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ITジャーナリストの井上トシユキ氏は、共謀罪法案に関する政府の説明や、石原慎太郎元都知事の記者会見、文科省の天下り問題、福島の原発事故の補償費用を国民に負担させようとする姑息な企みなどについて、12日の東京新聞コラムで厳しく糾弾している; 行動にまとまりがなく、意味づけが難しい状態を指して「グダグダ」という。テロ等準備罪は、さしずめグダグダの典型例だ。目くばせや電話、メール、会員制交流サイト(SNS)での「いいね!」といったやりとりだけでテロ等の組織的犯罪の合意が成り立つとなれば、憲法で保障された通信の秘密もプライバシーもあったものではない(「LINEでも共謀成立恐れ」2月24日朝刊1面)。このような筋の悪い話に現政権が拘泥する理由は、もはや推し量ることすら難しい。 石原慎太郎元都知事が都議会での証人喚問を前に開いた記者会見も、またグダグダだった(「『私一人の責任ではない』」3月4日朝刊1面)。「裁可した責任はあるが(略)みんなで決めた」というのは、作家らしからぬ危うい日本語だ。みんなで決めようが、あらかじめレールが敷かれていようが、都政の最高責任者である都知事が負うべき責任に変化はない。高いプライドは高潔さがあってはじめて尊敬されると、知っているだろうに。 早くも旧聞となりつつある文部科学省の天下り問題も、同様にグダグダだ。恥知らずにも、退職翌日に天下りしていた者が8年で26人もいた(「『出向』の名で『天下り』か」2月21日朝刊1面)。大臣から「法の趣旨を潜脱する目的」「極めて不自然」と会見で指弾された行為について、天下りをした当人たちは、悪いことだと思っているのか、そうではないのか。簡単なイエス・ノーの二択問題だから、元エリート官僚ならば、苦もなく答えられるはずだ。 グダグダした状況下では、往々にして裏で姑息(こそく)なことが行われる。「福島事故賠償 検針票のどこに?」(3月1日朝刊1面)は、以前から気になっていた疑問に答える内容。読者の期待に応える記事だった。東京新聞では、先月も「過去分の国民負担は政府の不当請求」(2月9日朝刊1面)で、吉原毅・城南信金相談役へのインタビューを通して経済産業省と東京電力のやり方に疑義をつきつけていた。 巨額の賠償金や復興費用を長期にわたって薄く広く利用者に転嫁する。それが、絆のような感情を逆手に取り、責任の所在を「東電だけではなく、国民全員にある」と曖昧にしていく高等戦術であるのなら、とうてい納得できることではない。 「ヤマト労組 宅配減らして」(2月23日夕刊1面)。先日の違法駐車身代わり出頭も同根で、もはや民間企業だけでどうなることでもなく、社会全体で考えるべき問題だ。明確な利権がなければ政治家も官僚も先導しないのなら、情けないグダグダ国家である。マスコミはグダグダ国家を監視し続けてほしい。(ITジャーナリスト)2017年3月12日 東京新聞朝刊 11版 5ページ「新聞を読んで-グダグダ国家の監視」から引用 文科相の天下り問題は、今日の朝刊に、違法な天下りに関与した官僚を数十人処分することになったという記事が出てましたが、処分されることになった官僚の諸君は、それで本当に反省しているのかどうか、疑わしいと思います。天下りを禁止する法律は、あるにはありますが、ザル法との評判が高く、文科省のような天下りは実はどの省庁でも行われており、たまたま文科相はやり方が下手だったからバレただけだ、との怪情報もありますから、問題の根は深いのではないかと思います。
2017年03月31日
哲学者の内山節氏は、日本と韓国の民間交流について19日の東京新聞コラムに次のように書いている; 私の暮らす村、群馬県の山村・上野村では、エコビレッジづくりがすすめられている。森を手入れしたときにでてくる、木材として利用できない部分を使って、発電などもしている。 といっても自然エネルギーを利用すれば、エコビレッジになるわけではない。エコビレッジの根本的な意味は、持続できる社会や地域をつくるということの方にある。持続できる社会や地域をつくるためには、自然とどういう関係をもったらよいのかを考え、その結果が自然とともに生きる地域づくりなのである。 だから、たとえば太陽光エネルギーで事業をする企業があったとしても、その企業がブラック企業であったり、従業員が過労死するような企業であるのなら、それはエコな企業でばない。 持続できる地域をつくるためには、村の産業はどうあったらよいのか。自然とはどういう関係をつくったらよいのか。地域の人たちがどのように結びあっているとき、その地域は持続性をもっているのか。そういうことを総合的に考えていくのが、エコビレッジづくりなのである。子どもを産みやすい地域、子育てしやすい地域をつくることも、エコビレッジの大きな柱だ。 上野村が親しくしている地域に、富山県南砺(なんと)市がある。ここは上野村よりはるかに大きいが、小都市、農村、山村からなっていて、ここでもエコビレッジづくりがすすめられている。南砺市に昔からある土徳(どとく)思想を再評価し、自然エネルギーの導入だけではなく、地域の産業のあり方やコミュニティー=共同体のあり方などが、持続性をキーワードにして検討されてきた。土徳思想とは、土の徳に感謝する、自然に感謝して生きるという思想である。 この南砺市で先月、韓国のタミヤン郡の人々と一緒に、「グローバルエコフォーラム」が開かれた。タミヤン郡もエコビレッジづくりをすすめている。ここは韓国の有機農業の中心地でもあり、地域に密生する竹を、暮らしや産業のなかでいかす試みをしていたり、伝統文化や伝統料理を守る努力もしている。自然との共生や共同体づくりに、郡(市)をあげて取り組んでいる地域である。 この交流事業は、同じような課題をかかえながら地域づくりをしている日本と韓国の人たちが、協力し合うことはできないかという、韓国の人たちからの申し入れではじまった。昨年はソウルで第一回のシンポジウムを開いている。このときは都市における地域づくりがテーマだった。 南砺市での「フォーラム」には、元環境大臣や郡守(市長)を含めて、30人を超える人たちが韓国から参加した。参加者たちは、これからの社会のあり方を、日本と韓国で協力し合って考える場がもてることを喜んだ。この事業は、これからも継続的にすすめられていくことになる。社会が持続性を失ってきたという感覚も、もう一度持続性のある社会をつくらなければいけないという思いも、いまでは日本と韓国の人たちに共有されはじめているのである。経済発展だけをめざして、持続性のない社会をつくってしまう政治では、もうだめなのだということも。 国境を超えて協力し合う関係をつくるのも、持続できる世界をつくる、すなわち、エコな世界をつくるための鍵なのである。(哲学者)2017年3月19日 東京新聞朝刊 12版 4ページ「時代を読む-日韓で目指す持続的な社会」から引用 古来より、わが国は大陸や半島から大きな影響を受けて繁栄してきたという歴史を持っています。政府間には様々な問題があるにしても、それは政治的に解決するべきであって、民間どうしは従来どおり連携して未来を切り開いて行くべきだと思います。
2017年03月30日
日頃から愛国心を有り難がる政治家や官僚が、森友学園の問題に関連してどのような態度をとったか、法政大学教授の山口二郎氏は19日の東京新聞コラムに、皮肉たっぷりに次のように書いている; 文科省は学校の道徳で愛国心の教育をするそう。我が国の最高指導者の行状から愛国の作法を導き出せば、こんなことになろうか。 1 自分は愛国者であることを目いっぱい大声で叫びましょう。愛国心の証しは日の丸を振りかざし君が代を歌うことです。教育勅語を暗唱できれば愛国心は優等です。 2 自分が純粋で過激な愛国者であることを示せば、周りの人間はその愛国心に感動し、あなたの望みを聞いてくれるかもしれません。何しろ国有地をただ同然でもらった愛国者もいるくらい。 3 愛国者は機を見るに敏でなければなりません。同じ愛国仲間でも、ヤバそうなやつが愛国をネタに変なことをしていると気づいたら、さっさと裏切り、知らん顔をしましょう。愛国者に節操は不要です。あいつは真の愛国心がわかっていないとうそぶくのも、保身には効果的です。 4 愛国者はなにより自分を愛する人です。愛国教育に熱心な文科省の高級官僚も、法を無視して、退職後の天下りを確保するために組織的に動いていたくらいですから。自分の私利私欲を追求するときにも、愛国だと言えばだれも邪魔しません。 5 愛国者は強い者の心中を忖度(そんたく)し、気に入られるよう行動します。政治家の無理難題を実現した財務省の官僚こそ、愛国者の鑑(かがみ)です。(法政大教授)2017年3月19日 東京新聞朝刊 11版 25ページ「本音のコラム-愛国の作法」から引用 教育基本法を改悪して愛国心教育を盛り込んだのは、第一次安倍内閣でしたから、愛国心と言えばわが国では安倍晋三氏の右に出る者はないといっていいほどの、第一人者であることは自他共に認めるところと思いますが、森友学園問題が表面化したとたんに、「しつこい人物だ」とか「一度も会ったことはない」とか、態度の豹変の仕方があまりにも極端で、つい笑ってしまいます。将来的な経済不安があるからと言って、こういう総理大臣にしがみつくしかない国民は、不幸というほかありません。
2017年03月29日
日本のメディアの現状について、2人の専門家が5日の「しんぶん赤旗」で次のような議論を展開している; メディアの現状にさまざまな角度から迫るシリーズ「メディアは今」。第1回は、ジャーナリズム論が専門の門奈直樹・立教大学名誉教授と、元NHKディレクターの戸崎賢二さんに、「ポスト真実」とメディアの関係などについて、語り合ってもらいました。<板倉三枝記者> 門奈 「ポスト真実」という言葉は、昨年の米大統領選のさなかに注目されました。英国のオックスフォード辞典は、世論形成にあたり、個人的感情や思惑が先走り、事実や真実が隠れてしまった状況と定義しています。 流行語として浮上したのは、英国が昨年6月、国民投票で欧州連合(EU)離脱を決めた時です。離脱を支持したのは、グローバル化から取り残された人たちでした。米大統領選でトランフ氏を支持したのも、グローバル化から「忘れ去られた人たち」です。トランプ氏は、米国にまん延するメディア不信を逆手にとって「既存メディアは既得権益者だ」と攻撃し、受けを狙ったのです。 「ポスト真実」は日本でも起きています。安倍晋三首相はメディアに圧力を加える一方、メディアパフォーマンスをしている。言葉に重みがなく、うそを平気で言います。日本のメディアはそれを検証せずに流すだけです。 戸崎 2月の日米首脳会談の報道では、「国益」が守られたか、というのが大半のテレビメディアの問題意識でした。しかし、「国益」が誰にとっての利益かという視点は、すっぽり抜けていました。 2月13日の「ニュースウオッチ9」では、会談を終えた安倍首相を32分間、生出演させています。トランプ大統領は、拷問を容認し、国籍によって差別するなど反民主主義的なリーダーです。この大統領と「信頼関係」を結ぶことに批判があるはずですが、追及はほとんどありません。 キャスターは、「トランプ大統領は人権や民主主義の価値観から離れているのでは・・・」という質問もしていました。でも安倍首相の答えのあと二の矢がない。結果的に安倍首相の弁明の場を長時間与えたにすぎなかった。NHKの政治報道が、政権の広報的な傾向を強めている典型的な放送だったと思います。 門奈 BBC(英国放送協会=英国の公共放送)が、なぜ世界から評価されるか。政治権力から独立しているからです。英国政府もメディアの独立を当たり前のこととして認めています。 日本では、メディアの基本姿勢として、「中立」「公平」ということがよく言われますが、欧米では「中立」という言葉は出てこない。出てくるのは「インディペンデント(独立)」という言葉です。 ジャーナリズムで最も大事なことは権力から独立することです。NHKにおいて問われなければならないのは、公共放送の意味を考える視点の欠如です。 戸崎 同感です。日本放送協会は戦前、「政府之ヲ管掌ス(つかさどる)」とする「無線電信法」の下、事実上の国営放送でした。戦後、「政府のための放送」から「公共の福祉のための放送」としてNHKが設立されました。本来、権力から独立し、ときに政府の都合の悪いことも伝えるべきですが、その姿勢が伝統的に弱い。 例えば2月17日の国会の共謀罪に関する審議で、”普通の団体でも性格が変われば罰する”という重要な議論がされました。この国会審議を、「報道ステーション」(テレビ朝日系)も「NEWS23」(TBS系)も伝えたのに、この日の「ニュースウォッチ9」は一切伝えませんでした。 門奈 そういうこともあり、共謀罪に関しては世論調査で賛成の方が多い。質問が単純化され、是非だけを短絡的に問う内容になっているからです。 戸崎 NHKは「共謀罪」とは言わず、必ず、「政府が共謀罪の構成要件を厳しくして新設するテロ等準備罪」という枕ことばを付けて紹介しています。政府の言い分を客観的な事実であるかのように、繰り返しアナウンスしているわけです。危険性が伝えられない中で、支持が高くなるのは当然だと思います。 門奈 「ポスト真実」の問題を考える場合、日本のメディアはどうなのか。そこを問題視していかなければいけないと思います。(つづく)2017年3月5日 「しんぶん赤旗」日曜版 11ページ「『ポスト真実』と政治報道」から引用 70年代の頃、リベラルを快く思わない人たちの間で、世論を左側に誘導しているのは「朝日、岩波、NHKだ」などと言われたものでしたが、その割にはNHKは権力からの独立が出来ておらず、政府広報のような番組が時折見かけられるのは残念なことです。もちろん、中には優れた番組を制作するスタッフもいるのであって、NHKは全部ダメというレッテルを貼るのは間違いで、そういう意味では読売新聞にも優れた記事を書く記者はいますが、もう少しジャーナリズムの使命を体現する記者が増えてほしいと思います。
2017年03月28日
日本総合研究所会長の寺島実郎氏は、アメリカのトランプ政権の誕生とその行く末について、5日の「しんぶん赤旗」で、次のように述べています; 「米国第一」を掲げ、入国禁止令などで世界中の非難を浴びるトランプ政権。それに「日米同盟第一」の立場で向き合う安倍晋三首相――。こうした姿勢が何をもたらすか。日本総合研究所の寺島実郎会長に聞きました。<田中一郎記者>◆トランプ政権は、いずれ行き詰まる――なぜトランプ政権が生まれたのでしょうか。 昨年の大統領選でトランプ氏を突き上げた現象は、民主党予備選でサンダース氏を押し上げた現象と同根です。プアホワイトとよばれる白人貧困層が感じている「格差と貪困」へのいら立ちと怒りです。 米国にいま吹き荒れているのは、このエネルギーです。それが政治の大変動をもたらしている。しかし当選後のトランプ氏が進めているのは、産業政策では極端な保護主義、移民政策ではイスラム圏7カ国からの入国制限など、いらだつ白人貧困層の溜飲(りゅういん)を下げる政策です。 一方、金融政策では、前政権下で制定された金融規制改革法を見直す大統領令に早くも署名しました。この法律は2008年のリーマン・ショックの教訓として強欲なウォール街(金融業界)に縛りをかけようとしたもの。実際にはザル法ではあるのですが、それさえも解き放とうとしています。 政権の陣容も、財務長官は巨大投資会社ゴールドマン・サックス元幹部のムニューチン氏、商務長官は投資家のウィルバー・ロス氏が就任。トランプ政権のウォール街寄りは明らかです。 米国が抱える最も重大な問題は、冷戦後に進んだ金融資本主義の肥大化です。それが「格差と貧困」をつくりだし、トランプ政権を生み出した。ところがトランプ政権は、この間題には手を付けず、再びマネーゲーム(資金の投機的運用)の肥大化へ突っ込もうとしている。「トランプ政権誕生のパラドックス(逆説)」というべき事態です。――外交面はどうみていますか。 閣僚をみれば、国防長官はイラク戦争を率いた海兵隊出身のマティス氏、国務長官は石油大手エクソン・モービル社の前会長兼最高経営責任者(CEO)のテイラーソン氏です。 米国はサウジアラビアに石油権益を持っています。テイラーソン氏の起用で、サウジが抱くイランへのいら立ちを、米国の外交政策に反映させることは容易に想像がつきます。 15年の核合意でイランは核開発を中止し、対イラン制裁は解除されました。これでイランの石油が国際市場に流れ込み、原油価格は下落した。産油国サウジには痛手です。 トランプ政権は、イランなどの「イスラムの核」は問題にしても「イスラエルの核」は問題にしない。歴代米政権も認めてきたイスラエルとパレスチナの「2国家共存」による中東和平方針の変更まで示唆した。極端なイスラエル寄りです。 つまり、化石燃料推進とユダヤ支持です。中東情勢をさらに液状化させ、紛争を拡大しかねません。この路線は、いずれ行き詰まります。経済でも外交・安保でも、トランフ政権の土台は脆弱(ぜいじゃく)です。◆日本は東アジアの将来構想を語れ――日米首脳会談がありましたが・・・。 私から言わせれば、成果は何もない。「安保条約が尖闇諸島に適用される」と確認しに行ったようなものです。ただ米国は日本の尖闇への領有権を認めたわけではありません。中国が攻めてきたら米中戦争をやると約束したわけでもない。 同じ時期にトランフ氏は、中国の習近平国家主席と電話会談し「一つの中国」に歩み寄った。いかに中国に配慮しているかがわかります。 無理難題を押し付けてくる代官が赴任し、村の庄屋が代表してあいさつにいった。そこで覚えめでたさを確認し、ホッとして帰ってきた――。黒沢映画のシーンを見るような会談でした。戦後70年もたち、このパラダイム(思考の枠組み)からいつ脱却するのか。選択肢はほかにないのか・・・。私は、あると思う。 孟子に「浩然(こうぜん)の気」という言葉があります。気宇壮大な気持ちのことです。そのような構えで、「東アジアの将来について日本にはこんな構想がある。安心してくれ」といったレベルの話がなぜ言えないのか。 世界のリーダーの一角を占めるべき日本です。近隣への不安だけを語る人、自分は不安でおびえているという人が天下の大物だと思われるでしょうか。 日本に求められているのは、地域の緊張を駆り立てる役割ではなく、いかに東アジアの安定をもたらすかの構想です。東アジアの非核化を目指し、その文脈で北朝鮮の核保有も許さない。これもひとつの具体策です。 米国には東アジアへの関与を続けてほしいと思います。だからといって日本は、いつまで米国の軍事力にしがみついているのか。辺野古の米軍新基地問題でも、いまだに敗戦国のメンタリティーと冷戦時代の力学をひきずっている。 今こそ固定観念にとらわれず米国との関係を再設計する好機だととらえるべきです。――近著の『シルバー デモクラシー』(岩波新書)が話題ですね。 私たち戦後世代の先頭世代は、日本の歴史の中で初めて「あなたは自由に生きていい」という環境を生きてきたと言えます。徴兵制もなく、自分の職業を自分の責任で選び、日本を「平和の国」として守り切った世代でもあります。 ”戦後”なる時代の「光と影」を一番見てきた。その光とは戦後民主主義です。この世代には、この成果を後世に引き継ぐ覚悟が必要で、責任がある。歴史を逆戻りさせてはならない。私の問題意識は、そこにあります。てらしま・じつろう=1947年北海道生まれ。三井物産常務執行役員など歴任。現在、(一般財団法人)日本総合研究所会長、多摩大学学長。著書に『中東・エネルギー・地政学』など多数2017年3月5日 「しんぶん赤旗」日曜版 3ページ「対米外交を問う」から引用 寺島氏の見立てでは、白人労働者層を貧困に追いやっている元凶は金融資本の肥大化であるとのことで、オバマ政権はその問題を是正するための政策を実施してきたのに、トランプ大統領はそれは止めて、ウォール街よりの金融資本の肥大化を促進する政策をとるとのことですから、遅かれ早かれアメリカの白人貧困層は期待を裏切られることになるのは、間違いないようです。その問題が表面化した場合、トランプ大統領はどう対処するか。それは国外に敵を作って、国民の注意をそっちに向けるという政策があり得ると思います。そういう意味で、朝鮮半島や中東は今後、かなり危険な状況が出現するのではないかと考えられます。また、トランプ大統領の就任直後に首脳会談を実現した安倍首相は、新大統領との間に親密な関係を構築したことを誇っていたようで、提灯持ちのマスコミも「尖閣諸島にも日米安保条約が適用されることを確認した」などと、いかにも成果がありましたと言いたげな報道でしたが、そんなことは以前から分かっていたことで、しかも、日米安保が有効であるというのは、尖閣諸島に日本の施政権が及んでいるかぎり、という条件があるのであって、ある朝突然、どこかの軍艦に占領されていました、という事態が発生すれば、それは「日本の施政権が及んでいない」状態となり、自動的に「日米安保条約の対象外」となるという、これも以前から分かっている話です。マスコミは、その辺の実情をはっきり分かるように報道するべきだと思います。
2017年03月27日
尾木ママの愛称で知られる教育評論家の尾木直樹氏は、園児に政治的な発言を強要する塚本幼稚園について、5日の「しんぶん赤旗」で次のように批判している; 運動会で園児が「安倍首相がんばれ!安保法制国会通過よかった」と選手宣誓しています。これは政治教育を禁じた教育基本法第14条2項に抵触しています。過激な政治教育そのものです。 戦前の教育勅語も園児に暗唱させていますが、これは1948年の国会で排除・失効の確認を決議して、決別宣言をしているものです。それを暗唱させるなんて、本当に偏った違法な教育ですよ。 「日本を悪者として扱う中国、韓国は心を改め・・・」と差別的な内容を園児に唱和させているのも、「他国を尊重し、国際社会の平和と発展に寄与する態度を養う」と定めた教育基本法2条5項に抵触し、重大な問題です。私立でも憲法と教育基本法を守るのは当たり前です。 トイレに決まった時間にしか行かせないとか、漏らしてしまったうんちを持ち帰らせるとかは虐待行為で人権侵害です。 安倍さんは国会で「私の妻は私人です」といいましたが、首相の妻は公人です。その自覚も首相にないのかと驚きました。認識を改めてほしいです。2017年3月5日 「しんぶん赤旗」日曜版 1ページ「教育基本法違反の過激な政治教育」から引用 塚本幼稚園の運動会で、園児が「安倍首相がんばれ」などと宣誓していたころは、安倍首相も日本会議も大阪維新も、みなこの幼稚園を経営する籠池氏を賞賛していたにも関わらず、一旦問題化すると、みな一斉に手のひらを返したというのは、私は籠池氏を擁護する立場ではありませんが、道義的にいかがなものかと思います。
2017年03月26日
国が森友学園に国有地をただ同然で払い下げた事件に関連して、法政大学教授の山口二郎氏は、5日の東京新聞コラムに次のように書いている; 先々週の本欄で、愛国心は無頼漢の最後の避難所と書いた(※引用者注:当ブログでは3月8日の欄に引用)が、森友学園をめぐる疑惑の展開はそのことを実証している。 愛国教育を掲げた怪しげな学校法人が進める小学校開設に向け、財務省、教育委員会、国土交通省などの官僚組織は狡知(こうち)を弄(ろう)して国有地のただ同然での売却を進めた。 安倍首相を筆頭に愛国教育に共鳴していたばずの愛国心旺盛なる政治家たちも、事の真相が明らかになるにつれて、眉を顰(ひそ)めたふりをして、自分とは関係ないと言い張り出した。なんという無節操、破廉恥。「似非(えせ)愛国教育の本質を見抜けなくて不明を恥じる」くらいのことは言えないのか。 もう一つ明らかになったのは、わが国の官僚の職業倫理の崩壊である。杓子定規(しゃくしじょうぎ)とは官僚に対する悪口ではあるが、同時に官僚の誇りでもある。政治家をはじめとする力の強い者が、法を曲げて優遇を求めてきた際、法を盾に横車を拒むことは官僚の使命だったはずである。 国会質疑でわれ関せずの不誠実な答弁を繰り返す財務省理財局長を見ていると、ナチスドイツ時代に上からの命令に従順に従い、ユダヤ人虐殺に加担したアイヒマンの生まれ変わりかと思う。自分の頭で考えることを放棄し、自分らに累が及ぶと思えば、証拠となる文書もさっさと隠滅する。 この事件は、巨悪と凡庸な悪の協奏曲だ。(法政大教授)2017年3月5日 東京新聞朝刊 11版 27ページ「本音のコラム-巨悪と凡庸な悪」から引用 凡庸な悪という言い方は、映画「ハンナ・アーレント」の中で言われた言葉の翻訳で、その意味するところは、数百万人のユダヤ人を虐殺したナチス・ドイツの高官は、悪魔の生まれ変わりのような極悪人だったのではなく、どこいでもいるような、上からの命令に絶対服従で、自分の意志で善悪の判断をしない小役人という意味である。豊中市には14億円で売った土地に隣接する同じ広さの土地を、少々ゴミが出てきたからといって、ただ同然で売って良いわけはなく、どのような経緯でただ同然にしたのか、徹底調査の上、責任者は処分するべきである。調査すれば、首相夫人が名誉校長であることの「威力」がどのように財務省の官僚に作用したのかということも判明するであろうし、また、国有地の売買契約に関わる書類を半年も保管せずに、急いで処分した理由もわかるはずである。また、籠池氏は国会の証人喚問に応じて「首相から夫人を通じて100万円、寄付をいただいた」と証言しているのであるから、それが事実なのかどうか、首相夫人を証人喚問して、厳しく追及する必要がある。自民党は、当初、籠池氏の国会招致には「民間人を呼ぶのはいかがなものか」などと言っていたのに、状況が変わると手のひらを返すように、篭池氏を呼びつけたわけだから、夫人から受け取ったと、言われた夫人のほうは、SNSに「寄付はしてません」と書いただけでお仕舞いというのでは国民の納得は得られない。
2017年03月25日
韓国に対する嫌悪の感情を煽る出版物があふれる日本について、ソウル大学教授の朴吉吉煕(パクチョルヒ)氏は、5日の東京新聞コラムに次のように書いている; 韓国に足を踏み入れたことのない日本の人たちの間にいくつかの根拠のないうわさレベルの話が流れている。右よりの雑誌や韓国を敬遠する報道のせいかもしれない。たとえば、日韓関係が悪いから日本人が韓国に行くのは危険だとか、日本語をしゃべる時は注意しなければいけないとか。本質的に日本人を嫌う韓国人はけしからんという見方も流れている。 そんなに韓国人が日本を嫌っているなら、日韓関係が緊張状態の真っただ中にあった2016年に5百万人を超える韓国人が日本へ行ったのはなぜか。15年より百万人も増えている。為替レートも後押しし、国内旅行より九州でゴルフと温泉を満喫した方が有益だから日本に足が向くのだ。韓国では高価な「久保田」や「八海山」などの日本酒を安く楽しめるので東京に出向くのだ。政府間関係にそれほどとらわれない韓国人の気質も関係しているかもしれない。 同様に、一部の偏った報道を見て、日本人が韓国旅行を避ける必要もない。韓国では日本酒の売り上げがうなぎ上りだし、村上春樹氏の小説は常にベストセラーの棚に並んでいる。街中や地下鉄で日本語で話していても、横目で見られるようなことはもはやない。少なくともソウルは英語、中国語、日本語が普通に聞こえる街になった。確かにソウルの日本大使館前の状況は厳しいものがあるが、そこから2キロほど離れた明洞(ミョンドン)の商店街では流ちょうな日本語で店員が日本人観光客に声をかける光景をよく目にする。韓国が危険な場所だという「説」は、現実とはかけ離れた作り話にすぎない。 大統領を弾劾に追い込んだのは韓国の市民によるデモであり、国会も裁判所もデモ隊の声だけを反映しようとしているという指摘は妥当か。未熟な民主主義のせいで一般市民がろうそくデモに参加し権力に抵抗しているとか、北朝鮮の画策に乗っている左派連合がデモ隊の中心だとうわさされる。しかし韓国の民主主義が限界を露呈したわけではない。権力を私物化した大統領個人の性格が問題の根源であり、韓国の民主主義そのものが揺らいでいるわけではない。むしろデモは民主主義を守るための行動であり、不健全な権力に立ち向かう市民の声である。 それを北朝鮮に影響された一部の左派が主導しているというのは、極端に曲解した見方である。韓国で過剰民主主義の問題はあるかもしれない。政治家までが一般市民と共に座り込みを行うのは望ましい姿ではない。しかし、国民の声から離れ、ひとごとのように傍観するのもいいとは言い切れまい。今月中旬とされている憲法裁判所の宣告後には、デモの流れは一変する可能性がある。多くの韓国国民の目は既に次期大統領選に向けられているからだ。万が一憲法裁判所が弾劾を棄却すれば、デモはさらに激化し、社会的混乱が続くかもしれない。しかし、それは既に権威を失った大統領に対する抵抗の表れでしかない。 韓国はリーダーシップが危機に陥り政治的混乱の渦中にある。だからといって国民の生活の全てが政治に左右されるほどもろい国ではない。有権者も政治家の言いなりになるほど受け身ではない。韓国国内の不満を外部に発散するほど節度のない国でもない。もっと現実感にあふれた隣国への理解が広がることを祈願する。(ソウル大学国際大学院教授)2017年3月5日 東京新聞朝刊 12版 4ページ「時代を読む-韓国に関するうわさ話と現実」から引用 私はサラリーマンだったころ、あまり海外出張はしませんでしたが、韓国には99年から09年にかけて、10回以上出張した経験があり、上の記事を読んでも、確かにその通りだなという印象を受けます。ソウルの町でも繁華街には日本風の看板を掲げた飲食店や居酒屋が建ち並び、若い店員さんの日本語はカタコトでも、メニューはしっかり日本語になっていて、注文するのに困ったりすることはありませんでした。私の上司は、そういう日本人向けのサービスが行き届いた店では飽き足らず、現地の人しか行かないようなハングル文字だけの看板の店に行ったことも、よくありました。そこは店頭に大きな水槽があって、魚介類が泳いでましたが、店内に入って空いてる席に座ると、お店の人は「この人たちは日本人だな」とすぐ分かったらしく、アルミ製のバケツに大小様々な貝を入れて持ってきて、「ビア? マッコリ?」と聞くのでビールを注文すると、テーブルの中央の真っ赤に燃えさかる炭火に金網をかけて、その上にバケツの貝を置いて焼いて食べるというシステムで、周囲のテーブルのお客さんがやってるのを見よう見まねで、楽しく飲んだことを思い出しました。
2017年03月24日
世の中には「国民道徳協会」というものがあって、これが教育勅語を現代語訳すると称して勝手に中身を改ざんして、元の勅語とは似ても似つかぬ内容になっているというので、「脱『愛国カルト』のススメ」というブログでは、明治の日本政府が翻訳したいわば公式の「教育勅語・英語版」を、現代語に再度翻訳して公開しています。明治の文語体の文章を現代語に置き換える場合は、訳者の主観が作用して「国民道徳協会」のように、恣意的な翻訳になる危険性が大きいわけですが、その点、英語からの翻訳であれば一定の客観性が期待できるというわけです。その結果、出来上がった現代語訳を当ブログに引用させていただくことにしました;我が皇室の先祖は、広大かつ永遠に続く理念に基づいて国を始め、美徳を深く強固にこの国に植え付けられた。我が臣民(※天皇の家臣としての国民)は、忠義と孝行によって一つにまとまっており、何世代にもわたって、その美徳を体現してきた。これは我が国の根本的性質であり、我が国の誇りであり、教育の根幹でもあるのである。お前たち臣民は、以下のことを守らなければならない。1.親孝行せよ2.兄弟仲良くせよ3.夫婦仲良くせよ4.友達に誠実であれ5.謙虚かつ温和に自制せよ6.善行をすべての人に向けよ7.学問を修め、技術を発展させよ 8.知的な才能を伸ばせ9.人格の発展に努めよ10.公益を推し進め、世の中の務めを果たせ11.常に憲法を尊重し、法を順守せよ12.緊急事態が起きたら、勇敢にその身を国家に捧げよ。以上をもって、天地とともに永遠に続く我が皇室の繁栄を守り、維持せよ。これは、天皇の忠実な臣民として務めであるだけでなく、お前たちの先祖の伝統を輝かせることでもある。以上のことは、まさに我が皇室の先祖の残した教えであり、皇室の子孫と臣民によって守られなければならない。これは時代と場所に関わらず、常に正しいことである。私(天皇)は、我が臣民とともに、この教えをしっかりと心に留め、同じ徳を成し遂げることを望む。「脱『愛国カルト』のススメ」から引用http://datsuaikokukarutonosusume.blog.jp/archives/1064876704.html?p=2 あまりものを深く考えない人は、教育勅語にも良いことが書いてあると、よく言いますが、それは上の現代語訳の「1.親孝行せよ」から「11. 常に憲法を尊重し、法を遵守せよ」を指して言っているわけです。しかし、そういう解釈はまったくの「誤解」であることは、上の現代語訳を見ることで理解出来ると思います。勅語の文章構成から言って、「1.親孝行せよ」から「11. 常に憲法を尊重し、法を遵守せよ」までの、誰もが知っている徳目を並べた目的は、「12. 緊急事態が起きたら、勇敢にその身を国家に捧げよ」を国民の心に抵抗なく受け入れさせるためです。また、この勅語の冒頭では、日本という国は皇室の先祖が始めたもので、天皇に対する忠義と孝行に欠けるものは国民ではないかのような記述は、民主主義の社会の価値観とは相容れないものであることも明らかです。しかも、「1」から「11」までに記述された「徳目」も、天皇が国民を臣民と位置づけて命令する形になっているわけですから、戦後間もなくの国会で廃止されたのは当然であったわけです。
2017年03月23日
バラク・クシュナー著「思想戦-大日本帝国のプロパガンダ」について、京都大学教授の佐藤卓己氏は、2月26日の東京新聞に次のような書評を書いている; もっぱら国内向けに善かれる昭和史本が多い。その視野狭窄(しやきょうさく)を矯正してくれる快著だ。著者はナチ占領下フランスの映画史で卒論を書き、現在はイギリスで東アジア史を講じるアメリカ人研究者である。そのグローバルな視座から、戦時宣伝のリアルが浮上する。 「戦時下日本の対外宣伝は効果が乏しかった」とする常識を評者も疑ってはいなかった。真珠湾攻撃以後の日米戦争に限っていえば、そうかもしれない。だが、それは中国や東南アジアでどう受容されたのか、日本の戦後復興にどれほど寄与したか、と時空を拡大してみると「ナチスを凌(しの)ぐプロパガンダ」の威力が確認できる。そうした宣伝の効果なくして、「十五年間にわたり安定して戦争を支持し続けた」国民意識は理解できない。日本にはヒトラーやムソリーニのような独裁者もいなかったが、独伊で発生した規模の抵抗運動も存在しなかった。 日本国民は「近代アジアのリーダー」という自己PRに積極的に参加し、戦争を主体的に選び取り、その延長上に戦後の経済成長を達成したのだという。戦後も活躍した広告技術者、知識人、芸能人、官僚の歩みを丹念に検証し、「前向き」の戦時宣伝に「成功した失敗」という秀逸な表現を与えている。戦時下でも世論調査は行われており、警察当局も民意の動向を注視していた。東条内閣退陣でも世論の影響は無視できない。だとすれば、一般大衆も「大本営発表に騙(だま)された被害者」として免責されるはずはない。 第五章「三つ巴(ともえ)の攻防」が特に興味深かった。日本の宣伝は中国人には効果なく失敗だったいうのが通説だが、それなりの影響力はあったようだ。さもなくば広大な占領地の維持は困難だった。他方で、中国やアメリカが日本人捕虜を宣伝に活用したの対して、日本は中国人捕虜を宣伝で利用することはなかった。民族的偏見を助長した「近代アジアのリーダー」という宣伝パラダイムは今日に続く問題である。(評者 佐藤卓己=京都大教授)バラク・クシュナー著「思想戦-大日本帝国のプロパガンダ」(井形彬訳、明石書店・3996円)Barak Kushner 英国ケンブリッジ大アジア・中東研究科准教授。2017年2月26日 東京新聞朝刊 9ページ「国内外で続いた宣伝効果」から引用 この本も、なかなか興味深いテーマを扱っており、斬新な論理展開が魅力的である。戦前の政府が戦争遂行のために行ったプロパガンダは、完璧に国民の心に染み渡った結果、十五年戦争の間、国民の間には目立った抵抗運動など起きなかったのは事実であり、そのプロパガンダは戦争が終わってもなお、国民の心にそのまま残り、戦後の経済成長を成し遂げる原動力となったという見方は、それほど見当違いな見方とは言えないのではないかと思います。そう言えば、東京オリンピックを目前にして東海道新幹線を成功させたのは、ゼロ戦を設計・製造した技術陣だったという話を思い出しました。
2017年03月22日
梁英聖著「日本型ヘイトスピーチとは何か」(影書房刊)について、高千穂大学教授の玉野井郁夫氏は、2月26日の東京新聞に次のような書評を書いている; なぜ日本では、他の先進諸国に比べてヘイトスピーチと差別排外主義が横行し、極右に対する罰則や規制もないのか。本書はこれらの疑問に答えるべく、現在日本で進行しつつある差別煽動(さべつせんどう)の原因を突きとめ、今後の進むべき方向を提示する意欲作である。 NGO「反レイシズム情報センター(ARIC)」の代表を務める著者によれば、かつては欧米もいまの日本と同じく差別主義の基準があいまいだったという。だが、反差別運動の高まりを背景に政府が反レイシズム政策を策定し、その後も持続的にアップデートし続けている。近年、日本でも差別排外主義の悪化に歯止めをかけるべく市民らが立ちあがった。それに応えて昨年やっと超党派の議員立法でヘイトスピーチ対策法が制定されたばかりだ。 これまで日本で野放しにされてきた要因を、著者は以下の3点に求める。それは 日本社会として反レイシズムを訴える規範の欠如、 石原慎太郎氏のような政治家や政党による「上からの差別煽動」、 そして 近年の歴史修正主義など歴史否定による煽動である。 では具体的にどうすればよいのか。まずなすべきは、反レイシズムの物さしとなる規範を作っていくことだ。差別主義の定義と典型的な事例を示し、「社会が許してはならない悪」だと明示しつつ、過去の歴史を学び歴史修正主義と決別する必要がある。差別煽動発言によって集票を目論(もくろ)む政治家も厳しく批判しなければならない。 なぜ、日本社会の構成員であるわれわれが進んで止めねばならないのか。いまレイシズムを是正し抑制できなければ、近い将来、差別煽動は流血をともなう最悪の事態を招くからだ。差別主義の横行は、マイノリティの生命と人権を脅かすに止まらない。相模原事件のように差別に基づく大量虐殺を許すこととなり、日本の社会と民主主義を根幹から破壊してしまうからだ。だからわれわれは、いますぐにでもレイシズムを止めねばならないのである。(評者 玉野井郁夫=高千穂大教授)梁英聖著「日本型ヘイトスピーチとは何か」(影書房・3240円)リャン・ヨンソン 1982年生まれ。在日コリアン。現在、一橋大学大学院修士課程。2017年2月26日 東京新聞朝刊 9ページ「許せない悪の基準を提示」から引用 私たちの日本人社会は、この記事が指摘するように反レイシズムの規範を持たずに、これまでやってきましたが、近年、遅まきながらヘイトスピーチ対処法も制定され、大阪市では条例も制定されてましたので、これからは警察は自信をもってヘイトデモを取り締まるべきと思います。また、石原慎太郎のような差別を扇動するような政治家は、もっと強く批判するべきだったと思います。若手の研究者が、このような本を出版するというのは、将来頼もしいと思います。
2017年03月21日
自民党の船田議員は森友学園の国有地格安取得の問題について、事実関係を徹底的に究明すべきであると発言したと、12日の東京新聞が報道している; 自民党の船田元(はじめ)衆院議員が自らのブログで、学校法人「森友学園」の小学校用地として国有地が格安で売却された問題について「特別の力学が働いたと思わざるを得ない」と指摘した。船田氏は、栃木県内で幼稚園や高校などを運営する学校法人「作新学院」の学院長を務めている。 ブログは6日付でタイトルは「森友学園の異常さ」。「安倍首相や昭恵夫人との関連は、自ら明らかにされることだから多くは語らない」としつつも、「『異常な事案』として、徹底的に事実関係を明らかにしなければならない」と、真相解明を求めた。 森友学園が運営する幼稚園の教育については「教育勅語や中国、韓国を敵視するスローガンを暗記させるという偏向した内容」と批判。学校法人の経営者の立場から「特定の価値観を、暗記で教え込むことは、われわれの教育とは真反対にある」とし「過去の歴史が指し示す通り、国家の崩壊は教育の崩壊から始まる。過去の轍(てつ)を踏んではならない」と懸念を示した。 船田氏は元経済企画庁長官で当選11回。現在は自民党憲法改正推進本部長代行を務めている。(金杉貴雄)2017年3月12日 12版 4ページ「森友への国有地格安売却 特別の力が働いた」から引用 船田議員は保守の政治家で、私が支持する政治家とは対局の立場の人ですが、森友学園の国有地取得の異常さや教育勅語に対する認識は、私と共通しているように思われます。幼稚園児に教育勅語を暗記させるということは、「中国や韓国を敵視するスローガンを暗記させること」と同じであるから、こういうことは教育者としてやってはいけないことであるという指摘は、大変重要と思います。
2017年03月20日
昭和23年の国会で全会一致で廃止決議がなされた教育勅語について、法政大学教授の山口二郎氏は、12日の東京新聞コラムに次のように書いている; 森友学園問題を契機に、あの幼稚園で教え込んでいた教育勅語の評価が政治問題となった。稲田防衛相が国会質疑で、「日本は道義国家を目指すという教育勅語の精神は、今も取り戻すべきだと考えている」と述べたことにはあきれた。 友達は信じ合いといった個々の教えだけを取り出して、勅語は現代にも通用すると主張するのは、勅語の評価を根本的に誤っている。教育勅語の本質は、戦前の日本において天皇こそあらゆる道徳の源泉であることを宣明している点にあり、一般国民、あるいは臣民には天皇のために命を投げ出すことが美徳だと押し付けている。 聖書や論語にも人倫が書いてあるのだから、同様の人倫を謳(うた)っている教育勅語も尊いという議論も、見当違いである。キリスト教や儒教を信じるかどうかは個人の自由である。しかし、戦前の日本では勅語を否定する者は非国民として排斥されたのである。 安倍首相は同盟国を訪問するたび、民主主義、基本的人権などの価値観を共有すると言う。これらの価値観と教育勅語は絶対に相いれない。防衛相が教育勅語を復活させたいというなら、それは安倍首相の価値観に対する挑戦である。深刻な閣内不一致であり、首相は防衛相を罷免すべきである。あの戦争の甚大な犠牲の上に確立したはずの国民主権はいったい何なのだ。(法政大教授)2017年3月12日 東京新聞朝刊 11版 27ページ「本音のコラム-教育勅語」から引用 私の認識では安倍首相も教育勅語については稲田大臣と同じ考えをもっているのではないかと思いますが、山口先生の場合は、安倍氏の本音よりも同盟国訪問時の安倍氏の発言を引き合いに出して、稲田大臣の発言との矛盾を指摘しています。これは、山口先生が仰るとおり、重大な閣内不一致ですから、野党は是非追及してほしいと思います。 教育勅語と聞いて私が思い出すのは、70年代に歴史家の羽仁五郎氏がとある日教組の集会に招かれて講演した後、参加者からの質問で「教育勅語はだめと言われるが、良いことも書いてあるのではないでしょうか」と言われたことがあった。その質問の主に「あなたは何を教えてますか」と聞くと「数学です」との答えだったので、「それでは、あなたに質問しますが、例えば数学の教科書に『朕思うに、三角形の内角の和は二直角である』と書いてあったら、あなた、どう思いますか」と問うと「あ、それは確かにマズイです」ということで一件落着したというエピソードです。「仲良くしろ」とか「信じ合いなさい」とか、断片的に言葉を拾うのではなく、文章全体の読解力を、右翼のみなさんには身につけてほしいと思います。
2017年03月19日
稲田防衛大臣が教育勅語を評価する発言をしたことを、弁護士の渡辺輝人氏は10日の「Yahoo ニュース」で、次のように厳しく批判している; 稲田朋美・防衛大臣が3月8日に参議院予算委員会でした発言について、筆者は強い衝撃を受けました。 「教育勅語の精神である親孝行など、核の部分は取り戻すべきだと考えており、道義国家を目指すべきだという考えに変わりはない」(NHK)「教育勅語がいっているところの、日本が道義国家を目指すべきという、その精神をそれは目指すべきだという考えは変わっていないと」(日テレ) また、稲田氏は、2006年の月刊誌の対談で「教育勅語を素読している幼稚園が大阪にある。適当でないと文科省がコメントしたそうだが、どこがいけないのかと文科省に聞いた」と語っていたことも認めました(東京新聞)。この「幼稚園」とは現在、国有地取得が問題となっている森友学園が運営する塚本幼稚園のことと「推測される」(同記事の稲田氏の発言)とのことです。いずれも福島みずほ議員(社民党)の質問に対する答弁です。 ◆教育勅語の要=全ての臣民に“心臓を捧げよ” もともと、教育勅語は、1890年(明治23年)10月30日、明治天皇が山県有朋総理大臣らを官中に召して「下賜」(高貴の人が下の人に物を与えること)したものです。教育勅語の全文は以下の通りです。 (途中省略 : 原文ではこの位置に教育勅語全文が記述されておりました。) 教育勅語に書き込まれた12の徳目については「良いことが書いてあり評価すべき」という意見もあるようですが、例えばそのうちの一つである「夫婦相和シ」(夫婦仲良く)というのは、それ自体は良いことでしょうが、これを「臣民」(国民)が天皇に命令されるとなれば大変なことで、基本的人権を侵害することにもなるでしょう。他の徳目についても、誰かエライ人に強制されるべきものではありません。 そして、徳目の最後は「一旦緩急アレハ義勇公ニ奉シ以テ天壌無窮ノ皇運ヲ扶翼スヘシ」でくくられています。これは、非常事態においては、正義と勇気をもって公に奉仕し、永遠に続く皇運(皇室の運命)を助けなさいというというような意味のものです。明治憲法における主権者は天皇だったので「公」もまた天皇のことを指すといって過言でないでしょう。筆者も愛読している例の進撃する漫画の言葉を借りて言うなら、全国民に向かって、天皇陛下に「心臓を捧げよ」と言うがごときものです。漫画の中の軍隊ならそれでいいのでしょうが、現実世界の国民に向かってそのようなことを命令されてはたまったものではありません。 ◆日本国憲法の下で国会が「排除」「失効」を決議 このような教育勅語は、1948年(昭和23年)に、衆参両院で「排除」「失効確認」の決議がなされています。「仕事柄、国会議事録をよく調べる」筆者が調べたところでは、以下のようになっています。衆議院でも、参議院でも、全会一致で可決されています。 ===<教育勅語等排除に関する決議> 民主平和國家として世界史的建設途上にあるわが國の現実は、その精神内容において未だ決定的な民主化を確認するを得ないのは遺憾である。これが徹底に最も緊要なことは教育基本法に則り、教育の革新と振興とをはかることにある。しかるに既に過去の文書となつている教育勅語並びに陸海軍軍人に賜りたる勅諭その他の教育に関する諾詔勅が、今日もなお國民道徳の指導原理としての性格を持続しているかの如く誤解されるのは、從來の行政上の措置が不十分であつたがためである。 思うに、これらの詔勅の根本理念が主権在君並びに神話的國体観に基いている事実は、明かに基本的人権を損い、且つ國際信義に対して疑点を残すもととなる。よつて憲法第九十八條の本旨に從い、ここに衆議院は院議を以て、これらの詔勅を排除し、その指導原理的性格を認めないことを宣言する。政府は直ちにこれらの詔勅の謄本を回収し、排除の措置を完了すべきである。 右決議する 出典:昭和23年6月19日 衆議院本会議===<教育勅語等の失効確認に関する決議案> われらは、さきに日本國憲法の人類普遍の原理に則り、教育基本法を制定して、わが國家及びわが民族を中心とする教育の誤りを徹底的に拂拭し、眞理と平和とを希求する人間を育成する民主主義的教育理念をおごそかに宣明した。その結果として、教育勅語は、軍人に賜はりたる勅諭、戊申詔書、青少年学徒に賜はりたる勅語その他の諸詔勅とともに、既に廃止せられその効力を失つている。 しかし教育勅語等が、あるいは従来の如き効力を今日なお保有するかの疑いを懐く者あるをおもんばかりわれらはとくに、それらが既に効力を失つている事実を明確にするとともに、政府をして教育勅語その他の諸詔勅の謄本をもれなく回収せしめる。 われらはここに、教育の眞の権威の確立と國民道徳の振興のために、全國民が一致して教育基本法の明示する新教育理念の普及徹底に努力を致すべきことを期する。 右決議する。 出典:昭和23年6月19日 参議院本会議=== 例えば、衆議院の決議は「これらの詔勅の根本理念が主権在君並びに神話的国体観に基いている事実は、明かに基本的人権を損い、且つ国際信義に対して疑点を残すもととなる。」としたうえ、「この憲法は、国の最高法規であつて、その条規に反する法律、命令、詔勅及び国務に関するその他の行為の全部又は一部は、その効力を有しない。 」とする憲法98条の本旨に基づいて「排除」を決議しています。 現に明治憲法と教育勅語の下で教育を受けてきた国会議員たちが、自民党の先達にあたる保守系の議員も含め、全員で、教育勅語が日本国憲法に反すると考え、「排除」「失効確認」の決議をしたことは極めて重要です。 ◆稲田防衛大臣を罷免すべき 教育勅語の「核の部分を取り戻すべき」という稲田氏の発言は、日本国憲法を尊重し、擁護する義務(憲法99条)を負う国務大臣や国会議員(公務員)の立場とは、決して相容れないものでしょう。また、昭和23年の段階で国会が「今日もなお國民道徳の指導原理としての性格を持続しているかの如く誤解されるのは、從來の行政上の措置が不十分であつたがためである。」と指摘する点は、稲田氏の発言にそのまま当てはまるでしょう。稲田氏の発言は、このように「排除」「失効」を決議した国会の意思にも反するもので、国会に対して責任を負うべき国務大臣の立場とも相容れません。菅官房長官は「稲田氏の私見」で済まそうとしていますが、とんでもない話です。国務大臣として答弁席に立って答弁した発言が「私見」で済む訳がありません。 稲田防衛大臣については、このほかについても、国民に情報公開すべき公文書である南スーダンの自衛隊の活動日誌を違法に隠匿した疑いもあります。国会で、自衛隊員が命の危険にさらされている南スーダン情勢が議論になる中で、現実に存在した日誌(そこには自衛隊員が置かれた危険な状況が克明に記録されていました)を「ない」と言い続けた責任は極めて重いものがあります。もはや、日本国憲法の下で、国民や自衛隊員の命を預かる防衛大臣の任に堪えないことは明白でしょう。安倍首相は、即刻、稲田防衛大臣を罷免すべきです。YAHOO! Japan ニュース 2017年3月10日 「稲田防衛大臣を即刻罷免すべきである」から引用https://news.yahoo.co.jp/byline/watanabeteruhito/20170310-00068538/ 戦争に負けた3年後に、衆議院では教育勅語が基本的人権を損なうとの理由で廃止され、参議院でもそのことが確認されました。そのような事実を無視して稲田防衛大臣が「核の部分を取り戻す」などと言うのは、国会軽視であり許されるものではありませんから、安倍首相は内閣の責任者として防衛大臣を更迭するべきです。ただ、ちょっと気になるのは、安倍氏もこと教育勅語については稲田氏と同じ考えだったのではないかという懸念があります。もしそうであれば、これは防衛大臣のみならず首相も同罪ということで、一緒に更迭しなければならないのかも知れませんから、野党はその辺をしっかり押さえた上で、徹底追及してほしいと思います。
2017年03月18日
トランプ政権が出来て以降、駐日アメリカ大使が不在になっている問題について、2月26日の東京新聞は次のように報道している; 米国のトランプ政権の大使人事が迷走している。自ら出演したテレビ番組で「おまえは首だ」が決まり文句だったトランプ氏は、それを大統領としても実践。先月の就任時に、前政権が政治任用で登用した大使全員を解任した。後任の見通しがないままの一斉解任は前例がない。日本を含む多くの国で、米国大使の不在が続いている。(鈴木伸幸) 米国務省のホームページにある日本関連の情報をまとめた「Japan Page」。駐日大使の欄には「現在、空位」となっている。大使が不在なのは日本だけではない。トランプ大統領が見直しを宣言している北米自由貿易協定(NAFTA)の加盟国であるカナダ、さらにはドイツ、フランス、イタリア、韓国などといった重要な同盟国でも不在だ。 共和、民主の二大政党がある米国では政権交代時、行政府で約4千人の職員が入れ替わる。だが、今回はいまだ、大半のポストが空席のまま。トランプ氏の政策は大まかには保護主義と孤立主義で、共和党候補だったとはいえ、党の主流派とは考え方が違い、従来通りの人選が難しいからだ。 就任に上院の承認が必要な549の上級官僚や大使などの重要ポストについて、追跡調査している米紙ワシントン・ポストによれば、承認されたのは国防長官など極めて重い14ポストにとどまっている。 海外の大使ポストでは46が空位のまま。そのうち、英国、中国、イスラエルの3カ国は指名されて上院の承認待ち。日本を含む43ポストについては指名もされていない。 大使が交代期に空位となることは珍しくはない。空位の間も、職業外交官が臨時代理大使となるので「通常の実務にはあまり影響はない」(国務省職員)といわれる。とはいえ、関係国において、外交上の象徴的存在でむある大使の長期不在は望ましくはない。 このため、政権交代時も後任が決まるまでの大使留任はしばしばある。米メディアでは「外交パイプの欠落は安全保障上、潜在的な危険になる」といった懸念も上がっている。 駐日大使の場合、人気のあったキャロライン・ケネディ氏の後任は誰なのか。 経営コンサルタントとして日本で働いた経験もある実業家のウィリアム・ハガティ氏の起用が先月、報じられた。政権移行チームも認めていることから、手続きは進められているとみられる。しかし、ジェームズ・マティス国防長官の来日やワシントンでの日米首脳会談で、安保問題は現状維持、経済問題はホワイトハウス主導が早々と打ち出された。これらは大使不在の長期化を想定しての対応という観測も流れている。 大使の一斉解任にみられる独断専行のトランプ流手法には、国務省内でも反発が強く、辞職者が相次いでいる。元国務省職員で米ジョンズ・ホプキンス大学のウィリアム・ブルックス教授は「トランプ氏は権力をホワイトハウスに集中し、専制的にやろうとして混乱を招いている」と批判。 ハガティ氏についても「大使として儀礼的な仕事はこなすだろうが、ワシントンでは無名であり、外交上の影響力は行使できないのでは」と指摘する。 ブルックス教授は「日米関係は比較的、成熟しているし、トランプ政権は対日政策で今のところ穏健。大使不在は大きな、問題ではない。ただ、政権交代で空席となった行政府の約4千人の人選には、あと1年はかかる。駐日大使も赴任まではまだ、時間がかかるのではないか」と予測した。2017年2月26日 東京新聞朝刊 11版 28ページ「米大使不在 いつまで」から引用 今どき、民主主義先進国のアメリカで権力をホワイトハウスに集中して専制的な政治をやろうなどというのでは、誰もが愛想を尽かすのも無理はありません。4年の任期の内、最初の一年を空席になった4千人のポストの人選に当てるとは、随分悠長な話で、そんな調子でやっていけるものなのか、大変不思議に思います。
2017年03月17日
トランプ米大統領のポリティカル・コレクトネスを無視した悪政による大混乱について、ジャーナリストの木村太郎氏は、2月26日の東京新聞に次のように書いている; このコラム、今週も「トランプ通信」になることをお許しいただきたい。 トランプ米大統領とマスコミや情報当局との対立がエスカレートする中で、最近「ディープ・ステート」という言葉が、保守系の米マスコミで盛んに見聞されるようになってきた。 ■米国にも「関東軍」 あえて訳せば「深みの国」か。表面からは見えないところでうごめき、政府の統制に従わない「国の中の国」のような存在をいうもので、日本ならば戦前満州で本国の命令を無視して暴走した関東軍と言えば分かるかもしれない。 きっかけは、今月15日のウォールストリート・ジャーナル紙電子版が「米国の情報当局者は極秘情報をトランプ大統領には渡らないよう隠している」と報じたことだ。その理由として同紙は、トランプ大統領が極秘情報をロシア側に漏らすのを関係者が恐れてのことと伝えた。 ■反政府派の抵抗? これに反応したのが保守系のニュースサイトで、現在ホワイトハウスに最も近いとされる「ブライトバート・ニュース」は、先に米連邦捜査局(FBI)がフリン前大統領補佐官の電話の盗聴記録をマスコミに流し、同補佐官を辞任に追い込んだことと関連させ「深みの国の抵抗が始まった」と見出しにこの言葉を使った。 この言葉、情報機関のマスコミヘの情報漏えいに神経をとがらせていた保守系勢力にとって、その陰謀説を一言で説明できるのでまたたく間に広がった。 「この『深みの国』はオバマ前大統領派の影の政府で、情報機関やマスコミだけでなく司法や政府関係者にもつながっており、あらゆる手段を使ってトランプを大統領の座から引きずり降ろそうとしている」 保守派の代表的なラジオ・トークショーのホストで全米に1300万人のリスナーがいるラッシュ・リンボー氏は、19日フォックス・ニュースの番組に出演してこう語った。 ■保守派は問題視 今のところ問題にしているのは保守系のメディアや論客たちだが、反トランプ派の中には「深みの国」を逆に肯定的に見る向きが出始めている。 「憲法に沿った統治が良いに決まっているが、ことここに至っては『トランプの国』よりは『深みの国』を選びたい」(共和党でトランプ降ろし急先鋒(せんぽう)のビル・クリストル氏) 「情報機関の関係者は米国憲法と国家に忠誠を誓った以上、違法であっても国家のためなら情報漏えいは正当化される」(元CIA職員で無所属で大統領選に立候補したエバン・マクマリン氏) どこまでが真実かは定かではないが、とりあえずは米国にも「関東軍」が存在するかもしれないと考えて、トランプ大統領関連のニュースは米情報機関や主要マスコミの情報をうのみにせず、保守派のニュースサイトなどで裏を取るようにしている。(木村太郎、ジャーナリスト)2017年2月26日 東京新聞朝刊 11版S 5ページ「太郎の国際通信-トランプの国か『深みの国』か」から引用 この記事は大変わかりにくい。その原因は、反トランプ派を例えるのに「関東軍」を持ち出しているためだと思います。戦前の日本では「関東軍」が、東京の政府を無視して暴走したために、結局国を滅ぼす結果になってしまいました。しかし、現在のアメリカを見ていると、国を滅ぼしそうなのはトランプ大統領であって、反トランプ派は大統領の暴走を極力阻止して国が被る打撃を最小限にしようと努力しているように思えるからです。人件費が高いアメリカから安いメキシコに工場が引っ越しするのは、経済原則に則った自然な現象であって、これをアメリカの雇用が失われないように引っ越しを許さないという横車を押せば、その企業は国際競争力を失い、しまいには企業生命を失うことにもなりかねません。また、アメリカの歴代政権は異人種、異文化の人々が互いに差別をしないで共生していく方向に努力してきたのに、トランプ氏は露骨に差別する政策に熱心で、本来は人種や文化の違いを問題としないで、個々人の能力を重視して発展してきたアメリカの企業活動に対し、トランプ氏の政治姿勢は重大な支障を招く危険性があります。したがって、「関東軍」というレッテルはトランプ大統領とその支持派に与えられるべきであって、反トランプ派ではないだろうと思います。
2017年03月16日
アメリカの「大統領令」と司法の対応について、青山学院大学客員教授の岩渕潤子氏は、2月26日の東京新聞コラムに、次のように書いている; トランプ米大統領の就任式に世界中の関心が集まっていたころ、日本国内では文部科学省の天下り問題が報じられた(1月21日朝刊社会面「大学再就職 5年で49人」)。その後も続報が相次ぎ、「天下り『隠蔽(いんペい)マニュアル』調整役OBの『名前出さず』」(2月22日朝刊1面)などの事実解明に至っている。 多くの人がこの間題にうすうす感づいてはいたが、口に出すことがタブー視されてきた。受け入れ側の大学への取材を含め、この機会に徹底的な解明を望みたい。ただでさえ少子高齢化する日本で、大学は国際的な競争力を失いつつある。「国立大は文科省の植民地」(1月27日朝刊1面)となることなど許されない。 一方、日本でも、新聞各紙が毎日のようにトランプ米大統領の話題に大きく紙面を割いていることも無視できない。 私が注目してきたのは、イスラム圏7カ国の一般市民の入国を禁止する米大統領令にトランプ氏が署名し、米国内外で抗議の声が上がり、この大統領令が憲法違反だとして、ワシントン州などが差し止めを求める訴訟を起こしたことだ。早くも2月3日、同州シアトルの連邦地裁が全米で大統領令の一時差し止めを命じる決定を出した(2月4日夕刊1面)。米政府側は直ちに抗告したが、米連邦高裁は入国禁止差し止めを支持した。 状況が目まぐるしく変わる上、日本人にとってはなじみのない米国の大統領令、司法制度なので、「米の入国禁止令 司法がブレーキかけた」(14日朝刊社説)は読者にとって分かりやすい解説になっていた。「解剖 トランプ新政権」(1日夕刊3面)、「トランプ米政権1カ月 権力偏り 混沌(こんとん)」(20日朝刊核心)のような記事も、一日中ニュースを見ていられるわけではない読者にとっては、ありがたいまとめ記事だったといえよう。 今年は、米西海岸の日系人を内陸の収容施設に強制移住させる大統領令に「当時のルーズベルト大統領が署名してから75年の節目だ。米国内では、日系人排斥の歴史に学んで、特定の国や宗教を名指しして入国を禁止するような過ちを繰り返すな、という声が上がっている。 日系人の強制収容は憲法違反であると訴え、戦時下では連邦最高裁で敗訴したものの、1982年に再度訴訟を起こし、翌年、名誉回復判決を勝ち取った故フレッド・コレマツ氏の長女カレンさんに取材した「大統領令と闘った日系父の思い」(2月9日朝刊)、「日系人収容75年 米首都で特別展」(2月18日夕刊)は、第二次大戦で、日本人の血を引いているというだけで苦難を強いられた日系米国人の経験を、日本人に伝える上で重要な内容だった。(青山学院大客員教授)2017年2月26日 東京新聞朝刊 11版S 5ページ「新聞を読んで-大統領令と闘う人々の声を」 私たちの日本が民主主義の師と仰ぐアメリカにおいてさえ、日系人の強制収容が違法であることを認めるのに40年近い歳月を必要としたという事実は、ポリティカル・コレクトネスの実現が如何に困難であったかを示唆しているように思います。しかしながら、今日のアメリカでは、人権を蔑ろにする可能性のある大統領令に対し、司法が直ちに差し止め命令を出すまでになったのは、民主主義の進歩と言えるかも知れません。これからもますます発展することを期待したいと思います。
2017年03月15日
トランプ大統領が中東・アフリカ7か国からの入国を禁止した大統領令を出したら、裁判所がストップをかけたという事例について、東京大学教授の宇野重規氏は、2月26日の東京新聞に次のように書いている; さすがのトランプ氏も米大統領になれば、少しは現実的になるだろう、そんな期待が吹き飛ぶこのひと月であった。メキシコとの国境に本当に壁を築こうとしたかと思えば、電話会談でオーストラリア首相と険悪な雰囲気になるなど、話題に事欠かない。メディアとの対立や人事の混乱などは、もはや織り込み済みの印象さえある。 しかし、やはり注目すべきは、テロ対策を理由に中東・アフリカ7カ国からの入国を禁止した大統領令であろう。各地の空港で入国禁止となった人々が拘束され、これに対する抗議活動が相次ぐなど、世界的混乱をもたらした。ワシントン州の連邦地裁は早速、大統領令の一時差し止めを命じ、不服とするトランプ政権の控訴も、連邦高裁で却下されている。 はたしてこの裁判は連邦最高裁まで行くのか。新しい大統領令を準備するかを含め、トランプ政権はどのように巻き返していくのか。当分の間、この問題から目を離せない。しかしながら、ここでは少し日々の報道を離れて、原理原則の問題について考えてみたい。 そもそも日本の読者にすれば、大統領の下した命令に対し、州の司法長官が違憲と訴え、裁判に持ち込まれるということ自体が不思議な光景であろう。日本に置き換えてみれば、国の判断に対し、県が違憲訴訟を起こすようなものである。さらには、裁判所が即座に判断を下し、結果として国の法令の効力が一時停止されるというスピード感も、司法が国に対してなかなか積極的に判断を下さない日本と比べ新鮮である。 トランプ大統領自身、このことに対し、「ばかげている」と怒りを隠さない。実際、彼を支持する世論も少なくない。とはいえ、ここには米国独自の連邦制と三権分立に対する無知と誤解がある。 米国においては連邦よりも州の方が、歴史が古い。州はその主権を保持しており、連邦憲法に認められた権限だけを連邦に委ねているにすぎない。連邦がやりすぎたと思えば、州は違憲訴訟を起こすことを躊躇(ちゅうちょ)しないのである。 さらには厳格な三権分立である。日本では学校の教科書で学ぶばかりで、なかなかリアリティーを感じられないこの仕組みが、米国では存在感を発揮する。今回の大統領令の停止についても、合法的に米国に入国する権利を持つ市民の権利を不当に侵害するものとして、法のしかるべき手続きを踏んでいないと判断された。 背景にあるのは立憲主義の思想である。仮に民主的なものであれ、権力が下した判断が個人の人権を不当に侵害することは許されない。いっときの世論の判断と、憲法によって保障された権利がぶつかった場合、その対策を示すのが立憲主義の精髄である。 裁判所に基づく大統領令の一時停止は、立憲主義と民主主義の衝突を意味する。いわば立憲主義が一つのストッパーになって、民主主義の暴走を防ぐのである。もちろん、司法権は絶対ではないし、権力の側からの巻き返しもあるだろう。しかし、少なくとも、司法権の判断によって時間を稼ぎ、その間に立憲主義と民主主義のすりあわせを行うことが可能になる。一定の民意の支持を得たトランプ政権の暴走が今後も続くとすれば、ますます立憲主義の持つ意味は大きい。三権分立の意味をあらためて考えてみる必要があるだろう。(東大教授)2017年2月26日 東京新聞朝刊 12版 4ページ「時代を読む-米国の立憲主義」から引用 今までは、一般論として議院内閣制で選出される首相よりも、国民の投票で選出される大統領のほうが絶大な権力を持っていると言われていたような気がするのであるが、トランプ大統領をみていると、あまり強い権限はないみたいで、何かやろうとするとメディアも司法も直ちに「それはダメ!」という。それに比べて、トランプ大統領をはるかに凌ぐ暴走をがんがんやってるのが、日本の安倍首相である。なにしろ、安倍首相に服従しない議員は次の選挙で党の公認をもらえないという致命的な弱点を握られているのに、アメリカの共和党の場合は、トランプ大統領に協力的でなくても、党の公認がもらえないなどという問題は存在しない。だから、共和党の実力者は誰もトランプ氏に協力しないで、「早くつぶれろ」とばかりに傍観するのみである。ところが、安倍首相の場合は、与党議員の首根っこを押さえているばかりか、最高裁の人事権も握っており、裁判所も完全に支配下においており、さらに報道機関の経営者にも酒や食事をおごって批判的な報道が過熱しないように要所を押さえてある。したがって、どう見ても安倍首相の日本を支配する「力」のほうが、トランプ大統領がアメリカを支配する「力」よりも勝っているように私には見える。
2017年03月14日
政府が共謀罪法案を国会に提出する準備を進めていることに関連して、日本の警察が国民の人権を守ることにどの程度熱意を持ってきたかを、法政大学教授の山口二郎氏は、沖縄の基地反対運動で不当に拘束されている山城博治氏の例を挙げて、次のように述べている; 安倍政権は、いわゆる共謀罪を盛り込んだテロ等準備罪の法案を3月にも閣議決定し、国会に提出する方針だと新聞は報じている。 この法案の危険性は本紙をはじめ、多くのメディア、識者が指摘している通りである。行いの正しい普通の人には適用されないと政府は言うが、それが信用できるかどうか。わが国の捜査機関、裁判所が今まで人権を守ることに、どの程度の熱意を持ってきたかを検証する必要がある。 まず、警察・検察は過去の冤罪(えんざい)事件について真剣な反省はしておらず、しばしば結論ありきの捜査によって、人権を侵害している。 沖縄では基地反対運動のリーダー、山城博治氏を公務執行妨害、器物損壊などの容疑で繰り返し逮捕し、4カ月にわたって勾留している。これは警察の狙いが犯罪行為を追及することになく、政府に逆らう思想を抑圧することにある一例だ。 裁判所という機関は、警察・検察の捜査についてほとんど何の歯止めにもなっていない。山城氏の例でいえば、証拠隠滅や逃亡の恐れは毛頭ないわけで、長期間拘束する理由は全くない。にもかかわらず、裁判所は警察の言い分を漫然と正当化するだけである。 共謀罪とは政府、司法が共謀して、為政者にたてつく「不逞(ふてい)の輩(やから)」を弾圧するための新たな道具だと私は考えている。(法政大教授)2017年2月26日 東京新聞朝刊 11版 29ページ「本音のコラム-共謀罪の真意」から引用 共謀罪法案は、これまでに3回も廃案になった札付きの悪法ですから、今回もこれは国会を通すべきではありません。この度の国会では、政府と野党の論議の中でテロの取り締まりに必要な法律だとか、オリンピックを安全に開催するのに必要だのと、まことしやかに言われてましたが、いざ法案が出来上がってみると、「テロ」の「テ」の字も書かれていなかったという事実は、官僚が国会の議論を全く軽視している証拠で、野党も国民も完全になめられているということです。テロの取り締まりやオリンピックの安全確保は、現在の法体制で十分であるとの識者の声もあり、私たちは自信をもってこの法案をもう一度廃案にするべきです。それにしても、何故政府はこういう悪法をしつこく提出してくるのか、という疑問に対し、一部の専門家の間では「近年日本の社会では犯罪の発生率が年々減少傾向にあり、警察官の数が余剰になり始めているため、今までは警察のパトロールの対象ではなかった項目も対象に入れていかないと、警察官の仕事がなくなるからだ」という見方もあり、それが本当だとすると、ますます市民の人権が損なわれる危険性が高まるおそれがあり、この法案は、やはり廃案にするしかないと思います。
2017年03月13日
東京工業大学教授の弓山達也氏は、2月19日の東京新聞コラムに、日本人社会の外国人に対する態度について、次のように書いている; トランプ米国大統領の7カ国入国拒否が国際的に大きな波紋を投げかけている。しかし、私たちがそもそもこの問題を批判がましく語ることができるのだろうか。1日の「こちら特報部」では、大統領令に対する在日イスラム社会の動揺を伝え、「浮かぶ日本の排外主義」の見出しのもと、日本の難民受け入れの狭量さを鋭く指摘。「トランプ氏 批判できる立場にない」とする。 この狭量さは難民に対してだけではない。同じ「こちら特報部」では大阪府・市の朝鮮学校への補助金不交付をめぐって、取り消しを求めていた学校側の訴えを退けた裁判を取り上げ、「司法までも朝鮮学校をつぶしにかかっている」と学校理事長の怒りをしるす(10日)。 11日は学校給食でイスラムの戒律に従った食事への配慮を求めたインドネシア人女性に対して、ネット掲示板で次々に誤解に基づく批判が書き込まれたことを報じている。 排外主義やヘイトスピーチというと、私たちとは縁遠い特殊な考え方や行動のように感じるが、「日本がなんで朝鮮学校を支援する必要があるんだろう」「日本の習慣にしたがえよ」と、素朴な不寛容さが浮き彫りになった形だ。 記事で取り上げられたモスクに何度か訪問したことがある。出身も言語も異なる人々が集まり、誰彼なくあいさつをし、定刻になると同じ所作、同じアラビア語で祈りをささげる姿には、敬虔(けいけん)さ、そして美しさすら覚える。 信仰に基づく相互扶助や国境を超えた開かれた意識に、国民の大半が無宗教の私たちは戸惑い、しかしいたるところで「絆」というスローガンを掲げ、国際化をうたうのならば、そこから学ぶことも多いはずだ。 もちろんそうした異なる多様な文化が交わるところに何か可能性を感じている向きはある。「トルコから逃れ埼玉・川口に クルド人 食通じ地域交流」(1月25日)は、交流会を通して日本人参加者が一方的に支援する側にいるだけでなく、国際問題を考えるきっかけを得ていることを伝える。 東京・山谷の簡易宿泊所街には、外国人バックパッカー用のエコノミーホテルができている。「山谷宿泊の外国人旅行者 商店街に足運んで」(2月8日)は、周辺商店街の外国人呼び込みの試みを紹介する。 異なる価値観やライフスタイルを受け入れることば難しく、自分がそれに合わせなければならないとなると、さらに抵抗がともなう。しかし他者との出会いと受容は、他者を利するだけではなく、私たちの生活やものの考え方をも豊かにする。そのための小さな勇気を持ちたい。(東工大教授)2017年2月19日 東京新聞朝刊 11版S 5ページ「新聞を読んで-他者受け入れる小さな勇気」から引用 イスラム圏については、私たちは日頃テレビや新聞で十分な情報を得ているわけではないので、「イスラム」と聞けばなんとなく「テロ」を連想するという極めて精神的に貧困な状態にあるのだと、この記事を読んで、思いました。この記事が指摘するように、モスクで礼拝するイスラム教徒といっても、国籍も言語も異なる人々が、誰彼なくあいさつをし、定刻になると同じ所作で祈りをささげているという、イスラム圏の中では人々は既に国境を越えて活動するという「人間関係」ができているのは、カルチャー・ショックのように思います。イスラムの社会をもっとよく理解するために、メディアはさらに情報提供をしてほしいと思います。
2017年03月12日
昨日の欄に引用した記事の続きは、「病床日誌」の一部を紹介し、現代の自衛隊にも同様の問題があり得るとして、次のように報道している; 埼玉大の名誉教授、清水寛氏と細渕富夫教授(近現代障害者療育史)は、国府台陸病の病床日誌を研究し「日本帝国陸軍と精神障害兵士」を記した。 病床日誌は、兵士の氏名、生年月日、出身地、家族構成、前職などの身上書のほか、病の原因分析や医師との会話、本人の手記などからなる。上官のしごき、戦闘での恐怖、罪悪感・・・。病床日誌は、20代の青年たちの破壊された心の傷が克明につづられている。 三重県出身で、前職が農業だった兵士は中国北部の討伐作戦で、右足に被弾し、心を病む。医師は原因を 「仙翁山付近ノ戦斗(せんとう)二於テ多数ノ部下ヲ失ヒシコトト一名ノ行方不明者ヲ出セシコトニ甚シク気ヲ病メル」 と記した。敵が迫る声、銃声などの幻聴、頭痛に苦しんだ。 長野県出身で19歳で発病した兵士は手記を残した。 「早ク中隊ニカエリタイ ミナサンハオレガヨンデモ シジヲシテクレナイ カナシイ ミミガスコシモキコヘナイ アタマノワカラナイノガカナシイ」 山形県で郵便局員だった兵士は、医師に打ち明けた。 「河北省二居夕時隣接部隊ガ苦戦シ自分ラガ応援ニ行ッタ 隣接部隊ノ兵ガ沢山(たくさん)死ンデイタ ソノ時部隊長ノ命令デ附近(ふきん)ノ住民ヲ7人殺シタ 銃殺シタ」「特二幼児ヲモ一緒二殺セシコトハ自分ニモ同ジ様ナ子供ガアツタノデ余計嫌ナ気ガシタ」。 不眠となり、風呂でも廊下でも誰かが襲ってくるという強迫観念におびえ続けた。 細渕氏は「国府台の医師は優秀だった。このような記述は当時、問題視されたかもしれないのに、残さねばという使命感があったのだろう」と推量する。 戦後、長く広く語られてきた戦争体験は視覚的な説得力があった。細渕氏は言う。「空襲や原爆の被害は外傷で悲惨さを目の当たりにする。しかし、外見は普通でも、戦争で心が傷ついた兵士はひた隠しにされ、ほとんど語られてこなかった。だからこそ、この貴重な資料を残す意味がある」 第二次大戦で戦時神経症を患った元兵士は今も存在する。頼れる親類もなく、70年間、入院し続ける人さえいた。彼らは戦傷病者特別援護法(戦特法)に基づき、国から医療費の給付を受けている。厚生労働省によると、2015年度に医療費が交付されたのは197人で、うち精神疾患は11人だった。彼らはまだ戦争の中にいる。細渕氏は「戦特法が復活する世の中になってはいけない」と訴える。 1983年から浅井氏に師事し、病床日誌を研究した清水氏は2000年代、生存する患者9人を訪ねた。「ある患者は新兵訓練として中国人を殺害したことが、ずっとトラウマ(心的外傷)になっていた」。また「植民地の朝鮮から召集され、精神を病み、00年に亡くなつた患者も忘れられない」と話す。入院中の様子を知りたいという遺族の要請で膨大なカルテを読むと、夜中に突然「アイゴー」と泣きだし、両手で自分の頭をたたいたり、浴室のガラスを破壊したとして拘禁されていた姿が明らかになった。 清水氏の研究の原点はシベリア抑留から戻り、精神を病んだ父親だ。「道端の馬フンを拾ってきて『ひろし、ロスケのパンだ、食べろ』と言った。自分の名前も家族も分からないのに、最晩年は夜中に跳び起き『ソ連軍が来るから逃げろ』と叫んだ」。一気にまくしたてた清水氏は語気を強めた。「殺し殺されの体験をすると人生で二度苦しむ。一度目はその直後、二度目は死ぬ間際だ。心に深く刻まれた恐怖が弱った体によみがえる」 政府は15年、インド洋のテロ対策に伴う補給活動やイラクの人道復興支援活動に派遣された自衛官のうち56人が自殺したと公表した。清水氏は警告する。「一人自殺者がいれば十人の精神障害者がいるというのが僕の実感だ。自衛隊で、おびただしい精神障害者がつくられようとしている。政府はいち早く自衛官の精神障害の実態を調べ公表するべきだ。これは80歳を超えた私の遺言だと思ってほしい」<デスクメモ> 南スーダンに派通された自衛隊員が「戦闘」と表現した現地情勢を、稲田朋美防衛相は「武力衝突」と言い張る。なぜなら「憲法上問題になるので」。自分の都合で言葉をごまかす政府に、危険な命令を出す資格はない。兵士たちの心の病をひた隠して暴走した旧日本軍と何が違うのか。(洋)2017年2月19日 東京新聞朝刊 11版 27ページ「戦争による『心の破壊』繰り返すな」から引用 シベリア抑留で精神を病んだ父親が、道端の馬フンをひろってきたというエピソードは、今どきの若い人たちには理解が難しいかも知れませんが、昭和20年代から30年代の日本は、今のように自動車が普及してはいなかったため、大きな荷物の運搬は馬や牛を使っていたので、馬車や牛車が通った後には、よく馬フンや牛フンが落ちていたものでした。雪国の秋田などは、市役所のゴミ収集に牛を使い、大きなソリに木製のコンテナを乗せて、それに市内で収集したゴミを積んで郊外のゴミ処理場に運んでいました。だから、その当時のゴミ処理担当の職員は、自動車免許ではなく、ムチやかけ声で牛や馬をコントロールする技術を身につける必要があったわけです。私が子どもの頃住んでいた町内は、市役所のゴミ処理の牛ゾリの通り道になっていたのを、懐かしく思い出しました。
2017年03月11日
日本の敗戦で終わった第二次大戦で、戦地で精神を患った兵士の診療記録を、焼却しろという軍の命令に抗してドラム缶に入れ、病院の中庭に埋めて、30年後に掘り出して情報を分析、整理して自費出版した医師の活動について、2月19日の東京新聞が、次のように報道している; 第二次大戦中、戦場で精神を病んだ兵士を専門に収容した病院があった。千葉県市川市にあった国府台(こうのだい)陸軍病院だ。当時の医師たちは軍令に逆らい、患者の診療記録をひそかに残していた。安全保障関連法により、自衛隊に危険な任務が加わった今、戦争による「心の破壊」は遠い過去の悲劇ではない。先人の遺志を受け継く研究者たちは、二度と被害者を出すまいと、貴重な資料の研究に心血を注いでいる。<沢田千秋> 千葉県の九十九里浜に程近い浅井病院(東金市)の敷地の片隅に、「それ」はある。同院の長沼吉宣秘書課長がプレハブ小屋の重い扉を開けると、暗闇に日光が差し込み、宙空を舞うホコリを透かして「病床日誌」の背表紙が現れた。その数はざっと千冊に上る。 第一次大戦中、日本軍は兵士の精神障害の原因を本人の精神的弱さと決め付け、存在さえ隠してきた。重火器の登場で症状はさらに増えた。それでも、砲火による強烈な爆風が脳に損傷を与える「砲弾ショック」という外因性の病だと信じられていた。 第二次大戦に突入し、中国戦線は拡大、長期化し、米英を見据えた戦局は不透明感を増していた。戦場で精神を病む兵士は増え続け、陸軍はついに、この病を「戦時神経症」と位置付け、その心的要因解明のため、1938年、国府台陸軍病院を専門院に指定した。 浅井病院の初代院長の故浅井利勇(としお)氏は国府台陸病の若き精神科医だった。生前の浅井氏が残した著書「うずもれた大戦の犠牲者」によれば、第二次大戦中の全期間を通じて勤め上げたのは、病院長の諏訪敬三郎氏と浅井氏だけだった。 45年、終戦を迎え、国府台陸病にも全資料の焼却命令が下った。しかし、医師らは約八千人分の患者の「病床日誌」をドラム缶に詰め、中庭に埋めた。浅井氏は著書で「貴重な資料を焼却するにしのびず」と残している。病床日誌は51年に掘り出され、下総精神医療センター(千葉市)に保管された。 浅井氏は終戦後まもなく浅井病院を開院した。70年代に入り、国府台陸病の病床日誌の整理に着手する。医療センターから原本をトラックに載せて自院まで運び、全てを二部ずつ複写し、退院日順、病名別にとじた。現在、プレハブ小屋に眠るのは、その資料だ。 研究に約15年の歳月をかけて、浅井氏は93年に著書を自費出版した。長沼課長は「『多くの人に知ってもらいたい』と、全国の大学や公立図書館に送付する作業を手伝った。浅井先生は『誰かがまとめて発表しないと、患者がかわいそうだ』と言っていた」と振り返る。 病床日誌は、患者一人につき数十枚に及ぶ。国府台陸病での診療記録に加え、野戦病院で弾丸が飛び交う中、軍医が書き残した記録も患者とともに届けられているからだ。浅井氏は著書で「多くの将、兵の患者さんの思いがしみじみと感ずる貴重なこのあかしを、真実を、残しておきたい」と述懐している。 戦後70年がたち、自衛隊が再び、戦闘地域へ派遣されるようになった。先人が残した貴重な病床日誌を受け継ぎ、旧日本兵の苦悩を繰り返させまいと、浅井氏の研究を引き継いだ人々がいる。2017年2月19日 東京新聞朝刊 11版 26ページ「旧日本軍の精神障害伝える『病床日誌』守り抜いた医師」から引用 私は医学については全くの素人だから、「病床日誌」の医学的価値などは知るべくもありませんが、軍隊の中で起きたことを後世に残そうと努力した医師たちの熱意に感動を覚えます。軍隊の中では、上層部からの命令に従わないということは重大な規律違反で、場合によっては軍法会議にかけられることにもなりかねない所、焼却命令が出たときには既に日本の敗戦が決まっていたので、多分、「焼却命令」もすぐに命令の根拠がなくなるに違いないと見通しをつけた医師の判断が素晴らしいと思います。しかも、陸海軍が解散されて憲法も新しくなって、民主主義の世の中になったからと言ってあわてず、自らが開設した病院の経営が軌道に乗るのを30年も待って、慎重に中庭の地面を掘り返した、この慎重さが「病床日誌」の自費出版という「成功」をもたらしたのだと思います。
2017年03月10日
安倍首相とアメリカのトランプ大統領は、どこが似ていてどこが違うのか、同志社大学教授の浜矩子氏は、2月19日の東京新聞コラムに次のように書いている; 同じ穴の貉(むじな)の同床異夢。安倍・トランプ会談に関する感想である。この二人は、とても良く似ている。幼児的だ。間違いなく、他者のために涙を流すことはできないだろう。もらい泣きは大人の感性だ。人の足を踏んづけていても、気づきそうにない。痛いといわれれば、そこにあんたの足があるのが悪い、と逆襲しそうだ。どうみても、二人は同類だ。 では、どこが同床異夢なのか。二人が異なるのは、「一」の一文字を巡ってのことだ。 トランプ大統領は「アメリカ・ファースト」という。これに対して、安倍首相がいいたいのは、どうも、「ジャパン・アズ・ナンバーワン」であるようだ。「アメリカ第一」と「日本が一番」。同じ「一」を前面に出していても、この両者はかなり違う。 トランプ大統領は、アメリカさえ良ければいい。世界のことなど、どうでもいい。アメリカはアメリカのためにある。アメリカは世界のためには頑張らない。要は引きこもり型の貉(むじな)さんだ。 他方、安倍首相ば世界が好きだ。本年1月、国会開幕時の施政方針演説は、「世界の真ん中で輝く国創り」を語るところから始まった。何かにつけて、「世界一になりたい」という情念が前に出て来る。「地球儀を俯瞰(ふかん)する外交」という安倍氏お気に入りのフレーズの背後にも、ナンバーワン狙いの感性がみえている。今回の施政方針演説には、次の通りのすごいくだりもある。「ASEAN、豪州、インドといった諸国と手を携え、アジア、環太平洋地域から、インド洋に及ぶ、この地域の平和と繁栄を確固たるものとしてまいります」。平和を確固たるものにするのは結構だ。だが、この鼻息の荒さは何だろう。ちなみに、「インド洋」への言及が安倍首相の施政方針演説に登場するのは、今回が初めてだ。どんどん、世界制覇の野望が広がっているようだ。こっちの貉(むじな)さんは拡張主義だ。 「アメリカ第一」と「日本が一番」の違いに気づいたところで、もう一つのことにも気がついた。英国のテリーザ・メイ首相は脱EU交渉に臨む基本スタンスとして「グローバル・ブリテン」を打ち出した。英国は、EUという殻から飛び出してグローバル経済の中で生きて行く。そう宣言したのである。「アメリカ・ファースト」の引きこもり指向とは対照的だ。 「グローバル・ブリテン」と「アメリカ・ファースト」が両極だ。世界の国々は、いずれも、この両極の問のどこかに位置づけることができる。今までこのように考えていた。だが、これは違うということが分かった。「アメリカ・ファースト」のさらに向こう側に、「ジャパン・アズ・ナンバーワン」がある。実はそういうことなのだと思う。「我が国が世界を制覇する」という認識こそ、「我が国は世界とともに生きて行く」というのと最も遠いところにある認識だ。「我が国第一」よりも、こっちの方が明らかにタチが悪い。 「我が国・アズ・ナンバーワン」のコーナーには、他に誰がいるか。恐らく、中国とロシアだろう。だから、この両国と今の日本との間がどうもギクシャクする。それに引き換え、引きこもってくれる貉(むじな)さんは、出たがり屋の貉(むじな)さんにとって、とても都合がいい。これで、日米首脳会談で安倍首相があんなにうれしそうだった理由も分かった。(同志社大教授)2017年2月19日 東京新聞朝刊 12版 4ページ「時代を読む-同じ『一』でも『一』違い」から引用 私にも安倍さんとトランプ氏は似たもの同士のように見えます。だからトランプ氏が選挙戦に勝利したときは、一部メディアは安倍首相が「強い者に媚びへつらう」ような外交姿勢だと酷評する論調もありましたが、安倍さんにとっては後から来た後輩を祝福するような気分だったのではないかという気もします。しかし、両者が言っている「アメリカ第一」と「日本が一番」とは、上の記事が指摘するように意味するところは大きく異なるということのようです。それにしても、私が思うに、アメリカが世界の警察官の座を降りた場合、その肩代わりができるのは、経済規模や人口の多さから言って、それは中国ではないかという気がします。
2017年03月09日
法政大学教授の山口二郎氏は、2月19日の東京新聞コラムで最近の世相を次のように批判している; 18世紀イギリスの文学者、サミュエル・ジョンソンは「愛国主義は無頼漢の最後の避難所である」という金言を残している。当代の日本にむそのまま当てはまると痛感させられる。 新しい学習指導要領が公表され、国家意識の涵養(かんよう)はさらに強められている。厚生労働省は保育園でも子供たちに君が代を歌わせろと言い出した。「保育園落ちた、日本死ね」という悲痛な叫びへの答えは、愛国心の注入ということだろう。 しかし、子供たちに愛国を説く権力者やその周辺の人々は、法を無視してまで私利私欲を追求している。文部科学官僚の大学への天下りは広範囲であり、OBへのポストあっせんには組織的関与が存在している。安倍首相の夫人が名誉校長を務め、忠君愛国教育で有名な大阪の私立小学校に対して、国有地が随意契約によって類似事例の10分の1の価格で売却されたことが明らかになった。 今や、愛国心は要路の人間が私利私欲を追求する際の、あるいは気に入らない他者を排斥するための隠れみのとなった。自称愛国者は、残すべき伝統を恣意(しい)的に選別する。李下(りか)に冠を正さずという美徳は、愛国者の辞書から消去されている。 日本の社会に愛着を持っている人々は、節義を知らない自称愛国者の厚顔無恥に憤っているはずである。声高な愛国心はすべて偽物と知るべし。(法政大教授)2017年2月19日 東京新聞朝刊 11版 27ページ「本音のコラム-愛国心という隠れみの」から引用 サミュエル・ジョンソンの愛国主義批判は有名で、他にも何人かの文筆家が引用しているのを読んだ記憶があります。森友学園の問題が取り上げられる数週間前に、突然幼稚園児にも君が代を歌わせることになったというニュースに接したときは、どういう文脈で理解するべき話なのか、違和感をもちましたが、「保育園落ちた。日本死ね」への対応であるとは、なかなか鋭い指摘だと思います。官僚の天下りや、変な学校法人の不正な用地取得問題など、この国の教育行政に携わる大人は根性真っ黒で、とても純真な子どもたちに心の教育など出来る資格は無いと知るべきです。上の記事が指摘するように、政府が音頭をとるような愛国心はすべて偽物です。本当の愛国心は、親が生活費を稼ぐために汲々とすることなく余裕を持って生活ができるような、そういう社会に育った子どもの心に自然に涵養されるもので、政府が愛国心を言い出すときは、何か問題を隠蔽しようとする邪な意図があるとみて間違いないでしょう。
2017年03月08日
大阪の森友学園が国有地をタダ同然で取得してへんな小学校の開設を狙っている問題について、3日の「週刊金曜日」は次のように報道している; 今国会の衆院予算委員会で、野党は天下り問題で文部科学事務次官を辞任に追い込んだが、その後は、「共謀罪」の金田勝年(かねだかつとし)法相、「南スーダンPKO日報問題」の稲田朋美(いなだともみ)防衛相の「首を取る」ことはできなかった。しかし、2月9日付『朝日新聞』 の報道で森友学園(籠池泰典(かごいけやすのり)理事長)への国有地払い下げ問題が浮上、国会はにわかに緊迫の度を増してきた。 この間題が国会で初めて取り上げられたのは2月15日。この時期は、予算案と並行して税制改正法案を審議する財務金融委員会が開かれる。大阪府など近畿ブロック選出の宮本岳志(みやもとたけし)議員(日本共産党)が「すでに報道されているが」と切り出し、麻生太郎財務相、佐川宣寿(さがわのぶひさ)理財局長に迫った。「国有地は適正な価格で売却しなければならないはずだ」と問う宮本議員に、麻生財務相は「近畿財務局の国有財産近畿地方審議会が判断したことだ」と逃げ腰の答弁に終止した。 続いて同月17日の衆院予算委で民進党の福島伸享(ふくしまのぶゆき)議員らが取り上げると、安倍晋三首相は「私や妻、事務所は一切関わっていない。かりに関わっていたら首相も国会議員も辞任する」と大見得を切った。 安倍首相は第1次安倍内閣で「愛国心」を盛り込んだ改正教育基本法を成立させたが、これは首相を支持する右派組織「日本会議」の「悲願」であった。その日本会議メンバーで、首相の政治思想に共鳴する籠池理事長は、教育勅語を園児に暗唱させるなど戦前回帰の教育方針の下、「安倍晋三記念小学校」という仮称で寄付金を集めていた。そのことを追及されると、安倍首相は「今、初めて知った」と述べた。また、「首相を辞めた時(07年9月末)、(学園側から)『安倍晋三小学校を作りたい』と言われたが、断った。まだ現役の政治家である以上、私の名前を冠にするのはふさわしくない」と答弁した。 福島議員は筆者の取材に対して「これだけのことを役所だけでできるはずはない。政治家の働きかけがあるはず。最終ターゲットは首相だが、そこまでたどり着けるか」と語った。◆疑惑の3日間 一方、宮本議員は同月24日の予算委で、国有地払い下げの当事者が現在は国税庁長官となっている迫田英典(さこたひでのり)氏だとあぶりだし、迫田氏と安倍首相とが会談をしていたことも明らかにした。その時期は戦争法(安保関連法制)の成立目前で国会内外が騒然としていた2015年9月で、安倍夫妻の行動は不可解としか言い様がない。時系列で見ると、次のようになる。▼9月3日 安倍首相が財務省の岡本薫明(おかもとしげあき)官房長と迫田理財局長(いずれも当時)と会談。▼9月4日 森友学園の小学校建設工事を請け負った業者と近畿財務局と国士交通省大阪航空局担当者が埋設物の処理費用などについて協議。同日、国会中にもかかわらず安倍首相が大阪市の読売テレビに向かい、「情報ライブミヤネ屋」生出演。同日、「安倍晋三記念小学校」建築に国土交通省の補助金6200万円の交付が決定。▼9月5日 首相の妻である安倍昭恵氏が籠池理事長経営の「塚本幼稚園」で名誉校長就任の挨拶。 民進党の野田佳彦(のだよしひこ)幹事長は2月27日の記者会見で「3日間に集中している。事実関係をよく見ていきたい」と述べた。安倍首相と迫田氏が同郷であることの関連性も気になるところだ。学園側が首相の存在をちらつかせたのか、近畿財務局や大阪航空局側が勝手に忖度(そんたく)してタダ同然で払い下げたのか、安倍首相と昭恵氏の関わりを含めて証人喚問の実施など徹底的な解明が必要だ。参院予算委の3月の闘いが注目される。<みやざき のぶゆき:ジャーナリスト。>2017年3月3日 「週刊金曜日」 1126号 15ページ「キレまくり安倍首相に『疑惑の3日間』浮上」から引用 最初に森友学園の用地取得に不信感をもった豊中市の市会議員は、豊中市が公園をつくる目的で国有地を取得する際は、国側の態度が大変厳しく、値引きはできない、支払い条件も譲歩はできないと、市側が苦労したことを聞いていたので、森友学園が極端な値引きに成功したらしいという情報に強い違和感と感じたとのことです。また、かつて国家公務員を経験したこともある経済評論家の森永卓郎氏も、自身の経験から、国有財産の譲渡についてはほんの少しの値引きも上司の許可なしには絶対に不可能なはずで、9億円の不動産を少々の瑕疵ががあるからと言っても、8億円も値引きするというのはあり得ないことで、よほど大きな政治力が働いたとしか考えられない、とラジオでコメントしてました。野党は腰を据えてこの問題を徹底追及するべきです。安倍首相は、追及をかわすために非常識なほどのキレ方をしますが、それは安倍さんの得意とする「手」ですから、キレたからといって追及の手を緩めてはいけません。「まるで私の妻を犯罪人扱いして、私は非常に不愉快だ」などと言ってましたが、そんな暴言にひるむことなく「こっちは、不愉快を承知の上で、重要な質問だから国民を代表して聞いているんだ。冷静に答えろ」と言ってやればいいと思います。
2017年03月07日
大阪の豊中市が公園にする土地を国から購入したときは14億円だったのに、その隣の国有地はタダ同然で極右思想教育を目的にしているかのような胡散臭い小学校に売却された問題について、2月26日の「しんぶん赤旗」日曜版は、次のように報道している; 4月に大阪府豊中市で私立小学校を開校しようとしている学校法人に、財務省が小学校用地として国有地をタダ同然で売却したと大問題になっています。名誉校長には安倍晋三首相の妻、昭恵氏が就任予定。大阪府による学校認可の経緯についても疑惑が浮上しており、国と府の責任も問われます。<安川崇記者> 問題の土地(8770平方メートル)は豊中市の名神高速道路沿いにあります。私立「瑞穂の國記念小学院」の建設現場。外壁にレンガ色の木材をあしらった3階建ての校舎からは、木のにおいが漂います。 問題の土地を購入したのは、大阪市淀川区で幼稚園を運営する学校法人「森友学園」(籠池泰典理事長)。近畿財務局が2013年6~9月に問題の土地の売却先を公募した際、小学校建設用地にと手を挙げました。 森友学園は15年5月、国と10年間の定期借地契約と期間内の売買予約契約を結びました。◆根拠あいまい 問題の土地には廃材や生活ごみなどの埋設物があり、一部からは環境基準を超える鉛やヒ素が検出されていました。そのため森友学園は、地下3メートルまでの埋設物と汚染の除去費用として国から1億3176万円を受け取りました。 疑惑の焦点となっているのが16年6月に交わされた売買契約です。売却額は1僚3400万円。国はすでに汚染除去費として1億3176万円を支払っているので、国が得た収入はわずか224万円にしかならない計算になります。 「国にとってはタダで手放したということだ」。日本共産党の宮本岳志議員は衆院財務金融委員会(15日)でこう批判しました。 近畿財務局は、問題の土地の東の国有地(9492平方メートル)を豊中市に約14億円で売却。なぜ森友学園には、同規模の近隣国有地の10分の1という異常な価格で売却したかが疑惑の核心です。◆学校認可の経緯も不透明 近畿財務局が売却額の根拠として示した不動産鑑定評価書は、問題の土地価格を9億5600万円と評価。しかし、地下3メートルから3・8メートルの深さに残っている廃材の処理などに8億1974万円かかるなどとして1億3400万円の破格の売却額を決めました。 国有財産の売却額を決定する財務省国有財産鑑定官OBは「80センチ掘り下げるのに8億円とはあまりに極端。その額は適正なのかの根拠を財務省は示すべきだ」と指摘します。◆確約なき内諾 土地取引だけでなく、学校認可の過程にも疑問が浮上しています。 学校認可を受けるには用地の自己所有が原則。府の基準では国や自治体が所有する土地で「将来にわたり安定して使用できる」ことを条件に、借地でも可能としています。森友学園は認可申請の段階では土地を持っておらず、国からの定期借地契約で開校を目指していました。 「瑞穂の国記念小学院」の認可を協議した大阪府の私学審議会(15年1月)。委員から疑問が出ます。その時点では、定期借地契約も結ばれていなかったからです。 「国有地の借り上げについてはOKが出るのか」 府の事務局担当が「(府の)審議会でOKとなっておりましたら、国は契約に走ると、そういう手はずになっています」と回答。後日、審議会は同学校の設置を条件付きで「認可適当」と答申しました。借地契約の確約もない段階で行政側が「国の内諾」を示し、答申を促した形です。 しかし財務省は宮本議員への答弁で内諾の存在を否定。認可をめぐる経緯も解明が必要です。◆「教育勅語」「愛国心」-理事長の理念の”要” 瑞穂の國記念小学院のパンフレットには安倍昭恵氏が写真入りで登場。同校設立のための寄付金の振込用紙には当初、「安倍晋三記念小学院」と書き込まれていました。 パンフの「教育の要」には「教育勅語素読・解釈による日本人精神の育成」や「愛国心の醸成。国家観を確立」「皇室を尊ぶ」などの項目が並びます。 森友学園が大阪市内で運営する幼稚園の玄関には、「天皇のために命をささげること」を最高の道徳とした戦前の教育勅語が掲げられていました。園児に朗唱させているといいます。籠池理事長は「赤旗」日刊紙の取材に、自身が改憲団体「日本会議」の大阪支部代表委員であると語りました。 この幼稚園は「よこしまな考えを持った在日韓国人、支那人」などと記載した文書を保護者に配布。保護者から連絡を受けて大阪符が今年1月、事実確認のため園を訪問しました。籠池氏は配布したことを認めたといいます。2017年2月26日 「しんぶん赤旗」日曜版 35ページ「国有地がタダ同然-安倍首相の妻が名誉校長の小学校用地」から引用 この新聞が出て、森友学園の問題が国会で取り上げられると、安倍昭恵氏はさっさと名誉校長を辞任し、しつっこく言われたので仕方なく引き受けたのだったなどと迷惑そうな言い分でしたが、そのような発言の後、実は首相も夫人も森友学園を絶賛していた映像がネットに出回るなど、安倍首相と森友学園のつながりは誰の目にも明らかになっている。学校名に自分の名前が使われているとは知らなかったとか、名誉校長は辞任したからもういいだろうとか、そんな子どもじみた言い訳をさせてお仕舞いにしないで、不当な国有財産処分の問題について、どういう政治家がどのようにバックアップして胡散臭い小学校が開校にこぎ着けようとしているのか、徹底解明をするべきと思います。
2017年03月06日
大阪府の松井知事が、森友学園が開校を予定している小学校について、場合によっては不認可の可能性もあると発言した、と2月26日の東京新聞が報道している; 大阪府豊中市の国有地が、小学校建設用地として学校法人「森友(もりとも)学園」(大阪市淀川区)に評価額より大幅に安い価格で売却された問題に絡み、松井一郎知事は25日、小学校の設立が認可されない可能性に言及した。「財務省が優遇しているなら大問題だし、安定した経営ができないなら認めるわけにいかないというのが(認可を判断する)府教育庁の立場だ」と述べた。 府私立学校審議会(私学審)は2015年1月、学園側の財務状況などを追加報告させることを条件に「認可適当」と答申。今月の臨時会合では財務状況や教育方針を疑問視する声が委員から相次いだが、梶田叡一(えいいち)会長は「よほどのことがない限り3月下旬には認可証が交付されるとの見通しを示している。松井氏はまた、用地にごみを埋め戻したという処理業者の証言を踏まえ「児童が生活する環境としてふさわしいかどうか、再度調べる」とした。代表を務める日本維新の会が大阪市の党本部で開いた会合で語った。 同日夜には大阪府和泉市で記者団に「撤去したと言って(実際には)ごみを埋めていたなら大きな問題だ。行政の不作為ではない」と指摘。用地のごみを再調査するよう豊中市に指示したことを明らかにした。2017年2月26日 東京新聞朝刊 12版 2ページ「小学校不認可の可能性言及」から引用 この記事を読むだけでは、大阪府松井知事は中立の立場で許認可の判断をする立場であるかのような印象を受けますが、実はそれはとんでもない間違いで、小さな幼稚園を経営する籠池氏が国有地を取得して小学校となる校舎の建築をするに至るまで、数々の便宜を供与してきたのが松井知事本人であることを、私たちは知るべきです。しかも、松井氏が狡獪なのは、本来は府知事の仕事である学校法人の認可の判断を府教育長に委任しており、これは森友学園問題が公になったときに、責任が自分に降りかからないように「逃げ道を用意したのだ」と、参議院の上西議員が最近出た週刊誌にバラしています。今まで、後ろで森友学園を支援してきた安倍首相や松井知事や日本会議の面々が、国会で問題として取り上げられ、メディアも報道するようになったとたんに、みんな一斉に手のひらを返しており、これまた日本人社会の典型的な事例を見せられたような気がします。
2017年03月05日
安倍首相が何故アメリカの新大統領と親密な関係になったのか、法政大学教授の山口二郎氏は、2月12日の東京新聞コラムに風刺の効いた架空の物語を書いている; 「なんで俺がわざわざあんたを別荘にまで案内したか、分かるか」 「それは、わが国が貴国にとって、最高の同盟国であることを内外に示すためだと」 「それより、あんたに知恵を借りたい。大統領になってまだ半月だが、俺が国のためと思って決断、実行していることについて、小うるさい裁判官やら新聞・テレビ、有象無象の市民がケチばかりつける。俺はあんたがうらやましい。あんたは憲法を無視してやりたい放題をしても、少数のダメな市民が騒ぐだけで、マスコミも裁判所も唯々諾々と従っている。その秘策を教えてほしい」 「大統領、それは根の深い問題で貴国の憲法の欠陥に由来しています。貴国は三権分立の本場ですから、大統領の政策に逆らう者が大勢います。私もメード・バイ・アメリカのわが国の憲法を骨抜きにするのに、本当に苦労してるのですよ」 「手っ取り早く言いがかりを止める方法はないものか」 「まずはマスコミを手なずけるのが上策です。やつらにはすしを食わせれば、たちまち尻尾を振ってきます」 「じゃあ、インフラ資金よりも先に、日本一のすし職人をワシントンに送ってくれ。日本政府の資金でな」 「お安いご用で。この際、ネタはヒラメがいいでしょう。上の顔色ばかりうかがう理想的な魚ですから」(法政大教授)2017年2月12日 東京新聞朝刊 11版 27ページ「本音のコラム-架空ゴルフ場密談」から引用 マスコミを手なずけるという点では、安倍首相は”実績”があるし、すし職人をアメリカに送る経費は日本持ちという大統領の発言は、米軍費用を日本に負担させるなどと当初発言していたことに対する当てつけのようでもあり、最後は「ネタはヒラメ」というオチまでついて、「この分野」での山口先生の腕はますます上り調子のようです。
2017年03月04日
作家の仲村清司氏は、両親とも沖縄出身であることを知らされずに育った子どもの頃について、2月5日の東京新聞で、次のように語っています; 両親ともに沖縄出身です。15年ほど前、初めて母と一緒に糸満市の平和祈念公園を訪ねました。沖縄戦で亡くなった人の名前が刻まれた「平和の礎(いしじ)」の前で、母が突然膝から崩れ落ち、大声で泣きだしました。僕は、一瞬何が起きたのか分からなかった。 石碑に、母の弟の名前を見つけたのです。その時初めて、母に弟がいたことを知りました。それまで母は沖縄戦について一切話しませんでしたが、胸の奥深くにしまい込んできた秘密を打ち明けてくれました。 母は当時、ひめゆり学徒隊が結成された「県立第一高等女学校」に入ったばかりで、日本軍の誘導で沖縄南部に避難しました。3歳ぐらいの弟をおぶって壕(ごう)に逃げ込んだのですが、米軍にガス弾を投げ込まれた。気を失い「目覚めたときには弟が亡くなっていたそうです。そのことで「自分が弟の上に覆いかぶさり、窒息死させてしまったのではないか」と、自責の念を抱えていたのではないかと思います。 父親とは捕虜収容所で生き別れたそうです。その後、一人で沖縄を離れ、大阪で私の父と出会って結婚しました。 本土では昔、沖縄に対する差別を感じることもありました。そのため、僕が幼い頃、両親は自分たちが沖縄から来たことを隠しました。僕はずっと大阪で育ち、高校生になるまで沖縄には行ったことがなかった。でも、うすうす沖縄と縁があることは気付いていました。同居していた父方の祖父は三線(さんしん)の名手で、たまに親戚が集まって演奏会を開いていました。その時は、近所に独特な琉球音階が聞こえないよう雨戸を閉めていました。 小学生のころ母に連れられ、吉永小百合さん主演の映画「あゝひめゆりの塔」を見に行きました。途中で母が涙をぬぐったのに気付きましたが、見終わった後に「映画を見たことは誰にも言わないで」と口止めされた。同じ映画を祖父とも見に行きましたが、母との約束を守りました。 思春期になり自分の家系が沖縄出身であることを知りました。両親が出自を隠して、本土に同化しようとしたことが卑屈に思えて、反発した時期もありました。でも今は、子どもを守るため、必死に故郷への複雑な思いを抑えていた親の気持ちが分かります。 僕は20年前に沖縄に移り住み、10年ほど前に母を大阪から呼び寄せました。母は現在80代ですが、妻と仲が良くて、よく昔の思い出話をしているようです。どんな話をしたのか、妻に教えてもらっています。ようやく点と点だった家族のストーリーが、線になってつながってきた気がしています。<聞き手 細川 暁子><写 真 坂本亜由理> なかむら・きよし1958年生まれ。大阪市出身。作家、沖縄大客員教授。96年に沖縄に移住し、沖縄の米軍基地問題や経済的自立、都市開発のあり方について多くの著書がある。新著は「消えゆく沖縄 移住生活20年の光と影」(光文社新書)。2017年2月5日 東京新聞朝刊 11版 21ページ「沖縄出身 隠した両親」から引用 仲村氏は才能に恵まれた人だから、沖縄に働き口もできて両親の故郷に移住ができたわけですが、食うために働かなければならない一般のサラリーマンの場合は、そう簡単に移住というわけにもいかず、今なお本土で頑張っている人たちは大勢いると思います。これからは、世の中も進歩して人々の意識も改善されて、よそ者を差別するような風潮が無くなることを祈ります。
2017年03月03日
「日本批評大全」を上梓した渡部直己氏について、2月15日の朝日新聞夕刊は次のように書いている; 日本文学に関する代表的な批評的散文をまとめた『日本批評大全』(河出書房新社)が出た。編著者で文芸批評家の渡部直己さんは「いまこそ、その力が必要なのに批評は瀕死(ひんし)。この本で批評をよみがえらせたい」と語る。 時系列に沿って、江戸後期の上田秋成『雨月物語』(1776年)から柄谷行人『日本近代文学の起源』(1980年)まで、70本を収録。狭義の文芸批評にとどまらず、西光(さいこう)万吉起草の水平社宣言など、日本近代文学に影響を与えた文章を選び、それぞれ600字程度の解題をつけた。 冒頭に並ぶのは、秋成と本居宣長。日本近代文学といえば、1880年代の坪内逍遥『小説神髄』や二葉亭四迷『浮雲』から始まったとするのが一般的だ。しかし、渡部さんは、「近代文学の第一条件は書くことについて考えること。雨月物語には、その萌芽(ほうが)がある」とみる。 さらに、秋成と宣長の間で展開された「漢意(からごころ)論争」に着目。「物のあはれ」など日本に固有の感受性を重視する宣長に対し、秋成は中国由来の論理や理性の重要性を説いた。「感情と理性、どちらを重視するか。日本の批評家たちは、その論争をずっと繰り返しているようなもの」。小林秀雄や丸山真男、吉本隆明も、その延長で論陣を張ったと読み解く。 最後は蓮實重彦と柄谷を並べた。「2人は、実感重視の批評の流れに理性の側から大きな切断を作った。よくも悪くも、アナーキーなポストモダンの時代に突入し、歴史は形成されなくなった」。例えば、古井由吉、後藤明生ら「内向の世代」以降、世代で作家をくくれなくなったことは、その表れだという。 なぜいま「批評大全」なのか。インターネットに目を向ければ、「批評」めいた感想があふれているが、渡部さんは「批評は死にかけている」と指摘する。「今の日本はまさに感情至上主義。米国もそう。不景気になったり、時代が保守化したりすると、理性的なものよりも、タダで簡単な感情や感動が強くなる」。資本が支配する世界の中で、感動は現状肯定にしかならない、と喝破する。 批評を含む「文学」と単なる「読み物」を分けるのは、「事件性」だという。「読む前と後で、自分の中で何かが変わること。文学に事件性を蘇生させないと、人々は変わろうとしなくなる」。そのために、「気道を確保し、大量の酸素を送り込む」のが大全の狙いだ。 目次に、収容した散文から印象的な1行を抜き出しているのもそのため。「階調はもはや美ではない。美はたゞ乱調に在る」(大杉栄『生の拡充』)、「批評とは竟(つい)に己れの夢を懐疑的に語る事ではないのか!」(小林秀雄『様々なる意匠』)といった刺激的な一文が並ぶ。「読者に生き物として語りかけてくる力は、具体的にはその1行があるかないか」。この1行を持つ文章を選び出すために、多くの労力を割いた。 批評家としての自身は、偏愛する作家について饒舌(じょうぜつ)に語り、評価できないものは徹底的に批判してきた。だが今回、「好き嫌いではなく、読むべきものは取る」構成にこだわった。例えば、激しい批判にさらしてきた吉本の文章も収録している。「批評というものがあるということを知ってほしい。今こそ批評が頑張らないと、日本も世界も大変なことになる」(滝沢文那)2017年2月15日 朝日新聞夕刊 3版 3ページ「批評よ、息を吹き返せ」から引用 「今の日本はまさに感情至上主義」という指摘は、なかなか鋭いものがあると言えます。この記事を読んだとき、とっさに私は優勝した横綱貴乃花の表彰式で、小泉首相(当時)が「感動した!」と大きな声で言ったシーンを思い出しました。「不景気になったり、時代が保守化したりすると、理性的なものよりも、タダで簡単な感情や感動が強くなる」というのは、中々正鵠を射ているように思われます。「資本が支配する世界の中で、感動は現状肯定にしかならない」という一文は、マルクスが百数十年前に書いた「資本論」が、知識層の間では既に常識になっていることを示しているように思います。
2017年03月02日
直木賞選考会に初めてノミネートされならがら、最終選考まで残って健闘した『また、桜の国で』を執筆した須賀しのぶ氏について、2月15日の朝日新聞夕刊は次のように書いている; 須賀しのぶさんの小説『また、桜の国で』(祥伝社)が話題だ。第2次大戦下のポーランドを舞台に、人間にとって国とは、民族とは何かという、重い問いを投げかける物語。1月の直木賞選考会では、初めてのノミネートながら、受賞争いに食いこんだ。 ロシア人の父を持つ日本人青年が主人公。在ポーランド日本大使館に勤務し、戦争回避のために奔走するが、ドイツがポーランドに侵攻し、ヨーロッパは戦争に突入する。 祖国が地図上から失われてしまったポーランドの人たち、あるいはゲットーの壁に押しこめられたユダヤ人たちを目の当たりにして、「国とは、国民とは、果たして何だろう」と自問する主人公。自身もロシアと日本のはざまで生きてきた青年は、物語の最終盤、ある決意を固める。 直木賞の選考では、恩田陸さんの『蜜蜂と遠雷』とのダブル受賞も議論されたが、届かなかった。選考委員の浅田次郎さんは「私も近代史にかかわる小説を書くけれど、須賀さんの作品はよくできていた。知識が体にしみこんでいないと、ああいうふうには書けない」と評した。 須賀さんは中学時代にドイツの文豪トーマス・マンのとりこになり、大学では西洋近現代史を学んだ。1994年にコバルト・ノベル大賞読者大賞を受賞し、デビュー。少女向け小説のレーベルから次々に作品を発表した。 ナチス政権下のドイツを舞台にした『神の棘(とげ)』を書いた頃から一般向け作品に重心を移し、ベルリンの壁崩壊前の東ドイツが舞台の『革命前夜』で大藪春彦賞を受賞。今作でも、ナチス・ドイツの猛威にさらされたポーランドを描いた。 「すばらしい文学と哲学のある国が、どうしてああなったのか。良識ある人たちが、どうして変貌(へんぼう)していったのか。それを知りたいという思いが、今も続いているんだと思います」 だが、この作家の持ち味は、そんなシリアスさばかりではない。「キャラクターを立たせることを、いつも意識して書いています。暗い部分がある話だからこそ、わかりやすく、時には少しコミカルに」 重い題材を扱いながらも、ぐいぐい読ませる軽快さを見失わない。少女向け小説を多く書いてきた人だからこその強みなのだろう。(柏崎歓)2017年2月15日 朝日新聞夕刊 3版 3ページ「国とは、国民とは、投げかける」から引用 作家が何を考えてその小説を書いたのか、というのは一般的に興味を引かれるテーマですが、須賀しのぶ氏が何を考えて『また、桜の国で』を書いたのかという点には、大変興味を感じます。日本にもすばらしい文学と哲学があるのですが、良識ある人たちがどうして立憲主義を蔑ろにする安倍政権を放置しておくのか、という問題を解く鍵が、見つかるのではないか、というような気がします。
2017年03月01日
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