デフレの正体 0
原発 0
体罰 0
糖質制限食 0
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バガボンド(3)私:今週のbe紙の「フロンとランナー」は漫画家井上雄彦氏をとりあげている。A氏:宮本武蔵の漫画「バガボンド」で有名だね。私:俺は、この漫画を見たことはないが、俺の愛読書である吉川英治の「宮本武蔵」を原作にしているらしい。 しかし、原作を奔放に解釈し「殺し合いの螺旋」というせりふに圧縮される殺戮の連続で、武蔵の求道はかなり血なまぐさいという。 「バカボンド」のテーマは「身体」だという。 そこで一昨日と昨日のブログを思い出した。A氏:武術家甲野氏の「身体性の追求」だね。私:井上氏は小学校時代から剣道をして、中学で初段。 2年前から沖縄の古流空手を習い始めて、武道の体の使い方についてやっと腑に落ちたという。 それが、マンガの体の描き方の大きな分岐点になったという。A氏:甲野氏のいうように、「身体性の重視」だね。私:ペンを筆に変えてから、人の体の柔らかさや、空気や湿気などといった、さまざまなニュアンスが絵に表れてきたという。 「バガボンド」のテーマは「身体」だという。 一人ひとりの人間に与えられた体はそれぞれ、天然自然、あるいは宇宙全体の縮小版であって、その中に根源の真理がすべて内包されているという。A氏:真理はインターネットという外にあるのでなく、自分の中にあるという甲野氏の考えと同じだね。私:体を動かすこととは、隅々まで細かく体を知り尽くしたうえでの、自己と体との対話だと考えるようになったと井上氏は言う。 だから、生まれながらに体の外から雑音がまったく入ってこない人は常に自己の体と向きあっていることになる。A氏:甲野氏のいう「無意識」かね。 あるいは「火事場のバカ力器用」かね。私:井上氏は、その人の内面世界はひょっとしたらものすごい奥行きがあるんじゃないかという予感がしたという。A氏:甲野氏が、昔の名人は、体の限界に挑戦していたから、現代人が考えられないほどの能力の高い体の使い方をしていたという。 甲野氏は、まだ、そのレベルには達していないが、先人ができたから出来そうだと日夜工夫しているのだというのと同じだね。私:「バガボンド」を書きながら、井上氏の死生観は変ったという。 生と死が連続しているような気がしてきたという。 原作通りに小次郎が死ぬとしても、その痛みを受け止められるようになったと思うと述べているね。 「バガボンド」は02年に手塚治虫文化賞マンガ大賞を受賞しているという。 現代の「身体性」の軽視について、今年42歳の井上氏と60歳になる甲野氏が対談したら面白いと思ったね。 マンガ 「バガボンド」を読んだ子どもは、「身体性」に興味を持つようになるだろうかね。A氏:それにしても、甲野氏にも井上氏にも、合気道で「気」で人を飛ばすという、君の合気道知的街道に出てきた佐山名人1、2や西野氏が話しとして出てこないね。私:それについても甲野氏と井上氏の対談でふれてほしいところだね。
2009.05.10
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響きあう脳と身体私:甲野氏が、ある中学校のバスケット部の生徒何人かを教えたそうだが、その中にひとり、すごく理屈っぽくて、いつも先生に楯突いていて、周囲ももてあましているような子がいたらしい。 甲野氏はそういう子がいるのを知らなくて、2時間くらい皆でいろいろな稽古をやったんだが、後で聞いたところ、問題児の生徒は、甲野氏のところでの稽古会を契機に、ガラッと変ったという。 人間的にも劇的に変化したという。 しかし、甲野氏はその子の印象もないし、特別なことをしたわけでないという。A氏:教える側が気づいていないような「何か」が最も強く伝わっていくんだね。 言葉にできちゃうことはそれほど強く感化する力がないんだね。 「オヤジの背中を見て育つ」だね。私:「変えてやろう」なんてことを考えても、変えられるものはたかが知れているという。 生身の人間だけがもっている感化力の重要性が案外軽視されているね。A氏:マニュアル化の弊害だね。私:甲野氏は、小学生くらいまでの教育は、「体育と国語と歴史があればいい」と言っているという。 運動場でロープを張って直角三角形を実際に作る。 物理もシーソーに乗って身体を使って釣り合いを体験する。 数学も理科も実際に体育で身体を使って学ぶ。A氏:そして、人や自然の多様性が子どもを育てる。私:甲野氏は、身体の不思議さに憑かれたように、毎日が、発見だという。 限界を知らない楽しみがあるという。 現代の社会は、次第に身体を使わなくなり、劣化しているという。 これは必ず、何か壁にぶつかると警告しているね。A氏:こないだテレ朝のサンデープロジェクト見ていたら、最近の子供は運動不足なのか、足の裏が変形しているものが2割くらいを占めているそうだ。 もう何年もすると、子どもの障害者が年寄りも増加するのではないかと警告していたね。私:甲野氏の技はしかし、言葉に出来ないから、簡単に伝播できないね。 学ぶほうも自然な吸収力がいる。 対談相手の茂木氏は、甲野氏の「同時並列的な身体運用」に対して「同時並列的知性」と言っているね。 広い視野でものをみるということだね。 ブログなどを通して自分のコピーをばらまくやり方があり、それはそれで大きな可能性があるが、一方では「今ここにいる自分」の中にも同じくらいの可能性がたくさんあると気づくことが必要だと茂木氏は言っているね。 インターネットでブログを書き、ネットの向こうに自分を譲り渡すという行為は、「複製可能な自分」の領域をどんどん広げていくことで、その結果、「複製不可能な自分」のウエイトがどんどん減ってしまうと茂木氏は言う。A氏:内田樹氏もブログをやるが、日記の代わりだという。 日記だと後で読んでよく分からないkとが多いが、ブログだと他人を意識しているから分かるという。私:しかし、この本でブログの限界を読んで、その感想をまた、ブログで書くというのも、不思議な行為だね。 内田樹氏が言うように日記と違って後で読み返せるから過去の自分と「今の自分」を比較できる。 書くという行為も、一種の身体運動だと俺は思うがね。 家庭の主婦が「自分の虚しさを感ずる」というのはやはり、身体感覚が疎かになっているせいだと甲野氏はいう。 工業用ロボットより、家庭用ロボットのほうが作るのが大変なくらい複雑だ。 そういう自然に動く自分の身体のすごさ、ありがたさ、あるいはおもしろさをあらためて実感することが、現代人の不全感、閉塞感から抜け出すために大事なんじゃないかと甲野氏は言う。A氏:人というのは不思議で深いものだということだね。私:それに気がつけば、いろいろと体を動かして、自分の感覚を見直したくなるね。 脳も体の一部だしね。 このようにブログで書いている自分が、しばらくして、これを読んでどう思うかね。 その変化が楽しみだね。
2009.05.09
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私:昨日は、ビデオテープ、カセットテープ、CDの整理だが次は本だよ。A氏:読書好きの君はずいぶん持っているのではないの?私:辞書、単行本、新書、文庫本など、全部で数百冊余になるね。 ミステリー小説などで、まだ、読んでいないのも10冊くらいあったね。 いろいろ選んで辞書を含め百冊くらい残りそうだね。 後は、古本屋に来てもらって一括売却するよ。 30余年前に、団地から今の家に引っ越したときに、古本屋に来てもらって、大分売ったことがある。 当時、福沢諭吉全集が出版されて集めていたんだが、読む時間がない。 だから、来た古本屋に「これも買ってくれ」と言って売ったね。 古本屋は「こういう本は読むだけでなく、とっておくもんですよ」と言っていたが、結局、引き取ってもらったね。 今の家に越してからも、平凡社の百科辞典30余巻をはじめ新書などを含め2百冊くらい古本屋に二束三文で売却したね。 最近は、図書館利用が習慣になったんで、それからは、あまり蔵書は増えていない。A氏:君は長い間、ワープロ、パソコンを使ってきたから、フロッピーも結構あるのではないの?私:途中、大分捨てたが、まだ、取っておいたのが、2百余枚はあるね。 重要なものはCDに落としてあるのでこれは全く不要だね。 この際、家庭ゴミで捨ててゼロにするよ。 フロッピーとはお別れだね。 次に古着だね。 数年前に一度、片付けたんだが、こんど、引越しになると、まだ、不要なものがあるね。A氏:俺のところは長い間に、贈答品などのネクタイがたまり、気がついたら、百数十本になっていた。 そこで2、3年前だが、10本くらい残して、全部捨てたよ。私:引越しが無事に終われば、雑物だらけの今の状態から脱して、すっきりした生活ができそうだよ。 そして、今後は、雑物を買わないように、消費態度を改めるよ。 今、景気が悪いということだが、企業活動が低下すると、皮肉なことに、環境問題で各企業が掲げている二酸化炭素削減、電力削減目標は簡単に達成できるのではないの?A氏:昨日の朝日新聞の夕刊トップに、イタリアでも食品偽装が多発して、問題になっているという記事があったね。 背景に、家庭料理の伝統が消え、ファストフードや冷凍食品が増えている実態があるという。 業者は、質を落として利益をあげようとする。 グローバル経済は、「倫理なき利益市場主義の経営者」を増大させるのもグローバルだね。私:イタリアの農林大臣は、「食品犯罪は、食は人生や社会を豊かにするものだ。 しかし、取り締まりとともに同時に、消費者が食品を選ぶ力をつけることも重要だ」と訴えているという。 ファストフードや冷凍食品で、イタリア人の伝統的な食事を楽しむ時間が失われ、イタリア人の「賞味力」が衰えているというが、日本も同じだね。 食品偽装は、その消費者の味感覚の衰退が原因しているようだね。 俺の家の冷蔵庫も冷凍食品が冷凍庫にたくさんあるが、冷凍庫はガラガラにすべきだね。 食品の消費も見直しだね。
2009.03.22
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私:来月、早々、歩いて5分ぐらいのところだが、引っ越すことにしたよ。 そういえば、不動産も不景気だね。 俺の近くに丘があるんだが、これを大手の日本総合地所が大きなマンション工事を始めて、入居者を募集していたが、2月に倒産。 10階建てほどの大きなマンションは、骨組み工事まですすんだまま、今、1ヶ月たつが雨ざらし、だね。 クレーンもそのままだね。 廃墟だね。A氏:引越しは大変だね。私:もう、この歳だから、余分なものを持って引っ越す気になれないね。 スッキリして引っ越したい。 まず、たまっているのが、ビデオテープだね。 俺は最初、ソニーのベータで録画していたから、その時代のものもある。 ベータのデッキもまだ、健在だね。 この際、ベータともお別れだね。A氏:俺も後で見ようと思って録画するんだが、後で見る時間がとれなくて、見ないビデオが増えるね。私:俺は出張が多かったんで、せっせと留守録でとっておいた。 後で見ようとするのだが、見きれない。 長い間にどんどん、たまる。 途中、VHSのテープになる。 ベータとVHS両方で場所を食うので、今度はDVDに落とすことを考えたが、これがまた、手間がかかる。 ベータやVHSのテープの山になる。 8ミリも数十本ある。 30年くらいの間に、数百本になったね。 貴重なものはとっておきたいが、そうなると未練が残り、なかなか捨てられない。 そこで、この際、全部、捨てることにした。A氏:思い切ったね。私:もう、俺たちの年では、人生残っている時間は限られている。 見ている時間などないね。 それに、今、テレビ内蔵の新しい録画までたまりだしたしね。 そこで、2週間くらいでせっせと少しずつゴミに出して、録画したのは全部廃棄した。 ビデオテープは家庭ごみ扱いだね。 それに英語のヒアリングに弱いということで、買って置いた英語のヒアリングテープがいつの間にか、百本以上を越えている。 CDのものもある。 これも買うだけで、そんなに勉強している時間がないね。 これももう不要だ。 その他に音楽物もある。 こないだ、スポーツクラブのヨガ行ったら、若い女性のインストラクターが、インドにヨガの研修に行って日本に帰ってきたときの印象を話していたね。 成田空港に帰着すると、別世界に来たような気がするという。A氏:人工物だらけだからね。私:そして、日本でまた生活すると、いつのまにか周辺が物であふれだすという。 安いとか、便利だといって、簡単に物を買うべきではないね。 つくづくそう思ったね。 消費パターンを思い切って変えないとね。 俺たちの子供の頃の「つつましさ」が懐かしいね。 今回の不況で、長年の間にできた、この浪費癖をもう一度、見直すべきかもね。 まず、「先ず隗より始めよ」だよ。A氏:そういう消費者心理が働くとますます、消費経済の回復は遅いかもね。私:しかし、アメリカでは、経済不況で万引きが急増しているそうだが、消費癖は直らないのかね。
2009.03.21
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生涯発達のダイナミクス私:知能は教育で変わるだろうかという問題があるね。 既存の知能検査によって測られる知能は知的能力全般をカバーしていない。 「陽の目を見ない」知能として、創造的知能と実践的知能がある。 知能検査に関係する知能を分析的知能とすると、次の3つの知能に分けられる。 分析的知能 創造的知能 実践的知能A氏:分析的知能を測定するには「ペリー来航から明治維新までの主要なできごとを関連付けてまとめなさい」という問題になる。 創造的知能を測定するには「もしもペリーが来なかったら日本の歴史はどう変わっていたと思うか」という問題になる。 実践的知能を測定するには「幕末から明治にかけての外交の歴史は、現在のアメリカやアジア諸国との外交にどんな教訓や示唆を与えるか」という問題になるね。私:研究によるとこれら3つの知能の関係は低いという。 IQが高い人は分析能力が高いことが多いが、他の能力は低いことが多い。 基本的には異なる種類の知能に秀でた多様な人たちがいるということなんだね。 東大出の官僚が必ずしも今の経済危機に強いわけではないね。A氏:「心の知能指数:EQ」というのもあるね。私:「頭のよさ」を測るものとして既存の知能検査と分析的知能が特に相関が高いということは、現代社会の知的環境では、分析的能力に秀でていることが有利であることを意味しているという。 それに対して、創造性や実践的能力に秀でていても、分析的・論理的な思考が得意でない子どもは、評価面や選抜で不利だね。A氏:教育が分析的知能を中心としたものであると、別な能力に優れた子どもが力を発揮して評価されるチャンスが少なくなる。 大学入試に、先の創造的知能や実践的知能をテストする問題は出ないからね。 「もしもペリーが来なかったら日本の歴史はどう変わっていたと思うか」 「幕末から明治にかけての外交の歴史は、現在のアメリカやアジア諸国との外交にどんな教訓や示唆を与えるか」という入試でなく、 「ペリー来航から明治維新までの主要なできごとを関連付けてまとめなさい」 という入試問題が適切になるね。私:しかし、今、創造性のある人材が社会的に要求されるようになると、教育内容も変わってくるね。 アメリカでは子どもの教育は左脳から右脳時代になってきつつあるという。 これはこのブログのA WHOLE NEW MIND その1、その2、「ハイ・コンセプト」 でとりあげたね。A氏:知能の発達には、社会化としての側面があることになる。私:ここでまた、フリン効果にもどるが、この短期間での知能の大きな伸びは、遺伝子レベルの変化としては急激だから、社会的な環境面が強いのではないかと考えられる。 ノルウェーでは、1990年以降、IQの急速な伸びが頭打ちになっているという。 これは日本を含めた他の先進国にも当てはまる可能性が高いという。A氏:創造性教育を重んじるフィンランドではどうなんだろうね。私:残念ながらその関連は書いていない。 日本では迷走している「ゆとり教育」が関係あるかもしれないね。 パソコンやIT技術革新で新しいタイプの知能が台頭しつつあるのかもしれない。 分析的・論理的知能優位が10年、20年の単位でドラスティックに変化する可能性があるかもしれないという。A氏:IQで代表される知能とは別のタイプの知的能力がわれわれの知的発達の中で新たに登場するか、あるいは登場しているということかね。私:それは大量生産、大量消費の時代の終わりと関係があるのかもしれないね。 経済恐慌だけの時代変化だけではないかもしれないね。 そういう視点はこの本の主題ではないかもしれないが、深い関係があるような気がするね。 その変化の流れにそって知能の発達もダイナミックに変化していくんだろうね。
2009.02.13
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生涯発達のダイナミクス 私:人は自分の手がかりになるものを予測して、外界に対して行動する。 手がかりになるものは、外部から得るものには社会的支援や情報がある。 内部の手がかりになるものは、自分の体力や能力だね。A氏:それは労働者も同じだね。 家族を含めた外部からの社会的支援や情報。 そして内部としての自分の資格や能力を考える。 そして、就職に対応するというわけだね。私:俺たち年配者も同様だね。 加齢に対して、外部の手がかりはどういうものがあるか。 内部の自分の体力、知力はどうか。 それを配慮して歳のとり方を考える。 日常生活を変えたり、生活習慣を見直したりする。A氏:「歳をとるにつれてどうなるか」ではなく「歳をとることに対して自分はどうするか」ということだね。 被害者意識だけではダメだね。私:この行動の理論にSOC理論がある。 Sは「選択(selection)」で、自分の限界を知り、活動内容をしぼること。 Oは「最適化(optimization)で、しぼった内容の充実。 Cは「補償(compensation)で、自分の限界がせまくならないように異なるやり方を考えることだね。 Sはさらに、予防的選択と、失敗した反省にもとづく事後的選択と2つに分かれる。A氏:俺は60歳代までジョギングをしていたが、あるとき、不整脈を起したので、ウオーキングに変えたが、これは事後的選択だね。私:これを若年、中年、高齢と3つわけて調査すると、若年は、まだ、未来があるからあまりSOCの得点が高くない。 面白いのは、中年でSは事後的選択とOとCが最も高くなり、予防的選択は高齢者に多い。 高齢者は、「年寄りの冷や水」をあらかじめ避けて、別の分野にエネルギーを集中している傾向が強いというね。A氏:こないだフジテレビで今年90歳になる元首相の中曽根氏が出ていて、健康法の紹介もやっていたが、好奇心が旺盛だということと、あまり「くよくよしない」ことだといっていたね。私:俺が知っているある中堅企業の経営者は、84歳だが、健康法を聞いたら、「特にないが、あえて言えば、悪いことはすぐ忘れる」と言っていたね。 生涯の発達的な変化は、年齢が直接の原因になって起こる自然の変化というより、自分自身の歳のとり方をコントロールすることによって生じる面が大きいのだね。A氏:最近、職業カウンセリングに対して、キャリアカウンセリングということを聞くが、やはり、職業だけでなく、生涯という個人が中心になってきたんだね。 人生論か宗教論みたいだね。私:ところで、歳をとると物忘れが多くなるというが、歳をとっても高い動機づけがあるときは、心理的にそれに集中するので、すごい記憶を発揮することがあるという。 朝日新聞の読者投稿欄で、104歳になる祖母が100人余りの孫、曾孫、玄孫の全員の名前をはっきり言えるあったというが、それは家族に対する誇りが名前を覚えたいという動機と集中力になっていると考えられる。 明日は知能の変化についてふれよう。
2009.02.12
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生涯発達のダイナミクス私:今日は「建国記念の日」。 俺たちの戦争中の小学生時代は「紀元節」といって盛大な祝祭日だったね。 八咫烏(やたがらす、やたのからす)を肩にのせた神武天皇の立っている絵を思い出すね。 同時に俺の誕生日。A氏:おめでとう。私:一休禅師の言葉で「元日や、冥土の旅の一里塚、めでたくもあり、めでたくもなし」というのがあるが、この年になると、同様に「誕生日、冥土の旅の一里塚、めでたくもあり、めでたくもなし」だね。 しかも、俺たちの歳になると、終点の冥土が次第に近づいてくる。 ところで、標題の本は、俺たちの年代の誕生日には、一番、読むにふさわしい本の1つかもしれない。 「生涯発達心理学」という専門書の分類になるのだろうから、シロートの俺にはスラスラ読める本ではない。 しかし、内容は、人の一生の知能の発達などを扱っていて興味が持てたね。 どこかの書評で興味をもって、図書館から借りた。A氏:サクセスフルエイジング(successful aging)という言葉を聞いたことがあるね。 「上手な加齢」「上手な年のとり方」という意味だね。私:以前の医学や脳生理学では、年をとると脳というハードウエアの機能が衰えるので、成人期の知的能力がいったん低下すると回復しないと考えられていた。 それが、1980年代から、「身体や脳の生理学的機能は、歳をとることによって低下することは避けられない」という考えが見直されるようになる。 そこで、生活習慣病のように、うまく環境をコントロールすると、知的に「上手な加齢」「上手な年のとり方」ができるのではないかという考えが生まれてきたんだね。A氏:歳をとってからも、脳のニューロン新生があるそうだね。私:知能の生涯発達心理研究の基本的なテーマは「歳をとるにつれて頭の働きはどう変化するか」というものだそうだね。A氏:やはり、歳をとると記憶力が衰えるというね。私:それが研究が進むと、必ずしもそうではないのだね。 面白いのは「フリン効果」だね。 「後から生まれた世代ほどIQ(知能指数)が高い」ということで、フリンが30年位前に発表したので「フリン効果」といのだそうだ。 欧米や日本などの先進国の調査で、同じ傾向を示しているという。A氏:何故だろう?私:いろいろな専門家の説明があるが、皆を満足させる説明は今のところないという。 それから、高齢になっても、知能は復活する可能性はあり、訓練や経験によって大きく伸びるという。 脳は経験と無関係に一方的に自然に衰えていくわけではない。A氏:肉体と同じだね。 合気道の名人の佐川氏は、90歳でも腕立て伏せを毎日400回やっていたというね。 若いときから、毎日連続して鍛えていると、かなり衰えを防止できるのだね。 しかし、毎日続けることが難しいね。 自己責任かね。私:一般的に老齢者は若い人より知能は落ちるが専門分野では負けないという。 それは熟達によって新しい認知技能が発生するという創造的な面があるからだという。A氏:名人と言われる人は高いIQ(知能指数)を持っているのだろうかね。私:チェスの熟達者に知能検査をしたが、熟達のレベルとIQの関連はあまりなかったという。 日本でも囲碁で調べたが、同様であったという。 IQの扱う一般的な知能ではない認知能力が別にあると考えられる。 明日は、サクセスフルエイジング・「上手な加齢」「上手な年のとり方」にもっとふれよう。
2009.02.11
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目と耳と足を鍛える技術 私:俺は、別にノンフィクションを書こうとする気はないので、この本は、養老氏の「自然」を観察する目を養うという視点と同じなので、この本を読んだ。 著者は去年の北京オリンピックにも自ら足を運んでいる。 開会式前日、北京空港から北京市街に向かう高速道路を走るが、窓の外の風景にはすべて白い靄がかかっていたので、最初、目が悪いのかと思ったという。 A氏:大気汚染だね。私:開会式当日も同じだったという。 これはあまりマスコミでは報じていないね。 著者は、東京オリンピックのときは、東京都立の高校生だったが、開会式当日は快晴で、東京から富士山が見えたということをよく覚えているという。 これは「目」の感覚のルポタージュだが、「足」では、会場にたどり着くまで5時間かかったという。 「耳」では各国選手団の入場行進で、日本選手が入場するときはブーイングはなかったが、拍手はまばら。 熱烈な拍手で迎えられたのは、親中国路線をとった台湾だったという。 開会宣言をした国家主席への歓声は少なかったという。A氏:現場での「足」「目」「耳」の情報は貴重だね。私:評伝の書き出しが重要だと言うことで、正力松太郎の例をあげているね。 この評伝「巨怪伝」は、昭和34年(1959年)の昭和天皇がプロ野球を観戦された天覧試合から始まっているという。 この天覧試合は巨人・阪神戦だが、これは正力松太郎が企画し、実行したという。 だから、天皇が観戦していたロイヤルボックスには正力松太郎がいた。 試合は、4対4で9回裏まで進んだ。 天皇陛下は9時15分に退出の予定であった。 長島のサヨナラホームランは、9時12分。A氏:天皇は、これをみてすぐ退出となったわけか。 そういう意味でも劇的ホームランだね。 それと正力松太郎との関係は?私:著者はこの天覧試合の成功を、皇室まで巻き込んだプロ野球とテレビの蜜月関係の開始を示す象徴としているね。 それは、正力松太郎は、36年前の大正12年には警視庁警務部長だったが、いわゆる虎ノ門事件が置き、責任をとらされ免官されているからだ。 虎ノ門事件は、難波大助がステッキ銃で、当事、摂政宮(後の昭和天皇)を狙撃した事件だね。 著者は、この天覧試合の成功で、36年前の汚辱が晴れたことになるとしているね。A氏:なるほど、本の冒頭で、36年間を、昭和天皇を媒介としてつないだわけか。 君のブログでは有馬哲夫著「日本テレビとCIA」1、2,3、4でも正力松太郎は登場するね。私:東京・金町浄水場の水質係主査の前田学氏の話は、まさに、人間の「自然」性を示しているね。 あるとき、地下鉄工事現場で多量の水が噴出した。 化学分析をしてもどこからの水かが分からない。 最終判断は、前田氏の「鼻と舌」にまかされた。 前田氏は即座に「それは朝霞浄水場の水です」と答え、事実はその通りであったという。 また、ある年の正月早々、東京周辺120万所帯の水道から嫌な臭いする水が出た。 前田氏の「鼻」は、取水源の川の水の臭いが残っているとして、彼はボートで利根川を遡り、百キロも上流の渋川のチクロ工場をつきとめたという。A氏:ところで養老氏がいう「脳化」「都市化」は、共通性を求めるね。 コンビニストアには田舎でも見かけるようになったね。私:佐野氏も、公立高校に入学した息子がもってきた卒業文集を見て、息子のを含め、まるで学校というベルトコンベヤーから生まれた型にはまった同じ文体、同じ発想に驚いたという。 「脳化」「都市化」の影響だね。 まさにこれからは、「虫捕る子だけが生き残る・『脳化社会』の子どもたちに未来はあるのか」だね。 今後、佐野氏の鍛錬された「目」「耳」「足」をもとに「人の自然」を描いたノンフィクションを期待したいね。
2009.01.03
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目と耳と足を鍛える技術私:月刊総合誌に「ウエッジ・WEDGE」というのがある。 この1月号の新刊書評にこの佐野氏の本がとりあげられていた。 それに、まず、次のような佐野氏の体験が書いてあった。 佐野氏がある書店のノンフィクションの棚を見たら、手間隙をかけた自分の本が血液型診断の本と一緒に並べられていた。 それを見たとき、血の気が引いたという。 人は多様で、安易に4つの血液型で分類して、人が分かったよう思う危険性があるからだ。 そういう思考からは深い観察眼や洞察力は決して養われず、深い人間関係も築けないと佐野氏は、この本を書いた動機を語っているという。A氏:昨日、養老氏の「脳化」にふれたが、佐野氏が取材する人間は「自然の人間」だね。 人が血液型という「脳」で描いた「人工人間」ではないね。私:昨日の「かけがえがないもの」で養老氏は、病院で検査した経験を書いているね。 総合病院のあちこちの科に行って、いろいろな検査をする。 何日かたって、検査結果が出て、病院にいくと、医者は養老氏をチラッと見るだけで、後は検査データシートをにらんでいたという。 養老氏の身体は、検査データシートに「脳化」、すなわち、「脳が決めた身体表現化」されたわけだね。 しかし、真の「自然の養老氏の身体」は医者の横に座っているのにね。 医者の多様さの理解や観察力は消えるね。 しかも、その検査データは1週間ほど前の過去の養老氏のデータにすぎない。A氏:君の養老氏知的街道に書いてあったが、養老氏が教えていた医学生が、死体解剖で教科書通りでない死体にぶつかり、死体がおかしいと言ったというね。私:佐野氏は、日本人は「脳で汗をかかなくなった」という。 特に思考停止とも言えるパターンやフレーズで対象を理解した気持ちになってしまう。 これは政治も同じで「構造改革」は、その一例だという。 「団塊の世代」もそうだね。 昨日の養老氏の「かけがえがないもの」でも「国体」というものが戦前と戦後は変わっているのに、言葉は変わっていないのにごまかされると言っているね。 佐野氏は「大文字」はだめで「小文字」に直すべきだという。 だから「団塊の世代」という「大文字」は、「日本の貧しさを知る最後の世代であり、日本が豊かになっていくことを最初に実感した世代」という「小文字」になる。 小泉構造改革という「大文字」を「小文字」にすると「脳に汗」が必要だね。A氏:「経済のグローバル化に伴ない、日本ではじめて、正規雇用制が崩壊し、労働者階層でも格差が拡大し、派遣社員というワーキングプアを増大させた改革」ということになるかね。私:佐野氏は、高度成長を築いた人物の一人としてダイエーの創始者である中内功氏の「自然」に迫るね。 ノンフィクションの取材には、見る取材であるルポタージュと、聞く取材であるインタビューがある。 そのためには、「足」が必要だ。 いずれにせよ、五感をフルに使わないと取材対象に深く入り込めない。 特に相手は「自然としての人間」だからね。 ダイエーの中内功氏との何回かのインタビューで、中内氏が突然「戦争で一番怖ろしいものは、隣りの日本兵だ」と言ったという。 「眠ると、いつ隣りの日本兵に殺されるかわからないから、それが怖くて戦場ではなかなか眠れなかった」 中内氏は人肉食いの噂がつきまとう地獄の戦場であるフィリピン・ルソン島で戦った。 中内氏の所属部隊は百人中73名が戦死したという。A氏:佐野氏は、高度成長時代の原点に戦争の厳しい体験があることを感じたのだろうね。私:佐野氏は、戦後生まれだから、こういう体験に迫るには、五感を働かせ、「脳に汗」をかいて、取材することが必要だっただろうね。 明日は、佐野氏の他の人の評伝についてふれよう。
2009.01.02
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かけがえのないもの私:今日は、さわやかな晴天で、横浜は遠くに富士山も見えた。 今年もよろしく。 ところで、この本は年末に、新聞広告で知って、買った。 奥付は平成21年1月1日とある。 新年トップを切って読むにふさわしい人生論の本だね。A氏:書き下ろしかね。私:いや、平成16年8月に白日社より刊行されたものの文庫版だね。 養老氏がいろいろなところで講演したものを集めたものだという。 9章に分かれているが、同じ話がダブっていることがあるね。 養老氏の現代における「脳化」「都市化」の問題点の指摘は一貫しているので、内容的にダブルのに不思議はないね。 それは養老氏も最後の「あとがき」でふれている。 要するに、ものには「自然物」と「人工物」があるが、人工物は「脳にあったものの現実化」の産物で、それが徹底化したのが都市だというわけだね。 その結果、自然を忘れたり、軽視するという問題を起している。 自然は、「予測不可能性」「多様性」が本質だから、「人工物」と対峙するね。A氏:そういえば、君の「養老孟司知的街道」は長いね。「マンガをもっと読みなさい」、「生の科学、死の哲学:養老孟司対談集」、「超バカの壁」「無思想の発見」、養老孟司氏・スマナサーラ氏対談「希望のしくみ」、「逆立ち日本論」養老孟司・内田樹対談1、2、「ほんとうの環境問題」池田清彦・養老孟司共著、「本質を見抜く力・・環境・食糧・エネルギー」養老孟司・竹村公太郎著1、2、3、「文系・理系の壁とは何か?・理系教育、文理融合型教育の未来を考える」1、2、3、「虫捕る子だけが生き残る・『脳化社会』の子どもたちに未来はあるのか」養老・池田・奥本著と続いてきたね。私:今度の文庫本化で、芥川賞作家で臨済宗の僧侶である玄侑宋久氏が解説を書いているのが知的興味を引いたね。 最初、「かけがえのない」という言葉の解説から入っているね。 これはこの本で養老氏が「かけがいのない自然」というのは、おかしいとしていることに関連している説明しているようだ。 養老氏は、変化し、多様な自然は、本質的に「かけがえがない」からだ。 玄侑宋久氏は 「『かけがいのない』あなたなどと褒めたてながら、一方では『掛け替え自由』な派遣会社が繁盛し、個人を掛け替えてもまったく困らない制度がどんどん作られている。 一国の首相もすぐに掛け替えになるご時世である」 と皮肉っているね。A氏:養老氏は、「都市化」が人に与える影響を重視しているね。私:現在は、自然と都市の共生であるとしているね。 玄侑宋久氏は、養老氏の説明にあった都市化思想の代表としての儒学に対して老荘思想を対比しているね。 孔子が仁義を説けば、老子はそれを人為と批判し、無為を唱える。 荘子はそれを「自然」とも「渾沌」とも呼んで援護した。A氏:養老氏は、時には過去、現在、未来があるが、未来は不確定としているね。 それは「自然」だからだね。私:人間は「脳化」で、その未来を予測して対応しようとしているね。 養老氏は、未来に向かっての計画は、現在を規制するとして現在と同じだとしているね。 子どもは「未来」の固まりだが、その未来を親が決めて、現在の教育をする。 それは「自然」の軽視だね。A氏:子どもには「未来の不安定の恐ろしさ」「自然の恐ろしさ」を教えるべきだね。 それは「危機管理マニュアル」でコントロールはできないね。 その「自然に対する不安」がないね。 「脳化」出来ると思っている。私:養老氏は、1日に1回、15分でいいから、「人間が意識してつくったものでない」自然をみてほしいという。 これらを観察し、みずからの解答を探し出すようにしてもらいたいという。 そこから「ゆとり」が生まれる。 意識の中に閉じこもることをやめれば、時間的な余裕も出来てくる。 そこから、「かけがえのない」未来がひらけていくという。 近くの自然公園にウオーキングで行くと、一連の中高年の男性が、1日中、林に向かってカメラを据えていることが多いね。 これなど、いい趣味のように思うね。 今年は、大いに「自然」に接しようよ。
2009.01.01
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私:先週の夜12時近く、寝ようと思って、その前に、ちょっと、テレビの電源を入れたら、日本テレビの報道番組のキャスターが、宮崎駿監督とインタビューしている。 印象を強く受けたのは、宮崎氏の「もう、日本のアニメはだめだ」という発言だね。 A氏:氏のアニメは、世界的な評価を受けていて、日本文化の象徴みたいなのにね。私:要するに、後継者がいないという。A氏:ウィキペディアによると、宮崎駿監督は、今年、67歳だね。 この人たち世代の後継者がいないということかね。 農・漁業の後継者が少ないと言われているが、アニメ業界も同じとは驚いたね。 原因は何かね。私:要するに、皆、バーチャル感覚になってきているということらしい。 アニメの絵を描いても、その絵の実体が発する臭い、音、感触を書き手の肉体が体験していない。 それでは、生きたアニメの絵は描けないという。A氏:一面では都市化の影響かね。 自然とのナマの接触が日常生活にない。私:養老孟司氏の言う「脳化」と同じだね。 養老氏は、参勤交代と言って、半年は田舎の自然と生活をすべきだというね。 宮崎駿監督にキャスターが「それでは、どういう手を打ったらよいでしょうか」と聞いたら、返事は「もう遅い。どうしようもない」と素っ気ない。 しかも、それは日本だけの現象でないようなことを言っていたね。A氏:一方で、機械化された単純労働で命を削っている若者もいる。 そして、無差別殺人の温床になっている。 他人の命もヴァーチャルな「物」になった。 一方で、ガソリン、農産物などの本当の「物」の値上げがある。 これらはバラバラではなく、何か、世界的に共通している流れのような気がする。私:改めて、2年前に俺のブログでとりあげた「グローバリゼーション新自由主義批判事典」で鋭く予言していた次の4つの問題点を思い出したね。 この2年間だけの間に、その進行はどんどん加速化している。 1.社会的不平等をますます深刻化させる 2.地球のエコロジー的均衡を危機に陥れる 3.商品と貨幣だけを価値あるものとする 4.人間生活のあらゆる様相を商品化して、人間の共有財を損傷する 人の都市化もグローバル化しているね。
2008.07.30
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私:スポーツクラブのヨガをやっているときに、静かな音楽が流れる。 インストラクターはいろんな音楽を選択して使っている。 特に気にしていなかったんだが、最近かかった曲はいいなと思った。A氏:どんな曲?私:明確なメロディーはないんだね。 何かお経でも聞くような感じで、穏やかな気分になるんだね。 インストラクターに「いい曲だね。どういう曲?」と聞いたら、「イントゥー・サイレンス」という曲だそうだ。 一般の店の店頭になく、注文になるだろうということで、次のときにメモを持ってくるということだった。 曲のジャンルは「ヒーンリング」ということだった。 帰りに一応、店に寄ったがなかったね。 その次のときに、覚えていて、「イントゥー・サイレンス」のケースとブックレットを貸してくれた。A氏:店頭になくて注文するなら、「ロングティール」でインターネットで買ったらいいのではないの?私:俺もそう思って、アマゾンで本を買っているので、「イントゥー・サイレンス」を検索したら出てきた。 在庫が少しあるという。 そして、この作曲家のカマールという人のもう一つの「クワイエット・アース」とセットなら、安くなるという案内が出た。 1500円以上は送料も無料なので、セットで注文したよ。 そしたら、早いね。 翌日、宅配便で届いたよ。A氏:聴いてどうだったね。私:何か、俺がスポーツクラブで聞いたのは、もっと、人のハミングが強かったような気がしたが、静かな曲だね。 4曲あるが、最後の曲が「イントゥー・サイレンス」で、まさに沈黙の15分間だね。 そして最後に鐘が鳴り、それで終わりだ。 この無音状態で、最初、インストラクターはちょっと、欠陥商品ではないかと思ったそうだね。 たしかに、完全な無音が15分間流れる。 そして鐘が静かに鳴って終わりだね。 他に3曲あり、4曲で約1時間だね。A氏:ヨガはどのくらい時間をかけるの?私:75分だから、インストラクターは途中、皆が横になってから、曲をかけているようだね。 「イントゥー・サイレンス」のブックレットには、各曲ごとに姿勢のイラストが書いてあって、その姿勢や動作で聞くようになっている。 瞑想する身体と音楽の一体化だね。A氏:沈黙の15分はどういう姿勢なの?私:座禅のように座っても、大の字で寝てもよく、静止状態を15分保つ。 ヨガでも、最後に大の字になって寝て、数分間、インストラクターの指示で体の各部分を足から意識していく。 数分間で数時間の睡眠に匹敵する効果があるという。 中には、イビキをかいて寝てしまう人もいる。 俺も寝た経験があるね。 ところで例の任天堂のWii Fitだが、これにボードを使ってヨガをやるようになっていて、ゲームの最後は「座禅」だね。 ボードに尻を乗せて、あぐらをかき、TV画面に映るロウソクが燃え尽きるまで、揺れ動くロウソクの火を注視して静止する。 これが3分だね。 ちょっと動くと「喝!」と大きな声とTV画面には大きな字が出て「座禅」失敗だね。A氏:「クワイエット・アース」のほうは?私:これも瞑想音楽ということで右脳と左脳のバランスをとるのでヘッドホンで聞くのがお勧めとブックレットにあるね。 ヨガと音とは関係があるようで、「アウン」といって、3つの言葉を連続して数秒ずつ、横になりながら口でお経のように唱えることがある。 「ア」音で下半身を共鳴振動させ、次いで「ウ」音で上半身、最後に「ン」音で全身60兆の細胞を共鳴振動させるのだという。 お経で声を出すのは、心の健康だけでなく、肉体の健康にも良いのだろうね。 「うつ病」予防にいいのではないの?
2008.01.21
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求めない 私:実は、この本は読んでいないんだよ。 ベストセラーになっていて、図書館で借りようと思ったら、もう400人近い予約殺到。 図書館も予想したのか、40冊くらい買っているがね。 詩集らしいが、この本の存在を知ったのは、「文藝春秋」新年号の毎号連載の「ローマ人の物語」の塩野七生氏のエッセイからだね。 塩野氏がこの本のことをふれているが、新聞広告だけでの印象によるエッセイだね。A氏:俺も塩野氏のエッセイは毎月愛読しているよ。 俺は昨日のブログで、本屋に行くとこの本を読むと儲かるとか、きれいになるとか、結婚ができるとか、何かエゲツないタイトルの「求める本」が並んでいると言ったが、この「求めない」という本は逆の発想かね。私:「捨てられるホワイトカラー」では、失業したホワイトカラーに対しては「就職産業」が存在する。 その力を借りて職を「求める」て求職先に気に入られるように努力する。 徹底的に自己責任で自己の向上を「求める」ことになる。 あるいは「人に好感を与える方法」というハウツー本がその「求め」に応じて出版される。 A氏:そういう時代に疑問を呈したのがこの「求めない」かね。 塩野氏はこの「求めない」の本の新聞広告はよくできているとして、引用している。 まぁ、広告だから、ここでもそのまま引用しよう。 「ほんの3分でも求めないでいてごらん。 不思議なことが起こるから。 求めない--- すると心が広くなる 求めない---すると恐怖感が消えていく 求めない---すると人との調和が起こる 求めない---すると待つことを知るようになる 迷った時、苦しくなった時、自分にささやいてみる。 『求めない』と。」私:塩野氏は、文藝春秋のエッセイで、自分はへそ曲がりだと言いつつ、「求めない」を全部、「求める」に変えてみたわけだ。それをまた、引用して列挙するよ。 「求める---すると心が広くなる 求める---すると恐怖感が消えていく 求める---すると人との調和が起こる 求める---すると待つことを知るようになる 迷った時、苦しくなった時、自分にささやいてみる。 『求める』と。」 A氏:アメリカ人は、だから、失業しても「求める」んだね。 塩野氏は、この広告を日本滞在のときに読んで、ローマに帰るときに、本を読もうと思い空港内の書店をさがしてもなく、結局読んでいない。 しかし、この広告はおそらくこの本の性格を的確に示したものだろうね。私:以前、バブルの頃、「清貧の思想」という中野孝次氏の本が出たことがあったね。 俺は読んでないが、図書館の概容によると 「名利に使はれて、閑かなる暇なく、一生を苦しむことこそ、愚かなれ...。モノとカネにふりまわされ、明け暮れする人生は真に幸福なのか? 光悦、西行、兼好、良寛ら先人の生き方の中に、モノを『放下』し、風雅に心を遊ばせ、内面の価値を尊ぶ『清貧』の文化伝統を見出し、バブル謳歌の日本に猛省を促した話 題のベストセラー」 とあるね。 十年位前のベストセラーだが、また、「求めない」で同じことの繰返しかね。 A氏:塩野氏は、しかし、「求めない」と「求める」の違いは、「求めない」は3分でもいいが、「求める」は3分ですまないということだといっているね。私:しかし、俺は「求めない」も大変だと思うよ。 光悦、西行、兼好、良寛だって、皆、長寿だろう。 どうやって衣食住を「求めて」生きていたんだろうね。 当時の貧しい農民よりは豊かだったはずだがね。 それは「求めた」からではないかね。 「求めない」でなく、「求めるもの」が違うということなんじゃないの?A氏:著者の加藤氏は1923年東京生まれだから、今年84歳かね。 早稲田大学英文科卒、カリフォルニア州クレアモント大学院留学。 信州大、横浜国大、青山学院女子短大に勤め、フォークナー、トウェインをはじめ、数多くの翻訳・著作を手掛ける。 現在は、信州・伊那谷に独居し、詩作、著作のほか墨彩画の制作をおこなうとある。私:俺たちなどに比較すると「求めてきた」人生のようだね。 だから、今、その蓄積で悠々と好きなことをしていられるのではないかと思うよ。 塩野氏は、「求めない」と人の尊厳や貪欲を求めた歴史の否定になるとしているね。
2007.12.20
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私:昨日、本棚を片付けていたら、奈良の薬師寺の「般若心経」の写経用紙が出てきた。A氏:確か、奈良薬師寺再建のため、故高田後胤管主が企画した写経ではないの?私:そうだね。十数年前に、奈良に仕事でよくいっていた時、薬師寺で買ったんだ。写経して送付して納経しようと思って用紙を買ったんだよ。そのまま、仕事が多忙で、そういう心境にならないまま、いつの間にか時間があっという間に過ぎてしまったよ。 この写経で数百万人の納経があり、その寄付金で薬師寺再建を果たしたというね。A氏:「般若心経」は実は、われわれの身近に多いんだね。私:そうだね。私の両親、妻の両親は地方が違うが、それぞれの葬式で、この「般若心経」の本が配られ、葬儀の出席者が、和尚が読むのに合わせて、声をあげたね。それが最近、ブームの「般若心経」とは意識しなかったがね。A氏:「般若心経」の写経は時間がかかるのかね?私:いや、漢字で三百文字程度だから、書き出せば、1時間はかからないだろう。 それに写して書けるように手本があり、これを下敷きにして書けばよい。問題は、集中する時間だね。精神的にもね。そういう環境になるのをあこがれていたんだね。心の健康を買ったのかもしれない。だが、いまだに書いていない。A氏:漢字を書くのは、結構、精神的にもいいことだ。書道なんかも見直されているようだ。私:もう、ワープロ時代から手で字を書かなくなって三十年以上たつね。だから、漢字はパターンで覚えていて、筆順を忘れつつある。 そこで、最近、ようやく、少し書道をやり出した。書道は、小学生以来ではないかな。なかなかいいね。腕の動きだけでなく、姿勢や精神的な集中や安定にもよいね。 パソコンでのブラインド書きは速いが、なにかせわしい心理になっているのに気がついたよ。昔、原稿用紙のマスに字を埋めていった時代がなつかしい。 英語の本は、やたらに厚い気がするが、昔からタイプで打つせいかね。A氏:漢字文化も、継続して生かしていきたいね。私:二十一世紀は、行き過ぎた左脳時代の反省から精神的な右脳文化への時代だというからね(2006.05.16の日記参照) 。失いたくない文化だね。
2006.06.29
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