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『平田オリザ戯曲集2転校生』平田オリザ(晩聲社) 前回の続きです。 上記の戯曲を私はそれなりに楽しく読みはしたのですが、「納得」という感じまでには至りませんでした。もっとも現代演劇は、戯曲を読んだだけでは全く分からないというのは常識でありますが、ともあれ私は、平田氏の演劇関係の本をさらに2冊読んでみました。この2冊です。 『演劇入門』(講談社新書)・『演技と演出』(講談社新書) この2冊も面白かったですねー。筆者が自らの方法論について見事に理論化していることが分かります。きっととても頭の言い方なんだろうなと思いました。 様々なことが書かれてありましたが、前回の報告で私が取り上げた平田戯曲の2つの特徴について、それに少し絞って紹介したいと思います。 前回私が指摘した平田戯曲の2つの特徴はこれでした。 1、セリフは観客に向かってしゃべられるわけではないということ。 2、少なくないセリフは同時に複数発声されるということ。 この2点は、物珍しさからは面白くも思いますが、しかし、ずっとこれだと、ストーリーが分からなくなってきませんか。ストーリーが分からないということは、テーマも分からないということになりませんかね。 上記の2冊には、この疑問についての作者のユニークな認識が書かれてあります。 まず、ストーリーが分からないことについてはこんなエピソードがありました。 女子大生が、昔家庭教師をしてもらっていて、恋愛関係にもあった男と再会するシーンがあります。そこで、次のような会話が行われます。 女・あのあと(別れたあと)ね、子ども出来たんですよ 男・え? 女・赤ちゃん 男・…… 女・うっそー、 男・…… 私の演出では、ここでは女子大生のほうは後ろを向いていて、どんな表情でこの台詞を言っているのかさえ分かりません。ここで私が、俳優に要請したのは、「観客の半分は、この女性が本当に妊娠したのだけれど、わざと『うっそー』と言ったと思い、観客の半分は、妊娠はしていない、ただの嘘だと思うように演技してくれ」というものでした。ここには、演出家としての私の「解釈」はありません。 どうでしょうか。読んでいるだけでスリリングな舞台演出だと思いますね。 しかし、……しかし、こんな演出の結果、テーマはどうなってしまうのかについては、筆者はこの2冊の本の中のいろんな部分で触れています。 「伝えたいことなど何もない。でも表現したいことは山ほどあるのだ」 世界を、ありのままに記述したい。私の欲求は、そこにあり、それ以外にない。 私は、何かのメッセージや道徳観を観客に伝えるために、演劇を作っているわけではありません。私は、カクテルパーティーのようなカオス状態を舞台上に提示して、観客に、その世界を様々に感じ取ってほしいのです。 あるテーブルに数名の人間が座っているとします。その中の誰か一人に、観客をうまく感情移入させるのが、近代演劇の演出法です。(中略)私は、観客が、そのテーブルに座っている、もう一人の人間のように演出をしたいといつも思っています。 もしも様々な芸術活動が、新しい世界解釈を作り出すことを最終の目的とするならば、こういったポリシーで作られた演劇活動が、それにふさわしくないはずはないと思います。 さて、一番最初の報告であった筆者の戯曲についてですが、演出家の意図をとても納得した私ではありますが、もちろん戯曲については、予想通りの数多くの限界を持った読後感でありました。 これは当然のことで、後は『転校生』という演劇の場に、私が直接参加するしかないのであります。 よろしければ、こちらでお休み下さい。↓ 俳句徒然自句自解+目指せ文化的週末 にほんブログ村 本ブログ 読書日記
2018.08.18
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『平田オリザ戯曲集2転校生』平田オリザ(晩聲社) 人に勧められて、平田オリザの新書を一冊読みました。ひと言で言えば、日本国の文化政策についての提言という内容の本でしたが、確かになかなか興味深い本でした。 そこで、筆者平田オリザについて少しググッてみると、とても評価の高い方であることが分かりました。 本職が劇作家並びに演出家でいらっしゃることは、何となく知っていましたが、その評価がまた高い。(でもこれはまー、当然ですかね。本職の評価がまず高いから、それ以外の部分についても高くなるんでしょうね。) 新しい日本の演劇世界を拓いた人物のごとき高評価であります。 「現代口語演劇」とか「静かなる演劇」とかいう言葉で、その評価の一端が書かれてありましたが、しかし私は今まで氏の戯曲を一冊も読んだことがなかったので、これは読まねばならないだろうと思いました。 実は私は演劇青年であった時期などないのですが、それでも戯曲にけっこうはまった時期がありました。 今ではたぶん年に2回くらいしかお芝居も見に行かなくなってしまいましたが、それでも現代の演劇について、興味引かれるものを持ち続けているつもりです。 ただ現代演劇は、こと「戯曲」というレベルで論じることはもはやできなくなってしまい(あたかも、CD鑑賞だけのオペラ理解が不可能なように)、だんだんと戯曲も読まなくなってきました。(第一書かれていることの意味が、戯曲の活字からだけではさっぱり分かりません。) などという経緯もありましたが、ともあれこの度、一冊(図書館で借りて)読んでみました。 ……で、どうなんだ、と考えると、……うーん、とつい唸ってしまうのですが、……、あ、それよりまず、この演劇は1994年に青山円形劇場で初演が行われたそうですが、田舎者の私は「円形劇場」なるものが東京にあることを知らず、まずそのことを一人おもしろがりました。 なるほど戯曲のト書きにも、第一場から第四場まで、順に「東西南北」の方を向いてしゃべることになっています。 次におもしろがったのはその本の表記のスタイルで、3段組になっています。 3段組になっているといっても、内容の重い全集本などにあるような中身のみっちり詰まった3段組ではなくて、3段にそれぞれ書かれたセリフは、それを縦に貫ぬく同一時間に発声するという仕組みになっています。 と、この2つをまず私はおもしろがったのですが、すでにもうここから極めてオリジナリティの高い筆者の演劇が浮かんできます。それは、 1、セリフは観客に向かってしゃべられるわけではない、ということ。(上記のシステムだと、一人の観客に向かって発声されるセリフは全体の1/4しかありません。) 2、少なくないセリフは同時に複数発声される、ということ。 これはいったいどんな舞台ができていくのだろうかと思いつつ読み続けました。 ほぼ、1時間の舞台だそうです。ということは戯曲もさほど長くなく、すぐに読めます。 私は2回、読んでみました。 というのも、まずストーリー的にいえば、大きな事件や展開はなく、よく似た感じの文学作品を思い浮かべると、「ミニマリスム」と呼ばれた小説、例えば保坂和志の小説(氏の最近の作品は私は全く知りませんが)のような感じでした。 私はこのタイプの小説は別に嫌いじゃないので、けっこう楽しく雰囲気を読んでいたのですが、でもこのタイプの作品は、「わかった」という感じにはなりません。 だから、とりあえず2回読みました。 上記に、保坂和志の小説みたいと書きましたが、保坂和志の小説には確かに全く「現実の裂け目」めいたものはでてきません(たいていの小説は何らかの現実の裂け目を設定し、それを梃子に何かを語っていくように思います)が、この戯曲にはあります。 それは、「謎の転校生」です。 なぜこの学校にやってきたのかまるで分からない(転校生自身にも分からないとなっています)転校生がやってくるという「裂け目」です。しかしストーリーは、それを梃子にする、あるいはその謎解きをする、という方向には全く進みません。それは、ほぼ運命論的な転校生の存在であるようです。 で、実は、その「運命論的」なセリフは、いろんな所に散りばめられたりしています。 例えば、赤ん坊は何も知らないで生まれてくるとか、カフカの『変身』のザムザが死んだ時、家族はしょうがないかなって感じていたとか、赤ん坊が生まれるHOWはわかるけれどWHYはわからないとか、ふっと何かが横切ったような感じのするセリフがあります。 そこまででいいのかなとも思いますが、でももう少ししっかりした形として理解したいと思いませんか。 そこで私は、急遽、今度は平田オリザの演劇理論関係の本を2冊読んでみました。 次回、その報告をします。続きます。すみません。 よろしければ、こちらでお休み下さい。↓ 俳句徒然自句自解+目指せ文化的週末 にほんブログ村 本ブログ 読書日記
2018.08.04
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