全31件 (31件中 1-31件目)
1
昨日の欄に引用した「日本の美懇談会」の記事の続きは、座長の津川雅彦氏以外の委員がどのような発言をしたか、それは今日の常識に照らしてどのように評価されるか、次のように論評している; 懇談会の委員には、東京・渋谷のシアターコクーンで演じられてきた「コクーン歌舞伎」の演出家、串田和美氏も名を連ねる。 串田氏は初めて歌舞伎の稽古場を訪れた場面を回顧し「何か血の中でわわっと騒いだ」「文化は遺伝子とか、血の中で思うものなのではないか」と述べた。 ただ作家で歌人の須永朝彦氏は「串田さんは日本の芸能がどういう歴史をたどってきたか理解した上で語った方がいい」とくぎを刺す。「日本の芸能の始まりは雅楽と言われるが、国内で発祥したわけではない。奈良時代ごろに中国や朝鮮から音楽や舞踊が入り、日本人の気質に合うように磨き上げられた。能楽の由来も、大陸から伝えられた物まねや曲芸など大衆芸能の『散楽』とされる」 歌舞伎というと、血筋や家柄が重んじられるという印象があるが、それも近代以降のことという。 約400年前に始まった歌舞伎は念仏踊りから発展したとされるが「江戸時代の歌舞伎役者の社会的身分は極めて低く、跡継ぎも必ずしも親子ではなかった。明治以降、そうした扱いに対する反動から、役者は芸術家志向を強め、ブランドイメージを高めるために実子を跡継ぎにするようになった」(須永氏)。 今回の「日本の美」の有識者会議について、須永氏は「権力が芸術を管理しよ テとする状況は、ヒトラーがプロパガンダのために映画などを使った過去を想起させる」と冷ややかだ。 さらに、NPO法人「J-Win」理事長を務める内永ゆか子委員は「宣教師がキリスト教を広めたように、宣教師的なエバンジェリスト(伝道者)の仕組みを考えてみてはどうか」という提案をしている。 民族問題に詳しい評論家の太田昌国氏は「異民族の心の中に踏み入り、宗教的に征服する役割を果たす宣教師がソフトな侵略者であることば世界史の教訓」とし、欧州の強国が15世紀末以降に植民地政策を進める上で、宣教師を活用していたことを指摘。「文化交流とは異なる文化の者同士が対等に出会うべきものなのに、エバンジェリストを持ち出すとは耳を疑う」 懇談会で議論される「日本の美とは何か」などは価値判断に関わることで、多様な価値観を認めないことにもなりかねない。 太田氏は「個人が属する国の文化をいいと思い、自慢するのは当然のこと。しかし、国が冠をかぶせ、日本の心や誇りを政策にすることは多様性に反する。排外的、排他的なものになりかねず、文化の発想とは遠い」と懸念した。◆首相「お友達」色濃いメンバ- この有識者会議「『日本の美』総合プロジェクト懇談会」のメンバーはどのように選ばれたのか。 メンバーには、安倍昭恵首相夫人と親交のある作家の林真理子氏や、日本最大規模の右派団体「日本会議」のホームページにメッセージを寄せている茶道裏千家前家元の千玄室氏など、安倍首相の「お友達」色が濃い。 座長の俳優・津川雅彦氏は「2012年安倍晋三総理大臣を求める民間人有志の会」で発起人を務めた。津川氏はブログで首相を「政治家には勿体(もったい)ない程の、人徳と誠実さの持ち主」と持ち上げ、懇談会でも「文化宰相としてイメージアップを」と訴えた。 その津川氏の過去の発言をさかのぼると、講演で特攻隊を「日本国のために我を拾てるという、誇り高い美意識」と賛美。雑誌の対談でも「男は徴兵に行き国を守る訓練をして一人前になれるんじゃないか」「日本人が駄目な人間だとプロパガンダし、謝罪ばかりさせようとする輩は、もう日本人をおりてもらいたい」などと発言している。 こうした人選について、内閣官房の担当者は「日本文学や茶道など日本の伝統文化に精通している方々。官邸や座長の意向も踏まえた」とのみ説明した。「日本の美」総合プロジェクト 懇談会メンバー(敬称略)津川 雅彦 俳優、演出家内永ゆか子 NPO法人J-Win理事長串田 和美 俳優、演出家幸田 真音 作家小林 忠 美術史学者、岡田美術館長千 玄室 茶道裏千家前家元林 真理子 作家森口 邦彦 染色家、友禅作家◆デスクメモ 「日本がまさに世界の中心で輝く一年であります」。首相の年預所感に出てくる言葉だ。誇大妄想ぶりが心配だが、この延長線上に懇談会もあるのだろう。ただ、謙譲の精神こそ美徳と教わってきた世代にとり「日本はすごい!」という姿勢自体がはしたなく、耐え難い。異国の友人たちにどう釈明しようか。(牧)2016年1月16日 東京新聞朝刊 11版S 26ページ「歴史 理解し発言を」から引用 この記事で興味深いのは、津川雅彦が座長に起用された理由が、俳優としての経歴よりは「安倍晋三総理大臣を求める民間人有志の会」などというゴマすり団体を立ち上げたことが動機のようで、なるほど、そういう理由での人選となれば、これは必ずしも「文化に造詣の深い人物を選ぶ」という主旨から逸脱するのも無理はないということです。また、作家の林真理子氏は保守の論客としてつとに有名ですが、しかし、週刊文春などに掲載される辛口のエッセーなどからは、保守は保守でも合理的なマインドの持ち主のような印象を受けるので、「天孫降臨」をアニメに、とか、「伝統文化は血の遺伝子が継承する」などという狂信的な発言に接して、どういう顔をして聞いたのか、真顔で「ほんとうにそうでございますね」などと真剣に言えたのか、興味のあるところです。
2016年01月31日
俳優の津川雅彦を座長とする政府の有識者懇談会が、「天孫降臨」のアニメ映画を制作して「日本映画の世界市場開拓を目指す」という構想をまとめつつあると、16日の東京新聞が報道している;東京五輪も視野に入れ、日本文化の海外発信について提言する首相直轄の有識者会議「『日本の美』相好プロジェクト懇談会」(津川雅彦座長)が昨年、10月に発足した。メンバーの構成は首相との「お友達」色が濃い。そもそも「美」という観念を国家が語りだすと、ろくなことにならないのは歴史が証明している。公表されている懇談内容について、識者の皆さんに検証してもらった。(木村留美、榊原崇仁) 有識者会議である同懇談会は、日本の文化芸術や美意識を内外にアピールする施策などについて検討することを目的とする。2020年の東京五輪も文化発信の機会と捉えており、開会式のイメージをも視野に入れた議論を進めるという。首相の私的懇談会のため、開催費用などは内閣官房の予算から出費される。 昨年10月に、第一回会合を開催。当初は4~5回の会合を経て、今年6月に報告書をまとめ、首相に提言する予定だった。だが、長期の議論継続を望む声がメンバーから上がり、先行きははっきりしていない。 首相官邸のホームページにある第一回会合の議事要旨を読むと、右派色の強さがよくうかがえる。 象徴的なのが、座長を務める俳優の津川氏が「日本映画の世界市場開拓の一作目」として提案した「天孫降臨」の映画化だ。 「天孫降臨」は、天照大神(あまてらすおおみかみ)の孫のニニギノミコトが日本の国土安定のために地上へ降り立つという神話。津川氏は「日本は神の国」の寄る辺となる神話を、政府が関与する形で世界に発信することを提案した。 国内外の映画祭に造詣が深い編集者の内田真氏は「これが世界に出たら一笑に付されてしまう」と語る。 「日本には、世界的な評価を得た映画作品がある。黒澤明監督の『七人の侍』はハリウッドに、人々の日常の情緒を扱った小津安二郎監督や成瀬巳喜男監督の作品は欧州の監督らに影響を及ぼした。これらとあまりにかけ離れている」 「天孫降臨」はアニメの形で制作することが想定されている。内田氏は「アニメの方が作り手の意に沿う形で表現しやすいからではないか」と指摘する。 こうしたカラーは懇談の随所に顔をのぞかせる。 津川氏は「日本の美は縄文時代から始まっている。縄文の大自然の中で、生きとし生けるもの全てに命が宿り、神が宿るという自然を愛する心が今日にまで至っている」とし、縄文文化に着目する意義を説く。 国立歴史民俗博物館の松木武彦教授(考古学)は「縄文の文化を最も象徴するのは、土偶や環状列石などに代表される精神活動。豊作を願って行われた」と解説する一方、弥生時代との違いを強調する。 「対外的な関係が大きく動いたのが弥生時代。この時代に大陸からの渡来人によって稲作が伝えられた。中国の皇帝から金印などをもらい受け、彼らの権威を借りて、日本国内をまとめようという勢力が出てきたのもこの頃からだった」 「大陸に学び、従う」という構図が弥生時代から鮮明になったわけだが、津川氏が「縄文」を前面に押し出すのは、右派が嫌うこうした構図を持ち出したくないからのようにも映る。2016年1月16日 東京新聞朝刊 11版S 25ページ「復古主義と勘違いに彩られ・・・『日本の美 懇談会』の拙さ」から引用 津川雅彦という俳優が日本の伝統とか「美」について、どのような見識をもっているのか、甚だ疑問である。私が思うに、彼は晩年になって急に「祖国のために散った特攻隊は美しい」などという映画に出演して、そういう物言いが好きな安倍氏のお気に入りになっただけの男であって、三船敏郎のような日本を代表する俳優というわけでもなく、それほど深い内面世界を持つ人物というようには見受けられない。だから、急に「座長」とか言われて、日本の伝統文化を世界に、と言われて「天孫降臨」を持ち出すというのは、あまりにも荒唐無稽、抱腹絶倒というものではないだろうか。津川氏のような人たちは「天孫降臨」などという文字を見て、こういう神話をもっているのは日本民族だけだと思っているのかも知れませんが、この手の話はどこにでもあるもので、ノルウェーでは「昔、人々はせっかくの秋の収穫物をシロクマに奪われて、生活に苦しんでいました。それを見た天国の神様が、地上に降りてきてシロクマを北極に追い払ったところ、人々の生活は豊かになりました。そこで人々は神様に、天国に戻らず地上に住んでいただくようにお願いしました。こうして、神様は私たちの国の王様になりました」という物語を、オスロの民族博物館でみたことがあります。この博物館では、この神話に小学生くらいの子どもが書いたと思われるような可愛らしい絵を添えてあって、ほほえましい物語といった風情でしたが、大の大人が真面目くさって「天孫降臨」のアニメを作ったところで、国際社会の関心をひくことができるのか、甚だ心配です。
2016年01月30日
大阪市は国会や全国の自治体に先駆けて、ヘイトスピーチを規制する条例を制定しました。条例案を議会に提出した後、市当局はホームページにその条例案を公開し、一般市民からも疑問・質問を受け付けて、逐一市としての考え方を説明しました。市民からどのような質問があり、市当局はどう回答したか、その様子は現在も大阪市のホームページで閲覧できますが、当ブログにその一部を引用します;◆市民の意見1:【本案は、表現の自由等を侵害し憲法違反】 一地方公共団体の大阪市が条例で日本人の表現活動を制限するのは、言論・表現の自由、思想良心の自由や集会結社を侵害する憲法違反であり、言論弾圧である。◆大阪市の考え方1: 憲法で表現の自由等が保障されていますが、ヘイトスピーチは、社会や人々に不安感や嫌悪感を与えるだけでなく、人としての尊厳を傷つけ、差別意識を生じさせることにつながりかねないものです。 大阪市内において、ヘイトスピーチが行われている現実を踏まえ、「大阪市人権尊重の社会づくり条例」に基づき人権施策を積極的に推進している本市として、ヘイトスピーチは許さないという姿勢を明確にすることによって、ヘイトスピーチから市民等の人権を擁護し、その抑止を図っていくために、条例を制定する必要があると考えています。 表現の自由等との関係で慎重な対応が必要であることは十分認識しており、大阪市人権施策推進審議会において、憲法や国際法などの専門家に検討していただき、答申いただいた内容をもとに制度を構築することとしております。 制度の実施にあたっても、専門家で構成するヘイトスピーチ審査会を設置し、中立・公正な意見を聴くこととし、表現の自由等を侵害することのないよう、適正に運用していきます。◆市民の意見2:【ヘイトスピーチの定義があいまい】ヘイトスピーチの定義があいまいであり、どのような表現が該当するのかが不明確である。このため、表現の萎縮を招くことが懸念される。◆大阪市の考え方2: 「ヘイトスピーチ」の定義については、本案において、表現活動の「目的」、「態様」及び「発信対象(受け手)」の3つの観点からの要件を設けるとともに、演説などの発言行為だけではなく、印刷物や光ディスク、インターネットのウェブサイト等への書き込み・掲載など一切の「表現活動」を含めるなど、定義づけを明確にしています。単なる批判や非難にとどまるものであれば、対象外となります。 「ヘイトスピーチ」に該当するかどうかは、個々の事例ごとに慎重な判断が求められることから、ヘイトスピーチに該当するかどうかを判断する場合には、必ず、ヘイトスピーチ審査会に諮問し、中立・公正な意見を聴くこととしています。◆市民の意見3:【日本人へのヘイトスピーチも同様に対処すべき】ここは日本なのに外国人を守ろうとするのはおかしい。日本人に対するものも同様にヘイトスピーチとして問題とすべきだ。◆大阪市の考え方3: ヘイトスピーチが個人の尊厳を害し差別の意識を生じさせるおそれがあることから、本制度は、国籍を問わず、ヘイトスピーチから市民等の人権を擁護し、その抑止を図っていくことを目的としており、大阪市が進めている人権尊重の社会づくりに資するものと考えています。◆市民の意見4:【まず、ヘイトスピーチが発生した原因を考えるべき】日本批判や、日本人に対して行われている差別、拉致などの行為に対抗しており、ヘイトスピーチが発生した原因を考えるべきだ。◆大阪市の考え方4: 大阪市内において現実に特定の民族や国籍の人々を排斥する差別的言動が行われており、差別を助長させるおそれが生じていることが問題であると考えています。そのためにも、人権尊重の社会づくりを積極的に進めている本市として、ヘイトスピーチは許さないという姿勢を明確にすることによって、ヘイトスピーチから市民等の人権を擁護し、その抑止を図っていくことが必要であると考えています。(以下省略)http://www.city.osaka.lg.jp/shimin/page/0000309374.html ここに引用したのはごく一部ですが、「ヘイトスピーチ禁止」と言えば、それは在日を保護するという意味だろと勘ぐって「日本人に対するヘイトスピーチも禁止するべきだ」などと、「お門違い」な要望が出たりするわけで、中には「在日の連中がオレ達日本人を差別したから、ヘイトスピーチが出てくるんだ」というようなとんでもない勘違いもあり、また、「拉致された日本人がいるのだから、在日がいじめられるのも当然」などという混乱した認識があるのは情けないことです。
2016年01月29日
先月も当ブログで取り上げた御茶の水書房刊「Q&A朝鮮人『慰安婦』と植民地支配 あなたの疑問に答えます」について、横浜市立大学名誉教授の中西新太郎氏は、15日の「週刊金曜日」に次のように書評を書いています; 朝鮮人「慰安婦」を貶(おとし)め、加害の責任を認めようとしない言説は克服されたのか? 業者の「人身売買」が問題で日本軍に責任はない、 大金持ちになった「慰安婦」もいる、 「慰安婦」問題解決運動は「反日」が目的だ ……濃淡の差はあれ、日本社会で広く流布され続けるこれらの誤解、謬説を取り上げ、確認された事実にもとづき丁寧に反論を加えた本書を、「慰安婦」問題の政治的・外交的結着がつたえられる今だからこそ、多くの人に読んでほしいと思う。 朝鮮史分野を中心とする執筆者たちの説明は、言いがかりに近い疑問を解消させる説得力に満ち、明快だ。その姿勢からは、あやふやな「知識」に凭(よ)りかかり、日本の植民地支配責任を回避する精神的怠惰へのきびしい批判が窺(うかが)える。随所で触れられる、朴裕河(パクユハ)『帝国の慰安婦』の主張への批判は、この書を韓国知識人の「良識」を示すものと持ち上げる日本社会の倒錯した言論状況をも問い糺(ただ)している。 性奴隷に追いやられた被害者の求める尊厳は回復されたか?「慰安婦」問題を真に解決するこの核心点が、本書での具体的論点の究明を通じて浮かび上がる。問われているのは、戦後日本社会が、その社会を生きた日本人が、そしてもちろん何よりも、戦前の植民地支配と侵略戦争への反省に立ったはずの日本政府が、「慰安婦」問題のこの核心をどう受けとめ、どう応えようとしているのかである。 歴史を忘れ去るための「解決」は歴史によって復讐される。「慰安婦」問題も植民地支配もなかったことにはできない。本書が解明している歴史的事実の一つひとつは、今後も繰り返し蒸し返されるであろう歴史修正主義の妄説に対し、力ある有効な反撃となり続けるにちがいない。2016年1月15日 「週刊金曜日」1071号 51ページ「歴史修正主義に対し 力ある有効な反撃」から引用 この記事の冒頭の文章の問いかけは、なかなか重い。従軍慰安婦については、戦後まもなくの頃には、小説や映画に取り上げられたらしいのであるが、その後は流行が廃れるような具合に人々の意識から遠ざかり、韓国で元慰安婦が名乗り出た頃には正確な事情を知る人々は高齢化したこともあって沈黙し、あやふやな知識によりかかった輩が、国家のメンツを重視する立場から元慰安婦を貶める発言を繰り返すのは、同じ日本人として実に遺憾である。ここはやはり、河野談話に述べたとおり「慰安婦の史実」を研究と教育によって子孫に語り継ぐという約束を実施するべきである。また、当ブログには時折「日本人慰安婦の問題を取り上げないのは何故だ」とのコメントが書かれることもあるが、日本人の元慰安婦の場合は、日本人であるだけにこの社会の怖さ、残酷さを熟知しているから、恐ろしくて言い出せないであろうことは容易に想像がつく。もしうっかり名乗り出たりすれば、ただでさえ大使館前に少女像が設置されただけで国家の威信がどうのこうのと騒ぎ出す輩が、束になって社会的バッシングを始めるであろう。韓国で金学順氏が名乗り出たときも、同じようなリスクが存在し、同氏はその恐怖を乗り越えて名乗り出た勇気がたたえられているが、日本においては本人が戦後の長い年月をかけて個人的努力で今日の安寧を取得したのであるから、それを今さらリスクに晒したくないと思うのは当然である。ただ、当人が沈黙しているのをいいことに何事も無かったかのように済ませるのもいかがなものかという疑問も残る。私も、同じ書籍の書評を2回も引用したからには、一冊購入して読んでみることにしたい。
2016年01月28日
このたびの「慰安婦問題」解決に向けた日韓両国政府の合意には、どのような問題があるか、大学教員の野川元一氏は15日の「週刊金曜日」に、次のように書いている;日本軍に性奴隷にされた当事者たちをそっちのけにして、日本と韓国両政府が「最終的解決に合意」した「慰安婦」問題だが、早くも日韓両国内で抗議や反対の声が巻き起こっている。これで問題は解決するのか。 本誌の先週号でも報じられたとおり、昨年末の12月28日、岸田文雄外相が訪韓して日韓外相会談を行ない、その後の共同記者会見で「慰安婦問題」が「最終的かつ不可逆的に解決」されたことを確認する、と発表した。 しかし日本政府が「解決」しようとしたのはこの間題をめぐる両国政府間の対立にすぎず、日本軍「慰安婦」問題それ自体ではない。そのことは、韓国の被害者に対するのと同様の措置をとるようにとの台湾当局の要求を、日本政府が一蹴したことからも明らかだ。 1月5日の記者会見で菅義偉(すがよしひで)官房長官は、「韓国以外の国々(に)は、それぞれの状況を踏まえて今日まで誠実に対応してきている。『アジア女性基金』も含めて政府としては対応しており、そういうなかで韓国とは、やはり状況は違う」などと発言した。 だがマスメディアではあまりとりあげられないことだが、「アジア女性基金」の事業は台湾でも厳しい批判を浴び、同基金の事業を受け入れたのは当時名乗りでていた元「慰安婦」被害者の4割弱にすぎない。「アジア女性基金」が「解決」として受けいれられなかったという意味では、むしろ台湾の状況は、被害者の約3割のみが事業を受けいれた韓国とよく似ていると言わねばならないのだ。 このように欺瞞に満ちた日韓合意だが、共同発表の直後から合意を揺るがしかねない齟齬(そご)が両国政府間に生じていた。ソウルの日本大使館から道路を一つ隔てたところに設置されている「慰安婦」像(少女像)の撤去・移設問題だ。 共同発表では韓国の尹炳世(ユンピョンセ)外交部長官が、「可能な対応方向について関連団体との協議を行う等を通じて、適切に解決されるよう努力する」と発言している。ところが、日本が表明した10億円の拠出は、「慰安婦」像の撤去が前提である-との意向を安倍晋三首相が示しているといった報道が、日本側では相次いだ。 しかし、韓国外務省は4日、ソウルの日本大使館前に設置された「慰安婦」像について「民間が自発的に設置したものであり、政府がどうこうできる事案ではない」と強調するコメントを出している。 さらに7日の参議院本会議で岸田外相は、今回の合意内容について「共同記者発表の場で発表した内容に尽きるのであり、それ以上でもそれ以下でもありません」と答弁した。だとすれば日本側が前提にできるのは韓国政府の「努力」だけであり、撤去の実現ではないはずだ。日本側のこうした報道を受けて韓国世論は硬化しており、安倍政権の今後の姿勢次第では、結ばれたばかりの合意が反古(ほご)同然となる可能性もある。◆無視された「河野談話」 日本政府は表向き、在外公館の「安寧」と「威厳」を守ることを義務づけたウィーン条約を、撤去要求の根拠としている。だが問われるべきはむしろ、道路を隔てたところに設置されたささやかな像によって、日本大使館の「安寧」や「威厳」が冒されるとする日本側の意識ではないだろうか。 安倍内閣を含む歴代政権が表向き「踏襲」してきた河野談話は、「われわれはこのような歴史の真実を回避することなく、むしろこれを歴史の教訓として直視していきたい。歴史研究、歴史教育を通じて、このような問題を永く記憶にとどめ」るという決意を表明している。しかし歴史修正主義勢力と自民党国会議員による巻き返しで、この決意はないがしろにされ続けてきた。 歴史教科書での「慰安婦」問題の記述は後退し続け、民間のみならず与党議員からも度々繰り返される「商行為だった」「強制連行はなかった」といった発言を政府が批判することもなかった。しかも、河野談話発表の後、研究者や市民団体によって発見された「慰安婦」問題関連の公文書は500点を超えるが、その多くはいまだ日本政府によって「慰安婦」問題関連文書として認められていない。 このような日本政府の姿勢に照らして考えるなら、なんら実害のない「慰安婦」像撤去への異様な執着は、安倍政権の狙いが日本軍「慰安婦」問題についての「記憶」を消し去ることであることを明らかにしていると言えるだろう。 今回の「合意」について、安倍首相と共に河野談話を攻撃してきた国内の右派の反応が注目されるが、政権に近い「日本教育再生機構」の八木秀次(やぎひでつぐ)理事長は、「合意」を肯定的に評価している。 つまり2014年8月に『朝日新聞』が過去の「吉田証言」に関する「慰安婦」報道の一部を撤回したことで、日本国内における「論争」には勝利した、というのが八木理事長らの認識だ。あとは「軍の関与」や「責任」の中身を曖昧にしたまま「慰安婦」問題が国際社会で議論されることを封じてしまえば、やがて話題にされることもなくなる、という見通しを、安倍首相と八木理事長は共有していると考えてよいだろう。◆首相の「お詫び」とは? 彼らにとっては、今回の共同発表が「多数の女性の名誉と尊厳を深く傷つけた問題」だとしたことも、さして重要なことではない。その後に「ただし、その責任はもっぱら業者にある」と付け加えればすむことだからだ。いまや少なからぬ”リベラル派”の知識人までが、業者の責任をこそ追及すべきだとする『帝国の慰安婦』(朴裕河(パクユハ)著。朝日新聞出版)を賞賛しており、右派の望む通りの世論形成の地ならしは着々と進んでいる。 今回の合意の背景にあるこうした狙いの障害となりうるものがあるとするなら、それはひとえに日本軍「慰安所」制度にまつわる歴史的な事実を記憶しようと試みる人々の存在である。 だからこそ八木理事長も、「中学や高校の教科書づくりに何らかの影響が出ることはないだろうし、影響してはならない」(『産経新聞』15年12月29日)と付け加えることを忘れない。ソウルの「慰安婦」像は人々が元「慰安婦」被害者を記憶にとどめる努力の象徴であり、日本政府に対して「慰安婦」問題を思い起こすよう促すものであるがゆえに、撤去されねばならないとされるのである。 安倍首相は国会議員当選当初から、日本軍「慰安婦」問題の記憶に対する攻撃の先頭に立ってきた政治家である。07年の第一次安倍内閣時代には、「(河野談話発表までに)政府が発見した資料の中には、軍や官憲によるいわゆる強制連行を直接示すような記述も見当たらなかった」とする事実に反する答弁書を、閣議決定した。 野党時代の12年には、同様の主張を含んだ米国地方紙に、「そう、私たちは事実を記憶している(Yes.we remember the facts.)」と題した意見広告が掲載された際、賛同人に名を連ねている。『朝日』の一部報道撤回後の14年10月には国会で、「(『朝日』の誤報により)日本が国ぐるみで性奴隷にした(と)、いわれなき中傷が今世界で行われているのも事実」と答弁した。その安倍首相が、いったい「慰安婦」問題の何について、「心からおわびと反省の気持ちを表明」しようというのだろうか。 フランスの歴史学者P・ヴィダル=ナケは、ホロコースト否定論者を「記憶の暗殺者たち」と呼んだ。しかし記憶の抹殺を目論む者たちが「暗殺者」のように密かに行動する必要すらないのが、今の日本の状況だろう。 メディアは、安倍首相に問わねばならない。あなたは日本軍「慰安所」制度を、そしてそこでの日本軍の「関与」を、どのようなものだったと認識しているのか、と。さもなければ、この国の記憶に対する戦争は、歴史修正主義者の勝利に終わってしまうだろう。<のがわ もとかず・大学非常勤講師>2016年1月15日「週刊金曜日」1071号 26ページ「日韓『慰安婦』問題合意の虚妄」から引用 我々が報道によって知ったところでは、慰安婦問題への償いのつもりで実施された「アジア女性基金」は、韓国では受け取りを拒否した元慰安婦が多かったらしいが、その他の国ではそれなりに理解されて受け入れられたものと思っていたが、実は台湾でも「誠意が感じられない」とのことで受け取り拒否をする人々が多かったのだとは、この記事を読むまで知りませんでした。どうも、先日の指摘にもあったように、わが国ジャーナリズムの脆弱な体質が、我々国民をガラパゴス状態にしているのではないかと疑われます。それはともかくとして、「アジア女性基金」が韓国でのみ受け入れられなかったのだとすれば、韓国は特殊だから受け入れられなかったのだという気分にもなりますが、実は台湾でも同じような状況だったとすれば、やはり、「アジア女性基金」というやり方では問題解決には不十分だったのだと、私たちは認識を改める必要があるのではないでしょうか。 また、ソウルの日本大使館前の「少女像」については、当ブログのコメントにも「ウィーン条約違反だ」と書き込まれることがありますが、当の「少女像」は大使館の玄関からかなり離れた広場に設置されたもので、大使館に用事があって来る人の通行の邪魔になるものでもないし、「像」があるからといって大使館の威厳が損なわれるわけではありませんから、なんらウィーン条約に抵触するものではないと思います。むしろ、「像」が存在することによって、人々に「植民地支配」と「戦争」というものが過去にあったことを思い起こさせ、過ちを繰り返してはいけないと考えさせる効果が期待できるのですから、撤去する必要はありません。
2016年01月27日
暮れの押し詰まった数日間に決められた慰安婦問題解決のための「日韓合意」について、国内の各新聞はどのように報道したか、また、今回の「合意」はどのような問題を含んでいるか、ジャーナリストの山口正紀氏は、15日の「週刊金曜日」に次のように書いている;「日本政府は法的責任を認めろ」「被害者が納得する謝罪を行なえ」「被害者不在の合意反対」 1月6日夜、東京・永田町の首相官邸前で行なわれた(日本軍「慰安婦」問題についての日韓政府による政治的妥結に反対し、正しい解決を要求する官邸前抗議行動)。韓国挺身隊問題対策協議会が呼びかけた「世界連帯行動」に呼応する集会で、約100人の参加者は「政治的妥結反対」のコールを繰り返した。 日韓外相が昨年12月28日に共同記者発表した「日韓合意」の骨子は、(1)日本政府は軍の関与の下に多数の女性の名誉と尊厳を傷つけた責任を痛感し、安倍晋三首相が「心からのおわびと反省」を表明する(2)韓国政府が元「慰安婦」を支援する財団を設立し、日本政府が10億円程度を拠出する(3)韓国は在韓日本大使館前の少女像への日本政府の懸念を認知し、適切な解決に努力する(4)両国は、この問題が最終的かつ不可逆的に解決されることを確認する、というもの。 翌29日の各紙朝刊は「日韓合意」を1面トップで報じ、関連記事を7~8ページにわたって掲載した。その報道スタンスは社説から窺える。社説タイトルと記事の一部を紹介しよう。『朝日新聞』《歴史を越え日韓の前進を》-《両政府がわだかまりを越え、負の歴史を克服するための賢明な一歩を刻んだことを歓迎したい》『毎日新聞』《日韓の合意を歓迎する》-《今回の合意について「最終的で不可逆的な解決」であることを確認したことは両国の信頼構築につながる》『東京新聞』《「妥結」の重さを学んだ》-《最大の懸案が解決に向かう。来年は対立から協力へと、流れを変えたい》『日本経済新聞』《決着弾みに日韓再構築を》-《ようやく達成した合意である。過去の苦い教訓も踏まえつつ、日韓が着実に履行することが肝要だ》『読売新聞』《韓国は「不可逆的解決」を守れ》-《合意が、停滞してきた日韓関係を改善する契機となるのか、見守りたい》『産経新聞』《韓国側の約束履行を注視する》-《日本側が譲歩した玉虫色の決着という印象は否めない。このことが将来に禍根を残さないか》『朝日』『毎日』『東京』『日経』はニュアンスに違いがあるものの、「日韓合意」を基本的に歓迎・評価した。一方、『読売』『産経』は「合意」に不信・不満を示し、韓国への注文を並べた。 右派2紙は、「おわびと反省」を安倍首相の姿勢の変化と”誤認”したようだ。だが、この合意で、日本政府の対応は基本的に変わっていない。「法的責任」を認めたわけではなく、10億円の拠出も「賠償」ではない。しかも、韓国政府に「少女像の移転」を要求し、「二度と『慰安婦』問題を持ち出すな」とばかりに「不可逆的解決」を確認させた。 日本政府と首相が本気で「おわび」するのなら、最低限、「慰安婦」制度の被害者が強く求めてきた「法的責任と賠償」を認める必要がある。大使館前の少女像は、日本人が心に刻む「反省の糧」として残すべきだ。だが、首相は口先だけの「おわびと反省」も外相に代読させた。 発表当日、被害女性が暮らすソウル近郊の「ナヌムの家」の安信権(アンシングオン)所長は「被害当事者を除いた韓日両政府による拙速な野合」と非難し、ハルモニたちは、「なぜ私たちの話を聞かないのか」と抗議した。『読売』『産経』の論調は論外として、こんな当事者を無視した欺瞞的合意を歓迎する『朝日』などの報道姿勢に、私は大きな憤りを覚える。「慰安婦」問題で安倍政権を批判するような報道は、もはやタブーになってしまったのか。<やまぐち まさのり・「人権と報道・連絡会」世話人、ジャーナリスト。>2016年1月15日「週刊金曜日」1071号 38ページ「人権とメディア-当事者無視の『日韓合意』翼賛報道」から引用 このたびの日韓合意について、この記事は問題の本質を突いていると思います。朝日、毎日のように「日韓合意」を評価する側も、読売、産経のように「首相の裏切り」を批判する側も、日本政府が韓国に譲歩したと勘違いしており、実際には日本政府は「法的責任」を認めておらず、10億円を支出するといってもそれは「賠償」ではないというのであれば、それは被害者である元慰安婦の人々が納得するわけがないということです。大使館前の「少女像」は、やはり日本人がこの事件を忘れないようにするために、撤去はするべきでありません。
2016年01月26日
慰安婦問題の解決のための日韓両国政府の合意について、日本と韓国の国内ではどのような反応が起きているか、6日の東京新聞は次のように報道しています; 旧日本軍慰安婦問題に関する昨年末の日韓合意の評価をめぐり、「ねじれ現象」が起きている。安倍晋三首相の支持基盤の保守層内で反発がくすぶる一方、安倍政権と対決姿勢をとる共産党は合意を評価している。(篠ケ瀬祐司) 「ねじれ」が際だったのは安倍首相のフェイスブックだ。普段は首相への激励や支持、好意的なコメントが多く書き込まれる。 ところが慰安婦問題の合意が発表された昨年12月28日は、「あなたを支持する保守層を裏切るような対応は許せない」などと失望感を示す書き込みが相次いだ。韓国側が合意を覆す恐れや、慰安婦問題は1965年の日韓請求権協定で解決済みとしてきた政府が10億円を韓国の財団に出すことへの反発が目立つ。 1月5日の首相の伊勢神宮参拝に関する書き込みでも、激励に交じり、日韓合意で旧日本軍の関与を認めたことなどを批判する書き込みがみられた。 「ねじれ」は政界にもみられる。保守色が強く、安全保障関連法に賛成した日本のこころを大切にする党(旧次世代の党)は「大いなる失望を表明する」との談話を出した。軍の関与を認めた点や、ソウルの日本大使館前の慰安婦を象徴する像の移転が確約されていないことを理由に挙げている。 自民党では、国際情報検討委員長の原田義昭衆院議員がブログで、合意を支持しながらも「外交関係さえ改善すれば原則論は問わないという解決で、国際関係は大丈夫なのか」と指摘。尖闇諸島や北方領土問題など他との懸案事項に意影響を与えないかと問題提起している。 一方で、共産党は合意当日に「問題解決に向けての前進と評価できる」との談話を出した。軍の関与を認めて「政府は責任を痛感している」と表明した点、安倍首相が「心からおわびと反省」を表明し、政府予算で元慰安婦の名誉と尊厳の回復に向けた事業を行う点を評価した。4日の衆院本会議で外交報告を行った安倍首相に対しても、野党席からは日印原子力協定原則合意などに厳しいやじが飛んだが、日韓合意にはやじは聞かれなかった。◆韓国、賛否割れ 【ソウル=島崎諭生、上野実輝彦】日韓政府が旧日本軍慰安婦問題の最終決着に合意したことに関連し、賛否両方の立場の討論会が5日開かれ、韓国内での受け止めの違いがあらためて明らかになった。 政府系シンクタンク「国立外交院」のセミナーには、日韓関係が専門の政治学者らが出席。国民大の李元徳(イウォンドク)教授は「日本が責任を認め、首相名で謝罪し、元慰安婦を支援する新財団に資金を拠出することは相当の進展だ」と評価し、今後の課題として韓国世論への配慮や、財団の事業内容充実を挙げた。 シンクタンク「世宗(セジョン)研究所」の陳昌抹(チンチャンス)所長は「(保守色の強い)安倍晋三首相が政府の責任を認めたことは、歴史的決断として評価できる」と述べた。 一方、合意に反対する弁護士や元慰安婦支援団体「韓国挺身隊問題対策協議会」など4団体の会合では、元慰安婦の金福童(キムポクドン)さん(89)が「政府は交渉前に私たちの話を聞くべきなのに、無視された。納得できない」と訴えた。 ソウル大の梁絃娥(ヤンヒョナ)教授は「日本政府の公的責任の認定がなく、首相の謝罪も代読にとどまった」と批判。慶北大の金昌禄(キムチャンロク)教授は、「真相究明や歴史教育について何も触れていない」と指摘した。 中央日報が12月29~30日に実施した世論調査では、「安倍首相の謝罪に誠意はあるか」や「慰安婦少女像を移転すべきか」などの設問に、「同意しない」との回答が7割を超え、「同意する」の2割を大きく上回った。「日本は法的責任を果たしたと思うか」との問いには、「同意する」と「同意しない」がともに約48%で括抗(きっこう)した。2015年1月6日 東京新聞朝刊 12版 6ページ「慰安婦問題 日韓合意 保守層反発 共産は評価」から引用 「次世代の党」が「日本のこころを大切にする党」に党名変更していたとは、この記事を読んで初めて知りましたが、「日本のこころを大切にする」ということが「歴史上の事実を認めない」という姿勢になってしまうのでは、これは日本人社会の中でマジョリティにはなり得ないのではないかと、ま、余計なお世話かも知れませんが、直感的に感じました。「日本のこころを大切にする党」の心情というものは、去年までの安倍首相の慰安婦問題に関する言動とほぼ一致すると思われるからです。しかし、そういう考え方では国際社会ではうまく物事が進まないということを肌で感じた安倍首相は、あれは「公娼だった」とか「強制連行はしてない」などと意味の無いことを言うのを止めて、潔く軍の関与を認め、政府予算から支出して必要な負担を引き受けるという方針に変更したわけで、やはり、一国の首相という立場になると、去年まで個人的に発言していた事柄はいったん引っ込めて、これまで歴代政権が継承してきた「河野談話」を踏まえた解決策を採用するしかないのであって、そのことは少なくとも国会では全員のコンセンサスになっていることが、上の記事が示すように、日韓合意については「ヤジ」がなかった点に表れていると思います。
2016年01月25日
日本政府が国連特別報告者の訪日を直前にキャンセルするという異常な振る舞いに出た問題について、フリーライターの岩本太郎氏は、12月25日の「週刊金曜日」に次のように書いている; 日本における「表現の自由」に関する調査で12月初旬に予定されていたディビッド・ケイさん(国連の人権理事会が任命する特別報告者)の来日が、日本政府による要請でドタキヤンされた。この件については藤田早苗さん(英国エセックス大学人権センターフェロー)が本誌11月27日号でレポートしているが、その藤田さんを招いて、この件が意味するものについて語り合う集会がいまもなお全国各地で開催中だ。 14日に横浜市で開催された「国際法から見た日本の表現の自由」と題された集会では、「日本のマスメディアが、この間題をきちんと報じていない」と指摘した。16年前に英国に留学した藤田さんがBBC等を見ながら最初に衝撃を受けたのは、「日本で報じられない日本が海外で報じられている」ことだったという。NHKや『朝日新聞』・『読売新聞』といった日本国内で日本語読者にしか読まれないことをなかば前提としたメディアで伝えられないことが、英語によって世界を股(また)にかけた言論空間ではごく当たり前に報じられる(ただし日本にいて日本語しかわからない者はそこにコミットできない)。「いろんな意味で日本はガラパゴス」と藤田さんは言う。特定秘密保護法や安保法制などは、海外でも日本における憂慮すべき動きとして報じられており、ましてや今回のようなケースは「普通ありえない」。国連人権理事会は安全保障理事会と同格の組織で、そこからのオファーで決まっていた日程を直前に跳ね除けた日本政府や、それを「報じない」日本のドメスティック・マスメディアのありようこそ、国際的な通念から見て「ありえない」ものらしい。「特別報告者による現地調査は各地から要望があり、私たちもケイさんが日本に来てくれることになって喜んでいたし、国連の公式サイトにも告知されていた。それがドタキヤンになったことで日本政府はすごく評価を落としたと思います」と藤田さん。ちなみに国連の中でも人権理事会は予算が限られており、日本政府は来年秋以降に延期してくれというものの(夏の参院選の後にしてくれというのがたぶん本音)実現はおぼつかない。 そうした現状について本来は問題視すべき日本の「ドメスティック・マスメディア」が機能を果たしえないとすれば如何(いか)に? それが2016年以降の私たちに課せられた宿題だ。いわもと たろう・ライター。ブログは http://air.ap.teacup.com/taroimo/2015年12月25日 「週刊金曜日」1069号 45ページ「『表現の自由』調査延期の本質報じない日本のマスメディア」から引用 中国の新聞やテレビでは政権批判は皆無で、たまに批判的な記事を書くとすぐ身柄拘束されるなどという話を聞いて「やっぱり中国の民主主義は遅れてるんだな」とか「そもそも、あるのか」と、「それに比べれば日本は言論・報道の自由は保障されていて、立派な民主主義の国だ」と考えがちですが、一歩国の外に出て眺めてみれば、上の記事が示すような有様なのであって、やはり、目くそが鼻くそを笑うようなことを言っていてもダメだなあと、つくづく考える次第です。
2016年01月24日
シリアの内戦が一向に収束せず、テロ集団が「国家」を名乗るほど大規模になってますます混乱に拍車をかけている現状は、ひとえに欧米の責任であると、米国コロンビア大学教授のジェフリー・サックス氏が、12月7日の日本経済新聞のコラム「グローバルオピニオン」に書いている; 民間人に対するテロ攻撃は人道に対する犯罪だ。過激派組織「イスラム国」(IS)は何としてでも阻止しなければならない。そのために、ISの勢力拡大は欧米、特に米国に大きな責任があると認めなければならない。テロのリスク低下のためには、欧米が中東政策を変更するしかない。 最近の攻撃は「テロの逆流」と理解されるべきだろう。欧米が中東やアフリカ、中央アジアで政府を転覆させ、自らの利害にかなう政権を樹立しようと綴り返してきた秘密または公然の軍事作戦による意図せざる恐ろしい結果だ。 1979年以降、米中央情報局(CIA)は旧ソ連をアフガニスタンから追放するため多国籍のイスラム教スンニ派戦闘部隊「ムジャヒディン」(イスラム聖戦士)を組織した。この戦闘部隊とそのイデオロギーが、今でもISを含むスンニ派の過激派武装勢力の基盤になっている。 最近では、欧米はリビアのカダフィ政権を打倒し、エジプトでは選挙で選ばれたムスリム同胞団の政府を追放した。シリアでアサド大統領が11年に抗議デモを暴力で抑圧すると、米国、サウジアラビア、トルコ、その他の中東の同盟国が武装勢力による反乱を扇動し、大混乱に陥った。 こうした作戦は正当な政権を樹立するどころか、基本的な安定を作り出すことさえ、しばしば悲惨なほどに練り返し失敗してきた。混乱や流血の事態、内戦をあおってきたのだ。こうした混乱によって、ISがシリアやイラクの一部の領土を確保することが可能になった。 ISをはじめ暴力的な聖戦主義者を打ち破るには、3つのステップが必要だ。まず、オバマ米大統額はCIAの秘密作戦を打ち切るべきだ。CIAに起因する混乱に終止符を打つことが、テロを増幅している今の不安定、暴力、欧米に対する憎悪に歯止めをかけるために有効だろう。 第二に、米国、ロシアその他の国連安全保障理事会の常任理事国は直ちに内輪もめをやめ、シリア和平の枠組みを確立すべきだ。反アサド勢力による闘争の即刻中止と停戦、米国ではなく国連が主導するシリアの政権移行と暴力によらない政治の再建が必要だ。 最後に、中東の不安定さを長期的に解決する方法は、持続可能な開発にある。中東全体が戦争だけでなく、悪化する淡水不足、砂漠化、若者の高い失業率、劣悪な教育システムなど、深刻化する開発の失敗に苦しんでいる。 もっと戦争をしても、特にCIAが支援する欧米主導の戦争では、何の解決にもならない。中東と世界のより安定した将来のカギを握るのは、教育、医療、再生可能エネルギー、農業、インフラに対する内外の投資の拡大だ。<解説> 融和説く努力を サックス教授は米国が過去30年以上、世界の脅威となる種をまいてきた責任があると論じる。冷戦中の中央アジアから近年のアラブ圏まで、長期の視点を欠く情報工作がテロの温床になった面は否めない。ISはイスラムと欧米との対立をSNS(交流サイト)であおり、多くの若者を引き込む。それに比べ融和を説く中東・欧米政府の努力は不十分だ。教育、雇用支援と並行し、揺らぐ中東を見捨てない意思や共存尊重の価値観を多様な媒体で積極発信することが今の時代には重要だ。(編集委員 中西俊裕)2015年12月7日 日本経済新聞朝刊 「グローバルオピニオン-中東の混乱、欧米に責任」から引用 この記事が示すように、今日の中東の混乱は欧米の責任である。特にアメリカという国は、昔からCIAを使って気に入らない国の政権を転覆させてアメリカの言いなりになる傀儡政権を作り、アメリカ資本に都合の良いように搾取してきた。歴史的にはアメリカ大陸への侵略を始めたスペイン、ポルトガルの時代に始まり、アフリカ、アジアと世界中を植民地支配しようとしたのであったが、そういう路線は第二次世界大戦と終了と共に終わり、その後にアメリカがCIAを使って秘密裏に気に入らない政権を転覆するという悪事を続けたのであった。しかし、ことここに至っては、アメリカのそういう悪事ももはや継続は困難なのであるから、これからは「罪滅ぼし」のために、ジェフリー・サックス教授の言うように、これまでに搾取した何百分の1かの投資を行って今日の混乱を終わらせ、破壊されたインフラを再整備し、そこの住民の快適な生活環境を再構築する事業に着手するべきである。左翼ではないはずの日本経済新聞の編集委員もアメリカの情報工作がテロの温床になったと認めている。
2016年01月23日
一度許可した展示会場の使用を突然拒否して訴えられたニコンは、裁判で争って結局敗訴しましたが、この事件について17日の「しんぶん赤旗」は次のように報道している; 右派グループの攻撃で日本軍「慰安婦」写真展が中止になった事件で、これを不当だと訴えていた原告の韓国人写真家が勝訴(先月25日)しました。表現の自由を脅かす事件が相次ぐ中で、意義ある判決です。双方が控訴せず8日、判決が確定しました。<神田晴雄記者> 訴えていたのは安世鴻(アン・セホン)さん。写真展会場(ニコンサロン)を運営する大手光学機器メーカー、ニコン(東京都港区)が2012年5月、開催直前になって一方的に中止しました。 判決によると、写真展開催が報道されると、ニコンに「開催を非難する電話、メール、電子掲示板への書き込みが集中し」、不買運動の予告や「暗殺」をほのめかす書き込みもありました。ニコン側は、これまでに「在日特権を許さない市民の会」(在特会)の圧力行動にさらされた企業の例を「重視」し、「原告と協議せずに一方的に写真展開催を拒否」しました。 判決は会場提供を約束しながら、安さんになんら相談なく中止したのは「不法行為」だとして、ニコンに損害賠償を命じました。 判決を受けて安さんは、「表現の場、表現の自由を守るために訴訟を起こしました。判決は10点満点で9点」と笑顔でこう語りました。 「表現者(写真家)と鑑賞者の権利は守られなければならないという判決でした。表現の自由を守るためには表現の場が保障されなければならないとしています。この写真展をあきらめてしまったら私ひとりの問題では済まないと感じました。外的な力によって写真展が中止されるのは明らかに誤りです」◆民間にも責任 弁護団の李春熙(リ・チュニ)弁護士はこう指摘しました。「判決は、抗議を受けたり安全性について危惧が生じた場合、『会社としてはまずは契約相手方である原告と誠実に協議したうえ、互いに協力し警察当局にも支援を要請するなどして混乱防止に必要な措置をとり、契約の目的実現に向けて努力すべきであった』とニコンの法的責任を認めました。司法が表現の場の重要性を正面から認定しました」◆SOS出せるかがカギ - 武蔵大学教授、元NHKプロデューサー永田浩三さん ニコン側は当初、安さんが写真展を「慰安婦」問題の政治活動の道具として使おうとした、これは表現行為を逸脱しており約束違反だと主張しました。 しかし本来、表現にはさまざまなものを含んでいます。政治的だとレッテルを張って排除してしまうのが今の風潮です。だから今回、”安さんは政治活動をしませんでした。よかったね”ですまないのです。慰安婦問題の解決を求めるという表現活動がなぜ悪いのかということだと思います。 表現への弾圧や圧力は水面下で行われ、経過も結果も世間に知らされません。私の事件(「女性国際戦犯法廷」を特集したETV番組改ざん事件)でNHKはSOSを社会に発しませんでした。在特会の攻撃を受けたニコンの対応が裁判を通じて一部明らかになったことは、大きな意味があります。攻撃されたら表現にたずさわる人たちはSOSを出せるかどうかがカギだと思います。2016年1月17日 「しんぶん赤旗」日曜版 29ページ「表規脅かす圧力 はね返す」から引用 連日引用してきた「ニコン裁判」の記事の中では、この「しんぶん赤旗」の記事から得られる情報が一番多いと思いました。ニコンが在特会の抗議活動を連想して恐れたとか、原告弁護団の中には韓国人の弁護士もいるとか、今まで引用した記事にはない情報が散見されます。どうも、ニコンは「普通の写真展だと思って使用許可を出したのに、抗議電話で政治的主張の写真展と知った。事前に申請者からそのような説明を聞いてなかったから、裏切られた気持ちになって、独断で会場使用の中止を決めた」と、このような主張が認められると考えて、それで「和解」もせずに最後まで争ったのではないかと推量されます。しかし、それは正当な主張とは認められず、裁判所の判断では、展示する写真に政治的な主張でも経済的な主張でも、どんな主張があっても差別しないで展示する、これが「表現の自由」だと、こういう判決だったわけです。今回の事例に学び、これからも「表現の自由」の為に闘う人々に声援を送りたいと思います。
2016年01月22日
ニコン裁判で原告が勝訴した判決の意義について、15日の「週刊金曜日」は次のように解説している; 昨年12月25日、「表現の自由」の問題を考える上で重要な判決が出た。日本軍「慰安婦」写真展を一方的に中止したニコンに対し、韓国人写真家・安世鴻(アンセホン)さんが損害賠償などを求めた訴訟の判決である。 3年にわたる裁判では、ニコンが中止理由の一つとした「反日的」などの抗議はメールと電話数十件程度だったにもかかわらず、24時間以内に社内会議で中止決定したことも明らかになった。 判決は、ニコンの中止決定が、「ニコンが原告と何ら協議することなく一方的に本件写真展の開催を拒否した」、「原告の表現活動の機会を奪うもので」、不法行為に該当すると明確に判断し、ニコンに110万円の賠償を命じた。弁護団は「本判決が、表現の自由の保障に関する憲法学上の知見を、私企業が運営する施設の利用関係にも及ぼした」と評価。安さんは、「『表現の自由』を守る判決」「ニコンには、写真家を支える企業として、同じ方向を向いてほしい」と述べた。 残念だったのは、ニコンが最後まで謝罪しなかったこと、ニコン選考委員の写真家らや写真団体が沈黙したことだ。また、判決報告集会で小倉利丸(おぐらとしまる)さん(元富山大学教授)は、「慰安婦」問題に対する日本人の認識が問われた事件でもあったとし、今後は「作家だけでなく、観る者の権利侵害に抗し共に原告になるなど主体的にかかわる闘い方ができれば」と指摘した。 1月8日までに敗訴したニコンは控訴せず、判決は一審で確定。安さんは「表現者、鑑賞者、被写体3者にとって『表現の自由』は重要だ。こんな事件が再発しないよう、粘り強い関心と監視が必要」、今後も性奴隷被害者の取材を続け発表していく、と決意を語った。 公的な施設でも「表現の自由」を侵害する事件が増える今、私企業の施設でも抗議を理由に安易に表現活動を中止してはならないという判決は、大きな意義がある。2016年1月15日「週刊金曜日」1071号 7ページ「ニコン裁判は原告勝訴」から引用 この記事からも分かるように、いったん決めた写真展に対して抗議や脅迫の電話があったときは、ニコンは写真展を申し込んできた写真家と対応を協議するべきであった。協議の中で、中止するという無難な道を選ぶか、警察に警護を依頼するか、相談して決めれば裁判に訴えられることもなかったと考えられる。また、この問題を考える上でポイントになるのは「表現の自由」は守られなければならないと点であって、「抗議があったから即中止」では、憲法を擁護する努力を怠ることになるので、選択肢としての優先順位は最後尾である。
2016年01月21日
昨年暮れに原告勝訴の一審判決が出た「ニコン裁判」について、原告・被告の双方から期日までに控訴の申請がなかったため、一審判決が確定したと、9日の朝日新聞が報道している; 元慰安婦の写真展をめぐり、会場使用を中止する決定をしたのは契約違反だとして、名古屋市在住の韓国人写真家安世鴻(アンセホン)さん(45)が会場を運営するニコンなどに損害賠償を求めた訴訟は、控訴期限の8日までに双方が控訴せず、一審・東京地裁判決が確定した。 昨年12月25日に言い渡された判決は、「中止に正当な理由はなかった」として、ニコンに110万円の支払いを命じた。 写真展は2012年6~9月に東京と大阪で開催予定だったが、抗議が寄せられたことでニコンが中止を決定。その後、安さんが申し立てた仮処分で東京地裁が東京会場の使用を命じ、東京では開催されたが、大阪では中止となった。2016年1月9日 朝日新聞デジタル 「元慰安婦の写真展中止、ニコンへの賠償命令が確定」から引用 今回の原告勝訴は、わが国の民主主義がまともに機能していることを証明するという意味で価値ある判決ですが、それにしては「判決確定」を知らせる記事があまりにも素っ気ないのは気掛かりです。ニコンともなると大企業ですから、広告料でお世話になってる商業新聞としては報道しにくいという事情があるのかも知れませんが、控訴期限が過ぎるまでじっと待ってないで、「控訴しないんですか? どうしてですか?」と取材に出かけてもよかったんじゃないかと思います。安倍首相からもコメントを取ってほしいです。
2016年01月20日
ニコン裁判で一審勝訴となった安世鴻氏と有識者らは、12月25日の朝日新聞で、次のように感想を語っている; 元慰安婦の写真展が中止となったことをめぐり、韓国人写真家安世鴻(アンセホン)さん(44)が損害賠償を求めた訴訟の判決で、東京地裁は25日、ニコンに110万円の支払いを命じた。 「表現の自由を守る判決で、満足している」。記者会見に臨んだ安世鴻さんは笑顔で話した。 韓国や中国、東南アジアで、元慰安婦の女性たちの「現在」を撮り続けてきた。「写真展は被写体と表現者、鑑賞者を強い絆で結ぶ。それを一方的に断ち切ることは許されないとの思いで闘ってきた」 「政治的」などの理由で作品の展示が拒まれる事例が相次いでいる。安さんは「慰安婦問題だけでなく、戦争や原発の問題もある。こうした社会問題を発表する場がつぶされてはならない」と強調。取材に対し、「ニコンは判決を受け入れてほしい。写真家を支える企業として、同じ方向を向いてほしい」と話した。 安さんの裁判は表現に関わる多くの人に影響を与えた。元NHKプロデューサーで武蔵大教授の永田浩三さん(61)らはニコン問題をきっかけに1月、発表できなかった芸術作品を集め、「表現の不自由展」を開いた。「脅しや自粛で、表現の場が狭められている。安さんの裁判で、圧力を受けた企業がどう対応すべきか分かった。ニコンは『一緒に闘ってほしい』と、市民に助けを求めるべきだったのだ」 今年、韓国人元慰安婦を記録した映画「”記憶”と生きる」を完成させたジャーナリスト土井敏邦さん(62)は「被害国の写真家が闘う姿が加害国の自分には後ろめたく、映画を完成させる力になった」。傍聴席で判決を聴き、「本当は日本人が勝ち取るべき判決だった」と話した。(黄轍、編集委員・北野隆一)2015年12月25日 朝日新聞デジタル 「原告『表現の自由守る判決』 元慰安婦の写真展巡る裁判」から引用 「写真展は被写体と表現者、鑑賞者を強い絆で結ぶ」という安世鴻氏の言葉には重みがあると思います。そのような大切な機能をもつ展示会場を、右翼の電話一本で「使用中止」にするのは、あまりにも残念な話であり、「写真文化の向上」の観点からも損失は大きいと言えます。やはり、永田浩三氏が言うように、このような場合は安易に右翼の恫喝に屈せず、写真展主催者や一般市民と力を合わせて「写真文化向上」の道を守るべきであったと思います。
2016年01月19日
わが国屈指のカメラ・メーカーであるニコンが、自社の展示会場の使用許可を後になってから取り消したのは不当であるとして訴えられた裁判で、東京地裁は原告の主張を認め、ニコン敗訴の判決を出したと、12月25日の東京新聞が報道した; 元慰安婦の写真展をめぐり、いったん会場使用を認めたのに一方的に中止を決めたのは契約違反だとして、名古屋市在住の韓国人写真家安世鴻(アンセホン)さん(44)が、会場を運営するニコンなどに、約1400万円の損害賠償を求めた訴訟の判決が25日、東京地裁であった。谷口園恵裁判長は「中止に正当な理由はなかった」として、ニコンに110万円の支払いを命じた。 判決は、契約後の一方的な中止は、「表現活動の機会を失わせることになり、正当な理由がない限り信義則違反だ」と述べた。 訴訟でニコン側は、「写真展に抗議が寄せられ、安全確保が困難になった」と主張したが、判決は「現実的な危険が生じていたとはいえない」と退けた。その上で、「契約相手と誠実に協議し、警察に支援を要請するなどして、実現に努力すべきだったのに、一方的に中止したことは正当化できない」とした。 判決によると、写真展は2012年6~7月に新宿ニコンサロンで開催予定だったが、抗議が寄せられたことでニコンが中止を決定。その後、安さんが申し立てた仮処分で、東京地裁が会場を使用させるよう命じ、予定通り開催された。一方、同年9月に予定していた大阪ニコンサロンでの開催は中止になった。 ニコンは「控訴については、慎重に検討する」との談話を出した。(千葉雄高)2015年12月25日 朝日新聞デジタル 「元慰安婦の写真展中止、ニコンに賠償命令 東京地裁」から引用 この事件については、当ブログでも2012年に取り上げた記憶がある。当時のニコンの説明では「抗議の電話があって、政治的な主張を含む写真展であることが判明したから、使用許可を取り消した」というような内容であったが、裁判所からは「そんな理由で不許可にするのは違法だ」と言われて、その後ニコンは渋々使用を認め、一応形だけ写真展は実施され、展示に不満を持つ人々が抗議に現れて主催者と揉める一幕もあったらしい。しかし、いくら自社の施設だからといって「政治的な主張を含む企画には使わせません」という言い分は不当である確認されたことは、原告の勝利がまた一歩、わが国の民主主義を前進させたと言える。
2016年01月18日
一昨日、昨日と引用した論考から、わが国憲法にわざわざ緊急事態条項を書き加える必要性がないことは明らかになりました。では、何故安倍政権は必要もない「憲法改正」をやろうとするのか、本当の目的は何なのか、長谷部氏は次のように述べている;(昨日の続き)◆ナンセンスな「安心」保障 以上のように、客観的に考えたとき、日本において緊急事態条項を憲法に盛り込む必要性があるとはとても思えない。 では、なぜ憲法改正の優先事項として緊急事態条項が提起されるのか。それは、安保法制のときと同様に、「安全の保障」というのは表向きで、実のところは「安心の保障」の話をしているからである。 だがそもそも、「安心」を保障することなどできようはずがない。人間の心配の種は尽きることがない。しかし、得られるはずのない安心を保障するために必要だと言えば、どんなことでも必要だと思い込ませることができてしまう。要するに、人の心配につけこむような話をすることで、緊急事態条項が必要だと言っているに過ぎない。 ましてや、安倍首相は、政治の問題を好き嫌いで判断する特異な政治指導者のようだ。そうした指導者による憲法改正提案からは、日本国憲法、あるいは立憲主義が嫌いだから壊したい、ということ以上の動機も目的も伝わってこない。人の心配につけこむような、もともと怪しい話にはひっかからないように注意することが、国民・有権者の責任ではないだろうか。◆異なる価値観の共存のための立憲主義 近代初頭のヨーロッパにおいては、カトリック、プロテスタントの双方が、互いに異なる宗教的価値観をめぐって、互いを「悪魔の手先」とみなし合うほどまでに、血みどろの対立を続けてきた。近代立憲主義は、こうした深刻な宗教戦争を克服しようとする知恵と経験から生まれたのである。各自が大切だと考える価値観・世界観の相違にもかかわらず、それでもお互いの存在を認め合い、社会生活の便益とコストを公平に分かち合うための枠組みこそが立憲主義なのである。言い換えれば、立憲主義とは、多様な考え方を抱く人々の公平な共存をはかる社会生活の枠組みなのだ。 もちろん、人はもともと多元的な世界の中で苦悩などを抱えたくないものであり、みなが自分と同じ価値観・世界観を抱く世の中を心地よいと考えがちである。それゆえ、無差別なテロ攻撃の誘因となるような、過激で排他的、独善的な思想を今すぐ無くすことができる特効薬は、残念ながら存在しない。しかし、だからこそ、近代初頭のヨーロッパにおける血みどろの対立を克服するためにつくられた枠組みである立憲主義と、それに基づくリベラル・デモクラシーによって、私たちは何とか持ちこたえていくしかないのではあるまいか。 「怪物と戦う者は、そのため自身が怪物とならぬよう気をつけるべきである」(ニ一チェ『善悪の彼岸』より)のだから。◆私たちがとるべき選択肢 オーストラリアのシンクタンク「経済平和研究所(IEP)」が毎年出している「地球平和度指数(GPI)」というランキングで、日本は2015年も含めてここ数年、世界で8番目に平和で安全な国として位置づけられている。世界的にみても、稀有な平和と安全を享受している国とみなされているにもかかわらず、なぜ今までと同じことを続けようとしないのだろうか。なぜ余計なことをして、あえて状況を悪化させようとするのか、私には理解できない。 フランスをはじめヨーロッパ諸国とは違い、日本にはシリアにどのような利害関係があるというのだろうか。確固たる利害関係もないところに軽々しく出しゃばっていくことは、厳に控えるべきであろう。よく分からないことには、手を出したり口を出したりしないほうがよいということに尽きる。 私たちには、日本の「対テロ戦争」への参加、あるいは中東における紛争への介入を、効果的に止める方法が残されている。それは、2016年7月の参議院選挙で、安保法制に反対する党派を合わせて参議院の過半数をとることである。参議院選挙は政権選択の選挙ではないが、自衛隊の海外派遣は国会同意を必要とし、その国会同意については衆議院の優越はない。つまり、参議院の多数を確保できれば自衛隊の海外派遣を止めることができるのである。戦略的な投票行動によって、自衛隊の海外派遣を止められる議員を選ぶことこそ、いま私たちが取り得る現実的かつ賢明な道であろう。 そしてそれこそが、日本へのテロの脅威を減らし、緊急事態条項の導入よりもはるかに、尽きることのない心配の種をあえて増やす過ちを抑止することにつながるのである。*本稿は、著者による談話を基に編集部がまとめたものに、著者が大幅な加筆・修正を加えて構成されたものである。はせぺ・やすお 憲法学者。早稲田大学大学院法務研究科教授。立憲デモクラシーの会呼びかけ人。1956年生まれ。著書に『憲法と平和を問いなおす』(ちくま新書)『憲法とは何か』(岩波新書)など多数。近著に『安倍流改憲にNOを!』(共著、岩波書店)『安保法制の何が問題か』(共編者、岩波書店)など。岩波書店「世界」2016年1月号 144ページ「日本国憲法に緊急事態条項は不要である」から一部を引用 法制度上は「安全の保障」については欠陥がないにも関わらず、なぜ安倍政権はこの問題を憲法に結びつけるのか、それは表向き「安全の保障」と言いつつ「安心の保障」に話をすり替えて国民の心配をかき立て、安倍氏が嫌っているらしい「憲法」と「立憲主義」を壊したいからなのだと、なかなか鋭い指摘になっていると思います。私たちは、このような碩学の声に耳を傾け、憲法と立憲主義を守っていきたいものです。
2016年01月17日
昨日引用した長谷部氏の記事は、わが国憲法に緊急事態条項を新設する必要がないことを完璧に論証した優れた文章であったが、その続きのパラグラフでは、それでも安倍政権が数に頼んで強引に「緊急事態条項」を書き加えた場合は、どのような問題が想定されるのか、次のように述べている;<昨日の続き>◆不可欠の司法的コントロール ドイツの例からも分かるように、現代のまっとうな立憲主義国家では、緊急事態に対応する法制を実際に運用しようとするときには、裁判所による監視と抑制の仕組みが必ず採り入れられている。緊急事態条項を発動する際の司法的コントロールは、いわばグローバル・スタンダードといってもよい。 ところが日本の場合、裁判所による監視と抑制という点で、大きな障害となっているものがある。それが「統治行為論」(統治行為の法理)である。統治行為の法理とは、国家の存立に関わる高度に政治的な問題については、裁判所は判断を回避するという法理である。これまで日本の最高裁は、この法理に基づいて、日米安保条約や解散権行使の合憲性について政治部門の判断を丸飲みし、独自の判断を回避してきた。 もし、統治行為の法理が温存されるのであれば、たかだか解散権の行使でさえ政治部門の判断を丸飲みしてきた裁判所が、国家の存立が危機に瀕する緊急事態の発生の有無や、それへの対処のために何が必要かについてはなおさら、政治部門の判断を丸飲みすることになると考えるのが自然の流れであろう。国民の権利への特別の制約が必要にして最小限度のものにとどまっているか否かを判定するためには、そもそも緊急事態が発生したのか、それにどの程度の緊急性があるのかについても、裁判所が独自に認定し判断する権限がなければならない。 先に論じたように、導入の必要性の乏しさにもかかわらず、とにかく緊急事態条項を憲法に盛り込みたいのであれば、少なくとも、統治行為の法理は日本国憲法下ではもはや妥当しないことを明らかにする規定も盛り込む必要がある(なお、最高裁の憲法判例は、普通は最高裁自身でないと変更できないが、憲法改正手続を踏めば判例を覆すことができる)。 もっともそうなってくると、その改正以降は、安保条約や解散権の行使の合憲性を含めて、政治部門の行為の合憲性については、裁判所がとことん合憲性と合法性を審査するということになる。また、2014年7月1日の集団的自衛権行使を容認する閣議決定や安保法制の合憲性についても、やはり最高裁が最終的に答えを出すべきだということになるだろう。だが、果たして今の政権や与党議員に、そこまで踏み込む胆力はあるだろうか。 つまるところ、裁判所の権限の根底的な強化がなければ、他のまっとうな立憲主義諸国とは比較にならないお粗末な緊急事態制度になってしまう。日本において緊急事態条項を憲法に盛り込むというのなら、統治行為の法理の廃棄が伴わなければ、そもそも筋が通らない。 とはいえ、問題はそれだけにとどまらない。司法権の違憲審査権限が従来の統治行為に関わる分野にまで広がるとなると、政治部門の側は、人事権限を通じて司法部門に影響を与えようとする懸念があるためだ。憲法上、最高裁判所裁判官の人事は、長官も含めて内閣が決定権を持っている(長官については日本国憲法6条2項、それ以外の裁判官については79条1項)。今までは慣例に則って、あまり乱暴な人事はなされてはこなかったが、慣例を無視して権力を最大限使うという内閣や首相が出てこないとも限らない。 そこで、裁判官人事の独立性を高めることが必要不可欠になる。たとえば(万全の策とは言えないまでも)、国会両院それぞれの総議員の三分の二以上の同意がなければ最高裁判所裁判官の指名・任命はできないという仕組みを導入することで、その時々の政治部門の多数派によって、最低限、最高裁裁判官の人事が悉意的になされないようにしておく必要があるだろう。それが確保されなければ、日本の立憲主義が壊れてしまうからである。<後半省略>岩波書店「世界」2016年1月号 144ページ「日本国憲法に緊急事態条項は不要である」から一部を引用 この記事では、わが国司法の弱点は「統治行為論」を言い訳にして自らの判断を回避して行政の言い分を丸呑みしてきた点にあることを簡潔に指摘しています。また、最高裁判所裁判官の人事を内閣が掌握しているために、ことあるごとに最高裁が政府与党の意向を忖度する傾向にあることは、先日の「夫婦別姓」裁判判決でも認められました。幸いにして今のところ、最高裁裁判官の人事が内閣によって恣意的になされたことはないようですが、安倍政権においては、日銀総裁人事も内閣法制局長官人事も、これまでの慣例を無視した首相のイエスマンを起用するという恣意的な人事が行われたことは、国民の記憶に新しいところであり、最高裁人事にも同じ手法を用いることについて、安倍首相はさして高いハードルがあるとは認識していないことでしょう。夏の参院選に向けて、安倍政権によるこれ以上の立憲主義破壊を許さないという声を上げていく必要があると思います。
2016年01月16日
前回は憲法96条の改正から始めようなどと言って世論の批判を浴びた安倍首相は、今度は「手」を変えて、テロや大規模災害の際に分立した権限を政府に集中させることが可能となる条文を付け加えるという「改正」を目指すことにしたいらしいのだが、果たしてわが国憲法に、そのような条文が必要なのかどうか、早稲田大学教授の長谷部恭男氏は、月刊誌「世界」1月号に次のように些細な考察を掲載している;◆日本国憲法の「欠陥」? 2015年11月22日夜(現地時間)、パリで発生した同時多発テロ事件を受け、フランスでは「非常事態宣言」が発令された。この「非常事態宣言」は、フランス憲法16条に定められた緊急事態における大統領への権限集中規定、あるいは36条に定められた戒厳令とは全く関係のないものであり、「1955年4月3日の非常事態に関する法律」(以下、1955年法律)に基づいて発令されたものだ。 この非常事態は、大臣会議のデクレ(政令)によって宣言され、それによって平常時にはできないことが可能となる。たとえば、劇場・酒場など人の集まるような場の閉鎖を命じることができるし、司法官憲の令状がなくても家宅捜索が可能となる。この1955年法律に基づく非常事態宣言は、近年では2005年10月、パリ郊外で若者が暴徒化した際に発令されたことがある。 一方、フランス憲法16条に定められた大統領への権限集中規定は、これまでにドゴール政権時代の一度しか使われたことがない。というのも、この権限はその要件として、共和国の制度や国の独立、領土の保全、国際条約の履行が重大かつ直接に脅かされ、かつ憲法上の公権力の適正な運営が中断されるときに初めて発動できるとされており、きわめて使いづらい条項となっているからである。また、憲法36条に定められた戒厳令とは、治安と司法の権限を軍に委ねるというものであり、今日においてはその発動自体が想定しがたいものとなっている。 さて、視線を日本に転じると、2015年11月10日、安倍晋三首相は参議院予算委員会の閉会中審査において、大規模災害や外国からの侵攻に対処するために、権力分立を一時停止して政府に権限を集中させ、国民の基本権に特殊な制限を加えることを眼目とする緊急事態条項を盛り込む憲法改正に、優先的に取り組む姿勢を打ち出している。 そうした中で、パリ同時多発テロ事件が発生したことで、フランスでは緊急事態に対処するための条項が憲法に盛り込まれているからこそ対テロ作戦に機動的な対応が可能である一方、日本国憲法にはこうした規定がないために、「テロとの戦い」においての欠陥となっていると解説する一部報道もある。実際には、すでに述べた通り、現在発令されている非常事態への対処措置は憲法上の措置とは関係がないのだが、こうしたパリ同時多発テロ事件を受けた憲法論議が、今後の憲法改正論議に影響を与える可能性も否定できない。 そこで本稿では、まず、日本において緊急事態条項を憲法に盛り込む必要性はあるのかを検討した上で、安保法制の成立によって、法制度上はこれまで以上に深い関与が可能となった「対テロ戦争」に対して、私たちがとるべき姿勢とは何なのかを考えてみたい。◆日本に緊急事態条項は必要か 日本において、緊急事態条項を憲法に盛り込む必要性はあるのだろうか。緊急事態条項を憲法に置いている有名な例としてよく挙げられる、戦後ドイツとの比較から考えてみたい。 戦後ドイツのボン基本法によれば、外国からの武力攻撃に際して、防衛上の緊急事態が発生したか否かの判断権限は「連邦参議院の同意を得て、連邦議会が行なう」こととなっている(基本法25a条(1))。 また、国民の基本権の制限についても、法律によって特別に権利を制約できる権限はきわめて限られており、基本法115c条(2)によれば、「公用収用についての補償を暫定的に規律する」権限と、身体の拘束に関する期間の限定を1日から4日まで延ばすことくらいである。しかも、115g条で、連邦憲法裁判所の任務の遂行を侵害してはならない旨も明確に規定されている。 このようにドイツでは、緊急時の権限の集中の度合いにも厳密な歯止めをかけており、権限の集中と同時に、立法・司法・行政の密接な協力と相互抑止の仕組みを設けていると言える。多様な世論や利益を反映する議会、専門的情報を備えて機動的に行動できる行政、法の支配を実現する司法と、さまざまな強みと正統性根拠を持つ憲法上の機関が相互に協力したり歯止めをかけたりするプロセスを通じて、緊急事態への対応がなされることとなっている。 では、日本ではどうだろうか。ドイツでは必要だった防衛上の緊急事態条項は、日本では必要性がきわめて乏しいと言わざるを得ない。というのも、日本はドイツのような連邦制国家ではなく、立法権が連邦議会と州議会とに分配されているわけではない。つまり、日本はドイツとは違って、緊急事態だからといって各州の立法権を連邦へと吸い上げる必要性がもともと存在しない。近ごろ話題となった日本国憲法53条に基づいて、内閣が早急に国会を召集し、必要な法律を作ればよいだけの話である。 また、先述したような、ボン基本法の明文で言及されている公用収用の問題は、日本では有事法制や災害対策基本法のような関連法令ですでに解決済みである(武力攻撃事態等における国民の保護のための措置に関する法律、災害対策基本法64、65条、82~84条など)。身体の拘束についても、日本では刑事訴訟法上、もともと身柄拘束の期間が長く、捜査機関に対する司法的コントロールも緩い。そもそも、緊急事態に限って国民の基本権に特殊な制約を加えることは、有事法制があることからも分かる通り、現憲法下でもじゅうぶん可能である。 緊急事態条項が必要だとする論者の中には、衆議院の解散中に大規模災害や外敵の攻撃があって、日本国憲法54条1項の要求する期間内に総選挙を施行できない場合に備える必要があると主張する向きもあるようだ。だが、そもそも滅多にない不幸に、さらなる不運が重なる場面を想定することが、どこまで現実的なのだろうか。 むしろ、日本のように大規模な自然災害に見舞われるリスクが高いところで、原子力発電をいつまで続けるつもりなのか、そちらを真剣に議論するほうがよほど重要なのではないだろうか。かりに、東京電力福島第一原発事故と同規模の事故がもう一度起きたとすれば、日本は再起不能になってしまうだろう。原発を維持したままにしておくほうが、よほど国家の存立を脅かすリスクが高いはずである。(以下省略)岩波書店「世界」2016年1月号 144ページ「日本国憲法に緊急事態条項は不要である」から一部を引用 この記事の冒頭にフランスの憲法と緊急事態条項の説明をもってきた理由は、パリの同時多発テロの直後という事情もさることながら、仮に憲法に緊急事態条項を入れるとしても国民の権利の一時的規制は最小限に止めるという配慮が必要なのだから、結局は「使いづらい」ものになるだけだと注意を促す目的と思われます。しかしながら、上の記事が示すようにわが国では既に有事立法を制定しており、緊急事態に備えた法律上の準備は万端整っており、もし欠けているものがあるとすれば「国会議員の4分の1以上の請求があっても臨時国会を開かなかった」政府の「やる気」だけじゃないのか、というお粗末なオチだったという話のようです。この例からも、どうも安倍首相がやりたいのは、国民のための改憲ではなくて、自分の名を歴史に残したいという功名心に過ぎないのではないかとの疑いが濃厚です。しかし、こんなことでは、後世の歴史家からは「歴史に名を残すために一番じたばたした首相」と言われるだけなのではないでしょうか。
2016年01月15日
法政大学教授の山口二郎氏は、正月3日の東京新聞コラムに新年の抱負を次のように書いている; 皆さま、明けましておめでとうございます。今年も本音のコラムをよろしくお願いします。 昨年は安保法制が成立し、日本の平和主義と立憲主義が瀬戸際に立たされている。また、鶴見俊輔、松下圭一、篠原一など、戦後民主主義を理論的に支えた思想家が亡くなった。さびしい限りであるが、日本の民主主義を守る論陣を張ることは、私たちの世代が引き継がなければならない。他方、安保法制反対運動の中から「学生や若い女性が立ち上がり、社会に大きな影響を与えた。とくに、SEALDs(自由と民主主義のための学生緊急行動、シールズ)の若者を見ていると、日本の民主主義の未来も明るいと希望を感じる。 今年は7月ごろに参院選が予定されており、安倍政権が衆参同日選挙に打って出る可能性も取り沙汰されている。この選挙は、憲法改正をめぐる決戦となる。憲法と民主政治を守ること、傍若無人な安倍政治に痛撃を与えることが、今年の最大の課題である。 講演やデモに行くと、参加者から東京新聞のコラムを毎週楽しみに読んでいますよとしばしば声をかけられる。執筆者にとってこれほどありがたいことはない。読者がもやもやと感じていることに言葉を与え、今の日本はここがおかしいと腑(ふ)に落ちるような解説、おごれる為政者を批判する言葉を紡ぎだすよう今年も努めたい。(法政大教授)2016年1月3日 東京新聞朝刊 11版 25ページ「本音のコラム-決戦」から引用 一昨年、昨年と秘密保護法、安保法制と、わが国の立憲主義と民主主義を終わらせようとするかのような法律が次々と制定され、今年は憲法遵守義務を負っているはずの首相が「選挙で改憲を目指す」と公言するなど、異常な事態となっており、このたびの選挙は後世の歴史家が「この年の選挙がターニングポイントだった」と指摘する可能性が大きい、大事な選挙の年になるものと考えられます。私たちは、立憲主義を奉じる立場から、少数者の声に耳を貸さない政府与党を批判し、一人でも多く護憲勢力を結集していきたいものです。
2016年01月14日
日本政府が国連の特別報告者の来日を直前にキャンセルした問題を、世間はどう見ているか、作家の赤川次郎氏は12月20日の東京新聞コラムで、この件に触れて次のように書いている;「私、ずるいんです」 映画「東京物語」の、原節子さんの有名なセリフである。戦死した夫の両親に、実の子どもたち以上に尽くし、感謝されたとき、死んだ夫のことを忘れかけている自分を責めて発した言葉だ。 引退して半世紀以上になるこの名女優の死を一面トップで取り上げた(11月26日夕刊)のは東京新聞らしいことである。 前記のセリフが胸をうつのは、非運にあいながら、まず己を責める、その「潔さ」にある。しかし今年ほど日本がその美徳から遠かったことはないだろう。正しくは「日本の政府が」だが。 まず、日本の「表現の自由をめぐる懸念」について、訪日調査を予定していた国連の特別報告者との面談を日本政府が拒否したこと(11月21日2面)。これは独裁国家が実態を知られるのを恐れて拒んだと思われても仕方ない。「来年の秋以降に」という政府の要望は参院選前にマイナスイメージを持たれたくないという意図なのは明白だ。国連でどんなに立派な演説をしても、本心がどこにあるかは明らかである。特別報告者の直接取材はいい記事だった(12月10日1面)。 加えて「こちら特報部」(12月8日)にもある通り自民党内で「南京大虐殺」や「従軍慰安婦」などの歴史を否定しようとする動きが盛んなことを考え合わせれば、安倍首相の「本音」は誰にも想像がつく。 しかも、慰安婦問題での右派の主張を述べた本を英訳して米国議員、研究者に送りつけたのはあきれた話で、送り主が産経新聞出版とは、今の日本のジャーナリズムの状況を象徴している。 今、テレビでは「今年の漢字」として「安」が選ばれたと報道されている。「不安」や「安保法」の「安」とも言えようが、私が選ぶなら、「恥」こそ最適だろう。・大事故を起こした欠陥商品の原発を平然とインドへ売り込む恥ずかしさ、・沖縄の基地跡地にディズニーリゾートを誘致するという、「札束で顔をはる」ような発言。・未来を担う子どもたちに広がる貧困は放っておいて、米軍への「思いやり予算」9000億円という、まるで逆向きの「思いやり」の哀(かな)しさ。 TPPに関してはなぜか批判に及び腰のジャーナリズム。終わっていない「フクシマ」も、安保法も、特定秘密保護法の闇も、もうほとんど取り上げられることがない。 これから、いったいいくつの「恥」に出会うことか。 「東京物語」の小津安二郎監督は、「人間、品行は直っても品性は直らない」と言った。 今、「品行」すら直す気のない国で、私は「恥」を抵抗のエネルギーに変えていこうと思う。(作家)2015年12月20日 東京新聞朝刊 11版S 5ページ「新聞を読んで-恥を抵抗のエネルギーに」から引用 映画「東京物語」から話を書き出して、小津安二郎監督の発言で話を締める、いかにも作家らしい気の利いた文章ですが、それにも増して、年末に報道された「今年の漢字」は「安」よりは「恥」が相応しかったという指摘は説得力があります。政治家の「品性」と言えば、昔の政治家はそれなりに高い見識をもつ優れた人物が多かったように思いますが、だいたい小渕首相のころからだんだん怪しくなり、森首相のときからその「怪しさ」が顕在化し、これを一気に押し進めたのが歌謡曲の一節を国会答弁に引用した小泉首相だったと思います。そして、その路線はさらにそのまま進み、意味を取り違えて発言したり、しょっちゅう漢字を読み間違えたりする首相が登場したものでした。それがよく注意すると、発言に品がないどころか、政策においても「恥を知らない」となると、これは深刻です。安倍首相は戦争責任を次世代に引き継がせたくないのだそうですが、それ以前に「あまりにも品のない日本」というものを引き継がせることになる危険性について、考えてほしいものでございます。
2016年01月13日
日本政府が国連の特別報告者の訪日を直前にキャンセルした問題について、メディアは「政府が予算審議のため多忙であるため、やむを得ずキャンセルした」と政府側の主張を報道したが、これでは中立公正な報道にならないので、12月10日の東京新聞は、キャンセルされた側の様子を次のように報道した; 「表現の自由」を担当する国連の特別報告者デーピッド・ケイ氏(米国)=写真(本人提供)=は、10日の特定秘密保護法の施行一年に合わせた本紙の取材に答えた。秘密保護法が国民の知る権利」を侵す恐れがあると指摘されていることに関し「日本の多くの人々が情報へのアクセスやメディアのあり方を懸念していることを知っている。政府がどのように対応しようとしているかが大変重要だ」と述べた。日本政府から延期の申し出があった訪日調査を来年早々に行いたい意向も示した。 ケイ氏は訪日調査が実現した場合、特に政府に確認したい項目として(1)どのようにメディアの自由と独立性を保障しているか(2)市民の知る権利をどう確保しているか(3)個人は公共の場やインターネット上で自由に発言できる機会を享受できているか-を挙げた。 ケイ氏は「これらは表現の自由の根底をなす基本的な質問だ。政府と細部にわたって深く議論したい」と強調。秘密保護法に懸念を持つ市民団体からの聞き取りにも「彼らの見方や考え方を学びたい」と意欲を示した。表現の自由に関する日本の法体系全体は「基本的原理に忠実であり、総じて称賛されるものだ」と評価した。 特別報告者は国連の人権理事会が任命した専門家で、特定の人権テーマを調査し理事会に報告するのが役割。ケイ氏は今月1~8日の日程で訪日し、政府担当者への面接や市民団体への調査を行う考えだったが、直前の12月に日本政府から要請があり延期した。「失望するとともに、引き続き調査できるよう希望した」というが、まだ具体的な日程は決まっていない。 ケイ氏へ情報提供を予定していた非政府組織(NGO)など9団体は、早期の調査受け入れを求める文書を外務省に提出。外務省幹部は「訪日を拒否したわけではない。万全の受け入れ態勢を整えるための調整だ」と説明する。(石川智規)2015年12月10日 東京新聞朝刊 12版 1ページ「秘密法施行1年 『多くの人々 懸念』」から引用 この問題について、是が非でも日本政府の立場を擁護するんだという諸君は、そもそもどっちから持ちかけた話だったのかとか、その後の時系列がどうしたとか、いろいろ頑張っているが、いずれも推測の域を出るものではなく「参院選への影響を避けるためにドタキャンしたに違いない」という疑念を払拭する決定打にはなっていない。また、デーピッド・ケイ氏は日本の多くの人々が情報へのアクセスやメディアのあり方を懸念していることを知っているので、一日も早く訪日して実態を調査したいと考えるのは当然である。その上、前回の選挙時はテレビ各局に圧力をかけた事実を国民が明確に記憶している所に「どのようにメディアの自由と独立性を保障しているか」調査したいなどと言われれば、それは政府与党としてはギョッとさせられたというのが正直なところでしょう。しかし、事の重大さを考えれば、政府は一日も早く特別報告者の訪日・調査活動を受け入れるべきです。
2016年01月12日
昨年秋に、日本政府が国連特別報告者の訪日を直前でキャンセルしたことについて、11月20日の東京新聞は、次のように報道した; 表現の自由を担当する国連のデービッド・ケイ特別報告者(米国)が12月に予定していた日本での現地調査か、日本政府の要請で延期された。日本では特定秘密保護法の制定など、国民の知る権利の規制につながる動きが相次ぎ、国連は懸念を示していた。(新開浩) ケイ氏はツイッタ-で、日本政府がケイ氏との面会をキャンセルしたことについて「失望した」とコメント。ブログには、特定秘密保護法の施行状況を、政府や市民団体の関係者から聞き取り調査する予定だったと記した。政府はケイ氏に来年秋に調査に応じる日程を提案したという。 ケイ氏の前任の特別報告者も特定秘密保護法成立直前の2013年11月、同法に対する懸念を表明。内部告発者や報道関係者にとって「深刻な脅威を含んでいる」と強調した。 だが、報道を萎縮させる動きは続いた。 昨年末の衆院選では、自民党は在京テレビ各局に公正中立な報道を求めた。 今年6月には同党若手議員の勉強会で、報道に圧力をかける発言が続出。 安倍晋三首相は今月10日の衆院予算委貞会で、同党によるNHK幹部の事悼聴取を放送倫理・番組向上機構(BPO)が「圧力」と批判したことに「全く問題ない」と反論した。 法政大の水島宏明教授(ジャーナリズム論)は報道圧力について「だんだん露骨になってきている印象」と指摘。政府がケイ氏に参院選後の調査日程を提案したことについても「選挙で表現の自由が後退していると言われたくないのではないか」と語った。 国際ジャーナリスト団体「国境なき記者団」(本部パリ)が世界180の国・地域を対象とした報道の自由度ランキングでは、日本の順位は10年には11位だったが、13年には福島第一原発事故に関する情報公開の不透明さを理由に53位に急落。今年は61位に下がった。民主党の蓮舫代表代行は会見で、延期の理由について「首相が自分で説明した方がいい」と要求。共産党の小池晃副委員長も「日本は表現、報道の自由では世界で遅れた国と評価されている」と述べた。2015年11月21日 東京新聞朝刊 12版S 2ページ「表現の自由 国連も懸念」から引用 訪日予定を直前にキャンセルされたケイ氏は「失望した」とコメントしたそうであるが、無理もない話だ。日本と言えば、国際社会の中で屈指の経済大国であるから、政治もそれに相応したレベルにあって、特定秘密保護法に関わる「疑念」もおそらく杞憂であるに違いないが、念のため簡単にチェックしてみようという程度の認識だったのに、その上、政府とのこれまでの打ち合わせも何ら疑念を持たせるようなポイントもなく、スムーズに進んでいたにも関わらず、直前になってキャンセルされた上に、一年以上も先に延ばされたのでは、問題ないはずだという「期待」が「重大な疑い」に変わってしまうのは当然である。その上、国内の状況といえば、選挙直前に与党がテレビ局に圧力をかけたり、若手議員が「政府批判をする新聞は広告料をストップしてつぶせ」と言ってみたり、こともあろうに首相が政府のテレビ番組介入について「全く問題ない」と発言している有様で、「重大な疑い」を立証している。当ブログでは「女子高生の援助交際の問題で重大な誤解を招いた過去があるから、慎重になるのも当然」などと、まことしやかな言い訳が書き込まれたが、取って付けたような話で、自民党周辺でそのようなことが語られた形跡はなく、「言い訳と膏薬はどこにでもくっつく」類の思いつきに過ぎない。
2016年01月11日
フリーライターの永江朗氏は、鎌田慧著「戦争はさせない」(岩波書店刊)の書評を12月20日の東京新聞に次のように書いている; 表紙の写真(本紙提供)が象徴的だ。ことし8月30日、国会議事堂の周囲を埋めつくす大量の人びとの姿である。本書のタイトル「戦争はさせない」は、彼らの(いや、わたしたちの)意思をあらわしている。 本書には書き下ろし評論「安倍政権の危険すぎる手口」ほか、雑誌などに発表された文章が収められている。全篇、行間から、激しい怒りが伝わってくる。東日本大震災と民主党政権瓦解(がかい)後、急速に右旋回するこの国の政財官に対する怒り。そして、「いのち」が粗末にされていくことへの危機感。本紙連載コラム「本音のコラム」等をまとめた『悪政と闘う』とも通じる。 だが、著者は怒るだけではない。冷静に情況(じょうきょう)を観察し、したたかに明日を見すえる。たとえば8月30日の国会前集会を、新聞各社がどのように伝えたかの比較。どれだけの人が抗議のために集まったのか、ひとつの事実を伝えるのにこんなにも違いがあるとは。驚き、呆(あき)れる。右旋回は官邸が突出し、財と官がそれを支えるが、マスメディアもまた、多くは取り込まれ、官邸の広報装置と化しているのだ。 憲法は揉欄(じゅうりん)され、原発は一基、また一基と再稼働する。では著者たちは敗北し続けるのか。そうではない。著者たちもまた、進化を続けるからだ。たとえば次のような一文。「わたしはこの四年間、脱原発集会とデモに参加して、全国を歩いてきた。わたしたちは、原発反対を(さようなら原発)と組み替え、デモをパレードといい換え、戦争反対を(戦争させない)と口語に翻訳した。硬直した慣用句と集会・デモの形式は、ひとびとの心を捉えない、とようやく気づいたからである」 気づき、反省し、改める者は、次に勝利する。政財官の右旋回によって、わたしは、わたしがわたしであることを立脚点に、、ものごとを考え、行動するようになったのだ。著者をオールド左翼などと嗤(わら)う者は、現実によって手ひどいしっぺ返しを食うだろう。(評者永江朗=フリーライター)鎌田慧著「戦争はさせない」(岩波書店・1944円)かまた・さとし 1938年生まれ。ルポライター。著書『原発列島を行く』など。2015年12月20日 東京新聞朝刊 9ページ「読む人-激しい怒りと静かな思考」から引用 私たちの社会が右旋回の現象を起こしてる中で、突出しているのが官邸であるというのは、間違いないと思います。元々、私たちの社会には右翼に引きずられて戦争に突入したことがあるという「反省」から、安倍首相が体現しているような右翼的言動に抑制的でしたが、バブルが崩壊した後の格差拡大やデフレで社会に対する欲求不満のはけ口を、安倍首相の右翼的言辞または「左翼攻撃」に求めており、これは傍若無人な暴言を繰り返すたびに支持率を上昇させるアメリカの「トランプ」現象と相通ずるものがあると思います。また、現状に不満があるからといっても、それが戦後の左翼運動によってもたらされたわけではありませんから、安倍首相らのサヨク攻撃で溜飲が下がる気分になるというのは、何か勘違いではないかと思います。政財官の右旋回によって、これはまずいんじゃないかと気がつく若者が増えていくことに期待したいと思います。
2016年01月10日
昨年の11月に安倍首相が韓国の朴槿恵大統領と慰安婦問題の早期妥結で合意したと報道されたが、その後の様子では、日韓両国の事務レベルの協議が進んでいるとの報道はあったものの、具体的に妥結できそうな状況になりつつあるというような報道はまったくなされず、「合意はしても、結局妥結は無理でした」という結論になるものと、誰もがそう思っていたのが12月20日の時点での話である。アジア女性基金の事業で重要な役割を果たした東京大学名誉教授の和田春樹氏は、12月20日の東京新聞のインタビューに応えて、次のように述べている; 日本と韓国の問の懸案となっている旧日本軍による従軍慰安婦問題は、年内の妥結が難しい状況になっている。しかし、朴槿恵(パククネ)大統領の名誉を傷付けたとして起訴された産経新聞の前ソウル支局長に無罪判決が言い渡されるという前向きな動きも出ている。元アジア女性基金専務理事の和田春樹東大名誉教授(77)は「日本側の明確な謝罪と、被害者への国庫からの支出で謝罪の証しを出せば、早期妥結は可能」として、日本側の決断を求めている。(編集委員・五味洋治)-慰安婦問題の妥結は越年しそうだ。 「来年には日中韓首脳会談が日本で行われる見通しで、米国も問題の解決を求めている。このまま放置できない。日本政府は妥結させるしかない状況だ」-具体的に何が必要か。 「日韓の運動団体の要求が昨年6月に明らかになった。明確な謝罪と、謝罪の気持ちを込めた支払いだ。日本政府はアジア女性基金を設置したが、首相のおわびの手紙に添えられた償い金には政府のお金は1円も入っていないと説明したので、誠意が感じられないと被害者から反発を受けた。その時の反省を生かさなければならない」-明確な謝罪とは。 「従軍慰安婦問題への旧日本軍の関与を認めて謝罪した1993年の河野洋平官房長官談話を引き継ぎ、慰安所で意に反した行為を強いられたことへの具体的な言及を行い、謝罪することだ。謝罪の支払いは日本政府の金だとクリアに伝える。政府資金の出し方は、進めやすい方法でいい。謝罪は日韓首脳会談といった正式な場で、安倍晋三首相が表明するのが望ましい」-韓国政府にも目に見える努力を求める声がある。 「双方の歩み寄りが必要だ。韓国側はこの間題への姿勢を相当柔軟にしてきたし、外交当局者が被害者に接触し、要望を把握していると聞いている」-日本政府はソウルの日本大使館前に設置された慰安婦の被害を象徴する少女像の撤去を求めている。 「被害者が納得できる案が提示されて問題が決着すれば、大使館前で行われてきた水曜デモは終わり、像も移設されるはずだ。設置した市民団体は移設場所を考えていると思う」-政府間で妥結しても韓国の世論が納得するか。 「韓国政府がこの問題に関する意見を全て抑え込むことはできない。しかし、日韓の国民の中でも、もう終わらせてほしいという気持ちが強まっていることに注目すべきだろう」【慰安婦問題】 日本政府は1965年の日韓請求権協定で法的に「解決済み」としていたが、問題を無視できないと95年にアジア女性基金を設立。韓国政府が認定した207人の元慰安婦を対象に、償い金の支給事業を実施した。基金は2007年に解散。受け取ったのは60人程度にとどまった。安倍晋三首相と朴槿恵大統領は11月の首脳会談で、問題の早期妥結で合意した。2015年12月20日 東京新聞朝刊 11版 4ページ「慰安婦問題 謝罪と政府支出を」から引用 ここに引用した記事で私が最も関心を持ったのは「政府間の妥結ができたとしても、韓国政府が韓国内の慰安婦問題に関する全ての意見を押さえ込むことはできない」と、和田氏が発言している点である。それは、考えてみれば当たり前のことであるが、日韓両首脳が慰安婦問題の妥結を目指すと聞いたときは、両首脳がどちらも自国内の世論を納得させるようなことが可能なのだろうかと疑問を感じたものであったが、それは私の誤解で、両政府間の妥結とは「慰安婦問題が日韓両国間の外交問題として存在している状態を解消する」という意味だったらしい。 そして、この記事が出てから約一週間後に、突如外相が韓国を訪問し、妥結のための最終協議をすることになったと報じられたときは、「寝耳に水」の気分になったのは、私だけでは無かったのではないかと思います。 特に、安倍首相や自民党の政治家、それに当ブログの常連さんの大部分は「日韓の戦後補償の問題は、65年の基本条約で最終かつ完全に解決済みとなっているから、今さら謝罪だの金を出すだのということは法的に無理だ」と言い続けていたのに、あの話は一体どうなったのか、という大きな疑問が出てくる。年末の2~3日であっという間に妥結したのであるから、「65年の基本条約云々」は、政府責任を認めたくないために言っていた虚偽の言い訳で、とうとうここに来て正体を暴露されたということではないのか。 また、一昨年朝日新聞が吉田清治の記事を取り消したときは、「元々慰安婦問題は、朝日新聞が吉田の虚構を真実であると報道したために出来上がった、ねつ造された話で、朝日が取り消したから、慰安婦問題ももはや存在しない」と主張する自民党議員も多数いるのであるが、もしその通りであれば、今更安倍首相が改めて謝罪したり、韓国が設立する基金に日本政府が10億円も支出する必要もないのであるが、事態は逆の方向へ進むことになった。ということは、安倍首相の普段の言動は別として、「慰安婦問題は朝日のねつ造」説は、今回の日韓両国政府の妥結によって完璧に否定されたわけであるが、当ブログで「朝日のねつ造」説を熱心に主張してきた諸君は、今日の事態をどう思っているのか、この期に及んでまだゴタクを並べる気なのか、聞いてみたいものだ。
2016年01月09日
夫婦別性を求める裁判で原告敗訴の判決を出した最高裁を、法政大学教授の山口二郎氏は、12月20日の東京新聞コラムで次のように批判している; 選択的夫婦別姓をめぐる最高裁判所の判決には、失望した。この訴えは結婚しても姓を変えたくない人の自由を許容してほしい、それは憲法の基本原理である個人の尊厳そのものだという主張であった。 もちろん、結婚して同姓を名乗りたい人はそうすればよい。それを望まない人間にも、結婚という制度を適用できるようにしてほしいという訴えを、なぜ最高裁の判事たちは退けたのか。 多数意見は選択的別姓という制度にも合理性があるので、後は国会で検討してほしいと述べた。 しかし、国会の多数派がこの問題について理解しないからこそ、原告は裁判に訴えたのである。最高裁の姿勢はたらいまわしの責任転嫁である。 今回、違憲判決を出せば政権から激しい反発を受けて、後々面倒なことになるという官僚主義的配慮が判決の背後にあったと私は考える。多数者の無知、偏見から少数者の自由を守れないような最高裁に、憲法の番人を名乗る資格はない。 日本の社会は他人と違ったことをする少数者に意地悪で、抑圧的だとつくづく感じさせられる。それこそが今の安倍政治を支えているのだろう。 夫婦別姓は共産主義の陰謀などとタワゴトを言う一方、恥ずかしげもなく、女性が輝くなどと叫ぶ首相の存在を許している日本の現状をあの判決は反映している。(法政大教授)2015年12月20日 東京新聞朝刊 11版 29ページ「本音のコラム-少数者の迫害」から引用 自民党の政治家の中にはリベラルな思想の持ち主もいないわけではないが、安倍首相を筆頭とするグループは「夫婦別姓を認めると家族の絆が失われて、バラバラになる」だから反対だという間違った考えを堂々と主張しており、こういう人たちはジェンダーフリーとか男女共同参画社会などにも、反対意見を述べるどころか、講演会の開催を妨害したりしているから呆れてしまう。しかし、世界の民主主義はジェンダーフリーを推進する方向に進んでいるのであって、わが国も西欧社会と同じ価値観を持つという建前上、ジェンダーフリーを無視するわけにもいかず、一応口先だけは安倍さんも「女性が輝く社会を」などと言わざるを得ない状況となっているわけだ。 上の記事が指摘するように、今回の最高裁判決は実に不当な判決であった。原告が求めたのは「選択的別姓」であって、全国民一斉に「別姓」にしろという主張ではなかったのだから、仮に原告の主張を認めたとしても、辛うじて「同姓」によって家族の絆を維持している家庭に迷惑がかかるわけでもないのだから、本来であれば最高裁は原告の主張を認めるべきであった。にも関わらず、原告敗訴にしたのは、山口先生が推測したとおりであろうと、私も思う。こんなていたらくでは、憲法の番人を名乗る資格がないというのも頷ける。これに比べれて、韓国の裁判所の場合は、政府に対しても堂々とものを言うので、これは立派だ。日本に友好的な考えを持った政治家が大統領をしていたとき、元慰安婦の方々の主張に耳を傾けず、事態改善の努力をしないのは、彼女らの人権を無視することで、これは憲法違反だという判決を出して、その判決に促されて大統領は訪日して当時の日本の首相と話し合いをしている。つまり、韓国では「三権分立」が立派に機能しているわけである。日本の裁判所の「ひらめ裁判官」は、どうしようもない。
2016年01月08日
昨年暮れに「自衛隊を戦場に送るな」と題する講演会が都内で開かれたと、12月20日の東京新聞が報道している; 安全保障関連法によって自衛官が危険にさらされるリスクが高まるとして「自衛隊を戦場へ送るな!」と題した講演会が19日、東京都北区で開かれた。約2千200人(主催者発表)が集まり、安保法廃止や来夏の参院選での野党共闘を訴えた。 国会周辺で大規模な抗議行動を続けた「戦争させない・9条壊すな!総がかり行動実行委員会」が主催した。陸上自衛隊のレンジャー隊員だった井筒高雄さんは、イラク戦争後に心的外傷後ストレス障害(PTSD)に苦しむ米軍兵士が増えたことなどを指摘。安保法は違憲だとし、「『戦争法』廃止のために一票を参院選で投じましょう」と呼び掛けた。 自衛官やその家族から相談を受けている日本労働弁護団の高木太郎弁護士は、不安を感じる自衛官らが声を上げられないでいる実態を紹介。「自衛官に『戦争に行かないと言っていいんだよ』と呼びかけ続けよう。自衛官が『行かない』と言い始めたら、情勢は明らかに変わる」と訴えた。2015年12月20日 東京新聞朝刊 12版 30ページ「戦場に送るな」から引用 自衛隊は国の外にでて武力行使をしないから憲法九条に違反ではないという考えが、戦後70年かけて政府と国民が築き上げてきたコンセンサスと言えます。これを、安倍内閣は十分な議論を経ることもなく、勝手に変更して数の力で押し切ったのですから、安保法が憲法違反であるという問題は、今もそのまま残っていると言えます。安倍首相は口では「自衛隊が戦場に派遣されることはない」と何度も言いましたが、その根拠となる条文は安保法に存在しません。また、安倍首相は「想定しているのは、米軍その他の後方支援であって、戦闘に巻き込まれることはない」とも言いましたが、この発言は多くの識者から「戦争の実態を知らない者の発言だ」と指摘されました。安倍首相は強気の反面、後ろめたさも十分感じており、安保法を発動して実際に自衛隊を海外の紛争地に派遣するのを、今年の参院選後にする方針であることも報道されています。もし、安倍首相が自衛隊に海外派遣を命じても、行きたい隊員は行けばいいのだが、行きたくない、まだ死にたくないという隊員は、堂々と命令を拒否するべきです。それによって「処分」されたときは、政府の命令の根拠となっている安保法(別名、戦争法)が憲法違反なのだから、政府の処分は無効だと裁判に訴えるべきです。大部分の憲法学者が戦争法は憲法違反だと考えており、違反ではないとする学者は数%です。したがって、最高裁の判事も100人はいませんから、実際に裁判になれば、戦争法を合憲と判断する判事は一人もいないという計算になります。
2016年01月07日
評論家の宮崎哲弥氏は「週刊文春」の年末年始合併号・コラムに、アベノミクスの行方について次のように書いている;主 「アベノミクス・オリジナルヴァージョンは消費税増税で一旦リセットされたせいで、まだまだ道半ばだ。前回数値を示して概観したように雇用状況は良好だが、あくまで景気変動に遅れて変化する遅行指標なので『いままでは良好だった』としかいえない。『これから』については先行指標をみなきゃいけないんだが、どうもこれが斑模様なんだな。例えば10月の機械受注統計は結構よかったけど、期待インフレ率がこのところ下降気味。大企業の業況判断DIは横這いだ。結局、もっとやらねば、ということになる。三本目の矢に当たる潜在成長率を上げるための構造改革だの、規制緩和だのはいますぐ実行する必要はないから、畢竟、一の矢『大胆な金融政策』、二の矢『機動的な財政出動』を迅速に、徹底的にやれ、ということになる」客 「具体的には、追加緩和、補正予算が必須かな」主 「当然だ。補正予算案の成立は臨時国会が召集されなかったため、大きく出遅れた。これは安倍晋三政権の失策だ」客 「2020年頃までに最低賃金1000円を目指すという政策はどうだ? 最低賃金を引き上げれば雇用が減る、延(ひ)いては失業が増える、というのが経済学の定式だったよね」主 「ところがこの夏、ポール・クルーグマンが実証研究に基づいてこの”常識”を覆した(”Liberals and Wages”ニューヨークタイムズ7月17日付け)。だから単独の政策としてみても悪くないし、とくに安倍政権の場合、『名目GDP600兆円』目標にリンクさせるかたちで、ターゲットを設定しているから実に有機的、組織的だ。まあ、保守政治家の振舞いではないけどね(笑)」客 「完全にリベラルの政策。民主党が『この目標は自分たちが先に決めた』などと悔しがっている(笑)」主 「アホか。いまみたいに雇用全般が上昇局面にないと、この政策は副作用を斎(もたら)す危険性が高いんだよ。民主党政権下ではデフレが放置されたせいで、雇用情勢が悪化、低迷していた。そんな時期に最低賃金を上げるのは愚の骨頂さ。だから政策の順番は大事だっての。相変わらず『経済政策はタイミング』という要諦を理解していないな、民主党」客 「だけどクルーグマンも最近変心して、アベノミクスは失敗だった、と悲観するようになったという話が出回っているが……」主 「経済右翼が振りまいたデマだよ、デマ。発端となったのは彼がニューヨークタイムズ(10月20日付け)に寄稿した『日本再考』”Rethinking Japan”というコラム。クルーグマンはこの論考で、”金融緩和は効かない”とか、”アベノミクスは無駄だった”などとは一切示唆していない。デフレ脱却、景気回復が足踏み状態にあるから、早期に十分な効果を得るには、政府や日本銀行は一層アグレッシヴな施策に打って出なければならない。とくに、一気にデフレから脱出できるような『速度』を得るためには大胆な金融緩和だけではなく大規模な財政拡張が必須だ、と助言している」客 「何だ、山形浩生大先生のご指摘通り『アベノミクスですら生ぬるい』(「Voice」2016年1月号)って詰じゃん」主 「そ。山形氏は『もっと金融緩和しろ、もっと財政出動しろ1これは最初のアベノミクスそのものだ。ちなみに、財政出動は公共事業だけでなく、減税や各種社会福祉拡充も含まれる。消費税率を上げるなんて、もってのほか』と念を押しているが、これに尽きる」客 「東谷暁氏がクルーグマンについて『彼が次々と政策を「売り歩く」のは、「ケインズ主義は正しい」と考えるからであり、不況に対して経済学は何かできると信じているからなのである』と論評しているね(『経済学者の栄光と敗北』朝日新書)」主 「クルーグマンに批判的な東谷氏の月旦だからこそ重いな。そう『ケインズ主義は正しい』。これぞリベラル・コンセンサスだろ」みやざきてつや/1962年生まれ。呉智英氏との対談『知的唯仏論 マンガから知の最前線まで-ブッダの思想を現代に問う』(新潮文庫)が好評発売中です。2015年12月31日 「週刊文春」 年末年始合併号 175ページ「宮崎哲弥の時々砲弾-年忘れ経国問答 其ノ弐」から引用 昨年秋には野党の規定数を超える議員の要求があったにも関わらず、安倍政権は臨時国会を召集しなかった。一部のメディアは、これは憲法違反だと批判して、当ブログでも取り上げたところ、「審議する法案もないのに国会を開いてもしょうがないだろう」などと憲法の規定を無視するコメントが書かれたのであったが、法案審議だけが国会の仕事ではないのであって、今年は夏の参院選を控えており、前半だけでも景気対策が万全であるという「演出」が大事なのに、これを怠ったことが、この先安部政権の評価にどういう影響を与えるか、注目される。
2016年01月06日
右翼がテレビのニュースキャスターを攻撃する新聞広告を出した問題について、12月25日の「週刊金曜日」は次のように論評している;「日本会議」の役員と重複する言論人・運動家らが、『産経新聞』と連動して数々の団体を立ち上げ、攻勢をかけている。彼らの狙いはメディアを沈黙させて多様な意見や事実を封殺し、「戦争ができる国家」に好都合なものにすることにある。(本誌取材班)「政治との連動性はまったく存在しません」、「公権力とまったく関係がない民間人だけ」 -。 11月25日、東京都内で開かれた「放送法遵守を求める視聴者の会」の記者会見で、小川榮太郎事務局長は会についてこのように説明した。同会は、『産経新聞』と『読売新聞』に「私達は、違法な報道を見逃しません。」という、成立前の戦争法に絡む発言でTBSの番組「NEWS23」の岸井成格(きしいしげただ)キャスターを攻撃した全面広告(本誌12頁「鼎談」参照)を掲載した団体だ。『赤旗』日曜版12月13日号によると、小川事務局長は自民党が野党時代の2012年8月に『約束の日安倍晋三試論』なる安倍首相の賛美本を出版し、首相の資金管理団体「晋和会」から2380冊(374万8500円)買い上げてもらった人物。「政治との連動性」を疑われて当然だろう。 事実、「視聴者の会」の7人の呼びかけ人中、小川事務局長と上智大学の渡部昇一(わたなべしょういち)名誉教授、拓殖大学の渡辺利夫総長は、戦争法支持の立場で8月に結成された「平和安全法制の早期成立を求める国民フォーラム」の設立呼びかけ人だ。この「国民フォーラム」は9月、やはり『産経』と『読売』に、「平和安全法制のすみやかな成立を!」と訴えた、戦争法に賛成する全面意見広告を掲載。今回の「視聴者の会」の意見広告も、戦争法を推進した「公権力」の動きと「関係ない」はずがない。 このように役員が重複する「民間」右派団体が「公権力」と「連動」するのは、11月に都内・日本武道館で開かれた「美しい日本の憲法をつくる国民の会」主催の「今こそ憲法改正を!一万人大会」も同様だ。 この「つくる会」は、実質的に日本最大の右派団体「日本会議」そのもの。3人いる「つくる会」の共同代表のうち、三好達(みよしとおる)・最高裁元長官は「日本会議」の名誉会長(前会長)で、田久保忠衛(たくぼただえ)・杏林大学名誉教授は現会長だ。◆首相と一体の右派勢力 集会には安倍晋三首相が出席する予定だったが、ビデオメッセージに変更。「21世紀にふさわしい憲法を自らの手で作り上げていく。その精神を日本全体に広めていくために、今後ともご尽力をいただきたい」との発言が会場に流されたが、現役首相が右派の改憲集会にメッセージを送るというのは異例事態だ。 そして「公権力」と「連動」した右派団体がメディアを狙い撃ちし始めたのは、日本軍「慰安婦」報道で「吉田証言」を掲載したとして、昨年から右派が『朝日新聞』を攻撃している例も同様だ。前出の渡部名誉教授を議長とする「朝日新聞を糺(ただ)す国民会議」が同紙を相手取って東京地裁に起こした「集団訴訟」では、原告が2万5000人を突破。安倍首相も以前から「『慰安婦』問題は『朝日』の捏造」だと、同紙を攻撃し続けてきたのは記憶に新しい。 つまり安倍首相の改憲・歴史歪曲路線を「民間」で支えているのは「日本会議」を筆頭とした右派団体で、意に沿わないと見なしたメディアを徹底的に攻撃する一方、『読売』や『産経』といった政権と一体化している新聞での意見広告といった手段も使って彼らの「精神を日本全体に広めて」いこうとしている。「公権力」と右派団体がこれほどまでに距離を縮めているのは、戦後でも例がない。「天皇機関説」事件のように、軍部と組んだ右翼が言論攻撃を加えた戦前の暗い歴史が思い浮かぶのは、妃憂(きゆう)なのだろうか。2015年12月25日 「週刊金曜日」1069号 19ページ「右派市民運動による言論攻撃」から引用 むかしの右翼は軍部と組んで言論を攻撃しました。今の右翼は安倍政権と組んで言論を封じ込めようとしています。「むかし陸軍、いま安倍首相」といったところでしょうか。安倍首相の強力な支持団体である「日本会議」は、これから産経・読売を使って彼らの「精神」を国民に広げていくとのことですが、「あの戦争は正しい戦争だった」「南京大虐殺はなかった」「慰安婦は公娼だ」などという、国際社会から袋だたきにされそうな「ねつ造史観」を日本国民が受け入れる可能性は少ないと思います。
2016年01月05日
TBS系テレビの人気番組「NEWS23」の岸井キャスターを個人攻撃する広告を出したのはどのような輩なのか、12月13日の「しんぶん赤旗」は次のように報道している; 異様な意見広告が、全国紙2紙に掲載されました。戦争法案成立直前、テレビで廃案を訴えた報道番組のキャスターを個人攻撃したもの。広告を出した団体は「あくまでも、一般国民の立場」といいますが・・・。<取材班> 「私達は、違法な報道を見逃しません」-。巨大な人の目の写真とともにそう書かれた異様な広告は、「産経」(11月14日付)と「読売」(同15日付)にカラー1ページを使って掲載されました。 広告主は、「放送法遵守を求める視聴者の会」。11月1日に設立されたばかりです。 同会が攻撃したのは、TBS系「NEWS23」でキャスターを務める岸井成格(しげただ)氏(毎日新聞特別編集委員)。岸井氏は戦争法案が参院安保特別委員会で強行採決される直前の9月16日、「メディアとしても(安保法制)廃案に向けて声をずっと上げ続けるベきだ」と発言しました。 戦争法成立直後の世論調査(「共同」9月20日)でも「審議がつくされたとは思わない」が8割近くにのぼっている状況での発言でした。にもかかわらず同会は岸井氏の発言を「政治的に公平であること」とした放送法第4条に違反すると決めつけています。 全国紙の1ページ全面を使い、個人を名指しで攻撃した同会。ホームページで「特定の政治家や政治団体とは一切関わりない」「あくまでも、一般国民の立場」と強調しますが、その実態はどうなのか。 代表呼びかけ人は、作曲家・すぎやまこういち氏。同氏は、安倍晋三首相の資金管理団体「晋和会」に上限額の150万円を献金している人物です。「安倍晋三総理大臣を求める民間人有志の会」の発起人でもあります。事務局長の文芸評論家・小川栄太郎氏も安倍首相と深い関係にあります。◆ベストセラー 安倍氏が自民党総裁に復帰した総裁選直前の2012年8月末、小川氏は『約束の日安倍晋三試論』を出版しました。 発売後、同書はすぐにベストセラーとなり、同書の新聞広告によると、大手書店で軒並み販売「第1位」を独占(右上の写真)。「関連本 異例の売れ行き 安倍氏 書店では好調?」(神戸新聞12年10月12日付)と報じられたほどです。◆典型的な手法 その裏には”からくり”がありました。安倍首相の資金管理団体が同著を大量購入していたのです。 「普和会」の12年分の政治資金収支報告書には、書籍代として支出先に大手書店の名前がずらり。収支報告書に添付された領収書を見ると、小川氏の『約束の日』を少なくとも2380冊、計374万8500円購入していることが分かりました。 「丸善書店丸の内本店」で同年10月16日に900冊購入、「紀伊国屋書店」でも同年11月9日に900冊購入するなどまさに「爆買い」。同書の新聞広告での販売「第1位」の時期とも一致します。 ある出版関係者は、「これは、販売促進の典型的な手法だ」と指摘します。 「大手書店で大量購入すれば、販売実績が1位になる。それが新聞広告に出ればさらに各書店が平積みする。金のあるものにしかできない手法ですよ」 同書が売れたことは、安倍氏の自民党総裁復帰にも一役買った格好。小川氏側から購入を依頼したのかという編集部の質問に、小川氏は「ご指摘の事実はございません」と回答しています。 東京プリンスホテルで11月11日に行われた小川氏の出版記念パーティー。安倍首相が発起人筆頭として出席して祝辞をのべました。 首相に返り咲いた安倍氏と小川氏の蜜月関係は現在でも続いています。◆ ”反日マスコミ絶滅させる他ない”-小川氏の語録 小川氏はフェイスブックでマスコミ敵視や安倍政権擁護の発言を繰り返しています。 ◇ 「マスコミの大半は反安倍というより、完全に日本の国力の阻害要因になっている。幕末なら関係者の暗殺オンパレードだったこと間違いない」(14年2月24日) 「反日マスコミやアカデミズムとのもぐら叩きゲームをやめるには、モグラを絶滅させる他ない」(同2月23日) 「国内では安倍政権に死守すべき精神的価値を守ってもらうべく、政権そのものを猛烈な忠義心で死守すべし」(同2月20日)2015年12月13日 「しんぶん赤旗」日曜版 35ページ「キャスター攻撃 広告主の正体」から引用 「放送法遵守を求める視聴者の会」というのは、個人攻撃をする2週間前ににわかに作られた団体名で、広告を出すことが先に決まって、それらしい市民団体のような体裁でないとまずいのでは、ということででっち上げられたものだろうと、誰もが容易に想像できます。その上、調べてみると、先の総裁選の直前に安倍晋三をよいしょする本を出版して、安倍氏の事務所のカネで大量購入して、あたかもベストセラーであるかのように演出する、これはかなり悪質というものではないでしょうか。元々先の総裁選では、全国の党員投票では石破議員がトップだったのに、議員投票で結果が逆転したのは、この「新聞のベストセラー広告」が一役買った可能性も大いにあると考えられます。 それにしても、「私達は、違法な報道を見逃しません」という宣伝文句には少なからず違和感を覚えます。もともと、報道に「違法」も「適法」もありません。こんな標語がまかり通れば、やがて「私達は、違法な言論を見逃しません」ということになり、「発言は法律を守って正しく行いましょう」などという馬鹿げた事態に発展するのであって、明白な憲法違反です。また、この記事で特に目を引くのは「安倍政権を猛烈な忠義心で死守する」と言ってることです。今どき「忠義」などと言われては、安倍さんも飲みかけたコーヒーを吹き出すのではないでしょうか。
2016年01月04日
着工から22年も経過して、当初予定の3倍の経費をつぎ込んでいるのに、いまだに完成のめどがが立たない六ケ所再処理工場の現状を、11月22日の「しんぶん赤旗」が次のように報告している; 原発の使用済み核燃料から猛毒のプルトニウムを取り出す六ヶ所再処理工場(青森県)の必要性が改めて問われています。プルトニウムを燃料に使う原発である高速増殖炉「もんじゅ」(福井県)について、原子力規制委員会が廃炉を視野に入れて見直しを求めているからです。原発以上に危険とされる再処理工場の現状をリポートします。(三浦誠記者)◆高速増殖炉は困難、欧米は撤退した 青森県六ヶ所村にある六ヶ所再処理工場。広大な敷地は高い柵と厳重な警備に囲まれ、外から工場を一望することはできません。 同工場は、電力会社などが出資した「日本原燃」(原燃)が運営します。 政府がすすめる「核燃料サイクル計画」は、六ヶ所再処理工場で使用済み核燃料からプルトニウムを回収。高速増殖炉「もんじゅ」で燃料に利用する計画です。 高速増殖炉は、燃やしたプルトニウム以上のプルトニウムが発生することから、燃料不足のない「夢の原子炉」と呼ばれてきました。 しかし、実用化は困難を極め、欧米各国ではすでに撤退しています。日本でも1995年にナトリウム火災事故をおこしてから20年間停止しています。商業用の再処理施設も米国などで閉鎖されています。 原燃元幹部は「高速増殖炉ができないなら、再処理でプルトニウムを取り出す意味はない。六ヶ所再処理工場の建設は中止すべきだ」と指摘します。 核兵器の材料であるプルトニウム。日本は核兵器7850発分にあたる約47トンも保有しています。保有量が増えれば国際的に疑念を呼びます。そこで政府は、プルトニウムを普通の原発で使う「プルサーマル発電」を始めました。 電力会社元幹部はいいます。 「プルサーマル発電はコストが高いし、プルトニウムの消費量はたかがしれている。だいたいプルサーマルができる原発は再稼働していない。核燃料サイクル政策は見直さざるを得ない状況だ」◆着工から22年、いまだに完成せず 六ヶ所再処理工場は1993年に着工。23回も完成予定を延ばして、いまだに完成していません。当初約7600億円だった建設費は、約2兆1900億円と3倍近くになっています。原資は電気料金です。 工場では、使用済み核燃料を覆う金属管ごと燃料を切断。化学溶液で溶かし、プルトニウムなどを回収する複雑な工程を経ます。 原発では核燃料を金属管や原子炉、格納容器、建屋で覆い、放射性物質が外部に漏えいしにくい仕組みをつくっています。 再処理では逆にそれらの”覆い”を取り払います。そのため、放射能が格段に漏れやすくなり、国内外の再処理工場では爆発などの重大事故が起きています。 ところが原燃は放射能が外部に漏れる重大事故を想定してきませんでした。「いま、どのような重大事故が考えられるか洗い出している」(原燃の越智英治執行役員)という段階です。 その最中に六ヶ所再処理工場で重大事故が起きました。8月2日、落雷で高レベル放射性廃液の漏えい検知装置など安全上重要な15機器を含む計29もの装置が同時に故障したのです。 原燃は200キロアンペア相当の雷に耐えられると想定していました。今回は、それを下回る196キロアンペアで故障したのです。 原燃関係者は「再処理工場は化学工場だ。原発と違い、一つ一つの工程に特徴がある。事故対策は大変だ」と言います。◆化学薬品で爆発 臨界、放射能放出も 国内外の再処理工場では、作業員の死亡を伴う事故が繰り返しおきています。日本共産党の倉林明子参院議員の調べによると、主なものだけでも6カ国29件の事故が起きています。(表) 頻繁に起きているのが爆発事故。再処理工場は、化学薬品を使用します。作業ミスなどで薬品がまじりあうことで爆発に至ります。 核分裂が制御されない状態で起こる臨界事故も多発。臨界事故では大量の中性子線が放出されます。このため被ばくによる死者も出る危険な事故です。 フランスのラアーグ再処理工場では、変電所に落雷し火災が発生しました。火がケーブルをつたい電源制御盤まで延焼したため、非常用発電機も機能せず、工場が全停電。移動式発電機で冷却しました。 停電で冷却機能を喪失した場合、放射性廃液が沸騰、蒸発し、外部に放射能が放出される危険があります。<後半省略>2015年11月22日 「しんぶん赤旗」日曜版 18ページ「六ケ所再処理工場の危険」から引用 六ヶ所村の再処理工場については数年前にも取り上げたことがあって、その時は、何回目かの完成予定が変更になったばかりで、原燃は「来年の秋には間違いなく完成だ」と言っていました。そこで、このブログに紹介して「どうせ、その『来年の秋』も延期になるに違いない」と書いたら、常連のみなさんは「根拠もなく当局の発表を否定するのはいけない」という主旨のコメントを書き込んだのでしたが、結局私が予想した通りになっています。もともと、再処理工場は「もんじゅ」が稼働したときに必要になるものであって、もんじゅがダメでもMOX燃料に使えるといってもその量は微々たるもので、代替策とは言えない、つまり再処理工場は必要ないということになります。その上、事故対策も「今考えている」というのでは、あまりにも無責任です。海外の工場でも事故は多発しているのですから、只でさえ狭い国土が今以上に放射能で汚染されたのでは居住区域はますます狭まります。多少なりとも愛国心があるなら、これ以上国土を汚す事業は取りやめにするべきです。
2016年01月03日
辺野古に新しい基地を建設する許可を取り消した沖縄県を政府が裁判に訴えた問題について、弁護士の白神優理子氏は12月20日の「しんぶん赤旗」コラムに次のように書いている; 国が沖縄県辺野古沖に建設を強行しようとしている米軍新基地。翁長雄志知事による埋め立て承認取り消し処分の撤回を求めた国による「代執行訴訟」の第1回口頭弁論を各紙が取り上げています。 一部新聞はやたら「公益」を振り回しています。「読売」は「『公益』を考慮した司法判断を」(3日付)と主張。「産経」も「日米合意に基づく辺野古移設を進めることが、沖縄を含む日本の公益」(4日付)といいます。「公益」の前には国民の権利は制限されるという憲法無視の論調です。 新基地建設ノーの県民世論は、知事選や国政選挙で繰り返し表明されてきました。新基地建設強行は、それらの声を踏みにじり、地方自治・民主主義という憲法の原則に反するもの。環境破壊や騒音、基地被害などは人権問題です。 「裁判が真に問いかけているのは、国の基地政策そのものや、国と地方自治体の関係のあり方」(「毎日」11月18日付)、「1999年、地方自治法は大幅改正された。国と地方の関係は『上下・主従』から『対等・協力』へと大きく転換した」(「朝日」12月3日付)との指摘は憲法の視点を踏まえたものです。 そもそも新基地は基地機能の拡大・強化で、負担軽減とはいえず、「公益」ではありません。 「代執行」は、他に「是正」手段がない場合のやむを得ない最終手段。これまで国が行った「是正」は、国民の権利救済が目的の行政不服審査法を悪用した無法な執行停止措置でした。「無法な『是正』措置を強行した安倍政権に、さらに『代執行』に向けた訴訟を起こす資格はありません。・・・許し難い『訴権の乱用』(県の答弁書)」(「赤旗」3日付)との指摘は的確です。 「日本には、本当に地方自治や民主主義は存在するのでしょうか」。翁長県知事の法廷での言葉に正面から向き合い、憲法的立場に立脚した報道姿勢が求められています。(しらが・ゆりこ=弁護士)2015年12月20日 「しんぶん赤旗」日曜版 35ページ「メディアをよむ-沖縄の言葉に向き合え」 この記事が言うように、読売や産経が主張する「国民の権利よりも公益を優先すべき」という発想は、基本的人権を尊重するわが国憲法の精神に反します。天皇のために命を捨ててまで戦争をやらされた戦前の日本人の気分を継承しているのではないか、と疑われます。いま存在する基地を縮小・撤去するのであれば、負担が少なくなる分「公益」と言えないこともありませんが、移転する先に今より強大な基地を新たに新設するというのは、負担軽減どころか、むしろ増大であり、もはや「公益」ではありません。
2016年01月02日
日本共産党の志位委員長は、昨年秋に韓国を訪問しソウル市内の大学で講演を行いました。そのときの要旨を、11月1日の「しんぶん赤旗」が次のように紹介しています; 志位和夫委員長は10月22日、ソウル市内の建国大学で「戦後70年 北東アジアの平和一歴史をふまえ未来を展望する」と題して講演しました。ポイントは-。◆戦前-侵略戦争と植民地支配 北東アジア諸国は古くから相互往来の歴史と伝統を持ち、経済的・文化的交流が発展する一方、政治的協力で大きな立ち遅れがあります。志位氏は、日本側の問題点として「過去の歴史に対する姿勢」を指摘しました。 第一は戦前の歴史、日本による侵略戦争と植民地支配の歴史についてです。 日清・日露戦争は韓国・朝鮮の支配をめぐる植民地化戦争でした。韓国・朝鮮の植民地支配を完成させた「韓国併合条約」は、日本の軍事的強圧による不法・不当な条約です。 いま日本で、この歴史の事実を乱暴に歪曲(わいきょく)する主張が公然と行われています。安倍晋三首相の「戦後70年談話」は「日露戦争は、植民地支配のもとにあった、多くのアジアやアフリカの人々を勇気づけた」と述べています。◆戦後70年-歴史問題という角度から 第二は戦後70年の歴史です。 「戦後の自民党政治は、過去の歴史にまともに向き合おうとしない重大な弱点を持つ」と強調した志位氏。日本政府の植民地支配への認識は、侵略戦争への認識よりさらに遅れています。それを最もよく表すのが、外務省が1949、50年に作成した文書(2005年解禁)。そこには「むき出しの植民地支配正当化論」(志位氏)が書かれています。 こういう認識で日韓国交正常化交渉を始めたため、65年締結の日韓基本条約の交渉では大きな問題点があらわれました。 (1)日本側が「日本の朝鮮統治は良い面もあった」などと述べ、和解への重大な障害となりました。 (2)当時の佐藤栄作首相が韓国併合条約を「対等な立場で締結された」と繰り返しました。 (3)日韓基本条約は植民地支配に一切言及していません。 こうした歴史認識の遅れの根本には、戦犯勢力が戦後日本政治の中枢に復権した問題があります。 90年代に入り、国内外の批判と運動におされ、歴史問題に対する政府の姿勢に「前向きの変化」(志位氏)が起こりました。日本軍「慰安婦」問題についての「河野(官房長官)談話」や、日本の侵略についての「村山(首相)談話」などが内外で肯定的に評価されました。 ところが、この変化への逆流が起こります。その中心として台頭してきたのが安倍首相でした。そのような”侵略戦争賛美”勢力が政権と自民党をのみこんだ状態です。 志位氏は「歴史を偽造する極右勢力による政治支配を一日も早く終わらせるため全力を尽くす」と述べました。◆未来にむけ-北東アジアの平和どう築く 第三は、「北東アジアの平和をどうつくるか」です。 いま日本共産党は、戦争法廃止、安倍政権打倒のたたかいを発展させ、「国民連合政府」をつくる「歴史的チャレンジ(挑戦)」(志位氏)に取り組んでいます。国民連合政府が実現すれば、日本の政治に新局面を開くとともに、アジアと世界の平和への貢献となります。 北東アジアの平和と安定を築くため、日本共産党は「北東アジア平和協力構想」を提唱し、対話を続けてきました。これは、東南アジア諸国連合(ASEAN)の実践を参考に、紛争を戦争にしない枠組みを北東アジアにもつくるものです。 志位氏は「この構想こそ安倍政権の戦争法に対する、真の平和的対案だと確信する」と強調しました。 この構想を実らせる最大のカギの一つが歴史問題の解決です。日本共産党は、戦後70年の今年を、日本とアジア諸国との「和解と友好」の年とするため、日本の政治がとるべき五つの基本姿勢を提唱しています。 志位氏は「日本の政治がこうした理性ある方向に進み、北東アジアに真の平和、安定、友好をつくりだすため力の限り奮闘する」と表明しました。2015年11月1日 「しんぶん赤旗」日曜版 5ページ「戦後70年 北東アジアの平和-歴史をふまえ未来を展望する」から引用 北東アジアの未来を展望するこの記事は、本年の年頭を飾るに相応しい内容だと思います。日曜版という紙面の都合で、一部省略されておりますが、例えば、アジア諸国との真の和解と友好のための五つの基本姿勢は、次の通りです。第一は、「村山談話」「河野談話」の核心的内容を継承し、談話の精神にふさわしい行動をとり、談話を否定する動きに対してきっぱりと反論することです。 第二は、日本軍「慰安婦」問題について、被害者への謝罪と賠償など、人間としての尊厳が回復される解決に踏み出すことです。 第三は、少なくとも首相や閣僚による靖国参拝は行わないことを、日本の政治のルールとして確立することです。 第四は、民族差別をあおるヘイトスピーチを根絶するために、立法措置も含めて、政治が断固たる立場に立つことです。 第五は、「村山談話」「河野談話」で政府が表明してきた過去の誤りへの反省の立場を、学校の教科書に誠実かつ真剣に反映させる努力をつくすことです。http://www.jcp.or.jp/akahata/aik15/2015-10-24/2015102404_01_0.html このURLには、講演の全文が文字お越しされており、なかなか感動的なエピソードもあるので、一読をお勧めします。
2016年01月01日
全31件 (31件中 1-31件目)
1