全31件 (31件中 1-31件目)
1

対極をなす霊的巨人 ヒトラー vs ルドルフ・シュタイナー-4 ヒトラーは、ナチス結成時の党大会で、シュタイナーについて次のように警告を発していた。「我々はシュタイナーとその追随者を許してはならない!。なぜなら彼は、シュリーフェン作戦、ひいては第一次世界大戦におけるドイツ敗北の直接の戦犯だからである。彼は、ドイツ軍最高司令官であるヘルムート・フォン・モルトケ将軍の親友だった。そして彼は、あろうことか1914年、ドイツがベルギー及びフランスに進攻しようとしている重大な時期に、黒魔術を用いてモルトケ将軍の精神状想を混乱させ、もって我がドイツ軍を大敗に導いたのである!」。また、ヒトラーの精神的指導者であるディートリヒ・エッカルトは次のような言葉でシュタイナーを評していた。「シュタイナーの霊的洞察力の前にあっては、何事も隠しおおせるものではない。彼とその入門者たちは、我が「卜ゥーレ協会」の性質に異を唱え、我らの会合や入門儀式の全てを霊的地点から監視している云々……」。このエッカルトこそ遺言の中でシュタイナーの「ゲーテアヌム」の放火を指令した男である。「トゥーレ協会」とはナチ党、すなわち「国家社会主義ドイツ労働者党」の母胎となった秘密結社である。その結社の目的は、地上で最も進化した人類であるゲルマン人の覇権を獲得するために、失われた古代の叡智を手に入れ、真の熟達した「魔術師」になるというものだった。まさしくヒトラーの行動の原点となる思想がここには記されている。エッカルトは、この「トゥーレ協会」の中心人物であり、またナチスの創立メンバーの1人でもあった。エッカルトはミュンヘンの社交界で詩人として知られていたが、彼はまた神秘主義に精通したオカルティストだった。しかも彼は、ナチスにおけるヒトラーの思想形成においても極めて重要な役割を果たした人物でもある。その重要性は、ヒトラー自らが、自伝「我が闘争」の中で次のように述べていることからも明らかである。「私は、その著作、思想、そして最終的には行動によって、生涯を私たちの同胞のために捧げたあの人物を、最も優れた人々のひとりとして挙げたい。それはディートリヒ・エッカルト(Dietrich Eckart)はである。」哲学・思想ランキング
2023年05月31日
コメント(0)

対極をなす霊的巨人 ヒトラー vs ルドルフ・シュタイナー-3 あるドイツ人退役将校がシュタイナーの「人智学協会」に所属していたために、将校の資格を剥奪されたことがあった。この人物がヒトラーに間接的に理由を問いただしたところ、次のような答えが返ってきたという。「人智学協会の会員はフリーメイソンの所属者と同様に扱うこと。彼らはフリーメイソンの所属者よりも危険である。彼らの思想は、もっと多くの人間に伝染するからだ。交通整理員が人智学協会の会員だったとしても、それは大したことではない。けれども、党内部、あるいは国防軍に、かつて人智学協会に所属していた者を入れることは望ましくない」記:オカルト好きなら一度は耳にしたことがある謎の多い組織「フリーメイソン」。フフリーメイソンリーが広まった時期は、絶対王政から啓蒙君主、市民革命へと政治的な激動が続く時代でもあり、特定の宗教を持たずに理性や自由博愛の思想を掲げるヨーロッパ系フリーメイソンリーは、特定の宗教を否定することから、自由思想としてカトリック教会などの宗教権力からは敵視された。とりわけフランス革命の当事者たちの多くがフリーメイソンであったため、しばしば旧体制側から体制を転覆するための陰謀組織とみなされた。ナチス・ドイツの時代にはマルクス主義や自由主義とともに民族の統一を阻む抹殺されるべき教説として扱われ弾圧を受けた。ナチスのSDではフリーメイソンを担当するSDII/111課が存在した。独立戦争にかかわった多くの会員がいたアメリカにおいても白眼視される傾向があった。ちなみにニューヨークの自由の女神像はフランス系フリーメイソンリーとアメリカ系フリーメイソンリーの間に交わされた贈り物という側面もあり、台座の銘板にはその経緯とメイソンリーの定規・コンパス・Gの紋章がきざまれている。哲学・思想ランキング
2023年05月30日
コメント(0)

対極をなす霊的巨人 ヒトラー vs ルドルフ・シュタイナー-2 ルドルフ・シュタイナーは、自らが主宰する「人智学運動」の中枢として、スイスのバーゼル近郊の寒村の丘に、2つの巨大なドームを備えた異様でかつ美しい木造の建物「ゲーテアヌム」を建設します。彼はこの「ゲーテアヌム」を、科学・芸術・教育・宗教を統合する、新しいヨーロッパの「自由大学」にしようと計画していたのです。ところがあろうことか、その「ゲーテアヌム」が、1922年12月31日の大晦日の夜何者かの放火によって炎上してしまう。しかも、そのとき、講堂ではシュタイナーが800人もの聴衆を前に講演を行っていた。後日、「ゲーテアヌム」の火災のあとからは、放火犯と思われる1体の焼死体が発見された。この男はドイツ系スイス人であり、熱狂的なナチスの支持者であったことが判明。彼は自らが信奉するナチスの創設者のひとりで、ナチ党の母胎となった「トゥーレ協会」の思想的リーダーのディートリヒ・エッカルトの遺言「ゲーテアヌムを焼き払い、シュタイナー博士とそのサークルの精通者を炎の中で殺せ」という遺言を忠実に実行したという。幸いなことにシュタイナーは一命をとりとめた。しかし、ナチスによる攻撃の手はその後も執拗なまでにシュタイナーを襲うのである。実はこの放火事件の前、同年1922年の春にも、シュタイナーはミュンヘン駅構内で、ナチス側の暗殺者に銃撃されるところをあやうく逃れるという、暗殺未遂事件にも遭遇していた。エッカルトの遺言を見るまでもなく、1920年代の初期のナチスにとって「抹殺すべき最大の敵」は、実はユダヤ人でも、ボルシェヴィキ(革命的共産主義者)でもなく、シュタイナーこそがその最大の敵であったと言われている。初期のナチスたちは、シュタイナーの広範な影響力を、ユダヤ人の「アジ演説」よりも危険な「混乱」とみなしていたという。ナチスにとって、シュタイナーの提唱するイデオロギーは「世界フリーメイソンの卵」であり、国家を破壊する共産主義的なものだと見做されたらしい。哲学・思想ランキング
2023年05月29日
コメント(0)

対極をなす霊的巨人 ヒトラー vs ルドルフ・シュタイナー-1 ヒトラーが未だ無名だった時代に、その出現と災禍を予告したオーストリア人がいた。その男の名が人智学の創始者ルドルフ・シュタイナーだった。彼はヒトラーのオカルト的精神が最も敵視した同じ神秘主義の世界に生きた人物でした。何よりもシュタイナーは、ヒトラーが「唯一完全に抹殺したい」人間であったともいわれる。その哲学思想以上に神秘思想・教育家として知られたドルフ・シュタイナー。彼は1861年、オーストリア・ハンガリー帝国のクラリェヴェックで誕生した。日本では、シュタイナーは教育者として非常に著名な存在でもある。現在でも彼が提唱した「シュタイナー教育」と呼ばれる全人教育は、世界中に実践者も多数存在し、シュタイナー学校は全世界に500校近くある程高い評価を得ている。シュタイナーは40歳までは、社会の規律や習慣、権威などにとらわれないリベラルな文芸評論家として活躍しています。文芸雑誌を編集し、ゲーテの自然科学を研究ある程度の評価を得、また「自由の哲学などの哲学書を発表した。時代が20世紀に入ってからは、シュタイナーは「神秘学者」としての人生を歩き始める。神智学協会に属するも1913年には新たに「人智学協会(アントロポゾフィー協会/独: Anthroposophische Gesellschaft)」を創設し、「人智学」と呼ばれる独特の思想運動を展開。1919年2月にはシュタイナーは「ドイツ国民と文化社会へ」と題された自らの思想を人心に訴えるアピール文を起草しています。彼の弟子たちはこのアピール文に署名する文化人を求めて、ヨーロッパ中に散っていった。そして翌月、アピール文は250人を上回る人々の署名と共に、数多くの新聞に掲載される。共同署名者の中にはヘルマン・ヘッセやヴュルテンベルク州憲法の起草者であるフォン・ブルーメ教授の名前もあった。そして、その4月22日にはアピール文の署名者を全員招いて盛大な集会が開かれ、そこで準備会のメンバーを中心に「社会有機体三分節化のための同盟」が結成された。そうした経緯を経て、シュタイナーの政治的立場が明確になり、人智学運動は力を蓄えていくが、時勢上当然のように敵対者が現われた。攻撃は主として教会勢力や民主主義者たちからなされたが、その際にシュタイナーに張られたレッテルはまちまちで、「ゲルマン主義者」から「共産主義者」まであった。シュタイナーの人智学運動に対する批判や攻撃は次第に激化し、1920年と1921年を通して、新聞に何らかの人智学批判が掲載されなかった週は殆どなかった。批判は主として教会やドイツ民族主義のグループからなされ、素性の知れないパンフレットも数多く出回り、講演会やイベントが物理的に妨害されることもあった。対抗上、シュタイナーは自分の機関紙である「社会三分節化」に反論記事を載せ、誹謗中傷の撤回を要求します。事程左様にシュタイナーとその弟子たちは、批判や攻撃への防御に多くの時間と精力を奪われることになりました。哲学・思想ランキング
2023年05月28日
コメント(0)

アナーキズムから神智学へ *シュタイナーの「本来的自己」6:学術からアナーキズムそして神智学-心の変遷-3 神秘学のシュタイナー 起源・根拠・権力(arche)が無い(an-)という意味のギリシャ語の単語アナルコスに由来する。無政府主義(アナーキズム)反権力・反権威の通常解釈のアナーキストではなく、個人主義的アナーキストであったシュタイナーが神智学協会というオカルティズムのサークルへと参入したのはそれほど奇異には思えない。確かに1900 年前後のプラトン解釈や霊的世界の否定と肯定に関して決定的な差異が認められる。これらの明らかな差異にもかかわらず、彼は自らの理念を徹底させることのできる場所と戦略を神智学に見い出したのだ。大学の学者ではない知的アバンギャルドにして「本来的自己」が真の世界を「認識」するのだという絶対的確信をもつシュタイナーは、隠された「本来的自己」とその能力を開示する神智学(協会)に自らの生きる道を見い出したのである。 然し乍ら、シュタイナーは1897 年に自身が編集を務める雑誌に神智学批判の記事を書いた。彼によれば、彼は神智学における内的体験は,見せかけ以外のなにものでもないとしていた。彼の思想を指す場合に敢えて「人智学」という用語が用いられるのは此のこと故かどうか。「人智学」は、シュタイナーが1912年頃から神智学から自身の思想体系を区別するために頻繁に用いるようになった用語であるが、例えば彼の初期の哲学が「人智学の基礎」と呼ばれるように彼の思想全体を指示する言葉としても用いられる。また、ヒンズー教・キリスト教・仏教に対しても、ヴィシュヌ神のアヴァターラ(化身)であり、またシヴァ神と共に民衆から深く愛されている神クリシュナ(Krishna)、「もっともすぐれた牛」最上級の接尾辞がついたゴーダマ・シッダールタ、ナザレのイエスの三人は、それぞれの時代に神のように現れ、不滅の基盤の上に建てられた三つの宗教を人類に残した。これら三つの宗教すべては、とくにキリスト教の信仰において、結局は不純なものになってしまった。ー中略。これら三つにある人間のドグマ(教義)の不純物を浄化せよ、さすれば、純粋なありのままの本質が統一されるだろうと諫言しています。 * シュタイナーによれば、「すべての人間はその日常の人間の他に高次の人間をもその内部に担っている。高次の人間は目覚めさせられるまではいくらでも隠れたままでいる。ー中略。神秘学徒は自分自身で新しい高次の人間を自分の中に産まねばならないのである。真剣になって超感覚的認識を求める人なら、自分を高次の秘密へ導いてくれる導師を見出すまで、どんな努力もどんな障害もおそれてはいけない。瞑想は自分の永遠不滅の核心を認識し直観するための道である。哲学・思想ランキング
2023年05月27日
コメント(0)

アナーキズムから神智学へ *シュタイナーの「本来的自己」6:学術からアナーキズムそして神智学-心の変遷2 アナーキストのシュタイナー アナーキストとしてのシュタイナーは,ヘルメス主義的人間観・世界観を媒介にして、オカルティズムないし神智学へと参入した。彼にとっての超自然的な力や現象の存在を信じ、それらに権威を認めようとするオカルティズムは、既存の学問を超えて人間の隠された可能性を追究する営みであった。さらに彼は,今まで曖昧であった慣習的な自己と「本来的自己」という区別を明確にする言説を神智学の中に見い出す。つまり,この人間の核としての「本来的自己」は、「修練」という実践によって目覚めるものだとされた。「瞑想」や「集中」の行という実践は、大学の学問としては踏み込めない領域であり、シュタイナーはそこに神智学の意義を見い出した。更にはアナーキズムにおける「抑圧からの解放」というイメージは、隠されてきた叡智や世界観の開示や、主流の自然科学に抑圧されてきた「霊学」の開示として、オカルティズムにおいて再解釈された。 かくして、シュタイナーは,既存の学問や体制から解放を訴える前衛的環境から隠された次元を開示するオルタナティブな「学問」の場であるとともに実践的修練の場でもある神智学協会へと場所を変えた。立ち位置・場所の変化と関連して、抑圧から解放された「自己」に絶対の信頼を置くアナーキズムという言説的戦略が、実践的修練による「高次の自己」への目覚めと隠された次元の開示という神智学ないしオカルティズムへと移行した。この変化のなかに共通するのは,自己に絶対の信頼を置くシュタイナーの態度であり、アナーキズムにおける自己は,神智学において徹底的に強化されたのである。哲学・思想ランキング
2023年05月26日
コメント(0)

アナーキズムから神智学へ *シュタイナーの「本来的自己」6:学術からアナーキズムそして神智学-心の変遷1 学術的なシュタイナー ゲーテ研究で名を成すも学術的な職に就くこともできずシュタイナーは学会への希望を捨てて前衛・革新的、悪く言えば世のひねくれもの、アバンギャルド(avant-garde) な人物との交流を深めます。哲学的には初期にはニーチェやシュティルナーの思想の影響もあって、カント哲学における認識の限界を否定するだけではなく、従来の哲学的伝統としてのプラトンのイデア論をも批判する。シュタイナーにとっての個人的自己は本来すべての倫理的源泉であって、自己の前では認識できない「彼岸」などはない。人間は元来、現実世界を真に「認識」できる存在なのである。このような自己への絶対的信頼を、彼は「個人主義的アナーキズム」として表明していた。彼のアナーキズム論は、既存の学知や体制による「抑圧」から「自由」になった「本来的自己」を称賛する言説的戦略となっていたのです。哲学・思想ランキング
2023年05月25日
コメント(0)

アナーキズムから神智学へ *シュタイナーの「本来的自己」5:アナーキズムと神智学-4「本来的自己」への目覚めと「生まれ変わり」 シュタイナー世界観の「本来的自己」への目覚めは、宗教的秘密結社の儀礼においても基本的な最終目的を達成するため指標メルクマールである。フリーメイソンのような宗教的秘密結社の参入儀礼は、劣等状態から優越状態へと移行する儀式であり、この移行のために精神的または肉体的試煉を受け、象徴的な死と再生を体験しなければならないとされる。こうして参入者は「生まれ変わり」を体験し、今までとは別の自分「本来的自己」に成る。神智学協会とくにアニー・ベザントによって制度化された神智学協会はフリーメイソン的な儀礼と位階制をもち、また「エソテリック・スクール」と呼ばれる選ばれた者だけが参入することのできる内部の修練機関をもっていた。シュタイナーは、この「エソテリック・スクール」に参入し、アニー・ベザントを教師として仰いで,修練を積んだ。彼の著作においても,エソテリックな環境での師と弟子の関係は重要視されており、師のサポートによる「瞑想」や「集中」の行は、彼の説く「修練」の真髄であった。この秘儀参入による「本来的自己」への目覚めという言辞は、彼にとって超越的自己を確立するために有効な手続きであり,また大学内の学問では踏み込むことのできない卓越した実践領域に属するものでもあった。この秘儀的な「本来的自己」への目覚めと、それによる「生まれ変わり」の言説をば実のところ1900 年以前のシュタイナーも知っていた。何故なら、彼はゲーテのメルヘン解釈において「死して成れ」という言葉を人間の生まれ変わりの言辞として重要視していたからである。1900年以降は、この「死して成れ」という言葉を深く理解することで、「目覚め」や「生まれ変わり」という言に価値を見出したと考えられる。シュタイナーによるゲーテの「ファウスト」解釈の中にも、「高次の生の目覚め」としての「死して成れ」の思想が潜在している。興味深いのは,ニーチェの哲学もそこに結びつけられる。シュタイナーもニーチェも、共に「自由」へと至るためには、先ずもって、自己を外的に規定する世界を喪失する必要性を訴えたのであって、「より深く現実に入り込むためには、世界の喪失が要請されることとなる。「世界の喪失」は自己の世界の獲得のための条件となり,かくして「超人」への道が拓かれる。つまりは、世界の喪失から「本来的自己」への目覚めという「生まれ変わり」の経緯は、シュタイナーによってニーチェの哲学にも結びつけられる。 かくして、シュタイナーの個人主義的アナーキズムとニーチェ理解に通ずる「自己への絶対的信頼」は、この自己を「高次の自己」へと昇華させることによってさらに確固たるものとなる。宗教的儀礼および実践的修練における「生まれ変わり」は、この「高次の自己」へと至る手続きとされた。彼にとっては、この「高次の自己」乃至「本来的自己」の言説を語るための有効な場所が、既存・主流のものに代わるオルタナティブな「学問」のサークルにして秘儀的な宗教結社という実践の場としての神智学協会であったのだ。哲学・思想ランキング
2023年05月24日
コメント(0)

アナーキズムから神智学へ *シュタイナーの「本来的自己」5:アナーキズムと神智学-3 「本来的自己」の認識 シュタイナーのアナーキズムにおける思想的核心は、「個人主義的アナーキズム」における自己に対する絶対的信頼であった。人間は束縛から解放されて「自由」になり、本来の自己に基づいて責任をもち行動すれば、倫理的世界も実現することができるし、現実世界を完全に「認識」することができる。この確信は1900年以降の彼の神智学においても変わることはない。無論、認識対象はそれぞれの時期で非常に異なるのではあることは承知おきたい。彼の神智学によれば、人間がすべての潜在する能力を発揮すれば、すべてを「認識」することができる。それは「霊界」も例外ではない。かくいうのも、「霊界」も、偶然的に展開するものではなく、必然性をもって合法則的に展開していくからである。この合法則性は、物質界では物理法則に則(のっと)った運動ということになるが、「霊界」にはそれ自体独立した法則が存在すると述べます。人間が「霊界」の法則や実体を把握できていないのは、自分の能力を完全に開発しきれていないからであり、彼のいう「超感覚的認識」この能力を開発するために霊的な「修練(Schulung)」、例えば「瞑想」が必要であることを彼は説きます。 さらに神智学においての自己はシュタイナーの重層的世界観・人間観の中で「自我(das Ich)」として超越的な位置に置かれることになる。彼の人間観において、人間を動物と区別させるものは「自我」であり、この「自我」が人間性の中心である。彼によれば、この「自我」は修練によってさらに洗練された「自我、更には彼のいう「霊我(Geistselbst)」)になることが可能である。彼の神智学における中心的目標は、「自我」を意識して洗練させることであり、この「自我」は,アストラル体やエーテル体といった人間の別の構成要素とは違い、輪廻を経ても人間から離れることはない実体であり、人間の核である。個人主義的アナーキズムにおいての自己は修練によって洗練された「高次の自己」となることでさらに拡張されることになるのです。然し乍ら、彼の個人主義的アナーキズムにおいては、何故にそこまで自己に信頼を寄せることができるのか、将又,暴力にも流されてしまうような惰性的・慣習的な自己と倫理を実現する中心となる「本来的自己」がどのように区別されるのかということが曖昧なままである。然し乍ら、神智学においてのシュタイナーは、「自我」を中心にした多層的人間観と修練を導入することで,慣習的な自己と決定的に区別される「本来的自己」への目覚めという言説を構想していきます。哲学・思想ランキング
2023年05月23日
コメント(0)

アナーキズムから神智学へ *シュタイナーの「本来的自己」5:アナーキズムと神智学-2 秘儀の歴史・霊界の真理を解放する「霊学」 オカルティズムおよび神智学において特徴的な語りのひとつは、「秘儀の歴史」の構築である。西洋と東洋の歴史を通じて,霊界や魂の存在を直観する技法を知る達人たちの集団および結社があり、彼らの保持する「叡智」もそこで隠されているという言い回しである。そして、隠されてきたこの「叡智」が今こそ開示されねばならないとして、オカルティストは自らの言説を価値づける。シュタイナーは、1902年からこの神智学的な言説を受容し、とくに自らの技法を「薔薇十字」として構想した。「薔薇十字」という用語は、近代西洋における「秘密の叡智」を語る際の常套句であり、彼もこの「薔薇十字」という「伝統」を用いた。そして彼はこの「秘密の叡智」が万人に開示されねばならないとして自らの神智学を意味づけたのです。従来の学術研究では、彼は秘密を保持せずに開示することを目指すのであるから、彼の思想は「オカルティズム」ではないと結論づけられてきたが、実はそうではない。秘密を今こそ開示すると宣言するからには、シュタイナーは「オカルティスト」なのです。この「秘密の叡智」の開示という言い回しは、唯物論的な科学と新カント派の認識論という主流の中で、ヘルメス主義的な奥義と霊界の存在を自己が認識できるという革新的認識論を強調したいシュタイナーにとっては有効な言辞であったのでしょう。彼は自らの認識論とそれによる世界観を歴史的に潜在してきたものとして歴史化したのです。 今まで隠されてきた真理という言辞と同時に、主流の歴史や制度の側から抑圧されてきた真理という言い回しも、オカルティズムにおける語りの特徴である。例えば、ブラヴァツキーにとってはキリスト教の教義は真理を抑圧する不純なものであり、またインドに現存する「制度的宗教」も真理を抑圧するものであった。対して,シュタイナーにおいては,唯物論的な科学が霊界を認識する文化を抑圧しているとされる。この抑圧から霊界の真理を解放するのが「彼の主張する霊学」であった。この解放は、今はまだ少数派によって革新的に達成されるものであって、その主軸を担うのが神智学協会、後には人智学協会となる。アナーキズムの自己正当化とも関連しうる。かくいうのも,アナーキズムは、シュタイナーの「個人主義的アナーキズム」も含めて、抑圧されているという現状をまず想定してから主張を展開する。アナーキズムの理想となるのは、抑圧から解放された「自由」である。この「自由」のために目覚めた少数の者たちが世界を変革するのだとアナーキズムは呼びかけます。抑圧からの解放という意味ではアナーキズムとオカルティズムは共鳴しあう。 この時代の「秘密結社」には啓蒙主義的意味合いがあったとはいえ、シュタイナーにおいては、政治的革新は中心的動機ではなく認識論とそれによる世界観における革新であった。哲学・思想ランキング
2023年05月22日
コメント(0)

アナーキズムから神智学へ *シュタイナーの「本来的自己」5:アナーキズムと神智学-1 神秘主義への傾倒 シュタイナーは、神秘主義という主題を媒介にしてヘルメス主義的世界観に精通、ここに至ってアナーキズムにおける自己への絶対的信頼は、自己と宇宙の本来的一体性と、それへの目覚めという言説においてさらに発展した。彼の「神秘主義」に続く「神秘的事実としてのキリスト教」(1902年)の著作においては、愈々本格的に宗教が題材にされることになる。その中に取り上げられるのは密儀宗教の系譜「選ばれし者の秘密の宗教」である。彼の言によれば人間の世俗的生を超えた霊的世界の存在と、人間の魂の不滅性と輪廻思想という「古代の叡智」が密儀宗教の参入者によって伝えられてきた。この密儀は,ギリシアやエジプトを通じて存在しており、キリスト教もこの密儀の系譜の延長線上にある。この密儀の参入者のひとりがプラトンである。1899年の彼のプラトン理解は、「背後世界」をつくりあげた哲学史の元凶であったのだが、1902年においては「秘儀参入者」プラトンとなる。プラトンこそが世界の奥義を知る者であり,彼はそれを著「ティマイオス」において神話というかたちで語ったとされる。かくてシュタイナーはヘルメス主義的世界観から、隠された奥義の系譜を記述する「神智学」へと本格的に移行する。1900年以前にも彼は友人であった神智学者エックシュタインなどを通じて神智学を知ってはいたが、その時期には基本的に神智学には肯定的評価を与えていなかった。然し乍ら、神智学協会内の諸人物、なかでも彼の未来の妻であるマリー・フォン・ジーフェルスと交際し、ブラヴァツキーの著「シークレット・ドクトリン」などの神智学文献を読むことで、神智学の言説に精通していきます。実際に彼は1902年の1月には神智学協会に入会し、同年10月には神智学協会ドイツ支部の事務総長という重要なポストに就いたのです。アナーキストとしてのシュタイナーにオカルティズムおよび神智学は哲学からの転身をさせたものは何であろう。記: 神智学とオカルティズム――オルタナティブな「学問」として シュタイナーが 1902年に入会した「神智学協会」の母体、ブラヴァツキーとオルコットによって1875年にニューヨークに設立された。当時流行していた心霊主義と距離をとり、自らの思想を「オカルティズム」および「神智学」と呼んだブラヴァツキーは、真の叡智とそれを保持する結社が今でもインドの霊的達人(参照:キリストの生まれ変わり説)によって維持されていると主張し、この達人から霊的メッセージを受け取ることで霊的な世界観・宇宙進化論や輪廻の思想を構想していった。東洋の思想と西洋の思想を混合させた彼女の神智学は、ヨーロッパにも波及し、各地で神智学協会の支部が設立された。ドイツでもいくつかの神智学サークルが結成され1902年に正式に神智学協会のドイツ支部が設立された。この新たな協会支部の代表的支柱として選出されたのがルドルフ・シュタイナー博士だ。哲学・思想ランキング
2023年05月21日
コメント(0)

アナーキズムから神智学へ *シュタイナーの「本来的自己」4:「個別的自己」から「普遍的自己」*神智学サークルへの接触と神秘主義 1897年から1899頃年のシュタイナーの態度を顕著に表すものとしては、個人主義を頂点にした哲学史叙述がある。彼は哲学史に潜む「背後世界」や「彼岸」という概念を徹底的に否定し、自己とありのままの自然の実在だけを肯定する。この一連の哲学史の中で特徴的なのは、プラトンが「彼岸世界」を構築した元凶とみなされている点である。彼によれば、自己から生み出したもの観念に服従するという人間に対する大きな欺瞞を齎したものがプラトンである。プラトンは感覚世界が真実の世界ではなく、イデア界が真の世界だと主張したのだが,このプラトンの哲学は西洋史の中で呪縛(じゅばく)のように作用している。この彼岸的世界の究極が「神」であり、その意味でキリスト教も批判される。シュタイナーにとってキリスト教は,人間が生み出したはずの観念や倫理を「彼岸」から来るものとして想定してしまうことによって,人間の自己認識を妨げるものであった。このように彼が批判する西洋哲学の伝統のひとつが、己が生み出したはずのものを彼岸に置き、それに服従するというプラトン的・宗教的潮流である。もう一方の批判の矛先は、フィヒテによって代表されるような、自然をも人間の想像物として過小評価してしまう認識論的独我論の潮流に対してである。「イデア」や「神」という彼岸的なものは,すべて自己から由来するものだと自覚し、さらに自己は実際に存在する世界としての自然を真に認識できると確信することが、シュタイナーにとっての未来のあるべき哲学であった。のちに隆盛を極める唯物主観に向かわなかったところにシュタイナー世界観がある。この楽観主義的な確信の哲学的世界観の中に,神智学で言及される「霊界」や死後の世界が入りこむ余地はないように思える。困難になった雑誌編集の仕事から労働者教養学校で講師を務めることになったシュタイナーに神智学者のブロックドルフ伯爵夫妻にニーチェについての講演者として、神智学サークルでの講演を依頼されたことを切っ掛けとして神秘主義についても講演を行うことになる。その成果を彼は1901年9月に「神秘主義」というタイトルの下にまとめ出版。このころからシュタイナーが神秘主義的言説について熱心に研究していた様子が見て取れる。但し、シュタイナーは神秘想の基調として「汝自身を知れ」という伝統的警句を置く。神秘主義という伝統は、神に対する絶対的受動性に基づいたなどではな、自己認識の道に他ならないからである。この自己認識によって世界全体と一体である「高次の自己」としての「普遍的自己」に人間は目覚めるのだというのです。 私たちはもはや偶然に存在する人間ではなく,あれこれの個体ではない。私たちの中に全世界が開示されるのである。世界はみずからの関連を私たちに明かす。ー中略。自己認識から世界認識が生まれるのである。そして、私たちの有限な個体は、大きな世界連関へと霊的に組み込まれる。私たちの個体を超え、個体を部分として含む全体を包括するものが、私たちの中に生きているからである。 彼によれば,自己認識によって世界は明かされるとともに霊的に再生する。「私の自己の目覚めとともに、世界の事物は霊的に再生するのである。」、こうして「高次の自己」に目覚めることが、世界全体を霊的なものとして認識することにつながる。ここで前提となっている世界観がミクロコスモスとしての人間とマクロコスモスとしての世界の本来的一体性である」。このようなヘルメス主義的世界観を、彼はパラケルススやアグリッパを通じて学びながら,ヘーゲルやゲーテの自然哲学と結びつける。 かくしてシュタイナーは、個人主義的哲学から神秘主義としての「自己認識が世界認識」の哲学へと移行することで、神智学的世界観に接近した。しかし、「神秘主義」執筆の時点で、イエス・キリストの磔刑(たっけい)と復活の意味や贖罪などの宗教的言説に関しては殆ど触れられないだけではなく、彼は聖書の物語を「超自然的な創造神話」あるいは「超自然的な奇跡物語」と呼んで時代遅れのものとみなし、エルンスト・ヘッケル(Ernst Heinrich)の「自然的創造史」その提唱する「一元論」をそれに代わるものとして評価していた。この時点のシュタイナーにとって、キリスト教の「神」は世界の神秘のメタファーでしかなかったのであり、彼の神秘主義理解は,キリスト教の伝統における神秘主義とは大きく異なっていた。哲学・思想ランキング
2023年05月20日
コメント(0)

アナーキズムから神智学へ *シュタイナーの「本来的自己」3:個人主義的アナーキスト・アバンギャルド(avant-garde/前衛・先駆・先端)時代(1897年から1899頃年)のシュタイナー 19世紀から始まる国家の存在を否定し、権力からの個人の完全な自由を目指す革命思想アナーキズム(アナキズム/ anarchism)は,19世紀末に至ってより広範な思想圏へと接続することになるそれはニーチェをめぐる思想圏である。シュタイナーにおいてもそうであったように、ニーチェ哲学の流行は、シュティルナーのアナーキズムがニーチェの先駆者として「再発見」されることにも繋がった。つまり、ニーチェの哲学が呼び水となって、「ニーチェ病熱狂(das Fieber der Nietzsche-Krankheit)」と呼称されるほどにアナーキズムへの関心が高まった。19世紀末のアナーキズムの一部は、ニーチェの哲学と結びつくことで従来の学識および体制から「自由」になって本来の自己の力で社会を実現するという知的スローガンとなったのです。ニーチェに傾倒していたベルリン時代のシュタイナーも、当然に、この「熱狂」の中で活動していたことは間違いない。1898年には、彼は「雑誌文芸」にニーチェ以上に過激なシュティルナー論を載せてその哲学を賞賛した。然し乍ら、その年の9月10日にオーストリア・ハンガリー帝国の皇后がイタリア人のアナーキストの青年によって暗殺される事件が起こると、世論によりアナーキズムが非難され,シュタイナーに対しても「アナーキスト」としての非難が向けらます。この非難に対して彼は,事件の直後にマッケイと交わした書簡を「雑誌文芸」の記事として公開することで応答した。この書簡の中でシュタイナーは,「個人主義的アナーキズム」や「理論的アナーキズム」という言葉を自らの世界観に適用することは今まで避けてきたが、「個人主義的アナーキズム」という言葉が自分に適用されるのかと問われれば、無条件で「はい」と答えなければならないと断言する。とはいえ,彼は行動によるプロパガンダ、すなわち、テロリズムに対しては断固として反対することを強調する。「個人主義的アナーキスト」とは、権力や暴力によって人間を自由にするのではなく、すべての暴力と権力を放棄することによってまったく自由な人間になる。だからこそ、個人主義的アナーキストは、暴力に基づく国家に対しても闘うし、いわゆる行動によるプロパガンダに対しても熱心に闘う。こうして彼は,自分自身が「個人主義的アナーキスト」であることを宣言しながらも,テロリズムには組しないことを主張したのである。 彼の公開書簡は弁明とみなされても仕方ないタイミングで出されたものであったが、彼が敢えて「アナーキスト」を自称しながらもテロリズムを非難したことは評価されるべきだろう。しかし、それでも「雑誌文芸」を購読していた教授連は納得することなく、シュタイナーに非難を向け,雑誌の注文をとり止めていったという。この出来事は、シュタイナーが正統的な学問あるいは大学の教授たちに背を向ける更なる契機になったと考えられる。 その後も彼は、臆することなくアナーキズム論を展開し、1899年にはマッケイの詩を賞賛する記事を書く。そこでも彼は自らが掲げる「真のアナーキズム」が暴力とは関係ないことを訴えている。 真のアナーキズム(der wahre Anarchismus)が、現在の社会秩序を暴力で克服しようとねらうような、不幸で蒙昧な者たちによる滑稽な振舞いとは何の関係もないことは繰り返し言う必要がある。ー中略。真のアナーキズムは,あらゆる暴力措置に対する対抗者であり厚顔無恥に「アナーキズム」というスローガンを用いる者たちに対する対抗者でもある。 人間の魂の最高の高貴さは,謙虚で献身的な態度にあるのではなく,自分自身を高くに置かなくても十分であるという誇らしげな意識にある。このような意識をもつ人は,自分自身の人格に対して大きな責任をもっているということを感じる。その人は、自分の素質のあらゆる豊かさを展開させることにまったく躊躇しない。このように自己への自信と責任に基づいて自由に行動することを、シュタイナーは自らの「人格の神聖さ」と呼ぶ。さらに、私たちはそのような高貴な本性にアナーキズムという語を付与してきたと述、その本性は,内的で心的な必然性からこの世界観を求める」とした。このように、シュタイナーは自己をあらゆるものの中心に据え、自己の高貴さ、神聖さを謳う。彼にとっての真のアナーキズム、すなわち「個人主義的アナーキズム」は、既存の制度や価値観にはじめから囚われることなく、あらゆる理念や行動の基準を自己に置き、自己の「内的な必然性」から責任をもって行動することであった。そこには,彼の自己に対する絶対的な信頼が横たわっている。この時期の徹底的な内的主観には神秘体験を予感させるものがあります。哲学・思想ランキング
2023年05月19日
コメント(0)

アナーキズムから神智学へ *シュタイナーの「本来的自己」2:ゲーテ著作編集と学術界進出の挫折 ワイマール時代(1890年から1897年頃)のシュタイナーは、まずは鉄道技師であった父の影響でウィーン工科大学に入学するも、興味はドイツ観念論やゲーテの自然哲学に向かう。彼はゲーテ研究において才能を開かせ、長年住んだウィーンからドイツのワイマールへと居を移し一定の名声を得ています。その後、フィヒテの認識論に関する博士号を経て学術界へと進出する期待を込めて「自由の哲学」を出版するもするもままならず学術界への進出の試みは挫折、自らの哲学が教授陣に高く評価されなかったシュタイナーは,大学の外にいる知識人たちとの交流を育むことになる。そこで大学内の主流の学問に満足せずに反抗するための理想像となったのが1890 年代に彼が熱狂的に支持していたフリードリヒ・ニーチェ(Friedrich Nietzsche/1844-1900)です。シュタイナーの「自由の哲学」(1894年)は,ドイツ観念論とシュティルナーおよびニーチェの個人主義を融合させた思想を軸にしている。彼はそこでカント以来の哲学が前提としている主観と客観という分裂や、主観が認識しえない「物自体」という概念を批判し、人間は「思惟」によって現実世界を真に再構築できるのだと主張します。彼によれば、人間は本来、自然と同一の存在であるがゆえに、現象としては無秩序に現れる客体を秩序だった現実の自然として再生するという力「思惟」をもつ。彼のこの認識論哲学が前提としている核は、自分自身の力への絶対的確信である。この確信のもとでは、人間が自然に授かった「思惟」を発揮すれば,自然そのものを再構築することができるだけではなく、あらゆる固定観念および因習的制度から解放された自己に基づけば人間は倫理的に行動することができるというのです。このような自己への楽観主義的な信頼及びすべての倫理的・世界観的理念を自己の責任のもとに置く考え方、この態度を彼は「倫理的個人主義(Ethischer Individualismus)」を、彼はニーチェの哲学と同一視する。シュタイナーは1889年からニーチェの著作を読み始め、彼の哲学に共感を抱くようになり、1895 年には「フリードリヒ・ニーチェ 同時代に対する闘争者」というニーチェ論を執筆する。シュタイナーはこの著作において,自らの思想的核としての「自己」への絶対的信頼をニーチェの「超人」思想とを結びつける。彼にとってニーチェは、「完全な個人主義者」で、「時代に合わない人物の信念、反時代的闘士の信念」をもった人物であり、学術界とは別の世界で前衛、先駆け、革新的アバンギャルドとして生きるシュタイナーにとっての模範となったと考えられるます。ワイマール時代のシュタイナーは、骨が折れる仕事に追われながらも、それまでのゲーテ的、あるいは観念論的な思想とは異なった思想圏、つまりニーチェの思想に接することになります。シュタイナーは,人間と自然の本来的一体性というロマン主義的・観念論的同一哲学に依拠しながらも、既存の倫理観や学知に固執するのを否定し、准ずるべき理念を自らの内から導き出して行動する人間を目指していました。この態度こそが、ニーチェの思想に影響を受けながら築き上げた「倫理的個人主義」だった。「倫理的個人主義」は、其ののちワイマールを去ってベルリンへと赴くシュタイナーにおいての基本的な態度となります。それどころか、アナーキズムやニヒリズムなど無神論といった言葉で形容されうるような主義と結びついて彼の「倫理的個人主義」はいっそう先鋭化されたのです。哲学・思想ランキング
2023年05月18日
コメント(0)

アナーキズムから神智学へ *シュタイナーの「本来的自己」1:問題の所在 「人智学(Anthroposophie)」という思想運動を展開したルドルフ・シュタイナー(Rudolf Steiner/1861-1925)の生涯を記述する上でもっとも議論を呼んできたのが、ゲーテ研究者であり哲学者であったシュタイナーが、何故に、神智学という「オカルト(occult)と呼称される秘学・神秘・超自然的なもの」へと没入したのかという謎でしょう。1890年代からのシュタイナーは、ニーチェの無神論的な思想を受容しながら反宗教的傾向を強めており神智学を否定していたと思われていたにもかかわらず、1902年に神智学協会に入会し、同じ年にそのドイツ支部の事務総長という重要なポストに就いたのです。 この回心転意についてはシュタイナー自身が、最晩年に書いた自伝の中で1897年から1902年までに宗教的回心があったことを仄めかしています。彼は1890年代の後半には唯一者(タダヒトリ)の自由を求めたシュティルナーやニーチェの唯物論的・無神論的哲学に没頭していたのだが、この「厳しい試練」の時期を宗教的回心によって克服したというのです。換言すれば,シュタイナーは極端に唯物論的で無神論的な思想に傾倒していた時期を、神智学へと参入する前に受けるべき「試練」として意味づけるとともに、この「試練」を突破するための契機として宗教的回心体験、彼に言によれば「ゴルゴダの秘儀の前に立つこと」と位置づけたのです。かくして、彼の生涯は霊的に洗練されるための諸段階として、最晩年の彼自身によって体系づけられます。然し乍ら、このような自伝における記述は、晩年の「人智学者」シュタイナーが描く「物語」でもあるため,学術的分析のためにはこの「物語」に対して慎重な態度をとるべきとの論評もあります。此のシュタイナー「転身」問題は、彼の教育学の先行研究においては、1890 年代の彼の「自由の哲学」と晩年の「人智学」に通じる思想的一貫性が強調されることにより、問題視されなくなっています。然し乍ら、この視点からは転身前後の思想、特に神智学に対するに対する分析が等閑(なおざり)となります。教育学の視点を離れて歴史学的視点からは、「転身」の時期の思想的な断絶が指摘されると同時に職と金銭を得るための「転身」が仄めかされることにもなります。然し乍ら、1890年代の哲学と1902年以降の神智学的世界観の差異ある思想を経済的理由でのみ説明するには限界があります。なぜ彼が神智学へと参入していったのか、それには大学の学問に対する挫折と失望という状況とアナーキズムへの傾倒とオカルティズムや神智学への接触がある。アナーキズムとオカルティズムは、それぞれ異なった思想形態ではあるのだが、近代社会内での位置づけとしては併せて論じるに値するほどの共通点をもっている。アナーキズムからオカルティズムへと渡り歩くシュタイナーにおいては意義深い要素でしょう。彼はそこに自らの思想的核心を有意義に主張する場所と戦略を見出したのです。哲学・思想ランキング
2023年05月17日
コメント(0)

「神秘学」シュタイナー思想の概念7:高次世界の認識と行-4 通常の認識を超えるものとして、イマジネーション認識、インスピレーション認識、インテュイション認識の三つがあり、霊視的認識であるイマジネーション認識を通して魂界、霊聴的認識であるインスピレーション認識を通して下位の霊界、霊の本質を内側から認識するインテュイション認識を通して、上位の霊界を認識できる。◎イマジネーション認識である霊的・超感覚的認識の第1段階:外的な対象物表象を抱くことが可能になる。対象物は表象像として内面化されたのである。◎インスピレーション認識である超感覚的認識の第2段階:対象物も表象像もなしに、概念を直接把握する。霊的形姿の語る言葉を聞くことができるようになり、自分の前に現れた霊的存在がどのような存在なのかを知ることができるようになる。◎インテュイション認識である霊的・超感覚的認識の第3段階:認識行為の主体である自我は認識の対象のなかに入り込み、対象の内面を認識する。私たちの前に現れた霊的存在が何物であるかだけではなく、その存在の内面も認識されるのである。私たちの意識が私たちの前に顕われた霊的存在と一(いち)になるのである。 高次世界認識の各段階:イマジネーション認識、インスピレーション認識、インテュイション認識の三つの認識を得るプロセス1 精神科学の研究。さしあたり物質的感覚的世界において身につけた判断力が使用される。2 イマジネーション認識の獲得。3 秘文書の解読ーインスピレーション認識に相当。4 霊的周辺世界への自己移入ーインテュイション認識に相当。5 ミクロコスモスとマクロコスモス(Macrocosmos and microcosmos, Macrocosm and microcosm)との関連の認識*大きな世界(大宇宙)に対応する小さな世界(小宇宙)、すなわち人間を指す。人間と宇宙とを対比させて考えるこの思想型。6 マクロコスモスとの合一。7 以上の項目を全部体験し直し、その体験を心底の根本感情とする。哲学・思想ランキング
2023年05月16日
コメント(0)

「神秘学」シュタイナー思想の概念7:高次世界の認識と行-3 キリスト教の修行の7つの段階キリスト教修行の7つの体験に没頭すれば、アストラル体への強力な作用を通して、内的な知覚器官が形成されてゆく。◎洗足:上に立つ者は下にあるものなしでは存在できないことを知り、自分より下のものに対して感謝する行為・修行。◎鞭刑:人生の苦痛が襲ってきたとき、怯まず、人生の苦痛に立ち向かい、耐え忍ぶ修行。◎茨の載冠:自分のもっとも神聖な霊的本質に侮辱、嘲笑が浴びせられたとき、その苦痛を嘆くことなく、まっすぐに立っている修養。◎礫刑:自分の体を自分とは関係のないものと見なす。(*禅道:火もまた涼し。)◎神秘的死:自分は独立したものではなく、現生世界に属するものとして現実世界の中にて埋葬されるのを体験する。◎埋葬・復活:自分は地上にあるすべてと親しく、地上の素材から自分の体が成り立っていることを感じ、地球に埋葬されるのを体験する。◎昇天:脳を使用せずに思考し、霊界に受け入れられるのを体験する。記:ヨハネ黙示録は、物質的認識、イマジネーション認識、インスピレーション認識、インテュイション認識のそれぞれを、「7つの協会への手紙」、「7つの封印」、7つのラッパ、7つの怒りの鉢として象徴的に描いている。 瞑想行のはじめから最終段階まで常に行じる必要のある5つの行*いかにして超感覚的世界の認識を得るか。◎思考の行:なにか単純なものを思考の対象に取り上げ、ほかの考えが入ってこないように思考を制御して、その対象について集中的に思考する。◎意志の行:実生活には殆(ほとん)ど意味を持たないような単純な行為を、毎日一定の時間に行う。◎感情の行:快と不快、喜びと苦しみを平静に受けとめて態度に表さない。(*平常心)◎積極性の行:すべてのなかに優れた点を見いだす。*精神的実践行動◎偏見を脱する行:新しい体験に対して捕らわれぬ態度で接し、日常のあらゆる機会に新しいなにかを体験しようとする。*目的的実践行動記:シュタイナーは、神智学協会ドイツ支部の秘教学院の指導を任されたときには、以下の次のようなイギリス神智学協会の秘教学院の規則を踏襲。◎酒類を一切絶つ:アルコールが脳(特に松果腺)を破壊する作用を有するから。◎なるべく肉食を避ける:肉と魚を食べることは禁じられているわけではないが、肉食によって人間の低次の本性との戦いが困難になることからの努力行動。◎霊学(神秘学)の書物を研究する:霊学(神秘学)の書物との研究というのは、読書の対象に選んだ霊学(神秘学)の書物を1日15分あら30分、1ページか2乃至3ページずつ読んでゆき、その部分の思考のプロセスを自分で辿ってみるという形の読書法。◎朝、朝食をとる前に瞑想する:瞑想の本質は、魂を平静にして、外界にまったく依存しない象徴的な表象に精神を集中すること。その心象像に精神を集中することによっても言葉(*マントラ=マントラは真言や聖歌という意味があり、力のこもった言葉)に意識を集中されることによってでも、魂的・霊的世界のなかへ算入していくことができる。◎夜、床に就く前に逆観を行う:逆観というのは、その日一日の生活を逆の順序で遡行的に表象する行。映画の逆回しのフィルムを見るように、自分の1日の生活を数分間で逆方向に辿る。*シュタイナーが紹介している瞑想行の代表的なものに、「薔薇十字の瞑想」がある。哲学・思想ランキング
2023年05月15日
コメント(0)

「神秘学」シュタイナー思想の概念7:高次世界の認識と行-2 仏教における霊的認識の4つの主要段階(1)初禅:欲を離れて対する。(2)第二禅/対象を表象せず、心が統一される。(3)第三禅/禅定の喜びを捨て、冷静に住する。(4)第四禅/以上の三段階を乗り越えて、念が清浄である。*さらに、無限の虚空を観ずる空無辺処定、識を広大無辺と観ずる識無辺処定、識という思いを捨てる無処有処定、有想も無想も捨てる非想非非想処定が説かれる。 仏陀が教えた「行」・八正道(苦を滅する道)◎正見:思考に注意を払い、意味のあることのみを考え、自分の思考のなかで本質的なものと非本質的なもの、真理と単なる意見とを区別し、人の話を聞くときには思考と感情の中で賛意と批判とを絶つ行。◎正思惟:どんなことにも根拠ある熟慮熟慮を経た上で決定し、思慮を欠いた行為、意味のない行為を避け、共感と反感から独立した判断を行なう行。◎正語:味のあることのみを話し、言葉の一つ一つを思慮深くあらゆる角度から熟慮し、人の話しを静かに傾聴する行。◎正業:人を妨げることなく、いかにすれば全体の幸福、および永遠に適した行為をなしうるかを入念に考え、自分の行為が及ぼす作用を前もって徹底的に考える行。◎正命:自然と霊とにかなった生活を送り、外面的な些事にとらわれず、不安やあわただしさをもたらすものを避け、軽率なことをおこなわず、不精にならず、人生を高い目標にいたるための手段とみなして行動する。◎正精進:自分の力でできることをおざなり(*ものごとをいい加減に対応)にせず、日常と無常なものの彼方を見て人間の最高の義務を自分の理想とする。◎正念:人生から可能な限り多くを学び、何事からも有益な経験を得るようにし、かつての体験を振り返って決意、実行する。◎正定:一定の時刻に自分の内面を静観し、自己のなかに沈潜し、自己と語り合って、人生の原則を確認し、認識を思考の中に通過させ、自分の義務を考え人生の内容と目標を熟考し、本質的で不滅のものを見いだし、それにふさわしい目標を立てて、最高の目標に向かって努力する。 インドの瑜伽(ヨガ・ヨーガ)における8つの修行の道の段階◎禁戒(このなかでも特に大事なのが不殺生の戒) ◎勧戒 ◎座法 ◎調息 ◎制感 ◎凝念 ◎禅定 ◎三昧があるが、なかでも行法としては、調息=呼吸法が重要です。哲学・思想ランキング
2023年05月14日
コメント(0)

「神秘学」シュタイナー思想の概念7:高次世界の認識と行-1 三つの修行の道(どう)・霊的発展の道 これらの道はなによりも師に対する弟子の献身のありかたによって区別される。神智学の門前にて(イザラ書房参照)。◎東洋の道:東洋の修行法、ヨーガの修行法においては、地上に生きている人間が導師グルであり、修行者は完全にグルに頼ることになる。自己をまったく消し去り、グルに帰依するときに、もっともよく進化する。◎キリスト教の道(感情を育成した人に適している):グルの一人に帰依するのではなく、偉大なグルであるキリスト・イエスに属していると感じ、キリスト・イエスとひとつになる。しかし、地上のグルを通してキリストに導かれなければならない。ここでも、物質界のグルへの依存はある。◎薔薇十字の道(科学の基盤の上に立ち、科学のために信仰に疑いをもっている人に適している):修行者はグルからもっとも独立している。グルはもはや導師ではなく、助言者である。グルは修行者がなにを内的に行うべきかについて教示を与える存在である。同時にグルは、霊的な修行と平行して、確かな思考の発展を育成する。はっきりとした思考の発展なしには、霊的な修行を行うことはできない。薔薇十字の修行では、物質界で思考を特に修練する。一貫した力強い思考が、神智学的な真理の学習あるいは思考の行を通して形成される。(*「自由の哲学」を研究することが、この修練になる)哲学・思想ランキング
2023年05月13日
コメント(0)

「神秘学」シュタイナー思想の概念6:アカシャ年代記-32:人類の歴史-後半◎アトランティス時代:アトランティス大陸は現在の大西洋の位置にあった。アトランティス人は、卓越した記憶力をもっていて、太古の叡智の記憶に基づいて巨大な文明を築いた。なお、彼らは、植物の生命力を利用した飛行機も持っていた。そして、アトランティス時代になってはじめて人間は言葉を使うことができるようになる。アトランティス大陸では、土星神託・木星神託・火星神託・ヴルカン神託・水星神託・金星神託があって、それらを統合する太陽神託があった。その太陽神託の指導者は、マヌ (*Manu /インド神話の登場人物ノアに相当、シュタイナー世界にはインド聖典ヴェーダの人物が頻繁に登場する。)という人物であった。アトランティス人は、その文明のなかに溺れ権力的になっていく。マヌは文明に毒されていない素朴な人々を集めて、アイルランドからヨーロッパを経て、ゴビ砂漠に向かった。アトランティスの文明を洪水が襲い、海中に沈めることになるからである。これ以降人類はインド文化期、ペルシア文化期、ギリシア文化期を経て、現代の第5文化期にいたります。さらには人類は次の文化期に移ることになってゆく。◎インド文化期(BC7227-BC5067):エーテル体の文化の時代で、マヌは7人の人物を選び出し、彼らにアトランティスの土星神託、木星神託、火星神託、ヴルカン星神託、水星神託、金星神託、太陽神託のそれぞれの叡智を担わせた。その7人がインドの7人の神仙(リシ)と呼ばれる人たちである。彼らは、宇宙の彼方に存在するヴィシュヴァカルマン神について語り、彼らの語った叡智の余韻は「ヴェーダ」の中に残っている。春分点は蟹座に位置し、人々は霊会に眼差しをむけ、彼らの目には物質界は、幻影(マーヤー)と映った。◎ペルシア文化期(BC5037-BC2907):アストラル体の文化の時代で、マヌは7人の仙人の他に特別の弟子を一人もっていた。この弟子は後にゾロアスターとして再受肉し、ペルシア文化を建設した。彼は、光の神アフラ・マズダを人々に説き、アフラ・マズダに対抗する悪魔アーリマンのことを語った。春分点は双子座に位置し、人々は地上への働きかけを開始した。ゾロスターは、自分のアストラル体をヘルメスに、エーテル体をモーゼに与えた。ヘルメスはゾロアスターのアストラル体を通して宇宙空間についての叡智を獲得しモーゼはゾロアスターのエーテル体を通して宇宙の歴史についての知を得て、「旧約聖書」の「創世紀」を書いた。◎エジプト文化期(BC2907-BC747):感覚魂の文化の時代で、ヘルメスがエジプト文化を築いてゆく。密儀の文化が開花し、オシリス、イシス、ホルスの親子神が崇拝された。春分点は雄牛座に位置し、人々は星界の法則に基づいて地上社会を建設しようとした。◎ギリシァ文化期(BC747-AD1413):悟性魂の文化の時代で、ギリシャ文化は純人間的な文化であり、哲学、芸術美しい果実を齎した。春分点は牡羊座に位置し、人々はプルートー、ポセイドン、ゼウスが活躍する神話を愛し、アポロン、ディオニュソスを崇拝した。老熟した地上の叡智と若々しい宇宙的な霊力という二つの流れは、プラトンとアリストテレスの二人によって代表された。◎第5文化期(AD1413-AD3573);意識魂の文化の時代で、ルネサンス時代を境として、人類は新しい時代に足を踏み入れた。ギリシャ文化を鏡とするかのように、此の新しい時代はエジプト文化を反映している。エジプト文化期のカルマ(*免れない宇宙の摂理としての「業」)が近代・現代のなかに反映している。エジプト時代のミイラへの情熱が、現代の唯物主義の隆盛とカルマ的に結びついている。◎第6文化期(AD3573-):霊我の文化の時代◎第7文化期(-------):生命霊の文化の時代哲学・思想ランキング
2023年05月12日
コメント(0)

「神秘学」シュタイナー思想の概念6:アカシャ年代記-22:人類の歴史-前半 現在の地球は、先ずは土星紀、太陽紀、月紀を繰り返し、次に没形態的霊状態、形態的霊状態、アストラル的状態を経て、地球紀・鉱物界状態・物質状態に至っている。7つの惑星紀(意識状態)、7つの周(生命状態)、7つの球(形態状態)、それぞれの4番目の時空のなかに現在の人類はいる。それから更に、4つの根幹人類期(ポラール時代、ヒュペルポレアス時代、レムリア時代、アトランティス時代)を経て、現在の第5根幹人類期にいたり、そのなかで、インド文化期、ペルシア文化期、エジプト文化期、ギリシャ文化期を通過して現代に至る。 4つの根幹人類紀については以下に詳細◎ポラール時代:地球はエーテル物質から形成され、その周囲をアストラル的な大気が包んでいた。このアストラル的な大気圏のなかに、人間の魂が浮遊していた。アストラル的な大気圏のなかの人間の魂は、エーテル的な地球にみずからを刻印し、エーテル的な地球の上にエーテル的な人間達が存在するようになった。そのエーテル球である地球上の無数のエーテル人間をアストラル的な大気圏のなかの人間の魂が統治する。◎ヒュペルポレアス時代:この霊的時代の前半までは、太陽は未だ地球の内部にあった。後半になって、太陽が地球から分離するという事件が起こって、外から光を地上に注ぐようになった。それからヒュペルポレアス人は鐘のような形をし、その鐘は太陽の光を受け入れるために上方に向かって開いていた。◎レムリア時代:この時代になって、地球のなかのもっとも粗雑な部分が月として地球から分離し、地球は荒廃を免れた。月が地球から分離する前、人間は太陽の力を受け取る女性的な存在であった。月が地球から分離したのち、太陽が男性的な力を、月が女性的な力を地上に注ぎかけるようになった。このことを通して、レムリア時代に人間は男と女に分かれた。かって、人間が男女両性具有であったころ、人間は自ら子どもを生みだし、その子どもの中に自分の意識を移行させていたが、男女に分かれ両性の生殖行為を通して子どもを生むようになると、それができなくなった。そして、年老いて肉体が崩壊すると、かつて肉体と結びついていた意識は物質界から去ってゆくことになった。この時代になって人間は死を体験するようになったのである。輪廻転生はレムリア時代に開始された。レムリア時代の初期では、地球は火のような水からできていて、人間はまだ肺をもたず、鰓で呼吸していた。やがて、水が引いていき、浮袋で空気を吸うようになった。また、鰓が聴覚器官へと変化した。そして、この呼吸を通じ、自我が直立した人間に受け取られた。このレムリア時代に、ルシファー(Lucifer、ルキフェル、ルシフェルとも)が人間に対する働きかけを始め、人間に独立と自由を与え、善悪の区別を教えた。そして、同時に、神々から独立した存在になった。レムリア大陸では、男たちは意志の育成に励み、女たちは想像力の発展に勤(いそ)しんだ。レムリア大陸の気温は高く、火山がいたることこで火を噴いていた。人間は邪悪な情欲を持つと、それに対応して火山は火を噴いていた。やがて、レムリア大陸は火山の爆発によって崩壊する。一部の人間は、逃れてアトランティス大陸へと移っていった。哲学・思想ランキング
2023年05月11日
コメント(0)

「神秘学」シュタイナー思想の概念5:アカシャ年代記-11:宇宙の歴史 アカシャ年代記には、この宇宙より前に3つの宇宙があったと記されている。それ以前にも宇宙はあった筈であるが、その様相は霊眼に映じない。霊眼には今の宇宙より3つ前の宇宙までしか見えず、また、今の宇宙より3つ先の宇宙までしか見えないから、それ以前且つそれ以降については知りようがない。 宇宙進化の有様を観察すると、そこには7つの惑星紀(意識状態)があり、惑星紀のそれぞれが7つの時期(7周*ラウンドあるいは7様の生命状態)に区分され、さらにそれらの周の其々に、7つの状態(7球*グローブまたは7様の形態状態)が存在する。つまり、7つの惑星紀(意識状態)×7つの周(生命状態)×7つの球(形態状態)ということになる。 惑星紀と人間の諸状態、及び諸構成要素の形成との関連、七曜(7つの天体)が守護するとされる日を表す語句1週の土曜、日曜、月曜、火曜、水曜、木曜、金曜が意味するものでもある。 7つの惑星紀(意識状態)は◎土星紀 昏睡状態・当世の鉱物の意識-肉体 ◎太陽紀 睡眠意識・当世の植物の意識-エーテル体 ◎月紀 夢意識・当世の動物の意識-アストラル体 ◎地球紀・火星・水星紀 対象意識・活動の昼の意識-自我 ◎木星紀(新エルサレム) 心的意識・自己意識的な夢(*形象を伴う夢)意識-霊我 ◎金星紀 超心的意識・自己意識的な睡眠意識-生命霊 ◎ヴルカン星紀 霊的意識自己意識的な昏睡(全体)意識-霊人に別たれます。 7つの周、若しくは生命状態は◎第1元素界 ◎第2元素界 ◎第3元素界 ◎鉱物界 ◎植物界 ◎動物界 ◎人間界に別たれます。 7つの球、若しくは形態状態は◎没形態的状態 ◎形態的状態 ◎アストラル的状態 ◎物質的状態 ◎彫塑的状態 ◎知性的状態 ◎元型的状態に別たれます。 上位の霊界から物質界までの時間展開とその対応関係は◎上位の霊界-土星紀・第1元素界・没形態的状態 ◎下位の霊界-太陽紀・第2元素界・形態的状態 ◎魂界-月紀・第3元素界・アストラル的状態 ◎物質界-地球紀・鉱物界・物質的状態に別たれます。哲学・思想ランキング
2023年05月10日
コメント(0)

「神秘学」シュタイナー思想の概念4:輪廻転生とカルマ 人間は一つの体験にとどまるのではなく、数多くの体験を経て、成長してゆかねばならない。それぞれの時代の文化を地上で体験することによって全人への道が歩まれ得る。つまり、人間は輪廻転生を繰り返しつつ、それぞれの人の世で得た成果を霊界へ担ってゆく。そして、霊界で地上への働き掛けを行いつつ、次の人世を準備する シュタイナーによれば、死後、人間は次のような経過を辿る。1:肉体死 自我、アストラル体、エーテル体が肉体から離れる。*眠りの場合は、自我とアストラル体が、エーテル体と肉体から離れて、魂的・霊的な宇宙空間へと上昇じてゆく。2:二乃至三日から数日かけて、自分の送ってきた一生を、「像」の形で外から見る。この後に、記憶の担い手であるエーテル体はエーテル界のなかに消え去ってゆく。3:アストラル体と自我からなる存在として、魂界に移行する。自分の一生を、再度、死の瞬間からはじめて、逆に遡及して、誕生の瞬間へと体験してゆく。しかも、今度は、自分の送った一生を内側から体験してゆく。注目すべきは自分が誰からの魂に与えた痛みや喜びをその人の側から体験であり、この通過に要する時間は、睡眠に費やされた時間で地上での人の世の約3分の1である。4:魂(アストラル体)を捨て去った人間は、一個の霊(自我)として霊界へ移行する 此処では輪廻転生の内容をさらに惑星領域の区分で詳細に叙述します。「低次の魂界」月界: ・死後、物資的な享楽、感覚的な喜びへの終着を消し去る。「高次の魂界」金星界: 高次の物質的、感覚的享受が浄化、消却される。水星界: 地上における理想に向けての献身的な働き、知的興味からの学問研究、面白さを動機とした芸術活動等の浄化。太陽界:魂は、物質界への執着をすべて払い落し、魂界のなかに解消する。「霊界の大陸」火星界:鉱物の原像が陰画の形で広がっている。かつて自分のものであった肉体が、物質一般と何ら別のものではないことを知る。死者は地上で身近だった人々に再会することになる。「霊界の大洋」木星界:生命が淡紅色に流れている。地上で、宗教を通して仰ぎ見ていた調和を体験に加えて、地上で同じ信条によって結び付いていた人々と再会する。「霊界の大気」土星界:人間が抱く感情が天候として現われる。この領域に生きているのは没我的献身の力であり、この領域では献身という能力を獲得する。「霊界の思考領域」黄道12宮界:創造の力が生きている。科学、学問、芸術等の霊感はこの領域で獲得される。以上、これらの領域を通って、死者はさらに高次の霊界へと上昇していく。記:カルマの法則 人間が外界からなんらかの印象を受け取ると、その印象は人間の内面にとどまり、なんらかのきっかけがあると、思い出として意識に戻ってくるように、人間が外界に体してなした行為は外界にとどまり、機が熟すると、その行為が自分に戻ってくる。この法則をカルマの法則という。カルマの法則という因果率を観察すると、現在現われている結果の原因は多くの場合は前生にある。また、現在の行為の結果は多く来世で現われる。外的な経験が次の人生でアストラル体を形成する。アストラル体が有した快や苦は次の人生においてエーテル体に表現される。エーテル体の傾向は、次の人生において、肉体の健康あるいは病気として現われる。肉体の行為は、次の人生で、外的な運命としてその人に帰ってくる。カルマの法則を知ることによって、現在の人生を解明できる。同時に、ある人生における自分の行為の結果が次の人生に現われるのだから、現在の自分の行為を通して、来世の自分の人生を形成してゆくことができる。つまり、現世は、前世の結果としてあると同時に、来世の原因としてある。カルマという考え方は、宿命論的なものではなく、未来に向かっての創造的な人生の力となるのである。人生の謎、人間関係の不思議、世界史の秘密がカルマと輪廻転生の観点から解明できるとするのが「カルマの法則、要するにするに「因果応報(業)」である。哲学・思想ランキング
2023年05月09日
コメント(0)

「神秘学」シュタイナー思想の概念3:シュタイナーの世界観-2 *霊界 すべてが陰画の形で見える霊界とはいかなる世界なのでしょう。その下位と上位とは下位部分は、第1領域:大陸/物質の原像が存在する。第2領域:大洋/生命の原像が存在する。第3領域:大気/魂の原像が存在する。第4領域:本来の思考世界/思考の原像が存在するインスピレーション認識(直覚力)の世界として顕われ、上位部分は完全な光と叡智の世界であり、生命の萌芽の領域、宇宙の意図の領域、原像の創造力の領域が存在するインテュイション認識(直観力)の世界であり、下位の霊界と上位の霊界の境界は、アカシャ界と呼ばれるものによって別たれています。魂界と霊界は瞑想者の霊眼に開かれる世界であるが、人間が死後通過してゆくことになる世界でもあるのです。魂界と霊界を地球を巡る諸惑星の領域に置き換えると、低次の魂界は「月界」、高次の魂界は「金星界」「水星界」「太陽界」となります。更にはその霊界は大陸=火星界、大洋=木星界、大気=土星界、思考領域=黄道12宮界が在しますが、それぞれ上下の段階の区別があるのではなく、地球を中心とするそれぞれの星の軌道内の空間全体が、それぞれの星の界です。古来からの伝統的区分「体・魂・霊」の区分ですが、人間の本性を、肉体、エーテル体、アストラル体、自我。霊我、生命霊、霊人の7つに分ける場合には、「体」は肉体・エーテル体、「魂」はアストラル体、「霊」は自我・霊我・・生命霊・霊人となります。記:黄道に沿った天域を12分割して十二宮。春分点に始まり黄経0~30度を白羊宮、30~60度を金牛宮、以下30度分割で双子宮(そうしきゅう)(双児宮)、巨蟹宮(きょかいきゅう)、獅子宮(ししきゅう)、処女宮、天秤宮(てんびんきゅう)、天蝎宮(てんかつきゅう)、人馬宮、磨羯宮(まかつきゅう)、宝瓶宮(ほうへいきゅう)、双魚宮とよんだ。これは黄道上の12星座は牡羊座 · 牡牛座 · 双子座 · 蟹座 · 獅子座 · 乙女座 · 天秤座 · 蠍座・射手座・山羊座・水瓶座・魚座の各座に対応するもので、とくに古代オリエントに始まり、中世ヨーロッパで流行した、出生時の天界のありさまで人間の運命を占うホロスコープ占星術において、太陽、月、五惑星の位置を示すのに使われた。天球の歳差運動により春分点が現在では魚座に移っているが、十二宮ではこの天域の名称は白羊宮で、現実の星座とは一つずつ食い違った命名になっている。 キリスト教本来の霊的存在の9つの位階ピラミッド型の階層組織の天使ヒエラルキーは、1:生命の子(黎明の子、個人の守護霊)=天使、2:火の霊(民族霊)=大天使、3:人格の霊(時の霊、時代霊)=権天使/アルヒャイ、4:形態の霊=能天使/エクスシアイ、5:動きの霊=力天使/ヂュナメイス、6:叡智の霊=主天使/キュリオテテス、7:意志の霊=座天使/トローネ、8:調和の霊=智天使/ケルビーム、9:愛の霊=天使に関する最も有力な説における最高位の天使で、キリストの生誕をマリアに告げた(受胎告知)の熾天使(してんし)/セラフィームがそれぞれに各界に存します。加えて元来は善良な霊的諸存在の仲間であったのに、途中から別の道を辿り、上記の位階から離れていった存在として、2つのタイプの悪魔的な存在、人間を物質の闇の中に引きずり込もうとする悪魔「アーリマン」ゾロアスター教においては、光明の神アフラ・マズダに対抗する闇の霊で、人間に破壊衝動を植え付ける者として登場しますが、人類に科学、学問を齎した存在でもある。だから、人類は厳密な思考方をこのアーリマンを通して獲得したが、その傾向がゆきすぎると、非人間的な数量的思考作業によって、すべてを割り切ろうとするようになってしまったとして悪とされる。ファウストにも登場する人間を現実から遊離させて幻想の中に引きずり込もうとする悪魔ルシファー、聖書に登場する堕天使で、「光を齎す者」を意味し、人間を過去の霊性に連れ戻そうとするが、人類に自由と自我の独立性を与えたことは評価の分かれるところでもある。このルシファー衝動を通して、人間は自分を高貴な存在と感じ、日常を超えた情熱をもつことができるようになる。しかし、この傾向が過剰になると、世俗の人々を見下し、独善に陥ることになってしまう危険性を孕んでいます。以上これらのアーリマン的な極とルシファー的な極の中間にそびえる9位階霊的存在が、魂界霊界にあって、地上の文明と人類の発展に関与しています。哲学・思想ランキング
2023年05月08日
コメント(0)

「神秘学」シュタイナー思想の概念2:シュタイナーの世界観-1 シュタイナーは、世界は「物質界・魂界・霊界」の三つの構成要素から成り立っていると述べます。物質界とは何らかの形姿をもって形相と質量を外感覚が意識として捉える外的現実世界です。対して魂界・霊界の二つは定まった形相及び質量を伴わない内的精神世界です。但し、この観念論的世界観に対し、物質を根本的実在と考え,精神あるいは意識・観念なども物質から導きだされるとする考え方もあります。更には物質を第一次的で根本的な実在と考え方、心とか精神を副次的で派生的なものとみなす哲学、精神を物質(脳)の状態、属性、機能としてただちに物質と捉えるもの、精神的なものに対する物質的なものの根源性を主張し、精神的なものはその現象ないし仮象と見なす認識論的、形而上学的な立場、更には、マルクスとエンゲルスにより弁証法的唯物論として確立された史的唯物論のマルクス主義など観念論的世界観を否定する世界観もあります。シュタイナーの世界観は「物質界」は大地・海洋・大気からなり、鉱物、植物、動物、人間の活動の場とし、「魂界」を光、魂的活動、魂的生命が輝く共感の高次領域、すなわち形態と色彩の世界、漂い流れる色彩の海の世界で、すべてが鏡像の形で見えることもある毎夜夢の中で算入しているイマジネーション認識(想像力)の世界と反感と欲念の渦巻く低次領域、仏教に云う欲界、キリスト教の煉獄に区分しています。最後の霊界はすべてが陰画の形で見える世界であるというのが特異なところ。普段我々は「霊魂」と霊と魂を厳格に区別することなく使用しているので「霊」界と「魂」界が異世界とされていることには注意が肝要です。哲学・思想ランキング
2023年05月07日
コメント(0)

「神秘学」シュタイナー思想の概念1:シュタイナーの人間観 シュタイナー思想によくでる基礎知識とでもいうべきシンボライズ(symbolize)として使用されている各種概念はシュタイナー神秘学を正しく理解するうえで欠かせないものです。先ずは、シュタイナーの人間観ですが、シュタイナーによれば、人間は、7つの構成要素(詳しくは9つの構成要素)からなりたつ存在だとします。即ち、(1)肉体-物質(鉱物・植物・動物界の領域特性)、(2)生命/エーテル体-生命の働き(植物・動物界の領域特性)、(3)魂/アストラル体-感情の働き(動物界の領域特性)、(4)自我(精神)-意識的な思考・感情・意志 *9つの構成要素の区分の場合は感覚魂・悟性魂・意識魂、(5)霊我(マナス)-自我の力によって霊化されたアストラル体、(6)生命霊(ブッディ)-自我の力によって霊化されたエーテル体、(7)霊人(アートマ)-自我の力によって霊化された肉体となります。既に、(1)肉体-物質(鉱物・植物・動物界の領域特性)、(2)生命/エーテル体-生命の働き(植物・動物界の領域特性)、(3)魂/アストラル体-感情の働き(動物界の領域特性)、(4)自我(精神)-意識的な思考・感情・意志 *9つの構成要素の区分の場合は感覚魂・悟性魂・意識魂は実現しています。以下の(5)霊我(マナス)-自我の力によって霊化されたアストラル体、(6)生命霊(ブッディ)-自我の力によって霊化されたエーテル体、は(7)霊人(アートマ)-自我の力によって霊化された肉体は可能態として存在であるものの、肉体・生命/エーテル体・魂/アストラル体の変容は、すでに魂の領域において意識魂・悟性魂・感覚魂として分化が行われていて、其のそれぞれが霊我・生命霊・霊人のそれぞれ想像力・直覚力・直観力へと発展します。これらの認識は、通常の意識を超える世界の認識であり、イマジネーション認識(想像力)は霊視的認識であり、魂の世界を知覚するもの。インスピレーション認識(直覚力)は、霊聴的認識であり神霊の世界を知覚するもの。インテュイション認識(直観力)は、高次の霊的世界へといたり、神霊の本質を認識するものということです。すなわち全体としての人間存在は肉体・エーテル体・アストラル体という三重の覆いのなかにあって、感覚魂・悟性魂・意識魂の中心で、それらを治める精神としての「自我」の生が我々人間であるということになります。古来からの伝統的区分、「体・魂・霊」から云えば、「体」には肉体・エーテル体・アストラル体が属し、「魂」には感覚魂・悟性魂・意識魂が属し、「霊」には霊我、生命霊、霊人が属することになります。哲学・思想ランキング
2023年05月06日
コメント(0)

「神秘学」解析「キリスト存在について」-14 私たちは宇宙(*霊的世界)の中心にいます。私たちの周囲にあるすべてのものは意義を失いますが、それは私たちが感覚で知覚可能な外的世界は私たちが直面する謎を解くことができないということを認めざるを得ないからです。それはまるであらゆるものがひとつの点に濃縮されるかのようです。しかし、すべてが全体として圧縮するとき、宇宙の謎についての答えが、物質そのものと同様、力強く現実的なものとして、そして、それは精神的なものの反映であり、イメージなのですが、周辺部から再び戻ってくるのです。物質はそれ自体がお互いに寄せ集まり、中心で消え去るとともに、周辺において再び現れるのです。これが現実です。私たちの知識が現実的であるのは、それが宇宙全体の構造として、あるいはその過程として、私たちの目の前でその歩みを進めるときなのです。そのような知識はもはや思いつきが形になったもの、空想的な理論の織物ではありません。それと申しますのも、そのような知識は宇宙(外感覚的世界)から生まれてくるからです。私たちが発達させるべき感情とはこのようなものです。叡智は私たちの理想にならなければなりません。それは宇宙の周辺から生まれて、大いなる力で、つまり、私たちが私たち自身の運命を成就し、私たち自身の宇宙的な理想を達成することを私たちに可能にするような力で、私たちを満たすことができる叡智です。この力があれば、未来に私たちを待ち受ける人類の理想を現実のものにするということもまた私たちには可能となるでしょう。記:「サモスの賢人」と呼ばれたピタゴラス(ピュタゴラスとも表記)が創設したとされるピタゴラス教団( Pythagorean Order)にみられるように古代から近代まで物理学は因果が確定した、つまり、果から因へとしても何ら矛盾が生じない。即ち、物理上の「天理」は確定した「物理教」が常識とされていました。ところが、現代は相対性理論及び量子論の登場でその因果関係があやしくなります。取り分け、重力の理論である一般相対性理論と量子力学の双方を統一する理論と期待されている重力を量子化した理論「量子重力理論」によって、宇宙観は大きく変貌を遂げようとしています。ここにシュタイナー世界の霊的自由観導入の意味合いが重なります。哲学・思想ランキング
2023年05月05日
コメント(0)

「神秘学」解析「キリスト存在について」-13 霊的世界での宇宙の経緯における発達は単なる繰り返しではない。新しい要素が入ってくるのです。人類が経験しているような人間の段階は、以前の天使、大天使、あるいは権天使の間で見られたようなものではありません。人類は世界の中で成就すべき全く新しい使命、私たちがちょうど今記述したような使命(*真実を知った自由自我の確立)を有しています。人類が地球世界に降って来たのはこの使命を達成するためです。キリストは人類の自由なる真実への助け手としてやって来ました。上から働きかける神としてではなく、多くの中の最初に生まれたものとしてやって来たのです。ヒエラルキアを構成するメンバーとしての人類の尊厳と重要性を十分に把握できるのはこのような方法によってのみです。私たちはより高次のヒエラルキア存在たちの高貴な本性と栄光を見上げて、自らに次のように言うことができます。「これらのヒエラルキア存在たちがいかに力強く、賢明で、善なるもの、従って、真の道から逸れることができないとしても、世界に自由を齎すということ。そして、自由とともに私たちが言葉の真の意味において愛と呼ぶところのものを齎すということこそが人類の偉大な使命なのだ」と。それと申しますのも、自由なしには愛は不可能だからです。特定の衝動にどうしても従うしかない存在たちは単にそうするだけですが、それ以外の方法が可能な存在にとって、それを可能にする唯一の力があります。そして、それが愛なのです。自由と愛は相互に属するふたつの極です。もし、愛が私たちの世界に入ってくるとすれば、それが可能になるのは自由によって、つまり、ルシファーとルシファーに打ち勝つ者、それはまた人間を救済する者でもあるキリストによってだけです。地球が愛と自由の宇宙であるというのはこの理由によりますが、重要なのは、私たちが、人類を謙遜から遠ざけようとすることなく、西洋の秘教においては絶えず知られてきたような一連のヒエラルキア存在たちに精通するようになるということです。 セラフィーム、ケルビーム、そしてトローネは神の眼差しの下で伝達される直接的な衝動に従います。叡智霊、運動霊、そして、形態霊は、より高次の力にまだ非常に密接に結ばれているため、人間の前進的な発達を可能にするための反抗命令を受け取らなければなりません。大天使や人格霊でさえ、間違いを犯したり、自らの自由な決意によって悪に陥ったりということができません。人間の直上に位置するヒエラルキア存在たちは伝達者たちあるいは大伝達者たちと呼ばれますが、それは、彼らが彼ら自身の仕事を成し遂げるのではなく、上方から受け取った命令を単に遂行するものであることを示しています。一方、人間は自分自身の仕事を遂行するように徐々に成熟していくヒエラルキア存在なのです。木星期、金星期、そしてヴルカン星期の発展を通して、人類は自分自身の衝動の成就に向けて徐々に成熟していくでしょう。今日、この目標はまだ遙かなものであるとはいえ、いつか人類はそれを達成するでしょう。 ヒエラルキア存在とは何でしょうか? 私たちはセラフィーム、ケルビーム、そしてトローネから始めます。彼らは神から受け取った衝動を遂行することによってその権威を行使します。次に来る運動霊は、その力を上方から受け取ったものに負っています。そして、そのことは形態霊にも当てはまります。もし、彼らが悪の存在になるとすれば、神的な世界の決定の結果としてそうすることができるようになるに過ぎません。そして今、人間のすぐ側まで降りてくる人格霊、大天使と天使である大いなる御使い・御使いに至ります。人間はどのようにしてヒエラルキアの位階に組み込まれるべきなのでしょうか。大天使と天使(大いなる御使いと御使い)の後に続いてヒエラルキア的な位階の中に置かれるべきであるのは、「自由の霊」あるいは「愛の霊」とでも呼べるようなものです。上から下に数えるとすれば、これは「10番目のヒエラルキア」です。この「10番目のヒエラルキア」はまだ発達の途上にありますが、それにもかかわらず、霊的なヒエラルキアに属しています。宇宙においては、単なる繰り返しが問題なのではありません。ひとつの周期が完結するたびに、新しい要素が宇宙進化の中に導入されます。そして、その新しい要素を組み込むのは、いつも人間の発達段階にあるヒエラルキア存在の仕事なのです。 今回の講義では、人間の意味と重要性を、私たちの宇宙の意義を考察することによって、推し量ろうとしてきました。今日、私たちは、少なくともある程度は、人間存在の意義についての精神的な質問を投げかけました。そして、私たちは、秘儀の教えにしたがって、宇宙の真ん中にある点としての人間存在の重要性を確立しようと努めてきました。それを行う中で、私たちは中心の謎、つまり人間の謎を周辺から解明しようとしました。円周の観点から点の謎を解こうとしたのです。私たちはそうすることで、私たちの知識を現実の領域に置くことになります。これが、つまり、真の精神科学的な知識は現実的で具体的な知識でもあるということが本質的な点なのです。言い換えれば、精神科学的な知識自体が宇宙と精神的なヒエラルキアの像を直接創り出すのです。哲学・思想ランキング
2023年05月04日
コメント(0)

「神秘学」解析「キリスト存在について」-12 皆さんは、キリスト教の教えのすべて、つまりは、キリスト教の中で教えられることのすべて、キリスト教の教えのすべてを記述することができ、それを他の宗教体系の中に見いだすことができます。このことを否定することはできません。確かに、キリスト教の教えの本質はそれ以外の体系の中にも含まれていると云うことができるのです。けれども、キリスト教が有効であったのは、その教えの内容を通してだったでしょうか。キリスト教を広めるために最も多くのことを為した人物は、その教えに頼ったのでしょうか。使徒パウロについて考えてみてください。彼が迫害者サウロから使徒パウロへの変容を彼自身に作用させたのは聖書の中に書かれていることことがらによってだったでしょうか。彼は、十字架上で死を遂げた人物が雲の中から彼の前に現れるまで、つまり、パウロが、キリストは「生きている」という事実についての彼自身の個人的な神秘体験を持つまで、キリストイエスの追従者たちを迫害していたのです。その死の影響、その行為の効果がパウロにとっての促進的な衝動となったのですが、それが問題なのです。他の宗教体系はその教えを通して働き、その教えはキリスト教の中に見いだされるものと同じです。しかし、キリスト教においては、教えが重要なのではありません。問題は、生じた「行い」なのです。 キリストの行為がある人に働きかけることができるのは、その人がそれを有効にしようと決意したとき、つまり、個々の自我の絶対的に自由な本性とその行為とがひとつに結びつけられるときだけなのです。人間のアストラル体の中にキリストが存在する、というだけでは不十分なのです。キリストは、真に理解されるためには、自我の中に存在しなければなりません。そして、自我はキリストを受け入れることを自由に決断しなければならないのです。これが重要な点です。けれども、自我が自らをキリストに結びつけることの結果として、この人間の自我は、自らの内に、現実を、つまり、単なる教えではなく、神的な力を獲得するのです。ですから、キリスト教の教えは既にあちこちで見いだすことができる、しかし、それが問題なのではないのだということを何百回でも示すことができるでしょう。キリスト教の本質的な側面はより高次の世界への自発的な上昇を通してのみ自分のものとすることができるところの行為なのです。人間がキリストの力を自分の中に受け入れるのは、それを喜んで受け取るからであり、それを自発的に受け取らない人は、誰もそれを受け入れることができません。このことが人間にとって可能になったのはキリストが地上で人間となってから、つまり、彼が地上で人間になるように召還されてからです。 ルシファー的な存在として地上に住むようになった墜ちた天使たちの立場は違います。実際、彼らは「月」の上で人間になるべきだったのです。しかし、彼らはその進化の途上で取り残されました。その結果、彼らはアストラル体に浸透することができるのですが、自我に接近することはできません。彼らは異常な状況にあるのですが、それは、多少学者ぶったものに見えるかもしれませんが、ただ図式的に表現できるだけです。レムリア進化期における人間のアストラル体を-エーテル体と肉体は無視して、たとえば、円球で表現してみましょう。自我は徐々にアストラル体の中に入っていき、このアストラル体の内部に包み込まれることになります。では次には何が起こるでしょうか。レムリア期を通して、ルシファー的な力がアストラル体のあらゆる側から忍び込んで来たのですが、それはその活動を通して人間に浸透することになりました。それらは人間において、低級な熱情として表現されます。人間が間違いや悪を犯す可能性はアストラル体の中に組み込まれました。つまり、ルシファー的な精神がその可能性を私たちに導入したのです。もし、そうでなかったとすれば、私たちは決して間違いを犯すことも、悪を行うこともなかったでしょう。そのかわり、私たちは、妨害的な影響を受けていない自我を受け取ったであろう領域へと引き上げられていたことでしょう。そのような状況において、人類の偉大な指導者たちは、私たちがあまりに深く沈み込んでしまわないように人間を守りました。そして、キリスト事件が起こりました。 キリストを自発的に受け入れた人を取り上げてみましょう。勿論、キリスト教は未だ初期の段階にありますが、理想的な状況を取り上げます。つまり、人間の自我が完全な自由意志によってキリストの力を自分の中に流れ込ませたと考えてみましょう。自我が進歩してキリストに浸透されるまでになったとき、キリストの力はアストラル体を照らし出し、そこに注入されていたルシファー的な力による行いの中に流れ込みます。そのとき、未来においては何が起こるのでしょうか。キリストの助けによって、そして、彼の助けによってのみ、私たちはルシファーから進み出る私たちの中のあの性質を打ち消すことができるようになり、同時に、そのルシファー的な力を徐々に解放することができるようになるのです。ルシファー的な力は、人間の自由のために、進化のより低次の段階へと沈んでいかなければなりませんでしたが、そのため、地上ではキリストの力を経験することができませんでした。そのルシファー的な力が、人間を通して、キリストの力を経験し、それによって救済されるときが来ます。人間は、もし、適切な仕方でキリストの力を受け入れるならば、ルシファーを救済することになるのです。その結果、人間は、そうしなかった場合に比べて、より強くなっていることでしょう。もし、人間がルシファー的な力を受け取っていなかったとしたらどうでしょうか。キリストの力は流れ込んでいたでしょうが、ルシファー的な妨害には出会わなかったことでしょう。私たちは、私たちがこれらの相殺的な力を一度は克服しなければならなかったことで、今、可能となった程度にまでは、善、真理、そして叡智において発達することはできなかったでしょう。人間はヒエラルキア存在のひとつですが、他の存在とは異なっています。セラフィーム、ケルビーム、トローネ、主天使、運動霊、形態霊、人格霊、火の霊、そして、天使の一部とも異なっているのです。未来をのぞき見て、人間は次のように言うでしょう。「私は私の行為に向けた衝動を、私自身の内的な存在の最奥の部分において追求するように求められている。例えばセラフィームがそうであるように、神についての思索からではなく、私自身の内的な存在からそうするのだ」と。キリストは、その衝動には従わなければならないというような仕方で働く神ではありません。人がキリストに従うのは、ただ理解と自由からそうするだけです。キリストとはあれこれの方向に発達しようとする自由で個別的な自我を妨げることを決してしない神のことです。キリストは言葉の最も深い意味で次のように言うことでしょう。「お前は真実を知るであろう。そして、真実はお前を自由にするであろう」と。そして、次のヒエラルキアに属する存在たち、悪を行う可能性のあるルシファー的な存在たちは、人間の力によって、再び救済され、自由にされることでしょう。哲学・思想ランキング
2023年05月03日
コメント(0)

「神秘学」解析「キリスト存在について」-11 自我は血を通して自らを表現します。ちょうど血が物理的な実質における自我の表現であるように、血の暖かさ、あるいは火は、そして、それは土星の火の名残なのですが、元素における自我の表現なのです。この存在は二重の仕方で自らを物理的に表現しなければなりませんでした。火の元素の中で、その存在は燃える林とシナイ山上の稲妻において自らをモーゼに告げ知らせました。その存在は人間の自我の中に浸透し、燃える林とシナイ山上の稲妻や雷鳴からモーゼに語りかけることができたのです。この存在はその暁を準備した後、血に浸透された体、ナザレのイエスの体の中に現れました。この太陽存在は地上的な個人の中に入り込んだのです。人間の自我は、そのときにそれに浸透した力によってますます満たされ、飽和されるようになるでしょう。それによって、この自我は、それ自身の力を通して、それを引きずり下ろす力を持ったあらゆる影響をますます克服できるようになるでしょう。と申しますのも、人間の自我に浸透したこの存在は、以前に地上に下降し、肉体、エーテル体、そしてアストラル体に魂を吹き込んだ他の存在たちとはその性質において異なっているからです。 古代の聖なるリシ(*聖仙/Rishi)とは、本来サンスクリットで、ヴェーダ聖典を感得したという神話・伝説上の聖者あるいは賢者達のこと。シュタイナー世界へのインド聖典の影響が読み取れます。)たちについて考えてみましょう。既に見てきたように、高次存在の精神は彼らのエーテル体の中に住んでいましたが、それは、あの崇高な存在がその中に住んでいた偉大なアトランティスの祖先たちから聖なるリシたちが引き継いでいたのはそのエーテル体だったということによります。それは彼らに伝えられましたが、リシたちは彼らのエーテル体の神の啓示に導かれたかのようにひらめいて高まる精神の働きインスピレーションを通して流れてくるものをその自我とアストラル体をもってしては理解することができませんでした。時代から時代へと続く流れとはそのようなものだったのです。人間はインスピレーションを受け取ってきましたが、彼らがインスピレーションを受け取るときにはいつも彼らの中に何か力のようなものを経験したのです。インスピレーションとは、いわば力をもって捕まえるような何かだったのです。そのような場合には、自分で何とかするという通常の人間的な力はいくらか退いていました。その人間が前進し、改善するためにはより完全な存在からのインスピレーションを受ける必要があったのです。宗教の創始者たちはすべてこのような状況にありました。天上の戦いから超越していた存在たちが宗教的な創始者たちの中に吹き込まれていたのですが、そのことによって、人間たちが自分自身の能力だけに頼るというようにはなっていなかったのです。 けれども、キリストにおいては非常に異なった本性の存在が現れました。それは、絶対的に何も行わない、つまり、人々を彼のところにもたらすためにほんのわずかな強制力さえも行使しないという存在だったのです。これが主要な点なのです。もし、皆さんがキリスト教の伝播について考えてみるならば、皆さんは、キリスト・イエスがキリスト教の布教において生じたところのものをその生涯においては何も為さなかったということについての生きた証拠を見いだされるでしょう。古代の宗教創始者たちについて考えてみてください。彼らは偉大な人類の教師たちです。彼らは彼らの発達におけるある特定の瞬間から教えを伝え始め、そして、彼らの教えは圧倒的な力をもって人類に働きかけます。今、キリストについて考えてみてください。実際、キリストはその教えを伝え続けるでしょうか。キリストの主要な貢献がその教えにあると考えるならば、その人はキリストを本当には理解していません。少なくとも第一義的には、キリストはその教えではなく、その行いを通して働きかけました。そして、キリストの最も偉大な行いとは、彼の死によって終わった行いのことです。それは実際、彼の死だったのです。これが最も重要な点です。キリストは行いを通して働きかけました。そして、この行為についての知識が世間に広まり始めたとき、彼はもはや物理的には存在していなかったのです。これがキリストの効果と他の偉大な宗教創始者たちの効果との根本的な違いです。この違いは理解するのが全く困難なものですが、最も重要な違いなのです。哲学・思想ランキング
2023年05月02日
コメント(0)

「神秘学」解析「キリスト存在について」-10 さて此処では、能天使あるいは形態霊と呼ばれる存在たちにまで下ってみましょう。彼らも同様に自ら邪悪になることはできませんでしたが、このことは人格霊(アルカイ)や火の霊(大天使)にも当てはまります。と申しますのも、後者が太陽の上で人間の段階を通過していたときには、運動霊たちはまだ反抗命令を受けておらず、まだ、悪になるといういかなる可能性も存在していなかったからです。この悪になるという可能性を最初に有したのは天使たちですが、それは、この可能性が存在するようになったのはただ月の進化段階以降であったということによります。「天上の戦い」は太陽から月への移行期に起こりました。多くの天使たちがこの可能性、障害を導入することを運命づけられた力に、謂わば唆(そそのか)されるということを拒否しました。彼らは以前の本性に対して真実でありつづけました。このように、天使に至るまで、そして天使の一部もまたそうなのですが、より高次のヒエラルキア存在たちには神的な意志に従う以外のことはできないのです。これが最も重要なことです。ですから、二種類の存在たちがいるということが言えます。第一に、運動霊たちが「天上の戦い」の間に生じさせていたものの中に自らを投げ入れたあの天使たちがいます。これらの存在たちは、彼らの後の行いによって、ルシファー的な存在と呼ばれます。彼らは地球進化の間に人間のアストラル体に働きかけるようになり、悪の可能性を導入しましたが、同時に、自分自身の自由な活動を通して、自ら発達する可能性を導入したのです。ですから、ヒエラルキアの位階全体を通して、私たちが自由の可能性を見いだせるのは、天使の一部と人間の中においてだけなのです。自由の可能性は天使の位階において始まりますが、それが十分に発達させられるのはただ人類においてだけです。人類が地球へと降ってきたとき、人間たちは最初、ルシファー(Lucifer:ルキフェル、ルシフェルとも)の大群による圧倒的な力の餌食にならざるを得ませんでした。これらの大群がその力によって人間のアストラル体に浸透した結果、自我はその力の領域の中に絡め取られました。レムリア期とアトランティス期の間、そして、その後の時代においても、自我がルシファー的な影響によって生じた雲の中に包み込まれているのが分かります。人間がこのような弱体化させるような力によって圧倒されることから守られたのは、以前の存在たち、上方に留まった天使や大天使が人間に影響を及ぼし、人類を指導するために選ばれた人物たちに受肉したからに他なりません。このことはある重要な出来事が起こった時まで続きました。以前にはいつも太陽存在と結びついていたある存在が、より高次の存在たちがかつてそうであったように人間の肉体、エーテル体、そしてアストラル体に浸透できるだけではなく、その自我に至るまで人間に浸透できるほどに進歩したのです。以前の時代においては、いかにより高次の存在たちが下降し、人間の肉体、エーテル体、そして、アストラル体に魂を吹き込んだか、ということを述べたのを覚えておられますね。さて、時の流れにおけるある特別な瞬間に、最も気高い存在、かつては太陽存在に結びついていたけれども、今や自我に、つまり、自我が有するあらゆる力の中にまでインスピレーション的に働きかける存在を自らの中に受け入れるために選ばれていたある個人的な存在が立ち現れたのです。哲学・思想ランキング
2023年05月01日
コメント(0)
全31件 (31件中 1-31件目)
1