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東京新聞論説委員の谷政幸氏は、自民党再生について、20日の紙面で次のように述べている; 落選で『浪人中』の山崎拓元副総裁とか片山虎之助元総務相らが、今夏の参院選に出馬したがっているらしい。比例代表の自民党公認候補として。 しかし今のところ党内の空気は「認められない」。衆院からのくら替えになる山崎氏と違い、片山氏は三年前の前回参院選まで議席を保った人だが、ともに党の「七十歳定年制」ルールに反する、というのが擁立反対論の根拠だ。 どだいルールなんてあってなきがごとしでやってきた党だから、これはあくまで表向きの理由。彼らの出馬を認めれば「有権者に嫌われた古い党のイメージを残したまま参院選に臨むことになる」という不安が本音であるようだ。 定年のない選挙区で再選を狙う七十五歳の青木幹雄氏にも公認反対論が飛ぶ。 政治家としてピークを過ぎたようであっても、幼少のころから敗戦と復興、高度成長、バブル期、そして失われた十年も体験し、なお心身とも自信ありというベテランだ。当落度外視で公認してあげてもいいのでは、と個人的には思う。 いずれの日か再び政権へと党再生を誓うなら参院いじりで足りるはずがない。長期政権の残滓(ざんし)にも見える首相・総裁OBが衆院には四人も居残る。こぞって参院選へ転出してもらおうという声は出ないのか。 野にある時こそ大胆な策が可能だ。大局をわきまえず目先にとらわれると機を逸する。 (谷政幸)2010年1月20日 東京新聞朝刊 11版S 5ページ「論説室から-党再生策は大胆でなくちゃ」から引用 この議論はなかなか微妙である。今までの自民党は、ルールなどあって無きがごとしでやってきたのは事実かも知れないが、それを反省して再起しようというときに、自らルールを破ってしまうのでは、有権者に良い印象を与えないかもしれない。しかし、山崎・片山・青木といった有能な人材を一律の定年制で本人の意思を無視するというのも、なんとなく「それでいいのか?」という疑問が残る。公認反対論の本音は「古い党のイメージ」を問題にしているそうだが、そのようなイメージよりも、当の本人が高齢でも政治家として立派にやっていける実力が衰えていないかどうか、というしっかりした評価が大事なのではないだろうか。
2010年01月31日
来日した映画監督、マイケル・ムーア氏は朝日新聞のインタビューに応えて、次のように述べている; -ムーア監督は、銃や医療や軍事を取り上げた過去の映画でも一貫して資本主義の弊害を訴えてきました。現在、公開中の最新作「キャピタリズム~マネーは踊る~」では、いよいよ敵の本陣に総攻撃を仕掛けたという印象です。 それはいい表現だね。僕も年を重ねてきて、もう時間がないと思い始めた。個別の問題ではなく、事の本質をピンポイントで指摘しなければならない、とね。現代の資本主義は合法化された強欲なシステム。僕は民主主義を信じているから、この不公平なシステムをただしたいんだ。 - つまり民主主義と資本主義は両立しないという考えですか。 民主主義と資本主義は正反対なんだよ。資本主義は少数が利益を得るように設定されている。対して民主主義はすべての人の利益を考える。経済活動がどう行われるべきかという問題に対し、民主主義者として僕らにどのくらい発言権がある? 社会の中で最も重要な経済についての発言権もないのに、民主主義とは呼べないだろう? 枠組み超えて -社会主義についてはどう思いますか。 ロシアで起こったことが原因で、社会主義に悪名がついたのは残念なことだ。だからといって、資本主義は良くないから、じゃあ社会主義に向かおうということではない。今までの枠組みを超えて考えるべきだ。もう21世紀なんだし、僕らは僕らの時代に合ったやり方を見つけなければいけないんじゃないか。 -資本主義社会で、かつ民主主義が機能している国もありますね。 僕は、起業してお金をもうけること自体が悪いと思っているわけじゃない。でも、他者を搾取したり、利益を不公平な形で分配したりしたら、それは一線を越えている。かつては民主的な資本主義があったかもしれない。しかし100年、150年前の姿を使って資本主義を定義することはできないんだよ。 -自由競争だったのが、何か違うものに変化したと? その昔は、どの町にもそれぞれ町の靴屋とかアイスクリーム屋があったよね。資本主義を信奉する人たちはそもそも自由なんか信じていないし、競争を欲していない。彼らがむしろ一番求めていないのが競争だ。利益を独占したいんだよ。 -資本主義の基本は欲望の充足にあります。そして欲望は人間の特性でもありますが。 そりゃ、僕だって、目の前にチョコチップ・クッキーの皿が置かれたら、できるだけ多く食べようとするさ(笑い)。健康面で良くないことが分かっていてもね。でも、10枚のクッキーがあったとして、僕が9枚、最後の1枚を残りの9人が分け合うのは、果たして良いと言えるかい? それが今の状況なんだ。 -米国人はそんな資本主義を容認しているようにも見えます。 そうなんだ。無知を強いるシステムの中で育てられたからね。ほとんどの米国人はイラクがどこにあるか知らないんだよ。位置もわからない国に侵攻し、後で調べればいいと思う国なんだ。そんな国が世界のナンバーワン・パワーを持っていていいと思う? 僕があなたの国の人間だったら怖いと思うけどね。 「夢」こそ危険 -米国の問題は、実は「アメリカン・ドリー.ム」に内在するものではないですか。 答えはイエスだ。夢っていうところが危険なんだ。いつか金持ちになれるって、鼻先にニンジンをぶら下げるようなものだ。君たちの国では「君もいつか大金持ちになれる!」なんて子どもを育てたりはしないだろう? 「何それ、冗談も大概にしとけよ」で終わるよね(笑い)。 -日本人にとって、米国は長い間、あこがれの存在でしたが。 確かにいいところもあるよ。しかし、米国のように振る舞えば、米国のようになってしまう、と言いたいんだ。ジャズやジーンズの話をしているんじゃない。米国化が進めば、暴力も増えるし、銃の数も増え、アホな人々が増えてしまうんだよ。今すぐ止めないと(笑い)。 -米国の好きなところはどんなところでしょうか。 まず言いたいことを言えるところだね。米国人の明るい人柄も好きだし、中西部の風景も大好きだし。そうだな、今度は米国の好きなところばかりを描いた映画を作ろうかな(笑い)。でも、今は直さなきゃいけない部分が多すぎる。米国を愛しているからこそ、今みたいに世界に対して負の影響力ではなく、もっと良い影響力を持つ国だと思われたい。だからこそ、僕はこうした映画を作り続けているんだ。2010年1月16日 朝日新聞朝刊 b3ページ「『残り1枚を9人で分ける 良いと言えるかい?』」から引用 資本主義は少数の人間が利益を得るように設定されているとムーア監督は言っているが、同じコトをマルクスも「資本論」に書いている。また、米国化が進むとアホな人々が増えるとも言っているが、昨今の自民党政治家などはその例かもしれない。
2010年01月30日
外務省の機密費が首相官邸に密かに上納されているのではないかという疑惑について、真相解明の努力を15日の「週刊金曜日」は次のように報道している; 岡田克也外相は8日の記者会見で、外務省の報償費(いわゆる機密費)が首相官邸に上納されていた疑惑に関して「事実関係については、私自身は、あるかないかを含めて承知をしております」と述べた。ただ、公表については「内閣として基本的に一つの考え方にした上でお話しすべきことだと思いますので、現時点ではコメント致しません」とした。 外務省関係者は「驚きました。『あるかないかを含め』と予防線を張っていますが、上納を事実上初めて認めたといえるのではないでしょうか。自民政権は否定するだけでしたから。政権交代の効果がでています」と話している。 上納問題では、鈴木宗男衆院議員が昨年10月29日、「かつて外務省において、報償費を首相官邸に上納するという慣行があったと承知するが、新内閣は右を確認できているか」などと質問主意書を出したが、後に撒回した。 先の関係者は「新政権の中で岡田外相や鈴木氏は説明責任を果たそうとしている。それを抑え込もうとする勢力との駆け引きが活発化しています」と内情を語る。 会見で岡田外相は「内閣官房も含めた話になりますので」とコメントしない理由を語っている。平野博文官房長官は、自民政権時代の悪弊を打破するため、岡田外相と積極的に動くべきだろう。 記者会見について外務省は八日、『週刊金曜日』など「今までの基準のいずれかに準ずると認め得る者についても会見を開放」し、本誌から初めて出席。報償費について岡田外相に質問した。 伊田浩之・編集部2010年1月15日 「週刊金曜日」782号 8ページ「金曜アンテナ-外務省『機密費』上納疑惑」から引用 新政権には、自民党長期政権の悪弊を洗い出し、改善して、わが国民主主義の向上に努力してほしいと思います。
2010年01月29日
政府与党が法制化を準備している「永住外国人参政権」について、14日の読売新聞は次のような解説記事を掲載している; 通常国会の18日召集を目前に控え、永住外国人に地方選挙権を付与する法案の取り扱いが注目を集めている。民主党の小沢幹事長は政府提出法案として早期成立に意欲を見せているが、政府・与党内には反対論も根強い。法案を取り巻く現状と課題をまとめた。 永住外国人への地方選挙権付与の最大の原動力となっているのが、民主党の小沢幹事長だ。 小沢氏は11日の政府・民主党首脳会議で、政府提出法案として通常国会に提出するよう主張した。小沢氏は代表時代の2008年2月に韓国を訪れ、就任直前だった李明博(イミョンバク)大統領との会談で地方選挙権付与への意欲を示した。小沢氏は法案の早期成立が日韓関係の強化につながると強調している。小沢氏がこの間題に熱心なことについて、夏の参院選をにらみ、地方選挙権付与を強く求めている在日本大韓民国民団(韓国民団)の支援を取り付ける狙いがあるのでは、とみられている。 衆院解散の可能性が取りざたされた08年12月、小沢氏は韓国民団中央本部を訪れ、「総選挙で多数を形成すれば、日韓に残された懸案を着実に処理する」と述べ、衆院選への協力を要請した。韓国民団幹部は「(外国人の政治献金を禁じた)政治資金規正法違反となる資金提供以外はすべてできる。友人や知人に呼びかけていきたい」と応じた。参院選でも、選挙運動での協力や、帰化した日本国籍取得者の得票が期待できるというわけだ。 また、選挙権付与に積極的な公明党は、法案が国会握出されれば同調する構えを見せており、「公明党を自民党から離反させることができる」と見る向きもある。 しかし、成立までには課題が山積している。 国民新党代表の亀井金融相は、政府提出法案の場合、閣議で反対する考えを崩していない。別の同党幹部も「国民新党が重視する郵政改革基本法案の成立と引き換えと言われても、外国人選挙権法案に賛成することはありえない」と強調する。足元の民主党内にも慎重論が根強く、「政府提出法案として出てくれば、造反せざるをえない」と漏らす議員もいる。 最も懸念されているのは、憲法上の問題があることだ。 憲法15条は、公務員の選定・寵免は国民固有の権利であると規定している。最高裁は1995年の判決で、この権利は日本国籍を持つ「日本国民」にあると明示した。 地方選挙権付与に積極的な論者は、この判決の傍論で「在留外国人のうちでも永住者等」に「地方公共団体の長、議会の議員等に対する選挙権を付与することは憲法上禁止されておらず、立法政策にかかわる問題だ」とされたことを強調するが、傍諭には法的拘束力はない。 この点について、自民党の安倍元首相は12日のBSフジの番組で、「憲法違反だと政府提出法案にはしにくいだろう」と指摘した。 地方自治体は、有事法制など国の基本政策に関する問題にもかかわる。地方選挙権を認めた場合、日本と対立する国の国籍を持つ永住外国人が選挙権を行使し、地方自治だけでなく国政にも支障を及ぼす恐れも指摘されている。2010年1月14日 読売新聞朝刊 13版 13ページ「基礎からわかり外国人参政権」から引用 私が認識している範囲では、永住外国人に参政権を与えることに反対する人たちの反対の根拠は、例えば竹島問題のようにわが国と他の国との間に利害が対立する問題が持ち上がったときに、永住外国人はわが国に不利な投票行動を取るのではないかという、まことに了見の狭い、井の中の蛙のような心配である。当ブログの24日の欄に引用した首都大学東京教授・鄭大均先生によると、在日の韓国・朝鮮人は40万人くらいの数で、どの人もみなほとんど、韓国や朝鮮への帰属意識は薄く、取り立てて団結しているわけでもない。これが実態なのであるから、例えば竹島をどうするかというような問題で住民投票をやってみたところで、これらの人たちが突然一致団結して韓国に有利な投票行動を取るとは、どうみてもあり得ない話だ。わが国の有権者総数に対する40万人がどの程度の影響力があるというのか。あるいはまた、どこかの宗教団体のように、住民票を偽装してまで不当な投票をやるほど組織化されていないことは、鄭先生が証明してくれている。そんな低レベルの心配をするよりは、この国に住む人間には国籍を問わず選挙権が付与される、より高レベルの民主主義社会の到来が望まれるのでございます。
2010年01月28日
鳩山首相は武器輸出3原則について自覚の足りない発言をした北沢防衛相を批判し、今後も3原則を遵守する意向を示したと、13日の読売新聞が報道している; 鳩山首相は12日夕、北沢防衛相が武器輸出3原則の見直しに前向きの発言を行ったことについて、「武器輸出3原則は今、守らねばならない。(防衛相は)多少、口が軽すぎたかなと思う」と、防衛相を批判した。首相官邸で記者団の質問に答えた。首相は「日本が世界に向けて平和国家としての宣言をしている。その一つが武器輸出3原則を守るということだ」とも述べ、3原則を見直す考えがないことを強調した。 社民党党首の福島消費者相も記者会見で「全く理解できない。強く抗議する」と防衛相の発言に反発した。 武器輸出3原則は一部の特例を除いて諸外国への武器、関連技術の輸出を禁じているが、防衛産業や有識者からは「国際的な技術の発展から取り残される」との声が強い。麻生政権下では政府の有識者懇談会が昨年8月、日米間の共同開発・生産や民間企業による他国の装備品開発・生産計画への参加などを例外として認めることを提言した経緯がある。 防衛相は12日夕の記者会見で、米国からライセンスを取って日本が生産している武器の部品について、米国が生産を停止した後でも日本が対米輸出をできない現状を説明、「改善の余地がある」と語った。 ただ、鳩山政権内で武器輸出3原則や集団的自衛権などの議論は進んでいないこともあり、自身の発言を「問題提起だ」と位置づけ、「内閣の方針に結びつくかは、これからの経緯をみなければならない」と述べた。2010年1月13日 読売新聞朝刊 14版 2ページ「首相『武器3原則守る』-防衛相発言を批判」から引用 武器輸出3原則は、わが国の国是であり、自民党政権から民主党政権が引き継いだもので、政権が変わったからといって安易に変更してよいものではありません。この原則を変更すれば、米国が生産を停止した後でも日本が対米輸出を継続することが出来るなどとケチなことが利点として挙げられていますが、そもそも武器の製造と輸出はわが国憲法の精神にもとる行為であり、武器の製造などにわが国産業が関わりを持つべきではありません。貿易立国の日本が輸出するのは、武器以外の家電製品や自動車で十分です。あと、コメは中国にも輸出しているそうですが。
2010年01月27日
自民党は夏の参議院選挙を有利に戦うために、憲法改正の第2次草案を策定することになったと、13日の読売新聞が報道している; 自民党は2005年にまとめた「新憲法草案」を見直し、第2次草案の策定に入る方針を固めた。停滞する与野党の憲法論議の活性化につなげるのが狙いだ。 新憲法草案は立党50年記念党大会に合わせ、条文形式で発表した憲法案。前文を含め、現行憲法を全面改正する内容で、与野党を通じ初の試みだった。 自民党は09年12月、谷垣総裁の指示で憲法改正推進本部(本部長=保利耕輔・前政調会長)を新設し、新憲法草案の再検討に着手。谷垣氏らは、憲法改正手続きを定めた国民投票法が10年5月に施行されることを踏まえ、改憲機運を高めるには、党の憲法案をさらに磨き上げて世に問い直すことが必要だと判断した。 2次草案の取りまとめは年内を目標とし、春ごろまでに新憲法草案を各章ごとに点検し、論点整理に入りたい考えだ。執行部は「民主党は社民党との連立で改憲への取り組みが後退しており、参院選に向けて違いが打ち出しやすくなる」としている。 主要課題としては地方自治、安全保障、二院制のあり方などを想定。地方自治では「分権推進の状況を踏まえ、さらに国の役割を具体的に規定することが必要だ」との意見が出ている。安保分野では集団的自衛権の行使容認の明文化が、二院制では衆参の機能分担や法案審議のルール見直しが論点になると見られている。2010年1月13日 読売新聞朝刊 14版 2ページ「自民『第2次草案』策定へ」から引用 なんとか党勢を立て直して政権与党の座を取り戻したい自民党は、次の選挙で議席を増やしたい、そのためには民主党との違いをアピールしたい、それには「憲法改正」だと、こういう思考回路かと思われる。それは、途中までは正しいかも知れないが、民主党との違いに「憲法改正」を持ち出した所が浅はかである。民主党よりも多く得票したいのであれば、有権者の望む政策を打ち出さなければならないが、「憲法改正」は有権者が望んでいるであろうか? 安倍政権のときの参議院選挙で、安倍首相自ら憲法改正を声高に訴えたところ、大幅に議席を減らして政権交代への道を開いてしまったことを、今の自民党幹部はもう忘れてしまったのだろうか。自民党は自分で自分の墓穴を掘り出したのではないのか。
2010年01月26日
オランダではブッシュの戦争に加担した当時の首相が、その責任を追及されることになったと、14日の読売新聞が報道している; 【ブリュッセル=尾関航也】2003年のイラク戦争に関するオランダの独立調査委員会は12日、「イラクに対する武力行使は国際法上の正当性を欠いていた」とする報告書を発表した。バルケネンデ同国首相は当時、大量破壊兵器の脅威を取り除くため、やむを得ないとして、米国主導の開戦を支持した。今後、その責任を議会で追及されることになる。2010年1月14日 読売新聞朝刊 14版 7ページ「イラク戦争『正当性欠く』-オランダ調査委」から引用 わが国でも、十分な国会審議を尽くさず、途中で強行採決という暴挙の挙句、憲法違反の自衛隊派遣を行った。この責任について、当時の首相だった小泉純一郎氏を参考人招致し、責任を追及するべきである。
2010年01月25日
首都大学東京の教授、鄭大均(ていたいきん)氏は、永住外国人に参政権を認めることに反対で、その理由を次のように述べている; 民主党の小沢幹事長は、今年、永住外国人に地方参政権を付与する法案を提出する意向を示したが、これに反対する理由を二点はど記しておきたい。 外国人参政権法案は一般に在日コリアンの要望に対する日本政界の好意的な回答と理解されているようだが、ここには誤解がある。在日の多くは、今後も日本で生きていこうとする人々であり、機会があれば日本国籍を取得しようとしている。特別永住者の在日コリアンは長い間、「60万」といわれてきたが、その数は減少して今や40万人ほどだ。毎年1万人近い在日が日本国籍を取得しているからで、また日本人と結婚した在日が韓国・朝鮮籍を子供たちには継承させようとしないからである。 大部分が日本生まれの世代で構成される在日コリアンに見てとれるのは韓国・朝鮮籍を持ちながらも母国への帰属意識にも、外国人意識にも欠けるという二重の状況だ。そんな人々に参政権が与えられたら、宙ぶらりんな状況が永続化してしまうだけのことだろう。彼らはペーパーコリアンであるとともにペーパー外国人になっているのであり、自分を説明しにくい存在になっている。外国人参政権法案とは、そんな在日を永遠の外国人として保存しようとするものだ。 第二に、国内政治に対する外国政府からの干渉を高める恐れがあるゆえに反対すべきであり、問題になるのは在日コリアンだけではない。2008年末の統計では、朝鮮半島や台湾などの出身で、戦前や戦中、日本に移住等でやってきた旧植民地出身者とその子孫である特別永住者が42万人に対して、一般永住者が49万人。その多くは中国やブラジル、ペルーの出身者だが、今後さらに増えるのは中国人であろう。 外国人参政権法案は今のところ地方選挙権に限定されたもので、国民主権の根幹を揺るがすものではないという意見がある。しかし国政と地方政治の境界は明瞭(めいりょう)ではない。自衛隊や米軍基地や原発、あるいは竹島や尖闇諸島のような問題は国家政策と緊密に結びつき、外国籍住民の投票行動が国の外交、安全保障政策と葛藤(かっとう)を引き起こす可能性は十分にある。 そんな彼らに中国政府は無関心でいられるだろうか。おそらくは韓国政府や北朝鮮政府がそうであったように、中国政府も中国人永住者を政治的に利用しようとすることがあるだろう。海外移住はかっては母国との離別を意味したが、最近では母国との文化的絆(きずな)のみならず政治的絆が維持されるという状況が世界的に見られる。「日本列島は日本人だけのものではない」と考える者は日本国内にだけではなく、外にもいるのである。 ところで先の衆院選で、韓国民団が日本の国政に組織ぐるみで働きかけを行ったのは興味深い。主要政党の候補者を招いて意見交換をし、参政権付与賛成に翻意を促したという。韓国民団がいずれ国政選挙権を要求するだろうことは予測できたが、これではまるでその予行演習である。 一方で、韓国の公選法改正で12年以後、在日は韓国の国政選挙にも参加できるようになった。韓国の大統領選や総選挙に在日コリアンは選挙権を行使することができるようになったのである。これではしかし、特権批判を免れるのは難しいだろう。2010年1月6日 読売新聞朝刊 13版 13ページ「論点-永住外国人の参政権」から引用 こういうお粗末な論文を書く者が教授をやってるような大学は、おそらくろくでもない大学に違いないが、とかく横車を押し通そうとすれば得てして自己矛盾を引き起こすのが普通であり、この場合も然りである。それは具体的に言うと、鄭氏が反対する理由の第一の部分で、在日の韓国・朝鮮人は韓国・朝鮮の国籍を持っておりながら韓国・朝鮮に対する帰属意識がない、と言っておきながら、第二の理由として、これらの在日外国人に選挙権を付与すると自分の国籍の国に有利で日本に不利になるような投票をするであろうと、勝手な妄想をでっち上げて、自己矛盾に気付いていない。例えば、帰属意識の低い在日韓国人に韓国政府が不当な働きかけを行ったところで、もともと帰属意識が低いなら、そんな働きかけが功を奏するわけが無いのは子どもにも分かる理屈である。鄭氏はもともと在日韓国人であったが、いつの間にか日本に帰化した人であり、自分が帰化したのだから他の在日の人たちも帰化すべきだと言わんばかりの、在日の存在について不安を撒き散らすような言動は、大学教授としていかがなものかと思う。
2010年01月24日
不公正な世の中を告発する映画で有名なマイケル・ムーア監督の最新作を紹介する記事が、12月8日の読売新聞に掲載された; ドキュメンタリー映画で米国社会の矛盾に物申してきたマイケル・ムーア監督の最新作『キャピタリズム~マネーは踊る~』が公開中だ。今度の標的は、題名通り資本主義。初来日したムーアは「僕の映画の集大成」と語る。 (恩田泰子) 昨年9月の金融危機以降、米国経済の現状をめぐる様々な分析がなされてきたが、『キャピタリズム』が問うのは、社会構造そのもの。勤勉な庶民ですら職や家を失う一方で、危機の原因を作った大手金融機関が公的資金で救済される。そんな著しい不均衡がまかり通る社会のからくりを暴く。 「単なる経済レッスンの映画を撮ったつもりはない」とムーア。1989年、ゼネラル・モーターズの大量リストラで崩壊した故郷の町を描く『ロジャー&ミー』で監督デビュー。『ボウリング・フォー・コロンパイン』では銃社会、『華氏911』ではブッシュ政権、『シッコ』では公的医療保険制度の不在について突撃取材。深刻な問題を笑いにくるんで告発してきた。「どんな映画も突き詰めれば、不公平で不公正な経済の問題に戻ってしまう。なぜ常に貧しき者が犠牲になるのか。核心にあるシステムを問うべきだと思った」とする。 「目的は人として正しいことをしようと伝えること」と言い切る。「アメリカ人は民主主義への愛を自任し、平等や正義を重んじると言い続けている。でも、それは一体どこにある?僕は生きている間に見てみたい」 この映画は、変革への希望の象徴として、昨年の大統領選でのオバマ勝利の瞬間を映し出す。今も、オバマは希望たり得ているかを尋ねると、「その質問に答えるにはとてもつらい日だ」と表情を曇らせた。 取材したのは、同大統領によるアフガニスタン駐留米軍3万人増派発表前夜。それに先んじてムーアは、インターネット上で発表した大統領あて公開書簡で、「増派は希望と夢を裏切る」と翻意を呼びかけていた。「前政権の負の遺産を背負わされている大統領の支えになりたいと支持を続けてきたが、増派は正気のさたではない。約束被りだよ」 ただ、この映画には、もう一つの希望が描かれている。民衆の力だ。「立ち上がって誰かとつながることが大きな力になる。誰もがその可能性を持っている」 「言いたいことはすべてこの映画にこめた」と公言。「しばらくドキュメンタリーは撮らない」と言う。「新たにやりたいことの一つが、映画芸術の救済。上映や配給形態、そして作品自体を良くしたい。僕も長編フィクションを撮るつもり」 2年前、自身が暮らすミシガン州北部のトラバースシティーにある古い映画館を改修。「厳選した新旧の映画を完璧(かんぺき)な映像と音響で楽しめる」劇場に生まれ変わらせ非営利で運営。活況を呼んでいる。「ろくでもない作品ばかり見て映画離れを起こしていた観客を呼び戻し、映画リテラシー育成に寄与したい」。こと映画の話となると表情がぐっと和らぐ。政治的側面ばかり注視されるが、やはり、この人は映画人。「芸術は武器になり得る。そして、たった一人でも変化は起こせる。それが僕の信念さ」2009年12月8日 読売新聞朝刊 12版 21ページ「芸術は武器 変化起こす」から引用 貧乏人はいくら頑張っても金持ちに搾取され続けるという資本主義の原理は、100年以上前にカール・マルクスが経済学で証明したが、これを映像的に表現したのがマイケル・ムーア監督の映画である。この映画を見た人が世の中の真実を正しく認識することを期待したい。
2010年01月23日
普天間飛行場移設問題について、昨年暮れの28日の朝日新聞にユニークな投書が掲載された; 沖縄・普天間基地の移設問題を考える上で、日米の立場を逆さにしてみたらどうだろう。こんなストーリーを思いついた。 <アラスカに日本の自衛隊基地を建設することになったらしい。しかし、地元では騒音や事故を理由に反対の声が渦巻き、受け入れを約束したオバマさんも苦慮しているようだ。それでも鳩山さんは「共和党・ブッシュ政権との合意事項だ」と、日本の予算編成に間に合うよう場所の選定を強く迫った。「日本との関係がこじれると米国は孤立しかねない」と、米国のマスコミも日本との約束の履行を米政府に迫る。 こうした中、「トラスト・ミー」と鳩山さんに言ったオバマさんだが、結論を延ばして熟考した末、ついに約束を撤回する苦渋の選択をした> こんな成り行きの話だったら、多くの人が約束の撤回は当然のことと思うだろう。 現実には、米国が普天間問題の早期決着を要求している、とのニュースが流れ、私には、日本のマスコミも米国のご機嫌うかがいをしているように見える。 属国でもない独立国の日本に他国の基地があるだけでも不思議なのに、そのことでいろいろ要求までされている。 不可解な話ではないか。2009年12月28日 朝日新聞朝刊 13版 8ページ「声-基地問題 日米の立場逆なら」から引用 この投書は面白い。このように話を逆転させると日本がどのような立場にあるのか、よくわかる。鳩山首相が「普天間を辺野古に移設するというのは、前政権の話だったのだから、いったん白紙にしたい」とアメリカに通告すればいいだけのことだ。そんなことをしたら日米安保条約は失効するなどという規定はどこにもない。仮に失効するのなら、これ幸いに全国の米軍基地を一斉に日本に返還してもらって、米軍には母国に撤退してもらう良い機会になるであろう。しかし、沖縄は、日本の安全保障とは無関係にアメリカの世界戦略には絶対必要な基地なので、いったん日本が強く出れば、次はアメリカが基地使用料を払うから使わせてくれ、と言ってくるに違いない。
2010年01月22日
自国の正当な権利には無自覚で、アメリカの顔色をうかがうことを優先する日本の世論に疑問を呈する投書が、暮れの朝日新聞に掲載された; 沖縄の米軍普天間飛行場の移設問題で、自民党政権下での日米合意案は豊かな自然の破壊が予測されるなど、日本にとって決して事ばしい案とは思えません。いったん合意したことなので困難な交渉になっているのは分かりますが、政府がその改善を試みようとしているとき、その足を引っ張ろうとする人々のことが私には理解できません。 米政府はすでに、沖縄の基地負担軽減策として、普天間飛行場の海兵隊ヘリコプター部隊が行っている訓練の一部を、静岡県内にある米軍施設に移す新たな提案をしたそうです。ねぼり強い交渉を続ければ、さらなる成果が期待できるはずです。 ある世論調査で、この問題で「日米関係悪化を懸念」と答えた人が68%いたそうです。機嫌を損ねるのは米国の側だというのです。これも私には理解不能です。さすが在日米軍の施設整備費や光熱水費まで負担する「思いやり予算」の国というべきでしょうか。 本当は米国政府も、日本側の反米感情が高まることによる日米関係の悪化を恐れているはずなのです。今こそ、米国に真摯(しんし)な対応を求める世論が必要だと思います。2009年12月27日 朝日新聞朝刊 12版 10ページ「声-米国の顔色うかがう世論疑問」から引用 私もこの投書の意見に賛成です。「普天間の最低限県外移設」を主張した民主党に政権を取らせておきながら、いざそれを実行しようとしたら、日米同盟にひびが入るようなことは止めた方がいいなどと言い出すのはおかしいと思います。アメリカにしてみれば、どうしても沖縄に基地が必要なのだから、日本としては「基地は使わせてやってもいいが、その代わりにこっちの要求もある程度はきいてくれ」という、鳩山首相の言う対等な立場の日米同盟でいくのが当然です。
2010年01月21日
元ワイドショー・プロデューサーの仲築間卓蔵(なかつくまたくぞう)氏は、昨年暮れに放送されたNHKドラマ「坂の上の雲」について、「しんぶん赤旗」のコラムで次のように述べている; 膨大な制作費をかけたNHKスペシャルドラマ「坂の上の雲」の第1部(昨年11月29日~12月27日)が終わりました。生前、原作者の司馬遼太郎が映像化を許さなかった小説のテレビドラマ化です。 企画が発表されて以来、歴史研究者、メディア関係者などから、「いまなぜ『坂の上の雲』なのか」と、NHKの歴史認識を問う声が上がっていました。 物語は、愛媛・松山出身の青年(秋山好古、真之兄弟と正岡子規)が成長していく姿を、日清・日露戦争とともに描いたもので、日本海海戦で終わります。 第1部での私の最大の関心事は、日清戦争の描き方でした。司馬はこの戦争を、日本が「清国や朝鮮を領有しようとしておこしたものではな」い、つまり「朝鮮の独立」を守るためだったのだと描きましたが、ドラマはどうか。とくに、日本の侵略性を端的に表している日清戦争前後の事件(1894年の朝鮮王宮占領、翌年の王妃殺害事件など)をどう扱うかに注目しました。 ドラマを見てみると、日本軍が起こした王宮占領事件についてはまったく触れていませんでした。 王妃殺害は、「暗殺というありうべからざる事態が発生する」などという短いナレーションと史料で済ましています。朝鮮の人々による抗日運動も、その際に日本軍が皆殺し作戦をとったという事実に触れていません。 「ウソだろう!」と叫んだ人もいたのではないでしょうか。 短いナレーションとはいえ、王妃殺害事件の事実だけでも挿入することになったのは、視聴者の声などの反映とみていいでしょう。 ことしは日韓「併合」100年です。「韓国・朝鮮の人たちがなにを覚えていて、なにを忘れないか- そのことすら日本人は忘れて知らぬ顔を決め込んでいてよいのか、それがいま日本人に問われている」(中塚明・奈良女子大名誉教授)のです。2010年1月10日 「しんぶん赤旗」日曜版 35ページ「メディアをよむ-日清戦争どう描いたか」から引用 NHKがドラマ化に当たって、原作には書かれていない「王妃殺害事件」について短いナレーションを挿入したということは、彼らが「坂の上の雲」はそのまま放送するのでは具合の悪い作品なのだということを自覚したということである。批判の声が上がる前にそのような自覚があれば、作者の遺志を曲げてまでドラマ化しようとは思わなかったはずだ。
2010年01月20日
東京都の国立市議会は国に対して慰安婦問題に誠実な対応をするように求める意見書を採択した、と「週刊金曜日」が報道している; 東京都国立市議会は12月18日、「日本軍『慰安婦』問題に対する国の誠実な対応を求める意見書」を賛成16、反対7で可決した。 意見書は、「被害者の訃報が相次ぐ中、被害者の存命中に納得できる解決が急がれる」とし、1993年の河野談話に基づき、被害者出席のもとでの公聴会の開催、公式な謝罪、被害者の名誉回復など、政府の誠実な対応を求めている。同様の意見書は、兵庫県宝塚市、東京都清瀬市など13市が可決しており、国立市は14番目。2009年12月25日 「週刊金曜日」781号 10ページ「金曜アンテナ-国立市『慰安婦』問題について意見書採択」から引用 「慰安婦」問題については、国連でも欧米の議会でも日本政府の誠意ある対応を要望している。国立市議会の意見書のいうように、わが国政府は適切な対応をするべきである。 国立市議会が採択した意見書は、下記のサイトで閲覧することができる。>http://wind.ap.teacup.com/people/3683.html ちなみに、同市議会で上記意見書について採決したところ、反対したのは自民党系議員のみであったという。これが、自民党員一般に見られる傾向であるとすれば、この党の将来は絶望的であると言うほかない。
2010年01月19日
参議院選挙を控えて、野党時代は憲法改正を語っていた鳩山首相は、もし任期中に憲法改正への道筋をつけるつもりなら、参院選の前にその意図を明言するべきではないかとする記事が、7日の朝日新聞に掲載されている; 1955年の保守合同の立役者で元首相の鳩山一郎氏は「自主憲法制定」に執念を燃やした政治家だった。米国による「押し付け憲法」から脱却し、冷戦構造のなかで旧ソ連に対抗する自衛力を保持する狙いがあった。 一郎氏の孫である鳩山由紀夫首相も憲法改正が持論だ。野党時代の2005年には「新憲法試案」を出版した。自衛軍の創設や、国から地方への権限・財源移譲などが肝になっている。昨年末のラジオ番組では「ベストな国のあり方のための憲法をつくりたい」と在任中の憲法改正に意欲を示した。 だが、今の首相に、憲法についての国民的議論を喚起する執念はみえない。年頭記者会見では憲法順守義務を持ち出し、議論を政党側に委ねる考えを強調した。憲法改正には安定した政権基盤が必要との思いから、今夏の参院選まで議論を封印する思惑も透ける。 首相在任中に憲法改正の道筋をつけたいなら、大型国政選挙である参院選前に堂々と自らの憲法理念を訴えてはどうか。選挙の洗礼を経ないで憲法改正の議論を進めるべきではない。 (村松真次)2010年1月7日 朝日新聞朝刊 14版 6ページ「憲法改正-参院選前に首相は理念示せ」から引用 私は憲法改正に反対なので、鳩山首相が憲法改正について言動を差し控えているのは結構なことだと思う。ものごとには優先順位というものがあり、今の日本は憲法改正よりも、政権交代した過去の野党が立派に与党としてやっていけるのだということを国民に示すことのほうが、はるかに重要である。また、憲法改正論議は政党側に委ねるという姿勢は、鳩山氏自身が言うように、首相には憲法遵守の義務があるのだから、正しい身の処し方であるといえる。私が思うには、憲法改正に賛成の人たちは首相自ら憲法改正を叫んで大幅に議席を減らした安倍内閣の失敗を忘れてはいないはずである。
2010年01月18日
読売新聞国際部長・河田卓司氏は、7日のシリーズ「展望2010」で、次のような展望を述べている; 2009年大みそかの夜、カイロ特派員(36)は中東イエメンの首都、サヌアにいた。12月25日に米デトロイトで起きた航空機爆破テロ未遂事件のナイジェリア人容疑者の足取りを追う取材だった。 「犯人がアル・カーイダの一員かどうか、まだつかめない。でも、この国がテロの発進基地になっているのは間違いない。接点探しを続けます」。電話口の声は力がこもっていた。 そのころ、ロンドンの女性特派員も容疑者の英国留学時代の痕跡を探していた。富豪一族に連なる容疑者がかつて住んでいたのは、時価3億円超の超豪華マンションだった。 彼女は、12月は国連気候変動枠組み条約の会議(COP15)にかかり切りで、コペンハーゲンに行っていた。「戻ったら今度はテロ。でも、すごいマンションですよ」と笑っていた。 地球温暖化、テロ、金融危機……。世界はグローバル化が進み、私たちの眼前には、一国だけでは解決不能な難問が立ち並んでいる。どれも国、民族、企業、個人の利害が交錯し、解決の道は見えてこない。 この不透明な状況の中で2010年が明けた。「21世紀の安定した国際秩序」はいつ、だれが、どう作っていくのか。私たちはいま「壮大な過渡期」のただ中にいるかに見える。 2010年、世界は、もう一つ、一国ではとうてい対応できない問題に取り組む。核拡散防止条約(NPT)体制の立て直しがそれだ。 1970年発効したNPTは、米ソ中英仏の5か国にのみ核兵器の独占を許した。それから40年、インド、パキスタンが核を持ち、北朝鮮、イランという『危ない勢力』も後を追う。 今年4月にはオバマ米大統領が主唱する核安全サミット、5月にはNPT再検討会議が開かれる。 NPT体制をどう補強し、「核なき世界」に近づくか。国際部(東京)で核の取材を指揮しているデスク(47)は「核兵器国と非核兵器国の対立は深刻。NPT体制のほころびを繕うのは至難だ」と見る。( 後 略 )2010年1月7日 読売新聞朝刊 13版 12ページ「展望2010-壮大な過渡期の中で」から引用 この記事の中で、河田氏がカッコつきではあるがイランと朝鮮を『危ない勢力』と表現している点に、私は疑問を禁じ得ません。イランや朝鮮が危ない勢力と呼ばれるような行動をすることになった原因はアメリカにあります。アメリカ政府が一度「悪の枢軸」だの「テロ支援国家」だのというレッテルを貼ると、世界の金融機関はレッテルを貼られた国々の企業との取引を停止したり口座を廃止したりするので、レッテルを貼られた国々の経済は立ち行かなくなり、やむを得ず武器の輸出で外貨を得ようとせざるを得ません。その武器の行き先がテロ・グループだったりすると、だから「テロ支援国家」なのだと言われる悪循環にはまります。では、なぜアメリカはイランや朝鮮に対してそのような不当なやり方をするのか? それは一重にアメリカの帝国主義的な態度にあるといえます。たとえば、イランが現在のような反米的な態度になったのは、その昔、イランには王様がいてアメリカのいいなりになって石油を安く供給し、その代わりにアメリカは王家の存在を保障するという政策をとっておりました。そのような政策では王家だけが裕福に暮らし国民は貧しいまま放置されたため、ナショナリズムに目覚めた国民が王制を打倒し、国家元首を選挙で決める国になり、昔のようなアメリカいいなりではなく、アメリカと対等な立場で交渉する国になりました。これでは従来のような有利な取引ができなくなったアメリカが、不当な圧力をかけて「悪の枢軸」だの「テロ支援国家」だのと言い出して、現在のようになったわけです。そのようないきさつを全く無視するかのような読売の記事には、これからも注意して接する必要があると思います。
2010年01月17日
現職高等学校教員の蜷川純雄(にながわすみお)氏は、先月の朝日新聞に投稿して、教育現場の問題点を次のように指摘している; 民主党政権になって、「教員免許更新制度」「全国学力テスト」「電子黒板」の導入といった、近年作られた教育関係施策のあり方が、見直されることになったと聞いて、多くの教員が胸をなでおろしていることと思う。 今、学校教育が直面している多くの困難は、こういった施策で解決できるたぐいのものではないと、私たち教員は感じているからだ。 例えば、「学力低下」問題の実情は、学習意欲が全くない児童・生徒が増えていることである。だから、自治体や学校が全国テストでの成績(平均点)を競い合うことは、学ぶことに喜びも展望も見いだせない児童・生徒に「学びたい」という気持ちを呼び覚ますことにはつながらない。電子黒板は学校に一つあってもいいかもしれないが、何か、喫緊の教育課題を解決する手段ではないだろう。こうした的外れと言ってもいい新たな教育施策に、無駄な労力を割かなくても済みそうだ、とほっとしている。 近年、「いじめ」や「学力低下」などの問題が表面化すると、それぞれ個別に対応策が講じられる。その結果、新たな教育施策が次々に追加され、これが、教員の仕事量を飛躍的に増やしている。 人権教育、いじめ・校内暴力防止、特別支援教育、キャリア教育、IT・コンピューターの活用、学校の特色づくり、学校評価制度……、こういった施策がそれぞれ別個に考えられ、文部科学省から自治体の教育委員会を経由して指示される。学校ではその都度、校内委員会を設置してマニュアルに沿った計画書を作る。指示された研修に出かけ、実施した後は報告書を提出しなくてはならない。今では、ひとりの教員がいろいろな校内委員会に所属することになっている。 もとより、私たち教員の仕事は、授業、児童・生徒の指導と評価、学校行事の計画・実施、学校の管理・運営、課外活動の指導など、通常の業務で飽和状態にあるため、新しく加わった業務に割ける時間は、実は、あまりない。このため、形式的に書類を整えるだけに終わらざるを得ないこともある。 新しい仕事が付加されることによって、通常の業務を削るということにもなる。「パソコンの前にいる時間が長くなり、子どもたちの話を聞く時間が短くなった」「このごろ先生は部活の練習を見に来てくれなくなった」。近頃、現場でよく聞く声だ。 上乗せされていく新たな教育施策は、書類の山を築く一方で、教員の働き方を変えてしまっているようだ。教員の仕事の中心は、児童・生徒一人ひとりと向き合うことであるはずだ。十分な数の教員を配置するなど、それを妨げない方法を検討して頂きたい。2009年12月26日 朝日新聞朝刊 12版 15ページ「私の視点-学校教育-相次ぐ新施策で現場は困惑」から引用 この記事を読むと、前政権の下で場当たり的に次々に繰り出された教育施策が、単に先生たちの雑用を増やすばかりで、かえって本来の教育活動を阻害することになっていた様子が良く分かります。とりわけ、テストの点数を競うことは学力向上の役にはたたないという指摘は傾聴に値します。新政権では、現場の声をよく聞いて、真に役に立つ施策を実施してほしいものです。
2010年01月16日
きのう引用した投書に対しては、12月9日の朝日新聞に反論が掲載された; 「国旗・国歌は歴史を刻んだもの」(4日)で、投稿者は「受け継がれたものを継承するしかない」と書いている。だから黙って起立して歌えばよいというのだろうか。 アメリカでは1943年、星条旗に対する敬礼と忠誠宣誓を公立学校の生徒に義務づける州の規則に従わなかった生徒が退学処分になったのに対し、連邦最高裁は、政治や宗教その他思想に関する事柄について、何を正当とするかを決めることはできないとして、州規則と処分に違憲判断を下している。 我が国では、歴史観・価値観など思想・信条の違いによって国民の間に大きく隔たりのある旗・歌を、多数決で決めて国旗・国歌にしている。そこに無理がある。しかも制定時、政府が国旗掲揚などは「義務づけない」と言明していたにもかかわらず学校に押し付け、従わない教師が処分されるというのでは、あまりに理不尽というべきなのではないだろうか。2009年12月9日 朝日新聞朝刊 12版 16ページ「声-理不尽な歴史にも従うべきか」から引用 星条旗に敬意を表さなかった者を処罰するのは憲法違反であるとするアメリカ連邦最高裁判決は有名である。確かカナダにも、国民の国旗や国歌に対する忠誠は義務ではないとする法律があると聞いたことがある。そこへいくと、わが国の場合は民主主義になってから日が浅いため、民主主義に対する認識も未熟で、人と異なる言動をする者を異端視する風潮が根強いのは甚だ残念なことである。
2010年01月15日
当ブログの先月22日に引用した投書に対する反論が、12月4日の朝日新聞に掲載された; 「新たな国旗・国歌制定しては」(11月26日)に一言。国旗・国歌はその国の生い立ち、歴史、未来への希望などを込めて制定されていると思います。投稿者の方は、昨今の「日の丸」「君が代」を大事にしない風潮の中で、そのことを悲しい気持ちで見ている教師もいるんだとの気持ちを抱かせ、ある意味でホッといたしました。 しかし、新たな国旗・国歌の制定には賛成しかねます。国旗・国歌はその国の歩いてきた苦しみ、悲しみ、喜びであり、その国の歴史を刻んでいるものなのです。戦争に負けた、誰も祝福しないからといって替えていたのでは、これまでの国の歩んだ歴史はどこへ行くのでしょうか。 問題解決の要は、やはり受け継がれたものを継承するしかないと思います。そのためには学校関係者の皆様に歴史を受け入れてもらうしかありません。自らの主張だけをすれば混乱を招くだけです。国の歩んできた歴史を正しく教育して、次代を担う子どもたちに受け継がせることこそ大人の責務であると信じます。2009年12月4日 朝日新聞朝刊 13版 18ページ「声-国旗・国歌は歴史を刻んだもの」から引用 この投書は、当ブログ・コメンテーター諸氏にはうけそうな主張であるが、私は賛成できません。国旗・国歌を替えると、それまでの国の歴史がどこかへ忘れられてしまうかのように言ってますが、それは投稿者の独善的な思い込みにすぎず、歴史が無くなってしまうわけは無いでしょう。それに「受け継がれたものを継承するしかない」とは、黙って「お上」の言うことを聞きなさいという、所謂江戸時代の百姓の発想で、民主主義の社会にはなじまないと思います。また、「自らの主張だけをすれば混乱を招くだけ」というのも、事実を無視した偏見です。実際は、権力が起立を強制するから混乱しているのであって、当ブログ12月16日の日記に引用したように、上手に混乱を避けているケースもあります。
2010年01月14日
「在日特権を許さない市民の会」と称する右翼団体が、日の丸を掲げて朝鮮人学校を襲撃した事件に対する抗議集会が、都内で開かれたと「週刊金曜日」が報道している; 各地で排外主義的活動を繰り返している「在日特権を許さない市民の会」(在特会)と称する右翼集団が京都朝鮮第一初級学校に押しかけ、拡声器を使って学校の機材を破壊した上に差別的暴言を浴びせた事件に抗議して19日、東京都内で「緊急報告会・民族差別を許すな!京都朝鮮学校襲撃事件を問う」と題した集会が開かれた。 この事件は京都市の同初級学校に14日、在特会のメンバーら11人が押しかけ、学校が50年近く体育などで使用している隣接の公園に学校のサッカーゴールや朝礼台が置いてあることが「不法占拠」だなど言いがかりをつけた。さらに公園内にあった学校の拡声器用の電線を切断したほか、「朝鮮人は帰れ」「スパイの子ども」「朝鮮学校は叩き出せ」などとマイクで大声で怒鳴り散らしたもの。 集会には、約250人が参加。現場から駆けつけた同初級学校の高炳棋(コビョンギ)校長は、「在特会の罵声を聞いて泣き出したり、おびえて『もう学校には来たくない』と言い出す児童が出た。子どもたちに与えた心の傷を考えると、これは人間としてやってはいけない行為だ」と怒りを表明。さらに威力業務妨害や強要罪などで在特会を刑事告訴する考えを示すと共に、「挑発に乗らず、民族教育を受ける権利は絶対守っていく」と決意を述べた。 集会を主催した東京造形大学の前田朗教授は、「人種・民族を差別し、憎悪を煽る行為は欧州では法律で禁止されているが日本では野放しだ」と述べ、規制の必要性を訴えた。 なお今回の事件を18日付朝刊で、「外国人いじめ 不満はけ口」という見出しで大きく報じた『東京新聞』に対しても19日、20人あまりの在特会が押しかけるなど、排外主義集団の行動はエスカレートする一方だ。 成澤宗男・編集部2009年12月25日 「週刊金曜日」781号 6ページ「『在特会』の暴挙を許すな!!朝鮮学校襲撃抗議集会に250人」から引用 在特会の犯罪行為は許しがたい。政府は先進国の名にかけて、早急にこのような右翼暴力集団を規制する法律を制定するべきである。
2010年01月13日
先月発売の月刊誌「世界」は、東京大学名誉教授・和田春樹、同じく東京大学教授・藤原帰一、姜尚中と、3人の碩学による討議を掲載しているが、その討議の冒頭で和田春樹は次のように発言している; 和田 単なる時間の区切りに過ぎないとはいえ、日本が朝鮮を併合してから100年経ったことには重い意味があると思います。19世紀末にアメリカがハワイ王国を併合しましたが、ハワイ王政打倒から100年後の1993年、アメリカ議会が採択した決議にクリントン大統領が署名をしました。この「クリントン・アポロジー」のように、100年という節目は過去を振り返って一つの歴史認識を持ち、それに基づいて各国との関係を考えていくきっかけとなります。アメリカの前例に倣って日本は韓国併合を見つめ直すべきだと思います。 まったくの偶然ですが、ちょうど自民党の長期政権が終わって、政権交代が実現しました。鳩山内閣の下で2010年、つまり韓国併合100年を迎えて、新しい日本としてこれまでの歴史認識を超えたような声明を出すことができると思います。95年の「村山談話」ですでに植民地支配がもたらした損害と苦痛については反省、謝罪すると表明していますので、「鳩山談話」のようなかたちで、植民地支配がなぜ起こったのか、併合はどのようになされたのか、併合条約とはどういうものであったかについて日本政府の見解が示されることは大きな意味を持つでしょう。 日韓条約が締結してから間もなく45年経ちますが、その間、韓国併合条約・協定を「already無効だ」とする日韓基本条約第2条をめぐって日韓で別々の解釈をしてきました。新たな「談話」でこの間題にも決着をつけることができるはずです。日韓の歴史認識のミニマムな統一を図る時機が来ています。 その上で100年経っても国交がない、植民地支配の清算が65年間なされていない朝鮮民主主義人民共和国、北朝鮮との国交が、これを機会に果たされるのが当然であると思います。 さらに懸案としては、韓国との間には竹島(独島)問題があります。(乙巳)保護条約(1905)から100年を迎えた2005年に、日本で竹島の日が制定されて以来、大きな懸案となっていますが、日本の朝鮮支配と強く結びついたこの間題の解決も視野に入れるべきではないかと思います。 それから、謝罪の意を表明すれば、補償の問題が出てきます。これも長らく議論されていますが、全面補償、あるいは追加補償を主張する声は傾聴すべきとは思いますが、現実的に考えれば、韓国政府が独自に強制連行労働者に対する見舞金の支給、生存者への医療福祉支援を始めていることに対して、日本政府、企業、国民は沈黙を続けていていいのかどうかをまず考えるべきでしょう。 それから最後に、李明博大統領は併合100年に当たって天皇の訪韓を求めると言われましたが、私は天皇・皇后が高宗と関妃の墓に詣でるというのは、併合100年に当たっての一つの象徴的儀式として必要ではないかと思います。月刊「世界」(岩波書店)2010年1月号 144ページ「『帝国』日本と現代-朝鮮植民地支配とは何だったのか」から引用 和田の提案は実に具体的で分かりやすい。鳩山政権には是非とも、天皇・皇后による高宗と関妃の墓参りを実施の方向で検討していただきたい。それでこそ、真の日韓友好というものであろう。
2010年01月12日
混迷する普天間飛行場移設について、問題点を整理し解決の方策を提案する投書が、12月19日の朝日新聞に掲載された; 沖縄の米軍普天間飛行場の移設問題が混迷を深めている。最大の問題は、鳩山由紀夫首相が「現実」と「理想」を同じ時間軸で考え、行動していることだと思う。 「現実」とは、同飛行場を速やかに閉鎖するために、日米が合意した辺野古への移設を沖縄県民の負担を最少にして実行することである。「理想」とは、同県民に多大な負担をかけている米軍の駐留を抜本的に見直すことである。このためには日米安保体制に関する国民的な議論や米国との合意が必要であり、5年から10年は必要と思われる。 首相に提案したい。まず、「現実」を直視して辺野古移設を決意し、同県民に対し深くわびるとともに最善の支援を約束する。米国には周辺住民に対する影響を最少にする具体的な努力を求める。 次に、「理想」を実現するために、首相自らが5年ないし10年後の沖縄の負担の大幅軽減を宣言し、このために「安保と駐留体制」を検討する日米共同プロジェクトを発足させる。首相の速やかな決断を求めたい。2009年12月19日 朝日新聞朝刊 14ページ「声-基地問題解決は二段構えで」から引用 この投書は理路整然としており、現実的な解決策のようにも思えます。しかし、辺野古の美しい海にコンクリートを入れていいのかという問題もあり、だからこそ自民党政権も13年間保留するしかなかったことを考えると、やはり関西空港の未使用滑走路を使ってもらうほうが、より現実的ではないでしょうか。テレビのインタビューに応じた海兵隊員も「うまい鮨が食べれるところに移転できれば最高だ」と言っていたくらいだし、関西空港がベストと思います。
2010年01月11日
戦争中に朝鮮半島から来て挺身隊として働いた人たちで、敗戦後帰国するときに受け取るべき一時金を受け取らずに帰国した人たちに対し、事後の政府の対応が誠意に欠けるという報道が、12月23日の朝日新聞に掲載された; 太平洋戦争中、「朝鮮女子勤労挺身隊(ていしんたい)」として10代で朝鮮半島から日本に徴用され、工場で働かされた韓国人女性たちが1998年に請求していた厚生年金の脱退手当金について、社会保険庁が7人の一定期間の加入を認め、各99円を支払ったことが22日、分かった。社保庁は請求から11年かかったことについては「個別の案件には答えられない」としているが、金額は厚生年金保険法に基づいて算定したとしている。女性の一人は「馬鹿にされた思い」と話した。 脱退手当金を請求していたのは、40年代に挺身隊として三菱重工業名古屋航空機製作所道徳工場(名古屋市南区)で従事していた8人。支援者らによると、戦争中に亡くなって年金加入期間が短い1人を除く7人は今年9月、44年10月~45年8月の11カ月間、年金に加入していたと認定された。12月半ばには、脱退手当金として銀行口座などに1人99円が振り込まれたという。 社保庁年金保険課によると、脱退手当金は厚生年金保険法に定められたもので、年金の受給期間に至らずに会社をやめた人が、厚生年金を脱退する際に支払われる一時金。86年に廃止されたものの、41年4月1日以前に生まれ、一定期間、掛け金を支払った人は今も受け取れる。その金額は、給与の平均額などから算出され、貨幣価値の変化などは考慮されないという。 今回の認定・算定は、愛知社会保険事務局が担当した。7人の給与記録が存在しないため、同じ工場の日本人例といった関連の資料探しなどで時間がかかったが、当時の給与体系や加入期間などから99円に決定したという。だまされ、待たされ、あげく 韓国・光州市の梁錦徳(ヤンクムトク)さん(78)が厚生労働省からの国庫金振込通知書を受け取ったのは12月半ば。金額欄には99円とあった。「だまされて徴用され、償いも長い間、待たされた。あげく、この結果。くやしい」と涙ぐんだ。 韓国が日本の支配下だった1931年、朝鮮半島南西部の農家に生まれた。6人きょうだいの末っ子。教師を夢見たが、勉強を続けられるほど生家は豊かではなかった。「日本で働けば家が建つほどのお金がもらえ、学校にも通える」。そう教師から聞いたのは、6年生のときだ。間もなく日本へ渡り、名古屋の三菱重工業で働き始めた。「朝鮮女子勤労挺身(ていしん)隊」だった。 賄い付きの寮住まいで、朝から晩まで働いたことは覚えているが、給料をもらった記憶はない。会社に問い合わせるたび、「年金や貯金にしているから安心しなさい」と言われた。 終戦を迎え、故郷へ帰ると、いわれなき中傷を浴びた。挺身隊は「慰安婦」と混同されていた。日本にいたことをひた隠す暮らしが続いた。21歳で結婚。光州市に移り3児の母になった。ところが、数年後、夫は家を出た。日本にいたことを耳にして、やはり誤解したためだった。食べ物をもらい、飢えをしのがねばならない日も多かった。 支援者らの協力などで98年5月、日本名だった「梁川金子」の年金記録を確認し、脱退手当金を請求した。しかし、社会保険庁は「掛け金は2カ月分のみ」として支払いを拒否した。あきらめずに再交渉したところ、当時の日本人同僚の記録などから主張が認められ、今年10月5日には年金手帳も交付された。申請から11年が過ぎていた。 今も暮らし向きは厳しく、脱退手当金に期待していた。「まさか、物ごいをしてももらえるような金額とは……。馬鹿にされた思い。65年間の苦労を換算してほしい」 戦後補償に詳しい内海愛子・早稲田大学大学院客員教授(日本アジア関係論)の話 年金の脱退手当金は、本来、戦時に動員された人たちが帰国する際に支払われなくてはならないものだ。それを戦後ここまで放置してきた以上、当時の金額のまま払えば、受け取った側が納得しないのは当然で、国や会社は誠意をもって向き合うべきだ。韓国併合から来年で100年。軍事郵便貯金をはじめ、戦後処理の諸問題を立法などで最終解決しなくてはならない時にきている。 (三橋麻子、青瀬健)2009年12月23日 朝日新聞朝刊 14版 35ページ「元朝鮮挺身隊、徴用から60年余」から引用 これもまた、戦後未処理になっている問題で、日本政府の誠意ある対応が望まれます。
2010年01月10日
普天間飛行場移設問題で鳩山首相の姿勢を評価する投書が、12月17日の朝日新聞に掲載された; 普天間基地移設問題は、処理次第で対米外交の歴史的転換をもたらす。米軍基地が原因で苦しむ住民の側に立って交渉しようとする政府が、初めて出現したのである。 この問題の処理が大きな困難を伴うことは初めから明らかであった。米国から見れば提供された基地は既得権益であり、簡単に手放すはずはなく、手放すとしても従前の権益に見合う代償を要求する。 鳩山首相が「米国との対等な関係を」と述べたのは、従来の自民党政権と違って、在日米軍機の騒音などに苦しむ基地周辺の国民の立場から米国と交渉する決意を述べたものと私は理解した。 「米国の真意」を探り、その意に沿う方向で解決策を講じるのが対米外交と考える向きが政権の内外に少なからず存在したが、相手国の真意を知るのは日本国民の利益のために効果的に説得の手立てを講じるためであろう。利害が対立する課題での外交交渉では、したたかさも必要である。2009年12月17日 朝日新聞朝刊 12版 14ページ「声-交渉で住民側に立つ初の政府」から引用 夏の総選挙で沖縄に応援に出かけた鳩山代表(当時)は、普天間は「最低限県外移設を」と大見得を切り、それで自民党のキャンプ・シュワブ推進派候補が全員落選したという経緯もあり、ここは是非とも普天間の県外移設を実現してほしいものです。県外移設が民意なのですから。
2010年01月09日
先月、中国の要人が来日した際に、鳩山首相の指示で宮内庁が30日ルールを曲げて天皇との会見を行った問題について、鳩山首相を擁護する投書が、12月17日の朝日新聞に掲載された; 宮内庁長官は、天皇の外国要人との会見は1カ月前までに打診するという慣例が「陛下をお守りするためのルール」として存在し、今回それが守られなかったと苦言を呈している。天皇は1カ月前に都合を聞かなければならないほど体調が悪いのか。もし、そうなら一切の公務から外れて養生に専念すべきだろう。 私は「日中関係の重要性にかんがみて」とする鳩山首相の判断は間違っていないと思う。天皇が国益のため外国の要人と会うのは当然ではないか。法的な根拠はなく、慣例で続いてきた「ルール」が守られなかったからといって、なぜこれほど大騒ぎするのか、首をかしげたくなる。 それより「触らぬ神に崇(たた)り無し」とばかりにメディアも手を付けようとしない宮内庁の在り方こそ問題だろう。宮内庁長官の発言には、それが反映しているとすら感じられる。2009年12月17日 朝日新聞朝刊 12版 14ページ「声-単なる慣例の絶対視こそ問題」から引用 私は共産主義を標榜する政党の政治家が天皇に会いたがるという点に理解しがたい疑問を持つが、それはさて置き、締切日から4~5日過ぎたからダメという宮内庁の尊大な態度には賛成できません。この投書がいうように、私も鳩山首相の判断は正しかったと思います。また、宮内庁の役人がクレームを言うのも筋違いな話で、社長の考えは間違っていると言う社員は辞表を出すのが当たり前であるように、首相を批判する役人は辞表を出してから発言するべきという小沢幹事長の考えも間違っていないと思います。
2010年01月08日
普天間飛行場の移設先を巡ってもめる日米関係について、桜美林大学教授の五十嵐武士(いがらしたけし)氏は、12月17日の朝日新聞に次のような提言を寄せている; 米軍普天間飛行場の移設問題をめぐって今や日米関係の危機が叫ばれているが、この問題が注目されるあまり、重要な点が見落とされてはいないだろうか。それは、第一に政権交代の意義、第二に対外政策の推進体制、第三に日米関係再構築の必要とそのチャンスである。 第一の政権交代は民主主義の根幹にかかわることであり、これが実現したのも、自民党が3年間で3人も首相を入れ替えるなど政権党に値しなくなったからに他ならない。その意味で鳩山内閣の最大の課題は民主主義を成熟させるために政権の存続を図ること、それ自体だと言っても過言でない。日本では政権交代が極めてまれだったので、それに伴う問題が十分理解されていないきらいがある。新たに発足した内閣の方針を尊重する習慣がないうえ、連立内閣内にも性急に結果を求めて内閣を揺さぶる動きが見られるのは、未経験さの表れである。 普天間問題では新内閣の不用意さが目立つが、何もそれは鳩山首相に限ったことではない。アメリカでも第2次大戦後の大統領で就任1年目から危なげなく対外政策で実績を上げたのは12人中、アイゼンハワー、ニクソン、ブッシュ父の3人にすぎない。対外政策の経験が少ない1年目の大統領は、多かれ少なかれ不手際があり、就任後に集中的な学習過程を経験しなければならなかった。つまり第二の問題として指摘したように、対外政策の推進体制がきちんと整う前に、現実の政策に取りかかる準備不足がたたったのである。 鳩山内閣の場合も選挙公約という構想を吟味して政策を練り直し、段取りを踏んだうえで外国との交渉に臨むという、対外政策のイロハをおろそかにした結果だった。政府間に合意のできているものを修正するには、国内事情を説明するだけでは済まず、政策としての妥当性を説得できなければならない。よりによってオバマ政権がアフガニスタン政策で窮地に立たされているときに、戦闘の最前線を担う海兵隊の問題を持ち出すことがいかに迷惑なことかをわきまえなかったのは、同盟国として国際情勢認識を疑われても仕方がない。鳩山首相の姿勢は頼りにならないとみなされて、信頼関係を築くにはほど遠いものであった。 第三の点では、対外政策は催続性が重要とはいえ、小泉内閣が中国との関係をこじらせ、イラク戦争まで支持した後で自民党政権の対外政策を見直すことは、まさに政権交代の意義だといえる。オバマ政権もブッシュ政権を批判して登場したのであり、鳩山内閣が日米関係の再構築を目指すのであれば、外交の知恵者や創意ある研究者からなる専門の作業チームに諮って確固とした基本方針を設定し、対外政策の推進体制を確立することが急務である。オバマ政権はブッシュ政権と違って国際協調やアジア重視の方針を打ち出しており、鳩山内閣が来年の日米安保50周年を機に、日米関係を再構築するチャンスもまだあると考えられる。2009年12月17日 朝日新聞朝刊 12版 15ページ「私の視点-対米関係 専門チームで方針作り急げ」から引用 政権交代の直後は一定の混乱は予想されていたとは言え、このような混乱はなるべく早く収束させて、国民の付託に応えられる政治を実現してほしいものである。
2010年01月07日
テレビや新聞の「民主党が小政党に振り回されている」という表現に疑問を呈する投書が、12月16日の朝日新聞に掲載された; 「政策決定の節目で、鳩山由紀夫首相が連立を組む小政党に振り回されている」とする記事(11日朝刊)に疑問を感じた。私は、社民党や国民新党の党員でも支持者でもないが、連立政権が政策決定に際して一致点を探ることを「小党に振り回されている」とするのは、二大政党制を最善のものとして進めようとしている「新しい日本をつくる国民会議」(21世紀臨調)の運動に加担・迎合する論調と思える。 連立政権にあっては、政党の大小にかかわらず対等平等に扱われて当然で、党の方針が受け入れられない場合にその党が連立離脱を考えるのもまた当然のことである。これを、社民党党首と国民新党代表の両氏が「事実上の『拒否権』を握り、瀬戸際戦術を展開している」とか、「社民党が再び普天間問題でかみついた」などと表現するのは、間違っている。 少数者が軽視されず、民意が最大限尊重される議会制民主主義を私は願っている。2009年12月16日 朝日新聞朝刊 12版 16ページ「声-少数政党敵視の論調には疑問」から引用 私もこの投書の意見に賛成です。朝日や読売の「民主党政権が小政党に振り回される」という表現に接するたびに不快に感じております。まるで、小政党は大政党の決定に従うべきであると言わんばかりの発想は、まだまだ民主主義が根付いておらず民度もその程度であることを露呈しており、実に遺憾です。
2010年01月06日
普天間飛行場移設問題については、朝日も読売も、自民党政権時代の約束を民主党政権も守らないと日米同盟がうまくいかなくなるという姿勢のようであるが、そのような弱腰ではなく、鳩山政権の公約どおり県内移設の見直しをするべきであるとする投書が、12月15日の朝日新聞に掲載された; 米軍普天間飛行場移設問題をめぐり日米関係の険悪化を懸念する声が報道されますが、根本を忘れているのではないでしょうか。日米間合意は前政権が沖縄県の民意をほぼ無視して頭越しに進めたもので、政権交代した現在、基地問題の重圧が日常生活に重く垂れ込める現地の民意が反対の意思表示をしているのであれば、それを考慮して再検討するべきだと思います。 米国は同時多発テロ以降、警察国家的傾向に陥り、イラク戦争に至る強引な姿勢が他国から警戒される要因となっているのを自覚すべきです。日本が一定の軍事抑止力を米国に頼る側面があるにせよ、普天間は日本国の領土で、沖縄に基地を集中し、「占領下」に似た状態でいつまでも放置するわけにはいきません。 真の同盟とは相互に相手を尊重するのが基本。普天間返還の日米合意は、95年9月の3人の米海兵隊員による少女暴行事件を機になされたもので、現在の交渉で米国が示す主張は慰謝もなく一方的です。米国は圧力でなく協調し、鳩山政権は「対米対等」の公約通り主張を貫くべきです。対等な「新時代の日米同盟」確立へ、今が正念場です。2009年12月15日 朝日新聞朝刊 12版 15ページ「声-対等な日米同盟へ今が正念場」から引用 米軍がどうしても辺野古移設を要求するのであれば、沖縄県警に米軍基地内への犯罪捜査のための立ち入りを認めるという条件とバーターにするというのも一案ではないだろうか。
2010年01月05日
東京大学先端科学技術研究センター特認教授の米本昌平(よねもとしょうへい)氏は、12月13日の朝日新聞朝刊に寄稿して、調査捕鯨は止めるべきだと主張している; 日本は1988年に商業捕鯨を事実上放棄して以後、これまでに調査捕鯨の名目で9千頭のミンククジラを南極海で捕獲している。調査捕鯨を請け負っている共同船舶には、日本鯨類研究所(鯨研)経由で年に5億円の国庫補助金がつけられている。 厳しい財政事情を考えればただちに廃止されてよいのが調査捕鯨なのだが、なぜか「事業仕分け」の対象にすらならなかった。その理由は、長年の農林水産省の官僚による国会議員への「ご説明」が功を奏し、党派ごとに捕鯨議員連盟があるからなのだろう。民主党の「政策集インデックス2009」には商業捕鯨の復活までが言及されている。 私はIWC(国際捕鯨委員会)にオブザーバー資格をもつNGOの一員としてIWC会議をウオッチしてきているが、日本での議論は農水省とその外郭団体である鯨研が提供する情報だけでなされていると言って過言でない。 05年までの調査結果についてはIWC科学委員会で評価を受けたが、委員会が定めた、鯨の持続的利用再開の判断根拠となる科学的成果には乏しく、発表論文も鯨を殺す必要がないものがほとんど、というのが委員会の大勢意見である。 そもそも毎年400~500頭もの鯨を捕獲するのは、鯨肉を売って船団経費を賄うような仕組みで始められたからである。調査捕鯨はIWC条約第8条が加盟国の裁量で科学調査を認めているのが根拠だが、日本のやり方は当初から目的と手段が逆転しており、諸外国からは「科学の名を騙(かた)る商業捕鯨」と非難されている。鯨肉の売り上げは年間約60億円で、この小さな利権を守るために農水省は愛国的感情を刺激するような情報を流し続けている。 IWC総会における捕鯨・反捕鯨の勢力バランスは長い間ほぼ不変なのだが、実はこの状態こそがすべての関係者にとっては好都合なのだ。農水官僚は小利権を守り、シー・シェパードなどの反捕鯨組織には世界中から募金が集まり、日本やオーストラリアの国会議員は年に1度、愛国的に奮闘している姿がテレビに映し出されるからである。 「鯨食は日本の伝統文化」というのは、70年代半ばからPR会社を介して振りまかれてきた俗説であり、鯨肉は売れず在庫はダブついている。日本がIWCの場で、調査捕鯨をやめる代わりに沿岸捕鯨を認めてくれるよう提案すれば、長年の対立はただちに解消するはずである。 現在、マグロなどの水産資源はグローバルな次元で管理強化の方向にある。そのような議論の場で、日本の科学的データに疑問が付されることがないようにするためにも、国の事業としての調査捕鯨は廃止すべきだ。2009年12月13日 朝日新聞朝刊 13版 13ページ「私の視点-調査捕鯨 乏しい成果、すぐに廃止を」から引用 この記事が指摘するように、「鯨食は日本の伝統文化」というのは商業宣伝用のフレーズに過ぎず、捕鯨が禁止されたら日本の文化が立ち行かなくなるというものではない。大昔から、日本の一部地域で沿岸捕鯨をしていたのは事実であるが、国際社会で問題とされているのは、大型船団を組織して大量捕鯨を行うことであって、捕鯨を止めたらわが国の食料事情が逼迫するというような話ではないから、この記事が提案するように、調査捕鯨は廃止にするべきである。
2010年01月04日
教員採用の条件から国籍条項が撤廃されて、外国籍の先生も教壇で活躍していると、12月26日の読売新聞が報道している; 外国籍の先生が教壇に立つ姿が各地で見られるようになった。1991年に公立学校で日本国籍以外の先生を採用することが認められて以降、小中学校や高校で年々増加。現在は大阪、兵庫はじめ神奈川、京都など25の都道府県で、在日コリアンを中心に少なくとも約200人が指導に当たっている。 文部科学省の通達では、外国籍の教員は「期限を付けない常勤講師」と定められており、「主任」などの管理職にはなれない。学級担任になるなど教育上の権限は日本人と同じだ。 在日コリアンの児童も通う大阪市淀川区の市立北中島小学校で開かれた3年生の音楽の授業。子どもたちが韓国の民族楽器チャンゴなどを楽しそうに演奏した。担任は、在日3世の李(リチリ)知里さん(31)。韓国慶尚南道出身の祖父をもち、愛知県で生まれ育った。 大阪府、大阪市は1970年代から、独自に外国籍教員を採用していた。82年からは国の通達に沿って日本国籍以外の採用を見送っていたが、国籍条項の撤廃を受けて93年から採用を再開。府内の外国籍教員は今年度で135人を数える。 李さんは、大学卒業まで「宮本知里(ちさと)」という日本名を名乗っていたが、「本当の自分を隠しているようで心が重かった」と振り返る。 6年前の採用時。市教委や校長から「本名を名乗ることが、朝鮮半島にルーツがある子どもたちの心の支えになる」と助言され、本名を名乗る決心がついたという。現在は、朝鮮半島の文化を伝える機会をつくっているほか、児童や保護者に自分の生い立ちを説明することもある。 大阪府・市の外国籍教員のうち、学校で「民族のルーツ」を明らかにしている人は6~7割。先月7日、同市で開かれた「外国にルーツを持つ教職員ネットワーク」の設立総会には、府内11市から計52人が集まり、体験談などを披露した。今後、生い立ちを語り合い、教育課題に取り組む場にする。 同ネットワーク事務局の在日3世、韓秀根(ハンスグン)さん(34)は「在日コリアンが目に見える存在になることが、生きた歴史を伝えることになり、子どもの異文化理解にも結びつく」と話している。 (望月弘行)2009年12月26日 読売新聞朝刊 12版 14ページ「外国籍の先生 教壇に続々」から引用(写真も) 外国籍の先生たちの授業を受けて、子どもの頃から自国文化のみならず異文化を理解する能力を身に付けることは、これからの国際社会の一員として大変有意義なことと思います。
2010年01月03日
鳩山政権が誕生して以来、昔の自民党がやってきた政策を転換しようとするたびに、読売新聞などは「過度にマニュフェストに拘らず、柔軟に対処するべきだ」などと主張し、そのような紙面を見るたびに私などは「それじゃぁ何のためのマニュフェストだったんだ」と思ったものであるが、12月11日の「週刊金曜日」には次のような民主党マニュフェスト批判が投書されている; これまでの自民党の大小の教育改革は、大抵、教員の締め付けに利用されてきた。マニフェストに掲げた民主党の教育政策も、教育現場の実情を知らぬ、心得違いの施策である。 教員免許更新制を発展的に解消、進化させ、いずれ「教科学習」「生活進路指導」「学校マネジメント」の三つの分野での「専門免許」の取得を「標準にする」という。 教員の仕事は三つの分野に分けてできるものなのか。どの「専門免許」も持たない教員は標準以下の教員とされるのか。 教員養成課程を六年制にし、教育実習は一年間にするという。 これでは是が非でも教師になるしかない者だけが教員になる。一年間の教育実習で教職の現実に嫌気がさす者も多いはずだ。いったん、教職に就いたら、転職は難しいのだ。 私の高校教員時代にも修士号を取得していた教員はいたが、その指導力が特に優れていたとは思えない。 この「専門免許」も「六年制」も「教員の質と数の充実」を意図しての施策だろうが、これではどちらの充実にもならない。逐一、「伺い」を立てなければ何の試みもできない職場ではなく、自由裁量も創意工夫できるゆとりのある教育現場であれば、教員の質も向上し、教員志望者も増えるのだ。 次に「高校無償化」。高校教育を受ける学力もない、あるいは学習意欲もない生徒にも授業料相当額の給付金を出すのか。学力もあり学習意欲もあるが低所得ゆえに高校に通えない生徒たちにこそ返済不要の奨学金を与えるべきだ。 次に「学校理事会」。どういう構成になるのか。その構成メンバーを誰が選ぶのか。彼らに教科書を選定し、校長を人選し、教員の人事にまで介入させようというのだ。これでは、彼らの意向に沿わない教員は排除されてしまう。学校側は理事会の要求を拒否もできるのか。 学校理事会は教育を不当に支配しかねない。教員は上に従うばかりでなく地域からも圧力を受け、労働法規を無視した働き方をますます強要されるだろう。 最後に、教員管理のための「踏み絵」として極めて有効に利用されてきた「日の丸」掲揚「君が代」斉唱。深刻な、この強制問題からは、民主党もその有力な支持母体である日教組も逃げている。 新しい国歌を、という提案があるが、どんな国歌でも強制になってはいけないのだ。「君が代」の「君」当人も「強制は望ましくない」とおっしゃっている。入学式や卒業式に参列させておいて、一律に起立して斉唱することを強要し、そうしない教員は懲戒処分する、という民主国家がどこにあるか。思想・良心の自由を保障している憲法一九条に違反しているのは明白である。 政権交代があろうと、教員にとって重苦しい時代はなお続く。2009年12月11日 「週刊金曜日」779号 63ページ「論争-心得違いの教育マニフェスト」から引用 教員免許更新制は、安倍内閣が人気取りを目的に始めた無内容な政策で、教育現場には何の利益も無い、即刻廃止するべき制度である。そもそもこのような教員を抑圧する制度が考え出された始まりは、ときおり散見される教員による不祥事の発生である。しかし、大勢の人間集団になればその中に極少数の不心得な者や事故事件を起こす者が出てくるのは、何も教師に限った話ではない。自衛隊や警察官にも似たような事件は起きている。民主党が、上の投書で批判されるようなマニュフェストを造ったのは、無自覚に自民党の政策を模倣した結果であろうと推測される。もっと、教育の専門家や現場の声を踏まえた政策に転換するべきである。
2010年01月02日
東京大学教授の醍醐聡(だいごさとし)氏は、韓国併合100年に当たる今年、NHKが大金をかけて偏った歴史観に基くドラマを放映することに疑問を呈する記事を、「週刊金曜日」に寄せている;来年は「韓国併合」100年にあたる。この時期にあえて朝鮮侵略を美化した作品をドラマ化するNHKの見識が問われる。原作者本人がミリタリズムが鼓舞されるのを恐れて、映像化することを拒んでいた遺志をまげることは許されるのか。「11月29日開始の『坂の上の雲』(NHK)を、熱く高い志を胸に抱く青年気取りで見入った。貧しい下級士族の家に生まれた秋山真之(あきやまさねゆき)役の本木雅弘の演技は、国家の夜明けを描くドラマを地で行くものだった。第一部、日清戦争後までの五回。楽しみだ。」(無職・72歳) これは2009年12月6日付『朝日新聞』のテレビ欄に掲載された投書である。こうした投書をみるとNHKが総力を挙げて制作し、これから3年かけて放送するスペシャルドラマ「坂の上の雲」の企画意図が視聴者の内面に巧みに刷り込まれていく様子が窺える。その企画意図とは次のとおりである。「『坂の上の雲』は、国民ひとりひとりが少年のような希望をもって国の近代化に取り組み、そして存亡をかけて日露戦争を戦った『少年の国・明治』の物語です。そこには、今の日本と同じように新たな価値観の創造に苦悩・奮闘した明治という時代の精神が生き生きと描かれています。この作品に込められたメッセージは、日本がこれから向かうべき道を考える上で大きなヒントを与えてくれるに違いありません」軍国日本を賛美した原作をドラマ化する時代錯誤 本当にそうか? 確かに司馬遼太郎の原作は秋山兄弟と正岡子規の生涯を通して「明るい明冶」、「少年のような国・明治」を描こうとした歴史小説である。しかし、兄・秋山好古(あきやまよしふる)は日清戦争において内モンゴルで清国軍騎兵隊などと交戦した陸軍第一師団騎兵第一大隊長であり、「名誉の最後を戦場に遂ぐるを得ば、男子一生の快事」(『坂の上の雲』文春文庫新装版第三分冊、二八九ページ)と書き残した滅私奉公の職業軍人である。また、弟・秋山真之は日露戦争で東郷平八郎のもと連合艦隊司令長官として作戦参謀を務めた人物であり、「筑紫などという小さなふねにのっているようなことでは、主決戦場にはのぞめない」として大艦に乗って主決戦場に向かうことを志願した職業軍人である(第2分冊、66~67ページ)。しかし、その真之も旅順の激戦で衝撃を受け、出家して自分の作戦で殺された人々を弔いたいと言い出した(第3分冊、257ページ)。 明治の富国強兵政策を「国の近代化」とこともなげに言いくるめ、秋山兄弟が歩んだ道を「希望にみちた坂道」などと文学的修辞で糊塗して、原作を「明るい明治」の青春ドラマに仕立て上げるのがいかに虚構であるか理解されよう。ドラマだからで済むのか? このようにいうと、「そうはいってもドラマだから」とか、「NHKの制作担当者は原作の問題点をうまく脚色するに違いない。見ないことには何ともいえない」といった意見がある。しかし、こうした意見は問題の本質を把握し切らない浅慮である。 なぜなら、「ドラマ」とはいえ、原作の著作権を譲り受けて制作する番組である以上、NHKはドラマ化にあたって著作権法第20条第1項で定められた同一性保持権により、原作の根幹的思想、主張を改変できないという制約を受けている。では、原作の思想(歴史観)はどうかというと、日本国内の内乱制圧の「同士討で同胞が大金をかけて殺しあうくらいなら、海をこえて朝鮮を討ったほうがよい」という小村寿太郎(こむらじゅたろう)の言葉を肯定する(第2分冊、34ページ)一方で、日清・日露戦争を侵略戦争ではなく、「愛国的栄光の表現」(第8分冊、344ページ)とみなし、当時の「民族的共同主観のなかではあきらかに祖国防衛戦争だった」(第8分冊、360ページ)と言ってはばからないのである。 すでに14年前の村山談話では、わが国が「過去の一時期、国策を誤り、戦争への道を歩んで国民を存亡の危機に陥れ、植民地支配と侵略によって、多くの国々、とりわけアジア諸国の人々に対して多大の損害と苦痛を与え」た「歴史の事実を謙虚に受け止め、ここにあらためて痛切な反省の意を表し、心からのお詫びの気持ちを表明いたします」と表明した。その日本の公共放送・NHKがこのような歴史認識と逆行する軍国日本賛美の歴史小説を3年にわたって放送しようとする見識を厳しく問うべきは当然である。 このようにいうと、思想傾向を理由に放送番組を批判するのは放送の自由への介入だという意見が一部にある。しかし、これは表現の自由の曲解である。 憲法で保障された表現の自由は個人の自由権という意味では自己実現、人格開花のための営為にとって欠くことができない「国家からの自由」といえる。しかし、組織ジャーナリズムにも同じことがいえるわけではない。組織ジャーナリズムにとっての表現の自由は権力を監視し、市民に有権者たる政治的素養を涵養するのに必要な知見、情報を行きわたらせるという使命に条件づけられた自由、いうなれば「国家への自由」を志向する自由である。NHKが自ら定めた「国内番組基準」で、「1.世界平和の理想の実現に寄与し、人類の幸福に貢献する。2.基本的人権を尊重し、民主主義精神の徹底を図る」という基本原則はこうした文脈で理解されなければならない。 この点で、ドラマ「坂の上の雲」が人気キャストの演技の映像効果も併せて、日清・日露戦争は日本国民が「国の存亡をかけて戦った戦争」だったという歴史観を視聴者に刷りこみ、「列強が自国の権益をかけて争った時代だから、当時の日本だけをとらえてどうこう批判してもはじまらない」という訳知りな「戦争ずれ」人間を増やさないか大変危惧される。それだけに、「坂の上の雲」のドラマ化を、日清・日露戦争期の東アジア史を学び直す機会として能動的に生かし、「知は力なり」の流れに巻き返す努力が求められている。司馬遼太郎の遺志を軽んじてよいのか? 先に、著作権法第20条第1項の同一性保持権に基づいて、今回のドラマは原作物である以上、原作『坂の上の雲』を貫く歪んだ歴史観に制約されると述べた。しかし、原作から離れ、司馬の晩年の発言に目を向けると、この意見に一定の修正が必要になる。なぜなら、司馬は生前、多くの映画会社やテレビ局から原作の映画化、ドラマ化の申し出を受けたにもかかわらず、原作を映像化することでミリタリズムが鼓舞されるのを恐れ、すべての申し出を固く断ったことはよく知られている。また、司馬は亡くなる七年前、ソウルの青瓦台で慮泰愚(ノテウ)大統領(当時)と対談した折、「私なども、李氏朝鮮が日本の悪しき侵略に遭う(1910年)まで朝鮮といえば朱子学の一枚岩で、そこには開花思想や実学(産業を重んじ、物事を合理的に考える学派)などはなかったと思っていた。いまはだれもそうは思っていない。」(『文芸春秋』1989年8月号、93ページ)と語っている。 こうした発言を以て、司馬が原作において、日清・日露戦争を日本にとっての祖国防衛戦争と捉え、朝鮮を「どうにもならない」国、「韓国自身の意思と力でみずからの運命をきりひらく能力は皆無」(第2分冊、50ページ)と捉える民族蔑視の思想を清算したといえるのかどうかは不明である。しかし、遺族はどうであれ、原作者がミリタリムズを鼓舞するのに利用されるのを危惧し、かたくなに映像化を拒んだのも顧みず、「韓国併合」100年を迎えるこの時期にNHKが原作のドラマ化権を手中にしたのを誇らしげに喧伝する様は異常である。今後三年間、厳しい監視と歴史を学び直す主体的努力が問われている。2009年12月18日 「週刊金曜日」780号 14ページ「なぜいま、NHKが『坂の上の雲』なのか」から引用 村山首相の談話は正しい歴史観に基づいており、以後の歴代政権はあの安倍政権も含めて踏襲してきた歴史認識である。その認識に逆行する発想のドラマを、原作者の遺志をも無視して放映するNHKの行動は糾弾されて然るべきである。
2010年01月01日
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