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神秘学の記号と象徴・アストラル界と霊界との関係要綱◎第三講 シュトゥットガルト 数の象徴「6」記:数字の6は偶数ですが、その数の要素には実は偶数と奇数の要素が含まれます。そんな数字の6には秘められた意味や、六角形が持つパワーなどは宗教には多々シンボルとして用いられていることは我々がよく目にするところです。6そのもの自体は偶数ですが、奇数である3がふたつ合わさったものという考え方もあり、したがって6は奇跡を起こす可能性もある、未知の力を秘めた数字であると考えられています。 6には調和、安定の要素が非常に強く、そこに3の要素である創造性のエネルギーも加わっています。 すなわち陰陽の要素を備え、大きな可能性を持つ数字なのです。 また6という数字が胎児を抱えた母体にも見えるので、優しさや安心、母性を表す数字とされます。また、ダビデの星は、ユダヤ教若しくはユダヤ民族を象徴する印であり、二つの正三角形を逆に重ねた六芒星(ヘキサグラム)はイスラエルの国旗にも描かれています。さらに、6ではありませんが「五芒星」は安倍晴明公が用いた紋です。 そこにこめられた意味は陰陽五行説、つまり木・火・土・金・水の5つの元素の働きの相克を表しています。 魔よけの呪符として重宝されたところからみても6の数自体には不吉性はありません。但し、「666」に関しては新約聖書のヨハネの黙示録第13章に、「1 わたしはまた、一匹の獣が海から上って来るのを見た。それには角が十本、頭が七つあり、それらの角には十の冠があって、頭には神を汚す名がついていた。2 わたしの見たこの獣はひょうに似ており、その足はくまの足のようで、その口は獅子の口のようであった。龍は自分の力と位と大いなる権威とを、この獣に与えた。3 その頭の一つが、死ぬほどの傷を受けたが、その致命的な傷もなおってしまった。そこで、全地の人々は驚きおそれて、その獣に従い、4 また、龍がその権威を獣に与えたので、人々は龍を拝み、さらに、その獣を拝んで言った、『だれが、この獣に匹敵し得ようか。だれが、これと戦うことができようか』。5 この獣には、また、大言を吐き汚しごとを語る口が与えられ、四十二か月のあいだ活動する権威が与えられた。6 そこで、彼は口を開いて神を汚し、神の御名と、その幕屋、すなわち、天に住む者たちとを汚した。7 そして彼は、聖徒に戦いをいどんでこれに勝つことを許され、さらに、すべての部族、民族、国語、国民を支配する権威を与えられた。8 地に住む者で、ほふられた小羊のいのちの書に、その名を世の初めからしるされていない者はみな、この獣を拝むであろう。9 耳のある者は、聞くがよい。10 とりこになるべき者は、とりこになっていく。つるぎで殺す者は、自らもつるぎで殺されねばならない。ここに、聖徒たちの忍耐と信仰とがある。11 わたしはまた、ほかの獣が地から上って来るのを見た。それには小羊のような角が二つあって、龍のように物を言った。12 そして、先の獣の持つすべての権力をその前で働かせた。また、地と地に住む人々に、致命的な傷がいやされた先の獣を拝ませた。13 また、大いなるしるしを行って、人々の前で火を天から地に降らせることさえした。14 さらに、先の獣の前で行うのを許されたしるしで、地に住む人々を惑わし、かつ、つるぎの傷を受けてもなお生きている先の獣の像を造ることを、地に住む人々に命じた。15 それから、その獣の像に息を吹き込んで、その獣の像が物を言うことさえできるようにし、また、その獣の像を拝まない者をみな殺させた。16 また、小さき者にも、大いなる者にも、富める者にも、貧しき者にも、自由人にも、奴隷にも、すべての人々に、その右の手あるいは額に刻印を押させ、17 この刻印のない者はみな、物を買うことも売ることもできないようにした。この刻印は、その獣の名、または、その名の数字のことである。18 ここに、知恵が必要である。思慮のある者は、獣の数字を解くがよい。その数字とは、人間をさすものである。そして、その数字は六百六十六である。」このことにより世俗的には6の数そのものも不吉とするきらいがあることが認められる傾向があることも事実です。哲学・思想ランキング
2023年06月30日
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神秘学の記号と象徴・アストラル界と霊界との関係要綱◎第三講 シュトゥットガルト 数の象徴「5」 神秘学上の数5は悪の数です。再び人間を考察すると、このことを一番はっきりさせることができます。人間は四元性へと、はたまた創造性の存在へと進化してきましたが、地球上で彼に第五の要素、霊我が現れます。人間が単に4にとどまっていたとしたら、彼はいつも上から、神々によって善へと統制されていたことでしょう。すなわち、決して独立した存在へと進化することはなかったでしょう。人間は地球上で第五の要素、霊我への萌芽を手に入れたことにより自由になったのです。これによって人間は悪をなす可能性を得ましたが、しかしこれによって独立性も手に入れたのです。5において現れない存在は、いかなるものも悪をなすことはできません。そして、私たちが悪と出会う所ではいたるところで、そして実際それはそれ自身から有害な作用を及ぼすのですが、五元性が関わり合っています。これは至る処、外の世界でもそうなのです。人間は只々それを見ないだけなのです。しかも、今日の唯物主義的世界観では、世界をこのように見ることができるということについて、まったく理解でき得ません。ひとつの例で、5と出会うところではどこでも、何らかの意味で「生きる力」を大切にする教育について語る正当性が出てくるということがわかります。医師がちょっとこのことを採用して、病気の経過をこれに従って研究してみれば、たいへん実り多い結果が得られるでしょう。つまり、病気がその発病から第五日までどのように進展するか、一日の中であれば真夜中から五時間めに、さらには第五週めにどうであるか調べるのです。というのも医師が最も効果的に介入できる時は、いつも5という数字が支配しているからです。それ以前は自然の経過にまかせる以外はあまり多くのことはできません。しかし、5という数の法則に気づくなら、助ける処置ができるのです。5という数の原理は事実の世界に流入しているからです。この原理が害を与える、悪の原理と呼ばれるのももっともなことです。このように多くの領域で5という数が外的な出来事にとって大きな意味を持つことを示すことができます。das radikales Bösオカルト・ホラー小説 ブログランキングへ
2023年06月29日
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神秘学の記号と象徴・アストラル界と霊界との関係要綱◎第三講 シュトゥットガルト 数の象徴「4」 此の度(たび)は4という数です。4は宇宙(コスモス/Cosmos)ないし創造の記号です。すでに以前お話したことですが、私たちの地球は追求しうる限りで第四の受肉状態であるということを思い出していただければ、なぜ4が創造の数と呼ばれるのか、ご理解いただけると思います。この地球上で私たちが出会うすべてのもの、人間における第四の原理も、この創造がその惑星進化の第四の状態にあるということを前提にしています。これは出現しつつある創造のひとつの特例にすぎません。いかなる創造も四元性のの記号のもとにあります。神秘学においては「人間は今日鉱物界にある」と言われています。これはどういう意味なのでしょう。今日人間は鉱物界だけを理解していて、鉱物界だけしか支配でき得ないのです。人間は、鉱物的なものを組み合わせて家を建てたり時計を作り上げたりできますが、それはこれらのものが鉱物的世界の法則に従っているからです。例えば、人間は自らの思索から植物を形成することはできません。それができるためには、彼自身が植物界に在さなければならないのです。いつか後になってそうなるでしょうけれども、今日、人間は鉱物界における創造者なのです。この鉱物界には、三つの元素界と呼ばれる三つの領域が先行しています。鉱物界は第四の領域なのです。全体としては、このような七つの自然領域があります。人間は今日その第四の領域にいて、そこで外へ向かう自分の意識を獲得したのです。月では、人間はまだ第三の元素界、太陽では第二の、土星では第一の元素界で活動していました。木星上で人間は植物界で活動でいるようになり、今日時計を作るのと同じように植物を創造することができるようになるでしょう。創造において可視的に現れでたものはすべて4という記号(しるし)のものとにあります。皆さんが肉眼では見ることのできない惑星も数多くあります。これらの第一、第二、第三の元素界にある惑星は物質的な眼では見えないのです。惑星が第四の領域、つまり鉱物界に入った時はじめて、皆さんはそれを見ることができるのです。それゆえ4は宇宙(コスモス)ないし創造の数なのです。第四の状態に入ることではじめて存在は目に見えるようになり、外的なものを見ることができるようになります。哲学・思想ランキング
2023年06月28日
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神秘学の記号と象徴・アストラル界と霊界との関係要綱◎第三講 シュトゥットガルト 数の象徴「3」-4 無から創造された宇宙記:宇宙の始まりについて、ある説では、宇宙は「無」から生まれたとしています。「無」とは、物質も空間も、時間さえもない状態。しかしそこでは、ごく小さな宇宙が生まれては消えており、そのひとつが何らかの原因で消えずに成長したのが、私たちの宇宙だというのです。然し乍ら、この「無」の語の解釈にも「相対無(ゼロ):有を前提にしていることから、無因を満たさない。」、「絶対無(無限):数学的無は虚と同様にその実現不可得」、「無く在る(非在):在ることなしには不可知」の三種に分けてみても、物事の根本原因(理由)を問う無限退行・無限遡及に陥ります。いまのところの答えは神や絶対存在、根本原因を持ち出さない限り「無は-ない」としか言いようがない。(*現代物理の宇宙論では虚は非有といえるが、無は非在とはいえないとする傾向にあります。) ある宗教的な体系(*卑俗的にはドグマ)が、宇宙は無から創造されたということについて語る時、それは以上のような(*思考からすべてが生まれ、宇宙の偉大なものは神性の思考から出現)意味なのです。今日、それが嘲笑されるなら、それは人々がこれらの古文献にあることを理解してないからです。顕現においてもう一度まとめてみますと、すべては進化と退化の間を交替しています。その根底には、無からの創造が秘されていて、それが進化と退化の二元性と一致して三元性となるのです。三元性は、神的なものと顕現との結びつきです。さて、このように3という数についてどのように考えられるかおわかりになったと思います。ただ、学者ぶった無闇に難解な表現を用いたり、生半可な知識を振り回したりする衒学的(ペダンティック/pedantic)な理屈をこね回してはいけません。至る所で出会う二元性の背後に、三元性を探さなくてはなりません。2の背後に3を求める時、ピュタゴラス的な意味における正しい仕方で、数の象徴が考察されるのです。すべての二元性のために、隠された第三のものが見いだされ得るのです。哲学・思想ランキング
2023年06月27日
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神秘学の記号と象徴・アストラル界と霊界との関係要綱◎第三講 シュトゥットガルト 数の象徴「3」-3深淵で親密な第3の神秘的生 生の進化と退化の背後にある第三のものとは何でしょうか。今あなた方が外界の現象に向かって立ち、それについて思索すると考えてみてください。あなた方の存在には外界が存在します。そしてあなた方の中に思考が生じます。この思考は以前には存在していませんでした。たとえば、あなた方が薔薇について思考を形成する時、この思考はあなた方が薔薇と関係を結ぶ瞬間に初めて生じるのです。あなた方が存在し薔薇が存在していました。そして今、あなた方の中に薔薇についての思考、薔薇の像が現れでてくる時、何かまったく新しいもの、未だ存在していなかったものが生じるのです。これは生の他の領域でも同様です。創造しているミケランジェロのことを思い浮かべてみてください。ミケランジェロは、実際ほとんどモデルを使って製作したことはありませんでした。けれどもここでは彼が一群のモデルを集めたと想像してみてください。ミケランジェロが存在し、モデルたちが存在していました。けれどもミケランジェロがこのモデルの一群から自らの魂の中に得た像、この像は新しいものなのです。これは完全に新たな創造なのです。これは進化及び退化とは何の関係もありません。これは受け入れることのできる存在と与えることのできる存在との交流から生まれた完全に新しいものなのです。このような新たな創造は、常に存在と存在との交通を通して生まれます。昨日、ここで考察したことを思い出してください。思考がいかに創造的で魂を気高くすることができ、後には肉体の形成にも働きかけるのだということを。ある存在が一度考えたこと、思考創造、表象創造は働き続け、作用を及ぼし続けるのです(*芸術の至高性)。それは新たな創造であると同時に始まりであり、しかも結果を導きます。今日皆さんがよい考えを持つなら、この考えは遠い将来には実りを結びます。皆さんの魂は霊的世界で独自の道を歩むからです。皆さんの肉体は再び元素に帰り崩壊します。けれども、思考を生み出したすべてのものが崩壊しても、思考の作用は残り、思考は働き続けるのです。もう一度ミケランジェロの例を取り上げましょう。彼の卓越しに絵画は何百人もの人々を高揚させてきました。しかし、これらの絵画もいつかは塵となって崩れ、もはや彼の創作物をまったく見ることができない世代も出てくることでしょう。それでも、ミケランジェロの絵画が外的な形態を取る前に、彼の魂のうちに生きていたもの、まず最初に新たな創造物として彼の魂のうちにあったもの、これは生き続け、存続します。そして、未来の進化段階に出現し、形を得るでしょう。どうして今日、雲や星が私たちに現れてくるのかおわかりでしょうか。なぜなら、太古の昔に雲や星を思考していた存在がいたからです。すべては思考・創造活動から生まれ、思考は新たな創造なのです。思考からすべてが生まれ、宇宙の偉大なものは神性の思考から出現したのです。ここで私たちは第三のものを得るのです。顕現性においては事物は進化と退化の間を交替しています。けれども、その背後に第三のもの、初めて充溢(じゅういつ)を与えるもの、無から生じた完全に新たな創造たる創造が深く秘されているのです。このように三つが互いに関係しています。無からの創造があり、それからこれが顕現して、時の中で経過していくとき、顕現における形、つまり進化と退化という形をとるのです。哲学・思想ランキング
2023年06月26日
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神秘学の記号と象徴・アストラル界と霊界との関係要綱◎第三講 シュトゥットガルト 数の象徴「3」-2 深淵で親密な第3の神秘的生 生命においては、至る所にこの二元性が交替しています。けれども、常に顕現においてのみそうなのです。例えばアウグスティヌスから中世を経てカルヴァンに至るヨーロッパの精神生活の発展を思い浮かべて追求してみてください。この時代の精神生活に視線を漂わせてみるなら、アウグスティヌスの場合ですらある種の神秘的な親密さを見いだせるでしょう。この人物の感情生活がいかに深淵で親密であったか感じとることなしに、誰も彼の著作、とりわけ「告白」を読むことはないでしょう。さらに時代を辿っていきますと、スコトゥス・エウリゲナ(Johannes Scotus Eriugena)のスコラ哲学が表現するような驚くべき現象を見いだします。彼はスコットランド出身の修道士で、そのためスコットランドのヨハネスと呼ばれ、カール禿頭王の宮殿で生活していました。彼は不幸なことに教会で切りつけられました。伝説の語るところによれば、修道士仲間たち(*弟子たちとも)が彼を留め針で死に至るまで拷問したということです。これはむろん言葉通りには受け取れませんが、彼が拷問により殺されたことは事実です。すばらしい書物が彼によって著されました。「デ・デヴィジオーネ・ナトゥラエ」、すなわち「自然の区分について」で、これは途方もない深みを示している書物です。さらに私たちは、いわゆるドイツの坊さん横町(*不明)、ここではこの親密な感情が民衆全体をとらえたのですが、この坊さん横町の神秘家たちを見いだします。彼らは、単に精神性の頂点にある人々であったばかりではなく、民衆でもありました。畑や鍛治場で働いていた人々、彼らは皆、このように時代の傾向として生きていたあの親密な感情にとらえられていたのです。さらに私たちは1400年から1464年に生きたニコラウス・クザーヌス(Nicolaus Cusanus/1401年-1464年)を見いだします。このように私たちは中世の末期まで時代を辿(たど)ることができますが、至る所にその環境全体に広がっているあの深い感情、あの親密さが見い出されるのです。この時代を、後のこれに替わる時代、つまり16世紀に始まり現代にまで入り込んでいる時代とを比較してみるなら、決定的な相違に気づきます。出発点に、包括的な思考により精神生活の革新を引き起こしたコペルニクスが立っています。彼はこの思考が人類と一体化するほど注ぎ込んだので、今日、別のことを信じている人は馬鹿者とみなされるのです。それからガリレオ、彼はピサで教会のランプの揺れから振り子の法則を発見します。このように一歩一歩時代の経過を辿っていきますと、至るところに中世との厳しい対立が見いだせるでしょう。感情はどんどん衰えていき、親密さが消えていきます。知性、理知がしだいに現れ出てきて、人間はますます利口に、分別的になっていきます。このように、まったく正反対の性格を持つ二つの時代が前後して続くのです。精神科学は私たちにこの二つの時代の説明を与えてくれます。これは、そのようにならなければならないという神秘学の法則があるのです。アウグスティヌスからカルヴァンまでの時代においては、神秘主義の進化と理知の退化という時期であり、その後私たちは理知の進化と神秘主義の退化の時代に生きているのです。これはどういうことなのでしょう。アウグスティヌスから16世紀までは神秘的生の外的な展開の時代であり、それは外に現れていました。けれどもその当時、別のものも萌芽として存在していたのです。つまり、理知的生の萌芽があったのです。これは、いわば種子のように霊的な地中に隠されていて16世紀以降少しずつ展開していくのです。このように理知的生は、当時ちょうど植物が種子の中にあるように退化(内展)の状態だったのです。宇宙においては、このような退化(内展)の状態が前もって存在しなければ何も生じてくることはできません。16世紀以来、理知が進化(外展)の状態となり、神秘的生は退いて退化(内展)の状態となります。そして今や、この神秘的生が再び現れて来なければならない時代が到来しました。神智学運動によってそれは再び展開と進化へと導かれねばなりません。このように、生の至る所で進化と退化が顕現して交替しています。けれどもそこにとどまる人は、ただ外面だけを見ているのです。全体を見ようとするなら、この両者の背後にある第三のものをさらにつけ加えねばなりません。哲学・思想ランキング
2023年06月25日
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神秘学の記号と象徴・アストラル界と霊界との関係要綱◎第三講 シュトゥットガルト 数の象徴「3」-1 二元性の背後 生と死の二元性は開示された世界に属することだから2は現象の数であり開示の数なのです。けれども背後で神的なものが働くことなしには、いかなる開示も存在しません。従って、どんな二元性の背後にも一元性が隠されているのです。3という数は、それゆえ2と1、つまり開示とその背後に存る神性に他なりません。1は神の一元性の数、3は自らを開示する神性の数です。神秘学には次のような原則があります。2は決して神性を表す数ではあり得ないというものです。1は神的なものを表す数、そして3は神的なものを表す数です。何故なら、神的なものが自らを開示するとき、それは2において顕現し、その背後に1があるからです。世界を二元性において見る人は、世界を顕現において見ているのです。それ故、外的な諸現象においては二元性が存在すると言う人は正しいのです。然し乍ら、この二元性がすべてであると言う人は、常に正しくありません。このことを少し例を挙げて明らかにしてみましょう。 神智学の話題となっているところでさえ、「2という数は単に顕現の数であって、充溢(じゅういつ)の完全性の数ではない」という、この真の神秘学の原則はしばしば守られてはおりません。この原則を本当には知らない人々による通俗的オカルティズムにおいて、しばしば皆さんは、進化発展はすべて退化と進化の中で起こると言われているのを耳にされると思います。これは本当はどいうことなのかおわかりになるでしょう。けれども、まずは進化と退化とはどういう意味なのかを少し調べておきたいと思います。ひとつ植物を観察してみましょう。根・葉・茎・花・実、要するに植物が持つことのできる部分をすべて備えた完全に成長した植物です。これが一のひとつです。今度は小さな種子、植物が再び生えてくる種子を観察してください。種を見つめる人は小さな粒を見ているだけですが、この小さな粒の中にはすでに植物全体が含まれています。いわば粒の中に閉じこめられているのです。なぜその中に入っているのでしょうか。種子は植物から取られたから、植物はその力のすべてを種子の中に注ぎ込んだからです。ですから神秘学においては、この二つの過程、つまり、ひとつは、種子がほどけていって植物全体へと展開する「進化」と、もうひとつは、植物が収縮しその形態がいわば種子の中にもぐりこむ「退化」とが区別されるのです。従って、たくさんの器官を持つ存在が、これらの器官のどれももはや見えなくなり小さな部分に萎縮してしまうように自らを形成するなら、これは退化と呼ばれ、分岐すること、自己展開することは進化と呼ばれるのです。生命においては、至る所にこの二元性が交替しています。けれども、常に顕現においてのみそうなのです。単に植物の場合のみ、このことを追求できるのではなく、生のより高次の領域においても事情は変わりません。哲学・思想ランキング
2023年06月24日
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神秘学の記号と象徴・アストラル界と霊界との関係要綱◎第三講 シュトゥットガルト 数の象徴「2」 神秘学では2は開示の数と呼ばれます。2という数でいわば私たちは両足の下に何か基盤を得るのですが、一方、1という数の場合、まだ基盤のないまま手探りで探し回っている状態です。私たちが2は開示の数であると言う時、これは、私たちが世界で出会うもの、ある意味で隠されたものではなく世界へ現れ出たもの、これらすべては何らかの形で二元性の状態であるということに他なりません。皆さんは自然の中のいたるところに、2という数が広がっているのを見い出されることでしょう。いかなるものも2という数に触れることなしには自らを開示するということはできません。光も決してそれ自身だけで一元的に自らを開示することはできません。光が開示される時、影あるいは闇もその傍らになければなりません。つまり、二元性が存在せねばならないのです。開示された光に満ちた世界というものは、もしそれに相応する影がないとしたら、決して存在することはできないでしょう。これはすべてのものごとに当て嵌まります。善は、その影としての悪を持たないなら決して自らを開示することはできないでしょう。善と悪の二元性は開示された世界の中では必然的なものです。このような二元性は無限に存在します。二元性は世界全体を満たしています。然し乍ら、私たちはそれを正しい場所に探さなくてはなりません。人間が生きていく中でたびたび考慮することのできる重要な二元性は次のようなものです。昨日私たちは人間が今日の地球の住人となる前に経てきたさまざまな状態を考察いたしました。人間は土星と太陽ではある種の不死性を保っていて、自らの肉体を外から管理し、肉体の一部が崩れ落ちると新たな部分が再び付与されたため、人間は死や消滅については何も感ずることがなかったわけです。人間の意識は当時は、今日の意識とは違って、朧(おぼろ)げな夢うつつ(夢現)の意識でした。この地球に到ってはじめて、人間は自己意識と結びついた意識を獲得したのです。ここではじめて人間は自己自身について何かを知り、対象から自分を区別できる存在となったのです。そのためには、単に外から肉体を管理するだけでなく、この肉体の中に交互に入り込んで、自らの内で「自我」が語りかけるのを感じとらねばなりませんでした。人間はその肉体に完全に入り込むことによってのみ、完全な意識を獲得できたのです。そして、今や人間はこの肉体と運命を共有します。以前、まだ上方の霊的惑星系にいた時、人間はこういうことはしませんでした。人間がこの程度の意識を獲得したことによってはじめて、彼は死と関係を結ぶようになったのです。肉体が崩壊する瞬間、人間は自分の自我が停止するように感じます。自我と肉体を同一視してきたからです。少しずつ霊的な進化を経てようやく、人間は再び太古の不死性を取り戻します。肉体は意識して不死性を獲得するための修行場として存在するのです。人間が死によって不死性を贖(あがな)わないなら、生と死の二元性を認識しないなら、決して高次の段階で不死性を獲得することはできないでしょう。人間が死を知らなかった間、まだ世界は人間に開示されませんでした。生と死の二元性は開示された世界に属することだからです。このように至る所に生における二元性を指摘することができるでしょう。物理学におけるプラスとマイナスの電流、磁気における引力と反発力など、すべては二元性の中に現れています。2は現象の数、開示の数なのです。哲学・思想ランキング
2023年06月23日
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神秘学の記号と象徴・アストラル界と霊界との関係要綱◎第三講 シュトゥットガルト 1907年 9月15日 序・数の象徴「1」 数の象徴論。分割不可能な神性の表徴としての1。開示の数としての2及び3。自然と歴史の例のなかに見られる退化と進化。無からの創造。神的なものと開示的なものを結びつけるものとしての三性。宇宙あるいは創造の記号としての4。悪の数としての5。人間の本性の第五の構成要素の進化とともに、人間は独立と自由を得る。しかし、同時に悪をなす可能性も得る。人間の病気と生涯に関連する5の数の意味。完全数としての7。ピュタゴラスの意味における「一性」の分割不可能性。 記:における数の関係、各惑星が運行する速度について、その数と数の関係は宇宙空間を貫いて波打つ天球の調和(harmony)の中に表現されていること、それらは宇宙全体と宇宙の考察にとってある特定の意味を持っていることに続けて、神秘学の記号や象徴について語る時、数の中に表されている形象についての言及です。 さて今日は、ー今まで述べた神秘学の数の意味合いよりー、更に内密な数の象徴学を取り上げてみましょう。もっとも、真にこの象徴学に沈潜するには、もっと細心に取り扱うべきことがまだ他にたくさん必要となりますので、ここではその意味を軽くなぞる擦(なぞ)ることができるだけですが。それはともかく、例えば古代のピュタゴラスの秘教学院で宇宙への洞察力を得るためには、数と数の性質に沈潜せねばならないと言われた時、少なくともこれが意味することについて見当はつくだろうと思えます。数について熟考すべきだというと、味もそっけもないように思われる方もおられるかもしれません。とりわけ、現代の唯物主義的教養に毒された人々にとって、数の考察によって事物の本質に関する何かを探求できるなどということは児戯にも等しいと思われています。しかしながら、偉大なピュタゴラスが、数の性質について知ることは事物の奥深い本質へと導くと弟子たちに語ったことには、深い根拠があるのです。ただ々、1ないし3ないし7といった数について熟考すれば十分であると考えてはなりません。真の秘学の教えは、魔法や御呪い(おまじない)などではなく、何らかの数の意味についての迷信でもありません。その知恵はもっとずっと深い事柄に基づいているのですから。今日皆さんに受け取っていただきたい簡単な概略からおわかりになるとおもいますが、正しく数に沈潜する手がかりを持つなら、数は瞑想とも呼ばれる沈潜のためのひとつの拠り所を与えてくれるものなのです。 まず1という数、「合一の数」から始めなければなりません。この1という数が私が申し上げますことをどれほど真に形象化しているかは、後ほど他の代数を考察する際にさらに明らかになるでしょう。あらゆる神秘学において、常に一という数により宇宙における神の分離できない元素が表されました。一で神が表されるのです。けれども、単に数としての1に沈潜すれば世界認識のために何らかのものを獲得できると考えてはなりません。どのようにしてこのような沈潜が起こるべきかおわかりになると思います。それでも、先ずはその他の数に移った方がずっと実り多い考察になるでしょう。哲学・思想ランキング
2023年06月22日
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神秘学の記号と象徴・アストラル界と霊界との関係要綱◎第二講 シュトゥットガルト 5ー生命態としての惑星-5 神秘学的象徴や記号表現 ここでは話を最初の土星状態にまで戻します。この時、人間は霊的・魂的存在であって、総じて同じ肉体を持ち、低次の段階で自らの不死を知り、その肉体を絶えず変化させていました。こういう状態も、ある存在の中になおも保持されています。その共同生活は非常に独特で、これを集合魂とみなしますと、ある意味で人間よりずっと高次の存在といえます。つまりは、蜂のことです。蜂の巣全体は個々の蜂とは違うとみなされねばなりません。蜂の巣、個々の蜂ではなく全体は、ひとつの霊的な本性を持っています。これはある意味でかつての土星における低次の段階での人間の本性と一致するのですが、人間は金星状態において、高次の段階で再びこの本性に到達することになります。蜂の体は、古い土星段階にとどまったのです。私たちは蜂の巣と個々の蜂とをよく区別しなければなりません。蜂の巣の魂は通常の集合魂ではなく、それ自体特別な存在です。個々の蜂は、形態の中に、人間の肉体が土星で行ったようなことを保管したのです。蜂の巣の霊は、個々の人間の霊よりも高次のもので、今日すでに金星意識を有しています。蜂は死すべき運命について何も知らない霊人の象徴なのです。この惑星がまだ火のような状態「土星」であった時に有していた霊性に、人間はこの惑星が金星となって再び火のようになる時、高次の段階でもう一度到達するでしょう。それゆえ、神秘学では蜂を熱*存在あるいは火*存在と呼ぶのです。 自然科学があまり多くを語れない平行現象を追求するのは大変興味深いことです。いったい今日の人間は土星状態から自らの中に何を受け継いだのでしょうか、それは熱です。血液の温かさです。当時土星全体に分布されていたもの、つまり熱が解き放たれ、今日の人間と動物の温血を形成したのです。蜂の巣の温度を調べてみれば、それが人間の血液とほぼ同じ温度であることがおわかりになるでしょう。つまり、蜂の巣の全体が、人間の血液の温度に相応してこれと同じ進化段階に戻るような温度を展開しているのです。そういうわけで、神秘学者は蜂を熱から生まれたもの、熱*存在と呼ぶのです。同様に、蝶を空気から生まれたもの、空気*存在と呼び、魚を水*存在と、蛇を土*存在と呼びます。以上のような言及からも神秘学的象徴や記号が表現しょうとするものが、いかに深く惑星と人間の進化史と関わり合っているかおわかりになると思います。哲学・思想ランキング
2023年06月21日
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神秘学の記号と象徴・アストラル界と霊界との関係要綱◎第二講 シュトゥットガルト 5ー生命態としての惑星-4 蝶と蜂の象徴 地球がまさに土星状態から太陽状態へと進化して移行した当時は、どのように見えたのでしょうか。人間は一種の空気人間でした。今日の意味での死というものを人間はまだ知る由(よし)もありませんでした。人間は自らを変態させていたのです。人間がどのようにして今日のような死についての意識に行き着いたのか、ちょっと図を描いてはっきりさせてみましょう。地球が土星状態から太陽状態へと進化していった時、人間の魂はまだ太陽を取り巻いている気圏内で生きていたのですが、下方に肉体として存在していたものと関わりを持っていました。今日において、夜眠っている間、アストラル体は物質体から抜け出てはいても、物質体に属しているように、古い太陽と古い太陽上においても、アストラル体はそのような状態でした。ただ、当時においては魂は決して物質体の中に入り込むことはありませんでした。霊的な意識をもったひとつの魂がなるほど特定の肉体にすでに属してはいましたが、外から肉体を管理していたのです。それはこのように表象せなばなりません。 魂は「外的なもの」だったのです。この肉体はまだ死の法則に属してはいませんでした(*今日現代でも自らの細胞膜を持たないコロナ等のウィルスは死の法則に属してはいません。)。成長と死滅は今日の場合とは違う形で起こっていました。肉体がある部分を失うと、新しい部分が再生されたのです。今日たとえば空腹と食物が関わっているように、物質体の崩壊と再生とのこのような関係が生じました。長期にわたって魂が生き続ける一方で、肉体は変化していきました。当時は、いかなる死もありませんでした。こうして太陽状態のある時点から、人間の魂がある特定の肉体をまず形成し、それからその肉体をさらに別のさまざまな形に作り変えていくようになったのです。最初にある一定の形の肉体が形成され、それから魂がこの形を別の形に変化させ、さらに別の形に、それから第四の形に…という具合に続いていき、再び最初の状態に戻りました。人間はその間ずっと同じ意識を保持していました。形は変化を重ね、人間の魂が二つの状態を体験した後に、最初の形に戻った時、魂は新たに受肉したように感じたのでした。このような進化の過程は蝶において保持されているのがおわかりでしょう。蝶は、卵・幼虫・蛹・羽化という形で蝶に変態しています。蝶は、古い太陽上での、空気状態の人間を表す象形文字及び記号なのです。まったく変化してしまった環境に生きている今日の蝶は、むろんこの太陽状態の衰退した形です。蝶は、人間が乗り越えてきた空気状態の象徴なのです。ですから、蝶は、神秘学においては、空気*存在と呼ばれるのです。同様に、蛇は土*存在、魚は水*存在と呼ばれます。鳥が空気*存在と呼ばれない理由は、後ほどもう一度述べようと思います。哲学・思想ランキング
2023年06月20日
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神秘学の記号と象徴・アストラル界と霊界との関係要綱◎第二講 シュトゥットガルト 5ー生命態としての惑星-3 魚と蛇の象徴 さて、ひとつ問いを出してみましょう。仮に太陽と月とが再びひとつにならなかったとしたら、両者が別々に進化を続けていたとしたら、どんなことが起こっていたでしょうか。その時は、人間は決して今日のような形態を保つことができなかったことでしょう。古い月が自らの道を単独で進んでいたとしたら、つまり、太陽との合一によって新たなる力を創造することができなかったとしたら、月が生み出すことができたであろう最高の存在は、おそらく今日の蛇のようなものであったでしょう。それに対して、太陽存在は、彼らが単独のままだったとすれば、最高のものとして魚の形態に到達することができたでしょう。魚の形態は、人間よりずっと高度に進化した存在たちの外的な現れなのです。魚の集合魂は、実際今日でもとても高度なものです。外的な形態は魂とはまったく別のものなのです。それでは古い月の存在たちを蛇よりも高める力はどこからやってきたのでしょうか。この力は、太陽の存在たちから彼らのもとへやってきました。この高次の存在たちの太陽状態の清澄さが魚の形態の中に表現されています。それは古い太陽存在たちが獲得できる最高の物質的形態であるからです。ですから、それで太陽の力のすべてを地球に受け付けた太陽の英雄キリストは、魚の徴(しるし)によって象徴されるわけです。どんな深い直観をもって秘教的キリスト教が魚の形態の意味をとらえたか、今や皆さんにはご理解いただけると思います。魚の形態は秘教的キリスト教にとって、太陽の力、キリストの力の外的な表徴(ひょうちょう)なのです。なるほど魚は外的には不完全な存在ですが、魚はそれほど深く物質の中に入り込んでいないので、利己主義に満たされることが少なくてすむのです。 神秘学者にとって蛇は、古い月から進化した地球の象徴です。一方、魚は古い太陽の霊存在たちの象徴です。固体的実質を備えた私たちの地球は、蛇の中にそのもっとも深い存在、地球存在を象徴化しました。水の実質として分離されたものは、魚の中に象徴として示されています。神秘学者にとって魚は水から生まれたもののように思われます。さて、それでは空気から生まれたもの、火から生まれたものとは何でしょうか。これは追求していくのが困難な分野です。ここではいくつか暗示的なことをお話するだけにとどめておきます。オカルト・ホラー小説 ブログランキングへ
2023年06月19日
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いっぷ句-81昼寝時振り子伸ばして安らぎぬ 愚通*時間が伸ーびた。にほんブログ村
2023年06月18日
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神秘学の記号と象徴・アストラル界と霊界との関係要綱◎第二講 シュトゥットガルト 5ー生命態としての惑星- 2 さて、熱あるいは「火」の惑星土星から太陽へと移りましょう。ここでは火に空気が加わります。太陽上で最も濃密な状態は空気でした。これは一種の空気太陽だったのです。太陽上で人間は空気存在であり、その時にエーテル体が注入されました。空気存在の他には何もありませんでした。これらの空気人間は空気のように「透過できる」存在でしたから、彼らを突き抜けていくことができたでしょう。空気人間たちは蜃気楼と比較することができるでしょう。それほど彼らは軽くふわふわしていたのです。むろん、古い太陽上の空気は今日より濃密でした。古い月上でようやく水の状態が生じ、この月上で生きるものはすべて水の凝縮によって形成されました。今日でも見ることのできるクラゲや軟体動物がこうした水質存在についての表象を与えてくれます。当時の物質的肉体はすべてこのような性質のもので、この種の肉体のみがアストラル体を自らの内に受け取ることができたのです。進化はだんだんと先へ続いていきました。このように物事は、つまり人間と地球は関わり合っているのです。人間は自らの惑星に属しているのですから。さて今度は、この惑星進化の意味を考察してみましょう。土星上には物質体の萌芽・原基がはじめて存在しました。太陽でエーテル体が付加され、月ではアストラル体が付加されました。月上ではしかしさらに別のことも起こりました。古い月が二つの天体、すなわち一種の精妙になった古い太陽と本来の古い月という二つに分離したのです。当時、古い月上にとどまっていた人間は、基本的に今日の人間よりずっと劣った存在で、その進化段階はずっと低次のものでした。何故なら、アストラル体は古い月上では荒れ狂う激情にあふれていたからです。ずっと後になって自我が付加されてからようやくアストラル体の浄化が始まりました。そのためにはさらなる進化が必要でした。つまり、月が再び太陽と合体し、古い月と太陽という二つの天体が再びひとつにならねばなりませんでした。分離した太陽上に生きていた高次の存在たちは、彼ら自身の進化を続けることができるためには、月から離れねばなりませんでした。けれども今度は、この月上に残された存在、そこでさらに固化してしまった存在を救済せねばならなくなり、それで太陽は再び月と一体化せねばなりませんでした。哲学・思想ランキング
2023年06月18日
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神秘学の記号と象徴・アストラル界と霊界との関係要綱◎第二講 シュトゥットガルト 4ー生命態としての惑星-1 宗教的古文献においてみなさんが出会う聖書がノアの箱舟と名づけたもの以外に、また別の形象が聖書の第一章に見い出されます。今世紀の蛇の形象です。ローマの地下納骨堂(Catacombe di Roma/カタコンベ)ではさまざまな魚の徴(しるし)が見られます。この魚は古来、常に繰り返し図像として、キリスト教的なもの乃至キリスト自身を意味するとされています。誰かがこうした形象について思索を深めようとすると、おそらく多分に才気煥発なところが発揮されるでしょうが、それは単なる思弁にすぎません。私たちは単に真実と関わりを持とうとしているのです。これらの図像もまた霊的世界から与えられたのです。皆さんが人類進化の歴史において数分間私に従ってくださるなら、これらの蛇と魚の象徴にどんな真実が含まれているかお解かりになるでしょう。今一度、地球は人間と同じくさまざまな受肉(*生命態として扱っている/ガイア)を経てきたということを思い出してください。ご存知のように、この地球は地球となる前には土星、太陽、月でした。人間の肉体はさまざまな惑星状態においてすでに存在していたのですが、自我は地球上ではじめて人間に受け入れられました。さて、この地球がまだ最初の受肉状態、つまりまだ土星であったとき、どのように見えたか観照してみることにしましょう。当時はまだ岩石や表土のようなものは存在しておりませんでした。人間の物質的肉体は存在してはおりましたが、非常に精妙なものでした。それが徐々に濃密になって、ようやく現在の筋肉の形態となったのです。 今日の私たちの周囲の物質を観察してみると、個体、液体、気体といった異なった状態があることがわかります。神秘学ではすべての個体状物体が「土」と呼ばれ、「水」と称してすべての液体状の物質、「空気」ですべての気体状、ガス状のものが理解されます。「火」すなわち「熱」はこれらの状態より精妙です。今日の物理学者はむろんこのことを認めないでしょうが、神秘学者はこの「火」が実際、土、水、空気と比較されるものであり、ただこの三つよりももっと精妙な状態であるということを知っています。皆さんが熱を感じとるところでは、空気よりももっと精妙な何かが存在しているのです。私たちが神秘学的な意味で、土、水、空気とみなすものに関しては、土星上には何もありませんでした。これらの固定した有形の状態は、太陽、月、地球となってようやく成立したのです。土星上で最も濃密な状態は、熱あるいは「火」でした。この中に人間の体が生き、土星を取り巻く環、つまり土星はどれも環を有するわけです。これは本来反射された火の鏡像、火の分泌なのです。このことを更に詳しく述べていると、本日のテーマから遠ざかることになってしまいます。哲学・思想ランキング
2023年06月17日
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神秘学の記号と象徴・アストラル界と霊界との関係要綱◎第二講 シュトゥットガルト 3ーアトランティスの最期・人間の変貌 建築の形式の力を魂の中に受け入れた人々の数世紀後を追求してみると、彼らは今やその次の受肉において、その人相や顔貌に、この内的な心情の顕現を示しているこのことを正しく目の前に置いてみると、アトランティス時代末期に起こったことも理解できるでしょう。もう一度、アトランティスの最期、没落が起こった時代に目を転じてみましょう。この時代にはまだ今日のような空気というものはありませんでした。。空気の分布も水の分布もまだまったく異なっていました。濃い霧がアトランティスを取り巻いていました。霧が雲に凝縮し、流れ落ちる雨となって大洪水が陸地に溢れました。このアトランティスの沈没は、徐々に段階的であったと表象せねばなりません。短期間のうちに起こったのではなく、何千年も続くひとつの過程だったのです。外的な生活状況の変化にともなって人間そのものも変わりました。それ以前、人々は一種の霊視により知覚していました。それから雨が降り始めたとき、人々は次第々にまったく新しい生活の仕方、新たな見方、新しい種類の知覚に慣れなければなりませんでした。人間の肉体も変化を免れません。アトランティスの人々が今日の人間とどれほど異なっていたかはっきりと見ることにでもなれば、皆さんは驚かれるでしょう。けれども、こうした変化がひとりでに起こったとは考えないでください。感覚器官を備えた人間の身体は、少しずつ形成されてきたのです。人間の魂の力が長期間に渡ってこの人間の身体に働きかけ、先ほど簡単な例でお話したような仕方で作用しなければなりませんでした。まず人間は、建築様式を見ます。それが彼の心情に作用し、さらにまたこの心情が後世において、人間の顔相、顔貌に作用するわけです。 アトランティス時代から「後アトランティス時代」に移行する時期になって初めて、人間の魂は自らの形を変え、それに続いて肉体も作り変えられました。もう少し深く入り込んでみましょう。正真正銘の古代アトランティス人を表象してみましょう。彼はまだ霊視的意識を有していました。このことは、生活している環境、霧に満たされた大気と関わりがありました。この環境では、事物は明確な輪郭をもって境界づけられてはいません。それらはむしろ彼の前に浮かび上がってくる色彩像、色彩の波浪といったもので、入り乱れて畝(うね)りつつ、人々の魂の状態を彼に示していたのです。自分に近づいてくる対象物の代わりに、アトランティス人はひとつの光の形状(forme)を知覚していました。青は愛、赤は熱情・怒りなどという具合に。彼を取り巻いて、あらゆる人間の魂の力が広がっていました。もし仮にこういう状態がずっと続いていたとしたら、人間は決して現在の肉体を獲得できなかったでしょう。空気が水から解放され、対象がますます明るくはっきりと現れてきて、現在のような境界を成すようになったとき、人間の魂が新たな印象を受け取らねばならない時期が到来したのです。そしてこの印象に従って、魂は自らの肉体を形成しました。何故ならそれは、あなた方が考えたり感じたりするものに従って、自らの肉体を形成するからです。さて、人間の魂は、アトランティスの水の風土から救い出されて新たな空気の風土に移行したとき、肉体を今日の形に作り上げるために何を体験せねばならなかったのでしょうか。人間の魂は、後に形成されるべき肉体に合った特定の長さ・幅・深さを備えているようなひとつの形姿(フォルム)に囲まれていなければなりませんでした。この形は、聖書がノアの箱舟と名づけたものによって実際に彼に与えられたのです。神秘主義の気分がゴシック式大聖堂の形から形成され、その形に従ってどんな顔貌が形成されたかを霊視者なら確認できるように古代アトランティス人の肉体は徐々に形成し直されました。なぜなら人々は、偉大な秘儀参入者の影響の下に聖書がノアの箱舟を記述している寸法に従って建造された事物の中で、実際に生活していたからです。古代アトランティス時代の生活は、一種の水及び海上生活者でした。人々の大部分は水上の舟で生活していて、しだいに陸上での生活に慣れていったのです。何故なら、古代アトランティスは単に水を含んだ霧の大気に囲まれていたのみならず、アトランティスの大部分は海に覆われていたからです。人々は肉体を今日のようなものに作り上げることができるように、このような舟の内部で生活していたのです。これがノアの箱舟の秘密です。聖書から再び神秘学的な深い意味を読み取ることに通暁すれば、この古文献には、叡智と限りない崇高さの輝きがあふれるのです。人々は、自分の皮膚のなかに閉じこめられているという印象を得なければならなかったので、舟上で生活しました。このように秘儀参入者たちは、何千年にもわたって人間の育成に作用を及ぼしました。宗教的古文献においてみなさんが出会うものは、まさしく深く秘された真実から取り出されたものなのです。哲学・思想ランキング
2023年06月16日
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神秘学の記号と象徴・アストラル界と霊界との関係要綱◎第二講 シュトゥットガルト 2ー秘儀参入者の創造としてのゴシック建築 中世の半ば頃、ライン河沿いにドイツ神秘主義と呼ばれる注目すべき宗教的運動が発生しました。法外な深まりと内面化が、キリスト教神秘主義の指導的精神たち、マイスター・エックハルト、タウラー、ズーゾー、ロイスブルーク他、「プファッフェン(坊さん方)」と呼ばれた人物たちから発しました。13世紀から14世紀においては、「坊さん(プファッフェ/ Pfaffe:修道士のこと)」という呼称は、今日とは異なり、まだいくらか尊敬の意味合いを持っていました。当時のラインは、「ヨーロッパの偉大なる坊さん横町」と呼ばれていました。それでは、この人間心情の偉大な深まりと内面化、神的な本質的諸力との親密な一体化を求めるこの敬虔な感情はどこで生み出されたのでしょうか。それは尖塔・迫持(せりもち)、支柱と円柱群を備えたゴシック大聖堂の中で引き出されてきたものなのです。この聖堂がこれらの魂を引き出したのです。見られたものはそれほど強力に作用するのです。人間が見るもの、人間の周囲からその魂に注ぎ込まれたもの、これが人間のうちでひとつの力になります。この力に従って、人間は次の受肉に至るまで自分自身を形づくるのです。 ここでちょっと人間の進化からこのことを図式的に魂の前に引き出してみましょう。建築様式というのものは考え出されたものではなく、ある時代に秘儀参入者たちの偉大な思考から生み出されます。彼らは建築様式を世界へ流入させるわけです。建築物が建てられ、それが人間に作用します。人間の魂はこの形式の中に生きている霊的な力を幾分か自らの内に受け入れます。建築の形式、たとえばゴシック式を見ることによって魂が受け入れたものは、魂の気分の中に現れてきます。高みを見上げる情熱的な魂としてです。数世紀前に人々はゴシック式の中に生きていたものを自らの内に受け入れました。そして今度は、これらの人々、この建築の形式の力を魂の中に受け入れた人々の数世紀後を追求してみると、彼らは今やその次の受肉において、その人相や顔貌に、この内的な心情の顕現を示しているのです。人間の魂が顔を作り上げたのです。それでこのような芸術がなぜ用いられるのかがわかります。人類の未来のずっとずっと先まで、秘儀参入者たちは見ているのです。そのため彼らはある特定の時代に、外的な芸術形式、広くは外的な建築様式を形成します。このように、人間の魂の中に、未来の人類の時代のための胚珠が蒔かれるのです。哲学・思想ランキング
2023年06月15日
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神秘学の記号と象徴・アストラル界と霊界との関係要綱◎第二講 シュトゥットガルト 1907年 9月14日 序・1ー建築物とその形式の人間に及ぼす作用 建築物と形式(フォルム)の人間に及ぼす作用。秘儀参入者の創造としてのゴシック建築。それは現代の人間の周囲の形式世界とは逆。アトランティスから後アトランティスへと移る人間の形態の改造とノアの箱舟の寸法比。地・存在としての蛇、水・存在としての魚、空気・存在としての蝶、熱・存在としての蜂の象徴。 ノアの箱舟は高さ、幅、長さの比率の中に、人体の寸法の比が表現されているということがわかります。聖書という宗教的古文献のこの箱舟がどういう意味を持つかを洞察するためには、このとおりに考察せねばなりません。私たちは単に人間を救出しようという乗り物が人体の寸法を思い起こさせる一定の寸法を取るということがどういう意味なのかを明らかにするのみでなく、あの人類進化の時代、ノアの物語に暗示されている実際の出来事が起こった時代へと沈潜することが必要となるでしょう。 神秘学についてその幾ばくかを理解した人々が、外界に何か対象物を見い出した時、それはいつも人間の魂にとって其れなりの特定の目的があり、且つ特定の意味がありました。ゴシックの教会と大聖堂を、中世初期に成立し西部から中央ヨーロッパに向けて広がった独自の此れら建築物を思い出してみてください。ゴシック教会は確固たる建築様式を持ちます。二つの上に向かって先の尖った部分からなる独自のアーチが、全体に上方を切望する気分として溢れていること、支柱が一定の形態をかたどっていることなどの点で表される様式です。このようなゴシック大聖堂が、単なる外的な必要性から、例えばあれやこれやのことを表現したり意味したりすべき神の家をつくろうというある種の憧れから出てきたものだ主張しようとする人はまったく誤っています。まったく違うのです。ゴシック様式の基礎になっているのは、もっとずっと深い何かなのです。ゴシック建築物のために世界に最初の理念を提示したのは、神秘学に精通した人々でした。彼らはある程度の秘儀参入者だったのです。 人類のこの偉大な指導者たちは、このような建築物、建築様式を生じさせることに特定の意図を結びつけていました。ゴシック様式、ゴシック式大聖堂と教会に足を踏み入れる人には、まったくに特定の魂の印象が呼び起こされます。聳え立つ支柱群を備えに高く湾曲したドームの中では、まるで一種の苑(えん)に踏み込んだような印象です。そこにとどまることは、魂に対して、例えばあなた方が普通の家屋やルネサンス式ドーム(丸屋根)やロマネスク様式のドームを備えた建築物の中に入っていく時とは、まったく違った作用を及ぼします。形式からまったく特定の作用が生じてくるのです。通常の人間にはこのことは意識されず、これらすべては無意識のうちに識閾下に生じます。このような形式に囲まれている時、自分の魂に起こっていることを人間はあまり理解してはおりません。その時起こることは、その周囲の状況に応じて非常に異なります。人々の多くは、現代の唯物主義はこんなにも多くの唯物主義的著作が読まれていることに由来するのだと信じています。しかし神秘学者はその影響はそれほどではないということを知っています。目で見ているものの方がはるかに重要なのです。目で見ることの影響は、多かれ少なかれ無意識裡に進行する魂の経過に及ぶからです。これには、きわめて実際的な意味があります。いつか精神科学が真に魂を把握するとき、この実際的な作用が公共の生活においても目につくようになってくるでしょう。既にしばしば指摘してきたことですが、中世において通りを歩くとき、今日とはまったく違ったものがありました。通りの左右のどの正面(ファサード)にも、その家を作り上げた人の銘が刻まれていました。どの対象物も、人々の周囲にあるものは皆、どの戸錠も鍵も、その製作者の魂が自らの感情を体現させた何かから作り上げられていました。ひとりひとりの細工者がいかにどの部分に対しても喜びを感じていたか、いかにその中に自分の魂を注いでいたかをはっきり感じとってください。どんな物の中にも、作者の魂の一部が存したのです。従って、外的な形式の中に魂が存る所では、それを見、観察する人にも、魂の力が漲りました。今日の都市と比べてみてください。今日(こんにち)、事物のうちにまだ魂は存るのでしょうか。靴の店、刃物の店、肉屋の店、それにビアホール等があります。あのポスター芸術のみをとっても、これらはどんな成果を生むのでしょうか。ぞっとするようなポスター芸術、老いも若きも、このような悍(おぞ)ましい制作物、意識下の最悪の力を呼び起こす制作物の海の中を彷徨(さまよ)っているのです。神秘学的教育術は、目で見るものが人間の奥深く影響を及ぼすということに注意を喚起するでしょう。それに、現代の風刺雑誌をご覧下さい。いったい何が掲載されていることか。何ら批判たろうとはせずに、単に事実の仄(ほの)めかしにすぎません。というのも、これらはすべて、人間をある一定の方向に導く力、時代を見定める力の流れを人間の魂の中に注ぎ込んでいるのです。精神科学者は、それは人間がどういう形式の世界に生きているかによるということを知っています。哲学・思想ランキング
2023年06月14日
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神秘学の記号と象徴・アストラル界と霊界との関係要綱◎第一講 シュトゥットガルト 8ー神智学における地球進化2 アトランティス時代のこうした別種の知覚は、当時の人間は今日とは全く違った様相をしていたことと結びついています。例えば、アトランティス時代の末期には、人間の身体の額ははるかに後退していて、その上方にエーテル体が大きな球のようにせり出していました。額の後ろ側の点、両眼の間を少し後退したあたりで、物質体とエーテル体はまだ一致していませんでした。それから物質体とエーテル体が収縮し、物質体とエーテル体両者の点が一致したのは、人間進化において、重要な瞬間でありました。今日では肉体の頭部はエーテル体の頭部におおよそにはぴったりと収まっています。馬の場合は、まだそうではありません。けれども人間の場合、この頭部が変化してきたように、四肢も変化してきたのです。徐々に現在の肉体の形姿が形成されてきたのです。アトランティス時代末期へと思いを馳せてみてください。そもそも当時はどんな状態だったのでしょうか。人間はある種の霊視力で自分の周囲の魂的状態を知覚していました。もう一度この厚い霧の大気、水蒸気をたっぷり含んでずっしりと重い空気を思い浮かべてください。太陽や星々、皆さんの周囲のあらゆる対象物は当時、この厚い水を含んだ空気の中ではよく見えなかったことでしょう。虹は当時はまだありませんでした、虹はまだ生じていなかったからです。すべては厚く重い大量の霧におおわれていました。それゆえ、伝説はニヴルヘイム、ネーベルハイム(霧の国)について語っているのです。徐々に、空気の中に厚く拡がっていた水が凝縮していき、各種宗教の降水伝説「かくて大洪水の水が地上に降り注いだ」につながります。これは厚い大量の霧が水へと凝縮し、降水、雨となって落下したということを言っているのに他なりません。水が空気から分離されたことにより、空気は透明になり、それに伴って、今日のような視力が形成されてきました。人間は、自分の周囲の対象を見ることができるようになって初めて、自分自身を見ることができたのです。 さて、人間の物質体は深い意味を持つ多くの規則性を示しています。そのうちのひとつは次のようなものです。皆さんが、高さ:幅:長さが3:5:30の割合となる箱をこしらえるとします。そうすると、これと同じ割合が人間の肉体にも見出せるのです。換言すれば、これによって人間の肉体の規則的な構成の割合が示されているわけです。人間がアトランティスの洪水から出てきたその当時、人間の肉体は3:5:30という割合に従って形成されていました。このことは、聖書においては次のような言葉でたいへんみごとに表現されています、「そこで神はノアに命じて、長さは三百エレ、幅は五十エレ、高さは三十エレの箱(舟)を作らせた」と。人体の調和の寸法比は、このノアの箱船の寸法比とぴったり適合しています。 神秘学の記号や形象は、事物の本質そのものから取り出されたものです、従って、それらを通じて私たちがいかにして霊界の関係をのぞき込むことができるかを示すものなのです。哲学・思想ランキング
2023年06月13日
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神秘学の記号と象徴・アストラル界と霊界との関係要綱◎第一講 シュトゥットガルト 7ー神智学における地球進化1 相当長い間神智学に携わってきた方は、現在の受肉状態にある地球がさまざまな進化段階を経てきたことをご存知でしょう。はるかに遠い過去、地球は火で溶融したような状態でした。今日の石や金属であるものは、かつてはこの火で溶けた状態の地球に溶けこんでいました。そのような熱の中では、人間もその他の存在も生存できた筈はないという非難に対しては、次のように答えねばならないでしょう、当時の人間の肉体は当時の諸条件に適合したものであったのだと。当時の肉体は、今日の溶鉱炉よりも高い温度でも生存できたのです。この地球の火の時代に続いて、私たちがアトランティス時代と呼ぶ水の時代がやってきます。ちょっとこのアトランティス時代を考察してみましょう。アトランティス大陸は、今日のヨーロッパとアメリカの間の大西洋の中心に広がり、私たちの先祖が住んでいました。むろん彼らは今日の人間とは全く異なった状態にあります。彼らの視力は私たちのそれとは異なっていました。彼らはある意味で霊視を行っていたのです。アトランティス人の進化においては、この視力にさまざまな段階がありました。アトランティス末期の最終段階は、はるかに高次の段階の一種の余韻のようなものでした。例えば、アトランティス人は外的な対象をアトランティス末期になってようやく見ることができるようになったのです。それ以前のアトランティスには厚い水を含んだ大量の霧が充満していたので、対象物は空間的にはっきりとした輪郭で分けられていませんでした。こうしたアトランティス進化の初期においては、知覚のしかたが全く異なっています。古代アトランティス人がある物や存在に近づくとき、最初に見たのはある人物や対象の輪郭や骨格ではありませんでした、それどころか、外界とは何の関係もない、ある内的な魂の状態を再現するような色彩像が、彼らの内に浮かび上がったのです。色彩像は、こちらに向かってくる存在が彼にとって有益なのか危険なのかを語るものでした。例えば、こちらにやってくる者が他に対して抱いているのが復讐の感情であったなら、それに応じた色彩像が彼に示され、彼はそこから走り去りました。野生の獣が近づいたら、彼らは同様に識別し、それから逃れることができたのです。アトランティス人は、自分の周囲の魂の状態をこの霊視の最終段階で知覚していました。その状態から今日の視力が徐々に発達してきたのです。非常に霧のかかった日のことを考えてみてください、対象はそういうときにはぼやけています。考えてごらんなさい、こんな日には、街灯も点のように浮かび上がっているだけでしょう。それからだんだんと輪郭が判別できるようになってきます。こうして徐々にアトランティス人は見ることを学んだのです。人間が以前に見ていたものは、一種のアストラル的な色彩でした。最初のうち、この色彩はまだ自由に漂っているように見え、それからいわば事物の上に置かれたのです。哲学・思想ランキング
2023年06月12日
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神秘学の記号と象徴・アストラル界と霊界との関係要綱◎第一講 シュトゥットガルト 6ー惑星軌道とハーモニー 御存知のように、諸惑星は一定の速度で太陽(註:霊的惑星系で太陽が惑星とされていることには注意が肝要)の回りを運動しております。けれどもこれらの惑星は神秘学的天文学者たちによって精確に探求されている惑星運動でもあり、また別の運動もしているのです。その探求によって明らかにされたのは、太陽はある霊的な中心点の回りを運動しており、従って諸惑星の軌道はその正中線が太陽の軌道となる螺旋を描くということです。各惑星がその軌道を運行する速度は、お互いに全く一定の調和した比例関係にあり、この音響としての比例関係が聞く者にとって、ひとつのシンフォニーへと構成されるのです。これがピタゴラス学徒によって天球の音楽とみなされていたのです。この共鳴、この音楽は、宇宙的な出来事の模像であり、ピタゴラスの学院で教授されたものは、何ら頭をひねって考案されたものではないのです。古代の神秘学的天文学者たちはこう語りました。一見静止しているように見えるこの星天は実際は動いている。霊的な中心点の回りを、百年ごとに一度ほど前にずれていく速度で回転しているのだと。 さて、各惑星の速度は、お互い次のような関係になっています。土星の速度は木星の速度の21分の2倍、木星の速度は火星の速度の5倍、火星の速度は太陽、水星、金星の速度の2倍、太陽の速度は月の速度の12倍となります。この場合、土星の速度は金星の速度より1200倍早く、年に12度前進します。 物理学上の音楽的調和が成立するとき、それは、例えばさまざまな弦が、あるものは速く、あるものは遅く、異なって振動することに基づいています。一本一本の弦が振動する速度に従って、高い音や低い音が響き、こうしたさまざまな音の共鳴が音楽として鳴り、調和を生むわけです。皆さんが弦の振動から、この物理学的なものの中に、音楽的印象を得るのと全く同じように、デヴァチャン界の霊聴の段階にまで上昇した人は、天体の運動を天球の音楽として聴き取るのです。さらに、諸惑星のそれぞれ異なる運動速度の比例関係により、宇宙空間全体に響きわたる天球のハーモニーの基調音が生じます。ピタゴラスの学院では、まさしく天球の音楽について語られているのであり、それは霊的な耳で聞くことができるのです。以上の考察から、私たちはさらにまた別の現象も暗示できます。例えば、薄い真鍮板に微細な粉末をできるだけ均等にまき散らし、ヴァイオリンの弓でこの板を擦(こす)るとします、すると音が聞こえるばかりでなく、粉末の粒子が一定の線上にきちんと並びます。音に応じてあらゆる図形が形成さていきれます。音が作用して物質、素材が配置されるのです。これが有名なクラドニの音響図形です。霊的な音が宇宙空間を貫いて響いたとき、音は互いに比例関係にある諸惑星を天球のハーモニーへと組織しました。宇宙空間に広がって見えるものを、この創造する神性の音が配列させるのです。このような音が、宇宙空間の内部へと響きわたったことにより、物質がひとつの系へと、太陽系(*霊的惑星系が進化した星系)、惑星系へと形成されたのです。ですから「天球の音楽」という表現も、才気あふれる比喩などではありません、それは現にある事実なのです。(参照:SF作家メリッサ・スコットのサイレンス・リー・シリーズでは星間エンジンに惑星ハーモニーを使用しています。)記:エルンスト・フローレンス・フリードリヒ・クラドニ (Ernst Florens Friedrich Chladni 、 1756年 11月30日 - 1827年 4月3日 )はドイツの 物理学者 、 天文学者 である。 音響学 の分野に貢献する一方、 隕石 が地球外に起源があるという説を初めて述べたことでも知られる。 ライプツィヒ大学 で学んだ。 音響学の分野で平面の振動を可視化する方法を開発し、1787年に著書 Entdeckungen ueber die Theorie des Klanges (音響理論に関する発見)を著した。哲学・思想ランキング
2023年06月11日
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神秘学の記号と象徴・アストラル界と霊界◎第一講 シュトゥットガルト 5ー受肉 お話してきましたたように、この地球はだんだんに進化してきました、私たちは地球の諸々の受肉について語ってきたのです。地球は最初に土星、それから太陽、さらには月、そして現在は地球であり、後に木星、金星、ヴルカンとなっていきます。さて、皆さんは次のように問うことができます、そうは言っても今も空に土星というものがあるではないか、この今日の土星は地球の最初の受肉状態であった土星とどういう関係にあるのかと。今日、星空を観察すると、私たちが公によく知っている諸惑星が見えます。これらの惑星の名称は恣意的に選ばれた、つまり近年、慣例になっているように、特定の人物、例えばその星の発見者の名前に因んでつけられたというようなものではありません、そうではなく、星々の本質に関する深遠な知から与えられた意味深い名前なのです。今日人々はもはやそのようなこととは関わりなく、例えばウラヌス(天王星)は後になっての発見のために既知であった星のような正しい名前を持っておりません。今日皆さんが天に土星として観ているものは、私たちの地球がまだ土星の状態にあったときと同じ段階にあるのです。公の土星は地球に対していわば少年が老人に対するような関係にあります。老人がその傍らに立つ少年から育ってきたのではないように、老人自身かつては少年だったわけですから、この地球も今日ある土星から進化してきたものではありません。今日空にある土星もまたいつか地球となってゆくのであり、現在は一種の青年期の段階にあるわけです。他の天体の場合もこれと同様です。太陽はかつて地球がそうであったような天体ですが、ただそれがいわば前進した(avanciert)状態なのです。人間の場合に、老人の傍らに少年がいるといった具合にさまざまな年齢層がともにあるように、天においてもさまざまな惑星がさまざまな進化段階にあって並存しているのです。その一部は、現在その第四の受肉状態にあるこの地球がすでに完了した進化段階であり、また一部はこれからとることになる進化段階です。これらの惑星は、お互い正確に一定の関係にあります。神秘学者はこうした関係を今日の天文学者が行うのとは別のやり方で表現するのです。哲学・思想ランキング
2023年06月09日
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神秘学の記号と象徴・アストラル界と霊界との関係要綱◎第一講 シュトゥットガルト 4ー霊的光の形象としてのアストラル光 さて、人間が自らのアストラル体に組み入れたものは何なのかと問うならば、それは私たちが善、聡明さと呼ぶものだ、それを通して人間は自らのアストラル体を高貴にするということです。 私たちが今だに食人種の段階にあり、すべての激情に盲目的に従う未開の人を観察するとき、そしてその人は何によって高度に進化した人間と区別されるのかと問うとき、こう言わざるを得ません。文明人はすでに自らのアストラル体に働きかけてきたが、未開の人はまだそうしていないという点で区別されると。自らの激情や衝動を、これには従ってよい、別のはいけないと自らに言い聞かせるほどに把握している人は、道徳的な概念や理念を形成しています。つまりこれがアストラル体を変化させ高貴にするということなのです。人間は受肉を重ねつつアストラル体に働きかけることにより、尚一層に前述の光輝く存在へと自らを高めていきます。これは「叡智の働きかけ」と呼ばれます。アストラル体の中に叡智が増せば増すほどアストラル体は光輝を増します。あの太陽上に住んだ存在、エロヒム(*ヤコブが夢に見た、天使が上り下りしている、天から地まで至る梯子の記述がある。)たちは全き叡智に貫かれていました。私たちの魂と肉体との関係は、ちょうどこの光と叡智の関係なのです。光と叡智の関係は考案されたイメージではないということがお分かりいただけたでしょう、これはひとつの事実に基づいており、ひとつの真実なのです。光は事実叡智の身体なのです。こうして私たちは、宗教的な古文献が光について叡智の形象化として語っていることを理解できるようになります。学びつつある人、高次の視力、霊視力を発達させつつある人にとって、たとえば次のような修行をすることは大きな意味があります。すなわち、真っ暗な空間に身を置き、外からの光を完全に遮断して、夜の暗闇であっても両目を閉じることでもよろしいですが、それから徐々に自分自身の内的な力によって、光の表象に突き進もうとするのです。(*信貴山の本堂真下の暗闇に回廊があり、戒壇巡りを参照。)人間がその表象を十分な強度をもって形成できるようになると、その人は次第に明敏になり、そして「光」を見るようになります、それは物質的な光ではありません、その人が今や自ら創造し、内的な力によって自らの内に生み出した力です。これは叡智に貫かれた光です、この光の中で人間には創造する叡智が現れます。これがアストラル光と呼ばれる光なのです。瞑想を通じて人間は内的な光を生み出すことができるようになります。この光は、人間がいつの日か、物質的な目ではなく、もっと精妙な感覚器官によって見るであろうものの先触れなのです。それはエロヒムたちのような実際に存在する霊存在たちの衣装となります。人間がこの修行を正しいやり方で行うと、それはこれらの高次存在と関係を結ぶ手段となります。自らの経験から霊的世界について何かを知るひとたちは、このようなことを行なってきたのです。後でお話しします別の方法によっても人間は、自らの内的な力により、空間が光に照らされ、叡智に取り巻かれるのみならず、空間がいわば音を発し始めるという事態にまで到達することができます。ご存知のように、古代ピタゴラス哲学では、天球の音楽について語られていました。この「天球」という言葉で、ここでは宇宙空間、つまり星々が運行する空間が意味されています。これはあれこれ考えたあげく作り上げられたイメージなどではなく、詩的な比喩でもないひとつの真実なのです。人間が秘密の導師の指示に従って十分に修行を積むと、明澄(めいちょう)な、光輝に満たされた空間、叡智の顕現である空間を内的に観るだけでなく、宇宙空間に漲(みなぎ)る天球の音楽を聞き取ることを学びます。空間が鳴り響き始めるこの時、人間は天上的な世界にあるといわれるのです。まさしく空間が鳴り響くのですが、これは物質的な音ではありません。これは霊的な音、空気中では生きるのではなく、ずっと高次の精妙な実質、アーカーシャ(天球)の実質の中に生きる音なのです。空間は絶え間なくこのような音楽に満たされています、そしてこの天球の中にある種の基調音があるのです。さて、ここでもう一度天球の音楽というものにおいて理解したことを考察してみましょう。今日の数学的天文学者たちが、神秘学において惑星について語られていることを明らかな妄想と見なすであろうことは、私にはよく分かっております。けれどもそれは問題ではありません、やはりこれは真実なのですから。哲学・思想ランキング
2023年06月08日
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神秘学の記号と象徴・アストラル界と霊界との関係要綱◎第一講 シュトゥットガルト 3ー霊光の萌芽 さて、私たちは次のように問うことができます、これらの体は人間本性に受肉する前にはいったいどこにあったのか。例えば、太陽上でエーテル体として物質体の中に組み込まれられたものは、古い土星上ではどこにあったのか。エーテル体というものもどこからかやってきたのに違いないのだからと。エーテル体は、土星の周囲にあったのです。ちょうど今日、地球の周囲に大気があるように。後になって人間に組み入れられたものは、すべて古い土星の周囲に、気圏内にすでにあったのです。同様に、太陽においては、月上ではじめて組み入れられるアストラル体が周囲にありました。古い太陽を次のように表象することが出き得ます。太陽は今日の地球のような岩石・植物・動物から成り立っているのではなく、太陽上に存在していたのは二つの自然領域でした。太陽上に見いだせる存在、人間は、どうにか人間的な植物といったところで、こうした存在とともに、古い太陽上には或る種の鉱物もありました。けれども、この古い太陽を現在の太陽と混同してはなりません。古い太陽は厚い流動するアストラル的な外被に取り巻かれていました。古い太陽は、謂わばアストラル的な空気の覆いに囲まれていて、このアストラル外被は光輝いていました。古い太陽上の舞台はこんな具合だったのです。 今度は再び、物質体、エーテル体、アストラル体と自我を有する今日を在する人間を考察してみましょう。さてこの自我がアストラル体へと働きかけて、これをよりいっそう知的、道徳的、霊的な関連において浄化すると、このアストラル体から霊我ないしマナス(*神智学の定義によるマナス/manasは、人間の心、知性、自我を司っている不可視の身体である。英語のmindに相応)が生じます。はるかな未来、今日現在には殆ど始まっていないこのことが完了されたときには、このアストラル体が「物質的に」輝きを発することでしょう。植物がすでに自らの内に新しい生命の萌芽を宿しているように、アストラル体もすでに光の萌芽を宿しています。いつか人間が自らのアストラル体をもっともっと純化し、浄化しきったあかつきには、この萌芽が宇宙空間へと光を発することでしょう。この地球は、別の惑星へと変容するのでしょう。今日の地球自体は暗いのです。外部から観察することが出き得たとしたら、地球はただ太陽の光を反射して明るく見えるだけだということがわかります。けれども、いつか地球自体が光輝くようになるでしょう。そのときには、自らのアストラル体全体を変化させてしまっている人間によって光輝くのです。すべてのアストラル体の総計が光となって、宇宙空間に光を放つことでしょう。古い太陽の場合もそのような状態でした。古い太陽の住人は、現在の人間たちよりも高次の存在たちで、これらの存在は光輝くアストラル体を持っていました。聖書において非常に正確に光の霊あるいはエロヒムと呼ばれたこれらの存在は、そのアストラル本性を宇宙空間に放射していたのです。哲学・思想ランキング
2023年06月07日
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神秘学の記号と象徴・アストラル界と霊界との関係要綱◎第一講 シュトゥットガルト 2ー霊的光についての形象 図形や記号を用いる正しい指針を少しずつ獲得すると、それらは人間を次第に霊的世界の認識に導き、霊視力を獲得させる手段となります。瞑想において五芒星に沈潜する人にはこれらのエーテル体内の流れの道筋が見い出されます。これらの記号の恣意的な意味をあれこれ考え出すのが目的ではありません。瞑想においてこれらの記号と関わるとき、勿論、ただ忍耐強く行わねばなりませんが、秘められた真実に導かれます。これは、あらゆる形象や記号と同じく、皆さんがさまざまな宗教的古文献の中に見い出すことの出来るものにも当て嵌まります。こうした形象は、深く神秘学に根ざしているものだからです。預言者や宗教家が光について語り、光によって叡智を表そうとするとき、このことを単に彼が思いついたとか、才気煥発であろうとしてこのような表現を用いたとか考える必要はありません。神秘学者は事実に立脚しているのであって、才知に富んでいるということは重要ではないのです。ただ真実であろうとするのみです。神秘学者として人は、無秩序な思考をする習慣を捨てねばなりません。すなわち、恣意的に結論を引き出したり、判断を下してはならず、一歩一歩霊的な事実を手がかりに、正しい思考を発達させていかねばなりません。こうした光についての形象にもきわめて深い意味があり、ひとつの霊的な事実です。このことを認識するために、再び人間の本質に目を向けてみましょう。ご存じのように人間の本質の第三の構成要素はアストラル体であり、喜びと悲しみ、歓喜と苦悩、衝動、熱望と激情といった人間の内的魂的な体験が有するすべての担い手です。植物にはアストラル体がなく、従って人間や動物のような喜びや悲しみは感じません。今日、自然研究者が植物の感情について語るとき、そもそも感情の本質について完全な誤解に基づいています。アストラル体の正しい表象は、時代の経過とともにアストラル体の遂げてきた進化を追求するときにのみ得られます。すでに以前、大宇宙での進化との関連における人間の進化を考察いたしました。その際、人間の物質体が人間本性の最も古く最も複雑な構成要素であること、エーテル体は其れ程には古くなく、アストラル体はもっと若く、自我にいたっては人間本性のうち最も若いものであることを見てきました。その理由は、物質体はその進化においてすでに地球の四つの惑星状態を経てきたからです。私たちの地球が以前、土星状態と呼ばれる受肉状態にあったとき、すでに物質体は原基の状態で存在していました。その当時、はるかに過ぎ去った昔ですが、地球はまだ固体ではなく、人間は未だ今日の形態をとっていませんでした。只々、その土星上には物質体の原基があったのです。けれどもエーテル体、アストラル体といった他の体はまだありませんでした。地球の第二の受肉状態、太陽上ではじめて人間にエーテル体が付与されました。当時、人間のエーテル体はきわめて明白に五芒星の形態を有していました。後にこの星の第三の受肉状態、月上でアストラル体が付加されることにより、これはいくらか修正されました。さらに月は、地球へと変わり、以上の三体に加えて自我が登場します。哲学・思想ランキング
2023年06月06日
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神秘学の記号と象徴・アストラル界と霊界との関係要綱◎第一講 シュトゥットガルト 1907年 9月13日 序・1-五芒星 オカルトの秘密記号とアストラル界・霊界との関係。人間の記号としての五芒星(ペンタグラム)。叡智の像としての光。「叡智の働きかけ」によるアストラル体の変成と高貴化。地球の未来の進化。内的な光を獲得するための修練。叡智の光と天球の音楽。天球の調和(ハーモニー)と惑星運動。アトランティス人の知覚。人体の比率としての箱船。記:オカルト (occult)は、一般的には神秘的な、超自然的なこと、また、そのような術や現象を指します。現代では超心理学の別名の下に科学的なアプローチも行われています。オカルトという語は16世紀前半からあらわれますが、オカルト的信仰そのものの起源は遥かに古くエジプトやメソポタミアの占星術、ヘブライのカバラ、古代ギリシアのピタゴラス教にまで遡ります。古代の秘密の知は道士たちの集団のなかで密儀的に伝承されたが、近代オカルティズム運動にあっても薔薇十字団やフリーメーソンのような秘儀伝授のための結社や分派がおびただしく出現し、今尚、消失・減衰したとは申せまん。記:五芒星(ペンタグラム/pentagram)は、古今東西を問わずというほどに使われてきた図形です。世界中で魔術の記号として用いられ、扱い方ひとつで守護に用いる事もできれば、悪魔のシンボルにもなる。また、ダビデの星として描かれた六芒星「ヘキサグラム/hexagram)」は「魔除け」のシンボルです。目には見えない魔力の宿るものとして扱われ、力またはその増幅の象徴ともされています。 ここシュトゥットガルトでこれから行います四回の講演は、いくぶん内密な性格を持つことになると思います。何といっても皆さんの大部分は神智学協会に属され、すでに長年に亘って神智学の根本理念に親しんでこられ、従ってこの分野のより内密な題材に精通したいとお望みでしょうから。これらの講演で扱いますのは、アストラル界及び霊界と関連する秘密(心霊的)の形象と記号です。一連の秘密の象徴と形象のより深い意味を述べるつもりです。その際、初めの二回の講義で、いくらか奇妙に聞こえることがあっても、三回、四回と進みますと、完全な説明が得られるということにご注意いただきたいと思います。事の性質上、そういうことになるのです。神智学の講演は、いわば唯物主義的なやり方で単純な要素の上に組み立てられた他の講演とは違うのですから。最初はどうしても不明確な点があり、それが次第に明確に理解できるようになっていきます。 形象や記号は、通常の世界のみならず、神智学的な世界においても、しばしば只ひとつの意味を表す。多かれ少なかれ恣意的な何かであるという印象を与えますが、これはまったく正しくありません。皆さんもすでにそのような形象や記号について聞かれたことがおありでしょう。例えば、宇宙のさまざまな惑星が記号で示されること等々です。また、神智学のアレゴリー(形容)においてよく知られた記号は、いわゆる五芒星(ペンタグラム)ですね。さらに、ご存知のように、さまざまな宗教において、光というものは、叡智の、霊的な明澄さの意味で言及されています。さて、このような事柄の意味を問えば、これは此れ々然々のことを意味するといった表現を聞いたり読んだりなさるでしょう。例えば三角形は高次の三性を表す云々。神智学の著作や講演でも、たびたび神話や伝説が解釈され、「これはしかじかのことを意味する」と言われます。感覚の背後、この意味の本質の背後に至ること、このような形象の真実を認識すること、これを、この連続講演の課題といたします。これがどういうことか、ひとつ例を挙げて説明してみましょう。 五芒星(ペンタグラム)を考察してみましょう。ご存知のように五芒星についてはあれこれ詮索され解釈されておりますが、神秘学においてそういうことは問題になりません。神秘学者が五芒星について語ることを理解するためには、まず人間の本質の七つの基本要素を思い起こさなくてはなりません。ご存知のように、人間の本質は、七つの基本要素である物質体・エーテル体・アストラル体・自我、さらには霊我・生命霊・霊人(神智学文献では後三者、霊我・生命霊・霊人はそれぞれマナス、ブッディ、アートマ)から成りたちます。手で触ることのできる物質的なものである物質体は除外しましょう。ここでとりわけ考察の対象になるのは、エーテル体です。エーテル体はすでに物質的な感覚にとっては隠されたもの、いわゆる「オカルト的なもの」に属します。通常の目ではエーテル体を見ることはできないからです。エーテル体を知覚するには霊視的な方法が必要です。実際にエーテル体を見ることができたら、むろん物質体とは全然違うものです。エーテル体はたいていの人が想像するような希薄な物質的身体、一種の微細な霧の塊といったものではありません。エーテル体の特徴は、浸透してくるさまざまな流れから構成されているということです。エーテル体は実に物質体の建築家であり形成者なのです。氷が水から形成されるように、物質体はエーテル体から形成されます。このエーテル体はあらゆる面に向かって、海のように流れに貫かれているのです。それらのうち主な流れが五つあります。両手両足を開いて立ってごらんなさい。人間の身体はこの絵五芒星のように表されます。この五つの流れを人間は夫々に自らの内に隠し持っているのです。これらの流れが矢印に示された方向にエーテル体を貫き、いわば人間のエーテル体の骨格を形成しているのです。絶え間なくこれらの流れはエーテル体を通過し、これはその人が動いているときも変わりません。どんな姿勢をとっていようと、常にひとつの流れが、額の中心、眉間の一点から発して右足へ下り、そこから左手へ、さらに右手へ、それから左足、そこから再び額へもどります。ペンタグラム(五芒星)と呼ばれるものは、エーテル体の中で人間の物質体そのもののように内的に動いているのです。ですから神秘学者(オカルティスト)が五芒星について、人間の図形として語るとき、それはあれこれ思案して作り出された何かのことを言っているのではなく、解剖学者が骨格について語るのと同じなのです。この図形は、現にエーテル体の中に存在していて、ひとつの事実なのですから。こうしたわずかのことからも、ある記号の実際の意味がどのようなものであるかがわかるのです。神秘学において皆さんが出会う記号や形象はすべてこのような真実に導いてくれるものです。五芒星は、エーテル体の動く「骨格」であり、それゆえ人間の図形なのです。これがこうした記号の本当の意味なのです。哲学・思想ランキング
2023年06月05日
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現生宇宙と霊的世界 2-死と再誕の間の時期・霊的世界への参入 霊視的になった魂がこれら感覚世界の中でだけ自分のものとする生活を自分自身の中で展開することができる存在たちの世界に精通するとき、自分自身の思考、感情、そして意志についての理に適った表象へと至る。この人間の魂的能力は元素的な世界におけるエーテル的な人体の中では発展することができない。元素的な世界においては、人間の意志は弱く夢のような力に留まり、人間の思考は虚(うつ)ろであり吹き消されるような表象世界に留まる。そこでは自我感情はそもそも存在すらしない。人間にとって、これらすべてに至るためには、肉体を纏っていることが不可欠なのである。霊視的になった魂が元素的な世界から本来の霊的な世界に上昇するとき、元素的な世界に比べても、感覚世界の状況からさらに遠く離れた状況の中にあるのを体験する。元素的な世界の中では、まだ多くのものが感覚世界を想起させる。霊的な世界の中では、完全に新しい関係性の前に立つことになる。感覚世界の中で獲得できた表象だけをそこで有している限り、何も始めることができない。然し乍ら、人間は、感覚世界の内にある人間の魂として、内的な生を強化することにより、霊的世界での滞在を可能にするものを感覚世界から霊的世界に持ち出さなければならない。そのようにして強化された魂的生活を霊的世界に持ち出さない限り、人はその世界の中で只ひたすら無意識の状態に陥る。そのときに、人はちょうど感覚世界の中で植物がそうであるような状況に居合わすことになるだろう。人は人間の魂として、感覚世界の中には存在しないけれども、それでもその中に存在することがあかされているものすべてを霊的世界に持ち込まなければならない。人は感覚世界の中のいかなる事物や事象にも直接的には対応しないこれらのあかされたものによって喚起されるであろう表象を感覚世界の中で形成することができなければならない。 感覚世界の中のあれこれの事物が描写するあらゆるもの、若しくは、あれこれの感覚的な事象が記述する凡ゆるものは霊的な世界の中では無意味である。人が感覚によって知覚できるもの、感覚世界の中で用いられる理解力によって証明できるものは霊的世界の中には存在しないのである。霊的世界への参入に際しては、感覚的な表象を適用可能な一切のものを置き去りにしなければならない。尤も(もっとも)、人が感覚的な事象や経過に対応しないような仕方で感覚世界の中で形成した表象は霊的な世界に参入するときにも魂の中に現存する。但し、当然のことながら誤って形成されたような表象も含まれているかも知れない。霊的な世界への参入に際して、これらの表象が意識の中に存在する場合には、それらが不適切なものであることがそれら自身の存在によって証明される。それらの表象は、魂がその誤った表象を正しいものに置き換えるために、感覚世界あるいは元素的な世界に戻ろうとする衝動を魂に刻印するように働く。けれども、霊的な世界の中で魂が正しい表象へと齎すものに向けては、その世界で縁のあるものが接近を試みる。魂が霊的な世界の中で感じるのは、その内的な存在全体が思考だけから成り立っているような存在たちがいるということである。これらの存在たちが有しているのは思考体とでも呼べるような体である。それは丁度、人間が感覚世界の中で自立性を体験するように、この思考体の中で自立性を体験する。 霊的な世界の存在たちについての印象を獲得するために魂的生活を強化するためには、人間が取得する表象についての感情に浸透された思考が適している。元素的な世界における変容能力のために発達させられるべき献身の感情が高揚することで、人がそれへと変容すべき他者がこの献身の中で単に共感あるいは反感を感じさせられるだけではなく、献身する魂の中にその独自性をもって復活することができるとき、霊的な世界のための知覚能力が生じる。そのとき、ある霊的な存在はこのような仕方で、別の存在は、将又別の仕方でいわば魂に語りかけるのである。そのことから、思考言語による霊的な交流が始まる。人は思考を体験するのであるが、思考の中で存在を体験しているのを知っている。思考の中で自己表現するだけではなく、その独自性をもって思考の中に存在するものの中に生きるということは、魂によって霊的な世界に生きるということを意味している。魂が元素的な世界の存在たちに対して抱く感情とは、これらの存在たちは自分の中に射し込んでくる世界思考を有しており、彼らは彼らの中に射し込んでくるこれらの世界思考に従って自らを意志するというものである。人間が感覚世界の中ではじめて達成するようなことを達成するために、元素的な世界にまで下りてくる必要がなく、既に霊的な世界でこの存在段階を達成している存在たちに対して人間の魂が抱く感情とは、これらの存在たちは完全に思考素材から成り立っている、世界思考は彼らの中に流れ込んでくるのではなく、その存在たち自身が、その独自性をもって、この思考の織物の中に生きているというものである。彼らは世界思考が自分の中で生き生きと思考するのに任せる。彼らの生活は世界思考が語ることを知覚することの中で営まれる。そして、彼らの意志は思考を表現へともたらすことができることの中に存する。そして、彼らのこのような思考のあり方は本質的に世界に遡及する。存在であるところの思考が、やはり存在であるところの別の思考と会話するのである。 人間の思考生活はこれらの霊的な思考存在の生活の鏡像である。人間の魂は、感覚世界において物理的な存在の中に織り込まれているように、死と再誕の間の時期には、この思考存在生活の中に織り込まれる。魂の思考期間存在は、その魂が受胎若しくは誕生を通して感覚的な存在へと歩み入るとき、この魂の運命を設計し、それに霊感を与えるように働く。人間の運命の中で働いているのは、魂の現在の地上生に先行する霊的世界の地上の生から残された純粋な思考生命存在が世界の中で働くようになったものである。哲学・思想ランキング
2023年06月04日
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現生宇宙と霊的世界 序論 1-人の思考に対しての信頼及び瞑想思考する魂の本質 霊視的な意識が元素的な世界の中で復活するとき、人間には感覚世界の中でだけ自分のものとする生活を自分自身の中で展開することができる存在たちをそこに見い出す。これらの存在たちが彼ら自身その自我を感知するやり方は人間が感覚世界の中でそれを感知するのとは異なっている。彼らは自らの意志を人間よりもはるかに強く彼らの自我に浸透させ、自分を意志するのである。彼らは自らの存在を彼らの意志そのものによって獲得したものとして感知する。その一方で、彼らの思考に関しては、人間が思考を生み出すようにそれを生み出しているという感情を有していない。彼らは彼らの思考のすべてを霊感として感知する。それは彼らの中にではなく、世界の中にあって、そこから彼らの中に流れ込んでくるものとして感じる。したがって、これらの存在にとっては、彼らの思考は世界に流出した思考秩序の鏡像であるということに疑いをはさむ余地は全くない。彼らは彼ら自らの思考を思考するのではなく、世界思考を思考するのである。これらの存在は彼らの思考をもって世界思考の中に生きるが、彼らは自分自身を意志する。彼らの感情生活は彼らの意志と思考に従って形成される。彼らは自分たちを世界全体の一部と感じ、この世界全体に相応しいものであるように自ら意志することが不可欠であると感じる。 参照:ジャック・ラカン(Jacques-Marie-Émile Lacan/1901年4月13日 - 1981年9月9日)は、フランスの精神分析学者だった人物です。大学で哲学を学んだ後、精神医学の道に転身、主な著作には「エクリ」などがあります。彼は「フロイトに帰れ」を標語にして、フロイトの精神分析を構造主義的に解釈しました。鏡の中の自分を見ることによって、乳児は初めて「まとまりのある自己」を獲得していきます。ただし、鏡の中の像は、自分の外の世界に存在しています。そのような意味では、鏡の自分とは、完全には自分ではない他者ともいえます。それゆえ、鏡像によって自己の統一性を獲得することは、同時に、自分の中に他者を住まわせることを意味します。哲学・思想ランキング
2023年06月03日
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対極をなす霊的巨人 ヒトラー vs ルドルフ・シュタイナー-6 闇の霊と光の霊 アドルフ・ヒトラーはナチ党の党旗について「我が闘争」の中でこう述べている。「私が自ら数え切れないほどの試行を重ね、赤地に白円、その中央に黒いカギ十字という最終的な党旗を定めたのだ。長期にわたる試行錯誤の結果、私はまた旗の大きさと白円の大きさとの決定的な比率、さらにカギ十字の形状と厚みを発見した」と。この象徴には何らかの形で霊的な力を秘めてあると考えたのであろう。シュタイナーは現代史の中に二種類の霊的な力が激しく衝突するのを見ていた。既に1917年の段階で、彼は講演の中で次のように語っていた。「光の霊たちは今、人間にインスピレーションを与え、自由の観念と感性を、自由への衝動を発達させようとしている。それに対して闇の霊たちは人種的且つ民族的な関連、血に根ざした古い衝動を現代に甦らせようとしている。人種、民族、血統の理想をはびこらせることほど、人類を退廃へ導くものはありません」。 「ゲーテアヌム」放火事件から約1年後の1924年1月にドルナッハで夜会が催された。その席でシュタイナーは突然、発作的な衰弱に襲われる。シュタイナーは奥の部屋に引き篭もり、暫くして再び姿を現わした。終始蒼白で、苦痛に歪んだ顔をしていたという。この衰弱の原因を巡っては、様々な憶測がある。サンドウィッチの中に毒物が混入されていたという説もある。いずれにせよ、シュタイナーの体はこの夜を境に衰弱の一途をたどった。しかし、体調の衰えとは逆に、シュタイナーは1924年から1925年にかけて、数多くの重要な講演を行ったが、ついに1925年3月にシュタイナーは力尽き他界した。これから8年後の1933年1月30日にヒトラー政権が誕生した。シュタイナーの死後、ヒトラー政権下のシュタイナー学校の教師たちは、ナチスと妥協してでもシュタイナー学校を存続させようとする「現実派」と、あくまでも人智学の精神を貫こうとする「原理派」に分裂、結局、ナチス政権下で「シュタイナー学校」は閉鎖されてしまった。ナチスは政権につくとすぐに、公立学校を支配下におさめ「国民学校」とした。それまでの教科書は破棄され、新しいものが提供され、カリキュラムも徹底的に変えられ、新しい科目が二つ加わった。「人種学」と「優生学」である。人種学の授業では「アーリア人種こそが優秀人種であり、ヨーロッパを支配することになっているのだ」とも教えられた。優生学の授業では「アーリア人種は健康なアーリア人種とのみ結婚すべきものであり、非アーリア人種と結婚して血を混ぜてはならない」と教えられた。また生徒たちは「ユダヤ人はドイツに対する脅威であるだけでなく、世界平和に対する脅威でもある」と教えられた。 ところで、シュタイナーは晩年、「偽りへの衝動」について繰り返し警告を発していた。シュタイナーは、これからは、ありとあらゆる「常套句」「スローガン」「嘘」あるいは「空虚なフレーズ」が社会にはびこることになるだろうと予言した。人々は初めはその「見え透いた嘘」を笑うかもしれないが、やがて感覚が麻痺して、その中に取り込まれてしまうだろう。実際すでに多くの人々が、優れた人々さえも、そのような「空虚なフレーズ」を知らず知らずのうちに受け入れてしまっているとシュタイナーは言った。この警告は現在に生きる我々の社会にも当てはまるであろうか。哲学・思想ランキング
2023年06月02日
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対極をなす霊的巨人 ヒトラー vs ルドルフ・シュタイナー-5 霊的な世界と深く関わりを持ち、これほどにまでヒトラーに最も優れた人々のひとりとして挙げ称賛されたエッカルトにとってさえも、シュタイナーの存在は畏怖すべきものであったようだ。それはシュタイナーが、エッカルトやヒトラーが目指す霊的世界実現のためには、どうしても倒さなければならない対極をなす霊的巨人であるということを認識していたからである。特にシュタイナーの持つ天才的な霊的洞察力は侮れないものがあった。それも当然、シュタイナーはまだヒトラーが未だ無名であった1920年代から彼の存在に着目し、彼の活動の背後にある「トゥーレ協会」の存在、そして彼の活動の「闇の部分」まで、全てを見抜いた上でたびたび警告を発してきていたのだから。例えば、1923年11月にヒトラーは3千人の武装した男たちを率いミュンヘン市内を行進した。世にいう「ミュンヘン一揆」である。その結果は惨澹たるものとなった。ヒトラーは逮捕され、ナチ党「国家社会主義ドイツ労働者党(NSDAP)」は解散を命じられた。しかもエッカルトは、警官隊の発射した毒ガスにやられ再起不能に陥ってしまったのである。その二日後、このニュースを聞いたシュタイナーは、弟子たちに対して、当時ほとんど無名だった彼らを次のように評したのである。「もし、この組織が今後、大きな勢力を奮うことになれば、それは中部ヨーロッパに大きな不幸をもたらすでしょう!」。さらにシュタイナーは、ナチスや「トゥーレ協会(Thule-Gesellschaft)」に加えてアメリカの「KKK」など、世界には現在、民族主義を意図的に煽っている人間たちがいるが、彼らを駆り立てているのは愛国心などではなく、「純粋な破壊衝動」であり、その目的は人々を「完全な混沌」の中に追いやることにほかならないと発言していた。そして彼はまた、ナチ党のシンボルマーク「ハーケン・クロイツ」(カギ十字)に関しても、次のように言及していたのである。「今、この印を中部ヨーロッパに持ち込もうとしている人間たちがいます。彼らは自分たちのしていることを、完全に心得ています。この印には効果があるのです!」。このように、シュタイナーは全てを見通したうえで、ヒトラーのナチス・ドイツに対して常に鋭い警告を発し続けていたのです。哲学・思想ランキング
2023年06月01日
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