようなことができる人は、レジリエンス力を高めることもでき、比較的自分の人生(仕事を含む)に対する幸福感・満足感が高いといえるのであろう。企業自体も、組織を構成する1人1人もこのようなレジリエンス力が重要になり、レジリエンス力から生まれる、もしくはレジリエンス力につながる組織文化や規律、企業活動や企業ストーリーに魅せられる読者も少なからずいるであろう。 そして、スポーツやスポーツ選手の魅力の1つも、このようなリフレーミング力と、そこから生まれるレジリエンス力、そしてそのレジリエンス力がもたらす強靭な肉体・技術・精神力などにあるのではなかろうか。 ソチオリンピックでの浅田真央選手の復活劇などスポーツ選手が立ち戻ってくる姿を見るたびに、レジリエンスやリフレーミングの力の重要性を感じる。企業が成長していくに当たって、従業員とどのような企業文化を築いていくのかについても、スポーツ選手から学ぶことも多くあると思う。(葛山智子 = 文) ―――― alex99意見 ――――私ははじめ、まちがって読んでいた「レジリエンス力」を「レジリエンスりょく」ではなく「レジリエンスカ=れじりえんすか」とロシアの女性の名前だと思ったのだ私のロシア語の知識が(オイオイ)、こう言う愚かな間違いをさせてしまった(笑)ハイパー英語辞書で調べて見るとresilience【名詞】復元力, 回復力, 快活, 元気, 弾性, 弾力, 反発用例 He showed great courage and resilience in fighting back from a losing position to win the game.この用例では、「He」を「浅田真央」に置き換えれば、そのままである下のウィキの説明を見ると「resilience」は、「脆弱性 (vulnerability) 」の反対の概念とあるなるほど私は、「vulnerability」は、知っていたが「resilience」は、はじめて知った「resist 抵抗する」からの派生語だから、言われてみれば簡単>「脆弱因子」を持っていたとしても、「レジリエンス因子」が十分であればそれが働き、深刻なことにはならない。 なるほど、参考になるそれに、ウィキの下記の記事は、先ずらしく(笑)、大いに参考になるし興味深いものだというのも私の心・精神は、脆弱性のかたまりで(笑)こういう治癒力・抵抗力・復元力が必要なのだただ、しつこいが(笑)真生ちゃんは開き直れただけで特に精神的に強靱だとは思わないまた、そこが、いいところでもあるのだが ―――― ウィキの説明 ――――レジリエンス (心理学)レジリエンス(resilience)は「精神的回復力」「抵抗力」「復元力」「耐久力」などとも訳される心理学用語である。心理学、精神医学の分野では訳語を用いず、そのままレジリエンス、またはレジリアンスと表記して用いることが多い。「脆弱性 (vulnerability) 」の反対の概念であり、自発的治癒力の意味である。レジリエンス(resilience)は、元々はストレス (stress) とともに物理学の用語であった。 ストレスは「外力による歪み」を意味し、レジリエンスはそれに対して「外力による歪みを跳ね返す力」として使われ始め[1]、精神医学では、ボナノ (Bonanno,G.) が2004年に述べた「極度の不利な状況に直面しても、正常な平衡状態を維持することができる能力」という定義が用いられることが多い[2]。 1970年代には貧困や親の精神疾患といった不利な生活環境 (adversity) に置かれた児童に焦点を当てていたが、1980年代から2000年にかけて、成人も含めた精神疾患に対する防衛因子、抵抗力を意味する概念として徐々に注目されはじめた[3]。具体的に解りやすい例がPTSDである。1995年のアメリカの論文には、アメリカ人の50% - 60%がなんらかの外傷的体験に曝されるが、その全ての人がPTSDになるわけではなく、PTSDになるのはその8% - 20%であるという[4]。 2006年の論文では、深刻な外傷性のストレスに曝された場合、PTSDを発症するのは14%程度と報告されている[5][6]。 では、なる人とならない人の差は何か、というのがこのレジリエンスである。チャーニー (Charney) は2004年に「アロステイシス(allostasis)」という概念を提唱し、それを構成する要素としてコルチゾールに始まり、セロトニンを含む11の生理学的ファクターをあげている[7][8]。 しかし、レジリエンスは生理学的ファクターだけではない。 2007年にアーミッド (Ahmed) が、目に見えやすい性格的な特徴を「脆弱因子」と「レジリエンス因子」にまとめたが[9]、そこで特徴的だったことは「レジリエンス因子」は「脆弱因子」のネガではないということである。 「脆弱因子」を持っていたとしても、「レジリエンス因子」が十分であればそれが働き、深刻なことにはならない。 その「レジリエンス因子」には「自尊感情」「安定した愛着」から「ユーモアのセンス」「楽観主義」「支持的な人がそばにいてくれること」まで含む。国内では小塩真司らによる研究もあり、レジリエンスは「新奇性追求」「感情調整」「肯定的な未来志向」の3因子で構成され、また苦痛に満ちたライフイベントを経験したにも関わらず自尊心が高い者は、自尊心が低い者よりもレジリエンスが高いとする[10]。以上レジリエンスを構成する要素は多く、かつ極めて複雑な相互関係を持つ。 また、生得的なものからその人自身によって獲得されるもの、感じ方や考え方まで含む。出典^ 加藤敏編『レジリアンス』 2009 p.9^ 岡野憲一郎2009 p.219^ 田 亮介 「PTSDにおけるレジリアンス」『レジリアンス』 2009 pp.76-78^ 田 亮介 「PTSDにおけるレジリアンス」『レジリアンス』 2009 p.78^ 岡野憲一郎2009 p.219^ 岡野憲一郎2011 p.100^ 岡野憲一郎2011 p.102^ 田 亮介 「PTSDにおけるレジリアンス-表3:急性ストレスに対する神経化学的応答パターン」『レジリアンス』 2009 pp.84-85^ 岡野憲一郎2011 p.101^ 小塩真司2002 pp.57-65参考文献小塩真司・中谷素之・金子一史・長峰伸治「ネガティブな出来事からの立ち直りを導く心理的特性-精神的回復力尺度の作成」 『カウンセリング研究』35巻1号、日本カウンセリング学会、2002年。岡野憲一郎 『新外傷性精神障害―トラウマ理論を越えて』 岩崎学術出版社、2009年。加藤 敏・八木 剛平編著 『レジリアンス 現代精神医学の新しいパラダイム』 金原出版、2009年。岡野憲一郎 『続解離性障害―脳と身体から見たメカニズムと治療』 岩崎学術出版社、2011年。
2014.04.11
コメント(0)
こう言う記事があった私の感想を適時、挿入してみる----タイトルこんな生活はアウト!若くても脳が恐ろしく老けちゃうNG習慣6つ「記憶力が悪くなった」「何を見ても白けてしまう」と感じることが多くなったら、脳の機能が老化しているかもしれません。----alex99注◇ 記憶力が悪くなったとは、相当以前から、そう思っていたがそれほど顕著だという自覚はなかったし歳を取れば当たり前だと思っていたし記憶力で勝負という商売でもなかったのであまり気にならなかった◇ 何を見てもしらけてしまうこれは、長い人生を生きてきて様々な経験をしてくればある程度あたりまえの事少々のことにはおどろかずなんとかなる、と経験則で思うのだ美女を見てもなんとも思わない・・・という深刻な事態も(笑)一時有ったが最近回復している(オイオイ)----ネガティブ思考は、やがて性格や行動を変えてしまうように、日の習慣が積み重なり脳の機能を低下させてしまうのです。以下の行動は長い期間続けると、脳によい影響を与えないとされる習慣です。気になる方はぜひチェックしてみてください! 当たり前の行動すぎて、意外に思うかもしれませんが、当てはまることが多い方は習慣を見直す必要があります。■1:愚痴や悪口が多い「もう無理」「疲れた」などつい言ってしまいますが、否定的な言葉を使うとその状況ばかりに意識が向いてしまいます。すると脳の思考力が下がり、それ以上に思考が深まることがありません。同じように他人に否定的な言葉を使うと、脳が自分に攻撃されていると思い、ストレスを感じて思考力が下がります。おしゃべりはストレス発散になりますが、明るい話題がよいのです。----alex99注◇ ネガティヴな言葉を吐くと、意識がそこに向かってしまうこれはそうかもしれないしかし、もしそうなら、その「意識の方向性」を利用してポジティブな言葉を吐けば、自分の心をコントロール出来るのだと納得◇ 他人の悪口を言っていると、確かに、気分が良くない他人の悪口を言っている自分を正当化しようと思って更に悪口を(自分の心の中で)言い続けて悪口と悪意のループになったりしてしまうそれは・ 脳が自分に攻撃されていると思い、・ ストレスを感じて思考力が下がっているのかなるほど!こう言うことわざがあるのだが、同じ事を言ってるのだ古人は偉い・ 人を呪わば(人を祈らば)穴二つ・ 人を憎むは身を憎む・ 人を呪えば身を呪う・ 人を傷る者は己を傷る人の悪口は私のベスト・ホビーだが(オイオイ)その楽しみも、自分のタメにならないのであれば制限しよう ■2:「興味がない」と考えてしまいがち先入観やマイナスの感情を持っていると、その先の情報について遮断する傾向があります。つまり脳が理解や思考する前の段階で、「好き」「嫌い」の分別をするので、マイナスの分別をされた情報というのは、しっかり理解できない危険性があるのです。----alex99注これも、正しいかも知れないなマイナスのレッテルを貼った情報を通常は、あまり、それ以上、詳しく調べないものだこれは機会の損失だしマイナス情報ではないという修正をする機会をも失うあまり、即断しないことだな一応は、吟味してみること自分の判断が間違っているのではないか?というチェック機能も効かせること----年齢を重ねると新しいものとの出会いが少なくなるばかりか、新しい経験にさえもこれまでの経験から「同じようなもの」と分別しがちになり、その結果、脳の機能を発揮できなくするのです。----alex99注>年齢を重ねると新しいものとの出会いが少なくなるばかりか、確かに年令を重ねると新しい女との出会いが少なくはなるが(オイオイ)必ずしも、こうとは、限らないと思うただ、新しい経験を今までの古い経験と同じものだと誤った判断を下してしまうことはありえるな新しい女なのに古い女(どんな女だ)と誤認して男の機能を発揮するチャンスを逃がしてはいけない(コレコレ)■3:効率を優先させる効率を優先させるのはいつもよいとは限りません。それは思考が浅い段階で次の分野へ移ることを意味し、理解力や思考力が衰えることにつながっていきます。決断を早くしようとすることで脳は鍛えられますが、それにくわえて一度結論が出ていることでも、考え続けることでアイデアやイメージが深まっていきます。----alex99注効率を優先させると深い思考をすることなく思考が次の分野に移ってしまう効率と深い思考はトレードオフだと言う事だその結果、理解力や思考力が強化される機会を失い衰えてしまうということだなどうも、この文章を書いた人は文章が冗長私がまとめなければいけない状態(笑)>一度結論が出ていることでも、考え続けることでアイデアやイメージが深まっていきます。これは確かに言える私も、このブログ記事の本文を書いた後でコメント欄に、うじうじと(笑)思いついたことをイロイロ書き加えるひとり、ブレーンストーミングみたいなものなのだがこれは、たしかにアイディアやイメージが深まる■4:運動不足運動が身体によいのは明らかですが、脳にもよい影響があります。運動をすることでストレスを軽減し、人生へのモチベーションを高めるなど、さまざまな効果が研究によって証明されています。----alex99注私は、運動が嫌い特に、ウォーキングやジョッギングなどは大嫌い朝のラジオ体操は、死ぬほど嫌い(笑)ただし、サイクリングと登山は、好きだつまり、単調な運動は嫌いなのだただし、今、登山をしろと私に言うのは、私に死ねと言うのと同じ事だが(笑)カメラを持って撮影旅行ぐらいしよう近々、海外旅行をするがそのためにも運動の必要がある重いフルサイズの一眼レフとレンズは来週、売り払う予定軽いコンデジが一番■5:いつも高いヒールを履いているヒール靴は身体を前傾にするので、膝と腰に負担をかけ、また足裏に均等にかかるはずの圧を足の前方に集中させてしまいます。日常的に履いていると、気付かぬうちに姿勢が悪くなり、そのことによって集中力や思考能力が低下してしまいます。----alex99注そうなの?私も、ハイヒールを履くのはやめようって、何を言ってるんだひとつ朗報がある東レの宮田 由佳里選手の身長は意外にも、178センチ止まりだった180以上あると思っていたのだがこれで、希望が持てる(なんの希望?)■6:ケータイ・スマホに依存デジタル機器があれば、自分で記憶する必要がないほど何でもすぐに調べることができます。それは便利ですが、反面、脳の記憶する能力が低下してしまいます。さらに、膨大な情報に目を通すという作業が大半になってしまうために、表面的な理解で終わったり深く思考する力を失わせてしまうのです。ーーalex99注そうなんだよな~なんでもすぐ、ググってしまうが百科事典や、国語辞典や、英語の辞書などをじっくり読むことには、いい副次作用があるとは思うのだが反対に、PCでググったからこそ得られる情報も多い両方やればいいのだが、それは無理----考えが凝り固まってきたり、億劫に感じることが多くなってきたら要注意。脳は身体と同じように安易な方に流されやすいものです。生活の中で脳によいことを意識するだけでも、脳の老化を抑えることができるでしょう。----alex99注はいはい
2014.04.09
コメント(19)
「SNSは空虚」 人間関係を広げることに抵抗を覚える“サイバー非社交性”とは2014.3.31 20:13 私は、ここで言うと非常にサイバー社交性を有している人間だと思う考えて見れば私のブログを読むだけで決して、コメントを入れない「ROM」の人々は「サイバー非社交性型」なのだろうと思うもうひとつ私の前歴が商社マンで毎日、海外店と、また本社と交信していたこれは、いろんな意味で私に職業病とでも言うべき性癖をもたらしたと思う目に見え無い相手と毎日、ローマ字での日本語で交信していた私だからSNSなど、視認性はいいし、思った事が表現出来るし私はやっていないが、映像も交えることが出来るし現実空間とほとんど変わらない快適さなのだが―――― 記事 ―――― SNSを利用はするものの、社交的にふるまって人間関係を広げることには抵抗を覚える「サイバー非社交性」について、コーネル大学等の研究者が調査を行った。「サイバー非社交性」の傾向をもつ人は、このネコたちのように、現実世界で人とつながるほうを好む。 Steve Collender / Shutterstock.comもしあなたが、オンライン環境で新たな人間関係を築くことに不安を感じるタイプなら、あなたは「サイバー非社交性」(cyber-asociality)かもしれない。コーネル大学とノースカロライナ大学の社会学チームによると、○ サイバー非社交性とは、○ 現実世界の外には人間関係を広げられない、○ あるいは広げたくないという、一部の人々にみられる「症状」のことだ。対照的に、○ オンラインで意味深く重要な関係を築くことが楽しく、○ むしろそちらのほうが好きだという人は、○ 「サイバー社交性」を有している。これらは、先ごろ「Information, Communication and Society」誌に発表された研究論文での定義だ。研究共著者であり、コーネル大学で社会学を研究するマシュー・ブラシャーズ准教授は、○ 「われわれの定義するサイバー非社交性とは、○ 現実世界におけるような他者とのつながりを、○ ソーシャルメディアを通じては持てない、○ あるいは持ちたいとは思わないような、一部の人々にみられる傾向のことだ」と語る。「サイバー非社交性は、デジタルな交流の世界に出現しつつある、ひとつの現代的な変異かもしれない」今回の研究では、大学生827名を対象に調査を行ったところ、デジタルを介した交流への拒絶感が、かなりの割合で、しかし偏った傾向として存在することが明らかになった。ほぼ全員が日常的にソーシャルメディアを利用していたにもかかわらず、一部の被験者は、そのような環境において、文字どおり完全に○ 「ソーシャル」(社交的)になることには抵抗を覚えていた。サイバー非社交性の傾向があるとされた学生たちも、Facebookなどのサーヴィスを使って仲間の学生とのミーティングを設定したり、Twitterを使って仲間や古い友人と連絡をとりあったりすることには抵抗を感じてはいなかった。しかしその一方で、これらのネットワークを介して人間関係を広げ、新たな社会的つながりをもつことには消極的だった。研究チームは、サイバー非社交性の傾向がある人たちに共通するパターンや相関関係を見出そうとしたが、ほとんど成果は得られなかった。この傾向に男女で性差はなく、また意外なことに、性格が内向的か外向的かということも、デジタル世界での非社交性とは関係がなかった。さらに、サイバー非社交性の人たちは、オンラインでもオフラインと同等の数の友人をもっているとの調査結果が得られた。曲がりなりにもソーシャルメディアを利用していながら、それでもなお、サイバー非社交性の傾向をもつ人は、オンラインでのつながりを「空虚な」経験と感じているのだという。ブラシャーズ氏は、この傾向には乗り物酔いに似たところがあると指摘する。「乗り物酔いの状態とは、内耳から来る情報と、目からの情報が一致しないものだ。これは、人間がもっぱら歩いたり走ったりしていた時代には問題にはならなかった。クルマや船や飛行機というテクノロジーが出現したことで、状況が変わったのだ」。
2014.04.04
コメント(19)
臨死体験者150人による、「死の1秒前」の全容が明らかに2009年03月12日米国の著名な心理学者、Raymond A.Moody博士が臨死体験者150人の証言をもとに、「臨死状態に陥るとどんな感覚になるのか」をまとめあげた。それによると、蘇生にいたるまで計14の過程があるという。 それによると、臨死体験者は、臨死状態から生還にいたるまでまで14の過程を踏むのだという。その14の過程とは・・・1、自分の死の宣告が聞こえる2、これまで経験したことがないような穏やかで愉快な感覚に包まれる3、不思議な声が聞こえる。中には美しいメロディーという人も4、突然暗いトンネルの中に引っ張られる5、魂が肉体から離脱し、外部から自分の身体を観察する6、懸命に自らの苦境を他人に訴えるが、誰にも聞こえない7、時間の感覚がなくなる8、視覚や聴覚が非常に敏感になる9、強烈な孤独感に襲われる10、周囲に様々な“人”が現れる11、「光の存在」と出会う12、自分の一生が走馬灯のように映し出される13、先に進むことを遮られる14、蘇生するというステップを踏むのだという。また、死の直前には自分の一生に対する評価が下される。その判定基準はどれだけ出世したかや金儲けできたかではなく、「一生のうち自分がどれだけ愛やぬくもりを他人と共有できたか」になるという。おともだちの中にも臨死体験者がいたら、是非このステップを踏んでいたのかどうかも聞いてみたいんだ。
2014.04.01
コメント(6)
昨日に続いて死というもの特に臨死体験って、ものがある実は,私の母も,臨死体験をしたと言っていました私の元妻は、自分の魂?が空中に浮遊して地上で路上を歩いている自分自身を眺めるという経験をしたそうです人間の脳は,意識世界を司るわけでまあ、なんでもありですね ―――― ◇ ――――臨死体験に共通した10の要素2013年08月16日 世間一般で信じられている臨死体験とは、臨床的に死んだはずの人間が光のトンネルに入り、親戚や光の存在と挨拶を交わし、まだ死ぬには早いからと言われて、この世に送り返されてきて目覚めるというものだ。こうした報告は数多くあるが、他にも臨死体験者には共通して体験するいくつかのものがあるという。 自身が臨死体験者であり、臨死体験に関しての研究を行っているフィリス・アトウォーターと、同じく臨死体験研究を行っているケビン・ウィリアムズがこれまでに集めた臨死体験者のプロファイリングを元に、臨死体験者の多くが経験するという共通した10の要素をビジョンをまとめあげた特集記事があったので見てみることにしよう。スポンサードリンク1.圧倒的な愛に包まれる感覚 臨死体験者の69%が、圧倒的な愛の存在に包まれる感じがすると言っている。この感覚はそこで出会った存在からかもし出されていて、それは神のような敬虔な姿だったり、光のように実態のない存在だったり、とっくに亡くなっている親戚の姿だったりするという。alex99注愛ね~現実社会では,実感があまり無いのでは無いだろうか?男女の愛は,恋であることが多い与えるより,奪い,自分のものにする恋2.死後の世界の人々との意識交信 65%の臨死体験者が、死後の世界で会った人たちや存在とのコミュニケートは、テレパシーで行ったと語っている。つまり、コミュニケートは言葉ではなく、意識のレベルで起こるようだ。alex99注あの世の人達が、特定の言語でコミュニケートするというのも、ウソくさいし3.人生を振り返る 62%の体験者が自分の人生を始めから終わりまで見たと報告している。いわゆる走馬灯ってやつだ。現在から過去へさかのぼって見た人もいる。まるで映画のフィルムを見ているようだといい、自分の人生の詳細を客観的に目撃しているような気がしたという。alex99注これは、よく言われる事だな例えば、断崖絶壁から落下した人が、地上にランディングするまでの短期間に(地上は積雪で命は助かったという話し)自分の人生をあっという間にすべて回想するという話し私も,崖から飛び降りてみるか?(笑)4.神を見る 体験者の56%が、出会った存在は神、もしくは神聖な存在だったと報告している。おもしろいことに、そのうち75%が自分のことを無神論者だと主張している。alex99注つまり、神の存在を信じない無神論者であっても,倫理体験に於いては神、もしくは神聖な存在というものに出会うキリストとかマホメットは,神との出会いを主張するがひょっとしたら、臨死体験をしたのでは無いだろうか?5.とてつもない恍惚感 圧倒的な愛に包まれる感覚と同じようなことだが、外からの愛に対して、この体験は自分の体の中から感じるものだという。死後の世界にいると、とてつもない喜びを感じ、肉体からも地上のいざこざからも解放されて、陶酔できるという。56%の人が体験している。alex99注それなら、ちょっと臨死してみてもいいかな?(笑)生き返らないと大変だが(笑)6.無限の知識 46%の臨死体験者が、自分が無限の知識の存在の中にいると感じ、その知識全部かまたは一部を授けられることもあるという。まるで知恵と秘密の世界が共有できたかのような感覚らしい。残念ながら、目覚めてしまうとその知識を持ち続けることはできないようだが、そんなとてつもない知識が存在したという記憶だけは残る。alex99注私も,時々、夢の中で,似たような感覚を経験した7.死後の世界の階層 46%の臨死体験者の報告によれば、死後の世界はひとつだけではないようだ。死後の世界を進んでいくと、さまざまな違う階層があることに気づくという。非情な苦しみの世界である地獄と思われる場所を体験した者もいる。alex99注ここから、天国や地獄という発想が生まれたか?8.時期尚早だと言われる 臨死体験者の約半分は、死後の世界は、そこに留まるか地上の生の世界に戻るか、決定がなされる境界線のようなものだと言う。決定はそこに存在するものによってなされ、やるべきことがまだ残っていると、地上へ戻れと言われる。一方で、そう言われても、選択の余地を与えられると戻るのをためらう場合もあるという。9.未来を示す 44%の臨死体験者が未来に起こる出来事を告げられるという。それが世界の未来であったり、その人の生死に関わる特別な出来事になる可能性もある。そのような情報は、地上に戻るか、戻らないかを決める助けになるかもしれない。10.トンネル光のトンネルは臨死体験のトレードマークで、42%の体験者が報告している。ほかにも体外遊離感覚や、光のシャワーの方向に向かって突進するとか、廊下や階段をぐんぐん急速に進んでいくといったものもある。11 臨死体験者のほとんどは自分たちが体験したことが本当なのかを証明できない。死後の世界があるということだけが、彼らにとっての証拠なのだ。唯物論者や科学は、臨死体験は脳への酸素欠乏、またはほかの神経生物学的影響による、単なる幻覚だと主張する。だが、臨死体験を再現する実験をやってみた研究者たちは、彼らの体験が現実である可能性を排除できないとした。 死んでみて、死後の世界に行ってみない限り、100%確実なことはわからないが。だが、体験できたとしても、どうやって地上に戻ってきてそれを報告するかが問題だ。via:paranormal.about 原文翻訳:konohazuku▼あわせて読みたい臨死体験者150人による、「死の1秒前」の全容が明らかに臨死体験の科学的解明が進む。脳は血流が停止した後も約30秒間活動を続けることが判明(米)現実よりも現実的?臨死体験についての記憶(ベルギー研究 ―――― ◇ ――――私見だがどうも、この臨死体験が宗教的な開眼のきっかけとなる事が多いのでは無いのだろうか?つまり、宗教の開祖・教祖達は臨死、または、それに近似した体験を持ったのではないか?
2014.03.26
コメント(25)
後で私のコメントを付け加えます----死後の世界は存在するのか?量子力学的にはありえる(米科学者)2013年11月29日 ほとんどの科学者は、死後の概念などナンセンスなもので、どうあっても立証できないと言うかもしれない。しかし、米ノースカロライナ州ウェイク・フォレスト医科大の量子物理学者ロバート・ランザ教授は、量子物理学の世界では理論的には死の世界が存在するという。ランザ教授は、墓を超えて物質をあの世に運ぶ方法を量子物理学的に説明できるというのだ。 生命中心主義(意識中心主義)の観点からは、私たちが死だと思っているものは、人間の意識が作り出した幻影だ。私たちの意識が宇宙を作っているが、空間と時間は私たちが考えるようなひとつの連続した状態では存在していない。そうだとすると、死は現実的な感覚では存在しえない。 生命とは炭素や分子の混合物の活動で、死んだら腐って土に返る。人間としての私たちが死を信じているのは、人間は死ぬものだと教えられているし、もっと厳密に言えば、私たちの意識が生命ある体と結びついていて、その体が死ぬことがわかっているのだ。 死は私たちが考えているような終着点ではないのかもしれない。生命中心主義というものは、生命がすべての中心で、生命が宇宙を作ったのだという考え方だ。人間のこうした意識がこの世界のものの形やサイズを決めている。私たちがまわりの世界を知覚する方法を例にとると、人が青い空を見て、見ているものの色は青だと言われるから、空の色は青だと認識する。 しかし、単に意識の問題なら、それがグリーンや赤である可能性もあるわけだ。私たちの意識が世界をつくり、意識が変われば解釈が変わってしまう可能性もある。意識がなければ、それは存在しえないのだ。 生命中心主義の観点から宇宙を見ると、空間と時間は人間の意識がおしえてくれるものとは違う。つまり今、私たちが認識している空間と時間は、単なる心の手段なのだ。空間と時間が精神構造物であることが受け入れられれば、死や不死の考え方は空間や線上などの境界なく無限に存在することになる。二重スリット実験 ランザ教授は有名な二重スリット実験を行って、自説を解説した。弾丸のように発射した電子を衝立のふたつのスリットの間を通してみる。電子自体は人間の目には見えないが、波のような動きをしていて、両方のスリットを同時に電子が通過している。つまり、物質とエネルギーが波と電子両方の特徴を示し、そのような動きをする電子は人間の知覚や意識によって変わることを示している。 生命は私たちが考えるような一列に並んだ存在ではなく、それを超越したもので、私たちは死んだとき、ビリヤードのボールの動きのようなランダムなマトリックスではなく、避けることのできない生命マトリックスの中に放り込まれるのだとランザは言う。via:dailymail・原文翻訳:konohazuku二重スリット実験(wikipedia) 粒子と波動の二重性を典型的に示す実験。リチャード・P・ファインマンはこれを「量子力学の精髄」と呼んだ。ヤングの実験で使われた光の代わりに1個の電子を使ったものである。 この実験は古典的な思考実験であった。実際の実験は1961年にテュービンゲン大学のクラウス・イェンソンが複数の電子で行ったのが最初であり、1回に1個の電子を用いての実験は1974年になってピエール・ジョルジョ・メルリらがミラノ大学で行った。1989年に技術の進歩を反映した追試を外村彰らが行なっている。 ―――― 私の感想 ――――> 生命中心主義(意識中心主義)の観点からは、私たちが死だと思っているものは、人間の意識が作り出した幻影だ。私たちの意識が宇宙を作っているが、空間と時間は私たちが考えるようなひとつの連続した状態では存在していない。そうだとすると、死は現実的な感覚では存在しえない。なるほどなるほど私は,生命中心過ぎの意識の観点から,この世界を見ている言い換えれば,私たちの意識が宇宙を作っている確かにそうだしかし、その意識そのものが、どれほど、絶対的なものなのか?はなはだ、頼りないそれにこの頃は、CSテレビで,宇宙に関する番組をいろいろみてみてこの宇宙は,ひとつだけではない宇宙は多重なのだ時も空間も、われわれの意識ではひとつだが最新科学の指し示すところに依ればこの世界も無限にあって私たちの人生も、連続的なリニアなものだと信じ込んでいるが無限の世界の連続であるとも考えられる例えば、幼児期の私が存在する世界も,同時的に,今の私の世界と共存しているこれは、目からウロコとすれば私の懐かしい祖父母も,母も,生きている世界が存在するのだということは祖父母も母も,生きている、と考えることが可能なのだ一度、意識主義を捨てて考える必要がありそうだ世界が広くなるただし、無限に(笑)
2014.03.26
コメント(7)
七詩さんのブログに書いたコメントだけれど七詩さんに失礼して転記させていただく ―――― ◇ ――――メニュー・商品名と実態が違うのは,古代中国からのことです古代中国では人肉は「両脚羊(二本足の羊)」として店頭に吊されていたし「羊頭狗肉」(羊の頭の看板を掲げながら犬の肉を売る)という故事成語もあります(笑)これに対応するものとして,西洋では「cry wine, and sell vinegar」(ワインと物売りの声をあげ酢を売る)という言い方があるいずれにしても、食べ物は,食べてしまえば原形をとどめないわけで(笑)、その部分では完全犯罪それに,調理する側、食べる側では、見ているもの・認識・呼び名が違う(こともある)昔、フレンチノルマンが英国を征服していた頃例えば、牛肉をアングロサクソンの下僕が調理する段階では、英語で cowそれが、ノルマン貴族の食卓に上がれば、フランス語の boeuf (後に英語で牛肉は beefになる)同じく、豚も、pig → porc (後に英語で豚肉は pork になる)
2013.11.10
コメント(0)
出発は決めても,航空機の予約が問題だったちょうど三連休とあってソウル行きは,すべて満杯わずかに,大韓航空に一席あるだけそれも、片道5万5千円今までの韓国旅行の数倍するしかも片道ソウルに連絡するとソウル側で手配してくれてようやく、3万5千円で予約できたこれでもまだ高いがみなが出発を延期して待っているというのでしかたがない----旅行用のデータベースがあっても旅行用具を詰め込んだスーツケースがあっても今回の旅行に合ったものをピックアップするのは大変だったほぼ徹夜状態で朝を迎えタクシーに乗って,リムジン乗り場に----今回のカメラは○ 旧式コンデジ リコーDX100○ 単焦点スナップカメラ リコーGRD IIIAPS-Cサイズの一眼レフにしようか?とも思ったが今回はツアーのような,慌ただしい旅になりそうだったので上記のコンデジにした結果は、これで正解だった----大韓航空のスチュワーデス(私はこの呼び方で通す)(笑)みな、非常に若い非常にサービスがよく優雅でお行儀がいい今の日本の女性より,よほど女らしい昔、中国人の間で「高麗の女の魅力に迷わないように」と言われていたと言うがなるほど(笑)背が高く,細いみな、測ったように同じ体格・体つきをしている意外だが、あまり、お尻はない韓流の女性グループKARAや少女時代脚線美は、みんな素晴らしいがお尻は,おとなしい(笑)黒人の女性などはお尻に西瓜を二つつけたようでテラスのように出ているのに私は・・・テラス型がいい(笑)以前、私が韓国ラウンジに行って「韓国人の女性はお尻が小さいね」と言ったら彼女達が「日本人の女性のお尻が大きいのは 日本人の女性はたいてい自転車に乗るから 韓国では自転車に乗る女性はほとんどいない」と行った事が印象的であったそれに日本の女性の場合は細い女性もいれば,太めもいる背が高い女性もいれば,低め(笑)もいる顔だってモンゴル顔から南方系や中には白人の血が混じっていそうな人もいる実に,バラエティーに富んでいる私は,よく、電車の中で前の座席に座っている人達をながめながら彼等の民族的なバックグラウンドを想像したりするDNA的に朝鮮民族は,非常に均一性が高いらしい別の言い方をすると,混血度が低いそれに比べ、日本は、非常にバラバラ朝鮮半島は,半島とは言え、大陸の一部それに比べて日本は島国でなおかつユーラシア大陸の東端の島言わば、ユーラシアの吹きだまり民族も大ざっぱに言えば縄文系と弥生系に二分されるがあらゆる方角からあらゆる民族がこの島に移動してきたらしい例えばシベリア・樺太からの北方ルート朝鮮半島からの半島ルート南中国からの華南ルート東南アジアからのルート同じ縄文系でもアイヌ系と沖縄・琉球系ではDNA的に違うと言うそのアイヌ系も,かなりいろいろな系統があるという他のルートで日本列島に定着した民族もしかりDNAを調べてみたら日本人のDNAの種類は世界一多いと言う驚くべきは,白人のDNAも相当入って居るさらに驚くべきは、日本列島だけに存在するDNAもあるさらに我々が認識する日本人の顔には朝鮮民族の顔も混入している日本人のDNAには朝鮮民族のDNAがかなり混入している事は常識だがいわゆる在日の人達は上に述べたようにかなり異質性の少ない朝鮮民族であるその在日の人達は差別の問題もあって通名を用いて日本人として暮らしていて我々は、それと知らずに日本人と認識して居る場合が多いそれにハワイや米国の日系人が何となくバタ臭い顔になるのと同じように在日の容貌は多分に日本人化する結果的に日本人が認識する「日本人の顔」というものは純粋な朝鮮民族の典型的な顔まで入り込んでいるのだ言い方を変えれば日本人は日本人と朝鮮民族の顔を区別しにくいしかし逆に韓国人は日本人と朝鮮民族の容貌的な差違をハッキリ認識するという日本人は,これが出来ない在日の人達も日本人として我々の認識に入り込んでいるからであるときどき在日や韓国の人達が私の自宅に来たとき一緒にテレビを見ていると彼等は「これは日本人 これは韓国人または在日」と、よどみなく指摘するハッキリ違いがあるのだという日本では日本人で通っている在日の芸能人達も彼等の目はごまかせない(笑)私がおどろいたのはある人気アイドルが韓国を訪問するという番組そこで、彼女が現地の人に「アンニョン・・・(こんにちは)」と韓国語で挨拶をした時彼女は,日本のアイドルだから韓国語は知らない建前?でそれだけしか韓国語はしゃべらなかったのだが私が「一部の噂によると彼女は在日だという」と言う説明をするとその人は「確かに在日だね あの発音は日本人には出来ない」と言ったたった一言「アンニョン ハムニシカ」と言う一言だけだが日本人には、それさえ、正しく発音できないらしいのだう~~ん!韓国語を勉強するのはやめた(笑)----そのひとによれば容貌で区別がつくだけではなくて(たまに区別がちょっと紛らわしい顔はあるにしても)絶対に朝鮮半島にはいない顔というものが日本人の中には多いというたぶん、それはアイヌ系や沖縄系の縄文顔だと思うがそういう民俗学的考察をしていると機はソウル金浦空港に到着した
2013.10.30
コメント(3)
やはり、人類の猿よりの分化では二足直立歩行が人類を生んだといえる ―――― ◇ ――――2012年10月30日 09:37 (ナショナルジオグラフィック)“ルーシー”は樹上生活を送っていた?何を見上げているのだろう? アファール猿人の大人も樹上生活に適応していた可能性がある(復元像)。左下は、背後から見た幼児のアファール猿人の頭骨、脊椎、肩甲骨。 Photographs courtesy Dave Einsel, Getty Images; (inset) Zeray Alemseged, Dikika Research Project (ナショナルジオグラフィック) ヒトの起源は? エチオピアで見つかった330万年前の幼児の人骨が、その答えの一部を教えてくれるかもしれない。 この化石は“ルーシー”と同じアウストラロピテクス・アファレンシス(アファール猿人)で、直立歩行を始めた種とされている。ただしその肩甲骨は類人猿の形状に近く、二足歩行に完全に移行するまでわれわれの祖先は、より長い時間が必要だった可能性を示している。 ヒトはどのようにして現在の姿に進化したのか。それを知るには、樹上生活から地上生活に移行した時期を解明することが極めて重要だ。直立二足歩行が可能になれば、文字通り頭を上げて捕食者に立ち向かったり、自由な手で石器を使いこなせるようになる。さらに、脳の働きを高める動物性タンパク質など、さまざまな種類の食べ物も手に入るようになる。 完全な肩甲骨を含むアファール猿人の幼女の化石は、樹上から地上へ踏み出す偉大な1歩が、危なげな試みの積み重ねだったことを示す証拠になるかもしれない。 研究共著者でアメリカ、イリノイ州ダウナーズグローブ(Downers Grove)にあるミッドウェスタン大学の解剖学教授デイビッド・グリーン(David Green)氏は、「二足歩行は初期の共通祖先に突然表れた変化ではなかった」と自説を説明する。「二足歩行が発達する間には、別の移動方法がまだ重要な役割を果たしていたはずだ」。◆ヒトの系統樹が変わる? 3歳の幼女“セラム”(Selam)は、エチオピア北東部のディキカ(Dikika)という地域で何百万年も岩に閉じ込められていた。彼女が生きていた昔、ディキカはうっそうとした森だったが、相当以前に砂漠化している。 2000年にその化石を発見したカリフォルニア科学アカデミーの人類学者ゼレゼネイ・アレムゼゲド(Zeresenay Alemseged)氏率いる研究チームは、現生種の類人猿やヒト、初期人類の化石と比較した。 その結果、セラムの肩関節の受け皿は類人猿のように上を向き、肩甲骨の突起の角度もチンパンジーと似ていることがわかった。 アファール猿人を含むアウストラロピテクス属の種では、木登りに適した身体的特徴がいくつか確認されている。さらに現生の類人猿のような肩があれば、頭上に腕を持ち上げる、枝からぶら下がる、果物を摘み取る、木に捕まって登るといった行為が人間よりうまくできるはずだ。 ナショナル ジオグラフィック協会のエマージング探検家でもあるアレムゼゲド氏は、「湾曲した長い指や短い鎖骨、いわゆる漏斗胸に加え、ゴリラのような肩甲骨も保持している。直立二足歩行をしながら樹上生活を送っていた証しだ」と話す。これで一件落着だろうか? そうとも言えないようだ。 ミズーリ大学の古人類学者キャロル・ウォード(Carol Ward)氏は、成長過程のセラムの肩は「確かに人間のようだとは言えない」としながらも、「決め手と判断するのは難しい」と付け加えている。 ウォード氏によれば、比較の対象となったアウストラロピテクス属の大人の肩は人類、中でもネアンデルタール人のものとよく似ているという。「ネアンデルタール人は間違いなく地上で暮らしていた」。 研究共著者のグリーン氏も、エチオピアで発掘されたアウストラロピテクス属の大人の化石は確かに、肩甲骨の突起が人間のように水平に近かったと認めている。ただし、南アフリカ共和国で発掘された同属の2例では、「アファール猿人の骨より類人猿に近いくらいだ」という。◆チンパンジーにはかなわない それでも、基本的な見解は一致している。アファール猿人は直立歩行しながら、木にも登っていたという点だ。 ミズーリ大学のウォード氏は、もし木登りがアファール猿人の生活の一部だったのであれば、進化の過程で「手のようにつかむことができる足など、木登りに本当に必要な構造」は残っていたはずだと話す。 全員の意見が一致している点はもう一つある。研究チームのアレムゼゲド氏が指摘しているように、アファール猿人はチンパンジーやゴリラと異なり、高い樹上までは登れなかったという点だ。 それでも、アレムゼゲド氏は、アファール猿人には生まれつき木登りの才能があったはずだと主張する。類人猿のような肩や長い指などで、二足歩行に適した体のハンディキャップは克服できたはずだという。 当時、彼らには適ったライフスタイルだったのかもしれない。「ほとんど何の術も持たない小さな種が、危険な世界で木の葉や果物を食べて暮らしている。ねぐらを確保し、捕食者から逃れ、食べ物を手に入れなければならない」とアレムゼゲド氏は話す。「アファール猿人にとって、樹上生活はとても捨てられなかったのだと思う」。 今回の研究結果は、「Science」誌オンライン版に10月26日付けで掲載されている。
2013.05.10
コメント(0)
池田信夫氏は,以前から,ムーアの法則と人類社会の将来を論じていているこの問題は,ある意味、人類最大の問題だと思う地球温暖化と同等か?あるいはそれ以上のこの本は,取り寄せ中池田氏は、この本の中で論じているかどうかは分からないのだがムーアの法則によって幾何級数的に進化するコンピューターとロボットが未来社会において,人類を駆逐すると思うHALの世界であるそれは、あなた方の子供の世代に、すでに起こるだろう数十年の単位でムーアの法則による進歩は、それほどすごい果たして人類はそれを「進歩」と呼んでいいのか?深刻な疑問だがそれについては、また別の本を参照して,明日にでも ―――― ◇ ――――『ムーアの法則が世界を変える』(池田信夫著 価格:¥525税込)がアゴラブックスから発売されました。「半導体の集積度は18ヶ月で2倍になる」―インテルの創業者ゴードン・ムーアが1965年に提唱した法則、いわゆる“ムーアの法則”は、いまや急速に変化を続けるIT業界のみならず、世界中のすべての人々がネットを通して繋がる多くの産業構造や経済システムそのものを破壊し、また想像する威力をもっている。その“ムーアの法則”により、これまでなにが変わり、今後なにが変わろうとしているのか? それらを明快に説き起こしたのが本書である。2007年にアスキーから発行された『過剰と破壊の経済学 「ムーアの法則」で何が変わるのか?』の改訂版。目次序章 ビッグ・ブラザーの死 オーウェルの予言 1984年のコマーシャル 中央集権システムの終焉第1章 ムーアの法則とは何か トランジスタから集積回路へ シリコンの書物 ゴードン・ムーアの予言 なぜそれは法則になったのか 半導体だけではない コンピュータという万能機械 チップの中の汎用コンピュータ第2章 ムーアの法則のもたらす9つの変化 情報インフラはコモディティ化する 問題はボトルネックだ 人間がボトルネックになる 情報は個人化する 垂直統合から水平分業へ 業界の境界はなくなる 中央集権から自律分散へ 系列関係から資本の論理へ 国際化からグローバル化へ第3章 ムーアの法則にどう対応すべきか ユーザー中心の進化 ハードとソフトを分離する すり合わせの神話 非コモディティ化の戦略 プラットフォームを変える ものづくりからサービスへ ボトルネックは著作権 個人情報保護法という障害物 国際競争力という妄想 ダーウィン的メカニズム グローバル資本主義による企業再編終章 孤独な世界の中で IT は格差を拡大する 放たれた魔物
2013.04.27
コメント(8)
ナショナルジオグラフィック ニュースから紹介する【ヒトの脳の成長は進化の過程と同じ順序】 John Roach for National Geographic NewsJuly 13, 2010 母胎から出た後のヒトの脳で最も成長する領域は、サルからヒトに進化する過程で最も大きくなった領域と同じだとする最新の研究が発表された。 12人の幼児の脳と12人の若者の脳をMRI画像で比較したところ、ヒトの脳は成長するにつれて“驚くほど不均一に”大きくなることがわかった。ミズーリ州セントルイスにあるワシントン大学の神経生物学者で研究を率いたジェイソン・ヒル氏によると、【言語や推論など高度な認知・遂行プロセスに関与する脳の領域】は、視覚や聴覚といった五感に関わる領域の約2倍の大きさに成長することが研究で明らかになったという。「最も大きく進化してヒトをヒトたらしめている脳の部分は、生後に最も成長する傾向のある領域と同じだ」。 ヒル氏の研究チームはまた、今回撮影したヒトの脳の画像をマカク属のサルの脳の画像と比較した。その結果、新生児の脳が成長して大きくなっていくパターンは、ヒトとマカクが共通の祖先から枝分れした約2500万年前以降に生じたヒトの脳の変化と「極めてよく似ている」ことがわかった。 高度な認知や行動をつかさどるヒトの脳の領域が遅れて発達するのは、その領域が生後の経験によって形成されるためではないかとヒル氏の研究チームは推測する。高度な能力に関わる領域の発達を遅らせることによって、胎児の脳が大きくなりすぎて母親の骨盤を通れなくなるのを防いでいるのかもしれない。「自分の母親を視認する能力など、誕生直後の生存環境に適した能力をつかさどる領域の成長に多くの資源を振り向けるほうが進化の面で有利だ」とヒル氏は説明する。 研究チームは、今回の発見によって未熟児の成長が阻害される原因を部分的にでも解明できる可能性があると期待する。「早産で生まれた新生児の30~50%が何らかの永続的な神経発達障害を抱えていることが知られているが、その原因は明らかになっていない場合が多い」。 ―――― alex99の意見 ――――人間の脳と動物の脳とのちがいのひとつに、こういうことがあると思う動物、例えば草食動物などは、出産直後にヨロヨロと立ち上がり、まもなく、ほぼ正常に歩行できるようになるつまり、産後すぐに、準完成品になるわけであるということは、母親の胎内で必要な能力のほとんどを備えていると言う事反対に言えば、出産後、成長と共に新たに身につける能力範囲が少ないことでもある人間の赤ちゃんは、出産直後に泣いたりする以外に、特に聖人と同じような能力は認められない(ように見える)が、成長と共に、非常な学習をして、自分のおかれた環境を知り、このレポートで言うところの【人間の人間たる能力】を身につけるつまり、人間は、脳内のハードディスクに未使用の容量を多く残しているわけである言い換えれば、人間が必要として居る能力は、動物が必要として居る能力に比較して、複雑且つ大量であって、動物が持っている能力のほとんどが、母親の胎内で前以てマウントされているソフトウェアに依存している事に比較して、生後に学習によって記憶を増やし、ソフトウェアを自作するようになっている・・・と言うことが言えるのではないだろうか?上記のレポートは,そ~ゆ~ことを、脳の容積という切り口で語っているのであるその辺りが、人類の柔軟性であり、複雑さであり、創造的な部分であろうと思う----そういえば、人類であっても、動物並みの少数の原始的なソフトウェアしか持っていない人物も,時々、居るような気がする(笑)
2012.12.04
コメント(0)
2012年11月23日 13:00 (J-CASTニュース)人類はバカになり続けているのか 知性のピークは2000~6000年前説 人間の知性は2000~6000年前がピークだった―。こんな論文を、米スタンフォード大学の教授が発表した。人類が狩りをしなくなったため、知的、感情的能力が、徐々に衰えているのだという。 近代以降、人間の知性は進化しているとばかり考えられてきた。そのため、ネットでは「信じられない」という声が相次ぎ、「ゲームで狩りをすればいいのか」といった発言も飛び出した。■知能の低くなった人間が淘汰されることが少なくなった? スタンフォード大学の遺伝学者ジェラルド・クラブトリー教授が、「人間の知性は2000~6000年前にピークを迎えており、その後人類の知的、感情的な能力は徐々に衰えている」との研究結果を発表した。論文は、米科学誌セルの関連誌「Trends in genetics」(2012年11月13日号)に掲載された。 それによると、人類は狩猟採集社会で生きてきた数千年前に、進化の99%が止まってしまったそうだ。これは脳の大きさの変化から明らかだという。そしてこれ以降、人類が都市に定住するようになってから今にいたるまで、知的・感情的能力がともに落ち続けていると主張した。 教授は理由をこう書いている。 人類の知性の形成には2000から5000という多数の遺伝子が関係し、それらは突然変異により、働きが低下する危険にさらされている。狩猟社会では、知的・感情的な能力のある人間しか生き残れなかったが、歴史の中で農業や都市が発明され、命が脅かされるリスクが減った。これにより、遺伝子の突然変異で知能の低くなった人間が自然淘汰されることが少なくなった。その結果、人類の進化としての脳の拡大が止まり、知能が低下し続けているのだという。■「一瞬、虚構新聞の間違いではないかと」 人間の知能は進化してきたと素朴に信じられてきただけに、ネットでは、「失礼な」「マジすか…こんなに大量の情報を扱っているのにか?」「一瞬、虚構新聞の間違いではないかと疑ってしまった」といった「信じられない」とする反応が相次いだ。 また、狩猟をしなくなったからという理由に「モンハンやれってことか」という人も現れた。モンハンとは人気ゲーム「モンスターハンター」の略で、名前の通りモンスター「狩り」をして遊ぶ。 ただ、論文の内容に疑問を示す人もいる。米Independent紙では、ロンドン大学の遺伝子学者スティーブ・ジョーンズ教授が「ただのアイデア。証明するデータがないし、どうやって調査すればいいのかも分からない」などと一蹴した。 日経サイエンス(12月号)のコラム「知能は延び続けているか」では、IQテストの平均スコアは1年に0.3ポイント、10年で3ポイントのわりで着実に伸びているという「フリン効果」を紹介した。伸びているのは主に抽象推論を試すテストや、幾何学図形の類似性を問うなど抽象思考を試すテストで、現代においては社会生活を営む上で抽象的な思考が必要とされているから考えられているという。そして、「将来は、あなたも私もひどく前近代的で想像力の欠けた人物に見えるような世界になるのだろう」と結んでいた。 「どっちが正しいのか」に結論を出すのは難しそうだ。著作権は株式会社ジェイ・キャストに属します。c 2012 J-CAST, Inc. All Rights Reserved. ―――― ◇ ――――なかなか面白い考え方だと思った/ 狩猟をしなくなったから知性が衰えた実際、狩猟によって人類は知性を発達させ、コミュニケーション能力を発達させた・・・とは思う例えば、危険なマンモスの狩猟を集団として、どうやり遂げるか?など非常な忍耐力と観察力と創造性が必要とされただろう/ 狩猟社会では、知的・感情的な能力のある人間しか生き残れなかったが、歴史の中で農業や都市が発明され、命が脅かされるリスクが減った。これにより、遺伝子の突然変異で知能の低くなった人間が自然淘汰されることが少なくなった。その結果、人類の進化としての脳の拡大が止まり、知能が低下し続けているのだという。同感はするのだが、同感してはいけないのかも知れない(笑)命をおぼやかされるリスクという状況の中で、人類は知性を発展させてきたそういう意味では、戦争なども、狩猟と並んで、リスク状況なのだろう戦争が科学を発達させたこれも、言ってはいけないことかも(笑)/ 最近思うのだが、格差・差別に対して反対の人が多いが(特に左翼の人々)これは現実ではないか経済状態においても格差があり能力においても格差がある容貌・体格にも格差がある人生というものは、スタートから差が付いているものついでに、運にも格差がある(笑)【格差・差別はいけない、是正するのが国の責任・われわれの責任】・・・と言う声高な声を聞きながら【結局、人生は自己責任とちゃうん?】と思う私がいるまあ、実際に私は、事業に失敗して欧州をさまよって困窮生活を送ったこともあるから余計に、そう思うのかも知れないあの時は、誰にも助けてもらおうとは思わなかったし身内に近い人以外は、助けてもくれなかった野垂れ死にを覚悟していた
2012.12.02
コメント(7)
2012年10月31日 19:48 (ナショナルジオグラフィック)ヒトの脳は加熱調理で進化した?コンゴ共和国、ポワント・ノワールに住むニシローランドゴリラ。エサを生で食べる霊長類は、脳の発達に限界がある。 Photograph by Michael Nichols, National Geographic (ナショナルジオグラフィック) 最新の研究によると、およそ180万年前に人類の脳のサイズが急激に大きくなったのは、加熱調理の登場が直接影響しているという。 現生人類の祖先と考えられているホモ・エレクトスは、加熱調理を覚えて、60万年の間に脳が2倍に進化した。ゴリラやチンパンジーなど大型類人猿は、体の大きさはヒト属とそれほど変わらないが、未加工の食料しか食べないので、脳の拡大が起きなかった。 研究チームの一員で、ブラジルにあるリオデジャネイロ連邦大学、生物医科学研究所(Institute of Biomedical Sciences)の神経科学者スザーナ・エルクラーノ・アウゼル(Suzana Herculano-Houzel)氏は、「真に人間を人間たらしめたものは、“火の利用”ではなく“火を使った調理”だ」と話す。◆未加工食料による限界 エルクラーノ・アウゼル氏の研究チームは、さまざまな霊長類の体と脳の質量を測定し、カロリー摂取量や食事時間と比較した。その結果、予想通り、カロリーと体重の間に直接的な相関関係が認められた。つまり、大きく成長するためには、たくさん食べなければならない。 しかし、1日の時間は決まっているから、体の大きさには限界がある。食料を探す時間が必要だし、食事そのものにも時間がかかる。「一番大きな類人猿のゴリラでも体重200キロくらいが上限で、キングコングにはならない」とエルクラーノ・アウゼル氏は話す。 そして脳は、体の中で最もカロリー消費効率が悪い組織だ。「もともと十分な栄養を採れない類人猿は、脳と体を同時に大きくすることはできない」。 もちろん、人類にも不可能だ。しかし、進化の道のりの中で「脳」と「体」の分岐に立った時、人類は「脳」の道を選んだ。「大脳化」と呼ばれる進化経路だ。こうして、人類は体の大きさに比べて極端に大きな脳を手に入れることになった。「そこでカギを握るのが加熱調理だ」とエルクラーノ・アウゼル氏は話す。 加熱調理で食料から摂取できる栄養分が増え、さらに、やわらかくなるので食事時間も減る。こうして、人類は大きな脳を発達させ、エサをかむことよりもほかのことに時間を利用できるようになった。 空いた時間で、もっと上手な狩りのやり方、もっと楽しい生き方に思いをめぐらし、さまざまな文化、芸術、原始的な技術を生み出せるようになった。「人間らしさ」の誕生だ。◆進化か退化か? しかし、加熱調理に「人間らしさ」を求める考えに対しては反論があり、現代の病気を防ぐには「原始的」な食べ方の方が良いという人もいる。 例えば、未加工食事の支持者は、食事の準備をまったく行わない。ゴリラと同じように、生のフルーツや野菜をそのままむしゃむしゃと食べるだけだ。 カロリー過多で、あまりに食べやすい食事ばかり好むと、健康に害が及ぶことは間違いない。砂糖と加工食品の過剰摂取は、肥満、高血圧、糖尿病、心臓病といった病気につながる。◆原始人の食事 中には「現代の食生活から健康問題が発生するのは、人類という種が砂糖や加工食品に適応できていないからだ」と論じる者もいる。 人類にとっては、狩猟採集民としての歴史の方がはるかに長い。現代人も、洞窟で暮らした原始時代の祖先のような食生活の方が適しているというのだ。 どちらの食生活の方が適しているのかという点は、科学的にその是非を検討する必要がある。しかし現代の医学では、乳製品と穀物を欠くと体には危険だと考えられている。洞窟で暮らした祖先たちは平気だったのかもしれないが、その寿命は決して長くなかったことが知られている。◆これからの食事 大昔の食生活に戻れば、過剰摂取による現代病とは無縁で生活できるだろう。一方、加熱調理が人類の進化をもたらした原動力であることも確かだ。 では、これからの食事のあり方はどうなるであろうか。人類にはまだ進化する余地が残されているのだろうか。 エルクラーノ・アウゼル氏は、「人間の脳の大きさは、まだ限界に到達していない」と話す。同氏によると、体の方は過去200~300年の間に大きくなっており、これは、食生活が変化し、栄養分の摂取量が増加したためだという。「脳はまだまだ大きくなるだろう。美食を取るか、適切な食事を取るか、それが問題だ」。 今回の研究成果は、「Proceedings of the National Academy of Sciences」誌オンライン版に10月22日付けで掲載されている。 ―――― ◇ ――――上記の,洞窟時代の原始人の食事を再現すれば,健康になるという考え方のパレオ・ダイエットというものがある要するに、あの時代の人類のように,肉食の生活をするのだ原始の洞窟での生活は、人類にとって,何百万年もの歴史がある定住して,穀物の栽培をして、穀物を主食にして、家畜を飼ってその乳を飲む・・・などは、ごく最近、数千年のものなのだ住居にしても、洞窟が人間のすみかだったのだ洞窟の中では,焚き火をたいて,灯りともし、暖を取り,野獣の接近を防いだだから、私たちがキャンプファイアーの火を見て,心が安らぐのは、その頃の記憶がよみがえるからだ不眠症の人は、家に囲炉裏でも再現して,その周りで寝てみるのがいいのでは無いだろうか?(笑)原始時代の環境を再現すれば,快眠かも知れない私も,学生の山岳部時代に山や河原などでファイアーをたいて,火の周りで食事をして星空をしばらく見て眠ると,疲れもあって,よく眠れたものだもっとも、今は、山の木を切ってのキャンプファイアーなどは禁止されていて,ガソリンバーナーでの食事になるが定住以前の原始人は,洞窟生活以外には獲物を求めて移動生活だったと思うがどう言う野宿をしていたのだろう?人類も,たくましいものだと思うあの時代なら移動生活の中で,ちょっと可愛い子をみつけたら追っかけていって、すぐ自分のものにしても犯罪行為ではなかったのだろううらやましいものである(コレコレ)子供が生まれてしまっても、DNA鑑定もないから大丈夫である(コレコレ)昔は良かった(笑)と言っても、昔過ぎるか?(笑)
2012.11.11
コメント(2)
ナショナルジオグラフィック ニュースより◆ 人類の進化を促進した料理という習慣Christine Dell'Amore in Chicago for National Geographic NewsFebruary 16, 2009人間が類人猿より進化できたのは、料理というありふれた日常の行為のおかげかもしれない。先週の学会でこのような研究報告が発表された。 食事の支度という習慣は人間の摂食時に特徴的な行為と考えられているが、その起源は、180万年前の絶滅したヒト属ホモ・エレクトスまでさかのぼる。 アメリカ、イリノイ州にあるノースウェスタン大学の人類学者ウィリアム・レナード氏は今回の研究結果を受けて、「食生活の進化を支えているのは人間の柔軟性と適応性だ。私たちを人間たらしめているのは、身の回りで食物を探したり作ったりする能力である」とコメントしている。 狩猟採集生活を行っていたホモ・エレクトスは、初期のヒト属に比べて大型の脳と体を有していた。手に入れた動物の肉を調理する機会も多かったはずだ。しかし、この“最初のシェフたち”がなぜ食物を加熱するようになったのか、その理由については様々な議論がある。 2月12日、アメリカ、マサチューセッツ州にあるハーバード大学の生物人類学者リチャード・ランガム氏が自身の仮説に対する新たな証拠を提出した。「食物を調理することで、食事に要するエネルギーが削減される」というものだ。 シカゴで開かれたアメリカ科学振興協会の年次会合でランガム氏は、「人間を含めた霊長類が他の動物との生存競争に打ち勝つには、効率よくエネルギーを得る必要がある。食事から取るエネルギーを多く得られる種が自然淘汰を生き延びていくのである」と述べている。 同氏によると、加熱すればデンプン類がゼリー状になり、タンパク質は分解され、硬い食物が柔らかくなるという。食物の組織構造が変化し成分の化学的変化が起こることで、摂取や消化が容易になるのである。 調理という食生活の変化は、現生人類の人体の構造にも反映されている。例えば、私たちのアゴは最初期の祖先よりかなり小型化しており、硬い食物を食いちぎる能力が弱まっている。また、私たちの消化管は調理した方が食物を消化しやすい構造になっている。 ノースウェスタン大学のレナード氏によると、高品質で高カロリーな食事の必要性は生存圏の拡大という衝動と分かちがたい結び付きがあり、私たちが類人猿をしのぐようになった大きな理由の1つだという。健康的な食事が世界中で多様化しているのは、さまざまな食物を探して調理する人間の驚くべき能力に起因しているのではないかと同氏は考えている。 しかしその反面、私たちの多くは狩猟採集民だった祖先と比べて座って生活することが多くなっている。私たちは高カロリーの食事を続けているにもかかわらず、初期人類と比較して運動量は減少しているのだ。 「進化は成功したが、私たちはその犠牲者でもある」と同氏は指摘する。 古代の生活様式に戻れば“文明病”は解消されるという研究もある。例えばある研究論文には、オーストラリアの先住民アボリジニの糖尿病患者にその祖先と同じ食事を与えたところ、7週間足らずで糖尿病が治ったと記されている。また、数千年前から同じ行動範囲を維持している狩猟採集民族に歩数計を持たせるという実験も行われている。この実験では、歩数計を付けた被験者全員がそろって1日約13キロというほぼ同じ距離を歩いていることが判明した。 各国政府は健康維持のために1日10キロほどの歩行を推奨しているが、実験で判明した狩猟採集民の歩行距離はこの数値に驚くほど近い。この結果は、“古代の生活様式が最も健康的”という発想の信憑性を高めている。とは言え、安易に古代食ダイエットに飛びついたとしても、奇跡的な体重減少が期待できるわけではない。レナード氏は、「古代食に着目したダイエット本にはいい加減なものが多い。実践すると危険なものもあるかもしれない」と警告を発している。 Illustration by Jack Unruh/NGS ―――― ◇ ――――私に言わせれば上記のことなど,当たり前である焼くことによって生では食べられないまずかったものも,上手く食べられる柔らかく食べられる焼くことによって,食中毒も少なくなる消化もよくなるより大量に食べることが出来る原始人は、洞窟生活をしていることが多かった洞窟内では,野獣を避けたり,寒さを避けるために焚き火をたいていたとすれば、食糧をあぶって食べるのも当然
2012.11.10
コメント(2)
ナショナルジオグラフィック ニュースより◆ 最古の人類を確認、食人の可能性もJames Owen for National Geographic News May 27, 2010 小型で“人食い”の習慣があるホモ・ガウテンゲンシス(Homo gautengensis)という新種の人類が確認された。 研究責任者でオーストラリアのニューサウスウェールズ大学の人類学者ダレン・クルノー(Darren Curnoe)氏によると、現生人類も含まれるヒト属(Homo)の最古の種で、道具や火も使っていたと見られる。 新種の根拠となったのは、南アフリカ共和国、ハウテン州のスタークフォンテン洞窟で発見された200万~80万年前の頭蓋骨の破片、アゴ、歯、その他の骨の化石である。 出土した6体分の化石から、ホモ・ガウテンゲンシスは直立歩行し、身長1メートル、体重50キロというずんぐりした体型だったと推定される。現生人類と比べると身長の割に腕が長く、チンパンジーのように顔が前方に突き出て歯も大きい。脳は大きくないが、言語コミュニケーションが可能だったと思われる。「話していた言葉はかなり原始的で、複雑な音や文法は持ち得なかっただろう」とクルノー氏は語る。 “ハウテン人(Gauteng man)”とも呼ばれるホモ・ガウテンゲンシスはヒト属では最古の種と見られるが、登場した年代が新しすぎるため、現生人類の直接の祖先とはいえないようだ。 「われわれの祖先とされるホモ・エレクトスのような大型のヒト族(Hominin)がホモ・ガウテンゲンシスと同時期に生息していたことが判明している。つまり、ホモ・ガウテンゲンシスよりも早い時期に、ホモ・エレクトスの祖先が登場していたことになる」とクルノー氏は言う。ヒト族、あるいはヒト科(Hominid)には、ヒトのほかにヒトの祖先に当たる種や進化上の近縁種が含まれる。 さらに、ホモ・ガウテンゲンシスよりも約30万年古い人類の化石がアフリカ東部で発見されており、まだ分類されていないという。「正直なところ、人類の進化系統において現生人類の直接の祖先に当たる種がどれなのか、まだ解明されていないのだ」。 現生人類の直接の系統には含まれないとしても、ホモ・ガウテンゲンシスには人間らしい特徴がある。クルノー氏は、ホモ・ガウテンゲンシスの特徴には40個ほど、より類人猿に近い「猿人」(初期の人類の総称)との相違点が見られることを確認した。猿人に比べてかなり小さい顔、細い歯、小さい咀嚼筋(そしゃくきん)とアゴなどだ。 クルノー氏をはじめとする研究者は過去数十年間、今回ホモ・ガウテンゲンシスと命名された化石をホモ・ハビリス(“器用な人”の意)に分類していた。200万~150万年前に登場したとされるホモ・ハビリスは、最も初期のヒト属だと広く見なされている。 「南アフリカで発見された今回の化石は、14年間の研究を経て、新種と認定すべき十分な証拠があることがわかった。この化石の主はホモ・ハビリスとは別のさらに古い種だ」とクルノー氏は言う。 たとえば、ホモ・ガウテンゲンシスは脳が小さく、現生人類の3分の1程度しかない。ホモ・ハビリスよりも歯やアゴが小さいことから、食事や生活様式も異なっていたと考えられる。 ホモ・ガウテンゲンシスの化石とともに、簡単な石器や火を使っていた証拠も見つかっている。関連する堆積層から出土した完全に近い頭蓋骨は「Stw 53」と名付けられ、1970年代半ばに広く研究された。 「石器は肉をはいだり、骨を切り開いて骨髄を取り出したり、植物を掘り出して調理したりするのに使われていたようだ。動物の皮の処理に使われた可能性もある」とクルノー氏は話す。Stw 53の頭蓋骨には切られた跡もあった。「儀式的な埋葬や人食いのために肉をはぐような習慣があったと推測できる」。 同じ洞窟では、猿人であるパラントロプス属の燃やされた骨も見つかっており、「ホモ・ガウテンゲンシスがヒト族を食べていたことは確かだ」とクルノー氏は指摘する。 だが、ホモ・ガウテンゲンシスは完全な肉食だったわけではない。植物を咀嚼するために発達したと見られる歯も持っていた。 今回の研究はヒト生物学雑誌「HOMO」で近日中に発表される。 ―――― ◇ ――――それにしても>ヒト族、あるいはヒト科(Hominid)には、ヒトのほかにヒトの祖先に当たる種や進化上の近縁種が含まれる。 こういう記述を読むとなんだか妙な気持ちになるサルとは分離した猿人や原人や旧人や新人こういうヒト科ではあるが、我々現生人類とは別の約20数種におよぶ「人間」が、遠い過去に棲息していて,絶滅していたこの事実が、なんとも、奇妙な感覚を呼び起こす彼らは,何を考え、何を感じていたのか?侘び・寂び(わびさび)など感じたのだろうか?いや、まだ原始的なヒトでは、むりだったかもしれない現代の現生人類でも、中国とか,アメリカのヒト科は、感じないらしいし(コレコレ)食人も,文化大革命時には、かなり・・・(以下自粛)----昔、タイムスリップして,原人?の世界に放り込まれてしまった男を主人公にしたSF小説を読んだがやはり、小説だから主人公は原人?のある女性と恋愛をするのであるう~~ん!原人女性?!?!オランウータンみたいな?きついな~それなら、今、私の身の回りの女性で、がまんしといたるわ(コレコレ)ものは、考えようであるお見合いに行く女性も、原人の男性よりは、この草食性のダメ男でもマシだと思い込むことが大切かも
2012.11.06
コメント(2)
リンクの七詩さんのブログにコメントした◆ 女は縄文系? 男は弥生系?
2012.11.02
コメント(0)
ナショナルジオグラフィック ニュースより◆ 人類の進化を促進した料理という習慣 Christine Dell'Amore in Chicago for National Geographic NewsFebruary 16, 2009人間が類人猿より進化できたのは、料理というありふれた日常の行為のおかげかもしれない。先週の学会でこのような研究報告が発表された。 食事の支度という習慣は人間の摂食時に特徴的な行為と考えられているが、その起源は、180万年前の絶滅したヒト属ホモ・エレクトスまでさかのぼる。 アメリカ、イリノイ州にあるノースウェスタン大学の人類学者ウィリアム・レナード氏は今回の研究結果を受けて、「食生活の進化を支えているのは人間の柔軟性と適応性だ。私たちを人間たらしめているのは、身の回りで食物を探したり作ったりする能力である」とコメントしている。 狩猟採集生活を行っていたホモ・エレクトスは、初期のヒト属に比べて大型の脳と体を有していた。手に入れた動物の肉を調理する機会も多かったはずだ。しかし、この“最初のシェフたち”がなぜ食物を加熱するようになったのか、その理由については様々な議論がある。 2月12日、アメリカ、マサチューセッツ州にあるハーバード大学の生物人類学者リチャード・ランガム氏が自身の仮説に対する新たな証拠を提出した。「食物を調理することで、食事に要するエネルギーが削減される」というものだ。 シカゴで開かれたアメリカ科学振興協会の年次会合でランガム氏は、「人間を含めた霊長類が他の動物との生存競争に打ち勝つには、効率よくエネルギーを得る必要がある。食事から取るエネルギーを多く得られる種が自然淘汰を生き延びていくのである」と述べている。 同氏によると、加熱すればデンプン類がゼリー状になり、タンパク質は分解され、硬い食物が柔らかくなるという。食物の組織構造が変化し成分の化学的変化が起こることで、摂取や消化が容易になるのである。 調理という食生活の変化は、現生人類の人体の構造にも反映されている。例えば、私たちのアゴは最初期の祖先よりかなり小型化しており、硬い食物を食いちぎる能力が弱まっている。また、私たちの消化管は調理した方が食物を消化しやすい構造になっている。 ノースウェスタン大学のレナード氏によると、高品質で高カロリーな食事の必要性は生存圏の拡大という衝動と分かちがたい結び付きがあり、私たちが類人猿をしのぐようになった大きな理由の1つだという。健康的な食事が世界中で多様化しているのは、さまざまな食物を探して調理する人間の驚くべき能力に起因しているのではないかと同氏は考えている。 しかしその反面、私たちの多くは狩猟採集民だった祖先と比べて座って生活することが多くなっている。私たちは高カロリーの食事を続けているにもかかわらず、初期人類と比較して運動量は減少しているのだ。 「進化は成功したが、私たちはその犠牲者でもある」と同氏は指摘する。 古代の生活様式に戻れば“文明病”は解消されるという研究もある。例えばある研究論文には、オーストラリアの先住民アボリジニの糖尿病患者にその祖先と同じ食事を与えたところ、7週間足らずで糖尿病が治ったと記されている。また、数千年前から同じ行動範囲を維持している狩猟採集民族に歩数計を持たせるという実験も行われている。この実験では、歩数計を付けた被験者全員がそろって1日約13キロというほぼ同じ距離を歩いていることが判明した。 各国政府は健康維持のために1日10キロほどの歩行を推奨しているが、実験で判明した狩猟採集民の歩行距離はこの数値に驚くほど近い。この結果は、“古代の生活様式が最も健康的”という発想の信憑性を高めている。とは言え、安易に古代食ダイエットに飛びついたとしても、奇跡的な体重減少が期待できるわけではない。レナード氏は、「古代食に着目したダイエット本にはいい加減なものが多い。実践すると危険なものもあるかもしれない」と警告を発している。 Illustration by Jack Unruh/NGS ―――― ◇ ――――私に言わせれば上記のことなど,当たり前である焼くことによって生では食べられないまずかったものも,上手く食べられる柔らかく食べられる焼くことによって,食中毒も少なくなる消化もよくなる原始人は、洞窟生活をしていることが多かった洞窟内では,野獣を避けたり,寒さを避けるために焚き火をたいていたとすれば、食糧をあぶって食べるのも当然
2012.11.01
コメント(0)
私が、先日来書いて来たことが,以下の産経ニュースで述べられている ―――― ◇ ――――◆ アイヌと琉球は縄文型 日本人の遺伝系統、ゲノム解析で裏付け2012.11.1 08:05 [科学] 日本人の遺伝的な系統はアイヌ(北海道)と琉球(沖縄県)が縄文人タイプで、本州・四国・九州は縄文人と弥生系渡来人との混血とみられることが、東京大などのゲノム(全遺伝情報)解析で分かった。約100年前に提唱された「アイヌ沖縄同系説」を裏付ける成果で、1日付の日本人類遺伝学会誌電子版に論文が掲載された。 日本人の成り立ちについてドイツ人医師のベルツは明治44年、身体的特徴の共通性からアイヌと琉球は同系統と指摘。人類学者の埴原(はにはら)氏は平成3年に「二重構造説」を提唱し、本州などでは弥生時代以降に中国や朝鮮半島からの渡来人と先住民の縄文人が混血したが、アイヌや琉球は遠いため混血が少なく、縄文型の系統が残ったとした。 今回の結果はこれらの仮説を高い精度で裏付けるもので、日本人の起源を探る上で貴重な成果という。仮説はこれまでもミトコンドリアDNAの分析結果などで支持されてきたが、はっきりしていなかった。 研究チームはアイヌ系36人、琉球系35人のゲノムを解析し、DNAの個人差を示す60万個の一塩基多型(SNP)を調べ、本州・四国・九州の計243人や韓国人などと比較した。その 結果、アイヌと琉球が遺伝的に最も近縁で、本州などは韓国と琉球の中間と判明。アイヌは個人差が大きく、北海道以北の別の民族との混血が起きたとみられることも分かった。 研究チームの斎藤成也総合研究大学院大教授(遺伝学)らは縄文人の骨からDNAを採取して解析中で、斎藤教授は「分岐や混血の年代を推定して日本人の変遷を明らかにしたい」と話している。 ―――― 私のコメント ――――DNA研究が今のように高精度になる以前は日本人の成り立ちについて、様々な説があった人類史についても、同じ事が言える犯罪・裁判の面においても、一部の確定した刑が,実は冤罪であったことがDNA解析によって証明されだしている明治時代のお雇い外国人、ドイツ人医師のベルツ(ベルツ水にその名が残っている)が,こういう説を発表して、今の縄文人・弥生人混交説の下地になっているそれは細面の長州型は、朝鮮半島などから渡来した征服民であり、上等小太りの薩摩型は、東南アジアなどから渡来した被征服民であり、下等当時はDNA解析など無い時代なので,今の定説とはずれているが今の学説を踏襲すれば,この長州型は弥生人薩摩型は縄文人であって、見事に、最新学説と符合するなお、私の先祖のひとりは,長州藩の士族である加賀藩と徳島藩の先祖もいるが長州藩の領地、山口県がそのまま弥生人の土地とは言え無いが日本海沿岸でもあり,朝鮮半島からの渡来人の上陸地点では、あっただろうと思うそれに、一つの典型として、高杉晋作の風貌を思い起こせば、長州型というのもうなずける薩摩、つまり、鹿児島県、それに宮崎県の一部の人達は、やはり、基本的に、いかにも薩摩型・縄文人であると思うスポーツ選手・芸能人で縄文型・弥生型を推測してみれば◆ 卓球の石川佳純選手 山口県出身典型的な弥生人ただし、お母さんは縄文型の印象そう言えば、私の母も長州の血を引いているが徳島の血との混血結果として,縄文型かな?加賀藩の父親は弥生型バレーボール選手◆ 鹿児島出身の新鍋選手は,そのまま縄文人(笑)◆ 同じく鹿児島の迫田さおり選手は、しかし、欧州のラテン人種との混血に見える薩摩藩は離島を利用しての密貿易で藩の財政を支えていたという貿易相手の南蛮人、ポルトガル人の落とし子か?(笑)◆ 木村沙織選手青森出身 ツングースの血かな?◆ 竹下選手縄文でしょう(笑)◆ 佐野選手身長は竹下選手と同じだが,弥生型(笑)
2012.11.01
コメント(1)
沖縄問題を考えていた過程で、大和民族・琉球民族という概念にも触れましたがみんな日本人ですが、その中心的なのは大和民族とされています言い換えれば、マジョリティー・多数派その一方で、琉球民族、アイヌ民族は、マイノリティー・少数派とされているしかし、そういう民族で分けることに絶対的な意味が果たしてあるか?私には疑問です日本人の成り立ちと言う事に興味があって、DNA研究を中心にした日本人論などの本を数冊買ってみたのですが詳しくは、それらの本を読破してから(まだ、積ん読に近いので)記事にしたいと思うのですが内容が難しくて、特にDNAグループについていつになったら読破できるか?わからないものですから、このあたりの、ここまでの、生煮え状態で一応、雑感を・・・書きながら、途中で、そういう本を拾い読みして内容を補足するかも知れないそうしないかも知れない----通説として、日本人は、縄文人と弥生人の混血だとされていますこれは、みなさんご存じのはず縄文人が本来の日本原住民でそこに、大陸・半島から弥生人が渡来して混血したまたは、弥生人が縄文人を征服したと言う考え方が主流まあ、これは、DNA研究からも、大筋で、そのようですただし縄文人と言っても、単一の民族ではなかった外部から、数波の民族移動で日本列島に到来したらしいその前に人類の歴史をわかりきったことですが、一応----ついでに歯に衣を着せずに書くと世の中、なんにも知らない人が多いだから今書いている、自分としては既に十分承知していることでもこういう常識的なことも知らない人のレベルに合わせて分かりやすく、一から書き始めなければいけないところが非常に手間がかかる自分勝手に、空いたがどこまでわかっているかに斟酌せず書き進むことも出来ないしそこがブログのつらさだ(笑) ―――― ◇ ――――人類の発祥地は、東アフリカ今からおよそ一〇〇〇万年前、アフリカ大陸を南北に縦走する大地溝帯の活動が活発化、周囲に隆起帯が形成された大西洋から湿潤な空気を運んでいた赤道西風は、その隆起帯に遮られ、それまで密林に覆われていた東アフリカの大地溝帯の東側は乾燥した草原(サバンナ)へと変貌した現生人類の誕生と拡散について、後ほど、知っていることを書こう----閑話休題今までは、一つの記事を完結形で書いて来たがそれも、長文になってしまうし、第一、しんどいブラブラと、散歩のように寄り道をしたり休憩をしたり書き足しをしたりと言う感じで、この記事は書いて行きたい完結した記事を書くと完結するまでアップ出来ないリアルタイムで進行形で書いて行くと書き上げたところでアップ出来る便利である今頃わかったと言うことで書き始めてすぐ、タイトルと違って人類の起源などというところに迷い込んだが書きたいメインは◆ 縄文人◆ 琉球民族についてただし【琉球民族】が民族としてハッキリ大和民族と別個のものか?ちょっと疑問であるアイヌ民族と共に日本人であることは間違いないそれに【民族】と言えるほどのものか?ただし、アイヌ民族は【民族】扱いしても間違いでは無いと思う縄文人の一派ということで、かなり、ハッキリした特色がある私が、昔、知床半島の羅臼で見かけた純血度が非常に高いと思われるアイヌの人はまるで、現生人類に対するネアンデルタール人ほど見かけが違っていたそれに、相当離れているのに、体臭が強かったそれは、あの人の、個体差だったのかもしれないが----どんな民族も、完璧に純血な民族などありえない民族は文化とおなじで、混合しながら変化して行くのだから第一、日本人と言ってもいろんなグループが----今思いついたことだが日本人は、いろんな民族・グループが混じり合って今の日本人ができあがった混合は、今も進行形であるこれは、いろんな種類のウドンを一本ずつ束ねて煮て、どろどろになって、巨大なすいとんになるようなものかな?しかし、そのいろんな種類のウドンの一本一本ももとはと言えば、南アフリカの大地溝帯あたりにいた人類考古学的には【ミトコンドリア・イブ】と呼ばれる、ひとりの猿人女性から分岐したものである言い換えれば、現生人類は、みな兄弟姉妹分岐・離散・拡大・再会・融合いろいろ、複雑だな、人類史(笑) ―――― 続く ――――
2012.10.28
コメント(12)
◆ 1日5000キロカロリーが必要だった◆ ドワーフのような体形 色白◆ 抽象能力 言語能力 集団行動◆ 武器の優劣◆ 疫病?◆ 混血?◆ グループのスケールがクロマニヨン人より小さかった ----理屈ではわかっていても、現生人類以外に、20数種もの猿人・原人・旧人などがいた、と言う事が、信じられない
2012.02.09
コメント(0)
ダンツィヒ ブリキの太鼓について、書き足しをするつもりなのだが、その前にちょっと・・・朱鷺子さんが非常に興味深い記事をアップしている◆ 人間の「真に思うこころ」をたましいと言っていいですか?(前略)そして、先日観たNHKの「とっておきサンデー、ホーキング博士の宇宙」という番組を思い出した。この宇宙空間は分子という一番小さい物質よりももっと小さい物質、 量子というのでできているのだそうですが、量子には、ワームホールと名づけられた小さな穴がある。 そのワームホールというのは、時間的な、過去や現在を自由に出入りできる小さな小さな穴なのだそうです。その穴はしょっちゅう出来たり離れたりして自由に動き変動しているのだそうです。ここに来て、思いついたのは、その小さな穴を通って、人の魂が あっちこっちに移動しているのではないか・・・と 私は考えたのです。ぱぱっと、瞬間に移動するのです。 あの親類のお姉さまの魂が、アメリカの弟のところにぱぱっとワームホールをくぐって飛んで来たのではないかしら。つい、そんなことを考えてしまいました。もっともっと科学がすすんで私の妄想を覆してくれてもいいの。 ―――― ◇ ――――上記の記事に対して、私は、下記のコメントをいれさせていただいた----昔書いた私のブログ記事ですが、量子はともかく、分子のレベルの分子生物学では、こ~ゆ~ことになるようです----◆ 福岡伸一教授によれば、私たち人間の体は分子レベルで観察すると、早い部分で数時間、遅い部分でも一年の間にすべて新しい分子に入れ替わってしまうという。私達の体は常に改修され続けているようなもので、食べることで得る様々な分子は体のあらゆる場所におくりこまれ、それまで体を構成していた分子と常に入れ替わりながら、また新たに体を築き上げて体を維持しているらしい。最新科学とは、仏教と似かよっていると以前から感じていたが、本当にそうだ。キリスト教など、やたらにドグマをこねくり回した宗教とはちがう。【ゆく分子の流れは絶えずして またもとの命にあらず】こういう事なのである。人体に限らず、この世界の全てを分子・原子レベルで考えてみると、万物は流転するのである。万物が入れ換わるのである。今の私の身体を構成している分子は、一年もするとすっかり入れ換わり、他の生物または無生物を構成しているのである。我々は、常に我々自身と部分的なサヨナラをし続けているのである。われわれが、唯一無二の「自分」だと思っているこの【私】も、それほど【私】でもないのである。それは一瞬に過ぎないのである。祇園精舎の鐘の声、諸行無常の響き有り。沙羅双樹の花の色、盛者必衰の理を顕す。奢れる人も久しからず、只春の夜の夢の如し。猛き者も終には亡ぬ、偏に風の前の塵に同じ。仏教のおしえる通り、この世は無常なのである。反対に、われわれが死んでも、それほどのことでもないのである。分子レベルでは、他のなにかになっているからである。仏教の輪廻の考えも、馬鹿には出来ないのである。
2011.12.05
コメント(21)
もし、タイムマシンが手に入れば・・・とは、時々思う事であるもし、過去の「あの時」に今の私がいたら・・・あの時、気が弱くて、押しが不足して逃がしたあの美女を、今の様に恥を知らない私だったら、ものに出来ていたかも知れないまあ、その美女をものにしても、メンテが大変で、もてあましたかの知れない(笑)バック・ツー・ザ・フューチャーみたいに競馬などの結果を知っている今の私が馬券を買えば・・・私は、馬券を買ったことがないのだが(笑)億万長者になったら、その金をどう使うか?大学の過去の入試問題集を持っていれば、いやな受験勉強などしなくてすんだのだしかし、タイムマシンに乗っている時の私の年令はどうなるんだろう?若い頃に帰って、快楽の限りを尽くしている最中に寿命が尽きてしまっては残念まず、現実の私が長生きをしないといけないかもしれない面倒なことである未来に旅行したら、もう死んでいるかも知れないところで、そのタイムマシンが可能になるかも知れないニュースがあるしかし、私の生きている間に間に合うかどうか?急いで欲しい(笑)しかし、世の中の人間がみな、タイムマシンにのって時空旅行をはじめたら、この今の世の中にいる人がほとんどいなくなる ―――― ◇ ――――時々、タイムマシンに乗って時空旅行をする代わりに、この現代において、この地球上のほとんどの人間が死に絶えたら、世の中の財産は使い放題だと思う事もあるが、人間がいない世界で、何をどうしようと、面白くないものかも知れない豪華レストランに入ってご馳走を食べ放題でも、新しく作ってくるコックもすべて死に絶えているのである(笑)金をいくら持っていて使おうと思っても、ものを持っている人間がいないのでは、金の価値がないフェラーリを見つけても、すぐには運転のしかたが分からないかも知れない宝石を見つけても、それを贈って、陥落させる女性がいない(笑)まあ、早い話が戦国自衛隊という映画でも、なかなか思う様には行っていない ―――― ◇ ――――光速超えるニュートリノ 「タイムマシン可能に」 専門家ら驚き「検証を」2011.9.24 00:24 産経ニュースイタリアの地下でニュートリノをとらえた名古屋大などの検出器(フランス国立科学研究センター提供) 名古屋大などの国際研究グループが23日発表した、ニュートリノが光よりも速いという実験結果。光よりも速い物体が存在することになれば、アインシュタインの相対性理論で実現不可能とされた“タイムマシン”も可能になるかもしれない。これまでの物理学の常識を超えた結果に、専門家からは驚きとともに、徹底した検証を求める声があがっている。 ■概念変わる? 「現代の理論物理がよって立つアインシュタインの理論を覆す大変な結果だ。本当ならタイムマシンも可能になる」と東大の村山斉・数物連携宇宙研究機構長は驚きを隠さない。アインシュタインの特殊相対性理論によると、質量のある物体の速度が光の速度に近づくと、その物体の時間の進み方は遅くなり、光速に達すると時間は止まってしまう。 光速で動く物体が時間が止まった状態だとすると、それよりも速いニュートリノは時間をさかのぼっているのかもしれない。すると、過去へのタイムトラベルも現実味を帯び、時間の概念すら変更を余儀なくされる可能性もある。 それだけに、村山氏は「結果が正しいかどうか、別の検証実験が不可欠だ。実験は遠く離れた2地点の間でニュートリノを飛ばし、所要時間を計るというシンプルなアイデア。正確さを確保するには双方の時計をきちんと合わせる必要があるが、これはそれほど簡単ではない」と語る。■新たな一歩に スーパーカミオカンデ実験を率いる東大の鈴木洋一郎教授も「別の機関による検証実験で、結果の正しさを確かめることが大事だ」と慎重な姿勢だ。 鈴木氏は、昭和62年に小柴昌俊氏がニュートリノを検出した実験で、超新星爆発で出た光とニュートリノがほぼ同時に観測されたことを指摘。「両者の速度に今回のような違いがあるとすると、ニュートリノは光よりも1年は早く地球に到達していなければおかしいことになる」と語る。 実験に参加した名古屋大の小松雅宏准教授は「実験に間違いがないかと検証を繰り返したが、否定できない結果になった。公表することで他の研究者による検証や追試が進み、物理学の新たな一歩につながれば」と話している。
2011.09.23
コメント(7)
暑いので頭のおかしくなったのじゃないの?と思う様な、こんな笑い話を書いてくれている人がいる「CHRISTIAN TODAY」と言うキリスト教のサイトで見つけたもの早い話が、進化論を否定して、「聖書の創造論」を主張しているのだ----日本では、変わり者か、笑いもの扱いだが、米国では立派に主流である進化論を学校で教えることを禁止している州が多いだからこそ、私は米国を本当は信用できないのだが欧米は基本的に宗教国家であるイスラム教国をばかにできない----キリスト教徒達の創造論は人種差別だし、動物差別、生物差別である「牛・豚などの家畜を殺すのは全く罪ではない、神がそれらを人間の食物として創造なさったからだ」とかの勝手な理屈をつくりあげて、神が食用と指定しなかった(笑)鯨を食べる日本人を残酷な民族と差別し非難するそれが米国のみならず、欧米の主流であるまるで暗黒の中世だと言いたいところだが、これが現代の現実である----アメリカでは野生のバイソンは開拓者によって殺戮されてほぼ絶滅オーストラリアでは、カンガルーやラクダは殺し放題動物だけではない「キリスト教徒でないものは人間では無い」と、アメリカや中南米やオーストラリアやハワイなどの「原住民(人間)」を大量虐殺して領土を奪い、国家を打ち立てた原住民は居住区という名の強制収容所に閉じ込められている----この人は、進化論を否定する有名学者として、数人の名前を出しているが、これは信用できないこれらの学者の意見を精査しないと、隣家論の否定論者とは確認出来ない恐らく、自分のおかしな思考で、勝手に歪曲しているだけだろう----もちろん、ダーウィンの進化論がそのまますべて正しいとは言えないだろうしかし、各地層から地層の年代別に出土する化石をみれば、生物の進化は明らかであるしかもそれは、どんどん数を増している----ノアの方舟に乗った動物なんて、ほんのの少数であるしかも、一対の個体しかない例えば、馬のサラブレッドやアラブや木曽馬や蒙古馬や、そんな種別はなかったはずだそれに、たったの一対で、どうして繁殖できるのか?「近親そうかん」(禁止ワード)しかないではないか?ノアの子孫もそれで増えたのか?聖書は近親そうかんの物語りなのであるノアは白人だったのか?黒人だったのか?考えて見ただけで、笑えるほど、ツッコミどころが満載である----まあ、こう言う事を、本気で、言い立てる人がいるんだから、世の中は怖い ―――― ◇ ――――◆ 佐々木満男・・・進化論は真っ赤な嘘?!日本ではダーウィンの思いついた「進化論」が絶対的な科学的真理としてまかり通っています。 実は、「進化論は証拠がないので証明できない」と主張する科学者が世界中に激増しているのです。 最近では、日本のノーベル物理学賞受賞者・素粒子研究の世界的権威の益川敏英氏(京大名誉教授)やノーベル生理・医学賞受賞候補者・iPS細胞研究の世界的権威の山中伸弥氏(京大教授)がいます。 「『ヒトは猿から進化したのか、それとも神が造ったのか』と聞かれれば、日本人はなんとなく『猿から進化』という方を信じるが、それはなんの根拠もない」と、二人の対談で語っています。 かつては、「棲み分け理論」で世界的に有名な進化論学者であった文化勲章受章者・今西錦司氏(京大名誉教授)は、研究すればするほど進化論の矛盾に気づいて研究を断念して、自ら「科学者廃業宣言」を新聞に発表しました。「進化論は学問にあらず」と言いたかったのでしょう。良心的な科学者であっただけに、間違った学問を教えてきた者としての責任を取ったものと思われます。 アメリカではハーバード大学の教授を含むトップクラスの進化論学者たちが、次々に進化論の研究をやめて、他の学問に転向しています。こんなことは学問の世界ではあまりないことです。 遺伝子工学の世界的権威の村上和雄氏(筑波大名誉教授)も、真っ向から進化論を否定する一人です。一つの遺伝子に組み込まれている膨大な量の情報を研究しているうちに、「進化論はありえない」という結論に到達しました。神と言いうるような「サムシング・グレイトの存在」(なにか超偉大な知性の存在)により創造されたことを認めなければ、遺伝子の説明は不可能であるというわけです。 人間は「科学的真理」だと言われるといとも簡単に信じてしまいます。「科学」とは、人の思いつきや単なる仮説を、外部的な証拠やデータによって、恒久的な法則や普遍的な真理にしようとする学問です。 しかし、いくら証拠を集め、どんなにたくさんのデータをもって理屈をつけ、理論を構築してみても、初めの思いつきや仮説が間違っていれば、その思いつきや仮説は永遠に間違いなのです。まさに、「進化論」もその一つです。 「一匹のアメーバのような単細胞生物がこの地球上に突然生まれて、何億年か何十億年の間に突然変異を繰り返して進化を続け、人間になったのだ」。こう思いつたダーウィンは、証拠を集めているうちにそれらしき理屈が成り立ってきました。 それは絵を描いて説明できるため、一般の人々には非常にわかりやすく、あっという間に「科学的真理」として世界中に受け入れられてしまいました。後世の進化論者たちは、これでもかこれでもかと証拠を集めて、理論付けをしてきたのです。 最近になって、「進化論」にはさまざまな無理、矛盾、捏造が発見され、今やこれは「真っ赤な嘘だ」として世界中から葬り去られようとしています。 突然変異の起きる確率論、化石の年代測定法、地層学、地球物理学、海洋学、天文学、生物学、生物化学、遺伝子工学、骨相学、その他のあらゆる学問分野において、「進化論にはそれを裏付ける証拠がない」として退けられているのです。 ダーウィンの「種の起源」発表後150年以上も経つのに、決定的な証拠が何一つ発見されないのでは、「進化論」は果して学問と言えるのでしょうか。 逆に、旧約聖書(創世記)に書かれているように、人間を含めたあらゆる生物や無生物は、それぞれ初めから全知全能の神がデザインして創造したものであるという科学としての研究(創造科学)が発展しつつあります。 ダーウィンの「進化論」に対して、これを聖書の「創造論」と言います。私はぜひとも、この「創造論」を日本に普及していきたいと思っている者の一人です。 刑事事件によくあることですが、ある程度の証拠に基づいて「犯人」として疑われたら最後、警察、マスコミ等が、よってたかって「真犯人」に仕立て上げてしまいます。 こんな証拠もある、あんな証言もあると、次々に新しい証拠や証言を集めてつなぎ合わせると、ゆるぎない「真犯人」ができあがってしまうのです。 裁判官も人間ですから、たくさんの証拠や証言によって判断して、「有罪判決」を出してしまうことがあります。 しかし、本人が本当に無実なら、どんな証拠や証言を並べ立てても、たとえ最高裁の有罪判決が確定しても、「無実」という真理は絶対に変わることはないのです。 科学の分野では、「科学的真理」なるものが、毎日のように作り出されていますが、「虚偽」はいくら理屈を付けても虚偽です。その典型的な例が、「進化論」なのです。 「進化論」の根底は、「無神論」です。 なんだかよくわからないが、生命は突然発生したのだ。「弱肉強食」の歴史をたどって、強い種類が生き残ってきた。「強いものが弱いものを犠牲にして生きる。これが人生だ。死んだらどうなるかは何もわからない」。 「進化論」の価値観には、生きる意味はなく、生きる希望もありません。 「創造論」の価値観には、いつか説明しますが、「人々がお互いに愛し合って生きる」というすばらしい意味と、「神とともに永遠に生きていける」というとてつもない希望があります。 「進化論」を絶対的真理として教え込まれている日本人に「生きる意味」と「生きる希望」がないのは、当然のことなのです。 「創造論」を信じるならば、「生きるすばらしい意味」と「生きるとてつもない希望」を持つことができるのです。◇ 佐々木満男(ささき・みつお):弁護士。東京大学法学部卒、モナシュ大学法科大学院卒、法学修士(LL.M)。
2011.07.10
コメント(13)
読みたい本(の一部)■ 「超能力」電子工学が解明したその神秘関 英男 東海大学教授 工学博士KAPPA BOOKS ―――― ◇ ――――現代の科学がすべての宇宙の真理を解明したわけでも無いとなれば、科学では説明できない超能力というものの存在も否定できないただ、超能力と言われているものの中にはユーリー・ゲラーのようなインチキも多く混入しているはずである古い本ではあるのだが、扉に「念力で曲げたスプーンの破断面は、物理的に曲げたそれとは異なっている」と書いているので読む気になった読み進めれば興味ある部分を引用してみたい■ 「生命は宇宙から来た」ダーウィン進化論は、ここが誤りだF・ホイル C・ウィックラマシンジ共著KAPPA SCIENCE ―――― ◇ ――――最近の研究で海底火山の火口あたりで生命の起源が発生した可能性が示唆されているだからといって、現在の地球上の生命体の祖先が宇宙から来た(隕石に付着して)という説が否定されるわけでもないもちろん、真実はひとつであろうが、平行して研究されるべきだろう
2009.03.15
コメント(6)
正月も二日目になった晦日と大晦日には、いろいろな仕事を一気に片付けるつもりだったのだが、初っぱなの晦日からつまずいてしまった昨年、初めて見たのだが、今年も仲間由紀恵さんの「ごくせん」の年末の一挙放映特集の一日目を見たのである去年もそうだが、軽く見るだけにするつもりなのに、それに原作は漫画の荒唐無稽なストーリーなのに、ついつい引き込まれて、一気に6話も見てしまったのである加えて、大晦日の二日目も、またも見てしまった筋は決まり切っているのだが、面白いのであるそれに水戸黄門や必殺仕掛け人のようにお約束ごとの物語は安心して (笑) 見ることが出来るのでストレスが無い仲間由紀恵さんはクセの無い清楚な美人だが、コミカルな役柄が一番似合うというのも面白い以前に、彼女がほぼ無名だった頃の日記を読んだが、この人の性格は、のんびりしていてあまり欲がない、沖縄的な「天然」の人だろうな、と思わせる内容だったこの日記のタイトルは「て~げ~日記」という「て~げ~」というのは、大和言葉に翻訳すると、「いいかげん」または「相当」という、二つの意味があるという漢字は「大概(たいがい)」つまりアバウトということか ―――― ◇ ――――琉球語は一節によると、平安時代に大和言葉と分離したと言われるただ、島毎の方言の差が非常に大きいらしいいわゆるガラパゴス現象である沖縄は独特の五音階の旋律を持っているが、直ぐ近くの奄美大島の旋律は、よく似ているように思えるものの、日本の音階であるらしいつまり日本側なのである逆に沖縄はやはり琉球側なのである今はDNA分析による日本人のルーツに関する本をいろいろ読んでいるが、一言にアイヌと言っても、単一のルーツではないといういろいろなんルーツがあり、DNA的にも雑多らしいとすれば、民族と言う概念も単に人類の流れの中の「途中経過」とでも結うべきものかも知れないまあ、琉球人はおおざっぱに言って、縄文人系であり、古モンゴロイドであることは確かなのだろうとは思うけれど、これも最新科学の読書を進めてゆくと、そう単純ではないかも知れない ―――― ◇ ――――ちょっとまえにRinnさんに現代の女優さんで好きなのはだれか?と聞かれたが、その時には、仲間由紀恵さん以外には思いつかなかったが、それ以前に木村佳乃さんも好ましいと言ったことがあったな彼女は女優さんと言うより社長秘書みたいな感じあんまり女優っぽくないように感じる帰国子女だと言うことだが、一度、テレビ英語をしゃべっているのを聴いたことがある全くネイティブそのものと言った、流ちょうできれいな米語だったまあ、こんな事を書いているのも、晦日からずっと酒を飲んでいるからであるこの頃、bonbon さんが不眠亭に通ってきているので、フランスや映画の話題が自然に増えた本当のことを言うと、私はフランスと映画は苦手であるそれほどよく知らないのであるそれでも、その周辺についてのトリヴィアとでも言うべき事は多少書けるかもしれないそれに私はどちらかというと犬型の人間で、猫型のフランス人とは相性がわるい ―――― ◇ ――――元旦の記事でbonbon さんへのレスでこう書いた-----越乃寒梅の味がおわかりになったそうで私は越乃寒梅を買いそびれて、代わりに楽天で越乃寒梅に優るとも劣らないと書かれていた「八海山」と、やはり銘酒の「久保田」を飲みました八海山は、全く期待を裏切りました寒梅とはちがって、とろっとした口当たりしかし、水のように味がない私が寒梅が好きなのは清水の湯にサラッとしていながら、私ごのみの淡いがシッカリとした「味」があるからです続いて「久保田」これは寒梅を濃くしたような味満足でありましたこれくらいにしといたるわ-----こう書いたのだが、元旦の夜に「八海山」を飲み直してみたら、味がちがっていたちょっと「久保田」のような濃い味になっていて、これもいけるのである私は飲み比べをしてみるとかなり味のわかる方なのだが、こんなに評価がちがうのははじめてである私の体調が影響したのだろうか?それとも、八海山もワインのように口を開けて、空気とマリーさせると本来の味がかもし出されるのだろうか?-----明日は箱根駅伝の往路であるしかし、午前中は所用があって、録画でしか見れないちょっと残念
2009.01.01
コメント(21)
文化に浸食される私たちの「顔」【復刻日記】師走ともなると、この私でさえ忙しくなって、時間がないしかし、この師走だから忙しいという現象は、なぜだろう?江戸時代までの商いは「つけ」が多かったから、年末はその「つけ」の回収が大事だった今も、「つけ」に追い回されている人も一部にはいるだろうが、全体としてはそのような商習慣は無くなりつつあるまた、昔は一家総出で行った大掃除というものも、マンション住まいの人が増えて、あまり見かけない考えてみれば、「いそがしい」の理由の大半は、年末であると言うことでは無くて、年末年始という大型連休があるために、その前にやるべき事が詰まってしまうだけなのではないだろうか?とにかく、昔とちがって、もう「ハレ」と言うものではなくなった正月であるほとんど「ケ」の日常の延長線上の世界である年末の大掃除もない年末の餅つきもない年末のお節料理の用意も今は百貨店・料亭などのものを買うから無い新年のいろんなものも、今はほとんど無いし~~んとした、無音の隣近所の世界もない年始の挨拶で近所をまわることもない家族の間でも改まった新年の挨拶もない二日目からの凧揚げや羽根つきや、カルタ取り、百人一首の遊びもない書き初めもない私的には昔のように家族で京都の旅館に泊まりに行く年末年始もない年頭にあたって念じる、今年の目標というものもない私個人としても、新年に特別の事をするとは思えないが、少しは正月らしいことをしてみたいと思うなにをするかは、現在、考慮中である久しぶりに神社に初詣もいいかもしれない旅行になるかも知れないが、高齢の両親を抱えているので、あまり遠くにも行けない多分、小旅行をして、写真撮影でもすることになるだろうと思うただし、正月の京都は混雑するから、避けた方がいいかも知れないまあ、酒を飲んで、お節を食べて、テレビの正月番組を見て、酔いが軽ければ読書と言うことまでは確かだろうと思う ―――― ◇ ――――【復刻日記】文化に浸食される私たちの「顔」毎日、知的思索を提示するアトムおじさんが、ブログでこういうことを書いている~~~~~~~~たぶん、人間の顔や体は、日常の動作や行為によって作られるものなのだろう学生時代の友人に何十年ぶりに邂逅すると、はっとすることがある顔が変化しているのだ「男の顔は履歴書」とは、ジャーナリストの大宅の名言だが、男も女も、いままで生きてきたものが顔に刻まれていくということは、確かにあると思う怒り、哀しみ、喜び、思慮深さ、軽薄、しまりのなさ、・・・怠惰な日常、緊迫した日常、愉快な日常、猜疑心ばかりの日常・・・それらが、長い時間をかけて、顔や体を作っている ~~~~~~~~恐ろしいことに!こういうことは確かにあると思う「同窓会で、一番顔つきが学生時代からちがってきているのは商社マンだ」という記事を読んだことがある「異文化」に接する機会が最も多い職業だからだと思われる私自身も、初めての海外駐在から帰って来た時に、家族にまで「顔が変わった」と言われた最近も外国人の様な顔をしていると言われたただし外国人の、韓国人のバーガール達に言われたのだが (笑) (笑) そう言えば、戦後日本に来た日系米国人はバタ臭い顔つきの印象が非常に強くて、戦後の邦画では「日系米国人役」専門の役者がいたハワイ生まれの二世で、バイヤーという役割である中国残留孤児の方々なども、失礼ながら、一見して、とても「日本人」と思えない泥臭い印象の「中国の農村部の人達」という風貌になっているしかしながら、よ~くその顔をながめてみると、やがてその中国の農民という顔の底に、紛れもない日本人の顔が見えてくる今回、日本国籍を求めて来日した日系フィリピン人の人達の場合は純粋の日本人では無く、父親が日本人で、母親場フィリピン人という混血のケースである普通のフィリピン人より、顔の骨格的に日本人の面影が認められる・・・という感じになっているが ~~~~~~~~つまり、その土地の、そのコミュニティーの「文化」が、「顔」をつくるのだ別の言い方をすると、私たちの「顔」は、○ 個人の内部の文化(精神構造)○ 周辺社会の文化に絶えず「浸食」されているのだ、とも言える ~~~~~~~~いや、さらに別の考え方をすれば、それに加えて、私達の内部の潜在的な「意志」や「願望」が、私達の肉体を少しずつではあるが、変貌させているのだと思う幕末、または明治時代初期の写真をみると、そこに前時代の日本人の顔が映っているそれは武士であったり、商人や駕籠かきであったりだが、何だか色黒であか抜けない、ちょっと猿のような、今の時代には見慣れない容貌の人達である戦後の日本人の身長の急速な伸びは、果たして「栄養の向上」だけが原因だろうか?もう一つの変化である「容貌の欧米人への近似傾向」、というものの原因はなにだろうか?島国の同族的な伝統意識の中で、日本人の眠っていた心が、アメリカなどの外国文化に身近に接して、ある意味で解放されて、それが肉体に反映されたのではないだろうか?個体の願望が肉体の形成に影響を与えるということがあると思う/b>
2008.12.21
コメント(23)
■海への隕石落下で生成か=生命起源の有機分子 一昨日、こういう記事をみつけた ―――― ◇ ―――― 海への隕石落下で生成か=生命起源の有機分子-衝撃実験で再現・物材機構と東北大 生命を構成するたんぱく質の材料であるアミノ酸などの生物有機分子は、原始地球の海に隕石(いんせき)が落下した際の衝撃で生成されたとの説について、物質・材料研究機構の中沢弘基名誉フェローや東北大大学院理学研究科の博士課程3年古川善博さんらが室内で火薬を使った衝撃実験を行い、再現することに成功した。 英科学誌ネイチャー・ジオサイエンス電子版に8日発表した。 生命の起源をめぐっては、米研究者ミラーらが1953年、原始地球の大気成分と考えられたメタンやアンモニア、水を含む気体中に、雷に相当する放電を起こし、アミノ酸などを発生させた実験が有名。しかしその後、原始の大気は窒素や二酸化炭素などが主成分の可能性が高いと分かり、前提が崩れた。 研究チームは、約45億年前に地球ができた後、38億年前までに形成された海が生命の誕生に不可欠だったと強調している。当時は地球や月に隕石が多数落下したことが、米アポロ宇宙船による月のクレーター調査などで判明している。 研究チームは、円筒形のステンレス製二重カプセルのすき間に、隕石成分の鉄と固体炭素、原始地球の海に当たる水と窒素ガスを封入。火薬で小さいステンレス板と衝突させる装置を使い、瞬間的に4000度前後、約60億パスカルの高温高圧状態にした。その結果、アミノ酸の中で最も構造が単純なグリシンや、有機分子のカルボン酸、アミンが生成されたことを確認した。(2008/12/08-10:57) ―――― ◇ ――――どうして地球の生命が生成したのか? には、諸説ある(1) 海底火山の熱水の中でアミノ酸が生成された(2) 墜落した隕石に付着した地球外の生命体が進化したこの二説が有力だったと私は思う今回の「海への隕石落下で生成か」という説は、上記の二説の混合体みたいなものか?しかし、その本質は(1)に近い地球外生命体と言う「逃げ」ではないしかし、こんな無機的な (笑) ことで、私たち、高度な有機体が生成されたというのも、ちょっと不満である (笑) こんな無機的なプロセスで生まれてきた生命体がどんどん変化して、ついには究極の生命体である人類が生まれてきたまあ、以前にも書いたのだが、人間の身体は、全て地球上にある元素で生成されていて、言いかえれば地球上の物質から出来ているのだから、人間も立派に「星」なのであるどうだっ!!「目からウロコだろう? えっ!?」威張ることもないなやっぱり、神(ユダヤ教の)がアダムをつくり、イヴはアダムのあばら骨から作られたってのはウソだったんだといっても、狂信的な米国の一部の州では、進化論を学校で教えることが法律で禁止されていて、聖書をそのまま信じている人間が大半だという思えば、この科学技術の時代に、大変な国であるもともと、本国(英国)でも、もてあまされた新教の原理主義者達が、米大陸で原住民を虐殺し尽くして建国したのがアメリカだから、ふつうの建国ではないはじめから、彼等の手は血塗られているそういう事もあらためて確認しておきたいニュージーランドやオーストラリアも似たようなものであるスペイン人やポルトガル人の中南米もほぼ同じ共通しているのは、キリスト教徒でないものは人間ではないという認識である人間でないから、煮ても、焼いても、喰っても平気事実、コロンブス達は親切にもてなしてくれた原住民を殺して食べているスペイン人やポルトガル人の征服者達は、動物に対してもしないような残虐な方法で妊婦や幼児を含む原住民達を殺しまくっている原住民達は、その残虐さの拠り所になったキリスト教にも征服され、敬虔なカトリック信者になっているザビエルのイエスズ会がその典型だが、キリスト教国の欧州以外への布教は、植民地開拓の尖兵であるまず、宣教師が乗り込み、次に軍隊が征服する日本のキリシタン禁制と鎖国は英断であった当時の日本が置かれていた状況を考えれば、正しい判断だったさもなければ、キリシタン大名が増え、日本は、アジア諸国同様にキリスト教国の植民地になっていただろうもちろん鎖国のディメリットもあるが、植民地になることを考えれば「よし」とせざるを得ない近代・現代においても人間の残虐性は衰えていない○ スターリンの数千万人の虐殺○ 毛沢東の農業の失政と文化大革命による数千面人の死○ ヒトラーのユダヤ人虐殺○ 米国の原爆投下○ ポルポトの数百万人の虐殺幾多の地球上の生命体がその生命を失い、ただの星の成分にもどってしまった
2008.12.16
コメント(12)
一昨日のエントリーで、この10年間ほどの期間に予想される大災害・大災難というものを列挙してみた~~~~~~~~~1) 米国のサブプライム・ーンに端を発した世界経済低迷による恐慌2) 新インフルエンザの地球規模の爆発的流行による大量の死者発生、およびそれに起因する社会構造の崩壊および世界恐慌(国連などによる保証付き?の予言である)3) 日本を襲ういくつかの大地震による大量の死者発生と社会基盤の破壊4) 地球温暖化による人類の生存条件の悪化(人類の破滅にも繋がりかねないほど深刻)5) 人口爆発に伴う民族間・国間の仁義なき資源争奪世界戦争6) イスラエル対アラブおよびキリスト教社会対イスラム教社会の相互憎悪によるエンドレスな対立・宗教戦争と、9.11のような大規模な想定外のテロリズム~~~~~~~~~もちろん、これは今のところ私が個人的に考えているだけのものだが、あるいは同時に、多くの人が、部分的に、このなにがしかを共有している不安でもあるだろうこの内の1)の、現在の世界同時株安による世界恐慌の可能性は、あり得るのだが、敢えて無いものとしてもいいと妥協してもいいと思う致命的なものではないかも知れないし、一時的なものかも知れない世界各国の協調によって、立ち直るかもしれないしかし2)の新インフルエンザの世界的大流行は、恐らく避けられないだろうというのも、鳥インフルエンザが変異して、全く免疫の無い新インフルエンザになって世界中に蔓延して大量の死者を出すというのは、数十年の間隔を経てくり返す、科学的な、医療的な「必然」だからであるインフルエンザの遺伝子はDNAでは無くて、恐ろしいスピードで変異をくり返すRNAという遺伝子であるから、変異を食い止めることがむずかしいのである過去も「スペイン風邪」「アジア風邪」「香港風邪」という大量殺人インフルエンザがジェイサイドをくり返している「スペイン風邪」(名前だけは「風邪」といっても、その実態は風邪ではなく新インフルエンザだが)は、第一次世界大戦の戦死者約100万人の約3倍の約300万人の死者を出しているこのために、第一次世界大戦が終了したと言われているほどである世界大戦どころではなかったのである現在のグローバルな人口過密な世界なら、その被害は何倍になることか?わずかにある希望は、現在、変異をくり返して強毒性の、しかも人の間で強い感染力を持つ新インフルエンザが発生する前に、医学的な遺伝子操作的な大発明があって、その変異を食い止めるか、または変異しても弱毒性の感染力の弱いウイルスに変身させてしまうことができるか?という所だろうと思うが、それは僥倖を待つようなものかも知れない~~~~~~~~~いずれにしても、あえて「経済」だけに絞って考えてみても1) 世界同時株安からの世界恐慌2) 新インフルエンザによる社会機能の崩壊による世界恐慌3) 日本の大地震による世界的経済のダメージ4) 地球温暖化のためのCo2削減による世界経済の停滞これらの世界経済に対する恐ろしいダメージの可能性をひとつずつ積み重ねてゆくと、その積み重ねられたものは、少なくとも「全人類を襲う世界的不況」というものにほぼ100%に近い、どうしても避けられない、 inevitable unavoidable なものである、またはそれに限りなく近い、ということを指し示していると思う少なくとも、私はそう思う~~~~~~~~~こういう事ばかり書く私を、とんでもないデマを流す男だと思う人もいるだろう人を不安に陥れるだけの人間だという人が多いだろうしかし、これは客観的な、科学的な、予見ではないだろうか?もし異論があれば、ぜひ感情的にではないコメントをいただきたいと思う私も考え直してみたいそれに、これが「現実味のない、ただの悪夢だ」となれば、「それほどひどいことにはならない」ということであれば、私が間違っているのであれば、私もうれしい本音である~~~~~~~~~ただ、もし「そうだな!」と思ったり、「同意!」したりする人は、次に、どうしたら個人的な被害をミニマムに抑えることができるか?ということを、今からよく考えるべきだろう世界的な不況になれば、失職の可能性も大きいだろう「富裕層」でもない、「年金生活者」でもない、そんな人びとが失職しながら、どう生きて行けばいいのだろうか?新インフルエンザや大地震が発生すれば、人的被害は確実に大量に発生するし、社会機能のマヒが一時的にせよ避けられないだろう第二次世界大戦のような日本が世界戦争に巻き込まれるという可能性は敢えて提示していないそれでも、限りある個人的な能力・資産では、耐えきれないほどの難事に立ち向かわなければいけない~~~~~~~~~ここが大切だと思うのだが、○ action plan を持つということ、、今こそ今こそつまり、計画を立てて、それを実行することだと思う実行してもかならずしもうまく行かないかも知れない「妙案」などはじめから無いのかも知れないなかなか、個人で出来ることでは無いとも思うしかし、考えて考えて、人事を尽くすということだ自分自身のため、家族のためなのだ~~~~~~~~~人間の前頭葉の、今まではマイナスに働いた、殺し合いに使われた「生存のために未来を読む」「計画を立てる」機能を、今こそ働かせる時だと思う長い人類の今までの世紀とは異なり、今世紀はイタリアのサッカーチームではないが、とにかく「守り」に全力を尽くさなければいけない世紀だと思うそこに、われわれのわずかな勝機も見えるかも知れない~~~~~~~~~新インフルエンザ問題や大地震の問題については、個々に、単独に論じられているしかし、まだ、これらを「総合的な、集合的な」「今世紀に特有な」問題としてとらえた「問題意識」を私は寡聞にして知らないだれも声高に言い立てていないようだしかし、集合的な難問になったからこそ、個々人の、同時に全人類の、生存の危機なのだこれは、「だれも助けてくれない」ことなのだこれが、「自己責任」だろう楽天には似つかわしくない話題かも知れないそれに、こんな大げさな、重い事を書いて、この責任はどうなるのだ?という不安もある書かなければ良かったことかも知れない
2008.01.31
コメント(4)
2008年の年頭にあたって、人生観が変わりそうである。というか、【やはりそうか!】と言うことでもある。爆笑問題の下記の番組が毎回、興味深い。その中で【生命とは何か?】という問題に関してのテーマ、本番組は見なかったのだが、年末にダイジェストで放送された短縮版を見たのだが、【目からウロコ】!!!だった。■ 今回の福岡教授によれば、私たち人間の体は分子レベルで観察すると、早い部分で数時間、遅い部分でも一年の間にすべて新しい分子に入れ替わってしまうという。私達の体は常に改修され続けているようなもので、食べることで得る様々な分子は体のあらゆる場所におくりこまれ、それまで体を構成していた分子と常に入れ替わりながら、また新たに体を築き上げて体を維持しているらしい。~~~~~~~~~最新科学とは、仏教と似かよっていると以前から感じていたが、本当にそうだ。キリスト教など、やたらにドグマをこねくり回した宗教とはちがう。【ゆく分子の流れは絶えずして またもとの命にあらず】こういう事なのである。人体に限らず、この世界の全てを分子・原子レベルで考えてみると、万物は流転するのである。万物が入れ換わるのである。今の私の身体を構成している分子は、一年もするとすっかり入れ換わり、他の生物または無生物を構成しているのである。我々は、常に我々自身と部分的なサヨナラをし続けているのである。われわれが、唯一無二の「自分」だと思っているこの【私】も、それほど【私】でもないのである。それは一瞬に過ぎないのである。祇園精舎の鐘の声、諸行無常の響き有り。沙羅双樹の花の色、盛者必衰の理を顕す。奢れる人も久しからず、只春の夜の夢の如し。猛き者も終には亡ぬ、偏に風の前の塵に同じ。・ ・・なのである。仏教のおしえる通り、この世は無常なのである。反対に、われわれが死んでも、それほどのことでもないのである。分子レベルでは、他のなにかになっているからである。仏教の輪廻の考えも、馬鹿には出来ないのである。 □□□□□□□□■ 爆笑問題のニッポンの教養 2007年10月2日放送~~~~~~~~~■ 福岡伸一(分子生物学者)今回訪ねるのは、生物の細胞内で起こる分泌現象の研究や、狂牛病の感染・発症メカニズムの研究などで知られる気鋭の分子生物学者・福岡伸一青山学院大学教授。彼は、長年の研究生活を通じてある一つのテーマを胸に秘めてきた。「生命とは何か?」という根源的な問いがそれである。今年「生命」についての思索をまとめたエッセイがベストセラーになるなど、彼がたどり着いた生命観が今、日本中の注目を集めている。■ 福岡伸一(ふくおかしんいち)1959年生まれ。青山学院大学教授。細胞の分泌現象・細胞膜たんぱく質解析を専門とする分子生物学者。また狂牛病などに代表される伝達性スポンジ状脳症の代表的論客として知られ、その原因とされる「プリオン説」に異を唱えている。2005年講談社出版文化賞受賞。2006年第一回科学ジャーナリスト賞受賞。福岡伸一のホームページ「福岡研究室」はこちら。http://www.chem.aoyama.ac.jp/fukuokalab/ (NHKサイトを離れます)~~~~~~~~~■ 以下は、alex99が、サブノートした番組の一部の会話○福岡 食物が体内に入ったら、いったい、どうなっているのか?の実験をした。食べたものが体内にとどまっているのに、ネズミの体重は一グラムも増えなかった。もともと体内にあった分子は分解されて、今食べた物の分子と置き換わったこれを動的平衡と名付けた。○太田 食べ物の分子が、人間の身体の分子と入れ換わるのですか?○福岡 そうです。もちろん細胞が死ねば、新しい細胞が出来て、細胞の中身は入れ換わりますけれど、細胞は生きているままでも、細胞の中にある分子は、常に分解され、捨てられて、食べる食べ物の細胞の分子と入れ換わっているんです。だから、一年も経つと、私たちの身体は、もとあった原子や分子はすっかり入れ換わっているんです。去年の私と今年の私は、同じ私のように見えても、分子のレベルでみると、すっかり入れ換わっている。地球全体の元素の量というものは、実は、ほぼ一定で、それがグルグル廻っているのが地球環境で、ある時は太田さんで、ある時は田中さん、ある時はミミズ・・・。○ 太田そぅすると、みんな同じ材料で、こういう机も、先生も、おれも、カメラも、分子レベルでは、まTGたく入れ替えることが出来るということですか?○ 福岡そうなんです。それ(分子)が、ガ~っと流れているのが地球環境で、それがある一瞬、寄り集まって、太田さんを作っている、田中さんを作っている・・・、と言う状態が、生命現象なんですけれど・・。・○ 太田必ず昔は、なんかだったんだね、この身体は・・・。○ 田中単に生まれたと思うんだけれど、なんかの分子なんだ。○ 福岡そうなんです。それ(分子)が寄せ集まって来て、私達は固体だと思っているけれど、ガスなんです。緩やかに分子が集まっている状態で、要素が入れ換わりながらも、ある一瞬、形作っている効果が生命ということなんです。今、私の生命は途絶えても、私を構成していた分子は、また他の生物や無生物の間を、くぐり抜けて、廻ってゆく訳です。終わりにこういうテロップが流れる。ゆく分子の流れは絶えずして またもとの命にあらず~~~~~~~~~以下は、番組のHPの記事。■ 爆笑問題の対戦感想田中:あの・・・マウスで実験して、食べ物の分子が体の隅々までいきわたって、体の分子と入れ替わるっていうのは、ホントびっくりしましたね。へえっーって思いましたね。すごいこと考える人がいるんですね。太田:生物の本質が「分子の流れ」だとすると、じゃ、人間はただの媒体でしかないのかなって思っちゃうんですよね。地球のすべては、限られた分子の循環の中にある・・・ということでしたけれども、僕が思うに、宇宙全部が常に繰り返しなんだと思うんですよ。太田:宇宙が始まってからもう100億年以上たっているらしいけれども、今日の福岡先生の話を広げれば、もしかしたら、ビッグバンのときから宇宙全体の営みを担ってきた分子が今、俺の体を形作っているかもしれないわけですよ。ずっと昔に宇宙を作ったエネルギーと同じエネルギーが、この世に満ちている。ビッグバンを発生させたものがここにもあるわけですよ。おれたちはビッグバンを作った一つの要素から成り立っている ■ ディレクター観戦後記最先端の科学へ挑んだ今回ですが、内容は「世界の本質」を問う極めて哲学的なものとなりました。ご出演いただく先生方の研究室は、本当にその個性を反映しているなぁといつも思うのですが、福岡先生の研究室もまさにそうでした。入って最初に見えるのは、敬愛するJ.S.バッハの楽譜!その隣には、オランダの画家・フェルメールの名作「牛乳を注ぐ女」の絵ハガキ・・・。この他にも美しいものを存分に楽しもうとする福岡先生のセンスを思わせる様々なものが出迎えてくれます。常々「科学者にも文学が必要だ」と主張されている福岡先生の研究室は、いろんな時代の芸術家がそれぞれのやり方で表現した作品と現代科学の営みを、重ね合わせて見つめていることが感じられる場所でした。今この時だからできる科学者の表現を真剣に考えている・・・福岡先生は取材して最も強く感じたのはそのようなことです。もちろん、真剣に考えているからといって、先生がいつも机にかじりついている・・・という訳ではなさそうです。研究室を見渡してみると天井には仏・ブルゴーニュ地方のワイン畑地図、そして、ロッカーの上には大切に額に入れられた「チーズ博士認定証」が・・・。実は、福岡先生のインスピレーションが生まれるのは、大地の恵みが凝縮されたワインを堪能している瞬間なのかも!?しれません。■ プロデューサーの編集後記福岡先生の「全ては『文体』の問題」とのお言葉、実に印象的でした。同時に、フランスの批評家、ロラン・バルトの「零度のエクリチュール」を思い出しました。その背景に価値評価を含まない“零度”の文体は存在しない、もちろん、人はその決して到達することのない理想の“零度”を夢想するのだが・・・なんて、フランス思想がご専門の方、勝手な解釈であったらごめんなさい。おそらくは、その夢=文体は時代によって塗り替えられていくものだという福岡先生ご自身おっしゃるところの「諦観」が、私に正に“零度”を思い起こさせたのです・・・。素人の妄想、つまらぬ連想ゲームであればお許しください。Yディレクターの観戦記にも「科学にも文学が必要だ」という福岡先生のご発言がありましたが、もう一歩調子に乗って言えば、「科学こそ文学になってしまい、文学こそ科学になってしまう」際どい瞬間があるのではないでしょうか。あるいは、「科学的過ぎて、文学になってしまう」と言うべきでしょうか・・・。そうしたダイナミックな逆説に触れる瞬間こそ、この番組の醍醐味だと思います。■ あるブログのこの番組に対する感想のようなものが目にとまった。 本番組を見なかった私には、無視できないので、コピーしておく。 MO(SBZ)の日記生物が生物である理由試験管 たんぱく質+DNA+生理食塩水 電気ショックを与えても『生命と無生物のあいだ』 たんぱく質科学:Howを説明 Whyを説明1953年 DNA:2重螺旋構造生命:自己増殖だけでないシェーンハイマー:食べたものが体に広がる 新旧分子が置き換わる:動的平衡1年で入れ替わる 去年の私と今の私は入れ替わり-違う地球の分子量は同量 取替え可能 地球環境 循環 一瞬形を作っているにすぎない ガス 千の風<輪廻転生じゃん>川が好き地球46億年の歴史自己同一性 あの時の自分は死んだ 時間 命の一瞬は二度と来ない 一瞬の命 クローンはないエントロピー:生命に襲い掛かる 先回りして壊し創生 秩序を守るメカニズム全部が決められている せっかく生まれてきたなら逆らいたい お釈迦様の手の上かもしれないが キリスト・仏陀・マホメット-宗教も文化を創ってきた文体の問題:科学も一つの説明 中世には針の上で天使が踊れるか 未来から見て同じことだ起こるのでは? 唯一私たちができること:文体Styleでどう語るかにすぎない 諦観が必要ここにずっといる 学問→自由 規制から脱却 新しい概念
2008.01.01
コメント(30)
2006年の4月に書いたものだが、昨日コメントをいただいたので【復刻日記】とする。【復刻日記】 ■人類の危機 「地球温暖化」および「地球シミュレーター」■ ただし、当時の記述と異なる事情がある。それは、この日記の中で中心話題となっている「地球シミュレーター」。現在は廃棄される予定だという。今となっては(といってもわずか二年未満だが)この膨大な数のスーパーパソコンの集合体は、国際的には、もっと最新の同様のものが作られていて、効率的に、性能的にもっと最新のものに交代させるのだという。これは、コンピューターの超スピードでの進歩の結果だという。■ 余談だが、現在の科学技術の進歩は、右肩上がりではなく、幾何級数的なものだという。現在、不可能とされている様々なことが、科学技術で可能とされるだろう。しかし、私たちの生命には、現在限りがある。その科学技術の発達の恩恵を受けるのは、もっと後世の人類達だろう。その前に、地球温暖化をなんとか克服しないと・・・。■ 地球温暖化の大部分は、人類が地球環境に及ぼしたインパクトの結果である。そのインパクトの歴史。○ 最終・狩猟の生活から、定住生活への変化○ 植物の栽培・農業のはじまり○ 原始共産主義から、富の集中○ 富が権力を得る○ その他今、「その他」を考える時間はない。
2007.12.23
コメント(8)
昨日の【幕末志士の死亡年齢】から、人間の『寿命』ということを考えてみた。とりあえず『ウィキペディア(Wikipedia)』。 ~~~~~~~~『寿命』出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』寿命とは生物の生命、またはその長さ。単純には、生まれてから死ぬまでにかかる時間のことである。一般的用法一般には、人間が生まれてから死ぬまでの時間のことを寿命という。しかし、この長さには非常に個人差があり、生まれてすぐ死ぬ人間もいれば、100年以上生きる人間もいる。しかし、極端に短い場合、大抵は事故であったり、病気であったりと不本意な理由があるから、「あれさえなければもっと生きていたろうに」というふうに考えるものである。したがって、人間は特に問題がなければ老人になって衰えて死ぬものだとの考えから、老衰で死ぬことを寿命と言うことが多い。80歳の人が死ねば、大抵は「寿命だからね」と言われる。■ alex99コメント>80歳の人が死ねば、大抵は「寿命だからね」と言われる。オイオイ! これはちょっと、血も涙もない、決めつけた言い方じゃない?もしあなたが80歳直前だったら、こんなことは言えないはずだ!!(私はまだ・・・、すこし時間の余裕あり)生物学的用法老化に至る時間は生物の種によって大きく異なるが、それぞれにほぼ一定である。条件を整えてやればより長生きするにせよ、それにも限界はある。したがって、その限界をもって寿命と考えることができる。ただし、生態学ではそういう風には考えない。たとえばアユを海水で育てると2年以上生き延びることが知られている。そこで、アユの寿命は実は2年くらい、というのは確かに正しいのであるが、実際の河川では、アユはほぼすべて1年で死亡する。その限りではアユの寿命が2年というのは実現されない数値であり、意味がないと考えられる。そこで、条件を整えてやった場合に実現する寿命を生理的寿命、その生物が実際に生活している場で見られる寿命を生態的寿命として区別する。■ alex99コメント私の生態的寿命は何歳なんだ?不安感増大。人間の場合人間の寿命は寿命を示す細胞によって決まるといわれており、それによると最長で150年とされる。しかし生没年月日が判明している者で、150年生きた者はいまだにおらず、ジャンヌ・カルマンの122年164日が最長である。そのため、120年前後ではないかとする説もある。 また、心拍数によって決まるという説もある。これは心拍数に上限があり、その上限が人間を含めたほ乳類は20億回で、それに達すると寿命だという。■ alex99コメント>心拍数によって決まるという説もある。これは心拍数に上限があり、その上限が人間を含めたほ乳類は20億回で、それに達すると寿命だという。コレも オイオイ! 私も一応、ほ乳類だ。私の心拍数は80を超すことが多い。やはり?心臓が弱いのだと思う。20億 割る 80 で、25,000,000 ・・・分さらに 60 で割ると 416,667 ・・・時間さらに 24 で割ると 17,361 ・・・日 さらに 365 で割ると 切り上げて 48 ・・・年あ~~~っ!私は48歳で(心臓の)寿命が尽きたのだ。なんと言うことだ。ここにいる私は、幽霊なのだ。
2007.12.05
コメント(7)
「野沢菜々子のざわざわ日記」を読んでいたら、目からウロコのことがあった。 ~~~~~~~~新聞を読んでいたらなにかの欄のところに90何歳かの現役ドクター日野原重明氏の言葉が載っていた。若い人(どのくらいが「若い人」なんだろう)向けの講演等で話すことというのはね。というような語り口のセリフであった。まろやかなことば。「とにかく、命というのは何かって。それは『使える時間』のことですよ」「あなたが、自分が、ひとが、使える時間のことですよ」たいへんシンプルなことばであるのに迂闊にもぐぐぐぐと感じるものがある。「時は金なり」とかよく言う言葉であるけれども「命は使える時間のこと」とまで言えてしまうのはとにかくすごいなあと思ってしまう。あまりにも真実で、それゆえに意識のどこかから抜け落ちてしまいがちな。自分の使える時間はあとどのくらいあるのだろう。つかってきた時間はほんとうに「使って」これたのだろうか。あああ。そんなことでナヨナヨと情けなくなり、次にはモリモリと頑張りたくなる。ばたばたばたと、じたばたばたと、生きるぞ。 ~~~~~~~~コメントにも書いたが、ちょっと言い換えるだけで、インパクトが全然ちがう。>「とにかく、命というのは何かって。それは『使える時間』のことですよ」>「あなたが、自分が、ひとが、使える時間のことですよ」『使える時間』!なるほどね~。最近、なんだか desperate 気味になってしまって(あれっ! 言葉の使い方、間違っているかな?)、時間を湯水のようにザブザブ使ってしまっていたので、この『使える時間』と言う言葉にはなはだしく「反応」してしまった。(同じように、成人病が進行しているのに、最近まで医療機関に行かなかった)この「反応した」という言葉の使い方は、実は私、なぜか、あまり好きではないんだけれど、この場合はピッタリだな~。「反応」したという言葉の使い方は、おそらく英語のブログでの使い方から来たのだろうと思う。In response to かな?いや、英語世界のブログ英語は、極端に省略された表現らしいから(読んだことがない)こんな堅苦しい表現は使わないだろう。同じ反応といっても react は、アクション、行動に使うのだろうと思う。 ~~~~~~~~あらためて・・・だが、『命』とは、『使える時間』か~。早めに???これに気がついてよかった~。(早めじゃ無いか?)(笑)人間は、一応、「時間」を、恣意的に、思うように使うことが出来る。いろいろな行動で、自分の命(=時間)を刻む。しかし、本当に、目的的に、効率的に、主体的に、使っているかというと・・・、疑問である。時計が無い時代の人間は、ローソクを、照明としてだけでは無く、「時間を計る」目的でも使った。江戸時代の吉原などの遊郭では、登楼する時には、ローソクを買った(らしい)。そのローソクの灯りがついている間は、遊女が客のものになる。ローソク一本で、どれだけ持ったのだろう?早漏の客は、・・・(以下省略)。「ローソク一挺(ちょう)」の「挺」が「チョン」になって、「チョンの間」になった(らしい)。ローソクは、当時、行灯より明るい贅沢品だった(らしい)。普通の家で泊まり客を迎えるときには、ローソクの明かりをご馳走した(らしい)。ポーランドで売っていたローソクは、パラフィンではなく、ミツバチの巣から作る蜜蝋のローソクである。 ~~~~~~~~ほとんどの人は、日常の中で、日常に埋没してしまって、自分の命が遊郭の「ローソク」の様に、だんだん、刻々と、短くなっていくことを、ごく「軽く」、しか意識しない。いや、四六時中、持続しては意識できないのである。目前の現実に引きずられて、近視思考になってしまうのである。はるか彼方から忍び寄る死霊の姿に気づかないのである。 ~~~~~~~~私もこれから、ローソクをそばに置いておこう。ローソクの胴に刻みを付けたら、もっと効果的かも知れない。本当は砂時計で充分かもしれない。砂時計というと、ほとんどが3分間のもの。しかしあるところで、さまざまな時間の砂時計を観たことがある。しかし、実際には、いくらローソクを用意していても、サドンデス(突然死)が私を襲うかも知れない。実際には私の命も、「風前の灯火」なのかもしれない。 ~~~~~~~~思うところあって、先ほど、夜の街に走り出て、こんな本を買った。『時間とは何か?』 タイムトラベルは可能か?NEWTON ムック 時間の矢 なぜ時間は過去から未来へ流れるのか? 時空を越えて 四次元時空の謎を解く旅は 時間の謎 楽しいときはなぜ時間が早く過ぎる?これさえあれば、私はみなさんよりずっと、命を貴重に刻むことができるのです。ローソクも買ってこよう。そういえば、一条さゆりさんて、いましたよね。同じさゆりでも(以下省略)。どちらが好きかであなたの人間性がバレる。赤塚不二夫とタモリの、イグアナ・ローソク・ショーも、印象的だった。
2006.11.01
コメント(14)
毎日、知的思索を提示するアトムおじさんが、ブログでこういうことを書いている。「形相を切る」>生まれつきだと思っているが、たぶん、人間の顔や体は、日常の動作や行為によって作られるものなのだろう。かつての友人に何十年ぶりに邂逅すると、はっとすることがある。顔が変化しているのだ。>「男の顔は履歴書」とは、ジャーナリストの大宅の名言だが、男も女も、いままで生きてきたものが顔に刻まれていくということは、確かにあると思う。>怒り、哀しみ、喜び、思慮深さ、軽薄、しまりのなさ、・・・。怠惰な日常、緊迫した日常、愉快な日常、猜疑心ばかりの日常・・・。それらが、長い時間をかけて、顔や体を作っている。 ~~~~~~~~恐ろしいことに!こういうことは確かにあると思う。>「同窓会で、一番顔つきがちがってきているのは商社マンだ」というコメントを読んだことがある。一番、「異文化」に接する機会が多いからだと思われる。私自身も、初めての海外駐在から帰って来た時に、家族にまで「顔が変わった」と言われた。そう言えば、戦後日本に来た日系米国人はバタ臭い顔つきの印象が非常に強くて、戦後の邦画では当時の普通の日本人の役者では無理と、「日系米国人役」専門の役者がいた。中国残留孤児の方々など、とても「日本人」と思えない。泥臭い印象がぬぐえない、「中国の農村部の人達」という風貌になっている。ただし今回、日本国籍を求めて来日した日系フィリピン人の人達の場合は純粋の日本人では無く、父親が日本人で、母親場フィリピン人という混血のケースである。普通のフィリピン人より、顔の骨格的に日本人の面影が認められる・・・感じになっているが。 ~~~~~~~~つまり、その地の、そのコミュニティーの「文化」が、「顔」をつくるのだ。別の言い方をすると、私たちの「顔」は、○ 「その人個人」の(内部の精神構造)「文化」や○ 「周辺社会」の「文化」に絶えず「浸食」されているのだ、とも言える。 ~~~~~~~~いや、さらに別の考え方をすれば、それに加えて、私達の内部の潜在的な『意志』が、私達の肉体を改造しているのだと思う。戦後の日本人の身長の急速な伸びは、果たして「栄養の向上」だけが原因だろうか?もう一つの変化である「容貌の欧米人への近似傾向」、というものの原因はなにだろうか?島国の同族的な伝統意識の中で閉塞状況だった日本人の『意志』が、アメリカ文化に身近に接して、解放されて、それが肉体に反映されたのではないだろうか?個体の願望が肉体の形成に影響を与えるということがあると思う。/b>
2006.10.28
コメント(14)
自分の棲んでいるこの世界を、「神様が作ってくださった」としてごく簡単に済ませることの出来る宗教の信者は幸せ?である。懸命に信心すれば、いずれは天国に行けるのだから。それでも、ま、それ相当のお布施を所属宗教団体に支払わなければいけない。積もり積もれば巨額になる。つまり、地獄の沙汰も金次第なのだ。宗教団体とは、自分が信じないことを信じさせて金を集める「集金マシーン」であると、私は考えている。それに、その教祖やトップたちは、その信者たちからのお布施で超豪勢に暮らしている。これこそ本当の「天国」かも知れない。教祖たちは、真面目で熱心な信者たちよりも、一足先に天国に安住しているのである。早めの「上がり」である。しかし、宗教など信じていない「不信心な」人間たちは、おおよそ科学が説明するこの宇宙の中に住んでいると自覚している。であれば、その人たちのために?「宇宙とは何か?」ということを、私が教えてやろう!と思ったが、どうも宇宙のことがよくわかっていない。この宇宙というものが137億年前にビッグバンにより誕生したこと、太陽系は約46億年前に出来たこと、その地球上で約36億年前にアミノ酸系の生命体が発生。ただ、この地球も膨張する太陽に数十億年後にのみこまれてしまうと言う。太陽は燃える水素ガスのかたまりである。地球が無事であるはずもなく、人類が無事であるはずはない。その前に地球上の気温が高温になり水分が蒸発してしまうだろう。それでも、天国は安全なのだろうか?地獄と大差ない世界になるのではないだろうか?宗教家たちの説明を待ちたいところである。そこで、毀誉褒貶はあるが、便利でコピーに問題ないフリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』の助けを借りて、独自に?宇宙を調べてみよう。 ~~~~~~~~「宇宙」出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 ~~~~~~~~宇宙とは、広義では森羅万象(あらゆる物事)を含む天地の全体、世界(universe)の意味と、哲学・宗教あるいは何らかの観点から見て、秩序をもつ完結した世界体系、コスモス(cosmos)の意味を持つ。また、狭義では天文学的、物理学的にみた宇宙と、地球の大気圏外の空間 、宇宙空間(outer space)の意味での宇宙がある。★ 概要漢代の書物「淮南子天文訓」によると「宇」は空間全体をさし、「宙」は時間全体(過去、現在、未来)を意味し、「宇宙」で時空(時間と空間)の全体を意味する。また、別の一説によると、「宇」は「天」、「宙」は「地」で「宇宙」で「天地」のことを示すと言う。哲学、宗教的観点からみた場合、宇宙全体の一部でありながら全体と類似したもの(人間などをそう捉えるときがある)を小宇宙と呼ぶのに対して宇宙全体のことを大宇宙と呼ぶ。天文学的に見た場合、宇宙は、すべての天体・空間を含む領域をいう。小宇宙(銀河)に対して大宇宙ともいう。観測できる領域は宇宙の地平線の内側に限定されるが、大宇宙はそれよりはるかに大きいと考えられている。物理学的に見た場合、宇宙は、物質・エネルギーを含む時空連続体のまとまりである。現代物理学では「宇宙」はもはや物理学的な「世界」全体ではありえず、生成・膨張・収縮・消滅する物理系の一つにすぎない。理論的には無数の宇宙が生成・消滅を繰り返しているとも考え得るものになっている。この項目では、主として天文学・物理学的に見た宇宙について述べる。★ 宇宙の年齢・大きさ宇宙 (Universe) とはわれわれが暮らしている物理的に認知可能な最大範囲を指す言葉である。2003年に発表されたNASAの宇宙背景放射観測衛星WMAPの観測結果によれば、宇宙は約137億年前に生まれたと推定されている。宇宙の大きさを定義することは難しいが、「我々の宇宙は一様かつ等方である」という宇宙原理が正しいと仮定し、「宇宙の天体は2天体間の距離に比例する速度で互いに後退している」というハッブルの法則が宇宙膨張に起因するものだとすると、我々から見た天体の後退速度が光速に等しくなる距離を、我々が認識できる範囲という意味での「宇宙の大きさ」と呼ぶことができる。この意味での宇宙の大きさは、光が宇宙年齢の間に進むことができる距離となるため、上記の最新の観測結果によれば約137億光年と言うことになる。 これよりも遠くに存在する「もの」は我々から光速より速く遠ざかることになるが、相対性理論によれば光速よりも速い速度で伝播するものは存在しないため、これらの「もの」に関する情報は我々には決して届かない。このため、この距離を宇宙の地平線と呼ぶことがある。★ 宇宙の膨張我々の宇宙は膨張を続けていることが分かっている。1929年にハッブルが遠方の銀河の後退速度を観測し、距離が遠い銀河ほど大きな速度で我々から遠ざかっていることを発見した(ハッブルの法則)。一方、これに先立つ1915年にアインシュタインによって一般相対性理論が発表され、エネルギーと時空の曲率の間の関係を記述する重力場方程式(アインシュタイン方程式)が見出された。これを受けて、宇宙は一様・等方であるという宇宙原理を満たすようなアインシュタイン方程式の解が、アインシュタイン自身やド・ジッター、フリードマン、ルメートルらによって導かれたが、これらの解はいずれも時間とともに宇宙が膨張(ないしは収縮)することを示していた。当初、アインシュタインは宇宙は定常であると考えていたため、自分が見つけた解に定数(宇宙定数)を加えて宇宙が定常になるようにしたが、後にハッブルによって観測的に宇宙膨張が発見され、膨張宇宙という概念が定着した。★ 宇宙の誕生と死宇宙の始まりはビッグバンと呼ばれる大爆発であったとされる。我々から遠ざかる天体の速さは我々からの距離に比例する(ハッブルの法則)ため、逆に時間を遡れば、過去のある時点ではすべての天体は 1 点に集まっていた、つまり宇宙全体が非常に小さく高温・高密度の状態にあったことが推定される。このような初期宇宙のモデルはビッグバン・モデルと呼ばれ、1940年代にガモフによって提唱された。その後、1965年にペンジアスとウィルソンによって、宇宙のあらゆる方角から絶対温度3度の黒体放射に相当するマイクロ波が放射されていることが発見された(宇宙背景放射)。これはまさに、宇宙初期の高温な時代に放たれた熱放射の名残であると考えられ、ビッグバン・モデルの正しさを裏付ける証拠であるとされている。しかしその後、宇宙の地平線問題や平坦性問題といった、初期の単純なビッグバン理論では説明できない問題が出てきたため、これらを解決する理論として1980年代にインフレーション理論が提唱されている。また、量子論によれば、発生初期の宇宙には、真空のエネルギーに満ちており、それが斥力となり宇宙膨張の原動力になった。膨張する我々の宇宙がこの先どのような運命をたどるかは、アインシュタイン方程式の解である宇宙モデルによって異なる。一般に、一様等方という宇宙原理を満たすような宇宙モデルには、空間の曲率が0の平坦な宇宙、曲率が正の閉じた宇宙、曲率が負の開いた宇宙の3通りが可能である。平坦な宇宙か開いた宇宙であれば宇宙は永遠に膨張を続ける。閉じた宇宙であればある時点で膨張が収縮に転じ、やがて大きさ0につぶれる(ビッグクランチ)。2005年時点での最新の観測結果によれば、宇宙は平坦な時空であり、このまま引き続き広がり続け、止まることはないと考えられている。宇宙が平坦であり永遠に膨張を続けるということは、最終的に宇宙は絶対零度に向かって永遠に冷却し続けることを意味する。宇宙の終末に関するより詳細な議論は宇宙の終焉を参照の事。★ 宇宙の階層構造我々の住む地球は惑星のひとつであり、いくつかの惑星が太陽の周りを回っている。太陽とその周りを回る惑星、その周りを回る衛星、そして小惑星や彗星が太陽系を構成している。 太陽のように自ら光っている星を恒星という。恒星が集まって星団を形成し、恒星や星団が集まって銀河を形成している。銀河は単独で存在することもあるし、集団で存在することもある。銀河の集団を銀河団といい、銀河団や超銀河団の分布が網の目状の宇宙の大規模構造を形成している。網の目の間の空間には銀河はほとんど存在せず、超空洞(ボイド)と呼ばれている。★ 宇宙の年表宇宙の年表は、科学的な推測に基づいた、現在までの宇宙で起きた出来事の年表である。なお、宇宙の未来については、宇宙の終焉を参照のこと。年表 137(±2)億年前: 宇宙がビッグバンで始まる。 これは、標準的な宇宙モデルに対して、NASAのWMAPのデータを適用した結果である。なお、WMAPのもの以外にも、地上望遠鏡による可視・赤外線観測結果なども用いられている。 ビッグバンから10-44秒(プランク時間)後: 超統一力から重力が分かれる。 ビッグバンから10-36秒後: 大統一力から色の力が分かれる。インフレーションが始まる。 ビッグバンから10-34秒後: インフレーションが終わる。 ビッグバンから10-10秒後: 電弱力から弱い力が分かれる。 ビッグバンから10-6秒後: クォーク・ハドロン相転移が起こる(色の力から強い力へ)。 ビッグバンから1秒後: 重水素の原子核の合成が始まる。 ビッグバンから3分後: 原子核の合成がヘリウムで終了する(ごく少量のリチウム原子核も合成された)。 ビッグバンから38万年後: 陽子が電子を捕らえ、原子が誕生する。 これにより、電子と相互作用しにくくなった光子が長距離進めるようになった。これを宇宙の晴れ上がりという。 ビッグバンから約1~8億年後: 最初の銀河が形成される。 ビッグバンから約2~10億年後: 天体から出される紫外線により、宇宙を満たす中性水素ガスが電離する(宇宙の再電離)。 ビッグバンから約70億年後: ダークエネルギーにより宇宙の膨張の仕方が減速膨張から加速膨張に変わる。 現在: ビッグバンのなごりとして2.7Kの宇宙背景放射が観測される。 年代の推定に関する問題1990年代途中までは、宇宙の膨張(ハッブル定数と減速膨張)から算出される宇宙の年齢が約80億年、球状星団の年齢が140億年以上(したがって宇宙の年齢はそれ以上)と推定方法により結果が大きく異なり、宇宙論の大きな問題点だった。しかし、宇宙の膨張からの算出は、ダークエネルギーによる加速膨張を考慮する必要があることが解り、球状星団の年齢も、観測結果の解釈の見直しによる120~130億年であることが解った。2006年現在では、WMAPのデータ以外から算出される宇宙の年齢も137億年に近い値になっており、以前に比べれば正確になっていると考えられる。しかし、宇宙の最初期に関しては、物理法則と現在の宇宙の状態からの推定であり、直接的実験もしくは直接的観測で確かめられたわけではない。そして、今後新たな現象が発見され、現時点では予測不能な物理法則があることが分かったり、現在予測されてはいるものの未解明の力の統一理論などの詳細が分かることなどにより、宇宙モデルが修正されるかもしれない。そのようなことが起こった場合、上記の宇宙の年齢や宇宙の最初期の状態は見直されることになるかもしれない。
2006.09.10
コメント(6)
NHK教育の「サイエンス・ゼロ」という、深夜の番組がある。タレントの眞鍋かおりさんが出ているのだが、いわゆる科学番組である。おとといには、「地球温暖化」および「地球シミュレーター」についてであった。「地球シミュレーター」については、下記を参照されたい。 ~~~~~~~~地球シミュレータ出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』地球シミュレータはNEC製のSX-5をベースマシンとするスーパーコンピュータである。神奈川県横浜市金沢区の海洋研究開発機構横浜研究所 地球シミュレータセンターに設置されている。地球規模の環境変動の解明・予測を目的として、科学技術庁(1998年度当時)が開発開始し、2002年3月15日に運用を開始した。台風など気象予測の精度を大幅に改善し、災害の予報に活躍することも期待されている。地球温暖化など、文字通り地球規模での今後100年間の環境変化のシミュレーションなどの計算にも利用されている。(後略) ~~~~~~~~この「地球シミュレーター」は、現実には途方もない巨大な建物の集合であって、その中にはスーパー・コンピューターが無数に、ギッシリと設置されている。性能としては、一秒間に40兆回の計算が可能だという。これは日本国民すべてが、一秒間に40万回の計算を電卓でするのと同じだそうである。天文学的な数字である。経費は500億円ほどかかったそうである。これは、私のポケットマネーでも何とかなる。(訳はない)。地球の全表面を、20km 四方のグリッド(格子)に分けて、各々の変化を計算するのである。これはすごい。地球温暖化については100年先の地球環境をシミュレートしている。100年後の地球の温度を、計算して予想するのである。 ~~~~~~~~それによると、地球の温度は、平均して2.5度から4.5度、上昇するそうである。2.5度から4.5度というのは、与件や計算式による誤差である。しかしこれは、平均であって、地域によって上昇温度は激しくちがうという。例えば、北極は10度も上昇するそうである。北極は、氷雪により太陽光を反射するので、熱吸収率が低いのだが、いったん氷雪が溶けて黒い地表が露出すると、熱吸収率が飛躍的に上昇する。その結果、10度ほども急上昇するという。恐ろしい話である。もちろん、北極の氷山はどんどん溶け出して、海面は急上昇するだろう。この反対に、熱帯地方はそれほどの上昇を見ないだろうという。北極のような、条件の急変が無いからである。 ~~~~~~~~地域によって、温度上昇による被害が異なるという。暑くなることで先進国は、大きな影響を受ける。高温に慣れていない事もあって、環境の急変に、人間がついて行けないで、熱波によって死者が大量に出る。熱帯近辺では、もともと暑いのだから、住宅も生活様式も暑さには強い。日本では、春夏秋冬の四季が、春夏秋の三季になるという。夏の期間が、半年ほどに長くなるという。その日本の中でも、温度上昇が激しいのは都市部分である。一般に土地が乾燥化する。土壌水分が減少する。それまでは、土壌水分が温度をレギュレイト(調節)していたのだが、その機能が制限される。砂漠が急拡大するだろう。二酸化炭素 CO2 は、現在の 379ppm から、条件により 540ppm ~ 970ppm に増加。昨年、アメリカで猛威を振るったハリケーンや台風などの熱帯性低気圧は、海面温度上昇により、さらに巨大なものが多数発生する。 ~~~~~~~~48億年の地球の歴史からいえば、地球は、火の玉であったり、全面凍結した氷の玉だった時期がある。だから、昨今の変化など、地球の歴史からいえば「ほとんど変化と言えるレベルでは無い」とも言える。しかし、少ないながら、小さいながら、変化が起きている。問題は、「変化の大きさ」ではない。その「変化の起きるスピード」である。変化のスピードが、今までの地球の自然な物理的変化と比較すれば、「比較にならないほど早い」ことである。あきらかに、地球の歴史上初めての、「人類が及ぼした変化」である。以前にも書いたが、この今の地球環境というのは、人類が生存できる、究極のデリケートな、綱渡り的な好条件があってこそである。例えば、温度は100度になれば人類は生存できない。湿度だって、10%であったら生存できない。その他、酸素濃度、二酸化炭素濃度、紫外線、海の存在・・・・。そのいずれがすこしでも狂えば、人類は滅亡する。他の恒星に逃れるなどといっても、ノアの箱船なら一隻でいいだろうが、全人類を運ぶロケットなど、出来っこない。これも以前に書いた、地球温暖化効果においては二酸化炭素と比べものにならないほどすごい「カーボンハイドレード」が、海底やシベリアの永久凍土から溶け出して、その悪循環が始まっては、人類の終わりである。しかし、現状は、なんの手も打てていない。アメリカは京都議定書を拒否している。各国はエゴの張り合いである。いわゆるチキン・レースであって、このままでは、全人類、玉砕必至である。
2006.04.12
コメント(4)
先日のテレビで見たことだが、face to face の、対面による会話をしている人間の脳は、左脳も、右脳も活動しているそうだ。特に、右脳の特定の一部の個所に、活動が活発な部分があるという。これに対して、手紙などの交信では、左脳だけだそうだ。ネット上の交信に、大いに意義を感じている私だが、これは本質的に手紙の交換と同じだろうと思う。決して、生身の人間同士の対面会話のように右脳が活動しているとは思えない。対面会話 face to face /in person では、視覚で、目で、相手の表情を読み取っている。相手のコメントは、単なるコメントでは無く、表情をともなった表現である。それが、それほどのちがい、右脳の活動、を生むものなのか? ~~~~~~~~考えてみたら、人類の歴史において、最初の交信は、声によるものだった。直立歩行することによって、喉の奥にスペースが出来て、声が反響して、子音だけでなく母音も発音できるようになり、大きな声で言葉を伝えることが出来るようになった。言葉による伝達や交信、つまり対話ができるようになった。 ~~~~~~~~紙が発明されて、手紙や新聞が人間の世界に入ってきたのだが、一方通行的に「読む」という行為と、言葉で面と向かって対話することでは、どうして右脳の参加がちがってくるのだろう?
2006.03.21
コメント(30)
シャルドネさんが、「あきらめなさい」という日記を書いている。最近、私とシャルドネさんと、マリージョーさんがしきりにテーマにしている「地球環境の悪化と人類の滅亡」というテーマである。この日記に対する、私のコメントと、それに対するシャルドネさんのレスをコピーしたい。 ~~~alex99のコメント~~~~~石油に変わる次世代エネルギー資源として期待されている「メタンハイドレード」は、海底やシベリアの永久凍土の中、ほぼ無尽蔵に眠っていますが、地球上の気温上昇によってこれが溶解して、気化して、メタンガスとなると大変です。メタンガスによる気温上昇で、地球上の温度は急上昇し、さらにその温度の上昇で、さらにメタンハイドレードが溶解するという、止めようの無い悪循環が予想されます。ひとたびこの悪循環が始まれば、温度の上昇がどれほどになるのか?少なくとも、いつかは人類が生存不可能なところまで上昇することは、間違いなさそうです。気温上昇にともなって、水・食料・水没する土地などの「資源」の取り合いで、買い占めどころか、世界戦争が起こりそうです。人口の爆発的な自然増加も、資源争奪に拍車をかけるでしょうが、間もなく、環境の悪化によって人口も激変、いずれは死に絶えるでしょう。 ~~~シャルドネさんのレス~~~~~富の争奪戦が、世界に平衡的に分散しているものと違って食糧の場合は、すでに流通が寡占化しつつあるという風に思われます。すると、資源戦争というよりも叛乱抑圧戦のようなものになるのではないでしょうか?いずれにせよ、困った諍いは絶えそうにありません。それと、示威としてのサイバーテロは頻発することかと思います。ネットで、手探りの市民的対話機運が出てきても一瞬でかき消されそうです。いやはや。なにしろパソコンを使うということが、反自然的で、きわめて格差社会助長的行為なんですから。(笑) ~~~alex99のコメント~~~~~食料に限らず、資源を寡占状態にしている国は、同時に軍事大国でしょうが、例えばアメリカの小麦は、地力が衰えてきており、近未来に収穫量が激減するそうです。そうなれば、資源の正規の持ち主がどの国であろうが、資源争奪のための、サバイバルのために、仁義なき戦争が始まると思います。すでにイラクでは石油に関してそれが起こっていますしね。平和とか、正義とかはお題目になり、軍事力がますます生存の条件になりそうです。しかも自衛ではなく、侵略目的の軍事力が。日本の満州への進出も、結局は資源目的でしたし、世界の戦争の歴史は、植民地主義を始め、ほとんどそうでしょう。 □□□□□□□□また、私、alex99がマリージョーさんの日記に書いた、ほぼ同じ内容のコメントを下記にする。 ~~~~~~~~人類生存の条件というのは、物理的に極めて厳しい条件がいろいろあって、人類の生存は、現在に於いても「綱渡り」状態なのです。メタンハイドレートというものがあります。一定の物理条件下で形成されるメタンと水が結合し、シャーベット状になったもの、天然ガス、石油等に代わる次世代のエネルギー源として期待されています。このメタンハイドレート層は、極域も含めた大陸縁辺部の海底下に大量に存在していますが、何らかの原因(温暖化が主な原因です)によって崩壊し、気化してメタンハイドレート由来のメタンが大量に大気へと放出されると、温暖化を加速させます。この結果、気温や海水温が一定以上上昇すると、このメタンハイドレートがまた溶けて大気中に発散し、地球温暖化を急速に高めるという悪循環になる危険性があります。温暖化を食い止めることは、今からでは遅すぎるというのが、おおかたの科学者の意見です。 □□□□□□□□私、alex99の考え方は、非常にペシミスティックだが、実は、おおかたの科学者の予想がやはりそうなのだ。今から、ほとんど何をしても遅すぎるという意見が大半なのだ。ただ、火事場の馬鹿力のような、窮鼠猫を噛むような、そんな科学的な大発明が続けば、一縷(いちる)の望みがあるかも知れない。
2006.03.15
コメント(12)
アトムおじさんの日記で、船井氏について触れられている。 ~~~~~~~~船井幸雄という、経営コンサルタントがいる。人間のスピリチアルな部分と経営を結びつけている人で、一部にファンのあるカリスマ性ある経営コンサルタントだ。彼の本を眺めていると、経営コンサルタントというのも、霊能者に近いのかなあ、と思うことがある。(中略)その船井幸雄が21世紀の鍵を握るとした13のコンセプトというのがある。以下、紹介する。1、 健康2、 美3、 安全4、 ローコスト、ハイクオリテイ5、 本物(蘇生化)6、 水とセラミック7、 バイオ、波動、AI技術(人工頭脳、ロボット技術)8、 エコロジー9、 統合化10、共生化11、仲間作り12、節約(もったいない・・という思考)13、自然と良心この13だそうだ。 ~~~~~~~~私はこの船井という人をそれほど知っているわけではないが、たしかになんだか、説教臭い人物だという印象がある。せっかくの船井氏の13のコンセプトだが、敢えてなんくせをつけてみると、こういうコンセプトは、だれでも考えつくことだと思う。とはいえ、平常時であれば、上記の13のコンセプトを考えることには、意義があるはずなのだが、この21世紀では、こういう事をのんびりと考えている状況ではないかも知れない。と言うのも、「21世紀の鍵を握る」という事であれば、21世紀の鍵をにぎる、つまり、最大の問題は、人類全体にとっては、「宇宙船地球号」、つまり地球の「温暖化」が最大にして究極の課題だと思う。私達の子供、または孫の世代が生存できるのか?という厳しい状況なのだ。生存数はともかく、人類がなんとか生き延びてこそ、21世紀があるのだが。21世紀で人類の生死が決まる。22世紀があり得るのか否かが決まる。これが、赤裸々な現実だと思う。「メデュース号の筏(いかだ) The Raft of the Medusa」 という名画がある。これは、下記の実話を描いたものである。1817年、アフリカ沖で、一隻の軍艦が指揮官の無能によって座礁する。乗員400名のうち救命艇に乗り切れなかった150名は、にわか造りの筏に収容され、他の艇に見捨てられる。筏は洋上をあてもなく漂流し、嵐、仲間割れ、病気、発狂、自殺などにより乗員は激減。救出時の生存者はわずかに15名を数えるのみであった。発見時、筏のマストには干した人肉がぶら下がっていたと言う。 ~~~~~~~~21~22世紀には、いろいろ恐ろしいことが起こりそうである。温暖化によって、人類にとって極めて不幸なことが起こりそうである。○ 人類同士で、資源の争奪戦、つまり、世界戦争が起こりそうである。○ そう言う状況であれば、米国など軍事大国が有利だろう。○ 海面の上昇で、海に沈む島国があるだろうし、陸地が何割も水没するだろう○ 少なくとも、現在の沿海の都市は水没するだろう○ 現在の港湾設備も水没して、世界の交易は大きく損なわれるだろう○ 高温・乾燥で、土地が荒廃し、不作になって、食料危機が到来する○ 水資源が欠乏する○ 魚の何割も食べてしまうクジラの解禁が決断されるだろう○ 日本では、平野部のかなりの部分が水没して、人々は山に向かってゆかなければならない○ 水没した陸地の住民が残された土地に移住し、紛争が起こるその他にもいろいろあるだろう。そう言うことを経験する前に死ぬ方がいいかも知れない。
2006.03.05
コメント(4)
【復刻日記】人間は、ひとつの生物種であると同時に、文化の獲得という他の生物種にはない特徴を持つ種である
2006.02.03
コメント(5)
このところ、耐震設計偽装事件やライブドア粉飾決算など、日本中を震撼させる大事件が続いているが、地球規模で考える大変化というものは、そんな程度で済む問題ではない。・・・ということで、【復刻日記】人類の生存条件としての地球 を、本日の日記、第一弾として。ちょっとズルだけれどね。
2006.01.19
コメント(0)
昨日のマドンナ論?で疲れたので、今日はとりあえず【復刻日記】を再現。この日記は本文が短く、その割に多くのコメントをいただきました。したがって、本文は一応、下に再現しますが、コメントをお読みになりたい方は、下の「【復刻日記】 一万年の戦争・テロと引き換えに?」と言うリンクをクリックして読んでください。なお、主文は少し修正しています。また、原題は「一数万年の戦争・テロと引き換えに?」でした。 ~~~~~~~~【今回の復刻にあったっての追記】今、よく考えてみると、人類の生存は、数万年も持つかという問題がある。「宇宙船地球号」の地球環境が、温暖化などによって、人類の生存を許す環境レベルにとどまるか?という疑問があるからである。しかし、今これを論議してもしかたがないので、とりあえず【復刻日記】を再現することにする。 ~~~~~~~~リンク【復刻日記】 数万年の戦争・テロと引き換えに? ~~~~~~~~いくらきれい事を言っても、人類の闘争・戦争の歴史は、常に人類の存在と共にあったもの。現世人類は、戦争という闘争のフィルターをくぐって生きてきた戦勝組だ・・・とも言える。同時に、原始時代の狩猟も、見方を変えれば、人間による動物へのコンスタントな虐殺の歴史であり、世界平和を祈る人々も、動物愛護や捕鯨禁止を声高に唱える人々も、その先祖をたどれば、この殺戮による獣肉をむさぼって生き延びてきた祖先を持つという、暗い過去?がある。狩猟は、闘争・戦争へのシミュレーション・予行演習の側面もあり、闘争・攻撃本能無しには出来ない作業だ。私から言わせれば、静謐な高尚な趣味として見られている「釣り」だって、狩猟の一部だと思う。これらの「闘争本能」や「狩猟本能」が脳内にあったからこそ、現世人類は、「食料を確保」し、すでに絶滅した他の人類、つまり『猿人』『原人』『旧人』などとの「戦争に勝利」し、生存競争を生き抜いてきたのだ。 ~~~~~~~~人類の脳は、何度かの過程を経て重層構造になっている。人類は爬虫類・原始哺乳類などの過程を経て霊長類になったのだけれど、脳もその進化?の過程通り、爬虫類の脳・原始哺乳類の脳、それに霊長類となって形成された新しい脳が重なっている。この古い脳・新しい脳はその機能がちがっている。言い換えれば、各々に限界があるということだが。例えば、爬虫類の脳は、攻撃的で、単純な繰り返しの行動しか指令できない。新しい脳は、古い脳の機能を補完するという。霊長類の脳は、爬虫類の脳の攻撃性を制御しようとするが、この新しい脳はまだこの攻撃性を充分制御するまでに発達しておらず、この新しい脳が自然に発達して、攻撃性の制御が可能になるまでには、少なくとも、もう数万年以上の年月が必要だという。とすれば、私たちはまだ、数万年ほどは、闘争と殺戮の世界を生き抜かなければならないんだろうか?それとも、例えば、「DNA操作」などの手段を通じて、人類の闘争本能のコントロールに手を付けなければいけないのだろうか?もちろん、後者は極めて危険な手段で、すでに神の領域だとも思えるが、「数万年の闘争と殺戮の世界」と引き換えに、私たちはこのこの危険なステップに踏み出さなければならないのだろうか?
2005.10.15
コメント(0)
先日の日記で、海水淡水化プラントについてちょっと触れた。ついでだから、みなさんになじみの薄い「海水淡水化プラント」について、「水資源の問題」と共に、・・・コホン! ちょっと講義をしてみようと思う。これも実は、アトムおじさんさんの「哲学講義」に、ライバル心と嫉妬心を刺激されてのことである。アトムおじさんは、実際に教室で講義しているそうだ。アカデミックじゃないか! 実にけしからん話である!それに私は学生時代に成績がよかったためしの無い男だから、「講義する」なんて身分を想像すると、舞い上がりそうな気になる。やはり「講義」なんて、響きがいいではないか!私は海水淡水化プラントや発電所などの中東地域での受注活動をする営業マンであったので、わずかな知識はあるのだが、技術屋ではないから、実は講義するほどの知識ではない。脱塩の原理を少し知っているという程度だ。そこで、いろんなブログから知識を得て、補強しながら、ゆるゆると講義してみよう。 ~~~~~~~~まずは、水のありがたさである。「日本人は水と自由と安全は、タダだと思っている」と書いたのは、イザヤ・ベンダサン、つまり山本書店の山本七平氏だが、日本はまことに「水」と「自由」と、「安全」に恵まれた国である。もっとも「自由」については、ある種の強いタブーが存在するので、本当に自由とは言えないが、日本人は権力に弱いから、これはしょうがないかも知れない。「安全」についても、多発する中国人犯罪によって、日本の安全神話は、崩壊状態。交通上の安全は、まあ別問題だろう。ただし、北朝鮮の核ミサイルと、ますます敵対化する中国との国際関係は、とても安全とは言えない。北朝鮮やアラブの潜伏テロリストによるテロも心配だ。残る「水」は、幸い神話のままだ。少なくとも私はそう思っている。私は商社勤務だったので、30何カ国を訪問したが、ごく普通の水道水が、何の心配もなく飲める国は少ない。多分、スイスなどの山岳国あたりは、かなり良質の水質の水道があるのだろうけれど、それは例外だろうと思う。だいたい、どの国も、水道水の源泉となる水の水質が悪いのだろうと思う。それに味もわるい。それに比べて、日本の水道水は安心して飲める。味には多少の違いがあるかも知れない。例えば、大阪の淀川水系の水はマズイ。しかし、同じ大阪でも、兵庫県との県境地帯は、良質の水が水源で、ミネラル・ウォーター並の味である。ところで、大阪府民の平均寿命は短い。あるサイトからの引用だが、府県別の平均寿命である。 ~~~~~~~~国内の長寿県は、男性はトップ長野、二位福井、三位奈良、四位熊本、五位神奈川 女性トップは沖縄、二位福井、三位長野、四位熊本、五位島根。短命県はワーストワンは 男性 トップ青森、二位秋田、三位高知、四位佐賀、五位大阪 女性ワーストワンはやっぱり青森、二位大阪、三位栃木、四位茨城、五位福島。 ~~~~~~~~こういうデータがある。寿命が短い方では、男性は第5位、女性は第2位である。この原因だが、一説によると淀川水系の水質が悪いからだという。平均寿命は、食物と共に、毎日の飲料水次第と言うところがあるようだから、この説は案外当たっているのかも知れないと思う。う~~ん。・・・ということなら、私も浄水器を設置しようかな?毎日の積み重ねとなれば、私の短い余命も少し伸びるかも知れない。その前に、私が毎日多量に飲んでいる「養老の滝水」をやめた方が早いかも知れない。 ~~~~~~~~日本は主に軟水だそうだが、外国は硬水が多いらしい。日本でも兵庫県の宝塚近辺の水は炭酸水で、日本初のラムネだか、サイダーだかの源泉となったらしい。子供のころに同水系の「ウィルキンソン」と言うブランド名の炭酸水を飲んだものだ。このシュワ~~と泡の立つ炭酸ガス入りのミネラル・ウォーターはドイツや東欧でよく飲まれる。私もはじめはちょっと胃に刺激的な感じを受けたが、慣れると普通のミネラル・ウォーターよりも、喉の渇きがとまりやすい感じがするので夏にはよく飲む。よく、外国旅行をすると「腹を下す」という。つまり下痢をするわけだが、医学的に本当なのか?私にはわからないが、これは「水が変わるからだ」と言われている。ツァー客などが外国に着いたとたん下痢をするらしいのだ。私は今までこれほど外国旅行をしていながら、水が原因?の下痢などしたことがない。私は、これは慣れない外国旅行という心理的ストレスが下痢の原因ではないか?と思うのだがどうだろうか? ~~~~~~~~一般に水道の水質が極端に悪いのは、東欧と中近東、それに発展途上国ではないだろうか?東欧では、共産主義体制の下、急いだ工業化の弊害で公害がひどい。公害防止装置などいままで設置されてこなかったから、排出する汚染物質が河や地下水を汚染して、水道が飲めないものになってしまっている。しかたがないから、人々は、まだ汚染度の低い井戸水を汲みに行ったり、ミネラル・ウォーターを買ったりでしのいでいる。このコストも、バカにならない。中近東や発展途上国では、昔の鉛管の水道管の寿命が来ていて、漏水がひどく、土や有害物質が水道水に混入している事が多い。普通の人にとっては、とても飲料にはできないレベルだ。その点では、日本は基本的に恵まれているが、近頃は保林がおろそかになっていて、森資源が雨水を保持できなく、結果として鉄砲水となって、山崩れや洪水が多発、水資源も不足してきているようだ。瑞穂の国と言われた日本だが、米作の減反政策で水田が激変、水田の保水機能が落ちている。水資源は、食物資源・エネルギー資源と共に、近い将来、国際的な争奪戦の対象となるものである。今から長期的な資源確保をはかってもらいたいものである。 ~~~~~~~~水の話ばかりしてしまったので、海水淡水化の話は、明日以降とする。
2005.10.04
コメント(4)
よく引用する庄内さんのブログで、庄司さんが無謀にも(?)、性差についての意見を、おそるおそるではあるが、数日にわたって書いてしまっている。「性差 3」私としては、かれが性差について書き出したときに、私の苦い体験から性差について書くのは私にとってタブーであると言うことを伝えた。と言うのも、私も以前、「地図が読めない女、話を聞かない男」(題名はこうだったかな?)というベストセラーをネタに、気軽に性差についての日記を書いたのだが、その私の性差について書くスタンスが気にくわないという主旨のコメントを大量にいただいた。普段は、ほとんどの意見を同じうする知的女性達が、一部に例外はあるものの、ほぼいっせいに不快感を表明するのである。性差というものが生物学的に実際にあること自体は疑う余地のない事実だが、男性がその性差というものを強調したり、おもしろがったりすることは、愉快な事ではないと捉える女性が多いようだ。私にはわからないが、人類の半分を占める女性達は、今までの人生で、女性であるばかりに、大変な不利と苦難を経験したらしいのだ。あなや軽々しく性差などをテーマにしては大変なことになる。そう私は助言したつもりだが、慣性の力学にのっかってしまった庄司さんは、性差というテーマだけで3回も書いてしまって、つまり最新の性差テーマは「性差 3」なんて題名になっている。ところが、そんな私がつい調子に乗って、つられて、思わず、こんなコメントを書いてしまった。 ~~~~~~~~運転が上手なように思える女性でも、ひとたび車庫入れ・縦列駐車・お尻からの駐車・混み合ったパーキングからの発車などをさせるとパニックです。男性の私など、こう思い切りきって、それからこう思い切れば後は出るだけなんて、ヴィジュアルに簡単に見えるので、それを助言するのですがパニクッた女性からは怒声が浴びせられるだけです。これも性差です・・・。今夜もこれで失礼します。 ~~~~~~~~一般に女性は、運転における車庫入れや縦列駐車などが苦手だとされている。空間把握能力が男性より劣るのがその原因とされている。本当に運転が上手な女性がパーキングになると急に人が変わったように難渋している事が多い。私などペーパードライバーだけれど、初めて運転したときでも、車庫入れを難しいと思ったことがない。私の持論だが、(今思いついた「持論」だが)空間把握能力もさることながら、女性は子供時代に、自動車のオモチャで遊んだ経験が無いのが理由ではないかと思っている。男性は「刀」や「自動車の模型」、女性は「お人形」をオモチャとして育つ。この自動車の模型は、小さいながらタイヤがついていて、左右に曲がることもできるものが多い。これを手で押したり引いたりして動かしながら、自然に車庫入れなどをしている。その過程で、前輪がこう曲がれば、車全体はこう曲がるという半径の感覚が脳にしみ通る。車庫入れ系の運転をしている男性は、自動的にこの幼児体験を、脳内で再現シミュレーションしながら、それらを踏んまえて、ハンドルを切っていると私は思う。女性はパーキングの運転の際の、車輪の角度とそれが描く半径のカーブをヴィジュアルに脳内に描きながらハンドル操作をしているのだろうか?それとも、単に試行錯誤で、曲がったり後退したりしているんだろうか?これは、私が一度、女性に、おそるおそる、ある程度のダメージは覚悟しながらも、ぜひたずねてみたい疑問である。 ~~~~~~~~さて、免罪符として下記を追記する。(もう遅いか?)私は性差というものが科学的に見て確かにあるし、それは原則的に人類としていいことだと思う。つまり、事実上地球を支配している(ように見える)生物としての人類の能力や特徴の幅が、男女という性差で広がる事で、生存の可能性がそれだけ大きくなることだと思うのだが。生存能力のある動物や生物は、突然変異などで変異種を作り出し、その変異種が生存環境に既成の種よりさらに適応能力が高ければ、それを契機に繁栄を続ける。人類も、男性だけではもちろん生き延びることができないし、長寿率から見ても女性の生物としての適応率は明確に判定できると思う。同性愛傾向の人間が案外多いらしいが、私など女性以外は考えられない。私は男として生まれてきて満足だし、生まれ変わるならまた男性としてお願いしたい。しかし、女性側には、男性に生まれたいという人が多いのかも知れない。だから・・・。ここまで何とか書いてきたが、これ以上は竜頭蛇尾・支離滅裂になりそうなので失礼します。
2005.10.03
コメント(32)
よく原発をはじめ原子力の平和利用の危険性が言われる。しかし、無害でコストが安くて地球環境のバランスを崩さないなどという、虫のいいエネルギーなんて現状あり得ないし、もしあるのならとっくに実用化されているはず。人智はそこまで及ばないと言うことだし、そもそも人類が地球に生きているということ自体が宇宙船地球号に対するスローなダメージなのだ。われわれは原発の恐ろしいリスクを知りながらも、当分は原発にエネルギーの一部を依存せざるをえない。地球温暖化を遅らせるために、エネルギー消費を抑えなければいけないが、これもなかなか実行できない。本当はクールビズごときでは追いつかないので、一世紀以上前の生活レベルで暮らすべきなのかも知れない。しかし、電気がまだ無かった時代の生活に戻れる人なんていない。例えば、菜種油の灯火、テレビ・エアコン・車無しの生活など考えられない。第一、だれも今の生活水準を下げることさえ望まない。人類の破滅は、時間の問題だが、迫っていると思う。
2005.09.28
コメント(8)
こういうことを書くのには、ちょっと勇気がいるのだが・・・。自動車による交通事故死者数というものがよく話題になる。一般的に、今までの警察庁発表の交通事故死者数は,交通事故発生から24時間以内に死亡した者(24時間死者)の数だったのだが、平成5年より,24時間死者に,交通事故発生から24時間経過後30日以内に死亡した者を加えた「30日以内死者」の集計を行っているという。で、平成15年はこういう記録が残っている。24時間死者 7,70230日死者 8,877私はよく日記に話題として書いたりするのだが、この交通事故死者数というのは、大変な数字ではないか?決して、だからという訳でもないし、比較しようと言うわけでもないのだが、自動車での交通事故死というものも、その悲惨さから言えば、今回のJR西日本列車事故とほぼ同様のものではないだろうか?遺族の嘆きも同様だと思う。私は戦時のベトナムで、多くの交通事故を見て来た。それも目の前で起こったものもある。もちろん、一度に大量の死者が出たという点と、安全だといつの間にか信じて来た通勤・通学列車の事故という点で、インパクトが強いのはわかる。しかし、数においてはほぼ8100倍の交通事故にも、もっともっと真剣な対策が論じられてもいいのではないだろうか?「あしなが育英会」という交通事故の遺児への教育資金を補助する育英会がある。彼らは今回の事故をどう感じているのだろうか?それに、死亡といえば、ガンなどの病死もある。私も最近、経験したばかりだが。病気と事故はどう違うんだろう?病気も一種の事故ではないだろうか?一瞬で死亡するのと、自分が不治の病であることをわかりながら死んでゆくのとは、どう違うものなんだろうか?自分では、なんら結論らしきものを出せないまま、いろんなことを考える。もちろん、天寿を全うした大往生で眠るように死んでゆくに越したことはない。昔の年寄りは、60をすぎたら、言葉は悪いがもうかなりヨボヨボで、まもなく肺炎でポックリ死ぬのが、普通だった。だから、介護とか、寝たきりとか、認知症とか、老人施設とか、老人医療費の圧迫とか・・・、そう言う問題は、深刻な問題ではなかった。思えばあっさりしたものだった。・・・とここまで書いてくると、ちょっと都合の悪いことに思い当たった。私も、年令的に、そろそろ肺炎にならないと申し訳ないような気になってきた。しかし、私の両親ですら一応まだ生きている。人間の知力と長寿は、人間に自然に与えられた限度をはるかに超えてしまった。将来は人間は、科学・医学の発達で、半ば不死に近い寿命を享受することも可能だという。私はサイボーグとアンドロイドをよく取り違えるのだが、確か肉体の一部を機械部分にしたものがサイボーグで、アンドロイドとは、南極号のような・・・。あっ! いけない!南極2号ちゃんは、ダッチワイフだった。そうじゃなくって、アンドロイドは、人間の形をしたロボットだ。例えば、鉄腕アトムは、アンドロイドだ。アーノルド・シュワルツェネガーが、よくSF映画で演ずるのも、アンドロイドだろう。電気羊もアンドロイド。サイボーグは、「生理機能の一部が器械装置で代行されている人間・生命体」だそうだ。私も出来れば、生理機能のある特定部分を強力な機械装置で代行して欲しい。しかし、機械装置では相手がいやがるだろう。それに、私自身も、代行されてうれしいか?・・・。私は何を言っているんだろう?で、結局、私が言いたいことは、サイボーグになってまで生き延びたいか? ということだ。う~~む。悩むところだが、やはり、死ぬよりはマシかな?眼球部分を優秀な機械装置で代行してもらって、万巻の書を読破したい。それを脳に接続した外部記憶装置で記憶し、超高速なCPUで解釈、毎日ブログを書きまくろう。どうも、私も、スケールが小さい。とにかく、深刻な話題から、おふざけになってしまって(本当は、結構、本気なんだが)、いずれにしても、もうしわけない。
2005.05.11
コメント(25)
朝日新聞の日曜版には、「読書」というページが、3ページにわたってある。これは、いつも楽しみだ。(まだ、本を買うつもりか?) (それは言わない約束でしょ?)2月20日朝日新聞朝刊には、「もう牛を食べても安心か」(福岡伸一著)(文春新書)という本を、私のごひいき、宮崎哲弥氏が評している。狂牛病問題については、ちょっと勉強してみて浅薄な意見を述べてみようと思うが、個人的に、とにかく吉野家の牛丼を食べたい。やはり他の店の現在の牛丼はちょっと。早く米国産牛肉の輸入を解禁して欲しい。狂牛病の罹病の危険は、個人の「自己責任」とすればいいではないか?タバコだって、みな「自己責任」で喫煙している。喫煙者は、明らかに肺ガンのリスクが非喫煙者より何倍も多いという事実をみなが知っていながらの処置だ。どうして牛肉だけが「自己責任」での摂取も許されないのか?合点が行かない。米国人は安い牛肉をガンガン食べているではないか? ~~~~~~~~~吉野家の牛丼はともかく、上記の宮崎氏の評する、この福岡氏の著書の内容が瞠目すべきものなので、取りあげてみる。ほとんど全文引用に近くなるかな?宮崎氏は、こう強調する。1) この本を狂牛病に関する時事関連本、と位置づけると、知の宝の持ち腐れだ (つまり、単に、狂牛病の本にとどまらないということだ)2) この本は、私たちの心身感、生命認識に、コペルニクス的転向を迫る内容だ (のみならず、『すごい本だ』・・・ということだ)以下は、この本に対する宮崎氏の評のダイジェストです。 ★ ★ ★ ★ ★ ★例えば、私たちは、食事をエンジンに注ぎ込まれるガソリンのように見立てている。だが「食べる」ということは、分子以下のレヴェルでは、自らの体を少しずつ入れ換える行為に他ならない。摂取されたタンパク質などは、消化作用で瞬時に分子レヴェル、さらにそれ以下に分解され、生体を構成する分子や原子と置き換えられる。「私たちの身体は数日間の内に入れ替わっており、『実体』とよべるものは何もない。そこにあるのは流れだけなのである」この代謝メカニズムは、謎の死を遂げた生化学者、シェーンハイマーによって発見され、生体の「動的平衡」と名付けられた。循環する「流れ」の生化学だ。第五章ではなんと、「心」が主題になっている。体が流れなら、私の同一性を担保しているのは、心、それも記憶であるはずだ。では、記憶は不変か。結論をいえば、それもまた「動的平衡」状態にある。つまり身も心も、一時も留まることのない流動そのものなのである。著者はシェーンハイマーの分子論的身体像を一歩進め、情報論的身体像に読み替えて行く。その視位からの臓器移植や遺伝子組み換えに対する批判は、生命倫理論争に新たな論点を付け加えている。狂牛病の病原体もまた、この循環メカニズムに乗じて体内に侵入し、伝染した。生命の根幹の脆弱性を突く恐るべき病だ。しかも未解明の点が多い。だからこそ牛の全頭検査は継続されるべきなのだ。ーーー(宮崎氏の評、終わり)ーーー
2005.02.14
コメント(6)
スマトラ沖のトラフ境界型海底大地震で、現状で確認できているだけでも(本当の確認段階ではないが)2万3千人の犠牲者が出た大津波が、今さらながらに我々に大自然の恐ろしさ・大きさを思い知らせた。関東大震災の32倍、阪神大震災の約256倍。これはマグネチュードだが、現実に揺れる震度は、震源地の震度如何で、またちがってくる。今年は以上に多い台風の襲来や中越地震などが発生して、異常気象だという声が多い。しかし、これは当たっている面と、そうではない部分があると思う。そもそも地球という惑星の歴史を少しでも読んでみれば、これぐらいの変化なんてほとんど変化という名に値しないぐらいの、小さな up and down であると言うことがわかると思う。何しろ地球は、火の玉だった時代があれば、地球全体が氷の玉だった「全球凍結」時代があって、せっかく奇跡のように発生した私達の先祖である微生物がほとんど死に絶えて、全球凍結が溶けて酸素が増えて、微生物として出発して38億年ぶりに、微生物以上の大きな生き物になるチャンスを得たなどという、ドラマティックな、というか、ドラスティックというか、人間の想像力などのはるかにおよばない変化を経てきたのだから。だから、昨今のいわゆる異常気象などといっても、これは極めて穏やかな平穏な条件的変化だと思う。しかし、人間が快適に生存できる、極めて制限的な気象条件というものがあって、これは生物として、わがままの限りを言いまくったような条件で、これに比べればかなりの変化かもしれない。大体こんなわがままな条件を、自己の生存の必要条件とする人類なんて、いまどれだけ反映を極めて地球の主になり、科学技術を発達させても、この地球上で生存できる期間はほんの一瞬だろうと思う。
2004.12.29
コメント(8)
アマゾンから書籍が届いた。(楽天にもお世話になっているので、楽天ブックスからも買わなくてはいけないとも思っている。ただ、買い物の履歴が残って、私のHNも残るのはいやだと思うので、現在、楽天ブックスの購入システムを調査中。)● 図解雑学 宇宙論 二間瀬敏史 ナツメ社● 図解雑学 時間論 二間瀬敏史 ナツメ社● やがて哀しき外国語 村上春樹 講談社文庫● 考える脳・考えない脳 信原幸弘 講談社現代新書● 万葉恋歌 永井路子 光文社 ★ ★ ★ ★ ★ ★私は、日記のカテゴリーの一つを「科学 宇宙 時間 脳 人類の歴史 不思議」にしている。 読書というものは、知的好奇心の充足だと思う。であれば、知的好奇心の対象として、先ず大きなものから選んでいくのが自然かと思う。★ 一番大きなものは「宇宙」である。その「宇宙」は、ほぼ空間であり、エネルギーらしいのだが・・・、★ 「時間」は、実はエネルギーなのだという。この宇宙を構成している要素の一つとなる。この時間も含めた宇宙というものが、私たちの意識の有限とは対照的に、ほぼ無限らしい。もちろん宇宙にも宇宙の果てというものがあって、そう言う意味では有限なのだが、人間の認識できる事象の限界から比較すれば、無限と形容してもいいほどのものだと思う。宇宙を勉強した後は「太陽系」・・・は省いて、現実的に「地球」と行きたい。地球と言っても、じつはそれほど興味がないから、「人間」を対象にしたい。この人間というものは、地球という鉱物とはなんの縁もゆかりもない生身のものだと思うのは人間の浅はかさ。人間の身体成分はすべて地球の成分の中のものだから、厳密に言うと、詭弁に聞こえるかも知れないが、人間一人一人も立派に「★」・・・「星」なのだという。私は、今まで私などが「★」であるとはつゆ知らず、いい加減な暮らし方をしてきたが、「★」であると知った上は、身を清めて、宝塚歌劇団式に「清く正しく美しく」生きて行かねばと思う今日この頃である。その「★」・・・いや、「人間」または「人類」は★ どのような発祥から進歩してきたのであろうか?その辺が私としてはとても興味のある対象となる。もっとも、冷静で偏見を排除する、正確なものの言い方をする人類学者から言わせると「人類の進化」という言葉は、まちがっているそうである。「進化」では無くて「時間的な変化」と、言わなくてはならないと言う。これは、フェアーな意見だと思う。生物としての、ネアンデルタール人と現世人類の差を「進化」と定義してしまうといけないと思う。時間の進みの中で、DNAが突然変異を繰り返して生物が変化してゆく。また環境の条件の中で、生存に有利な適性をもった種が生き残ってマジョリティーとなって行く。それは進化と言うより、変化なんだろうと思う。進化という価値判断は、あくまで人間のサイドから見てその様に見えるだけで、または環境に適した変化であるだけで、進化という色の付いた価値判断は、大きな宇宙というオープンシステムの中では、絶対的なものではないはずだ。 ★ ★ ★ ★ ★ ★ちょっとここで書いておきたいのは、makhさんの持論である『英語帝国主義』と『イングリッシュ・ディバイド』に関してである。makhさんは、今日の英語の世界語化に対して必ずしも肯定的ではない。英語が世界語化した時代的背景として、英国の「七つの海にユニオンジャックがはためかない所は無い」という世界性は、植民地主義があるというのだ。それはそのまま事実だ。恐らく誰も否定しない客観的な事実であり、さらに付け加えるとすると、英語自体に世界語になる有利な要件がある。印欧語(インド・ヨーロッパ語族)を学習した人なら、だれでもぶつかる印欧語の壁、『格』や『動詞の活用』『時制』『ジェンダー(性)』などがある。● それは英語の文法の圧倒的な難易度の「低さ」だ。 ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー● 英語では、極論すると単語を並べただけで意味が通じる。ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー日本人からしたら、『これがあるからいけないんだ!』とか『なんで、こんな理不尽な、無駄な文法があるのだ! これは非欧州人には欧州語を学ばせないと言う、歴史的な陰謀ではないか!』と怒るほどのものすごい難易度の高い壁だ。・・・この『壁』を非難すればするほど、私がいかに印欧語にてこずったか、ものにならなかったか、苦闘の末にそれ以上の学習と上達を涙ながらにあきらめたか? を反証的に物語ることになるので、印欧語非難はこのへんでやめるが・・・。『今日はこれぐらいに、しといたるわ』元にもどって、英語にはこの印欧語の壁、『格』『動詞などの活用』『時制』『ジェンダー(性)』がほとんど無い。「格」については「三人称単数」があるだけだし、動詞の時制も限られた数の活用変化しかなくて、これは英和辞書の巻末にちょっと掲載されているだけですむようなもので、ちょっと口に唱えて覚えればいいぐらいの超低難易度にとどまっている。いろいろ言っていてもなんなので(これは典型的な日本語的なあいまいな言い方だな)、先に進むことにしよう。『英語帝国主義』はおおよそお分かりになると思うので、『イングリッシュ・ディバイド』について。実態として、英語が従来の「国際語」と言う立場から、決定的に『世界語』になったことで、英語が出来る人と、そうでない人との間に格差が出来た事を『イングリッシュ・ディバイド』という。ディバイドは divide 分ける。英語は、ギリシャ・マケドニア(アレキサンダー大王のこと)ローマ・モンゴル(チンギス・ハーンのこと)・フランスについて世界の覇者となり世界各地に植民地を持った英国、およびその英国の後を継いで一国支配の世界王者となった米国。この二ヶ国の時代の間に英語はまずフランス語を押しのけて「国際語」になり、次に第二次世界大戦後は、押しも押されぬ「第一国際語」になり、その結果、世界のどこの「ホテル」や「空港」でも「英語なら必ず通用する」大勢となった。それに決定的な仕上げをしたのが「パソコン」と「インターネット」である。インターネットの世界での情報での英語の占有率は、恐らく70%を越えているのでは無かろうか?続きは明日書くことにする。 ★ ★ ★ ★ ★ ★中越地震の現場は想像以上に酷いようです。放浪の達人さんの日記を読んで驚きました。http://plaza.rakuten.co.jp/rx7saito/diary/200410300000/
2004.10.31
コメント(2)
人間は、ひとつの生物種であると同時に、文化の獲得という他の生物種にはない特徴を持つ種である・・・という。つまり、人間は神(とりあえず,『神』としよう・・・)の設計図どうりの個体であるにとどまらず、自己の獲得した文化を子孫にトランスファーする存在でもあるということになる。しかし、実は子孫に限らない。他の個体にも文化を伝播しているのである。一応、カッコイイ事を書いてはじめてみたが、楽天の日記を巡回してみると、『人間とは神をもしのぐ存在かな?』と、思う時もある。それと共に、この人間の文化の伝播に寄与するインターネットと言うシステムの、革命的な機能に感銘を受ける。私もよくぞ、この人類のエポック・メーキングな世紀に立ち会えたものだと思う。(こんな話に進むつもりではなかったのだが・・・、引き返すのも面倒なので、このま進もう)----------------初期の日記にも書いたことだが、人間の、いや猿人を含めて人類の歴史の中で、いろいろな革命的なことが起こったと思う。自分なりに考えてみると・・・。★ 先ず、猿からの分離になる、二本足歩行で両手が使えるようになった★ それにより、道具の使用が可能になり、頭脳が飛躍的に進化★ 声帯の発達によって、声によるコミュニケーションが実現★ 言語の発明★ 文字の発明★ 印刷機の発明★ 雑誌・新聞などの大量印刷物の発達★ 無線・ラジオ・テレビの発明★ 電話の発明★ コンピューターの発明★ インターネットの発達----------------インターネット、特にブログの発達によって、はじめて人間の脳がネットワーク上に直結されたと言ってもいいと思う。それ以前には、人間が相互またはネットワーク上に語り合うこと、特に精神的な内面的な事柄について語り合うことは、宗教施設における特殊な状況をのぞいて、ほとんど無かったと思う。この結果、私たちは人類史上はじめて、ひとりの個人でいながら、マルチ・ブレーン(複数の頭脳)を持つことが可能になったと思う。
2004.09.27
コメント(41)
全111件 (111件中 51-100件目)