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土曜日の話だが、夜7時から放送されていた『ベストヒット歌謡祭』なるものを観た。今年で3回目だか4回目らしいのだが、こんなイベントが行われているなんて知らなかった。と思ったら、このイベントの前身は『全日本有線放送大賞』らしい。そういえば制作は読売テレビだった。ってことは、もう全日本有線放送大賞の生き字引・浜村淳を見ることはできないのか。残念である。しかし何ともまあお粗末なイベントである。そもそも『ベストヒット歌謡祭』って名前がよろしくない。適当につけたようなカタカナのタイトルがお粗末感を増幅させる。司会は堺正章と藤原紀香。この2ショットは身長がかなりアンバランスで笑える。マチャアキが小さいのか紀香がデカイのかわからないが、どちらにせよ見た目のバランスを考えた人選をすべきだったのではないかと思う。マチャアキは不必要に客を煽るし、藤原紀香は喘ぐような喋り方がどうも癪に障る。大映テレビ製作のドラマのような喋り方に隔世感。この番組でちょっと驚いたのは、藤原紀香と付き合っているとの噂の男性が所属しているユニット・Skoop on somebodyが出演したこと。「僕らにとっても特別な歌を歌います」とか何とかぬかしやがって『My Gift To You』を歌った。これってケミストリーに提供した歌じゃん。「愛して~る♪」と歌い上げた後には藤原紀香のうっとりした表情のアップ。公私混同してんじゃねえよ。私情を挟むならどっかよそでやってくれ。きっとこのステージは芸能ニュースの恰好のネタになっただろう。これも落ち目がちな藤原紀香サイドの策略?今回の『ベストヒット歌謡祭』にグランプリは浜崎あゆみだった。なんか浜崎あゆみらしくない服装に身を包み、バラードを歌い上げた彼女は泣いていたようだ。そんなに権威がある賞なのだろうか、この『ベストヒット歌謡祭』というのは。どうにも解せない涙だった。もしかして、「外反母趾が痛い」とかそんな理由の涙だったりして。とりあえず、よくわからない番組だった。未だに楠田枝里子が機械じかけの司会を見せてくれる『FNS歌謡祭』よりはマシだったが。これから年末にかけて、歌番組のスペシャルが増える。どれを見ても同じ顔ぶれなのは本当につまらない。どっかの局で一味違った歌番組をやってくれないだろうか。テレビ神奈川に期待したいところである。
2003.11.30
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日本が生んだ姫芸能人、プリンセス・テンコーこと引田天功。はしのえみの姫度が100、小倉優子の姫度が200ぐらいだとするとプリンセス・テンコーの姫度は1000くらい。姫度測定器というものがあったとしたら、容易に針は振り切れるだろう。なんせニックネームがすでに「プリンセス」である。今日、何となく観てしまった『ayu ready?』のゲストがプリンセス・テンコーであった。彼女は日本に1匹しかいないロシアの軍用犬をペットにし、車は15台所有、ロシアの戦闘機ミグをチャーターしたこともあるらしい。なんだかプリンセス・テンコーからは北の匂いがするのは何故なんだろう。金正日のお気に入りだという点も見逃せない。はたまた「ジャン・クロード・バンダムと婚約している」という虚言癖バリバリの発言もどことなく北っぽい。叶姉妹といいプリンセス・テンコーといい、日本のゴージャス系芸能人は立ち振る舞いや言っていることが高い割りに、引き受けている仕事が安いのが不思議である。プリンセス・テンコーはアメリカでアニメのキャラクターになり、1ステージ1500万円という巨額を得ているにもかかわらず、『笑っていいとも!』レギュラーである。公式ホームページを覗いてみると「山梨・勝沼ぶどう祭りに出演!」と書かれている。山梨の地方自治体も1500万円払っているのだろうか。それともプリンセス・テンコーの慈善事業の一環?全てがまやかしのような、紗がかかっている彼女の実態はまさにイリュージョンである。実は私は彼女のステージを1度だけ観たことがある。小学生の頃、親戚一同でなんばグランド花月に漫才を観に行ったときの前座が「引田天功マジックショー」であった。そこで行われたマジックショーは今のように豪華絢爛なものではなく、どこかオーソドックスな人体切断とかそんなローファイな感じだった。観客のほとんどがその後の漫才を楽しみに来ているので、リアクションもシラーっとしたものだった。我々も御多分に漏れず「おやおや、なんだか質素なマジックだねえ」みたいなリアクションで、その後の太平サブロー・シローや若井こずえ・みどりなどの漫才で大笑いして帰ったわけである。私は小さい頃、『超人機メタルダー』という特撮番組が大好きだった。今で言うところの『仮面ライダー』的なポジションの番組である。そこに引田天功がゲスト出演していたのも覚えている。というより私の引田天功ファーストコンタクトはこの『超人機メタルダー』であった。売れっ子のマジシャン引田天功(そのままの名前で出演)の才能に嫉妬した怪人が、彼女を拉致してマジック勝負を挑むという、言葉にするとなんともチンケな内容である。メタルダーが怪人を一刀両断して引田天功は無事救出めでたしめでたしという、何故に引田天功が出演したのかわからないような内容であった。今のプリンセス・テンコーを観ていると「あの頃はきっと下積み期だったんだな」と感慨深いものがある。ところで、プリンセス・テンコーこと引田天功は2代目であるということは一般に知られていることなのであろうか。初代引田天功は男性であり、1980年に急逝したため彼女が2代目を襲名したわけだ。今日の『ayu ready?』によると彼女は元々「朝風まり」という名前のアイドルだったそうだ。「あなたはだんだん眠くなる~♪」という面妖な歌を歌っている当時の彼女のVTRが放送されていた。正体不明をウリにしているのにこんな映像が流れてしまって、彼女的にはマイナスなのではないかと危惧してしまったが、本人もすでに開き直っている様子。テロップで「当時18歳」と出ていたが、インターネットの情報によると彼女がアイドルとしてデビューしたのは1978年。ということは大まかに逆算したら、彼女の年齢は43歳くらいである。年齢までバレちゃったよ、いいのかプリンセス・テンコー。ってか43歳でプリンセスとか言ってていいのかテンコー。しかし大まかな年齢がわかったとしても彼女の実態には依然として靄がかかっている。あの厚化粧の下には何が隠されているのだろうか。もしかしたら彼女の存在自体がイリュージョンで、正体は狐か狸なんじゃないだろうか。はたまた日本人じゃないとか。北朝鮮絡みの恐怖体験も、実際のところ怪しいものである。叶姉妹といいプリンセス・テンコーといい、「親の顔が見てみたい芸能人」である。ここでの「親の顔が見たい」というのは悪い意味ではなくて、言葉そのままの意味である。 意外と古典的な「ハト出し」を意気揚々と披露するプリンセス・テンコー。
2003.11.29
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幕張メッセで行われた国内最大級のテクノイベント『エレクトラグライド2003』に行ってきた。21時スタートで翌朝7時過ぎまで行われる大バコ系のクラブイベントである。今回の目玉は、先日ベスト盤を発表したアンダーワールド。テクノ界の重鎮だけに、オーディエンスのボルテージは最高潮。私は彼らのステージは3回目になるが、今回はちょっとクオリティが下がったかなという印象を受けた。しかしそれでも迫力は凄い。とりあえず踊り狂ってきた。彼らの代表曲である『Born Slippy』で感動のあまり鳥肌。テクノというジャンルの音楽で涙腺が緩むということはなかなかない。やっぱりアンダーワールドは凄い。その他にもLFO・2many djsなどのステージが展開。夜な夜な熱いビートがフロアに響き渡っていたわけである。私はここに行く前に新宿で友人と一杯ひっかけてから行ったため、ほろ酔い気分で心地よく踊ることが出来た。あんな大きな空間で何万人という人々とともに踊るなんて贅沢なことである。楽しかった。やっぱりこういう大バコ系のイベントは客のボルテージが違う。小規模のクラブイベントだと内輪内で楽しんでいたり、踊る以外の目的の客が多かったりとイマイチ楽しめないことも多いが、こういう大バコ系は前々から高いチケット代を払って来ているので、観客の一夜に賭ける意気込みが違う。盛り上がって踊り狂うにはこういうイベントのほうが楽しいと私は思う。しかし大バコ系のイベントにも難点がある。今回もそうだったが、荷物を預けるコインロッカーの数が明らかに足りない。全国各地から何万人という人が押し寄せるのにロッカーの数が間に合っていないため混乱を招いているのだ。結局私たちはクロークを利用したが、そのクロークの準備も間に合っていない状況。30分以上待たされた上に、クロークに客が殺到してバーゲン会場のような様相を見せていた。開催者側の読みの甘さが露呈していたのが残念。会場では飲食物も販売しているが、その空容器が至るところに散乱しているのもちょっと興ざめ。せっかく気分よく踊っているのに足元には踏みつけられたペットボトルやら紙コップやらが転がっていて邪魔くさい。イベントが終わって明るくなったら、会場にはゴミが散乱しているというのもなんだか虚しい。これは観客のマナーとモラルの問題であろうが。明け方ごろになってくると、さすがに踊るのにも疲れてくる。頭は割りと冴えているのに足がガクガクしてきて惰性でユラユラと踊っているようになってくる。帰る観客も増えてくるし、会場の雰囲気も疲れたムードが漂いはじめている。この時間に設定されたアーティストはちょっと気の毒である。まあ、なんだかんだいってもとても楽しかった。体力が許すならばまた行きたいと思っている。
2003.11.28
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今朝、パンツを履き替えようとしたらあまりにもウェストのゴムがビロビロになっていたので驚いた。いくら物持ちが良いといったってこれはひどい。ま、人にパンツ見せることもないが、とりあえずあちこちを拭いてから捨てた。主婦みたい。パンツと言えば、今年の夏、バイト先の上司から誕生日プレゼントということでボクサーパンツを頂いた。なんでも冷感素材を使用しているとかで、汗が早く乾きムレないんだとか。実際試してみたが、それほど冷感でもなかった。私はトランクス派なのでそれまでボクサータイプのパンツというものを履いたことがなかった。ボクサーパンツというのも似合う体型と似合わない体型がある。私はボクサーパンツが似合わない体型なので履くのを敬遠していた。しかし頂いてしまったからには使わないと勿体無い。トランクスのスカスカブラブラしたフリーな履き心地に慣れてしまうと、ボクサーパンツのピッチリしたタイトな感触に一瞬戸惑う。ふと、「今日1時間目の体育は水泳だから、水着家から着てきちゃったよ」という思い出が蘇った。腿の付け根とケツのあたりがピッタリしているのにしばらく慣れなかった。しかし慣れてしまうとなかなか快適である。なるほど、ボクサーパンツ派がブリーフ派・トランクス派という2大巨頭と拮抗しているのにも納得である。ごく少数のインテリ層にはパンティ派もいるらしいが。パンツの思い出というのもなかなか甘酸っぱい。私は中学校の2年くらいまでずっとブリーフを履いていた。グンゼ的な股上が深いアレである。しかしちょっとませた生徒はすでにトランクスを履いていた。白一色のパンツを履いている少年から見ると、色とりどりのガラパンを履いている生徒は妙に大人びて見えたものだ。しかし自分でパンツを買いに行くのもアレだし、親に「明日からガラパンにして」というのも恥ずかしいものである。そんなある時、母親が「安かった」という理由でトランクスを買ってきた。「あんた使う?」と聞かれ「ああ、じゃあ使う」とそっけない素振りをしたが、実は心の中で「やっと子供パンツを卒業か」とガッツポーズをとったことを覚えている。ブリーフからトランクスへ。そこから大人の階段登っちゃったわけである。トランクスには想い出がいっぱいH2O。トランクスを初めて履いたときも「こんなにスカスカしてていいの?」と戸惑ったものだ。それもいまは昔。第二次性徴期の懐かしい思い出である。先日、バイト先で一時的な応援として紳士肌着売り場に行かされた。そこで「男はそんなにパンツにこだわらない」という私の概念は見事に覆された。ブリーフ・トランクス・ボクサーパンツのほかに「ヒモだけじゃん」としか思えないようなパンツを買っていく客も意外といるのだ。ヒョウ柄のラムちゃん的なパンツを買っていく人もいた。しかも値段は約2000円というインフレ価格。使っている生地の量は少ないのにその価格。ダイエーで3枚1000円のパンツを買っている私にはガンダーラのごとく遠い世界である。あれらは一体誰のために履くのだろう。彼女のため?自分のため?「オシャレは見えないところから」と言う人もいるが、さすがにヒモパンはちょっとなぁ。
2003.11.27
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この期に及んで就職が決まっていない私は、今日もとある企業の面接に行ってきた。東京駅から歩いて15分のところにある企業だったのだが、時間の逆算を間違えてしまった私が東京駅に到着したのは約束の時間の5分前。八重洲通りをスーツで全力疾走。まるで栄養ドリンクかなんかのCMのよう。その結果、ギリギリセーフ。さすがに体の衰えを感じた。会社の受付嬢に「す、すいませんが(ゼェゼェ)さ、3階に行くには(ハァハァ)どうしたらいいんでしょうか?」と聞いたら、さすがに受付嬢も怪訝な表情をしていた。そりゃ突然汗ダラダラの男が現れたら怪訝だわな。今日は適性検査と筆記試験と面接の3本立てだった。しかも広い会議室で1人っきり。適性検査はありきたりの質問攻め。筆記試験はごく少ない設問だった。漢字の読み取りと世界地理、そしてビジネス用語の設問だった。カッコ内に入る言葉を選択肢の中から選ぶ形式の設問だったのだが、M&Aとかアウトソーシングとか経済用語に疎い私にはチンプンカンプン。「M&A?チョコのこと?」「アウトソーシング?ミシン?(←それはソーイングだ)」ってな感じで問題外である。なんとか力ずくで埋めたが。その後面接だったのだが、面接と言っても自己PRも志望動機も聞かれず、ちょこちょこと質問されただけで、あとは会社の説明が延々。面接1時間のうち50分は説明を聞いているだけだった。私の悪いクセで、集中しなきゃいけないときに限って頭の中に妙な事柄が浮かんできて消えないのだ。今日は人事部の人があれこれと説明してくれてる中、私の頭の中では清水ミチコがユーミンの真似をしながら「カリービアンナーイト♪」と『真夏の夜の夢』を歌っていた。大学受験の時にキンキキッズの『ジェットコースター・ロマンス』が頭から離れなかったように、今日も「清水ミチコよ、頼むから消えろ!」と何度念じたかわからない。さすがに50分も説明を聞いていると、目は霞んでくるしウツラウツラしそうになってくる。そこを何とか気力で乗り切った。もしかしたらところどころで白目を剥いていたかもしれない。帰りは八丁堀駅から帰ろうか東京駅から帰ろうか迷ったが、地下鉄は風景が変わらないから退屈なので、東京駅から中央線で帰ることにした。ちゃんと東京駅を利用したことはあまりないのだが、なかなか面白いところである。行先表示板を見ているだけでなんだか楽しくなってくる。「10番線から発車する寝台特急に乗ったら熊本まで行けるんだ」とか「新幹線に乗ったら山形にも秋田にも長野にも博多にも行けるんだ」とか。なんとなくこのまま特急列車に乗り込んで、忘却の旅に出たくなってしまった。当たり前だがそんなわけにもいかないので、満員の中央線に乗って家路に就いた。結果はどうなることやら。受かっても受からなくても微妙な気分であろう。本来行きたいと思っている業界ではないので。ま、結果をごろうじろ。関係ないが、今日の『トリビアの泉』に出演していた上戸彩が、私には何度見ても橋本志穂に見えて仕方なかった。それは上戸彩が老けているのか、橋本志穂が若いのか、私には判断がつきかねるところである。
2003.11.26
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めっきり寒くなってきた。街中にクリスマス気分が蔓延し始めている。2003年ももうすぐ終わりである。1年ってなんて早いんだろう。このままじゃあっという間に老人である。そろそろ紅白歌合戦の話題が出てくる頃ではないだろうか。司会はNHKのアナウンサーで固めるという無難な人事。非常につまらん。おすぎとピーコが司会だったら面白いのに。紅組でも白組でもない、ピンク組で。今年初出場するアーティストは誰だろう。そういや今年ブレイクした人って誰がいたっけ。おそらく森山直太朗は確実だろう。母・森山良子とのダブル出場もNHKだったらやりかねない。NHKが非常に好きそうな親子である。そう考えると今年ブレイクした人って少ない気がする。ハルカリやオレンジレンジはブレイクしたと言えばブレイクしたが、紅白出場となるとパンチが弱い。RUIこと柴咲コウは出場を辞退したらしい。ひょっとしたらRUI名義ではなく柴咲コウ名義で出場するかもしれないが。一青窈のブレイクは今年だったっけか?EXILEは去年も出てたっけ?紅白に関する記憶はどうも曖昧である。去年の紅白で記憶に残っているのは黒部ダムで自縛霊のごとく朗々と歌っていた中島みゆきと、よく意図がわからない二元中継で『大きな古時計』を歌っていた平井堅くらいである。あと審査員席でボケーッと口を開けて退屈そうにしていた米倉涼子とか。紅白歌合戦の楽しみは歌にあるのではない。どちらかというと、合間合間の愚にもつかないショーとか応援合戦にある。DA PAMPがサブちゃん軍団にまじってハッピ着てたり、なぜか突然山田五十鈴がウサギのヌイグルミを抱えて登場したり、吉本新喜劇の方々がダジャレを飛ばして観客を引かせていたり、そういうのがたまらないのである。紅白歌合戦が「つまらない」とか「視聴率が取れない」と叫ばれて久しいが、私にとっては何だかんだ言っても年末は紅白である。今年の大晦日はゆっくりできそうなので、腰を据えて紅白を見てやろうかと意気込んでいる。
2003.11.25
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最近、私の周囲ではにわかに秘宝館ブームである。たいてい秘宝館というのは温泉地にあるので、温泉旅行に行ったついでに秘宝館に行くらしい。しかも行ってる人は揃いも揃って♀。ちゃんとお嫁に行けるのか心配である。秘宝館というのは私も行ったことはないのでよくわからない。昔、親族で伊勢に旅行に行った際に、何やらアラブの宮殿のような建物を発見。まだ幼かった私はおもちゃ屋のようなものを想像したのか、「あそこ行きたい」と父に言った。そうしたらお茶を濁すような返事が返ってきたので憮然としたのを覚えている。今思えば、あれが秘宝館界では西の巨頭と言われている「元祖国際秘宝館」であったのだろう。ちなみに東の巨頭は「熱海秘宝館」である。プチ情報でした。秘宝館というのは基本的に春画や性器のオブジェが陳列されているらしい。春画に関してはあまりに露骨だと猥褻物陳列罪で罰せられるらしく、申し訳程度に結合部分が○で囲んであるとか。あとロボットやらマネキンやらのあられもない姿が拝めるとか。巫女だったりアマゾネスだったり浦島太郎だったり。うーん、行ってみたい。伊勢の「元祖国際秘宝館」では馬の交尾ショーが見られるらしい。私は人間のAVでも少々ゲンナリしてしまうので、馬の交尾なんか見てしまったら立ち直れないかもしれない。伊勢での交尾ショーは開館以来続いているらしいので、ある程度需要があるのだろう。一体誰が見に行くんだ?ネットで見つけた「ちょっと行きたいかも」と思ったスポットは、群馬の「珍宝館」である。館内を案内してくれる中年のオバサン館長(本人曰くマン長)の名前は「さがら ちんこ」さんというらしい。この館長、もといマン長は観客の秘所を触るわ揉むわ、「パンツ脱げ」とのたまうわ、やり放題であるらしい。ああ、どんなちんこさんなんだろう。会ってみたい。意外と群馬はディープである。ちょっと前に群馬の万座温泉に向かう途中、伊香保あたりで「日本シャンソン館」という看板を目にした。群馬にいながらしてフランスと国際交流?なんだろう、戸川昌子とか石井光子とかがいるんだろうか。きっとザンスでメルシーでモナムールな気分になれること間違いなしである。とにかく秘宝館は大人のテーマパークである。デ○ズニーランドなどのファンシー路線に飽きてしまったカップルなどは、恋愛のカンフル剤として秘宝館に足を運んでみるのもいいかもしれない。グッタリ萎えてしまっても責任はとれないが。 秘宝館みやげとして貰った「四十八手湯呑み」。まぐわってます。
2003.11.24
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今日は我が大学の学祭最終日。私が所属している部活でも当然のように打ち上げが開催された。私は4年生であり現役を退いている身なので学祭も初日のみの参加で、今日もバイトだったため打ち上げも2次会から参加した。遅れて到着した私は男の先輩たちがこじんまりとたむろしてるテーブルに座らされた。男ばかりになるとどうしても欠かせなくなるのが卑猥なトークである。普段はファーストフード店で可愛い店員からお釣りを受け取る際に手が触れただけでドキドキピクピクしているシャイボーイが多いテーブルでも、酒の力も手伝ってかエロトークにターボがかかり気味だった。そのテーブルの横のテーブルには、Tという私と同じ学年の女がいた。このTという女は学年こそ私と一緒であるが、一浪している私から見れば1歳年下である。顔はケリー・チャン似でいわゆる美人であるが、サバサバしていて物怖じしない言動と、誰にでも気さくな態度で接する彼女は常に「姉御キャラ」として皆に親しまれている。我々のエロトークの矛先は彼女に向けられた。「どんな下着をつけてるのか?」とか「その下着は何色?」「女性のバストのトップってどこの部分?」とか微妙にヌルい陵辱的な質問の数々。場所が場所ならセクハラである。場所が場所でなくてもセクハラか。でも彼女はゲラゲラ笑いながら律儀に答えてくれた。私もついついつられて「お前の胸は何カップだ?」と聞いてしまった。そしたら「Cはない、Bかな」という答えが返ってきた。「BっつってもBダッシュとかあるだろ?」と突っ込んでみたら、今度は「限りなくAに近いB」という答えが返ってきた。限りなくAに近いB…どことなく村上龍的である。なんだかその言葉が醸し出す甘酸っぱさが私のツボで、今でも頭の中でエコー付きで響いている。他にも、サバサバしているTの性格ゆえに「男っぽい」と称されることが多い彼女に「お前の股間は工事中」とか「Tバックを3枚以上もっているはずだ」とか、オヤジ以下のセクハラの数々を連発。自称センシティブな英国紳士風である私としてはかなりの失態である。Tは笑ってはいたが失礼に変わりはない。もっとタチが悪いのは、実は私はほぼシラフだったということ。場の空気に飲まれるって怖い。なんだかんだ言ったって私も下半身にリビドーを充満させた淫獣ってことか。ああ情けない。一緒のテーブルに座っていたKという先輩は、ぶっちゃけて言えばいけ好かない野郎である。どこかの企業の重役の息子であると言う噂の彼はプータローのくせに金の羽振りがいい。彼から出てくる話題は「俺の持ってるレコードやろうか?200枚くらいあるけど」とか「こないだキャバクラで豪遊しちゃってさあ」など、嫌味にしか聞こえない内容ばかりである。きっと彼は生まれながらのボンボンであるから、それが嫌味に聞こえているとは微塵も思っていないのだろう。今日も、誰も尋ねていないにもかかわらず「こないだ19歳の彼女にシャレでガーターをプレゼントしたら思いっきり殴られちゃったよヒャヒャヒャ」と発言。「あれ、Kさんってロリコンじゃありませんでしたっけ?」と聞いたら「ああ、それは前の彼女。今の彼女は学校で引っ掛けたらホイホイついてきたんだヒャヒャヒャ」とのお返事。ああそうですか。そいつぁめでたいね。もてないオーラ、ともすれば童貞かもしれないオーラすら醸し出ている我々のテーブルはガン引き状態。まったくコイツは言うこと成すこと人の不快感を煽情してきやがる。私は仏のような表情で「へぇ~そうなんですか」と言いながらも、心の中では「だからどうしたってんだよムカムカムカ」と修羅の炎を燃やしていた。アラいけない。男とはいえ嫉妬の心は人を醜くしてしまいます。癪に障る話は右から左に流す、これが肝心であるわけで。今日は私の中の阿修羅が見え隠れした1日であった。非常に疲れた。脱力感満ち満ちりんこだプ~。
2003.11.23
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カリスマ美容師・カリスマ料理人といった「カリスマブーム」が終焉した今でも、湯呑みにこびりついた茶シブのように残っているカリスマ職業、それが「カリスマモデル」である。日本には男性・女性共にカリスマモデルが多数存在しているが、目が離せないのは冨永愛である。私の中での「トミナガ芸能人」は富永一郎か冨永みーなだったが、今はトミナガと言えば冨永愛である。スラリと伸びた脚に小さい顔、8もしくは9頭身という人智を超えたスタイルを持つ彼女はモデルという職業に生まれるべくして生まれた申し子的存在である。左右から思い切り伸ばしたような切れ長の目はまさにオリエンタリズムを感じさせ、「これぞ東洋人!」という出で立ちで西洋人を垂涎させているのであろう。私は決して彼女が好きなわけではない。むしろどちらかというと嫌いである。目が離せないというのはいつボロを出すかというところである。どこかの局のドキュメンタリー番組で、冨永愛を密着取材していた。そこでの彼女は誰に対してもタメ口、遅刻しても謝らないといった傲慢ぶりを見せ付けていた。スーパーモデルというのは、最初に我々が目にする機会は雑誌や広告でスタイリッシュな服装で毅然と構えるその姿のみである。そして世間の認知度が高まり、世間がその人となりを知りたい欲求に駆られ始めると、彼女たちが何か発言する機会が増える。そこでボロを出してしまうと世間の恰好の標的となってしまう。ナオミ・キャンベルなどがいい例である。スタイリッシュなスーパーモデルも今や立派なビッチである。冨永愛にもその兆候が見られ始めている。公共の電波に傲慢ともいえる姿を晒すことは、よく言えば「自然体」であるが、良識的な一般市民が引き潮になってしまうことも危惧される。冨永愛はきっとそのうち女性誌の恰好のターゲットになるだろう。私は聴いたことはないが、聞くところによると彼女はどこかで歌声も披露しているらしい。それがもの凄いヘタクソで噴飯ものだったらしい。これを聞いて「天は人の上に人を創らず、人の下に人を創らず」という福沢諭吉先生の言葉が浮かんだ。よく言ったものだ諭吉先生は。西洋であんなにチヤホヤされているのに歌が下手…これはもしかしたらウィークポイントでありながらチャームポイントかもしれない。歌が下手であるということを聞いて、それ以来私は冨永愛を見るたびに「でも歌が下手なんだよな」と心の中でほくそえんでいる。完璧かと思われている人の思わぬ弱点と言うのは、コンプレックスの塊のような底意地の悪い私の心を豊かにしてくれる。そんな彼女も映画デビューが待っている。モデルと言う職業の人たちは、「服をよりよく見せる」という仕事に少なからずフラストレーションを感じているらしい。そのため自分を表現する場として「演技」のフィールドに飛び出す人が少なくない。現在の日本の芸能界を見渡してみて、人気者はほとんどがモデル出身である。りょうや小雪といった元モデルの人々は、今や「職業・女優」として活躍している。それに続けとばかりに冨永愛が選んだ作品は『デビルマン』である。それでいいのか?冨永愛よ。ここでの冨永愛の役柄はシモーヌ。つまり悪魔である。確かに悪魔顔だけどさ。冨永愛は捨て身の攻撃に出ているように思えてならない。『キューティーハニー』『ハレンチ学園』で一世を風靡した永井豪先生のコミックの映画化ということもあって、体を張った芝居を要求されることも予測される。そんなわけで冨永愛から目が離せないわけである。個人的には『デビルマン』と言えば小野みゆきだろという想いも消えない。幼い頃に刷り込まれた『とんねるずのみなさんのおかげです』へのオマージュとして。薄れ行く記憶の中に小野みゆき。つわものどもが夢のあとってか。 悪の化身が2人。
2003.11.22
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世の男性(主にアキバ系、福屋書店系)をメロメロの骨抜きにしているロリータアイドル、それが小倉優子である。20歳でありながらあの無垢な表情と完璧なまでの幼児体型は1度見たら忘れられない、ある意味で威圧感を持っている。私は数年前にテレビで小倉優子を見たことがあった。その時は割とハキハキと受け答えをしていて「おや、この娘は見た目と違って意外としっかりしているんだな」と思った。しかし実は小倉優子は宇宙人だったようだ。最近の彼女は意味不明な言語を連発し、聞かれたことにトンチンカンな答えを返すという軽い人格崩壊の様相を見せている。彼女のファンサイトを道場破りの気分で覗いてみたら、そこは開けてはいけない禁断の扉だったようだ。千葉県出身で日テレジェニック2002・ミスヤングアニマルという経歴を持つ小倉優子は実は世を忍ぶ仮の姿で、実は彼女は「こりん星」からやってきた「りんご ももか」という名のお姫様なのだ。ちなみに「こりん星」は地球の裏側にあるため、地球からは見えないりんご型の星であるらしい。みんなお菓子でできており、テレビはアニメしか放送されていない。正月は4月1日で、天気は姫の気分で変わるそうだ。小倉優子の写真集を買ってしまった人は否応無しに「こりん星」の住民登録させられてしまうそうだ。「こりん星」の人口は1000人。意外とこじんまりとした人口で文明が成り立っている星らしい。「こりん星語」の基本は語尾に「りんこ」と付ける。さらに上級者は「りんこ」の後に「プ~」を付ける。《例》「おなかがペコりんこだプ~」これを我々地球人の日常生活で応用してみると「おなかにアナタの子供がいるりんこだプ~」「趣味は先物取引りんこだプ~」「気に入らないから靴に画鋲いれてやるりんこだプ~」など、ダークな話題でもアラ不思議、ほのぼのしたピンクな話題に聞こえてくるではありませんか。そんな「こりん星」の魅力に取り憑かれてしまい、「こりん星」に幽閉されてしまっている男性が後を絶たないとか。こうして小倉優子もとい「りんごももか姫」の地球征服計画は着々と進行している。あの黒目がちのクリクリした瞳からは、人々を「こりん星」へ誘う有害光線が発されているに違いない。過去に地球にやってきた宇宙人として、地球人に対して友好的と見せかけ地球爆破を目論んでいたペガッサ星人(『ウルトラセブン』参照)というのがいたが、実は「こりん星人」である「りんごももか姫」もペガッサ星人と同様に友好的に見せかけて好戦的な人民なのではないだろうか。「こりん星」の細かい設定といい「りんごももか姫」のプロフィールといい、私はどこか彼女からはデーモン小暮閣下と同じ匂いを感じ取れる。実は裏で「りんごももか姫」とデーモン小暮閣下は結託して地球征服を企んでいるのではないか。そのうち小倉優子もとい「りんごももか姫」の野望が爆発し、悪の権化と化するのではないかと今から心待ちにしている。ノストラダムスも予測できなかった、「こりん星」から恐怖の姫が降臨する日もそう遠くないかもしれない。今日の日記は小倉優子ファンサイト『ももか姫の☆星☆』の毒に侵されてしまった私の100%妄想である。別に念を押すほどのことでもないが。
2003.11.21
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今日は終電近い電車で帰宅した。私が利用している京王線は、23時過ぎに新宿を出発する快速以上の列車の最後尾は「女性専用車両」である。窓には花をあしらったラベルが貼られており、その時間の新宿駅には駅員さんが立っており男性が入らないように厳しくチェックしている。確かに女性専用車両を見ると女性しか乗っていない。当たり前であるが、ちょっと異様である。どんな匂いがするのだろう。むせ返るようなフローラルの香りが充満していそう。この「女性専用車両」というのは痴漢や泥酔者対策のために用意されたものであろう。私は大学生になって朝のラッシュと無縁になってしまったが、高校生の頃は朝のラッシュと共に通学していた。そうなると女子の話題で必ず出てくるのが痴漢の話題である。「今朝ぁ~、電車ん中で痴漢に遭っちゃってぇ~、引きずりおろして警察に突き出してやったら遅刻しちゃったぁ~」こんな喋り方ではなかったかもしれないが、このような武勇伝は時折耳にする。この武勇伝には痴漢を警察に突き出してやったという正義感と、痴漢に遭うくらいの魅力を持ち合わせているのよアタシというプライドが同居している。逆に1度も痴漢に遭ったことのない人は「私、1度も痴漢に遭ったことがない…」とシュンと首をうなだれている。痴漢に遭ったことがないというのは有難いことであるはずなのに、ションボリしているなんてまさに本末転倒である。話に聞くところによると、痴漢の被害に遭った世の女性たちは電車内でけっこうエグいことをされているようだ。「俺は男だから関係ないね」と思っているそこのアナタ。このご時世、男性でも油断がなりませんよ。私のバイト先の友人(♂)は痴漢の温床、埼京線ユーザーである。そこで1ヶ月に1度は痴漢に遭っているとのこと。尻を撫でられるくらいかなと思っていたら、前のチャックを開けられたりするらしい。乗車率250%を超える埼京線車内では、かゆい鼻を掻くこともままならないらしい。となると痴漢のなすがままである。さすがに男性とはいえ、他人の指が秘所に忍び込んできたら恐怖である。痴漢行為は許すまじ!かく言う私も、両足の間に玉を2つぶらさげた♂であるが、痴漢らしき経験をしたことがある。それは高校時代のある朝、私は電車内の椅子に座り爆睡していた。学校の最寄り駅に着いてから目が覚めた私は「あ、降りなきゃ!」と思い、前に立っている人を掻き分けながら降車しようとした。その途端、私の薄い尻を何者かの手がムンズと鷲づかみにしたのである。ペロンと撫でたとかそんなレベルじゃなく、ガッシリ掴まれたのである。思わず「んぁああ?」と妙な奇声を発してしまったが、何にせよ降車しなければ遅刻してしまう。とりあえずその場は後にしたが、結局あの感触は一体何だったのだろうと今でも謎である。痴漢行為というのは、なぜ絶えないのであろうか。聞くところによると、ある程度の社会的地位の持ち主でも電車内で痴漢行為を働き逮捕されているというではないか。やっぱり柔らかい生身の女性が目の前にいるとついついムラムラしてしまうのだろう。年老いた女房のケツを撫でることに飽きてしまったら、電車内で若い女性の体に触れたくなってしまうのかもしれない。田代のマーシーがいい例である。電車内には体内にリビドーを充満させた淫獣がハイエナのように目を光らせている。痴漢はきっと撲滅できない。だったら自衛することが大切である。自衛のために安全ピンを持ち歩いているというアナタ、安全ピンじゃまだ甘い。タタミ針を持ち歩きましょう。それでも痴漢に遭ってしまうというアナタ。小声で般若心経を唱えてみましょう。聖書を暗唱するのもいいかもしれません。その神々しさに痴漢も思わず罪の意識に苛まれてしまうことでしょう。それでもダメなら、電車内で霊界とチャネリングしてみるのもいいかもしれません。「エロイムエッサイム」または「エコエコアザラク」といった呪文も効果的です。きっと強力な魔力が矮小な存在である痴漢を撃退してくれることでしょう。欲求不満でムラムラしている男性たちよ。痴漢は犯罪行為である。痴漢したけりゃ、ソープに行け!(by北方謙三)
2003.11.20
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今日は久しぶりにマルイに服を買いに行った。私はスタイルも良くないしセンスもないので、古着屋や代官山あたりのセレクトショップやら路面店に1人で入る勇気はない。その点で言えば、マルイは値段も手頃だし品揃えもそこそこで有難い。しかし、このマルイというのもなかなか曲者である。普通の百貨店と違って、マルイは専門店である。色々なショップが軒を連ね、しのぎを削っているわけだ。ちょっと「あ、あの服いいな」と思ってショップに入ると、合言葉のように「どうぞお手にとって御覧下さい」とか「広げて見てくださいね」とか「ご試着もできますんで」とか言って近づいてくる。分かってるっつうに。このショップの店員というのも、たまに鬱陶しい。ちょっと見ているだけなのに、「このシャツはこの部分が独特なんですよ~」「このブルゾンと合わせるとカッコいいですよ~」などと客をジワジワと追い詰めてくる。ここでうっかり試着なんぞしてしまったら、それはもう堕ちたも同然である。私は1度、マルイで服を試着したらイメージと違ったので「ちょっと違うみたいです」と言って返したら、露骨に嫌な顔をされた。本当に不愉快である。こっちも財布の事情が厳しい中、服を選んでいるので多少見る目がシビアになるのも当然である。それをそんなに嫌な顔されたら、もうそのショップには2度と行きたくなくなる。ショップ店員はそうやって自分の首を自分で締めているのだということに早く気づいて欲しい。私は服を買うとき、とりあえずフロア全部を見て回る。買った後で「ああ、こっちに良いのがあった」と思うのが嫌なのだ。以前、あるショップで良いセーターがあったのでチェックしていた。そしたら店員が寄ってきたので「もうちょっと見て回ります」と言い、そのショップを後にした。結局他のところに良いのがなかったので、また同じショップに戻ってきたら同じ店員がニヤニヤしながら「お帰りなさい」と言ってきやがった。まるで「やっぱり戻ってきたよこの客」とでも言っているかのように。その「お帰りなさい」の言い方がもの凄く癪に障ったので、何も買わずに帰ってやった。ざまあみそづけ。最近のアパレルショップは、服の値段が書いてあるタグを巧妙に隠している。とりあえず値段が目につかないようになっているのだ。そのため「あ、これ良いな」と思って値段を見たら気が遠くなるような値段だったりするわけだ。この値段をチェックしているところを店員に見られるのも負けたような気分になる。だから私はあたかも服の手触りを確かめているような素振りを見せ、「むむ、この服の材質は何かな?」とでも言っているかのようにタグについている値段をチェックしている。そんな小細工をしている自分にも、なんか負けた気分。今日はセールの時期ではなかったのでプロパーの値段で買ったのだが、私はどうもバーゲン時期のデパートが好きではない。人はごった返しているし、ディスプレイされている服はぐっちゃぐちゃになっているしでどうも購買意欲をそそられない。何よりもセール品に群がっている人の熱気で湯当たりに近いクラクラした気分になってしまう。いつだったか、セールの時期にちょろっとマルイも覗いたら、坊主頭の高校生たちが香水コーナーに群がっていた。私が高校生の頃は、周りの誰も香水なんてつけていなかった。それが今や、坊主頭の野球部員(だと思われる)が香水買って手首にチョンチョンしているわけだ。世の中変わったものだ。オシャレに関する人々の意識が相当敏感になっているのだろう。高校生が巻くバーバリーのマフラーも未だに根強い。あのバーバリーのマフラーというのは、「とりあえずオシャレに気を遣っています」という免罪符のようなものに見える。バーバリーというと、どちらかというとトラッドな印象を受けるブランドであるが、それをこぞって若い高校生が身につけているというのも不思議な話ではある。「高校生総バーバリー化」を企てている黒幕がいるのではないかと勘ぐってしまう。自分の高校生のときに写真を見ると、あり得ないような恰好をしている。私の高校は私服だったので、毎朝ルーチンワークのように服を選ばなければならない。でも朝はできる限りギリギリまで寝ていたい。そのため私の服装は3日ローテーションぐらいで、同じ服を着まわしていた。ニキビだらけの顔で、明らかにサイズが合わないシャツを着て、裾がダブダブしているズボンを履いている私を見ると、いっそ殺してやりたくなる。こんな私にはあまり縁のない話ではあるが、オシャレというのは時に体を張るものでもある。徐々に寒い季節になってきたが、寒風吹きすさぶ中、首にマフラーをぐるぐる巻きにしてジャケットを着こんでミニスカートを履いている女性や、同じくマフラーを巻いて厚手の上着を着こんでハーフパンツを履いている男性などをよく目にする。はたまた水虫なのにブーツを履いている女性なども。こういう人たちに「温める順番が違うんじゃない?」というのは禁句である。鬱病患者に「頑張れ」と言うのと同じくらい禁句であるオシャレというのは時に命がけである。私の先輩でも、バイト代のほとんどを服に費やしているという人がいた。飯を削って服を買っているわけである。涙ぐましい。そのせいか服はサイケな色合いなのに顔色は常に悪いという本末転倒的な様相を見せていた。オシャレする、ということは出家して修行するのに似たストイックさをもっている。根気のない私は、どうもついていけそうにない。
2003.11.19
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『はなまるマーケット』が7年目に突入だそうだ。当初の目論見とは裏腹に、意外と長く続いている。この番組は確か、TBSがオウム真理教にビデオを見せていた問題でワイドショーが廃止となり、急遽制作された番組だったはずだ。それがもう7年目。まさに棚ボタラッキーである。もはや薬丸裕英や岡江久美子からは「朝の顔」という安定感が漂っている。始まった当初、この番組を観た時は新鮮だった。新鮮と言うよりもショックに近かった。というのも薬丸と岡江が物事をあまりにもズバズバ言うので、見てるこっちが心配になってしまうのだ。何か便利な器具を紹介しても「これは使いづらいわ」と岡江がバッサリと一言。アナウンサーがレポートして作った料理を食べて「あんまり美味しくない」と薬丸がズバッと一言。「今までの時間はなんだったんだ」と思わせるような腹蔵無い意見に少なからずショックを受けた。そんな本音トーク満載なところが、この番組の魅力だったのではないか。最近は2人もおとなしくなってきたようだが。最初、この番組の司会が薬丸と岡江であると聞いてちょっと驚いたものだった。2人とも司会というイメージは全く無かったからだ。しかし今となっては薬丸も岡江も司会業が板についている。岡江は主婦の声を代弁するという確固たるポジションを獲得したし、薬丸は「元アイドル」を脱却し、関口宏や堺正章あたりのラインに乗っかる「司会業」にうまくシフトチェンジした。「司会」というのは食いっぱぐれのない職業だと思う。2人から漂う「安定感」という余裕は『はなまるマーケット』によって培われたものだと思われる。現在の曜日レギュラーは伊藤かずえ・三田寛子・香坂みゆき・早見優・森尾由美といった面々。みんな元アイドルであるが、結婚して家庭を築いてからこの番組に起用され、「お手本マダム」的なポジションを獲得した。芸能人でありながら「冷蔵庫の掃除って大変なのよね~」みたいな発言をすることでお茶の間主婦の好感度とコンセンサスを同時に得ているわけだ。今の芸能人にとって、人気を得るには「親近感」が大事なようだ。しかし、結婚した途端に「主婦」というイメージを発信するのに私は違和感を覚える。特にその違和感は最近の雛形あきこから感じる。森尾由美とか早見優あたりはある程度の年齢であるからいいのだが、雛形あきこは私と1つしか歳が違わない。巨乳アイドルとして一世を風靡していた彼女が、そう何年も経っていないのに今や「アイロンがけ、やめちゃおっかな」である。本屋に行けばたまに『ESSE』の表紙も飾っている。このまま行けば、雛形あきこが『はなまるマーケット』でレギュラーとして活躍する日もそう遠くない気がする。彼女もある意味、うまくシフトチェンジしたのかもしれないが、まだ「主婦芸能人」というポジションは早いと思う。余談だが、私は昔深夜に放送されていた『デラでら!早見英語塾』という番組が好きだった。「でらでら」というタイトルからもわかるように中京テレビ製作である。深夜枠ということもあって、今までのキャラを崩壊させた早見優がとってもファンキーな英語を教えてくれた。細かいところは忘れたが、苦味ばしった早見優が満喫できる番組だった。バイリンガルの人というのは、英語が全く喋れない私のような人には少々嫌味な存在に見えることがあるが、早見優の辛辣かつクールな物腰には好感を覚えた。私はこの番組で早見優の「意外と毒吐き」というイメージが固定された。ぜひこの番組を復活させてくれ中京テレビさんよ。テレビであるにも関わらずブーイングサインをやってのける早見優は実に輝いている。妙なところがアメリカナイズされた早見優が『はなまるマーケット』で何かやらかしてくれないかと心待ちにしている私がここにいる。
2003.11.18
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バレーボールワールドカップが盛り上がっている。実際に世間が盛り上がっているのかどうかは知らないが、ブラウン管で見る限りでは盛り上がっている。私も決して詳しくはないが、バレーボールはテンポよく試合が進むため見ていて退屈しないので好きである。ところで、このバレーボールのワールドカップというのはどれほど権威のある大会なのだろうか。ワールドカップと言っている割には毎回日本で開催されているように思えるし、オリンピック出場権を賭けているとはいえ、今回惜しくも上位3カ国に入れなかった日本女子にもまだオリンピックへの望みがあるそうである。サッカーのワールドカップとは意味合いが異なるようだ。もしかしてこれってフジテレビが仕掛けたお祭り的なイベントなのだろうか。今日は日本男子と中国が対戦していた。私が抱いていたバレーボールの選手は、デカくてヌボーっとしている人ばかりという印象だったのだが、最近の選手はそこそこ美形が揃っている。そりゃあ世の女性たちはキャーキャー言うわけだ。特に山本という選手がスター視されているらしく、カメラがしょっちゅう彼のみを抜いていた。ウチの姉は「榎木孝明に似ている」と言っていたが、私はサッカーの井原に似ているような気がする。私が知っていた選手はキャプテンの加藤だけで、他の選手はみんな今回はじめて見た。朝日健太郎はどうしたんだろうか。引退したのか?不勉強で申し訳ない。女子の試合もたまに観ていた。女子は選手それぞれにキャッチコピーがあるようだ。これも多分フジテレビが勝手に考えたものだと思うが。栗原選手は「プリンセス・メグ」と呼ばれているらしい。プリンセス・テンコーとタメ張っているようなキャッチコピー。しかしプリンセスってどうなのよ。「お蝶夫人」ばりにエレガントさが漂うネーミングである。佐々木選手は「孤高の天才アタッカー」と呼ばれていた。バレーボールはチームプレイであるのに孤高とはこれ一体どうしたことか。仲間はずれにでもされているのかと心配になってしまう。クールそうな外見をしているので、確かに群れるのが苦手そうではある。とにかく、女子も男子もみんなデカい。180cmが小さく見えるくらいにデカい。コートの中だとみんな揃いも揃ってデカいのであまりそのデカさが実感できないが、試合後のインタビューでアナウンサーと並んだときにそのデカさが実感できる。みんな何食ってそんなにデカくなったのか。プチダノンか?前々から疑問なのが、バレーボールやバスケットボールの選手は、デカいからバレーやバスケットをやっているのか、それともバレーやバスケットをやっているからデカくなったのか。どっちなんだ。そしてワールドカップの度に現れるのが、ジャニーズの新ユニット。今回は「News」である。応援するのはいいが、いちいちカメラ目線なのはやめれ。萎える。ついでに伊東美咲。ハシャギすぎ。お前が泣くな。萎える。スポーツの祭典の度に何ら関係性のないタレントを持ってくるのはテレビ局の悪しき習慣である。タレントが何か発言するたびに「お前が言うな」と思ってしまうのは私だけではないだろう。きっと。
2003.11.17
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たまに有名人を街でみかけると嬉しい。私は新宿でバイトをしているが、お土地柄かたまに有名人を見かける。今まで街で見かけた有名人。○風間トオル…私が通っていた多摩の小学校の裏手でロケ中。イメージどおり。○うじきつよし…新宿伊勢丹で目撃。ちっちゃい。○小林桂…マダムに人気のジャズシンガー。神田で遭遇。この人もちっちゃい。○梅宮アンナ…新宿伊勢丹の化粧品コーナーで目撃。名前は忘れたが、フランソワーズ・モレシャンみたいな母親も一緒。意外と普通。○石野卓球…新宿のヴァージンレコードのクラブミュージックコーナーを物色中。スレンダー美人が脇にいたので、ちんちくりんに見えた。○高橋がなり…バイト先に出没。家族連れ。子供がまだ幼くて可愛い。数々の女性の裸でこの子は育っているのだと思うと妙に感慨深い。○森尾由美…新宿通りを歩いていた。ピンクハウスは着ていなかった。すごく細い。○林マヤ…吉祥寺で『ジャスト』のロケ。あらゆる体のパーツがデカい。○くりぃむしちゅーの有田…京王線内で目撃。京王稲田堤で降車。どこへ行ったのか。○中田秀夫…『リング』の監督を調布駅で目撃。大映スタジオが調布にあるので、その帰りだと思われる。○かたせ梨乃…バイト先に出没。かなり至近距離で見た。脚が長く、テレビで見るより細い。びっくりした。○高橋克実…青山劇場で目撃。『ショムニ』で人気が出てきたあたり。Tシャツに綿パンと普通のオッサンで、周りの誰も気づいていなかった。○秋元康夫妻…同じく青山劇場で。デブっちかった。○宮藤官九郎…吉祥寺のドトールで3回くらい見た。仕事をしていたよう。最近は見ない。メディアに登場するイメージのまんまだった。○原田美枝子…吉祥寺の裏通りで目撃。高級スーパー「紀ノ国屋」の袋を提げながらボーっと上を見上げながら歩いていた。帽子を被ってブルゾンを着ていて、普通の主婦っぽかった。○秋川リサ…京王線内で目撃。電車内で撮影をしていたのか、スタッフが周囲にいっぱいいた。『洗礼』を思い出して怖かった。○北村総一朗…バイト先で目撃。普通のオッサン。近くにいたカップルが「あれ、署長じゃない?」と小声で囁いていた。『踊る大捜査線』効果で知名度は高いようだ。○美輪明宏…新宿伊勢丹にて目撃。テレビで見るまんまの出で立ち。ゴージャスなドレスに身を纏い、髪は金髪というか黄色。お付きの若い男性が両手にハンパじゃない量の紙袋を提げていた。周囲の人々は気づいても声はかけられない。自然と道を開けていた。なんだか花魁道中のよう。とまあこんな感じ。新宿以外の都会にはあまり出かけないから、見かける有名人もちょっとしょっぱい。有名人とはいえ、街中ではやはり普通の人なんすねと実感。ただし美輪明宏を除く。彼(彼女?)はもはや神の領域である。
2003.11.16
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今日の昼、バイトに行く前にちょこっとだけ『王様のブランチ』を観た。後ろにズラッと揃っているブラン娘のメンバーが総入れ替え状態で誰1人として知っている人がいなかった。坂下千里子がブラン娘を勤めていたのも今は昔。そんなブラン娘を見ていて思い出したことが1つある。だいぶ前になるが、ブラン娘が行楽地を紹介するレジャーコーナーのVTR前のコメントで、とあるブラン娘が「VTR内に詳しい紹介がありますので、皆さん、書くものと書かれるものを用意してください」とコメントしていた。書くものと書かれるもの。ペンが書くものだとしたら紙は書かれるもの。確かに間違っちゃいない。「書くものを用意してください」とか「メモをご用意ください」と発言したら本当にペンのみとか紙のみしか用意しない人がいないとも限らない。そういった観点から見るとむしろ親切なコメントだったかもしれない。発言した本人は至ってマジだったらしく、スタジオが爆笑している中「え、私何か変なこと言った?」みたいな顔をしていた。世の中、常識だと思っていることが通用しなかったりする。とある相談コーナーに、幼い子を持つ母親から「ウチの子、おしっこが青くないんですけど」という投書だかなんだかが送られてきたことがあるらしい。オムツのCMを見て、幼児のおしっこは青いもんだと思い込んでいたのか。世の中いろんな人がいるもんだ。今日、ペットボトルの温かい烏龍茶を買ったら、注意書きのところに「こぼれないように、ゆっくり水平に開栓ください」と書いてあった。これってわざわざ書くようなこと?普通、ペットボトルの蓋開けるときは水平じゃないの?誰が逆さまにしたり傾けながら開栓するんだ?まあアメリカでは説明書に書いてなかったからって電子レンジに猫を入れて裁判沙汰になった例もある。それにしたってなぁ。世も末である。
2003.11.15
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2001年作品。監督は『はつ恋』(篠原哲雄監督)の脚本を執筆した長澤雅彦。これが映画監督デビュー作となる。主演は真中瞳。ノンフィクション作家である最相葉月の1200字余りのエッセイを脚色した作品である。東京の中堅広告代理店に勤めていたコピーライター・相葉志乃(真中瞳)は、上司である橋爪常務と不倫関係にあった。それを知った橋爪夫人から手切れ金を受け取り、大阪支社へ転勤になる。初めての大阪での配属は営業課。ここで志乃は同時期に中途採用で入った前野悦郎(堺雅人)と知り合う。どこかホンワカとした彼には人の心が読めるという不思議な力があった。彼と接することで、大阪に来てから脱力感に襲われていた志乃の中で何かが変わっていく…。この映画の主人公、相葉志乃は幼い頃の辛い記憶がきっかけで、何かを信じたり願ったりすることを初めから諦めてきていた。不倫相手の妻から「あなた、体温低そうね」と言われるほど無表情でクールな姿勢は、傷つきやすい自分をそうすることで庇っているからなのだ。「何かを信じたり願ったりすることはムダだ」と思っている主人公の気持ちはどこか理解できる。私自身、結果に裏切られることが怖くて願ったり期待したりすることをやめている節がある。自分が思っている以上にヘコみやすい自分を、そうすることで庇っているのだろう。でもこの映画は「願っても叶わないこともある、だけど願わなきゃ何も叶わない」という当たり前のようでグサッとくる言葉を投げかけてくる。クールな雰囲気とは裏腹に、実はボロボロに傷ついてきた志乃を演じた真中瞳が実に良い。私は真中瞳という人は決して好きではないのだが、この志乃という魅力的なキャラクターを自然に演じていて好感が持てた。最初は生彩に欠けていたが、徐々に覇気を取り戻していくヒロインの姿が実に爽快である。前野を演じた堺雅人も独特の雰囲気を持っていて、役とマッチしていた。飄々としているけれども、心に重いものを秘めている前野という人がどうしようもなく切ない。そんな難しい役を巧みにこなしていたと思う。その他のキャストもこの映画のどこか切ない空気を演出するのに一役買っている。志乃の同僚役に黒坂真美、上司役に小市慢太郎と中村育二、クライアントの社長役に島木譲二、雑貨店の店主役に笑福亭鶴瓶ほか。大阪が舞台なだけに大阪弁が達者な人が揃っているが、でも決してドぎついだけじゃない、大阪人のふんわりした滋味を醸し出していて心が和む。この映画は脚本も実に良い。下手するととても嫌味になってしまいそうなストーリーをどこか寓話的な雰囲気に仕立て上げて、観る者の心をほぐしてくれる。特に前野の口癖である「ま、ええんとちゃいますか」というセリフに、この映画の全てが詰まっているように思える。ラブ・ストーリーのようでラブ・ストーリーじゃない。人間ドラマのようだけど、それだけで終わらない。こういう曖昧な雰囲気が嫌いな人もいるかもしれないが、私はこのような曖昧なテイストが功を奏していると思った。ちょっと悲しいラストが待っているが、鑑賞後の気分はすこぶる爽やかである。岩井俊二や篠原哲雄の映画が好きな人は、きっと気に入るのではないだろうか。
2003.11.14
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グラビアアイドルの方々は冬でも水着である。季節感まったくなし。ご苦労様です。私は男性週刊誌や少年コミック雑誌の中吊り広告の、グラビアにつけられたキャッチコピーが好きである。「たわわに実った果実が、キミのハートを熱くする!」「プルンプルンな女神が大暴れ!」といったような下世話なコメントが笑える。たまらない。グラビアの内容うんぬんよりも、このキャッチコピーのほうが気になるくらいだ。こういうコピーを書くライターさんになりたい。最近のグラビアアイドルは名前と顔が一致しない。やっと名前と顔が一致したのは熊田曜子と森下千里と井上和香だけ。森下千里は可愛くて萌え~。しかし、最近のグラビアアイドルはみんな「どっかで見たことある」顔の人ばかりである。熊田曜子も森下千里もどっかで見たことがあるような気がするし、井上和香は野村真美に似ている。井上和香が『渡る世間は鬼ばかり』に出ていても違和感がないように思える。私だけか。顔はよく知らないが、松金洋子というグラビアアイドルもいらっしゃる。『月刊松金洋子』という写真集も出版されている。私は最初、この『月刊松金洋子』を本屋で見たとき、『月刊松金よね子』かと思った。「月刊シリーズはマルシアとか秋吉久美子とかピックアップしていたけど、いくらなんでも松金よね子はねーだろ」と。よく見たら「松金洋子」だった。そりゃそうだ。でも松金よね子の限界ギリギリセクシーショットなら、ちょっと見てみたいかも。好奇心で買っちゃうかも。新潮社さん、冒険する価値はあるかもしれませぬよ。おしりのラッパがぷう~。下品ですね。 こちらが松金洋子嬢 そしてこちらが松金よね子嬢
2003.11.13
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私は電車に乗るとよく、吊り広告や小さな窓に張ってある広告を眺める。今日乗った電車にはキリンの秋限定ビール『毬花』の広告があった。この商品「まりばな」と呼ぶそうであるが、私は今日の今日まで「まりはな」だと思っていた。そしていつも「『まりはな』ってネーミングはどうなのよ」と思っていた。否応にもマリファナを想像してしまう。「トリップできるビールってか。新しい」とほくそえんでいた。「まりばな」だったか、残念。ちなみに「毬花」とはホップの愛称であるそうだ。未受精の雌株に咲くものだけを使用したのが、この『毬花』なのだとか。あと最近よく目にするのがJALの国内便の広告で、伝言板に「のぞみへ、先に行ってるね」と書いてあるヤツ。露骨なまでの比較広告にのけぞってしまいそうになった。ここでの「のぞみ」は明らかに新幹線を指している。新幹線の品川駅が開業したことで、ライバル意識を燃やしているのだと思われる。日本では比較広告は禁止されているのか自粛しているのかわからないが、あまり目にすることは無い。久しぶりのあからさまな比較広告に、ちょっと感慨深かった。やってしまいましたね、JAL。電車内の吊り広告というと、女性週刊誌の広告が目につく。電車という秩序的な空間の中に、無秩序にスキャンダルをばらまいているため、とても目立つ。この女性週刊誌の広告の中に、そのスキャンダルの当事者の写真がよく掲載されているが、その写真にはどうも編集者側の悪意が込められているように思えてならない。もしくは読者の卑屈なニーズに応えた写真とでも言おうか。この吊り広告に掲載されている写真の人々は、みんなブサイクに撮られている。おそらくこれらは記者会見や制作発表の場で撮られたものが主であると思われるが、普通の写真は芸能人を綺麗に写すということに腐心しているのに対し、女性週刊誌のカメラマンはよりブサイクに撮ることに腐心しているのではなかろうか。これを見て世の女性は「あら~意外と○○ってブサイクなのね、クスクス」と思っているのではないか、と私は勝手に思っている。電車の中の広告というのも、しっかり眺めてみるとなかなか面白い。印象深かったのは、某巨大宗教の出版物の広告の隣の広告が、えなりかずきの満面の笑顔の広告だったこと。えなりかずきとその教団には何のつながりも無いだろうが、隣り合わせになってしまったというだけで、えなりかずきの笑顔も相当胡散臭いものに見えてしまった。広告が持つパワーというのは、実際に私たちが思っているよりも強力なのかもしれない。
2003.11.12
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ウォークマンのイヤホンが片方聴こえなくなってしまった。ウォークマンからの音楽が片方聴こえないというのは、とてもストレスである。ちなみに私が使用しているMDウォークマンはソニー製である。ソニーのウォークマンはイヤホンがダメになりやすい。特に右耳のイヤホンが聴こえなくなりやすい。「ソニーの製品は保証期間が過ぎたら壊れる」という噂はあながち嘘ではないかもしれない。ついでに言うと、パナソニックのヘッドホンステレオは本体が壊れやすい。それに比べりゃマシか。というわけで、今日は新宿のさくらやにイヤホンのみを買いに行った。イヤホンといっても思ったよりもピンキリである。コードの長さ、形、音質によって値段は800円~2000円と上下する。しかし、さくらやでは製品を試させてくれない。だいたいの製品には「迫力の重低音」という謳い文句が書かれているので、製品の良し悪しがわからぬまま900円ほどのビクターのイヤホンを買った。この商品にも御多分に漏れず、「迫力サウンドを再生する高磁力ドライバーユニット採用」と大仰なことが書いてある。実際に試してみたらどこが迫力の重低音じゃい。消費者の耳をナメてんのかコラ、ビクターさんよ。私はウォークマンでテクノを聴くのが大好きだ。よって重低音が効かないテクノなんてアンコが入っていないアンパンのようなものである。なんてペラッペラの音なのかしら。ケチらないで2000円のソニーのイヤホンを買えばよかった。重低音が効いていないテクノを聴くのもけっこうなストレスである。もう一度買い直そうか悩みんぐ。悔しくてやりきれない。関係ないが、我が家はメカに弱い家系である。家系が関係あるかどうかはわからないが、少なくとも我が家はメカオンチが揃った環境である。電子レンジや車のボンネットから煙が噴出したことがあるし、電源が入っていないラジカセが突然「ボンッ」という音と共に火花を吹いて臨終を迎えたこともある。そういった状況に陥ったときに「ヒャア」とパニックになるのがウチの家族である。父は説明書が大嫌いなので、何でも体当たりでトライする。あちこちいじくり回して、結局わからなくなって放り出すのがオチである。母は中古で買った車に付いてきたカーナビが声を発したのに驚いて、「はあっ、ウチのコが喋った!」と騒いでいた。そんな両親は未だにビデオ録画ができない。Gコードの意味すらよく理解していないと思う。しかし母は、最近メールをするようになった。ブックオフの抽選で携帯電話が当たってしまったことをきっかけに携帯電話を持つようになったのだが、面倒臭いことが大嫌いな彼女はしばらくメールの打ち方を覚えることに抵抗していた。ムダに携帯料金を払い続けるのも勿体無いので、私と姉が手取り足取りでメールの打ち方を教えたら、今ではメール大好き婆である。それでもまだ打ち間違いが目立つ。特に「ね」を「ぬ」と打っているのが目立つ。「じゃあぬ」とか「冷蔵庫に夕食が入っているからぬ」とか。せっかちな母はボタンを4回も押すのが鬱陶しいのだろう。意味は伝わるからまだマシだが。こんな両親の血をひいている私も機械には弱い。パソコン用語もチンプンカンプンである。日本の家電製品がもうちょっとわかりやすくなるのを望むばかりである。
2003.11.11
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○『どついたるねん』1989年度作品。監督は『傷だらけの天使』『顔』『KT』の阪本順治。通天閣でおなじみの、大阪「新世界」が舞台。天才ボクサーがタイトルマッチの前哨戦で脳にダメージを受け挫折するが、持ち前の根性で再びボクシングの道への復活を目指すというストーリー。ストーリーはものすごく単純だが、心が奮い立たされるような映画である。非常に面白い。主人公である安達エイジは挫折に次ぐ挫折を経験する。しかし彼はそんなどん底から雑草のように何度も何度も這い上がるのである。それもひとえにボクシングに賭ける情熱が成せることである。その頑固で向こう見ずで自分勝手なところに周囲の人々は愛想を尽かしたりもするが、結局は彼の情熱に同調する。そんなバイタリティ溢れる主人公がとても魅力的である。主演の安達エイジ役は元プロボクサーだった赤井英和。これが彼の役者としてのデビュー作品となる。決して巧みな芝居ではないが、ボクシングをしているときの表情は本物である。今よりもだいぶ痩せていて精悍な顔つきが、映画にリアリティを与えている。脇を固める役者もそれぞれ魅力的だ。安達の幼馴染でボクシングジムの1人娘を演じるのは相楽晴子。チャキチャキした大阪娘で安達に劣らず負けん気が強いが、実は密かに安達のことを想っているのである。ここでの相楽晴子はとてもいい。ガチガチのボクシング映画になりがちな作品に、相楽晴子が彩りを添えている。安達の後輩で、対戦相手になってしまった清田役に大和武士。大和武士も元々ボクサーで、こちらも映画にリアリティを与えるのに一役買っている。今でこそヤクザ映画の常連である印象が強いが、この頃はやはり精悍でどこかまだ初々しさが残る。安達とは対照的な心優しいボクサーを好演している。そして安達のコーチとなる、元日本チャンピオンである左島役に原田芳雄。この左島も安達と同じく怪我によってボクシングの道を断念した男である。そのため安達の気持ちに共感できる唯一の人間である。ここでの原田芳雄は妙に腰が低く、カッコつけた芝居をしているわけではない。しかしそれが逆にカッコいい。さすが原田芳雄である。内に秘めた情熱のようなものを巧みに表現している。他にも麿赤児・正司照枝・笑福亭松之助・芦屋小雁などが脇を固める。どの役者も味のある、笑える芝居を見せてくれる。意表を突かれたキャストが、安達のスポンサーを買って出るオカマバーのオーナー・美川憲一である。もうほとんど地で出演している。15年近く前の映画であるが、美川憲一だけは全く変わらないというのが凄い。髪型もね。ってこれは禁句かも。クライマックスである試合シーンは迫力満点。これはやはり本物のボクサーを映画に引っ張り出しただけのことはある。ただただボクシングだけを生き甲斐にしている安達の姿に、生きることの切実さを感じる。まさに「男の美学」である。阪本順治、快心の一撃。○『刑務所の中』花輪和一の同名漫画を原作に、崔洋一が映画化。2002年度作品。刑務所を舞台に、小さなエピソードを積み重ねたどこか淡々としつつも毒っ気たっぷりの映画である。主演は山崎努。共演は香川照之・松重豊・田口トモロヲ・村松利史。その他にも強烈な個性派がぞろぞろ出演している。刑務所の中ということで、もちろん出てくるのは男だけである。しかしそれが決してむさ苦しくなく、軽やかな雰囲気さえ感じられる。ムダに笑わせよう笑わせようとしていない、とても自然に笑いがこぼれる娯楽映画に仕上がっている。登場人物は実はみんなそれぞれとんでもない罪で入獄している人々なのだが、塀の外では些細であろうことで一喜一憂している。その様はとてもチャーミングである。たとえば夕食の春雨スープに具がたくさん入っていたり、テレビのコマーシャルで大福が出てきてボーっとなったり。この映画での囚人たちは大人でありながらも子供のようである。規則でがんじがらめでありながらも、そこから小さな幸せを見出していく様がとても面白い。刑務所という場をこのようにユーモアたっぷりに描いた映画は前代未聞ではないだろうか。だって刑務所を「一日三食昼寝つき」と表現し、テレビも観れて模範囚は菓子・ジュース付きで映画も観られる。懲罰房ですら「意外と快適な空間」と言わせている。また出てくる食事がとても旨そうに見える。「クサイ飯」と表現されることが多い刑務所の食事であるが、この映画の中の囚人たちは実に旨そうに飯を食う。他愛も無いメニューではあるが、この映画を観た後は無性に腹が減った。とにかくこの映画は、囚人たちがユーモアとペーソスたっぷりに描かれている。こんなにチャーミングな山崎努は初めて見た。それは監督である崔洋一の手腕であろう。また強烈な個性の持ち主である役者たちを山崎努がまとめあげていることで映画としての完成度も高い。ワンシーンだけの登場にも関わらず、窪塚洋介と椎名桔平も印象深い芝居を見せている。刑務所という場を舞台にしながらも、クスッと笑わされたり時にはワクワクさせられたりと、エンターテイメントに満ちている。刑務所がこんな快適でいいのかと思ってしまう。もの凄く面白い映画であるが、同時にもの凄くアンモラルな映画である。
2003.11.10
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昨日の夜は、かなり久方ぶりに『チューボーですよ!』を観た。ゲストは小西真奈美でレシピは紅茶のシフォンケーキ。イメージ通りでつまらん。小西真奈美に酢豚とか作って欲しかった。この『チューボーですよ!』は気づけば10年近く続いている。それでも番組の構成は全く変わらない。ある意味エバーグリーンな番組である。冒頭のマチャアキによる「炎の料理人三ツ星シェフの堺正章ですっ」という決めゼリフも、街の巨匠に料理を教わるというスタイルもおそらく当初のままである。記憶違いだったら申し訳ないが。この番組のアシスタントは代々TBSの女性アナウンサーが勤めており、初代は雨宮塔子だった。当時の雨宮塔子という人は天然ボケを強みにしてきた人で、それでもその天然っぷりが嫌味じゃなかったので、堺正章との掛け合いというかボケとツッコミのバランスがなかなか面白かった。その雨宮塔子がTBSを退社するんだか海外に留学するんだかで降板した後の2代目アシスタントは外山なんとかというアナウンサーだった。この人はかなり短命だったように記憶している。なんせあまりに普通にこなしすぎた。雨宮塔子のキャラクターがウケてしまったということもあって、この番組のアシスタントには狂言回しかつコメディリリーフ的な役割が伴ってしまった。その点で外山なんとかというアナウンサーはバラエティ向きではなかったと思われる。私が彼女を初めて見た時の印象は「あまりにも目が笑っていない」であった。そのせいか、番組にどこか不穏な影を落としていた。外山なんとかが短命に終わった後の3代目アシスタントは、現在も続投中の木村郁美アナウンサーである。この人は雨宮と外山の中間とでも言おうか。どこかボケていながらも、進行はしっかりこなしている。まあ毒にも薬にもならない、無難な人事と言えよう。この番組が始まった当初は「面白い」と思ってよく観ていたのだが、最近はチャンネルを合わせることもあまりなかった。お決まりすぎる内容が少々辛くなってきたからだ。そもそもこの『チューボーですよ!』はバラエティであり、一般の家庭にレシピを提供するのが第一の目的ではない。だからあえて一流料理人の技を流用するということで、「家庭では出せない味」を再現し、一般家庭のキッチンと距離を取っているのである。そしてそんな番組に一種のスパイスとして加わってくるのが、「料理をしながらゲストとの楽しいおしゃべり」である。普通の料理番組は教材のような役割を果たしているために、おしゃべりは蛇足である。上沼恵美子を除いて。主婦にとっての料理は必要に迫られてするものであるが、この番組における料理は「男子が厨房に入る」ということで、趣味としての料理を推奨しているように思える。だから23時半スタートという、主婦だけにターゲットを絞ったわけではないと思われる時間に放送されているのであろう。そんな「趣味としての料理」を演出するための道具として「ゲストとの楽しいおしゃべり」が付与されているのだと思う。私にはその「ゲストとの楽しいおしゃべり」が鬱陶しく感じられることがある。というかこの番組の演出に問題があるように思える。料理をしながらゲストに合わせたトークが展開されるのだが、そのタイミングがあまりに唐突でとってつけたようである。明らかに「台本に沿って言わされてる感」だ漂っている。もちろんテレビ番組に台本は必要であるし、料理という大前提がある故に会話のきっかけが唐突なのは仕方がないかもしれない。でもやはりどこか鬱陶しい空気がこの番組には充満している。例えばF1レーサーがゲストだとすると、レースをしている体で会話が交わされる。ナベのふたをハンドルに見立てたりして。どうにもこうにも会話として不自然である。そのため「料理」と「おしゃべり」という2つの要素がうまく溶け合っていない、チグハグな印象を受ける。それもこれも司会の堺正章というキャラに因るところが大きいかもしれない。堺正章というと歌に芝居にかくし芸にと、「芸達者なエンターテイナー」というイメージがある。そんな彼には自信というオーラが漲っている。たとえ10年近く同じ決めゼリフでも「面白いだろホラホラ」という自信。不必要に料理のテクニックを披露する自信。会話の中で離婚に触れられても「それも芸の肥やしだぜ」と開き直る自信。しかしそんな堺正章から感じる「安定」は少々隔世感がある。彼の笑いは「同じネタを繰り返す」という点ではドリフまたはクレイジーキャッツのようである。ある世代にはたまらないものがあるかもしれないが、お笑いに関してシビアな目を持っている若者層には少々浮世離れしているように見られるのではないか。ちなみにこの番組の制作はハウフルスという会社。私の大学の友人が内定を取った会社である。他に制作している番組は『THE夜もヒッパレ』(既に終了)『出没!アド街ック天国』『どっちの料理ショー』などなど。なるほど、「お約束を重視」というところで同じ匂いを感じる。制作会社の作風も影響しているかもしれない。ちょっとアダルトな趣を持ち、堺正章の根拠に満ちた自信が堪能できる番組。それが『チューボーですよ!』である。だからどうしたと言われても反論できない。
2003.11.09
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昨日の深夜に『U-CDTV』を観ていたら、KOKIAとかいう女性歌手が裸足で歌っていた。裸足で歌うというスタイルはおそらくCoccoが最初だったと思うが、最近では中島美嘉・鬼束ちひろ・一青窈がよく裸足で歌う。週刊誌で「裸足系シンガー」と銘打った特集が組まれていたのを読んだことがある。靴履いて歌うのと裸足で歌うのは何が違うんだろう?大地の鼓動を感じているのか?裸足で歌う歌手はどことなく憑依的な匂いがする。Cocco・中島・鬼束・一青などはそうであるが、このKOKIAという人は別にそんなシャーマンな雰囲気は漂っておらず、ただただポップだった。それだけに違和感が残る。こんなポップな歌を「裸足で歌う」ということに何か価値があるのだろうか。それとも単に「ちょっと違うことをやってみたい」という、なんちゃって個性派なだけなのだろうか。私の友人は中島美嘉のことを「裸足系ならぬ白目系」と言っていた。時々歌っている時の目がイッちゃっているらしい。そう言われてみればそうかも。私が中島美嘉を見ていて気になるのは、マイクを持たない手の上下運動である。1曲の間でかなり上下往復している。中島美嘉に限らず、「なんとなく歌が上手そう」な人はよく手が上下している。あれは何なんだろう。手で音程を取っているのだろうか。もしくは手で自家発電でもしているのだろうか。一度気になりだしたら相当気になる。手の上下運動と言えば、岡本真夜もかなり上下していた。一度、1曲の間で何往復するか数えたことがあった。回数は忘れたが、けっこうな往復数であった。何というか、マイクを持たない手が上下することによって「薄幸感」が増幅するような気がするのは私だけであろうか。ちなみに岡本真夜に関して言えば、フレーズの節目のブレスもかなり気になった。歌の節々に「ブハッ」という息継ぎの音が入っていることが多かった。これも一度気になりだしたら相当気になる。この期に及んで岡本真夜の話ってのもどうかと思われるが。広末涼子に提供し、岡本真夜自身がセルフカバーした『大スキ!』には背筋が凍った。広末涼子の『大スキ!』とは全く趣きも意味合いも異にする、ホラーな1曲であった。話が岡本真夜に逸れている。なんか違う。要は、最近は「ディーバ系」よりも「憑依系」や「薄幸系」のほうが注目を集めているように思える、ということを言いたいわけである。実際そうなのかはよくわからないが。
2003.11.08
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駅から家に帰る途中に、ポツンと電話ボックスが建っている。私はここの電話ボックスを眺めるのがとても好きである。特に夜に。上の写真は携帯のカメラで撮ったものなのでわかりづらいが、暗闇にボーっと浮かび上がる光がエロティックにすら感じる。電話ボックスというものは、携帯電話が普及した今となっては不要な存在であるかもしれない。そんな電話ボックスが、暗闇の中で淋しげに光を発して自己主張しているのに、とても哀愁を感じてしまう。もう人々がこの電話ボックスに行列を作ることはないだろう。でも私はこの電話ボックスがとても好きである。それだけ。
2003.11.07
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最近、私の頭の中から島谷ひとみの『Perseus-ペルセウス-』が離れない。小気味のいいリズムとトランシーなサウンド、そして島谷ひとみ嬢の満面の笑みが私の心を捉えて離してくれない。「今さらトランス?」という印象を受けなくもないが、サビでスコーンと突き抜ける感じがたまらなく気持ちいい。ヴェルファーレ的なトラックに乗せて、黒装束の男たちを従えて歌い踊る島谷ひとみは「不景気」という言葉を知らなさそうである。余談だが、大学入試の本番中に頭から離れなかったのはKinki Kidsの『ジェットコースター・ロマンス』であった。一生懸命問題を解こうとしているのに、なぜか脳裏では「なみぃは~じぇっとこぉ~すたぁ~」という歌声と共に剛と光一が波打ち際でパチャパチャやっていた。「お前ら、消えろ!」と何度心の中で念じたかわからない。私の頭の中は歴史の年号やら古文の助動詞やらと剛と光一がジェットコースターしていたわけである。おあとがよろしいようで。話は変わるが、曲を聴いて「あ、この曲はあそこのレコード会社だ」と判断できる会社は、日本ではエイベックスくらいではないだろうか。私の中ではトイズファクトリーとビーイングもイイ線いっているのだが、この点ではエイベックスは他の追随を許さない。もともとエイベックスという会社は、町田市の小さなCD卸販売業者であった。そこからダンスミュージックブームに乗っかり、小室哲哉という時代の寵児を迎え入れ今の地位を築いたわけである。今現在は浜崎あゆみという1本の柱で成り立っているようなものであるが、私が中学生から高校生くらいにかけてはT・Kブームも相まってエイベックスという会社の勢いはすごかった。trf・安室奈美恵・globe・hitomiなどといったミリオンセラー歌手を抱え、消費者にじっくり聴かせる隙を与えないほどバンバンとリリースしていた。近田春夫が言うところの「飽きたら捨てられる週刊誌状態」であったわけだ。こんな「週刊誌状態」の中でも、エイベックスのカラーは一般に根付いていった。私が思うに「お茶の間で楽しめるクラブミュージック」といったところか。小室哲哉プロデュースのシングルCDのカップリングに必ずと言っていいほど同曲のリミックスバージョンが収録されていたことからも窺える。しかしそんな次から次へとリリースを繰り返している状態からは、徐々に「エイベックス=安っぽい」というイメージが浸透してしまったのも確かであった。「どれを聴いても同じ」という声があちらこちらで聞かれ、「エイベックス(小室哲哉)の音楽は嫌い」という人も多かった。そんな当時のエイベックスにおける「クラブミュージック大安売り」的な姿勢は、今でいうドン・キホーテのようである。「安い」というだけで種々雑多なものが店内に並べられるドン・キホーテには、ジャージを纏ったヤンキー臭漂う人々が集う。どこかこの両者に共通項を見出してしまうのは私だけであろうか。しかし当時のエイベックス(小室哲哉)が発信していた音楽の質が悪いかと言うと、決してそんなことはない。今聴くとなかなか面白いのである。「一般の人々にウケる音楽」という前提と「カラオケ」に向けた視点があるために、決してツボを外してこないのだ。私には小室哲哉の作り出していた作品は工夫が無いようで工夫し尽くされている音楽であるように思える。そんな小室哲哉の曲の中で好きなのは○trf『survival dAnce ~no no cry more~』○globe『Love Again』○hitomi『by myself』○安室奈美恵『Body Feels EXIT』などなど。しっかり踊れるから楽しめるわけである。今夜も夜な夜な「エイベックスナイト」と称して自室のコンポで小室哲哉スペシャルを行おうかと目論んでいる。《エイベックス臭を色濃く残している方々》 現在はモーニング娘。ばりに増殖したdreamのみなさん 分身の術で敵の目を眩ましている片瀬那奈さん 直訳すると「あさって」という不思議なユニット名を持つday after tomorrowのみなさん《番外編》現在エイベックスに所属している「えっ?」な人々ザ・フォーククルセダーズ高橋克典北野井子なぎらけんいちはっぴぃえんど渡部篤郎森繁久彌
2003.11.06
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国生さゆりが離婚したそうである。しかも8月末に。確かそのあたりに『ごきげんよう』に出演して、おノロケっぷりを披露していたような…。気のせいか。私は中学時代の一時、「国生さゆりがタイプ」と言っていた時期があった。ドラマ『沙粧妙子 最後の事件』でシリアルキラーを演じていて、その堂々たるヨゴレっぷりと迫真の演技に惚れこんでしまったのだ。真っ赤なスーツで全力疾走する姿が今でも焼きついている。最近は2時間ドラマでしかお見かけしないのが悲しい限り。と言っても当時ほど気になる存在ではないが。私がバイトしているところは総勢で10人。私と一番歳が近い人で40代、とかなり高齢化が進んでいるところである。なんせ10人中5人が60代、3人が50代である。そりゃあ人生経験は豊富である。そこでバイトするようになって、私は初めて「離婚」という言葉を身近に感じた。私には離婚を経験している親族も知り合いもいない。しかしこのバイト先では離婚経験をしている人が4人もいるのだ。これには驚いた。こんな狭い職場に離婚経験済の人がほぼ半数を占めているなんて。そのうちの1人である62歳の男性は、離婚の際に相手と裁判で争った結果、財産はほぼあらかた持っていかれ息子たち(すでに30歳を超えている)と会うことすらままならない状態であるらしい。「アンタ、どんな酷いことやらかしたんだよ」と思ってしまうが、そんなことは口が裂けても聞けない。きっと女絡みで愛想尽かされたんだろうと私は思っているが。こんな環境であると、世間話の内容も相当に渋く含蓄がある。「年金がどうのこうの」とか「介護保険がうんたらかんたら」とか「老眼がすったらもんだら」とか。ただでさえ年寄り臭かった私が、さらに若々しさを失ったことは言うまでも無い。そして「結婚」に希望を抱けなくなってしまったのも事実である。このままだと生涯独身、行き着く先は老人ホームでエ・アロールである。困った困った。ちなみに私のバイト先には、結婚経験はないが不倫の末に相手の家族に訴えられて裁判沙汰になった50代女性もいる。職場でも周知の事実だったので、みんな「○○さ~ん、弁護士の先生からお電話でーす」ってな感じであっけらかんとしたもんである。最近裁判でカタがついたらしく、すこぶるゴキゲンである。男と女は何があるかわからないから難しい。齢23歳で知らなくてよかったことまで知ってしまったような気分である。
2003.11.05
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煙草が切れた。バイトから帰ってくる途中で買って来るのを忘れた。ちきしょう。我が家から最も近いコンビニは、かなり急な坂を下ること5分。そこはもともと酒屋であったのを「ヤマザキデイリーストア」と契約してコンビニになったわけである。そのため、従業員はみな家族である。○オバちゃんは近所の奥様と世間話。○おばあちゃんはお釣りをしょっちゅう間違える。○1人息子はちょっとヤンキー風。しかも最近見ない。○コピーのコンセントは客が自分で差し込む。○野球のシーズンだと横浜ベイスターズの応援に熱が入る。○女性誌の品揃えは豊富だが、情報誌の品揃えが貧相。○やけにサンガリアの商品が多い。○コンビニなのに、店内にお犬様(ゴールデンレトリーバー)が鎮座していらっしゃる。とまあ、かなりアットホームで心が和む。しかし閉店は23時。コンビニと銘打っていながらも全くコンビニエンスじゃないのがミソ。確かに家族で経営してると23時が限界であろうが。ちなみに盆暮れ正月は休業している。23時を過ぎて煙草を買うなら、自販機もクローズしてしまっているので最寄のファミリーマートまでは自転車で5分かかる。しかも我が家は先に書いたように、かなり急な坂道の上に建っているので夜中にチャリンコをチャリチャリ漕いでコンビニまで走る気力はない。はあ。忘れずに買っておくんだった。夜中にパソコンに向かってネットしたりDVD観たりしながら煙草吸うのが至福の時間なのに。我が家の最寄り駅は最近再開発が進み、かなり栄えてきた。駅前にスタバができた時はかなり話題になった。一応神奈川県であるのだが、スタバごときで狂喜している住民がなんだかいとおしい。そして無印・GAPができ、牛角ができ…とこの何年間で急速に都市化が進んでいるのである。23区内では当たり前のように存在しているものが、この土地では当たり前ではなかったのである。我々一家が引っ越してきたときには、駅付近にあるファーストフードといったらドムドムバーガーだけだった。ドムドムバーガー…なんて懐かしい響き。それが今ではマクドナルド・ケンタッキー・ロッテリア・ミスタードーナツとよりどりみどり状態である。ここからもいかに我が地元が急速に発展したかがうかがえる。私の家はそこからチャリで15分、歩いて25分のところにある。ここは都市化とは縁遠い土地である。○朝、自転車で走っているとランニング姿のオッちゃんが首にタオルを下げて玄関先で歯磨きをしている。この人も最近見かけない。もっぱら「死んだんじゃ」という噂が立っている。○中学生のスカートはとても長い。○近所のスナック「すずらん」は、最近「酒泥棒」という泥臭い店名に改称した。○近所のパン屋「ベイク・デ・ライス オザワ」に客が入っているのを見たことが無い。そもそも「ベイク・デ・ライス」の意味がわからない。パン屋なの?米屋なの?私がこの土地に引っ越してきて一番驚いたのが、街頭スピーカーから時折「ナントカ町の××歳のおじいちゃんが行方不明になりました」という放送が流れることである。そして数日後、「ナントカ町の××歳のおじいちゃんは無事保護されました」という放送が流れたりする。どこへ行っていたんだおじいちゃん。徘徊老人のことまでも町ぐるみで面倒を見ているわけである。情に厚い土地である、のか?ま、住めば都ってやつですな。コンビニの閉店時間が早いぐらい目をつぶりましょう。
2003.11.04
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今でこそオカルト映画大好きの私であるが、小さいころは本当に怖がりだった。私の母親の実家は10年くらい前まで母屋と便所が離れていて、夜中にトイレに行きたくなったら一旦玄関から外に出なければならなかった。しかもそのトイレが汲み取り式で、今にも便器から手が出てくるのではないかと怖くて怖くて仕方なかった。父親がよく観ていた「NHKスペシャル」のBGMでビビッたり、夢枕にガチャピンとムックが立った次の日からしばらく『ひらけ!ポンキッキ』が観られなかったりした。そんな怖がりだった幼い私の脳裏に焼きついて離れない、初めて目にしたホラーは『加トちゃんケンちゃんごきげんテレビ』での「スイカ男」のコントである。これは毎週番組内で放送されていた私立探偵コントの納涼版で、志村けんがスイカの食べすぎでスイカ男になってしまい、次々と人々をスイカ人間に変えていくというゾンビ映画のようなコントであった。きっと今観たら笑い飛ばせるくらいのレベルだったと思うが、当時の私にとっては内臓が縮み上がるくらい怖かった。特に夜の街をスイカ人間が彷徨い歩くシーンにはマジでビビっていた。シャワーを浴びている女性がスイカ男に襲われる、というヒッチコックの『サイコ』みたいなシーンでは乳がポロリしていて、違う意味でドキドキしたが。ちなみに『志村けんのバカ殿さま』も、あのメイクが幼い私にとっては無条件で怖くて、結局未だに1度も観たことがない。そのため「アイーン」とか言われても、幼い頃の印象が強くて未だに禍々しいものにしか見えない。あとシリーズ第1作目の『ターミネーター』でも怖くて泣いた記憶がある。テレビで放送されているのを従兄が観ていて、一緒になってそれを観てしまい、シュワちゃんがトレーラーで襲い掛かってくるシーンで泣いた、と記憶している。やっぱり幼い頃は感受性が豊かだったのだろう。なにぶん幼い頃の記憶なのでおぼろげなのが申し訳ないが、昔ワイドショーで遭難事件のレポートを放送していた。ヘリコプターからの空撮で山の映像が映し出されていたのだが、そこには遭難者が残したと思われる木の枝で書かれた「SOS」の文字が。そしてその付近で発見されたらしいテープレコーダーには「SOS、たーすーけーてーくーれ」という言葉が繰り返し録音されていた。この映像と声がもの凄く怖くて、今でも強烈に印象に残っている。どこか抑揚を欠いたその声は、まるで地獄からの死者の声のように聞こえた。その遭難者が無事救助されたのか、遺体で発見されたのか、はたまた未だ行方不明なのかは知らない。そんな私も稲川淳二の怖い話は屁でもない、オカルト大好き人間になってしまった。私にとって怖いのは幽霊でなく、やっぱり人間である。
2003.11.03
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以前の日記で、私は藤子・F・不二雄のマンガが好きだと書いた。この『ミノタウロスの皿』は藤子・F・不二雄の作品の中でも異色と言える短編集である。手塚治虫が『鉄腕アトム』『リボンの騎士』といった少年少女向けのマンガと平行して『ブラック・ジャック』『奇子』『きりひと賛歌』といった大人向けのマンガを描いていたことは広く知られている。しかし藤子・F・不二雄が『ドラえもん』『パーマン』などと平行して、大人向けコミック雑誌に短編を発表していたことは、意外と知られていない。この短編集『ミノタウロスの皿』に収録されている作品は、どれもシニカルで時に終末的なラストを迎える。藤子先生お得意の「非現実性」や「ファンタジー性」はここでも健在だが、この作品における「非現実性」「ファンタジー性」は必ずしも夢を与えてくれるわけではない。奇妙でブラックで、暗澹たる気分にさせられる作品集である。その中でも白眉なのは『ヒョンヒョロ』という30ページ強の作品である。この『ヒョンヒョロ』には宇宙から来た、ウサギによく似た可愛らしいキャラクターが登場する。その滑稽な風貌と飄々としたキャラクターから藤子先生特有の夢のあるファンタジー作品であることを予想させるが、ラスト4ページでその可愛らしいキャラクターは恐怖の権化へと変貌する。夜明けと共に迎えた寒々しいラストにゾッとさせられる、衝撃的な作品である。『劇画・オバQ』もある意味衝撃的な作品である。大人になった正ちゃんのもとに15年ぶりにオバケのQちゃんが現れる。Qちゃんはオバケであるから歳を取らないが、正ちゃんは確実に大人になっていた。そして彼らを取り巻く現実は大きく変化していた。それを察したQちゃんは静かに去っていくのである。『オバケのQ太郎』というマンガは「非現実性」を強く押し出した名作であるが、この『劇画・オバQ』は「現実性」が強い。ここでのQ太郎は、現実を描くためのスパイスのような存在である。どうにもこうにもやり切れない、切なくて胸がしめつけられる作品である。劇画調に描かれたラストは涙を禁じえない。タイトルにもなっている『ミノタウロスの皿』もとても面白い。宇宙を漂流していた地球人は、行き着いた星で少女ミノアに恋をする。しかしその星の支配者は牛にそっくりの「ズン類」であり、ミノアたち人間たちは「ウス」と呼ばれ家畜として扱われている。しかもミノアはとびっきりの家畜として、毎年開かれる「ミノタウロスの皿」という祝宴での食料に選ばれているのである。ここで感じられるのは「価値観の違いから来る矛盾」である。このマンガの主人公である地球人は、人間にそっくりであるミノアが牛にそっくりな民族に食べられることに憤りを感じる。しかしその星ではそれはごく当たり前のことなのである。生活が違えば価値観が異なってくるのは当然のことである。藤子先生は「クジラは賢いから殺すな」と同じような矛盾をこのマンガで描きたかったのであろう。そう考えると藤子先生の作品には「価値観の違い」を描いた作品が多い。特に宇宙人を扱った作品ではそれが顕著である。徹底的に非現実であるファンタジー作品から、「人間がいかに矛盾した存在であるか」ということを浮き彫りにしている。藤子先生は作品を通じて、凝り固まった固定概念から人々を開放しようとしていたのかもしれない。少なくとも私が抱いていた藤子・F・不二雄のイメージはこの作品でちょっと変わった。「こんなマンガも描ける人だったんだ」という感慨と、毒っ気あふれる視線にちょっとニヤリとしたり。荒唐無稽に見えて、実はリアリティに満ちている。この作品集での藤子・F・不二雄の視線は的確に未来を捉えている。そんな気がしてならない。
2003.11.02
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今回もとても面白うございました。このドラマの面白さは、主演の2人の熱演もさることながら脚本の力によるところも大きい。脚本を書いているのは秦建日子という人。字面からてっきり女性かと思っていたら「はた たけひこ」と読む男性らしい。まだ35歳と若く、つかこうへいに師事していたらしい。これまでに『小京都ミステリー』や『はみだし刑事情熱系』などサスペンス系のドラマを執筆し、連続ドラマでは『最後の弁護人』『天体観測』などの作品がある。また『救命病棟24時』や『HERO』の一部も執筆されているらしい。『共犯者』に関して言えば、毎回ちゃんとクライマックスが用意されていて「来週はどーなるの?」という期待を膨らませてくれる。私はちゃんと見始めたのは2話からなのだが、2話目でありながらも最終回手前かと思わせるくらいのテンションの高さであった。今回の放送でもちゃんと来週への伏線を何本か張っているので、来週も観ずにはいられない。しかも重要かと思われた人物をあっさり殺してしまうなど、この脚本家はなかなか面白い。今回の放送では、冒頭にさとう珠緒が割とあっさり殺された。彼女は浅野温子と三上博史による死体遺棄の目撃者であり、今後ストーリーに絡んでくるのかと思ったら三上博史の毒牙にかかり殺害されてしまった。警察としては重要な手がかりを失ってしまったわけである。これで浅野温子と三上博史は窮地を脱したと思ったら、今度は浅野温子の家の向かいに住む加賀美早紀演じる女子高生が揺さぶりをかけてきた。「わたし、全部見てました」と。そして他方では、殺された乙葉のキャッシュカードが何者かによって使われていることが判明。池内博之はそのキャッシュディスペンサーの防犯ビデオを入手し、常務である佐野史郎に見せる。また、浅野温子の勤めるカード会社のOLである奥菜恵は、カードの情報から何か不審な点を発見する。すべて知られているらしい女子高生に対して、浅野温子はどう対応するのか?防犯ビデオに映っていたのは果たして誰だったのか?奥菜恵は一体何を発見したのか?これらの謎を残して、今回の放送は終わった。このドラマの登場人物はけっこう多く、浅野温子と三上博史に直接関わりのない人物もいる。それらの人物もこれから事件に関わってくるのだろうか?これからの展開に注目である。しかしこの『共犯者』、視聴率的には大苦戦らしい。なんでも6~7%あたりを彷徨っているとか。とても面白いのだが、人によってはとっつきにくいドラマであるのかもしれない。最近流行の「1話完結型」ではなく、ストーリーが完全な連続型なので、途中からの視聴者をこれから引き込むことは難しいかもしれない。気楽に観られるドラマではないが、謎解きサスペンスの醍醐味を存分に楽しめそうである。打ち切りにならないことを祈る。《今週のナイスな表情》 ちょっとヤバい浅野温子博史、ご満悦
2003.11.01
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