デフレの正体 0
原発 0
体罰 0
糖質制限食 0
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私:転居でブログを休んでいるときに、1日だけ、東北のある都市にS氏に会う用事で行ってきた。 前の日の夕方、東北新幹線で駅に着いたら、S氏が改札出口に迎えに来ていた。 翌日はこの人と会社で打合せだ。 一年ぶりに会うので、ちょっとお互いに顔をしっかり覚えていなかったね。A氏:大丈夫だったのかね。私;A4判程度の紙に俺の名前を書いて掲げていたんで分かったね。 それで顔も思い出した。 それから、とりあえず、ホテルに行って俺の荷物を置き、歩いて5分くらいのところにある焼き鳥屋で夕食をとろうということになった。 この焼き鳥屋はちょっと変っていて、注文はテーブルにあるメモ用紙に一品ずつ書いておやじに渡すんだね。 おやじ一人でやっているせいかね。A氏:変わっているね。私:夕食をとっているうちに、話がはずみ、カラオケに行くことになった。 S氏は地元の人だから、行きつけのスナックがある。 30年くらい通っているという。 ママさんは、昔は美人だと笑っていた。 息抜き用の静かなスナックだから、貸切りのようにのんびり歌えるだろうということだった。 ビルの3階にあったスナックに入ったら、広い半円形のカウンターに客は一人。 中年すぎた品のいいママさんが、一人カウンター内にいた。A氏:それでは貸切りかね。私:ところが数分たったら、ドカドカと会社帰りのグループが数名入ってきた。 若い女性も2名いたね。 中年の男が課長みたいだったね。 S氏は「しまった」と言ったが、皆おとなしいサラリーマン風だったね。A氏:そのS氏というのはいくつくらいなの?私:60歳前後かね。 ギターをひくというから、音楽はクロートだね。 本職は技術屋なのにね。 「全共闘」世代ではないかと聞いたら、その通りだという。 東京の大学に行ったが、1年くらい、授業はほとんどなかったという。 進級は、簡単なテストですんだという。A氏:「全共闘」で思い出すのは、養老孟司氏が東大の教師時代に、学生運動にぶつかった話だね。 彼ら学生が、「絶叫口調」で演説し「抽象的な漢語スローガン」を掲げ「竹槍訓練」を盛んにやっていたのを見て養老氏は驚くね。 小学校で教科書に墨を塗って「大人にだまされた」という「昭和の人」の気質(エートス)を持つ養老氏にとって、これらは軍国主義イデオロギーの象徴だから、拒否反応を起こすね。私:また、軍国主義イデオロギーの再来かと思ったそうだね。 「全共闘」世代には、内田樹氏が定義した「昭和の人」世代の気質(エートス)はつながらなかったんだね。 俺ももうサラリーマンだが、製造業だから、そういう風景はあまりお目にかからなかったがね。 学校に勤めていたら、大変だったろうね。 そのスナックでは、夜11時頃まで、S氏と俺が、それぞれ10曲くらいカラオケで歌った。 俺が堀内孝雄の「がきの頃のように」を歌ったら、S氏は大声で「これこそ、貴方の歌だ」と何か分からないことを言った。 とにかく、俺にとっては久しぶりのカラオケだったね。 S氏は、もう1軒なじみの店があるから寄ろうと言ったが、俺は「若くないので無理はやめます」と言ってホテルにはタクシーでもどったよ。 翌日、S氏と会社で会ったが、あれからS氏はもう1軒のスナックに寄り、夜中の2時まで歌っていたという。 打合せを終わって、午後の東北新幹線で帰ったが、S氏とまた会えるかは分からない。
2009.05.14
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ジェロ海雪。 A氏:昨日テレビ東京で夜8時から、「第41回の日本作詞大賞」の2時間近い生放送があったね。 司会は徳光さんだね。私:最初、俺は見ていなかったんだが、女房が見ていた。 途中、ジェロが「海雪」を歌っていたのが聞えたので、見に行った。 これが大賞になるんだろうと思ったね。 ジェロが歌っているとき、「海雪」の作詞をした秋元康氏が席にいたのがクローズアップされたね。A氏:番組の最後のほうで、優秀賞の発表があった。 これが規定では、2作品なんだが、審査員がどうしてももう一作品に優秀賞を与えたいということで、優秀賞が3作になった。 このため、3作目の受賞者には賞状が間に合わないという生放送らしいハプニングがあったね。 今朝の朝日新聞で報じているような、こないだ問題になった自衛隊空幕長田母神論文審査過程のような変なものではなかったね。私:俺は、優秀賞でこの作詞大賞は終わりかと思い、「海雪」は入っていなかったので、ガッカリ。 コマーシャルになったのでチャンネルを変えたよ。 ところが、ちょっとチャンネルをもどしたら、秋元康氏が大きなトロフィーを持っているシーンが出てきた。 やっぱり、大賞は「海雪」だったんだね。A氏:予想的中かね。私:以前、新聞記事で、秋元氏がジェロは黒人だということで、それに合わせた作詞をしたというのを読んだことがあるが、たしかに、作詞もこっているね。A氏:テレビの最後のインタビューでも秋元氏は、ジェロの演歌界での登場が、大きな影響を与えたことを言っていたね。 徳光氏は、孫娘がジェロの歌を歌っているというと言っていたね。 世代がひろがったね。私:今後、ジェロや秋元氏にさらなる活躍を望みたいね。 逮捕された小室哲哉も才能があるんだから、こういう方向の作詞、作曲を目指したらと思うがね。
2008.12.01
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ジェロ『氷雨』A氏:紅白歌合戦に君のブログでふれていた演歌歌手ジェロが初登場だね。 演歌歌手・ジェロ、ジェロとキリンのコーヒーファイア・コマーシャル、ジェロと氷雨と、ジェロ街道が続いたね。私:黒人歌手がNHK紅白歌合戦に登場するのは初めてではないのかね。 アメリカ大統領が初の黒人であるように。A氏:ところで、今、演歌が売れているようだね。 それも若い世代に売れているようだ。 11月13日の「クローズアップ現代」で「演歌の逆襲」でとりあげていたね。 君の予測通り、これにはジェロの登場が大きな影響を与えているようだね。私:俺もこの「クローズアップ現代」を見たが、一方で小室哲哉が逮捕されるというニュースとダブって、音楽界の大変動だね。 最近の音楽界は大量消費で、消耗品のように曲も息の短いものがどんどん作られてきた。 若い人によってカラオケでも歌われる。 しかし、だんだん、あきてきてカラオケも流行らなくなってきたらしいね。 長く続く歌が求められるようになってきたんかね。A氏:ミュージックからソングへの変化だと言うね。 小室哲哉の歌なんか、歌詞がよくわからなかったね。 ソングとなると、歌詞が重要だね。 演歌は歌詞が勝負だからね。私:ジェロには紅白歌合戦では、デビュー曲の「海雪」を歌ってもらいたいね。 今のところ、これが彼にピッタリだからね。A氏:「クローズアップ現代」では「海雪」の作曲過程をとりあげていたね。 作曲は宇崎竜童がやったんだが、プロジューサーの意見でかなり修正をしたんだね。私:音楽界もどう変るかね。 経済同様、落ち着いた本来の姿にもどることを期待したいね。
2008.11.30
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私:今日、大阪に用事があったんで、昨夜、大阪のホテルに泊まったよ。 夜、ホテルの部屋のテレビで、NHKの歌謡番組「わが心の大阪メロディー」で、大阪に関係のある歌の特集をやっていたのをなんとなく見たね。 大阪歌謡を聞くと、東京に対するコンプレックスを感ずる詩が多いね。A氏:大阪府は、今、大赤字だね。 一方、東京都は裕福だ。私:俺は、20年前に2年間くらい仕事で毎週のように大阪に行っていたね。 大阪の人に「サカチョン」と言われたよ。A氏:サカチョン?私:オオサカのチョンボー(独身者)の約だね。 今の単身赴任みたいな意味だね。 毎週、新幹線で往復したが、この新幹線が東京都と大阪の間を短縮して、本社を東京に移した会社も大分増えたのではないの。 10年前も半年くらいだが、別の大阪の会社によく出張したね。 このときは、道頓堀の近くのホテルによく泊まり、道頓堀をよく散歩したよ。 阪神が優勝し、ファンが掘に飛び込んだ頃だね。A氏:そういえば、パナソニックとサンヨウが合併するね。 両方とも大阪の大企業だね。私:昨日の新幹線で、丁度、席が進行方向右の窓際だったので、岐阜羽島を通過してからすぐに、サンヨウの太陽電池の巨大建物が見えたね。 夜、テレビの報道ステーションで、この巨大建物が出たね。 キャスターの古舘氏が、その建物の写真の上にパナソニックの看板をかかげたね。 ところで、俺が大阪を歌った歌謡曲で思い出がある曲は「大阪しぐれ」なんだが、歌ったかどうか、見逃したね。 20年前に出張で通った相手の社長は、カラオケ好きで夜、北の新地の酒場に付き合わされたが、彼は「大阪しぐれ」が十八番でうまかったね。 俺はカラオケなど相手にしなかったのが、この付き合いで覚えたね。 今、この社長はかなりの年で、酒はやめている。 最近、北の新地の夜は不景気で客が激減しているという。A氏:そういえば、今朝のテレビで音楽プロジューサーの小室哲哉が大阪のホテルで逮捕されたそうだが、君のホテルではないの?私:そのホテルは新大阪駅近くらしいね。 俺のホテルは、中之島のほうだから、違うね。 しかし、小室哲哉といえば、次から次へのヒット曲で大金持ちになったのにね。 彼の多くのヒット曲は、このNHKの「わが心の大阪メロディー」に登場するような息の長い曲はあまりないようだね。A氏:彼の歌は、大衆消費社会の象徴のように、消耗品のように消費されて残らなかったのかね。私:今日、もう一泊、大阪に泊まる。 明日、昼、用事を済ませて、夜、横浜に帰るよ。 君との会話はホテルの無料LANで今、アップしている。 明日は、昼には、アメリカの大統領選の結果が出ていると思うね。 歴史的な日だね。 では、また。
2008.11.04
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カバーズ/ジェロ[CD]通常盤A氏:君がこのブログでとりあげた黒人演歌歌手のジェロはテレビでも出演が増えているね。 それに、従来の演歌の有名曲を歌った新たしいCD「カバーズ」を6月末に出しているようだね。 新しいもの好きで、演歌ファンの君のことだから、もう、買って聞いているかね。私:ところがそうでないんだね。 彼のデビュー曲は「海雪」でこれは買ったね。 ところが、その後、テレビで他の日本演歌を歌うのを聞くと、ちょっと、違和感が出てきたね。 特に「氷雨」という古典的になった演歌を歌うときは、やはり、ちょっと、プロの演歌らしい歌い方が感じられなかったね。 だから、新しいCDは買わなかった。 「海雪」が彼にあっていたのかね。A氏:「海雪」は作詞/秋元康、作曲/宇崎竜童だね。 いつか新聞で秋元氏が、はじめてジェロが演歌を歌うのを聞いて驚き、彼向けに「海雪」を作詞したという記事を読んだことがあるね。私:彼が「氷雨」をテレビで歌うのを聞いていて、ある高音部分がうまく出ないためか、曲の哀愁感が出ていないと感じたね。 演歌好きの作家・五木寛之氏は「演歌は怨歌」と言っていたことがあるが、この「怨」のニュアンスが出ていないような気がした。 俺の感覚だからうまく表現できないがね。 その点、「氷雨」は演歌中の演歌だが、歌うのも難しいと思ったね。 なんで、ジェロにこれを歌わせたのかね。 氷川きよしなど歌えこなせないのではないの?A氏:黒人演歌歌手の限界かね。私:わからないね。 これから、どう評価されるか。 日本文化の深い部分と関係するのか。 あるいは、彼が変っていくのか。 ネガティブな感想で申し訳ないが、今後を期待したいね。
2008.07.24
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私:うまい! 氷川きよしなど、足元に及ばない。A氏:何が?私:アメリカ黒人演歌歌手ジェロの演歌だ。 日本語で歌っているのだが、声だけ聞いていると、純粋の日本人だと思ってしまう。 日本人が演歌を歌うときの言葉の細かい発音のニュアンスまで無理なく発音している。 今の日本人が失いつつある、演歌の日本語を完全に表現しているね。 驚異だね。A氏:そういえば、4月2日の朝日新聞朝刊の文化欄で、「演歌って 何なの」というタイトルの記事があり、サブタイトルは「ジェロのデビューで考えてみる」とあったね。 ジェロの顔写真が出ていたね。 俺は演歌には興味がないからよく読まなかったがね。 君はカラオケファンで、演歌を歌うから、興味があったろうね。私:俺もその新聞記事でジェロを知ったね。 2月デビューで「海雪」というCDを出している。 すでに人気がすごいらしい。 すぐにYouTubeで聞いたよ。 今年の紅白歌合戦には出場するのではないかと言われているくらいだ。 4月28日のNHKのMusic Japanに出るそうだね。A氏:新聞では、祖母が日本人で、幼少のときから演歌を歌っていたようだね。私:ジェロは、ウィキペディアによると、アメリカ生まれでアメリカ育ち。 今、26才。 子どものときからの「演歌おたく」で、演歌123曲を歌えるという。 坂本冬実のファンだという。A氏:演歌の「黒船」かね。私:最近、深刻な本ばかり読んでいたが、この曲で頭がスッキリしたよ。 エンターティメントはこうでなくてはね。 これで、演歌も新しいエネルギーが吹き込まれるだろうね。
2008.04.05
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昨夜、居間から「哀しみ本線日本海」の歌が聞こえてきた。あきらかに森昌子の声である。いい歌である。私もカラオケでよく歌う。番組は、NHKの歌謡コンサートの「お帰りなさい、森昌子」である。離婚後の、独立しての復帰の第一声である。 マスコミでは、殺人、談合などと陰鬱なニュースが続くが、演歌ファンにとっては、また、特に、彼女の歌をよくカラオケで愛唱しただけに朗報である。 上がり気味で、声もまだ力が足りないように思った。目が涙目であった。2曲目は「越冬つばめ」。そして、最後は、新曲で父親の歌を歌った。この3曲だけであった。一人の歌手としての20年の空白と、離婚、歌手としても育ての父親の死など、簡単に埋まらないものが多いであろうが、早期に、あのきれいな、透き通った歌声をまたききたいものである。 復帰を期待されて、なかなか実現しないのが、ちあきなおみである。東京12チャンネルでは、以前、「演歌の花道」という番組があったが、これが徳光さんとコロッケの司会で演歌もよくやる歌番組となったときがあった。 あるとき、テレサテンとちあきなおみの特集をやっていたときがあった。私はテレサテンの歌が好きで、録画をセットしたが、そのとき、ちあきみのるが「紅(あか)とんぼ」を歌ったのもついでに聞いた。ショックであった。これをフルコーラスで歌ったが、驚いた。「歌心」の極致である。この歌は彼女が一時歌手活動を休止した後の歌で、30万枚のヒット曲だという。しかし、私ははじめて聞いた演歌である。ちあきなおみがこれほど「歌心」のある歌手であるとは不勉強であった。 司会の徳光さんが、「ちあきさん、是非、この番組に出てください」と熱心にテレビ画面でお願いしていたのも分かる気がした。しかし、実現していない。 その後、NHKでちあきみのる特集が放映されたが、彼女は単なるミーハー歌手でないことを示していたし、歌手としての復活を期待していたような番組であったが、復活は期待できないようである。 別なNHKの番組で、三波春雄と村田英雄のライバルの歴史を追った特集もやっていた。浪曲師時代は、村田英雄がエリートで浪曲コンクールでは一位をとり、三波春雄は敗れた事実があったのをはじめて知った。しかし、衰退していく浪曲を離れ、歌謡曲には三波春雄のほうが早く進出し、成功した。 村田英雄は後を追って歌謡曲に進出したが、3年間ほどは泣かず飛ばずであった。それを打ち破ったのが大ヒット曲「王将」であった。 村田英雄は晩年、両足切断。三波春雄はすでにがんで余命があまりないことを知り最後まで仕事に打ち込む。しかし、二人とも最後まで浪曲に未練があったようである。 演歌は曲もそうだが、歌手にも演歌的な人生を感ずる。
2006.05.17
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