
ひゃら~りひゃらり~こ なんてテーマソングのある映画でした。
カラーではなかったですね。モノクロ映画。さすが活弁士はいないものの
トーキーという音と映像は一致したモノクロ映画でした。
娯楽はなぁぁんにもないので、映画全盛時代。
映画館は小さい街にも、ちゃんとありました。
家族そろって、映画を見にいくのです。
寒い時は、小さな火鉢に炭をお越し、灰をかぶせて持って行き
映画館の畳の座席で一家全員 手あぶりしながら見物。
終わると「下足をもらって」帰るのです。
我が家は古~い映画を見ると、「下足 下足」と言って笑います。
さすがにものすごい古いのを見ると「こりゃー 明治天皇が古いっていうわ。」
映画が終わると となりの支那そばやにみんなで行き
ラーメンといわず「支那そば」を注文して食べるのが贅沢でした。
私は 当時3才か4才なので一人前を取ってもらえず、
お椀に分けてもらうので、早く大人になって 一人前分取って食べたいなと
いつも思っていました。
チョコンと乗った鳴門巻きがきれいなので、みんなから鳴門巻きだけ取り上げて
食べていました。
蒲鉾は、折り詰めなどに入っていた高級品で なかなか食べられません。
父親におんぶしてもらうと、背中が大きくて、前が全然見えないので
おんぶは母に 肩車は父にしてもらいましたね。
父親かじいさんが、寄り合いなどで持ち帰る折り詰めには
子供にとってすごい魅力のあるおみやげでした。
きれいな蒲鉾・甘いきれいな羊羹・きれいに作った煮物・焼き魚
時々鯛の塩焼きなども入っていたりして、
今夜は寄り合いに行くとか 恵比寿講のあつまりなんて聞くと、お土産待ちで
寝ないで待っていました。←食い意地の張ったガキ。
蒲鉾は当時は厚さ2センチもある
豪華なものでした。ほとんどすり身なので、プリプリしておいしかったなあ。
これと羊羹みたいなゼリーのようなきれいな甘いの。
これを叔母達と争奪戦で食べました。
叔母と言っても 12才しか離れていない叔母もいて、叔母もガキんこ。
毎日 くっついて遊んでもらったり、紙芝居なんか見にいってました。
以前書いたように、叔母は私をダシにして紙芝居見物なのね。
当時、雑誌は「なかよし」と「りぼん」 少しお姉ちゃん用が「少女」なんてありました。
月刊誌なので、次が出るまで擦り切れるほど何回も読み、暗記できるほどでした。
まあ 今考えるとセコイと思うかもしれませんね。
こんな時代もあったのです。
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