全31件 (31件中 1-31件目)
1
中国人船長を処分保留で釈放したことを批判する意見がある一方で、あれは賢明な選択であったとする投書が、3日の朝日新聞に掲載された; 尖閣諸島沖の衝突事件で那覇地検が中国船船長を処分保留のまま釈放したことに対して、国内から非難や反発があがっている。「日本は恫喝(どうかつ)すれば言うことを聞く国だと国際社会から思われる」「明確な外交的敗北だ」「日本の弱腰の対応に憤りを感じる」などだ。 しかし、もし身柄の拘束を続けて起訴に踏み切った場合、それは我が国の利益になったのだろうか。私は、その影響を考えると、タイミングの問題は別にして、賢明な選択だったと思う。 中国側は国際的な常識やルールを無視して次々と不当な対抗措置を繰り返し、釈放後も強硬な姿勢をとり続けている。こうした中国の姿勢を支持する国はほとんどあるまい。だから、我が国は国際社会に向かって、自らの正当性をもっと明白に主張すべきである。 ただ、イソップ物語の「北風と太陽」のように、経済力や軍事力を背景にした相手に、力で当たっても解決は得られない。むしろ、力に頼らず、対話と交渉を通じ、知恵を尽くして双方の利益になるような解決策を模索すべきだろう。2010年10月3日 朝日新聞朝刊 13版 6ページ「声-『弱腰外交』恥じず、知恵尽くせ」から引用 私もこの投書の意見に賛成です。事態があのようになってしまったからには、そうするしか無かったと思います。物事の後先を考えずに逮捕を決断した前原外相の失態の後始末ですから、仕方がありません。日米安保を楯に筋を通せとか尖閣諸島に自衛隊を配備しろというような安易な発想では満足な解決は得られません。対話と交渉を通じ、知恵を尽くして双方の利益になるような解決策を模索する、これこそがわが国憲法の精神であることを想起するべきでしょう。 それにしても、尖閣諸島沖の漁船衝突事故と同じ頃に、ロシアのメドベージェフ大統領が突然、北方四島を視察する意向との報道があり、奇異に思いましたが、その後の今月中旬のNHKの報道によると、大統領が突然そのようなことを言い出した原因は、前原外相がロシア大使を外務省に呼びつけて何やら余分なことを言った、それに対する報復であったとのことです。どうもこの、前原という政治家はろくなことをしない。こういう人物を政府の要職につけておくことは国益に反するのではないかと思います。
2010年10月31日
世論と国会議員のあり方について、13日の東京新聞コラムは次のように述べている; 少し古い話になるが、先月行われた民主党代表選で菅直人首相が、小沢一郎元代表を破って再選された。報道各社の世論調査では菅氏支持が圧倒的だったから「国民の声」を反映した結果ということなのだろう。 結果の是非は別にして、国会議員票を投じる面々の中に、世論調査の傾向と違(たが)わぬ判断をすることが議員の使命だといわんばかりの発言をする者が、少なからずいたことが気になる。 有権者代表だから、国民の声は無視すべきではないが、国会議員たるもの世論におもねらず、国民全体、より長期的な利益を視野に入れて決断するという心意気があってしかるべきだ。 世論調査結果に依拠して政治を行うことが良いことなら、議員など要らない。 自治体に目を転じてみると、名古屋市や鹿児島県阿久根市で、市長と議会との対立が報じられている。 市長の強権的な態度に、より注目が集まるが、根底にあるのは地方議会における代議制の機能不全ではないのか。議会が市民の信頼を得ていると、胸を張って言える状況だろうか。 代議制が機能せず、世論と権力とが直接結び付いたとき、いかに危険な道を歩むのかは、洋の東西を問わず歴史が教えている。 今こそ、国会においても地方議会においても、代議制を鍛え直すべきときだ。それが真撃(しんし)な議論を通じて最適の結論を出す「熟議」の時代の、必要条件でもある。 (豊田洋一)2010年10月13日 東京新聞朝刊 5ページ「私説 論説室から - 代議制を鍛え直そう」から引用 名古屋市や阿久根市で、市長と議会の異常な対立があり、何が起きているのか不思議に思っていたが、どうやら「代議制が機能不全」に陥った症状であるらしい。では、何故代議制が機能しなくなったのか、機能を回復するには、どうしたら良いのか。
2010年10月30日
韓国のテレビ番組を視聴している読者が、8日の「週刊金曜日」に次のような意見を投書している; 韓国のバラエティー番組をみていると、「植民地時代、総督府が女性に強要したことは何か?」というクイズが出てきた。答えは、「もんぺをはく」。着用を義務化し、守らなければ、公共機関、交通機関、商店、食堂等あらゆる所から締め出す。暴力をふるう。配給物品を支給しない。果ては強制労働、徴用を課す。当時の映像を交えた再現ドラマには、目を覆いたくなった。 韓国のホームドラマには、ひんばんに、もんぺをはいたハルモニ(おばあさん)が登場する。植民地時代の名残りなのだろうと勝手に想像していたが、こんな痛ましい歴史が隠されていたことは、まったく知らなかった。好んでもんぺをはいていた祖母の姿と重なって、むしろ、なつかしい気持ちでみていた。 韓国の番組をみるようになって3年。自分は偏向教育を受けたのではないか?という疑問が日ごとに大きくなっている。こんな言葉はないだろうが、日本の加害史、という分野はまったくといっていいほど教えられてこなかった。 漠然とした不安が現実のものとなったのは、NHKの日韓討論番組で、息子と同い年の27歳の青年が「植民地支配はやむを得なかった」と言ったのを聞いた時だ。あまりの倣慢さに呆れかえった。せめて自分の孫には、きちんとしたことを教えなければエライことになると強く思った。 二度と再び、もんぺを強要するような、恥ずかしい国にしてはならない。2010年10月8日 「週刊金曜日」818号 61ページ「投書-もんぺ」から引用 この投書が言うように、朝鮮の植民地支配はやむを得なかったなどという考えは、サンフランシスコ講和条約に反しわが国政府の見解とも矛盾するもので、国際社会に対して恥ずかしい考えであるということを、私たちは忘れるべきではありません。また、国民の中にそのようなことを言う者が出てくるのは、戦後の政府の姿勢と学校教育に問題があったためであり、今後の政府は問題の解決のために努力するべきです。
2010年10月29日
先ごろ92歳で天寿をまっとうした映画俳優の池部良氏について、13日の東京新聞コラムは、次のように書いている; 背筋をぴんと伸ばし、髪に丁寧にくしを入れたその人は、90歳に手が届く年齢にはとても見えなかった。戦後を代表するスターとして、銀幕を彩ってきたオーラを漂わせていた。 原節子さんらとともに出演した映画「青い山脈」や「昭和残侠伝」シリーズなどの作品で知られる池部良さんが92歳で亡くなった。最後にお会いしたのは3年前。施行から60年になった憲法の企画でインタビューした時だった。 二枚目役から演技派に脱皮、息の長い役者人生をまっとうしたのは、死線をくぐった戦争体験が大きかったのだと思う。4年余りの軍隊生活。陸軍中尉として、パルマへラ島(現インドネシア)で敗戦を迎えた。 輸送船が米潜水艦の攻撃を受け沈没、漂流中に海軍の船に救出された経験も。潜んでいた島のジャングルには食糧がなく、カエルやヘビ、トカゲを捕らえて食べたと聞いた。 エッセイストとしても、味わい深い文章を書く達人だった。雑誌『銀座百点』に連載中の「銀座八丁おもいで草紙」は、往年の名優たちとの裏話が軽妙に描かれ、思わずほおがゆるむ。 小泉純一郎元首相の靖国神社への参拝について、意見をうかがったこともある。「日本人自身の手で戦争を指導した責任者を摘出しなくてはいけなかった。50年前に議論されるべきでした」。淡々としながらも毅然(きぜん)とした語り口が印象に残る。2010年10月13日 東京新聞朝刊 1ページ「筆洗」から引用 池部氏が語ったように、戦後日本人によってあの戦争を総括する作業が行われなかったことが現代に大きな禍根を残すことになってしまった。しかし、どのような形になるにせよ、いつかは戦争責任をはっきりさせる日が来るに違いない。
2010年10月28日
弁護士の石田省三郎(いしだしょうざぶろう)氏は、検察官が物証を改ざんした事件について、2日の朝日新聞で次のようにコメントしている; 今回の証拠改ざん事件で驚いたのは、「検察による証拠隠滅は前代未聞だ」とこぞって報道されていることです。もう一つの驚きは、特捜部OBの弁護士たちが「以前の特捜部ならばチェック機能が働き、こんな事件は起きなかった」と口をそろえていること。法廷で長く特捜部と相対してきた立場からすれば「よく言うよ」と思います。 特捜部は以前から被告に有利な証拠を隠蔽(いんペい)し、弁護人には開示しません。だからこそ、弁護技術で重要なのは、特捜部が隠す被告に有利な証拠をいかに暴き出すかです。 特捜部の捜査は、一定の罪の構成要件にあてはまるストーリーを作り、それに沿った調書を強引に作り上げる。真実は何か、ではないのです。厳しい自白強要の結果、ロッキード事件でもダグラス・グラマン事件でも、取り調べを機に自殺者が出ている。 検察上層部は、ストーリー通りにならない供述を「こんな調書じゃダメだ」と突き返します。しかられた検事は、被取り調べ人を追い込んで事実や記憶をねじ曲げさせ、ストーリー通りの供述を強いる。そのうえで、調書を作り直し、調書とつじつまの合う証拠しか提出しません。 こういう捜査手法を後押ししてきた裁判所の責任は大きい。裁判官には、法廷での被告らの証言よりも検事調書を信用する「調書至上主義」のあしき習性がある。判決で「被告の法廷での供述には矛盾がある。一方、検事調書は論理的かつ詳細で信用性が高い」と断じるけれど、あえて詳しく論理的に作文するわけだから当たり前でしょう。裁判所と検察が、調書偏重の悪循環を繰り返している。 検察内部の人事上の問題もある。ストーリーに沿った供述を得るのが上手な特捜検事が評価される、という極端な成果主義が横行しています。検察は行政機関の中でも特異な組織で、検事総長や高検検事長は天皇の認証官となる。出世街道を駆け抜けたい検事は、特捜部で手がけた大事件を足がかりに、認証官に上り詰めようと願うわけです。 今回の事件は、検察組織の制度疲労で起こるべくして起こったといえます。個人犯罪、もしくは大阪地検特捜部の例外的な事件として幕引きさせてはならない。 身内である最高検の捜査だけでは、構造的な原因究明は期待できません。では、現行法でできることは何か。まず、検察官適格審査会の罷免調査があります。ただ、個々の検事の適格性を主眼とするこの調査では、おのずと限界がある。国会法に基づく国政調査権もありますが、専門的な調査ができるかどうかは疑わしいと思います。 そこで、こういうケースこそ法務大臣による指揮監督権の行使を提案したい。検察庁法では「法務大臣は検察官の事務に関し、検察官を一般に指揮監督できる」と規定されています。検察とは独立した法相の諮問機関を立ち上げ、外部有識者による広い視野に立った調査と、取り調べの全面可視化に向けた制度改革が必要です。こうした再発防止策は、不祥事を起こした民間企業ならどこでもやっていますよ。(聞き手 本田直人)2010年10月2日 朝日新聞朝刊 13版 21ページ「オピニオン-法相の諮問機問で調査せよ」から引用 ここ数日間取り上げてきた検察官によるFD改ざん事件について、ここに引用した記事が最も正鵠を射ているように思います。マスコミも元特捜部長もそろって「前代未聞の不祥事」などと言っているが、実は検察は以前から事件を捏造していた可能性が高い。特捜部長経験者自ら「調書は検察官が作るものだ」などと開き直っているのだから、その疑いは濃厚だ。ロッキード事件やダグラス・グラマン事件の際に、取調べを受けた人が自殺したとき、何も知らない我々市民は「やっぱり何か後ろめたいことがあったに違いない」などと勝手に決め込んでいたが、それはとんでもない偏見で、厳しすぎる自白の強要の結果であった。検察はこのような人々の死にも責任を負うべきである。また、検事総長と高検検事長が「天皇認証制」となっていることも、不祥事発生の一因であると指摘している。検事総長は公選制にして、検察組織の民主化を図るべきである。さらに、民間企業なら業務上起こりうる不正に対しては徹底した再発防止策をとるのは当たり前で、一度不祥事を起こした企業はどこでもそれを実行しているのであるから、検察庁も見習うべきである。司法界に市民感覚をなどと、最もそうなフレーズで法律知識のまったくない、乳飲み子を背負った家庭の主婦に専門用語だらけの山のような捜査資料を見せて、検察当局の意図した方向に審査会の決議を誘導するような欺瞞をやめて、有識者による検察官の不正防止策を模索していただきたいものである。
2010年10月27日
元東京地検特捜部長の石川達紘(いしかわたつひろ)氏は、主任検事が物証を改ざんした事件について、2日の朝日新聞で次のような所感を述べている; 特捜検察に対する信頼は地に落ちた。今後10年は立ち直れないだろう。ラインにいた検察幹部は全員辞職し、検事総長も交代して検察全体として国民に謝罪すべきだ。 救いは、若い検事が内部告発したことだ。組織全体が腐っていたわけではなかった。若い正義感が自浄作用を果たしたわけで、希望はある。 主任検事が物証を改ざんし、それを特捜幹部が隠蔽(いんぺい)するという行為は、想像を絶する事態だ。システムというより運用=人の問題だと思う。要は、中堅以上の検察幹部が恐ろしく劣化していたということだ。 善意で解釈すれば、部下に対する思いやりが、公正さが命の検察事務より優先したということだろう。ただ、仮に法律的に言い訳が可能だと思ったとしても、あとで裁判所や弁護人の疑惑を招かないため徹底して調査・捜査するのが普通の検事の感覚だ。 背景にあるのは、大阪高検、同地検を中心に近畿圏だけで異動し昇進していく「関西人事」の弊害だ。今回の事件を捜査、起訴した大阪地検、高検の幹部は関西検察系で固められていたようだ。以前から仲間意識が強いといわれ、それがゆがんだ温情の土壌になった可能性は否定できない。これを機に検事や事務官の人事は全国規模での異動に転換すべきだろう。 今回の事件について、外部の第三者や警察の調査・捜査を望む声がある。しかし、捜査上の秘密情報を扱うという制約に加え、容疑者である捜査のプロに対する調査・捜査は、同等以上のプロが行わないと無理だ。やはり検察の上級庁が行うべきだと思う。 贈収賄など「密室犯罪」を扱うことが多い特捜事件は、たいてい、さほど多くない物証をもとに関係者の供述で事件を構成する。これは、事件の性質上、必要な捜査手法であり、特捜部だろうと警察の捜査2課だろうと同じだ。 最近、検察の供述調書が、ストーリー調書とか押しつけ調書と批判されることが多い。しかし、そもそも供述調書は検事が作成するもの。関係者が、他の証拠で得た事件の筋を否認する場合は、その供述の矛盾を突き、確認させて作成するから、ある意味で「押しつけ」的になるのは仕方のない面もある。 ただ、その特捜スタイルの捜査手法は、国民の権利意識が高まり協力を得にくくなって困難になった。それゆえ検事が若干無理をする場合もある。それを踏まえ新たなスタイルに向けた工夫が必要な時期に来ていると思う。 今回の事件で痛感したのは「検事は職人」だという意識の欠如だ。ロッキード事件の主任検事だった吉永祐介氏は検事総長になっても、調書を上げさせて読んでいた。報告書と供述が食い違っている場合があるからだ。当時、東京地検の次席だった私以下特捜検事はピリピリしていた。 今回の事件では、地検、高検、最高検の幹部がきちんと証拠を見て捜査をチェックした形跡がない。幹部が「職人マインド」で捜査を常にチェックしていれば、今回のような不祥事は起こらなかったのではないか。 (聞き手 編集委員・村山治)2010年10月2日 朝日新聞朝刊 13版 21ページ「オピニオン-ラインの幹部は全員辞職を」から引用 石川氏の発言の中で気になるのは、国民の権利意識が高まったために特捜スタイルの捜査手法には協力が得にくくなったと述べている点である。裏を返せば、過去には国民の人権を無視するような手法をさんざん使ってきたということを告白しているようなものではないだろうか。
2010年10月26日
東京地検特捜部長を務めた経験がある、中央大学法科大学院教授の宗像紀夫(むなかたのりお)氏は、現在の特捜部の歪んだ実態について、2日の朝日新聞で次のように批判している; 今回の事件で、17年前、東京地検特捜部長としてゼネコン汚職事件の捜査を指揮していた当時に体験した「ある事件」を思い出した。 参考人として取り調べた企業幹部の弁護人から「参考人が取り調べ中に検事から暴行を受け、ケガをした」と通告があった。検事は「肩をちょっと押したことはあるが、暴行はしていない」と否認。取り調べに立ち会った事務官を「取調室で血が流れたか」と追及すると「流れました」と認めた。 暴行の裏付け捜査をしていた途中に、弁護人側から「表ざたにしないかわりに条件を提示するので話し合いたい」と言ってきた。しかし、私は、「絶対にあってはならない取り調べだ。この先事件ができなくなってもやむを得ない」との思いから躊躇(ちゅうちょ)せずに上司に報告し、最終的には高検検事が引き継いでこの検事を逮捕・起訴した。しかし、人の心は弱いもので、そこに迷いが生じていたら、もみ消そうとしていたかもしれない。 私が弁護人を務めたいくつかの特捜事件を見ても、最近の特捜部の捜査は、一度「この事件はこういう筋だ」という筋読み(事件の構図)が固まると、それに合うような証拠ばかり集め、供述を押しつけ、筋読みに合わない証拠物や供述は無視しようとする傾向が強い。その筋読みが客観的な証拠と矛盾しても、見直そうとしない。 特捜事件は一応、高検、最高検がチェックする仕組みになってはいるが、チェックできる人は上に行けば行くほど少ない。ここに特捜捜査の危うさがある。 その危うさを回避するため、特捜部では伝統的に、上司の言うことを聞かない検事を抱え込んできていた。私も若いころ、主任検事から「こういう調書を取ってくれ」と指示されても「事実と違うから取れません。どうしても必要なら自分で取って下さい」と抵抗したことがあったが、追い出されずに通算12年も特捜部に在籍した。現在では、上司から「取れ」といわれた通りの内容の調書を取ってこられない検事は特捜失格の烙印(らくいん)を押され、外に出される傾向があるようだ。 私が主任検事を務めた当時はすべての捜査情報は主任検事だけが把握し、取り調べの検事には、先入観を持たせないように最小限の情報しか与えていなかった。しかし、最近ではある検事が取った調書のコピーを全員に配るなどして、関係者から同じ内容の調書が取れるようにしているという話も聞く。
2010年10月25日
ジャーナリストの魚住昭(うおずみあきら)氏は、戦後の民主化が不徹底だった検察組織について、近年どのように歪んだ組織になっているか、2日の朝日新聞インタビューに応えて次のように述べている; 多くの日本人は、特捜検察に「正義の味方」という幻想を抱いてきた。その幻想を捨て、強大な検察権力をどう抑制するかを真剣に考えるべき時代がきたようだ。 戦後、連合国軍総司令部(GHQ)には、検察の民主化のため、米国の地方のような検事公選制が必要だという考えが強かった。だが、司法省の抵抗で立ち消えになり、引き換えに不適格な検察官を免職にする権限を持つ、検察官適格審査会が設置された。 同審査会の構成は、国会議員6人、最高裁判事1人、日弁連会長、日本学士院会員1人、学識経験者2人となっている。国会議員以外の委員は法務大臣が任命するが、検察官が主要ポストを独占している法務省が検察官に不利な人選をするとは考えられない。 現在、学識経験者の委員のうち1人は原田明夫元検事総長だ。このような機関に不適格な検察官のチェックを期待できるだろうか。実際、制度発足から現在までの62年間に同審査会が免職にしたのは、1992年に失跡した副検事の1件だけだ。 検察に対する民主的チェックの制度としては、法務大臣の検事総長に対する指揮権がある。しかし、これも、造船疑獄の際、佐藤栄作自由党幹事長の逮捕に関して、当時の犬養健法相が指揮権を発動して止めたが、世論の大きな批判を浴びて辞任に追い込まれてしまったため、その後、事実上封印されてしまった。 法制度上、検察官の行為をチェックするのは本来、裁判所の仕事だ。今回の村木厚子さんへの無罪判決でも明らかなように裁判所がしっかりチェックしていれば検察の暴走は止められる。しかし、裁判所はこの数十年の間に、検察官のチェックをするどころか、検察の行為を追認する機関に成り下がった。 例えば、検察官が勾留(こうリゅう)請求をしたうち裁判官が「勾留の必要なし」として却下した割合(却下率)は75年には1・60%だったが、86年には0・29%にまで下がった。起訴から判決までに被告が保釈された割合(保釈率)は72年には58・4%だったが、2003年には12・6%にまで低下した。これにより勾留が長期化し、検察官が保釈をエサに供述を迫る「人質司法」の弊害を生んでいる。 この背景に、最高裁の人事を通じた思想統制があった。70年以降、憲法や基本的人権の擁護を強く主張する「青年法律家協会(育法協)」会員を採用しなかったり、判事補の再任を拒否したりする動きが露骨になった。無罪判決や勾留請求却下など検察をチェックしようとした裁判官をへき地に異動させ、昇級で不利に扱うなどしてきた。その結果、検察官のいいなりの裁判官が増えた。 特捜検察の暴走を止めるための現実的で効果的な対策は、取り調べの全面可視化(録音・録画)だ。様々な脅しや誘導で供述調書を取る取り調べは不可能になるだろう。中長期的には、検察従属型の裁判官を量産している最高裁の人事政策の変更、さらに、戦後改革でいったん立ち消えになった検事公選制ももう一度真剣に議論すべきだ。 (聞き手 山口栄二)2010年10月2日 朝日新聞朝刊 13版 21ページ「オピニオン-検察従属型の裁判を改めよ」から引用 戦後のスタート時からいわくのあった検察制度は、早急に民主化されるべきである。法の番人であるはずの裁判所の人事で、特定の思想を持つ者を裁判官に採用しないなどという人権蹂躙の差別が行われているのは言語道断である。取調べの全面可視化は不可避であり、検事公選制は一日も早く実現するべきである。
2010年10月24日
東京大学名誉教授で国際政治学が専門の渡辺昭夫氏は、尖閣沖漁船衝突問題について、9月28日の朝日新聞インタビューに応えて次のように述べている; 真の勝者は誰なのか。中国は外交的勝利と受け止めているが、私はそうは思わない。中国は大きなマイナスを背負った。一つは日本の国民が抱いていた最近の中国への期待感や信頼感を失ったこと。もう一つはアジア諸国、さらには世界に対して中国外交がいかに粗っばいかを示してしまったことだ。浮かれているとしたら大きな間違いだ。 では日本外交の勝利かというと、それも違う。首相も外相も国内不在のまま船長を釈放したのは拙速だった。検察が独自に判断したというが、そんなことはありえない。政府中枢が関与したはずだ。 事件全体を通じて日本政府は機敏さを欠いていた。中国の最近の南シナ海での一方的な行動から考えて、領海でのこうした事件の発生を覚悟しておく必要があった。だが日本は、いざという時の想定実験や備えをしていたのだろうか。実際には土壇場になって拙速な決定をした。その意味で日本外交はお粗末だった。 勝者は不明だが、敗者は明確だ。日本は「粛々と進める」「冷静に処理する」と言うが、不十分だ。規律ある、しっかりとした原則にのっとった日中関係が基本にならないといけない。原則とは「力ずくの現状変更は許さない」ということ。まさに「規律ある日中関係」こそが、今回の事件の敗者といえる。 客観的に見て、尖閣諸島は日本の施政権下にある。中国の領土だとは法的にも歴史的にも確立していない。それを国際法や条約、国際的合意にさからうような形で変更しようとするのは秩序を乱す行為であり、「規律ある日中関係」から外れたものと言わざるをえない。事件の責任の第一は中国側にある。 日本側にも大きな責任がある。「力ずくの現状変更は認めない」という立場を日本政府は明確にしてきたか。その政治的意思は、その意志の強さは十分だったか。そしてそれを支える「力」を用意していたのか。実際には明確な意思とそれを貫くだけの十分な構えを持っていなかった。 事件は現在進行中だ。日本政府が今すべきことは、日本の立場はこうだと政治的な意息を明確にすること、今後の処丑を含め原理原則を明確にすることだ。その先は外交技術の問題であり、様々なやり方があろう。だが明確な原則なしに便宜的な措置を続けたら、結局は規律ある日中関係を損なってしまう。それを十分留意してほしい。 このことは、南シナ海で中国から高圧的な行動を受け脅威を感じている国々にとって、大事な先例になる。その意味でも日本外交は頑張らなければいけない。 もし日中関係がさらにトゲトゲしいものになったら、日本の中から荒々しい、軍事的な対応を叫ぶ声が出てくることがあるかもしれない。もちろん日本国民の多くは望まないし、中国から見ても望ましいことではないはずだ。そういうことも十分に考えて行動しないと、日中関係が危うくなってしまう。 このままでは、中国は世界から19世紀帝国主義外交の現代版のように見られてしまうだろう。それは中国の得になるのか。勝利だ、日本をやっつけた、と留飲を下げている場合ではない。中国のために私は惜しむ。2010年9月28日 朝日新聞朝刊 13版 17ページ「オピニオン-信頼失った中国、お粗末な日本」から引用 国土の広さと人口の多さ、それを基にした経済力という観点から言えば、中国は東アジアの大国としての実力を持った国であると言える。実際のところは、歴史的な経緯があって政治的にも経済的にも本来の実力を発揮していないが、やがてはアメリカ並みの横暴な振る舞いをする国になる危険性をはらんでおり、多くの周辺諸国はそれなりに危機感を持っているはずだ。わが国は、可能であればそれらの国々と連携して中国に対峙する環境を構築するべきであるのだが、実は日本は東アジア諸国に対する「過去の清算」が十分でないため、ハードルはかなり高いのが現状である。
2010年10月23日
尖閣諸島沖の海上保安庁の船と中国漁船の衝突事故とその顛末について、元外務審議官の田中均(たなかひとし)氏は、28日の朝日新聞インタビューに応えて、次のように述べている; 今回の事件には二つの意味で大きな懸念を持っている。 ひとつは、中国が大国としての自信を深め、対外的により強硬な姿勢を取るようになったのが如実に示されたこと。2008年のリーマン・ショック以来、中国は内需拡大により高い経済成長を達成した。同時に、海軍力を増強し、資源開発など海洋における活動を活発化している。南シナ海を「核心的利益」とし東南アジア諸国の懸念を深めさせている。今回の事件もそういう文脈の中で起こった。 もうひとつの懸念は、中国の極めて強権的な外交手法だ。事件発生後、青少年交流や観光などの交流をすぐさま止め、閣僚級以上の協議の場を閉ざした。レアアースの輸出停止や邦人の拘束が事件の脈絡での措置なのか定かではないが、極めて一方的な措置と言わざるをえない。 小泉純一郎元首相の靖国神社参拝のときでさえ、首脳間の協議を止めたりしたことはあったが、それでも「政冷経熱」と称し、日中間の経済の実態には手をつけなかった。今回は、目的のために手段を選ばないかのような行動を取っている。 国際社会がこの問題を注視してきたのは、地域の大国である日本と中国の間の緊張関係が拡大し、出口のない状況になってしまうのではないかと恐れているからだ。 米国は、日本の施政下にある尖閣が安保条約の対象であることを確認した。普天間問題を抱えて日米関係が難しくなっているこの時期に、あえてそう表明したことは、日米同盟の強さとして評価すべきことだと思う。しかし、米国は同時に、同盟国日本と重要なパートナーである中国がぶつかることは、望んでいない。 たまたま24日、私がシンガポールで講演した際、その直前に船長が釈放されたことに触れると、国際的な有識者で埋め尽くされた会場から大きな拍手がわいた。東アジア地域の国々にとって、日本と中国という地域の二つの大国が角突き合わせる事態は不安であり、一応危機が回避されたことを評価してのことであったのだろう。 船長釈放後の中国の態度を見ていると、日中関係運営の難しさを今更ながら感じる。尖闇は日本が実効支配しており、日本に譲歩の余地はない。船長釈放も国内的には「弱腰」と言う批判がなされているが、尖闇に対する日本の国際法上の立場が傷ついているわけではない。しかしながら今回の事件は、相互依存関係がかくも深化しているのに、危機を回避する協議が出来なかったことを露呈した。 今後、日中間でなされなければいけないのは、早急にハイレベルでのコミュニケーションのチャンネルを確立することだ。両国が一方的措置をエスカレートさせる事態だけは回避しなければならない。 東アジアは世界の成長センターであり、その安定は世界全体の繁栄につながる。日中関係が不安定であることは地域の発展を大きく阻害する。両国が国内だけを見るのではなく、日中関係の危機回避は、東アジア地域に対する日中の共同責任だという共通の意識で問題に取り組まねばならない。双方が感情に走らないで大国の責任を果たすことを切に願いたい。 (聞き手 三浦俊章)2010年9月28日 朝日新聞朝刊 13版 17ページ「オピニオン-早急にチャンネル確立を」から引用 船長を釈放する前の中国政府のなりふりかまわぬ強硬姿勢について、中国は権力の継承を決める重要な大会を控えて、反対派から余分な攻撃をされないように強硬姿勢をとらざるを得ないのだという報道もあった。また、近年急に大国になったばかりで、国際ルールがわかっていないのでは、という報道もあった。中国を相手にことを起こす場合は、そのような事情をよく吟味してこちらの出方にどう反応してくるのか、よく見定める必要があると、前原外相には進言したい。
2010年10月22日
領海侵犯した中国漁船の船長を保釈する結果になった問題について、東京大学教授の高原明生(たかはらあきお)氏は、9月28日の朝日新聞インタビューに応えて次のように述べている; 検察が外交的配慮を語ったのは驚きでしたし、不可解です。重要な国家の原則がゆがめられたのではないかと国民が憤るのは当然でしょう。この譲歩で日本側は何を得たのでしょうか。外国は日本が中国の圧力に屈したと見ていますし、中国側は自分たちの対抗措置の何が効果的だったのか検討を始めています。 過去のもめ事と比べると、中国は今回、日本に対してこれまでになく強硬です。その一方で、国内のナショナリズムが制御不能になり、政権批判に発展しないよう細心の注意を払っています。 中国は勢いよく経済成長を続ける一方で、貧富の格差や環境汚染など様々な問題を抱え、若者から高齢者まで不満と不安が広がっています。 かつては、誰でも努力次第で大金持ちになれるチャイニーズ・ドリームがもてはやされましたが、今は既得権益層ががっちり固定化しています。コネがないと良い会社に入るのはむずかしく、不公正、不公平が日常となって、格差は広がるばかりです。しぼんだ個人のチャイニーズ・ドリームに代わり、中国という国家が世界のナンバーワンになるという新しい「夢」が語られるようになりました。その国際的背景には超大国、米国の停滞があります。 昨年7月に胡錦涛国家主席が新しい外交方針を打ち出し、登小平以来の低姿勢を改めて、積極的な自己主張の外交を始めました。自国の近隣では地政学的戦略拠点の構築を充実強化することをうたっています。その後、軍事専門家たちの過激な勇ましい論調が、メディアに掲載されるようになりました。 外交方針の転換には様々な要因があり、ひとつは中国が今後、持続可能な発展を実現できるのかという不安です。エネルギー資源を確保するために、海上生命線を守れ、とかインド洋や南シナ海の制海権を奪取せよ、といった権益確保の議論が出ています。 丹羽宇一郎大使を深夜に呼び出したり、難癖をつけて日本人社員を拘束したりするなど、大国にしては情けないふるまいは、中国の弱さの表れではないでしょうか。他方、プライドが高まり、国際的地位にふさわしい軍事力を持って強気の外交を行うのは当然だと考える人も増えました。不安と自信が交ざっているところに、ナショナリズムがはびこる土壌があります。 もうひとつ、中国の強硬姿勢の背景には、南シナ海で同様の領有権紛争を東南アジア諸国との間に抱えている事情もあります。7月にハノイで開かれた東南アジア諸国連合地域フォーラムでは、南シナ海での行動を批判され、国際的孤立を味わいました。関係諸国は今回の尖闇の事態を注視していますから、中国は余計に譲れないわけです。 また、中国が1970年代に初めて領有権を主張した事実を隠し、船の衝突を日本側がぶつけたと根拠なく報じるなどの宣伝も、中国の人々をかたくなにしています。 非民主的な政権を支えるのはナショナリズムと開発主義ですから、中国政府はなりふり構わず係争相手国に圧力をかけています。同様の事件が再発した場合、日本は原則を貫きそれをアピールすることが、中国を含む東アジア全体のためになるでしょう。 (聞き手 三浦俊章)2010年9月28日 朝日新聞朝刊 13版 17ページ「オピニオン-不安と自信が強気の背景」から引用 検察が外交的配慮を語ったのは驚きだったと、この記事は言っているが、現場の検察官にしてみれば、最初は起訴しろといってきたのに一月もしないうちに今度は釈放しろと言ってきたことに対する不満が、あのような説明になったのではないかと、私は推測します。
2010年10月21日
尖閣諸島沖に領海侵犯してきた中国の漁船が警備活動中の海上保安庁の船とトラブルになって、従来はこの手のトラブルの場合、船も乗組員も強制送還で対処していたが、今回は前原外相の判断で船長を逮捕し起訴することとなった。その時点では、朝日新聞コラム「天声人語」は次のように述べている; 「粛々」という表現を使ってよく知られているのは、江戸時代の儒学者、頼山陽の漢詩だろう。「鞭声(べんせい)粛々 夜河を過(わた)る…」。武田軍とまみえる上杉軍が、馬に鞭打(むちう)つ音もひそやかに川を渡る。静かでおごそかな横を表す言葉である。 だが、近年は政治家や役人に軽く乱用されてきた。本来の重みを失ったと嘆く声も聞くが、さて、前原外相はどうか。尖閣諸島沖での海上保安庁巡視船と中国漁船の衝突をめぐって、「国内法に基づいて粛々と処理をする」と述べた。 軽い形容ではなく、この粛々は「毅然(きぜん)」と読みたい。法治国家の重みをのせた一言だろう。そして、その「粛々と処理」に中国側の反応が激しい。官民が入り乱れての対抗措置は居丈高だ。これでは理性的な日本人にも反感のガスがたまりかねない。 中国側は閣僚級の政府間交流の停止を決めた。東シナ海ガス田開発の条約交渉の延期や、上海万博への青年訪問団の受け入れ延期などを一方的に通告してきた。あれやこれや、「互恵」をうたう衣の下から大国主義が見え隠れする。 かつて小泉政権下で日中関係は凍りついた。その後、温家宝首相の「氷を溶かす旅」と、胡錦涛主席の「暖かい春の旅」の訪日で関係は改善した。とはいえ日中は、歯車が狂えばたちまち厳冬に戻る不安定を抱えている。 たしか老子だったと記憶する。相手に負けを意識させない勝ち方というのを説いていた。固有の領土に毅然はむろんだが、そうした収め方を探れるか否かで、菅内閣の器も問われよう。試金石にして、正念場である。2010年9月22日 朝日新聞朝刊 1ページ「天声人語」から引用 この時点では、前原外相の判断は不法な領海侵犯に対する毅然とした態度とマスコミは賞賛していたが、これに対抗して中国政府が次々と外交カードを切ってくると、終に「沖縄地検の判断」と称して中国人船長を釈放し、天下に恥をさらすことになってしまった。上の記事では「軽い形容ではなく毅然とした態度」であると期待していたが、結局は前原氏の軽挙妄動であった。彼のこのような行動は、今に始まったことではなく、以前にも偽のメールを取り上げて自民党政権を追求しようとして天下に赤っ恥をさらしたこともある。このような人物に、将来の首相の座を任せるわけにはいかないと思う。
2010年10月20日
福沢諭吉は侵略戦争を煽動したとする安川氏を、評論家の佐高信氏が批判したことについて、マンガ作家の雁屋哲(かりやてつ)氏は1日の「週刊金曜日」に投稿して、次のように述べている; 本誌8月27日号に、成澤宗男氏による安川寿之輔・名古屋大学名誉教授に対するインタビュー記事「虚構の福沢諭吉』論と『明るい明治』諭を撃つ」が掲載された。 それについての文章を、本誌9月10日号に本誌の発行人である佐高信氏が、「風速計」に書かれた。 8月27日号のインタビュー記事の中で私の名前が上げられていたので、一言口を差し挟ませていただく。 佐高信氏の書かれた文章は近来稀に見る文章である。氏が書かれた50行の文章のうち、16行が、安川氏に対する根拠と論拠のない誹謗に使われている。一つの文章の3分の1近くを、そのような文章で占める例は他の雑誌・新聞では有り得るが『週刊金曜日』で目にするのは、創刊以来の定期購読者の私として初めてのことである。 佐高氏は、安川氏が述べた「福沢諭吉の論は『文明』誘導という名目で武力による侵略が合理化されている」「アジア蔑視・侵略扇動の福沢を丸山のように『民主主義の先駆者』として都合よく美化したり……」 などの点に反論するべきであった。 しかし、佐高氏は、三島由紀夫を持ちだして論点をずらしている。安川氏の議論の主要点を攻めないのでは議論にならない。さらに佐高氏の文章の中には、見逃せない過ちが有る。(1)安川氏は丸山眞男の福沢諭吉に関する評価を批判しているが、「敵以上の激しい侮蔑の言葉を投げつけて」はいない。学問上の批判と侮蔑は別物である。丸山眞男も安川氏の批判を侮蔑と取るほど幼稚ではなかっただろう。(2)福沢諭吉と金玉均の関係について佐高氏には事実関係の誤認が有る。 金玉均は宮廷内での権力を争う「開化派のリーダー」であり、朝鮮独立運動とは関係がない。金玉均と朴泳孝は、自分たちが権力を握るために起こしたクーデター、甲申の変に失敗して日本に逃げた。 この件に関しては福沢諭吉の弟子、井上角五郎が、次のように言っている。「金・朴の一挙については先生はただに、その筋書きの作者に止まらず、自ら進んで役者を選び役者を教え又道具立てその他万端を指図された事実が有る」 福沢諭吉は、金玉均に軍資金を与え、武器をそろえ、壮士という暴力団を助っ人として用意し、金玉均のクーデターを指図したのである。 福沢諭吉が『脱亜論』を書いたのは、金玉均のクーデターが失敗した後である。『脱亜論』には自分が手助けをしたクーデターの失敗が色濃く影響している。佐高氏には、金玉均という人間と、『脱亜論』が書かれた時期と事情に対して誤認が有る。『週刊金曜日』では、他人を非難する際には、確実な事実を基に、誠実に論を組立てて行ってほしい。インターネットで根拠のない誹謗が飛び交っている現在、『週刊金曜日』は言論の鑑なるべきだ。2010年10月1日 「週刊金曜日」817号 63ページ「論争-議論は理性的に」から引用 安川教授の著作を読むと、丸山眞男の福沢諭吉認識は一面的であることがよく分かります。広範囲の共同戦線をとの佐高氏の意図は理解するにしても、安川批判は少々安直に失した感じは否めません。
2010年10月19日
名古屋大学名誉教授の安川寿之輔氏は、かねてから脱亜入欧を唱えた福沢諭吉を批判し、福沢の開化思想を賞賛する丸山眞男をも批判しており、その考えを「週刊金曜日」8月27日号のインタビュー記事の中でも述べている。これに対して、評論家で「週刊金曜日」の編集委員をも務める佐高信氏は、9月10日号の「週刊金曜日」で安川発言を次のように批判している; 8月27日号の安川寿之輔(じゅのすけ)(名古屋大学名誉教授)の「福沢諭吉、丸山眞男」批判は「敵から見たらどうなのか」という視点が決定的に欠けている。「独立自尊」ならぬ「孤立自尊」で生きていける学者だからだろうか。 そこで安川は丸山と司馬遼太郎を一緒にして批判しているのだが、たとえば三島由紀夫は安岡正篤(まさひろ)への手紙の中で、丸山に「左翼学者」のレッテルを貼り、「大衆作家の司馬遼太郎」を「まじめな研究態度が見え」て心強いと讃えている。つまり、丸山を敵視する一方で、司馬をわが友とし、区別しているのである。 安川はきわめて単純に、福沢を「民主主義の先駆者」として美化したと丸山を断罪しているが、三島から「左翼学者」と難じられた丸山を全否定して、反ファシズムの隊列など組めるのか。大体、そうした悪罵を浴びながらも、たとえば安保闘争に参加した丸山の感じる風圧を理解せずして、統一戦線を組むことなどできないだろう。三島が安川を問題にすることはない。私が言いたいのは、標的にされる者に対して、敵以上に激しい侮蔑の言葉を投げつけて何の意味があるのかということである。 福沢に侵略主義と攻撃される面があったことを私は否定しない。しかし、同時に、戦争中に福沢は『鬼畜米英』の思想家として排撃されたことも忘れずに想起するのでなければ公平を欠くだろう。 また、悪名高き「脱亜論」にしても、福沢はそれを唱えながら、朝鮮独立運動のリーダーである金玉均(キムオクキュン)を、自らの身に危険が及ぶのを覚悟で助けた。当時の日本の政府はそれを理由に福沢を捕えようとしたし、事実、福沢の弟子の井上角五郎(かくごろう)は投獄され、福沢との関わりを白状せよと迫られている。 どうしても学者は文献によって判断しがちなので、現実の行動を追うことはおろそかになる。また、実社会にもまれないので自分だけが正しいと独断的な主張を声高に繰り返すようになる。 私は安川に『天上天下唯我独尊居士』というニックネームを進呈したいくらいだが、それではやはり、反ファッショの幅広い統一戦線は組めない。全否定ではなく部分否定、全肯定ではなく部分肯定のみが、ひとりよがりの頑固な独善の殻を打ち破るのだと私は思う。2010年9月10日 「週刊金曜日」814号 9ページ「風速計-敵から見たら」から引用 強大な敵と闘うときは小異を捨てて大同に付くべきであるという佐高氏の主張は間違いではない、と私は思いますが、明治に始まって1945年8月15日に至ったわが国の歩みの中で福沢諭吉の思想がどのような役割を果たしたのか、検討することには大きな意味があるのではないかと思います。また、金玉均という人物も、果たして朝鮮独立運動のリーダーであったと言えるのかどうか、大変興味深いところです。
2010年10月18日
有名人のエピソードを紹介する「週刊金曜日」の連載「抵抗人名録」は佐高信氏が執筆しているが、9月17日号では歌手の美輪明宏氏を取り上げ、次のように紹介している。 14年ぶりのインタビューは鮮やかなカウンターパンチで迎えられた。 サッカーのワールドカップで活躍した本田圭佑(ほんだけいすけ)について、美輪が、「本田は花も実もある男ですよ。俺が俺がじゃないんだもの。私はお嫁に行かなきゃいけないと思った」 と言うので、驚いて「ああ、いまちょっと聞こえなかった」 と聞こえないふりをしたら「あら耳が遠くなられたのねぇ、もうお年だから」 と叩き込みを食わされたのである。 10歳も年上の美輪にそう言われては立つ瀬がない。 そう言いながら美輪は、まさに艶然(えんぜん)という感じで笑っている。 通された自宅の応接間には、20代と思われる美輪の、これぞ美少年という絵が飾ってあった。 女子高生のケイタイの待ち受け画面に美輪が大人気らしいが、美輪の直言(ちょくげん)が若い人にもてはやされるのはいい。 その日も美輪のなめらかな舌によどみはなかった。私が美輪に、右筋からの圧力はないのかと尋ねると、顔色も変えず、「何にもないですね。中曽根(康弘)の悪口なんか言ってると、ひどい目に遭うかもしれないから、注意した方がいいですよ、と忠告されたことはありますけどね」 と答える。 中曽根には実際に会ってケンカ別れしたという。先ごろ亡くなったシャンソン歌手の石井好子の紹介で会い、いきなり、「キミらみたいなのは海軍魂を知らんだろうな」 と言われた。それで美輪は、「ええ、年齢が年齢ですから(敗戦の年が10歳)海軍魂は知りませんけど、原爆にやられました。竹槍の練習もさせられましたし、銃後の守りでいろいろやらされました」 と返し、さらにこう反論した。「でも、おかしいですね。そんなに海軍魂とやらが大層なものだったら、何で負けたんですか。向こうが原爆つくってる時に何で私たちは竹槍をつくらされてたんですか」 中曽根の無礼に対する美輪の怒りは、これでとどまらない。「自分の同僚を見殺しにして、おめおめと帰って来て、腹も切らないでのうのうとしている。そういう面汚しの厚かましいのが海軍魂なら、私は知らなくて結構です。知りたくもありません」 トドメを刺されて中曽根は憮然とした面持ちで席を立って行った。 その後、新幹線に乗ったら、中曽根が先に座っていた。美輪の席はその真後ろである。それでも仕方がないから知らん顔をして座っていると、秘書が次の車輌に行き、老夫婦を連れて来て交替した。逃げたわけである。 この逸話を紹介した後の美輪のタンカがまた凄い。「男の風上にも置けない。てめぇ、キンタマついてんのかですよ。たかが芸能人風情に対してね」 大体、中曽根は前線に出なくてすむ主計にいたのだから、勇ましいことを言う資格はないのである。それにしても美輪の爽快な毒舌に圧倒されて、私は、なぜ怪しげな江原啓之(えはらひろゆき)をかわいがるのかと尋ねるのを忘れてしまった。2010年9月17日 「週刊金曜日」815号 23ページ「抵抗人名録-美輪明宏」から引用 相手が芸能人だからと思っての発言だったのかどうかは知らないが、戦争が終わって65年もたってから、しかも負けた戦争だったのに、自分が軍人だったことを自慢げに語った中曽根氏の心境が理解できない。結局、何も反省していないということなのではないか。
2010年10月17日
元裁判官の秋山賢三氏は、検察審査会が2度に渡り小沢氏起訴を議決したことに関連して、6日の東京新聞インタビューに応えて次のように述べている; 法律のプロである検察官が確実には有罪にできないと判断した不起訴処分について、くじ引きで選ばれた法律知識のない市民に容疑者を強制的に起訴する権限を与えた検察審査会制度には反対だ。 検察官による起訴は、人権を侵害する行為。起訴されれば、公務員なら休職、民間企業なら解雇されるなど社会的制裁を受け、裁判が長期化すれば負担も大きい。日本では「起訴イコール有罪」と受け止められる傾向も強く、検察官は法と証拠に基づき、慎重に検討している。 小沢氏の場合もそうだが、検察審査会が審査する事件の多くは容疑者が否認しており、起訴もより慎重な判断が必要となる。こうした事件で、市民に起訴権限を与えることは、冤罪を生む可能性を高くする。 裁判となる以上、過去の判例を踏まえなければならないが、法律の素人である審査員には限界がある。また、審査時間は限られており、すべての証拠を精査できない。報道が審査に予断と偏見を与えるかもしれず、被害者の感情に同調する可能性も見逃せない。 「裁判で黒白をつける」とする発想は危険。過去、検察審査会の不起訴不当議決を受けて検察が起訴し、無罪が確定した事件は、「甲山事件」など少なからずあることを、忘れるべきではない。 強制起訴を維持するのなら、(1)「起訴相当」議決には審査員全員一致の賛成を必要とする(2)現行では、2度の「起訴相当」で強制起訴となるが、議決を3回か4回必要とする(3)非公開の審査過程の透明化-など、冤罪回避のために条件を厳しくすべきだ。 司法への市民参加は大変意義があるが、市民の英知は冤罪を生まないために活用されるべきだ。市民が起訴の権限を持つよりも、検察官による起訴を監視し、チェックする機能こそが必要だ。(聞き手・小川慎一)2010年10月6日 東京新聞朝刊 12版 25ページ「小沢氏強制起訴へ-検審制度どう見る」から引用 秋山氏が述べているとおり、司法の場に市民感覚を取り入れるという建前をその通り実現するには、現行の審査会制度は抜け穴だらけで、検察の狙いどおりの結果をまねくばかりであり、結局冤罪の温床ともなりかねないのが実態である。検察審査会のあり方は再検討が必要だ。
2010年10月16日
検察審査会が小沢元幹事長について2回めの「起訴相当」の議決を行ったことについて、憲法学者の上脇博之氏は5日の東京新聞で、次のように批判している; 上脇博之・神戸学院大大学院教授(憲法)の話 一回目の議決と同様、状況証拠だけに基づく議決だ。議決理由には直接証拠となる小沢氏と元秘書3人の具体的なやりとりが一切挙げられておらず、強制起訴して有罪判決が出るのか疑問。小沢氏が4億円の出所を明らかにしないから「動機があった」と断言するが、政治的説明責任と刑事責任を混同している。的確な証拠により有罪を得られる高度の見込みがなくても、国民が裁判所で判断してもらう権利があるというのは、強制起訴制度を誤解している。2010年10月5日 東京新聞朝刊 31ページ「供述を相当検討/有罪判決か疑問」から引用 確たる証拠が新たに出たわけでもないのに一回目の議決と同じ決議をしたのは、マスメディアに煽られた感情的な判断であり、「市民感覚」を隠れ蓑にした露骨な検察のいやがらせである。小沢氏には政治家としての説明責任は求められるかも知れないが、それと刑事責任は別物のはずで、これらをごちゃ混ぜにして「とにかく小沢はクロ」というのは危険な世論の誘導である。市民は目を覚ますべきだ。
2010年10月15日
検察審査会が小沢一郎氏について2度目の「起訴」を議決したことについて、5日の東京新聞は次のような解説記事を掲載している; 検察審査会は小沢一郎民主党元幹事長に再び厳しい判断を下した。前回議決時から審査員のメンバーが一新されてもなお、「法廷で判断を」という市民の姿勢が変わらなかったことの意味は大きい。 今回の議決は、4月の一度目の議決に比べ、小沢氏と元秘事りの供述の信用性をより詳細に検討。その上で、検察の不起訴処分に異議を呈した。強制起訴制度をめぐっては「市民感情で起訴の判断をしてもいいのか」という批判があるが、議決には、そうした声を封じる重みがある。 国民は長く、検察の判断に一定の信頼を寄せてきた。しかし、陸山会事件をはじめ、兵庫県明石市の花火大会事故などで検察の不起訴が繰り返されても、検察審査会が起訴議決するケースが相次いでいることば、市民が検察の判断を絶対視しなくなっていることの表れと言える。 加えて、厚生労働省の文書偽造事件の無罪判決や、証拠改ざん事件や不正隠ペい事件は検察への信頼を崩壊させた。 日本では、検察が起訴した事件の有罪率は99%。このため、国民には「起訴イコール犯人」という意識があったことは否めない。 陸山会事件をめぐる二つの議決や検察不信は、『白黒』を判断するのは裁判であるという、刑事司法の本来の姿を再確認させようとしている。 (社会部・飯田孝幸)2010年10月5日 東京新聞朝刊 12版 1ページ「解説-法廷判断 強く求める」から引用 この解説記事は、色々とうさん臭い問題を含んでいる。検察審査会のメンバーが一新されても同じ判断が示されたことの意味が大きいなどと言っているが、これは東京新聞も含んだマスメディアが、推定無罪のルールを無視して小沢氏が限りなくクロに近い灰色であることを喧伝した結果、大部分の国民が「小沢はクロ」との予断を持ってしまっただけのこと、とも考えられる。 国民が「起訴イコール犯人」という意識になったのは検察が起訴した事件の有罪率が99%であることが理由であるかのように書いているが、それだけに留まらず、新聞やテレビが長年にわたって容疑者を犯人視報道してきた結果であることも見落とすわけにはいかない。 数週間前に引用した斎藤学氏のコラムによれば、検察審査会のメンバーは当然のことながら全員、法律の素人で、法律用語だらけの膨大な捜査資料を限られた期間内に全てに目を通すこともできず、結局は検察側の誘導する方向に議決されてしまう実態も明らかになっている。 結局、小沢VS検察の権力闘争の中で、検察は法律のプロとして小沢を起訴することは出来ないと結論を出したが、ここでシロウトを利用して「強制起訴」を無理やり通せば、裁判には長時間かかるからその期間、小沢氏の政治活動を妨害することができるという作戦に出たものと考えられる。 審査会の決議には市民が検察の判断を絶対視しなくなっているという意味があるなどと、見当外れなことを書いてるヒマに、検察審査会の実態がどのようになっているか、自らの反省を込めて取材し報道していただきたいものである。
2010年10月14日
ブッシュ政権の時の米政府の公文書には「日米安保は尖閣諸島にも適用される」と明記されていたが、オバマ政権になって米政府は政策を変更し、口頭でたずねられれば「尖閣諸島にも日米安保が適用されることになります」と答えはするものの、公文書に明記することは止めた。そのことは、当ブログの9月5日の欄にも取り上げたが、実際に尖閣諸島でトラブルが発生した後の今日に至るも、米政府の態度は変わっていない。その辺の状況を、東京新聞論説委員の清水美和氏は、5日の紙面で次のように解説している; 尖闇衝突事件で日本と中国の対立が激化する中、9月23日にニューヨークで日米外相会談が開かれた。日本のメディアはクリントン米国務長官が「尖閣諸島には(日本への防衛義務を定めた)日米安保条約第5条が適用される」と明言したと報道した。 中国の強硬姿勢に動揺していた日本は発言を同盟国の支援と受け止め、外交の「金星」と評価する識者もいた。■外務省が発言を要約 残念だが報道は外務省が勝手に発言を要約した説明に基づき事実と異なっていた。 米国務省のクローリー次官補の説明には「安保が尖闇に適用される」という明言はない。オバマ政権の尖閣問題への立場は同日にベーダー国家安全保障会議アジア上級部長が会見で明らかにした。 「第一に米国は尖闇に対する日中の領土紛争に関与しない。第二に安保条約は日本の施政下にあるすべての地域に適用される。(第三に)尖闇は1972年の沖縄返還以来、日本の施政下にある」 この論法は日本の尖閣実効支配が終われば安保の適用範囲から除外する余地を残し「安保が尖闇に適用される」と明言する立場とは異なる。■前原外相も説明修正 米メディアには、その後、米政府はクリントン発言をめぐる日本メディアの「騒ぎ」が広がるのを望まず、日中の対話による早期解決を求めているという報道が現れた。 前原誠司外相も、帰国後、9月28日の記者会見ではクリントン発言についての説明を次のように修正した。 「従来から米政府が言っていることで、英語でいうソブリニティー(主権)についてコメントしない。しかし、尖闇は日本の施政下にあり施政下の地域については安保条約5条が適用されると言った」 これでクリントン長官の発言は、ベーダー部長の表明と同じ論法で「安保が尖闇に適用される」という明言はなかったことがはっきりした。 ただ、前原外相は事実を誤認している。米政府は以前から尖閣問題に中立を宣言していたが、ブッシュ政権は「第一に尖闇は沖縄返還以来、日本の施政下にある。第二に安保条約5条は日本の施政下にある領域に適用される。従って第三に安保は尖闇に適用される」(エアリー国務省副報道官)と明言していた。 オバマ政権になってから、この三番目の「安保の尖閣適用」を明言しなくなった。今回は代わりに「領土紛争に関与しない」立場を一番目に持ってきたことになる。これでは、米国の尖闇に対する立場は後退したようにみえる。■米中間に黙契成立も オバマ政権は発足以来、中国を重視してきた。中国はブッシュ政権当時、米国が尖閣問題で発言するたびに批判していたが、今回のクリントン発言を問題にせず黙殺した。米中間で何らかの「黙契」が成立している疑いがある。 こうした現実は中国の圧力にさらされている日本は受け入れがたい。しかし、事態を直視しなければ道を誤る。 日本は一体、どうしたらいいのか。紙数も尽きたので今後も続けて書いていきたい。 (論説主幹)2010年10月5日 東京新聞朝刊 11ページ「清水美和のアジア観望-クリントン発言の真相」から引用 かつて米ソの冷戦時代は、膨張政策をとるかも知れない共産圏の勢力に対して、アメリカは日本を防波堤として利用する価値があった。その後、西側諸国の中でアメリカに次ぐ第二の経済大国になった日本は、アメリカの赤字国債を大量に買い支えてきたので、アメリカに取っては下にも置けない重要なパートナーであった。しかし、冷戦はとうの昔に終わり、経済規模では中国が日本を追い越してしまった今日、アメリカの経済は日本よりも中国に依存する比率が増大している可能性がある。そうなると、日本と中国を天秤にかけるアメリカの立場は、どちらを重要視するか、自ずと決まってくるわけである。わが国が今後の進路を考える上では、このような観点が重要になると私は思う。
2010年10月13日
郵便不正事件に関与した容疑で起訴された村木厚子氏に無罪判決が出た翌日には、取調べに当たった検事が証拠のFDを改ざんした容疑で逆に逮捕される事態に至った。村木氏逮捕のころは盛んに容疑者を犯人扱いした新聞各紙は、それぞれに事件をどのように報道したか、自己検証の記事を掲載したが、その内容について、自らも取材記者の経験がある池上彰氏は、9月24日の朝日新聞に次のように書いている; 9月21日の朝日新聞朝刊1面を見て、あっと声を上げました。 大阪地検特捜部に逮捕・起訴された厚生労働省の村木厚子・元局長に大阪地裁が無罪を言い渡した件で、主任検事が、証拠のフロッピーディスクのデータを改竄(かいざん)していた疑いがあるというのです。見事な特ダネでした。これには最高検も危機感を抱いたようで、報道の当日、主任検事を逮捕しました。 この裁判を振り返ると、捜査がいかに杜撰(ずさん)で予断に満ちたものであったか、驚くばかり。しかも主任検事が証拠改竄を図っていたとは……。 大阪地裁が無罪判決を言い渡したのを受けて、新聞各紙は、自社報道を検証する記事を掲載しました。大阪地検特捜部が村木さんを逮捕したとき、新聞各紙は、地検の取り調べの情報を伝えました。そこに問題はなかったのかという検証です。 検察を信頼して記事を書く。これは、過去の私もしてきたことですから、検証記事を読むのは、記者だった自分の取材手法が批判されるような思いでした。 自社の報道を検証する記事が掲載されたのは、朝日新聞が9月11日、読売新聞が12日、毎日新聞が14日でした。朝日がいち早く検証記事を掲載したことは評価できます。 朝日新聞は検証記事の冒頭で、「取材を担当した記者や村木氏に話を聞き、検証した」と書いています。 つまり、取材した記者たちが自分たちで報道を検証するのではなく、検証担当の記者が指名され、取材記者から話を聞いているようです。これは大事なことです。自分たちで書くと、どうしても自己弁護に陥りがち。あえて第三者が検証してこそ意味があります。 また、報道された村木さんの話を聞いている点でも、検証記事として大事なポイントを押さえています。 検証記事によると、逮捕直後の大阪本社版が、障害者団体幹部の「官僚として目的を持つと、手段を選ばない人なのかなと思う」という談話を掲載していました。ある人が逮捕されると、「逮挿されたのは悪い人」というイメージをかきたてるような記事が掲載されるのは、よくあること。それがどんなに恐ろしいことなのかを如実に示しています。 また、村木さん以外の逮捕された人たちが、大阪地検特捜部の取調(とりしら)べに対して供述した内容を報道した点について、この供述内容を含む検察の調書が裁判では「検事の誘導で作られた」などと判断されて証拠採用されなかったことを書いています。 こうした自社報道のマイナス面にはきちんと触れつつも、この検証記事では、「村木氏が事件への関与を否定していることも書いた」と表現しています。なんだか「朝日として、きちんと被告の言い分も伝えていました」と弁解するニュアンスが感じられてしまいます。 毎日新聞の検証記事では、村木局長逮捕の翌日の紙面で、局長の言い分を大きく取り上げたことを取り上げています。「他紙と違って、わが社はしっかりしていた」という筆致が感じられます。 今回の事件では、特捜部の検事たちが、取調べのメモを廃棄していました。調書を作文したことが判明しないように証拠隠滅を図ったとしか思えない行動ですが、これを取材したのは、どの新聞が早かったのか。 「判決を前に、特捜部検事が取り調べの際に付けていたメモを最高検の通知に反して廃棄していたことを掘り起こしました」(朝日)。 「特捜部が関係者の供述内容を記した取り調べメモを廃棄していた事実をいち早く報道した」(読売)。 どちらが早く報道したのか。自社の報道のあり方を検証しているはずなのに、なぜか自慢話が紛れ込む。困ったものです。2010年9月24日 朝日新聞朝刊 13ページ「池上彰の新聞ななめ読み-自社報道検証のはずが・・・」から引用 新聞を初めとするマスメディアは、犯罪の報道に当たっては容疑者の人権に配慮する必要があると思います。容疑者というのは、裁判で有罪が確定するまでは犯罪者ではないのですから、世論を煽って容疑者を犯罪者扱いするのは慎むべきでしょう。
2010年10月12日
検察官が無実の人を犯罪者に仕立て上げるために、証拠を改ざんした前代未聞の不祥事について、ルポライターの鎌田慧氏は、9月28日の東京新聞コラムに次のように書いている; 足利事件の菅家利和さんにつづいて、わたしたちは村木厚子さんの笑顔をみることができた。彼女のように検事の詐術に屈しなかったのは、むしろ奇跡的なのだ。 「証拠の改竄(かいざん)は前代未聞の不祥事」と書いた新聞もあった。が、そんなにめずらしいことではない。検事の「良心」の問題というより、起訴されると99・9%が有罪にされる、「正義」と「成果」主義が諸悪の根源だ。 100年前、12人を死刑、12人を無期懲役にした「大逆事件」を、検事の「功名、手柄のため」と言い切ったのは管野須賀子だった。「今回の事件は無政府主義者の陰謀というよりも、寧(むし)ろ検事の手によって作られた陰謀」と彼女は批判、原敬日記にも「実は官僚派が之を産出せり」とある。 このとき次席検事だった元首相の平沼騏(き)一郎は「中に三人陰謀に参与したかどうか判(わか)らぬのがある」とのちに語ったが、三人だけではなかった。 人権意識よりも、国権意識の強い検事の正義感は怖い。今回の前田検事は、自分のストーリーに合わせて自供を取る「割り屋」として評価されてきた、という。警察と検察のそのやり口に、多くの冤罪(えんざい)者が泣かされた。 検事の批判と検証はもっと必要だ。自衛隊イラク派兵当時のビラ配布事件など、国策に抵抗する人たちを罰した「思想検事」は残存している。市民のための人権検事をふやせ。 (ルポライター)2010年9月28日 東京新聞朝刊 11版 27ページ「本音のコラム-検事の犯罪」から引用 原敬の時代から検察は犯人を捏造していたとは呆れた話だ。民主主義の時代になっても、検察だけは戦前のまま生き延びてきたということだ。検察制度の改革は必然である。天皇勅任をやめて、選挙制にするべきである。
2010年10月11日
先月発表された防衛白書について、9月17日の東京新聞社説は次のように批判している; 2010年版防衛白書は、在日米軍基地の約75%が沖縄県に集中する理由に「地理的特徴」を挙げた。基地押し付けの言い訳にすぎず、これに固執する限り、抜本的な基地負担軽減などできない。 10年版防衛白書は民主党政権としては初めてであり、鳩山由紀夫前首相の退陣理由の一つとなった米軍普天間飛行場(沖縄県宜野湾市)の返還問題をめぐる記述に、あえて注目したい。 白書は米海兵隊が沖縄に駐留する理由に関し、「沖縄の在日米軍」との項目を立て、「米本土やハワイ、グアムなどに比べて東アジアの各地域と近い位置にある」との「地理的特徴」を挙げている。 さらに、これを視覚的に訴えようと、沖縄を中心とする同心円を描いた地図を白書に初めて掲載する念の入れようだ。 そして、普天間飛行場に駐留する海兵隊ヘリコプター部隊の国外・県外移設を「海兵隊の持つ機能を損なう懸念がある」と一蹴(いっしゆう)し、名護市辺野古沿岸部に「県内移設」する日米合意を正当化した。 しかし、沖縄に在日米軍が集中している理由として、戦後、沖縄を支配していた米軍が住民の土地を強制的に収用していった「歴史的経緯」を無視してはならない。 かつての白書はそうした経緯にも言及していたが、10年版では全く触れていない。 白書が沖縄の地理的特徴をことさら強調するようになったのは、1995年の米海兵隊員による少女暴行事件を受けて、沖縄の反基地感情が高まって以降である。 反基地感情に対抗して沖縄に米軍基地を固定化するために、沖縄の地政学的な優位性と称するものを強調し始めたにすぎない。 白書では「代替の施設を決めない限り、普天間飛行場が返還されることはない」と、普天間問題のこう着理由を、移設受け入れを拒む名護市民の民意に求めている。 これでは恫喝(どうかつ)に近い。いくら沖縄の基地負担軽減に「最大限努力する」と美辞麗句を並べ立てても、沖縄県民の理解を得なければ抜本的軽減などできない。 菅直人首相は、竹島を「わが国固有の領土」とする白書の記述に韓国が例年反発していることから日韓併合100年に当たる8月29日以前の公表を避け、9月に延期するよう指示していた。 しかし、沖縄をめぐる記述にこそ指導力を発揮し、政権交代の実を示すべきだったのではないか。今さらながら残念である。2010年9月17日 東京新聞朝刊 11版S 5ページ「社説-歴史的経緯無視するな」から引用 米軍基地を沖縄に集中させた理由を地理的条件のせいにするのは、政府として無責任である。これ以上はやめてくれと、地元が訴えているのに「いや、どうしても地理的条件で・・・」などと言われて、沖縄の人たちが納得するわけがない。鳩山前首相が辞任間際に言ったように、日米安保や沖縄の基地がこのままでいいわけが無いのだから、政府は本土の住民同様に沖縄県民の生命財産の安全を考えるべきである。
2010年10月10日
歴史上の事実を事実として認めることを「自虐的」とか「反日的」という者を批判する投書が、9月17日の東京新聞に掲載された; 今夏も数々の戦争の記録映像を見たが、あらためて日本を戦争に巻き込んだ揚げ句、国の内外の民衆に甚大な犠牲を強いた日本の軍国主義勢力に対し強い怒りが込み上げる。 日本軍がアジア諸国で行った残虐行為の非を認めることを、「反日的」だと呼ぶ向きがある。だが、軍国主義日本(軍日)の非を認めることは、「反日」ではなく「反・軍日」と言うべきだろう。 日本で生まれ育った私は「反日」には到底染まりそうにないが、「反・軍日」の思いは強い。 戦後、ドイツは一貫して「反・ナチス」を明確にすることで、欧州諸国の信頼を回復し、欧州統合を実現してきた。同様に「軍日」が行ったことを徹底的に検証し、「反・軍日」を貫いていくことが、アジア諸国の信頼を回復する前提になるだろう。2010年9月17日 東京新聞朝刊 11版S 5ページ「発言-軍国日本の検証が必要」から引用 この投書が主張するように、戦後の日本は軍国主義と決別したのであったが、その認識に乏しい者が一部国民の中にいて、天皇も首相も「国策を誤った不幸な時代があった」と反省しているにも関わらず、「誤った国策」の存在を認めようとしない者がいるのは、嘆かわしいことである。
2010年10月09日
歴史上「南京大虐殺」と呼ばれる日本軍による戦争犯罪が起きたのは1937年であったが、事態を憂慮した日本軍上層部は防止策として慰安所の設置を指示した。ところが、敗戦後の東京裁判では従軍慰安婦問題が審議されることがなかったのをいいことに、戦後の長い間、日本政府は「慰安婦問題」に責任がないという態度を通してきた。しかし、いつまでも白を切ることができなくなって、ついに「軍の関与」を認めざるを得なくなるいきさつを、岩波ブックレット「『慰安婦』問題が問うてきたこと」は、次のように記述している; 韓国のキリスト教女性団体は、80年代半ばには「挺身隊」問題で日本政府に謝罪と補償を求める声をあげていた。その連動が活発になるのは80年代後半である。韓国教会女性連合会は88年2月、尹貞玉(ユンジョンオク)さん(当時、梨花女子大学教授)らが福岡、沖縄を中心に調査を行なって「挺身隊踏査報告」を発表し、7月には「挺身隊研究委員会」を設置した。そして、90年1月、『バンギョレ新聞』に4回連載された尹さんの「挺身隊取材記」が大きな反響を呼んだ。 慮泰愚(ノテウ)大統領の訪日前の5月18日、韓国の女性団体は声明を発表した。慮大統領が訪日中の25日、韓国外相は日本政府に強制連行被害者の名簿作りへの協力を要請した。こうした動きの中で6月6日、本岡昭次社会党議員は参議院予算委員会で強制連行について質問し、「慰安婦」の調査を日本政府に迫った。これに対し、労働省職業安定局長は、「民間の業者がそうした方々を軍とともに連れ歩いてい」たので調査はしかねる、と答弁している。 声明を発表した韓国の女性団体はこの答弁に強く反発し、他の団体の賛同も得て10月、37の女性団体が韓国、日本両政府に抗議の公開書簡を送った。日本政府への書簡では(1)従軍慰安婦強制連行の事実を認めること、(2)公式に謝罪すること、(3)蛮行のすべてを自ら明らかにすること、(4)慰霊碑を建てること、(5)生存者や遺族に補償すること、(6)歴史教育で事実を語り続けることを要求している。37の女性団体は11月、「韓国挺身隊問題対策協議会」(挺対協 初代会良・尹貞玉)を結成し、活発な活動を展開してゆく。韓国の運動に触発され、日本国内でもキリスト教団体や市民グループ、労働組合などがこの間題に取り組むようになった。 91年8月14日、「民間業者ではなく日本軍が私の青春を奪った」と名のり出た金学順さん(当時67歳)が記者会見に臨んだ。9月、韓国教会女性連合会はソウルに「挺身隊申告電話」を設置、10月には同趣旨で釜山「女性の電話」事務室に開設され、多くの被害者が申告した。12月6日、金学順さんら3人の「慰安婦」被害者が「韓国・太平洋戦争犠牲者遺族会」 の32人の軍人軍属およびその遺族とともに日本政府に謝罪と補償を求めて東京地裁に提訴した。遺族会を象徴する白いチマチョゴリ姿で東京地裁に向かい、記者会見に臨んだ映像は全国に報道され、大きな衝撃を与えた。金学順さんたちの提訴によって日本社会はようやく80年代後半から韓国の女性団体が取り組んできた「挺身隊」=「慰安婦」問題に目を向けたのである。 その日、加藤紘一官房長官は「政府機関が関与したという資料は発見できない」「日本政府が挺身隊問題に対処するのは難しい」と発言した。挺対協は2日、この発言に抗議する公開書簡を日本大使館に手渡し、続いて周辺をデモ、そして以降、大使館前で毎週水曜日にデモを行なうことを決めた。 翌92年、「慰安婦」問題は大きく展開する。 宮沢喜一首相の訪韓を間近に控えた1月8日、ソウルの日本大使館前で第1回水曜デモが行なわれた。水曜デモは阪神・淡路大地震のとき、犠牲者を追悼して休んだことがあるだけで、毎週、今日まで行なわれてきた。 11日、吉見義明中央大学教授が防衛庁防衛研究所図書館で「慰安婦」の徴集と慰安所の設置に日本軍が関与したことを示す文書を発見していたことが朝日新聞で報道された。日本政府は一貫して軍の関与を否定してきたが、それを示す公文書が防衛庁に所蔵されていたことが明らかになり、加藤官房長官は「当時の軍の関与は否定できない」と初めて認めた。 訪韓した宮沢首相は17日、慮大統領に「慰安婦」問題で「お詫び」を表明している。大森典子、川田文子著「『慰安婦』問題が問うてきたこと」(岩波ブックレット)第一章「『慰安婦』問題の起点」7ページから引用 この記述が示すように、1992年に当時の加藤官房長官が日本軍の関与を認めるまでは、政府は「慰安所」は民間業者の営利活動だったのであり軍も政府も関与していないという建前をとっていた。しかしながら、学問の成果に助けられて真実が明らかになったからには、それに基づいた謝罪と補償が必要になるのはものの道理というものだったのである。
2010年10月08日
旧日本軍が陰謀を巡らせて中国侵略の端緒となった「満州事変」は9月18日に起きた事件であった。その経緯について、9月16日の朝日新聞に掲載された投書は、次のように述べている; 来年の9月18日で80年だと言うと「何の話だ」と聞き返されるようになった。1931年のこの日、満州(中国東北部)にいた日本軍が現在の藩陽北方の柳条湖で、自ら鉄道を爆破しながら中国軍の行為だとして攻撃を始めた。「満州事変」の契機となった事件だ。 当時、日本の支配層は、日露戦争で鉄道権益などを得た満州を「日本の生命線」と見て、そこでの勢力拡大を目指していた。この事件は絶好の口実とされ、日本の勢力下にある満州国建国にまで発展した。33年の国際連盟総会は42対1で日本の満州支配を否認する決議をしたのに対し日本は従わず、ついに中国そして米英とも開戦するに至った。 こう見ると9・18の重要性がわかる。軍国主義の暴走で日本を敗戦に導き、多くの国民は肉親や友を失い今なお戦争の後遺症を抱えて悩む状況は、その発端がこの日だったということではないか。 それにしては太平洋戦争開始日(12月8日)や原爆投下の日(8月6日・9日)に比べて9月18日の記憶や、その史的位置づけへの配慮がいかにも少ないと思う。今後、十分に考えてほしい。2010年9月16日 朝日新聞朝刊 12版 14ページ「声-9・18も記憶し歴史考えよう」から引用 満州事変についても、私たちはよく勉強する必要があると思いました。
2010年10月07日
戦争の時代を体験した人が孫にその話をしたという投書が、9月16日の朝日新聞に掲載された; 先月、高校1年生の孫息子が、夏休みの宿題ということで、電話で何項目かの質問をしてきた。 まず、「15~18歳の時は何をしていたか?」。私はその時旧制中学の生徒で、軍国主義教育のただ中にあった。教育勅語や軍人勅諭の暗誦(あんしょう)、軍事教練などにどっぷりつからされ、中学5年の時は火薬工場に勤労動員させられた。 次に、「その時、じいちゃんの夢は何でしたか?」と聞かれ、「戦争に行って死ぬことだった」と言うと、孫は電話の向こうでかなり驚いたようだった。 最後に、「今の高校生にアドバイスと、社会に対する希望は?」と聞かれた。私は「受験戦争で大変だろうが、真実を見抜く目を持ってほしい。憲法9条をしっかり守って、平和を求める人になってほしい。社会への希望としては、若者たちが就職に困らない、格差のない社会を望む」と答えた。 孫は納得したようであった。老骨にも色々と考えさせられた猛暑の夏のアンケートであった。2010年9月16日 朝日新聞朝刊 12版 14ページ「声-孫の質問に過去・現在考えた」から引用 戦争に行って死ぬことが夢だったなどということは、現代の若者には信じられないことに違いないが、当時は親も子もそう考えていたらしい。夢どころか、実際に一人息子が戦死しても、天皇陛下のお役に立てたのだから自分は幸せだなどと言う母親が座談会を開いたりしているのだからビックリである。洗脳の恐ろしさが分かるというものである。「現代の価値観で過去を批判するのは間違いだ」などと言う意見を見かけることがあるが、私は間違いではないと思う。過去の過ちを二度と繰り返さないためには、現代の価値観で「過ち」の原因がどこにあったのか、徹底追及する必要があるからである。
2010年10月06日
日本が韓国を植民地支配した時代に略奪や流出で日本にきてしまった韓国の伝統的文化財の展示会が行われていると、9月16日の東京新聞が報道している; 日本が朝鮮半島を植民地化した日韓併合から100年になるのを機に、日本が持ち出した文化財に関する企画展「失われた朝鮮文化遺産」が高麗博物館(康京都新宿区)で開かれている。日韓併合100年で関心が高まるとみて昨年の企画展を再開催した。菅直人首相が今夏、文献などの返還を発表したこともあり、さらに注目を集めそうだ。 (松村裕子) 植民地下での文化財の略奪と流出、返還と公開について32枚のパネルで紹介した。韓国文化財庁の発表では、日本に流出した朝鮮半島の文化財は6万点以上。帝大教授らが王家の墓を発掘し研究のため日本に持ち帰った土器や青磁、壁画模写は、東京国立博物館や東大などで収蔵、展示されている。文化財の持ち込みには国が深くかかわったことが分かる。 不法持ち出しの象徴は、韓国の国宝、敬天寺十層石塔(高さ13・5メートル)。1907年に宮内大臣が解体して日本へ運ばせたが、組み立てられずに放置され、ソウルに戻された後も放置が続き、60年に復元された。その後修理され、2005年にオープンしたソウルの国立中央博物館に展示されている。 日本に持ち込まれた文化財の一部は日韓条約(1965年)に伴い返還されたが、民間からの韓国側への寄贈も相次いでいる。朝鮮王朝時代の文人秋史(チュサ)の研究者だった藤塚鄰(ちかし)氏は戦前に現在韓国の国宝になっている秋史の水墨画「歳寒図」を返還。後年、息子の明直氏は、秋史が晩年を過ごした果川市に、父が残した秋史関連資料を研究費とともに寄贈した。日本では知られていないが、韓国では大きく報道され、日韓の受け止め方の違いがうかがえる。 調査に当たったNPO法人高麗博物館の李素玲(イソリョン)理事は「文化財を元あった場所に返すのが究極の目的だが、まずはなぜ日本に多くの朝鮮半島の文化財があるのか知ってほしい。ソウルの国立中央博物館は日本人もよく訪れる観光地なので、敬天寺十層石塔を見たら受難の歴史にも思いをはせてほしい」と話す。 11月14日まで。月、火曜休館。入館料は400円、中高生200円。問い合わせは高麗博物館=電03(5272)3510=へ。2010年9月16日 東京新聞朝刊 23ページ「日韓併合100年機に企画展再び」から引用 日本の伝統文化といわれるものの中にも、そのルーツを辿ると韓国から伝わったものは多いが、植民地支配の時代に不法に持ち出されたものは、誠意をもって元の場所に戻すのが常識というものであろう。
2010年10月05日
平和を愛する日本国民を代表するような投書が、9月15日の朝日新聞に掲載された; 「げんきかるた」というかるたがある。「子どもの本・九条の会」が平和への願いをこめて編集した。絵札は一枚一枚違う絵本作家が描き、読み札もそれぞれ子どもの本関係者によって練られた言葉である。中でも「大きな国より誇れる国に」の飯野和好さんの絵は、稲の束を手にした若者が田んぼにすっくと立ち、しっかりした視線をこちらに向けており、私の好きな札のひとつだ。 先日、首相の私的諮問機関「新たな時代の安全保障と防衛力に関する懇談会」が意見をまとめた。選ばれた有識者たちは武器禁輸政策の見直しや、米軍と自衛隊の一体化の推進などを提案した。 私は日本が他国の戦争に乗じて兵器を売りつけ、金もうけをする国でないことを誇りに思う。軍事力を誇り、軍需産業で経済を動かす「大きな国」でなくてよい。周辺国と軍備を競うのではなく、軍縮を説く日本であってほしい。2010年9月15日 朝日新聞朝刊 12版 26ページ「声-軍縮説く日本こそ誇れる国」から引用 憲法9条を擁する日本国民にとって、人殺しの道具を作って金儲けしようというのは了見違いというものだ。武器禁輸政策の見直しだの米軍・自衛隊の一体化などと、首相の諮問機関は何を血迷っているのか。
2010年10月04日
イラク戦争を全面支持した日本政府の責任を追及する投書が、9月5日の朝日新聞に掲載された; オバマ米大統領がイラク駐留米軍の戦闘任務終了を宣言した。開戦から7年、イラクは形の上では民主国家となった。だが連日テロ行為が続き治安はフセイン政権時代より悪化したとも言われる。米国は大量破壊兵器の脅威を大義に開戦したが、戦闘の泥沼化と軌を一にして大義はイラク「民主化」にすり替わった。 民主化は絶対的な正義なのだろうか。選挙をすればイラクにある2大宗派のいずれかが勝ち、民主化による数の力により、さらなる混乱が起こるのは必然だった。 戦闘任務終了が宣言されたいま、この戦争は一体何だったのか、総括することが求められる。英国では独立調査委員会がイラク参戦を決めたブレア政権を検証している。米国に追従した日本でもこうした検証を行うべきであり、私は政権交代がそれを可能にするかと期待してきた。だが党内抗争に目を奪われ、外交では自民党政権時代を踏襲しているような現政権与党にこれを求めるのは無理なようだ。 民主主義を言うのなら、戦争に加担したことを事後検証し、未来へとつなげる姿勢が必要であろう。そうした基本姿勢を持たない国が民主化を標榜(ひょうぼう)した戦争に肩入れするのは欺瞞(きまん)だったのではないか。その検証は不可欠である。2010年9月5日 朝日新聞朝刊 12版 7ページ「声-戦争加担検証せぬ『民主』日本」から引用 ここでもやはり、民主党は自民党と大して違わない政党なのかどうかが問われている。民主党にわが国の民主主義を向上させる意志があるのなら、小泉政権がやったことの是非を検証するべきである。
2010年10月03日
今になってもなお朝鮮学校の授業料無償化に消極的な民主党政権に対し、9月5日の朝日新聞社説は次のような提言をしている; 在日朝鮮人の若者たちが「なぜ自分たちだけ取り残されるのか」と、つらい思いで2学期を迎えている。 朝鮮高級学校をめぐり、文部科学省の専門家会議が、授業料無償化の学校にふくめるかどうか判断するための基準をつくった。高校の無償化は4月に始まったが、朝鮮学校は「日本の高校課程に類する」ことを確認できないとして、先送りになった。 示された案は、授業時数や教員について専修学校なみの水準を求め、支援金がすべて授業料減額に使われるよう財務の透明化の注文もつけた。他の外国人学校とともに、文科省が定期的にチェックする仕組みもとり入れる。 一方で、個々の具体的な教育内容は判断の基準にしない、とした。日本の学校とは異なる方針の下で教育を行うことを、認めようという考え方だ。 時間がかかりすぎたとはいえ、学校制度の外に置かれてきた外国人学校をきちんと位置づけ、多文化の学びを国が支援してゆくための、客観的で公正なモノサシができたと言える。これを使い、4月にさかのぼっての無償化を速やかに実施すべきだ。 ところが文科省は民主党内の意見を聞くとして、またも結論を先延ばしにした。管直人首相の指示だという。 党内には、経済制裁を続けているのに、その北朝鮮の影響を受ける学校を支援すべきでないとの意見がある。拉致被害者家族からも「対北朝鮮で日本が軟化したと取られる危険が大きい」と反対がある。先送りは、こうした意見にも配慮したのだろう。 しかし、子どもの学びへの支援と、拉致問題への対応とを、同じ線上で論じるのはおかしい。高校無償化の支援対象は学校ではなく、生徒一人一人だ。「外交上の配慮で判断すべきでない」というのは、国会審議の中で示された政府の統一見解でもある。 教育内容を問うべきだとの指摘もある。確かに金正日体制への礼賛は、私たちの民主主義とは相いれない。 だが、同じ町で暮らす朝鮮学校生に目を転じてみよう。スポーツでは地域の強豪校でもある。北朝鮮の思想を授業で学びながらも、生徒や親の考えは一色でない。バイリンガルの能力を生かすなど、様々な分野の担い手として活躍する卒業生もたくさんいる。 ここは日本社会の度量を示そう。 多くの朝鮮人が住み、北朝鮮を支持する人がいるのは、歴史的な経緯があってのことだ。祖国を大事にする価値観を尊重し、同じ社会の一員として学ぶ権利を保障する。そうしてこそ、北朝鮮の現状に疑念を持つ人との対話も広がり、互いの理解が進むだろう。 そのうえで、日本で生きる朝鮮人としてどんな教育がよいか、今の朝鮮学校でよいかどうかは、彼ら自身に考えてもらうべきことだ。2010年9月5日 朝日新聞朝刊 14版 3ページ「社説-日本社会の度量示そう」から引用 高校授業料無償化の制度について、朝鮮学校も対象とするかしないかという問題は、突き詰めて言えば日本人社会の度量の問題である。同じ社会に暮らす者を出生や思想信条で差別するのはフェアではないから、朝鮮学校も対象とするのが常識的判断であるが、朝鮮の政治体制が気に入らないからとか、拉致問題があるからとか、朝鮮学校で学ぶ生徒に直接責任の無い理由で差別をするのは、あまりにも狭量であり、そのような偏った主張に配慮しなければならない民主党政権の非力はつくづく残念なことである。
2010年10月02日
きのうの日記に引用した投書に対して、3日後の東京新聞には次のような反論が掲載された。投書の主は元自衛官である; 24日付の投書「日韓併合評価慎重に」には賛成できない。確かに明治維新後、日本が置かれた国際環境から見て、大陸進出はやむを得なかったという見方があることは承知している。だが、併合前の日露戦争の勝利によって、日本が植民地化される恐れは全くなくなっていた。 だとすれば、日本は真の東洋の盟主としてこれまでの大陸政策を反省し、ロシアの満州権益などに目もくれず、日清安全保障条約締結に邁進(まいしん)すべきだっただろう。そうすれば、その後の対華21ヵ条要求の必要もなく、従って満州事変も起きなかったともいえる。 百歩譲って韓国併合を正当化できたとしても、それは日本の立場を弁護するにすぎない。韓国の立場は別である。韓国人の気持ちを考えれば、素直に「悪かった」と謝るべきではないだろうか。ただし何度も謝る必要はない。2010年8月27日 東京新聞朝刊 11版S 5ページ「発言-日韓併合は正当化無理」から引用 この投書が述べるように、もし戦前の日本政府と軍部の目標が純粋に国土防衛であったのであれば、日露戦争の勝利を機会に政策の転換をしていたはずである。しかし、実際は征韓論の昔から45年8月15日の敗戦まで、大日本帝国の方針は東アジアの武力侵略だったので、あのような結果を迎えたわけであり、日本が欧米の植民地にされることを防ぐために朝鮮の日本による植民地化は避けられなかったなどという議論も詭弁に過ぎないことは明らかである。
2010年10月01日
全31件 (31件中 1-31件目)
1