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無事、29日に引越しを終えることができました。あの日は、ちょうど荷物を車に積み終えたときに、雨が雪に変わりました。そのあとは、大きなぼたゆきが夕方まで降っていました。いつになく、寒い日でした。さて、実家に帰ってきた私ですが、この数日は、引越しの荷物の片付けと、大掃除に追われておりました。今日は大晦日なので、なんとか、ダンボールから荷物を出して、納めるところに納めてなんとか、新年を迎える準備ができました。(ちなみに、母は、しめなわや鏡餅の調達に、父は神棚のそうじに忙しくしていました。)私の荷物の大半は、本と仕事関係の文書です。最近は、多くの報告書や論文がPDF化され、ダウンロードができるのですが、とはいえパソコン上で何百ページも読むのは大変なので、結局プリントアウトしてしまい、それを捨てられずにとっておくという間抜けなことをしています。しかも、プロジェクトごとの資料というのもあります。しかし、今日は、決心しました。5年間見ないものは捨てると...そして、捨てました。そしたら、気持ちもすっきりしたし、本棚のスペースもできてよかったです。そして、行った先々で、「う~ん、こんな文献は日本では手に入らない」と思いついつい本を買ってしまったり、仕事で行く先々の国について出張前にかならず数冊、出張後には報告書をまとめるための文献を数冊...という風に...本の数は増えて生きます...しかも、捨てられないんですね、本だけは...あとは、本屋に行くのが好きなので、面白そうな本をついつい買ってしまったり、話題の本は、おそらく1日で読んでしまうような本も買ってしまったり...いけないな~と思うのですが...話題の本は、特に出張するときに読むことが多いです。今回は、川田順三(人類学者です。)の本を2冊と、まだ読んでいないダヴィンチコード、失われたアークを持っていこうと思います。さて、大晦日といえば...「行く年来る年」です。(まだやってるんでしょうか。)あれを見ると、日本の正月を感じます。日本各地の、新年の様子と除夜の鐘。特に、雪などが降っている比叡山や高野山の様子を見ると、正月気分もいっそう高まります。ことしも、残すところ約4時間になってしまいました。今年は、前半はインドネシアやウガンダで、後半は東京の会社員生活をすごし、今後の自分のやりたいことは一体なんだろうと考えてきました。来年は、それに一歩近づくことができる年になりそうです。来る年への期待と不安を抱きつつ、今日はこのへんで。皆様にとって来る年が素敵な一年でありますように。よいお年をお迎えください。
2004.12.31
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明日は、引越しです。今まで2年と少し、現在のところに住んでいましたが、来年以降、ますます日本にいる時間が短くなりそうなので、実家にしばらく居候することにしました。今日は、もう12月22日だということに気づき、あわててあっちこっちにメールでクリスマスカードを送ったりしました。あとは、年末に実家に帰るときの手土産を調達したり(花園饅頭の雪ウサギというお饅頭にしました。)あとは、荷造りをして、あわただしく一日が過ぎていきました。今日は、とても寒かったです。南国仕様の私にはとてもつらい一日でした。というわけで、あしたから1週間くらいは、ばたばたして、書き込みもできなくなりそうです。
2004.12.23
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私は、ビールが好きです。しょうこりもなく、ビールのラベルをはがしては、日記にはりつけています。(なので、それほどコレクションぽくはないですが、日記の思い出がよみがえります。)日本も最近地ビールがありますね。あまり、沢山は知りませんが、草津のビールは草津で飲んだときはおいしかったです。東京でのんだら、微妙に違いました。やっぱり飲むところも関係してくるんでしょうね。米国のボストンにしばらく生活したことがありますが、サミュエルアダムスというビールがあります。いろいろな味がありますが、茶色の液体で、濃厚な甘みの強いビールだなと思いました。そういえば、ビールを常温でだすビヤホールのようなところもありましたね。ラベルには、もちろんサミュエルアダムスがついてました。英国のビールもいろいろありました。ロング缶(1パインとという単位で500ミリより少し少ないです。)のものと、瓶詰めのものがありました。後者も20種類くらい常時ならんでいたと思います。でも、値段は缶よりも高いので、時々しか買えませんでしたが。比較的色の濃いエールが多いですね。そして、ラベルもいろいろありました。パブの看板のようでした。魔法使いみたいな絵がついていたり、シンプルな文字だけのものなどなど...パブの看板と一緒です。(私のお気に入りは、Irish Ale Caffrey's でした。泡が、カプチーノのようで、おいしいです。)ウガンダにもビールは何種類もあります。Bell, Nile Special, Pilsner(これはもともとケニアのビールです。カンパラでは通称レッドトップと呼ばれています。私の定番です。)、Club Pilsner(軽めですっきりした味です。)、ESB(アルコール度がものすごく高い。)などなど。ウガンダの東部に行くと地域限定販売Eagleというビールがあります。日本人は、BellかClub Pilsnerを好む方が多いです。さて、これらの国を比較してみると違いがあることに気づきました。日本や英国のビールはラベルをはがすのがとても大変であること。かたや、ウガンダで飲むビールのラベルはつるんとはがれます。なぜか?知人にそんな話をしたところ、冷蔵庫にそのなぞをとく鍵があったようです。ウガンダでの電気の普及率はとても低いです。地方都市と幹線道路沿いにいくらか電気が通っているという感じです。ですから、冷蔵庫の電源確保もなかなか大変です。(ちなみに、村に住んでいる人たちは自動車のバッテリーを利用しています。あの重たいバッテリーを自転車やバイクで電気のあるところまで持っていって、充電してもらいます。それで、家に持ち帰りラジオなどの電源として使っています。)しかも、電気がきても停電があるので、瓶は汗をかいたり、あるいは、水につけて冷やしたりするわけだそうです。それで、ラベルののりがはがれやすくなるそうです。日本や英国ではそんなことはめったに無いですね。最近は、ガンビアのビールのラベルを頂きました。鷹のような絵が緑の背景に描かれていて、迫力がありました。国によっては、ビールを入手することが大変なところもありますが、これからも、行く先々でのビールを楽しみにしています。
2004.12.19
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昨日は、仕事関係の方々と夜会食でした。食べたのは、長崎料理でしたが、干物系が多くて塩分が多かったです。酒飲みにはたまらないでしょうけれど...人によって味覚がことなるのは当然のことですが、国によって表現の仕方も違うような気がします。ウガンダでは、おいしいものは「甘い」、まずいものは「すっぱい」と表現されることが多いような気がします。ウガンダの「砂糖」消費量は、途上国どこもそうでしょうが、かなり大きいものと思われます。(調べたことが無いので、具体的な数字はありません。)首都カンパラの知人の家族は、確か1週間に家族5人ぐらいで1キロの砂糖を消費していたように記憶していますが。どのように消費するかといえば、紅茶にいれて消費します。コーヒーのマグカップに大匙山盛り数杯...紅茶は、薄く色がつく程度にいれてあるので、砂糖の味しかしません。時にはミルクティーの時もありますが、牛乳も紅茶も薄いのであの、東京にあるカフェxxxやインドのチャイのような濃厚な味わいはありません。(ちなみに、時々紅茶のなかにしょうがが入っています。これは、私も好きですが。)この知人は、砂糖を1週間に一度市場に買出しに行くそうですが、砂糖に対する出費は大きいと思っていたようです。田舎では、砂糖は貴重品の部類です。現金収入を得る機会が限られている村落部の人々にとっては、お金で何かを買うというのは大変なことですが、砂糖もそうです。彼らは、砂糖を村の小さな商店で買います。私が数年前、村に住み込んで調査をしていたときに、ある村人に聞きました。「貧しいとはどういうことですか?」そうすると、このおじさんは「朝から晩まではたらいても、砂糖なしの紅茶しか飲めないこと。」といっていました。彼は、自らの貧しさを、砂糖がつかえるかどうか、あるいは買えるかどうかという点で表現しました。そういえば、私もウガンダ人の村の知人の家に行くときに手土産は何にするかといえば、お砂糖でした。日常生活をともにすごしてみると、なんとなく、砂糖が必需品なのだけれど、貴重品でもあるという感覚を持ったのかもしれません。ちなみに、ウガンダでもサトウキビは栽培されています。カンパラ東に2時間ほど車でいったJinjaという町のあたりには、大きなさとうきびのプランテーションがあります。工場もあり、国内市場に流通しています。そうそう、このJinjaという町にはビール工場もありますね。ウガンダのビールにはいろいろな種類があって、楽しめます。次は、ウガンダのビールのはなしでも...
2004.12.18
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今日は、なんだかくさくさした気分です。そんなときは、大声で叫ぶ、酒を飲む、あるいはComfort Foodといわれるものを食べるなどなど、対処法はいろいろあります。私の場合は、Comfort Foodを食べるのが一番良い方法だったりもします。やけ食いというのとは違います。Comfort Foodを食べると何かハッピーな気分になるのです。Comfort Foodは、人によって異なります。その、あ~これを食べると幸せ~という感じをもてる食べ物ですから、ひとそれぞれあるでしょう。私の場合は、Trifleです。イギリスに数年間滞在していたとき、研究生活というのもなかなかストレスの多いもので、いつもイライラするとスーパーからTrifleの大きいのを買ってきて一人でむしゃむしゃただひたすら食べたのを思い出します。Trifleは、スポンジケーキ、カスタード、イチゴのゼリーと生クリームを重ねたお菓子です。とてもシンプルなお菓子ですが、いつもスーパーでイチゴが丸ごと入ったTrifleを買っていました。日本では、あまり見かけないのですが、ナポレオンパイが似たような味だったと思います。というわけで東京では、私のComfort Food はナポレオンパイです。さて、ウガンダでは???不思議と特にこれが食べたいという気持ちにならないというのは、おそらくストレスが少ないからかもしれません。しいて言えば、ダークローストのコーヒーかもしれません。ウガンダは、世界有数のコーヒーの産地ではありますが、雨が多いために東部の一部の高地を除いては、生産量のほとんどをRobusta種が占めています。そして、焙煎やフィルターがあまりよくないので、私が好む☆Bのようなコーヒーはお目にかかることができません。(これは、紅茶にもいえます。スリランカのような味の紅茶はないですね。なぜかウガンダ産の紅茶は茶葉が粉々です。なぜでしょうか?)インドネシアでもそうです。仕事の関係で、主にスマトラに年の半分はいるのですが、おいしいコーヒーはお目にかかったことがありません。ですが、ストレス度が高くなると、あの☆Bのコーヒーのにおいが鼻のあたりをちらつきます。そういう時のために、出張をする前には必ず☆BのC. Veronaを一袋もって行きます。ですが、最近ウガンダの東部のMbaleのあたりを産地としたアラビカ種のコーヒーが、ウガンダ国内でも流通するようになり、(Bugisu Cooperativeというところが出しています。日本で言えば、農協。でも、コーヒーに特化した組合ですから、日本の農協とは少し違いますね。)結構おいしいです。しかし、問題はドリッパーです。おいしいコーヒーを飲むためには、ドリッパーもなくては。というわけで、出張する時にはドリッパーも持って行きます。年明け早々のウガンダ出張に備えて、そろそろコーヒーを調達しなくてはいけませんね。
2004.12.15
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昨日は、職場の忘年会でした。「マツケンサンバ」というのを初めて見ました。まるで、インド映画(Bollywood映画)の一場面をみているようでした。Bollywood映画は、DVDやVCDを買ってみています。まだ、あまり沢山見ていませんが、BombayとBollywood映画ではないけれど、Monsoon Wedding(この映画の監督のMeera Nairのご主人は、Mohammed Mamdaniというウガンダの政治についての著名な研究者でもあります。彼女は、Mississippi Masalaという映画も製作しています。この映画は、1970年代にウガンダを追われ、アメリカに居を移すインド人の家族についての話です。)、Akene Hem Akene Tumなどを見ました。最近気に入ってみているのは、Kal Ho Naa Hoというタイトルの恋愛映画です。これは、「もし明日が来なかったら...」みたいな意味らしいです。(間違ってたらごめんなさい。)病を患い、余命いくばくも無い主人公Amanが、治療を受けるためにやってきたニューヨーク。彼は、思いやりと愛情にあふれた人で、彼のいるところにはいつも笑いと暖かい雰囲気で満たされます。そこで、彼が出会ったのは、すこし意地っ張りで、家族思いで幸せになりたい大学院生のNana。彼女は、Amanに気持ちを打ち明けようとしますが、彼は自らの命の限界を知り、彼女を幸せにはできないと思い、Nanaの喧嘩友達・クラスメートで、ひそかにNanaに恋心を寄せるRohitと彼女が結婚するように仕向けます。そして、Nanaは次第にRohitの気持ちを受け入れ結婚します。そして、Amanは病床に倒れてしまいます。最後に、彼がRohitに言います。「この世では、Nanaは君のものだが、生まれ変わったら彼女は僕のものだ...」こういう単純なストーリーで、涙腺がかなり弱い私は、涙をぼろぼろこぼしながらなきながらみるわけで...この映画を見てしまうと翌日職場で、「夕べ見た?」と聞かれてしまいます。というわけで、映画のあらすじでしたが、インド映画には、かならず踊りと歌がつき物です。この映画のなかでは、主題歌でもあるKal Ho Naa HoやPretty Woman、 It’s the Time to Disco、 That’s the way I like itなどをBollywood風アレンジの踊りと歌でたのしめます。そして、衣装がとてもきれいで、どの映画も楽しみです。私はどちらかというと、現代的な洋服だけのものより、サリーやパンジャビのような衣装でみんなが踊るシーンが好きです。日本の街を歩けば、白や黒、グレーなど、沈んだ色が多いのですが、赤、ピンク、青、白、黄色、緑、あらゆる色があふれ、出演者がエネルギッシュに踊るBollywood映画のシーンは、私にとっては、心を元気にしてくれる一種の栄養剤のようなものだと思います。そして、今日も私はBollywood映画をBGMにこの日記を書いています。次は、Amitabuh Batchanが出ている、Kabi Kushi Kabhi Gamを見たいと思います。
2004.12.11
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昨日は、一挙にアクセス数が増えて驚きました。土曜日だったからでしょうか。これからも、不定期に更新していこうと思います。私は、一応、英語でいうと「ドクター」という称号で呼ばれることができます。しかし、私の専門は社会学ですから、もちろん医療知識は、常識の範囲をでないわけです。まだ、学生だったある日、私の指導教官がこんな話をしてくれました。『彼の友人で、とあるアフリカの村で「Dr.xxx」と自分の部屋の前に表札を掲げていた人がいたそうです。すると、だれか村人が病気になるたびに、彼の部屋のドアをノックしたそうです。でも、病人の手当てのできない人類学の「Dr.xxx」に村の人は首をかしげたということです。』村の人は、この人類学者の「Dr.xxx」を医者だと思ったのですね。この話を聞いたときは、笑い話として聞いていたのですが、私の後の苦い経験を暗示するかのような話でした。私がまだ、学生で、ウガンダのある村の寄宿舎のある小学校に居候をしていたときです。この学校は、カンパラから約1時間ほどはなれた、幹線道路からは30分ほど未舗装の赤土の道を入ったところにあります。公共の交通手段としては、パブリックタクシーあるいはマタトゥと呼ばれる乗り合いバスがあります。朝はカンパラに向けて、夜はカンパラからの便が通ります。それ以外の時間では、いつ通りかかるかわからない、ボダボダというバイクタクシーを待って、町まで行きます。今でも電気・水道などは通っていません。学校の近くの医療施設といえば、トレーディングセンターと呼ばれる定期市場の開かれるあたりに、簡易診療所がありました。私は、そこにしばらくお世話になっていました。ある日、寄宿生が私の部屋にやってきて、「ババ(Baba: お姉さんという意味です。)、病気の子がいて、先生もどうして言いかわからないよ。」といいました。そして、様子を見に行ってみると、熱でうなされていました。夜のことだったので、街燈もない夜道を歩いてトレーディングセンターまで移動するのは躊躇されました。歩けば30分くらいのところです。学校には、電話も無かったので、そのときは、こっそり、万が一のためにと持っていた電池の少しだけ残った携帯電話で、知人に連絡をとり、応急処置の方法を聞きました。そして、手当てをすると、比較的すぐに熱も下がり、町から車で来てもらった別の知人に病院に連れて行ってもらいました。このときは、友人の協力で事なきを得たわけですが、私は、ドクターと呼ばれるようになるために何年もの時間を費やして研究をしているにもかかわらず、子供の熱の手当てひとつ満足にできない。そんな自分を情けなく思いました。そして、今は、私にもできることというわけで、農村開発の分野で仕事をしているのですが。
2004.12.05
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とうとう寒くなりました。先日は、風邪を引いて仕事を休んでしまいました。私は、あまり体調を崩してしごとを休むことは無いのですが...これ以前に、風邪で休んだのは2年前のウガンダのブシアという国境の町の近くでした。仕事柄、アフリカやアジアの田舎にいることも多いのですが、体調を崩したことはあまりありませんでした。ですが、この日だけは、どうも調子がおかしかったのです。ブシアは、ケニアのから、陸路ウガンダに向かうときに国境を越えられるところは、マラバというところとここの2箇所です。国境は、ブシアの町の中心からすぐのところですから、通り過ぎるたびに5年ほど前に私もアカンバのバスで通ったな~と思ったりもしました。あの時は、初めて陸路国境を越えるという経験がしたくて、飛行機でなくバスでナイロビから戻ってきたのを覚えています。ケニア側からバスを降りてウガンダ側まで、徒歩で通過します。これが国境の幅なんだな~などと思いました。そして、ブシアといえばカンパラで、ボダボダと呼ばれる、バイクタクシーが始まったところだとも聞いています。推測するに、Border to Border(国境から国境へ)というフレーズがなまったものかもしれません。ここは、様々な物資の中継地でもあり、平坦な土地なので、自転車での移送が発達し、坂の多いカンパラではオートバイになって、同じボダボダという名前でとっているのかもしれませんね。最近は、カンパラの周辺にも自転車のボダボダが多くなりましたが、市内の交通量の多さからか、従来のボダボダとの競争関係からか、市内での営業は禁じられているそうです。ちなみに、ガソリンの値段はブシアに近づくにつれて安くなり、カンパラに近づくにつれて高くなると聞いています。ウガンダは内陸国で、物資はほとんどケニアからやってきますが、輸送費がかかるので、それが、物価に反映されています。そんな、ブシアですが、経済的に発展して、社会基盤が整備されているかというとそうでもありません。ブシアの町の中心には、公共のヘルスセンターが2ヶ所と、あとは、町の中の数件の民間のクリニックです。病院は、車で1時間ほど飛ばしたトロロというところまで行かないとないのです。これは、ブシアはもともとはトロロ県の一部だったのが、最近、ブシア県として成立したため、まだ、ブシアを中心とした基盤整備が十分行われていないからなのかもしれません。さて、前置きがながくなりましたが、私は、その日、ブシアのとある郡で、村の生活や農業の様子を調査する予定でした。前の晩から異様な寒気が襲い、風邪薬もきかないため、ひょっとして、また、マラリアかと思いました。ですが、現地で調査を行なう場合には、日程に余裕がないため、貴重な時間を無駄にしないためにも、「休む」ということは最後の手段です。コミュニティーの人々も時間をわざわざ割いてくれるわけですから、それを無駄にしないためにも、休むわけにはいきませんし、幸いにも、車での移動ですから、乗ってしまえば到着するわけですから、なんとか自分をだましだまし、宿泊していたトロロの街を出発しました。ですが、視察のために車から降りて稲作の行なわれている田んぼの周辺を歩き始めようとしたときに、体がいうことを利かず立っているのがやっとの自分に気づきました。そして、もう、だめかもしれないと観念し、近くにヘルスセンターを探しました。とりあえずマラリアの検査をしてもらい、マラリアならば、薬を飲む必要があります。通常は、郡の中心部には何かしらの簡易診療所のようなものがあることが大半ですが(といって、機能しているかどうかは別ですね。^^;)、この日の現場付近には何もありませんでした。結局は、ブシアの町の赤十字のヘルスセンターに行きました。ドクターはいたのですが、臨床検査師がいませんでした。診察室は、薬も何もない、机といすと血圧計と聴診器と、藁半紙が散らかった、がらんとした部屋で、ドクターは体温と血圧を測ってくれました。「ひょっとしたら、マラリアかもしれない。熱は39度近い。ただ、検査ができないので、とりあえずマラリアを疑って薬を飲んでみるか?」と聞きました。でも、マラリアの薬は以前にかかったときに飲んで、かなりきつい薬だったので、できれば飲みたくないという意識がありました。ほかに、民間のクリニックでマラリアの検査のできるところを探しましたが、あいにく、検査技師がどこも留守でした。そこで、とりあえず解熱剤を飲んで、トロロという町に行くことにしました。すでに書きましたが、ここは、民間・公共のクリニックが数箇所あります。そこに到着するまでに1時間。解熱剤が良く効いて、道中はずっと寝ていました。トロロでは、すぐに検査をし、幸いにマラリアではないと言われ、ほっと胸をなでおろし、そのまま宿舎にもどって休みました。その後、知人から「最近は携帯用のマラリアテストキットがあって、薬局で簡単に入手できるから、念のために持っていったほうがいいわよ。」といわれました。ウガンダの地にはもう何度となく足を踏み入れていて、ちょっと油断したのかもしれません。それにしても、村のなかで病気になったことは、とても不安で、しかも、車がなければ自由に移動もできずにいたことと思うと、村人の生活を思いやらずにはいられません。良くて自転車。公共の交通機関にはほとんどアクセスがないようなところに住んでいる人々がほとんどですから、急に病気になっても、どうしようもないのが容易に想像できます。時々、調査に村に入ると、「子供が病気だから車で町まで乗せて言ってくれ、町まで帰るついででよいから。」というお母さんがいます。そういうときには、もちろん町まで一緒に行くのですが、私の仕事は一体、この人々の役にたっているのだろうかと、ふと思ったりします。
2004.12.04
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