戦争の責任って あの人にあると思う?
「あるさ 当然だよ まあ 日本中 全員にあるな。
貧困やら 欧米のアジア侵略をなんとかしたいとかいろいろあるけどな。」
いつ頃 日本が負けると感じた?
「開戦して半年くらい経過したあたりかな まあ本気で勝てるとは思ってなかったしな」
大本営発表なんて 嘘ばかりだったのをうすうす気づいていたようでした。
父も特攻志願をしようとも思ったけど ためらっていたみたい。
でも後数ヶ月 終戦が延びたら 父もどうなってたことやら。
役得で 復員した時 パラシュートの生地なんか持ち出したそうです。
私の おくるみやら 7つボタンの制服も私のベビー服に変化したんだって。
そう あたしゃ 海軍の残り物着て大きくなった? べらぼうめ!!
帰ってからすぐにやった事が 東南海地震で倒れた家の建て直し。
終戦前に 東南海地震があったけど 国策で秘密にされ 支援など一切なし。
材木の調達は 山に行って よさげな木を選び 山の持ち主にかけあったり
大工とて少ないので みんなで手伝って家を建てたそうです。
そこまでは孝行息子ですが ここからがよくない。
いわゆるチンピラになりまして 鶴田浩二さん(当時浜松でヨタってた)などと
愚連隊をやっていたそうです。
仲間のおっちゃんに ヒロポン中毒の人もいて とうとうラリって
警察に殴り込みを単身でかけて 射殺され 父が遺体を引き取り葬式をしたとか。
ヒロポンだって 国策で販売され みんな使ったんです。
父は 海軍でヒロポンの中毒性は少しは知っていたらしく 手を出しませんでした。
あれは 使うと眠くならないので 徹夜で仕事をするとか 突貫の仕事には持って来いの薬
薬局で売っていたんですよ。知らない人は みんなポン中になり哀れなものでした。
勤務していた社長の話だと チクロパンなるものもあって これは2日くらい睡眠をとらなくても平気になり いよいよ眠たくなると 火鉢が前にあっても突っ伏して寝てしまうという強烈なヤツ。
顔に大やけどしたとか そのまま死んだなんてあったようです。
国で薦めておいて 中毒性がわかると 販売したら麻薬と同じ刑罰なんて いい加減ですよね。
軍需工場などで 堅気の普通の人に中毒患者が多くでたようです。
注射針も使い回しで B型肝炎なども発症したらしい。こわいです。
国も貧乏で 国民も貧乏だと 悪い事ばかり蔓延するのは 当たり前なのでしょう。
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